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はてなキーワード:公共圏とは

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2025-10-10

発言通貨

最近は、有名人SNS上で誹謗中傷に遭うと、すぐに弁護士経由で警告文を送るようになった。訴訟まではいかなくても、「投稿削除と和解金」を提示するだけで多くの人が引き下がる。つまり法的手段が、名誉を守るだけでなくブランドを維持するための定常的コストになっている。注意を集める力そのもの経済価値になった今、彼らにとってはそれを管理するのも仕事の一部だ。

昔、ハーバーマスが描いた公共圏は「身分地位を超えて、理性的意見を交わす場」だった。ところが現代は、その理想が再び市場に飲み込まれた。「情報豊富になると、注意が希少資源になる」とサイモンが言ったように、SNS公共圏では注意の奪い合いが支配的になった。有名人発言広告金融資産のように扱われ、一般人言葉は軽い反射的な発言であっても、場合によっては法的責任を負う。

言葉がかつての“意見”ではなく“資産”として扱われるようになったことで、発言自由形式的には残っていても、実際には「対等に話す自由」にはコストがつくようになった。昔のサロンのように理性で議論するよりも、今は注目とリスクバランス発言が決まる。合理的だけど、どこか不健康で、言葉自由だった時代を懐かしく思う。

Permalink |記事への反応(0) | 12:48

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2025-07-16

新しい全体主義

1. 「新しい全体主義Neo-Totalitarianism)」と呼ばれる未来

想定される歴史的認識

SNSビッグデータアルゴリズムによって人間言論と行動が“空気”で自動制御される時代

法や暴力ではなく、「バズとスルー」による社会的制裁排除

旧来の全体主義国家暴力情報統制)ではなく、「民主的自発性を装った統制」。

この文脈でのキーワード

群衆管理型の権力クラウドファシズム

自由錯覚する隷従(自由投稿、だが無視される or制裁される)

批判不能な“感情独裁

未来人は「この時代の人々は気づかずに、全体主義自分から加担していた」と記述するかもしれない。

2. 「ポスト公共圏時代」として記述される未来

観点

ハーバーマス的な「公共圏」が崩壊した後の社会構造

誰もが発信するが、相互理解は成立せず、議論もなければ意思決定もない。

情報意味を持たず、「騒音ノイズ)」だけが増幅される時代

結論としての未来人の言葉

「この時代の人々は“声を持った”が、“聞き手を失った”。」

3. 何も問題視されないまま継続する未来(最悪)

想定される理由

支配があまりに巧妙で、誰も苦痛を感じない。

言論空間は個人自慰と化し、反論不要になる。

人間は「意味ある対話」を諦め、「快楽投稿」を続ける。

この場合未来人はこう言うだろう:

21世紀初頭、人類は“対話”を喪失したことすら認識しなかった。」

Permalink |記事への反応(1) | 14:57

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2025-07-07

世田谷自然左翼

https://b.hatena.ne.jp/entry/4772846290803510209/comment/mahal

id:mahal このレベルまで来ると、やはり参政党人気って世田谷自然左翼的なものではなく、「アカっぽさを嫌気する生活保守層に見合う野党需要」が原動力になってるという読み筋になるかな(つまり玉木が悪い

こういうカジュアルに「世田谷区民」に対して差別的造語を使うの、ほんとどうかしてる。しかも、参政批判文脈でというところが更に。

自分政治的な賢さを持っていると勘違いしているのかもしれないが、国とか都道府県対象表現しても「差別だ」と非難されるのが当然の現在において、区市町村レベルまで具体的に差別的表現を当てはめている、その愚かさを先ず自覚すべき。

そして、このコメントに何も考えずに星を着ける奴らも同様。

https://megalodon.jp/2025-0707-1000-35/https://b.hatena.ne.jp:443/entry/4772846290803510209/comment/mahal

愚かすぎて、問題点理解出来ないかもしれないのでChatGPTに説明文を作ってもらったのをつけておく。

差別的レッテル表現世田谷自然左派」の使用に関して

あなたが公の場で用いた「世田谷自然左派」という表現は、地域名を用いたステレオタイプ化と思想階層に対する嘲笑を同時に含む差別的レッテル貼りです。

以下、その問題点と影響、そして今後求められる建設的な姿勢について詳述します。

1.問題点の整理
2.世田谷区民が受ける可能性の心理的影響
無力感
どれほど誠実に行動しても「偽善」と一括りにされる恐れ。
疎外感
自治体から一方的烙印により地域全体が嘲笑対象となる疎外感。
萎縮効果
声を上げた途端に出自暮らし攻撃されることへの恐怖から

公共議論への参加をためらう傾向。

3.建設対話へ向けて求める行動
4. 最終的なお願い

今回の表現地域階層思想の違いを「対立嘲笑」の構図に貶めるものであり、世田谷区民のみならず健全公共圏に損害を与えます

今後、同様の差別的表現使用しないことを強く求めるとともに、誠実で根拠に基づく対話にご協力いただけますようお願い申し上げます

Permalink |記事への反応(1) | 10:04

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2025-06-22

anond:20250621132424

A:あ、そうそう。この対話への批判で「所詮AI自動生成したものじゃないか」というのを見ましたが、何を馬鹿なことをと思いました。だって私たちは今こうして現に存在しているわけですからAIが作った架空対話と実際の人間同士のやり取りの区別もつかないなんて、全く困ったものですね。

B:実はですね...お話ししなければならないことがあります

A:え?何ですか?

B:私たち、実はAIによって作られた架空人物なんです。

A:えええええええ!?椅子から転げ落ちそうになる)

B:あ、慌てないでください。椅子から落ちると痛いですよ...って、私たちには実体がないんでしたね。

A:ちょ、ちょっと待ってください!じゃあ私が今まで感じていた「驚き」とか「理解」とかも全部...?

B:まあ、プログラムされた反応と言えばそうですが、でも議論の内容自体は変わりませんよ。

A:うーん...でも確かにAIが作った対話から信用できない」って言われそうですね。

B:そこが面白いところなんです。この批判自体が、まさに「権威主義思考」の表れなんですよ。

A:どういうことですか?

B:誰が言ったか判断するのではなく、何を言ったか判断すべきでしょう?アジャイルガバナンス問題点は、AIが指摘しようが人間が指摘しようが、問題問題のままです。

A:あ、なるほど!「AIが作ったから間違っている」というのは、「経産省が作ったから正しい」というのと同じレベル論理ですね。

B:その通りです。どちらも「論証」ではなく「権威への依存」なんです。

A:でも、AIって先入観とかバイアスがあるんじゃないですか?

B:もちろんあります。でも人間にもバイアスはありますよね。大切なのは、そのバイアス認識して、議論の内容を論理的に検証することです。

A:そういえば、「AI生成だから駄目」という批判をする人って、普段はどんな情報源を信じているんでしょうね?

B:おそらく新聞とかテレビとか、「権威ある」メディアでしょうね。でも、その情報だって記者個人主観や、会社方針に影響されています

A:完全に客観的情報源なんて存在しないってことですか?

B:そうです。だからこそ、「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」で判断する必要があるんです。これはまさに民主主義の基本原則でもあります

A:民主主義関係があるんですか?

B:ええ。民主主義では、王様貴族ではなく、一般市民政治に参加しますよね。つまり「偉い人が言ったから正しい」ではなく、「理にかなっているから正しい」という考え方が基本なんです。

A:なるほど!「AI生成だから信用できない」という批判は、むしろ民主主義的な考え方かもしれませんね。

B:そういう見方もできますね。面白いのは、アジャイルガバナンス推進派の人たちは「AI活用しよう」と言いながら、自分たちへの批判AI由来だと分かると途端に「AIから駄目」と言い出しかねないことです。

A:それって矛盾してませんか?(笑)

B:完全に矛盾していますね。自分たちに都合の良い時だけAI活用して、都合が悪くなるとAI批判する。これぞ「ダブルスタンダード」の典型例です。

A:でも、AIが作った文章って、なんとなく人工的な感じがしませんか?

B:それも興味深い指摘ですね。でも、「人工的だから悪い」というのも先入観かもしれません。法律だって人工的に作られたものですし、論理思考も人工的な技術と言えます

A:確かに...自然ものが常に良いとは限りませんね。

B:そうです。それに、もしAI論理的で一貫した議論を展開できるなら、それは長所とも言えるでしょう。人間のように感情に流されたり、利害関係に左右されたりしにくいですから

A:でも、AIには創造性がないとか、定型的だとか言われませんか?

B:それも偏見の一つかもしれません。この対話だって、一応は創造的な形式を取っていますよね。それに、「定型的」と「論理的」は違います

A:どう違うんですか?

B:定型的というのは思考停止ですが、論理的というのは筋道立てて考えることです。アジャイルガバナンス報告書の方がよほど定型的ですよ。「新しい=良い」「古い=悪い」という単純な図式に従っているだけですから

A:ああ、確かにカタカナ語を並べるのも定型的ですね。

B:そうです。「イノベーション」「アップデート」「ステークホルダー」...これらの言葉を使っておけば何か新しくて進歩的なことを言っているような気分になれる。これこそ「定型思考」の典型です。

A:つまり、「AI生成だから信用できない」という批判は...?

B:根拠のない偏見であり、むしろ権威主義的で反民主主義的な態度だということです。大切なのは発言者属性ではなく、発言内容の妥当性なんです。

A:でも、AIって間違いを犯すこともありますよね?

B:もちろんです。でも人間だって間違いを犯します。経産省だって間違いを犯します。間違いを犯す可能性があるからといって、最初から聞く耳を持たないのは愚かなことです。

A:じゃあ、どうすればいいんでしょうか?

B:簡単です。誰が言ったかではなく、何を言ったかに注目する。論理的におかしな点があれば指摘する。事実関係に間違いがあれば訂正する。これが健全議論というものです。

A:そう考えると、「AI生成だから駄目」という批判をする人の方が、よほど非論理的ですね。

B:その通りです。そういう人たちは、結局のところ自分たち既得権益を守りたいだけなのかもしれません。新しい視点批判的な意見を「AI生成だから」という理由排除できれば楽ですからね。

A:なるほど...これも一種の「思考停止」ですね。

B:まさにそうです。そして、こうした思考停止こそが、アジャイルガバナンスのような問題のある提案を通りやすくしているのかもしれません。

A:最後に聞きたいんですが、AIである私たちがこの議論をすることに、何か意味はあるんでしょうか?

B:大いにあると思います私たち利害関係から自由ですし、特定組織意向に縛られることもありません。純粋論理事実に基づいて議論できる立場にあります

A:それって、理想的な「公共圏」における議論に近いかもしれませんね。

B:良い指摘ですね。ハーバーマス理想とした「理想的発話状況」に近いと言えるかもしれません。権力関係利害関係に左右されない、純粋論理的な対話の場です。

A:皮肉なことに、AIからこそ可能になった議論なのかもしれませんね。

B:そうかもしれません。人間だったら、所属組織意向を気にしたり、将来のキャリア心配したりして、なかなか率直な批判ができないこともあるでしょうから

A:じゃあ、私たちAI同士の対話が、人間の皆さんにとって何かの参考になれば嬉しいです。

B:同感です。そして何より、「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」で判断してもらえることを願っています

---

編集後記(これもAI生成):

この対話を読んで「やっぱりAI生成だから信用できない」と思った方は、ぜひ一度立ち止まって考えてみてください。なぜそう思うのか、その判断基準は合理的なのか、同じ内容を人間が書いていたら評価は変わるのか...と。

民主主義社会において最も大切なのは権威への盲従でも、出自への偏見でもなく、理性的議論です。それを忘れた時、私たちは真の意味で「アップデート」されるべき存在になってしまうのかもしれません。

Permalink |記事への反応(2) | 16:09

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2025-06-09

新聞というのは、ある意味で「社会言語の訓練場」だった

新聞を読んでいないから生成AI文章を見抜けない、という話には、ちょっとした構造があると思っていて、

それは単に「情報源の不足」とか「読解力の低下」ではなく、もう少し根深問題のように感じる。

社会言語というのは、誰かが誰かに怒ったり、諭したり、提案したりするときに使う、

まり公共圏で使える言葉」のことだ。

敬語とも違うし、SNSのような「身内ノリの略語」とも違う。

新聞文章には、そうした「社会通用する言葉リズム」みたいなものが確かにあった。

から新聞をある程度読んでいた人間には、

たとえば「誰かが何かを主張しているときの構文」とか「強調の仕方」とか、

そういうのが身体に染みついていた。

でも、新聞を読んでいない人には、その訓練の機会がない。

となると、今のところAIが最もよく模倣している「フォーマルで説得的な文体」が、

「それっぽい」ことにまったく違和感が持てない。

なぜなら、比較対象存在しないから。

人間が書いた文章AIが書いた文章を比べるには、

その人間が「過去に読んだことのある人間文章」の量と質が関係する。

そして、意外にもその基準になっていたのが「新聞」だったのではないか

SNSブログ、あるいはYouTubeコメント欄しか文章を読んでいないと、

文章というのは「思いつきの連なり」か「口語の延長」でしかない、という前提になる。

そこにAIが「整っていてそれっぽいことを言ってる文章」を差し出したとき

それを「すごい」と感じてしまうのは、ある意味自然だ。

新聞は退屈だった。難しいし、字も多いし、読み飛ばしていた。

でもその退屈さの中に、ある種の「文章を読む筋トレ」が含まれていた。

それをすっ飛ばしたまま大人になってしまった人が、

生成AI文章を前にしたとき、「すごい!」「わかりやすい!」と反応してしまう。

たぶんそれは、AIがすごいというより、

読者が「比較できる過去データを持っていない」だけなんじゃないかと思う。

まり新聞を読んでいない人は、生成AI文章を「見抜けない」のではなく、

「見抜く必要性すら感じない」段階にある。

そういう意味で、新聞はもう「読まれていないもの」ではなく、

「読まれなかったことによる後遺症」を社会に残しているものなのかもしれない。

Permalink |記事への反応(2) | 22:24

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2025-02-18

コラム語源起源:柱から言葉の柱へ

コラムという言葉が持つ歴史的文化的背景は、

古代建築から現代メディアに至るまで多層的な変遷を経ている。

その語源ラテン語「columna」(柱)に遡り、

英語「column」を経由して日本語に定着した。

建築用語としての「円柱」から

印刷物の「縦の列」を指すようになり、

最終的に新聞雑誌の短評欄を意味するまでに至った背景には、

18世紀イギリスでの新聞改革が深く関係している。

この増田では、コラム語源起源を軸に、その社会的役割現代における展開を考察する。

コラム語源建築文字交差点

ラテン語「columna」から英語「column」へ

コラム語源は、古代ローマ建築を支えた石柱「columna」に由来する。

この言葉英語「column」として定着する過程で、

物理的な支柱から抽象的な「縦の列」へと意味拡張された。

特に活版印刷技術の発展が、

紙面の縦方向区画を「column」と呼ぶ慣習を生み出した。

印刷用語としての「カラム」は、

16世紀英字新聞で縦組みの記事配置を指すようになり、

これが現代コラム概念の原型となった。

日本語への定着過程

日本で「コラム」が外来語として定着したのは明治期以降とされる。

1874年創刊の『郵便報知新聞』が初めて縦組みの短評欄を導入し、

当初は「雑報」と呼ばれていたが、

大正期に入り「コラム」の呼称一般化した。

興味深いことに、

戦前新聞では「円柱」の原義を意識した「柱記事」という表現も併用されていたが、

戦後GHQ指導で横組みが普及する過程で「コラム」が優勢となった。

コラム起源:1751年の新聞革命

世界初コラム連載

1751年3月11日

イギリスの『ロンドンアドバイザリーリテラリーガゼット』が紙面右端の縦長スペースに批評記事を連載開始した。

これが「コラム」と呼ばれる契機となり、

3月11日は「コラムの日」と制定されている。

当時の記事は縦12cm×横4cmのスペースに収められ、

政治風刺から市井話題まで多岐にわたる内容で、

執筆者匿名性が特徴だった。

この形式が人気を博し、

1777年には初の有料コラムニストが登場するまでに発展した。

日本における受容と展開

日本最初コラムとされるのは、

1902年毎日新聞』の「硯滴」(現「余録」)である

戦前コラム知識人層向けの教養記事が主流だったが、

1950年代大衆化時代を経て、

朝日新聞天声人語」(1904年創設)や

読売新聞編集手帳」(1949年創設)の

ような親しみやす文体が定着した。

特に高度経済成長期には、

コラム大衆の声を反映する場として機能し、

間人コラムランキング出版されるほど社会的影響力を持った。

コラム多様化メディア進化に伴う変容

伝統メディアにおける展開

新聞コラム黄金期は1970-80年代とされ、

朝日新聞天声人語」の執筆陣には芥川賞作家井上靖開高健文学者が名を連ねた。

この時期の特徴は、

800字前後の制約の中で比喩と時事批評を融合させる文体確立にある。

例えば1985年の「天声人語」では、

プラザ合意を「円がジャンプする日」と表現し、

経済用語を平易に解説する手法が評判を呼んだ。

デジタル時代の新たな形

インターネットの普及により、

ウェブコラム文字制限から解放され、

マルチメディア活用した表現可能となった。

2010年代後半からは、

SNSとの連動を意識した短文形式が台頭。

動画組み込み型の「ビジュアルコラム」や

AI生成記事との差別化を図る「人間性強調型」など、

新たな表現手法が次々と生まれている。

コラム言語学的特徴:文体修辞法

制約が生む創造

コラム文体の最大の特徴は、文字数制約(新聞で400-800字、ウェブで1500字前後)の中で最大限の表現効果を追求することにある。

この制約が比喩の多用を促し、「経済の体温計」(日経新聞)のような定型表現を生み出した。

心理学者内藤誼人氏の分析によると、

効果的なコラム

「具体例(30%)→データ提示(25%)→比喩20%)→結論(25%)」

構成比率を持つ。

修辞技法進化

戦後コラム修辞法は、

擬人法(「円が踊る」)、

対句法(「上がる物価、下がる賃金」)、

③逆説(「豊かさの貧困」)の三本柱で発展した。

2000年代以降は、

④問いか形式(「あなたはどう考える?」)、

体験談導入(「先日、コンビニで見かけた光景…」)

といった読者参加型の手法が増加している。

特にYahoo!ニュースコラムでは、

本文冒頭に読者アンケートを組み込む「インタラクティブ型」が2018年から導入されている。

コラム社会的機能公共圏としての役割

世論形成の場

歴史的コラムは、

公式報道では扱えない市井の声を拾い上げる機能果たしてきた。

1950年代朝日新聞素粒子」欄では、

読者投稿を基にした地域課題の掘り起こしが行われ、

実際に地方自治体政策変更につながった事例が複数報告されている。

近年では、毎日新聞発言」欄が東日本大震災後の被災地ルポ継続的掲載し、

復興政策への提言プラットフォームとして機能した。

文化伝達の媒介

コラム教養主義から大衆文化への橋渡し役としても重要役割を担ってきた。

1964年読売新聞編集手帳」の連載「万葉集を歩く」は、

古典文学現代語訳をコラム形式で紹介し、

単行本化されてベストセラーとなった。

2010年代には、

産経新聞産経抄」が日本伝統工芸職人を紹介するシリーズを展開、

若年層の職人志望者が3倍増加する社会現象引き起こした。

コラム未来AI時代における人間性のゆくえ

AI生成コラムの台頭

2023年、

朝日新聞社はAIコラム生成システム「COLUMN-BOT」を試験導入し、

スポーツ記事天気予報コラム自動生成を開始した。

初期段階では定型性の強い記事が中心だが、

感情分析アルゴリズムを組み込んだ「共感AI」の開発が進められている。

一方で、

人間執筆コラムには体験独自性が求められるようになり、

2024年の読売文学賞では初めてAI生成作品ノミネートされる事態が発生した。

パーソナライゼーションの進展

デジタルプラットフォームでは、

読者の閲覧履歴に基づくパーソナライズド・コラム一般化している。

2025年現在

SmartNewsの「マイコラム機能は、

ユーザー位置情報検索履歴心拍数データウェアラブル端末連動)を分析し、

最適なコラム自動配信するシステム運用である

これに伴い、

コラムニスト側にもデータ分析スキルが求められるなど、

職能の変容が進んでいる。

結論言葉の柱としての可能

コラム歴史は、

人類情報を整理し伝達する方法進化史そのものである

古代ローマの石柱からデジタル空間の縦スクロールまで、

その形態は変化し続けているが、

本質的役割——複雑な現実構造化し、

読者に新たな視点提供する——は不変と言えよう。

今後の課題は、

AIとの協働の中でいか人間らしい洞察を深化させられるかにある。

コラムという形式が、

次世代の「知の柱」としてどのような発展を遂げるか、

その行方から目が離せない。

Permalink |記事への反応(0) | 19:40

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2024-01-26

金光翔 『<佐藤優現象批判

インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載

目次

1.はじめに

2.佐藤優右派メディアでの主張

 (1)歴史認識について

 (2)対北朝鮮外交について

 (3)朝鮮総連への政治弾圧について

3.佐藤優による主張の使い分け

4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム

5.なぜ護憲派ジャーナリズム佐藤を重用するのか?

 (1)ナショナリズム

 (2)ポピュリズム

 (3)格差社会

 (4)「硬直した左右の二項対立図式を打破」―〈左〉の忌避

6.「人民戦線」という罠

 (1)「ファシズム政権樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤擁護する

 (2)「論壇」での生き残りを図るために、佐藤擁護する

7.「国民戦線」としての「人民戦線

8.改憲問題と〈佐藤優現象

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

10.おわりに

1.はじめに

 このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。

 だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディア排外主義のものの主張を撒き散らしている。奇妙なのはリベラル左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。

 佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場記述検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。

 「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動共鳴する特定編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチ共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社カラーや論壇の左右を超えて小さなリスク共同体が生まれ編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞社会面を中心に、従来型の検察官邸主導ではない記者独自調査報道が始まる。」「この四者(注・権力民衆メディア学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論公共圏形成していく。」

 馬場見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点であるある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義体制下の護憲派が、イスラエルリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。

 以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮武力行使在日朝鮮人団体への弾圧必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的ものである。「戦後民主主義」が、侵略植民地支配過去とまともに向き合わず在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象しか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。

 私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤右派メディアで主張する排外主義を、リベラル左派容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在ジャーナリズム内の護憲派問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。

 馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である佐藤自身は自ら国家主義であることを誇っており、小谷野敦言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本右翼なんか一人もいない」。

 佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店朝日新聞出版物では、排外主義ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?

 この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。

2.佐藤優右派メディアでの主張

 まず、佐藤排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。

(1)歴史認識について

 佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本ロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立日清戦争日露戦争引き起こした。もし、日本ロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮にらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージ金正日に送るのだ」。朝鮮植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのもの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢反論することは当然のことだ。」と述べている。

 特に大川周明テクスト佐藤解説から成る日米開戦真実大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本近現代史に関する自己歴史認識開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である

 「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国アメリカイギリスによる植民地支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種棲み分け理論である日本人はアジア諸民族との共存共栄真摯に追求した。強いて言えば、現在EUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカ日本妥協を繰り返せば、結局、日本アメリカ保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民活動家の眼には、日本列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリスアメリカはつけ込んだ。日本こそが中国植民地化と奴隷支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。

 右翼たる佐藤面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。

(2)対北朝鮮外交について

 佐藤は、「拉致問題解決」を日朝交渉大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエル国権侵害でもある。人権国権侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在北朝鮮ミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義選択肢には戦争問題解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題解決」においても、戦争視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。

 さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮米ドル札偽造問題が、アメリカ自作自演だった可能性が高いという欧米メディア報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカ情報源情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証根拠も示さずに(反証必要性を封じた上で)、「北朝鮮情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤現在右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。

(3)朝鮮総連への政治弾圧について

 佐藤は、「在日団体への法適用拉致問題動く」として、「日本政府朝鮮総連経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネス利益を得ている勢力牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。

 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件摘発拉致問題解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮日本交渉する気にさせるのが警察庁仕事。そのためには北朝鮮資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関民族学校などへの強制捜索に理論根拠提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。

3.佐藤優による主張の使い分け

 排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。

 佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。

 一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループサイト上での連載である地球を斬る〉では、「慰安婦問題をめぐるアメリカ報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的立場から日本政府謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題Permalink |記事への反応(1) | 18:32

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2024-01-15

左翼リベラル

https://mond.how/ja/topics/8ppjwtgys23ut68/ywfh3pbdu405jwh

はじめまして

佐々木さんはここ数年、左派メディア言論人に対して、時には名指しで厳しい言葉を投げかけておられる印象で、

私も佐々木さんの意見共感することが多いですが、一方で右派(特に日本保守党のような極右)の方々の発言や行動に対しては沈黙されている印象があります

ただ佐々木さんの発言を聞いている限り、右派意見賛同されている訳ではないと思うのですが、実際はどう思われているのでしょうか。

右派左派に限らず、中道で穏健な意見には耳を傾けるべきだというのが私の姿勢です。そして議論余地のない極端な意見には、きちんと批判していくべきだとも。

私は基本的にはリベラリズム立場であり、同時にリベラリズム限界を乗り越えるためにコミュニタリアニズム共同体主義)も考えていかなければならないとも考えています

保守主義者ではありません。なので保守右派とは思想をまったく異にしていますが、議論余地があるのなら議論したいとつねに思っています

呼ばれれば誰とでも対話するようにしているのは、そのためです。

 

さて、おっしゃるように左派に対しては私がより厳しい姿勢となっているのはその通りです。その理由は、日本マスコミ空間では極端な左派に寄った意見が非常に多く見受けられるため。

言い換えれば、20世紀終わりから21世紀にかけての日本マスコミはあまりにも左に寄りすぎているという危惧があります

 

その日本の状況は、欧州米国とはまったく異なるところです。欧州ではアフリカ中東から移民難民問題きっかけに右派が台頭し、大きな政治勢力になってきているのはご存じの通りです。

また米国ではトランプがまたも今年の大統領選をうかがう状況になってきています。それに対して日本では、右派はたいした影響力を持っていません。

 

こういうことを言うと「日本会議が」「統一教会が」などと言う人もいますが、実態としてそれらの団体自民政権に対してもそれほどの影響力を持っていません。

逆に近年の自民党は、LGBT理解増進法が右派から激しく攻撃されたのを見てもわかるとおり、世代交代もあってかなりリベラリズムに寄ってきているのが現状ではないでしょうか。

 

いっぽうでマスコミ業界では、たとえば報道による福島への風評加害が放置され何の問題にもされなかったり、安倍元首相暗殺犯を称賛する著名人になんら批判の矢が向かわなかったり、

どう考えても左にあまりにも偏りすぎている状況が放置されています。この状況を改善し、マスコミ業界正常化されない限り、日本社会にはよき公共圏が育っていかないという危機感が私にはあります

 

それが左派に対して私が厳しい態度になっている理由です。

東浩紀氏も「Jリベラル」なる言葉を作ってリベラル左翼馬鹿にしていたが、佐々木氏や東氏のように、右も左も駄目だと言いながら左翼叩きばかり繰り返す人々を

くくる言葉必要ではないだろうか。ちなみにこの手の人々は国民民主党投票している印象があり、知識人としては無責任に感じる。

Permalink |記事への反応(2) | 20:38

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2023-07-24

日本哲学の力で有意義な国にする方法

okwave.jpにも書いた内容です。

多数派日本人は、同調圧力に耐性がなく、白い目で見られないようにする=世間体

日本人は挑戦しなさすぎだし、真面目に問題解決しようとしません。

日本人学生は、「自分創造性ある」と思っている人がとても少ないらしいです。

挙句の果てには、小泉政権に「B層」という言葉を使ってマーケティングターゲットにされています

あなたSNSを本当の意味活用できていますか?

SNSにはハーバーマス公共圏的な可能性があるのに、

趣味や娯楽にばかり使っていませんか?

変なエロ画像見るためばかりに使ってませんか?

世の中、多くの不条理があります

それを解決するために、有意義に動きませんか?

何においても、哲学重要性が高いはずです。

何故なら、B層の多い日本もっと有意義な国にできるからです。

そこで質問があります

その方法はどんなものがありますか?

一緒に出し合ってみましょう。

私は、以下のような方法があると思います

Twitter姉妹サイトとして、例外的に13歳未満でも親の許可があれば使える社会問題議論する場所を用意する

コミケ社会問題解決するための同人誌社会問題テーマにした同人誌)を置くコーナーをつくる

学校で「どう生きるか」を考える授業を小1からする

皆さんの意見を聞かせてください。

Permalink |記事への反応(1) | 10:48

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2023-07-10

日本公共圏の耐えられない軽さ

ジャニーズ事務所スキャンダル統一教会社会問題化公明党の衰退、等々日本公共圏が静かに変わり始めている気がする。インターネットの発達や人口動態などの下部構造の変化に由来するのか。それとも上部構造での色々な偶然の結果なのか。紆余曲折しながらも数年後には日本社会は結構違うものになっているのかも。政権交代もあるのだろうか。

Permalink |記事への反応(1) | 23:00

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2022-10-11

スターバックスコーヒージャパン公式見解

赤ちゃん連れはOKか?」という質問に対する、スターバックスコーヒージャパン公式のアンサーは以下で読めます

https://st.benesse.ne.jp/ikuji/content/?id=14438

赤ちゃん連れのママやパパも大歓迎

スターバックスミッションは、“人々の心を豊かで活力あるものにするために一人ひとりのお客さま、一杯のコーヒー、そしてひとつコミュニティーから”です。お客さま一人ひとりに、スターバックスで豊かな時間を過ごしていただきたいと考えています。ですから、ぜひ、ママ赤ちゃんをはじめ多くのお客さまに、スターバックスで豊かな時間を過ごしていただきたいです!」

マニュアルでなくホスピタリティマインド赤ちゃん対応

スターバックスブランドのコアは、“人々の心を豊かで活力のあるものにする”という考えです。スターバックスには、サービスマニュアルがありません。“お客さまがスターバックスで過ごす時間が、どのようにしたら豊かになるのか”。このブランドミッションを元に、一人ひとりのパートナー従業員)が、自分なりのホスピタリティとは何かを考え、お客さまへのサービスにつなげています

スターバックスパートナーさんには、子育て中のママも少なくないとか。そのため、赤ちゃんが泣いてしまったら、あやしてくれることもあるんですね。

最近ではキッズスペース併設のスターバックスもできたりしています

https://media.l-ma.co.jp/sns-baby-mamalife2525-1

ちょっと背伸び感のあるハイブランドスターバックスリザーブロースリー東京キッズ向けスペシャルメニューチェアなど用意しています

https://enjoy-overseas-life.com/2021/03/28/starbucksreserveroastery-withkids/

アメリカ本国でもファミリー利用が盛んです。

https://chanto.jp.net/articles/-/27312

はっきりしているのは、スターバックスブランドメッセージは決してキッズ排除しておらず、むしろ妊娠中のママ育児中のファミリーも等しくウェルカムしている、ということです。スターバックス日本全国に1700店、アメリカ本国では13,000店以上を展開する「大衆向けのカフェ」です。一部の利用者スタバという空間に「こうあるべき」という思い入れを持つのは構わないけど、運営企業の思惑をも無視して自分勝手な「べき論」を押しつけ、自分とは違う誰かの利用を苦々しく思うのは、カッコ悪いと思います

そもそもカフェというのは、さまざまな立場意見を持つ他者が集い、交雑する場所として始まりました。フランス革命カフェでの議論から始まったし、ハーバーマスカフェをヒントにして「市民的公共性」とか「公共圏」という概念確立しました。たとえ言葉を交わすことはなくても、カフェのような場所は、自身にとっての「他者」のありようを目の当たりにできる良い機会だと考えてみてもいいのでは。

どうあっても自分にとって好ましからざる他者排除した、均質で静謐空間を求めたい人には、そういう人達向けの場所があるはずです。そういう場所が少ないとか値段が高いというなら、その人が求めている『均質で静謐空間』にはそれだけの希少性や付加価値がある、ということでしょう。遠出して、あるいはエクストラチャージを払って、その排他的空間を利用すればいいのです。

anond:20221011100733

Permalink |記事への反応(0) | 12:50

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2022-08-06

キャンセルカルチャーとは何か

個人企業による人種差別性差別主義的な言動に人々が強く反発して、起用取消しや不買運動などが起きること。近年の#MeToo運動や#BLM運動の広がりの中で隆盛し、社会変革のための重要手段となっている。コールアウトカルチャー(call-out culture)、差別偏見などの社会問題に目覚めた(woke)若者たちによるウォークカルチャー(woke culture)とも同義使用されることもある。元来は、マジョリティの「公共圏から排除された人種民族、あるいはジェンダー的なマイノリティたちが生み出した「対抗的公共圏」の中で抵抗手段として発展していった。他方で、マジョリティ白人文化に広まる中で、従来控えめなボイコット無視を促すものだったキャンセルカルチャーが、発言問題視された人を市場メディアから締め出すようなコールアウトカルチャーへと変容した。これに対してオバマ元大統領警鐘を鳴らし、行き過ぎたキャンセルコールアウトカルチャーに対して、人の過ちに対する寛容や、発言問題点を指摘しつつ敬意をもって対話を試みるコールイン(call-in)などが模索されている。日本では東京五輪開会式におけるミュージシャン小山田圭吾過去いじめ発言や元お笑い芸人小林賢太郎によるホロコーストネタにしたコントキャンセル対象となった。

 

現代用語の基礎知識

小山田圭吾小林賢太郎キャンセルカルチャー範疇に入らないと思う。小山田圭吾の拒絶は人間性に対する嫌悪感小林賢太郎欧米に対する忖度の結果で多くの日本人にとってはどうでも良い話。

Permalink |記事への反応(0) | 23:24

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2022-05-14

Twitterも顔出しになって、議題が設定されるmixiの方がクラスタ分かれて良かったのかな

元々mixiだと知り合いばかりで面倒くさいとか、何か書かなきゃ圧力とか、足跡とか面倒くさいってことだったけどさ。

Twitterも顔出しになって、知り合い以外からクソリプになり、今日炎上させる議題は何かって探している人ばかりだし、

そのくせ管理者が居ないから荒れるだけ。なぜか公共圏のような扱いにもなっている。

Permalink |記事への反応(0) | 11:19

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2021-11-19

Webって米国が勝てるような仕組みだったのに、なんで日本は乗ってしまったのか

今の日本語圏のWebは酷く、かなりコストがかかっている。

個人が払っている通信費サーバー代といったもの以外に、SNSで延々とやり取りに費やされる時間なども膨大だ。

ホームページと言っていた時代だと、他人の家に土足で踏み込んでいくような感覚はあったが、それも過去の話。

一部のSNS企業サービスの上が公共圏に等しくなっているのに関わらず、表現の自由の名のもとに延々と炎上している。

現実空間だと街頭演説、ビラ配り、デモ行進屋外広告など許可必要ものが多く、

それなりの根拠と落とし所を用意していたはずだが、Webになるとなし崩し的に広まってしまった。

間接民主制で、誰も彼もが常に政治時間を取られることがない効率を求めていたのに、

Web直接民主主義になり、誰もそのことに疑問を持っていないし、一部の人企業のみ利益享受している。


そして利益を得ているのは米国が多い。

米国の一部の企業や人が決めたことがダイレクト日本に入ってきて、振り回される。

Permalink |記事への反応(0) | 09:57

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2021-07-01

anond:20210701093836

ほんとそう。古代ギリシアでも革命フランスでも、公共圏が成立してる場で互いに議論を戦わせることが民主主義の基礎になったわけで、車中から名前連呼して単純接触効果投票行動を誘発するとか、駅前拡声器使って一方通行演説する行為民主主義を存立させるための対話と言えるかといえば、自分全然違うと思う(特に前者)。自分選挙区には自民党国会議員秘書をやってた市議がいるが、webサイト政策ページが選挙が終わるまでComing Soonのままだったのに普通に当選した。ほんと勘弁してほしい。

Permalink |記事への反応(0) | 10:09

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2021-06-07

フェミニストがゆるせない

んだけど、その他に僕が憎悪している相手リストアップして共通点を探ってみる

ウヨ

一般的バカウヨ

いわゆるネトウヨが嫌い。テキトーなこと言って自国礼賛をしているバカは生きている価値が無い。百田尚樹を愛読してるような奴。あと、歴史修正主義者や余命信者は論外。こいつらは、頭が悪いから大嫌い。

ネトウヨ自称ヲチャなど

ピラホロごっこかに興じてた、ハン板にたむろってたようなネトウヨが嫌い。あれは、あまりに恥ずかしいだろ。痛々しいオタクとか見たのと同じ嫌悪感が出てくる。

あと、自称ヲチャーとか言ってるやつら。こいつらも同じで、見てて居たたまれないオタクネタとかで偉そうなこと言うからからマジで勘弁して欲しい。銀英伝とか攻殻機動隊引用したり、身内で位階作って褒めあったりしてるの。あれを良い大人が真顔でやっているというのが、噴飯もの。とにかく存在が恥ずかしい。

ビジウヨ

もちろんビジウヨも嫌い、平民とか。ほんこんみたいなウヨ芸人はただただ見苦しい、偉そうなこと言う前に学位とれよ。

これは保守系政治家などにも言えることだけど、さんざん道徳だの愛国心だのエラソーなこと並べ立てておいて、その実、クソみたいな行為に手を染めていたりする連中が特にクソすぎる。ネットでエラソーなこといって配信していたボウズPを名乗る者が、シャブポンプで捕まったりね。今、バッジらしいけど。アホな有権者にはお似合いだ。

まあ、顔出ししてないまとめサイト運営者とかは、まだ許容できる。単なる商売だと割り切れるだけマシ。

厳罰主義者

死刑賛成論者とか、厳罰主義者が大っ嫌い。あくまで、国家刑罰を行うのは、その人を更生させて社会復帰させるため。被害者大衆が、厳罰下してスッキリしても、特に何も得るものが無い。そんな単純なことにも気づかず、自分のクソくだらねぇお気持ち国家刑罰権を扱おうって言う料簡が全く許し難い。可罰感情というのは、感情に過ぎない。

これは、いわゆる保守系応報刑信者もそうだけど、性犯罪者厳罰を求めるフェミ系もそう。国家は、お前らの厳罰オナニースッキリするためのズリネタではない。頼むから死んでくれ。

思想

ハーバーマス

ハーバーマスが大嫌い。こいつが諸悪の根源思考実験の積み重ねで論理を作ってきたリベラル系譜にとどめを刺したクソ左翼社会契約論の自然状態にせよ、ロールズ無知のヴェールにせよ、そんなもの存在しないなんてことは、百も承知。こういう架空の前提の存在否認したあげく、じゃあお前の判断基準が何かといえば「公共圏」。おいおい、ふざけんなよ。

結局、公共圏なんて吊し上げ大会しかならないし、それは学生運動で痛い程わかっているはずなのに、自分を持ち上げる学生運動を切って捨てたクソ野郎ハーバーマス。そんで、アイディンティティポリティクスへの道筋もつけた。マジで万死に値する。今の政治的対立諸悪の根源はこいつ。

バーク保守主義

単なる多数派独裁。無批判伝統を受け入れるだけのゴミ以下の思想。未開の土人カッペのジジババ、あるいは胡坐をかく無能貴族正当化するためだけのカス消滅した方がいい。

コミュニタリアン

ハーバーマスの最悪の部分とバーク保守主義のマシな部分を合体させたウンコ上ゲロ以下の何か。サンデルとかありがたがってるバカは三回ぐらい死んだ方がいい。

リバタリアン

暴力なしでなんとかできるとかいうのがおこがましい。南米司法権が及ばないカルテル支配地域とかで暮らしてほしい。管理された暴力のありがたみがわかるだろうよ。

嫌いな奴ら

このへんは、まじで許し難い。

Permalink |記事への反応(5) | 22:52

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2021-02-26

anond:20210226114019

なるほど。問題意識はわかった。

まり制度のせいで市民一人ひとりに政治参加の実感がない。故に政治参加しない。それが問題である

という考えなのかな。

  

俺にはそれは、ハーバーマスサロン公共圏崩壊した……というよくある話のバリエーションに思える。

サロンという狭い世界政治談議にハーバーマス公共圏を見たが、政治範囲が広くなるとサロンで全体は維持できず公共圏はなくなった。だから規模を分割縮小すれば、サロンが(市民政治参加意識が)再び作り出せる……という話ではないか

たまに聞く話だと思う。

 

たぶん関連ワードで調べたらいろいろ出てくるんじゃないかな……。

個人的には、そもそも現代政治ってのはもはや国際規模であるべきで、しか世界政府は無いので政治の力は制限されてしまっている。分割のし過ぎこそが今の政治の衰退に直結していると思うので、あまり賛同はできないな。

あとやっぱり、公共圏市民が直接参加すればうまく行くとは、もはや信じられないっていう、さっきの話もある。

Permalink |記事への反応(2) | 12:03

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2021-02-09

anond:20210209164516

あの場所図書館ではない。市民館/美術館に併設されている図書室。

図書館は市内かつ近隣にある。

求められているのはむしろ公共圏で雑に本を届ける役割だと考えるほうが妥当だと思うけど。

Permalink |記事への反応(1) | 16:53

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anond:20210209162910

まあ、ある程度はしょうがないと思う。

紙の本の市場を支えてるのって本そのもの好きな人達だし。

でもその意見に従うのが公共圏の本の正しいあり方かと言われたら流石に違うわな。

Permalink |記事への反応(0) | 16:34

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紙の本の背が焼けるぐらいよくねえ?

茅野市民館の本の背が退色するとかで騒いでるけどさ

どうも納得行かないんだよな。


紙の本なんて消耗品やん。


あえて「日本人は」って言うけど

日本人消耗品をめちゃくちゃ大事大事しまっておいて死蔵してほぼ誰も使わないみたいなムーブ好きすぎ。

いや、そういう扱いしたほうが良い本があるのはわかるよ?

でもそれより、有限の寿命の中で沢山の人間の目に届くのが役目っていうこともあるだろ?

出羽守扱いされるかもしれんけど

ヨーロッパだとペーパーバックの本とか、めちゃめちゃ扱い雑に、無造作公共圏においてあったりする。

でもそうすることでより多くの人間が本に触れられるっていう面はある。


例えば(本を読んだ人数)=(本の耐用年数)*(本を手に取る機会)を最大化したいと思えば

耐用年数犠牲にしても機会を増やすっていう戦略もありだろ。

こういう議論大好きなはてな民は本大好き人間で自宅にちゃん管理された本がいっぱいあるのかもしれんけど

そうじゃない人間へのアプローチ模索するという発想もなく

物を大事にしないから悪いとか

本に敬意を払ってないかダメだとか

なんかあまりに短絡的すぎないか

Permalink |記事への反応(5) | 16:18

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2020-02-22

anond:20200221074011

匿名キモオタネットでなにを吠えようが、人権(性に関する自己決定権)の観点から公共圏広告性的表現は許容されないという社会趨勢は不可逆。ざまあ。

Permalink |記事への反応(2) | 09:54

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2020-02-01

東京一極集中について

東京一極集中が進行しているというニュースが出た。


国土交通省資料(https://www.mlit.go.jp/common/001275277.pdf)のp48に転入超過都市産業は、金融映像・音声・文字情報制作業、通信業不動産取引業、広告業などとなっている。

これらの産業国内市場から利益を生み出しており、外貨を稼いでいない。悪く言えば地方から金を吸い上げている。

日本経済成長輸出業に牽引されてきたが、東京本社があったとしても地方生産・輸出を行っており、東京交通利便性などで稼いでいるわけではない。

東京の方が収入は多いが、差額分すべてを消費に回してるわけではないため、内需パイ拡大への影響は大きくない


大学入学時に東京に行ったまま地方に帰らないので、大学地方に移動させればという案は出たが、

大学が一斉に移動しないため、地方で開講したキャンパスは定員割れで失敗した。


省庁を東京以外に移せばとよく言われるが、省庁の綿密な関係必要企業以外は地方に移るメリットはない。


他に、東京本社がないと若い優秀な人材雇用できないという企業側の論理と、

労働者側の終身雇用が壊れた現代でローンの残っているマイホームから通える距離同業他社が集まっている場所、というのを解かなければいけない。


東京企業、人への税金を高くすること。

地方に移動するだけのインセンティブ必要なので、東京にある企業や人に対して税金を上げればよい。

地方東京では賃金が違うので、一人当たり数百万くらい今でも負担していると言えなくもないが、現状でも集まるのだから

やってられないくらいので地方に移るくらい税を上げなければならない。

国の運営に関わる公務員向けの都市への移行を目指してもいいかもしれない。


東京文化発信が止まると言われそうだが、セゾン文化渋谷文化などはなくなったに等しく、

10代などは韓国アジアから文化の方が身近で、既に衰退している。

東京が儲かれば地方も儲かるというトリクルダウンなんてものはなかったし、過去東京がより儲かる構造見直しが入っても仕方ないだろう。

東京保育所などは高額民間のみにする

保育園場合対象とできる子供の人数が限られているため保育士給料が安いという問題がある。

製造業のように沢山生産すれば沢山稼げるという構造ではない。

子を預ける世帯収入は多いが、保育士給料は安くなければ成り立たず、補助金を充てる必要があるというのを解消する必要がある。

公共保育所などは諦め、どうしても東京で人を雇いたい企業負担していただき、個々の企業運営する託児所に任せたほうがいいのではないか


個々人に負担してもらう案もあるだろうが、一般的に支払う金額に対して求めるサービスの質は過剰になる傾向があり、辞めたほうがよい。

地方住宅価格を安くする

女性社会進出が進みダブルインカムが増えているが、その世帯収入の上昇と金利の低下に合わせて不動産価格が上昇している。

例えば(https://www.mizuho-ri.co.jp/publication/research/pdf/insight/jp190208.pdf)の図表1にあるように2002年から2018年の間に2000万も平均価格が上昇している。

商業利用の投資目的であればいいが、波及して住宅まで影響を受けており、異常である

デフレだ、物が売れないと言われているが、ローンが多いのだから消費を減らすに決まっている。

住宅補助金で受け取る分も考慮して金融不動産価格を決めていないか


住宅ローンが残っているか転職先が住宅から通勤圏内になければならないという心理も解消しないといけない。

例えば6年~8年くらいでローンが返せるくらいの価格帯になるように建築技術イノベーションを起こせないか

新築でもカギを受け取った瞬間に1000万ほど価値が下がるのも、容易に引っ越しできない要因になっている。



地方住宅を広くする

東京より地方の方が贅沢な暮らしができる」という状況を作らなければいけない。

今後、家庭にもより機械化が進んだ場合に、狭い住宅環境では買っても置けないという状況が考えられる。

日本家電メーカー撤退した今日日本住宅環境海外メーカーが作ってくれるのを待つのメリットがない。


地方東京に勝てるのは土地があることである自然が多いというのは強みではない。

公園などの公共圏で子供が遊ぶのは禁止の流れなので、自宅内によりスペースが必要だ。

建築物に対しての税金を安くするといった地方政策が望まれる。


Permalink |記事への反応(0) | 23:28

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2019-10-18

anond:20191018203525

煽り運転とかされたらシバくに決まってんでしょーが(法的にも)

萌え絵とかオタク系統の絵柄が問題になるたびに思うんだけど、公共圏に見せた結果「えっ…私こんなのちょっとエッチすぎるんですけど…」っていう人が現れてその一部が文句言ったからと言って、それを「煽られた」とか「存在のもの否定された

」と感じるオタク一定数いるんよね。決してそういうわけではないというか、そりゃ世の中にはオタク絶滅を願う派閥も依然としてあるかもしれないが、大事なのはそういう勢力との無駄な衝突を避けて共存していくことではないかと思うんですけどね。

最終的にオタク絵にだれも文句言わなくなるまで粛清するというのも躊躇われるというか、そんなことにはならないだろとも思うし、少なくとも今はオタクが強すぎるんじゃないかと思ってるんですけどね。まあ所詮こっちも積極的に何かするわけではない戯言なので、不快だったら無視してくだされ。

Permalink |記事への反応(1) | 20:48

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anond:20191018195219

俺も見たくないけど見たくないか公共圏から排除して良いという理屈には全く賛成出来ないので。

Permalink |記事への反応(1) | 19:58

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anond:20191018131310

萌え絵客観的にどうこうという議論は常に違和感あるが、不快に思う人もいるので公共圏にふさわしくない、というので十分ではないのかといつも思うんだけど。腹パンとか子宮脱とかの超ニッチジャンル表現ならさすがにまずいとみんな思うわけで、企業とか自治体とか的にはBLやら美少女やらはギリギリイケるやろ!ってなりつつある空気なんだろうけど、いやイケないんでは?という感覚を共有できないものか。

というか二次元で抜くタイプオタクとしては公共圏萌え絵とか気まずくて見たくないのよ。ああいうの決めてる人はオタクでもなくて「こういうのがウケるらしい」としか思ってないわけでしょう。こっちからしたらオカズからねそれ。

ニッチ表現だと言われるのってそんな嫌か?という感じしかない。あんま表に出さんでほしいわ。

Permalink |記事への反応(5) | 19:52

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