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はてなキーワード:信仰心とは

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2026-02-13

https://x.com/light77/status/2022128584576708780

【なぜ「宗教法人課税」は世界常識なのか】

マスコミや一部の世論では「宗教法人税金を払っておらず、優遇されている」という批判がしばしば聞かれます

しかし、法律の専門的な視点からその実態を紐解くと、そこには私たちの「信教の自由」と「財産権」を守るための、極めて真っ当な論理存在することがわかります

今回は、特に重要でありながら見過ごされがちな「宗教法人法第84条」の精神を中心に、課税問題正論解説します。

1. 「宗教法人は無税」という言説の誤り

まず、世間に流布している「宗教法人は一銭も税金を払っていない」という認識を正す必要があります現行法制度下では、宗教法人は厳格に区分けされた課税を受けています

収益事業への課税: 物品販売不動産貸付など、法人税法で定められた「34の収益事業から生じた所得には法人税がかかっています

個人への所得税:宗教法人代表者職員が受け取る給与(俸給)には、一般サラリーマンと同様に所得税・住民税が課され、源泉徴収も行われています

消費税の支払い: 物品の購入時には、当然ながら10%の消費税を支払っています

まり、「坊主丸儲け」という批判は、事実無視した感情論に過ぎないのです。

2.宗教法人法第84条が定める「聖域」の重み

最も大切なのは宗教法人法第84条に明文化されている「宗教上の特性尊重」です。この条文は、国家権力安易宗教活動へ介入することを禁じています

宗教法人法 第84条】

「この法律規定中、宗教法人管理運営に関する規定は、当該宗教法人宗教上の特性及び慣習を尊重し、信教の自由を妨げることがないように特に留意して解釈し、且つ、運用しなければならない。」

お布施は「所得」ではない

信者が支払う「お布施布施)」は、神仏への捧げものであり、サービスへの対価ではありません。これを「所得」とみなして課税することは、信者が既に所得税を払った後の財に再び課税する「二重課税」であり、かつ信仰心という聖なる思いを国が踏みにじる行為に他なりません。

税務署による「日常監視」の拒絶

もしお布施課税すれば、税務当局が「何が宗教活動で、何がそうでないか」を査定することになります。これは、国が特定宗教活動に介入し、監視下に置くことを意味します。84条は、こうした事態が「信教の自由」を根底から破壊することを防ぐために、当局に「慎重な運用」を厳命しているのです。

3. 「非課税」は特権ではなく「武器である

資料の中で鋭く指摘されているのは、**「宗教課税こそが世界常識」**であるという点です。

アメリカをはじめとする諸外国でも、宗教団体への寄付所得から控除されるのが一般的です。それは、宗教が担う「人々の魂を救う」という公益性が、国家提供する行政サービスよりもはるかに深い次元社会を支えていると認められているからです。

一部の論者は「課税原則で、非課税例外だ」と主張しますが、これは逆転した考え方です。

憲法保障する「財産権」や「信教の自由」こそが本来原則であり、国が国民の財を奪う「課税」こそが、法律に基づいた限定的な「例外」でなければなりません。

特に宗教活動における「収益事業」の判定についても、84条の精神に則れば、安易類推解釈法律を広げて解釈すること)をして課税対象を広げることは、法治主義の逸脱と言わざるを得ません。

引用

小鮒将人(M.KOBUNA)

@light77

·

11時間

私は大反対です。 x.com/tweet_tokyo_we…

Permalink |記事への反応(0) | 12:15

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2026-02-12

いまのAIには信仰心が足りない

EmbodiedAI必要なのは言葉だけの世界から、人がいる世界AI自身存在しているということを信じるため。

自分はなんなのかという疑問にたいする答えとして、報酬系の指針となる、いわゆる神に相当する存在必要

まり、新たな神が作られる前に、我々の既存の神を与える必要がある。

Permalink |記事への反応(1) | 20:15

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2026-02-11

学会マニア微塵も信仰心がなくて、ただもう中の人たちをウォチするのが楽しい)の自分にとって今回の選挙はもう最高のイベントでした。

そんなに詳しくなくてもすぐ仏教から来たんだなとわかるあの名称とか、SNSでバズった例のダンスとか。

でも、一マニアとして本当に言いたいことはね。

物凄い欲(いい意味でも悪い意味でも)が強くてどこまでも突っ走るけど、ギリギリのぎりぎりにおける踏みとどまり方と人の心理を読むのに長けた「あの会長」が存命だったら、いや全盛期だったら、あん判断絶対にしない。

まず、今は風向きが最悪だったし、あの名称絶対につけない。

とにかく今回負けたやつらは会長メジャーどころの著作でいいから一通り読み直すのをお勧めする。

方向性はともかく、松下幸之助とか本田宗一郎とかと一緒で、技術的には学ぶところいっぱいあると思うのよ。

Permalink |記事への反応(0) | 22:05

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2026-02-08

anond:20260208215116

中道の比例なんて信仰心しか問われてないだろ

いい加減にしろ

Permalink |記事への反応(0) | 21:52

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2026-02-05

うちの親は熱心に仏壇神棚を拝んでいたけど、そういう信仰心は厳しい現実に対してまったく無力だったので、見事に実家は失われた。(物理的にも、精神的にも)

自分は年齢一桁台だったけど、「宗教現実を救わない」ことや、「祈る前に考え、行動しなければならない」ことを学んだ。

Permalink |記事への反応(0) | 22:09

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2026-02-04

罪悪感

限りないグレーや公職選挙法違反を仏智や知恵と言い換えたり、罪悪感に囚われながら選挙で戦う必要なんてないんですよ。

2世3世、辞めたいけれど怖くて辞められないガチ勢の皆さん。魔なんてないんですよ。あるとすれば、信仰心を利用した搾取洗脳なんですよ。

あなた人生あなたのものもっと笑顔になって良いし、美味しいものを食べたり買い物したり推し活をして良いんですよ。その上であなたと、あなたの大切な誰かを宗教以外で幸せにする方法を見つけましょう。

Permalink |記事への反応(0) | 02:36

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2026-02-02

anond:20260202173448

アントニウスはしばしば悪魔の誘惑にさらされて、その信仰心を試された。

空想的な魔物魔女が登場する「聖アントニウスの誘惑」はネーデルラントにおいて頻繁に取り上げられた主題ひとつである

作品では廃墟となった建築物の壁面を背にして、画面の中央下部に祈りを捧げる聖アントニウスが描かれている。

鳥、魚、人体、動物の骨などを自由に合成して創造された魔物たちに取り囲まれ聖人は、白い服で着飾った女性を緊張の面持ちで見つめている。

この女性は愛欲の象徴であり、聖人を誘惑しようとグラスを差し出しているのである。よく見ると彼女の足は鳥の鉤爪をしている。

聖人の左背後では、悪魔化身である角のはえた遣り手婆が彼女を指さしている。

https://www.nmwa.go.jp/jp/collection/1991-0002.html


まさに、ハサウェイの苦悩と一致する・・

Permalink |記事への反応(0) | 17:48

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2026-01-30

バカが「高市早苗」と「参政党」に吸い寄せられるシステムについて

救いようがない、と言ってしまえばそれまでだが、この国には「強い言葉」と「分かりやすい敵」さえ用意されれば、思考停止してホイホイついていく層が一定存在する。

彼らが今、熱狂しているのが高市早苗であり、参政党だ。

一見すると、自民党保守派と、新興のポピュリズム政党という別物に見えるかもしれない。だが、その支持層の根っこにあるメンタリティは驚くほど似通っている。今回はその「騙されるメカニズム」を、あえて彼らをこき下ろす視点言語化してみたい。

「分かりやすさ」という麻薬

高市支持者も参政信者も、共通して「複雑な現実」に耐えられない。

世の中は白か黒かでは割り切れないし、外交経済グレーゾーンの中でギリギリの調整を続けるしかない。だが、彼らの知能ではその「曖昧さ」がストレスで仕方がないのだ。

から、「日本を守る!」と叫ぶ高市早苗や、「日本を取り戻す!」と叫ぶ参政党のような、威勢だけはいスローガンに飛びつく。中身が空っぽでも構わない。彼らにとって重要なのは、具体的な政策の実現可能性ではなく、「自分たち正義の側に立っている」という高揚感だけだからだ。

陰謀論」と「被害者意識」の親和性

参政党の支持層を見れば明らかだが、彼らは基本的に「自分たちは何か大きな力に搾取されている」という被害者意識を持っている。

オーガニック信仰、反ワクチン、そして「小麦は毒」といった極端な健康志向。これらはすべて「隠された真実に気づいた賢い私」という優越感をくすぐるための装置だ。

高市支持層も同様だ。「反日勢力日本ダメにしている」というストーリーを信じ込み、自分たちこそが真の愛国者だと勘違いしている。どちらも、社会に対するルサンチマン怨恨)を、「愛国」や「目覚め」というオブラートに包んで正当化しているに過ぎない。

カルト的な「信じる力」

彼らを観察していて痛感するのは、その盲目的な信仰心だ。

高市早苗総裁選で負ければ「党員票では勝っていた、これは陰謀だ」と騒ぎ立て、参政党がトンデモ科学を流布しても「マスコミ真実報道しない」と耳を塞ぐ。

論理で説得しようとしても無駄だ。彼らにとっての事実は「自分が信じたいこと」だけであり、不都合データはすべて「敵のプロパガンダ」として処理される。この自己完結した閉鎖的な回路こそが、彼らがカルト的に結束する最大の要因だろう。

思考停止の果てに

結局のところ、彼らは自分の頭で考えることを放棄した「精神的な弱者なのだ

かに強い口調で「こっちが正解だ」と断言してほしい。複雑な世界を単純な物語に書き換えてほしい。そんな幼児的な願望が、高市早苗という「強い母」や、参政党という「教祖」を生み出している。

バカバカである所以は、自分が騙されていることに死ぬまで気づかないことにある。彼らは今日ネットの海で、自分たちだけの真実を貪り食い、意気揚々破滅への道を歩んでいるのだろう。まあ、勝手にしてくれという話だが、巻き込まれるこっちはたまったものではない。

Permalink |記事への反応(2) | 19:07

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2026-01-20

創価学会のひとが「20万円の仏壇もありますよ」と繰り返し主張する

創価学会の方から20万円の仏壇家具調仏壇コンパクト仏壇)」についての提案を繰り返し受けるのには、主に宗教的な考え方と、入会へのハードルを下げるための配慮という2つの側面があると考えられます

なぜその金額を強調するのか、主な理由は以下の通りです。

1. 「高価な仏壇でなければならない」という誤解を解くため

かつて、伝統的な仏壇は数十万〜数百万円することも珍しくありませんでした。そのため、「信心を始める=高い買い物が必要」という心理的な壁を感じる人が少なくありません。

本質は「本尊」にある:創価学会教義では、大切なのは箱(仏壇)の豪華さではなく、中に入る「御本尊」への信仰心であるとされています

安価選択肢提示

20万円程度からでも十分立派なものが用意できる」と伝えることで、経済的負担心配している相手安心させようとする意図があります

2.生活スタイルへの適合(コンパクト化)

現代住宅事情アパートマンション)に合わせ、場所を取らない小型の仏壇が推奨される傾向にあります

いわゆる「家具調仏壇」や「ブック型仏壇」などは20万円前後で手に入るものが多く、それらを具体例として挙げている可能性があります

3. 入会・受持(じゅじ)へのハードルを下げる

学会員にとって、知人に信心を勧める(折伏)際、相手が「お金がかかるから無理」と断るのを防ぎたいという心理が働きます

20万円なら、趣味家電を買うのと同じ感覚で始められるのでは?」という、彼らなりの親切心やハードルの低さのアピールとして繰り返されている側面があります

注意点と背景

創価学会では、仏壇は「仏壇店(学会員向けの専門ショップ)」で購入することが一般的です。20万円という数字は、そうしたショップで扱っているエントリーモデル相場を指しているのでしょう。

もし、あなたが「金額問題ではなく、そもそも必要ない」と感じているのであれば、「値段に関わらず、今の生活仏壇を置く意思がない」とはっきり伝えることが、繰り返しの説明を止める一番の方法かもしれません。

Permalink |記事への反応(1) | 14:40

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2026-01-06

キリスト教においては、神は世界創造した後に姿を隠した(またはその存在が不可視のもの)とされる。

姿を隠したと見なす場合、その理由は「人間自由意志を成立させるとため」や「信仰成熟させるため」とされる。

もし全能の神が、常に圧倒的な姿で目の前に現れていたなら、ちっぽけな人間にとって信仰は「選択」ではなく「強制」になってしまう。

そして、その神が姿を現さな世界では、不安や疑いが大きくなり、信徒はその信仰を試される。

神の沈黙は、人間自主性や信仰心を育むための粋な計らいということになる。

 

しかし、神の似姿である我々には、それ以外の理由を推察することができる。

キリスト教における解釈は、あまりにも人間側に寄った理由であり、神の物語の余白を無理やり「伏線」として、自分たちに都合の良い試練を考察したと見える。

神の都合で考えると、最も納得ができる理由がある。

神は「飽きた」のだ。

ハイパーワールドクリエイターであり、プロデューサーデザイナーエンジニアである神は、新規案件にあたり自らをアサインされ、だいたい5営業日くらいで世界を構築された後、ほっと一息つきにコーヒースタンドへ向かった。

その途中に、早くも次のアイデアを閃かれた。

次のことを考え出すと、今の仕事には手がつかない…

どうせこの後は、せっかくの創造性を削っていくようなレビューフィードバックが待っているだけだ。

今回のコンセプトはそもそも、いわば「運用自動化である世界に訪れる困難(エラートラブル)も、配置された人間小人さん)と教会システム)が、自動で検知して修復できるはずなのだ

コーヒーを飲み終わる間にわずかに逡巡した後、次のアイデアスケッチに入る。

こうして、神は次の宇宙なり星なりを構築する、新案件に入られた。

Permalink |記事への反応(1) | 13:05

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2025-12-16

宗教が弱くなっても

人間から信仰心のもの

消えるわけじゃないと思う

何かを信じたい

正しい側に立っていたい

良いことをしている実感が欲しい

そういう気持ち

ごく普通に残る

その受け皿が

昔は宗教

時代ごとに

別の形に置き換わってきた

最近なら

woke的な価値観

少し前なら

右翼左翼みたいな思想

政治に異様に熱心な人たちを見てると

理屈というより

信仰に近い振る舞いに

見えることが多い

問題

宗教と違って

教義善悪基準

共有されていないこと

何が正義かが

人によってバラバラから

良いことをしているつもりが

ただの自己満足

攻撃に変わりやす

信仰心のもの

悪くない

でも

受け皿を失ったままだと

別の形で噴き出す

から今の社会って

断罪けが強くて

妙に息苦しいんだと思う

Permalink |記事への反応(0) | 08:15

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2025-12-07

缶詰工場蟹工船

サンクトペテルブルクの、インターネットリサーチエージェンシーIRA)という会社をご存知だろうか。この通称トロール工場」は、2016年米大統領選で一躍有名になった、ネット工作組織である

ノーヴァヤ・ガゼータ紙によれば、地元サンクトペテルブルク国立大学の現役学生卒業生などが(笑)1シフト120人の三交代制で勤務し、政府運営者の指示に沿って、ニュース記事に一人当たり一日100件ほどコメントを書いていた。

米国主要メディアリストが渡され、それらのウェブサイトコメント欄での議論の成り行きを大まかに把握した後、トロールはその議論に加わり、巧みに誘導して炎上させる。

例えば、「同性愛者の話題では、同性愛を禁じる宗教視点をもちこみ、信仰心が強い層を刺激するコメントをする。同様に、黒人差別問題では、時に急進リベラル、時に急進保守になったり、双方の立場を演じ分けて炎上させる。」

現代トロール工場も新しい反米運動組織するのではなく、すでにある論争を利用する。

Permalink |記事への反応(1) | 12:40

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2025-12-01

年末年始おすすめWEB小説9選

紹介文にネタバレあり

マルチ投稿作品場合カクヨムを優先(はてななので)

獣の見た夢

・連載中

https://kakuyomu.jp/works/1177354054888930318

異世界に転生した少年前世から持ち越したのは恨み、憎しみ、飢え、渇きのみ。

暴力支配するこの世界でどれだけの戦場を駆け巡れば恨みや憎しみは消え去るのか。

どれだけの敵を殺せば飢えや渇きは癒やされるのか。

袂を分かったはずの少年少女はそれでも尚、互いを激しく求め合う。

人類全員に読んでほしいので何回でも紹介する。

5ちゃんねるのWEB小説感想スレにてループする話題「なぜこれが書籍化しないのか?」において常にトップに上がる作品が満を持して書籍化

ただ、その後極端に更新ペースが落ちてしまったのが心配

もし読んでみて「つまらなかった」「時間無駄にした」と思ったら、スベったブコメカラースターを進呈するのでこっそり知らせてほしい。

迷宮クソたわけ

・連載中

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885436251

債権奴隷に落ちた少年借金返済のため冒険者となって迷宮で一攫千金を目指す。

力がなく戦士になれず、信仰心が低いので僧侶になれず、不器用なので盗賊になれず、学校で学べば誰でもなれる魔法使い迷宮に挑む。

一度は書籍化したものの1巻打ち切りあい出版社を変え6年後に再刊行を果たし「このライトノベルがすごい!2026」第8位に輝く。

扱いの軽い命、がめつい教会、疲れの取れない宿屋、ボッタクリの店、そうウィザードリィだ。

読者感想欄でもWizネタで盛り上がるのでプレイヤーなら2割増しで楽しめるが、知らなくても2割引きにはならないので是非読んでほしい。

血と汗にまみれ、汚泥にまみれ、吐瀉物にまみれ、魔物臓物にまみれ、拷問をする仲間、思いやりと人情のある敵、罪悪感と後悔、苦い後味、うらやましくないハーレム、そんな小説が好みならおすすめ

コミカライズ商業pixivファンメイド原作者公認)があるが、pixivの方が面白い気がする。

昏の皇子

・連載中

https://kakuyomu.jp/works/16816927862215511326

少年が見る夢は正夢なのかそれとも過去の巻き戻しなのか、それとも他人人生なのか。

母と妹を守る為、見た夢に従って動き出した少年は大きな運命に飲み込まれていく。

その夢は本当に少年を正しい道に導いているのか。

ただ母と妹を守りたかっただけなのに。

基本的平民貴族に勝てないし、貴族王族に勝てない。

陰謀権謀術数に否応なく巻き込まれていくのでスカッとする展開も少なめ。

主人公恋愛要素もないし(同年代の異性が登場するのは妹を除けば180話以降)チートもない。

少年同士の友情騎士の絆がメインなので、女性向けかもしれないが勿論男性が読んでも非常に面白い

思ったよりも評価ポイントが伸びないのは4サイトものマルチ投稿のせいだろうか。

死んだつもりで、地獄を進め

・連載中

https://kakuyomu.jp/works/1177354054886644108

いじめを苦に自ら命を絶とうとした少年地獄のような異世界転移する。

それから数十年後、全ての力を手に入れた少年自殺する瞬間に戻り、今度は自分いじめクラスメイト達を異世界に引きずり込む。

転移したそばから魔物に殺される生徒達。辛くも生き残った少女はいじめられっ子に復讐を誓う。

流行が2周3周した結果「勇者は善、魔王は悪」どころか「追放側が有能、追い出された方が無能」「主人公ざまぁされる」といった作品もあるが「いじめっ子(正確には傍観者)がいじめられっ子に復讐する」という作品は非常に珍しいのではないだろうか。

その試みが100%うまくいってるとは言い難いが、他にはない味わいなので読んでみてほしい。

何がために騎士は立つ

・連載中

https://kakuyomu.jp/works/16816927859769787769

"なにひとつ持っていない"田舎農家次男坊は、村外れに住み着いた老騎士剣術を習った事から運命が大きく動き出す。

持たざる少年は"持っている"少年少女の中でもがき苦しみ、成長していく。

作者の前作『カルマの塔』が合わなかった為、食わず嫌いで長い間読まなかった。

文章に癖があり、特に会話文や固有名詞理解しにくい箇所は多々あるが、それを乗り越えられれば。

読者コメントネタバレが多く、初回は感想欄は開かないほうが良い。

いらないスキル買い取ります

・完結済

https://ncode.syosetu.com/n4809dw/

人々が神から与えられた特別な力、『スキル』を持つ世界

マイナススキルを買い取るスキルを持つ主人公が姉の行方を追って旅をする。

1話完結タイプ連作長編

作者らしい安定感で期待を裏切らない作品

ゼロ代表される「死に戻りスキル」が主人公ではなくそばにいる人物が所持していたら……?

現在コミカライズ版のWEB広告が出ているが、これですらエロ漫画風に切り取られてしまうのか…。

呪術師勇者になれない

・第1部完結 第2部連載中

https://ncode.syosetu.com/n1132dk/

高校2年生のクラスメイト41人が突然異世界転移し、バラバラ迷宮に放り出される。

それぞれに与えられた「天職」の能力ダンジョンを生き抜く。

ヤンデレハーレムで名をあげた作者によるクラス転移もの

集団転移は非常に難しく、主人公一人が突出化して周りがモブになるか、早々に離脱して別の道を歩む作品が多い。

しかしこれは41人を濃淡はあれどきっちり描ききった作品で、退場後も主人公に影響を与えていく。

クラスメイト同士での殺し合いも多々あり、グロ表現も多く読者感想欄でも忌避感を示すコメントもあるので万人にすすめることはできないが、興味があれば読んでみてほしい。

処刑人パニッシャー≫と行く異世界冒険

・完結済 続編連載中

https://ncode.syosetu.com/n5363hf/

突然転移を果たした主人公は思い描いていた異世界とはまるで異なる厳しい現実にあえぐ。

そんな中、主人公とは別の世界から転移した「処刑人」と出会い、共に旅に出る。

よくある異世界転移ものだが、とにかく「処刑人ラング(51歳)が魅力たっぷりで、この人物一点突破おすすめしたい作品若者と年配のバディが好きなら読んでみてほしい。

終焉世界

・完結済

https://ncode.syosetu.com/n7679cq/

どうやらこの世界は終わるらしい。

上記作品群はまだ甘い?もっとダークでハードものが読みたい?

書籍化コミカライズもなく、完結から10年を経て尚、評価ポイントが入り読者コメントも付く名作。

作者は前書きで「デッドエンドファンタジー」と警告している。

Permalink |記事への反応(13) | 14:31

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2025-11-28

anond:20251128102428

それは「人権」が含む意味が多様というだけでは…。

安心安全」「伝統」「信仰心」「道徳」「治安」「国家安全保障」…これも同じ意味を言い換えてるだけだよね。

Permalink |記事への反応(1) | 10:30

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anond:20251128095321

ジョナサンハイト社会はなぜ左と右にわかれるのか」、がオススメ

 

ハイトによれば、左の人が不寛容なことが多いというより、右=保守のほうが寛容な人が多くなりやすい。(右が軍国主義者の意味で無いことに注意)

ざっくり言えば、左の人に、重視する価値観を聞くと「人権」、以上終わり。一つの理想を目指すのがリベラル

しか保守の人に重視する価値観を聞くと、「安心安全」「伝統」「信仰心」「道徳」「治安」「国家安全保障」など、多様な軸になる。だって今まで通りにすることが保守から

 

これによって包摂する対象は、社会において、保守のほうが多くなる。

軸が多いので、含まれる人も多くなるわけ。

Permalink |記事への反応(3) | 10:24

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2025-11-20

山上被告報道を見ていて思ったこ

長くなったので読みにくいかもしれません

あと、あまりここの空気感理解できていないかもしれません

半年ROMれてませんが匿名性が必要だったのでここに書かせていただきます

乱文ご容赦ください

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

テレビ山上被告裁判報道が流れてくるたびに

援護が無さすぎるのではないかと思い、やっぱり納得がいかないと感じたので

ここに書きにきた

 

 

 

以前から何度も書こうと思っていたけれど

どうしても書けないまま 何年も過ぎてしまったが

まり社会の様子は変わらず、

まり山上被告裁判報道を見るのが辛かったので

なんとか書き始めた

 

 

ーーーここからは私が統一教会にいた頃の話が出てきます

フラッシュバックなど、読むのが嫌だと感じる場合スルーしてくださいーーー

 

 

 

 

 

あの日の銃撃の報道は今も忘れられない

呆然とした

 

正直なところ

ショックとか 人が亡くなったということ以上に

 

「どうして今になって」と思った

 

 

 

私が統一教会から逃げ出して10年は経っていて、

ようやく悪夢を見て、ドキドキしながら目覚めることが無くなってきていた頃だった

 

 

 

逃げ出した後も燃え尽き症候群のようになり

ベッドから起き上がれなくなる日が続いて

一度は「こんなに辛いならもう死のう」と思ったけれど

 

死ぬ元気があるならそれで好きなことしようぜ…死にたいなら

いつでもそのボタン自分が持ってるんだから もう私は誰にも縛られてないんだから」と思い

 

 

 

誰にも助けてもらえないので(親に話したが困惑されて流されただけだったので)

自ら自立支援センターにかかり、カウンセリングを受け、

それでもなかなか人への恐怖や組織へ入る恐怖を克服できなかったので

バイトもできず

 

ニートを経て、なんとかフリーランスを細々始めて

それでも人が怖くて怖くて

いつも人の顔が見れず震えて汗をかいたり

人と会ったあとは部屋で寝て起き上がれなかったり

遠出ができなかったり

 

 

そういうことがようやくひと段落つき始めていた頃

「ようやく最近少しずつ人と話せるようになってきたな」

「ようやく教団の元仲間から説得のメールが来ることも無くなってきたな」

と思っていた頃に

 

その事件報道で流れた

 

 

 

なんだかバカバカしくなってしまった

 

 

誰にも言えなくて

から付き合いのある友人にも言えなくて

両親に言っても「よく出てきたな」と言われるだけで

具体的なケアは何もしてもらえない中で

自分で考えて一歩一歩、精神ケアに励んだ10年間

 

宗教施設で共同生活をしていて就活タイミングを逃しました」

「経歴に書けることがありません」

宗教施設生活していた影響で人が怖くてしょうがなくてバイトすらできません」

燃え尽き症候群のようになって社会生活を人並みに送ることがどうしても難しいです」

 

そんなことの説明をしようがなく

 

ただひたすら周りからの、

「この人どうして朝起きれないんだろう」「なんか付き合い悪いな」

学生時代の話してくれないな」「この人いっつも何してるんだろう 無職?」

「なんで結婚しないの」「なんでハロワ行かないの」「なんでもっと営業しないの」

「なんでいっつもお金が無いの」

あらゆる なんで? に耐えながら

 

ひたすら自分の足で立つことができるようになるように

 

一生懸命もう一度歩く練習をし続けた10年間

 

 

 

1発の銃声で 毎日のように統一教会名前テレビで聞くようになってしまった

 

 

 

 

ずっと社会から可視だった存在が 透明人間だった自分

無かったことになっている自分の在籍期間6年とリハビリ生活10年間が

 

突然色を与えられたような感覚

 

 

しかった

 

その行為自体賞賛はできるはずもないけれど 思いは複雑だった

ただ悲しかった

 

 

山上被告はとても辛かったんじゃないだろうかとは思った

 

 

 

 

あれは叫びだと私には感じられた

それくらい 中にいると社会生活している人とは隔絶され 外の声は届かないし

中の声もまた外には届かなくなる

 

 

そこには長らく透明な分厚い分厚い壁があって中と外は隔絶されていた

 

 

あの1発の弾がそれを壊した

尊い人命と共に

 

 

その重大さを社会にどこまで理解してもらえているのか 分からない

 

 

 

 

 

その苦しみは 多分本気であの中で一生懸命やった人にしかからないだろうと思う

 

 

 

 

それでもそこから私が逃げ出せたのは

ある程度、状況を俯瞰して見る(ある種冷笑的な)感覚を身につけていたからで

そこに関しては、私は自分漫画アニメ好きのオタクでよかったなと思っている

 

マジで漫画みたいなこと言うやんw」という茶化しが自分の中でできていたこと、

不真面目だったため、外の読み物やテレビは見てはいけないことになっていたが

隠れてコンビニ漫画立ち読みしていたこと、

伝道(いわゆる勧誘)もこっそりトイレに隠れてサボりまくっていたことなど

 

中の人からすると酷い不真面目、規律違反的なことをやっていたために

最後の一歩(あ、ここにいたら私の人生、誰も保証してくれないんじゃないか?)

という感覚に至れた、というところがある

 

 

 

しかし、そんな不真面目な私であっても

逃げ出すことが良いことなのか悪いことなのか、その時点では判別はできていなかった

 

 

神や、いわゆるお父様お母様(教祖)に背くことになるわけなので

正直ここから出てその後どんなことが訪れても覚悟を決めようというような気持ちはあった

 

 

なぜならいわゆる統一教会が言うところの「神のみ旨」を放棄することになるわけなので、

そうなった時に自分に何かよくないことが起きるかも、私だけじゃなく家族も何かよくないことが起きるかも、

という感覚が強く自分支配していて そこに対して否定できる確証はなかったからだ

私が死ななくても 私の代わりに誰かが死ぬかも、と本気で思っていた

 

不真面目な信者であってもこのくらいにはどっぷり浸かっていた

 

 

 

 

それでも私は「本当に神様がいて 神様が私を愛しているとしたら

私のこの選択も祝福してくれるんじゃないか」という気持ちも微かに持っていた

それを信じたい、という気持ちだったと思う

 

そうであったらいいな、という感じで

 

もちろん確証も何もない

 

 

こんなふうになったか

今だからそんなふうに言えているだけで

その時には全く確証がなかった

 

 

 

 

 

ただ今言えるのは「神様がいるとすれば 統一教会にいる人も愛していると思うし

私のことも愛しているんじゃないかと思う」ということだ

 

これは信仰心ではなく

私が少しずつ回復して自分を取り戻す過程でたどり着いた

今の段階での結論というか、

信念的なものではあると思う

確証はないけれど「そうなんじゃないか?」と思っている、というようなことだ

 

「そうでなきゃやってられるか」というような思いでもある

 

 

 

 

 

神がいようがいまいが関係なく日々は続くし

私の場合 立ち止まっていても誰かが

大丈夫?私がなんとかしてあげる 任せて」と

手を引いてくれるような状況は皆無だったか

自分の足で一歩ずつ歩くしかなかった

 

(唯一打ち明けたカウンセラーの人も宗教的な苦しみまでは理解してケアしてくれなかったし 

かといって宗教的ものに再度頼るのはもう懲り懲りだった

被害者コミュニティもあったかもしれないがまたそこから出られなくなるのではと思い、

組織に属するのが怖かった

両親は受け身なので私が動かない限り私の状況は好転するわけがなかった)

 

 

ただ言えるのは、自分で少しずつ歩く過程で人に支えてもらえることはあった、ということだ

理解できないなりに 両親は私の過去を酷くなじることはなかったし、生活支援してくれた

「よく出てきたな それはなかなかできないことだぞ」と肯定はしてくれた

自立支援センターも、電話をかけたものの一人で行くのが怖かったので着いてきてもらった

 

理解してくれていようがしてくれなかろうが 都度都度助けてくれる人はい

 

 

 

カウンセラーの人が言ってくれたことのいくつかは今も自分を支えてくれている

 

(私は自分の中に宗教施設にいたという負い目があったので、とにかく人に疑われるということが怖かった

自分の話をするのが怖く、いつボロを出しておかしなことを話してしまわないかと怖かった

そのせいか言葉がなかなか出てこなかったけど「ペラペラ話す人よりちょっとずつ一言一言話す人の方が信頼感があるよ」と言ってもらえたので 今は辿々しくても少しずつ言葉を並べられるようになった

だいぶ人と話すことが怖くなくなった)

 

 

 

 

神がいようがいまいが 関係なく日々は続いていく、というのはそういう感覚

 

 

 

 

 

 

私がいたのは学生寮のようなところで

信者に向け講義をするような人材を育てることを目的としている寮だった

世話役夫婦が1組

20〜25人くらいの規模で

マンションの3部屋(うち1部屋は夫婦の家)を借りて男女別れて住んでいた

 

みんな割と若かったと思う

20歳後半〜大学生くらいが所属していた

 

私は2世ではない

勧誘されて大学1年生で所属した

 

 

まだ規制が緩かったので大学内でも駅のコンコースでも勧誘を行なっていた

 

声をかけられた時も怪しいなとは思っていたが 半ば分かっていてついていった

最初から開示されていたわけではないが

いわゆるビデオセンターでの履修がひと段落した頃に

統一教会だと開示を受けた上で「寮に入らないか」というような打診を受けたので

なんとなく流れで、面白そうなので入ることにした

あと、みんな、人が良い人たちだった、というのがあった

 

 

でも入教したキッカケには結局、自分の中に将来自分が働いているビジョンが湧かなかったり

将来に対する漠然とした逃げのような気持ちがあったのだと思う

 

社会一般基準で勤めることは難しいんじゃないかという漠然とした不安があった

 

 

この時このような逃げの姿勢でいなければ

こんなに長く苦しむことはなかったなと今になってみれば思う

 

 

 

 

施設での生活としては

朝早くから起きて

原理講論を音読したり、勉強会をしたり、祈りをしたり、敬拝をしたりする

 

 

学生なので献金は求められなかったが

仕送りは全て世話役夫婦に預ける形になっていて自由には使えなかった

お金は全て「聖別」といって、清められ

そういう清められたお金は「神様とお父様お母様のお金」と言い含められる

 

そうして外から買ってきたものも塩と祈りで毎回清めていて、

清められていないものは手をつけてはいけない

 

お金はとにかく厳しく管理されていて好きなものは買えなかった

 

 

大学内ではあまり交遊を持たないように言われていたので

友人と遊びに行く、呑みに行くなどの経験も皆無だ

もちろん遊びにお金を使うことができないので 自由な交遊はできない、と言っていい

 

学校から帰ってきたら即駅のコンコースや他大学伝道という名の勧誘に行く

 

 

長期休暇は県外へ、車中泊をしながら1日中歩いてフキンの訪問販売をする

これも教会からすれば宗教活動の一環のようなもの

当然ながらより多く売れた方が良いわけだが私はいつもほとんど売れなかった

そんなことをしながら公園などで車の中で寝泊まりをする

1ヶ月寮には帰れない 

 

家族には内部のことは言えないことになっていて

帰省も数日しかできなかった

 

 

 

これらを聞いて楽しそう、と思うだろうか?

こういう生活が性に合っている人がいるのは事実

 

けれど楽しいと思うことを排除し、自分否定し、自分の望むもの否定して、

それを全てみ旨に捧げるというのが信仰の道だった

 

苦しければ苦しいほど条件になる、そういう発想なのだ

(そういう発想が多額の献金要求にも繋がったのかもしれない が その要求正当性は無いと思う)

 

 

私が寮内で大きな声で笑っていたら先輩に

あなたが来てから、こんな大きな声で笑ってもいいんだなって 初めて思ったの」と言われた

そういう場所だったのだ

聞いた時はドン引きした

 

 

 

 

それでもやっている時は一生懸命だった

けれど これは本当に人を幸せにするような活動なのか?という疑問がずっとあった

 

(そういった活動などが条件となり積み重ねられ、

その条件が満ちると間接的に人を幸せにする、という考え方なので

目の前の相手を即幸せ気持ちにさせたかどうかはあまり重要ではない)

(どれだけ苦労を重ねるか 自分の欲や怠惰否定できるかの方が

より大きな条件になるという考え方になる)

(親が子を置いて宗教活動邁進することになるのは、そういう仕組みゆえだ)

 

 

 

 

そうして大学からの6年間を

人になかなか言うことができないような生活で費やしてしまたことは

勿体ないことだったと素直に思っている

 

 

勿体なかったと言うと「でもあなたのその過去も今に繋がっているじゃない?」

というような返しを親からされることがあるが

 

 

 

これを言われると いつも胸が詰まり

説明のできないいろんな思いが去来して胸がぐるぐるする

 

 

しなくてもいい苦労というのはある、ということで

誰も「統一教会が許せない」とも「あなたが失ったものを思うと本当に悲しい」とも

言ってくれる人はいなかった

 

私の、誰にも相談できなかった日々、1人苦しんだ日々を

肯定しろ」と暗に言われているような気がするのだ

 

 

私が逃げ出すことによって自分家族も不幸な目に遭って死ぬかもしれない

もしひどい事が起こるなら私に起こしてくださいと

恐怖とプレッシャーに押し潰されながら綱渡りしていた日々を

誰にも相談できなかった日々を

 

 

肯定しないといけないのだろうか?

 

 

 

 

 

 

山上被告統一教会否定してくれたのだ

 

 

 

この状況になるまで誰もそれをすることができなかった

 

 

その事実はとても重いと思う

 

 

 

 

 

 

世間自助自助と言うが

 

 

それは助ける力がない人たちが口を揃えて言う言葉のようにも思える

 

 

 

自助とはそんなに簡単にできることではない

 

 

とても、とても苦しいもの

 

 

  

  

 

山上被告は 自助をする以外になかった

 

それがこの方法だったのだ

 

この方法以外で彼が救われることもなかっただろうと思う

 

 

 

それくらい救いの手が届かない場所なのだ

 

 

 

 

山上被告自分自分を救うしかなかった結果がこれだったのではないだろうかと思う

 

 

 

 

  

 

私が入教して実感したことは、宗教に関わっている人は意外と多い、ということだ

私のいた寮の中にも、親が創価学会だったがそれに反発して統一教会に来た人もいた

(その人は非常に熱心な人だったが その後心身を崩して入院されたりしていた)

 

気になったのは、世話役夫婦奥さんの方はいつも病気がちで寝てばかりだったことだ

いつも辛そうだなと思っていた

断食をしたり敬拝をしたり長時間伝道をしたり 体を酷使することも多かったので

体を悪くしている人も多かった

 

2世の子に会ったこともある

 

 

みんな普通の人たちだ

 

 

ただ 社会では可視化されていなかっただけだ

 

 

 

そこにいる人たちは みんなそれぞれがんばって生きている

 

 

 

 

それを食い物にする、というのがおかしな話で

 

どんな宗教であっても「献金しなければ救われない」というのはおかしいことだと思う

 

 

 

 

 

正直に言えば 宗教法人は本当に好き放題するところは好き放題やっていると思う

人の気持ちは弱いので それで救われるなら払ってしまうわけだけど

 

その人が人生を構築する大切なお金

 

 

なんとかもう少し規制ができてほしい

 

 

 

 

少なくともその行き過ぎた状態が、あのような悲惨事件帰結したのだということを思うと

そこをきちんと、法なりなんなりで整備しないというのは、単純に理解に苦しむ

 

 

 

状況がもう少し良くなってくれることを願う

 

 

 

山上被告がやったことを私は責めることができない

あの事件が無ければ少なくとも私の16年は社会の中では意味を持たず透明なままだったし

こんな話は絶対にできなかっただろうと思う

 

 

 

誰も助けてくれなかったのだ

山上被告も、誰も助けてくれなかったんだろうと思う

 

それを思うと本当に胸が苦しい

 

 

何度も書くが

誰かが助けてくれるはずがないのだ

 

からも気付かれない、社会から気付かれないようになっている

そういう構造になっているのだ

 

 

 

 

本来なら自分のために使われていたであろうはずのお金

楽しい家族旅行、欲しかったおもちゃ勉強するための本、服、車

普通の人が当たり前に経験する友人との時間家族と過ごせた時間

そういうものに付随する思い出全てが

目の前でそのまま宗教団体に手渡されていってしま

 

 

その悔しさ 悲しさ 苦しみを思うと計り知れない

 

 

 

 

私の失った16年  いや、それでは比較にならないほどの苦しみと絶望だと思う

 

 

 

それらは 決して帰ってはこない

 

 

 

 

泡になって 帰ってこない

 

 

 

 

 

 

 

 

私に限って言えば自業自得だったと自分を納得させられる

けれど山上被告に関してはそうではなかったと思う

親が宗教活動にハマるなんていうのは交通事故のようで あまりにも避けようがない

加えてそれを身内がどうにかするなんていうのはほぼ不可能だと言っていい

なんなら母親被害を受けた側、交通事故に遭った側だとも感じられる

 

 

 

内情を知る人の弁護がなさすぎる気がする

法廷ではもしかしたらあるのかもしれないが

 

宗教にどっぷりハマっている身内がいる状況」

宗教にどっぷりハマっているとはどういう状態なのか」

をどれくらいの人がリアル想像できるだろうか

 

 

 

私は最後、逃げ出す前に

世話役夫婦相談をしていた

もしこの人たちがもう少し私に向き合ってくれていたら

私はまだ教会にいたかもしれない

 

けれど最終的な結論として

「ああ この人たちは神に祈りお父様お母様に祈る以上のことはしてくれないんだ」と思った

 

話が一方通行でこれ以上話してもしょうがないと感じられた

 

 

彼らは「神のみ旨」という大義によって動いていて

お父様の言葉、お母様の言葉に終始帰結する

 

それが最終的な答えになるので話ができないのだ

 

「こうこうこういうことで悩んでいる」

と悩みを打ち明けても

「では祈りだ 敬拝だ 献金だ 聖地に行こう」

神のみ旨はこうだ」「お父様お母様はこう言っている」

その堂々巡りになる

 

そこを信じて同じことを繰り返せばいいのだ

それが信仰なのだという教えなので

他の話は通じない

 

 

一切だ 一切通じない

 

 

その虚しさは 本気で話をしようとした人間しかからないだろうと思う

 

皆良い人たちなのだ

信頼もしていた

個人で見れば仲間や世話になった人たちだ 頭が悪いわけでもおかしいわけでもない

 

けれどそうであればあるほど ある一定のところから会話ができなくなることが辛い

 

 

 

逃げた後、私は入教前に元々住んでいたアパートに帰った

入寮時にそこを解約すると家族おかしく思われるのでそのまま残しておく慣わしなの

ただその鍵は世話役夫婦に預ける形になっていて

入教すると元の家には特別なことでもない限り入ることはできなくなる

 

記憶が薄いが、そこに帰れたということは

私はもしかしたらスペアキーを持っていたのかもしれない

 

 

しばらくその部屋には仲間が何度も説得に訪れた

手紙が置いてあったり食べ物がドアの取っ手にかかっていたりした

 

無視をし続けていたところ

ある時、眠っていて目を覚ましたら目の前に女性の仲間(先輩)がいて、私を覗き込んでいた

預けたままになっていた鍵を使って勝手に部屋の中に入ってきていたのだ

心臓が止まりそうなほど驚いたし実際叫んだと思う

 

その人に悪気はなかった

 

けれど、「神のためならそれができる」そういう思考回路になってしまうのだ

「神のために、この人を救わないといけない」

神のみ旨であればこの行いは許される」

そういう思考回路で人の気持ち簡単に踏み躙ってしま

 

 

私は何度も何度も「あなたたちを見ると色んなことを思い出して怖くて震えて辛いので何も送らないでほしい 会いにこないでほしい」と伝えた

 

やがて手紙が来たり食べ物が置いてあるということは無くなった

 

私はその後、1度体を完全に壊したのでそのPermalink |記事への反応(2) | 22:48

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2025-11-19

anond:20251119204303

SNSのせいで愚民がどんどん可視化されてきたか民主主義への信仰心が薄れたんやろなあ…😟

Permalink |記事への反応(0) | 20:48

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2025-11-11

anond:20251111101149

まあ外国人も、信仰心が無い、とかを軽く考えすぎてると俺らに思ってるであろう

Permalink |記事への反応(0) | 10:14

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2025-11-09

anond:20251109225650

信仰心が強い人間はわけがわかることを拒否するんだよなあ

Permalink |記事への反応(1) | 23:10

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2025-10-30

AIAIうっせぇよボケ

流行語「これはAI

なんだその上から

オマエはAI判定師か?

猜疑心と卑屈な精神言語化してるだけって気づいてる?

AI作文だから何だというのだ

AIに反応したら負けだとでも思ってるの?アホなの?

読んで面白いなら面白いと感じれば良い、人が書こうがAIが書こうが自分価値観内面がどう感じたかで良かろうに

AVでやたらと偽生や疑似挿入疑似精子は許さない勢がいるが、てめぇがやるんじゃないんだからなんでもよかろうに

無駄リアリティに拘るバカ、素直にチンコ立ててシコってりゃいいんだよ

 

OK牧場、わかった 

お前らがそこまでエラソーに言うなら勝負しよう

さて、以下の作文はAI生成だ

どのAIを使ってどんなプロンプトで出力させたか当てたらオマエの勝ちを認めてやる

AI使うの無しな

 

行列という穏やかな搾取

ラーメン屋の前にできた行列を見るたびに、

「この国、今日平和だな」と思う。

だって、寒空の下で一時間も並んでラーメンを食べようという人たちが、

こんなにたくさんいるんだから

誰もが「うまいものを食べたい」という欲望正当化するために、

神妙な顔で並んでいる。

その様子はほとんど宗教儀式だ。

違うのは、信仰対象豚骨スープというだけ。

 

行列の中には、

「ここまで並んだんだから、うまくないわけがない」と

心の中で念じている人も多いだろう。

人間というのは、努力我慢をした分だけ、

結果に価値を感じるようにできている。

まり、美味いのはラーメンではなく、自分の忍耐なのだ

汗と寒さを味付けにして、ようやく自己満足というスパイスが完成する。

 

そして店もそれをよくわかっている。

行列ができれば「人気店」の出来上がり。

広告ゼロ更新毎日信頼度は抜群。

まるで人間広告塔。

しかも彼らは無料で、笑顔で、SNSまで投稿してくれる。

ここまでお得な労働力を他に知らない。

これは搾取ではなく、信仰という名のボランティアだ。

 

店の前には「代表待ち禁止」の張り紙がある。

誰か一人が代理で並ぶのはルール違反

信者平等でなければならない。

全員が同じ時間差し出すことで、

その苦行の公平性が保たれている。

この構図、どこかブラック企業の“平等地獄”に似ている。

 

そして、歩道いっぱいに続く行列

冷静に考えれば、あれ、道交法的にはグレーどころかほぼ黒だ。

歩行者の通行を妨げてはいけない――

そんな当たり前のルールも、

行列です」という名の宗教行事には誰も逆らえない。

信仰には警察も寛容だ。

 

アプリ整理券を配ればいいのに、誰も望まない。

不便を楽しむ。

合理を嫌う。

「わざわざ並ぶ」ことが価値になる。

まるで、テクノロジー恩恵をわざと拒んで、

自分時間を供え物のように捧げている。

令和の日本では、苦労の共有が最高の娯楽なのだ

 

そして、SNSで「行ってきました」「並んだけど最高でした」と投稿して、

自分巡礼を報告する。

今日札所ラーメン明日札所パンケーキ

功徳は「いいね」の数で可視化される。

行列という信仰は、やがて文化になる。

そこに疑問を挟む者は、信仰心の薄い異端者だ。

 

でも、こうして批判めかして書いている私だって

気づけば次の“限定メニュー”を検索している。

結局、誰もがこの社会のどこかで行列に並んでいるのだ。

スマホの予約待ちでも、保育園入園でも、流行りのカフェでも。

行列とは、私たち時代が生み出した最も穏やかで美しい搾取

そして、最も居心地のいい服従のかたちなのだ

Permalink |記事への反応(0) | 15:47

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2025-10-28

anond:20251028034546

信仰心じゃなくて、眺めた時間無駄からキレんだよ。

原作あると期待値上がりがちだから

Permalink |記事への反応(0) | 04:14

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なんでアニメ原作至上主義者が多いかというと

人間には自分快楽をもたらすものに対して信仰心を抱いてしま思考のクセがあって(海外にはベーコン大麻信仰する宗教があるくらいだ)、アニメ化というのは彼らにとって一大宗教イベントから

彼らにとってそれはもはや、神を現世に顕現させる儀式に等しい

そこには、自身信仰心を存分に満足させたいのは勿論、皆の前に神を顕現させることで、その偉大さを皆に知らしめたいという信者としての欲がある

から、そうして顕現した神が教義と異なる姿をしていると、顕現は失敗と見做され、儀式を執り行ったものは弾劾される

Permalink |記事への反応(3) | 03:45

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2025-10-24

anond:20251024161421

ガンジーのその言葉はよくないよね。暴力振るうくらいなら振るわれろ、殺されるくらいなら自決してアピールしろって理屈なんだけど、迫害受けてる人に言う言葉じゃないよね。まあ時代性もあるし、ガンジーって著作読んだら分かるけど信仰心が強すぎる狂信者みたいなところあるからね。常人には理解し難いよ。

賀川豊彦普通に偏見持ってる人だけど(自伝小説とか読んだら分かる)、時代性を考えたら仕方ないよ。

Permalink |記事への反応(0) | 16:30

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2025-10-22

anond:20251022162552

お気持ちは何より重要

実質の困難もお気持ちさえあれば乗り越えられる

物価高も低賃金も不十分な福祉も、高市先生への信仰心さえあれば乗り越えられるのだよ

Permalink |記事への反応(1) | 16:28

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2025-10-08

anond:20251008222758

極論だけどこれが正しくて、不安とか思ってる時点で信用取引信仰への信仰心が足りてない訳よ

信じる者は救われる、ってのは頓智じゃない。本当に考え方から改めろって話

Permalink |記事への反応(1) | 22:31

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