はてなキーワード:内定とは
私は、学生という立場を利用しさまざまな短期バイトを転々としているが、現在同僚になった現場猫(以下、彼)がバカすぎて死にそうで困っている。
所謂現場猫たちがいる場所では服装規定のほか、わざわざ書く必要がない“不文律”が存在する。「前日には風呂に入り、清潔な格好をすべし。」「爪は短く切るべし。」などがある。まぁ、働くことにおいて当然の事である。
彼は違った。伸ばした髪の毛はそのままだし、車も改造してある。車高が明らかに低いのだ。私は、その時点で彼を警戒すべきであった。
当段落はただの偏見と悪口なので読む必要は無いが、車高を低くすることに魅力を感じる理由として挙げられるのは、スポーツカーみたいでかっこいいからである。要するに、スポーツカーも買えない貧乏人の趣味である。彼もその1人であることが窺える。
バカすぎて死ぬ、というのは、彼の労災に対する意識が低すぎていつか死ぬかもしれないという話である。コンテナ作業なのだが、コンテナを押して移動させると聞いた時点で、「前に人がいないか」というのを常に確認しなければいけない、というのを連想するのは当然である。それに対し、私は何回か轢かれたり挟まれかけたりしているのだ。目の前で作業しているのに普通に押してくるのだ。困る。幸いにも怪我はしてないが。髪を出していたり、商品の扱いが雑な時点で察せる事である。
他にも、私が荷物を置こうとする時に目の前に荷物を置くし、仕事を横から奪うし、何度も言われた事覚えないしでバカさが窺える。私が指摘するべきなのだが、車高を低くするような人間と付き合った事がないので何をされるかわからない恐怖がある。逆上されてひっぱたかれたら死ぬし、言いくるめ技能で社会性を装飾したバカ(割といる)の可能性もある。危険に関しては上長に報告したが。
日常会話を楽しめるような仕事ではないので、会話の機会が少ない中、仕事の様子から鑑みるしかない。今怪我をすると困るのだ。有名某所に内定を決め、残り数単位しか残っていない薔薇色の半年間を汚されると非常に困るのだ。Switch2も当たってないし。
これを読んでくれたみんなには、私が怪我をしないように祈っていてほしい。
私は、学生という立場を利用しさまざまな短期バイトを転々としているが、現在同僚になった現場猫(以下、彼)がバカすぎて死にそうで困っている。
所謂現場猫たちがいる場所では服装規定のほか、わざわざ書く必要がない“不文律”が存在する。「前日には風呂に入り、清潔な格好をすべし。」「爪は短く切るべし。」などがある。まぁ、働くことにおいて当然の事である。
彼は違った。伸ばした髪の毛はそのままだし、車も改造してある。車高が明らかに低いのだ。私は、その時点で彼を警戒すべきであった。
当段落はただの偏見と悪口なので読む必要は無いが、車高を低くすることに魅力を感じる理由として挙げられるのは、スポーツカーみたいでかっこいいからである。要するに、スポーツカーも買えない貧乏人の趣味である。彼もその1人であることが窺える。
バカすぎて死ぬ、というのは、彼の労災に対する意識が低すぎていつか死ぬかもしれないという話である。コンテナ作業なのだが、コンテナを押して移動させると聞いた時点で、「前に人がいないか」というのを常に確認しなければいけない、というのを連想するのは当然である。それに対し、私は何回か轢かれたり挟まれかけたりしているのだ。目の前で作業しているのに普通に押してくるのだ。困る。幸いにも怪我はしてないが。髪を出していたり、商品の扱いが雑な時点で察せる事である。
他にも、私が荷物を置こうとする時に目の前に荷物を置くし、仕事を横から奪うし、何度も言われた事覚えないしでバカさが窺える。私が指摘するべきなのだが、車高を低くするような人間と付き合った事がないので何をされるかわからない恐怖がある。逆上されてひっぱたかれたら死ぬし、言いくるめ技能で社会性を装飾したバカ(割といる)の可能性もある。危険に関しては上長に報告したが。
日常会話を楽しめるような仕事ではないので、会話の機会が少ない中、仕事の様子から鑑みるしかない。今怪我をすると困るのだ。有名某所に内定を決め、残り数単位しか残っていない薔薇色の半年間を汚されると非常に困るのだ。Switch2も当たってないし。
これを読んでくれたみんなには、私が怪我をしないように祈っていてほしい。
明らかに場違いな存在のはずだが、ツヤのある毛並みと眠そうな目が不思議と緊張感を煽った。
猫についての説明がないまま面接が始まった途端、猫が私の膝の上に飛び乗り、ゴロンと横になった。
どうすべきか迷っていると、何ごともなかったかのように面接官が志望動機を尋ねてきた。
このまま続けるのか…
私は困惑しつつも、次々に繰り出される質問になんとか答えていった。
口を開きながらも、意識は膝の上でもぞもぞと動く猫に半分奪われていた。
混乱はあったが、おかげで過剰に緊張せずに済んだ面もあったかもしれない。
最後の質問が終わり、私が立ち上がるべきタイミングになっても、猫は相変わらず膝の上でごろごろしていた。
今度こそどうすべきか分からず固まってしまった私を見かねて、それまで終始厳しい表情をしていた年かさの面接官が苦笑し「床に下ろしてもいいですよ」と言ってくれた時は、心底ほっとした。
初めて手で触れた猫の身体は、やはり面接会場にふさわしくない温かさがあった。
入社後、あの黒猫が社長の飼い猫であることは分かったものの、面接会場に置いていた理由はいまだに不明だ。
猫の存在に動じずに受け答えできるかどうかを見てるとか、逆に猫のかわいさによってリラックスを促してるとか、色々うわさはあるものの、はっきりした答えはない。
それでも私は、胸を張ってホワイトとは言いきれないがブラックでないことは確かなこの職場に導いてくれたあの黒猫に、いつも感謝している。
年 | 出来事 |
1987 | バブル景気本格化、内定は青田買い状態 |
1991 | バブル崩壊、株価と地価が暴落 |
年 | 出来事 |
1993 | 新卒採用の大幅抑制が始まる |
1995 | 就職氷河期という言葉がマスコミに登場 |
1997 | 山一證券破綻、アジア通貨危機で金融不安拡大 |
1998 | 失業率が戦後最悪、フリーター問題が深刻化 |
年 | 出来事 |
1999 | ロストジェネレーションという言葉が広まる |
2000 | 大卒内定率が過去最低を記録 |
2002 | ニートという言葉が話題に |
2003 | 小泉構造改革で派遣労働拡大 |
2004 | 派遣法改正で製造業派遣解禁 |
年 | 出来事 |
2008 | リーマンショックで非正規切り続出 |
2010 | 非正規比率3割超え、格差固定化 |
年 | 出来事 |
2013 | アベノミクス雇用回復も恩恵限定的 |
2019 | 政府が氷河期世代支援プログラム検討 |
2020 | コロナ禍で再び非正規が打撃 |
2025 | 多くが50代に、孤立・介護・老後問題が顕在化 |
勉強はそこそこ、特別有能ってわけでもなかったけど、なぜかうまく社会にハマった友人が今はそれなりの企業でホワイト寄り高収入みたいな仕事してて、こっちは前職で疲れ果ててたときに「うち来る?」って言われて、藁にもすがる思いでリファラル頼んだ。
で、ありがたく内定もらって入ったはいいけど、まあ~~~聞いてた話と違う。
たしかに前職みたいなネチネチ陰湿な奴はいない。セクハラ野郎もいない。ネチネチ怒られたりもしない。でも感情ゼロの合理主義集団。頼み方が悪いと「で? 何してほしいの?」って淡々とド正論かまされるし、失敗しても誰も注意すらしてくれない。仕事の抜け漏れあってもフォローしてくれない。自己判断ミス扱い。飲み会も歓迎会もないし、冷たい。
友人はというと、すでに社内でも上に行ってて評価されてるっぽい。友人は昔から明るくて、会社の中でも珍しく人のこと気にかけるタイプだけど、今はそれで気にかけられると逆に惨めな気持ちになる。というか私を下に見て優越感感じてるんじゃないかとすら思う。ウザい。
合理主義集団なくせに気にかけてもらえたら嬉しいぽいから、それで評価得てるのも性格悪い。
収入は前職より上がった。でも友人ほどじゃないし、その分忙しい。チームの人に頼りたいけど淡々とした感じが怖くて頼れない。
前職に戻りたい。ネチネチ嫌な奴いたけど仕事は暇だったし嫌な人ばかりでもなかった。けど辞めるときに引き継ぎもせずにとにかく早く出ていきたい一心で投げ出してきてしまった事後悔してる。
なんで冷たい会社だよって言ってくれなかったのか、
「私は合ってるけど、増田は合わないかも」って言ってくれなかったのか。
人を紹介するって、そういう責任もあるんじゃないの?
勉強イマイチだったくせに。逆恨みだと解ってるけど恨みがましい気持ちが出てくる。
今日は気分が良かったので表参道辺りを歩いた。そうしたら向こう側から歩いてくる男がいた。
たぶん23ってとこ。大学出たばかりか、院生かもしれない。どっちでもいいけど、とにかく俺が大嫌いなタイプの奴だ。
あのスーツ。あれ見ろよ、ピシッと皺ひとつない高そうなスーツ着ちゃってさ。そんで細身のネクタイ締めて、足元はピカピカの革靴だ。髪型もなんだよ、わざわざ美容院でセットしてきたみたいじゃねえか。ああいう奴が昼休みに表参道のカフェで高いコーヒー飲んでんだよな。スマホもケースからして高そうだし、ああいう奴こそ「過去に○○でバズったことがあります」とか面接で偉そうに言うんだろ、どうせ。
あの、いかにも東大卒か慶應卒かどっちかで都内大手商社内定済みですみたいな面して歩くの、ほんとむかつくんだよ。ああいう奴がSNSで自撮り上げて、後輩に「頑張れ!」とか言って承認欲求満たしてんだろ、どうせ。クソだよ、ほんと。
社員10人ほどの会社から、日本でも有数の大企業に転職した。最初は行く気もない企業だったがエージェントにそそのかされ、気づけば内定をもらっていた。
もちろん嬉しかったし、配属もベンチャー気質のフラットな組織ということで前職と同じような雰囲気で働けると思っていた。
でも実際入ってみると、縦割り行政で細分化された仕事、ひたすら決められた要件を整えて委託先に仕事を投げる作業の繰り返しで辟易している。これがベンチャー気質?ベンチャーにいたこともないのによく言えたな。
正直年収が下がってもいいから前職に戻りたい。でも転職したばかりで辞めるなんて言えないし、大企業に馴染めなかった自分というのが自己肯定感を下げ続けてる。
10件の結果
フジテレビの新卒採用について、現在の情報では高卒での入社は困難と考えられます。
主な理由
学歴要件についてフジテレビの新卒採用は基本的に大学卒業者を対象としており、高卒者向けの採用枠は公開されていません。フジテレビでは、新卒採用や内定には明らかな学歴フィルターは存在しないと考えられています。エントリーシートにも、大学名の記載欄はありません
フジテレビへの転職方法!中途採用の求人情報や平均年収を解説! | すべらない転職
とされていますが、これは大学間での差別をしないという意味であり、大学卒業が前提となっています。
採用実績過去の採用実績を見ても、難関国公立大学や私立大学だけでなく、中堅大学からも採用されたケースがある
フジテレビへの転職方法!中途採用の求人情報や平均年収を解説! | すべらない転職
中途採用 将来的に放送業界で経験を積み、中途採用枠での応募を検討することは可能です。
関連会社フジテレビグループの関連会社や制作会社では、学歴要件が異なる場合があります。
技術系職種放送技術や映像制作などの専門技術を身につけることで、技術職としての道が開ける可能性があります。
現時点では高卒でのフジテレビ直接入社は非常に困難ですが、放送業界への参入方法は他にもありますので、まずは業界経験を積むことから始めることをお勧めします。
最近の世論調査では国民民主党の支持率の下落が見られている。党首の失言やガバナンス不全が理由として挙げられる中、Twitter(X)では公認内定者(当時)の天皇制を巡る発言や、党の選択的夫婦別姓に関する対応を理由に離反したという投稿も散見されている。
かつて、私は国民民主党を労組系の質実剛健な政党と認識していた。それが去年の衆院選前後から「手取りを増やす」の下に、現役世代の支持が増え、現役世代重視、ともすれば世代間対立を煽る少々ポピュリズム気味な政党へと変質した。そしてそれから半年強、どういうわけか結構な強度の保守層が流入し、保守政党の要素を得て変質を遂げていたようだ。最近の国民民主党の支持率の下落と反するように、参政党の支持率は上昇している。このあたりは、先の保守層の一部がまた場を移っているのかもしれない。
ここ1年足らずで様々な層を取り込み変質を続けている国民民主党。今後はどこへ向かうのか。その道の先に包括政党の座はあるのだろうか。今後も目が離せない。
衆議院衆院東京15区補欠選挙で国民民主党の公認候補に内定し、その後に取り消されて自殺した高橋茉莉さん。
玉木の不倫相手で、ばれたら一歩的に関係を切り捨てられて活動停止になった小泉みゆきさん。
ソースhttps://x.com/ShioriYamao/status/1932996384099348651
昨日6月11日、国民民主党の両院議員総会において、事実上の公認取消の決定を受けました。国政への再挑戦を決意しておりましたが、全国比例代表候補としてその場に立つことは叶いませんでした。
昨年来、玉木雄一郎代表より、国民民主党からの国政復帰のお誘いを頂戴していました。本年に入り、改めて代表から具体的に夏の参院選での出馬の要請を受け、その後、代表と榛葉賀津也幹事長お二人同席の上で重ねてのご要請を頂戴しました。悩みぬいた末、この大事なタイミングで党と国家に貢献できるなら微力を尽くしたいと考えるに至り、様々な環境を整えたうえで、ご要請をお受けする決断をしました。
簡潔に公認決定・発表・取消の経過を申しますと、本年4月23日当日、党から決定した旨の連絡を頂戴しました。ただ、その際あわせて、発表は先送りさせてほしい、そして同日予定していた代表・幹事長同席の記者会見も見送りたいとの説明を受けましたので、予定通りが望ましいのではないかと自身の意見は申し上げた上で、党の判断におまかせいたしました。その後、「SNS等での批判の鎮静化」「愛知県内における私の政治活動に対する愛知県連所属国会議員からの強い懸念」「他の候補予定者との一斉発表」などを理由として複数回発表の先送りの連絡を頂戴し、その都度意見は申し上げつつも、党の判断に従いました。そして5月14日午前、本日発表との連絡を受け、他3名の候補予定者とともに発表頂きました。その日は、赤坂における国民民主党の街頭活動への参加のお呼びかけも頂き、玉木代表とともにマイクを握りました。その後、ようやく政治活動を進める事が可能になったので、6月7日には後援会・支援者の皆さんと、事務所開きを行い、商店街の一角で事務所の運営を開始しました。出馬会見に関しては、当初の4月23日の予定が持ち越されて一旦は宙に浮く形になっておりましたので、私としては早期の開催の意志を党にお伝えしつつ、党からの判断を待った結果、6月10日開催の運びとなりました。代表・幹事長の同席を希望しましたが、辞退会見であれば同席するとのお答えは大変残念でした。ただ私には辞退の意志はありませんでしたし、会見するという自分の言葉を守る責任がありましたので単独で臨んだ次第です。会見では、お答えが難しい点もありました。ただ、時を経てさまざまな関係者や家族や守るべき人がおり、自身の新たな言葉が誰かを傷つける可能性がある以上口にしないと決めておりましたので、全ての人の納得を得ることはできないだろうということも予測はしていました。それでも意を尽くして説明し、質問が尽きるまで出来る限り真摯に対応し、今の自分自身の正直な言葉を届けた上で有権者のご判断を仰ぎたいと考えて臨んだ会見でした。
こうした経過を通じて、不十分もあったかと思いますが、その局面ごとに悩みながら、政治家として、党所属の組織人として誠実な対応に努めてまいりました。
そして6月10日の約2時間半の記者会見の後、様々な方からご連絡も頂き、少なからずご理解と励ましの広がりに感謝をしていたところ、24時間も経たないうちに「公認取消」という性急な結論を頂戴したことには正直驚きました。明らかに執行部主導でご要請を受け擁立いただいたにもかかわらず、執行部の責任において判断せずに、両院議員総会での決定という形をとる点にもかなり違和感がありました。「有権者、全国の仲間、支援者からの十分な理解と信頼が得られない」とのことですが、公認取消という公党の判断理由として有権者に説得力を持つものなのか疑問もあります。
今回問題とされた事柄は、全て公認時に周知されていたことです。その事柄について何らか懸念があるのであれば、公認前に選対面談を設けご指摘を頂戴することができたなら、よりよい状況を作れたようにも思います。面談日程が入らないガバナンスに違和感を覚え、公認前の4月15日に選対面談を申し出た際には、面談は不要とのご判断を頂戴した経緯もありました。
このように、党から正式な公認内定を受けても、党の都合で排除されてしまう政党では、志ある方も今後立候補の決断に躊躇してしまうのではないでしょうか。
私自身の公演かいをはじめ支援者の方々が、国民民主党からの出馬であるが故に、党の機関紙の10マン枚以上のポスティングや党のポスター掲示などに汗をかき、活動を続けて下さっていたことに、本当に申し訳ない思いで一杯です。精一杯、私からお詫びとお礼を尽くしたいと思っております。また、この間あたたかい励ましをいただいた皆さまにも、感謝の気持ちをお届けしたいと思っております。
今回、私は政治家として「豊かで強い国。そして国民に温かい優しい国」という国家像をお示ししました。国政に再挑戦し、左右に偏らない寛容な中道政治を実現して、国家のために力を尽くす、その決意に揺らぎはありません。
この国政の硬い意志を引き出してくれた国民民主党には感謝しつつ、その統治能力には深刻な疑問を抱いておりますので、今後は一線を画させて頂ければと思っております。さきほど、国民民主党には離党届を提出いたしました。
今後は、まず何より今回大変なご迷惑をおかけした講演会・支援者・関係者の方々にお詫びとお礼を尽くし、よく相談しながら、今後の政治活動について熟慮したいと思っております。
山尾 志桜里
四年前に書いた有料note。
対象読者
出てくる病院
・岩橋クリニック
私は28年間アトピーという皮膚の病気に悩まされてきました。この記事を開いたということは、もしかすると皆さんもアトピーで悩んでいる一人なのではないでしょうか。
アトピー治療で有名な病院というのが全国に多くあるかと思いますが、私は主に関西地方で有名ないくつかの病院に通っていました。
その中には健康保険が聞かない自由診療の病院もあれば、脱ステロイド治療を勧める病院もありました。私が複数の病院の治療を経験してきたのは、アトピーがとても辛い病気であり、そして肌をきれいにして周りの人と同じような生活を送りたいという想いがあったからでした。
この記事は、アトピーについて悩んでいる方を対象に、私が通ってきた病院の治療方法を当時の肌や生活の状態を交えながらお伝えすることで少しでも今後の治療や病院選びの参考にしていただきたいと考え執筆しました。
これから読む人に向けての注意点
この記事を読んでいただくにあたって大事な注意点ですが、私は脱ステロイド治療が合わず、今ではステロイドを使った治療をしています。そしてそのことに納得しています。一方で脱ステロイド治療を否定したいわけではありません。
今でこそ一般的には脱ステロイド治療は危険と言われていますが、インターネット上では「ステロイドが危険」とされる傾向が強いように思えます。インターネットの特性としてそのほうが読まれやすいからだと思います。
かつては私も両親もステロイドは危険なので使ってはいけないという認識だけを強く持っていました。
そして、この記事に出てくる病院やその治療方法についても私自身が感じた印象や当時の記憶をベースに記載しています。
なのでそれが絶対正しいわけではありません。あくまで一つの比較できる対象としてこの記事をお読みいただけると幸いです。
この土佐清水病院についての最終的な印象はあまりにも特殊な病院ということです。
生まれてから18歳まではこの病院の軟膏にお世話になりました。VA2やAOAといった名前の軟膏だったと記憶しています。
そもそも私は物心がついてから大学に入学するまでは、そこまでアトピーという病気で肌が荒れたりという経験はなかったのですが、大学入学と同時に夜遊びなどが増えたことで肌が荒れはじめました。
小学校の頃に肌がカサカサしたときなどには土佐清水病院の軟膏を塗っていたこともあり、土佐清水病院に入院することになりました。これが2012年8月、大学一年生の夏休みのことだったかと思います。
大学一年生で遊びたい盛りだったのですが、とにかくアトピーで肌荒れが酷く、夏でも七分袖を着てボロボロになった腕の関節を隠すなど、遊んでいる場合じゃなかったのを覚えています。
入院することになって初めて知ったことなのですが、土佐清水病院は保険が効かないということです。つまり自由診療の病院です。このときにこの病院について初めて少し違和感を覚えました。
入院中の治療についてですが、朝に軟膏を塗ってもらうことや特殊な石の風呂(岩盤浴のようなもの)で汗を流すという治療を行ったことを記憶しています。
また食べてはいけないとされている食品が多く、主に魚や貝を中心とした食事が提供されていました。肉類はなかったような気がします。
生活は朝の軟膏や風呂が終わると、その後は基本的には病室での生活です。
他の病院での入院生活についても今後出てきますが、大体暇な時間が多いです。
先生の診察は講演などで全国を飛び回っている先生が病院にいるタイミングで行われていたようです。なのでおそらく毎日病院にいるということはなかったと思います。
男性の患者がパンツ一枚で並ばされて順番に先生に診てもらうという方式でした。小学生の健康診断みたいなイメージです。ここも普通の病院とは多分違うところな気がします。
アトピー治療の経過ですが、10日ほどで肌荒れがおさまり退院したと記憶しています。
ここの治療をやめるきっかけですが、18歳以上になると軟膏をもらうために先生の講演会で話を聞かなければなりません。当時は母親の言われるがままに参加したので、本当かどうかはわかりません。
ただ「そんな病院があってたまるか」と思い、自由診療であることへの違和感や不信感もあったので両親に相談して病院を変えることにしました。
ちなみに土佐清水病院の軟膏にはステロイドが含まれているそうですが、私が小さかった頃はそのことが伏せられていたと聞いています。世間では魔法の薬だと言われていたそうです。
この病院の最終的な印象は、先生が信用できなかったことと脱ステロイドの効果をあまり実感できなかったことです。
土佐清水病院が特殊すぎる病院であることに違和感を持った私は、そのときに母親を通じて初めて脱ステロイド治療を知ります。おそらく「アトピー治療 →ステロイドは危険」というような知識をインターネットで得たのでしょう。
ステロイドが含まれているという土佐清水の軟膏はいつの間にかどこかに隠されていました。
たしかにステロイドの危険性はインターネットには溢れていたので、私はステロイドという一般的なアトピー治療で使われる薬を使用せずにアトピー治療を行う、いわゆる脱ステロイド治療を行う尼崎医療生協病院に通院することにしました。
この病院は家からも近かったです。2013年の冬だったと思います。
この病院の治療で印象的なことは、先生に「よく遊べ」といわれることです。アトピーの患者はとにかく外に出たがらない、それがよくないとのことでした。アトピーの改善には普通の生活をするのが一番の近道だということです。
唯一特殊だと思ったのは、紫外線かなにかを浴びることのできる機械で治療したことです。レントゲンを撮るときのような機械で全身に光線?紫外線?を浴びせます。おそらく外で遊ぶのと同じ効果なのだと思います。
とはいえ、このときの私は土佐清水病院に通う前の大学生活での失敗もあり、友人と遊ぶことはなるべく控えていましたし、食事にも気を使っていたのでそれほどアトピーが悪化することはなく生活ができていました。なのであまり病院に通院した記憶もありません。
このときの私の願いは、就職するときにはアトピーが治っていること。そして普通の生活を送れるようになっていることでした。
脱ステロイド治療はステロイドを使っている期間が長いほど時間がかかるという治療だと認識していたので、「今は安静にして今まで体に溜まっていたステロイドを抜いていくんだ、将来のために今はあまり遊んだりせずに我慢しよう」という気持ちで生活を送っていました。
しかし、尼崎医療生協病院は2016年に通うのをやめることにしました。
理由としては当時、就職活動をして無事内定をいただくことができたのですが、ストレスもあったのかアトピーが悪化しました。そのときに尼崎医療生協病院で診察を受けたのですが、肌がスースーするような塗り薬のかゆみ止めの効果があまりなかったこと、
そしてその後も「よく遊べ」というような治療方針しか得られなかったこともあり、こちらの通院をやめることにしました。
こちらの病院の印象は素晴らしい脱ステロイド治療の病院だと思います。もし治療方針が体に合うのならその人にとって、すごく良い病院だと感じました。
尼崎医療生協病院のあとは、こちらも脱ステロイド治療で有名な阪南中央病院に通院することにしました。大阪の田舎の病院ですが地方からも入院や通院する人が多くいる病院です。
このときはまだ、ステロイドが怖いという印象は拭えず別の病院で脱ステ治療を継続すればきっと良くなるはずだと考えていました。2016年の夏頃に治療を始めたと記憶しています。
この病院の最初の診察には、今までのアトピーの治療を記した紙を用意して持っていく必要があることや、脱ステロイドだけでなく脱保湿という保湿剤を使わない治療を掲げていることが特徴的でした。
ステロイドと保湿に肌が依存しなくてもいいような強い肌を作るという方針です。
また、日常生活で摂取してもよいとされる水分を指示されるのですが、水分制限が必要な理由を具体的に説明されたことで安心感がありました。かゆみ止めなど内服の薬が出たことも安心感につながった記憶があります。
一方、私生活では先ほど述べたように脱ステロイド治療は時間がかかるという認識であったこと、ステロイドを使いたくないという意志を強く持っていたこともあり、阪南中央病院に通院し始めて半年近く経ったタイミングでは、アトピーの肌荒れが良くなっておらず、就職先の内定を辞退するという選択をしました。
就職するときにはアトピーが治っていることを目標にしていたので、あまりにもショックの大きい選択でした。
そして2017年7月より、阪南中央病院に入院することを決めます。
こちらの病院の入院生活についてはインターネットで検索してみると、入院記のようなものが出てくるのですが、概ね同じような印象を受けます。
基本的な方針としては、自立した規則正しい生活を送っていく中で肌の状態を良くすること、そして悪化しない生活を自分自身で理解するということです。
朝は7時(くらいだったと思います)に起きて、20時頃に消灯になります。洗濯をしたり布団のシーツを自分で替えなければいけません。看護師さんが勝手に変えてくれるというようなことはありません。
先生の考え方は、アトピーの人は自立できていない甘えている人が多いということなのだと思います。何でもアトピーのせいにしている人が多いというのもおっしゃっていたような気がします。
また、この入院生活でも水分制限は続いていますし、入浴制限というのもありました。入浴制限はたしか脱保湿の考えのもとに行われていたような気がします。
水分制限や入浴制限については先生が肌の状態を診て、量や回数を決めてくれます。
またアトピーに混ざって発症している皮膚の異常に対する処置も適切という話を他の患者さんからよく聞きました。
脱ステロイド治療中の肌の状態を診ることに関して腕の良いドクターだったという印象です。
一ヶ月ほどして退院する頃には、肌の状態かなりが良くなっていました。同時期に入院していた私よりも明らかに肌の状態が酷かった青年もかなり良くなっているように見えました。
また、入院生活の中で人と交流することでどの患者さんにとっても精神的にもプラスになっているようです。
私は退院してからも、水分制限や入浴制限そして適度な運動など健康によいことを続けて普通の生活を送れるように努力していました。しかし、2018年の4月を最後に阪南中央病院での治療及び脱ステロイド治療をやめることにしました。
まず、退院後に症状が良くなるどころか徐々に悪化し始めたことです。水分制限や入浴制限は継続して行っていましたし、入院生活のときほどの規則正しい生活でありませんが、一般的に見れば仕事もしていないので健康的にストレスの少ない生活を送っていたつもりです。
それでもアトピーが悪化したことから、もし普通に働き始めたらすぐに悪化するのではないかと思いました。
そして、入院生活で送ってきたような生活を続けることは、憧れていた普通の生活とは程遠いことに気づきました。
それに伴い、脱ステロイド治療に疑問を持ち始めたことも理由の一つです。このときすでに5年近くはステロイドを使用していないので、いくら体内に蓄積されてるとはいえ、状態が良くならないということは正直考えられませんでした。
また、大学を卒業してから一年が経っていることを踏まえると、今後思うような仕事に就くことは難しいのではないという焦りを持ち始めました。
以上のような理由から、脱ステロイド治療をやめてステロイド治療を行う方へ傾き始めます。
岩橋クリニックは一度診察をしてもらっただけですが、大阪はびきの医療センターを紹介してもらいました。結果的に岩橋クリニックでの診察が私の治療の大きな転機となったと思います。
阪南中央病院での治療及び脱ステロイド治療に限界を感じた私は、ステロイド治療や他の治療について話を聞きたく、次の病院を探していました。
妹もあまり肌が強くなかったため皮膚科に通っていたのですが、それが岩橋クリニックでした。岩橋クリニックはビオチン療法を行っていることで有名です。
私は正直に、ステロイド治療についての心配事を先生に話しました。
「ステロイドは徐々に効かなくなると聞きます、その場合はどうしたらよいですか」
そうすると先生は、「そういう方もいらっしゃいます」と言うだけでした。
ステロイドを出す以上のことは出来ない、それで効かなくなっても医者側で責任は持てません、そういう意思表示のように思えました。
やはりステロイドは危険な薬であると再認識した私でしたが、大阪はびきの医療センターというステロイドの塗り方やステロイドについての講義を行っている病院があるので、そちらに行ってみてはどうかという提案をされました。
私はステロイド治療についてまだ不信感を持っており、この時点ではまだステロイド治療を行うという決断はしていませんでした。
大阪はびきの医療センターでの診察で、私はステロイドを使った治療を行うことを決めました。
最初の診察では、岩橋クリニックでの診察と同じようにステロイドについての質問をしました。
その際に先生から、ステロイドは危険であるという認識は間違っていないこと、それを上手に使わないといけないこと、そのためにはどのようにステロイドを塗るのが正しいかを簡単に伝えられました。
この話は入院中に行われる講義でも聞くことになるのですが、私の中で最も納得のできる説明でした。また、ターク(タルク)という血液検査の値で炎症の具合を数値化しステロイド治療を行うという点も安心できる要因の一つとなりました。
しかし、この治療に関して、最後まで反対していたのが母親で、ステロイドは危険という刷り込みがすごかったのだと思います。
しかし、先生から二十歳を過ぎているのだから自分のことは自分で決めよう、という言葉を診察中に受けたときに、アトピー治療をどこか人任せにしていた自分に気づきました。
そして私はこちらでの入院を強く希望し治療を受けることになります。
まず塗り薬に関しては、頭部、顔、胸、腕や足の関節など炎症の度合いなどによって薬の種類が違っていました。もしかしたら部位ごとの吸収率とかによっても違うのかもしれません。
また、炎症が和らいだ部位に関しては強いステロイドから弱いステロイドに変わります。こうして徐々に弱いステロイドに変えていき、最終的に塗る回数を
・Teamsチャット中、大声で咳をする。
・在宅ワークだがリビングで仕事しているらしく、子供がドタドタ走り回る声やそれに怒る奥さんの声が頻繁に入る。
周りにそれとなく注意されても「部屋の隅で仕事してるから音はそんなに入らないはずなんだけどなぁ~」と言って改善しない。
・たまに思いつきでミュートにするのだが、秒でそのことを忘れてミュートのまま話し出し、周りに注意されて「外すの忘れてたわw」とヘラヘラしている。
・古い社用PCを使いつづけていて、会議の発表中にエクセルやパワポが頻繁にフリーズする。
定例の度に「ごめ、またエクセルが固まったわ。ちょっと待ってね~」が発生し、ただでさえ長い会議がさらに伸びる原因になっている。
・PCの更新や社用wifiを導入するように何度も上から言われているにもかかわらず
「忙しくて」「具合悪くて」「本社が遠いからPCやwifi機器を取りに行くのが大変で」といってサボっている。
・毎日のチーム内定例に常に20~30分遅れてくる。定例の前に全体の工程会議が入っており、それが長引くのが原因だが
定例を30分後ろにずらすよう言っても「工程会議が終わり次第、すぐに定例を始めたいから俺らが参加するまで待っていろ」と聞かない。
・定例中も別の仕事をしていて全く話を聞いていない。「ごめw片手間で仕事してたから全然聞いてなかったわwwもう一回頭から説明して?」が頻発する。
・いつも定例が長引くため「クイックに進めよう」が口癖だが、長引く原因は上司本人がメンバーに根掘り葉掘り聞きたがるマイクロマネジメント体質だからである。
状況報告なのにやたら詳細を聞きたがるので、定例が脱線することが日常化している。
・作業量や作業時間は常にその時の気分次第。作業があふれたり遅れそうになると
「大した内容じゃないでしょ?そこはサクッと進めちゃってよ」と、これまでの数値報告をまるっと無視して、都合よく作業時間通りに終わることにされる。
恋愛は、ある種の就活に似ている。相手に好印象を与えるよう自分を整え、選ばれることを意識しながらアプローチし、時には「お祈りされる」側にもなる。つまり、男女の関係とは「お祈りする側」と「お祈りされる側」が交差する場でもある。ただし、就活と決定的に違うのは、年収や学歴といったスペックだけでは「採用」は確定しないという点だ。どれだけ条件が整っていても、「なんとなく違う」と感じれば選ばれないし、逆に条件が平均的でも「一緒にいたい」と思わせる何かがあれば関係は成立する。恋愛には、論理では測れない曖昧さや相性、タイミング、直感が大きく作用する。それゆえに、恋愛は時に理不尽で、予測不可能で、そして人間的な営みだと言えるのかもしれない。
とくに切ないのは、「友達でよかったはずの相手と恋愛関係になり、別れた途端に二度と話さなくなる」ようなケースである。恋人になる前は自然体で関わり、笑い合い、悩みを共有していたはずの関係が、ひとたび「交際」が始まり、「別れ」が訪れると、そのすべてが消去される。まるで、関係の全体が「付き合っていたかどうか」だけで再定義されてしまうような感覚。恋愛はいつの間にか、友情を吸収し、支配し、そして破壊してしまう装置になることがある。
この構造は、企業との関係にも通じるところがある。就活では、内定が決まれば「ようこそ、家族です」と迎え入れられ、在職中はチームや組織の一員として親密な関係が築かれる。しかし、いったん退職や転職となれば、その関係性は一気に終息し、まるで「いなかった人」のように扱われることもある。企業にとっての“人間関係”もまた、役割と所属に強く結びついた条件付きの関係なのだ。
恋愛も就活も、人と人との関係を「条件と制度」の中で結びつけようとする試みだ。だがその中には、排除や忘却が組み込まれている。だからこそ、その関係を超えて「対等でい続ける」こと、「別れても人として尊重する」ことの価値が、いっそう重くなるのだと思う。
恋愛は、ある種の就活に似ている。相手に好印象を与えるよう自分を整え、選ばれることを意識しながらアプローチし、時には「お祈りされる」側にもなる。つまり、男女の関係とは「お祈りする側」と「お祈りされる側」が交差する場でもある。ただし、就活と決定的に違うのは、年収や学歴といったスペックだけでは「採用」は確定しないという点だ。どれだけ条件が整っていても、「なんとなく違う」と感じれば選ばれないし、逆に条件が平均的でも「一緒にいたい」と思わせる何かがあれば関係は成立する。恋愛には、論理では測れない曖昧さや相性、タイミング、直感が大きく作用する。それゆえに、恋愛は時に理不尽で、予測不可能で、そして人間的な営みだと言えるのかもしれない。
とくに切ないのは、「友達でよかったはずの相手と恋愛関係になり、別れた途端に二度と話さなくなる」ようなケースである。恋人になる前は自然体で関わり、笑い合い、悩みを共有していたはずの関係が、ひとたび「交際」が始まり、「別れ」が訪れると、そのすべてが消去される。まるで、関係の全体が「付き合っていたかどうか」だけで再定義されてしまうような感覚。恋愛はいつの間にか、友情を吸収し、支配し、そして破壊してしまう装置になることがある。
この構造は、企業との関係にも通じるところがある。就活では、内定が決まれば「ようこそ、家族です」と迎え入れられ、在職中はチームや組織の一員として親密な関係が築かれる。しかし、いったん退職や転職となれば、その関係性は一気に終息し、まるで「いなかった人」のように扱われることもある。企業にとっての“人間関係”もまた、役割と所属に強く結びついた条件付きの関係なのだ。
恋愛も就活も、人と人との関係を「条件と制度」の中で結びつけようとする試みだ。だがその中には、排除や忘却が組み込まれている。だからこそ、その関係を超えて「対等でい続ける」こと、「別れても人として尊重する」ことの価値が、いっそう重くなるのだと思う。
たとえコミュニケーションに自信がなく、目立たず、要領が良くなくても、大企業への就職ルートは確かに存在する。それが、機電系の学科に進み、大学院を修了し、学校推薦を活用するという進路である。特に機電系の女子学生は、理系分野において依然として少数派であり、就職市場では高い需要がある。企業は多様性やジェンダーギャップの是正を掲げ、積極的な採用を進めている。
これは単なる“優遇”というよりも、制度的・社会的な背景に根差したものだ。製造業をはじめとする工業分野では、女性技術者の比率を高めることが喫緊の経営課題であり、その結果として「女子学生かつ機電系」は就職活動において極めて有利に働く。
こうした構造の中で、「自分も同じように努力してきたはずなのに、なぜ通らないのか」と疑問や不満を抱く男性学生がいても不思議ではない。その感情は決して妬みではなく、制度が見えにくい形で個人の評価に影響を与えているという現実に対する、正当な問題意識といえるだろう。
もちろん、こうした制度的配慮の背景には、理系分野における歴史的な不均衡と、女性が直面してきたさまざまな障壁がある。「リケジョ」という言葉が一時的に流行語として扱われたように、女性が技術分野に進むには、しばしば無理解や孤立を乗り越える必要があった。それらに対する是正として、企業や大学が一定の配慮を示すのは、社会的に意義のある方向性でもある。
ただし、その是正が過剰に作用した場合には、現場での摩擦や不信感を生む可能性もある。実際、ある女性学生が「選考の場で感情に訴えかけることで内定を得た」と語った、という話を耳にしたことがある。こうした逸話がどれほど一般的かはわからないが、もしそれが評価を左右する要因となり得る環境があるとすれば、問題はその「個人」ではなく、そうした行動が有効と見なされてしまう採用の設計そのものにあるのではないだろうか。
本来、就職活動とは、個々の資質や適性と企業のニーズが真に噛み合う場であるべきだ。性別や学歴、属性によって評価が左右されるのではなく、誰もがフェアに評価される社会を目指すならば、制度と意識の両面における見直しが求められる。その先にあるのが、初めての「平等な選択」なのだろう。
真面目に人生を歩んできたつもりだった。
高校時代は3カ年皆勤を受賞、推薦入試でもないくせに生徒会も本気で部活も毎年全国大会で上位に食い込んでいた。
大学は地方国立に進んだ。大学の授業を一度も欠席したことはないし、長期休暇には資格勉強や読書に励み、就活も大学2年から取り組みインターンにあししげく通って内定を勝ち取り、卒論では学士のくせに学会で賞を取るような真面目人間だった。サークルやアルバイトもやっていたが、飲み会は年数回程度だった。
しかし、社会人になって飲み会でヤリチン同期に出会ってすべてが変わった。
エロ漫画とかでしか存在しない概念だったヤリチンが、実在するんだと知った。
最初は嫌悪感しかなかった。というか普通に意味が分からなかった。付き合う前にするって何???って。
しかし学生時代ヤリチンだった同期は何人も居るし、彼女もセフレも居る同期だったり、彼女とFantiaに動画を上げて稼いでる同期とか、遠距離で彼女は居るけどヤリチンを東京でやってる同期とか、ナンパで営業力を磨いている同期とか、相席屋でお持ち帰りしまくる同期とか、そういう人がこの世界にはたくさん居ることを知った。
そしてみんな夜遊びのフェーズを大学生で終えている(ように感じた。実際大多数は遊んでなんかいない。インパクトのある話が伝搬してるだけ)。
彼女こそいたことはあるが、付き合う前にそういうことをするのは絶対にありえないと思っていた。そんな常識が壊れた。
自分は大学時代遊んでないんだ。そしてその大学時代はもう一生来ない。
そう思うと心が粉々になりそうなくらいの劣等感を感じた。
23歳だった。社会人としては若くても若者としてはアラサーが迫っていた。
23歳の遊びは若いねで笑われても、33歳がそれをやったらただのキモいでしかない。23歳でもキモいかもしれないが。
今が一番若い。
大学時代は終わっているがまだ今ならこのコンプレックスを取り除けるのではないかと思った。
若い頃のコンプレックスは一生引き摺るものである。半世紀を過ごしたおじさんが学園ソープに行くように、私自身にだって学生時代のコンプレックスがいくつかあった。
若いうちに遊んでないというコンプレックスが日に日に大きくなってくるように感じた。山月記のようにいつか虎になってしまうのではないかと思った。
そんなことを考えたとき、まだ今なら遊んでないコンプレックスを無効化できる。そう思った。
遊び終わった男がいいなんて世間では言われる。
平均初婚年齢を考えると残された時間は短い。結婚を前提としたとき、次付き合うまでに遊び終わった男になっていたい。
同時に女性から見ても、まだ結婚を考えず遊んでみたいと思う需要もある時期なのではないかと考えた。
さらに彼女が居ない今こそ、遊んでおくのが良いのではないかと思った。
それを考え始めると遊ばない=死のような感覚になった。
今を逃すと将来が真っ暗で永遠に一人だと思うようになった。
さらに自分は真面目な自覚があったし、それを改善することが至上命題となっていた。
加えて女性に対してのコミュニケーション力もコンプレックスであった。
技術カンファレンスの懇親会で同性同士のコミュニケーションは磨いてきた自負があったが、対女性となると極めて難しい。
これも早めに直したい。
まとめると遊びは
を目的として始めた部分が大きい。
欲の強さはかなりある方だが、そういう行為は正直好きな人とだけ楽しめていれば十分だと思っていた。
経験人数を増やしたい気持ちもないし、お持ち帰りする過程にもワクワク感を抱かないタイプである。
仕事のストレスがえげつない時期で正直死が迫っていたのだと思う。
狂っていた。
本質として相手を傷つけて得られる幸せや快楽はクソだと思っている。
いくら自分のためだとしても、タダ乗りは絶対にしてはいけない。
また1回目の行為は調査だとナンパ本にだって書いてある常識である。
楽しんではいけない。相手が何が好き化を調べる調査である。明確に客は女性で自分は施術者である自覚を忘れてはいけない。
遊びはどちらが好きになった瞬間終わりである。
期間を決めることにした。目標設定において期限を指定しないことはあまりにも意味のない行為である。
ヤリチンになれている・いないに限らず半年で一旦区切りをつけることは最初から決めていた。
これはマッチングアプリの料金プランとしてコスパが良いことに加え、思考に関わる習慣化の期間は約6ヶ月と言われていることにも起因している。
遊びという行為を経験しておりそれに対して不快感を抱いていない限られた知り合い(男女両方含む)に事情を話し定期的に話をする機会を設けてもらった。
これはスクラムにおけるSprintReview的な立ち位置となると同時に、依存先を増やしてメンタルコントロールをしていた側面も大きい。
数をまずはこなすことにした。
デート後に毎回記録をしていた。
好きな食べ物や嫌いな食べ物、アレルギーやMBTIなどの基本情報は大前提として
を毎回デート後に書き起こしていた。
これは経験学習効果を最大限増やすという意味合いもあるし、なにより相手を傷つけないためが大きかった。
相手に間違われるのはあまりにもつらい。それに相手が楽しくないことは絶対にしたくない。ポリシー違反。
人間を物として見てると言われそうだが、自分の中ではそれが最大限の誠実性だった。
最悪自分が傷つくのは自業自得だとしても、女の子を傷つけるのは良くないし、特に一生傷を追わせてはいけない(偉そうなこと言える立場でないのはわかっているが)。
例えば容姿を気にしている相手に容姿に対する指摘をするとか、体型を気にしている相手に体型の指摘をするとか。
そういうのは相手の人生を余裕で狂わせる。整形を繰り返したり、拒食症になったり。(自分が直接そうさせたことはないが、そういう風にされたことがある人を見たことがある。)
クラブナンパでは、クラブに1人で突撃し最初に同性と仲良くなり、そこ経由で女の子を紹介してもらうことで多少は仲良くなれたが、その後があるほどの関係性は構築できなかった。
相席屋や合コンは付き合ってくれる男さえいれば女の子と話すまでは確実だが、一方でお持ち帰りという部分に関しては極めて難易度が高い。
個人的に複数人の場での立ち振る舞いより、1対1のほうが得意であった。
結果として自分自身と相性が良い「マッチングアプリ(恋活系)」を中心に進めていくこととなった。
Tinderは最上級の課金をしても基本出会えず、性癖マッチ系は男女比が破壊的で現実的でなかった。どちらも自分でコントロールできる範囲で改善が難しかったため本業にはしなかった。
あたりで知識を蓄えた。
最も良いのは遊んでいる・遊んでいた男女に相談することである。疑問を対話形式で解決できることによる学習効果は大きい。
YouTubeに関しては有象無象で精度も低いが、複数人が言っている内容などある程度学習意義があった。(多くは会員制有料サイトへの誘導であるため注意)
各種書籍に関してはかなり効果が大きかった。特に「話を聞かない男、地図が読めない女(アラン・ピーズ 著)」は男女平等が叫ばれる中で必読の書籍であるように感じた。平等と公平の必要性もわかる。
少女漫画はふざけているかのように見えるが、女性にとっての1つの理想を知るうえで重要な資料である。(というかお持ち帰りした女性におすすめされた)
ヤリモクになることを通して、うまくやれてるヤリチンにある種の尊敬を抱いた。
(うまく、と書いているのは本能で行動し相手を傷つけて遊ぶ男や色恋や沼らせることで女性を依存させて遊ぶ男、恋人という安定に甘えながらヤリモク浮気をするような本物のクズ達には尊敬を抱けないためである)
難易度は正直人生でも相当上位に食い込む。大企業に内定を得るよりも断然難しい。就活は相当苦労した記憶だったが、それを遥かに上回るものだった。
運よく限界が来る直前に救いが何度もあったことで耐えれたが、辛さに耐えられずに人生が終わる可能性だって十分にあるくらいには精神的ダメージの大きいものであった。
一方で経験学習は明確に回る。性という人間の根幹を牛耳る部分が刺激を受けることで良くも悪くもアメとムチがデカかった。
食料が手に入るようになった現代で唯一本能的なPDCAを回せる場所であったのではないかとすら思った。
ドタキャンされたり嫌われたりは日常的にあって、かなり人格否定が発生するのが辛い。
仕事とかならプロジェクトのxxが悪いとか、スクラム開発ならPBIが悪いとか色々言い訳できるのだが、女の子から嫌われたり断られたとき、人格否定されたように感じてしまう。
(実際にはそんなことはなくて、たいてい相手側の都合とかタイミングのケースが多いが、論理でそうわかっていても感情はそうならない)
ヤリモクをやる前の事前調査で、ヤリチンをやっている友達数人に聞いたところ、まずは20人と会ってからだという話を聞いた。
これは遊び終えた上で振り返っても間違いないと考えている。
まずは数をこなして学習することが大事だし、正直相手のその日の体調や気分など運による部分が大きいというのもある。
会う直前や電話の直前で突然ブロックされることは相当な回数ある。半年間で20回は優にあった。
大半のケースは会うのが面倒なケースや他に良い相手ができたケースだと思われるが(というかそう思わないとやっていけない)とても辛い。
一番辛いのは会う約束をして当日待ち合わせ場所で待った挙げ句パターンである。
「ちょっと遅れるね」のメッセージを最後に何時間も真冬に待たされた挙げ句ブロックされたケースだってある。普通に数日落ち込んだ。
さらに厄介なのは一方的に好意を向けられた挙げ句、会う直前に突然ブロックされることだ。
簡単に好意を向ける人間は、簡単に他の人にも好意が向いて自分なんて存在は容易に捨てられる。
当たり前だが世界は甘くない。
ホテルに誘ったときに「そういうの無理なんだけど」って言われるのはまだ希望がある。貞操観念がしっかりしていて素敵だなと思う。
ちょっと嫌なのは、最後の最後に「今日女の子の日だから次ならいいよ」と言われた挙げ句、解散した瞬間にブロックされることである。これが結構ある。
基本的に初回でできなければ次は絶対にない。(1個人の統計としては1回だけ例外があったが割合としては相当低い)
またホテルに行ってやることやって、またしようねと笑顔で解散した次の日にブロックされるケースもある。
ホームで電車に乗り込む直前まで甘々にくっついてきたのに、である。本当に人を信用できなくなる。
いろいろな人と話すことができた。(実際に行為まで及んだのはごく少数であることは留意してほしい)
幼稚園の先生、小学校の先生、営業職、事務職、フリーター、様々な学部の大学生、専門学生、SE、舞台スタッフ、作業療法士、看護師など、職業や学種だけでも普段絶対関われない人と関われた。
出身地も日本全国様々だったし、それぞれの人生も唯一無二のものだった。
夜ご飯だけでも2時間は話を聞けるし、2件目、ホテルとなるとピロートークも含めてその人の人生の深淵まで触れられることもある。
理系人生だと女性と接する機会は極めて少ない。そんな自分にとっては知らない世界ばかりだった。
知ったところで何になるんだと言われるとそれまでだが。
常に、と書いているのはセフレという存在が極めて不安定な存在だからである。
自分なりに相手を満足させるように努力していても、当たり前のように関係が向こうから千切られるので常に新しい相手を供給し続ける必要がある。
セフレがほしい男は無限に居ると思うが、女性は大概そうでない。遊び前提で出会っても暗黙的に、なんなら本人は気づいてなくても付き合ったり結婚したりする未来を考えているケースが極めて多い。
というかそれ以外ほぼない。ごく稀に例外はいるが本当にごく稀でしかない。
途中で女の子側から消えていく。それは恋人になれないということに絶望を感じたり、単純に飽きられたり、私このままじゃだめだと思ったり。
だから常にセフレとなる候補を探すために新規の女の子と会い続けないといけないため、永遠に安定が来ない。
セフレという言葉に理想を描く人間は無限にいるが実際は想像以上に空虚な存在である。
自分にだけ一途でセフレな女の子という幻想は捨てるべきだ。矛盾している。
自分がセフレになる時点で他の男にも簡単に落とされて持っていかれるような存在であるし、仮に長期間セフレが維持できるほど好意を持たれていたらいつか相手が今の関係に満足できなくなって終わる。
一途なセフレは存在しないのでちゃんと誠実に遊ばず恋人を目指すべきである。
一時的に誰かの薬に立てている実感こそあったが、自分はこの人を一生幸せにできないんだと感じで絶望を感じることが多々あった。
穴の空いたポケットにビスケットを詰めているような感覚。すぐ落ちて無駄になっていく。
どれだけ優しくしたり貢献しても、すぐ離れて蓄積がない。
恋人だったらそうはならない。1年付き合って培った信頼とか共通認知とかがある。
遊びにはそういうのが一切ない。体験版でプレイするたびにリセットされるRPGと同じ。
遊び初期は女の子とデートするたびにPDCAサイクルが回って学びが多かったが、だんだん得られる学びが減っていった。
それに正直やりたいだけなら遊びは風俗と比べて金銭的なコスパも
Permalink |記事への反応(26) | 00:30
彼とは大学時代に知り合った。同じゼミで、最初はそんなに仲が良かったわけじゃない。けど、就活がうまくいかなくて、お互いにボロボロになっていくうちに、自然と話すようになった。あの頃は、誰もが「なんで俺たちだけこんな目にあうんだ」って思っていた。自分たちが悪いんじゃなくて、時代が悪いんだって、本気で思っていた。
ぼくはどうにかブラック企業の内定をもらって、そこに滑り込んだ。辞めたり転職したりはしたけど、結果的にそこで食いつないできた。
彼のほうは、どこにも引っかからなかった。それっきり、実家に引きこもってしまった。
会うたびに「小説家になるんだ」って言ってた。
本は本当にたくさん読んでいたし、語彙も豊富で、文章のセンスもあった。
ぼくなんかより、ずっと頭がよかったと思う。
彼はブログを始めて、毎日のように長文を書いていた。内容は、いわゆる「社会批評」だった。いや、社会批判と言ったほうが近いかもしれない。流行りものは全部バカにして、テレビも芸能人もSNSも見下して、「俺は違う」と繰り返していた。
最初は面白かった。よくそんなこと思いつくな、と思ったし、時にはハッとさせられる鋭さもあった。でも、だんだんと、書いてる内容が偏ってきて、冷笑というより、妄執に近いものになっていった。読んでいて、なんとも言えない居心地の悪さを感じるようになった。
SNSが流行りはじめると、彼はそこで名前のある書き手にリプライを送りまくるようになった。最初はちょっとした感想だったのが、次第に粘着っぽくなり、相手が無視しても送り続けるようになっていった。
フォローしていた人たちから「なんか怖い人いるな」と言われてるのを見かけたとき、もう無理だなと思った。
そこからは会わなくなった。誘っても来ないし、連絡しても返ってこない。
「小説家になるって話、どうなったんだろうな」って、ふと思い出すことはあったけど、たぶん書いてなかったと思う。
文章自体は書いていた。SNSのタイムラインに、誰かに向けて恨みごとのような文章を延々と綴っていた。それが小説かと言われると、違う気がした。
そんな彼と、死ぬ一ヶ月前に、なぜか会った。
今思えば、本当に虫の知らせだったのかもしれない。久しぶりに思い立って、「元気?」とメッセージを送ったら、返事が来た。会って話そうという流れになった。
駅前の居酒屋で会った彼は、昔とあまり変わっていなかった。だけど、酒を飲む量が異常だった。話してる途中でふっと意識が飛んで、机に突っ伏して眠ってしまった。
ああ、限界なんだなと思った。
あとから聞いた話では、生活保護を受けていたらしい。アルコール依存症で、糖尿病もあって、病院にも通っていたという。
死んだと連絡が来たとき、驚きはなかった。むしろ、よくここまでもったな、というのが正直なところだった。
ぼくはあのあと、プログラミングを独学で学んで、なんとか今の仕事にありついた。たいして稼げてるわけじゃないけど、家賃を払って、飯を食って、生きてはいける。
彼のことを思い出すたびに、「人生ってなんだろうな」と思う。
あれだけ本を読んで、言葉を大切にして、でも結局、誰にも届かなかった。
それとも、どう転んでも同じだったのだろうか。
考えても、答えは出ない。