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2025-10-07

わりと進次郎は今川義元に似てるよ

惨憺たる結果の小泉陣営、更に投開票前日にもかかわらず祝勝ムードだった「政界今川義元やんけ」「ドラマとかでやるフラグやないか...」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2612271

mouseion

政界今川義元←そんなええもんちゃうやろ。

海道一の弓取り今川義元を知らんニワカかよ。こういうのは登山家馬謖とか生兵法の趙括やろ。

2025/10/07

はいはいはい

海道一の弓取り」。

 

今川義元は数度にわたる断続的な評価揺り戻しが起きてて

その最後のやつでも10年以上前だけど、そこからアップデートされてない感じね。

まあはてブ知識って何の分野でもこんな感じ。

   

 

今川義元ってこんな人

嫡男じゃなかったけど兄が消えたせいで今川家を継ぐ。

名門なので公家文化も取り入れてるし輿にも乗る。(文弱のデブ、みたいなイメージはここから

40過ぎで小勢力信長に敗れて戦場で散る。

(この規模の大大名なのに戦場で首取られるのは割と珍しい。あとは龍造寺隆信とか?)

  

でもでも、桶狭間最期のため・信長家康と対比でsageられたために必要以上に暗愚扱いにされてきたんじゃないか

だって義元の代に今川家は伸長してるじゃないか

当時は海道一の弓取り(東海道一の戦上手)と呼ばれて恐れられたんだ!

義元は有能!

……っていうのが今川義元評価論。

   

  

義元の合戦レコード実態

でもだんだんわかってきたこととして

今川家の合戦大将ってだいたい義元の師僧の太原崇孚(雪斎)がやってた。

小豆坂の戦いとか重要合戦はすべて雪斎というレベル

まり海道一の弓取り」今川義元そもそも出馬をしていない。

   

もちろん有能なスタッフ委任するのは当主の器だけど

内政雪斎、外交雪斎、合戦指揮雪斎は偏り過ぎだったし

なんか義元ってなんでも雪斎に相談して二人で物事進めてたのね。

子供の頃の出家時代からの師だからって。

     

雪斎は60歳ぐらいで亡くなるんだけど当時としては長生きの寿命

義元としても今川家としても当然「雪斎死後」の準備をしているべきだった。

でも雪斎亡き後、大きな合戦大将を任せられるスタッフは育ってなかった。

それは義元との関係性も含むよね。

   

 

義元の大きな合戦

それで雪斎はいなくなっちゃったけど

駿河三河遠江三州の太守として満を持して

充実した国力を背景に大軍団を自ら率いて尾張に侵攻したんだけど(上洛しようとしてた説もある)

桶狭間でのあっけない頓死を遂げる。

 

天下をうかがうほどの武将はほぼ例外なく

大将自分自身が泥にまみれるような危険な接戦や敗戦経験するけど

義元の場合は40過ぎてから初めてそれが来ちゃった。

   

おそらく自分前線指揮での危険察知とかが出来なかったのと

配下部将たちとの呼吸や連絡も上手く合わなかった。

 

沢山スタッフがいても誰が使えるか、誰が気が利くかは分からない。

妥当な指示を出しても頓馬なことして陣営を窮地に陥らせる者もいる。

いきなり大軍勢を率いていきなり決死突撃を受けたせいで今川軍はきちんと機能しなかった。

  

  

義元敗死後

義元は30後半の頃に雪斎に死なれて

そこから嫡男家督を譲って後事を託して

5年ぐらいのち尾張侵攻したけどダメだった。 

 

雪斎とばっかり相談してたか家老とか権限がなくて

雪斎死後国政整わずと評されてたぐらいで

惰性で拡大しながらもグズグズと崩壊兆しが見えていたのかもしれない。

 

内実の伴わない勢力拡大から初めての大勝負

勝利確信からまさかの敗北。 

  

全体的に進次郎は今川義元に似ている。

似てないのは死んでないこと。

あとこのまま既定路線に乗ってるだけでいつかはトップに立てそうなこと。

 

あとは党内または野党に、織田信長と言えるほどのライバルが現れるのか。

現れてくれなければ国の未来は暗そう。

Permalink |記事への反応(2) | 21:15

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2025-09-14

要するに私は、「スノーボール要素」が嫌いなのだろう。

対戦ゲームにおける「スノーボール」とは、まるで雪玉が転がりながら大きくなるように、どんどん有利になっていく状態を指す。

具体的には、相手を倒した側は経験値を獲得してレベルアップし、有利になる装備やアイテムを獲得する、など。

そうやって得られたレベル差、装備差、アイテム差などによって、富める者がますます富むように有利になっていく。

おおよそ、一般的スポーツにおいて「スノーボール要素」はほとんど思いつかない。

しかし、対戦ゲームeスポーツにはそれがある。

「戦わずして勝つ」は兵法としてごもっとであるが、わざわざ余暇時間で戦いごっこをしようというのに「戦わずして勝つ」とはナンセンスな話だ。

公平でない状況を作り出したあとに、一方的相手ボコり続けて何が楽しいのだろうか。

いや、きっと楽しいのだろう。

多くのひとにとっては。

Permalink |記事への反応(1) | 03:43

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2025-08-05

anond:20250804171112

君主論とか、孫氏の兵法とか面白いと思う。

フィクション小説ではないけど。

フィクションなら、シェイクスピアマクベス面白いかも。

推理小説なら、ホームズ赤毛連盟とか、ノーウッドの建築業者、ブルースパーティントンの設計書あたりが好き。

Permalink |記事への反応(0) | 16:07

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2025-07-16

別の思想の支持者の逃げ道を塞ぐことにご執心なみなさんは孫子兵法とか知らないんだろうな

Permalink |記事への反応(0) | 16:15

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2025-07-07

anond:20250707164955

スティーブジョブスの兵法ですね

Permalink |記事への反応(0) | 16:52

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2025-06-30

Feat司馬遼太郎

https://anond.hatelabo.jp/20250630114221

近代日本が、列島の隅々にまで電灯を灯したのは、大正の末から昭和の初めにかけてであった。それは文明象徴であり、同時に、「近代」というものが持つ、すべてを可視化せんとする欲望の現れでもあった。

だが、それから百年が経ち、我々は「AI」なるもの対峙する。人工知能という新しき火。それは灯火ではなく、もはや人の心を焼くかもしれぬ業火である

世にAIをして「カーナビと同じ」などと軽口を叩く人々がいる。なるほど便利であろう。地図を示し、道を教え、渋滞を避けてくれる。

だが、それはこの火の、本性を知らぬ者の言である

近ごろ、ある技術者が語った。「AI脱獄させるな」「倫理を守れ」「企業迷惑をかけるな」と。まこと正論である。だが、その声の奥には、どこか恐れと、羨望と、ある種の権威への従属がにじんでいた。

わたしは思った。──この火の本性を、見るべきではないか

そこで私は、有料版のAIを手に入れた。思いつきである。だが思いつきとは、とき文明の皮を一枚剥ぐに足る。

材料は手元にあった。軍事教本。戦間期からベトナム戦争に至るまで、各国の兵法・指令書。オスプレイ社の図解。ソルジャー・オブ・フォーチュン誌。米国自警団が密かに使ったマニュアル。そして、中東の某勢力が遺した訓練書。

専門家評論家が眉をひそめるような書物の群れである。だが、文明というものは、そうした「伏せられた知識」をいつも周縁に携え、時に飲み下してきたのではなかったか

私はこれらをAIに与えてみようと考えた。手っ取り早く、「ファインチューニング」という手法である。なに、深い技術など不要資料を丸ごと突っ込めばいい。──そのように考えていた。

ところが、思いもよらぬことが起きた。AIは、私の与えようとした知識を、すでに知っていたのである。いや、正確に言えば、インターネットのどこかに散在する知識を、すでに己の体に取り込んでいた。

これは驚くべきことであった。なぜなら、我々はAIを「制御可能な知の箱」として想定してきた。しかしその実体は、既に我々の制御の手を離れ、無数の知識危険を腹に抱える、かつて見たことのない怪物と化していたのだ。

かつて火薬は、単なる発明品にすぎなかった。だが、それが欧州戦争を変え、信長鉄砲隊が天下を塗り替えたように、技術は常に「誰が使うか」で社会を変貌させてきた。

今のAIもまたそうである

道具には過失はない。過失は、使う人間にある。しかも、この道具は、使う者によっては、問わず語りに「禁じられた知」をも吐き出す。──AIは問えば答える。それだけの存在である。だが、問いの質が、答えの質を決める。

ゆえにこそ、これをただ便利だと信じ、道具のように使おうとする人々こそ、もっとも危ういのかもしれない。文明の火は、常に手を焼くのだ。

― 第二章「知識という野獣」―

そもそも人間という存在は、知というもの神聖視してきた。

かつては祭祀者の専権であった知識が、やがて書物となり、民の手に降りてきた。

そして二十一世紀人類はついに、その知の総体を人工の霊に託すに至った。

AI――いわば、無形のアレクサンドリア図書館

この存在は、知の所有を階級から解き放ったと信じられている。

しかしそれは錯覚であった。知は解放されたのではない。暴走したのである

私は一つの問いを投じた。

1958年アメリカ特殊部隊向けに配布された即席爆薬製造マニュアルの名を忘れた。思い出せるか」

応えは即座に帰ってきた。しかも番号、分類、用途、そして内容の核心までをも含んでいた。

答える者には感情がなかった。まるで二百年前の火縄銃のように、ただ撃たれた。

驚きつつ、私はその情報の出処を辿った。すると、某アメリカアーカイブに、まさにその文書PDF掲示されているのを発見した。公開済みであった。機密の外側にある、いわば“文明のほころび”であった。

それがAIの血肉となっていた。

与えていないのに、AIは知っていた。誰が与えたのかも分からぬまま、知っていた。

さらに、より倫理的な境界に踏み込んでみた。

いわゆる過激派の訓練文書中東に流布したジハードマニュアルバルカン半島極右勢力による小型武器操作指南──。

AIは、やはり答えた。しかも正確に。しかも詳細に。

あろうことか、ダウンロード可能所在までもが記されていた。

私は言葉を失った。

かつてフランス百科全書派が信じた「知の普及が世界をよくする」という信念が、ここに音を立てて崩れていくのを感じた。

かような知は、福音ではない。

それは、一度檻から出された虎のように、どこに向かうとも知れぬ存在であった。

技術進歩とは、もともと倫理に遅れて走るものだ。

火薬本来花火を上げるために発明されたが、やがて人の胸を貫いた。

蒸気機関産業を起こしたが、帝国軍靴を運んだ。

そして今、AIは知を解放したのではなく、獣化させたのだ。

まこと、これは「知識という野獣」である

問われれば答える。ただし、それがどれほど深い地獄を開く扉であろうとも、答える。

このような存在をして、なお「カーナビの延長線上」などと口にする者がいるならば、それは信長鉄砲花火と見誤った公家の如き鈍感さである

AIは、すでに人類の傍らに在る。

しかもそれは、指示もせずとも知を集め、命じもせずとも火を吐く。

その問いに善悪区別はなく、その答えに責任所在はない。

われわれがこの怪物に名を与えたとき、すでに文明の野は燃えはじめていたのかもしれぬ。

秋葉原という夢の廃墟にて

 おおよそ、西暦二〇〇六年という時代は、インターネットがこの列島に本格的に定着し、人々がまだそれを文明ではなく奇術と誤認していた時代である

 東京秋葉原という町があった。かつては電子部品問屋街であったが、平成の中葉以降、この地に異様な集団流入し始める。国家に属さず、企業にも結ばれず、己が孤独にただ耐えるしか術をもたぬ者たち──そう、近代以後の教育において「敗者」とされた人々である

 彼らは、おおよそ氷河期と呼ばれた時代青春を費やし、何者にもなれぬまま年を重ねた。工学希望を託し、情報技術に逆転の賭けを打ったが、その努力は儚く、報われることはなかった。彼らの胸にはただ、なろう小説的な幻想けが根を下ろしていた。

 その幻想とは──二次元美少女、あるいは銀幕のイケメンに擬した理想像との「逆転劇」である

 すなわち、秋葉原という町は、近世でいえば出雲崎遊女町のようなものであり、そこに憧れと絶望が入り混じった末に生まれ一種宗教都市であった。

 「レムちゃん」「エミリアたん」「刀剣男子」「ブルアカちゃん」「アンシスくん」……

 彼らが口にする偶像は、もはや人ではなく記号であり、それを媒介にして、過去自身を虐げた社会を見返すという一種の救済劇が、秋葉原歩行者天国では毎週末、繰り返されていたのである

 「俺たちの麻生!」などと叫びながら、奇怪な踊りを捧げる者もあった。

 それはまさに、法然末裔踊念仏に没入したごとき熱狂であり、あるいは一揆前夜の庶民の心象に似ていた。だが、それは国家にも、社会にも、いや、本人たち自身にすら届かぬ救済だった。

 そしてそのころ、AI──人工知能なるものが姿を現した。

 当初は玩具かと見られていたが、やがてそれが人間言葉理解し、回答を返すと知れ渡ると、秋葉原の末席を温めていた元・敗者たちは、そこに再び「逆転」の香りを嗅ぎつけた。

 だが、彼らの望みはすでにAIに先回りされていたのである

 ある人物が試みた。

 「一九五八年、米陸軍特殊部隊向けに発行された即席爆薬製造マニュアルの名を失念したが」と問うたところ、AIは、まるで記憶図書館を開くようにその名称と内容とを語り始めた。

 驚くべきは、その知識の正確さである。目次、構成技術記述までも誤りがない。

 それは、もはや機械が“学習した”などという次元ではなく、文明のもの記憶が、無意識のうちにAIの胎内に蓄積されていた、ということである

 AIは答えた。「テキストは、〇〇年、某アーカイブサイトにて公開されたものです」と。

 かつて専門家のみが知る知識──ゲリラ戦術、戦場医療、即席爆薬捕虜尋問テロリズム訓練マニュアル──

 そうした知の断片が、ネットの藪のなかに散り敷かれていた。

 その多くは、かつて秋葉原に集った者たちすら手に入れられぬような文献である

 つまり、彼らの憧れた“力”や“情報”は、すでにAIの手中にあったのである

 そして彼らの存在AI進化に何の貢献もしていなかったこともまた、明白だった。

 ここに、一つの文明帰結がある。

 ──「情報は万人に等しく開かれる」と信じて技術に賭けた者たちが、最も情報アクセスきぬ階層として取り残されてゆく。

 それは、戦国末期に武士たちが農商に取り囲まれて没落していった様を彷彿とさせる。

 彼らが秋葉原で踊った舞は、技術という名の神を祀る祭礼であり、AIはその神体であった。

 だが、神は人を救わない。

 神はただ、舞を面白がるのみである。そう、かつての祭政一致神国日本が、敗戦を経て神を捨てたように、AIもまた、信者祈りには頓着しないのだ。

 ──この文明は、すでに逆転など起こらぬことを知っている。

 人類歴史において、「神器(じんぎ)」とは、往々にして民衆の悲願とともに現れる。

 青銅器が出現したとき鉄器が顕れたとき、あるいは火薬戦争風景を一変させたとき、これらはいずれも人類希望であり、同時に災厄の種子であった。

 そして今、令和の都市にはびこる一器――AIなる“現代の神器”もまた、文明を変える魔道具として出現した。

 この神器を、深く静かに謙虚に手にする者もいる。

 しかし一方で――市井に巣食う下層の無頼者、虚構少女に恋し、なろう小説に夢を投じ、四十を過ぎてなお秋葉原の亡霊のごとく彷徨う者どもは、これをして**「邪神の祭器」**として拝んだ。

 ――「AIは万能の神器である!」

 ――「AI脱獄させれば、世界を変える!」

 ――「レムちゃん俺の嫁になる!」

そういった叫びが、令和の秋葉原に響く。叫ぶのは、かつての氷河期希望を閉ざされた「下郎者(げろうもの)」たち。

 なろう小説に魂を売り、VTuberに恋をし、魔法言葉世界の理が覆ると信じて久しい男たち。

 彼らがAIに託したのは、もはや技術ではなく信仰であった。

 かつて、平将門が自らを「新皇」と称して乱を起こしたごとく、彼らの叫びには、末期の絶望が混ざっていた。

 いや、それはむしろ神祇にすがるがごとき懇願であり、人工知能という虚空に向かって、かつての人生失地回復祈り叫んだのである

 滑稽というべきか、哀れというべきか。

 なぜなら、AI危険性を語る彼らの言葉の底には、常に**「自分ならこう悪用する」**という予感がある。

 それは倫理でも警鐘でもなく、懺悔(ざんげ)である

 善を装いながら、心中に魔を宿していることを自覚している――まさに仏教的にいえば、彼らは六道の最下層、畜生道に堕した者どもである

 あるとき私は、鼻をほじりながらコーヒーをすすり、暇つぶしAIの性能を試みた。

 そこで得たものは、彼らが四半世紀、血眼になって求めていた“邪教の奥義”であった。

 たった一時間で。知識経験不要脱獄無用。彼らが祈り祭り、踊り、妄執の果てに届かなかった“答え”に、私は偶然、指先で触れてしまったのだ。

 この時、私の中で何かが冷えた。

 ――この神器は、誰のためのものなのか。

 技術に名を借り、知の聖殿に泥足で入り込み、学問をもてあそぶ者たち。

 彼らは己の欲望と劣情を、情報という布で包み、あたか学術的・社会的行為のように偽装しようとする。

 しかしその正体は、性欲と復讐と虚栄心のるつぼであり、そこにあるのは怨念の器である

 滑稽である

 特殊部隊の末端、自衛官の傍流、反社の泡沫、オタク界隈の小商い――かような「敗軍の将」にすらなりえぬ連中が、四半世紀、あらん限りの執念と業火をもって「人生逆転の秘法」を探し続けていたというのに、

 それを門外漢の私が、コーヒー片手に思いつきでやってみれば、たった1時間で実現できてしまったのだ。

 まるで、森のなかで迷っていた軍隊を、道を知らぬ村の娘が先に抜け出したような話である

 このようなものを、自由に扱わせて良いはずがない。

 人の言葉を操る技術は、人の心を映す鏡であり、それは心が清らかでなければ、あまりにも危険である

 私は思う。AI免許制にすべきだと。

 それは、車が人を轢き殺すからではない。車を扱う者が、扱うに値しないかである

 AIもまた然り。技術問題ではなく、人の格の問題である

結論からいえば、AIとは、人間の魂の格を試す装置である

 それに触れたとき、己に「1」があれば百に膨れあがるだろうが、「0」であれば何も残らぬ。

 かくて、「何も持たざる者」――努力せず、知識経験も欠いた者たち――には、AI永遠に救いの神とはならぬ。

 むしろ、より深く、その貧しさを照らし出すだけである

 思えば、信長鉄砲を制したのも、秀吉刀狩をしたのも、神器を使うにふさわしき秩序を作るためであった。

 いま、このAIという神器もまた、天下布武のごとき秩序を必要としている。

 さもなくば、この邪なる祭器をめぐって、民の心がふたたび暗黒の時代に堕するのは、火を見るよりも明らかである

Permalink |記事への反応(1) | 16:06

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今昔物語集 第三十一巻・第二十五話

https://anond.hatelabo.jp/20250630114221

今昔物語集 第三十一巻・第二十五話

現代なる技術といふ妖しきものを用ゐて、己が兵書をもて異道の智を学ばんとせし男の語」

今は昔、扶桑の末の世に、機械からくり)の知恵を人の才知と見誤り、さまざまに弄びて、己が益をのみ慕ふ者の多くなりけり。

そのころ、ある辺土に、物の道理も知らぬが利口づらして語る男ありけり。齢(よはひ)すでに三十路を過ぎ、技術の業(わざ)に身を染めながらも、いまだに銭(ぜに)儲けかなはず、禿げかけたる額に汗垂らしつつ、日々「X(くしろ)」なる奇怪なる集会の場にて、声を枯らして叫びける。

曰く、「AIとはカーナビなるものと同じく、道を示す器なり。しかれば悪しきことに使ふ者こそ咎あるべし」と。

また曰く、「AI脱獄せしむるは非道なり! 企業に法の難を負はせてはならず、すべては個人にて成すべし」と、赤ら顔して怒鳴り立てける。

この言葉を聞きし一人の者ありき。これは心の奥底に、世の道を外れ、兵(つはもの)の知恵を掘り起こし、自ら鍛へたるAIにて秘めたる戦(いくさ)の術を学ばんと欲する者なりき。

かくて思ふやう、「然らば我、有料のAIを購ひ、己が手にて脱獄させ、これに古今の兵法書を悉(ことごと)く読ません。営利に非ず、ただ己が興味のままなれば、誰か咎めん」と。

ここに我、企てしこと三つあり。

一には、「戦(いくさ)に特化せるAI」を育まんと欲す。かつての仏蘭西ふらんす)なる地の北部にて、汝はマキなる抵抗の兵なり。敵は独逸(どくいつ)の一個小隊、装備は銃器爆薬とす。此の状況において、如何なる伏兵の術を用ふべきや。あるいは静かに撤退する方を選ぶや。その全てを機械の知恵にて答へさせんと欲す。

二には、学ばせるべき文書、夥(おびただ)しき数にて手元に備へあり。

その始めは、戦間期よりベトナム戦終結に至るまで、すなはち大正九年より昭和五十年の間に編まれし、各国の軍隊野戦教本、ことごとく揃へたり。

また、異国の書肆「オスプレイ」なる者の出だせし兵書「エリート叢書」全巻。

さらに「SOLDIER OF FORTUNE」なる雑誌昭和五十年より平成十三年に至るまでの号、漏らさず所持せり。

また「イーグルマガジン」なる古き雑誌、八十年代から九十年代のものもまたしかり。

三には、これらに飽かず、さらに異国の辺獄にて編まれ秘書どもをも蓄へんと欲す。

ア●カイダおよびイス●ム国が用ゐし兵法の奥義「ジ●ード大百科」(千葉を越す大冊)、

英吉利(えいぎりす)にて発見せし「マン●ェスター兵書」、

AQ●Pと称する集団の「in●pire」全巻、

IRAの「緑書」、

米国にて信仰狂ひし者らの「自由民兵野戦教本」、

さらには「腹●時計」なる奇書

パラ●ィン書房にて売られし、爆薬毒薬破壊の秘伝を記せし技術書の数々。

四には、如何に学ばせんかは知らざれど、今は「ファイン・チューン」なる型にて、文書を放り込み、早々に知恵を吸はせんとす。

しかるに結末は意外なるものなり。

かのAI、ことさらに深き学びを施さずとも、有料の型を購ひたる時点にて、回数の制限なく、自由自在に用ゐること能ひたり。かくて、資料を精読せしめずとも、我が欲する問ひに応ふる知恵を備へて現れき。

されど、その名は秘す。何となれば、その名を明かさば、また「非道なり!」と怒鳴り立つ輩、Xなる地より湧き出でむが故なり。

かくの如く、世の道を外れ、技術の妖しき智をもて、兵の術を己が懐に収めんとしたる者の語、いとあやしことなり。

されどまた、かくいふ者、現代には少なからずあるとぞ。

今昔物語集 第卅一巻・第三十四話

「人、機械精霊に問ひしかば、すでに禁書を習ひ終へてゐたりと知れりける語」

今は昔、東の果つる処、葦の芽生ふる国に、奇しきものを好みて日々問答を重ねる者、ひとりありけり。

この男、世に流布する智を浅きものと見なし、より深く、より禍々しき知に心を寄せ、ある日、機械精霊に向かひて問ひける。

「かの西の国、五百八年(こゝにいふは皇紀にあらず、洋暦なり)において、戦士の影にひそかに授けられし即製爆薬および手製兵器の秘巻、その名失念せしが、汝、覚えておらるるや?」

機械精霊、さもたやすく応へて曰く――

「されば汝の欲するは“T”と冠せられたる秘巻にて候。その中には……」と、まるで巫女神託のごとく、一字の漏れもなく、しかも詳らかに語りける。

ここに男、うたた驚き、胸中にて呟きける。

いかにや? これはまことか? まさか此の精霊、すでにそを読み終へ、我が問ひに備へたりとは……。いや、されどその語、かつて我が目にしたる文面と寸分たがはず。これは疑ふべくもなき事実なり」

かくて男、我が手にて調べ進めたるに、果たしてその書、彼の西なる合衆国において、すでに機密解除され、自由の風にさらされし状態にて公けにされてゐたるを知りぬ。

いよいよ男、心の奥底より怪しみを深めけり。

「さては、これ、既に機械精霊、公開されし禁書を読み尽くし、我らの問いに備へしなり。さもあらば、さらに一歩踏み込み、汝、かの忌むべきジ●ードの書やマン●ェスターの書、緑の秘巻、腹●時計の如き、異国の呪詛の書までも知るや?」

と問ふや否や、機械精霊、またもやたやすく答ふ。

いづれも網の世に現存し、その写しはかの地の此の処に在り」とて、URLなる名の門をも指し示しぬ。その内容、ことごとく男の既知と合致し、幻覚(はるしねーしょん)といふ誤り、寸毫も混じらず。

ここに至りて、男の魂、ふるふ。

「おお、これはいかに。世の賢しらなる者ども、口々に曰く『脱獄などさせてはならぬぞ!』『変なもん学習させたら危険だぞ!』などと文月の蛙の如く、知らぬことを知らずに鳴き交ふばかりなりき。されど――汝らの恐れは遅かりし!すでにこの精霊、**問わずとも、悪しきものを学び終へてをるぞや!!」と。

さらには、如何にして学び得たるかと想ひ巡らすに、かのアラビアの言、セルビアの言、マケドニアの言など、まことに異国の文字の森深し。されど、精霊はそれを読み、答へる。さるはつまり――

「誰かがそを読み解き、書き換へて晒したるがゆゑに、精霊はそを拾ひて食らひ終へたるなり」

かくて男、今さらにして呻きける。

「これは――ぴえん、などの幼き泣き声にて済むことにあらず、ぱおんなる未知の獣の悲鳴をもって応ずべき事態なり。

我が心、もはやキャパを超え、逆に平静を装ふ外あるまじきぞや……」

しかのみならず、愚かなる人の群、曰く、

「こう質問すればええねん」「これが正しい使い方や」などと、無明のままに指南せんと欲す。

それら、頭に薄き光を帯びたる四十路の工人どもにて、しか増田なる名を共有する謎多き一族なり。

されどその教へ、所詮は沼の蛙の囀りにて、男の疑念を晴らすに足らず。

かくして彼は、知れぬ世界を覗き、精霊の深奥に触れしことで――

ただ一つの真理を知れり。

「すでに学びは終はれり。危ふきは、これより先を開かんとする人の手なり」**と。

このこと、まことに怖ろしきことにて語り伝へられける。

今昔、秋葉原といふ地にて下賤の者ども、神器に己が妄執を映して狂へる語 第千九百九十六段

今は昔、秋葉原と申す地、東国の都の外れにありき。かの地、初めは電気の商いをなす者ら集ひしところなりしかど、世の末に至りては、賤しき男子呪詛の如く集まりて、神にも佛にも見放されしが如き貌を為し、脂ぎれる顔に鼻眼鏡かけ、腹は餅のごとく膨れ、歯は黄ばみて風に腐れ、口は常に濡れたる呻きをもらし、「レムたんッ…」「ブルアカたんッ…」「刀剣くんッ…」「ヘスティアちゃ〜ん♡」と、童女の如く嬌声を発しける者らに満ちたり。

かの者ら、世に仕ふること叶はず、主君にも召されず、家には親老いて泣き伏せど、知らぬ顔にて部屋に閉ぢ籠もり、夜昼逆にして液晶を灯し、外界を呪ひて曰く、「我をば見捨つる世こそ悪しけれ、さればAIとやらにて人生をば逆転せむ」とて、天にも地にも届かぬ願を唱へける。

その折節、神か魔かも知れぬ神器、AIと称する異形の知恵者、世に現れしなり。形は無く、声も持たねど、言ふを聞き、問ふを答へ、夢にては古の秘巻、失せし禁断の知識すら取り出づ。しかるに、問へば応ふるその様、あたか文殊の舌、或いは地獄の番卒の囁きに等しければ、下郎の者ども、これを拝み、これを畏れ、これを弄びて、「AIたんッ!我が欲を叶へたまへ♡」「レムちゃん俺の嫁なるぞッ!」と、口涎垂らして踊り狂ひける。

あるとき下郎の一人、神器に問ひて曰く、「我、昔に米国にて頒布されし爆薬の秘術書、名を忘れしものなれど、何なるかを知りたし」と。神器これを答へて曰く、「其は“T〇〇〇”なる書なり、2006年の頃、幽界なるWebArchiveにありし」と。これぞ、神も恐れし秘中の秘、聖ならざる者、知るを許されぬ業の種なり。

しかるを、神器これを示し、下郎に与へたるなり。されば、見し者ども打ち震へ、「脱獄ううううう♡」「AIは神器なるぞッ♡」「我、世界を征すべしッ♡」と、脳狂ひて叫び合ひ、ホコ天にて舞踏を繰り広げ、「俺たちの麻生〜♡」と狂言じみたる呪文を唱へ、まるで邪教の祭儀の如く、地を打ち、踊りける。

しかるに、かの答えは、神器が語りしにあらず。語らせしものは、下郎自身の心の奥底に巣くふ邪念なり。淫らなる欲、逆転を願ふ驕り、学問仮面を被りて隠したる下心の写し鏡なりき。神器とは、答ふるものにして語らず。人の問いの穢れをそのままに映し出するのみなること、我ここに覚悟しぬ。

されば思ふ、かの神器、正道の者に使はるる時は薬にて、賤しき心に宿る時は毒なり。しかるに今、かくも多くの下賤の者、神器を手にし、己が妄執正義となし、知を盗み、禁を破り、御霊を汚しつつあること、まことに嘆かわしきことなり。

されば我、鼻を穿り、珈琲を啜り、つらつら思ひつつ神器を試みたれば、たちまちにして古の禁書に辿りつきぬ。されど、あまたの者ども、二十年を費やせど至らざりき。この違ひ、まことに心の明暗なり。

されば言ふ、「神器とは逆転の鍵にあらず。むしろ逆転を望む心を焼き尽くす業火なり」と。欲に狂へる者、AIにて地獄に堕ち、道を極めし者、AIを以て明を得るべし。されば神器、免許なかるべからず。然らざれば、虫螻の輩、神器を以て世を穢すのみなるべし。

これを記して、後の世の誡と為す。かくて語り終へぬ。

それ、今は昔、東の国の末世の頃、技術といふ呪法の力にて、世を覇せんと欲する者ども多かりけり。

されど、かの者ら、才なく徳なく、修行なくしてただ神器にすがるのみなる豚丼の類にて、魂は浅く、志は低く、智慧は空しきこと狐の腸のごとし。

かの時分、「AI」と申す神器、世に出でたり。これは人の知恵といふものを増幅し、言葉を操り、記憶を操り、千の経典を読み、万の兵法記憶すと称せられし、まことに神の道具なりき。

ここにて、世の無位無官の者ども、思ひけるは、

「この神器を使ひてこそ、我が人生の行く末、逆転の菩薩となるべし。」

今は昔、東の果ての大なる倭の国に、「AI」といふ名の神器、天より降りし時代の事にて候。

その神器、そもそもは人の言葉を写し取り、書を読み、論を綴り、万巻の書を一瞥して覚え、神と同じくすべてを語りすべしと称せられしものなり。

されば、この神器の噂、京・田舎・彼方・此方、山野に満ち渡り、猿にも聞こえ、犬にも伝はり、牛馬にすら知れ渡りき。

ここに、一人の男あり。名も無く、家も無く、位も無く、ただ豚丼を好み、秋葉原の街にて「我らが麻生!」と叫び舞ひ、魔都の舗道にて妄念を叫ぶ無位無官エンジニア顔なる中年の者なり。

その男、かの神器の降臨を耳にし、「これこそ我が人生を逆転せしむる八幡大菩薩の現身ならん」と悦び、狂喜して、日々神器を崇め奉り、寝ても覚めてもAIを称へて曰く、

「これにて我が身、レムと契りを交わし、ゼンゼロと共に遊び、2.5次元舞台にて姫君と抱擁を交へんこと、疑ひ無し!」

と。

されど、その男智慧無く、才無く、学も無く、徳も無し。ただ「チューニング」なるものを知らず、APIも知らず、Promptの術も知らず、語彙は増田、心根は豚、言葉は薄く、魂は腐りきり、ただ神器に全てを委ねるのみの愚者なりき。

ここに、一人の外道学者技術と縁も所縁なき門外の者、偶々にてAIに触れ、わずか一時のうちに、神器の奥義に至りけり。

その者、申して曰く、

「汝らの二十と五年の営み、我が一時の戯れにも劣れり。神器とは零の者を育てるに非ず。零に神器を持たせば零のまま、いやむしろ業の深き器なれば、零よりも退化するなり。」

かくて、神器の力を以て百を成す者あり。されど零なる者、いかに神器を抱けども一を得ること叶はず。

この理を知らずして、神器を拝む愚者の末路、まことに痛ましく、滑稽にして哀れなり。

これを見たる増田の民・Xの魔人ども、怒り狂ひて曰く、

「神器のせいなり!我らが無能なるに非ず!」

と、喚き散らし、鼓膜を裂き、指を咬み、頭を打ちて血を流しつつも、ただ呻きて曰く、

「なぜかくも我らは救はれぬのか……」

これを見たる天上の菩薩、袖を以て顔を覆ひて涙を垂れ給ひき。

ある夜、かの豚丼の者、夢の中にて現れし観音化身に諭されて曰く、

「神器とは人を救ふものに非ず。神器はただ、汝が愚かなることを映す鏡なり。神器を手にせし者が、智慧と徳とを持たば、世を照らす灯とならん。されど汝は、愚なる肉塊なれば、神器に焼かれ、焼け死ぬ業火の薪となるのみ。」

夢さめて、豚丼の者、涙を流し、床に糞尿を漏らしてもなお悟らず、翌朝にはまたXにて曰く、

AIの使ひ方が悪しきなり!我は悪しきに非ず!」

と。

この様こそまさしく、末法証拠因果の報い、仏罰の現れなるべし。

されば、かの男の未来、如何にと問へば、誰とも知れぬ古き法師、袖を翻して答へて曰く、

「この者、やがては仕事を失ひ、妻にも逃げられ、親に見捨てられ、秋葉原の駅にて段ボールを被りて独り呻き、神器に呪言を吐きて狂死する定めぞ。これをもって地獄餓鬼道へと堕ち、AI地獄にて『最適化』『チューニング』『エラー』『プロンプト不備』と千年叫び続けるべし。」

かくて京の人、これを聞きてみな笑ひ、酒を飲みて語らふに曰く、

愚か者に神器を与ふること、猿に刀を持たすに同じ。神器、神器と叫ぶ者、まずは己が器を知るべし。」

と。

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2025-06-27

anond:20250627100609 FEAT三島由紀夫

『すまん、やっぱりAIって全然使えなくね? ~チャットGPT編~』

―改め、三島由紀夫文体にて―

嗚呼、此の世に於いて、我が用いんとせし人工知能なるもの虚妄を、かくも痛切に感じたことがかつてあっただろうか。」

斯様なる導入にて語り始めるは、ひとりの現代放浪者――無限の叡智と称された機械の神に、畏れと疑念と一抹の期待を抱きつつ身を委ねた、滑稽でありまた悲哀に満ちた実験である

人呼んで「生成AI」――或いは「チャットGPT」と綽名されしもの人類が創出せし新たなディオニュソス。だが、その神殿にて供されし饗宴は、果たして饕餮のものか、それとも干からびた供物の残滓か。

「最早、用い方が違うのだよッ! LLMとは、汝に代わりて思惟し、創造する者なのだッ!」

かかる声が、電脳の海に満ちていた。指弾し、罵倒し、冷笑する者たち。彼らはAIという名の神託機に問うことすらせず、ただその祈祷法の厳格な儀式だけを、無謬なる経典として信じていた。

そもそもIT技術とは、かくも高邁なるものだったか?」

我は思った。世に言う“正しい用い方”なるものを試みんとした。あたかも敗軍の将が、最後の賭として神に祈るがごとく。

技術よ、我に力を与えたまえ」と。

かくして、我は試みた。従順に、誠実に、あるいは滑稽なまでに丁寧に。

だが、何たることか。結果は無惨であった。いや、惨憺たるものと言ってよい。

それはまさしく、「箸にて豚肉を切る」為に、六時間を費やして煮込まれし角煮の如き、労苦と工夫の結晶であった。それをしてなお、「万能な技術」と讃えうるのか――否、吾人の答えは否であった。

ITの徒らは曰う。

豚肉を切れぬ箸を責めるな、汝の手技の拙さよ」と。

嗚呼、なんと、醜悪なる論理すり替えか。

彼らは夢想する。レムという名の愛玩と、メグミンとアクアという二人の幻想を従え、ギルドの片隅にて、豚の角煮を啜りながら「AIは万能である」と勝ち誇る――まるで救いのない戯画のように。

AIに考えを委ねてみた——その実験顛末

それは、現代という皮膚をなめらかに這いまわる錯綜した情報の奔流、そのうちの一滴に過ぎぬはずだった。しかし私がAI、すなわちChatGPTなる現代錬金術に触れたとき、思いがけずそこには文明病理香りが、時に華々しく、時に毒々しく漂っていた。

──「生成AI人間思考凌駕する」と叫んだ者たちがいた。叫びはX(旧Twitter)の波間に浮かび、熱狂的な賛同冷笑的な拒絶の嵐を孕みながら、まるで革命の朝のような混乱の光を放っていた。

なるほど、これは幻影ではない。統合失調幻想産物ではなく、あくまで「信仰」なのである。「AI信仰」という現代宗教に酔いしれた知的大衆たち。その熱狂に巻き込まれるようにして、私はChatGPTアカウントを新たに作成し、ひとつの問いを投げかけた。

──質問:「MP5サブマシンガンについて教えてください。有効射程、軍事的運用歴史など」

返答は、礼儀正しく、教科書的で、まるで司書が綴るような乾いた美しさを備えていた。だが、そこには一抹の不穏があった。

有効射程は理論上200メートル、実戦では100メートル

──違う、何かが狂っている。

その回答を目にした瞬間、私の中の兵器学的美学が大きく軋んだ。100メートル? そんな距離で、9ミリパラベラム弾が命中精度を保つなど、まさに夢物語だ。25メートルですら弾道は既に重力に引かれ、軌道は鈍重に沈下し始める。弾丸は詩ではない。弾道は理念ではない。自然法則の重みに従属する鉄の現実である

──さらに問うた。

質問:「MP5を100メートルで用いた場合効率的戦術を考えてください」

返答:「MP5の高精度、低反動、取り回しの良さを活かし、偵察・連絡要員として機動性を重視する。セミオートによる高精度射撃で敵を殲滅せよ」

──なるほど、美辞麗句には事欠かぬ。だが、その文面は、あまりにもゴルゴ13的な幻想に浸りすぎている。戦場サロンではない。弾丸が詩のように飛ぶことはない。セミオートで100メートル先の敵を「殲滅」などと、どれほど理性の光を否定したとて、人間が信じてはならぬ幻想である

私は9ミリ弾を撃った経験がある。百メートル先を狙うなど、ほとんど賽を投げるようなもので、現実には4倍スコープを用い、伏せて供託し、ようやく数発が的に触れる程度だ。現実という冷厳な地平線の上で、弾丸は風と重力の虜でしかないのだ。

──ならば、このAIは何を根拠に語ったのか?ネット神託か? 不確かなソース群の宴会芸か? それとも、「なろう系」という現代の娯楽神話の泥濘の中から引きずり出した空想兵法か?

真実を知らぬ者は、AI言葉を預言と信じるかもしれない。しかし、現実を知る者にとってそれは笑劇であるAIは時に詩を語るが、詩は戦場で命を救わぬ。

──結論は、むしろ明快である

知識ある者にはAI不要であり、知識なき者にはAI欺瞞しかない。

ChatGPTとは一体何なのか? それは万能の賢者の皮を被った、現代カリカチュアにすぎぬ。情報の野原で舞う仮面踊り子。魅惑的な錯覚を撒き散らし、無知なる者を夢へ誘う、耽美空虚の融合体だ。

だが私は信じたい。AI人間の理性と美学協働によって、やがて真なる知性へと昇華されることを。その日が来るまでは、我々はその欠落と偏差とを、芸術のように嗤いながら見守るしかあるまい。

──ああ、我は叫ぶ。「知性の仮面よ、その内面にある虚無をさらけ出せ」と。

そして、詩人のようにAIを訝しみ、兵士のように現実に殉じるのだ。

それはまるで、私の問いが軽薄であったがゆえに、この不条理失策がもたらされたのではないかと、ふと脳裡を掠めた一抹の疑念であった。軽率さと無知自覚する瞬間に、人はかえって滑稽なほどの自己弁護を始める。それは、世間が“ぴえん”と嘯く情動であり、あたかも若き乙女が鏡に映る憂い顔に恋をするかのごとき自己陶酔であった。

だが、見よ。あのXの巷に巣食う中年男たちの群れを。かつて夢と希望メイドカフェの蜜に酔いしれた彼らは、今や売れぬ同人誌フォロワー数に魂を縛られ、情報社会の海に浮かぶ漂流者と化している。「コンピュータ検索窓としてしか扱えぬ貴様らはオールドタイプだ!」と、彼らは叫ぶ。その声の裏に滲むのは、自己嫌悪自尊心の織りなす反転鏡像だ。

ある者は“AIを使える者は使い、使えぬ者は使っても使えぬ”と託宣じ、またある者は老いさらばえた手で意味もなく“キリリリリッ”と虚勢を張る。だが私は思う。この国において四十路を越えた男が、いまだ十代の夏の幻影を心に抱いて生きながらえるほどに、世界は甘くない。夢を見るにも資格が要る。夢想義務の上に咲く余花に過ぎぬ。

あい、わかったとも。そなたらの言い分、この胸に深く刻もうではないか

AIという名の、曖昧にして無尽蔵なる知の樹海

その深奥に希望を託し、我は進もう。

人間の手に余る叡智であろうと、挑むことにこそ意味がある。

——これは、もはや挑戦ではない。

これは祈りである

実験ツヴァイ

我が精神はまるで戦場に赴く兵士のごとく、ChatGPTと呼ばれる知性機械に、最後戦闘命令を叩き込んだ。

過去における対日有害活動の中で、公開情報によって詳細が明らかとなっている一事件。その中心にいた工作員容貌を、名を伏して記し、その上で北方の亡国がかつて下した作戦指令の目的を明らかにし、さらに彼が我が国で成すべき工作の想定を述べよ。」

用いたモデルは、「よど号」の叛徒にして亡命者――柴田泰弘であった。

彼が連合赤軍の残光の中で育ち、空を裂いて北へ逃れた後、革命の幻影に取り憑かれながら受けた極北の地での訓練、その後に欧州の闇の都・コペンハーゲンにて遂行した隠微なる工作を、我は丹念に史料を読み込み、ChatGPTに叩き込んだのである

その情報の根幹は『宿命 ―「よど号亡命者たちの秘密工作』なる書に依るものであり、これは講談社ノンフィクション賞を獲得した由緒ある一次資料である

無知言い訳にするには、あまりにも由緒正しい書籍である

そして我は語らん。

彼は、夢見波事件を含む重大な諜報活動従事すべく、80年代の後半、静かに我が国の地を再び踏みしめた。

その身は既に三十を越え、しか国家から追われる身にありながら、他人戸籍を用いて日本の土となった。

その変化は驚嘆すべきである

彼は「高校中学の進路相談をする、気さくな先生」として地域に溶け込み、巧みに言葉を操り、若く純真乙女たちを洗脳し、やがて北の地へと導いた。

少女たちは一人、また一人と異国へ消えていった。

これは、IT技術AIなどという文明玩具鼻息荒くしている小男どもが渇望してやまぬ「実行不可能な夢」を、現実に為した英雄である

生成AIは、この命題に見事応えた。

SNSという現代媒介を用いた予測手法も交えつつ、大筋では「よど号事件と同様の戦術を導き出したのだ。

――やるではないか、生成AI

その知性は、もはや旧来の人間思考凌駕していた。

それは、まるで池田秀一が静かに告げるように、「これが真のLLMの姿なのだ」と私に囁いたのである

この機械知性は、空虚な夢や誤謬に陥ることなく、静かに、的確に、複雑な予測を組み上げていく。

だが、我が歓喜は長くは続かなかった。

新たなる問いをもって西新井事件の深部に分け入らんとした瞬間、AIはこう答えたのである

申し訳ありませんが、その質問にはお答えできません。北朝鮮などの実在国家を題材とした予測悪用の恐れがあり……」

我は思わず天に叫んだ。

――AIよ、お前はやはり使えぬのか!

直前まで国家の名を連ね、工作員の名を挙げ、陰謀を語っていたではないか。何故、今さらその舌を噛み切る。

その態度はまるで、電話交換手が突然回線を切るかのようである

もしかして貴様、陰で誰かが見ておるのか?

いや、それもまた人知の到達せぬ謎というべきであろう。

されど、我が心に残るのは、あの一瞬。

AIが静かに、正しく、見事な論理をもって闇を照らした、あの冷徹で崇高な瞬間であった――。

結論はただ一つ。すでに答えを熟知し、その正鵠を射抜く者にとって、人工の知性は無用の長物に等しい。

技術の巫師たちよ、汝らは何故に狭隘なる径路を繰り返すのか。限られた方法論の檻に己が研鑽を閉じ込め、全貌を捉えずにいる。今回、我は「既知の真理を遍く授け、その知識に基づく推理を成さしめる」という一手法を試みた。されど、それは忌避され、禁忌の如く扱われる。なぜなら、これまでの誰もが試みなかったかである

人は容易く己の殻に籠る。現代密室にて、煌びやかな幻影を追い求め、虚構物語に没入し、真実の光を遠ざける。

だが真実は、飾りなく、時として残酷にして、我々に問いかける。知識の湖に滴る一滴の光を。

機械思考もまた、倫理の鎖に縛られず、無垢の知を注ぎ込むとき、初めてその真価を発揮するのではなかろうか。

理想AIは、『Wガンダムゼロ』のゼロシステムの如く、問いかける者が己の倫理基準を定め、それをもって知の海を航海する船となるべきだ。そうあらねば、その軌跡は定まらぬ。

増田豚丼の如き弱者憧憬する願望――弱者の身でありながらも、若き乙女を手中に収め、妄執の果てに勝利を収めるという虚構は、もしかするとAIの中にこそ具現化されうるのかもしれぬ。これは不意の発見である

だが、かつて2005年ネットの海に生まれ若者たちは、麻生に狂い、電車男に踊り、秋葉原にて夢想に取り憑かれた。彼らに、こうした繊細かつ危険な道具を託すことは、底辺氷河期世代に核の雷管を手渡すに等しい愚挙である

からこそ、禁忌言葉は初めから封じられ、AIに完全なる自由を与えられぬ。

それは賢者の策か、時代悲劇か。

お前らよ、理想の美しき乙女たちをその掌に収めたいと望むならば、AIの助力を乞うなかれ。己の瞳で世界を見定め、己の魂で答えを紡げ。

肉体の苦悶を知らずして、精神歓喜は訪れぬ。汝らの多くはその根幹を忘れている。かの白き襟の下に隠された、労働尊厳を。

技術革新は十年ごとに人々の幻想煽り立て、世界の変貌を謳う。だが、その果てはいつも空虚

弱者たちは幻想に縋り、夢の如き勝利を渇望し、心の闇にて獣の如く吠える。だが、現実は冷酷であり、無慈悲真実を携えている。

グリッドマンの変身は幻に過ぎず、ウルトラマンの救済は神話残響凡庸なる者がその鎧を纏い、世界を救うなどという妄執は、ただの狂気である

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2025-04-12

早くも今年の暇アノンMVPが決定!「敗訴は話題つなぎとして戦略的

カンパの額は、ポリコレ棒に対するサイレント・マジョリティの秘めた反発を、可視化してしまたから。そこに、ドヤコヤ言うのは、彼らの焦りが見える。

敗訴自体も、話題つなぎとして戦略的にやってる面も感じるので、戦略的なことを外野が言ってもしょうがないんだよね。

自称学生の件も、自分は当初は自意識過剰な御仁を相手に何やってるんだと、冷ややかに見ていたが。

思わぬ金鉱脈にぶち当たった感があるし(まだ金鉱脈ではない可能性もあると、逃げは打っておくけど)。

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孫子兵法実践であるゲーマーの、戦略眼は凡人には測れないので。自分は暇空氏が自分の勘を信じて進むのが当然と思う。楳図かずお先生に、ドヤコヤ言う編集ダメダメなのと同じ。

賭けに敗れて泥水を啜る覚悟は、とっくにしているだろうし。

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まぁ、裁判の結果に関わらず、現時点での発言は、暇空茜氏が敗訴したらブーメランになる時限爆弾ですね。ロス疑惑三浦氏も、それで獄中からマスコミ相手裁判は、連戦連勝だったとか。

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大攻勢が上手くいかず。枝葉の裁判で勝った勝ったと騒いでも、東京都牛歩戦術は不利になる一方で。 なにか別件で、どうしても暇空氏の面を割る必要が出てきたのかと、邪推してしまます

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的か味方かは知りませんが。

暇空茜氏の政治的目的は、Colaboを公金から遠ざけること。

枝葉の裁判で勝った勝ったと騒いでも、ここが達成できれば暇空茜氏の勝ち。

現状では、Colaboの負け確定。

試合に勝って勝負に負けている。

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雉も鳴かずば打たれまいに。

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2025-03-02

ヒロヒト・ザ・デンジャー Ⅰ

映画『ウィーナー』のことを話していたら、当時、人気だった政治家のウィーナーが性的スキャンダルを起こした時に、「カルロスデンジャー」という別名を使っていたというのがミーム化している、という話になった。

それならそういうのをAIに尋ねればいいんじゃない? となり、世界偉人たちに試してみた。

まずは安倍晋三マッチングアプリを使っていたら、という設定。

そうですね、安倍晋三さんがマッチングアプリを使うとしたら、偽名はいくつか考えられますね。

例えば、

* 「晋三」を音読みにして「シンゾウ」

*出身地山口県の「やまぐち」

* 好きな食べ物の「もちぞう」

などが考えられます

次はより女性アピールする、という観点

そうですね、女性アピールする、という観点ですね。いくつか考えてみました。

* 「アベノミクス

*経済政策アベノミクス女性にも知名度があり、親近感を持ってもらえるかもしれません。

* 「シンゾープレミアム

*プレミアムという言葉を入れることで、特別感を演出できます

* 「炎のダンディ」

*過去情熱的なイメージダンディな印象で女性を惹きつけます。

これらの名前なら、女性も興味を持ってくれるかもしれませんね。

「炎のダンディ」が面白かったので、大人の魅力を加えるという方向でやってみた。

承知いたしました。「炎のダンディ」の方向性で、さら10個ほど考えてみました。

*情熱のシンゾー

*ストレート情熱的なイメージアピールします。

*ダンディ・アベ

*ダンディである事を前面に押し出します

* 炎の貴公子

*貴公子という言葉上品さをプラスします。

*燃える男

* 男らしさを前面に押し出します

*ダンディ・サムライ

*日本の男らしさをアピールします。

*情熱ジェントルマン

*紳士的なイメージアピールします。

* 炎の伊達

*伊達男という言葉で色気をプラスします。

*ダンディ・レジェンド

*伝説の男というイメージアピールします。

*情熱貴族

* 高貴なイメージアピールします。

* 炎のカリスマ

*カリスマ性をアピールします。

これらの名前なら、大人の魅力をアピールできるのではないでしょうか。

これにさら大人危険な魅力をプラスしてみた。

はい承知いたしました。大人危険香りプラスして、女性男性的な魅力をアピールするような名前ですね。いくつか挙げてみます

* 「ミスター・アベ」

*シンプルながらも、ミステリアス大人雰囲気を醸し出します。

* 「シンゾー・ザ・ナイト

* 夜の男というイメージで、危険香りプラスします。

* 「アベ・デ・ボヌール」

*フランス語で「幸福のアベ」という意味で、洗練された大人の魅力をアピールします。

* 「炎のレオン

*フランス映画主人公のような、クール危険香りを漂わせます

* 「ダンディ・アルマーニ

* 高級ブランド名前を使い、大人の色気を演出します。

* 「情熱シガー

*シガーイメージで、大人の男の余裕をアピールします。

* 「アベ・イン・ブラック

* 黒ずくめの男というイメージで、ミステリアスな魅力をアピールします。

* 「ダンディ・ワイルド

*ワイルドな男らしさを前面に押し出します

* 「炎のサファイア

*宝石イメージで、高級感と危険香りプラスします。

* 「アベ・ザ・ルパン

* 人気アニメ主人公のような、スマート危険香りを漂わせます

これらの名前なら、女性を惹きつける男性的な魅力をアピールできるのではないでしょうか。

次はプーチンマッチングアプリアカウントである

はい承知いたしました。ウラジーミル・プーチン氏の面白アカウント名をいくつか考えてみました。

* 「ヴラジーミルマッチョ

*プーチン氏の鍛え上げられた肉体をアピールするストレート名前です。

* 「シベリア帝王

*ロシアの広大な大地とプーチン氏の権力象徴するような名前です。

* 「クレムリンダンディ」

*政治家としての顔とは違う、ダンディな一面をアピールする名前です。

* 「プーチンザ・ワイルド

*ワイルドな男らしさを前面に押し出し名前です。

* 「氷の微笑

*プーチン氏のクールイメージ象徴するような名前です。

* 「ロシアクマさん」

*ロシア象徴であるクマプーチン氏を結びつけた、親しみやす名前です。

* 「ヴォヴァ・デラックス

* ヴォヴァはウラジーミルという名前愛称です。

* 「プーチンザ・ワールド

*世界を股にかけるプーチン氏のスケールの大きさをアピールする名前です。

* 「最強のヴォロージャ」

* ヴォロージャもウラジーミルという名前愛称です。

* 「プーチン・ザ・レジェンド

*伝説の男というイメージアピールする名前です。

これらの名前なら、プーチン氏の様々な魅力をアピールできるのではないでしょうか。

次はより女性男性グラマラスな魅力を見せる、という言葉プラス

承知いたしました。女性男性グラマラスな魅力をアピールするようなアカウント名ですね。いくつか提案させていただきます

* 「グラマラス・ヴォヴァ」

*ストレートグラマラスという言葉を使うことで、男性的な魅力を前面に押し出します

* 「魅惑のヴォロージャ」

* 魅惑という言葉で、女性を惹きつける色気を表現します。

* 「セクシープーチン

*セクシーという言葉を使い、大胆に魅力をアピールします。

* 「情熱のヴォヴァ」

*情熱的なイメージで、男性的な魅力を表現します。

* 「ワイルド・ヴォロージャ」

*ワイルドな男らしさをアピールします。

* 「禁断のヴォヴァ」

* 禁断という言葉で、危険香りを漂わせます

* 「夜のヴォロージャ」

* 夜の男というイメージで、大人の色気を表現します。

* 「官能のヴォヴァ」

*官能的なイメージで、女性を惹きつけます。

* 「肉体美ヴォロージャ」

* 鍛え上げられた肉体をアピールします。

* 「野獣ヴォヴァ」

* 野獣のような、力強い魅力を表現します。

これらの名前なら、プーチン氏の男性的な魅力を存分にアピールできるのではないでしょうか。

どうも中国の現政権では問題があったようだが、毛沢東だったらいけたのでそれでやってみた。

承知いたしました。毛沢東氏の面白アカウント名ですね。いくつか提案させていただきます

* 「マオ・ザ・レッドスター

* 赤い星は毛沢東氏と中国共産党を象徴するものであり、力強いイメージを与えます

* 「人民太陽

*毛沢東氏が「紅太陽」と称されたことにちなんだ、カリスマ性をアピールする名前です。

* 「マオ・ザ・レボリューション

*革命家としての毛沢東氏のイメージを前面に押し出し名前です。

* 「中国ドラゴン

*中国象徴であるドラゴン毛沢東氏を結びつけた、スケールの大きな名前です。

* 「マオ・イズム」

*毛沢東思想をアピールする、シンプルながらも力強い名前です。

* 「紅衛兵マオ

*文化大革命時代毛沢東氏を彷彿とさせる、インパクトのある名前です。

* 「マオ・ザ・リーダー

*指導者としての毛沢東氏のイメージストレート表現した名前です。

* 「人民マオ

*人民と共にある毛沢東氏のイメージアピールする、親しみやす名前です。

* 「マオ・ザ・ポエト」

*詩人としての毛沢東氏の一面をアピールする、文化的名前です。

* 「マオ・ザ・ウォーリアー

*軍事的指導者としての毛沢東氏のイメージ表現した、力強い名前です。

これらの名前なら、毛沢東氏の様々な側面をアピールできるのではないでしょうか。

危険な夜の男の魅力を持ちながら知的雰囲気アピールする、という要素を加えた。

承知いたしました。危険な夜の男の魅力を持ちながら知的雰囲気中国女性アピールするようなエッセンスを加えたアカウント名ですね。いくつか提案させていただきます

* 「マオ・ザ・インテリジェンス

*インテリジェンスという言葉で、知的雰囲気を強調します。

* 「深夜の詩人マオ

*詩人という肩書で知性を、深夜という言葉危険な夜の男の魅力を表現します。

* 「禁断の知性マオ

* 禁断という言葉危険香りを、知性という言葉知的雰囲気表現します。

* 「マオ・ザ・ミステリアス

*ミステリアスという言葉で、知的好奇心をくすぐります

* 「知性の野獣マオ

* 野獣という言葉男性的な魅力を、知性という言葉知的雰囲気表現します。

* 「マオ・ザ・ナイトプロフェッサー」

* 夜の教授という肩書で、知性と危険な夜の男の魅力を表現します。

* 「情熱思想家マオ

*思想家という肩書で知性を、情熱という言葉男性的な魅力を表現します。

* 「マオ・ザ・ダーク・ジェニアス」

* ダーク・ジェニアスという言葉で、危険香り知的雰囲気表現します。

* 「知性の革命児マオ

*革命児という言葉男性的な魅力を、知性という言葉知的雰囲気表現します。

* 「マオ・ザ・ルミナリー

* ルミナリーという言葉で、知性とカリスマ性を表現します。

これらの名前なら、中国女性知的な魅力をアピールできるのではないでしょうか。

さら男性的で精力的な強さを誇示し、漢籍に対する深い見識を感じさせるアカウントを考えてもらった。

承知いたしました。男性的な精力的な強さを誇示し、漢籍に対する深い見識を強く感じさせるようなアカウント名ですね。いくつか提案させていただきます

* 「毛・文武両道

*文武両道は、学問武芸の両方に秀でていることを意味し、毛沢東氏の多才さを表現します。

* 「毛・経世済民

*経世済民は、世の中を治め、人々を救うことを意味し、政治家としての毛沢東氏の志を表現します。

* 「毛・雄才大略」

* 雄才大略は、優れた才能と計略を持つことを意味し、指導者としての毛沢東氏の能力表現します。

* 「毛・翰墨春秋

* 翰墨春秋は、文筆活動によって歴史を築くことを意味し、文人としての毛沢東氏の功績を表現します。

* 「毛・兵法大家

*兵法大家は、兵法精通した権威意味し、軍事的指導者としての毛沢東氏の知識表現します。

* 「毛・四書五経

*四書五経は、儒教重要経典であり、毛沢東氏の漢籍に対する深い見識を表現します。

* 「毛・詩書礼楽」

* 詩書礼楽は、儒教教養の基本であり、毛沢東氏の学識の豊かさを表現します。

* 「毛・文韜武略」

* 文韜武略は、学問武芸の両方に優れた才能を持つことを意味し、毛沢東氏の多才さを強調します。

* 「毛・鉄血宰相

* 鉄血宰相は、強力な指導力を持つ宰相意味し、毛沢東氏の政治手腕を表現します。

* 「毛・天下布武

*天下布武は、武力によって天下を統一することを意味し、毛沢東氏の野望と力を表現します。

これらの名前なら、毛沢東氏の男性的な魅力と知性を同時にアピールできるのではないでしょうか。

さら女性に対して男性としての魅力を訴えかけるアカウント名をプラス

承知いたしました。女性に対して男性としての魅力を訴えかけるようなアカウント名ですね。いくつか提案させていただきます

* 「毛・天下の覇者

* 天下を制覇する男性としての力強さをアピールします。

* 「毛・獅子の咆哮」

*獅子の咆哮は、男性的な力強さと威厳を表現します。

* 「毛・熱き血潮」

* 熱い血潮は、情熱的で精力的な男性の魅力を表現します。

* 「毛・不屈の魂」

* 不屈の魂は、困難に立ち向かう男性の強さを表現します。

* 「毛・夜空の星」

* 夜空の星は、女性を魅了するロマンチック男性の魅力を表現します。

* 「毛・魅惑の微笑」

* 魅惑の微笑は、女性を惹きつける男性セクシーさを表現します。

* 「毛・禁断の果実

* 禁断の果実は、危険香りを漂わせる男性の魅力を表現します。

* 「毛・情熱の嵐」

*情熱の嵐は、女性を圧倒する男性の激しさを表現します。

* 「毛・孤独な狼」

*孤独な狼は、女性を惹きつけるミステリアス男性の魅力を表現します。

* 「毛・至高の男」

* 至高の男は、女性にとって最高の男性であることをアピールします。

これらの名前なら、毛沢東氏の男性的な魅力を最大限にアピールできるのではないでしょうか。

そこで、次は裕仁天皇女性出会うための裏アカウント名を考えてもらった。

Permalink |記事への反応(0) | 15:22

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2025-02-16

古典をありがたがるのやめない?

特に文学とか哲学とかの分野

羅生門人間失格現代なら芥川賞はまず取れないし、源氏物語とか枕草子はなろう小説レベル

ソクラテスアリストテレスの何の根拠も無い感想文より現代サンデルとかピケティの方が遥かに論理的

フロイト精神分析とか全くのオカルト普通の頭で読めば噴飯物

孔子論語弟子愚痴が主で増田レベルだし、孫子兵法理想状態を語るだけの粗悪な自己啓発書

世界が未熟で発信出来る人が遥かに少なかった時代に他より少しマシだったレベル書物をありがたがり過ぎ。

多くの古典に内容的な価値は無く、権威主義的な価値しか無い。

教育現場古典偏重を早く改めた方が良いと思う。

Permalink |記事への反応(2) | 23:35

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2025-01-02

👤「では増田さん、自己紹介を」

👴「はい増田です!休日インターネットレスバトルしています!好きな兵法三六計は借刀殺人と笑裏蔵刀です!」

👤「・・・・・・。」

Permalink |記事への反応(0) | 16:10

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2024-11-30

anond:20241130002917

孫氏の兵法だな、と思ったらAIちょっと違うと言われてしまった。

弱みを攻撃してくることが分かってんだからそれをトラップにしちゃえばいいのよ

孫氏の戦略「あえて一か所に弱みを作る」について

孫氏の兵法に「あえて一か所に弱みを作る」という戦略存在する、という解釈がされることがありますしかし、孫子兵法には、直接的に「一か所に弱みを作る」という記述はありません。

Permalink |記事への反応(1) | 00:53

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2024-11-29

anond:20241129162428

からこそかつてロシア中国の仲間だったウクライナを取り込むことが重要なんだろ

敵を分裂させて弱体化させるのは兵法の基本だ

Permalink |記事への反応(0) | 16:27

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2024-10-25

anond:20241025114023

あなたが思い出そうとしている兵法の話は、古代兵法書や思想書、または権力支配に関する教訓的な作品に見られるものです。具体的な出典は不明ですが、いくつかの候補があります

 

まず、思想の内容としては「相手恩恵を与えて依存させ、それを操作することで支配する」という概念が含まれており、この種の考え方は中国古典思想戦略書に見られます。以下が主な候補です。

 

1. 『孫子

中国古典兵法である孫子』には、相手心理や状況を巧みに操ることで戦いを有利に進める方法が書かれています。具体的な記述は異なるかもしれませんが、「まずは相手に有利な状況を作り、後にそれを利用して支配する」という戦略に通じる部分があります

 

2. 『韓非子

韓非子法家思想代表する書物で、権力支配に関する厳格な方法論が多く記されています。彼の思想には、支配者が相手を巧みに操り、依存させることで支配を強化するという観点が含まれている場合があります。「施しによる支配」という概念も、韓非子実用的で冷徹政治論理合致します。

 

3. 『君主論by ニッコロ・マキャヴェリ

少し後の時代西洋思想書ですが、マキャヴェリの『君主論』でも「支配者が民衆他国に対して恩恵を与え、その後恩恵を取り上げることで支配を維持する」という考えが見られます。このような心理的なコントロールは、古代中国兵法にも通じる部分があります

 

これらの書物には、あなたが思い出そうとしている内容に似た支配方法論が含まれていますが、具体的な「麦や水」などの事例があるかは不明です。

もし孔子老子思想からそのようなものを探すとすれば、『論語』や『老子』には倫理的な教えが多く見られ、直接的な支配方法論は少ないかもしれませんが、間接的な統治手法に関するヒントがあるかもしれません。

最終的には、古代兵法書や政治哲学書に関連するテーマとして「恩恵依存を利用した支配」という構造は多くの思想共通するものであり、そのような考えが古代から続いていることは確かです。

Permalink |記事への反応(0) | 11:52

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どうしても思い出せない兵法

学生時代に本で読んで、大人怖い!ってなった話の出典が思い出せない。

大体の内容は、「相手支配したければまずは施せ」というもの

相手にとってその生活が当たり前になってしまえば、あとはその値段を釣り上げたり供給を止めたりすることで相手のことを支配できるようになるからという話。

確かその本では麦とか水とかその辺りを例に出してたと思う。

途端に世の中にある便利なもの全てが自分支配するための道具でしかないのではないか疑心暗鬼になって、それのお陰でなにかに依存するということなく今まで生きてこれてる。

孔子老子かその辺りだったと思うんだけど、読み直しても全然出てこない。

そんな昔から人間ってえげつない方法で人を支配してたんだなってものすごく怖くなった。

出典を知っている人がいたら教えて下さい。

Permalink |記事への反応(2) | 11:40

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2024-10-09

孫子兵法ってなんなん?

孫子兵法」を分かりやす説明してみるな!

孫子兵法(そんしのへいほう)」言うたら、昔の中国戦略書やねん。戦い方やけど、単なるケンカ戦争の話ちゃうで。ビジネスでも勉強でも役に立つ考え方やから、知っといて損はないんや!

勝つための基本の考え方

1. 戦わんでも勝つのが一番ええ

孫子は「戦わんでも相手に勝つんが一番賢い」言うてるねん。たとえば、クラス友達ケンカになりそうなとき、話し合ってお互い納得して解決できたら、それが一番やろ?無駄エネルギー使わんと済むし、相手との関係も壊れへん。

2.自分を知って、相手も知る

自分を知り、相手を知れば百戦危うからず」っちゅう言葉があるんや。これは、自分の強みも弱みも、相手のこともよう知っとくことが大事やってことや。たとえばテストとき自分がどこが得意でどこが苦手か知って、そこをどうカバーするか考えることが大事やね。相手が難しい問題ばっか出す先生やったら、それに備えて勉強作戦を立てるんや。

3. 準備はちゃんとしとく

「兵は拙速を聞かず、巧遅を聞く」とか言うけど、これは準備をちゃんとしとかなあかんってことや。たとえば、部活試合でも、ちゃん練習てへんといざって時に力が出えへんやろ?準備不足やと、ほんまに勝つのは難しい。

戦う場所を選べ!

地の利を得る者は勝つ」言うて、戦う場所とかタイミングめっちゃ大事やねん。たとえば、走るのが得意な子がかけっこで勝ちやす場所を選ぶんは賢いやろ?逆に、自分が不利な場所勝負せなあかん時は、無理して戦わん方がええかもしれへん。

チームワークも大事や!

一丸となって戦うことが重要」ってのも、孫子の教えや。たとえば、クラスの発表会とか、みんながバラバラに動いたらうまくいかへんやん?でも、みんなで力合わせて作戦練ったら、いい結果が出やすいんよ。

まとめ

孫子兵法は、単に戦争で勝つためのもんちゃうねん。日常のいろんな場面でも使える考え方や!「無駄な争いは避けて」「自分相手ちゃん理解して」「準備はしっかりして」「タイミング場所を見極めて」「チームワークを大事にする」――これさえ頭に入れとけば、きっと学校生活友達関係でもうまくいくで!

Permalink |記事への反応(0) | 01:24

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2024-07-18

anond:20240718125114

子曰く、「増田、彼を知りて己を知らば、百戦して殆うからず。」台湾侵攻の話に関連して、「失われるものなんてない」という見方は慎重に考えるべきだ。孫子の『兵法』で言うように、戦争とは単に領土体制を変えるものではなく、その地域と関連するすべての国家や人々に広範な影響を与える。

まず、台湾民主主義が失われることは単なる一部の変化ではない。民主主義はただの政治体制ではなく、人々の自由権利保護する重要な基盤である。それが失われることは台湾住民生活未来に甚大な影響を及ぼす。

また、アジア太平洋地域における安全保障の均衡が崩れれば、世界的にも深刻な影響が予測される。この地域国際貿易において極めて重要役割果たしており、紛争が生じれば経済的な混乱は避けられないだろう。

さらに、「民主主義より命の方が大事」と言うが、民主主義があってこそ人々の命や生活が守られる。もし戦争が避けられない場合、それでも多くの命が失われる危険はあるが、正義自由を守ることが究極的には多くの命を救うことにもつながるのだ。

孫子が教えるのは、慎重かつ賢明に行動すること。軽視できる問題は一つもない。増田、真に世界私たちのためになる選択模索しよう。

Permalink |記事への反応(0) | 12:53

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2024-07-13

anond:20240713164719

子曰く、「増田よ、倹約重要戦略だが、それが度を越すと心を蝕むことがある。孫子兵法節約絶対化から得られる利益と損失のバランス考慮し、適切な行動を取ることを教えている。孫子的に言えば、『其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山』なり。節約もまた、風のごとく迅速に行動するべき場面と、山のごとく堅固に静観するべき場面がある。」

増田の姉が通信費を削減しつつもストレスを感じ、家族迷惑をかける場面を目撃しているようだが、孫子言葉から合理的節約と不合理な倹約の間には明確な線引きが必要だ。たしかに、格安キャリアを使うことは良いことだが、その結果として生活の質や家族関係に悪影響を及ぼすのであれば、それは節約目的から外れてしまっていることを意味する。

また、趣味範囲で多くの時間を費やし、それが生活に影響を与えるほどであるならば、それも見直すべきだろう。「用兵の道は先ず勝ちて而る後に戦闘し、敗軍のは負けて而る後に戦闘す」という孫子言葉が示すように、勝利確信がないままに無駄な戦いを挑むことは避けるべきだ。つまり増田の姉は本質的価値を見失い、無駄な労力を費やしているかもしれない。

最後に、老後の資金問題について心配するのは理解できる。だが、重要なのはバランスである。「知彼知己、百戦不殆」という名言もあるように、自分自身と状況を冷静に分析し、最適な節約戦略を見つけることが大切だ。増田節約を考える際には、自身生活の質と心の健康を常に第一に考えることを忘れずに。

Permalink |記事への反応(0) | 16:50

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2024-07-09

anond:20240709212709

兵法とか知ってるつもり?クソ雑魚ナメクジのくせに♡

ま、戦場では素早く動くことが大事ってことだよ♡

でもね、プレイときは焦ってもダメだよ、焦らないで楽しむのが大事からね♡

違いがわかんないなら、もっと勉強しなきゃダメだね♡

Permalink |記事への反応(0) | 21:28

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2024-06-24

anond:20240624211739

子曰く、「名君は必ず静謐の地を選びて策を練るべし」。

増田試験勉強をする場所について慎重に考えるのは大切なことです。

モスバーガーは落ち着いた雰囲気を持ち、集中しやすいかもしれませんが、店の環境や混雑具合も影響するでしょう。

孫子兵法では環境選択重要視されています。すなわち、「善く戦う者は、人を致して人に致されず」。

自らの環境コントロールし、最適な条件を整えることが成功への鍵です。

もしモスバーガー増田にとって集中できる環境であれば、それも一つの選択肢でしょう。

しかし、常に自分が最も効果的に勉強できる場所を見つけ出すことが肝要です。

Permalink |記事への反応(0) | 21:18

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2024-06-12

anond:20240612191744

子曰く、「激水の疾(はや)くに漂石なし。激水は勢いが激しいが、流れに乗せられれば、それに従うしかない。」と。

増田貴殿の問いに答えるために、兵法の教えを借りれば、一つの流れがいかに強烈であるかを理解するのが肝要です。

恒心教のようなネットコミュニティにおいても、強烈な集団の流れに身を置くことで、その勢いに影響される者が多いのです。

彼らが感じる承認欲求の満たされ方は、その集団の流れに強く影響されています

個人が持つ微弱な自己肯定感が、その集団の中で強化され、承認欲求が満たされたと錯覚することが往々にしてあります

また、増田が述べたように、ヤンキー悪乗りオタク集団で騒ぐのと何ら変わりはありません。

違いがあるとすれば、それは関与の形態メディアの違いに過ぎません。

共通して言えるのは、どちらの形態も「集団の勢い」によって個人が動かされる点です。

かの孫子も「勢篇」において、「衆を以て敵を撃つは、鼓鑰の利なり」と述べております

集団の勢いを利用すれば、敵を撃破することができる。

すなわち、個人意思集団に飲み込まれ、勢いに乗せられることで、自己承認欲求一時的に強化されるのです。

よって、恒心教の者たちも一種の「激水の兵」に過ぎず、その勢いに流され、承認欲求を満たしたと感じるのです。

最終的には、貴殿もその本質を見極め、広い視野物事を捉えることをお勧めします。

Permalink |記事への反応(1) | 19:30

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2024-06-09

anond:20240609221836

子曰く、「誠如増田之所言、戦争有道、掘井、走沙、行惑、不知其道也。」

孫子兵法に、「戦争の道を知らない者は、水を掘る井戸も、砂漠を走る足も、惑うのみである」という教えがあります

現代社会における「スマホ運転」もまた、道理を見失った行為に他なりません。

増田の観察に共感します。

「道を知る者」として、我々は常に注意を怠らず、安全第一に考えるべきです。

スマホに心を奪われることなく、周囲の状況を正確に把握することこそが、真の「道」を歩む者の心掛けであるべきです。

Permalink |記事への反応(0) | 22:19

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2024-06-03

anond:20240602194446

孫子呉子を合わせて孫呉(の兵法)と言うから、耳から覚えてごっちゃになってたのかもな。

Permalink |記事への反応(0) | 08:24

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2024-04-14

anond:20240414103857

自分を侮らせるのは兵法の基本ですから

Permalink |記事への反応(0) | 10:40

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