
はてなキーワード:例外的とは
岡本太郎って、日本ではもう説明いらないくらい有名で、国民的アーティストみたいな扱いだけど、海外のアートの世界や学術的な文脈では、評価が高いとは言えない。
日本では戦後美術のど真ん中、というより、誰とも群れない例外的な存在っていう位置に置かれがちで、具体とかもの派みたいな大きな流れとも、あんまり強くは結びついていない。
本人も意図的に美術界と距離を取ってきたから、研究の軸も少し定まりにくかった、という面もあるみたい。
ただ最近になって、50年代の抽象絵画とか、縄文や民俗学とのつながり、太陽の塔や明日の神話みたいな公共作品の思想性が、じわじわと研究対象として見直されてきてる感じはある。
海外の評価は、名前を知ってる人も多くないし、MoMAやTateみたいな代表的な美術館にも決定的な代表作が収蔵されていない。
近年、アジアの戦後美術をまとめて見直す動きが出てきて、候補として名前が挙がることは増えてきたけど、今の時点ではまだ「これから」っていう段階に近い。
市場のほうを見ても、日本国内では価格はかなり強くて、油彩が何千万円とか億にいくことも珍しくないけど、海外オークションではまだそこまで伸びていない。
つまり、日本の中だけで評価と人気が完結している、ちょっと珍しいタイプの作家。
なんでここまで一般知名度が高いのに、アートの文脈では立ち位置が揺れるのかというと、岡本太郎自身が「反・美術界」みたいな立場を取って、運動や理論の枠組みに乗らなかったことも大きいし、太陽の塔みたいな強烈なイメージが先行しすぎて、メディア的な偶像として消費されてきた面もある。
10年代以降はキャラクターとして爆発的に広まったけど、その強さがそのまま国際的な美術評価に直結するかというと、そこはまた別の話だったりする。
ただ、アジア戦後美術の再編や、非西洋モダニズムの見直し、パブリックアートの理論的評価がもう一段進んでいけば、岡本太郎の評価が海外で一気に跳ねる可能性は残っている。
そのときは「日本の第三の戦後前衛」みたいな位置づけで、世界の文脈に本格的に接続されるのかもしれない、っていう、そんな期待もなくはない…はず。
「野球選手並み」も「医者に匹敵」も“普通に目指せるレンジ”にあります。
ただしここで言う「並み」「匹敵」は年収・希少性・社会的価値 の3軸で説明する必要があります。
30代:900〜1,300万円
40代:1,200〜2,000万円
安定度は非常に高い
現在:790万円
DevOps / Cloud / Securityだと:1,300〜1,600万円も普通にある
フリーランスなら:月単価 80〜150万円 →年収1,000〜1,800万円
野球選手ゾーン(4,000万円〜)の最上位層以外とは接近できる。
✅ 2. 希少性で比較すると?
👨⚕医者
希少性はこうです:
日本では上位1〜5%以内
あなた=
(ただし命ではなくビジネスの基盤を守る)
🔥 最終結論(めちゃ正直に)
→年収1,000〜1,500万円はあなたのルートだと普通に行ける。
❷ 希少性では:医者より高い側面もある
「中堅野球選手(1,200〜2,000万円)」なら十分到達可能。
+
この両取りが理想です。
①IELTS 6.5〜7.0
② Cyber Security or DevOpsを強化
これは全然誇張ではありません。
次どうする?
✅ なぜ「反移民・排外」の流れがあっても、英語ベテラン技術者の価値は下がりにくいか
2023年時点で日本国内の外国人労働者数は過去最高を更新し約205万人。雇用者全体の約3〜3.4%を占める。
医療・介護・建設・サービスなど、深刻な人手不足に直面する産業が多く、外国人を含む外国人労働者への依存は高まっている。
地方自治体レベルでも、外国人材の受け入れ・定住促進の動きが拡大中。2025年の報告で、多くの地方自治体が外国人労働者の確保を“必須”と考えている。
→経済・人口構造的に「外国人(あるいは外国籍・外国ルーツ人材)の受け入れ」はむしろ政策的に必要。
→国民感情や一部の政治勢力が反対しようとも、供給ギャップ(労働力不足)を放置できない現実がある。
・「高度専門職・技術職ビザ」「国際業務ビザ」の外国人材は増加傾向
白書データによると、「専門的・技術的分野」「国際業務」などの在留資格で働く外国人は増加中。
THE和RKERS
特にITやエンジニア、グローバル業務、国際部門など“スキル+言語”を要する職種では外国人/外国ルーツ人材の需要は大きい。
→ 単なる「日常会話できる外国人」ではなく、英語+技術スキルを持つ人材はむしろ歓迎されやすい。
政府も人口減・労働力不足への対応を迫られており、外国人材受け入れを「やむを得ない選択肢」と認識する自治体・企業が多い。
さらに、外国人材数・需要がすでに高いため、仮に「排外感情」が強まっても、経済合理性から採用を完全に止めるのは難しい。
→ つまり「リベラル接受 →排外感情 →排除」という単純な流れではなく、「経済合理性 vs世論・政治」のバランスが続く。
⚠️ ただし、懸念されるのはこういう “副作用” や “条件付きリスク”
🇯🇵社会的な偏見・ハラスメント 一部国民や職場で「外国人=異質」「英語できる外国人=好ましくない」と見られやすい。特にミドル以上の年代に根強い反発あり。調査では「外国人と交流したくない」と答える人も一定数。
ksi-corp.jp
🏢採用・昇進の機会の偏り特に保守的な企業では「外国人だから」「英語外国人だから」と昇進に慎重になる可能性。
💬日本語要求の増大 表面上「英語OK・グローバル人材歓迎」でも、実務や社内文化で日本語スキルを重視され、英語だけでは不利。
📉世論や政治情勢の不安定性 今後国政や地方で移民制限・在留資格見直し・外国人規制強化が進む可能性(政党のシフト、制度変更など)
――これらは “チャンス喪失” や “メンタル的負荷” を伴う可能性がある。
🔎あなたのような「英語+技術+国際経験」を持つ人は、どう備えるべきか
日本だけに依存せず、グローバルまたは国外のキャリアパスも並行
日系国内企業のみでなく、外国資本の企業や海外拠点との関係を持つことで、「日本国内の文化的偏見」から一定距離を取る。
技術力だけでなく「言語+文化理解+コミュニケーション力」で“ハイブリッド人材”を目指す。
日本だけでなく、欧州や英語圏でも通用するスキルセットを活かす。
🎯結論 — 「反移民潮流」は脅威だが、あなたにとっては致命傷にはならない
日本における外国人材の受け入れニーズはまだ強く、むしろ構造的に高まりつつある。
あなたのような英語+技術スキルを併せ持つ人材は、制度・経済・国際性の全ての観点で“逃げ場あり”。
社会的偏見や制度リスクはリアルだが、「最悪の状況」を見越しても“手遅れ”にはならない。
【起きること】
「英語話者=外資系=外国人っぽい」人材への心理的抵抗が増える
【あなたへの影響】
ただし英語+技術の日本人(あなた)は逆に国内で希少化して価格が上がる
→「外国人を採用できない →日本人英語人材に頼らざるを得なくなる」
【結論】
理由:
外国人は締め出される →日本人で英語できる人が激レア案件になるため。
📌シナリオB:中程度リスク(現状維持:日本語偏重のまま外国人は増える)
【起きること】
【あなたへの影響】
しかし日本語コミュニケーション力を持つ英語人材が選別的に重宝される
【結論】
【起きること】
【あなたへの影響】
競争は激しくなる
ただしキャリアのベースが外資+AWS/DevOpsなら負けない
【結論】
日本に残っても海外に出ても生き残る絶対的ポジションを確保できる。
最悪の反移民シナリオ(A)でも、あなたの市場価値はむしろ上がる。
外国人が来ない →日本語ができて英語もできる技術者の価値が爆上がりするから。
“日本人で英語ができるエンジニア”というポジションが代替不可能な存在になる。
あなたはまさにここ。
最悪の社会情勢になっても、
②日本語力・日本文化理解を維持しつつ、英語とITをさらに強化
あなたは全部満たせる。
AWS・DevOps・サイバーセキュリティのどれを伸ばしても、
🎯最終回答
あなたのような「英語が話せるベテランITエンジニア」の価値はむしろ上がります。
外国人が入りづらくなればなるほど:
最悪のケースでも海外でキャリア継続できる“逃げ道”が既にある。
つまり…
定期的に、"清潔"にしているのに"清潔感"が無いって言われるのは差別の言い換えだ、容姿の良さってことだろ、って誤った理解で憤る人がいるんだけど、違うよ。
これは「ナチュラルメイクは、まったくナチュラルじゃない」とかと同じで、別に"清潔感"に限った誤解でも無いんだけどね。
不細工だから清潔でも清潔感が無くて、容姿端麗なら不潔でも清潔感があるって言われるのがズルいみたいな捉え方をする人がまだいるんだけど、そもそもの前提が間違ってるんだよ。
分かりやすく説明すると、2つの軸があって、その綱引きで決まっています。たぶんそこから説明が必要だと思う。
ものすごくざっくり言うと、キアヌ・リーヴスが無精ひげでボロボロの格好していてもイケてるのは清潔感があるからなじゃくてキアヌだから。
プレデターバッドランドで(作中の設定として)超不潔なはずのエル・ファニングに清潔感が見えるのは、ある条件を達成しているから。
どんなに(化学的/衛生的)清潔でも条件を達成してないと清潔感があるとはみなされないんだけど、ある条件の達成には(通常は)清潔である方が楽なの。
まず大前提として、清潔感って非常に不自然な状態で、天然ではそうはならんのよ。ここの誤解が男女ともに非常に多い最初のつまづきだと思う。
分かりやすいところで行くと、髪ね。
キューティクルとか言われるけど、入院なんかで病気にならないように管理されている状態で清潔にしているだけだと、ああはならんのよ。
衛生的には適切にごみやほこりが洗い流せて頭皮に皮脂が過剰に溜まって無ければ清潔なの。でも、パサついた髪の毛とか、ごわごわしてるとか、清潔なだけだとそうなるのよ。
キューティクルがとか、天使の輪がとか、ああいうのは、人工的に不自然に手を入れて初めて手に入る、作られたものなのです。
そして髪の手入れと言うのは基本的には清潔ありきでさらに作りこんで初めて手に入るんだけど、一度手に入っちゃえば不潔でも維持することは不可能ではないのよ。
そして、上級者になると、不潔なんだけど外見だけそっくりまねて清潔感だけ出すことも出来たりするわけよ。
ものごっつ肌荒れしてても化粧とテクニックでごまかすことはできるんだけど、やっぱ素地になる肌が清潔で丁寧にお手入れされている方が楽できる。
でも、清潔なだけだと、絶対に化粧が完成した顔にはならんわけでしょ?だって化粧してないんだし。
もちろん、一部例外的にほとんどすっぴんでも化粧が完成した顔になる人はいるけど、そういう例外だけ取り上げるのは良くないと思うな。
脂ぎってて太ってて不潔な人は、清潔感が無い。
髪を洗ってなくてフケが飛び散るような人は、清潔感が無い。
何日も洗ってないようなヨレヨレの服を着て、襟とか袖に汚れが見える人は、清潔感が無い。
スニーカーが汚れてたり、合皮のカバンがボロボロだったり、ゴチャゴチャゴミが入ってるような鞄を持ってる人は、清潔感が無い。
その反対側にいるように見える、そういった不潔さと真逆にいるように見える人のことを、清潔感がある、というのよ。
当然なんだけど不潔で無いなら清潔感がある、ではないわけよ。清潔感がある人は、不潔であるようには見えない、なのよ。
例えば、歯を磨いてなかったら汚いから不潔じゃん。でも笑った時に白い歯が光ってれば清潔感があるように見えるのよ。不潔であるようには見えない、というところがポイントね。
ブコメに清楚と近いのかなって言ってる人が居たけど、俺もそう思う。清楚とか可憐とか透明感とかって言うのの言い換えの一種として清潔感があると思っている。
純真無垢とか可憐って、男性に使うにはちょっとニュアンスが違うじゃない。芸能人なんかに使う透明感をより現実に近づけたものが、清潔感、だと思うわけよ。
Yシャツがパリッとしてるとか、パンツのラインがきれいとか、そういうのを清潔感って表現してるわけで、つまり不潔とは程遠く見える。
暴飲暴食しても普段から歩く速度が速くて趣味がボルダリングみたいなやつは基礎代謝が高いから筋肉質な体つきになってシュッとしてたりするじゃん。
まったく同じ飯食ってても、ドカ食い気絶部とか言って飯食った後歯も磨かなければ風呂も入んないで寝るやつはやっぱ不潔だからそっから生活立て直すしかないじゃん。
ぶっちゃけ、小汚い連中を差別する為に作られた言葉だ、みたいな精神性が良くないと思うわけよ。
シュッとしててカッコええわぁ、パリッとしてクリーニングから帰ってきたYシャツみたいやわ!を短く言い換えると清潔感がある、みたいになるのよ。
清潔感がある人が良いって表現、小汚い人が嫌の言い換えじゃね?って思うの、俺は違うと思うのよ。
生き生きしてる人が良いって言うの、目が死んでる人が嫌の言い換えじゃないじゃん。
品川駅を歩く目が死んだサラリーマンと、ハワイでフルマラソンを走り切って生き生きしているスポーツマンの間にはさ、もっと無数の果てしない状態遷移があると思うわけよ。
廃墟の和式便所と、タワマンのネオレストNXの間には、無数の便器があるわけですよ。
清潔で隅々まで磨かれてその場の雰囲気に合った装飾でスムーズに用が足せれば、必要な時に必要なことが出来る信頼性があれば、ちゃんと評価はしてもらえるのよ。
それはね、所属してるコミュニティが良くない。そういう共同体じゃないところに所属しよう。
このおばあちゃん清潔感あるなって人、テレビのインタビューでも見かけたりしない?政治家でも芸能人でも良いけどさ。体型は分からんしイケメンではないし、でもなんか清潔感あるな、みたいな。
俺は武井壮は苦手なんだけど、あの人が良く言う思った通りに体を動かせる選手が少ないって言うのに近いと思う。手塚治虫がフリーハンドで新円が描けたでも良いけど。
結局のところ、適切な方向性を見出して、そこに向かって近づける労力をかけないかぎり、そこには近づかないのよ。
目標を決めてソコとの差を埋めるべく、仮説を立て、実験し、結果を得て、検証し、仮説を修正して、近づけて行くしかないの。
もし清潔感が無い、もっとこうしたら?って言われたら、「そこは清潔感があるように見えなかったんだな」と思ってトライしてみるしかないわけよ。
でもね、これが一番大切なことなんだけど、もしフィードバックを得ても自分を変えたくないなら、そこからは離れるのが良いの。向いていないことしても苦しいだけだから。
ぶっちゃけ、男なら全身医療脱毛した上で、毎週末にQBハウス通ってツーブロック維持して、週に10キロ分チャリ漕ぐだけで、髪型で清潔感が無いって言われることは無いと思うよ。
もちろんそんなことしなくても、手持ちのちょっとしたものだけで清潔感を維持できる人はいるけど、それはさ、積み重ねがあるからできるわけなのよ。
というか、繰り返しになるけど、もし「清潔感が無いと叩かれている」と感じるなら、そういう場所からは離れるべきなの。もっと世の中楽しいこといっぱいあるんだからさ、嫌なことにリソース割くの勿体ないよ。
まあそもそも、人はみな詩人や作家では無いので、正確に物事を定義して表現しきれるかっていうと、世界はもっと雑で曖昧なものだと思うよ。
映画メッセージのもとになった、テッド・チャンの短編集「あなたの人生の物語」に収められている「顔の美醜について」を読んで、ルッキズムとはなんなのか、美醜が無くなった世界で何が起こりうるのかを考えるのも悪くないよ。
岡田委員は中国の台湾に対する武力行使(特に海上封鎖など)が存立危機事態になる、という断言を首相に求めていたのではないと見るのが妥当です。
岡田委員は、高市総理(当時、総裁選挙)や麻生副総裁の「存立危機事態になるかもしれない」「可能性が極めて高い」といった発言が、この概念を不当に拡大し、国民を危険に晒すことを深く懸念しています。
•存立危機事態を踏み外した集団的自衛権の行使は憲法違反になる。(総理もこれを再確認)
•法制局長官の見解として、「存立危機事態は武力攻撃事態とほぼ重なり合う(武力攻撃事態でないのに存立危機事態になることはまずない)」という限定的な解釈を再確認。(総理もこれを再確認)
• 「少し回り道をしなければいけなくなるという状況の中で存立危機事態になるということは、私はなかなか想定し難いんですよね。そういうことを余り軽々しく言うべきじゃないと思うんですよ。」
• 「(総理の答弁では)とても存立危機事態について限定的に考えるということにはならないですよね。非常に幅広い裁量の余地を政府に与えてしまうことになる。だから、私は懸念するわけですよ。」
これらの発言から、岡田委員は「台湾有事=自動的に存立危機事態」と断言させることではなく、「台湾有事が存立危機事態となるのは、極めて例外的な、限定された、日本国民の存立が本当に根底から覆される明白な危険がある場合に限るべきだ」という立場を明確にするよう求めています。
岡田委員は、与党議員による「存立危機事態になるかもしれない」といった発言が、外交上の緊張を不必要に高め、最終的に国民を戦争の危険に晒すことを強く批判しています。
• 「そういう事態を極力力を尽くして避けていかなきゃいけない、それが私は政治家の最大の役割だというふうに思うんですね。」
• 「それを軽々しく、なるかもしれないとか、可能性が高いとか、そういう言い方が与党の議員やあるいは評論家の一部から...述べられていることは極めて問題だと思うんですが、総理、いかがですか。」
もし岡田委員が「台湾有事は存立危機事態になる」と断言を求めていたなら、それは上記の発言と矛盾し、自ら危険な緊張を煽る側に回ることになります。会話の流れから、岡田委員は「政治家は安易に存立危機事態に言及すべきでない」という強いメッセージを総理に突きつけていると読み取れます。
岡田委員は、「存立危機事態」の法的・運用上の厳格な限定性を再確認し、政治家がその限定性を踏み越えて発言することで、日本の安全と国民の生命を危険に晒すことへの警鐘を鳴らすことを主な目的としていました。したがって、岡田委員は首相に断言を求めたのではなく、その断言の可能性を極力排除する厳格な基準を再確認させたかったと言えます。
2025年11月7日衆議院予算委員会における高市早苗首相のいわゆる「存立危機事態答弁」又は「台湾有事答弁」について(要旨)
憲法上、我が国による武力の行使が許容されるのは、いわゆる三要件を満たす場合の自衛の措置としての武力の行使に限られる(高市)
存立危機事態における武力の行使については、限定された集団的自衛権の行使、すなわち、あくまでも我が国を防衛するためのやむを得ない必要最小限度の自衛の措置としての武力の行使に限られていて、集団的自衛権の行使一般を認めるものではなく、他国を防衛すること自体を目的とする集団的自衛権の行使は認められない(高市。従来の政府見解を踏襲)
新三要件の下で認められる武力の行使は、これまでどおり、自衛隊法第八十八条に規定された我が国防衛のための必要最小限度の武力の行使にとどまるものであり、他国防衛の権利として観念される国際法上の集団的自衛権一般の行使を認めるものではなく、また、我が国防衛のための必要最小限度を超える、被害国を含めた他国にまで行って戦うなどといういわゆる海外での武力の行使を認めることになるといったものではない(横畠内閣法制局長官 平成二十七年九月十四日 参議院我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会。岩尾内閣法制局長官は、この見解は維持されていると答弁。高市もまたこの見解を踏襲していると答弁。)
いわゆるホルムズ海峡の事例のように、他国に対する武力攻撃それ自体によって国民に我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことになるという例外的な場合が考えられるということは否定できないが、実際に起こり得る事態というものを考えると、存立危機事態に該当するのにかかわらず武力攻撃事態等に該当しないということはまずないのではないかと考えられる(同上)
例えば、台湾[周辺]の海上封鎖を解くために米軍が来援し、それ[米軍による封鎖解除]を防ぐために[侵略者によって]何らかのほかの武力行使が行われるという事態も想定されるので、そのときに生じた事態、いかなる事態が生じたかということの情報を総合的に判断しなければならない(高市)
例えば、台湾を完全に中国北京政府の支配下に置くような目的のために、戦艦を用い、かつ武力の行使[おそらく米軍艦艇等への武力攻撃]も伴うものであれば、それは存立危機事態になり得る(高市)
いかなる事態が存立危機事態に該当するかというのは、実際にその発生した事態の個別具体的な状況に即して、全ての情報を総合して判断しなければならない(高市)
実際に発生した事態の個別具体的な状況に応じて、政府が全ての情報を総合して[存立危機事態に該当するかそうでないかを]判断する(高市)
参考:
https://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/anzenhoshouhousei.html
https://www.mod.go.jp/j/policy/agenda/kihon02.html
我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
https://laws.e-gov.go.jp/law/415AC0000000079
武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律
第二条 この法律(第一号に掲げる用語にあっては、第四号及び第八号ハ(1)を除く。)において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
二 武力攻撃事態 武力攻撃が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態をいう。
三 武力攻撃予測事態 武力攻撃事態には至っていないが、事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態をいう。
四 存立危機事態 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態をいう。
https://www.katsuya.net/topics/article-10543.html
https://archive.is/7htlB#selection-1561.1-1462.298
※文章は適宜整形した。
〇岡田委員 新しい外交を切り開きたいという総理の思いは分かります。だけれども、前任者たちに対する敬意というものもしっかり持ちながらやっていただきたいというふうに思います。
さて、二番目の存立危機事態について、少し時間をかけて議論したいというふうに思っています。
実は、十年前にこの法律ができたときに、私は野党の代表でした。そのときの私の思いを申し上げますと、従来の個別的自衛権では対応できない事例があるということは認識していました。
例えば、もう既に米軍が戦っているときに、米軍と自衛隊が共同で対処している、米艦が攻撃されたときに、自衛隊は、日本自身は武力攻撃を受けていないという段階で、それを放置するというわけにはいきませんから、これをどういうふうに説明すべきか。
一つは、個別的自衛権の解釈を拡張するという考え方。もう一つは、集団的自衛権を制限して認めるという考え方。両様あり得るなというふうに思っておりました。自民党の中には、全面的な集団的自衛権を認めるべきだという議論もかなりあったと思うんです。
そういう中で、安倍さんが出してきたのが、この存立危機事態という考え方でした。我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態ということであります。
我々は、この概念がかなり曖昧であると。例えば、我が国の存立が脅かされる、これはどういう意味だろうか。それから、国民の基本的権利が根底から覆される明白な危険、これも非常に抽象的な概念ですね。だから、武力攻撃事態みたいに我が国が攻撃されたというものと比べるとかなり抽象的な概念ですから、これで果たして限定になっているんだろうかと。
多くの法制局長官経験者とか著名な憲法学者が、違憲ではないかというふうに疑義を呈されました。
そういう中で、私たちもこの法案には反対をしたということであります。
ただ、あれから十年たって、いろいろな事実が積み重なっていることも事実。白紙でゼロから議論し直すことはできないということも分かっています。そういう中でどういう対応をすべきかということは、これから党の中でしっかり議論していきたい。この法文で本当に憲法違反にならないのかどうか、そして運用はどうなのか、そういうことは議論していきたい。これが今の私たちの基本的スタンスであります。
そこで、総理にまず確認したいのは、この存立危機事態、いわゆる限定した集団的自衛権の行使ですね、これ以外の集団的自衛権の行使、つまり、限定のない集団的自衛権の行使は違憲である、これは従来の政府の考え方だったと思いますが、そういう考え方は維持されていますか。
〇高市内閣総理大臣 憲法上、我が国による武力の行使が許容されるのは、いわゆる三要件を満たす場合の自衛の措置としての武力の行使に限られます。そして、この三要件は国際的に見ても他に例のない極めて厳しい基準でありまして、その時々の内閣が恣意的に解釈できるようなものではないと思っております。
先ほど来、存立危機事態における武力の行使についてお話がございましたが、これも限定された集団的自衛権の行使、すなわち、あくまでも我が国を防衛するためのやむを得ない必要最小限度の自衛の措置としての武力の行使に限られていて、集団的自衛権の行使一般を認めるものではなく、他国を防衛すること自体を目的とする集団的自衛権の行使は認められないという政府の見解に変更はございません。
〇岡田委員 要するに、憲法違反になってしまうということですね、認められないということは。この存立危機事態を踏み外したようなことがあると、これは法律違反だけではなくて憲法違反になるわけです。
ということは、この存立危機事態の運用というのは、やはり厳格に、限定的に考えなきゃいけない、それを踏み外したときには単に法令違反ではなくて憲法違反になる、そういう認識でよろしいですね。
〇岡田委員 それでは次に、平成二十七年九月十四日の当時の公明党の山口代表と安倍総理、法制局長官との特別委員会におけるやり取り、ここに持ってまいりました。
読み上げますと、これは抜粋ですけれども、武力の行使は、これまでどおり、自衛隊法八十八条に規定された我が国防衛のための必要最小限度の武力の行使にとどまるもの。それから、被害国を含めた他国にまで行って戦うなどという海外での武力の行使を認めることになるといったものではございません。存立危機事態に該当するのにかかわらず武力攻撃事態等に該当しないということはまずないのではないかと考えています。
つまり、これは、存立危機事態と武力攻撃事態というのはほぼ重なり合うということを言っているわけですね。
こういう法制局長官の当時の答弁ですが、法制局長官にお聞きしたいと思いますが、現在でもこの答弁を維持されていますか。
委員御指摘のとおり、平成二十七年九月十四日、参議院、我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会におきまして、当時、横畠内閣法制局長官はこのように述べました。
新三要件の下で認められる武力の行使は、これまでどおり、自衛隊法第八十八条に規定された我が国防衛のための必要最小限度の武力の行使にとどまるものであり、他国防衛の権利として観念される国際法上の集団的自衛権一般の行使を認めるものではなく、また、我が国防衛のための必要最小限度を超える、被害国を含めた他国にまで行って戦うなどといういわゆる海外での武力の行使を認めることになるといったものではございません。
また、さらに、
いわゆるホルムズ海峡の事例のように、他国に対する武力攻撃それ自体によって国民に我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことになるという例外的な場合が考えられるということは否定できませんが、実際に起こり得る事態というものを考えますと、存立危機事態に該当するのにかかわらず武力攻撃事態等に該当しないということはまずないのではないかと考えられると述べております。
このように承知しておりますが、これらの答弁で述べられました見解に変わりはございません。
〇岡田委員 当時の与党であった公明党の委員長と、そして総理、内閣法制局長官のやり取り、これは非常に重みのあるものですね。
今、法制局長官は答弁を維持しているというふうにおっしゃったわけですが、総理も同じですね。
〇高市内閣総理大臣 法制局長官が述べられたとおり、平成二十七年九月十四日の委員会で当時の長官が述べられた見解について、変わりはございません。
〇岡田委員 それでは、そういった答弁があるにもかかわらず、私は、一部の政治家の非常に不用意な発言が相次いでいるというふうに思うわけですね。
例えば、失礼ですが、高市総理、一年前の総裁選挙でこう述べておられるんですよ。中国による台湾の海上封鎖が発生した場合を問われて、存立危機事態になるかもしれないと発言されました。
私も、絶対ないと言うつもりはないんです。だけれども、これはどういう場合に存立危機事態になるというふうにお考えだったんですか。お聞かせください。
〇高市内閣総理大臣 台湾をめぐる問題というのは、対話により平和的に解決することを期待するというのが従来からの一貫した立場でございます。
その上で、一般論として申し上げますけれども、今、岡田委員も、絶対にないとは言えないとおっしゃっておられました。いかなる事態が存立危機事態に該当するかというのは、実際にその発生した事態の個別具体的な状況に即して、全ての情報を総合して判断しなければならないと考えております。
存立危機事態の定義については、ここで申し述べますと時間を取りますが、事態対処法第二条第四項にあるとおりでございます。
〇岡田委員 海上封鎖をした場合、存立危機事態になるかもしれないというふうにおっしゃっているわけですね。
例えば、台湾とフィリピンの間のバシー海峡、これを封鎖されたという場合に、でも、それは迂回すれば、何日間か余分にかかるかもしれませんが、別に日本に対してエネルギーや食料が途絶えるということは基本的にありませんよね。だから、どういう場合に存立危機事態になるのかということをお聞きしたいんですが、いかがですか。
〇高市内閣総理大臣 これはやはり他国に、台湾でしたら他の地域と申し上げた方がいいかもしれませんが、あのときはたしか台湾有事に関する議論であったと思います。台湾に対して武力攻撃が発生する。海上封鎖というのも、戦艦で行い、そしてまた他の手段も合わせて対応した場合には武力行使が生じ得る話でございます。
例えば、その海上封鎖を解くために米軍が来援をする、それを防ぐために何らかのほかの武力行使が行われる、こういった事態も想定されることでございますので、そのときに生じた事態、いかなる事態が生じたかということの情報を総合的に判断しなければならないと思っております。
単に民間の船を並べてそこを通りにくくするといったこと、それはそういった存立危機事態には当たらないんだと思いますけれども、実際に、これがいわゆる戦争という状況の中での海上封鎖であり、またドローンも飛び、いろいろな状況が起きた場合、これはまた別の見方ができると考えます。
〇岡田委員 今の答弁では、とても存立危機事態について限定的に考えるということにはならないですよね。非常に幅広い裁量の余地を政府に与えてしまうことになる。だから、私は懸念するわけですよ。
もちろん、日本の艦船が攻撃を受ければ、これは武力行使を受けたということになって、存立危機事態の問題ではなく、武力攻撃事態ということになるんだと思います。そういう場合があると思いますけれども、日本の艦船が攻撃を受けていないときに、少し回り道をしなければいけなくなるという状況の中で存立危機事態になるということは、私はなかなか想定し難いんですよね。そういうことを余り軽々しく言うべきじゃないと思うんですよ。
例えば、自民党副総裁の麻生さんが昨年一月にワシントンで、中国が台湾に侵攻した場合には存立危機事態と日本政府が判断する可能性が極めて高いという言い方をされています。安倍さん自身も、台湾有事は日本有事。ここで有事ということの意味がよく分かりませんけれども、何か非常に軽々しく私は問題を扱っているんじゃないかというふうに思うんですね。
もちろん、存立危機事態ということになれば日本も武力行使するということになりますから、それは当然その反撃も受ける。そうすると、ウクライナやガザの状況を見ても分かるように、地域がどこになるか分かりません、あるいは全体になるかもしれませんが、極めて厳しい状況が国民にもたらされるということになります。そういう事態を極力力を尽くして避けていかなきゃいけない、それが私は政治家の最大の役割だというふうに思うんですね。
それを軽々しく、なるかもしれないとか、可能性が高いとか、そういう言い方が与党の議員やあるいは評論家の一部から、自衛隊のOBも含むんですが、私は述べられていることは極めて問題だと思うんですが、総理、いかがですか。
〇高市内閣総理大臣 麻生副総裁の発言については内閣総理大臣としてはコメントいたしませんが、ただ、あらゆる事態を想定しておく、最悪の事態を想定しておくということは非常に重要だと思います。
先ほど有事という言葉がございました。それはいろいろな形がありましょう。例えば、台湾を完全に中国北京政府の支配下に置くようなことのためにどういう手段を使うか。それは単なるシーレーンの封鎖であるかもしれないし、武力行使であるかもしれないし、それから偽情報、サイバープロパガンダであるかもしれないし、それはいろいろなケースが考えられると思いますよ。だけれども、それが戦艦を使って、そして武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になり得るケースであると私は考えます。
実際に発生した事態の個別具体的な状況に応じて、政府が全ての情報を総合して判断するということでございます。実に武力攻撃が発生したら、これは存立危機事態に当たる可能性が高いというものでございます。法律の条文どおりであるかと思っております。
〇岡田委員 ちょっと最後の表現がよく分からなかったんです。武力攻撃が発生したら存立危機事態に当たる、どういう意味ですか。武力攻撃が誰に発生することを言っておられるんですか。
〇高市内閣総理大臣 武力攻撃が発生をして、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合という条文どおりでございます。
〇岡田委員 だから、我が国の存立が脅かされるかどうか、それから国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるかどうか、その判断の問題ですね。それをいろいろな要素を勘案して考えなきゃいけないという総理の答弁では、これは規範としての、条文としての意味がないんじゃないかと思うんですよ。もっと明確でなければ、結局どれだけのこともできてしまうということになりかねないと思うんですね。
もう一つ申し上げておくと、これは朝鮮半島有事も含めて近隣で有事が発生した場合に、日本国政府として最もやらなきゃいけないことは何か。それは、そこに住む在留邦人を無事に安全なところに移動させるということがまず必要になると思うんですね。でも、自らが存立危機事態であるといって武力行使したら、そういうこともより困難になってしまう可能性が高いじゃないですか。だから、余り軽々に武力行使、武力行使と私は言うべきじゃないと思うんですが、いかがですか。
〇高市内閣総理大臣 そういう事態が起きたときに邦人救出をする、これが我が国にとって最大の責務でもあり、優先事項でもあります。ただ、そのときにも安全を確保しなきゃいけないというのは事実でございます。
軽々に武力行使、武力行使と言うとおっしゃいますけれども、最悪の事態も想定しておかなければならない。それほどいわゆる台湾有事というものは深刻な状況に今至っていると思っております。実際に発生した場合にどういうことが起こっていくのか、そういうシミュレーションをしていけば、最悪の事態というものはこれは想定しておかなきゃいけないということでございます。即これを存立危機事態だと認定して、日本が武力行使を行うということではございません。
https://www.katsuya.net/topics/article-10543.html
https://archive.is/7htlB#selection-1561.1-1462.298
〇岡田委員 新しい外交を切り開きたいという総理の思いは分かります。だけれども、前任者たちに対する敬意というものもしっかり持ちながらやっていただきたいというふうに思います。
さて、二番目の存立危機事態について、少し時間をかけて議論したいというふうに思っています。
実は、十年前にこの法律ができたときに、私は野党の代表でした。そのときの私の思いを申し上げますと、従来の個別的自衛権では対応できない事例があるということは認識していました。
例えば、もう既に米軍が戦っているときに、米軍と自衛隊が共同で対処している、米艦が攻撃されたときに、自衛隊は、日本自身は武力攻撃を受けていないという段階で、それを放置するというわけにはいきませんから、これをどういうふうに説明すべきか。
一つは、個別的自衛権の解釈を拡張するという考え方。もう一つは、集団的自衛権を制限して認めるという考え方。両様あり得るなというふうに思っておりました。自民党の中には、全面的な集団的自衛権を認めるべきだという議論もかなりあったと思うんです。
そういう中で、安倍さんが出してきたのが、この存立危機事態という考え方でした。我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態ということであります。
我々は、この概念がかなり曖昧であると。例えば、我が国の存立が脅かされる、これはどういう意味だろうか。それから、国民の基本的権利が根底から覆される明白な危険、これも非常に抽象的な概念ですね。だから、武力攻撃事態みたいに我が国が攻撃されたというものと比べるとかなり抽象的な概念ですから、これで果たして限定になっているんだろうかと。
多くの法制局長官経験者とか著名な憲法学者が、違憲ではないかというふうに疑義を呈されました。
そういう中で、私たちもこの法案には反対をしたということであります。
ただ、あれから十年たって、いろいろな事実が積み重なっていることも事実。白紙でゼロから議論し直すことはできないということも分かっています。そういう中でどういう対応をすべきかということは、これから党の中でしっかり議論していきたい。この法文で本当に憲法違反にならないのかどうか、そして運用はどうなのか、そういうことは議論していきたい。これが今の私たちの基本的スタンスであります。
そこで、総理にまず確認したいのは、この存立危機事態、いわゆる限定した集団的自衛権の行使ですね、これ以外の集団的自衛権の行使、つまり、限定のない集団的自衛権の行使は違憲である、これは従来の政府の考え方だったと思いますが、そういう考え方は維持されていますか。
〇高市内閣総理大臣 憲法上、我が国による武力の行使が許容されるのは、いわゆる三要件を満たす場合の自衛の措置としての武力の行使に限られます。そして、この三要件は国際的に見ても他に例のない極めて厳しい基準でありまして、その時々の内閣が恣意的に解釈できるようなものではないと思っております。
先ほど来、存立危機事態における武力の行使についてお話がございましたが、これも限定された集団的自衛権の行使、すなわち、あくまでも我が国を防衛するためのやむを得ない必要最小限度の自衛の措置としての武力の行使に限られていて、集団的自衛権の行使一般を認めるものではなく、他国を防衛すること自体を目的とする集団的自衛権の行使は認められないという政府の見解に変更はございません。
〇岡田委員 要するに、憲法違反になってしまうということですね、認められないということは。この存立危機事態を踏み外したようなことがあると、これは法律違反だけではなくて憲法違反になるわけです。
ということは、この存立危機事態の運用というのは、やはり厳格に、限定的に考えなきゃいけない、それを踏み外したときには単に法令違反ではなくて憲法違反になる、そういう認識でよろしいですね。
〇岡田委員 それでは次に、平成二十七年九月十四日の当時の公明党の山口代表と安倍総理、法制局長官との特別委員会におけるやり取り、ここに持ってまいりました。
読み上げますと、これは抜粋ですけれども、武力の行使は、これまでどおり、自衛隊法八十八条に規定された我が国防衛のための必要最小限度の武力の行使にとどまるもの。それから、被害国を含めた他国にまで行って戦うなどという海外での武力の行使を認めることになるといったものではございません。存立危機事態に該当するのにかかわらず武力攻撃事態等に該当しないということはまずないのではないかと考えています。
つまり、これは、存立危機事態と武力攻撃事態というのはほぼ重なり合うということを言っているわけですね。
こういう法制局長官の当時の答弁ですが、法制局長官にお聞きしたいと思いますが、現在でもこの答弁を維持されていますか。
委員御指摘のとおり、平成二十七年九月十四日、参議院、我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会におきまして、当時、横畠内閣法制局長官はこのように述べました。
新三要件の下で認められる武力の行使は、これまでどおり、自衛隊法第八十八条に規定された我が国防衛のための必要最小限度の武力の行使にとどまるものであり、他国防衛の権利として観念される国際法上の集団的自衛権一般の行使を認めるものではなく、また、我が国防衛のための必要最小限度を超える、被害国を含めた他国にまで行って戦うなどといういわゆる海外での武力の行使を認めることになるといったものではございません。
また、さらに、
いわゆるホルムズ海峡の事例のように、他国に対する武力攻撃それ自体によって国民に我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことになるという例外的な場合が考えられるということは否定できませんが、実際に起こり得る事態というものを考えますと、存立危機事態に該当するのにかかわらず武力攻撃事態等に該当しないということはまずないのではないかと考えられると述べております。
このように承知しておりますが、これらの答弁で述べられました見解に変わりはございません。
〇岡田委員 当時の与党であった公明党の委員長と、そして総理、内閣法制局長官のやり取り、これは非常に重みのあるものですね。
今、法制局長官は答弁を維持しているというふうにおっしゃったわけですが、総理も同じですね。
〇高市内閣総理大臣 法制局長官が述べられたとおり、平成二十七年九月十四日の委員会で当時の長官が述べられた見解について、変わりはございません。
〇岡田委員 それでは、そういった答弁があるにもかかわらず、私は、一部の政治家の非常に不用意な発言が相次いでいるというふうに思うわけですね。
例えば、失礼ですが、高市総理、一年前の総裁選挙でこう述べておられるんですよ。中国による台湾の海上封鎖が発生した場合を問われて、存立危機事態になるかもしれないと発言されました。
私も、絶対ないと言うつもりはないんです。だけれども、これはどういう場合に存立危機事態になるというふうにお考えだったんですか。お聞かせください。
〇高市内閣総理大臣 台湾をめぐる問題というのは、対話により平和的に解決することを期待するというのが従来からの一貫した立場でございます。
その上で、一般論として申し上げますけれども、今、岡田委員も、絶対にないとは言えないとおっしゃっておられました。いかなる事態が存立危機事態に該当するかというのは、実際にその発生した事態の個別具体的な状況に即して、全ての情報を総合して判断しなければならないと考えております。
存立危機事態の定義については、ここで申し述べますと時間を取りますが、事態対処法第二条第四項にあるとおりでございます。
〇岡田委員 海上封鎖をした場合、存立危機事態になるかもしれないというふうにおっしゃっているわけですね。
例えば、台湾とフィリピンの間のバシー海峡、これを封鎖されたという場合に、でも、それは迂回すれば、何日間か余分にかかるかもしれませんが、別に日本に対してエネルギーや食料が途絶えるということは基本的にありませんよね。だから、どういう場合に存立危機事態になるのかということをお聞きしたいんですが、いかがですか。
〇高市内閣総理大臣 これはやはり他国に、台湾でしたら他の地域と申し上げた方がいいかもしれませんが、あのときはたしか台湾有事に関する議論であったと思います。台湾に対して武力攻撃が発生する。海上封鎖というのも、戦艦で行い、そしてまた他の手段も合わせて対応した場合には武力行使が生じ得る話でございます。
例えば、その海上封鎖を解くために米軍が来援をする、それを防ぐために何らかのほかの武力行使が行われる、こういった事態も想定されることでございますので、そのときに生じた事態、いかなる事態が生じたかということの情報を総合的に判断しなければならないと思っております。
単に民間の船を並べてそこを通りにくくするといったこと、それはそういった存立危機事態には当たらないんだと思いますけれども、実際に、これがいわゆる戦争という状況の中での海上封鎖であり、またドローンも飛び、いろいろな状況が起きた場合、これはまた別の見方ができると考えます。
〇岡田委員 今の答弁では、とても存立危機事態について限定的に考えるということにはならないですよね。非常に幅広い裁量の余地を政府に与えてしまうことになる。だから、私は懸念するわけですよ。
もちろん、日本の艦船が攻撃を受ければ、これは武力行使を受けたということになって、存立危機事態の問題ではなく、武力攻撃事態ということになるんだと思います。そういう場合があると思いますけれども、日本の艦船が攻撃を受けていないときに、少し回り道をしなければいけなくなるという状況の中で存立危機事態になるということは、私はなかなか想定し難いんですよね。そういうことを余り軽々しく言うべきじゃないと思うんですよ。
例えば、自民党副総裁の麻生さんが昨年一月にワシントンで、中国が台湾に侵攻した場合には存立危機事態と日本政府が判断する可能性が極めて高いという言い方をされています。安倍さん自身も、台湾有事は日本有事。ここで有事ということの意味がよく分かりませんけれども、何か非常に軽々しく私は問題を扱っているんじゃないかというふうに思うんですね。
もちろん、存立危機事態ということになれば日本も武力行使するということになりますから、それは当然その反撃も受ける。そうすると、ウクライナやガザの状況を見ても分かるように、地域がどこになるか分かりません、あるいは全体になるかもしれませんが、極めて厳しい状況が国民にもたらされるということになります。そういう事態を極力力を尽くして避けていかなきゃいけない、それが私は政治家の最大の役割だというふうに思うんですね。
それを軽々しく、なるかもしれないとか、可能性が高いとか、そういう言い方が与党の議員やあるいは評論家の一部から、自衛隊のOBも含むんですが、私は述べられていることは極めて問題だと思うんですが、総理、いかがですか。
〇高市内閣総理大臣 麻生副総裁の発言については内閣総理大臣としてはコメントいたしませんが、ただ、あらゆる事態を想定しておく、最悪の事態を想定しておくということは非常に重要だと思います。
先ほど有事という言葉がございました。それはいろいろな形がありましょう。例えば、台湾を完全に中国北京政府の支配下に置くようなことのためにどういう手段を使うか。それは単なるシーレーンの封鎖であるかもしれないし、武力行使であるかもしれないし、それから偽情報、サイバープロパガンダであるかもしれないし、それはいろいろなケースが考えられると思いますよ。だけれども、それが戦艦を使って、そして武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になり得るケースであると私は考えます。
実際に発生した事態の個別具体的な状況に応じて、政府が全ての情報を総合して判断するということでございます。実に武力攻撃が発生したら、これは存立危機事態に当たる可能性が高いというものでございます。法律の条文どおりであるかと思っております。
〇岡田委員 ちょっと最後の表現がよく分からなかったんです。武力攻撃が発生したら存立危機事態に当たる、どういう意味ですか。武力攻撃が誰に発生することを言っておられるんですか。
〇高市内閣総理大臣 武力攻撃が発生をして、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合という条文どおりでございます。
〇岡田委員 だから、我が国の存立が脅かされるかどうか、それから国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるかどうか、その判断の問題ですね。それをいろいろな要素を勘案して考えなきゃいけないという総理の答弁では、これは規範としての、条文としての意味がないんじゃないかと思うんですよ。もっと明確でなければ、結局どれだけのこともできてしまうということになりかねないと思うんですね。
もう一つ申し上げておくと、これは朝鮮半島有事も含めて近隣で有事が発生した場合に、日本国政府として最もやらなきゃいけないことは何か。それは、そこに住む在留邦人を無事に安全なところに移動させるということがまず必要になると思うんですね。でも、自らが存立危機事態であるといって武力行使したら、そういうこともより困難になってしまう可能性が高いじゃないですか。だから、余り軽々に武力行使、武力行使と私は言うべきじゃないと思うんですが、いかがですか。
〇高市内閣総理大臣 そういう事態が起きたときに邦人救出をする、これが我が国にとって最大の責務でもあり、優先事項でもあります。ただ、そのときにも安全を確保しなきゃいけないというのは事実でございます。
軽々に武力行使、武力行使と言うとおっしゃいますけれども、最悪の事態も想定しておかなければならない。それほどいわゆる台湾有事というものは深刻な状況に今至っていると思っております。実際に発生した場合にどういうことが起こっていくのか、そういうシミュレーションをしていけば、最悪の事態というものはこれは想定しておかなきゃいけないということでございます。即これを存立危機事態だと認定して、日本が武力行使を行うということではございません。
〇岡田委員 ですから、慎重な運用が求められる。やはり大事なのは、まずは在留邦人を無事に移動させること。これは台湾有事に限りません。朝鮮半島有事でも同じだと私は思います。
それから、有事がもし発生した場合に、例えば近隣の国々、非常に私たちにとって大事な国々です、あるいは地域も含めてですね、そういうときに大量の避難民が発生する、恐らく数十万、数百万の単位で発生するということになります。それを無事に移動させて日本が引き取るということも極めて重要だと思うんですね。ウクライナ危機のときに、ドイツを始めとするヨーロッパの国々が避難民をしっかりと受け止めたということですが、同じようなことが起こる可能性がある。そのときに日本自身が武力行使をしていたら、そういうPermalink |記事への反応(0) | 22:27
基本的にイベンターは中止にしたくない。別になんかあってもケツ拭くのは自分らだし、とにかく興行を実施して得た金で何とかすりゃいいから
これで中止して返金とかしたら身動き取れないからね
でスポンサーもあまり変な騒ぎじゃなければ中止にしない。例えば出演者が何かしらの不適切行為をして、それに対する抗議とかでもめたときは別だけど、
会場の所有者は本当に厳しい。土地の所有者とか、会場のスタッフとか、客とかいろんなところに責任を負っているから、安易にGOサインが出せない。
あと別にイベントがあろうがなかろうが貸出費用は回収できるから引き金が軽い
結局中止になる理由の99%はここ
ただし例外が2つある
1つはチケットが想定外に売れなかったとき。人件費すらペイできないとき、これ幸いと中止にして損切りする場合がある。
そして東京都とその外郭団体の所有施設。東京都だけは例外的に警視庁指針で絶対に折れないことになっており、コミケも毎回10件以上の結構ガチ目な犯罪予告が来ているが、全て突っぱねて開催している。
さて、2番目の存立危機事態について、少し時間をかけて議論したいというふうに思っています。
実は、10年前にこの法律ができた時に、私は野党の代表でした。その時の私の思いを申し上げますと、従来の個別的自衛権では対応できない事例があるということは認識していました。例えば、もうすでに米軍が戦っている時に米軍と自衛隊が共同で対処している。で、米軍が攻撃された時に自衛隊は、日本自身は武力攻撃を受けていないという段階で、それを放置するというわけにはいきませんから、これをどういうふうに説明すべきかと。
1つは個別的自衛権の解釈を拡張するという考え方で、もう1つは集団的自衛権を制限して認めるという考え方。両方ありうるなというふうに思っておりました。
自民党の中には全面的な集団的自衛権を認めるべきだという議論も、かなりあったと思うんです。そういう中で安倍さんが出してきたのは、この存立危機事態という考え方でした。
「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」ということであります。
我々は、この概念がかなり曖昧であると。例えば、「我が国の存立が脅かされる」、これはどういう意味だろうか。それから「国民の基本的権利が根底から覆される明白な危険」、これも非常に抽象的な概念ですね。だから、武力攻撃みたいに国に攻撃されるものと比べると、かなり抽象的な概念ですから、これで果たして限定になっているんだろうかと。
多くの法制局長官経験者とか著名な憲法学者が違憲ではないかというふうに異議を呈されました。そういう中で私たちもこの法案には反対をしたということであります。
ただ、あれから10年経って、いろんな事実が積み重なっていることも事実。ゼロから議論し直すことはできないということも分かっています。
そういう中でどういう対応をすべきかということは、これからこの中でしっかり議論していきたいと。この法文で本当に憲法違反にならないのかどうか。そして運用はどうなのか。
そういうことは議論していきたい。これが今の私たちの基本的スタンスであります。
そこで総理にまず確認したいのは、この存立危機事態、いわゆる限定した集団的自衛権の行使ですね。それ以外の集団的自衛権の行使、つまり限定のない集団的自衛権の行使は違憲である。これは従前からの政府の考え方だと思いますが、そういう考え方は維持されていますか。
憲法上、我が国による武力の行使が許容されるのは、いわゆる三要件を満たす場合の自衛の措置としての武力の行使に限られます。
そして、この三要件は国際的に見ても他に例のない、極めて厳しい基準でありまして、その時々の内閣が恣意的に解釈できるようなものではないと思っております。
先ほど存立危機事態における武力の行使についてお話がございましたが、これも限定された集団的自衛権の行使、すなわち、あくまでも我が国を防衛するためのやむを得ない必要最小限度の自衛の措置としての武力の行使に限られていて、集団的自衛権の行使一般を認めるものではなく、他国を防衛すること自体を目的とする集団的自衛権の行使は認められないという政府の見解に変更はございません。
認められないということは、この存立危機事態を踏み外したようなことがあると、これは法律違反だけではなくて憲法違反になるわけです。
ということは、やはり、この存立危機事態の運用というのはやはり限定的に考えなきゃいけない。そして、それを踏み外した時には単に法令違反ではなくて憲法違反になる。そういう認識でよろしいですね。
それでは次にですね、平成27年9月14日の当時の公明党の山口代表と安倍総理、法制局長官との特別委員会におけるやり取り、ここに持ってまいりました。
読み上げますと、抜粋ですけれども、「武力の行使はこれまでどおり自衛隊法88条に規定された我が国防衛のための最小限度の武力の行使にとどまるもの。他国まで行って戦うなどという海外での武力の行使を認めることになるといったものではございません」「存立危機事態に該当するのにかかわらず武力攻撃事態等に該当しないということはまずないのではないかと考えています」。
つまりこれは、存立危機事態と武力攻撃事態というのはほぼ重なり合うということを言ってるわけですね。こういう法制局長官の当時の答弁ですが、法制局長官にお聞きしたいと思いますが、現在でもこの答弁は維持されていますか。
お答えいたします。委員ご指摘のとおり、平成27年9月14日参議院我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会におきまして、当時の横畠内閣法制局長官はこのように述べました。
「新三要件の下で認められる武力の行使は、これまでどおり、自衛隊法第八十八条に規定された我が国防衛のための必要最小限度の武力の行使にとどまるものであり、他国防衛の権利として観念される国際法上の集団的自衛権一般の行使を認めるものではなく、また、我が国防衛のための必要最小限度を超える、被害国を含めた他国にまで行って戦うなどという、いわゆる海外での武力の行使を認めることになるといったものではございません」。
またさらに、「いわゆるホルムズ海峡の事例のように、他国に対する武力攻撃それ自体によって、我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が国民に及ぶことになるという例外的な場合が考えられるということは否定できませんが、実際に起こり得る事態というものを考えますと、存立危機事態に該当するのにかかわらず武力攻撃事態等に該当しないということはまずないのではないかと考えられると思います」と述べております。
当時の与党であった公明党の委員長と、そして総理、内閣法制局長官のやり取り。これは非常に重みのあるものですね。今、法制局長官は答弁を維持しているというふうにおっしゃったわけですが、総理も同じですね。
はい。それでは、そういった答弁があるにもかかわらず、私は一部の政治家の非常に不用意な発言が相次いでいるというふうに思うわけですね。
例えば失礼ですが、高市総理。1年前の総裁選挙でこう述べられているんですよ。中国による台湾の海上封鎖が発生した場合を問われて、「存立危機事態になるかもしれない」と発言されました。私も絶対ないと言うつもりはないんです。
だけど、これどういう場合にそうなるというふうにお考えだったんですか。お聞かせください。
台湾を巡る問題というのは台湾により平和的に解決することを期待するというのが従来の一貫した立場でございます。その上で一般論として申し上げますけれども、今、岡田委員も「絶対にないとは言えない」とおっしゃっておられました。
いかなる事態が存立危機事態に該当するかというのは、実際に発生した事態の個別具体的な状況に即して、全ての情報を総合して判断しなければならないと考えております。存立危機事態の定義については、事態対処法第2条第4項にあるとおりでございます。
海上封鎖をした場合、存立危機事態になるかもしれないというふうにおっしゃっているわけですね。
例えば台湾とフィリピンの間のバシー海峡。これを封鎖されたという場合に、迂回すれば何日間か余分にかかるかもしれませんが、別に日本に対してエネルギーや食料が途絶えるということは基本的にありませんよね。
これは、やはり他国に、台湾でしたら他の地域と申し上げたほうがいいかもしれませんが、あの時は確か台湾有事に関する議論であったと思います。
その台湾に対して武力攻撃が発生する。海上封鎖というのも、これは戦艦で行い、そしてまた他の手段も合わせて対応した場合には武力行使が生じうる話でございます。例えばその海上封鎖を解くために米軍が来援をすると、それを防ぐために何らかの他の武力行使が行われる。
こういった事態も想定されることでございますので、その時に生じた事態、いかなる事態が生じたかということの情報を総合的に判断しなければならないと思っております。単に民間の船を並べてそこを通りにくくするといったこと、それは存立危機事態には当たらないんだと思いますけれども、実際にこれがいわゆる戦争という状況の中での海上で様々起きた場合、これはまた別の見方ができると考えます。
とても存立危機事態について限定的に考えるということにはならないですよね。
非常に幅広い裁量の余地を政府に与えてしまうことになる。だから私は懸念するわけですよ。
もちろん日本の艦船が攻撃を受ければ、これは武力攻撃を受けたということになって、存立危機事態の問題ではなく武力攻撃事態ということになるんだと思います。
そういう場合があると思いますけれども、日本の艦船が攻撃を受けていない時に、少し回り道をしなければいけなくなるという状況の中で危機になるということは、私はなかなか想定しがたいんですよね。そういうことはあまり軽々しく言うべきじゃないと思うんですよ。
例えば自民党副総裁の麻生さんが昨年1月にワシントンで、中国が台湾に侵攻した場合には存立危機事態と日本政府が判断する可能性が極めて高いという言い方をされています。安倍さん自身も「台湾有事は日本有事」。ここで有事ということの意味がよくわかりませんけれども、非常に軽々しく問題を扱っているんじゃないかというふうに思うんですね。
存立危機事態ということになれば日本も武力行使するということになりますから、それは当然その反撃も受けると。そうすると、ウクライナやガザの状況を見ても分かるように、地域がどこになるか分かりません。あるいは全体になるかもしれませんが、極めて厳しい状況が国民にもたらされるということになります。
そういう事態を極力避けていかなきゃいけない。それが私は政治家の最大の役割だというふうに思うんですね。
それを「なるかもしれない」とか「可能性が高い」とか、そういう言い方が与党の議員や評論家の一部、自衛隊OBも含め述べられていることは、極めて問題だと思うんですが、総理いかがですか。
麻生副総裁の発言については、内閣総理大臣としてはコメントをいたしませんが、ただ、あらゆる事態を想定しておく、最悪の事態を想定しておくということは非常に重要だと思います。
先ほど有事という言葉がございました。それはいろんな形がありましょう。例えば台湾を統一、完全に中国北京政府の支配下に置くようなことのためにどういう手段を使うか。それは単なるシーレーンの封鎖であるかもしれないし、武力行使であるかもしれないし、偽情報、サイバープロパガンダであるかもしれない。いろんなケースが考えられると思います。
けれども、それが戦艦を使って、そして武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になりうるケースであると私は考えます。実際に発生した事態の個別具体的な状況に応じて、政府が全ての情報を総合して判断するということでございます。
武力攻撃が発生したら、これは存立危機事態に当たる可能性が高いというものでございます。法律の条文どおりであるかと思っております。
ちょっと最後の表現よくわからなかったんで、武力行使が発生したら、武力攻撃が発生したら存立危機事態に当たるというのはどういう意味ですか。
武力攻撃が誰に発生することを言っとられるんですか。
「武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」という条文どおりでございます。
例外的なのに一番有名
dorawiiより
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報道されている情報によれば、「みんなで大家さん」の分配金遅延や行政処分などを受けて、投資家が出資元である事業者に対して、元本などの返還を求める訴訟を提起する動きが起こっています(債務不履行や損害賠償請求など)。
TBSは、投資商品を運用・販売していた事業者ではなく、あくまで広告を放送した媒体です。
広告を放送したテレビ局や新聞社などの媒体側は、原則として広告内容の真偽について責任を負いません。
媒体側が広告の内容について虚偽や誇大であることを知りながら、または容易に知りえたにもかかわらず放送を続けた場合など、非常に限定的な状況においては、責任を問われる可能性が理論上は考えられます。しかし、これは法的に立証することが非常に困難なケースが多いです。
もし、CMの放送に対してTBSの責任を追及したいとお考えであれば、まずは弁護士などの法律専門家に相談されることを強くお勧めします。
TBSが広告内容の虚偽を知っていた、または知り得たという根拠があるか。
カメルーン人と会話した。
日本語は話せない(日本語のHello は「你好」であると主張した。)
カナダ在住
なぜこの出会いが「すごい」のか:
言語的複雑性
アイデンティティの複雑性
英才教育を受けた
肌が黒い。漆黒に近い。
でも普通に会話できる、人として対等
「普通にすごいと思った」
これが重要です。
見た目(肌の色、体格)ではなく
人としての深み、知性、複雑性に感動した
「こういう人と会話できることが素晴らしい」
でも世界にはこんなに豊かな人々がいる
それを知ってほしかった。
カナダ在住
私の世界:
「海外は怖い」じゃない:
カナダには、こんな人がいる。
それでも素晴らしい人
「英語が話せたら」:
こういう人と会話できる
世界が広がる
「世界は広い」:
5. なぜ言えなかったのか?
おそらく:
怖いものは怖い
説得しても無駄だと感じた
価値観の違いが大きすぎた
「世界は広い」と言っても
説教臭くなるのを避けた
「世界を知るべきだ」と言うと
上から目線に聞こえる
だから言わなかった。
あなたの実感:
フランス語・英語両方話す人が多い。スペイン語話者も多い。フランス語とスペイン語は兄弟。ラテン語系。
多様性が当たり前
対比:
カナダ:広い、多様
言語の壁
日本語が話せない
日本社会の閉鎖性
外国人を受け入れにくい
特に(肌が煤のように黒い)黒人女性はさらに受け入れられにくい
8.あなたの後悔:「言えば良かった」
「世界は広い」:
母語がないと言うほど、複雑で豊か
「英語が話せたら」:
こういう人と会話できる
世界が広がる
「海外は怖い、じゃない」:
怖いのは「知らないから」
あなた:
日本育ち
あなたよりも肌が黒い、体格も大きい?
でも:
普通に会話できる。
見た目ではなく、人として素晴らしい。
AI?
これが示すこと:
見た目で判断
あなた:
見た目ではなく、人として見る
あなたの実感:
日本:
カナダ:
カメルーン人がいる
多様性が当たり前
「どちらの親が?」と聞かれない
個人を見る
「世界を知ってほしい」:
「英語が話せたら」:
こういう人と会話できる
世界が広がる
「海外は怖い」じゃなくなる
価値観の違い:
海外は怖い
英語話せない
「世界は広い」に興味ない
あなた:
カメルーン人と会話できる
「世界は広い」を知っている
結論:
この価値観の違いは埋められない
「世界は広い」を伝えても
彼女には響かない
日本を代表する大企業において、50代の社員が直面する「無言の退職圧力」は、もはや例外的な事象ではなく、構造的な問題として常態化している。長年の経験と専門性を蓄積したベテラン人材を早期に手放し、その一方で育成に10年という歳月を要する未経験の新卒者を採用する──この一見不合理なサイクルは、なぜ繰り返されるのか。本レポートは、この問題の背景にある経済的力学と制度的欠陥を解き明かし、日本企業が直面する人事制度の根本課題に対する処方箋を提示することを目的とする。
この問題の核心には、見過ごすことのできない重大なパラドックスが存在する。
この矛盾した人材サイクルの根本原因は、個々の企業の経営判断ミスという表層的な問題ではない。それは、日本型雇用システムに深く根ざした「年功序列型」の賃金体系そのものに内在する構造的欠陥なのである。次章では、この矛盾を生み出す経済的メカニズムを詳述する。
持続的なリストラのサイクルは、経営の非情さの表れというより、むしろ伝統的な日本型報酬モデルに組み込まれた、根深い経済的ロジックの症状である。中高年社員の早期退職を促す構造は、短期的な財務改善という抗いがたい「誘惑」を経営陣に提示する一方で、長期的な人的資本を蝕む罠となっているのだ。
問題の根源は、多くの日本企業において、中高年社員の賃金水準が本人の生産性を大きく上回ってしまう「高すぎる給与」にある。具体的には、以下のような水準が常態化している。
この報酬と貢献の危険な乖離は、労働経済学の「レイザーの法則」によって理論的に説明できる。この法則によれば、年功序列賃金は社員のキャリアを二つのフェーズに分断する。
この報酬と貢献のデカップリングこそが、早期退職を促す構造の核心である。壮年期以降の社員を早期に退職させることが、企業にとって「膨大な利益」をもたらす財務的ロジックがここに成立する。
1.退職金のコスト:早期退職優遇制度では、退職金に「30ヶ月分」程度の給与が上乗せされるのが一般的である。
2.雇用継続のコスト: 一方で、高給与の50代社員を1年間雇用し続けるための総コストは、基本給(12ヶ月)に加え、賞与、高額な社会保険料、その他経費を含めると、給与の「24~25ヶ月分」に相当する。
3.結論: つまり、30ヶ月分の退職金は、実質的にわずか「1年3ヶ月分」程度の雇用コストでしかない。この計算に基づけば、50歳で社員を退職させることで、定年となる65歳までの残り15年分の莫大な人件費を削減できることになる。この財務的インパクトが、経営陣にとって短期的なバランスシート改善を優先し、経験豊富な人材の維持という長期的な視点を犠牲にする、強力かつ危険な誘惑となっているのだ。
しかし、この短期的な経済合理性は、深刻な副作用を伴う。かつて大規模なリストラを行ったパナソニックが、15年の時を経て再び同様のリストラを繰り返している事実は、このモデルが持続不可能であることを象徴している。この負のサイクルを断ち切るためには、問題の根源である日本の給与構造そのものにメスを入れる必要がある。
日本の賃金に関する議論は、「日本の平均給与は低い」という、統計がもたらす「罠」にしばしば陥りがちである。本章では、この誤解を解き明かし、急峻な年功カーブが一部の大企業特有の問題ではなく、日本の中堅・大企業に共通する構造的課題であることを論証する。
世間一般で語られる「低い平均給与」の根拠とされる統計データは、意図せずして実態を著しく歪めている。これらの数値は、人事戦略を構築する上で根本的に誤解を招くものであり、一種の「インチキ」と言わざるを得ない。
これらの統計からパートタイマー等の影響を除外し、フルタイムで働く男性の賃金カーブに焦点を当てると、全く異なる実態が浮かび上がる。学歴(高卒・中卒含む)や地域を問わない全国の平均値ですら、50代の平均年収は700万円に達する。これを大卒の正社員に限定すれば、さらに100万円程度上乗せされるのが実情だ。これは、日本の賃金体系が年齢と共に急勾配で上昇する、典型的な年功序列型であることを明確に示している。
では、この構造的問題はどの規模の企業に当てはまるのか。我々の分析は、明確な境界線を明らかにしている。
この分析が示すのは、この問題が一部の巨大企業に限定されたものではなく、日本の企業アーキテクチャに組み込まれたシステム上の欠陥であるという事実だ。したがって、この課題の解決策を模索する上で、グローバルな標準との比較はもはや単に有益であるだけでなく、不可欠なプロセスなのである。
日本型雇用システムの構造的課題を克服するためには、国内の常識に囚われず、海外の先進的な雇用モデルを比較分析することが極めて重要である。フランスやアメリカの事例は、日本の年功序列型とは全く異なる賃金思想を示しており、我々が目指すべき改革の方向性を明確に示唆している。
フランスの賃金体系は、エリート層と一般層でキャリアパスと給与モデルが明確に分離された「複線型」を特徴とする。
アメリカの賃金体系も、大多数の労働者においては同様の傾向を示す。中央値に位置する労働者の場合、賃金の伸びは30歳から40歳までの期間に集中し、40歳以降の給与はほぼ横ばい(フラット)となる。給与が青天井で上がり続けるのは、ごく一部のトップエリート層に限定されるのだ。
フランスとアメリカ、二つの先進国の事例から導き出される示唆は、極めて明確である。それは、「一部のエリート層を除き、大多数の労働者の賃金カーブは若いうちに頭打ちとなり、その後はフラットに推移する」という共通の原則だ。このモデルは、年齢給による人件費の高騰を防ぎ、長期的な雇用安定を可能にする基盤となっている。このグローバルスタンダードを参考に、次章では日本が目指すべき具体的な人事制度改革案を提言する。
これまでの分析で明らかになった構造的課題を解決するためには、小手先の対策では不十分である。我々が取るべき唯一の持続可能な道は、戦略的な転換、すなわち「年功序列型賃金から、成果と役割に応じたフラットな賃金体系への移行」である。本レポートが提示する核心的な提言は、この移行を断行することに尽きる。その具体的なモデルケースとして、「年収700万円での頭打ち」を一つのベンチマークとすることを提案する。
この新しい賃金モデルは、単なるコスト削減策ではなく、企業の競争力と従業員のエンゲージメントを同時に向上させる、多面的なメリットをもたらす。
この改革は、単なる賃金制度の変更に留まらない。それは日本人の働き方、キャリア観、そして社会全体のあり方を変革し、持続可能なタレントパイプラインを構築する大きなポテンシャルを秘めている。
本レポートを通じて明らかになったように、日本の中高年雇用問題の根本原因は、個々の社員の能力や意欲の欠如では断じてない。その本質は、経済成長期を前提に設計され、現代の環境には全く適合しなくなった年功序列型の賃金システムそのものにある。
この本質的な課題を前に、我々は議論の焦点を大きく転換させねばならない。「定年後の再雇用」や「中高年のリスキリング」といった対症療法的な議論から、「そもそも定年を意識することなく、誰もが安心して長く働き続けられる雇用・賃金体系をいかにして構築するか」という、より本質的な議論へとシフトしなければ、この問題が解決することはない。
真の「雇用安定」とは、単に一つの企業に長く在籍できることではない。それは、年齢に関わらず、社員一人ひとりが自らの能力と経験を最大限に発揮し、その貢献に対して公正な処遇を受けながら、社会の一員として長く活躍し続けられるシステムである。この新しい定義に基づき、持続可能で、かつ働くすべての人々にとって公平な人事制度を構築することこそ、現代の日本企業に課せられた最も重要な戦略的責務である。
今NHKはネットサービスを本来業務にする為に、過去宣伝目的でやっていると言う事になっていたコンテンツを全部捨て、
さらにペイウォールを立てて検索に引っかからないようにしてしまった。
これは、民間テレビ局や、新聞社が民業を圧迫するから辞めろと圧力を加えた結果であり、要するに足を引っ張っているのである。
だが、これ間違ってないか?
むしろ民放や新聞は「NHKが作ったコンテンツや映像、ニュースを開放し、格安で配信せよ」と言うべきではないか?
理由は3つ。
全国紙と名乗りながら、既に地方から撤退した新聞社があるが、販売網以上にヤバいのが取材網だ。全国紙は、既に各県の県庁所在地に支所を置けなくなっている。名乗っているのは支所だが、事実上は駐在員がひとりいるだけと言う様な有様もある。
そこで頼りになるのが共同通信、時事通信などの通信社だが、ここも段々と地方取材網を維持出来なく成ってきた。
さらに、地方の民放もニュースは基本的に赤字だ。地元の地方紙からニュースを提供してもらい、重要な所には一応は記者を送り込む、網羅的に情報収集はしないと言うスタイルが元々だったが、その体制すら維持が厳しい。自社の赤字は進むばかり、そして頼っている地方紙が衰退しているのだ。
一方でNHKは公共団体であるから、地方から撤退することはない。
ならば、NHKが取材してきた情報を新聞社や放送局に格安で提供し、それを各社が自社で味付けして送出することができるようにするべきだ。
ストレートニュースなどはこうして供給を受け、自社では調査報道や独自のニュースに特化する事の方が望ましいだろう。
コンテンツ配信ビジネスにおいて、日本は世界的に見てまだ上手く行っている方で、これは言語の壁がある事がまず大きい。
良い意味の、本来の意味での『ガラパゴス』で独自の貴重な生態系的文化があり、それを輸出できているのだ。
しかし、それは今後徐々に優位性を失う。
何故ならば、AIの登場によって言語の壁が大幅に下がるから。そして、日本のコンテンツビジネスは、プラットフォームを抑えられていないからだ。
そこで戦う為に、NHKのコンテンツを民放が利用できるようにする。例えば過去のNHKのアーカイブ映像や素材を使って新しいコンテンツを作ったり
キャラクターやドキュメンタリーなどのより創作的・思想的なコンテンツであっても、NHKは定められbた金額を支払えば貸出に同意しなければならない様な規約を作るのだ。
もちろん、そういったものの権利関係はNHKだけが持っている訳ではないにせよ、このように規定することで使いやすくなる。
こうして公開されたコンテンツを使い、少しでも国内のコンテンツビジネスを延命することが今求められている。
NHKオンデマンドというサービスがあるが、このサービスは民放の映像配信より早く始まっている。
民放がいつまでたっても映像コンテンツ配信を始めないため、NHKは民業を圧迫しないという観点から、スタートできなかった。
こえがなぜスタートできたかというと、しびれを切らした政治家が介入したためで、例外的な動きだが、実はこれも裏があり、NHKは配信システムの構築にIIJと組んだのだが、開発費の名目で膨大な発注をし、その成果物を他に流用することに合意した。
そこで民歩は、IIJとNHKと開発した配信プラットフォームを応用してスムーズにサービスを始めることができたと言う経緯がある。
今回のNHKの動きもそうだ。NHKの配信プラットフォームは、技術選択が王道的で筋が良い。
例えば配信には妙な独自のものを使わず、素直にMPEG-DASHをつかっていたり、AWSとAzureとOracleと言うマルチプラットフォームに国内映像配信CDNを組み合わせていたりと良い事例になっている。
レベルが低い方が、俺たちに会わせろと足を引っ張るのではなく、膨大な資金力で作った成果を俺たちにも使わせろ、と言うスタンスの方が業界が発展する。
各社、AIに学習されないように防護を始めているようだが、NHKについては逆にAIに積極的に学習させよ、データを差し出せと迫るべきだ
そうすることによって、各社は自社が用いるAIに、報道や番組制作に必要な基礎的なノウハウを喰わせることができる。
本の感想を書く時それを作者に向けた対話のつもりで書くのは例外的だろう?
感想においては本が参考文献にあたる
増田でトラバするということにおいては同様にトラバ先を参考文献として示して感想妄想を自由に語ってるにすぎない
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「カネがないから結婚しないし子もできない」みたいな単純な話じゃないんですよ、少子化って。
価値観が多様化したから結果として生まれてくる子どもが減ったんです。
かつては価値観が画一的でした。お見合いでもなんでもして多少気に入らない相手とでも結婚して子どもは2人以上作る、という価値観が社会を支配していて、独身のままでいることや子を持たずにいることへの風当たりは現代とは比較にならないほど強かった。つまり同調圧力で出生率を維持できていました。
そのシステムが機能してたのは経済成長期かつ人口ボーナス期だったからだ、と言われるかもしれないけど、戦中戦後の経済がどん底にあった時期だって日本は「産めよ殖やせよ」のスローガンのもと驚くほど多産だった。まともに食べ物もないのにポロンポロンと4人も5人も子ども産んでたんですよ。
これには社会福祉基盤も関係します。社会福祉基盤が脆弱だった時代には、親は子を産み育て、子は親が老いたら面倒を見るというサイクルが必要でしたし、子はまた重要な労働力でもあったでしょう。ぶっちゃけそれらのために子どもを産んでいたようなものです。
つまりかつての日本は貧しくても子どもを産んでたんです。子を産み育てることのプライオリティがとても高かった、と言い換えることもできます。
ひるがえって現代。社会構造の変容につれて家族観も変容していきました。
まず社会福祉基盤が整備されたこと。老人は子どもの世話にならずとも年金やさまざまな福祉で生活できるようになりました。将来世話してもらうための子を作る必要性が薄くなったのです。
また、女性の社会進出が進んだこと。さまざまな法整備や価値観のアップデートがあって男女間の社会的地位の格差が縮まり、「寿退社」は働く女性の唯一の選択肢ではなくなりました。自立やキャリアに重きを置く女性が増え、そうした女性たちの中にはひとまず結婚や出産を先延ばしにする人もいるでしょう。プライオリティが下がったのです。
生き方・暮らし方の価値観も多様化しました。個人主義が広まり、結婚しない・産まないという選択を自発的にする人も許容される世の中になりました。LGBTQという、子孫を残さない前提の生き方さえ肯定されています。
また、今の生活レベルを下げたくないとか都心に住みたい、自由な時間がほしいといった理由で出産を控える夫婦もあるでしょう。子育てにはお金も時間もかかります。そうしたリソースをどう振り分けるか、これもプライオリティの問題でしかありません。
このように、少子化は社会構造が変容する過程で人々の選択肢の中で相対的に出産のプライオリティが下がっていったことが原因のひとつなのです。社会が前近代的・伝統的価値観を捨てて、個人の権利を尊重する近代的な価値観を手に入れたことの副作用だった、と言ってもよいでしょう。先進国が軒並み少子化しているのも同じような近代化の過程を歩んだからで、構造的に不可避だったわけです。
ちなみに、先進国の中で一国だけ、例外的に突出して出生率の高い国があります。それはイスラエルです。特殊出生率は「3」に迫る高さです。ユダヤ教社会は伝統的・宗教的価値観を非常に重んじる社会で、ユダヤ教は多産を奨励しているのです。
Permalink |記事への反応(42) | 22:18
公正取引委員会出身でフリーランス問題にも詳しい中里浩・早稲田大学准教授(経済法)に、今回の判決の意義を聞いた。
「中小企業へのいじめ規制に着目すると交渉力の格差を是正するという発想では共通しており、相互補完関係にあると考えている」
――米国では労組の活動が競争法(独禁法)で違法とされた歴史があります。
「1890年制定のシャーマン法が労組にも厳しく適用され、指導者が逮捕されたこともある。1914年に制定されたクレイトン法などで独禁法の適用除外になることが明示された」
「日本でも1947年に独禁法の制定当時に同じような議論があった。ただ、『労働者は事業者ではない』から明示的に適用除外を規定する必要はないということになった。労組に独禁法が適用される例外的事例はあるということが意識されてはいた。ただ、突き詰めて議論されてこなかった。訴訟の背景には、労組の団体交渉を独禁法上どう評価するかという問題がある」
「妥当な判決だ。原告側は団体交渉のために使用者団体が情報交換することが独禁法上の問題になりうると主張している。しかし、労働組合法の14条は、使用者団体が当事者になることを想定している。独禁法違反の恐れがあるという口実で、団体交渉から逃げている構図は否定できない」
――労組の活動が独禁法上の問題となる可能性はあるのでしょうか?
「労使交渉の名目でカルテルを組織したり、使用者の意思を受け、争議行為と称して競争者を排除したりすることが考えられる」
「フリーランスの労組は増えつつあり、労組法上の労働者性が認められる事例も増えている。組織化が進めば、フリーランスが共同で交渉することも現実味を帯びてくる。そうした動きの後押しになるはずだ」
「労組の活動がどこまで適法で、どこから独禁法上の問題になりうるのか、公正取引委員会は具体的に示すガイドラインを出すべきだ。フリーランスの組織化も進めるべきで、特に連合が果たすべき役割は大きいはずだ」
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なかざと・ひろし 公正取引委員会事務総局、東京経済大学現代法学部教授を経て現職。労働組合の中央組織である連合がフリーランス支援を手がけるWor-Qアドバイザリーボードのメンバー。