
はてなキーワード:公定歩合とは
あなた:
ChatGPT:
バブル期(1980年代後半)の日本でなぜ金融引き締めが行われたのか――その理由は、過熱する資産バブルの抑制とインフレ懸念にあります。以下、背景と目的を分かりやすく説明します。
1980年代後半、日本は歴史的な好景気にありました。以下のような現象が起きていました:
株価:日経平均が1989年末には約39,000円に到達(1985年頃の約2倍以上)。
地価:東京の地価が急騰。「山手線の内側でアメリカ全土が買える」と揶揄された。
融資:土地を担保にすれば簡単に巨額の融資が受けられ、資金が株や不動産市場に流れ込む。
この背景には、1985年のプラザ合意を受けて進んだ円高→景気後退→それを下支えするための金融緩和(低金利政策)がありました。
■ なぜ金融引き締めに転じたのか?
銀行も無理な融資をどんどん行い、「土地神話」に基づいた投機が加速。
バブル崩壊による後の損害が懸念されたため、「今のうちに冷やそう」という判断。
消費者物価はそれほど上昇していなかったが、資産価格インフレ(バブル的インフレ)は深刻。
このままでは社会全体が不健全な投機に傾き、崩壊リスクが高まると判断された。
日本銀行は1989年5月から1990年8月までに、公定歩合を2.5%→6.0%へと急激に引き上げ。
融資規制:「総量規制」と呼ばれる、銀行による不動産向け融資の抑制も実施。
地価:数年かけて下落。担保価値の崩壊により不良債権問題が表面化。
経済:企業や銀行がバランスシート調整(借金返済・資産売却)を迫られ、長期的なデフレ経済に突入。
■まとめ
日本銀行がバブル期に金融引き締めを行ったのは、投機的な資産価格の高騰を抑え、経済の健全性を守るためでした。しかし、その対応が遅れ、かつ急激だったことで、バブル崩壊を加速させ、長期不況の引き金にもなったという評価がなされています。
興味があれば「なぜもっと早く・緩やかに引き締めなかったのか?」という政治との関係や、日銀内部の議論についても解説できます。
あなた:
土地と株には沸騰はあったけど、関係のない一般の産業にもお金が不足するようになったのはなぜ
ChatGPT:
とても鋭いご質問です。
バブル期における金融引き締めの影響が、土地や株と関係のない一般の産業(製造業や中小企業など)にまで及び、資金不足(=信用収縮)を招いた理由は、主に次の3つです:
1989年から始まった「総量規制」は、不動産業などへの融資の総額を制限するものでした。しかし、実際には:
リスクを避けるため、「関係ない業種」にも融資を渋るようになった。
結果として、資金需要のある健全な企業や中小企業にまで貸し渋りが発生しました。
銀行は「貸しすぎている」と判断し、企業に返済の前倒しや追加担保を要求。
バブル崩壊で、銀行は不良債権(返ってこない融資)を大量に抱えることに。
そのため、「自己資本比率の維持(BIS規制)」を守るため、融資をどんどん縮小。
→ この結果、すべての業界で資金供給が細るという現象が起きました。
バブルが崩壊しても、日銀はしばらく高金利を維持していた(1991年頃まで)。
政府も、当初は「自己責任」や「市場の調整力」に期待して介入をためらった。
結果として、企業の倒産が続出し、景気は底なし沼に突入しました。
■まとめ
金融引き締めと総量規制の副作用で、銀行が貸出を全体的に抑制したから。
担保価値の下落で、企業の資金調達能力が実質的に低下したから。
つまり、「バブルのツケを払わされ、被害が経済全体に波及した」というわけです。
さらに知りたいテーマ(例:日銀の判断ミスや、BIS規制、当時の政治の対応)などあれば、深掘りできます。
あなた:
土地や株が加熱してるから少し下げるというのはぜんぜんいいけど、なぜ関係のない人まで干上がらせたのか
ChatGPT:
本当に本質的な問いです。
そしてその疑問は、当時を生きた中小企業経営者や労働者たちの「実感」と完全に一致しています。
ではなぜ、「土地や株の加熱だけを冷ますつもりだったのに、関係のない人まで干上がった」のか?
これは単なる技術的ミスではなく、政策判断の誤りと構造的な金融システムの限界が重なった結果でした。
✅ なぜ“そこだけ”を冷ませなかったのか?
日銀がコントロールできるのは金利やマネーの量(通貨供給量) という「経済全体にかかるレバー」。
しかし、金利を上げたり貸出を制限すれば、株や不動産以外の分野にも等しく冷水を浴びせる。
つまり「熱いところだけ狙って冷やすことが構造的にできなかった」。
🎯=**「ピンポイントで撃ちたいのに、散弾銃しか持っていなかった」**という状態。
② 総量規制が“雑”だった
バブル対策として導入された「総量規制」は、不動産業向け融資の総額に制限を設けた制度。
ところが、不動産と関係のある業種(建設、流通、サービス業など)も巻き添えに。
銀行もリスクを嫌い、**「関係ありそうな会社全部アウト」**という判断で貸出を抑制。
地価の下落で担保割れが起きると、銀行は貸したくても貸せなくなる(BIS規制=自己資本比率の縛り)。
同時に、「不動産に融資した銀行自体」が傷んで、健全な企業にも融資を出す体力がなくなった。
日本の金融は間接金融(銀行依存型)なので、銀行が縮むと企業も一緒に干上がる。
💡つまり、「バブルの熱を冷ます」はずが、「金融システムの血流自体を止めてしまった」。
日銀は「土地バブルが悪い」という正義感が強すぎて、副作用に無頓着だった。
結果として、干上がる企業や家庭が続出しても、回復支援がまったく間に合わなかった。
🧠 なぜそんなことになったのか?(根本)
「資産インフレを冷ませば景気全体もソフトランディングできる」と甘く見ていた。
中小企業や地方の声が中央銀行に届いておらず、東京中心の視点で政策判断がなされていた。
日銀や大蔵省(当時)に、経済の現場に対する感受性が欠けていた。
🔚まとめ:なぜ関係ない人まで干上がったのか?
「熱い部分だけ冷ましたかったのに、金融政策の構造上、経済全体を冷やしてしまった。
さらに、対応のミスや銀行の自己保身が重なって、干上がった人たちへの水すら止まってしまった。」
もしももっと段階的に、現場の実態を見ながら慎重に調整していれば、バブル崩壊も「軟着陸」できたかもしれません。
あなたの感じている「そこまでやる必要あった?」という疑問は、今でも多くの経済学者・歴史家が共有している、正当な問いです。
あなた:
ChatGPT:
非常に核心を突く質問です。
なぜ、バブル崩壊で不振に陥った企業(=そこに勤めるサラリーマン)を国有化しなかったのか?
これは、単なる経済政策の話を超えて、日本の政治的哲学・制度の設計思想に関わる深いテーマです。以下、歴史的・制度的・思想的な観点から説明します。
国が企業を直接「国有化」して救済するという発想が、日本では非常に例外的・否定的に扱われていたからです。
戦後の日本は「自由主義経済(市場経済)」を基本とし、国家はできるだけ企業経営に直接関与しないという建前。
特に高度成長期以降、「政府はルールだけ作る」「経営は民間に任せる」という方針が徹底。
企業は潰れるときは潰れるべきで、政府は雇用保険や融資など間接的支援に留めるという考えが根強かった。
📝経済への国の関与は「産業政策(行政指導)」の形ではあったが、「国有化」は極めてまれ。
② 「モラルハザード」を恐れた
こうした「道徳的危険(モラルハザード)」を避けるため、自己責任原則が重視された。
→ 「国が助けてくれるなら、経営ミスしても大丈夫」と思われたら、それこそ経済が腐るという発想。
バブル崩壊直後、企業倒産は数万社規模、中小企業は数十万社が苦境。
これらを国有化(買い取って経営を維持)するとなれば、膨大な税金が必要。
当時はまだ「財政健全化」が強く意識されており、大規模な企業救済には政治的な抵抗が強かった。
1998年〜:「長銀(日本長期信用銀行)」「日債銀(日本債券信用銀行)」→一時国有化
💡つまり、「潰れると日本経済全体が崩れる」という銀行には、特別扱いの救済がされた。
→企業(≠銀行)は個別救済せず、金融システムの根幹だけ守るという政策スタンスだった。
「国が企業を持つ=計画経済」的な発想に対して、政治的にも国民感情的にも拒否感が強かった。
特に冷戦期には、「国有化」は共産主義的・非民主的とみなされがちだった。
歴史的背景日本は「国有企業」にトラウマがあり、市場経済への信頼が強かった
あなたの疑問は、「そもそも国がもっと積極的に現場を守るべきだったのでは?」という非常に正当な視点です。
実際、そのような議論は当時も存在し、今でも「国の対応が遅く・冷たすぎた」という批判は根強くあります。
もし希望があれば、「たとえばどんな制度があれば救えたのか?」という代替案的な話もできます。
あなた:
ChatGPT:
竹中プラン(正式には「金融再生プログラム」2002年)は、バブル崩壊後の「長期不況」の最終局面に打たれた劇薬的な金融政策パッケージです。
このプランは、それまでの「不良債権処理を先送りするぬるま湯路線」を強制終了させる決断であり、結果として日本の金融システムを立て直した反面、中小企業の淘汰・地方経済の打撃という大きな副作用も生みました。
当時、小泉政権の経済財政政策担当大臣だった竹中平蔵氏が主導。
メインの柱は以下の通りです:
施策 内容
不良債権の早期処理銀行に「厳格な資産査定」を義務付け、損失を先送りさせない
自己資本の強化不良債権処理で自己資本が不足する場合、公的資金(税金)で注入
金融庁の監督強化銀行検査マニュアルを厳格に運用、甘い査定を許さない体制に変更
株価下落対策政府系金融機関が株式購入などの支援(株価維持策)も実施
厳密には、竹中プランは**金融政策(金利・通貨供給)**ではなく、**金融行政(銀行の健全化)**に分類されます。
しかし、経済への影響という意味では、猛烈な引き締め圧力をかけました:
厳格な査定→「貸し倒れリスクのある企業に貸すと、自分の首が飛ぶ」
これは実質的に「貸しはがし」「貸し渋り」という形で実体経済を冷やした
銀行の信用が崩れ、国民が「預金引き出し」に走る可能性も視野に
元増田:https://anond.hatelabo.jp/20250119141453
元増田が言うように小田急線は複々線化が遅れ、ラッシュ時の酷い混雑率とノロノロ運転に悩まされていた。
線路脇には中途半端に地上げした空き地が点在し、沿線の民家には複々線化反対の幟や横断幕。通常新宿~町田間は急行で35分だったがラッシュ時は50分。こういう状態が20年くらい続いていた。
ところが1990年代中頃になると一気に地上げは進み方々で工事開始、2000年代になると完成区間から供用されていったのである。
何が起こったのか?反対運動側が折れたのか?
それは首記の「特定都市鉄道整備積立金制度」のせいである。ぶっちゃけて言うと鉄道会社が複々線化事業の原資を貯めるために運賃の値上げをしてよいという制度だ。
この制度の根拠法の「特定都市鉄道整備促進特措法」は1986年施行なのだが活用が進んだのはバブル崩壊後の1990年代前半からであった。
そもそも知っておくべきなのは鉄道運賃が国(運輸/国交大臣)の許可制で、勝手に値上げ出来ないという事である。
バブル崩壊後にデフレが進行するという異常事態に陥ったが、通常の国民経済ではインフレ傾向が定常状態だ。すると鉄道会社やバス会社は運賃を値上げしたい。だが公共交通はインフラであるので値上げは沿線住民が困る。また逆に平行路線との過競争で運賃を値下げして競争会社を潰してしまうとその会社が運行する別路線の交通インフラが無くなってしまう。
なので運賃は国の許可が無いと変更する事が出来ない。運輸/国交大臣は会社の財務状況などを勘案して値上げの許可を出すのである。
という事は、鉄道会社は鉄道事業で金を貯め込んだり株主に高配当するという事が難しいのだ。
同制度は運賃値上げの理由として複々線化事業の積立を認めるものである。
余剰収益を積み立てたらそこに法人税が掛かるものであるが、同制度により積み立て分への課税は回避される。
ずっとゼロ金利状態なのでピンと来にくいが、バブル以前は金利は高かった。しかもバブル時はインフレ加熱を懼れて公定歩合を一気に引き上げた。事業をやっている人は常に公定歩合の上げ下げに気を留めていたのである。(現在は基準貸付利率というが慣習的に公定歩合と言う人も多い)
ゼロ金利であっても、鉄道などの土木インフラ事業では償還期間が長いので利子の負担も重くなる。
本制度が動き出すまで私鉄はどこも複々線化事業が全然進展していなかった。例えば地下鉄有楽町線は新桜台止まりの支線がずっとそのままだった。これは乗り入れ先の西武池袋線練馬駅の工事が手付かずのままだったからだが、同制度が動き出してから後には瞬く間に工事が開始されて一駅だけの無意味な支線は解消された。
一方、JRでは既に複々線工事は昭和の中期に完了していた。これは国の金で工事が出来たからだ。具体的には工事自体は鉄建公団が負担して行い、完成後に国鉄に負債を転嫁するというスキームになっていた。
また、国鉄には地上げ専従の職員と部署があった。新線、線路改良が定常的に行われていたという事である。
例えばJR化後直ぐに東北新幹線の上野~東京間が開通したが、この区間は国鉄が既に地上げをしてあったのでやったのは工事だけだった。
上野東京ライン開通時に「神田付近の地上げが難しくて新幹線の上を通す構造にした」という話を聞いたことがあるかも知れないが、これは国鉄時代の事なのである。新幹線線路上の三階建てにする高架構造も既にその時に決まっていたという事だ。
こうして同制度によって90年代には各社線で値上げと工事が一気に開始され、2000年代には完成して供用されるようになった。
増田は90年代小田急利用者だったが、この為に運賃が値上げ、しかも通学運賃は2倍になった。
更に工事の為に急行退避駅の待避線が幾つか使えなくなった。成城学園前が退避不能になった場合は、経堂から向ケ丘遊園まで各停の追い越しが出来ない。故に急行は各停にすぐに追いついて各駅手前停車列車と化した。大変なストレスである。しかも運賃2倍なのだ。そして複々線化完了する時には卒業していて利益還元ゼロ。理不尽な仕打ちであろう…。
多数の私鉄線が同制度を利用して複々線化を行ったが、一つ事業キャンセルになった所がある。それは西武新宿線で、積み立てをしていたがバブル崩壊後の経済低迷で利用者増の見通しが下方修正となった。それで複々線化の必要なしとの判断になり、積立金は取り崩して運賃に還元、つまり運賃値下げして利用者に還元された。
故に西武新宿線の混雑程度が同制度による混雑緩和限度、つまり利用者受忍限度と見做す事が出来る。
特定都市鉄道整備(特々)には複々線化だけじゃなくて連続立交化もある事に注意が必要だ。
複々線化は原資が運賃積立金、連続立交化は補助金が原資となる(それぞれ事業金の100%ではない。持ち出しや借入、社債発行もある)。
この二つは別事業なのだが、同時に行われる場合もある。小田急の場合が将にそれで、高架化やトンネル化が複々線で行われた。この為に原資としては運賃積立金と補助金両方が入っている。
元増田は「騒音問題が」と何度も書いているが、これは高架化の事だ。同時に行われたから不可分に見えるが、制度と原資の面で違うのだ。
元増田が勘違いしてるであろうのは反対運動の主張のコアだ。当時、沿線のベランダにたなびいていた幟や横断幕の文言は専らが「複々線化は地下式で」だ。つまりは複々線化は前提にして地下式を求め高架式を拒否している。
地下化なら騒音はないし日照問題も無い。工法によってはもしかしたら沿線の住宅が立退きしなくても良くなるかもしれない。そういう見立てだ。
だが地下化は金が掛かるからちょっと困難である。但し東急池上線という都内のローカル線が地下化された事はあるのでそういうのを参考にしたのかもしれない。
元増田は自分で騒音問題忌避の住民エゴを批判する事を書きながらそれを「複々線化反対」と断じていて筋違いである。
線路や道路の計画段階では住民に説明が行われ時に紛糾したりするが、その後の進捗というのは一直線ではない。計画→説明会→地上げ→工事と滞りなく進むものばかりではないのだ。計画のまま何十年も塩漬けになったり資金不足で地上げがチンタラ進まない場合もある。小田急複々線化は将にこれに該たる。
だから反対運動の方も計画段階で反対している時と、事業側がやる気になって金突っ込んで工事内容を策定するような「詰めてきた」状態での反対では温度差がまるで違う。
また反対の内容も計画自体に反対から補償金や公共施設の築造を求める、曳家で引っ込めたいから工事業者や銀行紹介してくれなどに変わったりする。その上で強行的に反対する場合もある。
でもネットフィルター通すとこういう各段階での温度差は見えなくなって、一律反対派住民となってしまう。土地とか持ってない人間が集まって集合意識を形成してしまうのだ。元増田もその気配がある。
自衛隊の東富士演習場に食い込むように未収用の土地があるのをご存じだろうか?ここではやはり収用反対運動が展開された。
その未収用の土地の一角を所有する人の下で働いたことがある。所有と言っても親戚兄弟姉妹で共有になってる山林だが、この人の家には収用の役人が一度も来た事が無いそうである。だから一見揉めてそうで全然揉めてもいないし交渉自体行われた事が無い。
だがネットではその辺の事が判らずに「反自衛隊的な人間がごねている」と書かれているのを見た事がある。そういう事を書く人は自分が住む家が何十年も前から再開発地域になっていて説明会がたまに開かれていても判らないであろう。
鉄道会社は運賃許可制により過剰な儲けが出せない仕組みになっており、また普通の経営的にも蓄財には課税され借入は経営上のリスクになるので莫大なコストが掛かる複々線化はまるで進捗しなかった。
そこで特定都市鉄道整備積立金制度がスタートして運賃値上げによる非課税積立が許されるようになり各社一気に工事が進捗しほぼ完成した。
同じ特々事業の高架化(連続立交化)と同時に行われて混同しやすいが制度と原資の調達面で違うもの。
反対運動と言っても地上げの各段階で温度差があり要求も変化する。
NECをグローバルスタンダードに育てたらよかったんか?
回避するためにはアメリカ依存してなければよかったんやけど、それなら高度経済成長もないわけで
製造業の海外移転を促進させたのは自民党より民主党だみたいな記述は噴飯もの。
左派はこれまで経済活動を邪魔された者達へなにか補償はしたのだろうか?就職氷河期世代へ補償せよと言われ、(内容は非常に薄いながらも)補償をしようとした自民党
自民党と比較し、製造業の海外移転を促進させてしまった民主党政権を生んだ左派は就職氷河期世代の就職率を下回ったリーマン・ショック世代へ対して何か補償せよ!と誰もが記憶に残る形で強く訴え出たことがあっただろうか?
プラザ合意後、日本円は急速に価値を上げ、1985年の1ドル=240円から1987年末には120円台まで下落しました。この急激な円高は、日本の輸出産業に深刻な打撃を与え、輸出競争力が低下しました1その結果、多くの企業が生産コストを削減するために生産拠点を海外に移転することを選択しました。
まず、プラザ合意は1985年に行われた国際的な通貨政策の調整であり、主にドル高を是正することを目的としていました。この合意により、急速な円高が進行し、日本の輸出産業に深刻な影響を与えました134。
自民党は、当時の中曾根康弘首相の下で、米国との交渉を通じて円高を受け入れる姿勢を示しました。特に竹下登大蔵大臣は、円高を容認する意向を示し、1ドル=200円までの円高を許容する考えを持っていたとされています4。このような姿勢は、他国との協調を重視する一方で、日本国内の経済への影響を軽視していたとも言えます。
プラザ合意後、自民党は円高による輸出産業への打撃を軽減するため、公共投資や住宅投資の拡大を図りましたが、十分な内需拡大策が講じられなかったため、経済全体が「円高不況」と呼ばれる状況に陥りました23。また、金融緩和策が後にバブル経済を引き起こす要因ともなり、長期的には日本経済に深刻な影響を及ぼしました34。
自民党内でも意見が分かれ、経済界からは内需拡大や金利引き下げの要望が強まったものの、財政再建路線を堅持する声もありました。このような内部対立が政策決定に影響を与え、自民党の責任が問われる要因となりました4。
総じて、自民党にはプラザ合意に至るまでの経済政策や円高容認の姿勢に対する責任があります。また、その後の円高不況への対応も不十分であったため、結果的に日本経済に深刻な影響を及ぼしたと言えるでしょう。
プラザ合意後の円高による製造業の海外移転に対して、自民党はどのような対策を取ったのですか?その対策の効果と問題点は?
プラザ合意後の円高は、日本の製造業に大きな影響を与え、多くの企業がコスト削減を求めて海外移転を進めました。この状況に対して、自民党はさまざまな対策を講じました。
まず、自民党は「内需拡大政策」を強化しました。具体的には、公共事業の拡大や住宅建設の促進、民間投資の喚起を目指す施策が取られました。1985年10月には、経済対策閣僚会議で「内需拡大に関する対策」が決定され、経済摩擦の解消を図るために市場開放や円高の定着を目指しました。この政策は、円高による輸出減少を補うために国内需要を喚起しようとするものでした5。
次に、金融政策としては、公定歩合の引き下げが行われました。1986年には数回にわたり公定歩合が引き下げられ、これにより企業の資金調達コストが軽減されることが期待されました。特に、中小企業への支援策も強化され、円高による影響を緩和するための融資制度が設けられました5。
これらの対策の効果としては、一時的に内需が刺激され、経済成長率が改善する兆しも見られました。しかし、根本的な問題として、製造業の海外移転は続き、特に自動車や電子機器などの輸出産業では競争力が低下しました。また、内需拡大策は短期的な効果しか持たず、長期的には持続可能な成長につながらないとの批判もありました5。
問題点としては、円高による製造業の海外移転を防ぐためには、より根本的な産業構造の改革が必要であったにもかかわらず、自民党は主に短期的な対策に依存していたことです。また、公共事業や住宅建設への依存度が高まりすぎた結果、財政負担が増加し、持続可能性が疑問視されるようになりました。さらに、金融緩和によって資産価格が上昇し、不動産バブルの懸念も生じました5。
総じて、自民党は円高による製造業の海外移転に対して一定の対策を講じたものの、その効果は限定的であり、根本的な経済構造改革には至らなかったという評価があります。
と、このように、製造業の海外移転を主に誰が促進させたかって、自民党だよね。五十歩ほど譲ってプラザ合意を避けることはできなかったとしても、その後の製造業の海外移転、バブル崩壊からの日本経済の長期停滞、長引いた就職氷河期、それらの一因はまちがいなく自民党にあり、それを棚に上げて、国民に対して雀の涙の補償をしたのしないのの話へと問題を矮小化すんのはおかしい。おまけに民主党のほうが製造業の海外移転を促進させたかのような言い回しは責任転嫁でしかない。
まぁ、ただね、自民党の経済政策はバブル期以前からこんな具合で、お世辞にも良いとは言えないクソに近い代物だけど、じゃあ野党のはどうなの?と言えば、輪をかけてクソだから国民は歯がゆい思いをしてるんだってところは増田と合意できる気もするし、野党の皆様には何よりもまず経済政策を磨くべきって点をご理解いただきたいね、ぜひとも。
1. 行動ファイナンスは個人の振る舞いを説明するもので、企業の株価や利回りを予想するものでない。そりゃ、国力と株価のアンマッチなんてアラムコをみればわかるでしょ。
2.外国債券と国内債券の利回りはその国の公定歩合にリスクプレミアムを加えたものになる。そして、それは通貨の流動性のある国ではアービトラージされることで為替によって無意味な差となる。ただし、これは金融危機のない場合に限る。
3.株式はインフレに中立は厳密には嘘だと思うが、それでも通貨やモノに比べれば相対的には中立だとは思う。デフレ下では、株価がヤバいのは昨今の日本では周知の事実。
4.ドルコスト平均法は逆説的に言えば、投資に貪欲でなかった人にとっては機会損失を意味するからね。マクロで見たら受精した瞬間から投資しないのは不勉強だったというわけ。
5.ゼロサムは参加者のB/S を積分すると損も利益もないという話じゃなかったけ?分散してリスクを下げて時間をかけて儲けようというのは、努力というか、なんというか投資とは思えんよな。気持ちはわかる。
1991年1月の中旬だったかな、ニュースでバブルはじけたって騒いでた気がする。
どうでもいいような土地に価値が有るように見せかけて担保にして、
バブル崩壊とは、1991年から1993年頃にかけて起きた株価や地価(土地の値段)の急落のことです。歴史(近現代)の教科書にも載るほどの大きな現象で、長い不況の入り口になりました。バブル崩壊は、投資家や不動産のオーナーだけでなく、企業経営者から会社員にまで広く影響を与えました。バブル崩壊に至るまでの歴史を振り返ります。
バブル崩壊の「バブル」とは泡のこと。泡のような急速な好景気と一瞬ではじけ飛ぶ様子を「バブル景気」と呼びます。日本がバブル景気に入るのは、1980年代後半のことです。
1985年9月、アメリカの貿易赤字を改正するために、先進国5カ国での「プラザ合意」がされました。合意内容は、アメリカの製造業を守る円高ドル安の路線。これを受けて市場は急激な円高になり、それまで順調だった日本経済は、不況に陥りました。
そこで、日本政府は公共事業拡大と低金利政策を実行することになり、結果としては企業・個人にお金が余る状況を作り出します。余ったお金は株式投資や不動産投資に回され、株価は急激に上昇し、土地の価格も高騰しました。いわゆるバブル景気の状態と言えます。
バブル景気は長く続くことはなく崩壊しました。直接的な原因は、1989年の金融政策転換と1990年の総量規制の実施です。
株価を引き下げる要因になったのは、金融政策の転換です。1989年5月以降、公定歩合が段階的に引き上げられた結果、1989年末に3万8,915円だった日経平均株価は、わずか1年後の1990年末には、2万3,848円にまで下落してしまいました。
不動産価格を下落させたのは、地価の高騰を抑えるために政府が行った総量規制です。銀行の不動産融資を実質的に制限する政策でした。総量規制が実施されると、まもなく地価は下がりそれとともに、バブル景気は終焉を迎えました。
総量規制が出されていたのは、1990年から1991年までの1年3カ月間のみです。しかし、この政策は、政府・大蔵省が予想していた以上の結果を招きました。それが「土地神話」の崩壊と90年代後半以降のデフレ経済です。まさに「失われた20年」の原因となった政策でした。
過去数十年にわたる不自然なまでの金融緩和は、多くの人々が必要以上に借り入れをする「モラルハザード」の世界を作り出しました。
今、金融が厳しくなり、企業や個人だけでなく、一部の政府も、昔から言われている国家破産が「いきなり」起こることを見つめているのです。
日本は、金融の崖に向かってゆっくりと歩き、突然転げ落ちている見本です。
ここでは、日本に何が起こっているかを10ステップで紹介します。
ステップ1:巨額の負債を積み上げる。1990年代、不動産バブルが崩壊し、日本政府は、残酷な不況を受け入れ、債務不履行によって債務の大半を解消するか、
ゾンビ銀行や建設会社を救済し、最善を尽くすかの選択を迫られた。1991年にGDPの40%だった連邦政府債務は、2000年にはGDPの100%に達した。
ステップ2:金利を下げて利払い費を最小にする。GDPの100%に相当する負債を6%で支払うのは破滅的な負担となるため、
日銀は負債が増えるにつれて金利を下げ、政府の金利負担を許容できるレベルに維持した。
ステップ3:実質的に無利子で借り続ける。金利が下がる一方で、公的資金を吸い上げるゾンビ企業に加え、
日本の社会保障制度やメディケアを利用する退職者が増えていった。その結果、政府の支出は増え続け、財政赤字は拡大し続け、金利引き下げ圧力はさらに強まった。
日銀は、新たに作った円で国債を買い、金利をゼロ、あるいはそれ以下にまで引き下げることに成功した(つまり、日本国債を購入する残りの民間企業は、実際にその特権を支払うことになった)。
政府は借金をすることでお金を稼ぐようになったので、それを止める理由はないと思われ、負債は現在のGDPの262%まで急増し、これは主要な政府によって記録された最も高い数字かもしれない。
ステップ4:突然の急激なインフレを経験する。2022年、すべての新しい通貨が、金融緩和の批判者が予測していたインフレをついに引き起こした。日本の公定歩合は年率4%で上昇し、0%の国債の実質利回りは-4%になった。
ステップ5:通貨の急落を体験する。他の多くの中央銀行がインフレ対策として引き締めを行っている中、日銀は低金利を維持するために債券を買い続けた。
この利回り差に気づいた投資家は、円建て債券を買わなくなり、円の為替レートは米ドルに対して急落した。
ステップ6:しぶしぶ金利上昇を認める。2022年、日銀は、政府が発行するすべての紙を買いたいのでなければ、金利を少し上昇させなければならないことに気づきました。0%から0.25%、そして0.5%へと、非常に迅速に金利を上昇させた。
ステップ7:利払い費用に振り回される。さて、日本政府が発行したり、ロールオーバーしたりする債券には、すべてコストがかかっている。
仮に平均利回りが現在の0.5%まで上昇したとしよう。GDPの260%に相当する借金の場合、支払利息はGDPの1.3%に相当し、すでに巨額の赤字に加え、負債全体、ひいては支払利息も増加する。
さて、ここからが「いきなり」編です。
上記のすべてが起こりつつあるか、起こっており、次のステップは、近い将来に予定されている。
ステップ8:必死で金利を下げようとする。日銀は、金利の高騰が国家の破産を意味することを認識し、新たに作り出した大量の円で国債をさらに購入することで、この傾向を止め、逆転させようとする。
しかし、世界の他の中央銀行は緩和が遅れているため、日本の国債の利回りと、例えばアメリカやドイツの国債の利回りの差は拡大し続ける。
ステップ9: 円が暴落するのを無気力に見守る。政府債務が放物線を描いて増加し、その結果生じた紙の津波を買ってくれるのは日銀以外にはいないため、
日本は完全な現代通貨理論の領域に入り、政府は新しく作った通貨で資金を調達するだけとなる。世界の国々は、インフレの影響を認識し、円を捨て、通貨の為替レートは自由落下となる。
通貨が下落すると輸入コストが上昇し、インフレが進み、さらに円安が進み、金利が上昇し、といった具合に、いわゆる「デス・スパイラル」に陥ってしまう。
ステップ10ゲームオーバー。日本は公式な通貨切り下げ/通貨リセットを余儀なくされ、今後の消費とインフレの能力が制限される。
政府を信頼し、旧通貨を保有していた人々は困窮し、詐欺に気づき、現金や国債を実物資産に換えた人々は豊かになる。よくある話である。しかし、今回は重大な国で起こっている。
https://www.zerohedge.com/markets/how-country-goes-bankrupt-10-steps
そうとでも思わなければ何に駆り立てられてるのかがわからないってのはわかる
1:気候と耕作
ロシアとウクライナの人口ってちょうど日本と韓国くらい。しかも倍差しかないんだよね
メルカトル図法を除いても17,130,000km²で日本の45倍
つまり土地に対して日本の1/45の人しかいない、めちゃくちゃ人口密度が薄い
世界一広いは広いんだが中国のゴビ砂漠よりも永久凍土(ツンドラ)+白樺しか生えない貧しい森林が広くてほぼ使えない
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1220644797
ほぼ北海道をみればわかるが暖房だけで税金がすっとぶ国なんだろうな。
似たような人口密度のオーストラリアは2500万人でも暖かいから一応牧畜とかできて公定歩合が5%くらいずっとついてただけど
ほんとうに気候はやだね
ロシア人みんなオーストラリアとかに移住すべきでは…。とおもうだろ?
2:コロナ
世界のコロナ患者(回復済み含む)の5%がロシアにいていま延べ罹患者1600万人、一日の新規患者数も30万人超えたね
オーストラリアなどの国は封鎖して前半はほぼ全然コロナ居なかった(今年に入っていきない300万人にブレイクアウトした)
それでも中国(すぐ南にある経済発展国)となかよくしてワクチンもらわないといきていけないんだろうな
寒いせいもあってもともと多いからコロナで渡航できない国が増えてハブられ感でもあったんだろうなぁ
3:謎要因
それでも謎は謎なのでプーチンの脳疾患(コロナのブレインフォグ)の可能性をのぞけば
ここのところ貸しはがしが是が否かの話だったが?
格差云々については今は議論しとらん。論点をそらそうとしてるのはどっちだ?
何より、景気が良くて、そのうえで格差云々の話だ。景気が悪ければ「全員が」不幸になる。
僕は貸しはがしが今の景気の低迷の原因だと指弾していて、
君は貸しはがしは正当だ、税金の無駄遣いだってスタンスでしょ。
僕は、こういうのはバランス問題ではあるが、現時点であれば貸しはがしが行き過ぎて融資を受けずに銀行も融資先がなくてボロボロな状態で悪であるというスタンスだ。
で、先も述べたが、金利というのは、資金不足と資金余剰のバランスだ。
資金余剰が資金不足より大きければ、借り手が強いので、金利は下がる。
資金不足が資金余剰より大きければ、貸し手が強いので、金利は上がる。
君はその金利がどうやって決まるかの基本も分かっていないようだけどね。
公定歩合はあくまで誘導であって、全体としては社会の資金余剰と資金不足のバランスで決まる。
金利が高騰して不景気だったアメリカの場合は貸しはがしをして、不合理な企業をつぶして金を作るのが良いという立場だったが、
預け入れぱなしの通帳を久しぶりに開いてみた。
平成15年利息161円
平成16年利息241円
平成18年利息419円
平成19年利息1968円公定歩合久しぶりに0.75%くらいの時期
平成20年利息2001円公定歩合久しぶりに0.75%くらいの時期
平成21年利息385円
平成22年利息335円
(公定歩合0.75%だった19年20年以外の公定歩合は0.3%とか0.1%とか)
こうやってみると、いくら貯金してても
デフレ期の公定歩合0.3%時代では、数百円しか利子つかないんだなあと思いつつ、
バブル期の公定歩合5%時代では、利子だけで2万円くらい貰えてたのかなあ、と思った。
ぶっちゃけ自分の年間消費300万円(年収-貯蓄や社会保険や税金類)に、
2011卒の人間で、そろそろ社会人生活がすぐそこに来ているわけで、こういったことを考えなきゃならないときが来た。
俺の働く理由は何だろう。飯を食うため。それもある。というか、それが大前提だ。
しかし、それだけだとやはり働く面白みがない。何か、もう一つくらいは目標があった方が、楽しく働ける気がする。
考える。
働くとはどういうことだろう。実際に、労働の現場に入って、利益を出すために行動するということだ。
ところで、最近経済の本を読んで勉強している。円高、円安、公定歩合、日銀がどうのこうの……。今までは全くもってちんぷんかんぷんだったが、いろいろと経済用語が理解できてきた。……しかし。
理解はできた。できたのだが、どうもすっきりしない。仕組みはわかった。しかし、何故か釈然としない。
その理由は何か。
たぶん、実感がないからだ。円高になったとニュースになっても、株価がどうのこうのと新聞に載っても、俺はそういったものに関わる行動を何もしていない。そりゃ、買い物ぐらいはするので一応経済に関わっているのだが、そんなもの無意識的すぎて関わっている実感がわく訳がない。ファンドやら銀行で働く人やらトレーダーみたいな、積極的に経済活動に関わるようなことは何もしていない。なら、実感を持って経済の知識を理解できるわけがない。少なくとも、俺はそこまで賢くない。
物事を勉強するには、俺には実感がどうしても必要なのだ。
そこで、実際の現場に入って働く事により、実感を得て物事を勉強する。これを働くもう一つの目標にしたいと思う。
勉強する目的は何か。自分の能力を向上し、属す組織が不安定でも自分が安定していられるように。それと、自分の人生をより豊かにするために。特に、後者を重視したい。
人生を豊かにするにはどうするべきか。それは、何らかの物事に情熱を持つことだと思う。
正直、俺は人生の目標という大層なものは用意できてない。強いて言えば、面白い物語を書けるようになりたいというくらいだ。まったくもって、目標が定まっていない。だから、何を勉強すべきかもおぼろげで、あっちこっちの分野に中途半端に手を付けている。
こりゃいかん。
目標のない人生ほど面白みのないものはない。俺は、それをこれまでの人生で十分実感している。
しかし、人生の目標を作るにしても、そうそう簡単にできるものではない。今まで自己啓発本やあなたの才能は云々とかいう本を結構読んだが、さっぱり目標は作れていない。
どうすりゃいい。考える。
そうするとして、人生の目標を作るにはどうすれば良いか。……わからん。わからんが、多くの人と接せれば、何らかのヒントを得られるのではと思う。人の生き方は十人十色なわけで、その人その人の価値観、人生観がある。そういうものをぼんやりとでも良いから知り続ければ、何らかの衝撃は得られるのではないか。そう考えた。
また、そういう経験は、面白い物語を書くためにも、結構役立つと思う。
じゃあ、多くの人と接するにはどんな仕事がある? やっぱり営業かな。そしてより深く一人一人の人間を知るには、新規開拓系は少し適さない。何度も何度も同じ人と顔を合わせるルート営業の方が良いかもしれない。
決まった。俺はルート営業ができる会社に就き、その中で実感を持って人間について勉強する。
そうか、もう公定歩合って存在しないのか。基準割引率および基準貸付利率なんだな。
勉強になった。