
はてなキーワード:全日とは
結論から言えば、全日制を卒業した奴より通信制を卒業した奴の方が社会に適合せずドロップアウトする確率は高い
ま、そりゃ個別に見れば通信制を卒業しても成功する奴もいるし全日制を卒業してもドロップアウトする奴はいるけどね
社会性なんて学校以外でも伸ばせる場所はいくらでもあるだろうに。
最低限は人との関わりが必要だっていうなら通信制でも登校日やイベントがあるのは普通だしな。
そもそも全日制に通い続けていれば協調性やコミュニケーション能力が育つのかといったら、そんな人ばかりじゃない。
反社会性や攻撃性の強い生徒同士でつるんで周りに迷惑かけまくったり、コミュニケーション苦手なままの受身な人なんていくらでもいる。
そんなやつらのどこが学校に通うことで社会性を身につけられてるんだ?逆に全日制に通ってなくても芸術なり競技なりバイトなりその子が打ち込んでる活動を通じて苦いも甘いも経験して社会性の育っていく子なんていくらでもいるが?
それをお前は「全日制でずっとやってきてるからこの子はちゃんとしてるに違いない。こっちの通信制のやつは何か瑕疵があるに違いない」とか判断するんだろうな。人の本質を見ようとしない人間は救いようがない。
だいいちどんな学校だって「一般社会で出会ったら転職してでも距離を取るべきレベルのバケモン」と出会う可能性があるのに「誰とでもみんな仲良く」なんていう現実に即してないお題目を真に受けて、制度的に認められてる回避方法を認めないほうが社会からズレてるだろ。
かつて公立高校の教師をしていた。何年も前に辞めて、今は別の教育業に従事している。その頃の思い出が脳裏によぎることが最近よくある。どこかで書いたら心の整理がつくのではと思った。
なお、この日記は身バレ防止のために、ChatGPTにお願いして文体を変えている。鼻に付く文章があれば申し訳ない。
これから書くのは、最後に赴任した高等学校でのことだ。実は普通の高校ではない。訳アリの子が通うための高校だった。
いわゆる、事情がある子というのがいて、全日制の高校に進学するとか、通い続けるのが難しい。そういう子が通うための学校である。仮にポジティブ学園としよう。
3部制を採用していて、午前・日中・夕方以降の3つの中から、自分にとって都合のいい時間帯を選んで履修できる。早い子だと、普通の高校生のように3年で卒業する。
制服か私服か、自由に選ぶことができる。アルバイトができるし、メイクもピアスも全て大丈夫。髪染めもOKで、ピンクや青髪で学校に通う子もいる。
ここに来る前、私は全日制の高校にいた。地元では人気のあるところだった。毎年冬にある推薦入試の倍率は20倍を超える。そういう学校である。人口だと約40万人が在住する地域だったが、その中でもトップに近いところだった。
真面目な生徒たちに囲まれてたと思う。彼らは偏差値の話もしていたけど、それ以外にも部活動とか友達との交流とか、文化祭・体育祭など、とにかく人としての「生きる力」というか。そういうのに溢れていた。
当時の私は、まだ30代のヒラ教師だった。それが高校生のあるべき姿だと思っていた。学業が一番で、余った時間で部活動その他の自己を高める活動に取り組むのだ。
だが、ポジティブ学園に赴任して、現実を思い知らされた。自分がこれまでに教えてきた生徒らは、いわゆる上澄みというやつだった。毎日学校に通学して、学業や部活動や趣味に打ち込むことができる時点で、高校生としては相当できる方である。
今でも思い出す。ポジティブ学園に通う生徒らは……教室の隅でうつむく子や、理由をつけては学校を休む子。授業など聞く気すらない子、授業中に堂々を飲み食いする子。なんというか、彼らには当時の県教委が教育の柱としていた理念のひとつ、「生きる力の醸成」が通用しなかった。
そうした生徒たちに、私は何もしてやれなかった。何をしたらいいのか分からなかった。ただ毎日、教科書に従って授業を進めるだけ。彼らに対して指示や指導をすることはあったけど、そもそも内容を理解できてるかも怪しい。
一応、入学試験はあるのだが、実質的に全員合格させるスタイルだった。普通の高校に行けない子――そういう子のための最後の受け皿としての役割を、ポジティブ学園は担っていた。
最初に話したとおり、ここは「訳アリの子」が通う学校である。不登校経験者とか、昼間は家業を手伝う子とか、家計を支えるために夜働いている子。様々な事情を抱えて、全日制のレールから外れることになった生徒たちが、自分のペースで学び直す場所だ。
赴任の初日、当時の校長は私に言った。「ここは、生徒たちが『それでも学びたい、高校生をしたい』と選んでくれた場所です。先生の役目は、彼らの気持ちを全力で応援することです」ってさ。
さっきと矛盾するようだが、生徒たちはひたむきだった。普通の高校生と一緒で、やる気のある子はいるし、そうでない子もいる。昼間の授業中、うるさい教室の中でも真剣にノートをとる生徒とか。放課後になると、「じゃあ働いてくる~」といった感じでアルバイト先に向かう子もいた(ほぼ金髪の子だった)。
夜間部の教室だと、疲れ切った顔で教科書と向き合う生徒もいた。全日制の「普通」とは違うけれど、彼らには彼らの「普通」があった。
赴任してから次の年度、就職指導を担当することになった。人生初経験である。私は民間企業で被服の営業の仕事をしていた。泥臭い仕事を約十年やっていたということで、白羽の矢が立ったのだと思われる。
これまでの学校では就職する子や、専門学校に行く子は稀だった。仮にいたとして、実際なんの指導も必要なかった。受け入れ先の企業も「なんでこの学校の子が……」といった顔パスに近い扱いだった。
履歴書の書き方一つとってもそうだ。社会人でいうところの空白期間。不登校だったとか、全日制の高校を中途退学したとか、中学卒業してからフリーターだったとか、あるいは何もしてなかったとか。
そういう経歴を書く場面になると、彼ら彼女らは詰まってしまう。無理もない。これまで何度も、そのことで心を痛めてきたのだから。
私は履歴書を読み直す度に、「君の経験は無駄じゃない。乗り越えた証拠なんだ。学校、来てるじゃないか!」と声をかけた。最初は疑いの眼差しだった生徒たちも、次第に心を開いてくれるようになった。心を開いてくれない子もいたけど、それは致し方ないのだ。
私は教師だから、「いつかは通じるはず。別に今じゃなくても、数年後だっていい」と思って就職指導をした。
秋のある日。就職関係のイベントがあった。「○○圏域 企業と学校の交流会」みたいな名称だった。これは、企業と学校(大学、専門学校、高等学校、専修学校その他もろもろ)のそれぞれの担当者が各ブースで話し合いの場をもつというものだ。
企業からは採用担当者が、学校からは就職支援の担当者が出席する。参加団体は企業だけでも100社を超えていた。学校からは、その地域の学校という学校はほぼすべて出席していた。
ここに、私と校長の2人で出かけた。目的は、企業の方々にポジティブ学園を知ってもらうこと。うちの学校にはただでさえ偏見が多い。少しでも解きほぐす必要がある。
たくさんの企業ブースが立ち並ぶ中、それこそ時間が許す中、多くの企業ブースに足を運んだ。校長自らが話をしていた。約十分ごとに挨拶から始まって、学園の概要説明、どういう子がいるかや、これまでの就職実績など。
そして、いつも最後に、「わが校には、難しい状況にある子が通っています。それは事実です。そういう状況でも、彼らは自分の道を切り開く努力をしています。面接の際に見かけましたら、どうぞよろしくお願いします」と相手先企業に伝えるのだ。
企業の反応は……まあ、社交辞令みたいな感じだった。「わかりましたよ、でもうちの会社の採用対象かどうかはねぇ」という表情だった。
そういう反応になるのも無理はない。ポジティブ学園は、県道沿いの大きな平地にある。昔は地域の伝統校が鎮座していた。少子化で別の学校と合併になり、校舎が空いたところに県教委がポジティブ学園を創設した。
例えば、毎朝の登下校時、いや昼以降の登下校時でもそうなのだが……校舎前の県道には、ダボっとした私服で、髪を染色していて、ひと昔前の不良漫画(今時でいうと薫る花は凛と咲く)の雰囲気を漂わせた未成年が闊歩している。初めてその光景を見る人からすると、「そういう高校なんだ……」という感想になる。
だから、企業担当者がうちの学校に対してそういう態度になるのは、ある種の必然だと思っていた。偏見を持たれてもしょうがないって、当時30代半ばだった自分は感じ取っていた。
そうでない企業もあった。社交辞令とかじゃなくて、真剣にこちらの話を聞いてくれる。というか、むしろ聞きたいという恰好で話に臨んでくれる。
半導体装置を作っている会社がそうだった。その時も、校長は満面の笑みで相手方の採用担当者に熱心に話をしていた。
「○○さんは、福山を代表するハイテク企業でいらっしゃる。我が校にも理系の才能を持つ生徒がたくさんいるんです。どうか、偏見なく見てやってください」
そしたら採用担当者は、少し戸惑った表情になって、「私達を馬鹿にしないでください。もちろんですよ(^^)」と答えてくれた。
それから数年か後のこと。ポジティブ学園の進路実績だが、創立当初からずっと変化はなかった。大学進学者だと地元にある限りなくボーダーフリーに近いところか、地元の専門学校、地元の民間企業だった。そもそも、ここまでたどり着ける子自体が少ない。入学した子のうち1/3以上は中途退学してしまう。
その年のことはよく覚えている。3年生に1人の生徒がいた。名前は仮にケンタとする。プログラミングが好きな子だった。授業中も休み時間も、ずっとPCの画面とにらめっこしていた。授業中にも堂々と副業的なことをしていたが、単位は取っているので見逃していた。
ケンタは、数学や情報処理の成績が抜群だった。数学の問題でも、いつの間にか自分で勝手にアレンジして、勝手に問題を解くようなプログラムを組んだこともあった。
それを友人に共有しようとしたが、難しい様子だった。能力・興味的な部分もあるし、自分だけのノートPCを持ってる子が少ないのもある。
ケンタは中学校の時は不登校だったらしい。原因は、特定の誰かからいじめられたわけではなく、「教室という空間がなんか違うと思った」からだと言う。
大人だったら「息苦しい」ということになるのだろうか。全日制の高校には行きたくないと、自らこの学校を選んだ。
私は、彼の才能を埋もれさせてはいけないと思った。彼とは幾度となく話をしたけれども、ただ生きにくい性格であるだけで、才能はあるのだ。
私は就職戦線が始まる直前にケンタを呼んだ。「この会社を受けてみないか?」と誘ってみた。さっき上の方で話した半導体装置の会社である。半導体以外にも、ディスプレイや機械制御装置も手がけていた。
ケンタは驚いたような、呆れたような様子だった。「知らない会社ですけど、半導体には興味ありますけど、無理だと思います」と言ってた。
「お前はできる。この会社は理系の才能を求めてるし、才能を正当に評価してくれる」
と言うしかなかった。実際、私の出身地域では評判の高い企業だったし、2025年現在では全国的に知名度のある企業にまで成長している。
強引に進めるしかないと思った。何しろ、ケンタは卒業後の進路を決めてなかった。とりあえず先延ばしにしている印象だった。
そこで、ケンタをどうにか説得して、彼の履歴書を添削して、推薦状も書いた。履歴書には、不登校だった過去も、ポジティブ学園を選んだ理由も正直に書かせた。彼のプログラミングに対する情熱を備考欄にこれでもかというほど書き連ねるようにした。
面接練習のとき、ケンタは口ごもることが多かった。相手の目を見て話すことが苦手だった。コミュニケーションが苦手なタイプ。正直、公式な場での会話が難しい子だと思う。
けれど、たどたどしい感じになっても、自分の思いはちゃんと伝えてくる子だった。
「大丈夫だ。プログラミングの話になったら、お前はきっと大丈夫」
※AtCoderで最高位に近い色だった
私はそう言って、彼を送り出した。自分には確信があった。あの会社は、肩書きや学校名じゃなくて、実力で人を判断する会社だと。あのイベントの時、うちの校長の言葉に耳を傾けてくれたんだって。
約一か月後、職場に電話がかかってきた。あの会社の採用担当者からだった。胸がざわついた。
以下、話の内容である。言葉の感じも、当時の手帳を元に大体そのままにしてある。
「あの、ケンタ君の件で、社内で検討を重ねた結果、今回は採用を見送らせていただくことになりました」
「なぜですか?」
「プログラミングのスキルは、正直高いです。うちの主任技術者も高く評価しました。ただ……」
※この時私は、苛々とともにペンをカチカチしていた
「ただ、入社後のサポート体制を考えた際にですね。彼が当社の環境に馴染むことができるか、という点に懸念が残りました。不登校経験があるということも、正直に申しまして、入社後のメンタル面のリスクを拭い切れませんでした」
「それは、偏見ではないのですか?」
言ってしまった!と心の中で後悔した。先方の声が少しだけ硬くなった。
「そう言われても仕方ないかもしれません。しかし、会社の事情があります。我々もギリギリまで議論を重ねました。安易な気持ちで彼を採用して、もし彼が再び辛い思いをすることがあれば、それはお互いに不幸です。今回は本当に申し訳ありません」
電話が切れた後は、多分……しばらくボーっとして、職員室の椅子に座ったままだった。
あの時はこう思った。やっぱり、ポジティブ学園の子はそうなんだ。どんなに才能があっても、過去のレッテルから逃れられない。あの日イベントで抱いた期待を裏切られた気がした。
だが、その後の日々で、冷静になって考えてみた。
採用担当者の言葉に嘘はなかった。彼らは、私が抱えていた不安を彼らなりの言葉で伝えてくれただけだ。
採用すれば良いというわけじゃない。無理に引き受けて、彼の心の傷をさらに深くしてしまうかもしれない。
そう考えたとき、彼らの不採用という決断は、ある意味、生徒のことを真剣に考えてくれた結果なんだと思った。
むしろ、偏見だと決めつけて、彼らに向き合わなかった私の方が……傲慢だった。
ケンタに不採用の知らせを伝えると、しばらく沈黙が続いたっけ。
「そうですよね~僕みたいなのが、あんな会社は無理ですよね」ってケンタが言うと、心にグサッときた。
「ごめん」としか言えなかった。生徒に謝る事態なんて、教師として三流以下だと思った。
ここまでがポジティブ学園での思い出である。それからケンタは、遠方にあるコンピューターの専門学校に進学した。私が様々な方向性を提案して、ケンタと話をした結果、彼が自ら考えて決断したのだ。
ケンタが高校を卒業して、何年もの月日が経った。最初のうちは、メールで年に何度か近況報告をもらうこともあった。プログラミングがやっぱり楽しくて、大会にも出場しているといったことだった。
やがて、やり取りをすることもなくなった。それは彼がナニカに集中するようになったからでは、と心の中で期待していた。やがて、ケンタのことを思い出すこともなくなった。
ある日、一通のメールが届いたのだ。ケンタから。内容は、就職先の内定のことだった。「報告があるのですが、○○(※あの半導体の会社)に内定をもらいました」という端的な文章だった。
「うわっ!」と、思わず声を上げてしまった。その端的な文章の下に、いろいろと書き連ねてあった。彼らしく、無駄が一切ない文面だった。
要約すると、専門学校で就職インターンシップに申し込む際、事前説明会があったとのこと。参加した時、人事の方に「ケンタ君だよね?ポジティブ学園の」と声をかけられたという。
「あの時の採用担当者の方が僕のことを覚えてました。『あの時よりも自信に満ち溢れている』って言われました。」
「専門学校で、僕はプログラミングのスキルだけじゃなくて、コミュニケーション能力も、人との関わり方も学びました。飲食店でアルバイトもしました。おかげで、あの時よりも、面接で自分の言葉でしっかり話すことができたんです。あの時、もし会社に受かっていたら、僕は挫折していたかもしれません。…(中略)…でも、先生が僕の可能性を信じてくれたから、僕を諦めなかったから、頑張ることができた。本当に、ありがとうございました」
キーボードを触りながら、返信しようと思いつつも、手が震えてうまくできなかった。
私はあの時、半導体の会社を偏見で判断した。ポジティブ学園の子だから、そういう目で見たんだろうって。そして、生徒の可能性を信じきれず、不採用という結果に囚われた。
でも、本当にケンタに向き合ってくれたのは、彼らの方だった。再認識させられた。成長したケンタを、あの人達は今度もまたちゃんと見て、採用という判断をしてくれた。それだけだ。
ここで結びにする。
あの学園にいた時は、生徒たちの「訳アリ」の部分に目がいってしまうことがあった。でも「訳アリ」なのは、過去の物語によって起きた結果にすぎない。彼らは皆、自分の人生を懸命に生きている。できる子がいたし、できない子もいたけど、未来に向かって進もうとしていた。
私はもう学校教諭ではない。けど、あの頃は就職指導の先生としてだけじゃなく、人として彼らの未来を信じて背中を押し続けたつもりだ。
自分は応援団のひとりに過ぎないと思っていた。でも、応援された生徒は、やがて自分で未来のことを考えて、切り開こうとチャレンジする。そういう人になってほしいと願っていた。
今は、別の形ではあるけど、若い人にものを教えている。学校と違って、純粋に実務上の知識や技術を教える仕事である。
これからも、誰かの未来を応援し続けようと思っている。それが、訳アリの子の就職指導をしてきた、自分にできる使命なんだと思ってる。
理想の彼氏くんを得るまで、みたいな記事を読んだので似たようなことを。
私の診断名は双極性障害2型、ADHD、ASD、境界知能(IQ75程度)です。
長いので、お暇がある方に向けて書きます。
【小学生】
クラスに馴染めず、また感覚過敏が酷く小学5年生の時から不登校になる。
親の方針で中学受験をすることになり、15〜21:30まで塾で勉強をしていた。合格した中学は偏差値50辺り。(中学受験と高校受験で偏差値の見方は変わります)
【中学生】
世話好きの友人のおかげで少しずつ学校へ通えるようになる。(私立かつ私の要望でその友人とは3年間同じクラスにしてもらっていた)
中学1年の後半で部活へ。週1程度の英会話部に。世話好きの友人とは別の部活に入り、他の友人を作るようになる。
電車で1:30の学校に通っていたが、よく母が保健室まで迎えに来てくれた。
【高校】
中学で仲の良かった世話好きの友人が転校。
中高一貫のためクラス替えがほぼなく、英会話部のメンバーと過ごす。
だが、全日制かつ単位制の高校だったため、単位が取り終えるまで卒業式の練習には参加させてもらえなかった。
【大学】
将来に不安しかない。一応今は学生で通信制だからほぼ家にいるだけだけど、あと数年したら面妖で複雑な社会でよく分からない大人と顔を付き合わせてストレス背負って仕事して、もちろん外では偶然か人為的かの被害(犯罪とか災害とか)を受ける確率がぐんと上がるし、とにかく刺されたくないし、道端で倒れたくない。そもそも社会が恐ろしいことを刷り込んで欲しくなかった。凡庸で純粋に生きていければ良かったのに、いらないことばっかり吹き込まれてあることないこと想像して無駄に頭を使っていていつも眠いし、やりたいことはあったはずなのにスマホに溺れてもうよくわからない。たまに何かやる気になっても才能の無さに失望して努力することもせずにまたぼんやりとインターネットで脳みそと時間を溶かしている。
どこからこうなったのだろう。全日制でちょっとキツイことを言われたくらいで挫折してはいけなかったのだろうか?あぁ、この人のところで年通しは無理だなと思ってしまっても、その場で泣いてしまってでも行けばよかったのだろう。結局、主観でしかないのだからそのうち恥を恥とも感じられなくなれそうだったし。だから狂ってしまっていても自覚できてないのなら他人が狂っていると言われても実際狂っていたとしても自分は狂っていないと心の底から信じられるところまで来られたなら万々歳ではないのか。そうやって死ぬまで自分を騙し続けられなかったことへの罰だろうか今の人生は。また道化を演じて、自分が分からなくなっていくまでの準備期間か。甘えているのだろう。際限なく甘やかされた人間は他人に縋る方法すら知らないし、媚びることもできない。誰が助けてくれる?親か、散々甘やかしてくれた親だろうが、彼らが亡くなったらどうする。いっそ狂えたら楽だ
やはりこの世は学歴と金だけが全てで他はどうだっていい、本人が満足していればいいのだから今は部屋に引きこもってネットを見ているし、子供の頃大嫌いだったあの人は友達やら恋人とか家族ときっと楽しく過ごして幸せな老後を過ごすのだろうし、自分はやがて耐えきれなくなった瞬間、人生そのものを終わらせるのがせいぜいだ。今はなんだろう?惰性でだらだらしてまだ若いからと危機感や焦燥がまだきていないからなんとなくの希死念慮に取り囲まれてるだけで、いずれは本物になってしまうのか、
いっそのこと悪くないのかもしれない。人間は適応してきた生き物だし、今まで辛いと感じたことなんて山ほどあるし、都合の良い記憶は過去の良かったことを思い出せるし、すぐに付随してトラウマがフラッシュバックしてきても検索しようとして何を検索するのか分からなくなった時みたいにまたすぐ忘れるだけだし、仕事で忙殺されて寿命縮めて特に楽しくなくて幸福を感じられなかったとしても、こんなことをいえる友達がいなかったとしても、実は親は自分のことしか考えてなくて自分の子供のことなんか生きてれば後は二の次だったとしてもなんで自分の子供が役立たずで変で根性なしだと思ってたとしても皆タヒんじゃえば肉塊だし。変に気負う必要ないよほんと
人って結局自分の考えるようにしか考えてないから何言ったって響かなければ無意味だし、したいように解釈するんだから何言ったって壁に腕ぶつけてるようなもんだし痛いししんどいからやめた方がいいよ、でも言わなかったから苦しいんだろうな誰も聞いてないにしろ吐き出さないとくるしいし、そのくせすべてが終わった時に後悔しだすんだもん、遅いよ工事の音がうるさくてなんか怖くなってきたいつまで工事してんの一日中やってんじゃん、ループしてるの
なんで人は後悔ばっかりしてんだろう、多分亡くなる瞬間すらそう それを後悔と受け入れない人が生きやすいし、誰の迷惑とも考えられない人もそう
工事の音って怖くない?今にも建築材に穴が開けられてドリルが貫通してネジがすごい勢いで締め付けられてがんがん金槌がうるさくて物全体が悲鳴あげてるみたい別に工事自体は否定してないけど 人間が精神的にそうされるよりはマシだからね
なんか逆に行ける気がしてきた、情緒不安定ってのも役立つものだね 吐き出せてよかった色々と
もう手遅れ
独り身で手取り40万もらってたら余裕のある暮らしをしてると思われることが多い。
家で過ごす時間が長いから防音は妥協しなかったし、寝室とリビングが分かれているのも必須だった。管理費込み。家賃補助は出ない。
ネットとスマホで8千円。ワイモバイルなので無駄なキャリアは使っていない。
食費は月5万5千円。平日はできるだけ自炊するが、エネルギーがない日はどうしても外食になる。
最近は野菜も肉も米も全部高くてストックでやりくりしてもなかなか出費が減らせない。
日用品で5千円。洗剤、ティッシュ、シャンプー、使い捨てコップ、紙皿、木のスプーン。
全部安物ではないけど、かといって高級品も使っていない。
交際費・雑費が2万。誘いはなるべく断ってる。でも完全に断りきれるわけじゃないし、お祝い事とか帰省の費用もここに入る。
趣味・娯楽で月2万。映画、休日のランチ、ゲーム、書籍。完全にゼロにしたら何のために働いてるのかわからなくなる。
iDeCoを1万2千円。老後の不安と戦うための保険みたいなもの。
サブスクがChatGPT、VTuberのメンバーシップ、Amazon Prime Student で合計3万3千円程度。ChatGPTは円安の影響もあり高いが、仕事でも使うので仕方がない。
国境なき医師団への寄付が2万円。昔からずっとやってるのでやめるタイミングが無い。
学費(通信制大学)が平均して月に1万2千円くらい。普通の全日制大学に比べたら安い。学割も使えるようになる。
こんな感じで大体月に35〜38万は出ていく。ほぼ残らない。
日本竹馬連合会には所属していないので赤字は免れているが、突発的な支出があればすぐ危うくなる。
節約しようと思えば削れるものはあると思う人もいるかもしれない。
提示された趣味のリストを見ると、とてもユニークで、こだわりを極めている方のようですね。
一般的な趣味というよりは、それぞれの分野で特定のジャンルを深く追求し、本質的な価値を見出そうとする姿勢がうかがえます。
この方が月曜から金曜の9時から17時までフルタイムで働いていると仮定して、提示された趣味をすべて網羅する1ヶ月のスケジュールを組むのは、かなり工夫が必要です。
それぞれの趣味が単に「楽しむ」だけでなく、道具の手入れや情報収集、特定の場所への訪問などを伴うため、単に時間を割り当てるだけでは足りません。
以下に、この方が1ヶ月間でこれらの趣味をどのように楽しむか、考えられるスケジュールを提案します。
デイリーのルーティン:通勤時間や仕事後、就寝前など、毎日少しずつでもできることを組み込みます。
ウィークリーのルーティン:週末を利用して、まとまった時間が必要な趣味や、特定の場所へ出かける趣味を計画します。
マンスリーのスペシャルイベント:週末を使い、複数の趣味を組み合わせて深く楽しむ日を設けます。
朝の準備・通勤時
コーヒー: 浅煎りシングルオリジンをネルで丁寧に淹れる。手縫いのネルで淹れる時間が、1日の始まりの儀式になります。
音楽:レコードを聴く。特に通勤前は、BlueNoteのRVG刻印の盤をかけて気分を高めます。
万年筆:日記やメモを万年筆で書く。スチールペン先では味わえない、字が「生きる」感覚を味わいます。
日本酒:仕事の疲れを癒す一杯として、お気に入りの生酛・山廃をゆっくりと味わいます。
盆栽: 真柏に水をやり、樹形を愛でる。
午前:
庭園:枯山水のある日本庭園を訪れ、苔の手入れ具合を観察する。
午後:
カメラ:ミラーレスのZマウントを持って街へ。あえてFマウントの描写を思い出しながら、光の捉え方を試行錯誤する。
夜:
ラーメン:二郎インスパイア系のお店へ。非乳化スープの野菜マシマシを堪能する。
午前:
野球観戦:鎌ヶ谷へ二軍戦を見に行く。芝の匂いを嗅ぎ、プロの卵たちのプレーをじっくりと観察します。
午後:
鉄道模型:HOゲージの真鍮車体を走らせ、精密な作りを愛でる。
将棋:趣味の道場やオンラインで居飛車党の角換わり腰掛け銀を指す。
夜:
焚き火:UL焚き火台を庭やベランダで使い、落ち葉を焚いて桜や欅の匂いを嗅ぎ分ける。
地方競馬:大井競馬場のナイター開催日に合わせて行く。砂の匂いをかぎ、地方競馬の雰囲気を満喫する。
茶道:裏千家の茶会に参加し、濃茶の練り方をじっくりと観察する。
靴:コードバンの靴を丁寧に手入れする。
プロレス:全日本プロレスの大会を観戦する。四天王プロレス以前の時代を語ることを避け、現在の全日系プロレスを純粋に楽しむ。
これらの趣味をすべて網羅するスケジュールは、毎日・毎週の計画的な行動と、強い意志があれば可能だと思われます。
特に、地方への遠出が必要な趣味(野球観戦や地方競馬)は、他の予定とバッティングしないように計画的に調整する必要があります。
この方の趣味はどれも深い探求心を要するため、単に「こなす」のではなく、一つ一つの体験を心から味わうことが重要です。
そのため、無理にすべてを詰め込むのではなく、その月の気分や興味に合わせて優先順位をつけ、ゆとりをもって楽しむことが、趣味を長く続ける秘訣となりそうです。
これらの趣味をすべて楽しむためには、時間だけでなく、お金もかなり必要になりそうですね。
•キャンプはUL寄り。重量1kg以下の焚火台しか信用してない
•日本酒は生酛と山廃を追ってる。速醸は舌に残る
•カメラはレフ機やめてミラーレスのZマウント。Fマウントの描写は今でも恋しい
•コーヒーは浅煎りシングルオリジン。ネルは手縫いじゃないと気分が出ない
•ラーメンは二郎インスパの野菜マシマシ。非乳化スープしか認めん
• 靴はコードバン。雨の日は履かないのが鉄則
•日本刀は無銘の古刀を研ぎ減り込みごと愛でる。刀工の銘より地鉄の冴え
•ジャズはBlue Note1500番台。RVG刻印がないと意味がない
• 茶碗は井戸茶碗。均整のとれたものより崩れた口縁に色気がある
•鉄道模型はNゲージではなくHO。カツミの真鍮車体じゃないと心躍らない
•映画は邦画の70年代。にっかつロマンポルノの構図美に勝るものなし
•香水はシャネルNo.5よりゲランのミツコ。香りが立ち上がる余韻が違う
Permalink |記事への反応(12) | 19:18
まず具体的な状況はわからないのだけども、増田がお子さんのためにリモートで仕事をしていて、まだ保育園や幼稚園などに預けられないのかな(記載がなかったので)という状況からして産後するなのかなと推察した。間違っていたらごめんね。その時期って親御さんはどちらも本当に大変だと思う。お疲れ様。
増田にとっては「趣味=好きなことであるゲームが制限されている」「ゲームはストレス発散でもある」ことから、制限されることも苦痛だけど、奥さんに譲歩して妥協案を作ったのにもはや「禁止」されているのと同じ状況に陥っていて納得いってないんだろうなと感じたよ。
増田がお子さんや奥さんに寄り添おうとしている気持ちや行動はとても素晴らしいことだと思う。ただ、「増田が安らげないのは奥さんがメンヘラでメンブレ発動したからだ」という思考回路はちょっと違うのかもと思ったかな。
お子さんを育てるのって本当に大変だと思う。それは両親どちらが偉いとか、どちらが大変とかそういうことではなくて、どちらもね。本当にすごいこと。ものすごく余裕がない。子どもが第一優先で、自分の時間さえもないし、そんな中で相手を慮るって本当に難しい。
増田は趣味がゲームだけど、スマホのゲームや漫画アプリは「つまらない」と思ってしまうんだよね。そもそも好きじゃないことで時間を潰しているからかもしれない。でも同時に、全日出勤したいとも考えている。これって増田がゲームをしたいのと同じで、「自由時間を確保したい」ってことで、要するに父という役割、夫という役割から一時的に離れて、「自分自身でいる時間が欲しい」ってことなんだと思う。
それ自体は自然な欲求で、それくらい余裕がないってことなんだろうと思う。一方で、トラバでもコメントでもみんなが心配しているのは「じゃあ、奥さんって自分自身の時間を確保できているの?」ってところで。奥さんがもともとメンヘラだったかどうかは知らないし、それは今回と関係ないけど、産後の女性は体への負担はもちろん、ホルモンバランスがもう180°変わるってくらい変わってしまうから、メンブレしやすいものなんだよね。産後うつとかあるようにね。
産後は奥さんにとって、「目を離したら子どもが死んでしまうかも」と感じやすい状態にある。だからこそ、リモート仕事で増田がそばにいてくれるのってすごいありがたいこと!(すごい!)だけど、自分にとって一番の味方である人間が「別の人間と楽しそうにしている」とか「自分との関係性を遮断している(ように感じる、ヘッドフォンのくだりとか)」とかいうのは、感覚的には強烈な孤独感=生物としてものすごい恐怖を感じてしまうのかなと思った。
とはいえ増田も譲歩してるじゃん!があるし、それは偉いところ。でも、「そう感じるメンヘラ嫁のせい」って思ってしまうのは違うというか、それは仕方ないことだし、増田が増田で余裕がなくて「自分の時間が欲しい」と思うのもそれも仕方がない。お互いを犠牲にしてとか、子どもを持つ覚悟がないとか、そんな説教されても余裕がないもんはない。無理。脳内キャパオーバー。体もキャパオーバー。お互いにね。
だから、頼れるところには頼ろう。が、解決になるかはわからないんだけど、自治体で産後ケアとして一日とか半日とかお子さんを預かってくれるところとかあるよ。もしかしたら利用したり検討したりしているかもだけど。あとは夫婦それぞれがお互いを思いやる余裕がないから、夫婦カウンセリングとかで吐き出して、お互いにとって良いコミュニケーションを模索していってもよいかもしれない。増田にとってのストレス発散=ゲームをすることは奥さんにとってストレスになっちゃうし、一方で奥さんにとっては今社会でつながれるのが唯一増田だったらそこの関係性に固執してしまうけど増田にはストレスになるなら、本当にお互いにとってつらいことだし。
「自分ができることは全部やっているのに嫁のせいでしんどい」というのは、違うかもしれない。だからって増田が悪いってことじゃない。お互いにとって幸せで、お子さんにとっても幸せであってほしいと願っているよ。
趣味がゲームでVCで友達とワイワイやりながら遊ぶのが唯一のストレス発散法だった。
そんな趣味に嫁がいよいよメンブレ。
・どっかの誰かとワイワイ話しながらやってるのが不快。
・声が聞こえないようにイヤフォンして音楽聞いてなきゃいけないの苦痛。
それから大喧嘩の末離婚の危機まで至ったけど、曜日を決めてやる日を制限。
俺が遊べる日はPC設置してる部屋で遊ぶ。
・誰かと話しててもいいから隣にいてもいい?→隣にいる中で誰かと話すのは憚られるから友達と疎遠に。
・誰かとやらずともヘッドフォンしてると孤独を感じる→ヘッドフォン必須なFPS系がしにくくなる。
・ゲームしてる部屋に行きたくない、誰かと遊んでるの思い出して悲しくなる→遊べる曜日なのにリビングで過ごすことになる。
・仕事の合間の休憩がてらや、仕事を終わらせて待ち時間のときにゲームするのは色々不安な考え浮かぶからやめて→唯一ゲームできそうな時間も無くなりそう。←NEW
もう日々子供の相手して寝たら自由時間だってのに嫁の相手までずっとしなきゃいけなくてマジ虚無りそう。
なんで?そりゃFPSでどっかのだれかと味方になったり、対戦ゲーでどっかのだれかと対戦することはあるけど、交流一切してないが?
そのくせ「あなたの好きなことさせてあげたいのに、私が我慢しなきゃいけないのに」と泣きすがる。
目と口が線だけで書けるような顔になる。
無駄にスマフォゲーとか漫画アプリで暇つぶすけど、何も面白くない、ため息が止まらない。
子供のこともあるからリモートで仕事してたけど、全日出勤するようにしようかな。。昼飯や飲み物で金かかるけど気晴らしにはなる。
なんかVCに関してのツッコミが多いが、もうそれはどうでもいいの。
寝た後の週3、寝かしつけ終わって残りの家事やって終わった後、2時間くらいよ。
嫁との時間ももちろん確保してるよ、望んで出かけたいって時は子供見てるし、仕事ある日でも休みの日でも。
育児も仕事でもストレス溜まってるのをたかだか2時間程度好きにさせてもらえないのはどうかね?
VCとかもういいよ、好きな趣味くらいその少しの時間するのも悪かね?
やることはやってると思うがね?
Permalink |記事への反応(56) | 11:53
狭い世界で生きてきた私ですが、視野を少し広げてみると周りは頭のいい人たちばかりで身震いが止まりません。
自己肯定感が無いというのは一旦置いておいて、私はバカアホマヌケです。それは私の経歴を見ると一目瞭然です。
簡潔に述べます。
まず私は小学校4年生くらいから授業を聞かなくなりました。数学や理科などの知能はここで止まっています。
中学校は親に無理やり連行され全日登校するも、毎日6時間を机に突っ伏して寝、時間を無駄にしました。
適当にバイトをしてみるも半年でクビになりその後も点々とし続けました。
破天荒だった私は当時仲の良かった大人に上京したいと相談し何とか家を貸してもらうことに成功。スムーズに上京の夢が叶いましたが、その先でやりたい事を考えていなかったので知らない土地でやることも無しに毎日を過ごし、徐々に精神を病んで行きました。
苦しかった私は一人暮らしを辞め他人の家に住み込もうとしたのです。当時Twitterで繋がりのあった数人に、泊まらせて欲しいとお願いをして、その中で1番長く泊まらせてくれる人の家に向かうことにしました。猶予は半年間とのことでした。
そこから最初に言っていた半年間の猶予を超え、現在3年目、のらりくらりと居候させていただいている身ですが、私はこの家に来て、この人と居て、だいぶ価値観や物の見方が変わりました。
彼は私の世界を広げてくれました。
そして今、広がった世界から見る過去の私がどうしようもない馬鹿で、今も馬鹿で、苦しいです。
私はこの家に来るまで外見に過剰に気を遣っていました。ルッキズムが蔓延する資本主義社会に呑み込まれていたのです。
この家に来てからはほとんど引き篭っているので私の外見を咎める目が無くなり、気にならなくなりました。
逆に内面を気にするようになりました。
学生時代、皆が毎日6時間座って勉強している間私は寝ていたのでその分ごっそり学力が抜けています。
頭のいい人が横にいて苦しい。私も頭のいい人になりたい。
この家に来て文章を読むようになりました。文を読むにつれて、頭のいい人の書く文章に憧れるようになりました。博識な人にも憧れます。
そうやって世界が広まった結果、自分の不出来に気付き、怖くなっているのです。
殴り書きなので読み辛かったらすみません
昔からとにかく運も悪い友人がいる
本人はすごく真面目でまともな子なんだけど、優しそうというかお人好しに悪い意味で見られるのか
とにかく他人に踏み荒らされたり、厄介事を押し付けられたりする
修学旅行や結婚式みたいな楽しみであるはずの一大行事は、必ず様々な理由でぶち壊しにされていた
911テロで飛行機が飛ばなくなって中止になるとか、既に班も決まっていたのに、担任の勝手な都合で
DQNばかりの班に人数合わせで入れられて、そいつらのせいでDQNのやらかしとは一切無関係にも関わらず全日程部屋で謹慎とか
他人にガンガン踏み荒らされるし、他人のせいで我慢させられ迷惑かけられている
結婚式ですら、半ば無理矢理押しかけてきたDQN同僚や、仕事に責任感の無い現場スタッフとかいうバカ共のせいで、グッチャグチャで、可哀想で見ていられなかった
そんな彼女が子供を産んだが、その子供の修学旅行すらも、コロナで直前に中止になってしまった
友人はついにおかしくなってしまって「運が悪い私が子供を産んだから遺伝した」みたいな事を言い出した
否定はしたし、したかったけど、実際子供もAを小さくしたみたいな人生送ってる
変なナンパとか痴漢とかが凄く多かったり、かと思えば一切身に覚えの無いイジメ行為(少なくとも友人子は否定している)に巻き込まれ
何故か首謀者認定され、内申点も完全に終了したりと、外でも内でも敵ばかりで、まともに人生を送れてないレベル
こういう事例を見ると、不幸な人が子供を産んだら
不幸な人はとことん不幸……
タイトルの意味が分かる人、良ければ雑文に付き合っていただきたい。
~~~~~
中学受験が終わった。
うちの娘は1年前に私立見学をはじめ、娘が行きたいと言った2校に絞って受けた。
グレーの画面、不合格スタートだったものの、最終的にはどちらからも合格をもらえ、
娘の中受偏差値は40台、いわゆるボリュームゾーンにも届かないボリュゾ未満帯だ。
それでも中学受験を目指したのには明確な理由があるのだが、それは割愛する。
ここでは2026年以降にボリュゾ未満帯を目指す沼親さん達へ、
私の親としての経験と対策が参考になればと記しておこうと思う。
なお、「どこでもいいから私立にいきたい」という方にはこの記事は一切刺さらない内容である。
うちは足を運んで見学し、親子で納得した学校をピックアップして受験校を選んだ。
基本は子どもの気持ちを尊重したが、この学校のここ無理かも…みたいなところは、
娘に微妙な情報を出してちょっとだけ子どもの気持ちをコントロールし、受験校を決めた。
熱望校があるボリュゾ未満帯の沼親さんだけ、
「へー、こんな例もあったんだ」くらいの参考程度に、以下読み進めてほしい。
~~~~~
まずは、受験の意思がある個人情報を提供するところから親の仕事が始まる。
学校行事(文化祭、体育祭)の参加は学校の雰囲気をつかむのにはいいが、受験対策にはならないと感じた。
あくまで受験生対象のイベントに行き、その学校を受験する意思があることを先方に見せよう。
最後の説明会で「2年にわたってご参加いただいた方もいました、ありがとうございます」と学校が話していたのを覚えている。
オススメは3校以内。ボリュゾ未満帯の場合は、チャレンジ校枠はないほうがいい。
そもそも偏差値で「ボリュゾ未満」とされているんだから、器用にいくつも対応することはできない。
(うちは過去問題集は1校しか買わず、もう1校は説明会でもらった問題集とネット情報のプリントで済ませた)
絞ることで過去問の傾向もつかみやすく、勉強しやすくなったと感じる。
このため、第一志望を決めたら進学塾にも早めに伝えておくといい。
うちは進学塾からも「第一志望の子がいる」と情報を伝えてもらい、
説明会の回数と塾からの情報で学校側に自分の子が本気で第一志望であると
答え合わせをするような感じだ。
その1に加え、個別相談はできるだけ行き、第一志望であることをさらに学校側にアピールした。
特に12月、1月に設定された入試直前の説明会や入試体験のチャンスはフルで活用。
n回目の情報もうなずいて聞き、10冊目かもしれないパンフレットも笑顔で受け取り、
個別相談ではとりあえず第一志望であることを伝えたうえで、適当な質問をする。
うちは第一志望に50%以上の判定がでていなかったので、
ボーダーラインギリギリの点数なのだけどどうやって加点を狙えばいいか、など
受験する意志があること、合格のためにしたほうがいいことなどを聞いた。
あとは娘ががんばって過去問をずっと解いた。答えを覚えるくらい解いた。
同じ問題は出ないけれど傾向はつかめるから、数字が入れ替わるだけの問題なんかも出る。
そしてうちの娘には、特待点は狙わずに、とにかくボーダー+10点程度を目指せと話し、
具体的にどの教科で〇点以上、みたいな目標を立てた。
算数では大問題ごとに分類して、計算ではいくつ正解、文章題ではいくつ正解のような感じの目標にした。
※これは過去問と同じ傾向で出す学校に限るので、入試説明会等で聞いて対策は変更する必要があるかも※
【その6】試験日程の組み方
まずは第一志望のn回をすべて埋め、そのあとで第二志望の入れるところを入れていった。
娘は第一志望のチャンスがn回ある、と先を見ることができたし、
全日程の出願で、学校にもまた「この子は本気で第一志望なんだ」と伝えることもできたかと思う。
※試験回数で受験料金が変わる学校は要検討でもいいかもしれないが、少なくとも私が見た範囲の都内ボリュゾ未満帯校は
だいたい一度試験料を払うと全日程出願可だったので、第一志望はフルで登録した※
~~~~~
と、長々と書いたのだが、うちはいかにその学校が第一志望かを伝えること、態度で示すことに
割と注力したことは読んでお分かりいただけただろう。
ボリュゾ未満帯は学校側としても確保したい生徒の取り合いかなと思ったので、
この子は合格を出したら入学するということを言葉と行動で示すことは大事かなと動いた次第である。
実際、初日には不合格だったのだが、翌日の試験会場で先生から声をかけてもらい、
「昨日の点数はあと少しだったから、最後まであきらめずに受け続けてほしい」という言葉をいただいた。
たくさんの受験者(数十人はいた、100人近かったかもしれない)がいるのに、ピンポイントでうちの娘に個別にエールをいただき、
これで娘は心が折れることなく試験を受け続けたので、この第一志望ですアピールはかなり効いたと思われる。
実際、合格の出た試験では、娘が「目標点は絶対超えたと思う」と自信満々に戻ってきたとき、
また、これは推測なのだが、基本的に受験は点数で切られるシビアな世界だが、
定員が割れたときの繰り上げ合格などのラインは開示されていないので
この第一志望か否かは加点要素になるかもしれないと考えた。
合格ボーダーよりはるかに低ければ箸にも棒にも掛からないだろうが、
ボーダーあと少しの点ならば、もしかしたら繰り上げ連絡のときに引き上げてもらえるかも…なんて。
と長くなったが、以上がボリュゾ未満帯の親として行った伴走の記録である。
第一志望がいわゆる人気校すぎではなかったことからできたことかもしれないのだが、
伴走としてできることの記録の一つとして、ボリュゾ未満帯の沼親さん達の励みになれば幸いだ。
受験組の皆さんに🌸がたくさん咲くことを願う。
関ヶ原の戦いが起きた日付
→ 154,968日前
1.関ヶ原の戦いの日付
関ヶ原の戦いは旧暦で慶長5年9月15日ですが、グレゴリオ暦(現行の太陽暦)に換算すると 1600年10月21日 となります。
2. 日数差の計算
「1600年10月21日」から「2025年2月3日」までの日数を求めるには、いくつかの区間に分けて足し合わせる方法が分かりやすいです。
1600年は閏年(400で割り切れる年)なので1年は366日。
10月21日はその年の295日目にあたり(1~10月20日までで294日)、12月31日は366日目。
10月21日から12月31日までが72日、そこから1月1日まではさらに1日進むイメージですが、
「10月21日から翌年1月1日」としてまとめると 72日 となります。
この区間は「1601年から2024年末まで」の全日数に等しい。
年数は 2025 - 1601 = 424 年。
平年を365日とすると 424×365 = 154,760 日。
4年ごとの年 = 1604, 1608, …, 2024
その中で100年区切り(1700, 1800,1900)は平年、400年区切り(2000)は閏年
よって合計は 154,760 + 103 = 154,863日。
1月は31日、そこから2月3日まではさらに3日目まで進むと考えると、
これらを合計すると、
72
+
154
,
863
+
=
154
,
968
日
となり、関ヶ原の戦い(1600年10月21日)は2025年2月3日から数えて 154,968日前 ということになります。
どうよ
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急に寒くなってきたって夜よ夜!
お布団が寒いわ。
さすがに毛布だけじゃしのげないので、
また冬のお布団干して出さなくっちゃってそう思っている矢先のころ。
早いと思うわー。
あっと言う間よ。
もらったら返信するタイプで
まあ何通かはくるかも知れないし
お年賀だけでのやり取りって人も1年に1回のやり取りしてるぐらいなのよね。
そんでこっちから先手で出すと話題が行き交って返信にならないので、
一旦もらったものの内容に近況を書いてある人はそのお返事内容するってところかしら。
でもさ
うーん
出すにもさすがに躊躇するわよね。
もうお餅何個食べた?とかお餅食べ過ぎ注意!なんてくだらないことを書くのに100円とか使うわけ?
100円と言ってるのは
そういうアバウトな感じでいう100円って記号的な意味で言っているわ。
だいたいそんなもんでしょ?
でももうすっかり手紙やハガキを個人的に書くことも年に1回も無くなっちゃったわ。
以前は近所でのど自慢の観覧募集の往復葉書をせっせと近所で開催するときは送っていたけれど、
あれ超絶競争率高いのよ!
しってた?
なんか10回ぐらいいや256回ぐらい送ってるけど
ぜんぜん当日の観覧当たんないの!
全日の予選は誰でも入場観覧好きなときに入退場できるスタイルではやっているものの、
やっぱり本番みたいじゃない!
もうそれ以降のど自慢の観覧希望へ応募する往復葉書すら買って送ることは無くなったわ。
そんな思い出ぐらいかしら?
でも今はもうPayPalとか個人でもカード決済できるツールがあるので
特にPayPalは海外送金も楽勝!少額でわりと手数料も多くないし、
だから小為替を買う事もなくなって郵便局に行く用事すら無くなってきたわ。
あ!
思い出したけれど、
ゆうパックで届いた荷物を近所の郵便局で受け取れるようにして受け取りに行くだけだわ。
なぜか
PUDOで受け取れる設定もゆうパックしたのに
郵便局に取りに行くのが億劫なので近所の事務所の近所の郵便局に転送してもらってるのよ。
いま郵便局をマックスで活用してる人って誰なのかしら?って思ってしまうわ。
簡単な封書で送れる郵便のやつはプリンターでシールを印刷して貼ってポスト投函したらオーケーだし、
まるで、
いかに郵便局はお客さんが郵便局に来ないようにするようなことしか考えてないみたいよ。
郵便局の数ってたくさんあって中の職員もたくさんいるので成り立ってるのかしら?ってそこも心配になるけれどそんなよそのお城の心配をしても仕方が無いことこの上ない山脈に向かってヤッホー!って叫ぶしかないわよね。
とはいえ、
たまに郵便局のパワーを感じる時があって
遠方に速達は意地でも翌日に到着するってその課金しておくる速達はマジ速達!って感じで速達なのよ。
これには驚くわ。
北海道の先の何もないでお馴染みの襟裳岬に送った速達がもう翌日には届いていたのよ!
何もないと言っておきながら襟裳岬には郵便局があったってことが分かったので、
何もないことはない襟裳岬に改称した方がいいのかしら?って
そこも心配になるけれど、
何もないところですっていう記述に変更がないことにしておくことにしたわ。
ただ
上がっていく郵便代にはなんとかしてほしいものだわってのもあるし、
なぜ速達は速く届くのか!って謎も解き明かして欲しいわ。
うふふ。
めちゃ早起きしてニケと思ったけど
メンテ中だったので
時間が余った分
ポタージュスープをお湯を沸かして最近ハマっている豆乳でわるのが美味しくて、
それをゴクゴク飲んできたわ。
起きてお湯を沸かしている間にニケ!って思ったらそのメンテ中だったので
お湯だけ沸かして白湯、
つまるホッツ白湯ストレートウォーラーを作って飲んだってわけ。
朝は飲むのに忙しいわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!