
はてなキーワード:便所飯とは
ファミレスで勉強がどうのって話になると、毎回考えては忘れていること。良い悪いとかじゃないけど思うこと。
田舎に住んでいるとファミレスやスタバで勉強する人が存在するのが不思議に思えるけど、
ひしめく都会で自分の場所を確保するのは大変なんだろうなと想像させられる。
でもみんな自分で「ファミレスで勉強しよう」と思ってやっているのだろうか?
アニメやマンガなど文化的な影響で、「ファミレスは勉強してもいいんだ」となっているんじゃないのか。
自分一人で「ファミレスで勉強するか」と発明した人はほぼゼロで、みんなやっているから自分もやっている人が多いのでは?
他にも例えば「便所飯」があるけど、あれは食事の場所を流浪して最後に行き着く場所だとわかるから納得できる。
でもドン引きはされる。
ファミレス勉強を発明した人もドン引きされたんじゃないだろうか。
自分が場所に困ったことが無いからかもしれないけど、他の場所でやればいいのにと思うものは、
https://anond.hatelabo.jp/20250228171018
それをやろうとして人生の前半を棒に振ったのでおすすめしない。
辛い時だけ自分を自分でなくして、必要な時だけ自分を呼び戻せればと思い高校時代にあれこれ画策したことがあったが、最終的に元の自分がわからなくなり、日常生活に齟齬が生じるようになってしまった。
きっかけは価値観が違いすぎて理解できない母親のことを、自分の人格を一時的に捨てることで理解できるかもしれないと思って始めたことだった。母は不満を罵声と暴力で解決し、そのことに私の共感や理解を求めるタイプだったが、私がたしなめると怒りの矛先を私に向けて罵声と暴力を浴びせてきた。これが辛すぎて、当時高校生の私は自身が計画的に上手くやれば回避できると思ったのだ。
自分と相容れない価値観について、口先だけでない心の底からの共感を示すために、まずは自身を真っ白にしなければならなかった。色々考えた結果、痛みを感じる一瞬はわずかに記憶や感情が飛ぶことに思い至り、母が理解不能な事を言い始めたときは手の甲を何度もきつくつねって、自身の困惑や不快感を飛ばすことから始めた。最初はうまくいかなかったが、私は習慣の力を強く信じていたので半年以上間毎日それを続け、うまく伝わるかわからないが、不快感を覚える瞬間にそれを飛ばして不快と感じた事実を薄れさせていった。何と最終的にはつねらなくても母の言動にあまり抵抗がなくなっていた。この段階までくると、あとは日常の母の言動をインストールするのみで、これは下地が真っ白になってしまうと案外簡単だった。
以前はできなかったことをできるようになった。母が他人に対して「〇〇死ねばいいのに」と平気で口にすることに対し、以前はそういう事言うのやめなよ、と窘めていたのが「わかる!生きてる価値ないよね」と秒で即答できるようになり、その理由すら詳らかに母に自ら話せるようになった。両親が夫婦喧嘩をしている時に私が皿を割ったりなどの悪いことをして両親の怒りをこちらに向け、喧嘩を止めることができるようになった。以前の自分では喧嘩を止めるために悪行に走るなど考えられないことだった。
母は私の変化に大層喜び、〇〇(私)しか理解者がいない、〇〇なら何でも話せる、わかってくれる、大人になったのねと大変満足したようだった。母は完璧な理解者を得て、毎日何時間も私を捕まえて話をした。受験勉強の時間が大幅に減ったが、そのことにも何ら抵抗がなくなり何時間でも無抵抗で話を聞いてあげられた。私はぼんやりした頭の片隅で、自身がこれを始めた動機が家庭平和であり、そのために必要なことだと理解していた。母のストレスがなくなったせいか、両親の喧嘩の頻度は激減し、表面的には私が渇望していた、極めて平和な家庭が訪れた。私の取り組みは一応の成果をあげたのだ。もはやそのことすらわからなくなりかけていたが、当時の支離滅裂な日記には「大成功」の文字がある。
私のこうした活動は家庭平和には寄与したものの、徐々に高校生活に支障をきたし始め、以前の人格ある(?)自分との齟齬が生じるようになった。まったく記憶にないのだが、私は中学の頃美術部だったのに、なぜか同級生に吹奏楽部だったと言い始めたらしい。他にも食べられなかったミニトマトが食べられるようになったり、嫌いだった先生をある日突然好きと言い始めたりしていたようで、周囲からは嘘つきとかかまちょと言われて完全に孤立し、便所飯をする生活になった。
自身が完全におかしくなっている自覚はあり、人と話してはいけないと思った。受験勉強をできず結局浪人したが、最初は宅浪を希望した。親は予備校を勧めたが人と会う生活は駄目だと思い、必要最低限の会話で済む東進の衛星予備校を選んだ。大学入学後に、双極性障害と対人恐怖症を発症し、留年をした。母親から手のひらを返したように産まなきゃよかった、一族の恥と罵倒されるのだが、それはまた別の話である。
なぜこんなことをしなければならなかったのか、ただ表面上気に入らない太客に合わせる営業マンのように上辺だけ話を合わせるのでは駄目だったのか。父は営業職であり、母に対してそのように接していたが、残念ながら全くうまくいっていなかった。合わせているだけというのは伝わるものである。そのため父は私によく「大人になって、お母さんに全部合わせるんだよ」と口癖のように言っていた。幼少期からずっとそうしてきたものの、母が求めているのは心からの共感であり、上辺だけ合わせているとすぐに察知してこちらを大声で非難してくるため、完全な共感でなければ駄目なことはわかっていた。普通にしていてはダメで、何か劇的な上手い方法を思いつかなければ解決しないと思った。私の対処法はある程度うまくいったものの、元の自分がわからなくなり、自身が狂人になってしまった。
大学時代に出会った恩師やカウンセラーの先生のおかげで、何とか自分を取り戻し、今は常人のふりをしてメーカーの研究職として働いている。病気も寛解した。でも以前ほど頭が働かないし、一番の趣味であった読書ができなくなった。集中できなくなったのもあるが、読んでいると自分が何処かに行ってしまう感覚が、まだほんの僅かだがある。
高校生だった当時、デスノートが流行っていた。夜神月が自身の記憶すらコントロールし、記憶のある自分、ない自分という2つの自分を計画に入れた頭脳戦に中二的憧れを抱いていたこともあり、うまいことやれば似たようなことができるのではと思っていたのだが自惚れだったようだ。自身の連続性を失い、自分が何者かわからなくなり、貴重な若い時間を失ってしまった。もう二度とあんなことはしたくないし、決しておすすめできない。
オタクだらけの班入れられて「こいつらと食うぐらいなら便所飯したほうがマシだから」って昼休みの弁当障害者用トイレで食べてた
使う人居ないのは知ってた
班決めのときもヤンキーに忖度した担任が俺にオタクを押し付けたよね
人数が足りなくなるのに押し通されたよね
例外処理を許したよね
優しいからよく許したね
こんなやつらと飯食うなら便所のほうがマシだよね
便所で隠し持ってたスマホでTwitterやりつつ飯食ってたほうが楽しいよね
今思えば先駆者だよね
いやヤンキーは持ってきてたけどね
自分が優しいからよく押し付けられるし、自分の不正だけ正されるんだよね
中2の頃は年間100回遅刻してたよね
登校中ずっと葛藤してたよね、行くべきかどうか
もし便所飯したり引きこもったりしてる中学生の子がいて、しかもその理由に自分がかつてそうであったかのように妥当性があったら何て声をかけるかな