
はてなキーワード:先生とは
意見の分かれそうなところですし、イデオロギーの対象にもなりそうなところです。が、実は国を豊かにする3つの面があります。
ひとつはすでに述べたどこにでもある生業というものは、国の豊かさそのものです。(他のさまざまなジョブを想起してみてください。ブルシットジョブのなんと多いことか。)しかも景気に左右されない。
ふたつめは、ケアサービスを集約的に提供することは、家庭でのケアサービス提供に従事しなくてよくなった労働力を供給することになります。介護離職とか、ヤングケアラーとか、長男の嫁を無くす。
みっつめは私が議論していることであり、日本に不足していることでもあるのでまだない条件ですが、ケアワークが高賃金だと低賃金の他産業から労働力を吸収して、低賃金労働を駆逐します。他産業は賃金上げるか廃業するかしかない。熊本で飲食が減っているのと同様です。これが日本にはなくて、非正規が多くワーキングプアの代名詞みたいになっちゃってる。女性労働者の多い産業でもあるので、男女の賃金格差もなくなる。
神野先生がスウェーデンをみて発見したのがケアワークの産業としての重要性でした。たぶん、合ってるんじゃないかなと思って研究対象にしています。
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佐藤一光
@kazzuaki
東京経済大学の財政学者。入門テキスト『Why not?! 財政学 超入門からホットイシューまで』執筆陣。放送大学(2026〜)「持続可能な社会のための財政学」担当。 石を拾うことはあっても珠を捨てること勿れ。脱炭素、ケア労働、S54生、不登校、不登校児の父。大きな政府派ですが積極財政派とは連帯できるはず。
最近、教育現場やSNSで、ある種の"すれ違い"を目にする機会が増えました。
注意されたり、期待と違うことを言われたりすると、「自分とは合わない」と、そこでの人間関係そのものをリセットして離れてしまう。自己主張は強いのに、親や社会に支えられている事実への自覚が薄い。大人の側にも、責任を引き受けるより先に「自分の権利」だけを語ってしまう振る舞いが見える──。
あなたも、こうした光景に心当たりがあるのではないでしょうか。
もちろん、これは特定の世代を批判しようとしているのではありません。私が今回考えたいのは、「その振る舞いが"合理的"に見えてしまう社会の側の条件」です。なぜ今、対話よりも離脱が、協力よりも防御が選ばれてしまうのか。その背景には、私たち大人が気づかぬうちに変えてしまった「学びの物語」の喪失があるのではないか──。
そんな折、教育者の中土井鉄信先生のFacebook投稿に出会いました。
そこで語られていたのが、「学びは公共財である」という視点です。教科書は、人類が積み上げてきた英知の集積であり、私たちはそれを受け取って生きている。だから学びは「自分のため」だけで終わらない。受け取ったものを社会に返していく視点が欠かせない──。
「依存」「消費化」「対価志向」「関係の短期解約」──これらは別々の現象ではなく、学びの位置づけの変化と深くつながっているのではないか。
本稿は、その問題意識を整理し、立て直しの方向を考える試みです。中土井先生の問題提起へのリスペクトを込め、私が現場で向き合い続けてきた実践知から、その解決の糸口を提示したいと思います。
学びが"公共財"として扱われなくなると、何が起きるのか
学びや知識には、個人の便益(成績・進学・仕事)だけでなく、社会的便益があります。社会が一定のルールを共有できること、言葉が通じること、協力が成立すること。その基盤には、学校教育や読書を通じて広がる「共通の知」があります。
ところが近年、学びは少しずつ、「社会の基盤」よりも「個人の投資」「購買体験」に寄って語られるようになりました。
どれだけ得をするか
どれだけ早く成果が出るか
この枠組みが強まると、学びの場は「関係を育てる場」ではなく「サービスの場」に近づきます。すると、注意や指摘は「成長のための調整」ではなく「不快な体験」になり、合わなければ話し合うよりも「さっさとその場を去る(離脱する)」ほうが合理的、という判断を招いてしまうのです。
「うるさい!もうやだ!こんな学校(塾)辞めてやる!」──この叫びは、わがままではなく、ある意味で消費者としての合理的な選択になってしまっているのです。
学びが「買うもの」になったとき、私たちは何か大切なものを失いました。それは、学びを通じて人と人がつながり、社会を共につくっていく物語だったのではないでしょうか。
かつての日本が持っていた「学びの回路」
私が子どもの頃、勉強が得意な子に向けて大人が「末は博士か大臣か」と声をかけることがありました。実際私も、祖母や祖父、近所のおじちゃんたちに、何度となく聞かされたフレーズです。
今振り返ると、そこには単なる出世願望だけではなく、「力を持つなら、社会に役立つ人になってほしい」という期待が含まれていたように思います。欧米で言われるノブリス・オブリージュ(地位や能力を持つ者の社会的責任)も、根は同じです。
かつて学びや能力は、個人の利益で完結するのではなく、社会に返していく回路の中に置かれていました。この感覚は、言葉にされなくても、日常の中で自然に共有されていたのです。
この回路が弱まると、学びは単なる「受け取るもの」になりやすく、結果として「対価がなければ動かない」という感覚が広がります。それは個人の問題というより、学びの物語を社会が共有できなくなったことの反映ではないでしょうか。
私たちは今、この失われた回路を、新しい形で取り戻す必要に迫られています。
人が社会や他者と健やかに関わるために、最初に必要なのは「規範」でも「協調性」でもないと私は考えています。
私が多くの親子と向き合う中で、それら以前にもっと手前の問題として感じるようになったのは、「自分自身との一致感を持つことができていない状態」で生きている人が想像以上に多いという現実です。
たとえば、次のような振る舞いが見られるとき、私たちはしばしば「甘え」や「依存」として片付けてしまいがちです。
やる気がないように見える
注意されることを極端に嫌がる
しかし、丁寧に話を聞いていくと、その背景には別のものが見えてきます。
「どんなペースなら続けられるのか分からない」
「何を期待されているのか曖昧なまま、結果だけを求められている」
つまり、自分の特性と、求められている振る舞いとの間に深刻なズレが生じているのです。みんなと同じやり方で学び、同じ基準で評価され、同じ反応を期待され続ける環境に長く置かれると、人は次第に「自分はどこかおかしいのではないか」と感じ始めます。
この状態こそが、私が「自分との不一致感」と呼んでいるものです。
この不一致感は、単なる自信のなさではありません。それは、自分という存在が、この社会の中でどう機能すればいいのか分からない、という根本的な不安です。この不安を抱えたまま「協力しなさい」「もっと頑張りなさい」と言われても、人は動けないのです。
「自分との一致感」こそが、協力の土台になる
人は、不安や恐れが強い状態では、協力よりも「防御」を優先してしまいます。自分の中が不安定なままでは、注意は攻撃に聞こえ、期待は重荷に感じられ、関係そのものを避けることが合理的な選択になりやすいのです。
逆に、「このやり方なら理解しやすい」「この関わり方なら無理なく動ける」という安心感――すなわち「自分との一致感」があってはじめて、人は心理的に安定し、周囲と関わる余裕が生まれます。
自分のやり方や反応を「これでいい」と理解できている人は、常に評価や承認を求めて振り回される状態から一歩距離を取り、自分と違う人を「役割が違うのだろう」と捉えられるようになります。この視点の転換が起きたとき、違いは摩擦ではなく、補完関係に変わるのです。
協力とは、目標として押し付けるものではなく、自分を理解し、無理のない形で力を出せる人が増えた結果として、自然に立ち上がってくる関係性だと私は考えます。
「協力できない社会」の問題は、協力を強制することでは解決しません。それよりも、一人ひとりが自分との一致感を取り戻すこと。そこからすべてが始まるのです。
この「自分との一致感」を取り戻すために、私が提唱し、社会に先行して取り組んできたのが独自の「才能タイプ理論」による個別最適な子育ての実践です。
そして、その実践において最も重要になるのが、家庭を「才能発揮の中心基地」へアップデートすることです。
学校や社会が一律の基準を求めがちな外部環境であるからこそ、わが子の「才能の形(遺伝特性や認知形成のクセ)」を深く理解し、本人そのものを伸ばしきれるのは、親をおいて他にはないからです。
ここで改めて強調したいのは、個別最適とは、嫌なことを免除したり、好きなことだけを選ばせたりするための考え方ではないということです。むしろ本質は、「どの形なら、その人は役割を引き受けやすいのか」を探るための視点です。
言葉で説明するのが得意な人、作業で支えるのが得意な人、全体を見て調整するのが得意な人。同じ「責任」でも、担い方は一つではありません。その違いを前提に役割を考えることが、結果的に集団を安定させます。
個別最適は、わがままを許すことではなく、それぞれの特性に合った形で、社会的役割を引き受けられるようにするための設計思想なのです。
中土井先生の「学びは公共財である」という言葉に立ち返ります。
学びが公共財であるとは、個人より社会を優先しなければならないという意味ではありません。そうではなく、「社会から受け取った知や経験を、自分の特性に合った形で、社会に返していく」という循環を大切にするということです。
かつての「末は博士か大臣か」という言葉の根底にあった、能力を社会に返していく回路。それを、いま私たちは「個別最適」という新しいアプローチで再構築していく時代の扉の前に立っているのです。
公共性とは、画一的な基準に全員を合わせることではありません。むしろ、一人ひとりが自分の特性を理解し、それを活かして社会と関わること。その多様な関わり方の総体が、本当の意味での豊かな公共性を生み出すのです。
家庭という「中心基地」で、わが子の才能の形を認め、自分との一致感を育むこと。それは、お子さんが「自分に合った形で、社会と良い関係を結べるようになる」ための自立への第一歩です。
この記事を通して、今の社会や子どもたちを批判したかったわけではありません。なぜ「対話をあきらめ、つながりを断つこと」が合理的に感じられてしまうのか、その背景に私たち大人の側の設計はどう関わっているのかを、一緒に考えてみたかったのです。
私自身、「才能タイプ子育て」という活動を通して、一人ひとりが自分と一致した状態で力を発揮し、その結果として、無理のない形で社会と関われる人が増えることを願っています。
違いを前提にした関係の方が、結果的に社会は安定し、協力は回りやすくなる。この実感を、現場での実践を通じて、少しずつ社会に返していきたい──そんな立場からの問題提起です。
私たちが失ったのは、「協力する力」ではなく、「協力できる条件」だったのかもしれません。
そして、その条件とは、一人ひとりが自分との一致感を持ち、自分らしい形で社会に関われること。学びが公共財であるという物語を、個別最適という新しい形で紡ぎ直すこと。
今回の記事が、ご家庭で、職場で、教育の現場で、何かを考え直す小さなきっかけになれば幸いです。
あなたのお子さんは、どんな才能の形を持っているでしょうか?
念願の脱サラを成し遂げたわけだけど、鬱になった
漫画家として軌道に乗ってから仕事を辞め、部屋を引き払い、実家に帰って子供部屋おじさんとして実家で仕事していた
好きなペースで仕事して、好きな時に寝て、好きな時に出歩く
アシスタントはリモートで、自分の場合は担当通して仕事をお願いしていたので直接の会話はもちろん連絡すらしたことなかった
会社員時代に夢見てた生活をしていた訳だけど、仕事の調子が悪くなった時に一瞬で精神的に参ってしまった
先輩は今まで俺のような漫画家を山ほど見てきたようですぐにアドバイスをくれた
・生活習慣
好きな時に寝て好きな時に起きる(ほぼ昼夜逆転)→朝家族と一緒に起きて夜には寝る
・仕事場
好きな時に仕事して好きな時に起きる→仕事するのは平日の5日間、時間は朝9時から夕方5時半まででどんなに仕事が進まなくても夜9時には仕事を切り上げる
・人との交流
人との関わりは担当と家族だけ→他の先生たちやアシスタントと交流を持つ、編集部の紹介で漫画教室の講師も始めた、学生時代の友人や前職で仲良かった元同僚たちとの交流も再会
・運動
という感じ
自分の場合は通院とかせず、編集部の方のアドバイス通りに生活を見直してすぐに改善した
また、担当の先輩からは村上春樹のエッセイ「職業としての小説家」をもらった
村上春樹の小説は読んだことなかったが、彼の創作論や仕事への向き合い方は本当にタメになった
創作活動している人もしていない人もぜひ読んでみて欲しい
その中で村上春樹が言っていたのが、作家にとっては仕事のリズムが大切だ、ということ
作家は好きな時に好きなだけ仕事ができるし、サボることもできる
しかし、ずっと仕事をし続けるにはやはりリズムを大事にする必要があるとのこと
サラリーマンが40年間仕事を続けられるのは、朝起きて同じ場所に通勤し、決まった時間仕事して、大体同じような時間に帰宅するというリズムがあるからだと
これは本当にその通りだと思う
例:
麻雀漫画において、試合の展開が非常に長く感じられる、あるいは実際に1局の決着までに膨大な時間をかける作品として、最も有名なのが福本伸行先生の「アカギ 〜闇に降り立った天才〜」です。
特に「鷲巣麻雀」編は、作中ではたった一晩の出来事であるにもかかわらず、連載では約20年(1997年〜2017年)かけて描かれました。
この特徴に関するポイントは以下の通りです。
驚異的な引き延ばし(鷲巣麻雀)
アカギの27年におよぶ連載期間のうち、鷲巣編だけで約4分の3を占めました。
単行本で約30巻、話数にして300話近くが、ほぼ一晩の対局を描くために費やされました。
単なる牌の捨て合いではなく、キャラクターの心理、駆け引き、牌の持つ「流れ」や「意思」を極限まで描写するため、1ツモ、1打に数ページ、時には1話が使われます。
「アカギ」ほど極端ではありませんが、本格的な麻雀漫画(天牌、むこうぶち等)では、1つの大きな試合(赤坂決戦や四川編など)が単行本で数巻に及ぶことは珍しくありません。
キャラクターの牌効率や戦術を細かく描写するほど、試合時間は長期化する傾向にあります。
このように、麻雀漫画は1つの対局を濃厚に描くあまり、時間をかけすぎてしまう(=1局が異常に長い)という特徴を持つ作品が存在します。
ぱっと見はものもらいだが、他の病気の可能性もあるため眼科に行く。
すると、まぁ、まだまだ赤ちゃんの2歳はとんでもない勢いで泣く。
顔を真っ赤にして、ケンカ中のネコみたいな濁った叫び声を張り上げて、短い手足をぶんぶん、身体はお魚みたいにびちびち。
なんとか先生の方に顔を向けてもらおうと、暴れる胴と腕、ぶん回る足と腕をプロレスみたいに絡めて姿勢を固定しようとするけどタコみたいにすぐすり抜けて大暴れ。
申し訳なさと焦りでいっぱいになりながら、何をそこまで必死になることがあるんだろう、そういえば夜泣きもこんな声だったな、と思ったら変な笑いがこぼれてきて、それから急に胸が詰まった。
あなたが顔を真っ赤にして泣く理由が、まだまだ小さい小エビみたいな指でわたしの腕に必死にしがみつく理由が、ずっとこんな平和な理由であってほしい。この先もどうか、しょうもない理由であなたが泣ける世界であってほしい。あなたが理不尽な恐ろしさや痛みで大泣きするところを、絶対に見たくない。どうすればあなたにそういう世界を残せたのだろう。
この間の選挙で、せめてこれだけは……という理由で入れた党が振るわず、この国のリーダーは変わらなかった。では、残った彼女は、その周りの大人たちは子どもが泣かないで済む世界を約束してくれるだろうか。しっかり口に出して保障し、それを行動でも守ってくれるだろうか。
眼科を出て、まだしゃくりあげている子どもを抱きあげる。2歳ともなるとしっかり重くて、温かい。まだびっくりした気持ちがおさまらないようで鼓動がウサギのように早い。涙で濡れた頬に髪の先がぺったりと張りついている。ヒック、ヒック、と小さく聞こえる。あなたが大切だ。あなたの泣く理由がずっとこんなものであってほしい。この温かな命のかたまりが、誰にも脅かされないでいてほしい。どんな子どもも、そうであってほしい。子どもの指がぎゅっと背中の服を掴み、泣きそうになる。怖かったね。もう恐いことがないといいね。あなたが大切だ。これからも、いつまでも。
暴言を人に吐いて不快にしたがり、誰かの好きなものを貶す事が趣味
そんなゴミ共、そのクセ、タフや猿渡先生の漫画は一冊どころか一ページすら読んでない
そしてこうやって事実の指摘をすると、「ククク…ひどい言われようだな…まあ事実だから仕方ないけど」「なにっ」「そうか! 君は頭が悪くて他にとりえがないから闘うことでしか自尊心を満たすことができないんだね かわいそ…」とか、早速語録を用いて効いてないアピールする
お前ら全員がネットから消えたら世の中もっとマシになるのにな、いいやネットどころかこの世から消えてくれ、早急に、今すぐ!
わかりあえないだろうなあ
でも攻めさせないために軍備増強同盟強化勢力均衡でがんばったらうっかり第一次世界大戦で地獄を見たこともあるので難しいね🤗
左翼さんは軍備増強の大切さを学び
https://mainichi.jp/articles/20260123/k00/00m/010/119000c
新党結成に向けた協議を進めた10日間の間に「改めて基本を学ぼうと思い、公明新聞で池田大作先生の中道政治論を読ませていただいた」と述べ
なんて言っちゃったんだよな。しかも統一教会の件で自民が叩かれている、というか自分たちが叩いている最中に。
そりゃねーだろって思った人は多かっただろう。
そろそろ語るとするか。
俺は今30代半ばになるが、これまでリアル・ネット含め誰にも話していないトラウマがある。タイトルの通りだ。
冗長気味でも、記憶にあることは全て漏らさず書くつもりだ。もしよければ読んでほしい。
雨の日だった。給食後の、5時間目の授業だったと思う。45分ある授業だが、序盤でもう腹が痛くなってきた。その日食ったもので、腹がゆるくなるものがあったのだろう。
今の、あるいはかつての思春期少年少女なら身に覚えがあると思うが、先生の話を遮って手を挙げ「トイレに行きたいです」というのは、なかなか勇気がいる。
普段からそういうあけっぴろげなキャラで認知されていたり、クラスの中心的な地位を確立していたり、もしくは単に合理的思考と想像力、
せめて一歩踏み出す勇気があったら別かもしれないが、俺はそうではなかった。
ネガティブな注目はとことん忌避回避して縮こまる。そんな気弱な陰キャである。
大人になって振り返れば、何をためらうことがあるのかと思う。リスクがでかすぎる。その一瞬クラスの注目を集め恥ずかしい思いをしたとて、忘れられるのも一瞬だろう。
とはいえ、できれば残りの40分弱耐え抜いて、チャイムとともにダッシュして事が済むならそれに越したことはないのもたしか。
俺はなんとかなるだろうと思い、耐える方を選んだ。甘かった。
授業が半分くらい過ぎたところで、かなり絶望的な気分だったのを覚えている。これは最後まで耐えきれないだろうと、どこかで理解していた。
ここまでくると、手を挙げるのも先ほどよりハードルが高い。耐えるのに精いっぱいで、言葉を発するのもやっとの状態だったからだ。
いかにも腹が痛そうなかんじで「トイレに行っていいですか」と皆の前で乞えば、事が済んだ後ウンコキャラとして数日、長ければ数週間過ごすことを余儀なくされよう。
いや、それでも手を挙げるべきなのだが、もはや正常な思考を巡らせることすら難しかったのではと思う。
急激な腹と尾てい骨あたりの痛み、そして少しの緩衝タイム。その繰り返しが5,6回は続いたんじゃなかろうか。波の間隔はどんどん短くなってくる。
当然授業の内容など入ってこない。そっちに集中して気を逸らそうとしたが無理だった。当時人生で間違いなくダントツトップで辛い時間だった。
そしてついに耐え切れず、決壊した。
頭が真っ白になった。信じられなかった。これは本当に現実なのか?軽いパニック状態だ。
藁にもすがる思いで、まだ大丈夫と言い聞かせたと思う。漏れても少しなら、周りにバレることはないだろうと。
だがそれは終わりの始まりにすぎなかった。
一度決壊してしまったせいか、歯止めがきかないのだ。一度、二度、三度。我慢しようとしても、出てしまう。
もはや出ていないのでは?漏らしている気はするが気のせいかもしれない。そんな現実逃避をしていた記憶がある。
しかし非情にもケツに広がる不快感。泣きたい気分だった。ほとんど泣いていたかもしれない。
臭いで周りにバレないか心配になった。後ろの席の人は臭かったかも。ごめん。でも、特に何も言わないでくれてありがとう。
早く終われとぐったりしながら、うんこを垂れ流しながら、残り時間をただただ耐えた。すでに俺の自尊心は粉々に砕け散っていた。
人生終わった。本気でそう思った。
座っている間にズボンの隙間から垂れてくることはなかったものの、液体が足を伝う感触はあった。
教室を出て、トイレに向かった。できればクラスから遠いところがよかったがそんな余裕はない。
一番近いトイレに早足で向かった。走ればうんこが垂れ落ちてくるかもしれないから。
個室に入りズボンとパンツを脱ぐ。酷いものだった。パンツは勿論、ズボンも膝裏あたりまで下痢でベトベトだ。
しかし不幸中の幸いは、まだ冬服で生地が分厚いため、表面的にはそこまで目立つシミになっていなかったこと。それでも、少なくとも臭いは隠しきれるはずもない。
よくあの時、泣かなかったなと今でも思う。心はボロボロだったが、目元を伝う液体としての涙は流していなかった。後処理でそれどころではなかったのもあるが・・・
ペーパーでできるだけふき取った後、パンツは脱いだと思う。脱いだパンツをどうしたかは記憶がない。覚えているのは、パンツを履かなかったことで下半身のデリケートな部位全体で感じる、
ここでひとつ、今でも強烈に残っている記憶がある。なんと廊下に、ズボンの隙間から垂らした下痢が数滴落ちていたのである。
周りに女子3,4人の人だかりができていた。
「なにこれ、カレー?」「こんなところに!?」「今日カレーじゃなくない?」みたいな会話をしていた。
今でも覚えている。小学校でも一緒だったI本さん、たぶん気づいていたよね、その茶色いものの正体に。
その横を、当然素知らぬふりして通り過ぎる俺。
誰かに助けを乞うか。下痢まみれの制服を着替えるかどうか。次の授業に出るのか、理由をつけて(あるいは黙って)帰宅するのか。
俺はもっとも消極的な選択をした。つまり、少し下痢をふき取っただけの臭い下半身のまま、助けを乞う勇気も帰る勇気もなく、次の授業に臨んだのである。
我ながら馬鹿だなと思う反面、当時の心境と自分の性格を思えば仕方ない気もする。一種のショック状態で、冷静な思考はできなかったのだろう。
もし次が英語や社会の授業なら、45分の間に、おそらく臭いで周りにバレていたと思う。そうなれば俺の青春は暗黒時代に突入したであろう。
またも不幸中の幸いか、次の授業は「総合的な学習の時間」というやつで、秋に予定している野外学習についての説明会に充てられていた。
普段は木工技術の授業が行われる、外にある作業室のような広めの別棟に生徒は集められた。
外は雨が降っていた。おかげで多少周囲に放つ臭いを誤魔化してくれたかもしれない。というか、そうであれと願った。
鍵が開くまでの間、生徒が作業室の周りでたむろしていた。
得てしてこういう時に限って、起きてほしくないことというのは起きるものだ。できるだけ周りと離れていようとしていた俺だが、普段そこまで話さないクラスメイトが何人か寄ってきて、
暇つぶしに雑談を振ってくる。マジでマジでどっか行ってくれ頼むと願いながら、うわの空で適当に返事していたのを覚えている。
説明会が始まった。ウン良く席は窓際で、部屋の中央付近ではない。なんとかバレずに過ごせるか?
そうはいかなかった。隣にいた女子が、なんか臭くない?と言い出した。氷点下まで肝が冷えたが、俺は黙ってしらこい顔をしていた。
俺の周り数名に臭いを感知した人としていない人がいたようで、ひそひそと話していたが、俺が(少なくとも表立っては)特定されることはなかった。
覚えているのは、雨の中、意気消沈して家までの帰り道を歩いたこと。
小学校からずっと仲の良い友人と帰りが一緒になった。俺は一人になりたかったが、振り切る気力もない。
外だし雨だし、余程近づかなければ臭いはわからないと思うが、帰宅中、いつもより饒舌に、そいつは俺に話しかけてきた。
気づいていたのだろうか?優しさだったのだろうか?
そいつとは大学生になるまでたまにつるんでいたが、ついぞ訊ねることはなかった。
家に到着して、トイレに直行した。しかし、さすがに母には隠しようもない。全てうんこまみれなのだから。
最初は驚いていたが、いろいろ察してくれたのかあまり追及されることはなかったし、その後その件について話した記憶もない。
次の日は学校に行くのが怖かった記憶がある。大っぴらにバレてはいないと認識していたが、知らないところで学校中の噂になっていたらどうしよう?
俺が漏らしたと特定されていたら?結果的に、その恐れが現実になることはなかった。少なくとも俺が認識している範囲では。
思い返しても、完全に周りにバレて騒ぎにならなかったのは本当にウンがよかっただけとしか思えない。
そうでなくても当時俺が受けた精神的ダメージはかなりのものだった。
ちなみに後日談ではないが、その後高校に入学してすぐの時期にもまた、古典の授業中に腹痛に襲われたことがある。
知り合いが一人もいない環境だったし、周りの変化やストレスに弱いのは今も昔も変わらない。
だがその時は、これ以上は無理だと思い、手を挙げて「トイレに行ってもいいですか」と言えた。
紛れもなく、中二のあの事件の二の舞だけは避けなければという思いである。
いやね、本当に、トイレくらいいつでも行けばいいんだよと今では思うけれど、当時はそんなことにも勇気が必要だったのだ。
中学や高校の授業中って先生が淀みなく話していると、いつ遮ればいいか迷ってしまうんだよな。いつ遮ってもいいんだけれども。
こんな話も今となってはトラウマでもなんでもないし、別に誰かに話したっていいが、なんとなく話したり書いたりすることなくここまで来た。
父親の父親、つまり俺の爺ちゃんは、ビルマのカシミーア作戦で戦死した。
天皇を憎んだ。
そうして、共産党員になったんだ。
会社でも(運良く誰もが知る大企業に入れた)共産党の活動をして、昇進できなかったけど、楽しかったそうだ。
理由は知らない。
だが、目に見えて父親は元気をなくした。
深酒するようになった。
ただ赤旗だけは取っていたので、俺も読んでいた。
天皇を憎むことはなかったけど、そんなに価値があるものには見えなくなった。
一方俺は大学に入り、特に望んでいなかったのだが、希望の研究室に入れず、なんと資本論の研究室に入ることになった。
とりあえず資本論を読んだ。
それが先生の口癖だった。
というわけで結果的に、親の大学の影響で、思想は左寄りにはなった。
思想ってやっぱり親の影響受けるよな。
そろそろ高橋洋一氏のような、金融関係者から相手にされないような主張を信じるのは止めて欲しいと切に願います(高橋洋一氏の主張と今回の発言は酷似)。
これは名誉毀損じゃね。
オレは、日銀当座預金付利を金融機関へのお小遣い(3.6兆円/年。金融機関は企業に当座預金付利していない)というので、表向き金融機関は相手をしないが、ALMの専門知識で適正対価でアドバイスを受けているよ。
これが話題になっているが「金融機関から適正対価でアドバイスを受けている」というのは相手にされてるんじゃなくて、単なる素人の客。
たぶん日本語の使い方を間違えているが、もう認知症が始まってるんじゃないか。認知症(ピック病)の症状には万引きもあるので、またやらないように気をつけろよ。
Geminiに高橋洋一先生の経済的主張が金融専門家から相手にされていないか聞いてみました。結論として「高橋氏の主張は金融実務や学術の世界で「標準的な正解」として扱われることは稀」だそうです。
高橋洋一にALMのアドバイスを受けている金融機関がどこなのか気になって夜しか眠れないので、名誉毀損裁判で徹底的に事実を明らかにしてほしい。