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はてなキーワード:内包とは

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2026-02-12

円環の拘束――結婚指輪における「契約」の呪術的変容と身体連鎖に関する考察

序論

現代社会において、結婚指輪愛情の証や社会的ステータス象徴として自明のものとされている。しかし、文化人類学的、あるいは記号論的な視点からその本質を解剖すれば、それは単なる装飾品ではなく、一種の「洗練された呪詛(カース)」としての機能内包していることが浮き彫りになる。本稿では、指輪という形状が持つ円環性と、左手薬指という身体的部位への固着が、いかにして個人自由剥奪し、永続的な拘束を強いる「呪詛」として機能するかを論じる。

第一章:円環という名の「終わりのない牢獄

指輪の最大の特徴はその円環構造にある。幾何学において円は始点と終点が一致し、無限の反復を意味する。これを婚姻関係に当てはめる時、それは「死が二人を分かつまで」という誓約を、視覚的・物理的なループへと固定する行為に他ならない。 かつて呪術世界観において、対象を紐や輪で囲う行為は「封印」や「束縛」を意味した。結婚指輪をはめる行為は、自らの意思特定他者との関係性の中に封じ込め、外部世界との流動的な接触を断絶させる自己封印儀式である

第二章:薬指の静脈心臓への直結

左手薬指に指輪をはめる習慣は、古代エジプトローマにおける「ヴェナ・アモリス(愛の静脈)」という幻想に基づいている。この指の血管が直接心臓(アニマ)に繋がっているという信仰は、解剖学的には否定されているものの、文化的呪詛としては今なお強力である指輪による圧迫は、微弱ながらも絶え間ない物理的刺激として身体記憶される。この持続的な刺激は、意識下に「私は所有されている」という通奏低音を響かせ続ける。つまり指輪は皮膚という境界線を越えて精神の深層へと侵入し、個体としての独立性を侵食する身体同化装置なのである

第三章:社会的監視の「護符」と「呪い

指輪は、第三者に対して「この者は売約済みである」と宣言する標識である。これは一見不埒な誘惑から身を守る護符(アミュレット)のように機能するが、その実態相互監視システムである指輪を外す行為が「裏切り」や「隠蔽」と直結する社会構造において、指輪は装着者の行動を24時間規定する。外す自由を奪われた装飾品は、もはやファッションではなく、見えない鎖の末端に位置する「美しい枷」に他ならない。

結論

以上の考察から結婚指輪とは愛の象徴という美名の裏に、永続的な拘束、自己喪失、そして社会的監視を埋め込んだ高度な呪術記号である結論付けられる。それはロマンティシズムによって美化された「呪詛」であり、我々はその円環に指を通すことで、自ら進んで自由という名の魂の一部を供物に捧げているのである

Permalink |記事への反応(0) | 15:24

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2026-02-11

はてなが嫌いならはてなを出て行けばいいのに…

はてなー現実をみないw」

「これだからはてなーはw」

最近コメントでみたいなはてな利用者を敵視する言動を多く見かけるようになった。

こういう発言をする人は自分が見る限りは特定思想の人が多いことにも気づいた。

はてなーいくら嫌っても自分もそのはてなを利用する限りその一人だし、そんなには嫌いならはてなを出ていけばよくない?

いつも気持ちよさそうに言い放ってるじゃん。

「いやなら出ていけ!」ってさ。

出ていかないの?

はてなーが嫌いであってはてなというサービス自体はうんぬん」って反論くると思うけど、サービスってその利用者内包してると思うんですね。

なのでやっぱり利用者層が気に食わないなら出たほうがいいんじゃない

Permalink |記事への反応(30) | 18:45

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2026-02-10

韓国ソシャゲからキャラ排除されてるらしい

というような事を悲劇として語ってる言説があったけど

キャラを魅力的に描いた作品なら、主人公以外の男キャラが消えるのは当たり前だろ

そもそも現代ゲームユーザードーパミンを出すために最適化を続けてきた生き残り達なわけで

その結果が

魅力的な女+ガチャ射幸心+ゲーム性+安心感

だろうと思う、コレが一番脳汁が出る

客をイかせてサービス料をいただくお仕事やっててここを目指さないのは逆に不誠実だろ

ここを目指さずに「質のいいゲーム」とやらをお出しして金を出して貰おうっていうのは、好きなことだけして生きていきたいと宣うyoutubeを目指す子どもと変わらない

もちろん批判者が言っているのはおそらく、既存価値観からくるバランス感覚であることもわかる

つの作品がよりリアル人間関係の幅を持った作品であるためには、現実と同じように男女が出てきて、基本的には1:1の恋愛関係をそれぞれが結んでいく

それは主人公であっても例外ではないと

でもそういった厚みみたいなものは「美術芸術」に求める物であって、娯楽物であるゲームに求めるのはどこかお門違いに思えるし

そもそもすべてがそういった高尚さを目指す意味なんかない、低俗さや下品だって100年後に見れば立派なジャンルの違いでしかない

カッコつけてんじゃねーぞカス

ゲーム現実の発展形じゃない、現実がクソつまんないからやる現実逃避だ

だって年収10億で生活心配がなくほっといても金が増える生活をやりながら、金に目がくらんで全身全霊で愛情っぽいもの表現してくれる女と好きなだけハメハメできる人生だったらゲームなんかやんねーよ

でもそうじゃない

ゲーム現実と同じ程度のもんならゲームなんかせず現実の質を上げる方に時間使うわボケ

ゲームもっとお手軽に、現実のクソから離れて本来は手に入らないであろう脳の娯楽を手に入れるための避難所

からゲームバランスの取れたリアルであることに意味はない、作る人間勝手なこだわりでしかない

それでもリアルさに意味があるとしたらそれは「飛び込んでみたいと思ってるリアルの形」だ、戦争とか格闘技とかの一瞬を切り取って憧れる世界なんかがそうだ

じゃあソシャゲはどうだっていうと、ソシャゲはただただ俺達を射精させるためだけの最適解な擬牝台

からいちいち主人公以外の男なんか入れる必要がないし、むしろ不安感が増えるだけ

俺達は多種多様個性を持つ女とのそれぞれの恋愛を楽しみたいだけ

からこその最適解、今のゲーム無駄をひたすらに削ぎ落として進化し続けている

こんな時代に「お、男キャラ出しても俺はきにしないけどな、むしろNTRで興奮するし」だなんだって言ってんのは選民主義に浸るしか能が無い負け犬の可変型チン騎士くらいだけど、それはそれでまぁ別に他人趣味からどうでもいいや

今の時代はありとあらゆるものが専門化し、先鋭化し、研ぎ澄まされている

から昔みたいに、一つ一つにすべてを内包するがゆえに、共通項が多すぎて幅をモテていない時代とは違う

もちろん昔の方が作品享受できる幅というものは広かっただろう

だが今は作品を楽しむのにすら趣向や前提を必要とする分、快楽強度は極めて上がっている

これを進化と捉えず堕落だと嘆く人間は少しは自らの傲慢さに気づいてくれ

Permalink |記事への反応(2) | 23:41

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伊藤詩織擁護派、伊藤詩織をすっかり忘れる

はじめに

伊藤詩織擁護派が「沈黙」しているというより、

正確には伊藤詩織その人への関心が消えたように見える。

これは偶然ではなく、当初から内包されていた構造帰結ではないか

象徴としての役割終了

象徴としての消費期限が切れた、ということ。

擁護対象は「本人」ではなく「物語

伊藤詩織は一貫して

「語られる主体」ではなく「使われる素材」だった。

都合の悪い論点の増加

これらが出てきた瞬間、

結果として、沈黙が最適解になる。

支援」ではなく「動員」

これは冷酷さというより、

最初から支える文化存在しなかったとも言える。

結論

伊藤詩織擁護派は

伊藤詩織を守っていたのではなく

伊藤詩織というカードを使っていただけ

カードを使い切った今、

彼女は「忘れられる存在」になった。

沈黙裏切りではない。

最初から予定されていた忘却である

Permalink |記事への反応(2) | 13:30

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2026-02-09

各党の所感

大企業公務員の受け皿

左派から右派まで内包してるんでなんだかんだ言って強い

組合の受け皿

なんだけどたまきんがすぐブラブラするからなあ(反戦とか護憲とか無視して)労働者のための党になって欲しい

カルトというかマルチ講なんだけどだからこそ大企業組合の紐付きじゃないカウンターパートになると思ってる

  • みらい

よーわからん

テクノポピュリズムしか見えないが…

ここ20有権者の5%がこれのどこかに投票してるんでこの先もこのままだろう

正直老害しか思えないが必要としてる人も居るのだろう

Permalink |記事への反応(0) | 14:10

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愛国心が最も低いのはなんと20〜30代の男です!10代よりも低い

愛国心など持ちようもない弱者男性を多く抱えるゆとり世代を多く内包する世代から致し方ない面もある

Permalink |記事への反応(0) | 07:55

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2026-02-08

anond:20260207211056

あれは「高市が勝ったら若者戦争に行かされる」という意味を当然に内包しているわけだが、オールドレフトな皆さんの頭の中ではそれは「常識」なんだろうけど、広く有権者一般の間ではその説が正しいものとして全く認識されていないので、大多数の有権者の心には欠片もかすらないのだよな。選挙で負けている側においては、自分達で集まって自己陶酔し票を固めていても負けのままで、相手陣営の人をいかに自陣営側に持ってくるかが勝負なのに、票が動かない行為自己満足でやっている。自分達は正しい、自分達は正義なのだという想いから、正義はそのマントラを唱えるだけで理解されて支持が広まっていくように思っているのだろうが、それが単なる想い込みに過ぎないということが理解できないというオールドレフトの宿痾があるのだろう。

Permalink |記事への反応(3) | 07:16

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2026-02-07

anond:20260207105528

流石にまともな保守派とか無党派も多いだろうからネトウヨはそこまではいないだろ

そもそもからネトウヨって呼ばれてるけどネットで騒ぐだけなら良かったんだよな

今はネットから出てきてるから厄介

ネット弁慶に近いニュアンス内包してて外に出ろなんて馬鹿にされてたけど実際出てこられると困ってるというね

舐めすぎてたよね

Permalink |記事への反応(1) | 11:03

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2026-02-06

anond:20260205160624

まさにこういう言動をもって、同じ人たちと思われているんだよ。

今は権力を持ってないから、馬鹿にしたり、暴言で済んでいるけど、権力持たせたら危ないのは同じって思われているんだよ。

若い人たちに限らず、いま日本に住んでいる人たちはかなりの割合リベラル価値観内包しているけど、全部が全部そうでないのもそれぞれ分かっているんだから

そういう部分を聞く度量も、受け入れる余地もない相手言動で思われている上に、権力持たせたら危ないって思われているのは同じなんだから

どちらも嫌だけど、より嫌なのはどちらかって言われたら、私も含めて、リベラル側なんだよ。

モラハラ上司状態になっているよ。

正しいことも間違っていることも、聞いてくれなくなっているよ。

Permalink |記事への反応(1) | 20:55

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2026-02-04

anond:20260204123303

萌えは興奮で好きは好意。色んな感情内包するのが萌えって言ったらそれまでだけど。

Permalink |記事への反応(0) | 12:47

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2026-02-03

法律違反していない」という言葉が、いつから万能になったのか

最近自分勝手な人が多いように思います

より正確にいえば、社会規範を軽視した主義主張を、さも当然かのように述べて、争いに発展している人がとにかく多いとは思いませんか。


社会生活を支える規範法律だけではありません。

もちろん、法律もその構成要素であることに違いはありませんが、私たちが行動を決めるときに参照する要素は他にもあると思いませんか。

たとえば、条理、道徳、慣習、正義などがこれに該当すると思いますし、国によればここに神意といった宗教的要素も入ってくるでしょう。

これらは往々にして多義的で、その本質社会条件に依存して可変する変数のようなものです。

一義的結論を導き出せないからこそ、規範として提示することは筋が悪いという指摘はまさにその通りです。

からこそ社会規範としては法律を参照すべきで、法律違反していなければ一応の正当性があると考えることは、一見すると聞こえがよいでしょう。

このような論理依拠するような言論リアルインターネットを問わずに飛び交っていますが、私はあまり妥当とは思えません。


法律は、ある日突然生まれるわけではありません。

法律には、ある社会の中で規範として実質的機能するもの、すなわち、条理や慣習と呼べるものが、長い年月をかけて、時として判例などを経て立法に繋がるという一面があるでしょう。

法律からはお叱りを受けそうな雑な説明だと思いますが、お目溢し願いたいです)

法律は条理や慣習の具体化の一類型であり、その源泉は道徳正義だといえるのではないでしょうか。

無論、正義には悪しき慣習を否定し、断絶するための機能内包されているというべきです。

このような立法の背景を見ていくと、法律の外側にある事柄無視することができないことがおわかりいただけるはずです。


ただし、このような「広義の法」とでも呼ぶべき規範は万能ではありません。

特に、成立の初期段階において多義的であることが、広義の法の弱点といえるでしょう。

個々人が直感的におかしいと思っただけで、直ちに規範として機能するかといえば、そうとはいえいからです。

この弱点をもって広義の法は軽視されがちですが、中には社会的に反復支持され、制裁可能性を伴う非制定規範位置づけることが可能規範もあるでしょう。

これらをひとまとめにして「法律違反していない」と一蹴してしまうことに、争いの本質があると私は考えます


このように考えることで、昨今話題となっている様々な問題にも説明がつくはずです。

行き過ぎた個人主義とでも言うべき言論は、広義の法と間で摩擦を生じさせているのです。

言うまでもありませんが、個人主義主張権利保障されるべきです。

ただし、それを「当然に」とまで踏み込んで考えることが問題なのです。


誰とも接点を持たない完全な個人として生きていくならば、どのような主義主張をしても構わないでしょう。

しかし、現実論として、私たち他者と関わり合いながら社会生活を営んでいかなければなりません。

社会生活のために自己犠牲にするのかという批判が聞こえてきそうですが、そうではなく、「折り合いをつけて生きていく」ことが必要なのです。

社会調和して生きていこうとするからこそ、社会から個人として尊重されるというべきです。

個人社会から尊重されることを当然のものと考えることには、論理の飛躍があると私は考えます


このように述べると、貴様日本国憲法を読んだことがないのかとお叱りを受けるかもしれません。

しかに、我が国憲法自由権利保障個人尊重をそれなりに肯定しています

憲法憲法委任を受けた法律保障されていることを、当然のものと考えないことは筋が悪いかもしれません。

しかし、私はそれでも当然のものと考えるべきではないと強く思います


なぜならば、憲法ですら「当然に」この世に存在しているわけではないからです。

どちらかといえば、自由権利保障個人尊重といった概念を持たない社会継続していた期間の方が、人類史上では長かったことを私たちは忘れがちです。

自由権利が守られる社会は、決して自然発生的なものではなく、偉大な先人の犠牲の上に成り立つ脆弱ものといわねばなりません。

(補足すると、自然権的に、当然に認められるべき権利もあるといえますが、その保護には憲法のような実定法を要するというべきであり、実際上当然に保護されるものとはいえないと考えます

ですから私たち一人ひとりがこれを守ろうとしなければ、いとも簡単に失われてしまます

これは決して憲法法律に限ったことではなく、広義の法を含んだ社会規範全般に言えることではないでしょうか。

社会リスペクトすることで、個人もまた社会からリスペクトされるのです。


私たちは自らの主義主張社会に発信するとき社会規範を通じて共感性を獲得し、もって社会から個人として尊重されることを目指さなければならないのではないでしょうか。

言い換えれば、自己利益を最大化したいのであれば、逆説的に社会全体と調和を図るべきだと思うのです。

様々な意見を活発に交わすことが可能となった現代で、私たちはこのような視点をもって社会と向き合わなければならないのではないでしょうか。

Permalink |記事への反応(0) | 21:33

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2026-02-01

人生は生まれが9割

30代半ばだが、人生をある程度やったら、その結果が、生まれの差におおむね収束していくことに気づく。仕事資産配偶者子ども、住居、趣味、その他。たとえば、大したことないと思えた人間がいつの間にか大きな成功を収めている(そして再会してもやっぱり大したことない気がする)、自然と選んだ配偶者の親の出自が似ている、どんなに努力して色々なスキルを身につけても社会的上昇はもう手遅れな感じになっている、など。


その理由についてGeminiと一緒に考えた。自分意見とGeminiのまとめをいくつか繰り返して、以下のように整理している。


1 世界にある資源(富、地位、機会)は誰かに集中している。

あなたが生き、上昇するために必要資源(富、地位、機会)は、常にすでに他者(持つ者)が持っている。


2 資源の獲得は、持つ者から与えられることである

資源あなたが手にいれるには、持つ者から承認されて、与えてもらわなければいけない。


3 承認の獲得は、持つ者の好みに適合することを条件とする。

持つ者に気に入られること、持つ者の欲望あなた価値あるものとして配置されることが、あなた資源調達する唯一の経路だ。


4 持つ者から選ばれるには、共通言語必要とする。

持つ者は、自己地位を脅かさず、自己価値観をわかってくれる者のみを「同族」と認識し、資源を分配する。それを確認するための共通言語存在する。これは「感じがいい」「面白い」「頭がいい」「機嫌を取るのが上手い」「容姿が美しい」などと重なりながらも正確には異なっている。


5 共通言語資本である

共通言語は単なる知識ではなく、振る舞い、嗜好の傾向、文脈理解、およびその場における「正解」を直感する身体化された習性の集積である権力者とその周辺に存在する世界流通している常識コミュニケーション能力


6 共通言語は、環境を通じて(おおむね)遺伝する。

幼少期から呼吸するように吸収された共通言語は、それが自然であるかがわかる(ネイティブ話者)。学習が遅くなれば遅くなるほど、努力では到達が難しくなる領域である外国語と同じだ。


7 事実あなたが実際に何ができるか、何を行ったか、何を生み出したか)かと、資源の獲得は直接的には関係がない。

あなたがとても優秀だったとしても、共通言語を持たなければ、権力者にとって「高機能な道具」に過ぎず、資源分配の優先権を持つ「身内」には昇格し得ない。


8 システムの安定は、この共通言語が、普通の人には見えないことによって保たれる。

末端の労働者あなた)が「努力資源獲得」という偽の等式を信じ続けることが、システム全体のエネルギー効率を最大化する。


9 蓄積した実力あるいは事実は、商品としての「価格」はつくが「価値決定権」は持たない。

あなた市場調達可能な汎用品として定義され、持つ者によって、生み出した価値を吸い上げられる。実力を磨くほどに、あなたは交換可能な高精度の部品としての純度を高め、持つ者からもっと強く支配されるようになる。別の場所に行けなくなる。


10 「努力物語」は、自己家畜化する。

持つ者は、あなたが持つ者の言葉を話さないことを、「努力不足」や「自己責任」として片付ける。持たざる者(=あなた)は、自らの不遇を自己責任だと思い込みシステム内面化し、自ら進んでまた努力し、再生産の歯車となる。この精神服従こそが、持つ者の統治コストを削減する。


11 持つ者のルール意識的に真似できない。

持つ者の共通言語論理的ではなく、直感的に機能する。後天的共通言語理解し、模倣する者は、常に過剰な努力を要する。この「不自然な過剰さ」そのものが、天然の保持者にとっては偽物を見分けるための新たな共通言語として機能し、排除の網を二重化する。


12 共通言語の再定義すると、新しい権力生まれる。

既存共通言語陳腐化する大転換期(技術革新社会的動乱)においてのみ、一時的共通言語無効化する空白地帯空白期間が生じる。しかし、そこでの勝者が新たな資源を独占した瞬間、彼らは自らの地位を守るために新たな共通言語を制定する。世界では「共通言語破壊」と「新しい共通言語の固定」が繰り返され続けている。


13 持たざる者は、受容か、絶縁かの二択しかない。

持たざるあなたがこの連鎖の中で平穏を得る道は二つしかない。一つは、偽物であることを自覚しながらも、死ぬまで持つ者と「同族」を演じ続け、基本的には敗北しながらも、マシな居場所を見つけて資源の滴りを享受すること。もう一つは、共通言語による資源分配のゲームのものから降り、それが通用しない領域へと移動することである。なお、後者選択した瞬間、あなた社会的な死、あるいは永続的な孤立という代償を支払うことになる。


14 持たざる者構造的に資源に到達できない。

資源所在および獲得経路に関する「生(なま)の情報」は、常に共通言語を共有する閉鎖的ネットワーク内でのみ流通している。あなたアクセス可能情報は、既に価値を失い、消費し尽くされた「情報残滓である。このアクセスの断絶により、持たざる者は常に市場の「後追い」を強いられ、資源の源泉に到達することを構造的に阻害される。


15 持たざる者時間を浪費する間に持つ者は蓄える。

共通言語時間の蓄積の産物である。幼少期に環境から適切な共通言語付与されなかったあなたは、成人後にそれを自覚し、それを「学習」するために多大な時間を費やす。この時、持つ者が若い時点から資源運用資本(富、地位、機会)を増殖させている間、あなたはそこに参入する資格を獲得しようと生産性の低い準備に10代後半から20代後半までの人生黄金期を浪費する。30代になる頃には決着がついている。この時間ラグが、世代を超える格差指数関数的な拡大を決定づける。


16 実力はいつか陳腐化する。

実力(実務遂行能力)は、技術革新市場の変化によって急速に減価する流動資産である。一方で、共通言語は、時代に合わせて自己更新し、価値を保存し続ける固定資産として機能する。必死努力してきた持たざるあなたは、常に最新の能力証明し続けなければ生存を維持できず、加齢や環境変化による能力低下とともに、システムから容赦なくパージされる。


17 人間としての尊厳も持つ者が独占する。

持つ者は、自らが持つ資本を用いて、「高潔な志」や「芸術的営み」といった象徴資本(名声・権威)へと容易に置換できる。特に子の世代でこれを強化しやすい。対して、持たざる者の営みは、どれほど卓越していても卑近生存競争や単なる労働定義され、精神的・文化的次元への昇華を許されない。人間としての尊厳階層化されている。


18 格差世代を超えて連鎖する。それどころか加速する。

世界は、不当な排除内包することで安定を維持している。全ての個体平等資源を得ることは不可能であり、システムは「誰を排除するか」を決定する合理的基準として、この洗練された共通言語必要としている。持たざるあなたがこの連鎖認識することは、救済を得ることではなく、自己が置かれた見えない檻を見ようとする行為に過ぎない。



もちろんこれは一般論で、Geminiは「認知バイアス生存バイアスと敗北バイアス)の介在:30代半ばという時期は、自身社会的ポジション固定化され始める時期であり、提示された論理は「現状の自己正当化」あるいは「諦念による精神的安定」を求める認知バイアスに陥るリスクを孕んでいます。」という言い方で、この一般論の平均的な妥当性を私が過剰に評価し、自分を慰めようとしているとも言える。こうした自分自身では気づきづらいバイアスを指摘してもらうことは、AIが登場したことで得られたメリットひとつだと思う。

Permalink |記事への反応(1) | 23:25

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2026-01-29

子どもがいるというだけで"まとも"に扱われるシングルマザー

仕事シングルマザーと接する機会が多いのだが、おおよそまともな生活能力社会性を有していない人が半分くらいいると感じる。(もちろんまともな人もいる)

なのに独身よりかは社会的信用はあるし、健気に頑張っている母親みたいな評価を受けてすらいる。

生活能力で言うと、家計が苦しいのにまともに働こうとしなかったり、様々な手当で収入は平均くらいあるのに支払いの優先順位が変でお金に苦しんでいたりする。

社会性で言うと、約束は当然のように破るし、破ったとしても謝罪が無く、こちから連絡を入れて始めて言い訳を始める。

他にも、子ども子どもを育ててるような状況で、周りは"子どもいるから優しくしている"のに自分が優しくされていると思い上がってるし、母親であるにも関わらず自分が守られる側の人間だと思い込んでいる。

独身女性なら勝手に生きればいいが、そんな母親子どもが苦しんでるのが目に見えて分かる。

どう見ても一緒にいる子どもから活力を感じないし、子どもも似たような大人になりそうな態度や格好をしている。

まともなシングルマザーがいることはよく分かる。

しかし、自分が接している母親の多くは色んな支援で恵まれていて、もう少し他人真摯になり、もう少し考えて家庭を回せば人並みの暮らしができるのに自分から苦境に足を踏み入れている。

そのうえでいかにも自分が大変か被害者であるかばかり主張する。

こういう問題内包しているシングルマザー客観的にまともであるかのように見られているのはいかがなものか。

Permalink |記事への反応(1) | 16:32

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2026-01-28

anond:20260128162629

「次はあなたが選んでくれると嬉しいな」って言えばいいだけやん

それでやってくれないなら切ればいいだけで


女が一度やると男はやらなくなるから男に店予約は任せる。ってのは「極端な負担だったり相手を思いやってないこと」そのものじゃないん?

さらに言うなら店の予約は私の気に入る店にしてよね。とかいプレッシャーすら内包してくるやん

Permalink |記事への反応(0) | 16:27

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anond:20260128161938

増田が蟲毒であることは認めるわけだ

ネット増田内包していることは否定していない

あえて蟲毒ではない環境がよりよい割合が多いと思われる広義の単語に言い換えている精神について述べている

無自覚っぽいしここまで書いてもわからないんだろうな

Permalink |記事への反応(0) | 16:22

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2026-01-27

この世に生命が生まれたのが全ての元凶だよな

まあ、植物はまだ良かったよ

痛みとか苦しみを感じないか

ただ動物

てめーはダメ

痛みや苦しみを生んだんだから

(※動物微生物昆虫鳥類哺乳類などを含む)

不幸の始まりって「痛み」「苦しみ」なんだよ

痛み苦しみによって動物コントロールし、生き残ろうとするシステムなんだろうけど、このシステムがクソ

体罰教育してるのと一緒じゃん

パワハラなんよ

令和の時代に合わない

仕事中ずっと考えてたんだけどさ

動物が生まれなかったら、痛みも苦しみもないから、平和だったんだよ

それをさ、微生物とか魚とかに進化してさ、痛みや苦しみを覚えてさ、どんどん進化したのが本当にアホなんだよ

仮に進化するにしてもさ、「痛み」「苦しみ」がない方向性進化するべきだった

もっと別なシステム採用すべきだった

「痛みや苦しみがあるから喜びもある」だって

いやそうじゃなくて、痛みや苦しみがなくて、喜びだけ感じるような生命システムを構築すべきだったんじゃないの?

それができないんだったら、そもそも論として、この宇宙がクソだわ、

この宇宙が生まれた時点で、生命誕生や痛み・苦しみの存在が予定されていたのなら、本当にクソ過ぎる

俺がタイムリープして、ビッグバンの時点で法則を塗り替えたいよ

あ、一応言っておくと、俺は完全に無神論者から

神がこの世を作ったとかは全く信じてない

そうではなくて、宇宙誕生の時点であらゆることが決まっていた(もしくはその可能性を内包していた)ことに腹を立てている

なんで宇宙が生まれたのかは謎だけどさ、そういう仕組み自体を変えないと、人間っていつまで経っても辛いままなんだよな

病気になるし、老いるし、死ぬし、争うし、憎しみあうし、良いことないじゃん

それを防ぐには、生命動物誕生まで遡る必要がある

俺が考えてるのは、「宇宙の再圧縮

拡大し続ける宇宙ギュッ圧縮して、ビッグバン前に戻す

そして法則もっと都合の良いものに書き換える

宇宙のサ終、リブートだな

もう一度ビックバンを起こして、天国の始まりってわけだよ

それくらいしないと、人間幸せになれないと思うんだよな

そもそもルールが間違ってる

そう思わないか

Permalink |記事への反応(0) | 16:30

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2026-01-26

【論考】「浸透」ではなく「召喚」された怪物:「山上徹也判決から見る統一教会自民党政治経済学

【はじめに】

システム工学的「エポケー(判断保留)」と、リヴァイアサン代謝

本稿は、現代日本政治における「権力宗教」の構造癒着、および「山上徹也」という事象を、道徳的善悪の彼岸にある「システム工学的な機能不全と最適化」の観点から記述する試みである

あらかじめ断っておくが、本稿には犯罪行為正当化する意図も、特定信仰弾圧する意図も一切ない。

現象の「論理的解明(Explanation)」は、決して行為の「倫理的擁護(Justification)」と等価ではない。

病理学者ウイルス感染経路淡々と追跡するように、筆者は犯罪者も、政治家も、信者も、すべて巨大な統治機構リヴァイアサン)を構成する「部品」および「代謝産物」として等価に扱う。

読者が感じるかもしれない不快感は、システムのもの内包する「非人間的な合理性」の反映に過ぎない。

筆者は前稿『歪なリヴァイアサン』において、自民党を「魂(イデオロギー)を持たない利益配分マシン」と定義した。

しかし、高度成長が終わり、配るべき「カネ(利益)」が枯渇したとき、魂を持たないこのマシンは、いかにして自らを駆動させる熱量調達するのか?

本稿は、この問いに対する回答である

システム生存のために、外部から安価な魂」と「無料労働力」を調達する必要があった。その調達先こそが、統一教会という名の「政治下請け業者BPOパートナー)」である

本稿では、リヴァイアサンいかにしてこの異物を「召喚」し、その病理的な代謝プロセスの中で、いかなる副作用山上徹也)を必然的排出したのかを解剖する。

序論:誤診された「犯罪者

2026年1月奈良地裁山上徹也被告無期懲役を言い渡した。判決文、そして世論の多くは、彼を「家庭環境絶望した、極めて特異で孤独犯罪者」として処理しようとしている。

しかし、これは誤診である。あるいは、意図的な隠蔽と言ってもよい。

我々の「システム論」の視座に立てば、山上徹也という存在は、決して予測不能バグ(異常値)ではない。彼は、戦後日本政治システムが正常に稼働し続けた結果、必然的排出された「産業廃棄物システムバイプロダクト)」である

彼を「極端な個人」として切り捨てることは、工場が川に垂れ流した汚染水奇形魚が生まれた際に、工場排水システム点検せず、「その魚の特異体質」を責めるに等しい。

第一命題冷徹なる「バーター取引」の明細書

なぜ、統一教会という異質なカルトが、日本政権中枢にこれほど深く食い込めたのか。

教会が巧みに自民党洗脳・浸透した」という被害者面をしたナラティブが流布しているが、これは歴史的にも構造的にも誤りである

正しくはこうだ。自民党というシステムには、構造的な「欠落」があり、その穴を埋めるために教会を自ら「召喚」したのである

自民党統一教会関係を「信仰」や「思想共鳴」で語ることは、事の本質を見誤らせる。

両者を結びつけていたのは、互いの「欠損」を補い合う、極めてドライで実利的な「政治バーター取引(交換条件)」である

この取引バランスシート貸借対照表)を精査すれば、なぜシステム教会を切断できなかったのかが明確になる。

自民党発注者)が得たもの統治コストの「極限的削減」

自民党教会から調達していたのは、カネ(献金)以上に、「カネのかからない実働部隊」であった。

無償公設秘書運動員人的資源ダンピング):

選挙には膨大な人件費がかかる。しかし、教会から派遣される秘書運動員は、給与要求しないどころか、教団の教義に従って「無私の奉仕」として24時間働く。

これは、企業経営で言えば「違法なほどの低賃金労働力」を独占的に確保しているに等しい。自民党議員にとって、これほどコストパフォーマンスの良い「兵隊」は他に存在しなかった。

鉄の組織票限界議席の決定権):

数万票単位で動く教団の組織票は、全体の得票数から見れば僅かかもしれない。しかし、当落線上にある小選挙区候補者にとっては、この「確実に計算できる数万票」こそが、政治生命を左右する決定打となる。

教会はこの票を餌に、個々の議員コントロール下に置いた。

「汚れ仕事」の代行(イデオロギーの防壁):

スパイ防止法制定や選択夫婦別姓反対など、リベラルからの反発が強い右派政策の推進運動を、「国際勝共連合」という別動隊に担わせた。これにより、自民党本体は「中道」の顔を保ったまま、保守層の支持を固めることができた。

統一教会(受注者)が得たもの:「略奪のライセンス

対する教会側が求めたのは、日本という巨大な資金源でビジネスを続けるための「不可侵条約」と「お墨付きである

権威ロンダリング信用創造):

教祖幹部が、岸信介安倍晋三といった歴代首相と並んで写真に収まること。あるいは、関連イベントビデオメッセージをもらうこと。

これらは単なる記念ではない。信者勧誘対象者に対し、「総理大臣も認める立派な団体である」と信じ込ませるための「最強の営業ツール」として利用された。政治家の権威は、霊感商法正当化するためにロンダリングされたのである

行政権力による「不作為」の防波堤

長年にわたり霊感商法に対する警察捜査消費者庁規制が、不可解なほど鈍かった事実は見逃せない。

さらに決定的だったのは、2015年の「名称変更」の承認である悪名高い「統一教会から世界平和統一家庭連合」への看板の掛け替えを、当時の下村文科相下の文化庁が認めたことで、教団は過去の悪評をリセットし、新たな勧誘活動を展開することが可能になった。

これは実質的に、国家が教団に対し、「日本国民から搾取継続してもよい」というライセンス免許)を更新したに等しい。

財務面での隠し報酬:「宗教法人格」というタックス・ヘイブン

教会が喉から手が出るほど欲しがり、自民党が頑なに守り続けた最大の利権。それは、日本国内に「聖域」と呼ばれる非課税地帯を維持することであった。

献金」という名の非課税売上:

通常の企業であれば、商品を売って利益が出れば法人税がかかる。

しかし、教会は「壺」や「多宝塔」を売る行為を、商行為ではなく「宗教的な寄付献金)」と定義した。

日本宗教法人法において、宗教活動による収入は「非課税である

これにより、信者から巻き上げた数千億円規模の資産は、国家による徴税というフィルターを通らず、丸ごと教団の懐に入った。これは、実質的国家が教団に対して「法人税相当分(利益の約20〜30%)の補助金」を裏で渡しているに等しい。

財務ブラックボックス化(監査免除):

株式会社と異なり、宗教法人は財務諸表の公開義務が極めて緩い(実質的に外部からは見えない)。

この「不透明性の維持」こそが、自民党教会提供した最大のサービスの一つである

信教の自由」を盾に、宗教法人法へのメス(厳格な会計監査義務化など)を入れないことによって、教会日本で集めた莫大な資金を、誰にも監視されずに韓国本部米国へ送金することができた。

日本は、教団にとって世界で最も効率の良い「集金マシンタックス・ヘイブン租税回避地)」として機能させられたのである

(元)連立パートナー公明党創価学会)への配慮という「人質」:

なぜ自民党宗教法人課税に手を付けられないのか?

それは、統一教会だけに課税しようとすれば、かつて自民党の連立パートナーである公明党支持母体創価学会)や、自民党保守地盤である神社本庁など、他の巨大宗教団体既得権益も脅かすことになるからだ。

この「相互確証破壊」の構造があるため、宗教法人税制はアンタッチャブルな聖域となり、統一教会はその「大きな傘」の下で安住することができた。

第二の命題山上徹也という「排出ガス」

この取引において、自民党は「政治コスト」を削減し、教会は「法的リスク」を回避した。

まさにWin-Win関係である

しかし、経済学原則として、「フリーランチ(タダ飯)」は存在しない。

自民党が浮かせたコストと、教会が得た利益。その莫大なツケを払わされたのは誰か?

その全てのツケは、「信者家庭からの略奪的採掘」によって支払われた。

ここで、山上徹也という存在の正体が明らかになる。

燃料としての家族

自民党に「無償秘書」を派遣するためには、教会職員を養うカネがいる。そのカネを作るために、山上徹也の母親は「霊感商法」によって資産の全てを搾り取られた。

山上家が破産し、兄が自殺し、一家崩壊したプロセスは、悲劇ではない。それは、自民党という巨大なエンジンを回すために、燃料として「消費」されたに過ぎない。

ラグ鉱滓)としての息子:

燃料(資産と家庭の幸福)が燃やし尽くされた後に残った、燃えない残骸。

金も、親の愛も、学歴も、社会的地位も奪われ、空っぽになった人間

それが山上徹也だ。

彼は社会不適合者だったか犯罪行為を起こしたのではない。システムが彼から全てを収奪し、その後の「廃棄物処理」を怠った結果、有毒ガスが充満して引火したのである

あの手製の銃は、狂人武器ではない。それは、政治システム排出した「毒」が、逆流して配管(安倍元首相)を破裂させた物理現象だ。

司法政治による「封印処理」

2026年無期懲役判決と、それに続く高市首相解散総選挙。これらは一連の「汚染除去作業である

判決意味

裁判所は、彼を「政治犯」として認めなかった。認めてしまえば、「自民党カルトを使って国民搾取していた」という因果関係司法公認することになるからだ。

彼を「母親への恨みで暴走たかわいそうな男」という物語に閉じ込め、刑務所という最終処分場隔離することで、システムは「我々には責任がない」と宣言した。

解散意味

高市首相は、判決の直後に解散を打つことで、この事件を「過去歴史」へと押し流した。選挙の争点を「教団問題からずらし、再度の勝利によって「禊(みそぎ)」を完了させる。

これにより、「教会を利用するシステム」は温存され、単に「より見えにくい形」で地下潜行するだけとなる。

結論リヴァイアサンは、今日も何かを食べている

山上徹也は極端な個人ではない。システムが生んだ副産物である

教会侵略者ではない。システム召喚した下請けである

この二つの命題が指し示す事実残酷だ。

我々が見ている「平和日本」は、山上家のような「声なき生贄」を燃料として燃やすことで、かろうじて維持されている。

無期懲役判決が確定した瞬間、システムは安堵の息を漏らしただろう。

だが、構造が変わらない限り、第二、第三の山上徹也(産業廃棄物)は、今もどこかの家庭で静かに生成され続けている。

リヴァイアサンは飢えており、次の燃料を常に求めているのだから

Permalink |記事への反応(0) | 18:30

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2026-01-25

キャノン任天堂

カメラ携帯ゲーム機スマホ内包されてるような巨大スマホを作って良いはず

現状さえスマホカバンに入れ携帯する人が一定数居るのだからそれで良いはず

Permalink |記事への反応(0) | 16:42

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2026-01-18

anond:20260117130456

デカ政党は全部の思想内包してるんだよバー

選択夫婦別姓から消費税減税まで当たり前に自民はいるよ

しろ同じ価値観なるものを共有できるという幻想がお花畑だろ

左翼って徹底的にお花畑から逃げないのが不思議

Permalink |記事への反応(0) | 03:09

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2026-01-17

馬鹿がいなければ経済自己放尿する

経済とは何か、と問う前に、まず幻想を一つ潰しておこう。

プレイヤーが完全情報を持ち、完全合理的で、同一の計算能力時間割引率を共有している世界では、市場は美しくも健全でもない。

そこにあるのは、均衡という名の自己放尿であり、動的過程を失った静止構造だ。裁定は即時に消滅し、価格は瞬時に収斂し、期待収益ゼロに押し潰される。

情報が差ではなく共有財になった瞬間、利潤は倫理ではなく算術として禁止される。

これが一般均衡の冷酷な帰結であり、完全市場仮定内包する自己放尿だ。

市場最適化装置だが、最適化され尽くした装置は、もはや何も生み出さない。

機能するが、稼がない。動くが、儲からない。つまり経済は自らの機能美によって自己放尿する。

利潤とは効率産物ではない。非効率、非対称、非合理、遅延、錯誤、これらの残差から滲み出る副産物だ。

ノイズがなければシグナルは存在せず、誤解がなければ価格発見は起こらない。

完全情報世界では、価格発見される前から既知であり、発見行為のもの無意味化する。

すると市場参加者は、互いの最適反応を完全に予見した上で、最初から均衡点に立ち尽くす。

ここには競争学習進化もない。進化ゲーム理論的に言えば、突然変異ゼロ集団であり、適応度地形が平坦化した自己放尿だ。

資本は循環するが増殖しない。金融工学的に言えば、すべてのリスク価格に内生化され、リスクプレミアムは消失する。

結果、経済自己増殖系ではなく、自己相殺系へと堕ちる。これが合理性極北における自己放尿である

現実経済がかろうじて生き延びているのは、知性の欠損が遍在しているからだ。

情報は偏在し、理解は歪み、期待は系統的に外れる。行動経済学がわざわざ名前を付けるまでもなく、人間確率誤読し、相関を幻視し、物語に過剰適応する。

その結果として、価格は歪み、歪みは時間差を伴って修正され、その過程で利潤が発生する。

ここで重要なのは、利潤を生むのが「賢さ」ではなく、「賢さの非一様分布」だという点だ。

全員が賢い社会は、誰も賢くない社会と同じく、経済的には不毛である。前者は静止、後者混沌だが、少なくとも混沌には勾配がある。

さらに踏み込めば、完全合理性は二重に市場を殺す。一つは期待形成の即時収斂による裁定機会の消失、もう一つはリスク共有の完全化による報酬構造消滅だ。

これがいわば、合理性と完全情報ダブル放尿であり、市場は二方向から同時に自己放尿する。

誰も損をしないが、誰も得をしない。倫理的には理想郷経済的には砂漠である

から俺は冷徹に言う。馬鹿必要悪ではない。必要構成要素だ。

誤解する者、遅れる者、過信する者、恐慌に走る者、物語に賭ける者、これらが存在するからこそ、価格は動き、資本は再配置され、イノベーション資金が捻出される。

市場とは知性の競技場ではなく、知性の分散系だ。分散がなければ勾配は消え、勾配がなければ運動は止まる。ゆえに、全員が完全に賢くなる未来は、経済にとっての終末論に等しい。

結論不快だが論理的だ。馬鹿矯正されるべき存在ではない。市場の外から見れば欠陥だが、市場の内部では燃料である

からこそ、俺はあえて言い放つ。馬鹿馬鹿のまま自己放尿していてくれ。その放尿がある限り、経済はまだ完全には死なない。

合理性世界支配した瞬間、経済は清潔に、静かに、そして不可逆的に自己放尿して終わるのである

Permalink |記事への反応(0) | 19:52

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2026-01-11

タイパってコスパ内包されるものじゃないの?

時間コスト一種でしょ?

コスパはいいけど、タイパは悪い」って表現をするのってちょっとおかしくない?

いやね、「あらゆるコストを勘案したうえで、時間だけ効率的じゃない」って意味ならいいんだけどさ、実際には「値段は安いが、手間がかかる」って意味で使われてるじゃん?

それちょっと違うなって。

それなら「マネパ(マネパフォーマンス)」とかの言葉を使うべきじゃないの?

時間コストでしょ?

なんだろ・・・もしかしてお金」と「時間」以外のコスト概念がないのか?

「体力」とか「人脈」とか「信頼」とか色々あるじゃん

あっ・・・ひょっとして、マジでないのか?

コスパ」と「タイパ」って言葉使う人達の頭の中には「信頼関係を失いうるのはコスト一種ですよね」みたいな概念がない?

からちょっと値段を安くしたり見かけの時給を高めるために、いくらでも信頼関係破壊しかねない行動が取れるのか?

じゃああれか・・・コスパタイパを連呼するのって、自分クール論理的だと思ってるだけのASD人達だったというこか・・・

全てが繋がったわ

Permalink |記事への反応(1) | 11:27

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2026-01-08

ベルクチン

Yahooニュースで見た、「イベルクチンが癌に有効なのでは」という主旨の記事についてAIに判定してもらう。

https://news.yahoo.co.jp/articles/1dcb9d059bd8e87d2885e7adeab13ad0a3febffd

📊文章タイプ判定

カテゴリ: A. 説得・オピニオン

詳細ジャンル: A-1.扇動・極論

🧠適用した分析レンズ

認知モード (System 1、2):

読者の直感(System 1)に訴えかけ、熟慮(System 2)を阻害するような情報提示の有無を分析します。特に医療情報において、権威感情に訴える表現は注意が必要です。

科学信憑性:

医療に関する主張であるため、提示されている情報科学コンセンサスに基づいているかエビデンスの質と量が十分か、その提示方法が適切かを評価します。

論理的整合性:

文章内の主張や推論に矛盾がないか根拠結論の間に論理的な飛躍がないか確認します。特に限定的情報から一般化された結論を導いていないか検証します。

ナラティブと元型:

特定の薬や治療法を「ヒーロー」のように描き、その物語性を通じて読者の感情や信頼感に訴えかけようとする意図分析します。

📝 深層分析レポート


1.認知モード (System 1、2) による分析

洞察:

本文は、読者の直感的な思考(System 1)に強く訴えかけ、熟慮(System 2)を促す客観的かつ詳細な情報提供を意図的に避けている傾向が見られます。「ノーベル生理学・医学賞を受賞した北里大学大村智博士発見した」「世界中で数億人以上の人々を救ってきた」「安全性の高い薬です」といったフレーズは、イベルクチンに対する強い肯定的感情や信頼感を直感的に抱かせるための、強力なアンカリング効果を生み出します。これにより、読者はその後の主張(がん治療への効果)に対しても、批判的な吟味をせず受け入れやすくなります。また、「私はがん治療現場に立つ医師として、この薬のがんに対する力を確信しています」という個人的確信の表明は、発信者権威を利用した感情的訴求であり、読者のSystem 1をハックする典型的手法です。

引用:

"2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した北里大学大村智博士発見した"

"世界中で数億人以上の人々を救ってきました。もともと寄生虫ダニなどに使われてきた安全性の高い薬です。"

"私はがん治療現場に立つ医師として、この薬のがんに対する力を確信しています。"

2.科学信憑性 による分析

洞察:

ベルクチンのがん治療における有効性に関する記述は、科学エビデンス提示が極めて曖昧で不十分です。「研究結果が世界中で報告されています」「最新の研究では〜わかってきました」「有効性が示唆されています」という表現は、具体的な臨床試験フェーズ研究デザイン対象患者数、統計的有意性、査読の有無など、科学信憑性裏付け重要情報が完全に欠落しています。また、現時点でのイベルクチンのがん治療への適応は、大規模なランダム比較試験によって確立されたものではなく、標準治療として推奨される科学コンセンサス存在しません。筆者の「確信」は、個人経験や観察に基づくものであり、科学エビデンスとは異なります。参考文献として挙げられている「イベルクチン 世界臨床医証言」も、学術論文ではなく、個人見解経験を集めたものである可能性が高く、標準的科学根拠としては不十分です。

引用:

"この薬が、がん細胞にも作用するという研究結果が世界中で報告されています。"

"最新の研究ではイベルクチンが、がん細胞の分裂のしくみやエネルギー代謝に影響を与えたり、免疫細胞の働きを活性化させたり、がん細胞の成長を抑制し、特に「がん幹細胞」に対して効果を発揮することがわかってきました。"

"まだ充分な臨床試験も進んでいはいません。"

"参考:「イベルクチン 世界臨床医証言」:ポールマリク"

3.論理的整合性 による分析

洞察:

文章全体には、論理的な飛躍と矛盾が見られます。まず、「もともと寄生虫ダニなどに使われてきた安全性の高い薬です」という記述は、過去用途における安全性が、がん治療という異なる文脈においてもそのまま適用されるかのような印象を与えます。がん治療における長期的な安全性や、抗がん剤としての副作用プロファイルは、寄生虫駆除とは全く異なる基準評価されるべきです。次に、「副作用もなく」と断言しつつ、その直後に「万能薬とまでは言えません。どんながんにも必ず効くわけではないですし、まだ充分な臨床試験も進んでいはいません」と、主張を限定する表現が続きます。これは、読者に強いポジティブな印象を与えつつ、批判をかわすためのレトリックであり、論理一貫性に欠けます。未確立治療法に対して「力を確信しています」と強く主張する一方で、「充分な臨床試験も進んでいはいません」と現状を認める点も、結論根拠の間に大きなギャップを生じさせています

引用:

"もともと寄生虫ダニなどに使われてきた安全性の高い薬です。"

"副作用もなく、経口薬として使えるため、患者さんの負担も少ない反面、万能薬とまでは言えません。"

"どんながんにも必ず効くわけではないですし、まだ充分な臨床試験も進んでいはいません。しかし私は、イベルクチンによるがん治療に、明るい可能性を感じています。"

4.ナラティブと元型 による分析

洞察:

本文は、イベルクチンを「既存三本柱(手術・抗がん剤放射線治療)に代わる、あるいは補完する新たな希望」という元型的なヒーロー物語として提示しようとしていますノーベル賞受賞者による発見という「起源物語」と、「世界中で数億人以上を救ってきた」という「偉業の物語」が、この薬を特別存在として位置づけていますさらに、「がん幹細胞」という難敵に立ち向かう力を持つという記述は、がん治療最前線で戦う新たな「救世主」としてのナラティブを強化します。この物語構造は、複雑で絶望感を与えがちな「がん治療」というテーマにおいて、読者に単純な希望解決策を提示し、感情的な共感を呼び起こすことで、イベルクチンへの期待感を高める効果を狙っています

引用:

"2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した北里大学大村智博士発見した寄生虫駆除薬です。"

"世界中で数億人以上の人々を救ってきました。"

"特に「がん幹細胞」に対して効果を発揮することがわかってきました。"

💡総合考察

文章は、未確立医療情報に対して、特定の薬(イベルクチン)の有効性を強く推奨するものであり、その情報提示には強い危険性が伴います

筆者は医師としての肩書個人的な「確信」を前面に出し、ノーベル賞受賞や過去の実績といった権威性を援用することで、読者の直感(System 1)に訴えかけ、イベルクチンに対する過度な期待感を煽っています科学エビデンス提示は極めて曖昧であり、がん治療という極めて重大な意思決定に関わる情報としては、信頼性に欠けます論理的な飛躍や矛盾散見され、特に副作用もなく」という断定と、その後の限定的表現は、読者の誤解を招く可能性があります

がん治療は、科学根拠に基づいた標準治療が最も重要であり、未確立治療法への過度な期待は、患者が適切な治療機会を失うリスクを高めるだけでなく、経済的精神的な負担を増大させる可能性があります。この文章は、そのような誤った選択誘導する危険性を内包しています

Permalink |記事への反応(1) | 14:54

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2026-01-07

anond:20260107161041

結論の骨子(先に要約)

検察審査会実効化するには:

この4点が必要です。

① 不起訴理由の「完全開示義務化」

現状の問題:検察は、要約・抽象理由、だけを出せばよい。証拠評価・内部判断ブラックボックス

👉審査会が「雰囲気裁判」になる。

改造案

起訴場合証拠一覧、証拠評価表、法解釈メモ を匿名化したうえで提出義務

国家機密・捜査協力者は除外可能

👉「なぜ不起訴か」を論理的検証できる

審査会による「再捜査命令権」

現状:「起訴相当」「不起訴不当」でも

👉検察が再度不起訴で終わることが多い

改造案

検察審査会に:再捜査範囲指定権、未実施捜査の実行命令権、を付与

例:「この参考人聴取せよ」、「この金の流れを追え」

👉“考え直せ”ではなく“これをやれ”

強制起訴を「例外から「通常ルート」へ

現状:強制起訴は、手続が重い、審査2回、指定弁護士任せ

👉 実務上は「ほぼ使われない」

改造案

次の場合自動的強制起訴:高位公職者、検察官・警察官国策に関わる事件

👉“身内案件”を例外扱いしない

④ 「検察不作為罪(仮称)」の新設

日本の最大の欠陥: 職権濫用罪はあるが、起訴しない不作為はほぼ不問

改造案

要件を極限まで限定した新罪

成立要件:明白な犯罪構成要件、十分な証拠合理的理由なき不起訴審査会が2回指摘

👉これを満たした場合のみ、懲戒刑事責任 ※濫用防止のためハードルは高く

⑤ 常設・専門補佐官制度

現状:審査員は素人任期短く、知識が蓄積されない

改造案

審査会に:元裁判官、元検事(定年後)、弁護士独立佐官として常設配置

👉検察OBでも「審査会側の人間」   増田補足●法曹グルなのであかんと思う

⑥ 「検察審査会による年次白書

効果は絶大。不起訴率、指摘事項、改善勧告、を国会に提出し公開

👉検察の“統計的異常”が可視化

メディア市民との接続

審査会の判断理由を分かりやすく公開。市民団体・学者検証可能に。

👉制度は「使われて初めて抑止力」になる。海外との接続(ここが重要

この改造をすると、日本検察審査会は:

アメリカ陪審市民チェック)、韓国 公捜処(検察監視)、台湾憲法法庭(限定運用)の機能の一部を内包することになります

まり: 新しい巨大機関を作らず、日本制度進化させる

終結

日本スパイ防止法議論できない最大の理由は、「強い法」より、「止められない検察」が先にあるからです。

逆に言えば:

👉検察審査会実効化できれば、スパイ防止法は“恐怖の法”ではなくなる

 

これは制度設計問題であって、思想問題ではありません。

Permalink |記事への反応(2) | 16:26

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100カノと五代イズム

五代イズムとは、人を変えることによって愛するのではなく、変えられないものを含めたその人の在り方を引き受けることで成立する愛の思想である

それは問題解決する態度でも、欠点矯正する優しさでもない。相手が抱えている矛盾葛藤ネガティブでありながら切り離すことのできない大切な一部を、矮小化せず、否定せず、別の価値で上書きもしない。ただそのままの形で受け止め、見方だけを変える。

めぞん一刻』における響子は、亡き惣一郎を忘れられない自分に罪悪感を抱いていた。五代と生きる未来を選んだとしても、惣一郎への想いが消えることはない。しかしそれでは五代に対して不誠実なのではないか、そんな自分は愛されてはいけないのではないか葛藤する。

五代はその葛藤否定しない。忘れろとも言わないし、「自分は気にしない」と自分側だけで完結する解決を図ることもしない。彼がしたのはただ一つ、惣一郎を静かに想い続ける響子の在り方そのものを、美しいものとして認めることだった。

その言葉によって響子は変わった。

惣一郎を想う気持ちは変わっていない。過去記憶も消えていない。けれど、それを抱え続ける自分を「否定されるべき存在から肯定されていい存在」へと、自分自身認識を変えることができた。

状況は同じでも、意味けが変わったのである

これこそが五代イズムの核心だ。

この思想は、100カノの愛城恋太郎にもはっきりと受け継がれている。

太郎は決して短絡的に彼女たちを好きになるわけではないし、彼女たちもまた軽い気持ちで恋に落ちているわけではない。それぞれが抱えてきた事情性質、本人ですら扱いづらかった部分を、変形させることなく、そのまま受け止める。

そして恋太郎は、「それでもいい」ではなく、**「それがある君が好きだ」**という形で愛を伝える。結果として彼女たちは、自分の一部を恥じることなく、自分自身を愛せるようになっていく。

重要なのは五代イズムが男女の恋愛関係限定されないという点だ。

100カノで描かれる「恋太郎ファミリー」は、単なるハーレムではなく、人と人が五代イズムを共有する共同体である彼女たちは互いを排除せず、序列化せず、それぞれの在り方を尊重し合う。衝突が起きても、相手を変えようとはせず、見方差し出すことで理解を深めていく。

その結果、生まれるのは依存でも同一化でもない、独立した個人同士の深い絆だ。

五代イズムとは、

相手自分理想に近づけることではなく、

相手が「このままの自分で生きていい」と思える視点差し出すこと。

「私の好きなあなたは、こんなにも素敵なんだよ」と、

相手自身自分肯定できるようにしてあげること。

それは救済ではなく、操作でもなく、

人が人を人として尊重する、最も誠実な愛の形である

からこそ『めぞん一刻』は今も愛され、

同じ五代イズムを内包する『100カノ』もまた、必然的面白い作品なのだ

Permalink |記事への反応(0) | 00:57

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2025-12-29

中国破綻した。5分割して再建をはかるしかない。

中国の「5分割」という考え方は、歴史的文脈地政学的な議論において時折語られる非常にダイナミックな視点ですね。

特に清朝以降の広大な版図がどのように形成され、現在の「多様な地域性」を内包するに至ったかを考えると、この議論はいくつかの重要な側面があります

1.歴史的な「地域国家」の枠組み

歴史をさかのぼると、中国大陸は一貫した一つの国家だったわけではなく、文化言語気候が異なる複数エリアが、ゆるやかな連合征服を繰り返してきました。5分割の議論でよく挙げられるのは以下の区分です。

中原チャイナプロパー):

漢民族伝統的な居住区

満洲東北部):

清朝ルーツであり、重工業地帯

モンゴル内モンゴル):

遊牧文化伝統を持つ北部

チベット吐蕃):

独自宗教文化を持つ高原地帯

東トルキスタン新疆):

中央アジアとの結びつきが強い西域

2. なぜ「5」という数字なのか

この「5」という数字は、中華民国成立時の旗である**「五族共和」**(漢・満・蒙・回・蔵)の理念にも対応しています皮肉なことに、もともとは「5つの民族平等共存する一つの国」を目指したスローガンでしたが、それぞれの地域が持つ歴史的民族的なアイデンティティが非常に強固であるため、現代では逆に「本来は分かれているのが自然ではないか」という議論根拠に使われることがあります

3.地政学的・経済的視点

もし分割という事態を想定した場合、以下のような現実的課題や変化が議論対象になります

経済格差顕在化:

沿岸部の豊かな都市国家群と、内陸部の資源地帯に分かれることで、現在の「一国の中での富の再分配」が機能しなくなる可能性があります

安全保障の激変:

東アジア全体の勢力図が塗り替えられ、日本を含む周辺国への安全保障上の影響は計り知れません。

歴史的経緯を重視すると、「統一国家」としての歴史よりも「群雄割拠多民族の併存」の歴史の方が長いという見方も確かに成立しますね。

Permalink |記事への反応(1) | 22:32

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