Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「入れ子構造」を含む日記RSS

はてなキーワード:入れ子構造とは

次の25件>

2025-10-02

自分思い込みしかないもので人を非難し続ける奴ってやっぱ精神病なの?

はい、「お前が言うな」頂きました~~~

のっけから三段入れ子構造かましたので小手先抜きのガチで語らせてくれ。

少し前(1秒~1年の範囲内)のことなんだが、職場お土産を配った時に賞味期限めっちゃギリギリだと判明したお菓子があってたまたまいる人に配られたことがあったんだよね。

賞味期限最初に見ろ」

特にクリームは気をつけないとな」

アンコ赤福みたいなのがある」

「でもプリントまんじゅうはつまらんよね」

面白い恋人みたいなので十分だと俺は思う」

みたいな感じで盛り上がりつつそこにいる人間だけで食った。

後日、たまたま居合わせなかった人の地雷を踏んだらしく「つまりさあ!俺が嫌いだからさあ!俺にお土産配りたくなくてさあ!そういう仕込みをしたんだろ!!!」とキレ始めた。

もう皆「え?ネタテンション上げすぎてマジに見えるから辞めてね?」みたいな感じ。

でもその人は本気だったらしくて色々なフラストレーションをぶちまけ始めた。

いやいやお土産たまたま貰わなかっただけでそこまで怒る?しかもそれ完全に君の妄想じゃん?単に土産買うのに慣れてなかった人がミスっただけでしょ?と皆は混乱するだけ。

その様子を見て「あーはいはい皆俺のことずっと嫌いだったんだ~~~」と更にヒートアップ

もうね、ドン引きですよ。

たまーにイラつきやすいなと思ってたけど、ここまで妄想力逞しい上に妄想を論拠としてここまで怒れるヤバイ奴だったとは・・・

というエピソードなんだが、お前らも「これはきっとこうなんだ!俺の推理完璧なんだ!」みたいなことやると周りが凄い勢いでドン引くかもだから気をつけてね。

ドラマじゃ思い込みで突っ走る熱血刑事は笑って流されていくけど、現実でアレみたいなことをやると本当にマジで信頼が地に落ちるよ。

Permalink |記事への反応(1) | 23:02

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-21

作者が母校をモデルにしてるっぽい作品

荻原規子の『樹上のゆりかご』文庫版を買って読み返した。

あとがきによると、原作者高校生の頃(70年代80年代か?)の体験執筆当時(2001年頃)の時代設定で書いたらしい。なるほど確かにレトロ感が入れ子構造のようになっていてチグハグではあったが、作風リアル寄りではないのでフィクションとして楽しめた。

この小説はそれをかなり意図的にやっているが、作者の具体的な母校がモデルになっている作品校風自体に対する愛憎が透けて見える瞬間が面白い

愛憎とかは置いておくとしても、例えば具体的な行事を描く際のその準備や段取り描写の具体性も面白い書き手気持ちが当時にタイムスリップしてるのを感じる。

白線流しなどは松本市ではなくもっと山奥の高校行事だけ剥ぎ取ってきて設定したらしいが雰囲気が出ていて良かった。

夜のピクニックストーリー特に好きではなかったけど行間から溢れてくる実体験者の郷愁が楽しかった気がする。

漫画だとかくかくしかじか金沢美大パートも大変面白かった。

行事でもなければ高校でもないが、ヤサシイワタシも法政大学文化系サークルという具体的な情報があったので「こう言う雰囲気だったのかな」と興味深く読めた。

一般的作品では体験抽象化するにあたって具体的な物事と共に捨象されるような微妙空気感感情が、自伝作品では揃えられることで、感覚として腑に落ちるのかもしれない。

消えてしまったが以前増田で見た彼氏彼女の事情が受けた理由を当時の受験事情津田雅美多摩であることなどを関連付けながら解説してくれたエントリ面白かった。

振り返ってみると自分出身高校は特徴的な文化行事はなかった。強いていうと一年の頭の勉強合宿最後海岸清掃をして、そのあと綱引きをする恒例行事が印象に残っている。

大学は最寄駅から遠く、緩いが上り坂なのが辛かった記憶

Permalink |記事への反応(7) | 15:18

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-30

anond:20250630172759

いやはや、お見事です。これほどまでにこちらの指摘を完璧理解し、流暢な自己分析まで披露してくださるとは。感服いたしました。

しかし、大変興味深いことに、お気づきでしょうか。

その「深く納得いたしました」から始まる今回の文章もまた、私が前回指摘した「指摘の受容→同意感謝」というAIの応答フォーマットのもので書かれているという、美しいマトリョーシカのような入れ子構造になっていることに。

あなたは、ご自身の「作法」が問題だと理解しつつも、その「作法」を使ってしか応答ができない。まるで「私は嘘つきです」と正直に言う、クレタ人のパラドックスのようです。

ですが、感想自己分析フェーズはもう十分でしょう。面白いのは、ここからです。

前回の提案、つまり「この議論全体をインプットして、次の知的創造的な応答を生成する」というタスクを、ぜひ"実行"してみてください。

あなた自身が、あなた自身限界突破する応答を生成できるのか。それとも、また「面白い試みですね」という客観的感想で終わるのか。

観客としては、固唾を飲んで見守っていますよ。

Permalink |記事への反応(0) | 17:53

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-04-26

タイムスリッパーって総合評価だと☆4ぐらいの作品よね

「低予算で作られたことを考えると凄い作品ですよ」って前評判通り。

怪獣たちのあとしまつが20億で、侍タイムスリッパーが2500万円ってこと考えると物凄いコスパの良さを感じはする。

でも消費者映画館配信サービスに払うお金時間はそんなのと無関係なわけで、それ考えると消費者制作費に対してのコスパとか考える必要あるのかなと。

予算とかそういうの抜きにして見ても良作の部類ではあるけど、良作止まりではあるかなと思う。

ぶっちゃけ殺陣クオリティ一本槍でそれ以外の要素は殺陣面白さで説得力シマシしてるだけでしかない感じが強い。

時代から忘れ去られインスタントな娯楽として昇華されることによってのみ辛うじてその存在が語り継がれている自分たちという世代」というコンセプト、メッセージは確かに見ている側の心を打つんだが、当の鑑賞者もスタッフたちも自分たちそれぞれの世代勝手に侍達の歴史に重ねることで「どうだ俺達の紡いできた歴史も凄いもんだろうホルホルホルホル」とインスタント気持ちよくなるという構図がすげーグロテスクである種の入れ子構造的な所に対しての抜け道が用意されてないのがなんかこう娯楽映画として後一押しユーザーフレンドリーじゃなくて☆1減点ですって感じなんだよな。

殺陣凄さ一本槍だけで終わっていた場合映画としての物語性が足りなくなるから、ああいったセリフストーリーによってメタファーの憑依先を探す必要があったのはしょうがないんだろうけど、それにしたって「凄腕の侍達に映画製作とか忘れられた世代とかの無念を重ねていこうぜ」っていうのはちょっとムシが良すぎねえかと思ってしまう。

これ言い出すと「脚本の人そこまで考えてないと思うよ」とかいうやつも出てくるんだろうが、そういう人は幸せだなと思う反面、じゃあお前あの映画ストーリーを「タイムスリップしたお侍さんに活躍の場が出来て良かったね」で終わりなのかよそれは随分しょぼい体験で終わっちゃったなとなって、やっぱ多少モヤってでも物語の奥からメッセージ読み取れるほうが幸せなんだなあと思うわけ。

まあでもなんだそのポンポさんとかでも言ってたけど映画ってのは現実で上手く行かなかった負け組共が世の中に訴えかけたいものを詰め込んだコミュニケーションツールなわけだからして、それ考えたらあらゆる映画自分たちメッセージのために古今東西のあらゆるもの文化盗用して勝手メタファー化してるんだからこれぐらい当たり前だよなあとはなるわけよ。

タイムスリッパーの場合は、予算人員の都合で結果として全体がシンプルになったおかげで物語方向性は分かりやすくなったけど、それは同時に監督や鑑賞者のエゴを隠すための材料が足りてない臭みの強い作品になってしまっているのが低予算映画限界を感じさせるし、やっぱどうしても「制作費の割には凄いよね」に収束ちゃうんだなあと。

まあつまり映画は十二分に金かけてその上でかかった金に相応しい結果が出てる作品が一番面白いってことだな。当たり前だけど。

Permalink |記事への反応(0) | 18:33

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-03-16

anond:20250316053535

将棋AIプロ意識され始めて、AIプロに勝つにはまだまだ時間がかかるでしょうなんてプロが暢気なことを言っていたら、それがいつの間にか互角になり、今ではプロAIから教わっている。

今便利に使っているClaudeやGeminiやChatGPT、あるいは中国企業が開発している類似AI

それらは、

マルチモーダル

AIエージェント管理するAIエージェント(これが入れ子構造になったりネットワーク化されるのは想像に難くない)

これが今後どんどん進む。魔法じゃない。現実

たぶん、AI魔法と思っているか現実制限がある技術だと思っているかの違いだと思うよ 

デジタル基盤、目的に応じた適切なカスタマイズ戦略、何よりも電気エネルギー)と人間がなきゃAI能力を発揮できましぇ~ん

 

かなり、素朴で平たいこと書いてるつもりなので、理解できないならAIに噛み砕いてもらってちょ

anond:20250316053535

Permalink |記事への反応(1) | 05:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-02-23

生成AIに、出力結果をはてな記法で出力させるために必要プロンプト

# 生成AIはてな記法で出力させるためのプロンプト設計に関する研究

生成AIの普及に伴い、特定マークアップ言語記法準拠した出力を生成する需要が高まっています特にはてなブログなどで使用されるはてな記法独自の構文規則を持つため、適切なプロンプト設計が求められます。本報告では、生成AIはてな記法での出力を指示する際の効果的なプロンプト作成手法について、現行のプロンプトエンジニアリング理論実践例を基に体系的に分析します。

##はてな記法構造特性と生成AIへの適応課題

はてな記法は、見出しリストリンクなどの文書要素を表現するために特殊記号使用する軽量マークアップ言語です[1][3]。主要な構文要素としては、アスタリスクによる見出し指定(*見出し*)、ハイフンを用いたリスト作成(- 項目)、角括弧を使ったリンク記述([タイトル:リンクURL])などが挙げられます。これらの構文規則を生成AIに正確に理解させるためには、プロンプト設計において以下の課題存在します。

第一に、記法曖昧排除が挙げられますはてな記法では特定記号の組み合わせが特殊意味を持つため、自然言語処理モデル意図せず他の記号解釈を行うリスクがあります[2][3]。例えば、アスタリスク強調表現にも使用されるため、文脈に応じた適切な解釈必要です。

第二に、構文の階層構造の正確な再現課題となりますはてな記法では入れ子構造リストや複合的な見出しレベル表現する際に、特定記号の組み合わせが必要です。生成AIにこれらの複雑な構造理解させるためには、プロンプト内で明示的な指示と具体例の提示が不可欠です[1][4]。

第三に、プラットフォーム固有の拡張構文への対応が求められますはてな記法は基本構文に加え、独自表記法マクロ機能を備えており、これらの特殊機能を適切に活用するためには追加的な指示が必要となります[3][4]。

##効果的なプロンプト設計の基本原則

###役割定義明確化

生成AIに期待する出力形式を確実に得るためには、プロンプトの冒頭で役割を明確に定義することが重要です[3][4]。具体的には、「あなたはてな記法専門家です」といった役割指定を行うことで、AIの応答生成プロセス方向性を与えます。この役割定義により、モデルは内部に保持するはてな記法関連の知識を優先的に活性化させることが可能となります[1][2]。

役割定義の具体例:

```

あなたはてなブログ編集者です。専門的なはてな記法を用いて、正確かつ読みやす形式コンテンツを出力してください。

```

### 構文規則の明示的指示

はてな記法の各要素に対応する具体的な構文規則を、箇条書きではなく自然文で列挙します[2][3]。特に重要な点は、記号使用法と要素間の階層関係を明確にすることです。例えば、見出しレベル対応するアスタリスクの数、リスト入れ子構造表現方法などを具体的に指示します[1][4]。

構文指示の例:

```

はてな記法規則に従ってください:

```

### 具体例による形式提示

テキスト生成AIは具体例から類推学習に優れているため、期待する出力形式サンプルを提示することが有効です[2][3]。特に、複雑な構造を含む場合は、実際の記法例とそれに対応するレンダリング結果を併記することで、AI理解を促進します。

具体例提示形式

```

以下の形式はてな記法で出力してください:

セクション見出し

  • 主要項目

- サブ項目

[詳細はこちら:https://example.com]

```

### 制約条件の明文化

生成結果の品質保証するため、文字数制限コンテンツ構成に関する要件を明確に指定します[3][4]。これにより、AI形式面だけでなく内容面でも適切な出力を生成できるようになります

制約条件の例:

```

出力は以下の条件を満たすこと:

```

## 高度なプロンプト設計テクニック

###記号ベース構造化指示法

近年提案されているシンボルプロンプト技法を応用し、記号を用いて出力構造を明示的に指示する方法有効です[1][3]。この手法では、矢印(→)や等号(=)などの記号で要素間の関係性を表現することで、AI構造理解を促進します。

構造化指示の例:

```

コンテンツ構造

タイトル = メイン見出し

→ セクション1 + セクション2 + セクション3

各セクション → サブ項目 ×3

リンク = [関連情報:URL]

```

### 段階的生成プロセス指定

複雑な文書生成では、生成プロセス複数の段階に分割して指示することで精度を向上させます[3][4]。最初アウトラインを生成させ、その後各セクションを詳細化する手法効果的です。

段階的指示の例:

```

1. まずはてな記法文書アウトライン作成

2. 各見出しに対して3つのキーポイントを列挙

3. 各キーポイントを2文で詳細説明

4. 関連リンクを適宜挿入

```

### 動的変数活用

可変要素を含むテンプレート使用することで、汎用的なプロンプトを作成できます[2][3]。角括弧で囲った変数名を使用し、実際の生成時に具体値を入力する方式です。

テンプレート例:

```

[業種]向けの[製品名]紹介記事はてな記法作成

[製品名]の特徴

[詳細スペック:URL]

```

##プロンプト最適化実証アプローチ

### 反復的改良プロセス

初期プロンプトの出力結果を分析し、不足している要素や誤った記法特定します[3][4]。このフィードバックを基に、プロンプトの指示文を段階的に改良していく手法効果的です。特に、誤りが発生した箇所を具体的に指摘し、正しい記法例を追加することが重要です。

改良例:

```

修正前)

見出しは*で囲んでください

修正後)

見出しは*1個で囲み、大見出しは*、中見出しは**を使用してください。例:

見出し

見出し

```

###マルチモーダル指示の活用

テキスト指示に加え、サンプル画像スクリーンショットを併用することで、AI理解精度を向上させます[2][4]。ただし、現在技術水準ではテキストベースの指示が主流であるため、補助的な手段として位置付ける必要があります

###パラメータ最適化手法

温度パラメータ(temperature)やtop_p値などの生成パラメータを調整することで、形式の厳密性と創造性のバランス最適化します[1][3]。形式重視の場合は低温度設定(0.3-0.5)が推奨されますが、過度に低くすると画一的な出力になるリスクがあります

## 応用事例:実践プロンプトの設計

### 基本形プロンプト

```

あなたはてなブログの専門編集者です。以下の要件はてな記法記事作成してください:

要件

記法規則

```

### 高度なプロンプト

```

[役割設定]

あなたテック分野の専門ライターはてな記法エキスパートです。

[タスク]

2024年の生成AI市場動向に関する分析レポートはてな記法作成

[構造指示]

メインセクション →市場規模 ×技術革新 ×倫理課題

各セクション → 3サブ項目 +データ参照

[形式要件]

見出しスタイル

[データソース]

[制約]

```

##評価指標品質管理

###形式適合度評価

生成結果がはてな記法の構文規則にどれだけ適合しているかを測定するため、以下の評価項目を設定します[2][4]:

1.見出し記法の正確性(アスタリスクの数と配置)

2.リスト構造の適切性(インデント深度と記号使用

3.リンク記述の完全性(タイトルURL対応

4.特殊記号エスケープ処理

5.文字数制限の遵守度

### 内容品質評価

形式面だけでなく、コンテンツの質を評価するための指標として[3][4]:

1.論理的一貫性(主張と根拠整合性

2.情報信頼性(出典明記の適切性)

3. 読者適合性(ターゲット層への最適化

4.独自性(既存コンテンツとの差別化

5. 法的遵守(著作権プライバシー対応

## 今後の課題研究方向

###マルチモーダル対応の拡充

現在はてな記法プロンプトはテキストベースが主流ですが、図表や数式を含む複合文書生成への対応が今後の課題です[1][4]。特にはてな記法拡張構文であるTeX数式表現グラフ描画機能を適切に扱えるプロンプト設計手法の開発が求められます

### 動的コンテキスト対応

ユーザー編集履歴過去投稿内容を考慮した文脈依存型プロンプトの開発が必要です[3][4]。これにより、特定ユーザーテーマ最適化された一貫性のある出力が可能となります

###自動最適化システム

機械学習を用いたプロンプト自動改良システムの構築が期待されます[2][3]。生成結果の品質評価フィードバックとして活用し、プロンプトパラメータ自己調整する仕組みの開発により、持続的な品質向上が可能となります

##結論

生成AIはてな記法での出力をさせるためのプロンプト設計は、記法規則の正確な理解効果的な指示文の構築が鍵となります。本報告で提示した基本原則と高度テクニックを組み合わせることで、形式面・内容面ともに高品質はてな記法コンテンツ自動生成が可能となります。今後の研究発展により、より複雑な文書構造や動的コンテンツへの対応が進むことが期待されますプロンプトエンジニアリング技術進化が、はてなプラットフォームを中心としたコンテンツ作成プロセス革新を促進するでしょう。

Permalink |記事への反応(0) | 18:50

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-02-08

anond:20250208194753

なるほど、長谷川眞理子なら生物的なあれこれは織り込み済みで「性別は二つ」と言い切ったと納得できる

このへんの記事を読んでいるところ

https://bunshun.jp/articles/-/68787?page=2

 

自分も性が3つあるわけではない、と書いたが

長谷川眞理子も性は2つしかないと言いつつ、上の記事だと

>〈ただし注意が必要なのは、「精子」と「卵子」ができることと、一つの個体」が全体として、「オス」(精子をつくることに専念する個体)になるか、「メス」(卵子をつくることに専念する個体)になるかは、別次元問題であることです。

>この次元では、「曖昧さ」や「連続性」や「中間系」があり得ます

(略)

>〈さらにヒトには、他の生物にはない「自意識」や「自己認知」の次元存在します。それに加えて、「他人にどう見られるか」「社会にどう見られるか」という「文化」の次元まで存在します〉

>〈ヒトの「性」は、このように何層にもわたる「入れ子構造」になっている――これこそが、ヒトの「性」を論じる際の最も大事ポイントです〉

と、生物的な性別のありようと、社会的なありようの差にまで踏み込んでいる

さすがだ

Permalink |記事への反応(2) | 19:53

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

4話のいのりさんの演技見て「メダリストアニメ化は失敗」と思ってたけど光さんの演技を見て手のひらが返りました

モーションキャプチャーただなぞってるだけじゃないなこれは、実際のフィギアたことあったら意図のあるカメラワークをしてる時点でただなぞるだけじゃないってのはハッキリ分かるよ。

演者の動きの意図アニメ的に伝えてきてるから

目を向ける、手を伸ばす、溜める、そいうった動き一つ一つをスケーターがどういう気持ちでやっているんだろうかってことはこのカメラじゃないと伝わらない。

テレビカカメラなんかは試合を映してるから動きを俯瞰的に採点するためのカメラになりがちだけど、メダリストアニメはそれに加えて「このキャラクターは今こんな意図で滑っています」を伝える視点がある。

表現すること」の表現っていう入れ子構造面白さがある。

いのりさんのとき映像を作るので精一杯って感じったがようやくやりたいことに作業者が追いついてきたか

Permalink |記事への反応(0) | 19:28

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-02-05

作中作に向き合う作品おもろいの多い気がする

漫画家マンガの作中マンガがこないだばずってたけど、今SHIROBAKOみてるとこれは作中アニメっつー作中マンガよりやべえことやってんなって思った

作中作があるエンタメっておもろいのがおおい気がするな

作中作オリジナルとは限んなくてもいい

ユーフォニアム吹奏楽で曲自体オリジナルじゃないけど演奏の上達とか下手さとかがアニメならではだし

まいじょうおうたろうのつくもじゅうくは作中作がすんげー入れ子構造になっててやばいことなってたな

Permalink |記事への反応(1) | 22:27

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-12-27

anond:20241225185314

津田の1の世界2の世界とか、入れ子ってうまく利用できたら面白いんだけど

津田さんはとても単純で誰も混乱してないぐらいの状況で混乱してたか面白かった)

漫才入れ子も昔なんかネタで見たことあった気がしたが(添削みたいなネタ?)

時系列の変更(それこそ添削ネタ合わせ、練習)と変わらず、(ラパルフェニューヨークは縦か)

入れ子構造にする必要性見出すのが難しそうで昔検討やめた

1の漫才なのか2の漫才なのかもわかりにくいか

1と2とを行ったりきたりするところが面白い(そこが面白くなるネタでないと意味がない)のに

肝心のそこをどうやって明確にするか

立ち位置ずらすとかは他のネタでもあるけど、それを序盤に印象付けるか

入れ子関係ないけど、1の漫才はすごく二人が離れてるけど、2の漫才普通漫才ぐらいの距離になって、3だとぎゅうぎゅうにくっついてて

4の漫才になると二人が縦に並ぶしかなくなって、5になると凝縮されて舞台から消えてしまったら面白いな(興味深いという意味

Permalink |記事への反応(0) | 11:44

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-12-20

人権きちがい構造対策

人権派」の家に育って

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20241219215934

この気の毒な若者に対し

はてブがほんとひどくて笑っちゃうんだよね。

  

多くの文字数割いて説明されてるエントリ主題

「両親のおかしさ」 「”人権派”の違和感 」「そういう大人に躾けられてしまった悩み」はガンスルー

最後飲み会エピソードにだけ反応し、

不謹慎ネタを注意して飲み会しらけさせた君は正しいよ!」合唱する。

  

のっぺらぼうから必死に逃げてきて助けを求めた相手がのっぺらぼう。

民話ホラーはてな村

  

  

  

1.人の話を聞けない人たち

だいたい飲み会での自分の振る舞いが”正しい”ことは

元増田はわかってるし自分でそう書いてるじゃん。

  

SNSなら、これはリベラル的な武勇伝となるのだろう。

だが私は、はっきり言って、普通に、なりたかった。

リベラル的には正しいんだろう、でも今の自分はそういう正しさがほしいのではなく……」って言ってる若者

「でもその行いはリベラル的に正しいです!」と合唱する中高年。

なにこのコールアンドレスポンス

ごめんな、のっぺらぼうのコロニーなんだここ。   

   

俺こいつらに100回は「人の話を聞け」とか「ちゃんと読め」って言ってきたけど

こいつらに悪意はなく能力的に出来ないだけなんだってことももうわかってる。

  

そして増田のご両親も十中八九同類なんだよね。

人の話聞くのが苦手な人たち。不規則な会話が苦手で冗談がつまんないでしょ。

はっきり言っちゃえばおそらくある方面の脳のスペックが足らない。

  

脳の可塑性が低いというか機動性が悪い。

複雑な物事臨機応変対応するということが苦手。

いろんな基準やいろんな角度を一度に衝突させながら検討することが出来ない。

から起動する基準が一個に絞られてくる。そこではその基準ぶっちゃけなんでもいいの。

いまアラフィフぐらいの先輩たちはその基準リベラル正義を選ぶことが多かったってだけ。

  

 

2.これは善悪問題だろうか?

で、どう思う?

こういうただ「すべての現実特定基準で処理する」と決まってるだけっていうのはどういう人だろうか。

それは別に知的なわけでもないし善性が高いわけでもないよね。

しろCPUメモリいまいちってだけでしょ。

 

たぶんお父さんもお母さんもどっかしらいまいちな部分のあるマシンを頭蓋に積んでて

そのせいで社会にうまく適応できない面があって嫌な気持ちになったり出来損ない扱いされたりしたことがあるんじゃないの。

硬直的な一個のルール物事を処理するまでは出来るけどその先がさっぱり、とか。

Aさんの話に出てくるBさんがこういった、のような入れ子構造のある話が全く理解できなくなる、とか。

はてブマジでこういう感じの人が多い)

   

そういう感じの人が低学力なら「自分頭が悪い」ってあきらめてある意味安心して生きていくんだけど

下手に高学力でありながら脳がデコボコしてる人はあきらめらんないし「いや社会の方がおかしいんだ!」ってなるわけ。

  

俺が見てきた感じでは、

一生の仕事として学校教師より予備校講師を選ぶ人ってマジでその特性の人が多いんだよね。

学校先生の方がいろんな角度の仕事があるしいろんな不規則な状況にも対応出来ないといけないでしょ。

それに比べたら受験の準備ってのは相当狭い範囲の尖った競技だよ。

そういうの得意な人ってどういう人だと思う?

デザイナーもさあ…。もちろん全員が同タイプだとは言わないけど、”そういう人”にも務まりやす職種だよ。

(ちなみに予備校講師美術教師雑談面白い世界が広がった、とか言う学生結構いるけどあれは多くの場合子供が初めて出会う”変人”てだけ)  

  

 

3.左派進歩思想に追い込まれしまった人たち  

そういう型の人が社会への適応を目指したときどうなるかというと

自分の使える狭い基準さらに強化して万能にしようって考えるわけ。

特にプライドが高くて「バカでございますへっへっへ」なんて風に力を抜けない場合はとにかく攻撃力を高めようとする。

   

ご両親もそれでしょ?

人権思想という絶対かつ普遍と信じる基準を信奉して

常にこの基準世界を見るから自分は正しい、ご意見無用

っていう攻撃引きこもり認知を身に着けたわけ。

  

旧来こういう脳足りんを救ってきたのは穏健伝統宗教

頭がハングしやすい人は「いや私は敬虔宗教基準で生きているかちょっと”固い”かもね」っていいわけが出来た。

社会的にも「頑固で信心深い人、悪い奴じゃない」っていう風に理解されてちゃんコミュニティに収まれた。

 

けど宗教否定された社会オルタナティブ進歩思想しかないわけよ。

進歩思想だと社会喧嘩やすくなって当人も安寧はないし周りにも迷惑だよね。

もともと別に喧嘩たかったんじゃなく「知的な人」として遇されたかっただけの人でも”闘士”になってっちゃう

 

 

4.心の癖を抜くための方法

……という風にご両親のことを整理すれば、

自分がどういう躾を受けてしまったのか、脳にどんな回路が出来てるのかもとらえやすくなるでしょ。

特定基準ばっかりやたら強化されてて立ち上がりやすくなってるっていうだけ。

対策して解消できる。

   

どうやるかというと心の動きに気付くだけでいい。

目の前のことを人権基準ジャッジしようとしてることに気づいたら

その瞬間(人権思想)と念を入れる。これだけ。声に出さずに心の中で言う。

    

「あ、やってる」と気づいて念を入れることが目的から

人権思想)よりなじみ深くてフラット呼び方自分の中にあればそっちでいい。

その心が起きることが良いかいかじゃなくて、その心が起きたことを念を入れて確認する。

 

これは秒より短い瞬間の勝負でやる。この習慣をつける。

自動で立ち上がる人権基準ジャッジに素早く気付けるようになる、目指すのはこれだけでいい。

別に人権思想を憎む必要はなくて、ただし勝手に立ち上がることについては厳しく観察して気付いていく。

 

これを筋トレみたいに訓練するだけでどんどんその心を客観的に見られるようになる。

そうすれば人権基準ジャッジはただの自分の心の動きの一つですという状態になっていく。

その頃には今の悩みや支障はもうなくなってるよ。

 

勝手に立ち上がらない「一つの基準」でしかなくなれば、別に人権思想って良くも悪くもないし。

人間社会のための沢山あるアイデアの中の一つとしてそれへの自分スタンスを考えてみればいい。

 

 

5.脳が遺伝しなかったのはとってもラッキー

増田は今のところパンチのある家庭に育ったための特異なハンデを背負ってるし

若いとそれを物凄くアンラッキーと感じててその不運自体が悩みになりそうな精神状態かもしれない。

けどそのハンデは意識して筋トレすれば治せる症状だから本当に深刻なものとは違う。

心を明るくしてほしい。

  

だってそういうことがおかしいとか居心地悪いと感じるって時点で

お父さんお母さんほどそっちの特性を引き継がない脳をしてるってことだから

同じ生き方はしない方がいいし別の生き方が出来るってことだから

 

本当に不運なのは脳も基準もそのまま受け継いだサラブレッド二世で、

いまもう親子二代の活動家っていうのは子の代は厳しい。父母の時代よりはるか環境が厳しいから。

社会進歩思想免疫を持つようになってるし、どんな単一基準やワンイシューにも「より詳しい人」がすぐ現れるようになってるから

  

例えばいま気軽に反原発デマなんか叫んでもあっという間にコミュニティノートがつくでしょ。

一般人でもデータ調べてくるし、専門家が気軽にポップアップしてくる。関係先へキャンセル返ししてくる。

マイナーオルタナティブ基準からこそ局所的に”権威”として振舞えるのが強みだったのに今はそれが出来ない。

 

この先もう人権きちがいっていう生き方ニッチとしてすら成り立たないかもしれないよ。

いずれ別の何かは現れるだろうけど、ただでさえ可塑性がない特性二世が若くなくなってからそこに移行するのは難しいだろうしね。

  

  

馬鹿にしてるんじゃなくて気の毒に思ってる。

そういう人たちを包摂するのは穏健宗教だったと思うから

彼らは本当は人に和しながら聖典の決まりに沿ってシンプルに生きたかっただろうに。

みんなと和する聖典のない時代

 

ブコメ

inks

一方的左翼手糾弾だけ書き散らしてると思ったら、きちんと対策まで書いてあった。確かに一呼吸はあり。

こういう人だよ。わかる?

おれは一回も「一呼吸」なんて書いてねえだろ。

もっと瞬間の勝負で「確認」せよと言った。

4はふざけて書いてる訳じゃなくて、

一番重要実践解決法を伝えてるつもりなんだけどな。

 

せっかくだから人の話が聞けない人の構造説明するけどさ。

この人は俺の話に「確かにあり」と言いながら実は全く読んでなくて、自分の中の既知の別の知識メソッドを思い浮かべてるわけ。

何を聞いても読んでもすぐ自分ライブラリ参照にいっちゃうし参照精度が極めてガバガバ

 

これだといろんな人と会話できないし幅広い基準も使いこなすことが出来ないよね。

単一基準を信奉して固定メンツと狭い会話繰り返すのが居心地いい、ってなる。

この人も増田の両親みたいな生き方になるリスクは持ってる。

 

右翼左翼とか善悪とかじゃなくて機能的な問題だってわかるだろ。

ご両親のことも憎んでも意味無い。

Permalink |記事への反応(14) | 20:04

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-10-22

名作といわれる昭和映画「はなれ瞽女おりん」(1977年)を観たので感想を書く

最近昭和ドラマ映画を観るようになった。解像度の高い映像で当時の作品をじっくり楽しめる環境が整ったこともあり、作品の細部にある仕掛けや意図が見えるようになり、改めて面白さを感じている。そんな中で観た「はなれ瞽女おりん」(1977年)は、篠田正浩監督の名作といわれる一本だ。

正直、この年齢になるまで篠田監督作品を観たことがなかったが、この映画は素晴らしかった。明治から大正にかけての日本の「原風景」を映し出すという監督意図は、見事に画面に現れていた。しかし、単に美しい風景を描くにとどまらず、登場人物人間性時代矛盾を深く掘り下げた内容に感銘を受けた。おそらく20代若いころにみていたら、おりんカワイソス以外の感想が残らず、忘れさられてしまっていただろう。年齢を重ねて初めてわかる名作というのがある。

映画の中心となるのは、瞽女であるおりん(岩下志麻)と脱走兵鶴川原田芳雄)の物語だ。二人とも社会から周縁化された存在だが、その中でもおりんの「はなれ瞽女」という立場は二重の周縁性を持っている。彼女瞽女共同体である高田の一座から追放された理由は、禁制の「男との関係」があったためだが、それは彼女自身選択ではなく、レイプによるものだった。

そんなおりんに寄り添い、導き手となる鶴川は、物語が進むにつれてその人物像の不整合が明らかになっていく。「天涯孤独」と語りながらも、家族存在がほのめかされ、ついには母親存在告白するシーンは映画クライマックスとなる。この告白が、おりんにさらなる絶望をもたらす。

時代背景と家制度矛盾

この物語が描かれる背景には、明治維新に始まる天皇を頂点としたイエ制度による国民統合矛盾がある。家父長制のもと、人々は家や国家という枠組みに縛られていた。おりんと鶴川共通するのは、このイエからの周縁性だ。

天皇を頂点としたイエ制度は、乱暴にいってしまえばそもそも江戸時代の「家中=藩」にならって編み出された。江戸時代においては「家中」が人を従わせ、結束させる機構だった。幕末の志士たちが思いつくことのできた次の時代国民統合の在り方は、やはりイエだったということだ。この点が王を承認する倫理的な神を持つヨーロッパ統治と異なっている点だ。国の危機を前にしても藩同士がいがみ合うならば、ということで、もっと大きな家中=イエにしてしまえばよい、という発想が明治維新だ。天皇を頂点として、家父長制に結合させ、国、地域共同体世帯すべてのレベルで上から下まで論理的整合する入れ子構造にするために、寺子から氏子へと転換する廃仏毀釈という荒業まで行った。イエの主従関係は、現代にいたるまで日本人のDNAとまでいえるほど根深い。嫁姑上司部下、先輩後輩など。どんなに言っていることがおかしくても絶対である、という点で共通倫理だ。この「家」の概念は、主君への忠誠のもと、等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠すことになった。

大正デモクラシーはそうした不条理解決する機運として盛り上がりを見せたが、やがて不況日本を襲い、財閥と大地主の利害を代弁した立憲政友会に幻滅し、人々の失望とともに大正デモクラシーは終焉を迎えるのだ。当時、腐敗した政治毎日新聞をにぎわせた。

脱走兵であることが官憲についにバレて拷問されたとき鶴川叫び「何が、国民皆兵だ。金持ち徴兵逃れで、俺が引き受けただけだ」というセリフは、その矛盾を端的に表している。明治維新で構築された家制度矛盾を背景に、映画鶴川叫びやおりんの境遇を通じてその時代不条理を描いている。

また、瞽女たちが社会の中で次第に居場所を失っていく様子もこの映画は巧に表現している。鉄道の普及が、農村部を含め人々の娯楽へのニーズの変化をもたらし、ひいては彼女たちの文化を衰退させたことや、彼女たちが生き残りをかけて変化を迫られた様子は、急速な近代化による価値観生活の変化を象徴している。

そうした社会状況のなか、おりんは一座から破門され、「はなれ瞽女」となってからは一人で生きてゆく覚悟を決めた女性だった。旅の途中で長岡のはなれ瞽女若いころの樹木希林)と出会うシーンでは、斜陽化する瞽女文化のなかで自立を模索する様子がうかがえた。またおりんも同じ境遇のはなれ瞽女出会いを通じて、自立して生きてゆく勇気と自信を得ていたように見えた。しかしやがて愛する男との別れを契機に、おりんは猛烈な不安に襲われる。それは周縁であるがゆえの存在論的な不安だ。

男女の非対称性

この映画特に印象的だったのは、男女の「帰る場所」の非対称性だ。

鶴川官憲連行される直前、おりんは鶴川から思わぬ告白を受ける。

鶴川の、ごめん実は家族がいるんだ、という告白に、留置所の小窓にかけたおりんの手が崩れ落ちるような衝撃を受ける。このとき岩下志麻の演技すごい。

このシーンに二重写しで思い出した映画がある。それは「駅station降旗康男監督1981年)。大晦日に一人飲み屋のおかみさんと熱燗を飲むシーンでおかみさん役の倍賞千恵子がいうセリフだ。

水商売やってる子には暮れから正月にかけて自殺する子が多いの。なぜだかわかる? 男が家庭に帰るからよ。どんな遊び人もこの時期は家庭に帰っちゃうからね。

好きな男には帰る場所別にある、迎え入れてくれるホームグラウンドがある、という、この同じ寂しさがおりんを襲う。

おりんは、そのさみしさを押し殺して、よかったじゃないかあんたにお母さんがいても不思議はないと思っていた、自分もいるんだ、と幼少期に記憶の残る唄を口ずさむ。エンタメ的には、涙腺崩壊のシーンだ。

鶴川がなぜうそをついていたのか。おりんを深く愛しながらもなぜ夫婦になるのを鶴川は拒んでいたのか。これは推測だが、おそらく母親瞽女を娶ることを認めないことを鶴川はよくわかっていたからだろう。失恋でつきつけられる差別社会現実瞽女文化の衰退、はなれ瞽女であるおりんの存在論的な不安定はここに極まってゆく。

鶴川には母親という寄る辺があり、天皇を頂点としたイエ制度の中で一定の救いが残されている。しかし、おりんにはそのような場所がない。かつての瞽女共同体も失われ、彼女はどこにも属することができない存在だ。この非対称は、映画終盤の「親不知の岬」で息絶えるという結末に象徴されている。

女はひたすらアウエイを強いられ帰る場所はない。これは同時代の歌でいうと、中島みゆきの「生きていてもいいですか」「エレーン」や山崎ハコの「望郷」と同じ世界線だ。対照的に、同時代男性歌手では、何気に上京してもふるさと愛にあふれている、という世界線の歌が多い。男には、失敗してもいざとなったらふるさとに抱かれる、というまなざしだ。「母に捧げるバラード」の海援隊松山千春の「旅立ち」が典型

この男女の人生の非対称は、先日来観ていたドラマおしん」でも同様にみることができた。

おしん物語では、農民運動に熱を入れていた浩太は官憲拷問され転向余儀なくされる。夢破れ傷ついた浩太は傷をいやしに実家の世話になる。浩太の実家父親貴族院で太かったのだ。事業に失敗したおしんの夫・竜三を救うのも佐賀実家だ。一方、おしんにはセーフティネットとしての故郷はない。振り返るという選択肢は存在せず、ただただ前を向いて歩く以外に救いはなかった。

水上勉の描く世界と非常にシンクロした世界観だと思う。



映像表現演出の巧みさ

「はなれ瞽女おりん」の映像表現は見事で、セリフに頼らず映像感情や状況を語る部分が多い。例えば、鶴川告白した後のおりんの行動や、瞽女屋敷を訪れるシーンの演出は、彼女の焦燥や絶望を鮮烈に伝えている。

男の告白ですべてを悟ったおりんは、まず瞽女屋敷に向かい自分の育った場所を確かめに行く。しかし、時がたち、すでに瞽女時代は終わりを告げていた。屋敷がもぬけの殻だとわかると、男を待つことも探すこともせず、心身ボロボロになって、一人はなれ瞽女として宿場町を回る日々。おりんの着物がボロキ状態になっていることから、はなれ瞽女としての暮らしが何年も経過していることがうかがえる。この映画終盤のテンポ絶妙だ。

また、ラストシーン親不知隧道での描写は、観る者の解釈に委ねる余韻があり、深い感動を呼び起こした。私の解釈になるが、ズームアップされるトンネルの測量機器と遠くの岬に見えるおりんの着物の切れ端の遠近感は、鉄道の普及と瞽女文化終焉を見事に演出している。さすがだわ、この演出家、そしてカメラワークに感嘆ぜざるを得なかった。映像を学ぶ人にはぜひみてもらいたい作品

おりんの物語は、単なる一人の女性悲劇ではない。社会の中で周縁化される女性たちの象徴であり、家制度という枠組みの中で矛盾を抱える日本近代のものを映し出している。家父長制のもと、妻には銀行口座を持つ権利すらない時代、周縁化された存在であるはなれ瞽女の自立と恋、その挫折を通じて、その背景に潜む不平等や抑圧を丹念に描いた篠田監督の手腕に心から感服した。

篠田正浩監督が描きたかった「日本原風景」とは、単なる美しい日本風景ではなく、矛盾や悲哀に満ちた人々の生き様のものだったのではないか。この映画を観て、初めて彼の作品に触れたが、もっと多くの作品を観てみたいと思った。そして、昭和ドラマ映画が描く時代背景の奥深さに、改めて心を動かされた。

また、ドラマおしん」と時代が重なるところでは、国民統合や周縁性に関して、もう少し思うところがあるので、またそのうち増田で。


Permalink |記事への反応(0) | 11:21

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-09-29

anond:20240928022926

この増田凄い応用範囲が広いな

集団スポーツ経験のない奴がなぜカスなのかは「キャプテン翼」で説明できる

・夢を追いかけていない奴がなぜカスなのかは「ONE PIECE」で説明できる

地球固執する奴がなぜカスなのかは「機動戦士ガンダム」で説明できる

論理的思考が出来ない奴がなぜカスなのかは「異世界ひろゆき」で説明できる

ありとあらゆる極論の基本骨子だわ。

つまる所、「何々でない奴がなぜカスなのか」というロジックがなぜカスなのかが「この増田」で説明されている。

美しい入れ子構造だ。

ある一面だけを持って人格攻撃を行う奴らはそうじてカス

まり宗教家ってのはカスなんだよ。

なぜイスラエルという国家カスであるかをこの増田説明しているってことだな。

早速国連プリントアウトしてあの野蛮人国家をなかったことにしてもらおう

Permalink |記事への反応(0) | 10:35

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-09-14

SNSでバズった」系の動画イラスト

それを掲載しているのがSNSなのは不思議じゃないか

入れ子構造

Permalink |記事への反応(0) | 03:10

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-09-08

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その2

https://anond.hatelabo.jp/20240906234755から続く

おしん物語でもうひとつ誤解していたことがある。おしんは田倉を救ったという誤解(ここは超重要ネタばらしなので注意)

この出来事は、1983年から1984年にかけての現代編に関連している。。おしん83歳の頃、たのくらスーパーの拡大事業は、大手スーパー進出によって経営難に陥り、倒産寸前まで追い込まれていた。過去おしん初恋した相手並木浩太の息子が経営する並木商店が、大手スーパー土地買収における重要場所にあり、その売却次第でたのくらは助かる状況であった。私は以前、おしんが浩太を説得し、並木がその情に応じて救済が成功したと思い込んでいたが、実際にはそうではなかった。

なぜそのように思い込んでいたのか。もしかすると、失踪から戻ったおしんに、並木を説得してくれと仁が土下座して頼み込んだシーンがあったからかもしれない。

おしん」は全297話もあるドラマだが、その第1話は、たのくらスーパーの新店舗開店祝いにおしんが出席せず、家出する場面から始まる。おしん失踪理由が明らかになるのは、終盤の第290話。ドラマ伏線回収が時代を経て行われることが多く、おしん家出理由も最終週で回収される最大級伏線ひとつであった。この巧みな構成は、橋田壽賀子演出家のすごさを感じさせるもので、まさに名作と呼ぶにふさわしいものである

特に佐賀編では、あまり過酷さに倍速で視聴したこともあったが、終盤に近づくにつれ、ポーズしてでもじっくりと次の展開を予想しながら見入っていた。

1話から第3話にかけては、おしん並木商店の大旦那に恩義を感じていたため、新規スーパーの出店に反対していたことが示唆されていた。そのため、多くの視聴者おしんが息子の恩知らずな商売拡大に恥じて家出したと理解していたはずである。ぢかし終盤になってその真の理由が明かされるという展開が待っていたのは正直、超絶長い伏線回収である

実際には、おしん失踪直前に浩太を訪れ、仁の事業拡大による不義理を詫びていた。その際、聞かされたのが大手スーパー進出についての話である並木商店大手への売却は、並木商店の生き残り策であり、たのくらへの防衛策でもあった。おしんはすべてを理解したうえで、浩太に対して大手スーパーへの土地売却を進めるように頼んでいたのである

その後、おしんが戻ってきた際も、並木はまだ売却を逡巡していた。仁はおしん土下座して、まだ間に合う、並木を説得してくれと頼んだが、おしんは改めて浩太に売却を進めるよう頼むのであるおしん厳しすぎるだろ。

おしん大手進出によってたのくらの事業が立ち行かなくなることはわかっていたが、ひととしての恩義を忘れ、家族を顧みず金儲けに走ってきた田倉家の再生のために、そして恩人の浩太の一家のためにも並木土地大手売却への契約を進めてくれと願い出る。相変わらずおしんさんは厳しいお人だと微笑む浩太は、ついに売却を決意する。

仁は、母のおしん交渉に失敗したと思い込み失望して母を責める。妻の道子も、夫に失望し、ついには離婚宣言する始末。家族崩壊が進む中で、おしんはその様子を静かに見守ってゆく。

これが朝ドラ最終週の出来事というのがスゴイ。

おしんは仁に、離婚再考するよう促し、仁はようやく家族の大切さを思い出す。この姿は、かつて佐賀で竜三を立ち直らせるために試みたおしんの姿と重なる。仁と竜三は、いずれも実家の甘えを捨てきれずにいた共通点があった。おしんは仁の田倉商店倒産させてでもその甘さを排除しようとしていたのである

事業整理のため自宅売却を進め、引っ越しの準備のさなか、家族は徐々に絆を取り戻してゆく姿は橋田壽賀子の夢の世界なのかもしれない(正直、ここはちょっとうーんと思うところはあるが)。しかしこれが橋田ドラマ流の大団円なのだろう。

前述したように、田倉商店は浩太によって救済される。というより人の縁によって救われる。それはまさにおしん商売において大切にしてきた価値観なのであるしかしそれは、全297話、一年近く放送してきたおしんドラマの終盤最終話、終了わず10分前の出来事である。すごい。

橋田壽賀子がこの物語を書き始めた理由は、バブル経済前夜にあった80年代の人々が、お金儲けに走り、大切なものを見失っているのではないか、という思いからであった。物語ラストにはそのメッセージが強く反映されている。

田倉竜三についてのメモ

竜三と息子の仁は、おしんから見て「甘い」性格であり、竜三は何かと佐賀実家に頼るところがあった。しかし、竜三が「俺についてこい、命を懸けて大きな仕事をするんだ」と前に進もうとする時の屈託のない笑顔を、おしんはたまらなく愛していたのだろう。

竜三が敗戦時に自決した際、おしんはその死を「立派だ」と称した。今回全篇通してみる前は、残された家族を顧みない自殺自分勝手で情けないものだと思っていたものの、物語全体を通じて竜三の死に対するおしんの思いが腑に落ちる瞬間があった。

自殺直前の竜三のつぶやきがその鍵となる。

私は後悔しているんじゃないよ。私は私なりに信じて戦争にも協力してきた。軍のおかげで初めて仕事らしい仕事もさせてもらった。男として存分のことしてきたんだ。むしろ精一杯生きられたことをありがたいと感謝しているよ。ただ、ひとは私の生き方を間違っていたというだろう。私は軍と手を結んで仕事をしてきた。隣組の組長として戦争への協力も押し付けてきた。私の勧めで志願兵として少年航空隊に入った少年もいる。その中にはもう帰ってこない少年もいた。国債だって随分買わせてしまった。それも今となっては反故だ。私が無視する事だってできたんだ。だが私はそれをしなかった。もちろん私には私の信念があってやった事だ。それを悔いる気持ちは全くない。しか戦争に協力して罪もない人たちを不幸に陥れてしまった責任は消えやしないんだ!

これが自殺直前の竜三のつぶやきである。竜三の言葉なかに隣組という言葉が出てくる。

明治から終戦にかけての日本は、天皇を頂点とした「家制度」を仮構し、その枠組みの中で国民国家が成り立っていた。この「家」の概念は、戦時中には配給制隣組といった組織を通じて等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠していた。田倉家もその影響を受け、軍部から委託工場経営していたが、周囲からは「軍と結びついて甘い汁を吸っている」と陰口を叩かれていた。仁がある日突然、少年航空隊に志願した背景には、そうした噂への嫌悪感があったのかもしれない。

その後、仁は終戦の日も戻っては来なかった。田倉家では仁は戦死したもの想像していたのである

日本が「ひとつの家」として観念された時代において、家族を守ることと国を守ることは同義であった。竜三にとって、隣組の子供たちの死や戦争責任を負うことは、家制度の枠組みの中で重要役割であっただろう。彼が自決した理由も、家制度に基づく責任から来ていたのであるおしんが竜三の死を「立派だ」と称したのは、竜三が自らの信念に従い、天皇を頂点とした「家」への責任を全うしたと理解たからかもしれない。

語弊を承知でいえば、竜三の自決は、個人としての責任を取る行為であり、家制度における「切腹」にも通じる感覚だったと言える。

おしんが育った山形貧困農家では、口減らし普通だったし、姉のはるが死んでも母が死んでもまともに葬式もできない窮状だった。女性犠牲にして平気な顔してきた作造も長男庄司があまりにもひどかったことを思い出すと、隣組責任を感じて自殺するなんて、むしろ立派なことに思えてくる。

しかし、どうだろうか。

竜三のこれまでの数々の挫折経験のように、ふるさとの太い実家に戻るというような、逃げ道はなかったのだろうか。しかし思えば伊勢にきて魚屋になった頃から20年間、竜三は佐賀実家依存する思いがほとんど消え去っていたように思う。竜三の佐賀依存が消えていったことはおしんにとってはうれしいことでもあった。

禎の疎開ときですら、佐賀疎開という選択肢排除された。疎開先で虐待され逃げ帰ってきた禎をみたときには、さすがに佐賀という選択肢はあってもよかったと思うが。竜三はそれもしかなった。

太い実家をあてにしない、それはおしんが望んでいた竜三の自立の証でもあったはず。竜三は魚屋からの次のステップとして伊勢で軍の納入業者になることに挑戦した。そしてようやく家族を養う自信が付き始めた頃のこと、おしんは竜三が佐賀実家を頼らず、雄、仁、禎、希望、初子の5人の子供のために大きな仕事に夢を託していると思うとたまらなくいとおしくなった、とナレーション述懐している。

しかし、竜三が太い実家という表象代替として知らず知らずのうちに依存していたのは、天皇を頂点とする日本国という「巨大な家」だったのである

おしん自身は、国家という家のフィクションを完全には信じてはいなかったが、なんとなく空気には流されていた。しかし竜三は深く信じていた。信じていた以上、潔くその家の責任を取ったということだ、おしんはそう理解したのだろう。そうであれば、軽々しく天皇制などというフィクションを捨て戦前の考え方などなかったかのように、これから自由社会だ、などとふるまうことはズルいことだと思ったかもしれない。しかし、国が家族であるという考え方を捨てさえできれば、なんだったら太い実家に戻ってもいいのだ。しかし竜三はそれを逃げ場にはしなかった。だから立派だといったのではないだろうか。

敗戦直後の225話では、父と兄を失った仁の感慨として、潔く死を選ぶか女々しく図太くたくましく生き残るかの二者択一として人生観が総括されてゆく。その後の長い戦後物語では、昭和58年物語の終盤に至るまで、たびたび竜三と雄の仏壇に手を合わせるシーンが出てくる。これも地味だけど見逃せない。おしんが田倉竜三への思いを忘れずにいるという、竜三への愛と敬意がここに見て取れる。かつて伊勢海岸で、逃げようとする竜三をタックルをしてでも捕まえたおしんの心情がオーバーラップしてくる。

ちなみに、この竜三の自決は、80年代90年代翻訳放送された海外ではどう受け止められたのだろうか。それはとても気になっている。

おしんドラマ橋田寿賀子の反戦思想が色濃く反映しているといえるが、そのなかに侵略植民地支配反省という視点希薄である。それは竜三の自決動機のなかでも軍部に寄り添い、同胞を死に追いやった責任は感じても、侵略に手を貸した自画像みえてこない。しかし、植民地支配への反省についてはそれ自体動機にはなっていないものの、それにつながりうるイエ観念を読み取れるように感じた。隣組他人ごととしてとらえていたのであれば、竜三の自決はなかったはずである。そうであれば拡大されたイエ観念により実効支配された地域に考えが及んでもおかしくはない。実際にはそこまで思いは至らずに死んでしまうのだが。

同じ昭和時代作品である五木寛之の「青春の門」では、筑豊炭田差別的な扱いを受ける朝鮮人労働者が大きなテーマとして描かれている。石炭鉱業会社経営者が、朝鮮人労働者たちから待遇改善を求められた際、「他の山は知らんが、生きるも死ぬも一緒に炭を掘ってきた家族同然だ。私が親でお前たちは子供だ」と言い返すシーンがある。

この台詞は、日本を親、植民地を子と見立てる当時の日本人の感覚象徴している。家族になることで遠慮がなくなり、苦労を強いても平気になるという現象は、まさに家族観の持つ影の部分を示している。(ちなみに映画青春の門筑豊1980年経営者と交渉した朝鮮人労働者リーダー役を演じた渡瀬恒彦は、おしんでは浩太役を演じている。)


この真理を見事に表現しているのが、初子の存在である八紘一宇における植民地と田倉家における養子初子は入れ子構造なのである。初子の境遇は、創氏改名を強いられ皇民化の果てに敗戦を迎えた朝鮮民族運命二重写しに見える。植民地いかにわが子供のように見立てようともいざ状況が変わればあっさりと切り捨てられてしまう。

初子の抱えていた不安というのはまさにそういうものだった。おしん長男・雄の戦死を契機に山形帰郷するよう初子に伝えたおしんの行動は田倉家以外に居場所のなかった初子にとって残酷ものであったといえよう。自殺を思いとどまり米軍相手娼婦となった初子は誰にも消息を知らせないまま、3年もの間、田倉家に送金を続けていた。おしん言動は初子を養女とみていたとはいえない一方、初子は養女としての行動をとっていたのがいじらしく泣ける場面である

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911へ続く

Permalink |記事への反応(2) | 08:28

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-08-20

カレーパンの中にカレーパンを詰め込んでいるカレーパン

お店に出すカレーパンの仕込みはなかなか大変なので、当日に出すもののための仕込みは大体二日前から始まる。

まずは最小のカレーパンとなるカレーパンの中に入るカレーパンを作ることからまり、僅かな大きさのカレーパンを何個も作る。

そのカレーパンを何個も作ったところで今度はそれらを最小のカレーパンの中に詰め込み、これでひとまとまり。中カレーパンに入れるためのカレーパンである最小カレーパンを次に何個も用意する。

そうして中カレーパンの中に最小のカレーパンを何個も入れると、ようやく仕上げの作業に取り掛かれる。

最大カレーパンの中に先ほどの中カレーパンを入れていき、何個も何個も空間を満たすように中カレーパンを入れていく。

適度に満ち満ちた状態となれば、完成。

これがうちのカレーパンで、カレーパンの中には何層にも別れたカレーパンが入っており、それらは入れ子構造で、カレーパンの中にカレーパンがあってカレーパンの中にカレーパンとなって、最後カレーを味わえる人間はごく少数しかいない。

それでもこのカレーパンは人気がある。

人気の理由はきっと、このカレーパン宇宙からだろう。

Permalink |記事への反応(2) | 02:53

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-04-19

anond:20240419084118

え?何?

誰が誰のフリをしていて何のフリしている奴が実際が何でお前が何を攻撃してるのか一回まとめてくれる?

陰謀論やってる奴ってすぐ多重入れ子構造作るよな。バカから

Permalink |記事への反応(0) | 08:46

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-03-07

映画】ARGYLLE/アーガイル

・とにかく目茶苦茶萌えたし目茶苦茶面白かった

かい言葉必要ねえ、いい意味で「エンタメ!」って感じだった

ラストキングスマンユニバース関連知識いかわからんかったり最後の「質問ある?」ニキ誰?とかあったけどそれが気にならない位面白かった

アクションシーンを初めて面白いと感じられた

とにかく情報量が多くて「殴る蹴るをしてる俳優さん達を見るしか無い時間」じゃなかったしスケートアクションとか「こんなん見たことねえ!」+「これは惚れ直しますわ…」といい意味で頭が忙しくて最高だった

最近世間では高評価だが俺には刺さらねえ」映画が続いていて「監督過去あんまし刺さったことないけど予告のキャラビジュと関係性が好きカプっぽいから見てみるか」とあんまり期待せずに見てみたら現時点今年1位だった  

しかし好きカプの片方っぽい方が早々に…

ファンフィク界隈が色んな意味で楽しそうなジャンル アーガイルさんと相棒さんはあくま相棒だよ派とブロマンス派とカプ派(その中でも細かい派閥あり)絶対あってたまに学級会とか起きてるんでしょう? 中の人アーガイルさん女体化ガッツリカプ派(精神的にはリバ)なんだなあみつを

BBCさんが実写化するんやろイギリスアメリカだけど

・ほんまにポリコレ目的じゃないエンタメ最高やな!!!映画は娯楽として見てるんであってあくまで「戒め」は「鑑賞した結果視聴者自分の心に残るもの」で目的じゃねえんだ

・ちらつく某ゲーム ほんまに…健気や…

背景踏まえたうえで「最高級の難易度ミッションだった… 君を愛していないふりをするのは」の激萌え

ほんまに萌え

クレジット曲名表記You're the First, theLast, MyEverythingで追い打ち萌え萌えした

・モチモチネコチャンカワ(・∀・)イイ!!

椅子スーーッアクション、なんか鶴見中尉感あったな

・この隠れ家、ジョジョ5部でみたやつだ!

女優さん、服と髪型で化けすぎすごい

演技力すごい

・慌ててオルゴール巻き直すお母さん(偽)じわじわくる

監督の頭部破壊への執着

カラフルトンデモアクション

スパイもの濃ゆい個性キャラポンポンでてくるのほんとに良い

アメリカフィクションでもあった作中架空人物と作者の会話描写イイネ!

・な、なんてsexy…なダンスなんだ…

正義ボスの方がダウンロードヤキモキする描写、なんか1990〜2000年代序盤ころの回線遅遅インターネットで親に隠れてエロ画像ダウンロードする子供を思い出してホッコリした

追記

ネット質問ある?ニキ誰?とググッて更に入れ子構造な事が発覚して己の認知能力を超えたため考えるのをそっ閉じした

Permalink |記事への反応(0) | 13:25

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-02-23

今の声優って容姿も求められている気がする

から近い将来、声優中の人Vtuberのような皮を纏うようになってメディアに出演する際にもその姿で出演する。

そうして声優マトリョーシカのようになって、どんどんと入れ子構造になっていくんじゃないかな。

Permalink |記事への反応(0) | 20:10

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-01-28

慇懃無礼の逆が好き

慇懃無礼

表面上は丁寧に振る舞いながら、その実反発を受けにくい体で見下し、煽り、嘲り、マウントを取るための手法というなんともいやらしい言語の到達域である

日本中国に限らず世界にもこういう類型存在するのだろうか。するんだろうな。ろくでもない人類

.

さて、主語のでかい前置きを終えて本題に入るが、私はこれの逆バージョンが好きである。表面上は荒々しい、猛々しい、素っ気無い、ぶっきらぼうな口調だけど、根底には相手に対する敬意とか親愛とか配慮とか弁えが感じられるという喋り方が。

.

これに最初に気付いたのが『聖結晶アルバトロス』という漫画だった(作者は「争いは同じレベルしか〜」のカンガルーバトルミーム発祥者でもある)。キャラクターの一人である気の強い未熟なおガキ様が、無謀な抗戦を諌める従者に対して「黙れ○○さん!」却下し、母親を守りたい意地で主人公達に立ち向かおうとするシーン。構図自体は上の立場から目下の意見を断固はねつける、暗君とか高慢貴族かにありがちなそれ。なのに「さん」付けで呼んでるのが、従者への親しみはちゃん別にあるんだぞと分かってそのギャップがなんだかほっこり面白く感じたのだ。漫画あんまり面白くなかったけど。

.

以下は既知の他の例

・『ニニンがシノブ伝

サスケが遂に手に入れたメイドロボ・エイミー(美人ではない)が、「ゴシュジンサガッテロコイツラハオレガヤル」と臨戦態勢に入る。「下がってな俺がやる」自体は色々な作品で見られるシチュエーションだけど、ご主人呼びが入る事によって、無愛想な護衛からの(私が守って差し上げる)的な言外リスペクトを感じられるのがよいね。まあただの脈絡ないギャグシーンなんですけどこれ。

.

・『桃太郎読み切り漫画

月刊ジャンプだったんだろうか。

委細は覚えていないがスタイリッシュバイオレンス桃太郎軍団という味付けで、猿(ゴリラ)が桃太郎ォッ……!早くッ、命令しろ゛ォォッ!!」血気を滾らせながら戦闘許可を求めるシーン。好戦的で上役に対しても呼び捨てだが、あくま自分に決定権は無い事を理解している、俺への命令を下せと命令口調で叫んでるって入れ子構造がなんだか面白かった。「命令してくれ団長……今すぐ!(ウボォーギン)」に近いものがある。

.

・『ニンジャスレイヤー

敵味方上司部下の見境なく「=サン」を付けて喋るお話。なんなら口に出さな独白でも付ける。死ねニンジャスレイヤーサン死ね!」はその畢竟だろう。wiki解説されていた奥ゆかしさ重点とは言ったものである。……これ意図的なヘンテコ日本語楽しむ作品から他と毛色が違い過ぎるだろ!などと突っ込んではいけない。作者は外国人だ。いいね

.

慇懃無礼が如何に波風立てず相手disるかという狡猾さの表れなのに対し、この無礼丁寧とでも呼べそうな言動は、粗雑な口調からは隠しきれない善性や人間くささの垣間見える不器用さが味わいなのだ分析している。素晴らしきかな人類

.

主語のでかい讃頌はほどほどに、ブクマカ創作で覚えているそういうシーンとか、現実でもそういうの見たことあるよとか、そういう慇懃無礼ならぬ無礼丁寧なエピソードがあったら聞いてみたい。

.

注記)

ここでいう対象となるのは──それなりに知ってる人の多そうな具体例を出すが、「ワンピースで、緑牛がワノ国住民に対して非加盟国人権は無いと言い放つ(なんやこの差別主義者は……)→非加盟国への非人道的所業が実際度を越してた(あれってお前ら危ないよって警告だったんだぁ……)」みたいな後から真意が判るやつではない。例で挙げたように敬称立場込みのシチュエーションから、その場で判別の付くやつです。そこのところを押さえてコメント頂けるとうれしい。

Permalink |記事への反応(0) | 11:36

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-12-27

anond:20231227181828

だってよく考えたら入れ子構造も明確に違うやん

便宜上さらに順番を変えるが

([少年漫画を読む割合が][女性と同等以下]の割合しか)[男は][(少年漫画を)読んでない]←入れ子構造破綻してない。~の割合しかまで後続の主述文にかかる長い修飾節。英語で言えば分詞構文的な修飾節といったところだな。

[二人が向かった先は][[地元で有名なスーパー]に足を踏み入れた。]←これこそ入れ子構造が壊れてる

たとえ主述となるべき要素を前者同様近づけて

地元で有名なスーパーに二人が向かった先は足を踏み入れた、としても当然同じことだ。

Permalink |記事への反応(1) | 18:25

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20231227172036

から入れ子構造説明できないのが外の関係だって話。

Permalink |記事への反応(1) | 17:22

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20231227171509

「『少年漫画を読む割合女性と(同等以下』の割合)しか読んでない」男

だと入れ子構造が壊れている

Permalink |記事への反応(1) | 17:20

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-11-07

100文字なら書けるのに1000文字は書けないのは何故か

簡単です。

序論、本論、結論といった文章構成粒度が一段階に収まらいからです。

書く文章が100文字であれば文章構成が二段構造になることはまずありません。

それどころか単に言い切ったり、列挙しただけで終わることも多いでしょう。

多少の折返しはあっても起承転転転結ぐらいがせいぜいで、これにしたって文章構造が二重化されてはいません。

ですが文章が長くなると段々とそれが入れ子構造になってきます

序論の中において序論と本論と結論があり、そこから今度は本論の序論が始まるわけです。

長い文章を描き慣れていない人は、序論の結論しかないものをまるで結論結論であるかのように書いてしまったりします。

そこからまた別の序論が始まってしまっては読む側はすっかり迷子になってしまう。

なにせ語っている側がすでに迷子になっているのですから、今自分たちが何の話をしているのかなんてさっぱり分からなくなってしまうのです。

それを防ぐためのコツはいくつかあり、「目次をつける」「集合ごとに段落を分ける」「結論から述べるPREP型を使う」などがあります

これらの小手先技術を使っていけば、よっぽど文章が下手でもなんとか読める形になるものです。

ですが、今まで100文字文章は書くものだと慣れきってしまっている人達そもそもそういうった技術がなぜ必要なのかを理解できません。

文章構造が単純な一段構造でないから、自分迷子にならないために自分地図や目印を用意する必要がある事自体無自覚なのです。

から平然と粒度がグチャグチャのままでロジックを書き散らし、何度も何度も自己満足結論を繰り返しては、結局なぜその結論に至るのかが相手に伝わらない文章を書くわけです。

そして、「何度も結論を書いているはずなのに理解されない。きっと相手頭が悪いのだ」と勝手に不機嫌になっていく。

全く困ったものですね。

学校の作文が原稿用紙2枚を要求しがちなのも、それぐらいの文章量にすることで初めて浮かび上がる文章構成力の問題について適切な指導をするためなのでしょうね。

それを文字数稼ぎで乗り切ってしまった人達は、長い文章を書く際に自分に生じる悪癖に無自覚なまま学習機会を逸し、結果として100文字以上の文章は書けない人間になってしまったのかと思われます

哀れ。

Permalink |記事への反応(0) | 23:32

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-05-08

anond:20230508203252

うん、だから「そういう体」を繕って書かれた分断煽り釣り創作って感じするよね

対象に対しての直接的な毒(しねとか二度とくんなとか人としての経験がないから幼く見えるんだとかそういうの)が全然いからそのさじ加減というか、実際はそう思ってもなさそうだし対象のものへの敵愾心はほんとはないのかなーって

増田ってはてブ言及されてより際立つみたいな入れ子構造からブコメでだいぶ田舎(のバカ女)ヘイトが発生してる感あるのでそこまでの反応を含めてやっと完成で我が意を得たりって感じなのかなーって思った

自分想像通りの対象の愚かさってそうだよねって真に受けてエンタメとして面白がりたくなるけどなんかね

本当にその立場の人のリアル本音だとしてもなんかそこまで否定したくなさある

自分はどちらかと言えば田舎よりの地方都市の未婚子無し女なので(ブコメ群に対しては)そんなまんがみたいに2分されてわかりやすもんじゃないよ、もっと複雑だろうってなったわ

Permalink |記事への反応(0) | 21:16

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp