
はてなキーワード:全国区とは
2026年2月12日、平日午後の情報番組として長年君臨してきた「情報ライブ ミヤネ屋」が2026年9月末で終了することが、司会の宮根誠司氏により正式に発表された。番組終盤、宮根氏は約4分間のスピーチで視聴者やスタッフへの感謝を述べ、自らの言葉で番組からの「卒業」を伝えた。この発表は、2006年7月の番組開始から約20年という節目を迎えた長寿番組の終焉を意味する。
番組終了の第一報は、2026年1月28日に「女性セブンプラス」が報じた。関係者への取材によれば、宮根氏自身が読売テレビ側に「番組を終えたい」と申し出たことが発端だった。局側は必死に慰留したが、宮根氏の意思は固く、その後読売テレビと日本テレビの上層部との話し合いを経て、10月期の改編で終了することが決まった。
2月12日の生放送では、宮根氏は「この9月末をもって私、このミヤネ屋を卒業させていただく運びになりました」と述べた。フリーアナウンサーとして番組の終わりが来ることは覚悟していたとしながらも、「何度か卒業しようと考えたこともございます。そのたびに読売テレビはじめ、皆さまにありがたいことに慰留していただきまして、この20年まで続けることができました。本当に幸せ者です」と感謝の言葉を続けた。
宮根氏は局アナ時代を含めると26歳から37年間、63歳になる年まで月曜から金曜の帯番組を担当し続けてきた。この長いキャリアを振り返りながら、「信じられないくらい恵まれた環境で、テレビに携わらせていただきました」と語った。スピーチの最後には、「やめるのをやめたという可能性もありますので、その時はまたご報告させていただきます」と笑いを誘う一幕もあった。
「ミヤネ屋」は2006年7月31日、読売テレビ制作の関西ローカル番組としてスタートした。前身は金曜のみ放送されていた「激テレ★金曜日」で、これを月曜から金曜までの帯番組にリニューアルする形で誕生した。当初は午後の遅い時間帯からの放送だったが、評判の良さから徐々に放送地域を拡大していく。
2007年10月には関東と長野を除く全国ネットに昇格し、2008年3月31日からは日本テレビでも放送が開始され、完全な全国ネット番組となった。これは、2007年9月に草野仁氏が司会を務めていた「ザ・ワイド」が終了し、日本テレビが午後のワイドショーから一時撤退したことが背景にある。読売テレビが独自に育てた「ミヤネ屋」が、結果的にその枠を埋める形となった。
番組の特徴は、宮根氏の歯に衣着せぬトークと、関西弁を駆使した親しみやすい進行スタイルにあった。読売新聞特別編集委員の橋本五郎氏、弁護士の野村修也氏といった論客とのやり取りも人気を集め、政治から芸能まで幅広いテーマを扱う情報番組として、平日午後の顔となった。
視聴率面では、2009年度から9年連続で関東・関西地区ともに通期の平均世帯視聴率でトップを獲得。20年間にわたり全国平均で5から7パーセント台を安定的に維持し、累計放送回数は4000回を超えた。近年はTBS系「ゴゴスマ」やフジテレビ系「旬感LIVE とれたてっ!」など他局の追い上げもあったが、コア視聴率では依然として同時間帯首位をキープしており、高視聴率を保ったままの終了となる。
宮根氏が番組終了を決断した理由として、複数のメディアが共通して伝えているのは、「新しいことに挑戦したい」という本人の強い意志である。関係者の証言によれば、2年前に還暦を迎えた頃から「安定にしがみつくのではなく、新しいことに挑戦したい」という思いを抱いていたという。2025年7月に番組が20周年を迎えたことが、その思いをさらに強くした。
宮根氏は1963年生まれで現在62歳。朝日放送に1987年にアナウンサーとして入社し、関西で人気アナウンサーとして活躍した後、2004年にフリーへ転身した。その際も40歳という節目で「一から出直す覚悟」を決めたとされ、今回も同じ心境で新たな挑戦に臨むという。
また、平日は大阪で「ミヤネ屋」、週末に上京してフジテレビ系「Mr.サンデー」に出演するという生活を15年間続けてきた体力的な負担も、決断の背景にあるとの見方もある。関係者は「年齢的にもいまが最後のチャンスと考えている」と語っており、宮根氏自身が番組の20周年という区切りを、自らのキャリアの転換点として捉えたことがうかがえる。
宮根氏は2025年7月の20周年の際、「平時は型にはまらず楽しく、もし大きな災害や緊急事態が起こったときはいちばん頼りにされる。そんな正体不明の番組であり続けたい」と今後の意気込みを語っていたが、この頃すでに大きな決断を胸に秘めていたとみられる。
「ミヤネ屋」の成功は、テレビ業界において大きな意味を持つ。地方局が制作する情報番組を全国ネットで放送するというスタイルは、現在では珍しくないが、その先駆者こそが「ミヤネ屋」だった。放送関係者は「番組の成功を見て各局がまねた格好。昼の情報番組に与えた影響は計り知れない」とその功績を評価している。
ただし、番組終了の裏では、後番組をめぐる読売テレビと日本テレビの複雑な関係も指摘されている。全国放送での月曜から金曜の帯番組は、地方局にとって貴重な枠であり、CMなどの営業収入も莫大だ。読売テレビ内では「ミヤネ屋」が全番組の中でも最大の収益源となっていた。
この枠をめぐり、日本テレビ側が「枠を戻せ」と主張する可能性も報じられている。かつて日本テレビは「ザ・ワイド」を終了させ午後のワイドショーから撤退したが、読売テレビが独自に育てた「ミヤネ屋」が成功を収めたことで、複雑な思いを抱えていたとされる。現在、後番組については未定とされており、今後の動向が注目される。
「ミヤネ屋」の終了により、平日午後の視聴率競争は新たな局面を迎える。現在、同時間帯ではTBS系「ゴゴスマ」が健闘しており、司会の石井亮次氏、フジテレビ系「旬感LIVE とれたてっ!」の青木源太氏と、宮根氏を含めたフリーアナウンサー三つ巴の戦いが注目されていた。最古参の宮根氏が退くことで、この構図は大きく変わることになる。
一方、宮根氏の今後については、現時点で具体的な発表はない。「Mr.サンデー」の司会は継続するとみられるが、新たな挑戦の内容は明らかにされていない。関係者は「40歳のときと同じ心境で一から出直す覚悟を決めている」と語っており、宮根氏自身がどのような道を選ぶのか、業界内外の関心が高まっている。
番組は2026年9月末まで放送を続ける。宮根氏は「残り半年ありますので、まだ半年頑張っていきたい」と述べ、最後まで視聴者とともに歩む姿勢を示した。20年にわたり平日午後の情報番組をリードしてきた「ミヤネ屋」が、どのような形で幕を閉じるのか、そしてその後の平日昼のテレビ界がどう動くのか、今後の展開に注目が集まっている。
参政党とチームみらい、どちらも政策に一理あると思いつつも、合わないというより、これって解釈次第ではちょうど自分が切り捨て対象に当てはまってしまうのではないか?という不安を感じる要素があった。
(もちろん、はっきり書かれているわけではない)
そんな中、次のような見解を見つけた。
なるほど。私はどっちでもない。
地方郊外の戸建てに住み、地方都市の都心部に電車で通うサラリーマンで、妻もフルタイム共働きで子供がいる。
生活圏は①に近いが、彼らと張り合うことはない。
良く言えば「地方版パワーカップル」かもしれないが、①②双方から、どこか負け組に見られそうな立ち位置だ。
いや、①からは違いが可視化されず、②からは視界に入らず、存在しないことにされてるかもしれない。
同じように「彼らの想定する存在にない、外れ値」に自分が該当しそうな気がしてならないのだ。
共働きを否定されたら、金銭面もだが、たぶん育児でメンタルが詰む。
地方で全国区のことをするのを否定されたら、たぶん今の仕事は続けられない。
これ以上の言語化は避けたいが、とにかく、今の生活を根底から否定されないだろうか?という不安にさいなまれる、それが正体だと気づいた。
Permalink |記事への反応(16) | 21:45
いつも連絡してくださって、丁寧に公明お願いとおっしゃってた方、今日は ー将来を考えて中道ですー
とのこと。
でも、自分のなかでもまだ整理できてないらしい。
てか、もうその二つあわせて次は以前の片方以下の議席数ではもうアカンな。あ、おれ?ずっと立憲だったから今回初めて中道わかったぜと答えた訳だが。
中道は自民じゃないし、中でも少しはまともなこと言ってる責任ある政党なんだろう、けど、他の振り切ったポピュリズムに比べるといかんせん、言ってることがまともすぎて影が薄すぎる。薄味でもうほとんど水。
そして見事に皆様、細かいターゲティングで刺さる言葉を選んで来ました。
あれさ、むかしの派閥がなくなって、右か左か、積極財政か、将来健全財政かの4象限を、さらに年代や性別で味付けしてる。細かすぎて多数派は出ない。
中選挙区か全国区もありかも。昔と違って沖縄の人も釧路の人の演説もトークもリアルタイムで見れるんだぜ、24時間垂れ流せるし、いつでも活動全てをチェックできる。隣にいるくらいの解像度で。
そんな状況で自分の意見が多数派ってなるのは、死にたくないとか、楽したいとか、減税なのにばらまくとか、そういう一見良さそうで誰にも負担がないという、ただし破綻の時限爆弾しかないんじゃない?
そして地域の産業構造で選ばれる代表者。京都とか豊田市とか、枚挙に暇なし。一区現象、都市部対地方的な。
いろいろおわってるなー。
やっぱり、発展する金がないし、だんだん厳しくなるんだろうな。仲良しにばらまく政治だった世界がまたすぐそこへ来ている。
今は、アメリカより食費も医療もまともだけど、あと30年もって欲しいなあ。
おれ?
桜井稔(99)
この人のことは私もよく知らない。タイヘイマーキュリー時代のレコードはここhttps://zarigani3.web.fc2.com/tm-rp/sakurai.htmに網羅されており昭和二十年代デビューだと窺える。代表曲は「哀愁の佐渡航路」だろうか。https://youtu.be/K8LUvE1lQvM?si=-F6QvPiqEDX6SIBV作曲家としても活躍し愛知県弥富市で桜井稔歌謡研究所という歌謡教室を開いているようだ。
中島孝(99)
1946(昭和21)年に晴邦劇団に入団しムーランルージュ新宿座のレビューショーで歌手生活を始める。ちなみにこの劇団の主宰は寅さんのおばちゃんでおなじみ三崎千恵子夫妻。1950年レコードデビュー。1954年「若者よ!恋をしろ」がヒット。https://youtu.be/W2pdZrM2sYY?si=ltIoliyOo7tXF9Gu
菅原都々子(98)
第1回紅白歌合戦トップバッター。紅白の歴史はこの人から始まった。今では1955年のミリオンヒット「月がとっても青いから」の印象が強いがデビューは1937年。父は浅草オペラの歌手だった。二十代の頃の歌う姿が映画に映っている。https://youtu.be/G0q0XHIlnkA?si=lcz2pN6uCJN9tPwb
楠トシエ(98)
800曲以上を吹き込んだCMソングの女王。https://youtu.be/mHZsauDJAgA?si=OEyf3lpKXe8VyreV 1949年ムーランルージュ新宿座で歌手活動を始める。三木鶏郎の人気ラジオ番組「日曜娯楽版」に出演し全国区の人気者になりマルチタレントとして活躍。2011年のドキュメンタリー映画「ムーランルージュの青春」では三崎千恵子や中島孝と共に思い出を語った。紅白には7回出場。
吉岡妙子(97)
1947年デビュー。なんといっても1954年の津村謙とのデュエット「あなたと共に」の大ヒットに尽きる。辛いことがあってもあなたと共に乗り越えていきましょうと朗らかに歌い上げるこの歌は結婚式の定番曲になった。https://youtu.be/IxIAgkwCriY?si=YpsFeQwJiZVw3uEe 1956年「私の幸せは何処へ」で紅白出場。
1949年デビュー。1953年「毬藻の唄」がヒット。https://youtu.be/MJsFookqleY?si=SshJLJFYvHFDYP0D阿寒湖に歌碑が残る。結婚し引退していたが1982年に復帰し同時代の二葉あき子や並木路子とコンサートを開いた。
曽根史朗(95)
1954年デビュー。1956年「若いお巡りさん」が爆発的大ヒット。ピンク・レディー「ペッパー警部」はこの歌のパロディにあたる。近年なんと90歳で「若いお巡りさん」を歌い話題になった。声量も音程も若い頃と変らない驚異的な歌唱だ。https://youtu.be/_gGV_HJ7JnA?si=tr4mQmj8W5n0GDGr
二葉百合子(94)
1934年わずか3歳で浪曲師として初舞台を踏む。9歳で一座の座長となり全国を周る。1957年レコードデビュー。1972年「岸壁の母」のカバーが大ヒット。石川さゆり坂本冬美島津亜矢らの師匠でもある。92歳の時に歌った「岸壁の母」はまさに絶唱。https://youtu.be/qbNknECiUJo?si=bd3ZvX76xpqLRSysこぶしも台詞回しも堂々たるもので深い感動を呼ぶ。(続く)
あまり話題にならない土地だが、話題になる時はろくなもんじゃないね。大昔のことだけど記憶に残ってるのは、公務員が海外に研修に行ったら利用したバスが交通事故に巻き込まれた事件。市役所の前にマスコミが中継に来て、ギャラリーの一般人の群れがイエーイ!ピースピース!ってやってた。なんつうかそういう所なんだな。
市役所といえば、昔は色々と公務員の腰が重くて鈍臭いのが問題になったかなんかで「すぐやる課」みたいな課が出来てたような気がするけど今はどうなんだろうな。
某高校の印象としては、上の世代は農学校だと思い込んでるけど自分としては機械いじりの好きな人が行く所かな。多分農業機械とかやる学科があったのかな、しらんけど。
この地方の風土と人々の特徴みたいなの。だだっ広い平地で物理的には風通し抜群なのに人間関係の閉塞感ぱねぇ。私見だがなんでも我慢すれば何とかなると思われてる。虐げられてもニコニコしながら我慢してるイメージ。しょっちゅうすごい濃霧に覆われるからかなあ、こんなに人間が湿っぽいの。平地なのに。
あ、でも東や南のほうは広々としてるけど西のほうは峠とか急勾配ありまくりだったね。関東平野の切れ目だからね。
基本的に人が陰湿なのでああいういじめが起こることはまあそんなこともありますねって感じだね。何ならいじめっ子が実はターゲットであいつを吊るし上げるための動画なのかもしれんと思った。でも今時の高校生は全国区で何でもかんでも動画に撮って後先考えずに世界にやつばっかりだから、これはこの地方の高校生が特段に馬鹿という事を意味するわけでもないのかもしれないが。
自分が学生の時は暴走族とカツアゲマンが多かったよ。下校中に待ち構えて「ほら、ピョンピョン跳んでみろ?」って言ってくるよ。
その頃のろくでなしがそのまま地元に残って子供拵えていると思うと恐ろしくて地元帰れねえ。
加害者の顔立ちが珍しいので大陸の人なんじゃないかと言われてんの見たけど、あの地方と茨城県と群馬県の一部にはあんな顔の人がいっぱいいるよ! 色白目ちっさい馬面がデフォなんだよ。東の隣町の方さ行くと色が黒すぎて南の島に行って現地人と間違えられるような部族がいっぱいいるよ。どうしてこうも白黒はっきりしてるのか不思議だよ。白黒はっきりさせるの苦手民ばっかりなのにな。
栃木県警は勇ましいこと言ってるけど正直あまり期待はしてないかな。ましてや地元の教育委員会とかすぐに人間関係の綾に絡め取られて手詰まりになりそうだけど大丈夫?
加害者は人生終わってしまった感あるけど親の力次第のとこあるね。被害者の方は、親がちゃんと病院連れてってくれて診断書取って弁護士つけて闘ってくれる人だといいね。それが出来ない人が多いという印象を自分は持ってるけどな。うん、どっちにしろ親次第なんだよ。
【追記】
おっと書き忘れてた。いじめ動画の舞台となった便所が綺麗な件。今はどうか知らねども、自分が学生の頃は掃除と避難訓練は厳しくやらされた。競い合うように掃除するから校舎の中綺麗。偶々自分の出身学校がそういう校風だったのか、市内の学校が全てそうだったのかはわからないけど。他の学校に研修に行った校長先生は翌朝の朝礼でまず他の学校の掃除状況を貶すという思い出がある。ともかく便所綺麗なことに自分としては違和感ない。単に最近改築しただけだったらゴメンネー。
平成二桁生まれの20代なんだけど、最近やたらと地方の議員とか首長のスキャンダルが全国ニュースになってる気がする。号泣会見だの、不倫だの、政務活動費の不正利用だの。
もちろん昔から政治家の汚職事件みたいな大きな話はあったんだろうけど、今みたいに地方の議員個人の問題が、ここまで頻繁に全国区の話題になってたっけ?って思うんだ。子供の頃の記憶だと、もっと大きな事件じゃないとテレビのニュースでやらなかったような。
これってたぶん、SNSとネットニュースの影響が大きいんだろうな。
昔はテレビ局や新聞社が「これは報じる価値がある」って判断したものがニュースになってたけど、今は地方の小さな問題でも、誰かがSNSに投稿すれば一気に拡散する。それにネットニュースが食いついて、さらに燃え上がって、結果的にテレビのワイドショーでも取り上げられる、みたいな流れ。
昔だったら地方紙の片隅に載るくらいで終わってたような話が、今や誰でも発信者になれる時代だから、良くも悪くも可視化されやすくなったってことなのかも。
だから、昔よりスキャンダル自体が増えたというよりは、「知る機会」が圧倒的に増えたってことなんだろうな。昔の政治家がみんなクリーンだったなんて思わないけど、今の方が有権者の監視の目が厳しくなってるのは間違いない。
それが良いことなのか、ちょっと息苦しい世の中なのかは分からないけど。ただ、自分の住んでる町の政治家が何やってるか、昔よりはるかに分かりやすくなったのは事実だよな。
(略)これはもう執念で首相の座をとりに来るなと。
結果、なりふり構わず日本維新の会と連立を組むことで首班指名選挙を乗り切りました。でも維新との連立合意には相当な無理があると思います。たとえば、合意書には衆院議員定数の削減を目指すとありますが、これは、維新が言う「身を切る改革」うんぬんの話ではなく、国民の声を国会に届けるための制度設計の話であり、民主主義の根幹に関わる問題です。内閣に責任を持たない閣外協力を選んだ政党と、数日間協議しただけで進めてよいテーマではありません。
維新は「改革」ポーズがウリだが、国政ではずっとなにがしたいのかわからない状態で、大阪の地盤固めのためのパフォーマンスとして国政政党やってきた。
元々標榜するところの政策・理念は公明よりよっぽど自民と親和性があるのにこれまで自民に接近するでもなく取って代わろうとするでもなく漫然と「ゆ党」続けてきたのは「営業」だからである。地元ローカル局で全国区タレント面するためにちょい役ででもキー局に出して貰い続ける必要があるのだ。
そして事あるごとに議員を減らせだの首長の給料返上だのというが、政治家を干上がらせることは何ら「民主的」ではなく、それでも平気な奴しか政治に参入できなくさせる、エスタブリッシュメントによる「政治の家業化」の一端でしかない。
そんなやり口にチョロリと転がされるのは頭パーの大阪のおっさんオバハンだけである。
今回初めて自民に接近したのは、なんのことはない国民・参政に「第三極ポジション」のお株を奪われたからだ。
維新の本質が「営業」であるいっぽうで、自民の本質は「当選のためなら何だって売る」だろう。土下座外交と言われるものも「平和憲法」の墨守も、左翼ではなく自民党政権がずっとやってきたことだ。
政権与党であり続けるためなら何だって売り渡す。だから公明とも組めた。そして今回のこれ。
維新がいつものオバハン受けのためだけの軽〜いノリで制度設計に手を突っ込むことを連立入りの条件に掲げて見せ、
自民もいつもの「与党で居るためならなんでも売り渡す」ノリで、ヒョイパクで呑んだ。
ところでそんな間、立憲は何をしてるのか?
特に何もしてない。というかいつもピンボケの野田よりは辻元がまとめればいいんじゃないかと思うものの、これまでそういう流れは片鱗すら見えないしもう無いだろう。立憲の本質は手頃な斬られ役であり「万年大部屋俳優の吹き溜まり」である。
タダで名乗れない「なみえ焼そば」…売り上げ2・5%徴収、町商工会「PR資金に」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yomiuri.co.jp/national/20251011-OYT1T50063/
thacaChasma飲食店で売上の2.5%は大きい。しかも商工会より前から名乗っていた店に対しても一方的に文書を送りつけるだけとは。このまま「なみえ焼そば」を名乗る店が無くなってご当地グルメとして滅びる失敗事例になりそう。
杉乃家は、うどんや丼ものを扱う食堂として35年前に浪江町で創業。なみえ焼そばを扱い始めたのは5年前、商工会青年部がB級ご当地グルメでまちおこしを始めたときでした。
5年前の2006年といえばB1グランプリが始まった年なのでおそらくそれに触発されて
同ブログには商工会青年部の人が地道にPR活動に励む様子も書かれている
http://blog.livedoor.jp/kaz823ad/archives/51663830.html
http://blog.livedoor.jp/kaz823ad/archives/51876073.html
上の記事でコスプレしてPRしている八島さんのインタビュー記事
いまでは全国区となった「なみえ焼そば」ですが、それを使った浪江のPRを考え始めたのは、私が浪江町商工会の青年部長に就任した2007年のころです。
浪江にも極太の中華麺を使った独特の焼そばがあるじゃないか!これで我々もB-1出場を目指そう!ということになり、2008年、まちおこし団体である「浪江焼麺太国(なみえやきそばたいこく)」を“建国”し、私が初代の「太王」(団体代表)に就任したのです。
2010年には念願のB-1グランプリ初出場を果たし、マスコミにも取り上げられるようになって、町民の皆さんも少しずつ「なみえ焼そば」を我が町のシンボルとして語ってくださるようになりました。それまでは、町民にとっては昔から食べ慣れた、ただの「焼そば」だったんですけどね(笑)
まるで後乗りして金だけとろうとしてると言わんばかりのブコメすら見受けられるが
「なみえ焼そば」というネーミングも含め商工会が主導してご当地グルメとして広めていったことが伺える
だが企業の協賛金などが頼みとなっており、商工会は「資金面で厳しく、今後は収入を確保してなみえ焼そばの普及につなげたい」とロイヤルティーについて説明した。
規模が大きくなってくればボランティア的活動では限界がありビジネスにしていかないといけないというのは十分理のあること
もちろん店舗サイドには店舗サイドの言い分もあるだろうし、社会におけるありふれた利害の衝突であってどちらが良い悪いという話ではない
ニュースを見ても「どっちが良いもんでどっちが悪いもん?」っていう小学生レベルの思考しかできず
中身をろくに調べずに「こっちが悪だな!叩くぞ!」と怒りポルノに酔いしれる