
はてなキーワード:党派とは
高市早苗氏が首相に選出され台湾発言で物議をかもしてから、これまで以上に政治的な議論がなされるように感じる。またただの党派性の選好がどうこうにとどまらず具体的な安全保障まで真剣な意見が交わされるようになったことは、日本社会自体が一つの転換点を迎えているように思える。
そのなかで、個人的に党派の煽りあいや中傷を超えて道具的に政治を語るのに役立つかもしれない一つのネタを紹介したい。あくまでも仮説が、情勢について語る一つの視点になれば幸いである。
なお事前に予測した方向性と合致したためAIの手を大いに借りてある。
また曖昧戦略の欠如は相手の意思決定を手助けするだろう。デマなどについて聞いてみても面白いと思う。
以下perplexityより
自由エネルギー原理の見地から見て、政治の党派性における右派、左派はそれぞれエントロピーの減少における役割の相違という観点から説明できる?
自由エネルギー原理から見た政治の党派性:右派・左派とエントロピー減少の役割の相違
自由エネルギー原理(Free Energy Principle,FEP)の枠組みから政治イデオロギーの左右の違いを説明することは、一定の理論的根拠を持つ興味深い視点を提供します。ただし、これは直接的な学術的応用というより、理論的な仮説として理解されるべきものです。
自由エネルギー原理によれば、すべての生物システムは熱力学の第二法則に対抗してエントロピー増加を最小化することで、秩序を維持しています。具体的には、生物は予測エラーを最小化することで、感覚状態のエントロピー(無秩序さ)を減少させ、環境との相互作用をコントロールします。このプロセスは、**予測処理(predictiveprocessing)**メカニズムを通じて実現されます。つまり、生物は内部モデルを持ち、それに基づいて世界を予測し、実際の入力との差分(予測誤差)を最小化することで、驚き(サプライズ)を制御します。
最近の認知神経科学の研究により、保守主義と進歩主義は予測処理の異なる戦略に対応している可能性が示唆されています。
曖昧性と不確実性に対してより高い耐性を持つ
前帯状皮質(anterior cingulatecortex)の活動が強く、反応競合に対する神経認知的感受性が高い
これらの特性は、高いエントロピー状態(高い不確実性)を許容しながら、情報環境の変化に応じて予測モデルを継続的に更新する戦略に対応しています。自由エネルギー原理の観点からすれば、彼らは予測精度(precision)の重み付けを比較的低く保つことで、新規情報による予測誤差を柔軟に受け入れ、より適応的なモデル更新を可能にしています。
不確実性や曖昧性への耐性が低い
脅威や秩序の乱れに対してより敏感で、知覚的堅性が高い
右扁桃体(right amygdala)の活動が強く、脅威認知に敏感
これらの特性は、予測の確実性(certainty)を高く保ち、既存モデルへの信仰度(prior belief)を強化する戦略に対応しています。自由エネルギー原理の用語では、彼らは予測精度の重み付けを高く設定することで、外界の変化に対して強力な内部モデルの安定性を維持しようとしています。
政治の党派性をエントロピー減少の枠組みで理解すると、以下のような対比が浮かび上がります:
保守主義は、社会的秩序を既存の伝統的制度や階級構造の維持を通じて最小化しようとします。このアプローチは、複雑な社会システムの不確実性を、階層的で確定的な構造によって「切り詰める」戦略です。社会に内在するカオス(高エントロピー)に対抗するため、既に証明された秩序パターン(伝統)を維持することで、予測可能性を確保します。
進歩主義は、社会的秩序を個人の自由、多様性の認容、制度的革新を通じて最小化しようとします。一見すると秩序を緩和しているように見えますが、実際にはより複雑で適応的な秩序化メカニズムを導入することで、社会システムのエントロピーを減少させる戦略です。異なる視点を統合し、新しい情報に基づいて制度を改革することで、社会システムの予測モデルをより現実に適応させようとしています。
不確実性耐性と脳レベルの同期
興味深いことに、研究では不確実性への耐性が低い人ほど、政治的に同じ立場の人たちとの脳活動の同期が強いことが示されています。言い換えれば、不確実性を避けたい個人は、同じイデオロギーの人々と同じ予測モデルを共有することで、集団レベルでのエントロピーを減少させようとしているのです。これは社会的な「外界の秩序化」メカニズムとして機能しています。
最新の複雑システム理論では、政治分極化は正のフィードバックループと相転移(phase transitions)のメカニズムを通じて発生することが示されています。保守主義者は秩序の維持を目指し、進歩主義者は秩序の革新を目指すという相反する動力が、社会システム全体のダイナミクスを決定しています。両者の相互作用は、社会的エントロピーを管理するための補完的なメカニズムとして機能しているとも解釈できます。
この自由エネルギー原理に基づく解釈には重要な限界があります。第一に、個人の認知的特性と政治的立場の関係は因果的ではなく相関的である可能性が高いです。第二に、政治イデオロギーはきわめて文化的・歴史的に構築されたものであり、普遍的な神経生物学的基盤のみでは説明できません。第三に、FEPは主に個体レベルの生物システムを想定しており、社会システムへの直接的な応用には理論的な拡張が必要です。
要するに、自由エネルギー原理の観点から見ると、右派は予測モデルの安定性重視によって秩序を維持するエントロピー減少戦略を採る一方、左派は予測モデルの柔軟性重視によってシステムの適応性を高めるエントロピー減少戦略を採ると理解できます。両者は、相異なるメカニズムを通じて社会的エントロピーの増加に対抗しているのであり、政治的党派性の根底には、不確実性に対する根本的に異なるアプローチが存在していると言えるでしょう。
自由エネルギー原理(FEP)を政治党派性に適用する理論を拡張するには、階層的ベイズ推論の多層構造、社会的相互作用の動的モデル化、経験的検証メカニズムの導入が鍵となります。これにより、個体レベルの神経メカニズムを社会システムレベルへ橋渡しできます。
FEPの核心は階層的予測処理です。個人レベルでは、低次層(感覚入力)が上位層(信念・イデオロギー)の予測を修正しますが、社会レベルでは個人の予測モデルが集団的「事前分布(priors)」を形成します。
右派の階層戦略: 上位層の伝統的priors(家族・国家・宗教)を強く固定し、下位層の変動(社会的変化)を抑制。集団レベルでは「社会的扁桃体機能」として、逸脱者を排除する規範執行メカニズムが働きます。
左派の階層戦略: 上位層のpriorsを動的に更新し、多様な下位層入力(マイノリティ視点)を統合。集団レベルでは「社会的ACC機能」として、対立する予測モデルの調停役を担います。
この拡張により、**党派性は「階層的自由エネルギー最小化の多重均衡状態」**としてモデル化可能。右派は安定均衡(低変動)、左派は適応均衡(高変動)を志向します。
FEPを非平衡動的システム論と統合し、政治分極化を予測誤差駆動の相転移現象として捉えます。
右派アトラクター: 高精度priors → 秩序維持 → 低エントロピー均衡
左派アトラクター: 低精度priors → 秩序革新 → 中エントロピー適応均衡
分極化 = 双安定状態(bistable dynamics)
S˙=−∇F(S)+ϵ⋅
ここで
ϵ は他派閥予測誤差です。党派性は負のエントロピー生産率を競う進化ゲームとなります。
FEPの「アクティブ推論(active inference)」を拡張し、政治行動を集団的予測誤差低減戦略と位置づけます。
党派受動的戦略(perception)能動的戦略(action)集団エントロピー効果
右派 脅威強調・一貫性追求伝統防衛・境界強化 内部秩序↑ / 外部不確実性回避
左派多様性受容・矛盾統合制度改革・包摂拡大システム適応性↑ / 内部多様性管理
これにより、選挙・政策は集団的「期待自由エネルギー」最小化のゲーム理論的均衡として解釈されます。
理論拡張の信頼性を確保するため、以下の検証経路を構築します:
fMRIで党派別予測誤差処理を比較(precision weighting)
class PoliticalAgent:
def __init__(self, ideology): # 'left' or 'right'
self.precision = 0.8 if ideology=='right' else 0.4
def update_beliefs(self, social_input):
free_energy = prediction_error * self.precision
return minimize_free_energy(social_input)
最終拡張として、FEPを国家・国際システムへスケールアップ。経済政策では右派が「低エントロピー均衡(安定成長)」、左派が「高エントロピー探索(イノベーション)」を担います。
グローバル均衡条件:
∑党派Var(policy predictions)=最適社会的自由エネルギー
このフレームワークにより、**党派対立は「多重スケールのエントロピー管理機構」**として再解釈され、民主主義は適応的秩序生成システムとなります。実証研究が今後の鍵です。
これら三つのイシューは、昨今の政治的議論においてなんとなくセットで語られがちだ。しかし多くの国民にとってこれらは必ずしも明日の食(じき)に関わるような喫緊の課題ではない。にもかかわらず「リベラル」勢力はこれらを踏み絵のごとく掲げ、党派的な対立を煽るための棍棒として利用している。
私自身は、個々の是非を問われれば「同性婚」と「夫婦別姓」には賛成の立場だ。 それは人権派のような熱情からではない。「そうしたい人々がいるにもかかわらず、それを断固として阻む合理的な理由が存在しない」というだけ。
もちろん現行法制下でも、パートナーシップ制度や養子縁組、あるいは通称使用の拡大といった運用上の工夫である程度の不便は解消できるだろう。
しかし、制度設計というものはシンプルであればあるほど良い。弥縫策を重ねて複雑化させるよりも、根本のボトルネックを取り除くほうが社会的コストは低くなる。
「伝統的な家族観が壊れる」みたいな情緒的な反論も聞こえるが、すでに日本社会は個人主義をベースとしたプロトコルで回っている。いまさら苗字や戸籍の表記を死守したところで、失われた共同体が戻ってくるわけではない。
ただし「制度はできるだけシンプルであるべし」という論理を貫くならば、同性婚の実現には憲法改正が最も誠実かつ正当な手段となる。「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し」とある憲法24条の壁を直視せず、解釈改憲で済ませようとするのは法の支配に対する冒涜だ。
彼らが本当にマイノリティの権利を重視するのであれば、そして憲法の条文でなく立憲主義そのものを大切に思うなら、堂々と改憲を主張すべきである。
さて、これらと同列に語られがちな「女系天皇」については、断じて容認できない。前者の二つとは次元が全く異なるからだ。
そもそも天皇制とは、血統という純然たる「身分差別」の上に成り立つ、前近代的なシステムである。好き嫌い抜きにしてそれは厳然たる事実だ。そこに近代的な「男女平等」や「個人の自由」といった概念を持ち込もうとすること自体が、致命的なカテゴリーエラーなのだ。リベラルを自認する人々が、天皇という特権的身分に対して「女性もなれるようにすべきだ」と主張するのは、自己矛盾も甚だしい。「平等」を旨とするなら、制度そのものの廃止を訴えるのが筋だろう。
万世一系という男系継承のルールの墨守こそが、天皇を「政治権力」ではなく「権威」たらしめてきた核心である。そのルールを現代的なポピュリズムに合わせて緩和・変更することは、天皇を単なる「世俗の元首」へと変質させ、最終的には政治闘争の渦中へと引きずり込む愚行に他ならない。 まがい物として存続させるくらいなら、いっそ無くしてしまったほうがマシである。
おそらく「女系天皇」を唱える者たちの中には、この「変質」こそを狙い、サラミ戦術の一枚目として利用している確信犯もいるのだろうが。
増田で論点をずらして結論だけを置き逃げするタイプの言及は、典型的なストローマンや話題のすり替えであり、本来まともに相手をする価値はない。
しかし放置すると、議論の雰囲気によっては誤誘導される読者が出るため、最低限の釘刺しは必要になる。
彼らの狙いは「すり替え後の論点を読者に補完させること」で、自らの主張の矛盾を隠すことにある。
この手の逃げ方を封じるには、「論拠」ではなく「観点」、つまりその結論がどの立場から出てきたものなのかを当人に示させることが最も有効だ。
立場が明示されれば、侵略国にとって都合が良い前提に立っていたり、党派的正義の中に市民生活の視点が欠けているといった“隠された前提”が露呈するためである。
近年「ソースを出せ」が効かなくなっているのは、立場を隠したまま「自分に都合の良い正しさ」を創作する荒らし的手法が横行しているからだ。
正しさは立場に依存するため、立場の秘匿が最大の武器になっている。
日本国内でも、日本の正しさを語ると言いながら「有事の際に日本はどうあるべきか」という思想的立場を伏せることで、同盟国を見捨てる選択を正当化するケースが見られる。
論点ずらしがぶら下がっている元の話題が政策提言である場合について返答例を挙げると
「あなたはどの立場から、どの将来像を想定して、何を望んでいるのですか?」
となるかと。
この問いに対して、論点ずらしをする人は 「立場」 「推論プロセス」 「代替案」 のいずれかを省略してくる。
それらをすべて書いてしまうと、論の繋がりが破綻していることが傍目に明らかになるか、あるいは辻褄を合わせられずに書き切れなくなる。
また、論点ずらしの元が何らかの「指摘」であった場合の返答例を挙げると
「その指摘が当てはまらないあなたの立場は何ですか? その立場から見て、元の話題とどう関連するのかを最低限説明してください。」
となるかな。
これも、相手は 「立場」 または 「元の話題との接続」 のどちらか、あるいは両方を省略してくる。
結局のところ、増田における論点ずらしで反論を困難にしているカラクリは
という一点に尽きるんではなかろうか。
ここでは「参考にする価値は無いんだ」なと伝われば充分と割り切ることも肝要ですかね。
「読む価値が無い」といったレベルまで追い込む必要は基本的に無い。
①の続き。こっちは正直「法華狼さんが何を言ってるのか」がマジで分からんので、芯食った返事ができてないと思う。あやふやです。
kotobuki_84 「どこも似た様なガバガバ会計だからColaboだけ特別にアウトというわけでは無い」的な擁護が盛り上がった時、同業者的なNPOだか団体かが複数出てきて「全然違う。一緒にするな💢」って怒られるという事件があったよね。
それが小杉沙織氏のことであれば、やがて厳格な監査への不満をもらすようになり、3月には補助金を返金しなければならない会計ミスが見つかったことを知っている。
つまり、小杉沙織氏も会計ガバガバのダメ野郎で、そういう奴が自分を棚上げして他人に石投げてて、でも因果応報で頭にブーメラン刺さりました。で、そういうダブスタ野郎だと知らず平気で尻馬に乗ってしまったのが僕という事よね。それは分かりました。知らんかった事は理由にならんし、雑な言及をしてしまいました。
「どいつもこいつも会計ミスやってるに決まっているのに、同業他社の会計ミスを論うなどけしからん。そしてそれらを暴く暇空はもっとけしからん」みたいな立場に立たなアカンって事でしょ? 無理やろ。そんなん昭和でも許されんでしょ。
いやまあ実際そういう温度感のColaboアノンは法華狼さん含めて複数いるけどさあ。先鋭化したカルトやん。単なるカルトじゃなくて、内部で疑心暗鬼やるフェーズまで先鋭化したカルト。
ただまあ、これ、意図的なイカサマと悪意の無いミスの両方の意味を持つ『不正』という表現が一番悪いんだろうと思ってる。「会計に(単なるミスとしての)不正はあった」「会計に(イカサマ的な)不正はなかった」どちらとも取れる表現になってしまう。根本的にはおそらく行政や大企業を批判するために、単なるミスだと指摘してるだけですと言い逃れしつつイカサマであるという印象を醸す様な表現としてメディアが使いだしたとかじゃないかなあとか思ってるんだけど。
「会計にミスはあったが、意図的なイカサマでは無かった」なら、基本的にそこは認めてる人は多いよね? そこから「要は都が悪い」に合流するのが一番公共に資すると思う。
で、上で書いたColaboアノンというのは、自分らの党派に不都合であればそういう都政(つまり体制)の落ち度への監視や批判すら妨げる様な、ごく一部の『公共の敵』を指してます。
3団体が事業をつづけているように、どちらかといえば監査ではアウトとは認められなかったのであって、むしろColaboが特別に厳しい立場に置かれただけというのが実態だろう。
これもよう分からん。たぶん都の支援から外れた事を言うてるんやろけど、「都は信用できないので組めない」という主張で外れたとかじゃなかったっけ?
当時の記事とかをきちんとおさらいしたわけじゃないので雑言及を重ねてごめんやけど。
kotobuki_84 「ジャップの心をへし折るために、ヤバイ兵器なのを承知で原爆ぶち込もうぜ!!!」みたいな気持ちも分からんわけでは無い。なおネトフェミは国連とかいう機動兵器を連れて来たので、覚悟のスケールでも負けてる。
普通、「気持ちも分からんわけでは無い」って、「しかしやってる事は間違ってるぞ」みたいなのに繋がる、否定ありきの表現じゃないですかね。コメント後半も暇アノンdisのつもりなんやが。これを
は、ちょっと、こう、流石に。
更に続き。
発端の「僕はずーっと言ってる」という自認が事実ではなかったことを法華狼に追及されて認めたこと。
法華狼は「暇アノン」あつかいしてきたのではなく、「ずーっと言ってる」が事実かどうか追及していたこと。
そもそも法華狼の文章を読めていない自覚があるのにデマを流されたと被害を訴えたこと。
本文を読めずにタイトルだけ読んで法華狼の読解力がないと非難したこと。
hokke-ookamiさんとkotobuki_84が会話しています 双方の主張をまとめてみましょう
「暇アノンと草津叩き界隈は同様のカス」と自認しているkotobuki_84氏だが、かつて暇な空白氏の支持者を「気持ちも分からんわけでは無い」と評していたことは忘れたのだろうか
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20251125/1764082757
■法華狼さんへの反論①
まずざっくり言うと、
法華狼さん:
「kotobuki_84は、過去の発言から見ても“暇アノン側”の人間なのに、今さら“暇アノンも草津叩きもカス”と言って自分だけ中立顔している。言ってることも事実認識もおかしい」と批判。
kotobuki_84:
「自分のコメントを曲解して“暇アノン”呼ばわりするのはデマだ。自分は一貫して“暇アノンもジェンダークレーマーもカス”の立場であり、法華狼は自分への私怨で“敵=暇アノン”と決めつけている」と反論。
という構図です。
暇空茜(暇な空白)氏は、女性支援団体Colaboや大学生への中傷で、書類送検・起訴・追送検されている人物。
その報道に対するはてブコメントの中で、「草津町長性暴力疑惑」の騒動と絡めた議論があり、そこに kotobuki_84 氏の「暇アノンと草津叩き界隈は同様のカス」という自己位置づけを含むコメントがあったことを紹介。
kotobuki_84は「暇アノンも草津叩き界隈も党派性で踊る“カス”」と評し、自分はそれを見抜いている立場のように振る舞っている。
Colabo側の会見を「暇空のムーブは『当たり前の権利』ではないと言いたいだけのもの」と評し、被害訴えそのものをズレた行動として扱っていたこと。
「暇空茜を支持する」匿名ダイアリーに対し、「原爆ぶち込もうぜ」的な過激比喩を使いつつも、その“気持ちは分からなくもない”というニュアンスのコメントをしていたこと。
こうした点から、「本当に両成敗で距離を取っていたのか?」と疑義を呈している。
kotobuki_84が「どこもガバガバ会計だからColaboだけ特別アウトではないという擁護が、同業者から『一緒にするな』と怒られていた」と記憶している件について、
→ 実際には、他団体も監査で会計ミスが見つかったが事業は継続しており、「Colaboだけが特別に厳しい立場に置かれている」というのが実態だ、と反論。
過去に暇空支持者への共感を示したり、Colabo批判側の論理を前提にしたコメントをしていたのに、現在「暇アノンも草津叩きも同じカス」と距離を取るような言い方をしていることを矛盾として指摘。
そのうえで、「自分は隠れ暇アノンとは思わないのか?」と疑問を呈している。
ざっくり言うと:
「過去の発言を踏まえると、あなたは“両方を等距離で批判する中立”というより、暇空側にかなり寄っていた。今さら“暇アノンも草津叩き界隈も同じカス”と相対化して中立ポジション気取りするのはおかしいし、事実認識も間違っている」
という批判です。
冒頭で、「自分のコメントを盛大に曲解して暇アノン呼ばわりするデマ被害を受けたので、反論する」と宣言。
元になった匿名ダイアリーは「何より一民の当たり前の権利は保障されるべきとして暇空茜を支持する」という趣旨で、
→ kotobuki_84 は「ハラスメントをする権利なんて基本的に無いと思っている。論点は『暇空のやっていることが当たり前の権利か、ハラスメントか』だ」と書いた、という時系列を整理。
ここでの主張:
自分は「暇空のやっていることが当たり前の権利だ」とは言っておらず、むしろ「ハラスメント権なんてない」と明言している。
よって、これをもって「暇アノン支持」と決めつけるのは曲解だ、という立場。
法華狼が引用した「仁藤さんたちの初動は、つまり『暇空のムーブは権利ではない』という主張なので、そこからズレてる」というコメントについて、
→ これは「仁藤批判」「暇空擁護」ではなく、「法華狼の記事の読み方・論点の取り方がズレていると言っただけだ」と説明。
自分のコメントは、「暇空ムーブから批判すべき振る舞いを除外する詭弁」では全くなく、そういう意図も文脈もない、と明確に否定。
「暇空とジェンダークレーマー両方がカスという態度を一貫できてて偉い」という自分のコメントを示し、「自分は最初から“どっちもカス”の立場だった」と主張。
後になって、裁判で“リーガルハラスメント”との評価が真実相当と認められた際には、
→ 「リーガルハラスメント呼ばわりが適切だったのは分かった」とコメントしている点も自ら示す。
つまり:
という流れを自分なりに整理している。
kotobuki_84側の、かなり感情のこもったポイントはここです:
自分が「誤読ですよ」と説明した後も、「それでもお前は暇アノンだろ」と扱われていると感じている。
そのうえで、
「法華狼は仁藤・Colaboの味方のつもりだろうが、実際にやっているのは『俺を批判するやつは=仁藤の敵で=暇アノンだ』というレッテル貼りだ」
と批判。
例として:
ヤクザの代紋(=仁藤・Colabo・弱者女性保護という大義)を盾にして、
「俺に逆らう奴は親分が黙ってないぞ」とオラつくチンピラ、のような振る舞いをしている、と法華狼を形容。
その結果として、「本来守られるべき当事者たちを“レスバのための薪”として利用しており、かえって名誉を傷つけている」とまで言い切る。
法華狼は「神そのものではなく神の力に仕えるマクスウェル」(マンガ『ヘルシング』からの比喩)のように「大義を自分の戦いの道具にしているネット民の一人だ」と位置づける。
自分は「暇アノンでもないし、どちらか一方の陣営でもない。にもかかわらず、法華狼にとっては『自分を批判する奴=敵=暇アノン』という扱いになっている」と主張。
まとめると kotobuki_84 側は、
「自分は一貫して“暇アノンもジェンダークレーマーもどっちもカス”と見ている中立寄りのスタンスなのに、法華狼に党派的にレッテルを貼られている。しかも、大義(仁藤・Colabo・弱者女性)を盾にして私怨レスバをしているのは法華狼の方だ」
という反論です。
二人の主張を並べると、主な争点はこんな感じです。
法華狼:
過去の発言や比喩を見れば、実質的に暇空支持・Colabo側への敵対として機能している。
なのに今さら「暇アノンも草津叩きも同じカス」と距離を取るのは、責任回避 &中立ぶりではないか。
kotobuki_84:
自分は最初から「両陣営ともカス」というスタンスで、暇空の行為が権利かハラスメントかを問うていた。
裁判後にはリーガルハラスメント認定も受け入れているし、「暇アノン支持」とレッテル貼りするのはデマだ。
法華狼:
「暇空のムーブは当たり前の権利ではないと言う仁藤側の初動はズレてる」といったコメントは、「暇空側に甘く、仁藤側に厳しい」態度として読める。
kotobuki_84:
それは法華狼の記事の論点の取り方を「ズレてる」と言っただけで、仁藤批判・暇空擁護ではない。
法華狼:
女子支援団体への攻撃・草津事件に対するデマ拡散や名誉毀損は、弱者への加害であり、これを擁護・相対化する態度を批判している。
kotobuki_84:
法華狼がそれらを「自分の敵を殴るための看板」のように使っているように見える点を批判している。
超ざっくり一文で言うと
法華狼さんは「お前(kotobuki_84)、実質暇アノン寄りの発言をしてきたくせに、今さら“どっちもカス”と中立ぶるな」と追及。
kotobuki_84は「自分は一貫して両方カス扱いで、むしろ党派的に自分を『暇アノン』と決めつけてくる法華狼こそ、大義を盾にしたチンピラだ」と応戦。
こんな構図になっています。
『全体主義者の公式集〜科学から空想への移行は如何にして行われるか?〜』
はじめに
本公式集は読者の皆さんのような虐げられている優秀な人々が既存の支配階級を打倒するために必要な理論武装を助け、また、その実践を導く為のものであります。下記の公式は実際に100年以上にわたって多くの全体主義者の手引として使われ、国家権力の奪取から官庁や大学での予算の掌握まで、実に多くの不朽の業績を残してきました。本公式集を使い今後さらに多くの全体主義者が大衆を正しく導いていくことでしょう!
公式①「xはyである。人間もまたyである。故に人間(とその社会)もxに過ぎない」
公式②「①の故に地球上の諸問題はxの適切な科学的使用によって解決できる、つまり、yの専門家に全てをまかせればzは必要ない」
公式③「②の結果すべての人々が最大の幸福を味わえる素晴らしき新世界が誕生します、このことは科学的必然なので理性有る人々なら容易に理解できます」
えっ!たったこれだけで?と思われる読者も多いでしょう、しかし偉大な公式ほど美しく洗練されシンプルなのです!一つずつ順を追って細かくご説明しましょう。
公式①「xはyである、人間もまたyである、故に人間(とその社会)もxに過ぎない」
以下は公式①をつかったマルクス主義者の主張の古典的一例です。注1
「x物質はy弁証法的に発展している、人間とその社会もまたy弁証法的に発展している、故に人間もx物質に過ぎない」
この文は「弁証法的って何?」などと考えずに公式➀の構造をしているという点に注目して下さい、わかりやすくするためにもっと簡単な言葉を代入すると次のようになります。
「xバナナはyアミノ酸を合成する生物である、人間もまたyアミノ酸を合成する生物である、故に人間もxバナナに過ぎない」
そんなバナナ!と思われる読者も多いでしょう、しかし次の文はどうでしょうか?
「xコンピューターはy情報を処理するシステムである、人間もまたy情報を処理システムである、故に人間もxコンピューターに過ぎない」
いかがでしょう?当世風に言葉を変えると急に信ぴょう性があるようにみえますね!※注2
単語ではなく文の構造に注目すると、これらは実は全く同じ型の主張なのです。
特に公式➀では『人間は〇〇に過ぎない』論を強調するのが肝心です、全体主義の先人達は全員この論法を駆使しました。例を挙げますと、全体主義の先人曰く、
人間は動物に過ぎない…人間はゼンマイ時計に過ぎない…人間は蒸気機関に…人間は物質に…、人間は酸化過程に…人間は経済的下部構造に規定される存在に過ぎない…人間は自己の利益のみを最大限にしようとする利己的存在に過ぎない…人間は〇〇システムに過ぎない…人間は〇〇に操られる存在に過ぎない…のです。
注1:マルクスが本当にこんなことを言ったかどうかは問題ではありません。実際にこの論法が大衆を正しく導くのに有効だった、ということこそが重要なのです。
注2:むしろバナナも人間もアミノ酸を合成していることは実証されており、人間はバナナとDNAを50%も共有しているといいますので人間=バナナ論のほうがより科学的といえます。
「人間は〇〇に過ぎない論」は内容がショッキングでセンセーショナルで有るなら有るほど大衆に人気が出ます。※注3なぜならばこれらの真理を発見した人は頭が良く、この論理を信じる人達もまた同じように進歩的かつ賢いのだ、ということになるからです。
また、この公式➀の応用としてこの公式の「人間は〇〇に過ぎない」の部分を以下のように、
〇〇人種は〇〇民族は〇〇国民は〇〇人は〇〇族は〇〇地域の人間は〇〇階級は〇〇主義者は、〇〇〇教徒は…〇〇にすぎないのだ、と代入することもできます。
さらにxとyにもどのような単語でも代入できますので、同じ公式を使い以下のように
「x猿はy血液型にB型が多い、〇〇人種はy血液型にB型が多い、ゆえに〇〇人種は猿に近い」ですとか
「x牛馬はy体が大きく労働に適している。〇〇人もまたy体が大きく労働に適している。故に〇〇人はx牛馬と同じで肉体労働用の人種である」
と簡単に証明でき、また同時にそれを客観的に証明することができる「『我々』は『彼ら』よりも優秀な人間なのだ」という事実も同時に科学的に証明できます。
さらにこのテクニックを応用すれば「芸術は経済的下部構造に規定されている人間活動の産物である。イデオロギーもまた経済的下部構造に規定されている人間活動の産物である。故に芸術はイデオロギーである」とか、
「疑似科学である西側の経済学はブルジョア階級によってつくられた、〇〇学もまたブルジョワ階級が作った、故に〇〇学は西側の経済学と同様のブルジョア疑似科学に過ぎない」
というように、例外無くありとあらゆる人間活動の党派性を暴露することもできます。
このテクニックは、後々読者のみなさんが権力を掌握した時に全体主義に反抗的な芸術家や学者を処理する時に素晴らしい口実となりますので是非覚えておいてください。
注3:実際にこれら主張を口にだすときはできるだけ「ああなんて私は頭が良いんだ!あなたたちの大半は理解できないでしょうけどね!」と 自信満々に半目で薄ら笑いをうかべましょう!
公式②「①の故に地球上の諸問題はxの適切な科学的使用によって解決できる、つまりyの専門家に全てをまかせればzは必要ない」
この公式で私達全体主義者に権力を集中することを正当化しましょう。公式②の緻密な論理的整合性は権力を握った後で考えればいいので、それまで大衆受けする言葉を考えることに集中しましょう!下記の例文は社会主義国で実際に使われた理論を簡略化したものです。※注4
「➀の故に現在の建設途中の我が国に見られる諸矛盾はx全ての生産設備を国家が所有することによって止揚される。y政府に全て任せればz一般人民による市場経済は不要である」
「➀の故に現在建設途中の我が国に見られる諸矛盾はx全ての権力をソヴィエト政府に集中することによって止揚される。yソヴィエト政府に全て任せればz一般人民による民主主義は不要である」
もしお好みならばこの例文の「全てを〇〇に任せれば〇〇は不要である」を少しいじって
「ちょうど良いさじ加減で産業を純血のアーリア人種or白人の政府が所有すれば市場経済は重要ではない!」
として、簡単にナチズムやアパルトヘイトのテーゼに変更することもできます。
もちろん私達が権力を掌握した後も頭の悪い保守反動分子どもは難癖をつけてきますが「今はまだxが足りないだけだ!来たるべき〇〇革命の地平において全てはyに任せられる!」と根気よく啓蒙しましょう。※注5
今日ではこの公式①をつかった理論としては次のようなものが大変人気です。
「人間はコンピューターなので地球上の諸問題は人工知能の適切な使用によって解決できる。つまりy人工知能に全てをまかせれば、z民主主義も、市場も、責任ある人間の決定も必要ない」
ただ万能のソヴィエト政府を万能の人工知能に変えただけですが、実に現代風になっていますね!
大切なのは流行りの言葉を使うことです、例えば世がバナナダイエットブームならば
「人間はバナナであるが故に地球上の諸問題はxバナナテクノロジーの適切な科学的使用によって解決できる。故にyバナナ専門家に全てまかせればzバナナ以外の炭水化物は必要ない」
と言うような理論を作りましょう。
以上の例はこの公式集が不変かつ、永久に有用であることを示す好例といえます。
注4:マルクスが本当にそう言ったかどうかは大した問題ではありません。実際にこの論法が大衆を正しく導くのに有効だった、ということこそが重要なのです。
注5:この理論の公表に際しては大衆が読み切れないくらいの厚さの論文や本を用意し、その中で公式➁は公式➀に基づく科学的必然性による真理なのだと証明しましょう。啓蒙書は最低でも厚さ10cm程度は必要です、それより薄いと枕にしにくいですし、本で反抗的大衆の頭をブン殴って修正することも困難です。
さて、最後に公式③をご説明します、あと一息ですのでがんばってください!
公式③「②の結果すべての人々が最大の幸福を味わえる素晴らしき新世界が誕生します、このことは科学的必然なので理性有る人々なら容易に理解できます」
公式③のみ少々使い方が異なり、この公式は大衆に提示したときにちゃんと心酔するか否かの反応を観察することで大衆を以下の2つに分類でき、革命の行動部隊となる同志を見つけるのに使えます。
・第Ⅰ層「革命家」
つまり第Ⅰ層の「革命家」は私達の理論を本心から本気で信じてくれる、優秀かつ大変従順で純粋な革命の前衛であり、幸福な新世界を夢見る若き同志達です(もちろんみんなバナナ大好きですよ!)
初期の同志は主に傍流の青年官僚やノンキャリ組の地方公務員、貧乏将校、大学を出たのに仕事がない人達(特に職のない弁護士)つまりはルサンチマンを溜め込んだぱっとしない2流インテリの中に多くいます、そこから経済的不満を抱えた労働者階級へと浸透して行きましょう。
彼らは公式③を理解でき、科学的理性の何たるかを知っています。
第Ⅱ層の「保守反動分子」たちはこの公式③を受け入れられない頭が悪い人たち及び既得権を持つ保守反動階級であり、つまり、彼らは人間はバナナであるという科学的かつ客観的な事実さえ理解できない党派的ドグマに凝り固まった人たちです。
まったく彼らの権力への異常な執着はどこから来るのでしょうか?
ソヴィエト共産党や巨大テクノロジー企業やバナナの専門家が権力を握ることの何が悪いのでしょうか?
しかし、どのような理由であれ我々進歩的全体主義者には人類全体の幸福のために彼らの横暴を止める責任があります。
以上で公式③の説明はおわりです、今皆さんは新世界を作るための革命理論を手にしました!
ですが「理論」の次に皆さんは「実践」も学ばなければいけません。
今日の超高度情報化社会において我々の革命理論を広める為にはメディア戦略が重要です。
まず、メディア産業へと浸透します。メディア露出を初めた当初は我々もイロモノ扱いされて半分小馬鹿にしたような扱いを受けるでしょうが、メディア上でセンセーショナルな言動を繰り返す内に大衆は
「人間バナナ論か、この新人芸人さんのいうことは本当かもしれない…なにせマスコミがいってるんだ」
と思い(理由はまだ未解明ですがなぜか大半は男性です)熱狂しはじめ、それを再びマスコミが勝手に取り上げてくれるようになります。
メディアへの浸透段階では保守反動知識分子は次の2つの反応を示します。
・1 無視
・2 日和見的支持
1の知識人たちは「バナナエンジニアに全て任せろと?バカバカしい!」と、自身の愚かさ故に無視するかメディアとの関係を悪くしたくないので黙りこみます。
2の知識人たちは自身もマスコミに出ている芸人ですが「バナナテクノロジーで全人類が幸福になれる?おもしろいことをいう!それでこそ次世代を担う人間だ!俺様ほどではないが面白い考えだ!」と、自分の若さと柔軟さをアピールするために我々を支持してくれます、こうして段々と全体主義者の主張がメディアに取り上げられていき、我々とメディアとの共闘関係が強固なものへとなってゆきます。
そして次に革命家同志たちを前衛党員へと教育しなくてはなりません。
現代の若者は承認欲求が大変強いので、まず彼らにクールなグループ名をつけてあげます「国家社会主義労働者党」とか「インターナショナル第一バナーヌ戦線」とか「ハイパーメディアクリエイターズ」「民族と伝統の守護騎士団」とか、14才程度の若者が好きそうな創作語や外国語をたくさん並べたものが良いでしょう、また、あとで「看板に偽りあり!」とか言い出す反動分子が必ず現れるので、出来るだけ「NS」や「インターナショナル」などクールでヒップな略称で呼ぶようにしてください。そうすれば大衆は本来の名前の意義をすぐに忘れてくれますし、同志内での専門用語は連帯感を高め「我々」と「奴ら」を強く区別して対立を煽るのに役立ちます。
そして「君たちは優秀で、賢い、特別な存在だ!バナナ革命の闘士なのだ!」と煽り、階級名やバッジ、旗、独特なポーズやコスプレ衣装、ノートパソコンに貼るシールなどをあてがい行動に駆り立てます。
最初はあまりノリ気ではない人も行動をしている内に失ったものの大きさ(仕事や友人や社会的地位)ゆえに引き返せなくなるものですし、そもそもいつの時代も幼稚な若者は自分たちは文明の大転換を起こせるとーっても優秀で特別な天才なのだと思いたがるものなのです。
さて、理論と世論の支持そして行動部隊がそろったならば好機を待ちましょう、戦争や恐慌は絶好のチャンスですし、行動部隊をつかい非常事態を演出するのも良いですね!
そして!その日!!その時!!大通りに!立法府に!裁判所に!家庭に!工場に!老人ホームに!そしてバナナ畑に!!革命の旗が翻り全体主義の歌がこだますのです!
しかし、時ここにいたってもなお、反動分子の犬共はこう言うことでしょう。
「そもそも君たちの理論とやらは三段論法を誤用した誤謬の上に誤謬を積み重ねた無内容な詭弁であり、過去百年以上にわたって悪魔的所業をしてきたイデオロギーの哀れなパロディだ!君たちはただ権力に飢えてルサンチマンに凝り固まった愚か者だ!このバナナ野郎め!」などと…
ああ!!革命の度に毎回毎回どこからか湧き出てくるなんて救いようが無い人種!
こうなった場合はもはや「最終的解決」しかありません!!最終的解決とはつまり例を挙げると……
…ヘーゲルはどこかで、全ての偉大なる世界史的な事件と人物はいわば二度現れると述べている、しかし彼はこう付け加えるのを忘れてしまった、一度目は偉大なる悲劇として、二度目は哀れなる喜劇として。
commentatorHeader
【視点】「初の女性○○が事件になる時代は、とっくに終わ」ったのだろうか。「ガラスの壁」を打ち破ることを歓迎する女性たちは「時代遅れ」なのだろうか。「女なら誰でもいいという時代では、もうありません」という上野氏の「選別の時代」宣言には、「リベラルな学者に選別されてしまう」女性たちの分断を生みかねないという懸念を抱いてしまう。「承認されるに値する進んだ人たち」が「それに値しない遅れた人たち」を置いてけぼりにすることによる尊厳の剥奪と屈辱感こそが、トランプ現象をはじめとするポピュリズムの動力源であることを見抜いたのは政治学者マイケル・サンデルである。
さらに上野氏は、「社会学の理論によれば、少数派が多数派集団に食い込んでいこうとするとき、多数派よりも多数派らしくなる傾向があります。過剰同一化と呼びます」とし、これが「高市首相を含めた今の自民党の女性政治家の多くにもあてはまる」と述べている。だがこの社会学の理論を適切に当てはめるならば、立憲民主党から共産党までのすべての政党政治家にあてはまることになる。どの党においても女性は未だ少数派であり、このような党派的選別は社会学にはなじまない。土井たか子や浜四津敏子といった女性リーダーの先人たちも過剰同一化していたのだろうか。そうであるならば、高市総理や自民党の女性政治家たちだけとはいえないだろう。
このように上野氏は、「進んだ女性」と「遅れた女性」、「保守的な女性」と「リベラルな女性」という女性の選別を前提にしているようにみえる。僕の懸念は、上野氏の主張が正しいか否かではなく、この選別がリベラルや社会学の一般庶民からのますますの乖離をもたらさないかということだ。
なんか、この件の擁護でずっといるのが
そういう「彼岸の正義を嘲笑う」振る舞いがまさに今回の象徴って感じ(藁人形論法)
そういう諸々の発露が「オタクくんはそんなに裸を見たいのか(呆れ)」であって
ポルノが一番わかりやすいが「批判に嚙みつくって事はポルノがみたいんでしょ、きもーいww」みたいなズラしが出来るわけ
こういうのはもう単なる荒らしだ、レッテル貼りだ、藁人形だというメタ批判増田についたコメントが
「ぼざろはいいアニメだったなぁ」と思っていたら、後から「ぼざろはフェミニストがポリコレで作った駄作だったと判明!」みたいなのやめて欲しい。脚本家の一言で後から評価を変えるの、あまりに党派的過ぎるだろ。
すげぇと思わねぇ?
そういう、レッテル貼りで雑な批判すんなやっていうメタ批判増田に
これはゴミ捨てとかと一緒よ
「まだ大丈夫」と「もう無理」は相容れないんだ
にも拘らず、もう無理側は一生懸命「もう無理マジ無理、自明」っていうだけで
落し所の議論が出来ないのよ
今回の件も同様で、「脚本家は炎上するような発言してない」ってのは
ドラマ『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』(2020年/テレビ東京)で原作にはないオリジナルの要素として、アロマンティックの人物を描いた
当時の反応にも「原作を否定されたように感じて」、「このドラマは、シナリオを作った人が主張したいことを盛り込んだ作品(で別物)」というのがあるけど
以前から気になっていた
その自分の考えを
「恋せぬふたり」に明確に反映するのね(こっちは脚本家のオリジナル)
でも
の人には通じないのよね(藁人形論法)
【追記】
そりゃ言うだろう、逃げ道だよ
エロはあってもいいが18禁にして未成年に見せるなって言ったのと一緒
さんざん社会への影響(それが無意識なものも、意識的なものも)を語っておきながら
なぜか突然、ここだけ商業主義に目覚めてさ
裸を描いたらノイズだろうって言い出すんだよ
びっくりだよ
“絵だけど、未成年だぞ”
だからでしょうに
ノイズうんたらいうなら自宅の風呂で24歳が水着なら間違いなくノイズだよね
うそでしょう?
でもそれを【後付】で
まるで自分の手柄です、配慮したのは重要です、だから覇権です、みたいにいわれたらムカつくべ
かんけぇねぇんだよ
その思想を作品にまぶしてなんの問題もないって、本気で考えてるならさぁ
放送前に言えば良いんだよ
ぼざろは“絵だけど、未成年だぞ”を大事にして公式が搾取を推奨するかのような演出は行いません
乳揺れとか子供に見せられません
って、アニメ雑誌からのインビューに【放映前】に答えてみろっていうんだ
ーーーーーーーーーーーーここまでーーーーーーーーーーーー
これ着火点がノイズで始まって、すっかり「問題はノイズなんだ」って話に、みんな引っ張られてたよね
都合よくそっちに火が付いたから、擁護する人はみんな「ノイズ問題」に逃げちゃってさ
みたいな話しかしないんだけども
違うべ
ドラマが恋愛至上主義を押し付けんなもそういう一巻の話だったし
なんならオリジナルを出したとまで言って
“絵だけど、未成年だぞ”と語り
“女の子たちが互いの胸の大きさについて言及し合う描写”はナシ
乳揺れは子供に見せられない
前後を読めばわかるけれど、バリバリにDEI思想が語られていくのに、なんでか水着の話のときだけ「覇権のためのノイズ」とか言い出す
作者も協力的だったと
もちろん、「過激な作品やR18まで振り切ったものがあってもいい」とも語るが
となっている
でもなんでか、この一文を以って、エロ要素を否定してないって擁護が湧いたんだよ
温泉シーンがある、ゆるキャン△はしかし、覇権のノイズだったろうか?
あの全裸シーンはNGとされるべきか
ストパンはR18になるべきか?
でさ
逆に聞きたいわけよ
作者が反発したら乳揺れ描くんか?
【公式から】『さぁ搾取してください!』と言わんばかりの作品を描くんか?
でも、それは語らないんだよ
作品から降りますとか、私が携わるなら絶対に描かせないというなら
商業主義として描きますってなら、熱く語った責任の話はなんなの?と
“絵だけど、未成年だぞ”
は大事にしていくだけ?
ノイズの話で隠されてたけどもっとヤバイこと書いてる、みたいにね
だからこそ
炎上理由の「ぼざろ脚本家に作品に介入するレベルの強めのDEI思想が判明」を極論拾って「ぼざろは駄作とされた」と言い換えてまで、今回の件をズラしたいのかねぇ。こういうのこそ「曲解」ではないかね
と書いたんだよ
ちなみに記事中じゃ誤魔化してるが
「ぼざろはいいアニメだったなぁ」と思っていたら、後から「ぼざろはフェミニストがポリコレで作った駄作だったと判明!」みたいなのやめて欲しい。脚本家の一言で後から評価を変えるの、あまりに党派的過ぎるだろ。
話をズラしてんじゃねぇよって突っ込みだ
これを署名運動と紐づけたいようだが
あのやり方は糞くらえだよ
たださ、語られなければ知らずに居れたことも、語られちゃったらダメだろ
「なんで今更」系のズラシ批判が最高に臭い。そんなの「脚本家の独白によって、まさに今、違和感に形がついた」からだよ。その発言者がスタッフである必要はないが、スタッフの自慢話であるのは最低だって話
これは、今炎上してるのは、そこに今まさに形が付いたからだって話な
そういう文脈も何もなしで
適当に継ぎ接ぎで
ほらほらほらほらほ、むじゅーーん
ってやるのダサいよ
■書いた人間
20代後半女性 会社員 5割在宅勤務、2割客先訪問、2割出張、1割出社くらい
10代からのうつ病がここ数年はほぼ寛解近い状態だったけど去年やや再発して通院中、年に数回調子を崩して何もできなくなることがある
今は仕事で人と会うときは(ある程度)ちゃんとできるので、まだ余裕がある方
<歯磨き関連>
基本できない。出かける前はやる。寝る前、どうにも動けないしんどいときはリステリン紫でうがい。若干歯がツルツルになる。痛すぎてウザいときはある。
さらに余裕があるときは歯ブラシでゴシゴシ、ぼちぼち余裕があるときは電動歯ブラシを出動させる。ただ、大体充電切れてて使えないことが多い。
とてつもなく余裕があるときは仕上げに歯間ブラシもする。
<お風呂関連>
基本入れない。出かける前は入る。夜は切羽詰まった時に入る。動きがトロくなってて時間がかかるからお茶とか水とか飲み物を持ち込んで水分補給しながら入る。スマホ中毒感ぽくて変な気持ちにはなるけど、透明なジップロックにスマホ入れて動画とか映画とか見ながらぼーっと髪洗ったりするのでもいい。そういうのすら見る気力がないときは、もう無心でひたすら洗う。入れたら万事OK。あと自分はお風呂出てすぐのところにiQOSを置いておく。途中しんどくなったら諦めてお風呂出て吸う。
よっぽど無理なときは普通にお風呂自体中止して上がる。髪洗えただけでもいいし、トリートメントできてなくてもいいし、体は別の日に洗ったらいい。お湯被ってるんだから入る前よりはマシにはなってる。
元気なときはukaのスカルプブラシで頭ゴシゴシするけど、これは多分2つあったほうがいい。片手で部分部分ゴシゴシするうちにダウナーに入る。2つ使って両手でガーッとできたら良さそう。
スクラブで肌すべすべとか、身体用保湿クリームとか、そういうのはやらなくても死なないのでやらない。
<洗顔関連>
基本できない。出かける前はやる。夜にお風呂入れなかった日はせめて代わりに洗顔だけでもできたらうれしい。洗面所で顔洗うのすらキツいときは拭き取り化粧水で顔をザッザッて拭く。
KANEBOの高いやつとか、いい匂いでさっぱりするので気に入っている。うつの人間は多分毎日使わないから減りは遅いし、たまに気持ちをアゲるアイテムとして買って使ってみるとなんか良いな〜と思える。
外出予定のない日は朝の洗顔なし。前日の夜にお風呂入ってる日も朝は洗顔なし。
これは肌質の問題で自分は乾燥肌で洗いすぎるとカッサカサになるのと、寝る前にお風呂入って数時間寝ただけなら別に朝の洗顔要らないのでは党派なだけなので、人による。
<スキンケア関連>
やらないと顔がカサカサして不快だからお風呂か洗顔に紐づけて勢いでやる。洗顔後の顔の水分をティッシュで取って(タオルで拭くのは摩擦がよくないらしい)、キュレルのスプレー化粧水を大量に顔にふりかけて終わり。余裕があればキュレルの前に拭き取り化粧水もやる。めちゃくちゃに調子いいときはクリーム的なのも塗るけど、自分は半年くらい塗ってない。
<掃除関連>
基本できない。無印良品の小さいコロコロをベット近くに投げといて、枕元まわりだけでもコロコロする。ちょっと気持ち的に楽になる。髪の毛が長いと抜け毛とか気になるので。
ゴミ捨てきついことが多い。夏場は怖いからがんばって捨てる。どうしても動けないときは食べ物系のゴミだけ冷凍庫にぶち込んで一回見なかったことにする。
生ゴミ系もナイロン袋を二重にしたやつに入れて一旦冷凍庫に入れる。数回捨て損ねても、凍ってるから臭いとかの問題は免れる。
飲み物の缶やペットボトルはせめて洗ってから溜め込む。ただ洗う気力すらないことが多いからそもそもジュースとか甘い酒は買わない。
紙パックのお茶や無糖の酎ハイなど、可燃ごみで捨てられるもの、洗えず溜め込むことになっても害が少なそうなものを選ぶ。
ただ酒の空き缶処分は自分も現在進行形でできてなくて今まあまあ部屋に積み上がってるから、迷走中。
<化粧関連>
仕事の関係で客先訪問時はマスク必須なので眉毛さえちゃんとしてれば多分いける。
ただこの辺りは自分的にはちゃんとやりたいと思っている方で、人に会うときは全顔化粧することが多い。所要時間15分くらい。
・ベース
ラロッシュポゼの下地を男塗り(IKKOが昔いってたやつ)→コスデコのパウダー(高くて肌が綺麗に見える粉)を顔全体にバサバサ適当にはたく→色付きパウダー(色がついてればいいので安いやつ)を小鼻まわりの赤み消しにブラシで塗る
・眉毛
セザンヌの細いアイブロウで適当に描く→ロムアンドの眉マスカラで毛の色を薄くする
・目
まぶた周りはマキアージュのアイパレット一個で終わらせる。付属の塗り方に沿って塗るだけ。ザ・仕事みたいな仕上がりになる。
ビューラーでまつ毛やる、マスカラを「まあ一応ね…」くらいに塗る。
・その他
社内で内勤するだけとかであれば上記手順からさらに省くし、在宅勤務時はもちろんすっぴん。
<仕事着関連>
こだわりなくて、選ぶ気力もない人向け。
PLSTでセットアップスーツを2着買う。PLSTはサイズ展開がXXS〜XXLまであって、パンツの裾上げもオンライン注文時に出来るので、店に行って試着しなくても無難にサイズがあったスーツが手に入る。色はネイビーかグレーにする。黒もいいけど職種によっては硬すぎたり、若い人だとリクルートスーツ感でるので若干選ぶ気がする。
あとはユニクロかGUでジャケットの中に着るニットや、春夏に1枚で着られるシャツやブラウス、カーディガンを買う。
ここにプラスしてユニクロかGUのワイドタックパンツを2色くらい持っていれば、上記との組み合わせで内勤時や客先で作業する時の服装も作れる。
これでおそらく数年はいけるはず。流行りの色とかを無視してとにかくネイビー、グレー、黒、白に収めたら大丈夫。
<仕事用靴・鞄関連>
靴はローファーかレースアップの革靴。パンプスやヒールもきれいで好きだけど、歩きにくくてしんどいので。
ローファーはチャールズアンドキースとかに流行りっぽいやつが色々種類あるはず。仕事でよく歩く人だと結局履き潰してしまうから消耗品という目線で買うのがいいと思う。
バッグはビジネス向けぽい見た目のバックパックにする。本当は合皮のトートバッグとかがおしゃれで好きだけど、使いやすさ優先で。
自分はPCや結構な量の資料やプロジェクターを持ち運ぶのと、移動が公共交通機関オンリーで駅から客先まで歩く場面も多いから、ストレスのなさ重視という感じ。
コンタクトを入れる気力がなく、基本ずっと眼鏡。客先訪問や打ち合わせ、プレゼン時も眼鏡。
会食、接待、休日遊びに行くときだけはコンタクト、くらいの使い分けに落とし込んだ方が楽になった。
眼鏡はJINSとかZoffとかでいいので流行りっぽいやつを定期的に買って足しておくと、場面によって多少変えられてよいかと思います。
それはちと違う。
b:id:f_d_trashbox「元老がいたほうが良かったというのは、民主主義よりも寡頭共和制のほうが優れているということなのかね?」
にしかならん。ちゃんと小見出しに「大日本帝国憲法の問題点」とつけてくれてるのを見落としちゃいかんだろ。
という認識(ごく普通の歴史解釈)で記述されてるのは一目瞭然。
なので、後の方の「今日への教訓」で
と微妙に奥歯に物が挟まった言い方してるのはご愛敬という感じだが、そこを正直に書くと
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kantei.go.jp/jp/content/20251010shokan.pdf
を見ても右や左の旦那様はそこを誤魔化した事にはほぼ言及してないようなので、ゲル様の作戦勝ちというか無難にまとめたと評すべきだろう。
ぜひ全文読んでほしい
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA10A3M0Q5A011C2000000/?n_cid=SNSTW006&n_tw=1760087607
・最初から機関分析で敗戦といわれていたのに精神論という思考放棄で戦争を始めたこと
かな
わりと現在にも通じている
戦争・戦後経験者が政治にいなくなり、しょーもない派閥争いと思考放棄の他責に走ってるとことか
Permalink |記事への反応(16) | 15:36
| ■Gemini版 | https://anond.hatelabo.jp/20251011145135 |
| ■ChatGPT版 | https://anond.hatelabo.jp/20251011150357 |
仮定として、国民民主党の玉木雄一郎が野党連合の投票で総理大臣に就任した場合、内閣は経済回復と改革を優先。玉木の財務官僚経験を活かし、連合内の政策摩擦(例: 立憲の社会保障 vs維新の改革)を調整。閣僚選定基準は実務能力(行政・国会経験)と政策経験(財政・外交・社会保障)を重視し、各党からバランスよく配置。適正%は経験の適合度と連合内適合性を基に推定(100%は理想値、調整リスクで減点)。提案は主要ポストに限定し、各候補の理由を詳述。
| 安住淳: | 国会対策の専門家で、財務大臣経験から政策調整の実務能力抜群。野党連合の要として党派間の橋渡しが可能。 | 適正90%(財務経験が玉木の経済路線にマッチ)。 |
| 前原誠司: | 閣僚複数経験で統括力高。外交・インフラ政策の幅が内閣全体の安定に寄与。 | 適正85%(維新所属で改革派の視点追加)。 |
| 野田佳彦: | 元総理として行政全体の実務経験豊富。財政政策の深さが玉木の補佐に適す。 | 適正95%(党内分裂経験から連合管理に強い)。 |
| 吉村洋文: | 地方行政の実務(コロナ対策)で知られる。改革政策経験が副総理の経済活性化役に。 | 適正80%(維新の独自色が調整難)。 |
| 泉健太: | 政務調査会長経験から財政立案の実務能力高。行政刷新の政策経験が予算管理に活きる。 | 適正85%(立憲の社会保障視点を加味)。 |
| 吉村洋文: | 知事経験から地方自治の実務能力高。改革政策の推進力。 | 適正85%(維新の行政効率化に適合)。 |
| 山本太郎: | 人権政策の追及経験。社会正義の実務として国会活動。 | 適正70%(れいわの独自性が法務に新風)。 |
| 前原誠司: | 外務大臣経験で外交実務に精通。中国・米対応の政策経験豊富。 | 適正95%(尖閣事件対応の実績)。 |
| 小池晃: | 平和外交の主張が連合のバランスに。国会質疑の実務経験。 | 適正70%(共産の独自路線が国際調整に課題)。 |
| 神谷宗幣: | 教育改革の講師経験。政策として伝統価値推進。 | 適正75%(参政党の独自教育観が連合に新味)。 |
| 田村智子: | 医療政策責任者の経験。年金・介護の実務。 | 適正85%(医師免許保有の専門性)。 |
| 小池晃: | 医療・年金著書の政策経験。被災地支援の実務。 | 適正80%(共産の社会保障重視)。 |
| 泉健太: | 経済政策立案の経験。成長戦略の議論実績。 | 適正80%(立憲の格差是正視点を経済に)。 |
| 前原誠司: | 国土交通大臣経験でインフラ実務に強い。空港・ダム改革の政策。 | 適正95%(維新の改革路線にマッチ)。 |
| 山本太郎: | 脱原発・環境政策の主張。国会追及の実務。 | 適正70%(れいわのグリーン政策が環境に適合)。 |
| 野田佳彦: | 総理経験から安保政策全体把握。実務能力として閣議決定の経験。 | 適正90%(平和主義の連合適合)。 |
| 田村智子: | 安保法制批判の政策経験。女性視点の平和推進。 | 適正75%(共産の反戦スタンスが防衛強化との調整必要)。 |
この提案は、野党の多角的視点を統合し、玉木総理の現実路線を強化。実際の内閣成立には政策合意が必要で、共産やれいわの参加が難航する可能性あり。
共産主義者同盟(きょうさんしゅぎしゃどうめい、略称:共産同、ブント)は、1958年に結成された日本の新左翼党派。
主に全学連を牽引していた学生らが日本共産党から離れて結成し(一次ブント)、60年安保闘争の高揚を支えたが1960年解体。1966年に再建されたが(二次ブント)1970年に再び解体し、戦旗派、全国委員会派、ML派、赤軍派など多数の党派に分裂した。学生組織は社会主義学生同盟(社学同)。「マルクス・レーニン主義の復権」や「プロレタリア国際主義」、「世界革命」などを掲げた。
この論文が端的に示しているのは、政治的言説が**「ドッグ・ホイッスル(隠されたメッセージ)」と「ウルフ・クライ(証明できない危険の主張)」**という、本質的に証明が難しい二種類の発話行為(スピーチ・アクト)を互いに非難し合うことで、**解決不能な悪循環(弁証法)**に陥るメカニズムです。
---
この論文は、**ドッグ・ホイッスリング(DW)**と**ウルフ・クライイング(WC)**といった特定の**スピーチ・アクト(発話行為)**に対する**帰属(Attribution)**が、現代の政治的言説において、どのようにして敵対的な弁証法と新たな**発散(Divergence)**を生み出し、解決不能な膠着状態に陥るのかを分析しています [1]。
この問題は、DWもWCも、その性質上、**認識論的に(知識の観点から)帰属が困難な**発話行為であることから発生します [1]。この困難さが原因で、DWやWCに対する**非難や指摘(帰属)**自体が、合理的であるにもかかわらず、**確定的に検証または反証できない**主張となってしまうのです [1]。その結果、これらの帰属のパターンは、DWとWCが相互に強化し合い、固定化する**相互的な悪循環(viciouscycle)**へと発展し、「不幸な現状(unhappystatus quo)」を築き上げます [1, 2]。
DWとWCは、政治的環境において特定の影響力を持ち、政治的言説を構成するスピーチ・アクトです [3]。スピーチ・アクトとは、話し手が直接述べた文字通りの意味(locutionary meaning)を超えて、間接的に暗示された力(illocutionary force)や、世界との相互作用において追加された力(perlocutionary force)を持つ発話の形式を指します [4]。
DWは、**論争的ではない公のメッセージ**の中に**論争的な隠されたメッセージ**を埋め込んで送るスピーチ・アクトです [5]。
WCは、**危険が実際には存在しないか、あるいは証明できない**場合に、危険が存在すると主張するスピーチ・アクトです [3]。
これらDWやWCを**「〜という発話行為である」とみなす**行為が、第二階次のスピーチ・アクトであるSAAです [7]。ドッグタウンのシナリオでは、Alphaを除いて、すべての参加者が互いにSAAを行っています [7]。SAAは、他者の行為を指摘する役割と、それ自体が新たなスピーチ・アクトであるという二重の役割を持ちます [7]。
DWとWCがこの弁証法的な問題を引き起こすのは、それらが定義上、間接的で**隠された(covert)**スピーチ・アクトであるため、**誤導的(misdirecting)**な性質を持つからです [8]。
DWは、公衆には無害なメッセージとして聞こえる一方で、特定の受け手にだけ私的なメッセージを送る、話者と受け手の**私的な意図と解釈**に依存するスピーチ・アクトです [8]。
WCは、私的に観察されたとされる危険についての公的なメッセージですが、**その主張の真偽**が外部から証明されていません [9]。
これらのスピーチ・アクトの帰属を行う人々は、証拠の一部しか得られず、全体像の一部のみを見て全体を判断する「盲人と象」のような、**認識論的に不利な立場**に置かれてしまいます [10-12]。
認識論的な困難さの結果、あるスピーチ・アクト(DWまたはWC)を非難する行為(SAA)自体が、相手からは敵対的な別の種類のスピーチ・アクトとして解釈されるという非対称性が生じます [13, 14]。
DWの帰属者(DWA「あいつはDogwhistlerだ」と指摘する人)は、隠された秘密のメッセージを証明しなければならない立場に置かれますが、DWの主体は常に自身の意図の直接的な(私的な)証拠に訴えて否定することができます [11, 15]。そのため、DWAは常に**認識論的に不利な立場**に立たされます [11]。
WCの帰属者(WCA「あいつはWolf crierだ」と指摘する人)は、クライアーの個人的な経験に反して、「狼」が存在しないことを証明しなければならない立場に置かれます [12]。WCAは、非観察者でありながら、第一人称の観察者よりも権威ある知識を持っていると主張する不利な立場に置かれます [12]。
この相互に敵対的な帰属の非対称性が、DW帰属がWCとして返され、WC帰属がDWとして返されるという**多極的な相互作用**を生み出し、**認識論的な発散(epistemic divergence)**のプロセスを構成します [18, 19]。
帰属自体がスピーチ・アクトであるため、帰属はそれ自体に再帰的に適用されます。これは**スピーチ・アクト帰属の帰属**として例示されます [20]。ドッグタウンの例では、Alpha(DW候補)→Buddy(DWA)→Charlie(WC A)→Duke(DWA)というサイクルが**無限に継続**します [2, 21]。
このプロセスは、**多極スピーチ・アクト帰属相互性**(DW帰属がWCとして、WC帰属がDWとして相互に強化し合うこと)であり、反復されることで**悪循環**となります [2, 19]。対話参加者全員が、互いの主張が共通の基盤として受け入れられないまま、**非難の応酬**を繰り返します [19]。これは、単に敵意や内集団バイアスから生じるのではなく、**相互的な認識論的な膠着状態**から生じる現象です [18]。
この悪循環が政治的言説の領域内で修辞的な規範として安定化すると、**定常状態の均衡(steady-state equilibrium)**が出現します [2]。これは、参加者が戦略を変えるインセンティブを提供しないため、持続します [2]。
最終的に、**ドッグ・ホイッスル/ウルフ・クライ帰属均衡**が形成され、誰もがデフォルトで互いをDWまたはWCのいずれかであると見なすようになります [22]。これは、相互に矛盾する信念から構成される**信念均衡(belief equilibrium)**の一種です [23]。
この均衡は、参加者が真実を追求しようとする**認識論的な美徳**から生じているにもかかわらず、以下の3つの深刻な問題を引き起こします [24, 25]。
これは、**相互に認識論的に強化し合うが、相互に認識論的に不適合な**視点のシステムです [26]。DWやWCの帰属は、合理的であるにもかかわらず**不確定**である可能性があり、この合理性と確定性の間のギャップが、相互に合理的だが相反する立場が**未解決のまま均衡**することを可能にします [26]。これにより、真実に到達するための「理想的な発話状況」の実現が不可能になり、会話の前提条件が満たされなくなります [26]。
この状態では、**スピーチ・アクトの帰属**が、**事実に関する帰属**を圧倒します [27]。政治的言説の内容は、ほとんどが「あなたの言葉はDWだ」「あなたの主張はWCだ」といった帰属で占められ、事実に関する議論はわずかになります [27]。
この飽和は、最初の扇動的な事実(犬の噛みつき事件など)自体が忘れ去られたり、無関係になったり、解決されたりした後でも継続する可能性があります [28]。なぜなら、最初の出来事Aそのものよりも、「Aに関するスピーチ・アクトの疑わしさ」の方が、政治的に重要であるように見えてしまうからです [28]。帰属飽和は、事実から独立した状態となり得ます [28]。
帰属を行う者の動機が**真実の探求**であるにもかかわらず、その追求自体が、実際には真実に到達しない均衡を生み出すという点で**自己敗北的**になり得ます [25]。
DWやWCの帰属は、特定の認識論的視点から見て合理的であったり、あるいは実際に正しい場合もあります [29]。しかし、不確実性が支配的な状況でこれらの帰属を提案することは、政治的に不安定化をもたらします [29]。したがって、帰属者の真実追求的な衝動こそが、言説をこの悪い均衡の罠に陥れる原因となり得るのです [29]。
この弁証法的な問題は、相互に合理的な認識論的視点から生じる**自己組織化された社会現象**であるため、単一の加害者を特定することはできません [30]。均衡から脱出するためには、政治的コミュニティにおける参加者の**満場一致の同意**が必要ですが、これは強力な反対者によって容易に崩壊する可能性があり、困難です(「一方主義者の呪い」) [30]。
帰属の伝播を防ぐため、すべての当事者に高い検証・反証基準を課すことが提案されます [31]。しかし、誤導的なスピーチ・アクトの性質上、単純な検証や反証はできません [31]。より現実的な解決策は、スピーチ・アクト帰属の飽和を減らし、事実に関する問いを再び顕著にすることです [31]。これには、相互理解を深めるための**修辞的傾聴(rhetorical listening)**のスキルセットが必要となるかもしれません [31]。
帰属の落とし穴を認識し、増幅サイクルを抑制するために、新しい用語を導入する提案もあります [32]。
これらの新しいラベルが、過剰なSAAの力を無力化し、サイクルを終結させることが期待されますが、これらのラベル自体が新たなスピーチ・アクト帰属としてサイクルに貢献する可能性もあります [33]。
最も重要なことは、この問題を真に解決したいと望む人々は、**自分たちのスピーチ・アクト帰属自体が問題を引き起こし、構成している**という痛みを伴う自己認識を持つことです [34]。