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はてなキーワード:児童書とは

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2025-10-01

anond:20251001124057

Jロリってそんなに偉いんか?

ただ児童書書いただけだろ?

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2025-09-18

図書館に行った 知らない名前

市の一番南にある図書館はまだ行ったことが無かった。葬儀場を通り過ぎて川に大きな橋がかかっていた。そばにあった道にある建物図書館だった。中には人が少ない、児童書のコーナーは図鑑絵本歴史漫画までがひとつの部屋みたいなのに集められており、靴をふたつきちんと並べて

部屋に私は足を踏み入れた。

色んな絵本があった、懐かしい絵本もあった

作者がもうこの世にいないことを真っ先に思い出してしまう本もあった。昔、読んだ本を開いて見ると中の誰もが記憶のまま私の知ってるように

怒っていたり、泣いていたり、喧嘩していたり、

笑っていたりした。どうしてか傷だらけの手がふと浮かんで私はそっと本を閉じた。

もう帰ろうと思った時に一冊の絵本を読んだ

考えることについての絵本らしい。かわいかった

子供がまず宿題とか学校とか考えることから始まって最後には正義まで考え出す絵本だった。

その中にあった自分ってなんだろうというので

手を止めた。最近はそんなこと考える余裕も無かったので、そのまま考えてみた

からなかった

ほんとうに、ほんとうにわからなかった

そして本を棚に置いて、私は泣き出してしまった

知りたかった答えはないし、余計に自分が嫌いになっただけだ。こんな場所に来るもんじゃなかった。さいてい

Permalink |記事への反応(0) | 18:56

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2025-09-10

anond:20250910230705

最後にひと言:ドラえもん待つより、のび太ムーブを減らせ。寝る・動く・会う・作る。まずここ。

Permalink |記事への反応(0) | 23:08

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2025-08-01

表自擁護の女オタクたちは悪くない。が、筋は悪い。俺達も悪い。

 表自問題で叩かれている表自女オタクたち、俺が見てきた人たちは8年以上前から男女向け問わず表現規制に対して異を唱えていたから、今叩かれているのはかわいそうだと思う。某女オタクが表自男オタクを「お前らは私たちがいなければズリネタ自由戦士しかない」という名台詞を吐いた際にも、否定的コメントをきちんと出していた。

 が、彼女たちですら男性向け表現暖簾の外に出そうとまでは言わなかったし、仮に当時言っていたとしてもお気持ち要素ゼロガンギマリ表自ガチ勢しか支持されず、多数派にはやんわりと反対の目を向けられていただろうと思う。男性向け表現解放を主張/賛同していなかったこ自体は、若い世代には当たり前となってしまっているので仕方がない。そもそもそれを表明する男オタク自体希少種だったし、あまり叩く気にならない。

 だがしかし、その前提がある限りBL暖簾の中に押し込むことに反対することは差別を支持することであり、BL表現への規制に反対することはできない。少なくとも、男性向け表現と同等程度になるまでは焼かれるのを黙って見ていなければ差別主義者になってしまう。8年以上の活動をしてきたからこそ、今まで男性向け表現解放を主張していなかったことが、自らの主張に制限をかける。残念だが、君たちには焼かれて貰うしかない。

 しかし、彼女たちに全ての責があるわけではない。男オタクも悪いのだ。男性向け表現解放を謳い、エロマンガ暖簾の外に出し、堂々と児童書の隣に置くことを主張すべきであった。しかし、他ならぬ男オタク自身がそれをしなかった。した者はいたが、「一般的市民感覚」を持つオタクたちから怪訝な目で見られており、あまり支持されていなかった。

 そりゃそうだ。児童が過剰にポルノ暴露される事は発達に影響を与えることを示唆する研究はある(念の為言っておくが純粋培養も同様の傾向である)。それを知らなくても、直観的にもそういう考えになる。普段は視界に入らないが、その気になれば手に取れる。暖簾の中に隔離されるというのは、公共の福祉を踏まえると程よい距離感であるのはその通りであるのだ。若い世代にとってはそれが当たり前になってしまった。当の男オタクが望まない主張を、女オタクがすべきであったとするのは、いささか他責が過ぎるだろう。

 だが残念なことに、だからこそ女性向け表現は焼かれる対象になる。一般向けからコーナーから排除され、暖簾の奥に押し込まれ禁断の領域に足を踏み入れる居心地の悪さを感じてもらうことになる。BLだけではない。過激少女漫画やレディコミも、全て焼かれて貰う。そうでなければ筋が通らない。

 しかし、俺達も悪い。俺達が現状に甘んじ、男性向け表現規制されていることを受け入れてしまたからこうなっているのだ。フェミ共の言う公共の福祉議論に乗ってしまたからだ。表現自由児童ポルノ暴露されることに寄る悪影響よりも重要である児童への影響は受忍限度範囲内だ。そう主張するべきであった。しかし、当時はフェミ勢力が強かったことを踏まえても、流石に分が悪い主張であったことは疑いようがない。我々は大人であり、強者であり、児童弱者庇護対象だ。児童利益が優先されるのは何ら違和感のある主張ではない。だが、だとしても、それを主張するべきであった。

 当時それを強く主張していれば、ガンギマリ表自女オタクたちもそれに乗ってくれたかもしれない。表現自由戦士世論を動かし、フェミダブスタ腐女子を叩けたかもしれない。8年越しの今、ダブスタ腐女子を黙らせ、オタクたちは手を取り合ってフェミリベラル保守、あらゆる勢力に一致団結して立ち向かえたかもしれない。

 だが、残念ながらそうはならなかった。男オタク日和った。女オタク現状維持した。表現自由専守防衛であり、抑圧から解放を是としなかった。結果、BLが焼かれることに反対する根拠を失ってしまった。オタクたち全員がこの結果を作った。

 表自女オタクよ、すまない。俺達が規制抗うべきであった。しかし表自女オタクよ、君たちは男性向け表現児童書の隣に並ぶことを是と心得ることができるかね?母親になっても、娘を持っても、それを続けることができるかね?

「ここで団結せねばいずれ男性向け表現も焼かれる!」と言うのはいいが、それを言うには君たちの仲間はヘイトを買いすぎた。表現を守ると謳いながら、男性向け表現を焼くという裏切りがあまりにも多すぎた。君たちがそうではないというのは俺がよく知っている。だが、その立場を取るのであれば、君たちの仲間の裏切りを強く焼くべきだったのだ。君たちの仲間が無能すぎたのは同情するが、焼かれ続けた男オタクの怒りを鎮めるには、君たちの声は少し足りなかったようだ。

 ここで君たちを見捨てれば、我々は二ーメラー警句の通りになるかもしれない。しか時代を遡れば、君たちが二ーメラー警句通りの裁きを受けている。俺は当時まだ生まれたばかりだったが、90年代表現規制の際に反対しておけば、2010年代に「昔はこんな不自由社会ではなかった」と若いオタクの目を覚ませていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。もし君たちが当時幼すぎたならどうしようもないが、しかし人の気持ちとはそういうものだ。

 BL表現を焼くことは、間違いなく表現自由の後退を意味する。だが、我々がそれを防ぐには選択肢を間違えすぎた。時代も悪い。男女平等教育を受けた若い世代の目がキマっているのも運が悪かった。男らしく、表現自由を守るためなら多少の不自由は引き受けようとする、器のある男はもう少数派だ。

 どうすればこれを避けられたんだろうな。俺達はもう、燃えていくBLを眺めていることしかできない。

 暖簾こちら側へようこそ。あそこくぐるの、結構恥ずかしいよな。慣れれば意外となんとかなるもんだぜ。

Permalink |記事への反応(1) | 14:16

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BL表現規制の話をしようかな

まず前提を書いておこう。

私は腐女子である一般的腐女子ではないかもしれないが、歴としたBL文化を好む腐女子だ。無論二次創作もしている。

何がどうあれ、それは事実だ。

それから事の発端は皆さんもご存知だろうが「いちばん美味しいゴミだけ食べさせて」というSteamゲームである

私がこのゲームのことを知ったのはXの電ファミニゲーマーポストだ。それを見た時におもしろそうなゲームだな、と思うと同時に不味いなとも思った。

何故なら確実に炎上する内容だからだ。

さて私の立ち位置を明確にしよう。

私は表現規制反対派である

どのような内容であれきちんとR指定などをしているのならば現状は問題ないはずである

だが不適切場所での性的Web広告などには反対をしていきたい。それはきちんと線引きができていないからだ。今はその話ではない。ゲームである

だが考えてみて欲しい。このゲームはまだ発売していないのだ。発売していないゲームの中身なんて、誰にも本当のところは分からない。

このゲームを本当に評価するなら、買って遊んで中身を確かめから然るべき批評をすべきだ。

だってこのゲームに出てくるラブリドールとやらにゴミを食べさせて賢くなったらそのラブリドールが今度はプレイヤー(人間?多分、知らないけど)と立場を入れ替えて今度は人間に美味しそうな残飯料理振る舞うようになるかもしれない。

それならこのゲームは知能を持つことやその存在との関係性の構築に対するカウンターとして機能することになる。

このあらすじだけではゲームの全貌は分かりっこない。

仮に本当にあらすじからそのまま連想されるような女性蔑視的な視点が含まれていたとしても、別にそれは悪いことでは無い。

それなら世の中のそう言った生き物(男性/女性/動物/有機物/無機物を問わず、命あるもの全て)を物扱い(この場合ラブリドールは物だから別に物扱いしても構わないとも思うが)して性的搾取していると思われる作品は全て検閲対象にせねばならない。

道徳的問題のある作品の全てがダメなのなら、その前に規制検閲を受けるべき作品など山ほどある。

現状そんなルール存在しないのでその方向でこのゲームを取り沙汰するのはどうにもおかしなように思う。

それから純粋に、アルジャーノンに花束をからインスピレーションを得たとするこの設定は挑戦的でおもしろそうなことは間違いない。私はSteamウィッシュリストに放り込んだ。閑話休題

そしてBLだ。

はいつも近所の本屋に行くと、その本屋では児童書コーナーの奥まった場所BLコーナーがある、それを見る度にせめて場所を変えてくれないかと思っていた。

と言うよりも普通に暖簾住み分けしてくれても構わない。

男性向けR指定コーナーと同じにすると女性性的被害を受けるので現状は難しい、と言うのなら今後は男性女性それぞれのR指定コーナーを設ける、と言うことを検討してもいいと思う。

児童書コーナーの奥よりはマシだ。

それをすると腐男子の方々がBLを購入するのに差し障りがあるかもしれない。まあ私も男性向けのR指定本を買う時に困るが……現状世の中には通販と言うものもある。

なんなら全てを通販で済ませても良い、と思う時もあるが本屋には総覧性という素晴らしい利点と思い立った時に手にすることが出来るという通販では得られない即時性もある。

ならば現状を維持する為に男性向けも女性向けもR指定権利表現の自由を主張するべきだろう。

それが筋というものだ。

エロ表現のきれいさとか性的搾取が無い作品だとか、そんなもの男性向けにもあるし女性向けにだって強姦表現やとても口に出すのは憚られるようなものもある。数の問題では無い。表現の内容を全てを一纏めに語るのは暴論だし、そうなったらどちらも規制である

ならばどちらのエロ尊重するべきだ。

あと私は男性向けとか女性向けとかそんな括りは関係無く全ての作品が読みたいし、全ての表現尊重したい。

ちなみに個人的な考えを言うと作品倫理観は時に読み手ナラティブ呼応し、時に逆照射されて読み手倫理的に働きかける(その逆もある)というのならば読み手書き手は両者共に倫理的に成長すべきだし、その営みを守ることに対して声を上げたいと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 00:18

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2025-07-31

ゾーニング表現規制だって言ってませんでしたか

AFEE エンターテインメント表現の自由の会 のホームページにて「ゲーム配信プラットフォームにおける検閲配信停止問題について声明」が掲載された。

steamゲーム配信プラットフォームにおけるアダルトゲーム含むコンテンツの削除、に対する意見書

クリエイター保護ユーザー権利を守ってくれ、と言いたいこと自体は概ね同意できるしこういう意見書を出す必要性理解できる。


が、

(以降記事一部コピペ

レーティングゾーニング整備への敬意

Steamやitch.ioは年齢確認フィルタリングによるゾーニングを整備し、ユーザー安心してコンテンツを選べる環境を築いてきました。

成人向けコンテンツ等を明確にゾーニングし、安全流通させる仕組みは、ユーザー選択権とクリエイター表現の自由を両立することにも資する理解しています

プラットフォームのこうした制度整備の努力感謝し敬意を表します。(コピペ終)


この適切なゾーニングを許容する部分は今までこの団体及び会員が説明してきた理念、及び行動とかけ離れている。

表現の自由を掲げるこの会は、ゾーニングの追加・強化は表現規制だとし、性的描写があるBL本を区分することに反対していた。

それが男性向けの書籍なら確実に18禁になっていたであろうものでもだ。

それが表現の自由を守ることだと、この団体は言ってこなかったか


今回、ゾーニングの整備は必要でその努力感謝と敬意を、とこの団体は言っている。

同じことをBL本の時になぜ言わない。

児童書の近くに性的描写のあるBL本が置かれる書店存在してしまうのは、売上やスペースを理由に適切なゾーニング出版社及び作家が怠ってきたからだ。

児童保護名目での法的表現規制強化をされかねないだろこの現状は。

「成人向けコンテンツ等を明確にゾーニングし、安全流通させる仕組み」とは、性的BL本を男性向け同様に暖簾の奥に区分することだ。

ゲームプラットホームのそれには賛同するんだろ、BL本は何が違うの?

このダブルスタンダード説明できないのならば、この会が主張する「表現の自由」の正当性なんてないも同然にならないか

そんなの「BL表現の自由」の間違いだろ?男性向けとはかけ離れた基準での。

Permalink |記事への反応(1) | 21:27

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2025-07-30

anond:20250729013213

我々は法の平等なる適用を求める

片やコンビニから撤去されビニールカーテンの奥に追いやられ何人もの作者が筆を折り路頭に迷うことを強いられ

片や児童書の横で堂々と売られコンビニに並び東大教職にある者が別名で堂々と出版する

ここまでの理不尽な法の適用は男女間以外では見たことがない!

過去男性向け出版物は文字通り焼かれてきた

我々はいま焚BL坑腐を強く求める!

Permalink |記事への反応(3) | 18:50

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2025-06-01

8歳のほうがよっぽど詳しい

私は本を読むのが好きな子供だったけど、物語に溺れる系だった。

ライトノベル児童書快楽的に読み耽る。現実から物語に逃げ込む。それらを楽しむための語彙力や、王道を楽しむための土台についてはとても積極的に学んでいた。

いまは小説家になろうだとかカクヨムで十分事足りている。ときどきちゃんとした作品を読まないとな、と紙の話題作をよむのだが、ちゃんストレスがかかる。とても面白いと感じると同時に、疲れる。面白い作品は負荷がかかるのだ。その負荷も何度も楽しめば鍛えられるとわかっているけど、もういい歳なので鍛えられに行きたがらない。

さて、私がこのように自堕落ものから子どももそうかというと、そんなことはない。

食にも大変親しんでいるので、心持ちのふくよかさと、独善的なところはあるものの、将来はダンス選手になりたいという程度に運動にも親しんでいる。そして物語ドラえもん漫画から図鑑、石の本など多様に読んでいる。

先日、子供が好きそうな本があって(生き物の豆知識的な)、表紙に書かれているキャッチーな「イソギンチャクはくちとこうもんがおなじなんやって」と話しながら進めると、子供はすげなく「しってるよ、ほかのほんさがしにいこう」と別の本棚に進んで行った

小学生になってから親の知らない本を学校学童で大量に読むようになった。

快楽的に物語に浸っていたおやより、子の方がよっぽど博識だな。と感動した。

ちなみに私はイソギンチャク植物じゃないんだっけ?のレベル

Permalink |記事への反応(1) | 20:50

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2025-05-12

中学生にもわかるように解説するというポストイライラする理由

https://x.com/kurubushi_rm/status/1921397861519941732?t=jiYWNmiJV9Uy2M1PhvGfmg&s=19

初めに言うと、ポスト主に落ち度があるわけではない。個人イライラ言葉にしたくここに書いておきます

意見の中身自体特に異論はない。そもそもトランプ支持者を説得しようとして書いたわけではないだろうし。

中学生にわかるように書」いたポストを読んで、これは自分に向けて書いたものだと思う人は実質いないのでは。中学生はXにほとんどいないだろうから一旦置いておくとして、これを大人が読んだとして、この意見に賛成の人はそうだそうだ、中学生にもわかる理屈だと溜飲を下げ、反対の人、もしくは特に意見がない人は単に馬鹿にされたと思うだけでは。少なくとも自分はどこか厭味ったらしいと思った。

厭味ったらしいと思った原因は、持って回ったようなタメ口、不自然口語調の文体にもある気がする。例えば池上彰はそれこそ中学生にもわかるように解説はするが、聞き手バカにしたような感じはしない。これはかなり話し方や文体が影響している気がする。

この文体、多分児童書などを参考にしてるのかもしれないけど、それをSNS上で使われるとかなり不自然に思う。(段上からあなたの段階に降りてきて、同じ目線で話してあげますよ~という風に聞こえる。自分と異なる意見の人に君無知から教えてあげるね〜みたいな。あるいは単に一昔前のラノベっぽくて気持ち悪い。

要はこの方の文体が嫌いということでおしまいすみません

Permalink |記事への反応(1) | 13:43

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2025-05-02

最近携帯小説

現在アラサー小学校高学年の頃携帯小説を読みまくっていた

恋空とか白いジャージとか

当時、コレ!というタイトルは浮かばないものの、少し前にごくせんとかクローズとかが流行っていたこともあってか「暴走族の姫になってめちゃくちゃ愛される」みたいなのが多かった

何を読んでいたのかは忘れたが友達と貸し借りして暴走族の姫もの携帯小説を読みまくっていた

どう考えても堀北真希みたいな主人公がどう考えても亀梨和也みたいなヒーローとどう考えても赤西仁みたいなヒーローに取り合われたりしていた(垂れ目枠、可愛い枠も大体いた。暴走族は人数が多いのでいろんなイケメンを出しやすかったのかもしれない)

最近本屋に行ってふと児童書コーナーを見たら子供向けの携帯小説青い鳥文庫携帯小説バージョンみたいなやつ)があって、今そんなんあるんだ…とびっくりした

なんか懐かしくなってそのまま携帯小説コーナーをのぞいてみた

今ってどんなのがあるのかなと思って数冊手に取ってみたら、暴走族になってめちゃくちゃ愛される内容のものがいっぱいあった

令和の若者暴走族には憧れないとばかり思っていたのでびっくりした

でも、暴走族のチーム名が私の頃は「愚零賦風流雨襲(グレープフルーツ)」みたいな、画数!当て字!みたいな感じだったのに最近のは「Blue Dragon」とかだった

茶髪!赤メッシュ学校には来ない!みたいなヒーローが多かった気がするけど、一見優等生で真面目…でも実は裏では!みたいなヒーローが多い気がした

家帰ってから野いちごサイトを開いて何作かのぞいたけどもう目が滑って全然読めなかった

ついでに教師と生徒ものはやっぱ不変の人気があるっぽい

そんな淫行教師全然捕まってほしいのでもう楽しめなかった

Permalink |記事への反応(0) | 14:05

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2025-03-03

anond:20250303180413

いきなり大人向け(?)の長編から入るんじゃなくて、子ども絵本の次に読むような短い小説から入ってみては?

途中挿絵が多いようなのもいいと思う。

 

実は本を読むのってスキル必要なんだよ。

難しい小説を読むには意外と高いスキルレベル必要

小説を読む人が読めるのは、だいたい小さいころから自然と訓練していて小説を読めるほどのレベルに到達しているから。

増田義務教育国語の授業を受けており、その手の訓練がまったくないわけじゃないから読めるような気がするんだと思う。

でも実際に「こころ」をひっかかりなく読めるほどの訓練の質・量には到達しておらず、スキルレベルが足りていないんだと思う。

 

というわけで、まだそういう「読む」訓練を始めたばかりの子ども向けに書かれた本を読んでスキルを積むといい。

まり小学校低学年向けの本を読む。

子供向けと侮るなかれ、話自体はワクワクドキドキで大人が読んでも楽しめるものがたくさんある。

これは図書館司書なんかも同意してくれる人いるはず。

今の自分には「エルマーとりゅう」シリーズぐらいしか思いつかんけど、

実際に図書館に行って司書に「絵本卒業したけどまだ長い小説は読めない子ども向けの、短めの本でおすすめはありませんか」とか聞いてみるのもいいかもしれない。

司書に聞かなくても児童書コーナーにそれっぽいのたくさん並んでいるので読みたくなったものを手に取ってもいいと思う。

Permalink |記事への反応(1) | 18:22

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2025-02-19

ジュリアン・ムーア著作トランプ政権焚書される模様

ジュリアン・ムーア(64)がおよそ20年前に発表した児童書が、トランプ政権により発禁処分となったという。『フレックフェイスストロベリー』が国防総省運営する学校禁止となったことに、ジュリアンは驚きを表している。

自身国防総省下の学校出身で、ベトナム戦争経験した軍人の父を持つジュリアンはインスタグラムにこう綴っている。「私の処女作『フレックフェイスストロベリー』が、トランプ政権によって国防総省運営する学校禁止とされたことに大きなショックを受けています。『フレックフェイスストロベリー』は、自分そばかすが大嫌いで仕方のない7歳の少女が、人はそれぞれ違うのだということに気づき、受け入れていく姿を描いた半自伝物語です」「これは誰もが苦しむことはあるけど、人間性コミュニティによって結束しているということを私の子供や他の子供たちに思い出してもらうために書いた本です」「私は当時国防省運営していたドイツフランクフルトにあるフランクフルトアメリカンハイスクールの誇り高き卒業者なので、今回のことになおさら驚いています。私はベトナム戦争経験し、米軍にずっと従事していた父の元育ちました。父と母国への父の貢献はこれ以上ないほどに誇りに思っています」「軍人の親の元で育って国防省学校に通う私のような子供たちが、同じような経験をした人物による著作を手にすることが許されないということはとても悔しいことです」

https://nordot.app/1264363044869701814

増田「そんなことより赤いきつね赤いきつね

増田「女体エロ表現以外は別に規制されてもいいです」

Permalink |記事への反応(0) | 07:23

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2025-02-18

絶滅危惧種女児向けおまじない

この前児童書コーナー行ったらおまじないの本がごっそり無くなっててびっくりした。

いや完全になくなったわけじゃない。けどかなり減ってる。代わりにあるのはお子様向け美容法、綺麗な字の書き方、クラスで愛されキャラになる方法ノートの取り方、時間の使い方、話し方、メンタルの扱い方なんかもある。社会人か??

占いの本とお菓子作り、手芸心理テストなんかはずっとあるみたい。

まぁ確かにいらんよな。女児のおまじないとか一番役に立たん。綺麗な字を書くとかおどおどしない話し方とかの方が役に立つよ。

古い鍵を使った好きな人の心の扉を開くおまじないとか、紙粘土で白蛇のお守りを作って金運を上げるおまじないとか、友達とクシを交換して友情永遠にするおまじないかいらんよな。

でもあのバカみたいな、子供騙しのものなおまじないも楽しかったよ。

細々と生き続けてくれよな。

Permalink |記事への反応(1) | 00:27

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2025-02-04

anond:20250203214443

80年代まれだけど、赤は女の子の色のイメージが強かった、キティちゃんとかの印象

戦隊レッドとかウルトラマンの赤ライン男児にとって非現実的な別枠という感じ

 

男児服は、ワンポイントの赤ならいいけと全部赤の服は幼稚園児まで、小学生以降で着てるのほぼ見なかった記憶

青グレー黒緑が主流で、たまにカーチャンがお洒落な奴が紫を着せられてたけど、からかわれがちだった

ブラウン系のウンコ連想する色も危険

女子茶色含め基本好きな色着てたが、高学年になるとピンク危険色になる(環境による)

大人っぽく」ダークトーンやグレーを着るのがかっこいいとされ、ブライトトーンやペールトーンはガキ臭い、親に着たい服の自己主張できないヘタレバカにされる社会圧ががかる(環境による)

 

当時ブームだった児童書ズッコケ三人組』のハチベエリーダー格)の好きな色の設定が赤で、意外に感じた記憶

Permalink |記事への反応(0) | 14:36

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2025-01-26

幼児自慰が治らないまま大人になった話

タイトルの通り。

面白い話でも無いけれど、同じ興味関心を持つ誰かの好奇心を満たせればいいと思う。下ネタというよりもただの昔話として、誰かに聞いてほしいという気持ちもある。

書いている人は現在20代前半の女である



最初自慰を覚えたのは幼稚園の時だった。

園庭の遊具であるすべり台の柵(手すり?)に跨がって遊んでいたのがきっかけだった。最初は本当に何の気なしの遊びで、たぶんホウキに跨がって魔女ごっこするくらいのつもりで柵に乗ったんだと思う。足を床から離したところで下腹部体重がかかり、その刺激が癖になってしまったのである。以来、たびたびそのすべり台自慰をするようになった。

もちろん当時は自慰などというものは知らなかったし、性的知識もごく少なかった。むやみに股間をいじってはいけないというのは教えられていたので、他の幼児先生の目の前ではしないようにしていたと思うけれど、幼稚園でしてはいけないことだとまでは思っていなかった。

自宅でも同じことができないかと思い、手すりを探して、自分のベッドのフッドボードに跨がるようになった。自室で一人遊びに耽るようになったこから専業主婦で家にいた母親に怪しまれ、兄弟を追い出して一人きりで遊ぶのはよくないと少し叱られた。今になって思えば完全に気付かれていたと思う。兄弟も見ていたはずだが、お互い幼い時のことなので今も覚えているかは分からない。

親に叱られたので、できるだけ親には気付かれないように気を付けるようになったが、家の外では相変わらずだった。

そのうち少し背が伸びて、フッドボードでは高さが足りなくなった。他に跨がれる場所を探した。

まずは机の角。家の学習机感覚を掴み、教室の机でもするようになった。次に、机と似た高さの角なら使えそうだと思って、家の据え付けのカウンターの角や、学校トイレの手洗い場の角でもするようになった。

いわゆる角オナなのだが、その手のシチュでよく見る直接擦り付ける形ではなくて、角に両手を乗せ、その親指の付け根の骨の上に陰部を乗せるような姿勢だった。この方法で何度も角に押し付けられた親指の付け根には厚いタコができて、高校生になる頃まで消えることが無かった。

鉄棒も使うようになったが、跨がるのではなくいわゆるつばめ姿勢で手に押し付けていた。なんで跨がる形をやめたのかは忘れたけど、人に見られても目立たないからだったんじゃないかと思う。

跨がりを完全にやめたわけではなく、机の端から伸びるような形にリコーダーを置いて、それに跨がって押し付けることもしていた。クラスメイトの悪ガキ(女子)に見られて「股女」と罵られたことが一回だけあったが、それ以外には特に何も言われなかった。

低学年くらいまでは、性的理由で興奮していたわけではなく、ただの習慣だった。頭が痒くなったら掻くくらいの感覚で、下腹部が疼いたら自慰をしていた。

幼児自慰について、他に楽しいことが無いと手持ち無沙汰でしてしまうから興味を逸らすのがいいとよく言われている。だが、私の場合幼稚園の頃からかなりの読書好きで、自慰の他にすることが無い、という感じではなかった。小さい頃はストレスもほぼなかったので、不安を紛らわすためにしていた訳でもないと思う。早いうちに習慣として染み付きすぎてしまったのだろう、としか理由説明できない。

10歳くらいになってくると、ほんのり性に興味が出てくる。とは言ってもモロ成人向けのコンテンツなんて身の回りに無いので、子供向けアニメ恋愛シーンを見て照れるとか、せいぜい好きな児童書キャラクターの裸体をぼんやりイメージしたりする程度である。照れた時に陰部の疼きが強くなるような傾向は出てきたが、それもこの時はまだ性欲に直結する欲求ではなくて、照れというある種の緊張状態に反応しているだけだったと思う。たぶん、神経が昂ると性器がむずむずするように、体がそうなってしまっていた。

5年生の頃に、子供向けの性教育の本などで男性自慰を知ったことで、もしや……?と思うようになる。それからある日、親が持っていた小説(『悪の経典』)を開いてみたらベッドシーンがあり、読んでいるうちに下腹部が疼いてきた。この時に、幼少期からの癖が"自慰"と繋がった。

それでようやく、人が見ている前では自慰をしないようになっていった。人がいないトイレなどではたまに我慢できずにしていたが。

また、家具の角ではなく自分の手で疼きを発散できる可能性に気が付いた。とはいえ押し付ける形の刺激に慣れすぎてしまっていたので、手で達せるようになるのはしばらく後のことである。角を使わなくなるのは、先述の通り中学校生活の後半くらいになってからだった。



ということで、私の幼児自慰は治らないまま、シームレス大人自慰に移行した。何年か前に幼児自慰というものを知り、結構よくあることなんだと知ったが、治らないままだという話はそれほど多くは出てこない(過去ダイアリーに1件あった)。ならば自分が参考に書き残そうと思って、ここに書いてみた。

今ではただ自慰歴が長いだけの健全な成人だけど、精神的な原因で性器に疼きを感じる癖は残ってしまった。高校生大学生の間は、やらなければいけない宿題の締め切りが近くて焦っている時にむずむずすることが多かった。社会人になり、初めての職場デスクに座っている時にもむずむずがすごかった。1ヶ月後には収まったので、あれ緊張のせいだったんだな~と思っている。寝付けない夜にとりあえずでやってしまうことも多いが、これはネットでもよく聞く話なのでそこまで気にしていない。治した方がいいとは思っている。

ちょっとだけ追記

みなさんのコメントを拝見して捕捉。

「直した方がいいとは思っている」のは、自慰のものではなく、睡眠導入のためにとりあえずで自慰をしてしまうことです。

興奮してきてから処理すべき、らしい。

Permalink |記事への反応(18) | 22:55

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2025-01-10

友人が子供に本を読ませたいか子供向けの本を教えて欲しいと言うので

ポプラ文庫角川つばさ文庫児童書をいくつか紹介したら「そういうのじゃない」と言う。

じゃあどういうのかと尋ねると、主人公はたしか少年だけど、わりと読書コストの重いファンタジー小説を挙げてきた。

それは「子供が好きな本」じゃなくて典型的な「おばさんが好きで子供に読ませたがる本」だよね。

押し付けがましいし、児童文学を名乗ってるくせに加齢臭がするのキツイんだけど。

って言ったらメッタ刺しにされて山奥に埋められて今地中。

誰カ…僕ヲ見ツケテ…。

Permalink |記事への反応(6) | 19:36

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2024-12-23

児童書が読みたい気分

大人向けっつか一般のとラノベは読み飽きたわ

寝る前に海賊ポケットシリーズ読んで悪夢見るような、そんな生活をしようよ

Permalink |記事への反応(0) | 23:04

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2024-11-07

anond:20241107090759

児童書の表紙とか見てみなよ

今みんなあのくらいの可愛い絵柄になってるよ

可愛い絵=豚向け!って思っちゃうのはオッサン

Permalink |記事への反応(1) | 09:25

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2024-10-14

ブックサンタ、そろそろやばいのでは

(本増田では、ケーキの件の炎上かには触れません。ご安心ください)

今年も先月から始まった、ブックサンタの寄贈本受付。

増田は参加歴もう5年ぐらいになり、毎年の「贈られた本ランキング」や現場写真にも目を通してる。

その中で、そろそろ参加する皆様にお願いした方がいいのでは?でも公式はきっと言えないよね?と感じることがあるので、本当に余計なお世話だけど、言います

選書が古すぎる。

かに絵本児童書は、古典的名作が何百版と刷られていつまでも書店に並ぶ、特殊ジャンルではある。

ブックサンタやってみようかなー、と数十年ぶりに児童書売り場を訪れて、子供の頃大好きだった絵本を見つけて嬉しくなっちゃサンタさんの気持ち増田もよーくわかる。

いい本だから、今の子にも読み継いでもらいたいよね。きっと好きになってもらえるよね…

ところで、公式もさんざん言ってるように、ブックサンタはいつも、小学校中学年〜高学年向けの本が不足しているそうです。

まり10歳ぐらいの、ご家庭に余裕のない子供が、唯一のクリスマスプレゼントとして本を待っている。

そこに、新品とはいえ学校図書館でも余程の本好きしか手に取らないような、えーと例えば岩波少年文庫とかが届くわけよ。

その辺をもう少し考えてほしい。

ご家庭での読み聞かせ学習フォローが難しく、読書の力や習慣が足りないお子さん、発達の遅れのあるお子さんも多いわけよ。

ブックサンタではご家庭の希望考慮して本を届けてくれるそうなので、恐らく、現場ではかなりのミスマッチが生じてる。

半世紀前に書かれた超有名翻訳絵本10冊ぐらい現場の書棚に並んでる写真も見た。あれらの引き取り手は現れるのか、たぶん児童施設かに寄付されることもあるんじゃないかな…

プロジェクトを永続的成功に導くために、サンタさんひとりひとりが、望まれる本について考える時期が来てると思う。

偉そうに語った増田はどうしてるかというと、鉄道が好きなので、少し大きい子向けの鉄道図鑑は毎年選ぶ。

女の子向けのキラキラした生活指南書みたいなもの最近よく売られてるから、これは需要あんねんな、とそれも選んでる。

総ルビの本しか選ばない。3年以内に出版された本しか選ばない。小説を選ぶ人が多そうだからその辺は避けて、生活に役立つか、違う世界のことを知れる本。なるべく説教臭さがなく、何度読んでも楽しい本を頑張って選んでる。

今年はみくのしんが走れメロスを読むやつ入れますオモコロチャンネル好きでしょ小学生

そして、増田の悩みも聞いてほしい。増田ゲームがわからない。マイクラの本、攻略から冒険小説まで幅広くあって、小学生がどれを喜ぶのかわからない。マイクラじゃない方がいいのかも。

ゲームの本、ゲーム機なくても配信で見てるゲーム世界に浸れる総ルビの本、誰か選書お願いします!

Permalink |記事への反応(3) | 23:33

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2024-10-13

推しの子集英社みらい文庫から児童書化してたのを知った

元々女児人気が結構あるってのは知ってたけど、まさか児童書化してるとは思わんかった

かいセンシティブセリフは多少マイルドに書き直してるのかもしれないけど、序盤だと例のシーンは流石に避けようがないしなあ……

まあデスゲームもの児童書とかもあるし、人死ぬくらいは大丈夫なのかもしれんけど

Permalink |記事への反応(0) | 22:17

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村上春樹作品ポリコレガン無視云々で思い出した恩師との会話

ノルウェイの森キモいとか嫌いだったとかコンプラの欠片もないとか色々言われている(私はノルウェイの森に関しては学生時代映画を観てヒロイン役の水原希子が「もう二度と演技の仕事はやりたくない」みたいなコメントをしていたこしか覚えていない)。

そういう意見に対する反応の中に「コンプラ違反キモい小説禁止されるようになったら小説は終わりだ」みたいなものがあった。

それを見て、以前に恩師と話したことを思い出したので、何となく回想する。ただ、記憶曖昧な部分も多いので、架空の話と思ってもらったほうがいいかもしれない。

恩師(A先生とする)は文学が専門の大学教員で、ゼミでお世話になった。私はリアル留年するレベル卒論に手こずったのだが、A先生は急かすこともなく私が自分なりに納得できるものを書き上げるまで待ってくれた。私がA先生を恩師と呼ぶのは、その「恩義」によるところが大きい。

昨年の5月、久しぶりにA先生を訪ねた。先生はその年の3月大学早期退職していたので、会ったのは駅の近くのルノアールだった。

挨拶やら近況報告やらを経て、話題A先生が定年を待たずに大学を去ったことに移った。先生退職理由について「学内の過剰な『コンプラポリコレ意識に窮屈さを感じた」というようなことを話した。

私は少し身構えた。当時の私(今もだが)はどちらかといえば「コンプラポリコレ重視派」というか、フェミニズム共感したり、不公正に違和感を抱くことは大切だと思ったりする人間だった。Twitter(現X)のおすすめタブも、かなりリベラル寄りに構築されている。だから尊敬するA先生がいわゆるポリコレアンチだとしたらちょっと嫌だなぁ困るなぁ、と思ったのだ。

私はA先生の話をもっと聴くことにした。先生言葉をどうにか納得できる形で解釈するための材料が欲しかった。

A先生は、最近学内には過剰な(と先生が感じる)ほどの「配慮」を求める空気がある、と言った。例えば、講義の中で残酷と思われる映像を扱う時に、事前に警告して「苦手な人は見なくていいですよ」と言わなければいけないのだという。

そのような「配慮」は、私も見たことがある。以前、NHK地上波ドラマで、作中に出てくるセンシティブな要素(性的描写暴力自傷行為など)について冒頭で警告していた。ある種のネタバレとも言えるのだが、人によってはフラッシュバックを起こしかねない描写に警告を入れるのは「正しい」ように思われた。

大学サイドはクレームを恐れている。事なかれ主義的に先回りして、学生を傷つける可能性の芽を片っ端から摘んでいる。それは学問を教える場としてあるべき姿だろうか? 人間が学び成長する契機の一つは『ショックを受けること』だ。本来人間には、ショッキング経験咀嚼し消化することで新たな知見や価値観を得る力がある。『コンプラ』に基づいた『配慮』によって学生たちをショックから『守る』ことは、彼らの『ショックを消化する力』を信頼していないということではないか?」

といった内容を、A先生は語った。確かに、誰でも見る可能性がある地上波ドラマと違い、大学講義を受けに来るのは一定以上のリテラシーを持った一定以上の年齢の学生に限られる。「後から訴えられるリスクを避けるため」という理由だけで、彼らの「ショックを受ける権利(≒成長する権利)」を奪うのは、学問の場の在り方としておかしいと言えるかもしれない。

また、A先生は「今これを読んでいるのだけど」と、明治時代私小説(確か森鷗外)を見せてくれた。詳しいあらすじは忘れてしまったが、端的に言ってクズな男の話だった。

「この話は、『ポリコレ』としては全く『正しくない』。だが、そういう『正しくなさ』を持っているのが人間ではないのか。そして、人間の正しくなくて醜くてクズな部分をも描くことができるのが文学(≒フィクション)ではないのか。『ポリコレ的に正しい』文学しか認めないというのは、非常に危ういことだ」

と、A先生は語った。これはまさに今回の村上春樹作品の「正しくなさ」論争に重なる話だろう。

ポリコレ」つまりポリティカル・コレクトネス」とは本来政治的な正しさ」を意味する言葉だった。ゆえに、配慮対象となるのはあくま現実社会を生きる人々であったはずだ。にもかかわらず、今ではフィクション評価軸として「ポリコレ」が使われており、なおかつ「ポリコレ的に正しくない」作品非難対象となっている。

だが、A先生の専門である(そして私が多少なりとも学んだ)文学という分野において、フィクションを「ポリコレ的に正しいか否か」で評価することはある意味危険視されている。文学にとって「多様性」は命だ。文学は唯一絶対の「真理」を信じない。なので、「ポリティカル・コレクトネスはどんな時も決して譲るべきではない」という立場とは、そもそも相性が悪いのだ。さらに、先ほどの先生言葉の通り、文学は「正しくないもの」の居場所でもある。フィクションには、現実社会では犯罪になるような行為差別的とされる感情も受け入れる余地がある。もちろん、受け手がそのようなフィクションに触れて「キモい」「傷ついた」「作り手の人格を疑う」などの反応を返すことは当然ありうるし、(特に商業的な作品では)作り手がそういった反応を回避するためにコンプラポリコレ意識することも普通にあるだろう。だが、「正しくない」フィクションを一律に禁じ、「正しい」フィクションけが存在を許される事態は、少なくとも文学畑の人間からすれば「あってはならない」ことなのだ。

1時間少々をルノアールで過ごし、私とA先生は再会の約束をした後、駅で別れた。電車の中で、私はずっと先生との会話を反芻していた。今思えば、私はまさに先生発言に「ショックを受け」、それを咀嚼し消化しようとしていたのだろう(この投稿自体がその行為の一環といえるかもしれない)。

最後に、フィクション受け手を傷つけることについて、思うことを書いておく。

私は昔から小説漫画など色々なものを読んできたが、その中でショックを受けたり傷ついたりしたことも少なくない。今でも覚えているのは、小学生の時に読んだ児童書で、登場人物クラスメイトのことを「グループ渡り鳥」とバカにしている描写だ。当時の私は特定グループ所属していなかったので、「私は『グループ渡り鳥』なんだ、良くない状態なんだ」と思い込み自己肯定感が下がっていった気がする。

それでも、私の基本的スタンスは「傷つくのは受け手事情」だ。明らかな悪意に基づくものならともかく、一般的フィクションに触れて傷ついたとしても、それは「自分の傷つきやすい部分に当たった」に過ぎない。「勝手に傷つくお前が悪い」とは言わないが、少なくとも「人を傷つける作品が悪い」とはならないと思っている。そもそも、誰も傷つけないフィクションなんて、誰も感動させないフィクション同義ではないのか。

以上、長々と書き連ねたが、今言えるのは、私が恩師にまた会える日を楽しみにしているということくらいだ。そしてその時には、また色々な話がしたいものだ。

Permalink |記事への反応(3) | 06:28

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2024-09-24

例えばなんだけど、

『本を読むのが苦手な大人児童書を勧めるのは、正直お勧めできません。児童書児童書独特のリズムがあり、これは子どもリズムなのです。だから慣れていないと大人は読みにくい。』

上記が何も具体的なこと言えてないって気付ける?

子どもリズム」というのが何を指しているか説明していない。その概念が言っている人の中にはあるのかもしれないが、それが何か分からない。

から根拠無しで結論だけ言っているのと変わらないんだけど、一見すると何かを主張できているように見えてしまう。

曖昧論理自分に許している人は自分誤謬や無根拠に気付けないんだよな…。

Permalink |記事への反応(0) | 22:24

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2024-09-07

小学生の頃に遭った痴漢(仮)について

タイトルの通り、小学生時代に遭った痴漢やそれに類することについてと、書き出してみて思ったこと。

1回目飲食店にて

初めての痴漢(仮)は、小学校低学年の頃だった。

当時の私はピアノを習っていて、発表会に祖母と母が来てくれた。おろしたてのワンピースフリルのついたソックス、少しだけかかとの高いよそゆきの靴、いつもより豪華に結ってもらった髪にはリボンかわいい格好ができて嬉しかったのを覚えている。

発表会は市民ホールを貸しきって、昼すぎまでかかっていたと思う。早起きしたぶんお腹はペコペコで、遅めの昼食は近くて回転率がよくすぐに食べられるお蕎麦屋さんを選んだ。

昼すぎでも土日だったからか、お客さんが並んでいた。回転率のよさは知っているので、並ぶのは苦にならない。眠気も出てきていささかぼんやりしつつ、だらだらと前に並ぶ人へ続く。

すると突然、ぐいっと左手を掴まれた。反射的にそちらを見上げると、知らないおじさんが私の手をとり握手するみたいにぎゅむぎゅむ握っている。とても、とても驚いた。けれど声は出なかったし、ぴくりとも動けなかった。知らないおじさんは「可愛かったからつい」と言って、手を離して店を出て行った。

母たちは「びっくりしたねぇ」などと何だか和やかに言っていたが、私はほんとうに驚いて、つまりショックで、その後どうしたか覚えていない。もちろんかなり古い記憶なので、単純に時間経過によって忘れてしまっただけかもしれないけれど。


ほんとうに驚いたとき人間悲鳴も上げられないしすぐに逃げもできないのだな、と何だか絶望に近い気持ちになったことは覚えている。アニメドラマ刑事ドラマが好きでよく観ていた)のようにはできないのだ、と。

かわいい」は褒め言葉のはずなのに、なにも嬉しくなかった。なんとも言えないモヤモヤが澱のように腹の底に溜まった。

プライベートゾーンを触られたわけでもなく、何なら一緒にいた親族問題視したふうでもなく、法的に痴漢には分類されない体験。今でも一般的になんと分類するものか分からないままだ。それでも私の中でだけは、初めて遭った痴漢として記憶している。

2回目 通学路にて

小学校中学年の夏。

私の地元田舎で、徒歩通学だった。当時はとにかく読書が好きで、通学中は図書室で借りた本を読みながら歩くのがほとんどだった。二宮金次郎みたいに。

学校帰り、季節もあってまだまだ明るい中、いつも通り本を読みながら一人でひたすら歩く。毎日毎日そうしているから慣れたものだった。

車が1台ぎりぎり通れるくらいの、田んぼと畑と農家然とした少し古めの民家ばかりの道で、ふいに後ろから声をかけられた。自転車に乗った男子学生だった。中学生か高校生か、とにかく同じ小学生でないことしかからなかった。親や学校先生以外で年上と話す機会もそうなかったし。

喉が乾いたので飲み物を分けてもらえないか、と言われた。夏なので肩に水筒をぶら下げていたのだ。大人なのに変なの、とは思いつつ、水筒のコップ代わりの蓋になみなみ注いで渡した。

水筒お茶を飲むところをぼんやり眺めていたら、コップを持つ男子学生の手がぶるぶる震えていた。おそるおそる口をつける。そのさまを見て、なぜだか急に、明確におかしいと感じた。一気飲みはせず、謎に丁寧にお茶を飲んでから返されたコップ。水筒に戻しながら、どうやって帰ろうか不安になった。自宅までそんなに距離がなかったからだ。なぜかついてこられるのでは、と思った。その間も、ぽつりぽつりと男子学生からの問いかけが続く。いつもこの道を通るの、とか、何年生なの、とか。

今の私は何でそこで律儀にと思うが、その時は走って逃げるとか急に話を切り上げるとかい選択肢がなかった。失礼だと思ったからだ。誰か帰路の小学生でもいれば、知らない子でも混じって帰ったと思う。でも誰もいなかった。人っ子一人。えー…とか、うーんと…とか枕詞みたいに付けたふんわりした回答をしながら、子供なりに頭はフル回転していたはずだ。でも、打開策が思いつかなかった。

少しして、私たちがいた道沿いの民家から住人のおばさんが出てきた。知らない人だったけれど、何してるの、と声をかけてくれた。それを見て、男子学生は何も言わず自転車を走らせて去っていった。その背中が私の帰り道と同じ方向だったのを見届けて、まだ呆然としたままの私は、なんにもないです、とだけ答えた。知らないおばさんが「さっきの子は知り合い?」と言うので、首を振る。ちょっと回り道してから帰りなさいね、と言われた。私もそのつもりだった。

この体験も、お茶をくれと言われて分けただけで何もされていない。痴漢ではない。なので何と呼べばいいかからないけれど、自分の中ではその他の痴漢と同じカテゴリに分類して記憶していると思う。そういう系統の嫌な気持ちだった。

3回目図書館にて

これも小学校中〜高学年頃。

私の両親は離婚しており、母に引き取られていた。夏休みに父のところへ泊まりに行っていたときだった。

例によって本が好きなので、県立図書館へ連れていってもらった。いっちょまえに児童書卒業していたので、見る本棚一般書架。父はAVコーナー(ネットカフェみたいに区切られたブースで各々映像資料が観られる。アダルト資料ではない)にいるというので、一人でゆっくり本棚を眺めていた。作者なんかは知らないから、タイトルや表紙のデザインを中心に何となく気になった本を探す。児童書に比べてかなり数が多いので、背表紙を眺めているだけでも楽しかった。タイトルしか読んでいないのに、いくら読んでも読み終わらなくて。

ふと、足元がぬるい感じがした。見下ろすと人が床に手をついてしゃがみ込んでいた。年齢は分からなかったけれど、男の人であることだけは分かった。

図書館の本棚上下左右ギチギチに本が詰まっている。下の段の本を見るには、学校ミクロマンとイジられていた私の体躯でもしゃがみ込まなければならなかったので、下の方が見たいんだなと思った。図書室で人気の本棚にみんなが密集するのはよくあることだ。と思ったけれど、はぁーーー、と長い息を膝に吐きかけられているのを見て、一気に過去の嫌な気持ちが呼び起こされてしまった。気付いていないふりでじりじりと距離をとり、別の本棚へ移動する。

何だったんだろう、と心臓がばくばく言うのを落ち着かせているうちに、暑いから息が上がっていただけでは?という気になってきた。そう思うと何をビビっていたんだろうと馬鹿らしくなって、また端から背表紙を読んで、読んで、時には取り出して表紙やもくじを眺めて。

じきに、また足元に違和感があった。今度は微妙にぺたぺた?ぬるぬる?する。見下ろすと先ほどの男の人がしゃがみ込んで、私の膝辺りを舐めていた。他人の舌が肌を這うことなどないし、誰か分からないし、理由も分からないし、どうすればいいかからなくて、なのに気付いていることを勘付かれてはいけないと咄嗟に思った。心臓はまたばくばく暴れて、目の前の本を適当に抜き取り「これにしよ」なんてわざとらしく声に出して、父のところへ逃げた。

この時に借りたのは『エリコ』という本だったと思う。いま調べてみると表紙が記憶と違っているけど、女の子モノクロっぽいイラストの表紙だったはず。父の家に戻ってから読んだけれど、分厚い上に当時の私には内容が難しくて、とても難儀した。話が全く分からなくなってから飛ばし飛ばし読んで、なんだか図書館での嫌な気持ちフラッシュバックするような描写を目にして、結局ギブアップした。主人公が高級娼婦らしいので、確かに当時の私には早すぎたし「猥雑と戦慄がからみあう、嗜虐と倒錯近未来バイオサスペンス引用元:BookLive)」はあんなことの後では取り合わせが最悪だった。今までの人生で読み始めたのにギブアップした本はこれと『ドグラ・マグラ』だけなので、すごく印象に残っている。

この体験一般的にも痴漢に入るのではないかと私は思うけれど、そのときの私には分からなかった。知らない人に舐められて驚いたし怖かったのに、誰にも言えなかった。一緒にいたのが母だったら、もしかしたら言えたかもしれない。正直、相手と同じ性別である父には言いづらいと感じた。自宅に戻ってからは、今度は今更だと思って母にも結局は言えなかった。

4回目 通学路にて

4度目は小学校高学年。

さすがに生きているだけでも変な目に遭うことはあるのだと理解していた。それに、そういう場面では声も出ないしパニックになって機敏に動くのは難しいことも。

私は護身術として極真空手に通うようになっていた。ビビって声が出ないし動けないなら、度胸をつければよいと思ったからだ。流派だの何だのはよく分からないままだけれど、男子に混じって毎週通った。練習体育館で行われていて、フローリングの上で拳で腕立て伏せをするのが大嫌いだった。骨が痛すぎるし、未だにフローリングでやることではないと思っている。

それから、通学路も勝手に変えた。2回目のときに使っていたのは車1台でいっぱいの道幅だったが、片側1車線ずつの道だ。さらに少し行くと複数車線の道もあるけれど、遠回りになるのでこちらばかりを通っていた。徒歩通学だしショートカットたかった。車通りはやはり少ない。

この時も学校からの帰り道だった。一人で帰っていて、道路の向かい側に停まった白い車から声をかけられた。運転席の窓を開けて、男性小学校へはどっちに行けばいいかと尋ねてくる。あっちです、と指をさすと、地図で教えてほしいと大きな紙を広げた。道路を挟んだままだと見えないので、道路を渡って運転席の窓から紙を覗きこむ。それは確かに地図だったけれど、地図と腹との隙間から陰茎が見えていた。数センチの隙間から、手で擦って見えたり隠れたりする陰部。

相変わらずショックではあったけれど、またか、という諦観もあったように思う。私はやはり気付いていないふりをした。努めて地図だけを見て、現在地も分からなくて、「地図読めないけどとにかくあっちです。ずーっとまっすぐ道なりで左側にあります。私はそこから来たんだから間違いないです」というふうな回答をした。

習い事があるからとその場を駈け出して、ないと思ったけど一応追ってきていないのを確認して、座り込んだ。心臓は毎度のようにばくばく言っていたけど、走ったから当たり前だなと思った。前よりも怖くなくなったし、毅然と振る舞えた気がするからたぶん空手効果はあった、と思いながら自宅へ帰った。今回もこのことは誰にも言えなかった。

思うこと色々

そういうわけで、私が小学生ときに遭った痴漢やそれに類するものは覚えている限り4回だ。多いのか少ないのかは分からない。

もちろん、中学生でも高校生でも大学でも大人になっても何かしらは遭った。それでも一番覚えているのがこの小学生時代。今やすれた30代だけれど、私も子供の頃はさすがに無垢だったのでショックが大きかったのだと思う。


どう気をつければいいのかというと、正直私は分からない。嫌な言い方だけれどもはや事故みたいなものから。防ぎようがないという意味で。ただただ、こういうことをする人がいなくなってくれればいいのだけど。

一つだけ。もしもこんなことがあったと言われたら、ちゃんと聞いてあげてほしいとは思う。

中学にあがってから路上で知らない人に突然キスされたことがある。グレてイキって気は強く成長した私は、黙り込んでいた小学生時代とは違ってすぐに学校に報告した。とにかく腹立たしかたからだ。分かることはすべて話した。場所とか、相手風貌とか、原チャだったとか。それらは全校放送で流れた。

おそらく親にも連絡が入ったのだと思う。その日の夜、養父(母は再婚した)にリビングへ呼びだされた。本当なのかと聞かれたので、本当だと答えると、場所地図で描けと言われた。不審に思いながら自宅から中学校への道順を描き、ここ、と丸をつけると、嘘だと言われた。こういう場合被害に遭った場所から描き始めるのが心理学的に普通だそうだ。私としては通学中に起きたのだから理にかなって描きやすい順番だったのだけど、そう言われた。心理学なんて分からないので反論もできなかった。原チャの車種はなんだとかも聞かれたけれど、私が知っている中での形や大きさで最も近い名称が「原チャ」だっただけで、詳しくは知らなかった。グレ友達2ケツで乗せてもらったやつくらいにしか認識していなかったから。養父趣味ハーレーがあったので、バイク中途半端に出したのもよくなかったのかもしれない。

そうして私の虚言であったとされ、おそらく学校へも連絡したのだと思う。保健室登校しても、教師がどこかよそよそしかった。あくまで私の感覚なので、実際のところは分からない。

ショックだった。折り合いの悪い養父であっても、もはや養父側の人間で信用していないと自分では思っていた母であっても、なぜだか報告すれば信じてくれると思い込んでいた。

初めて報告したらこうして狼少女にされてしまったので、前述のとおりその後も何度も変な人に遭ったけれど、誰にも話していない。

今でも覚えているので、やはり他の家庭、いわゆる子供(年齢は問わない)をもつ家庭では子供を信じてあげてほしいと思う。様々な要因で恒常的に嘘をつく子供がいたりするらしいのは知っているけれど、嘘でなかった場合に取り返しがつかないからだ。私のようになってしまう。独身の私が言うのもおかしいけど、子供は健やかにつべきだ。大人になったら嫌でもすれてしまうのに。

この文章は、職場男性から小学生にあがった娘の親バカノロケを聞かされてぶわっと思い出したまま書き殴った。

電車通学が珍しい地方小学生だった私でも、4回。0回の方がいいに決まっているので、こんなことがどこでもありうるから気をつけてあげてほしい、と言おうと思ったけれど、職場の人に実体験を話すのは憚られたので。初めて表に出して少しすっきりしたかもしれない。

Permalink |記事への反応(7) | 23:31

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2024-08-11

anond:20240810234354

小学生の時はシートン動物記が一番好きだった

あとは怖い話の本や恐竜の本

宮沢賢治あらしのよるにシリーズ守り人シリーズも読んでた、上橋菜穂子だったら狐笛のかなたとか

どういう大人になったかはお察しで児童書ってケモノ萌え人外萌えになりやすい罠が潜んでるよね

Permalink |記事への反応(0) | 16:39

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anond:20240810234354

ズッコケ三人組シリーズ

ズッコケ山賊修業中』の別れの部分と、『うわさのズッコケ株式会社』の商売の仕組みの説明だけ妙に覚えている

地味に街の地図の部分が好きだった

徒歩と自転車で行ける生活範囲から始まるリアリティ小学生には自分にも起こりえるかも感があったからだと思う

ちびっこ吸血鬼シリーズ

図書室で人気が無く、他の人と感想を言いあった記憶が無い

90年代後期はホラーブームがあり、児童書でも恐怖をあおるものが多かった中、

ホラー怪物たる吸血鬼友達になる展開に面食らった覚えがある

学校の怪談シリーズ

同時期に映画やら、テレビアニメやらで色々怪談が扱われていた

そのため、味付けや内容の異なる『花子さん」を小学生時代は過剰摂取していたと思う

大人怪談都市伝説アレンジして遊ぶさまを読むことで、

自分でも既存創作物の内容を変化させて遊ぶようになった

地獄堂霊会通信

子供向けホラー作品の中で、子供自身怪奇現象と戦うのが目新しかった気がする

ぬ~べ~とか霊能力者の大人でなくても、呪符や巻物や数珠みたいなアイテムを使って小学生怪奇現象に立ち向かえるんだ!と夢中になって読んだ

椎名と竜也のクール感に子供心に憧れがあった

大学ときに、腐女子の先輩に「地獄霊界通信と言えばミッタンだろうが!」と言われ、子供に振り回される元ヤン警官に目をつけるとはこの人早熟だったんだろうなと思ったのを覚えている

リング

車の移動図書館小学校高学年ごろに地元ではじまり、今まで図書室になかったライトノベル大人向け娯楽小説などに触れることとなった

何となく借りたら、精子媒介として増殖する零体という概念が怖すぎて、2日間くらい寝れなかった

ゴクドーくん漫遊記

初めて触れたアンチヒーローでかつ、ファンタジー的な世界観パロディ的な作品

これと魔法陣グルグルドラゴンクエスト四コマ漫画などで、ファンタジーはパロデイして遊ぶものだと意識づけられすぎた

そのせいで、中学生とき指輪物語を読んで、みんなこんな濃厚な世界観を知ったうえでパロディしていたんだと自分無知に若干の反省をした

ブギーポップシリーズ

この作品の生でクールであればクールであるほど格好いいし、弱い能力であればあるほど格好いいと思うようになってしまった

ペパーミントの「大衆に売るためのコツはちょっとだけ不味く作ることだよ」みたいな台詞がいまだに印象に残っている

スティーヴン・キング作品

中学生とき実家の近くに古本屋ができて、100円で買って読み漁った

怪奇現象登場人物だけでなく、文章での細部描写自体が怖いことがあると知った

スタンド・バイ・ミー死体に集まるカブトムシという描写が怖かった

Permalink |記事への反応(0) | 15:07

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