
はてなキーワード:作業服とは
昨日も感じたし、その前も感じた。今日の少しだけ濃い気がした。
朝礼で名前を呼ばれても返事をする者は少なく、俺もその一人だった。
ライン作業は単純だ。金属片をレーンに乗せて傷がないか確認し箱に入れる。
単純だから、そのぶん考え事が増える。
前に勝った日のこと。風俗嬢の刺青のこと。帰省したときの姉の表情。
広告ばかりが溢れる画面を眺めながら。思う。
仕事帰り。駅前のパチンコ店の光が目に入り、誘われるように入る。
負けるだろうと分かっていながら足は止まらない。
椅子に座り玉が流れる音に包まれると世界の輪郭がいつも曖昧になる。
喧噪の中に居ると落ち着く。そう思うようになるのはいつ頃からだろうか。
その日は−42kでやめた。
医者はこの痛みを知らない。
勝ったわけではないが、行かなければならない気がしたのだ。
受付を抜ける。黒革のソファ。
待っている間、ふいに姉の姿が頭をよぎった。
どうしてこんなときに、と思う。
嬢が現れた。
新しい子ではない。
俺のことを覚えてもいないだろうし、覚えている必要もない。
部屋に入る。服を脱ぐ。嬢の刺青が視界に入った。
「お仕事、何してるの?」
「営業です」
いつもの嘘だった。
すると嬢は少し笑って「そうなんですね~」と返す。
俺はその軽さに救われたような、見放されたような気持ちになった。
嬢の動きが止まっても気づけないほど、意識が浮いていた。
「大丈夫?」
嬢が不安そうに聞く。「うん」と答えた。嘘でも本当でもない返事だった。
ベッドに入ると天井が白く滲んだ。
今日が何日だったか思い出せないまま。俺は詩集を枕元に置いた。
目を閉じる。
祈ることをやめた人間は、どこへ行くのだろう。
俺はそのまま眠った。
明日もまた朝は来るだろう。
祈りの届かない部屋で。
はてなブックマークですが、週末に見ることがあります。投稿させてください。
私は今、専門学校に通っています。高校生の頃から、近所のスーパーでアルバイトを続けています。
そのスーパーに気になっている男性がいます。いつも仕事帰りの夜に来る作業服の人です。けっこう年上だと思います。
初めて会ったのは高校生の頃です。その人はいつも優しくて、人懐っこい笑顔で話しかけてくれました。
髪型を少し変えただけでも、「雰囲気変わったね、似合ってる」と気が付いてくれます。そのたびに、胸が高鳴るのを感じていました。本気でした。
ある日、スーパーに買い物に来た私の高校の友人とお喋りしてると、彼がすぐ傍を通ったんです。その時に友人が「あの人、うちのお店によく来るよ」って。
それで、友人の子は彼に声をかけたんです。かなり親しげでした。
その時、「この2人は仲がいいんだな」「付き合ってるのかも」と悟り、想いは叶わないと諦めました。高校を卒業して専門学校に入ってからは、彼への気持ちに蓋をして、新しい環境での恋愛に進みました。今、私には同い年の優しい彼氏がいます。付き合ってもう2年になります。
作業服の人は今でもスーパーに来店します。そして、変わらず私に話しかけてくれるんです。「もうすぐ卒業だっけ?」とか。
彼氏ができて、もう過去の恋だと思っていたのに、胸の奥がきゅっと締め付けられます。
この気持ちは、どうしてなのでしょうか。今の彼氏との関係に問題があるのでしょうか?彼氏を裏切っているようで罪悪感があります。
私はこのまま。今の彼氏と付き合い続けてもいいのでしょうか?
頭が迷いでいっぱいで、答えが出せません。どなたでもいいです。目を覚まさせてください。
はてな民に愚痴を聞いてほしい。本日午前に有給を取って書き上げた。
自分は40代後半。小売の仕事をしてて、ホームセンター系だ。仕事帰りに居酒屋に寄ることがある。
お店の名前はここで出すわけにはいかない。昔のドラマに出ていた、北のメジロ(仮称。以下メジロ)としよう。
看板(暖簾)には可愛らしいイラストが描いてある。カウンターとテーブルと座敷がある、こじんまりとした店だ。
常連客もだいたい同じ顔ぶれで、マスターは騒がしくて、男女の店員が数人いる。年代はバラバラだ。若い子が多いような気はしてる。
メジロは、俺にとっての「逃げ場所」だった。国道沿いの高架下にある。寂れた飲み屋街のすみっコ。
ホームセンターの仕事で鉄筋とかワイヤーメッシュを陳列する作業で疲れたり、自転車を早く直したい我儘客に付き合ったり、役場の見積り入札で惜しくも敗北して店長にネチネチ言われたり……ラジバンダリ。そんな、家に帰りたくない気分の時にフラッと立ち寄るのだ。
気の置けない常連客とくだらない話をして、店員さんと少しおしゃべりをしてさ。1人で静かに焼酎をソーダ割りで飲む。梅干しを入れるのだが、なんとも安っぽい梅干しが場末の雰囲気を出している。
そんな時間が、俺の心の平穏を保ってくれてた。ここ数年間は。コロナ禍が落ち着いた頃に発掘したお店だった。
常連ではないんだろうが、お店に行くと3回に1回くらいいる。そいつが店にいると、なんだか落ち着かない。
俺はそいつを、心の中で「東大」と呼んでる。なぜなら、一度だけ店員さんとの会話で「大学どこですか?」「東大です」と言ってるのを聞いたからだ。「誰にも話さないなら」と留保を付けてたけど、俺がいるのは見えてなかったのかとイラッときた。
普段、そいつは作業服で来てることが多い。道路を作る、測量とかの仕事をしていると。
たまに私服で来ることもある。金曜日か土曜日が多い。白っぽい見た目だ。
年齢は30代くらい?いや、顔のしわを見ると、もっと上かもしれない。全体的に純朴そうで若く見える。
そいつを気持ち悪いくらいウォッチしてると思う。でも、それくらい視界に入るレベルで嫌な奴なのだ。
ある夜だった。俺はカウンターの隅で1人、焼酎を飲んでいた。東大卒は、俺の数席だけ隣に座っていた。すると、店で一番愛嬌のある若い店員さんが東大の隣に立って、楽しそうに話していた。
個人情報?別にいいよ。減るものでもないだろ(減るものだろ、というツッコミはなしで)。
「測量のシゴトってすごいですねー」
「私は直接しないんですよ。測量士ではあるんですけど、民間企業に委託するんです。仕様書と図面を作って」
「難しそう」
その女子店員が、東大の注文を聞いてる時に、自分の身体をピタッとくっつけていた。まるで、ヤツに甘えるように。
思わずグラスを握りしめたよ。うす暗い感情が胸の奥からジワッと出てきて。悔しいような、むなしいような気分だった。
少し前に流行った増田で言うと、あの時の俺の表情はメイジバピラスみたいだった。ふしぎなぼうしを所持していればよかったのに。
別に、あの若い店員に恋愛感情があるわけじゃない。あの子は誰にでも優しい。俺にも優しく話しかけてくれる。でも、あの男と話す時は、いつも以上に楽しそうに見える。
他の常連客もそうだ。いつも俺と他愛のない話で盛り上がる気のいい兄ちゃんや、物知りな年配の男性も、東大が来るとそいつを意識している。隣になった人は、なぜか彼と話をしたがる。
先々月だと、「最近のドローンはレーザーで距離を測るんですよ」「なるほどー」みたいな会話があった。ドローンだって?ウチのホームセンターでも売ってるよ。俺の月収の半分くらいするけどな。測量用のドローンだったら、きっと50万くらいはするんだろうな。
結局のところ、俺は悔しいんだと思う。このままでは俺の居場所がなくなるかもしれない。けっこう常連のつもりだったんだけど。
いや、メジロは元から俺だけの居場所じゃない。それは分かってる。でも、俺の心の拠り所があの男に奪われていくような気がして、たまらなく嫌だ。
あの男が嫌いなわけじゃない。むしろ羨ましい。東大卒で、頭も良くて、きっと仕事もできるんだろう。約98%の確率で、俺よりも年収が高い。
だったらさ!わざわざこんな場末の居酒屋に来る必要はないだろう。
スナックとか、ラウンジとか、もっと綺麗な店でホステスと楽しく飲めばいいじゃないか。どうして、こんなカウンターの狭い、常連客ばかりの居酒屋を選ぶんだ?
この居酒屋はさ、俺みたいな平凡な40代のおっさんでも、少しだけ特別になれるような場所なのだ。それが、俺にとってのメジロだった。しかし東大は、そんな俺の特別な場所を悪気もなく侵食してる。
奴はきっと自覚がないのだ。だから無邪気に笑いながら、マスターとバカ話をして、男女の店員と話して、さらに他の客と話している。その無自覚さが、俺をより一層イライラさせる。
明日もメジロに行こうと思う。仕事が忙しい日なので、きっといい感じに肉体が疲労している。梅酒ソーダがきっとおいしいはずだ。
もし、あそこにあの男がいたら、俺からは何も話さない。黙って酒を飲むだけだ。でも、ひどくないか?あいつ。自分とは場違いの環境に来てさ、俺みたいな平凡人の居場所を掻っ攫っていくんだぞ。ひどすぎるだろ。
申し訳ないけど、ああいう男に居酒屋に来てほしくない。頼むからさ、お金持ってるんなら、ほかの高い居酒屋とか、女の子が接待するお店に行ってくれよ。そう願うことしかできない。
Permalink |記事への反応(15) | 12:59
私は今、専門学校に通っています。高校生の頃から、近所のスーパーでアルバイトを続けています。
そのスーパーに気になっている男性がいます。いつも仕事帰りの夜に来る作業服の人です。けっこう年上だと思います。
初めて会ったのは高校生の頃です。その人はいつも優しくて、人懐っこい笑顔で話しかけてくれました。
髪型を少し変えただけでも、「雰囲気変わったね、似合ってる」と気が付いてくれます。そのたびに、胸が高鳴るのを感じていました。本気でした。
ある日、スーパーに買い物に来た私の高校の友人とお喋りしてると、彼がすぐ傍を通ったんです。その時に友人が「あの人、うちのお店によく来るよ」って。
それで、友人の子は彼に声をかけたんです。かなり親しげでした。
その時、「この2人は仲がいいんだな」「付き合ってるのかも」と悟り、想いは叶わないと諦めました。高校を卒業して専門学校に入ってからは、彼への気持ちに蓋をして、新しい環境での恋愛に進みました。今、私には同い年の優しい彼氏がいます。付き合ってもう2年になります。
作業服の人は今でもスーパーに来店します。そして、変わらず私に話しかけてくれるんです。「もうすぐ卒業だっけ?」とか。
彼氏ができて、もう過去の恋だと思っていたのに、胸の奥がきゅっと締め付けられます。
この気持ちは、どうしてなのでしょうか。今の彼氏との関係に問題があるのでしょうか?彼氏を裏切っているようで罪悪感があります。
私はこのまま。今の彼氏と付き合い続けてもいいのでしょうか?
頭が迷いでいっぱいで、答えが出せません。どなたでもいいです。目を覚まさせてください。
平成の上皇陛下のことを思うたびに、陛下が国民に寄せる思いの深さに涙してしまうような、俺はそういう人間なのだが、大正天皇について調べ物をしていた時にふと上皇陛下の優しさに通じるものを見つけたのでメモしておきたい。
調べ物と言っても、俺がやっていたのは歴史上のネタエピソードを探し集めて読んでいたというだけで、いや、白状するが、俺は大正天皇が暗愚であることを示すものを暇つぶしにネットで読んでいた。Wikipediaにもある有名な「詔勅クルクル望遠鏡事件」みたいなのが他にないか探していたのである。
そこで出会ったのが、大正天皇が日露戦争の際に詠んだとされる一首の歌である。
日露戦争の戦利品を前にして、当時は皇太子だった大正天皇がこの歌を詠んだとされている。俺はこれを目にして、頭をブン殴られたかのようなショックを受けた。
ここにあるのは、兵士たちに対する深い感謝と尊敬の想いと、戦いを通じて失われたものに対する悲しみとのアンビバレンツな感情である。戦争の当事国の皇太子としての立場もある。率直さと優しさと苦しさとが伝わってくるのである。万葉集には額田王や天智天皇をはじめとした皇族による素朴な歌が多く残されているが、それらに匹敵すると個人的に考える。
大正天皇は平成の上皇の祖父にあたる。過去と歴史を常に意識せざるを得ない皇族にあって、平成の上皇は大正天皇について多くのことを考えられてきたのではないかと思う。そして、そうした思いを馳せる材料の一つに上述の歌があり、それを通じて上皇陛下の人となりに少なからず影響を与えているのではないかと思う。
上皇陛下のことを想うたびに、俺の目に浮かぶのは、震災後の避難所を作業服姿で訪れて、膝をついて避難者に寄り添う姿だ。戦争後の戦利品を前にして、その裏にある名もない多くの兵士たちの命に対して声を上げる大正天皇の姿との間に俺は共通点を見出すのである。
部落差別問題が一時期ネットで話題になってて気になっていたのだが、自分の中で消化しきれてなかったので完全に乗り遅れた。思ったことを忘れないために書き起こした。
いわく、関西以外の地域では部落問題を軽く扱いすぎているのでは、という話だ。
元のポストでは、言語差別・地域差別・職業差別が混在していたので議論がかみ合ってなかったように思う。
私はどちらかというと、うちの地域に部落差別なんてありません!と無邪気に投げつける数々のリプライにかなりギョッとさせられた。
そして体感8割くらいのリプが「部落」という単語に差別的な意識はありませんが?という的外れな内容ばかりでさらに愕然とした。
いやそうじゃねえだろ、と。
元々差別的な意味合いのない単語が差別的に使われる例なんていくらでもある。身体的特徴(つんぼ、かたわ)、地域名・国名(福島、朝鮮)、など言い始めれば枚挙にいとまがない。
構造でとらえるならば、部落差別のことの起こりは、職業で人を差別し、隔離することだ。
そうするとモヤモヤの正体が見えてきたような気がした。
歴史的経緯の話。
「穢多・非人」と呼ばれた人々は関西だけに存在したわけではなく、日本全国に見られた。江戸幕府の作り上げた身分制度から外れ差別された人々である。
関西の問題として認識されることが多いのは、その規模の問題である。近世以前、江戸より先に栄えていた関西地域は人口も多く、また文化の中心地であった。
自然と集落規模が大きくなったことで、明治以降の解放運動の中心地となっていく。
他地域においては規模が小さいゆえに「なかったこと」になった問題が、関西ではそうではなかった、というのが正しいだろう。
うちの地域にはありません、という人間は、はっきりいって不勉強もいいところである。
今回調べて初めて知ったが、特に一部地域においては、差別をなかったことにして解消しようとする動きがあるというのは90年代には指摘があるようだ。
「関西人は差別をする蛮族、自分の地域にはそんな差別ない」という趣旨の、自分で言ってておかしいと思わないのか?と思うようなリプが多く見受けられた。
どうにも関西人は殴ってもいいサンドバッグのように思っているらしい人間が少なからずいるっぽい。地域によって人をラベリングして貶めようとするのは差別以外の何物でもない。
現代の日本、とくに都心部においても、職業差別が無いなんてのも嘘だ。東京に居ればしばしば見かける、「勉強しないとあんな仕事しかできなくなるよ」と子供に声をかける母親、なんていうのはもはや典型的差別主義者だ。
私も作業服で公共の電車に乗ったとき、周りのサラリーマンたちが私を避けるように分散したのがとても印象的だった。綺麗にクリーニングされ、他の作業者に申し訳ないくらい綺麗で、そして良い匂いになってた作業でもこれだ。
普段よれよれの汗臭いスーツで電車に乗ってもこうはならない。大なり小なり他人を見下して生きているのだろう。
いけしゃあしゃあと差別なんてありませんなどよく言えたものだと思うが
かくいう私も恐らく危険を避けるという名目のもとで誰かを見た目で判断して意図的に避けたりしているのだから同じ穴の狢である。
他地域の人間が関西に行った時に、部落という言葉を使うことの是非というのも話題に出てきたが、答えとしては、気にしろという他ないだろう。
気に食わないという人は、アトランタに来てニガー!と叫んでみればいい。その代わり生きて帰れると思わないことだ。
言葉というのは生き物であり、本来の意味がどうであれ、現在の用法やその集団における意味に注意して使わなければ大きな誤解を招く。
日本はともすれば単一民族・単一言語の国家と思われがちだが、少数民族も多く、方言というにはあまりにも異なる複数の言葉が混在する、非常に複雑な社会だ。
共通語での意味がどうであれ、その地域における文脈で異なる意味を持ち、誤解を招く表現であればそれは避けるのが理性的だろう。決して、自分の所属集団では問題ないから!などと押し通すものではない。
間違えてはいけないのは、方言を禁止しようという話ではなく、自分の話す言葉の暴力性を指摘されたら次から気を付けようね、という程度の話なのだと思う。決して難しいことではない。
自分は我慢して標準語を話しているのに、あいつら関西人は自由に方言を話していて気に食わないと主張している人間もいて、さすがにもはや元ポスト関係ねえけどこれも何かの本質だろうと思った。
5匹の猿の実験でググって欲しい。いまだに方言札を首から下げて、意味も分からず方言を叩くルールに従っている人間もいるのだろう。
どれだけ書いても文章の読めない人間はいるが念のために書いておくと、関西が先進的とかいう話をしているのではない。日本全国どこでも発生している問題の一部を取り上げて、いち地域の差別性をことさらに取り上げるのは間違ってるのではないかと言いたい。
そもそも恐らく人間は本質的に差別的な生き物なのだから、そこを否定しても仕方ないと私は思っている。
私は東京周辺の関東地域にしか住んだことがないので関東の人間には申し訳ないがやり玉に挙げさせていただく。又聞きではその他地域においてもいろんな例を聞いている。これは自分自身に対する戒めでもある。
「部落差別は関西特有の問題」というのではなく、人間社会全体に根を下ろす差別意識の一形態にすぎないのだと思う。
身近な例を出すと、派遣社員を区別して休憩室を使わせないようにする正社員、というのも、差別のスタート地点だろう。
自身の差別性と嗜虐性に少し自覚的になり向き合うことで、昨日よりはマシな人間性を得られるのではないかと私は期待している。
愉快な作業ではないが、差別意識をなかったことにして綺麗に見せかける人生よりはよほど有益だろう。
歳を取るにつれ日々考えるのが億劫になる一方なのだが、隣同士ちょっと気を遣う丁寧な生き方を心掛けたいと思ってここに記す。
・・・もしかするとこれもXで見かけたポストの投稿者を見下し言葉で責めその愚かさを指摘してあざ笑いたいというサディズムの発露なのかもしれないが。
氷河期世代真っ只中に高卒だった在日外国人3世だけど、今は年収2千万ある。
その自分から言わせてもらうと、やっぱり就職氷河期世代は甘えだと思うよ。
そもそも在日外国人っていう理由だけで、周囲からは一般的な企業に就職することは無理だから大学に行っても意味がないと言われていた。(一部の金持ちを除いて)
それはバブルが弾ける前から言われていたことで、外国人差別が当然のようにまかりとっていたからだ。
俺が工事現場でコンクリまみれになりながら職人に顎で使われたたときに、同級生は大学で遊び呆けてるだけだったよ。
珍しく食事に誘われて現場から直接作業服で向かうとあからさまに嫌な顔をされた。
当時でもブラックって言われるくらいには早出残業休日出勤は当たり前で、家に帰ってから行くなんて余裕は一切なかった。
それなのに修行中っていう理由で1年間は手取りで月収20万ももらえなかった。
そんな話を同級生にするといかにも世の中の底辺を見るような目で慰めてきたことを未だに忘れていない。
その後同級生たちが卒業するっていう段階になって、当然就職できたのはほんの一部。
他はわらわらとフリーターを始める奴らばかりだった。
それでもいつかちゃんとした就職ができるみたいな変な余裕だけはあって、親元で生活しながら遊び呆けてるだけ。
その頃自分はアホな職人にこき使われることに嫌気が指してきたので、独立目指して色々と勉強を始めたところだった。
職人から仕事を盗むのも当然だけど、この先人を雇うならどうするかとか税金の申告はどうするかとかも寝る間を惜しんで本を読んで勉強した。
それからさらに苦労して独立をするんだけど、その話をあんまり掘り下げても面白くないと思うのでここではしない。
ただ、更に忙しくなってそれこそ35すぎて結婚するまではろくに休みなんてないような状況だったけど、その間も同級生たちは親元フリーターで甘えた生活をしている奴らばかりだった。
冗談見たくうちで働いてみるか?って聞いたことはあるけど、それこそ冗談じゃない勢いで笑って断られた。
お前の収入の10倍近く稼いでる相手に、よくそんな余裕あるなって心の底から思ったよ。
その頃だって、肉体労働以外にもパチンコ店やキャバクラのボーイとか大変だけど収入のいい仕事は沢山あった。
それでもそういった職業全てを見下して、一般的な企業に就職できない自分たちの不運ばっかりを嘆いていたのを俺は知っている。
彼らなりにそれを苦労だというなら否定はしないけど、お前らが寝ないで死ぬ思いして働いていた姿を俺は一度も見たことがないよ。
それが甘えじゃないっていうなら何が甘えだか教えてくれよ。
それが今になって社会に対して助けろなんていうのは、今まで真面目に税金を払い続けてきた自分にしてみれば冗談じゃないっていうのが本音だ。
でもそれだと、俺を汚いものを見る目をしてきたこいつらと一緒になってしまうから文句も言わずに受け止めるけどね。
そもそも参政権もないし、そんなもののためにこいつらと同じ日本人に帰化するつもりもないし。
これをn=1の生存バイアスだと切り捨てるならそれも別に自由だけど、少なからず人の何倍も苦労してきた事実だけは目を背けないでくれよ。
全員が同じだけ苦労しろとは思わないけど、いつかちゃんと就職できるはずだって言いながら遊び呆けてきた奴らは少なくとも甘えだろ。
これから先、いろいろな制度で救済されるかもしれないけど、それでもまだ自分たちが不遇だと思うのだけはやめてくれ。
その港はいつものようにコンテナ車とクレーンの音が絶え間なく鳴り響く、豪奢な喧騒の中にあった。ある船長はもう乗船しており、船積みの完了を待っていた。午前中にコンテナの一つにトラブルがあったらしい。作業服の男がスーツ姿の男とともに、コンテナのあいだを縫って船長室に向かっている。港湾局長の新任の部下である。コンテナに薬剤散布が必要なことが分かったという。
出発は夕方になりそうだ。ただ、感染症はいつも国際問題だ。自動車運搬船の積荷証券が3000万ドルを超えているとしても。12日後にはロサンゼルス港近くのホテルのプールでくつろいでいるだろう、と船長は思った。貿易が政治問題化しているが、私が入港料を負担する訳でもないから。
私はただ、焼き立てのバゲットが食べたかった。それだけだったのだ。婚活中という名の綱渡りの日々、ひとりで岩塩とオリーブオイルをつけてパンを噛みしめるくらい、許されてもいいだろう。そんなささやかな欲求すら、あの日、あの鉄の塊に踏みにじられた。
仕事の合間、いつものようにデスクでスマホを開き、通販サイトを眺める。検索窓に「バゲット」と打ち込むつもりが、指が一つズレて「バケット」と入力していたのだろうか。今となっては分からない。ただ、その時は画面に表示された「バケット」の写真を、なんだか曖昧に眺めていたのだ。どこか無骨で、異様に存在感のあるフォルム。それを「特大サイズのパンを入れるカゴか何か」と解釈し、私はその場しのぎの納得をして、購入ボタンを押した。値段には目をつぶった。婚活のためにエステや新しい服に散財することを考えれば、パンひとつに数万円かけたって不思議ではない…と、あの時の私は信じたかったのだ。
数日後、マンションのインターホンが鳴り響いた時も、まだ呑気なものだった。「ああ、バゲットが届いた」と、微かな期待を胸に玄関の扉を開けた。そして、目に飛び込んできたのは――鉄塊。黒光りするパワーショベルのバケット部分。クレーン車が唸り、作業服を着た男たちが「お届け物です」と無機質な声を張り上げる。
「えっ…?」声が裏返った。目の前にあるのは、人の頭どころか人生を丸ごと飲み込めそうな巨大な鉄の箱だ。私が注文したはずの「バゲット」は、地面にめり込む勢いで、玄関先のタイルを粉々に砕き、門扉を跡形もなく吹き飛ばしている。
「バケット、こちらで間違いないですね?」と作業員は言った。私は何も言えず、崩れかけた門扉をぼんやり見つめていた。どうしてこんなことになったのか。どうして、私はパンとパワーショベルの部品を見間違えるほどに、ぼんやりと日々を過ごしていたのか。
そう言いかけて、自分が惨めで仕方なくなった。作業員たちの目に浮かぶ、微かな嘲笑。彼らは私の発言には触れず、事務的に「配送指示書」を見せつけてきた。そこには私のフルネームと、堂々たる「バケット」の文字。逃れられない現実がそこにあった。
その後、鉄の塊はクレーンで吊り上げられ、また去っていった。だが、私の玄関と門扉は無惨に崩壊したままだった。近隣住民の窓が、カーテンの隙間から揺れているのが見えた。彼らは明日、誰かとこんな風に囁き合うだろう――「あそこの独身の人、なんか大きな鉄の塊を注文したらしいよ」と。笑いながら、陰湿に。
それ以来、私には「バケット」という言葉が呪いのように纏わりつく。朝のニュースで工事現場の映像が流れれば、鉄のバケットが私を嘲笑うように揺れている。パン屋で「バゲット一本ください」と言う時も、店員が「バケットとお間違えでは?」と疑っているような気がする。
あの出来事はただの間違いではなかった。私のぼんやりとした生き方、どこか詰めの甘い人生が引き寄せた、自業自得のカオスだったのだ。誰も知らない。私があの時、鉄の塊の前でどうしようもない羞恥と敗北感にまみれたことを。玄関の崩壊を見下ろしながら、ただ呆然と立ち尽くしたことを。
だから今も私は、ネットで「バゲット」と打ち込むたびに指が震える。もう二度と間違えてはならない。もう二度と、あの鉄の呪いに囚われてはならないのだ。
急いでざっくり書くわね。
めちゃんこよかったわね!
前回、夜巡者の戦争の設定にとても不満である旨を述べていたわけだけど。
今回の話でまさに「そうそうこういうのが見たかったの!」という気持ちになったわ!
国のみんなと竜が一致団結して敵に臨むってこういうのよね!戦争ってこうゆうのよね!
各地で転戦するのも(神の目の力以外で)個々人の抵抗を描きつつ局所的勝利が大局を左右しないというストーリー的な負けイベントをストレスなく受け入れさせる出来でとてもとてもよかったわ!
主人公が喋ると毎回ドキッとするのだけど、今回はシチュもあってグッと来てしまうので、ここら辺の出し惜しみ?使いどころの切り方には毎度感心してしまうわ。
あと隊長ファデュイ隊共闘もなかなか熱い展開なのだけど、直前で氷ファデュイの弱体化が入ったから前のままの氷ファデュイなら絶対アビス追い返せてたのに…!と思っちゃったりして。いやー強かったね。弱体化前の稲妻を知らないのでヤバい雑魚筆頭でしたわ。
部族そろわない段階で全面戦争を描いた点は不満だけれど、再度の山場があると期待して今後を待ちますね。
シトラリもオロルンもシロネンもいつもどおり見た目も性格も若くて賢くて良い子で…。本当に…いつもどおりで…。
0は最初ということで三人とも好きだったけど、だから次はひねってほしかったかな。
謎煙の主で黒曜石の老婆でなシトラリには期待してたのに普通の少女キャラ。ガチャゲーアクションゲーで弱った老人キャラは難しいだろうけどそこはメカ車椅子とか自分は動かない設定でなんとかしてほしい。なあ傀儡くん!
敵か味方かオロルンもひっぱらずあっさり謎が明かされて、ただのいい子ちゃん。あの性格と生活様式であの服装はちょっと無理がない?農作業服がデフォでしょあの子。
シロネンは言うこと特になし。本当に刺さらず…祈願しない言い訳にできたけど。部族見聞は死後の設定がもうなんか分からなくなってきたわ。幽霊あり、死後の世界で希薄化あり、死後何百年も戦い続けるのもあり、記憶から再構成もあり?難しいですね。
いまさらではあるけれど、原神のキャラの性格容姿にあまり幅がないことに気がついてきて、それがモヤモヤになってきた。もっと頭からっぽなキャラが欲しい。
その辺は花神誕祭のわちゃわちゃで結構モチベリカバーできたのでまあいいです。
そんな感じで、ストーリーはよし。新キャラの魅力はイマイチ。な5.1だったかな。
稲妻のひどい戦争と比べれば格段によくなってるし、ミツムシイベントといいフィールドを大きく使う演出が多くて満足感があるので進化を感じる出来になっております。
空とぶ一人反応チャスカにインフレを恐れつつ、5.2、復興などにも着目した新バージョンに期待してます。
イアンサ!
都内で働いてる。OLをしていて、会社通勤の際、毎朝いくつものバス停の前を通り過ぎる。
通勤時の時間帯に、よく歩いている女子学生を見かける。半径数キロ以内に学校が密集してる関係で、中学・高校生がいっぱいいるのだ。
その中に、バスを待ってる子達がいるんだけど、バス停には歩道スペースの関係からかベンチがない。
幸い、その傍にある商店?の好意で、軒下に女子高生が十人以上は並んでる風景を見かける。
ここから愚痴なんだけど、彼女らが朝方に通学バスを待っていて、私が傍を歩いているとする。すると、通勤と思しきおじさんが、徒歩や自転車で其処を通る際、制服でしゃがんでいる子(いい学校でも、たまにそういう子がいる…)の下着をガン見していることがある。
会社員の男性もそうだし、私服の男性もそうだ。作業服の男性もそうだし、このバス停を通る男は大体そうだ。「こいつ覗こうとしてる……!」というムーブをする男性連中である。
正直、私が働いている総合商社の男性社員がそんなことしてるのも見たことがある。あれは本当に軽蔑した。あと1回見たら、噂で共有しようと思ってる。
……ところで、これって生物の性なんだろうか?
女性の視点から見ると、普通に気持ち悪い。もし、毎朝のその光景をXか何かにツイートすると炎上するかもしれない。さすがに炎上はしなくても、こんなリツイートや返信があると思われる。いずれも、過去にSNSで読んだことのある、痴漢などをした男性を非難するコメントである。
「まったく男って生き物は…」
「特に中年は恥も外聞もない。JKのスカートの中など覗けた朝は、一日得した気分なんやろね」
といったコメントがたくさん付くと思われる。
おじさんだけを攻めるのは酷なのかもしれない。中学生も高校生も、普通にかわいいよね。
私だって、あのバス停で女子がしゃがんでいて、下着が見えてたり見えそうだったりしたら、それとなく覗いてしまうことがある。
実際に、外国人っぽい雰囲気の子の真っ白いショーツを見たことがあるけど、少し複雑な思いがあった。ムラムラしたかもしれない。そういう気持ちになってしまうことはある。
つまり、女性でも、観てしまうことはあると思う。おじさんじゃなくても……しょうがないのかもしれない。
それにしても、あのおじさん達はちょっと、どうかしないといけないと思う。
ここに書いたからってどうにかなるものじゃないけど、愚痴ってみたかった。
読んでくれた人いるなら、ありがとう。
Permalink |記事への反応(11) | 12:45