
はてなキーワード:俺様とは
例えば高市や参政党の賛美、財務省陰謀論、池上彰は日本人ではない、等
んで、これはまずいなと思ってPCからオカンのYoutubeアカウントにアクセスして、プロパガンダ系の履歴を消した
あと、オカンのアカウントでshortsを見て、表示される政治系動画をすべて表示しないように手作業で設定していった
朝になって、オカンは政治動画ではなく、健全な趣味の動画を見ていたので、これは早速効果が出始めたということだろう
しかしこの監視は継続しなければならない。家族の精神を害する情報は俺様が止める
なんか勘違いしてるみたいだけど、この法律が通るかは個人的にはどうでもいい
ただ、「社会通念」とかいう左も右も都合のよい解釈でなんでも押し通せる論理で反論してるやつがいたから
で、その論点からの議論や反論を諦めたらしいので、別にそれ以上俺がどうこうしたいって話ではない
「理屈はわからんが結果そうだから」は元の主張に対する反論に全くなってなくて議論を諦めただけ。
これからも、都合のいい時だけじゃなくて悪い時も「社会通念」の一言でなんでも世の中を変えられてしまうぞ。
その時は「それは社会通念じゃないだろ」って反論しても通らんぞ。
「社会通念上」とかいう、国によって、というか左と右によって感じ方が違うものを理由に禁止するのが認められるなら、
陣営に都合のいい時だけ「社会通念」を持ち出して禁止ってのができちゃうじゃん。
え?「多くの先進国で」社会通念上認められてないものは日本でも禁止すべきって言ってるだろって?
だったら例えば、多くの先進国で死刑制度は社会通念上廃止するべきって流れだけど、日本で廃止するって言ったら君は賛成するのか?
もし死刑廃止に反対だというなら、やっぱり都合のいい時だけ社会通念を持ち出してるじゃんってことになるし、
一貫性のない俺様理論を振りかざしてるのはむしろ君の方ってことになるよ?
100か国いて100か国とも禁止してるならわかるけど、先進国でも(例えばアメリカとか)禁止されてないぐらいには
例示された「多くの人の気持ちを踏みにじる」自由が許されているのは社会通念として受忍される範囲のものだけであって、程度を超えたやつまでが表現の自由だからとなんでも許されているわけではないぞ。実際に法的にアウトな裁判結果となったものもあるだろうに、何を勝手な俺様理論通そうとしてるんだよ。
そして自国国旗の件については、(権威主義でない国々においても)受忍されないとする国は多い。一方でアングロ・サクソン系の国ではそれを受忍の範囲とすることが多いなど、似た社会通念を持った国では似た対応となっている。そして今回の件がこのまま通るのであれば、日本でも社会通念として受忍されないものだったということになる。
多少ChatGPTと議論して「小論に整理して」とお願いするだけでこれなら
凡人の俺様がちんたらキーボード叩いて書く必要なんてないじゃんもう!
https://togetter.com/li/2618627
今回の事件で多くの人が揺れたのは、「恐怖を感じた人の防衛行為」が、どこまで許されるかという点である。
身体障害や透析など、外見では分からない「見えない弱者」が社会で繰り返し軽視されてきたことは事実だ。
しかし、口論の段階で武器を使用し、無関係な他者まで巻き込んだ瞬間に、それは防衛ではなく攻撃へと転化する。
法的にも倫理的にも、暴力が他人を傷つけた時点で、その正義は失われる。
彼女がSNS上で相手を「40-50代じじい」と呼んだ表現は、単なる感情の発露にとどまらない。
それは、相手の行為ではなく属性そのもの(年齢・性別)を攻撃の対象とする言葉だ。
この瞬間、個人的なトラブルは「中高年男性という集団」への敵意にすり替わる。
この言語構造はその**鏡像――“ミサンドリー的反射”**と言える。
弱者が自らを守る物語の中で、他者が“敵の象徴”として消費されていく現象は、暴力の形を変えた再生産に他ならない。
人が暴発する時、そこにあるのは純粋な恐怖だけではなく「屈辱」も強く関与する。
「若いから座るな」「病気でも見えなければ認められない」という社会の視線に対する怒りが、
個人の攻撃者を超えて「社会全体への報復」に変わったのだろう。
彼女自身が繰り返し使う「悔しかった」「お灸をすえたかった」という語は、
つまり彼女の行動は、社会的な不平等への“象徴的報復”として遂行された可能性が高い。
近年のSNS言説では、「女性」「障害者」「被害者」といった立場は道徳的免罪を得やすい。
弱者を“聖なる報復者”として祭り上げ、暴力の責任を薄めてしまう。
もしこの事件が銃社会で起きていたら、催涙スプレーではなく発砲事件として報じられただろう。
「怖かった」「迫られた」と主張する発砲者が免罪される構造は、
アメリカの“スタンド・ユア・グラウンド法”の問題と同じである。
恐怖を根拠にした先制攻撃が認められる社会では、暴力の独占は失われ、
今回の事件は、銃社会の論理が非銃社会の中で萌芽した象徴的な出来事でもある。
この事件が投げかけたのは、
「恐怖と正義の境界をどこに引くのか」という普遍的な問いである。
だが、その弱さが他者への攻撃の免罪符になった瞬間、暴力は正義を模倣し始める。
フェミサイドもミサンドリーも、根は同じ――恐怖を根拠に他者を人間として見なくなること。
わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)
これプラス、親友か恋人かっていう掛け合いするのがおもしろいのと
あとまいの性格ってBLの俺様キャラなんだよね、百合では珍しい
なんかこういう系ってエモ重視が多いけど、かなりテクニカルというか理詰めで面白い
光が死んだ夏も割とそういうところあるけど、BLも百合も散々やった上でこういうの出てきたのは何でなんだろうか
あらためて基礎に立ち返るみたいな
___
まあただ嫌な言い方すると
本当はこれを20年前なら男女でやったんだろうなって気がする
今の世の中だとかなりできない
まずSNSを使う目的な。収益化を目的にしない場合は、3つ考えられる。
まず情報受信。俺が何をフォローしたいかって話だが、人間をフォローしてもノイズが多くて話にならない。
数学者をフォローするのは数学情報が欲しいからであり、そいつの「高級ワインは実にうまい」みてーなのは見る価値がない。
そうすると、有益情報を発信しているアカウントはほとんど存在しないことがわかる。だから受信は却下。
次に情報発信。要は俺様のアイデアを世間に認めさせるって話ね。だが、これは不可能であることがわかる。どうやら、俺のIPでもVPNを使ったIPでも、シャドーバンされるらしいからだ。なので発信は却下。
残るは人間関係構築。ビジネス上のものと、単に友達的なものが考えられるが、ビジネス上のつながりなんてSNSで構築するもんじゃねーし、よくわからんSNS虚言系ナルシスト連中と友達になる気もない。
相手が右に避けたら自分は左に、流れを読んでペースを合わせたり、譲ったり譲られたり、言葉を交わさなくてもお互いの意図を瞬時に汲み取る
これが成立してると街はスムーズに流れるが、この「無言のやりとり」が壊れてしまうと、一気にストレス空間になる
そして世の中には、どうも交通の仕方にその人のコミュニケーション能力が露骨に出てるな、と観察してると気づく
言わずと知れたレジェンド。わざわざ人の進路を読んでぶつかりに来る
おそらく日常でも「いや常識だろ!」とか言いながら周囲を不快にさせてるタイプ
道幅がどんなに広かろうと、なぜかど真ん中をキープし続け、左右どっちにも避けられない
会議でも一人だけ話を遮って延々しゃべってそう
友人や恋人と横に広がって歩き、後ろが通れなくても気にしない
これは「自分たちの関係性に没頭して外部をシャットアウトする」タイプ
自転車でこれをやるともう最悪
人との距離感や気配り力がもろに出る