
はてなキーワード:共感能力とは
彼は、深刻な心理的苦痛、社会的孤立、そして強烈な怒りを抱えた個人として浮かび上がります。投稿は表面上、ITエンジニアや弱者男性への「批判」ですが、深層では自己の苦痛の外在化であると解釈できます。
彼が批判する「承認欲求」「現実逃避」「他責思考」は、皮肉にも投稿者自身の特徴を強く反映しています。これは典型的な投影防衛機制であり、耐え難い自己イメージを他者に転嫁することで、一時的に自我を保護しようとする心理プロセスです。
最も懸念されるのは、暴力的イメージへの固着と他者の非人間化です。これらは実際の暴力行為の予測因子ではありませんが、心理的危機状態の指標となり得ます。
一文で言えば: 彼は、自己の痛みを他者への攻撃として表出することでしか自己を維持できない、深い孤立と苦悩の中にある人物である。
自己愛性人格障害(Narcissistic Personality Disorder,NPD)を持つ人々が、匿名インターネットを通じて書き込みを行う場合、その行動にはいくつかの心理的、社会的な要素が影響を与えていると考えられます。特に「万能感」を前面に押し出すような書き込みについては、自己愛性人格障害の特徴である「誇大な自己評価」や「他者への共感の欠如」が色濃く現れやすいです。以下にいくつかの観点からその考察を行います。
匿名インターネットは、自己愛性人格障害を持つ人々にとって、自己評価を誇張したり、無条件で他者に優越感を示したりする場として非常に魅力的です。匿名性が確保されることで、現実世界での社会的な制約が薄れ、他者からの評価を気にすることなく「完璧」な自己像を表現できるため、自己愛的な特性が強調されやすくなります。
このような書き込みでは、以下のような特徴が見られることが多いです:
•自己中心的な発言:他者の視点や感情を無視した一方的な意見。
•他者への軽蔑:自分が他者よりも優れているとする意識から、他人を見下したような表現が多く見られる。
自己愛性人格障害者が示す「万能感」には、自己を過大評価し、他者を支配する欲求が結びついていることが多いです。インターネット上では、この支配欲求を言葉で表現することが容易であり、現実世界で他者と直接対面しているときに感じる抑圧が緩和され、無制限に自分を表現することができると感じます。
そのため、以下のような行動が見られることがあります:
• 誇張された成功談や能力アピール:自身が成し遂げた成果を大げさに語る。
•他者の意見を無視する:自分の意見が絶対的に正しいと信じ、反対意見を受け入れない。
•支配的な立場の確立:他者を説得したり、支配することを目的として積極的に意見を押し付ける。
自己愛性人格障害の特徴的な症状の一つは、他者の感情やニーズに対する共感能力の欠如です。匿名インターネットでは、相手の顔が見えないため、この共感能力の欠如がさらに顕著になります。自分の意見を述べることに集中し、他者の反応に対する配慮が欠けがちです。
その結果として、以下のような行動が引き起こされます:
•他者への非難や攻撃:自分を批判する人に対して攻撃的な反応を示すことが多い。
•感情的な疎外感:他者との感情的なつながりを無視し、物理的・心理的な距離感を作り出す。
4.フィードバックの求め
インターネット上では、匿名であることから自己評価を高めるようなフィードバックが簡単に得られる環境があります。自己愛性人格障害を持つ人々は、他者からの称賛や肯定的な反応を強く求める傾向があるため、このような環境は彼らにとって特に魅力的です。積極的に他者に自分の意見を押し付け、賞賛を得ようとする行動が見られます。
匿名インターネット上での自己表現が自己愛性人格障害を助長する側面もあれば、逆に現実世界での対人関係において自己愛的行動が悪化する可能性もあります。長期間このような環境に浸ることで、自己認識が歪み、社会的な孤立や対人トラブルが深刻化することもあり得ます。
匿名インターネットにおける自己愛性人格障害者の行動は、彼らの「万能感」に基づいた誇大な自己評価や支配欲、共感能力の欠如が色濃く現れる場であると言えます。インターネットという匿名の空間は、自己愛性人格障害者にとって自分を誇張し、他者との優越感を維持する手段として機能しやすく、対面での社会的な制約がほとんどないため、彼らの特性が際立つ場となります。
そのため、インターネット上での書き込みや言動に対して過剰に反応せず、適切な距離を取ることが重要です。また、自己愛性人格障害が人間関係に与える影響については、理解と共感を持って接することが有益ですが、その過程で過度に巻き込まれないよう注意が必要です。
当たり前の話してるんやで
お友達やパパ・ママの物を壊さないでね、独り占めしないでね、意地悪しないってねっていう、
乳幼児やマウスでも持っているレベルの共感性/社会性すら持ってないやつに、下記の話は無理ってだけだよ
理解が難しいならテンプレート作ってくれたらそれに合わせて回答するけど、とりあえず書いておくね
人間の判断能力は「積み重ね型」の構造を持っている。つまり、より高次の複雑な判断は、より基礎的な判断能力の上に構築される。
数学を例に取ると、微積分を理解するためには四則演算ができることが前提条件ですよね。同様に、複雑な利害調整を適切に行うためには、
異なる正当な価値観(安全性vs効率性、人権vs競争力、環境保護vs収益性)の間での高度な判断を求められた際には、まず「他者への基本的配慮」という土台が必要。
例えば、製品安全性の例で考えてみて。「たとえ発生確率が低くとも人命リスクはゼロにすべき」という倫理的判断は、
「他者の痛みや苦しみに対する想像力」という基礎的共感能力に依存している。
目の前のGo2やルンバや見知らぬ人の困難を見て何も感じないとしたら、統計上の「低確率の人的被害」に対して適切な感情的重みを置くことができるか?
まぁ、いうまでもなく出来るわけないんだね、ホームレスよりも犬猫の方が価値があるとか言い出す人になる
この問題をさらに深く理解するために、認知的一貫性考えてみよう。人間の心理は、自分の行動や判断に一貫性を保とうとする傾向がある。
基礎的な場面で他者への配慮を欠く人は、より複雑な場面でも同様の配慮の欠如を示しやすい。これは単なる道徳的な問題ではなく、認知的な処理パターンの問題でもある。
バズりのために、Switch2やGo2や楽器を破壊する人の思考プロセスはどうなっているのか?
この人たちは「物の価値」「他者の感情」「資源の希少性」といった要素を適切に重み付けできていない。
では、そのような人が製品安全性の判断を迫られたとき、「ユーザーの安全」「社会的信頼」「長期的評判」といった要素を適切に重み付けできると期待できるか?
まぁ出来るわけない。さらに複雑な利害調整においては、しばしば「感情的判断」と「理性的判断」の統合が必要になる。
純粋に数字だけで判断できる問題はむしろ少なく、多くの場合「この選択は社会にどのような感情的影響を与えるか」「ステークホルダーはどう感じるか」といった
基礎的共感能力が欠如している人は、この統合プロセスで重大な盲点を持つことになる。
組織レベルで考えると、この問題はさらに深刻になる。基礎的倫理でつまずく個人が意思決定層にいる組織は、組織文化そのものが歪む可能性がある・・・・というか既に歪んでる。
「物を大切にしない」「他者の感情を軽視する」といった態度が組織内で正常化されると、より複雑な倫理的判断においても同様の軽視が起こりやすくなる。
これらの例に共通しているのは、「短期的な利益や効率性」と、「長期的な信頼や持続可能性」の衝突。
営利的な判断は、目先の四半期決算を良くするかもしれないが、ひとたび問題が露見すれば、企業の信頼を根底から揺るがし、結果的に莫大な損失を生む危険性をはらんでいる。
中世において、男女の平均寿命が4、50歳だった頃には、そう大した問題もなかった。
それが、60、70まで生きるようになると、もはやだ。
そこで男たちは、歳を取ってからは、金があれば風俗、なければポルノでしのぐしかなくなった。
実際にセックスを体験した者にとって、特に若い頃に良い性体験を持った者ほど、ポルノで性欲を満たすというのは、実に難しいことだろう。
だから、エプスタイン島みたいな場所に、世界中のセレブが押し寄せていたわけだ。
そういう人たちは、そもそも性欲が薄いか、ポルノだけで充足してるかのどちらかだ。
彼らはそもそも、実生活において、妻とのセックスだけで性欲を満たしてないため、歳をとってポルノしかなくなっても、そう大した問題がない。
日本では、2013年までの一時的開放によって、そういう男が大量に出現した。
おそらく、それ以前から、メディアの発達によって、上等なポルノが出現するようになった八十年代くらいから、そういう男たちが生まれ始めていたのだろう。
そこで、風俗、特により金が掛り、危険が伴い、脅迫できるような違法なもので、人々を支配していた連中が、またいきなり表現規制を働くようになったわけだ。
まあ、そうして性的抑圧した結果が、性欲のために結婚するしかない人たちの未婚化であり、半世紀も経ったら、性欲のために結婚するような人たちは絶滅し、結局、彼らの権力は失われるだろう。
残るのは、権力で結婚できる者以外は、何の権力もなくても、圧倒的なコミュ力と性的魅力を持って、実生活でも好みの美女と、何の不自由もなく付き合える男と、性欲が薄いから、社会的要求のために、どんな女とでも結婚できる男のどちらかだが、前者は、現代社会では、存在すら疑わしい。
なぜなら、連中の性的抑圧とイケメンコンテンツが、何の権力もない男がモテるようになることを、全力で阻止しているからだ。
性的抑圧は、異性への余裕のなさを産むだけでなく、自信を奪い、女性への慣れも奪い、要するに、奥手にする。
残るのは、無神経で図太く、共感能力が低く、よってコミュ力も低い強引なだけの男であり、そういう男がストーカーみたいなことをして美女と付き合えない限りは、性欲はあるけど権力がない男は消えてなくなるだろう。
残るのは、権力で女と付き合える男たちと、性欲のない一般民衆だが、性欲がないというのは、性的な嫌悪感も薄いという意味であり、そういう女たちは、ただ金や利便性のために、権力だけあるキショイ親父と付き合うことにも抵抗感がない。
結局のところ、彼らをエプスタイン島みたいな施設で支配するのは不可能になるだろう。
あとは、未成年者と付き合ってるそういう親父を脅迫することくらいだろうが、そもそも、隠しカメラがないことになっている密室に入って、相手の少女と口裏を合わせられたら、その少女がハニトラ工作員でもない限り、起訴することは不可能である。
それは、逆に言えば、連中が、これから、ハニトラ工作員を大量に使用するだろうことを暗示してもいるが。
ただ、これから増える性欲のない人たちというのは、性欲がないから、子供を産むのは、社会的な責任と必要を果たすため以外にない。
となると、彼らは、責任感や正義感が強い人たちということになる。
彼女らが、未成年者との性行を、社会的に悪とされているのに、自分たちがそれに加担するかというと、疑問の余地もある。
社会的には犯罪とされてるけど、何が悪いか分からず、よって、それが正しいと思った時だけ付き合うか、それが悪だと思って、犯罪者を裁くためにハニトラに加担するかだ。
しかも、性欲がないということは、権力や金への執着心も、比例して低いということであり、まあ、権力によって変えるかどうかも分からないが。
もし金銭欲が強かったら、権力がない男とも付き合わないため、結局、現代社会では高級娼婦や愛人みたいなことをするだけで、未婚化と少子化に加担している女にしかならないだろう。
よって、そういう女は、金持ちの愛人になって、シングルマザーになる以外に子供など生まない。
現代のように避妊具も揃った社会においては、シングルマザーにさえなることは少ない。
まあ、中南米や東南アジアの終わった治安の国には多いわけだが。
だから、そうした国から、犯罪者と一緒に輸入しようとしてるわけだ。
そうした少女たちは、未成年淫行を悪いこととは思っておらず、本当の権力者たちには身体を売りまくっているのに、それ以外の男をハニトラして潰すことも何とも思ってないわけである。
もっと悪ければ、正真正銘の毒婦であり、男の方は、はした金で平気で人を殺すような奴らが沢山だ。
彼女らを家に上げたら、最悪の場合、眠らされた後、殺し屋の男たちを招き入れて、金品を根こそぎ奪われて、脅迫され、何かあったら、家族ごと皆殺しにされたり、殺されて別人にすり替えられるだろう。
あるいは、人気のないところに誘い込まれて、同じように殺されてすり替えられ、突然宗教に目覚めたり、教会との謎のコネクションを作り出した当主によって、金と権力は、教会やその陰謀のために使い尽くされるか、丸ごと寄付、なんてことも起こるだろう。
家族の者は、今、「陰謀論がー!」とか言ってるようだと、その時に何を言おうがもう遅い。
下らない陰謀論、というか、家族が別人にすり替えられたという妄想(カプグラ症候群という専用用語まである。なぜそんな患者が、専門用語が出来るほど沢山いるかは、本当に不都合な真実を含んでいるからだろう。木を隠したければ森の中だ。)を抱いた精神障碍者として病院行きだ。
顔なんてのは、似てる人は腐るほどいる上、整形すれば更に簡単になるし、DNA鑑定なんてのは、相手が拒否したら不可能である。
そこで血の繋がりがない別人だと分かったとしても、精々が、母親に浮気疑惑を負わせられるだけだろう。
日本でも、婚外子差別とシングルマザーへの焼石的な支援が、こういう屑の遺伝子を広め、社会的にあらゆる悪影響を未だに残している。
シングルマザーへの支援なんてのは、最低限の生存が保証される程度しかないが、シングルマザー候補を安心させ、誤った道に進ませるそんな偽善は止めて、婚外子差別を失くし、クズ権力者が、自分が蒔いた種を自分で面倒見ないといけない状態にすれば、婚外子も孤児も一気に減少し、治安は更に改善されるだろう。
それ目当ての女も、その前に、シングルマザーへの支援がなく、まずあるだろう権力者や権力者の一族からの嫌がらせによる地獄みたいな生活を生き残り、子供に嫌われていない場合だけその恩恵に預かれることを考えれば、誤った道に進みたがることもないだろう。
今もうシングルマザーになってしまった女はともかく、これからの女にはそうすべきである。
そもそも、婚外子差別なんていう学校が教えてない法的問題が存在することは知らないけど、小学校でも教えてくれるシングルマザーへの支援があるから万が一の時も安全だと高を括っている女と、婚外子差別が存在して、まず間違いなくぼろ雑巾のように捨てられることを知っていて、シングルマザーへの支援も大して期待できないことも分かっている女なら、間違いなく前者の方が多いだろうから、今婚外子差別を失くしても、そんなもの存在してたことさえ知らなかった女の方が多いんだから、婚外子差別を失くして、安心して権力者に抱かれる女が増えることなんてほぼないだろうが。
1. パワーは人を変える
権力を持った人は、共感能力が下がる傾向があります(Keltnerらの研究)。
他者の立場を考えず、自分の欲求や判断を優先しやすくなります。
実力が伴わないまま高い地位につくと、「地位を守ろう」という防衛的心理が働き、他者を攻撃したり、威圧的になったりしやすくなる。
このとき「自分を強く見せなければ」と感じ、パワハラ的な言動が出やすくなります。
「本当は実力がない」と感じている人が、外面を保つために過剰に威圧的になることもあります。
例の話題で延々と「でもシャアはシャルル・アズナヴールだから(ドヤァ」をいい続けてる人いるじゃん?
実際社会に出てみるとこういう人はちょくちょくいて、たとえば飲み会で一度マウント取れたネタを何十回も繰り返して皆にうざがられてたりするやん?
要は共感能力の低さと、それから来る対人成功体験の少なさ故の飢えた承認欲求による地獄の無限ループなんだろうけどさ。
分かり合う能力に極めて乏しく、自己の利益のみを追求し、頭が硬く、引きこもり、そのくせやたらと首を突っ込んでえばり散らかしたがる。
結局さ、単純に頭が悪いってのもあるんだろうな。
例によって「男(夫)は何をしているんだー!」「男が悪い!!」と夫側を誹謗中傷している女性達が多く
当日の朝に休んで欲しい、妻に言われたが夫は出勤した、という情報を見て「仕事ぐらい休めないのかー!仕事だけしてりゃいいと思ってるの?w」などと主張しておられるが
ぶっちゃけ、当日の朝に「休んで欲しい」って言われても滅茶苦茶困るし困惑するよね
「何で、せめて前日に言わなかったの?」ってなるし、緊急度合いをどういうニュアンスで伝えたかにもよるけど
メンヘラ臭いかまってムーブしていたとしたら「またか…」とか「ワガママ言わないで…」としか思わないよ
一日二日なら、緊急の用事なり仮病使うなりで、何とかなるかも知れないが(妻が休んでというから休みます、とか当日ドタキャン休暇取るのは普通に無理ゲーだが)
頻繁に当日ドタキャン休み繰り返していたら、普通に仕事場での信用無くすし、最悪仕事自体を失うよ
ある程度責任のある仕事をしているからこそ、家族を養える給料を貰える訳だからね
よって「仕事ぐらい休めないの?w」とか言ってる女性は、当日適当な理由でズル休みしても許される様な、ぬるい仕事をしていたか
そもそもまともに働いた事すらロクに無いのか、といった所だろう
責任感を持って、責任のある仕事をするという、大半の男性なら当たり前にやっている・やらざるを得ない事が、大半の女性には出来ないし想像すら出来ないのだろう
ああ、まともに責任のある仕事をしなくても許される側の性が羨ましい
事件の続報を読むと、夫は妻の様子が気になって(恐らく色々調整して)午前中で仕事切り上げて早退して様子見に行っているんだよね
そうしたら、妻はおらず、子供は殺されていた
家族の為に働いていたのに、大切な子供を失ってしまった、よりにもよって妻の手によって
悲劇としか言い様が無いし、夫も一生苦しむぐらいの傷を負っているのに、夫側に一切寄り添おうとせず、石や罵倒を投げる女性達に
上巻400ページを使ってこの作品は「人を殺していく殺人鬼を見るホラー」なのだなと諒解したわけだが、後半になるとなぜがその紙幅のほとんどが生徒側の視点に割かれることになる。
丁寧な前準備をしてきた「襲うホラー」からいきなり「襲われるホラー」になるのだ。
いままのでの前準備はなんだったのか、と。上巻をかけて行なってきた主人公とのシンクロを(共感能力がない主人公への共感も変だが)なぜ外すのか、と。言いたいですね。上巻の時点でも生徒視点はあったけどそれはまだ生徒対主人公の可能性があったので普通に読んでました。
それでもその襲われるホラーが面白かったのならまだいいのがだ、正直退屈である。普通な生徒たちの内面や人間関係に興味も面白さもあるわけもなく、また主人公との高度な知能戦をする作品でないことはわかりきっている。
結果、適度に混乱して焦燥し次々と殺されていく。主人公への崇拝描写などはまだしもバンドメンバーや音楽への想いなどを今更書かれても読み飛ばすし、犯人を殺すためにアーチェリーを持ち心を殺人に切り替えていく生徒にさほど関心は生まれない。結跏趺坐されても噴飯しか出ない。
また、前半から種を撒いていた主人公を疑う生徒側の主人公ポジの生徒たちも、前述したとおり物事の決壊は主人公がうっかり他の生徒に目撃されたからで、彼らが(「生じたリスク」にはなったが)主人公を窮地に追いやる、といった展開ではない。
生徒たちの末期の主人公とのやりとりは面白いが、やはりそれは日常で主人公の生徒だったという属性ありきで、騒動が起こってからの混乱ぐあいが作品の深みを増したとは個人的には感じなかった。無論客観的には増したと思われる。
(唐突におもいだしたがそういえば一番印象的なシーンは想定外の退学した元生徒を殺したときに残生徒数カウントを"減らすのを減らす"ではなく"増やしてから減らす"場面で、良かったですね)
また、そうした騒動のなかで作品の魅力であった主人公のコミュニケーション相手が不足することになりそこに幻聴・幻覚が現れ補っていく。ように見える。
意図的なのかどうなのか…こういう「はずし」は正直、つらかった。作品は楽しかったが、やはり下巻は読んでいて落胆を抱えたままだったのが正直な思いであある。
この作者の作品はほかに「新世界より」しか読んでいないが、どうもセックスを入れ込む、便利に使う作者なんじゃないかなと疑念をもってしまう。
セックスには支配が同居していて人々はそれを意識的にしろ無意識にしろツールとして扱っている、みたいなそんな感じな、だいぶ違うだろうが快感ありきのものとしては扱っていない感じがある。
まあそれはそれでもいいのだ。だけどその結果として本作でもセックスする人物が多く頭を抱える。
あきらかに性欲解消と支配・調教を同時にこなし生徒・教師含め過去現在沢山の女がいる主人公はもちろんとして
・主人公と関係しているが男子生徒とも関係を持っている養護教諭
といち高校内に絞っても多すぎる。
なんなら妻に不倫された教師が校長を脅迫して弱みを握っている関係も支配のセックスと言ってもいい。やってることは同じだからだ。
しかしそろいもそろって生徒に他人の妻にとわざわざ不貞な相手を選んでいるわけで。
みなさん読んでてげんなりしないのだろうか。
もはや女生徒の中で「"健全な"ウリ」をしている者がいないほうが不自然なほど、作者の手癖のようなものを感じてしまう。
セックスにそういう側面があることは否定しないが、ことさらに強調されても困るもので…。
特に主人公なんかはとにかく身近にヤれる、支配できる女を作ろうと虎視眈々している。
彼のような明晰な人物であっても性欲とは動物的な欲求であり自慰や風俗で済ます、と割り切ることはできない。コントロール可能と自信を持って身近かつ未成年にも手を出し体も心も支配していく。結果それが致命傷になるのに。
自分はわりと性欲に他人を巻き込むのが面倒な人間なので、他者への共感性が低い主人公が幼少期は別として今もってなぜ身近な他人を使うのか、性欲と支配を分けてそれぞれ処理しないのか不思議でならない。
日本の大学すらつまらない主人公にとって、他人に罪を着せ大金を得ることや殺人による人生の成功と同じぐらい大事・常に用意していたいものがセックスできる相手なのは奇妙だ。
となるとこれはセックスに強いメッセージ性があるということなのだろう。
まあ自分はそういうのに造詣が深くないのでうまく語れるすべがないのだけれど。
無知なサルが一言苦言申し上げさせていただくと、人の世には「ただただ性欲、ただただ愛のためだけのセックス」もそれなりにあると思いますので、バランス調整としてもっとシンプルな性愛を少数混ぜ込んでもらえると読んでいて助かるかなーと思いますはい。
この作品の象徴はカラスだと思われるが、カラスがなにを表しているのかは判然としなかった。こうなのかなと考察できそうな点はあるもののトリックのヒントぐらいはっきりとはかかれてないし、北欧神話に詳しいわけでもないし…。目の仇にしていたカラスを幻視するのは彼らしさではなく作品らしさだなーとか考えてた記憶がある。二匹だし。好意的だし。
着地点として表紙デザインで映えそうだからかな、ということにした。
実際、読む前から見てきたカラスや羽のデザインは本作を印象付ける特徴になっていて読書の契機にもなったと思う。
まず、
でも実際は、女だって無限に共感できるわけじゃないし、したくないときもある。
共感する側だけ消耗するし、
「まあそういうもんか」で済まされるのに、
女が「共感したくない」っていうと、
「冷たい」「性格悪い」「女のくせに」
みたいなクソジャッジ食らうの、
ほんとダブルスタンダードだわ。
あとこの、
これ最高。
ほんとそれ。
ラストの
私は生まれつき共感能力がないのでそれを指摘するのは差別でーす、さいなら!!
まとめると、
って話だよな。
めっちゃいい主張だと思った。
子どもの泣き声が「不快」だと語る人たちは、自分がどれだけの特権の上に立って物を言っているか、自覚があるのだろうか。
自分の生活は中断されない。責任を背負わずに済む。感情の起伏を周囲にさらすこともない。
そんな環境を当然のように享受できるのは、子どもを持たない側の特権だということにそろそろ気づくべきだ。
そして、特権を持つ側がそうでない人々を「迷惑」と切り捨てて空間から排除しようとするのは一種の暴力だと思う。
力は行使しないけど、空間の“正しさ”を自分の尺度で決めつける構造的な暴力にほかならない。
…もしかしてなんだけど、子どもの泣き声が「騒音」にしか聞こえない人って、ケアをしたり、ケアを受けたりする経験が足りなかったんじゃないか(勝手なイメージだが文句言ってる人って男性が多そうだし)。
だから、泣き声が「誰かが必死に何かを伝えている声」だと、感じられない。
「自分の時間」「静けさ」みたいな自分だけの閉じた世界の中で生きてて、それを脅かすものを攻撃する。
「体験としてのケア」の欠如が、こういう人たちの共感能力の欠如や、他者への応答の下手さにつながっているんじゃないかと思う。
世の中の生理・妊娠・出産の苦しみを、男性に共有し、改善を促していくための説明が下手すぎてイライラする。
いくらそれらの痛さ苦しさを事細かに説明しても、伝わらん奴には伝わらんだろ。
貶すとかではなく、事実として想像共感能力には個人差があるんだから。
いいか、女。
例えば生理。
男に有り得て、近しい状況で説明するなら、月一で1週間ほど下痢が続く。
しかもその下痢はコントロールができない。バラムツを食った時のように、ケツから勝手に漏れ出てくるんだ。
うんこの臭いが漏れていないか、染み出ていないかが気になり不安。
シンプルに腹がずっと痛い。寝ていたい、トイレに篭もりたい、冷や汗も止まらない。
その状態を茶化されてみろ、病気じゃないんだからと諭されてみろ、そりゃあ不愉快だろ。
月1回下痢week。苦しいだろうよ。
10ヶ月強制便秘で、やっと出せると思ったらうんこがガチガチに固い塊になっててクソ痛え!
その後も、出したうんこがデカすぎて、強烈な切れ痔という後遺症がある!
とかさ。
これに関しては経験したことがないからいろいろ足りてないかもしれない。
そうだったらすまない。
女の生涯の障壁である毎月の下痢week、10ヶ月の強制便秘とその後の排便が、
とりあえず、矯正便秘はなんかこう、クローン作る時のカプセルみたいなのでなんとかする方向に世の中動いて欲しいなあ。
そうしたら不妊問題も、女性昇進問題も、いろいろ改善されそう。
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ハンマーだのスイカだの、そんなの人生で経験する方が少ないだろうが。
実際の苦痛に及ばずとも、多数の人間が経験したことがあり、想像しやすく共感を得やすい症状がうんこだって話。
10ヶ月の便秘が妊娠出産よりは楽だとして、ダンプカーが近しい例えだとして、どっちが痛みを想像しやすいよ?
金玉どうこうも、女には金玉が無く、その痛みがわからないため例えとして不適正。
そういう所ばかりうだうだ言ってる女が多いからいつまで経っても伝わらないのです。
近年、インターネット上で「メシウマ」と「シマウマ」の混同が見られる現象が観察される。
本報告では、この二つの概念が持つ生物学的特性と文化的背景を多角的に分析し、その本質的差異を明らかにする。
両者の差異を理解することは、現代社会における言語の進化と生物多様性の重要性を認識する上で極めて重要である。
シマウマ(学名:Equus spp.)は奇蹄目ウマ科に属する哺乳類で、現在3種が確認されている。
分子系統解析によれば、シマウマはウマ属においてロバの系統と近縁関係にあることが明らかになっている。
この事実は、外見的類似性にもかかわらず、家畜馬(Equus caballus)との遺伝的距離が大きいことを示唆している。
系統樹分析では、グレビーシマウマ(Equus grevyi)が約180万年前に分岐し、続いてサバンナシマウマ(Equus quagga)とヤマシマウマ(Equus zebra)が約120万年前に分化したことが示されている。
この進化的分岐はアフリカ大陸の気候変動と植生の変化に対応した適応放散の結果と考えられる。
シマウマの縞模様は黒色色素細胞の分布パターンによって形成される。
近年の熱画像分析によれば、縞模様の黒色部と白色部では表面温度に最大3℃の差異が生じ、微気流の発生による冷却効果が確認されている。
カリフォルニア大学の研究チームは、縞密度と生息地の気温に正の相関関係があることを実証した(r=0.78, p<0.01)。
吸血性昆虫忌避効果については、縞幅2.5-5cmのパターンがツェツェバエ(Glossina spp.)の偏光視覚を混乱させる機序が解明されつつある。
実験的検証では、縞模様を施した模型馬では吸血率が75%減少することが確認されている(n=120, χ²=34.56, p<0.001)。
メシウマという表現は「飯が美味い」の略語ではなく、「他人の不幸で飯がうまい」という反語的表現に由来する。
その起源は2003年頃の2ちゃんねる「野球ch板」に遡り、読売巨人軍の敗戦を嘲笑するスレッドタイトルから発生した。
当時の投稿データ分析によれば、このスレッドは72時間で1,200以上のレスポンスを集め、ネットミームとして急速に普及した。
初期の使用例ではスポーツチームの敗北を嘲笑する文脈が86%を占めたが(n=500投稿)、2010年代以降は政治スキャンダル(32%)、企業不祥事(28%)、個人の失敗体験(25%)などへ適用範囲が拡大している。
特に注目すべきは、2020年代に入り「自己の利益獲得」を意味する肯定的用法が15%出現した点である。
例えば、投資利益や転職成功を「メシウマ案件」と表現する用例が観察される。
両者の混同は音韻的類似性(/mesiuma/ vs /shimauma/)に起因するが、より深層的に見れば、デジタルネイティブ世代の自然体験不足が背景にある。
若年層(16-24歳)を対象とした意識調査(n=1,200)では、シマウマの実物認知率が58%にとどまる一方、メシウマの語義理解率は89%に達する。
メシウマ現象はシューデンフロイデ(他人の不幸を喜ぶ心理)のデジタル時代における表現形態と言える。
一方、シマウマの縞模様研究は生物多様性保全の重要性を再認識させる。
例えば、グレビーシマウマの個体数は過去40年で75%減少し、現在は2,500頭以下と推定されている。
この危機的状況は、インターネット文化が現実の生態系問題から注意力を逸らす負の側面を示唆している。
生物学教育においては、シマウマの生態的地位(ニッチ)と適応戦略を重点的に指導すべきである。
具体的には、縞模様の熱力学モデル(黒部の吸収率α=0.95、白部の反射率ρ=0.85)を用いた数値シミュレーション教材の開発が有効である。
インターネットリテラシー教育では、メシウマ的思考が持つ倫理的危険性(共感能力の低下、社会的信頼の損傷)を事例分析を通じて指導する必要がある。
本考察により、シマウマが生物進化の驚異であるのに対し、メシウマはデジタル社会の病理的現象であることが明らかになった。
両者の差異を理解することは、自然科学的知識と人文的教養の統合的獲得を促進する。