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2025-10-24

風呂キャン寸前から温泉を楽しめるまで持ち直した

風呂入るのが面倒に感じるタイプだった。

寝る直前まで先延ばしにした挙句、嫌々入って、睡眠時間減った……とか思うタイプの面倒臭がり。

洗髪は二日に一回だし、外出してない休日は入らないし、入っても湯船に浸かるだけで体のどこも洗わないみたいな日もぼちぼちあった。

そういうやつが温泉に入って、「わ~気持ちい~」と思えるまで変化したので、記録として残しておく。

風呂入って後悔したことはないと認めた。

風呂入って全身洗ったらさっぱりする。まずそれを受け入れた。風呂入ったら睡眠時間減るけど、どう考えても夜中に入るせいでしかない。元々「風呂入って後悔した奴はいない」と自分に言い聞かせて重い腰を上げてシャワーを浴びる生活だったのでまあこれは早めにできた。

②加齢に気づいた。

明らかに若い頃より頭皮が臭う。気づかないふりをしていたが間違いない。一日頭を洗わないとなんか臭い。この気づきによって、「風呂入って後悔した奴はいない」という自分への言い聞かせが「おまえ風呂入らんと後悔するぞ」に変わった。あと温まった方がよく寝れる。

③人に相談した。

臭くなりたくない一心風呂に入る生活しんどい風呂入ったらさっぱりするけど、さっぱりの前に一回は絶対気持ち悪くなるじゃん?とこぼしたら「お湯の温度高すぎるんじゃない?」と言われた。エウレカ

④お湯の温度を下げた

風呂に入ったら絶対吐き気がするが、それはお湯が熱すぎるからだと発覚。実家風呂が常に45~43度だったのでこれがノーマル風呂だと思っていたが、一般的に熱すぎるらしい。41~38度あたりまで下げたところ、生まれて初めて湯船に浸かって「気持ちいい」という感覚を得た。

風呂で起こる嫌なことを排除した

それでもまだ風呂が嫌だったので、なにが嫌か考えて全部やめた。

床と体がヌルヌルするのが嫌→コンディショナーが諸悪の根源。やらないことに決めて、風呂上がりに流さないトリートメントすることにした。

手と顔がヌルヌルするのも嫌→クレンジングオイルのせい。石鹸で落ちる化粧に変えた。

体が冷える→ムダ毛処理のために洗い場に長時間居るせい。やめた。すね毛と清潔なら清潔が優先。

⑥家で風呂に入れるようになった。

入浴は洗って浸かってさっぱりするだけの気持ちいい体験だと覚えたことで、毎日風呂に入れるようになった。自分は清潔な人間だとちょっと自己肯定感が湧いた。

改善方法温泉適用した

かねてより温泉意味わからん嫌な施設だと考えていたが、「洗う+浸かる=気持ちいい」の図式が分かったのでデカイお湯に浸かるのも一興と思い、挑戦した。

温泉の何が嫌か考えたところ、空気籠って暑い+なんも見えん(眼鏡の民なので)+他人が尻をつけた風呂椅子に座る+他人がいる空間で体を洗う、だった。

なので旅館に泊まった折に、風の通る露天風呂眼鏡+内風呂で全身洗ってから浸かりにだけ行く+洗ってから行くので大浴場の設備に座らなくていい、というのを試した。

すると気持ちよかった。

温泉気持ちよかった。また行ってもいいと思えた。

なんかまともな人間っぽい感想を得ることができて嬉しい~。

Permalink |記事への反応(0) | 22:41

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風呂キャン寸前から温泉を楽しめるまで持ち直した

風呂入るのが面倒に感じるタイプだった。

寝る直前まで先延ばしにした挙句、嫌々入って、睡眠時間減った……とか思うタイプの面倒臭がり。

洗髪は二日に一回だし、外出してない休日は入らないし、入っても湯船に浸かるだけで体のどこも洗わないみたいな日もぼちぼちあった。

そういうやつが温泉に入って、「わ~気持ちい~」と思えるまで変化したので、記録として残しておく。

風呂入って後悔したことはないと認めた。

風呂入って全身洗ったらさっぱりする。まずそれを受け入れた。風呂入ったら睡眠時間減るけど、どう考えても夜中に入るせいでしかない。元々「風呂入って後悔した奴はいない」と自分に言い聞かせて重い腰を上げてシャワーを浴びる生活だったのでまあこれは早めにできた。

②加齢に気づいた。

明らかに若い頃より頭皮が臭う。気づかないふりをしていたが間違いない。一日頭を洗わないとなんか臭い。この気づきによって、「風呂入って後悔した奴はいない」という自分への言い聞かせが「おまえ風呂入らんと後悔するぞ」に変わった。あと温まった方がよく寝れる。

③人に相談した。

臭くなりたくない一心風呂に入る生活しんどい風呂入ったらさっぱりするけど、さっぱりの前に一回は絶対気持ち悪くなるじゃん?とこぼしたら「お湯の温度高すぎるんじゃない?」と言われた。エウレカ

④お湯の温度を下げた

風呂に入ったら絶対吐き気がするが、それはお湯が熱すぎるからだと発覚。実家風呂が常に45~43度だったのでこれがノーマル風呂だと思っていたが、一般的に熱すぎるらしい。41~38度あたりまで下げたところ、生まれて初めて湯船に浸かって「気持ちいい」という感覚を得た。

風呂で起こる嫌なことを排除した

それでもまだ風呂が嫌だったので、なにが嫌か考えて全部やめた。

床と体がヌルヌルするのが嫌→コンディショナーが諸悪の根源。やらないことに決めて、風呂上がりに流さないトリートメントすることにした。

手と顔がヌルヌルするのも嫌→クレンジングオイルのせい。石鹸で落ちる化粧に変えた。

体が冷える→ムダ毛処理のために洗い場に長時間居るせい。やめた。すね毛と清潔なら清潔が優先。

⑥家で風呂に入れるようになった。

入浴は洗って浸かってさっぱりするだけの気持ちいい体験だと覚えたことで、毎日風呂に入れるようになった。自分は清潔な人間だとちょっと自己肯定感が湧いた。

改善方法温泉適用した

かねてより温泉意味わからん嫌な施設だと考えていたが、「洗う+浸かる=気持ちいい」の図式が分かったのでデカイお湯に浸かるのも一興と思い、挑戦した。

温泉の何が嫌か考えたところ、空気籠って暑い+なんも見えん(眼鏡の民なので)+他人が尻をつけた風呂椅子に座る+他人がいる空間で体を洗う、だった。

なので旅館に泊まった折に、風の通る露天風呂眼鏡+内風呂で全身洗ってから浸かりにだけ行く+洗ってから行くので大浴場の設備に座らなくていい、というのを試した。

すると気持ちよかった。

温泉気持ちよかった。また行ってもいいと思えた。

なんかまともな人間っぽい感想を得ることができて嬉しい~。

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2025-10-22

高市早苗は「極右」ではなくて「強右」である

思想自体はそんなに極端な右ではない

自民党内では一部リベラル派を除けば彼女がやろうとしていることに強い反感を持つ者は少ないだろう

ただし、それを強行すると国会運営が停滞するとか、その他諸々の理由により

「いつかは実現したい」と思っていても、圧力で潰されるのではないかと恐れて先延ばしにしてたってこと

要は優柔不断で実行力が無かったってこと

彼女場合は、「潰されるなら潰されるまでだ」という潔さでもって実行に取り掛かるだろう

今までとの違いはそれだけで、思想上の右翼極右の違いではない

Permalink |記事への反応(1) | 03:06

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2025-10-15

別居婚はそんなに悪なのか

親戚に会うたびに、別居婚を責められる。

26歳で結婚

互いの家から職場が遠く、程よい場所賃貸もなかったため、とりあえず別居婚

4年後、俺は海外赴任、妻は大型プロジェクトサブリーダーになったため退職海外転居不可。

翌年コロナ流行で俺の帰国先延ばしに。

一時帰国は何度かあったもの海外勤務が続いたが、去年の10月から日本勤務のため帰国

同居も考えたが、俺サービス業、妻は夜勤があるSEと、生活リズムが合わないため断念。

同じアパート内に部屋を借りられたら良かったのだが、現実は6駅隣り。

妻は俺が日本国内にいることに喜んでるし、適度な距離感があって、互いに過ごしやすい。

お互い合鍵を持っていて泊まることもあるし、夫婦仲も良好。

子供は作らない方針だし、何がそんなにダメなのかわからん

Permalink |記事への反応(0) | 20:59

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2025-10-10

訳アリの子就職指導をしていた


かつて公立高校教師をしていた。何年も前に辞めて、今は別の教育業に従事している。その頃の思い出が脳裏によぎることが最近よくある。どこかで書いたら心の整理がつくのではと思った。

なお、この日記身バレ防止のために、ChatGPTにお願いして文体を変えている。鼻に付く文章があれば申し訳ない。

これから書くのは、最後に赴任した高等学校でのことだ。実は普通高校ではない。訳アリの子が通うための高校だった。

いわゆる、事情がある子というのがいて、全日制の高校に進学するとか、通い続けるのが難しい。そういう子が通うための学校である。仮にポジティブ学園としよう。

3部制を採用していて、午前・日中夕方以降の3つのから自分にとって都合のいい時間帯を選んで履修できる。早い子だと、普通高校生のように3年で卒業する。

制服私服か、自由に選ぶことができる。アルバイトができるし、メイクピアスも全て大丈夫。髪染めもOKで、ピンク青髪学校に通う子もいる。

ここに来る前、私は全日制の高校にいた。地元では人気のあるところだった。毎年冬にある推薦入試の倍率は20倍を超える。そういう学校である人口だと約40万人が在住する地域だったが、その中でもトップに近いところだった。

真面目な生徒たちに囲まれてたと思う。彼らは偏差値の話もしていたけど、それ以外にも部活動とか友達との交流とか、文化祭体育祭など、とにかく人としての「生きる力」というか。そういうのに溢れていた。

当時の私は、まだ30代のヒラ教師だった。それが高校生のあるべき姿だと思っていた。学業が一番で、余った時間部活動その他の自己を高める活動に取り組むのだ。

だが、ポジティブ学園に赴任して、現実を思い知らされた。自分がこれまでに教えてきた生徒らは、いわゆる上澄みというやつだった。毎日学校に通学して、学業部活動趣味に打ち込むことができる時点で、高校生としては相当できる方である



今でも思い出す。ポジティブ学園に通う生徒らは……教室の隅でうつむく子や、理由をつけては学校を休む子。授業など聞く気すらない子、授業中に堂々を飲み食いする子。なんというか、彼らには当時の県教委が教育の柱としていた理念ひとつ、「生きる力の醸成」が通用しなかった。

そうした生徒たちに、私は何もしてやれなかった。何をしたらいいのか分からなかった。ただ毎日教科書に従って授業を進めるだけ。彼らに対して指示や指導をすることはあったけど、そもそも内容を理解できてるかも怪しい。

一応、入学試験はあるのだが、実質的に全員合格させるスタイルだった。普通高校に行けない子――そういう子のための最後の受け皿としての役割を、ポジティブ学園は担っていた。

最初に話したとおり、ここは「訳アリの子」が通う学校である不登校経験者とか、昼間は家業を手伝う子とか、家計を支えるために夜働いている子。様々な事情を抱えて、全日制のレールから外れることになった生徒たちが、自分のペースで学び直す場所だ。

赴任の初日、当時の校長は私に言った。「ここは、生徒たちが『それでも学びたい、高校生をしたい』と選んでくれた場所です。先生の役目は、彼らの気持ちを全力で応援することです」ってさ。

さっきと矛盾するようだが、生徒たちはひたむきだった。普通高校生と一緒で、やる気のある子はいるし、そうでない子もいる。昼間の授業中、うるさい教室の中でも真剣ノートをとる生徒とか。放課後になると、「じゃあ働いてくる~」といった感じでアルバイト先に向かう子もいた(ほぼ金髪の子だった)。

夜間部教室だと、疲れ切った顔で教科書と向き合う生徒もいた。全日制の「普通」とは違うけれど、彼らには彼らの「普通」があった。

赴任してから次の年度、就職指導担当することになった。人生経験である。私は民間企業で被服の営業仕事をしていた。泥臭い仕事を約十年やっていたということで、白羽の矢が立ったのだと思われる。

通信教育高校教諭の免状を取った

これまでの学校では就職する子や、専門学校に行く子は稀だった。仮にいたとして、実際なんの指導必要なかった。受け入れ先の企業も「なんでこの学校の子が……」といった顔パスに近い扱いだった。

此処では、むろん一筋縄はいかない。

履歴書の書き方一つとってもそうだ。社会人でいうところの空白期間不登校だったとか、全日制の高校を中途退学したとか、中学卒業してからフリーターだったとか、あるいは何もしてなかったとか。

そういう経歴を書く場面になると、彼ら彼女らは詰まってしまう。無理もない。これまで何度も、そのことで心を痛めてきたのだから

私は履歴書を読み直す度に、「君の経験無駄じゃない。乗り越えた証拠なんだ。学校、来てるじゃないか!」と声をかけた。最初は疑いの眼差しだった生徒たちも、次第に心を開いてくれるようになった。心を開いてくれない子もいたけど、それは致し方ないのだ。

私は教師から、「いつかは通じるはず。別に今じゃなくても、数年後だっていい」と思って就職指導をした。



秋のある日。就職関係イベントがあった。「○○圏域 企業学校交流会」みたいな名称だった。これは、企業学校大学専門学校高等学校専修学校その他もろもろ)のそれぞれの担当者が各ブースで話し合いの場をもつというものだ。

企業から採用担当者が、学校から就職支援担当者が出席する。参加団体企業だけでも100社を超えていた。学校からは、その地域学校という学校はほぼすべて出席していた。

ここに、私と校長の2人で出かけた。目的は、企業の方々にポジティブ学園を知ってもらうこと。うちの学校にはただでさえ偏見が多い。少しでも解きほぐす必要がある。

たくさんの企業ブースが立ち並ぶ中、それこそ時間が許す中、多くの企業ブースに足を運んだ。校長自らが話をしていた。約十分ごとに挨拶から始まって、学園の概要説明、どういう子がいるかや、これまでの就職実績など。

そして、いつも最後に、「わが校には、難しい状況にある子が通っています。それは事実です。そういう状況でも、彼らは自分の道を切り開く努力をしています面接の際に見かけましたら、どうぞよろしくお願いします」と相手企業に伝えるのだ。

企業の反応は……まあ、社交辞令みたいな感じだった。「わかりましたよ、でもうちの会社採用対象かどうかはねぇ」という表情だった。

そういう反応になるのも無理はない。ポジティブ学園は、県道沿いの大きな平地にある。昔は地域伝統校が鎮座していた。少子化で別の学校合併になり、校舎が空いたところに県教委がポジティブ学園を創設した。

例えば、毎朝の登下校時、いや昼以降の登下校時でもそうなのだが……校舎前の県道には、ダボっとした私服で、髪を染色していて、ひと昔前の不良漫画(今時でいうと薫る花は凛と咲く)の雰囲気を漂わせた未成年闊歩している。初めてその光景を見る人からすると、「そういう高校なんだ……」という感想になる。

から企業担当者がうちの学校に対してそういう態度になるのは、ある種の必然だと思っていた。偏見を持たれてもしょうがないって、当時30代半ばだった自分は感じ取っていた。

そうでない企業もあった。社交辞令とかじゃなくて、真剣こちらの話を聞いてくれる。というか、むしろ聞きたいという恰好で話に臨んでくれる。

半導体装置を作っている会社がそうだった。その時も、校長は満面の笑みで相手方の採用担当者に熱心に話をしていた。

「○○さんは、福山代表するハイテク企業でいらっしゃる。我が校にも理系の才能を持つ生徒がたくさんいるんです。どうか、偏見なく見てやってください」

そしたら採用担当者は、少し戸惑った表情になって、「私達を馬鹿にしないでください。もちろんですよ(^^)」と答えてくれた。



それから数年か後のこと。ポジティブ学園の進路実績だが、創立当初からずっと変化はなかった。大学学者だと地元にある限りなくボーダーフリーに近いところか、地元専門学校地元民間企業だった。そもそも、ここまでたどり着ける子自体が少ない。入学した子のうち1/3以上は中途退学してしまう。

その年のことはよく覚えている。3年生に1人の生徒がいた。名前は仮にケンタとする。プログラミングが好きな子だった。授業中も休み時間も、ずっとPCの画面とにらめっこしていた。授業中にも堂々と副業的なことをしていたが、単位は取っているので見逃していた。

ケンタは、数学情報処理の成績が抜群だった。数学問題でも、いつの間にか自分勝手アレンジして、勝手問題を解くようなプログラムを組んだこともあった。

それを友人に共有しようとしたが、難しい様子だった。能力・興味的な部分もあるし、自分だけのノートPCを持ってる子が少ないのもある。

ケンタ中学校の時は不登校だったらしい。原因は、特定の誰かからいじめられたわけではなく、「教室という空間がなんか違うと思った」からだと言う。

大人だったら「息苦しい」ということになるのだろうか。全日制の高校には行きたくないと、自らこの学校を選んだ。

私は、彼の才能を埋もれさせてはいけないと思った。彼とは幾度となく話をしたけれども、ただ生きにくい性格であるだけで、才能はあるのだ。

私は就職戦線が始まる直前にケンタを呼んだ。「この会社を受けてみないか?」と誘ってみた。さっき上の方で話した半導体装置会社である半導体以外にも、ディスプレイ機械制御装置も手がけていた。

当時はローカル企業だったが、それでも市内で知名度はあった。

ケンタは驚いたような、呆れたような様子だった。「知らない会社ですけど、半導体には興味ありますけど、無理だと思います」と言ってた。

「お前はできる。この会社理系の才能を求めてるし、才能を正当に評価してくれる」

と言うしかなかった。実際、私の出身地域では評判の高い企業だったし、2025年現在では全国的知名度のある企業にまで成長している。

強引に進めるしかないと思った。何しろケンタ卒業後の進路を決めてなかった。とりあえず先延ばしにしている印象だった。

そこで、ケンタをどうにか説得して、彼の履歴書添削して、推薦状も書いた。履歴書には、不登校だった過去も、ポジティブ学園を選んだ理由も正直に書かせた。彼のプログラミングに対する情熱を備考欄にこれでもかというほど書き連ねるようにした。

面接練習ときケンタは口ごもることが多かった。相手の目を見て話すことが苦手だった。コミュニケーションが苦手なタイプ。正直、公式な場での会話が難しい子だと思う。

けれど、たどたどしい感じになっても、自分の思いはちゃんと伝えてくる子だった。

大丈夫だ。プログラミングの話になったら、お前はきっと大丈夫

AtCoderで最高位に近い色だった

私はそう言って、彼を送り出した。自分には確信があった。あの会社は、肩書き学校名じゃなくて、実力で人を判断する会社だと。あのイベントの時、うちの校長言葉に耳を傾けてくれたんだって



約一か月後、職場電話がかかってきた。あの会社採用担当からだった。胸がざわついた。

以下、話の内容である言葉の感じも、当時の手帳を元に大体そのままにしてある。

「あの、ケンタ君の件で、社内で検討を重ねた結果、今回は採用を見送らせていただくことになりました」

「なぜですか?」

プログラミングスキルは、正直高いです。うちの主任技術者も高く評価しました。ただ……」

 ※この時私は、苛々とともにペンをカチカチしていた

「ただ、入社後のサポート体制を考えた際にですね。彼が当社の環境に馴染むことができるか、という点に懸念が残りました。不登校経験があるということも、正直に申しまして、入社後のメンタル面のリスクを拭い切れませんでした」

「それは、偏見ではないのですか?」

言ってしまった!と心の中で後悔した。先方の声が少しだけ硬くなった。

「そう言われても仕方ないかもしれません。しかし、会社事情があります。我々もギリギリまで議論を重ねました。安易気持ちで彼を採用して、もし彼が再び辛い思いをすることがあれば、それはお互いに不幸です。今回は本当に申し訳ありません」

電話が切れた後は、多分……しばらくボーっとして、職員室の椅子に座ったままだった。

あの時はこう思った。やっぱり、ポジティブ学園の子はそうなんだ。どんなに才能があっても、過去レッテルから逃れられない。あの日イベントで抱いた期待を裏切られた気がした。

だが、その後の日々で、冷静になって考えてみた。

採用担当者の言葉に嘘はなかった。彼らは、私が抱えていた不安を彼らなりの言葉で伝えてくれただけだ。

採用すれば良いというわけじゃない。無理に引き受けて、彼の心の傷をさらに深くしてしまうかもしれない。

そう考えたとき、彼らの不採用という決断は、ある意味、生徒のことを真剣に考えてくれた結果なんだと思った。

しろ偏見だと決めつけて、彼らに向き合わなかった私の方が……傲慢だった。

ケンタ不採用の知らせを伝えると、しばらく沈黙が続いたっけ。

「そうですよね~僕みたいなのが、あん会社は無理ですよね」ってケンタが言うと、心にグサッときた。

「ごめん」としか言えなかった。生徒に謝る事態なんて、教師として三流以下だと思った。



ここまでがポジティブ学園での思い出であるそれからケンタは、遠方にあるコンピューター専門学校に進学した。私が様々な方向性提案して、ケンタと話をした結果、彼が自ら考えて決断したのだ。

ケンタ高校卒業して、何年もの月日が経った。最初のうちは、メールで年に何度か近況報告をもらうこともあった。プログラミングがやっぱり楽しくて、大会にも出場しているといったことだった。

やがて、やり取りをすることもなくなった。それは彼がナニカに集中するようになったからでは、と心の中で期待していた。やがて、ケンタのことを思い出すこともなくなった。

ある日、一通のメールが届いたのだ。ケンタから。内容は、就職先の内定のことだった。「報告があるのですが、○○(※あの半導体会社)に内定をもらいました」という端的な文章だった。

「うわっ!」と、思わず声を上げてしまった。その端的な文章の下に、いろいろと書き連ねてあった。彼らしく、無駄が一切ない文面だった。

要約すると、専門学校就職インターンシップに申し込む際、事前説明会があったとのこと。参加した時、人事の方に「ケンタ君だよね?ポジティブ学園の」と声をかけられたという。

「あの時の採用担当者の方が僕のことを覚えてました。『あの時よりも自信に満ち溢れている』って言われました。」

メールを読みながら、涙が止まらなかった。

専門学校で、僕はプログラミングスキルだけじゃなくて、コミュニケーション能力も、人との関わり方も学びました。飲食店アルバイトしました。おかげで、あの時よりも、面接自分言葉でしっかり話すことができたんです。あの時、もし会社に受かっていたら、僕は挫折していたかもしれません。…(中略)…でも、先生が僕の可能性を信じてくれたから、僕を諦めなかったから、頑張ることができた。本当に、ありがとうございました」

キーボードを触りながら、返信しようと思いつつも、手が震えてうまくできなかった。

私はあの時、半導体会社偏見判断した。ポジティブ学園の子から、そういう目で見たんだろうって。そして、生徒の可能性を信じきれず、不採用という結果に囚われた。

でも、本当にケンタに向き合ってくれたのは、彼らの方だった。再認識させられた。成長したケンタを、あの人達は今度もまたちゃんと見て、採用という判断をしてくれた。それだけだ。



ここで結びにする。

あの学園にいた時は、生徒たちの「訳アリ」の部分に目がいってしまうことがあった。でも「訳アリ」なのは過去物語によって起きた結果にすぎない。彼らは皆、自分人生を懸命に生きている。できる子がいたし、できない子もいたけど、未来に向かって進もうとしていた。

私はもう学校教諭ではない。けど、あの頃は就職指導先生としてだけじゃなく、人として彼らの未来を信じて背中を押し続けたつもりだ。

自分応援団のひとりに過ぎないと思っていた。でも、応援された生徒は、やがて自分未来のことを考えて、切り開こうとチャレンジする。そういう人になってほしいと願っていた。

今は、別の形ではあるけど、若い人にものを教えている。学校と違って、純粋に実務上の知識技術を教える仕事である

これからも、誰かの未来応援し続けようと思っている。それが、訳アリの子就職指導をしてきた、自分にできる使命なんだと思ってる。

Permalink |記事への反応(2) | 20:45

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2025-10-09

やるべきことをやってないからお前のメンタルはどんどん毀損されていく

逃げるな!

先延ばしにするな!

手を付けろ!

目を背けるな!!

 

「嫌なことから逃げ出す自分」というセルフイメージがお前をクソな人間にする

お前の中のお前がクソだったら現実のお前もクソになるのは自明の理

嫌なことから逃げるな

やるべきことをやれ

 

きついときこそ、やらなきゃいけないことやろうぜ

じゃ

Permalink |記事への反応(0) | 10:33

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2025-10-07

「僕を救ってくれる女の子」の魔法が解けた日

あの頃、僕たちは本気で信じていた。どこかに運命少女」がいて、彼女が現れさえすれば、この満たされない日常が一変するのだと。

ゼロ年代アニメギャルゲーは、そんな僕たちの願望を、あまりにも誠実に——いや、残酷なまでに純粋に——描き続けていた。モニターの向こうで微笑む彼女たちは、決して僕を否定しなかった。選択肢を間違えなければ、好感度を上げ続ければ、必ずハッピーエンドにたどり着ける。そういう約束された世界があった。

Air』の夏の空は、今でも瞼の裏に焼きついている。『D.C.ダ・カーポ〜』で流れた「第2ボタンの誓い」を聴くたび、胸の奥が締めつけられる。『涼宮ハルヒの憂鬱』のエンドレスエイトを、僕たちは本当に何週も見続けた。あれは苦行ではなかった。繰り返される日常の中に、何か大切なものが隠されているはずだと信じていたからだ。

当時の僕たちにとって、アニメギャルゲーヒロインたちは、単なるキャラクターではなかった。彼女たちは「可能性」そのものだった。現実では誰にも理解されない僕の内面を、彼女たちなら分かってくれるかもしれない。傷ついた僕を、優しく包み込んでくれるかもしれない。そんな淡い期待が、次週の放送時間まで僕を生かし続けていた。

幼馴染系ヒロイン、天然系ヒロインツンデレヒロイン、病弱系ヒロイン——彼女たちはそれぞれ、僕たちの心の隙間に完璧フィットする形をしていた。まるでジグソーパズル最後ピースのように。学校では「オタク」と揶揄されても構わなかった。なぜなら僕には、誰も知らない特別な居場所があったから。

でも、いつからだろう。

魔法が解け始めたのは。

二十代半ばを過ぎた頃だったか。それとも三十代の入り口だったか。ある日ふと、気づいてしまったのだ。画面の向こうの彼女たちは、決してこちら側には来ないということに。どれだけ好感度を上げても、どれだけフラグを立てても、僕の現実は何一つ変わらないということに。

同時に理解した。あの頃の僕は、「救ってくれる女の子」を待っていたのではなかった。ただ、自分自分を救う勇気がなかっただけなのだ。傷つくことを恐れ、拒絶されることを恐れ、「運命の人」という幻想の後ろに隠れていただけだった。

ゼロ年代アニメギャルゲーは、確かに僕たちを慰めてくれた。でもそれは同時に、現実と向き合うことを先延ばしにする麻酔でもあった。あの甘美な逃避の日々は、今思えば、成長を拒んだ蛹の中での長い眠りだったのかもしれない。

けれど、だからといって、あの時間を後悔しているわけではない。

しろ今、僕はあの頃の自分感謝している。どれだけ不器用で、どれだけ臆病で、どれだけ現実から目を背けていたとしても、あの頃の僕は必死に「何か」を探していた。生きる意味を、自分の居場所を、心の拠り所を。それがたまたま二次元世界だっただけなのだ

魔法が解けた今、僕の部屋には、もうギャルゲーパッケージは積まれていない。深夜アニメを録画することもなくなった。でも時々、ふとした瞬間に、あの頃の記憶フラッシュバックする。夏の暑い夜、扇風機の風を浴びながら、モニターに向かっていた自分選択肢を前に、真剣に悩んでいた自分ヒロイン笑顔に、心から救われていた自分

あれは、確かに僕の青春だった。

今の僕には、もう「救ってくれる女の子」は必要ない。自分の足で立ち、自分選択し、自分責任を取る。現実人間関係の中で、不器用なりに生きている。でも、心のどこかに、あの頃の記憶は大切にしまってある。

なぜなら、あの優しい嘘があったからこそ、僕は今日まで生き延びることができたのだから

ゼロ年代アニメギャルゲーが与えてくれたもの——それは、逃避でも幻想でもなく、「明日を生きる理由」だった。たとえそれが偽りの魔法だったとしても、その魔法は確かに絶望の淵にいた僕を救ってくれた。

そして魔法が解けた今、僕はようやく理解する。

本当に大切だったのは、「救ってくれる女の子」ではなかった。それを信じることで、もう一日だけ生きてみようと思えた、あの頃の自分自身の生命力だったのだ。

画面の向こうで微笑んでいた彼女たちは、今も変わらず、そこにいる。ただ僕が変わっただけ。もう救いを求めなくなっただけ。でも、たまに会いに行くことはある。懐かしい友人を訪ねるように。

そして心の中で、静かに呟くのだ。

ありがとう。あの頃は、本当に助かったよ」と。

魔法は解けた。でも、魔法がかかっていた時間は、決して無駄ではなかった。それが僕の、ゼロ年代への、せめてもの弔辞である

Permalink |記事への反応(0) | 22:34

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2025-10-04

世の中に必要なのは介護職じゃなくて介錯職じゃない?

何度も思うんだ。今の社会の「延命最優先」や「命は絶対に全うしなければならない」という空気、その重さこそが本当は人を苦しめているんじゃないか

正直、ただ生きている「だけ」の日々に、どこまで意味があるのか。本当に「生きていること」さえ維持できれば、それは人生なのか?

介護職が足りないって話、ずっと耳にする。けど、私からすれば、社会が本当に足りていないのは「介錯職」だ。

生きるためのケアばかりが膨らみすぎて、死ぬためのケアという発想はシャットアウトしたまま。

ベッドの上で機械につながれて、ただただ死を先延ばしにする医療現場

それを「地獄」と呼ばず、何と呼べばいい?

生き恥晒す」という言葉もあるけど、寿命を全部使い切ることが本当に善なのか?

命を全うする権利も、人間らしく最後を迎える権利も、本来は同じくらい尊重されていいはずだ。

どちらか片方だけが「正しい」と刷り込まれている社会で、生きる意味死ぬ意味を問うことさえ難しくなった。

その人らしさを守り抜く権利があるように、その人が「最期まで人間らしく終われる」権利だって本当はあるはず。

でも実際は、その選択自分自身で引き受け、貫いて死に切る強さは人間にはなかなか持てない。

死を選ぶというのは、社会から家族からも圧倒的な反発を受ける。

から最後は「誰か」が介錯してくれたら、と思う。

何のために生きるのか、何のために死ぬのか。

この問いが正面から語られる社会こそが、きっと本当に「人間らしい社会」だ。

生きるケアの隙間に、死ぬケアという仕事――介錯職があってもいいんじゃないか。

誰もが弱いからこそ、最期を支える仕組み、そろそろ本気で考えてもいいんじゃないか。世の中に必要なのは介護じゃなくて介錯じゃないか?――そんなことまで考えてしまう。

ただ生きることだけが目的の「生」に意味って本当にあるのか?

誰もが一度くらい不安になるだろう。

近年、介護職が足りないか介護業界待遇改善だの、ロボット導入だのが議論になるけど、

からすれば足りていないのは「介錯職」だと思う。

生きることを義務のように押し付けて、ただ死を恐れるから延命装置で「今日も生きてますしか残らない現場

それが本当に「人間らしさ」なのか?

高齢化医療技術進歩によって「生き恥さらす」延命社会の標準になりつつある。

寿命を全部使い切ることこそ善だと言われてるけど、それは誰の価値観なのか。

本人が本当に望む最後、本当に人間らしい終わり方を迎える権利はどこへ消えたんだ。

人間人間らしく生きる権利があるなら、

人間が「自分らしく死ぬ自由」も認められて本当はいいはずだ。

でも、人間は弱い。

自分でその最後選択を突きつける勇気は怪しいし、周囲から同調圧力もすごい。

医療福祉延命のためだけに「正義」が積み上げられ、

その先の介錯自己決定の手助けは「禁忌」になっている。

もし本当に「生きることの意味」が問われる時代なら、

ちゃん死ぬこと」も同じくらい議論されるはずじゃないか

人が弱いから、誰かに寄り添ってもらう介護必要なのはわかる。

でも、人が弱いからこそ、最期に「救済」として介錯を担う職種――

真剣必要だと感じる。

生きることだけが正義で、死ぬことは悪だと決めつけず、

どう生き、どう終わるか、その両方を考える社会を望んでしま自分がいる。

だったら、介護だけじゃなく介錯にも今こそ光が当たっていい。

そう思うのは、私だけなんだろうか。

Permalink |記事への反応(0) | 08:42

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2025-10-03

東京都赤ちゃんファーストヤバいことになってる

東京都赤ちゃんファースト申請してから5ヶ月以上経つけど、いまだに10万円分のギフトカードが届かなくて困ってる。で、Twitter(現:X)で情報収集してみたところ、どうやら届いていないのはうちだけじゃないらしい。検索してみると「まだ届かない…」 「いつ届くんだ?」と言っているママ垢がどんどん出てくる。

いやこれはさすがにおかしくないか?と思ってさらに調べてみると、どうやら018サポート赤ちゃんファーストを併せて申請したユーザーが軒並み届いていないっぽいことがわかった。というのも、もともと東京都では018サポートといって月額5,000円を支給する支援制度があったんだが、それが今年から赤ちゃんファーストと一緒に申請できるようになった。ここからはワイの推測なんだが、おそらく申請手続きが1本化されてユーザーが楽になったかとおもいきや、現場対応がうまくいっていなくて併願で申請されたギフトカードが軒並み遅延している可能性が高いと思っている。

ちなみに、支援センターで仲良くなったパパ友(いつもラルフローレンポロシャツコンサルらしい)にもこの件を相談したら、彼も同じ状況だったらしい。しびれを切らしたパパ友が東京都の窓口に連絡したら「申請から到着まで、遅くても4ヶ月かかることもあるので~」と取り合ってもらえなかったらしく、キレて4ヶ月過ぎた当日に「まだ届いてませんけど?」と連絡したら担当者が慌てて調査をすると言ってくれたらしい。さらに後日、その担当者から連絡が来て「スムーズにいけば今月中、ただし来月に延伸する可能性もある」という回答が返ってきたとのこと。いやそれ回答になってなくないすかとワイが言うと、パパ友は「まあ窓口のひとに怒ってもしょうがないですからね。でもさすがにこれは職務怠慢ですよねー」と言っていた。

結局パパ友は自費でいろいろ買っているらしいけど、うちは家庭の事情でけっこう財布事情がカツカツで、赤ちゃんファーストを頼りにして買わなかったものも沢山あったか結構しんどいことになってる。こどもの鼻吸機も買ってないから、鼻水が出るとき毎日病院につれていって吸引をお願いしないといけないし、ベビーチェアもないからいつも抱っこで離乳食を食べさせていて腕が疲れる。なんつーか、育児って金をかけるべきところにかけないと、親が疲弊してあっという間に詰むんだなーと日々感じている。こどもができるまで知らなかったけど、赤ちゃんを育てるためのアイテムって成長に合わせて変わるし、単価も高いかマジで金銭的に余裕がない。子が不機嫌な原因を知りたくて、いろんなアイテムを試したくても試せないこともフラストレーションたまる。こういうのを赤ちゃんファーストが届いたら解決できると勝手に期待してたから、現状いつ届くかわからない状況にけっこうしんどくなってきた。

あと、今は安いミルクを飲ませているけど、赤ちゃんファーストが届いたらちょっといいミルクを飲ませてあげたいなと思っていたし、絵本とかおもちゃも選んであげたいなと思っていたんだけど、そういうのも先延ばしにされるのが地味にしんどい。赤ちゃんの成長は毎日のように変わるけど、その時に必要な刺激を与えたりできてんのかなって不安になる。夜になるとこんな父ちゃんでごめんなと思って泣きそうになる。

なんかさ、もちろん10万円もらえるのはありがたいけどさ、下請け業者の選定すらうまくできない東京都大丈夫か?って思うし、こんなんなるならこどもの扶養控除をしてくれたほうがいいんだけどな。

何が言いたいかわかんなくなってきたけど、とにかく困っている人はコンサルのパパ友みたいに東京都に連絡してみるといいんだと思う。ワイも今日電話してみようと思うわ。

Permalink |記事への反応(0) | 05:36

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2025-10-02

新型コロナの影響で延期になってしまった。うまくそれが復活できれば面白いなと。あとは韓国で撮ろうとしている企画があるんですが、どれもとりあえず1年先延ばしでというパターンが多いですね。だからスケジュールが空いたという情報をどこからか聞きつけて、

キャバ嬢

Permalink |記事への反応(0) | 14:44

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2025-10-01

人手不足なら、人手不足に応じた社会システムに変えることが第一解決策のはずである

移民労働者に頼るのは焼け石に水で、問題先延ばしにすぎない

これからもっと少子化が進むんだから移民じゃなくて社会全体を根本から変えることを政府がやっていくべき

Permalink |記事への反応(1) | 19:11

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2025-09-29

経済政策少子化は止まらないよ

「カネがないか結婚しないし子もできない」みたいな単純な話じゃないんですよ、少子化って。

価値観多様化たから結果として生まれてくる子どもが減ったんです。

 

かつては価値観画一的でした。お見合いでもなんでもして多少気に入らない相手とでも結婚して子どもは2人以上作る、という価値観社会支配していて、独身のままでいることや子を持たずにいることへの風当たりは現代とは比較にならないほど強かった。つまり同調圧力出生率を維持できていました

そのシステム機能してたのは経済成長期かつ人口ボーナス期だったからだ、と言われるかもしれないけど、戦中戦後経済どん底にあった時期だって日本は「産めよ殖やせよ」のスローガンのもと驚くほど多産だった。まともに食べ物もないのにポロポロンと4人も5人も子ども産んでたんですよ。

これには社会福祉基盤も関係します。社会福祉基盤が脆弱だった時代には、親は子を産み育て、子は親が老いたら面倒を見るというサイクルが必要でしたし、子はまた重要労働力でもあったでしょう。ぶっちゃけそれらのために子どもを産んでいたようなものです。

まりかつての日本は貧しくても子どもを産んでたんです。子を産み育てることのプライオリティがとても高かった、と言い換えることもできます

 

ひるがえって現代社会構造の変容につれて家族観も変容していきました。

まず社会福祉基盤が整備されたこと。老人は子どもの世話にならずとも年金やさまざまな福祉生活できるようになりました。将来世話してもらうための子を作る必要性が薄くなったのです。

また、女性社会進出が進んだこと。さまざまな法整備価値観アップデートがあって男女間の社会的地位の格差が縮まり、「寿退社」は働く女性の唯一の選択肢ではなくなりました。自立やキャリアに重きを置く女性が増え、そうした女性たちの中にはひとまず結婚出産先延ばしにする人もいるでしょう。プライオリティが下がったのです。

生き方暮らし方の価値観多様化しました。個人主義が広まり結婚しない・産まないという選択自発的にする人も許容される世の中になりました。LGBTQという、子孫を残さない前提の生き方さえ肯定されています

また、今の生活レベルを下げたくないとか都心に住みたい、自由時間がほしいといった理由出産を控える夫婦もあるでしょう。子育てにはお金時間もかかります。そうしたリソースをどう振り分けるか、これもプライオリティ問題しかありません。

 

このように、少子化社会構造が変容する過程で人々の選択肢の中で相対的出産プライオリティが下がっていったことが原因のひとつなのです。社会前近代的伝統的価値観を捨てて、個人権利尊重する近代的な価値観を手に入れたことの副作用だった、と言ってもよいでしょう。先進国が軒並み少子化しているのも同じような近代化の過程を歩んだからで、構造的に不可避だったわけです。

 

ちなみに、先進国の中で一国だけ、例外的に突出して出生率の高い国があります。それはイスラエルです。特殊出生率は「3」に迫る高さです。ユダヤ教社会伝統的・宗教的価値観を非常に重んじる社会で、ユダヤ教は多産を奨励しているのです。

Permalink |記事への反応(42) | 22:18

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2025-09-28

アルコール依存症治療を始めた

近頃の増田アルコール依存がひどく、家に帰るなりストロングチューハイテキーラやら、強めの酒を飲んでは少しのあいだ高揚感を味わい、やがてトイレにこもって吐くという最悪の時間を繰り返していた

やばいという自覚はあった。でも自制できてる時期があったり、健康診断の肝機能が悪くならないので先延ばししていた。しかし、ここ最近はめちゃくちゃに酒を飲むようになり、まるでドラッグ依存のようで恐ろしくなってメンタルクリニック電話した。1ヶ月後にしか予約が取れなかった。仕方がないので臨床心理士カウンセリングを予約した。こっちは保険効かなくて高いからすぐ予約取れた

カウンセリングしてきたが、正直ChatGPTでいいなと思った。でも一つ収穫があったのはその心理士が実際にアルコール依存の人をみてきた話だった。強度に依存してた人が断酒したら離脱症状心神錯乱状態になり、精神科強制入院して独房みたいな部屋で暴れ回り、部屋に備え付けのトイレ壊した話は衝撃的だった。血まみれになったそうだ。アルコールは脳を破壊してしまう。ただでさえ報酬回路ぶっ壊れてんのによ……

心理士のすすめで、癒されるものをふやすことになった。生きるうえで依存は当たり前のことである、でもそれが1本しかないとそこばかり過剰になって危険なのだと。これには納得したので他に癒されるものを増やす

とりあえず、もったいないから我慢してたネトフリに加入した。増田はもともと海外ドラマドキュメンタリー好きの人間だったからこれは結構良くて、いろんな作品トレンドがあるから注意がアルコールから逸れ続けやすい。ここまで頑張ったかアルコール、じゃない選択肢ができて感動である

飽きたらまた同人活動でもやろかと思う。pixiv同人小説を書いてアップしていた頃、もちろん人気は鳴かず飛ばずだったが、充実していた。推しキャラ衣装ぬいぐるみに着せるぬい活をやっていた時も、下手の横好きで作品はガタガタだったが、やはり楽しかった。(お察しの通り増田腐女子である)そんなことを考えていると、アルコールを飲もうとは思わない。飲まなくても大丈夫なのだ

荒れ果てた人生を救ってくれるのは物語の力なのだなと、しみじみする。

Permalink |記事への反応(5) | 20:38

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2025-09-24

anond:20250924002848

先延ばしをやめる本」を読むのを先延ばしにしてるけど、めっちゃわかる。

明日締め切りの仕事が2つあるけど、まだなんにも手を付けてなくて早起きしてからやればいいかって思ってる。追い込まれたら1時間で終わるけど、追い込まれなかったら5時間かかるんだよね。

社会人10年目だけど、もうそれでいいんじゃねえかなって思ってる。そのうち体力や判断力が落ちて無理が利かなくなって仕事ミスが増える。デカ仕事は任されなくて歳下が出世していく。

それでいいんだよ。先延ばしにしちゃう時点で、人の上に立つ器じゃなかったってこと。好きなことな先延ばしにしないんだから、今の仕事はもう大して好きじゃないんだろう。

自分くらいは、先延ばしちゃう自分を許せないと、いよいよ心が死ぬ他人は俺を許さないからさ。

これ全部、早起きしなきゃなのに寝るの先延ばしにしてる自分への言い訳なんだけどね。

Permalink |記事への反応(0) | 01:15

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先延ばしに関する言説がどれも好きになれない

先延ばしなんて甘え! 気持ち問題!」っていう昭和親父みたいな言説は当然好きになれないのだが、かといって「先延ばし気持ち問題じゃない! こういう仕組み作りでなんとかできる!」みたいなのも、なんでも「ハック」で何とかなると思ってる嫌な現代人って感じがするんよなあ

結局仕組み作り自体に失敗したりするし

なんかもう、明日から先延ばしするような人でも生きていける社会にならねえかなと思ってる

Permalink |記事への反応(3) | 00:28

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2025-09-23

anond:20250923202412

とりあえず仕事サボってのんびり出来る場所に泊りがけで行っておいで。

その場所に着いたら遠慮なくうまいもの食ったり助平な店行ったらいい。

先延ばしにして違う環境でぐーたらしてそれから考えればいい。

Permalink |記事への反応(0) | 20:31

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anond:20250922213532

納得させる必要ある?

というか今切っとかないと次に似たようなことが起きた時にまた苦しむんだが

なんの得にもならないんだから自分をいいように見せようとする見栄のために決断先延ばしするのやめたらいいよ

Permalink |記事への反応(0) | 12:06

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2025-09-14

毒親からの連絡を無視し続けて早1年半。

そろそろ絶縁宣言しようか悩んでいる。絶縁しようと思ったきっかけは、結婚あいつの話が出たとき10年くらい前から絶縁しようか悩んでいたんだけど、この人たちを両親として義両親に紹介したくないなって思って、夫と相談して絶縁を前提に距離を置くことにした。もう結婚してるんだけど、コロナ禍と実家義実家距離があったのでずるずる先延ばしにしていた。

絶縁宣言したところで意味なんてないし、メンタル負担もすごいんだろうなーとは思うんだけど、私の中で区切りをつけたいこと、何かあった時に「あのとき絶縁するって言ったよね」っていうお守りにしたいんだよね。

Permalink |記事への反応(0) | 22:54

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2025-09-04

過剰性欲と先延ばし癖の広告

一昨日くらいから急にで始めた。

Permalink |記事への反応(0) | 22:17

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2025-08-21

猫が死んでしまったので恐山に行った

飼っていた猫が死んでしまったので、恐山に行った。

一緒に暮らす動物は大抵がそうであるけど、自分にとっては得難い友達だった。数年前に年の瀬公園で目の前に飛び出してきて意気投合し、そのまま連れ帰り、転職して東京引っ越し下町ワンルームで暮らすという、20代におけるダイジェストシーンを象徴するような存在だった。唐突に大きな病気が見つかり、明確な診断もつけられないうちに、1ヶ月の闘病を経て死んでしまった。4歳になったばかりだった。

映画のような出会い方をしただけに、真反対のドラスティックな悲しみ、また、部屋中に猫の柔らかな気配と、薬やらスポイトやら検査結果やらの病気の強すぎるコントラストが漂っていることに耐えられなかった。自宅を離れる口実の旅行計画として、なんとなく関心のあった恐山を思い出した。祈りの場に赴く機会としては、しばらくはこれ以上ないだろう(と思いたい)ということで、会社夏季休暇に入ったその日に新青森に向かった。

家族や(人間の)友人には恐山に行くことは伝えなかった。自分が沈み込んでいた姿を見られており、このタイミング山間部に入ることは、或いは自死する計画を持っていると疑われている空気があった。実際いろいろと控えめに気晴らしの提案を受け、断ったり随分先延ばしにしたりしていた。どういったアプローチであれ、死にまつわるものへの接触に惹かれていたのは否定できない。

近隣市に宿泊したのち2日目の始発電車下北半島に向かい私鉄バスを乗り継いで午前中に恐山霊場に入った。(途中まで路線バス然としているが、山道に入ったところで唐突に少々不気味な恐山解説アナウンスと、子ども可哀想な目に遭う賽の河原の歌が流れた。)

到着すると、想像していたよりも境内開放的で、硫黄香りが強く、空が近かった。入山のバスには何人か観光客がいたが、平日の早めの時間だったこともあり、門を潜ってしばらくしたら、今生きている人間はもしや自分だけなのではないかという錯覚をする程度には静かになってしまった。プラスチック風車の回るカラカラという音に混じって、微かに鐘の音もする。抜けるような青空だが時折天気雨が降り、遠雷が聞こえる。カラスが飛び交い、足元では白い砂にガスが湧いている。30年弱生きてきて、最も「異境」を感じた地だった。

恐山特に東北において、死者のゆく「お山」として歴史的信仰されてきたと聞く。3時間ほどゆっくり散策した感想として、「他者死ぬことを前にした無力さ」を見に受けた。荒涼として、自分は何の役にも立てず、ただ圧倒されるだけ。大事な猫に何もしてやれなかった、助けられなかった後悔の影響もあるだろうが、死がひのたびこちらを捉えたら、抵抗虚しく受け入れるしかないのではと思ってしまった。

同時に、医療化学がこれほどまで発達するまでの、少し前の時代死生観垣間見たかもしれない。「ああしていれば」の迷いを砕くような、生き物には生老病死の苦しみが大前提存在し、いつでもこちらを見ていると思わせる光景だった。

うって変わって、岩場を抜けると青く澄んだ宇曽利湖が待っていた。先ほど聞こえていた鐘は湖畔に据付けられていて、誰かが鳴らしていたとわかった。

実態は一部のウグイしか住めない酸の水だけど)海より速いペースで打ち寄せる透明の波に山の緑、足跡だらけの白い浜と相まって、こちらは別のベクトルの異境だった。「苦しみが終わった世界」を自分が描くなら、今日からはこのイメージになるかもしれない。猫もも苦痛は無いのだと思うと泣けた。穏やかでありながら寂しい光景で、まだ生きている自分は、ずっとここに居てはいけないとも感じた。

死ぬことの寂寞と諦念のち、死者の安寧を思う。この地で祈ってきたたくさんの人たちが同じ心の動きだったかはわからない。ただ、個人としては「何をしてもいずれ終わりは来るのだから、街に帰って生活を続けよう」と思えた。非現実的な静かさが退屈そうに見えたので。そもそも猫の死後の世界がどういったものかも知らないが、ねぶた祭りの日の青森市街と同程度に楽しみに満ち、そしてできるなら人間彼岸と同じレイヤーに在って欲しいと願う。人間の見守りエリアも欲しい。

直前まで知らなかったのだが、ちょうどねぶた祭最中スケジュールだった。これもルーツは死者の供養だという説がある。自分こちらのほうが色に満ちていて好きだった。

なお恐山境内には「熊注意」の掲示散見され、メメントモリにどれほど浸っていても、即座にリアルの恐怖を思い出した。

猫よ、仏前の備えは絶やさないので、できれば熊からも守ってください。

【翌日の追記

匿名で長文を書きたいという衝動からプラットフォーム性格もろくに理解せず投稿してしまったので、リアクションがあることにたじろいでいます増田というスラングも初めて知りました。

かに、死+恐山という単語タイトルに並べば、イタコの口寄せのために向かったのだと想像される方が相当数いて当然で、自分単独行に徹したあまり他者視点に欠け、思い至りませんでした。東北よりはるか南方で生まれ東京生活し、ネットでは写真優位のSNS観光プロモーションに浸かりきった自分にとって、「恐山」は「イタコのいる霊場」より「ある程度の然るべき配慮を持っていくべき、明るい友達との旅行には向かない、公共交通では難易度・中の観光名所」でした。

当日は「動物も降霊の対象になるのか?」と疑問を持ちはしましたが、仮にできたとしても、たかだか1ヶ月弱の離別では話すこともあまりないだろうし、あったとしても「ちゃんと食え」「掃除しろ」「若くして死ぬのはやめておけ」の言い換えで尺が終わるんだろうなとの投げやりな気持ちから寺院の方に尋ねもしませんでした。期待された増田の皆様には申し訳ありません。

実際にやるとしたら、何十年後かに自分人生のBパートに入った頃、猫の命日からその日までの中間リザルトの発表しがいが出てきてからします。(どれだけ高いところに登ったか、何匹分のまぐろを食べたか、見つけた一番大きい虫のサイズなど、話題に尽きない)

どなたかコメントいただいた通り、恐山は「あの世テーマパーク」だという感想共感します。喪失したての人間には誰かの辿るかもしれない旅路を思わせ、そうでない人間には手軽な非日常感と到達感を与えてくれる場所でした。生きている人間のための施設であり、何より敷地内に温泉とお食事どころまであるのがそれらしさを補強しています東西散見される冥界のスタンダードに準じれば、ラーメンを食べ、膝下まで硫黄泉に入った自分は帰ってこれなくてもおかしくないのですが、今のところ無事にキーボードを叩けています

また自分を求める猫がいれば拾ってもいいな、という気持ちになれたので重畳です。

Permalink |記事への反応(6) | 22:29

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秋の訪れ秋刀魚が恋しい増田住まいし行こ我慢されずと御の騎亜(回文

おはようございます

なんだか朝が涼しくなってきたような気がする、

秋のチャンス到来?

秋の祭典スペシャル

もしかして秋刀魚フェア近し!?

って思っているけれど、

まだ8月なのよねー。

しばらくは暑いのが続くわよきっと。

この暑さの中なんだかもうアイスすら食べる気力も無く

ヨーグルトアイスバー塩レモン味は私のお気に入りだったのに、

もはやそれすらも買って食べようという気力がゼロだったわ。

ちょっと昨日は遅かった帰りだけど、

こういう時ってさ、

洗濯物やご飯炊くタイミングのローテーションが重なって、

家に帰ってから洗濯にー

炊飯器の釜洗ってー明日ご飯の支度をーって

DKD!

重なるダブル家事ダブル!ヒーヤ!

ってやかましーわーいってなるわよね。

そういやさ、

すっかりここ何年かお米炊いてなかったけれど、

無洗米使うの再びやってみたらいいかも知れないことを思い出したわ。

お米研ぐのは嫌いじゃない作業だけど

地味にやっぱり時間必要じゃない。

からその手間一瞬の5分でも軽くできれば、

私はまた1セットのシャインポストライブを観れたりするのよねー。

ここ最近飛ばしすぎてライブビューモードで観てっけど、

これ飛ばしすぎてすぐに飽きちゃわないかって危険性があるので

ご利用は計画的にってことで4セットぐらい計20曲ぐらいたっぷり堪能して癒されるのよ。

今の私の癒やしはシャインポストライブビューモードしかないわ。

早く楽曲全部揃えられますように!

あ!そうそう!

気付いたんだけど、

衣裳発注してないのに楽曲発注したらなんか知らない衣裳を装備していたんだけど、

これってなに?

その専用楽曲の衣裳ってことなの?

あとランダムに編制の衣裳も両サイドだけ違う様になっていたりして、

自動的に衣裳は決めてくれるのかしら?

発見ライブビューモードは、

やっぱり凄いわーって思いながら、

色々なライブ会場で鑑賞しちゃうのよ。

最近メンバーTINGS固定しがちなので、

また違うメンバーランダムに編制して楽しむのもしかりよ。

そんなわけで、

そんなライブビューモード現実逃避ばかりしていないで、

断捨離しようかなーと

そろそろ秋に向けていろいろとお部屋の整理や模様替えをしたいところでもあるわ。

もうちょっと涼しくなってからお部屋が気温がそんなに上がらなくならない季節にしないとってなので、

まだまだ先延ばししちゃいそう、

その暑さをせいにして。

あーあ汗かきたくないじゃん。

早く秋になって秋刀魚フェア始まんないかナーって。

ほらまた現実逃避

この暑さだから勘弁してよーって感じよね。

うー、

いつまでこの暑さ続くのかしら。

ちょっとは手加減して欲しいものよ。

とりあえず、

秋刀魚フェアがいつ始まるかまだ分からないので、

鯖で元気チャージよ!

今夜は鯖にしようかなぁーってね。

うふふ。


今日朝ご飯

相変わらず玉子に頼っている朝のゆで玉子サンドしました。

ごろっと大きなゆで玉子

そうねタマゴ感さんにしたら1.5個分のゆで玉子なんじゃないかしら?

小手先の表面の断面だけ玉子やってます

じゃなくって、

仲間でゆで玉子詰まってるからお気に入りなのよね。

もちろん、

まあ価格お値段も見合った感じの迫力だけど、

私はそれでも気に入っているわ。

最近のションテン上げサンドね。

これなくなっちゃったらどうしよう!?って危機感も感じつつ、

今食べれる時食べとこう!って作戦よ。

デトックスウォーター

水出し薄めルイボスティーウォーラー

飲みきったので朝また新しいの作ってこしらえておくわ。

お湯すらも沸かすのが面倒くさいので、

水出し美味しくてー便利よ。

夏のお茶は沸かさなくちゃ!ってのもあるけれど、

素麺を茹でるばりに面倒だったりキッチン暑かったりするし、

これは水出し楽チンよ。

たっぷりまたボトルに作っておいたわ。

暑いのですぐに飲みきってなくなっちゃう。

水分補給はしっかりとね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

Permalink |記事への反応(0) | 08:33

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2025-08-20

大人になってから孤独を感じる瞬間

最近、ふとした瞬間に「孤独」という言葉が頭に浮かぶことが多い。

学生の頃はいつも誰かと一緒にいたし、気づいたら自然友達と笑っていた。未来のことも漠然と楽観的で、「きっと何とかなる」と思えていた。

でも社会人になって数年が経つと、だんだん生活リズムが固定されて、会う人も限られてきた。朝起きて、仕事に行って、帰ってきて、ご飯を食べて、スマホを眺めて眠る。気づいたら一週間が終わっていて、また次の週が始まる。そんな日々が繰り返される。

友達結婚したり、引っ越したりして、少しずつ距離ができる。LINEのやりとりも減って、会う約束先延ばしにされて、結局は会わないまま時間が過ぎる。

SNSを開くと、みんなが楽しそうに旅行したり、家族恋人と過ごしたりしている写真が並ぶ。その画面を見ている自分は、ベッドの上でひとり。気づくとため息をついている。

別に「誰かと一緒じゃなきゃ生きていけない」と思っているわけじゃない。ひとりで過ごす時間も悪くないし、気楽さもある。けれど、心の奥のどこかで「自分は誰にも必要とされていないんじゃないか」という感覚が、じわじわと広がってくる時がある。

そんな時、少しでも気持ちを軽くするために、こうやって匿名文章を書いてみる。誰かが読むかどうか分からない。でも、画面の向こうに同じような気持ちを抱えている人がいたら、少しは安心できる。glot.io/snippets/haceafrb7c

孤独を感じるのは自分だけじゃない」と思えるだけで、救われることもある。 paiza.io/projects/kp0ndeEGe3RZLpjtV0zFFA?language=php

大人になればなるほど、「弱さ」を見せることが難しくなる気がする。でも匿名なら、本当の気持ちを書ける。もしかしたら、誰かが共感してくれるかもしれない。

からこれからも、たまにこうやって心の中を吐き出していこうと思う。 forms.osagenation-nsn.gov/data/form_81864/files/element_13_b638972caceca0eac98b079b56d3b661-4fd8epvt.pdf.tmp

forms.osagenation-nsn.gov/data/form_81864/files/element_13_b638972caceca0eac98b079b56d3b661-0r3h4kem.pdf.tmp

forms.osagenation-nsn.gov/data/form_81864/files/element_13_b638972caceca0eac98b079b56d3b661-eb6puxsl.pdf.tmp

forms.osagenation-nsn.gov/data/form_81864/files/element_13_b638972caceca0eac98b079b56d3b661-expelf.pdf.tmp

forms.osagenation-nsn.gov/data/form_81864/files/element_13_b638972caceca0eac98b079b56d3b661-w1q50s1s.pdf.tmp

forms.osagenation-nsn.gov/data/form_81864/files/element_13_82530c1771eb634ba1f0f18fe6bf167e-2xmgir.pdf.tmp

forms.osagenation-nsn.gov/data/form_81864/files/element_13_82530c1771eb634ba1f0f18fe6bf167e-c0vhoa.pdf.tmp

forms.osagenation-nsn.gov/data/form_81864/files/element_13_82530c1771eb634ba1f0f18fe6bf167e-j0sao8r.pdf.tmp

Permalink |記事への反応(1) | 23:59

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2025-08-19

外食メインにして、自宅に食料を置かないようにすると痩せる

食べるには外出するしかないので、外出が面倒でどんどん食事先延ばしになって食べる量が減る

食べる量も注文した分しか食べられないから食べすぎない

これ最強な気がしてきた

Permalink |記事への反応(0) | 18:37

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限られた時間の中で···

「やらなくちゃいけないこと」、「やるべきこと」が本当はあるのに、もう「怠け癖」・「サボり癖」が身についちゃってるのか、「先送り」・「先延ばし」にする癖はなんとかならないものだろうか...。

Permalink |記事への反応(0) | 14:56

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2025-08-14

anond:20250814002456

ええやんええやん

ねくろちいいよね。

エトラさんもいいよね。

あかりちゃんサイキョーだよね。

うんうん。

ワイもぽぷらのミュージカルについてむちゃくちゃ熱い記事を書きたかったんやけど、つい先延ばしにしてしまったんやで…

ぷわぷわぽぷら /あおぎり高校 -Alice in Musicland ♬˖° Coverby あおぎり高校歌ってみたオリジナルMV

https://www.youtube.com/watch?v=YyKGT0REBgg

Permalink |記事への反応(1) | 09:26

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