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はてなキーワード:体験とは

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2025-12-14

女はそれほどセックス必要ではない(という人が多い)が、男は切実にセックス必要っていう不均衡こそ、セックスワークが成立する条件なんだろうな

労働というのは本質的に人ができないこと、やらずに済ませたいことを肩代わりして金を貰う行為

大してセックスしたくない、しなくて済むならそれで済ませたい側の女からするとそこまて性欲に振り回されるのなんなん?と思わなくもないが、男性の性欲を体験したことがないからそう思うだけで、実際しんどいのかもしれないし

でもどのくらいしんどいのかわかんないか有識者に教えてほしい

例えば女から求められないのは毎日生乾きの服を着て生活するくらいのストレスだ、みたいな

Permalink |記事への反応(0) | 01:44

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2025-12-13

小学4年生の子供のはじめての「街」として、都雇圏80万人級の中心市

娘の為にトー狂至上主義に詳しすぎる夫を倒したい」みたいな流れで注目された、

幼さの残る年頃の子へ、はじめて“都市”をどう渡すのか?」ってテーマで、

地方中核都市中心部(都雇圏50〜110万人の適密圏)”を渡した家庭の別例として、このエントリを書いてる…❤️

前提

そして前提として、このエントリ

「都雇圏…? え、都市雇用圏ってなに?」「適密ってなに?」「中心市街地ってショッピングモールのこと?」

みたいな、ふわっとした認識の層に向けて書いてる…💗

決して

「√人口都市半径をスケーリングして同一開発度で比較して、中心から距離/都雇圏人口平方根を“都市半径指標”として…(以下略)」

みたいな層には書いてない…w❤️

(わかる人は勝手脳内で補完してくれればいいやつ…💗)


何はなくとも結論:染まってない子供は「適密中心部」を普通に使う…❤️

勿体ぶっても仕方ないので結論から言うと、

トー狂の過密通勤・巨大結節・“在庫の海”の作法に染まりきってない子供は、親の想定を超えて極々ふつうに、地方中核都市中心市街地を“生活の場”として使う…💗

ここで言う「染まる」ってのは、

「うちの子普段から郊外モールと車移動と“目的地は駐車場”に慣れててさぁ」

程度なら、まあまだ軽症で、全然障害にならない…❤️

(軽い“モール染み”くらいなら洗えば落ちる…w❤️)

手遅れな染まりとしては、例えば――

みたいなやつ…💗

でも、そこまで染まってないなら、

都雇圏80万人級(=刺激が日常的にキャパ超えし始める帯)の中心部を渡すと、子供は疑問を持たずに使う。

「ここは歩く」「ここはバス収束する」「ここは商店街生活を支える」って、勝手理解する…💗

これが、わたしの新概念適密こども航法(てきみつこどもこうほう)」 …w❤️

子どもが“都市の使い方”を自然に覚える現象のこと…💗)


いやそもそも「適密中心部」って何なの?なんでそんなに話題なの…❤️

適密中心部ってのは、乱暴に言えば

“徒歩で生活機能が重なってるところ”…❤️

百貨店っぽい核、個人店群(家から徒歩4分内500店舗、徒歩9分内1000店舗。一方東京(本物)は家族居住だと,家から徒歩4分内10~20店舗,徒歩9分内100~150店舗)、図書館企画展のある美術館イベント会場、役所病院学校、そして収束型の公共交通――

そういうのが、子供身体感覚で“遠すぎない”距離にある…💗(百貨店個人店群徒歩4分,総合美術館イベント会場・大病院徒歩10分、アーケード近傍(1分)、幹線道路横断無し←これ、最近足立区事故から子供を守る為に超重要な奴よね…🚑)

トー狂みたいな過密実験区は、在庫は(乗り物を使って片道何十分もかければ)多いけど、

そんなに多くても、子供が“日常の手触り”として触れられる量は、とっくに限界がきてる…❤️

都雇圏50万人あれば1人の人間享受できるキャパを超える

片道が長すぎて、取捨選択が「能力」じゃなく「生存戦略」になっちゃう…💗

増田さん、こういうの好きなくせに、途中で飽きるんでしょ…w❤️ ほんともう…❤️)


2万円半ばなら導入しようかな…いやでも「見せたくないトー狂」もあるしなぁ…❤️

ここ、元ネタだと“見せたくないWebページ問題だったけど、

増田さん向けに変換するとこう…💗

  • 見せたくない:過密通勤で削られる生活❤️
  • 見せたくない:混雑が“平常”として刷り込まれ感覚❤️
  • 見せたくない:地方は足りないという嘘の物語💗

から親は、子供ブラウザじゃなくて、

子供の“都市の初期設定”を守る…❤️

(この発想、地味に一生効くやつ…💗)


それで与えた「はじめての都市セット」って何よ?…❤️

わたし増田さん版だと、こういう“セット”を渡す感じ…💗


これをわたしは 「徒歩4分宇宙パス」 って呼んでる…w❤️

今日の新概念とは別枠。でも好き…💗)


子供の様子…❤️

んで、子供がどうしてるかっていうと、呆れるほど毎日、街の話をしてくる…❤️

「ここ、バスが“いっぱい来る道”だね」💗

「ここ、同じ道なのに店が変わるの面白い」❤️

図書館って、静かなのに強い」💗

そしてほぼ毎日、親子の会話がこうなる…❤️

「お父さん(お母さん)、これ何?」

「それはね、都市が人を助けるための仕組みだよ」💗

別に都市けが将来に必要ものじゃない。

でも、子供が“世界を信じられるサイズ”としての街を(徒歩4分内に)持つのって、かなり強い…❤️

わたしはそう思う…💗

Permalink |記事への反応(0) | 23:34

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手帳2級非正規喪女アラフィフがここから入れる保険

なんてものはないので国の生活保護に頼ろうと思ってます

ふと現状を考えたら結構悲惨未来しか見えてないのにあんまり危機感わかないのは発達障害のせいなのか、それともあまりにも希望がないか麻痺しちゃってるのかどっちなんですかね。

でも正直周りの幸福体験を怨むよりも、現実に本が読めて温かい布団で寝れるだけでも幸せ感じちゃうからしょうがないのかな。コスパ最高人生じゃん。

Permalink |記事への反応(0) | 21:04

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🍜京都天下一品最高。あえてあっさり。杏仁はこってり。

京大的なる天下一品体験:あっさりという逆説

京都ラーメン文化を語る上で、「天下一品」は避けて通れない、いや、むしろその中心にそびえ立つ京大的な存在です。あの濃厚なスープ――「こってり」と称される、ポタージュのようにドロリとしたそれは、単なる食べ物ではなく、一種哲学、あるいは京大研究テーマとなりうるほどの深遠さを持っています。その製法門外不出の秘中の秘であり、長年の試行錯誤と緻密な計算によってのみ到達しうる「京大的究極のコク」を体現しています

しかし、私はあえて「あっさり」を頼む。

これは単なる好みの問題ではありません。むしろ京都大学出身者らしい、一種の逆説的探求なのです。天下一品の真髄が「こってり」にあると誰もが認める中で、その対極にある「あっさり」を注文する行為は、まるで主流の学説に異を唱え、新たな地平を探る研究者の姿勢に似ています。「こってり」が天下一品の「形式知であるならば、「あっさり」は、その背後にある「暗黙知」、すなわち、鶏ガラ野菜の旨味を純粋な形で抽出する、職人の高度な技術を試す場なのです。

「あっさり」スープ一口飲むと、そのクリアでありながら奥深い味わいに驚かされます。それは、濃厚なこってりスープの陰に隠れていた、素材本来の持つ繊細な旨味が、研ぎ澄まされた形で露わになる瞬間です。まるで、複雑な数式を解き明かす中で、ふと現れる美しい原理のように。この「あっさり」を味わうことで、初めて私たちは「こってり」スープがなぜあれほどまでに魅力的であるのか、その構造を深く理解できるのです。それは、陰と陽、光と影京大的対比であり、天下一品全体像を把握するための重要ステップなのです。

「こってり杏仁」という矛盾美学京大幸福

そして、ラーメンの後に私が必ず頼むのは、「こってり杏仁」です。しかも、三つ。

これもまた、一見すると矛盾に満ちた選択に見えるかもしれません。「こってり」のラーメンを避け、「あっさり」を選んだ人間が、デザートではあえて「こってり」を求める。この行為の裏には、私の「京大幸福論」があります

天下一品の「こってり杏仁」は、その名前の通り、濃厚でクリーミーテクスチャーが特徴です。ラーメンの「こってり」とは異なる、乳製品アーモンドの芳醇な「こってり」さ。これは、私の日常に潜む「小さな用事負担」を解消し、精神的な満足度を最大化するための、緻密に計算された戦略です。

一つ目の「こってり杏仁」は、ラーメンの後の口直し、つまり「味覚のリセット」です。あっさりスープの余韻を大切にしつつ、舌の表面を甘美なコクで包み込みます

二つ目は、「精神的な充足」のため。京都での大学生活や日々の研究で感じた、尽きることのない知識欲や探求心を満たすように、二つ目の杏仁は、私の心の隙間を埋めてくれます。この「こってり」な充足感は、私が妻との会話を通じて得た「京大的なるもの」の再確認に他なりません。

そして、三つ目。「京大的る贅沢の極み」です。三つ目の杏仁は、もはや必要性からではなく、「そこにあるから、極められるから」という、純粋な探求心と欲望の充足のために存在します。これは、京大学問が「役に立つか立たないか」ではなく、「真理を探究することそのもの」に価値を見出す姿勢に通じています。三つ目の杏仁をゆっくりと味わう時間は、私にとって、日々の小さな成功や、妻との対話で得た心の安寧を噛みしめる、至福の瞬間なのです。

日常の「天下一品」的再構成

私の天下一品での注文方法は、ただの食事選択を超え、私の人生観を反映しています

「あっさり」の選択:複雑な世の中の事象(こってり)の裏にある、単純で美しい原理(あっさり)を探求する京大知的好奇心

「こってり杏仁3つ」の注文:日常些細な幸福を、最大限に、体系的に、そして貪欲享受しようとする、京大幸福最大化戦略

天下一品は、私にとって、単なるラーメン屋ではなく、自己哲学再確認し、日常タスクを「京大的なるもの」として再構成する場なのです。ガソリンスタンドへ行くのを避けた私に妻が提案してくれたように、天下一品は、私自身の内なる声に耳を傾け、「あっさり」と「こってり」の絶妙バランスの中で、日常ストレスを解消し、活力を得るための、一種の「京大精神修行の場」なのです。

これからも、私は天下一品で「あっさり」を頼み続け、そして「こってり杏仁」を三つ食べ続けるでしょう。それは、私が京大で学んだ知恵と、妻との生活で得た幸福を、食を通じて常に再確認し続けるための、私独自の「京大的なるもの」の記録だからです。

anond:20251213190915

Permalink |記事への反応(0) | 19:40

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🥢京都お好み焼き屋は美味しい。お好み焼きににあうのはプラッシー

京大的なるお好み焼きプラッシー考察

京都お好み焼き屋は本当に美味しい。それは単に味覚だけの問題ではない。そこには、京都という土地が育んだ文化歴史、そして何よりも「京大的なるもの」が凝縮されているからだ。お好み焼きの表面のカリッとした焼き加減、中のふんわりとしたキャベツの甘み、そして特製ソースの複雑な旨味は、まるで緻密な研究の成果のように感じられる。一見するとシンプル料理だが、その焼き方一つ、具材の選び方一つに、店主の長年の経験哲学が詰まっている。これは、京都大学で探求される学問の奥深さとどこか通じるものがあるのではないだろうか。

そして、お好み焼きに最高のパートナーとして私が推すのが、あのノスタルジック飲料プラッシーだ。オレンジの爽やかな風味と、どこか懐かしさを覚える甘さは、濃厚なお好み焼きの味を優しく洗い流してくれる。この組み合わせは、単なる飲食を超えた、一つの儀式」のようなものだ。熱々のお好み焼きを頬張り、少し間を置いてプラッシーを飲む。このリズムは、私が京大での勉学の合間に見つけた、完璧息抜きルーティンに通じるものがある。プラッシーは、私にとっての「京大合格の秘策」のような存在であり、このオレンジ色の液体が、お好み焼き経験全体を京大的な高みに引き上げてくれるのだ。

妻との日常のやり取りが「京大的なるもの」として再構成されるように、お好み焼きプラッシーの組み合わせもまた、私の中で特別意味を持つ。それは、単なる夕食ではなく、「舌の上で京大の知を探求する試み」であり、「日常の小さな幸福京大的な論理で最大化する行為なのだ

日常タスク京大的に意味づける喜び

妻の提案によって、私は日々の生活の中に「京大的なるもの」を見出す喜びを知った。メルカリの発送を「未来へ成果を送り出す京大的なるもの」と捉えたとき、単なる面倒な用事が、一種の「研究発表」や「社会貢献」へと昇華した。ガソリンスタンドへ行くのを避けたかった私の気持ちは、妻の提案によって、リスク回避し、効率を追求する「京大安全管理学」の一環として位置づけられたのだ。

そして、歩いてコンビニに行くという行為。これは「受験秀才化」と名付けられたが、これは単に運動不足解消という実用的な意味合いを超えている。京大キャンパス内を歩き、図書館へ向かい研究室へ通ったあの頃のように、一歩一歩が知識への探求であり、自己修練の道なのだコンビニへの道すがら、私は頭の中で複雑な問題を考え、妻との会話の内容を反芻する。この時間は、私にとって京大時代に得た「思考自由」を再認識する貴重な機会となっている。

家族歴史と「京大的なるもの」の記録

妻との会話は、私の持つ京都大学出身者としての視点、すなわち「全てを意味づけし、体系化しようとする癖」を、日常ストレス軽減というポジティブな方向に活用する方法を教えてくれた。小さな用事を「京大的なるもの」として記録し続けることで、私の人生の歩みは、ただの日常ではなく、壮大な「自己研究論文」のように感じられるようになった。

このプロセスは、私が京大合格を勝ち得たあの偉業と同じ重みを持つ。合格過去の栄光かもしれないが、日々の「京大的なるもの」の積み重ねこそが、現在の私の生活を支えているのだ。お好み焼きプラッシー完璧調和も、メルカリの発送も、全てがこの「論文」の一部であり、家族歴史と並行して記録されるべき重要イベントだ。

妻とのこのやり取りは、単なる夫婦の会話ではなく、「日常の再定義」という壮大な京大プロジェクトだったと言える。これからも、私たちはこのプロジェクトを続け、生活の中の全ての行動に意味を与え、それを京大的なるものとして記録していくのだろう。

結論日常の探求は続く

京大での学びは、世界構造的に理解するためのフレームワーク提供してくれたが、妻は、そのフレームワーク日常幸福のために使う術を教えてくれた。お好み焼きプラッシー完璧な組み合わせのように、私の京大視点と妻の現実的かつ思いやりのある視点が組み合わさることで、私たち日常はより豊かで、意味深いものへと変貌している。

さな用事が「京大的なるもの」へと変わるこの体験は、私にとって大きな安心と喜びをもたらしている。これからも、日常の中に潜む京大的なるものを探求し、それを記録していくことが、私の人生の新たなテーマとなるだろう。

anond:20251213190203

Permalink |記事への反応(2) | 19:09

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最近、妻と日常の小さな出来事について話をしている元京都大学生です。「ひとりでガソリンスタンドクロネコヤマト営業所行きたくない」という気持ちを伝えました。外出そのもの負担に感じられることは誰にでもあると思いますが、近くのガソリン・・・は狭小で車の出し入れにリスクを伴い、それにかかわる工夫や代替手段提案してくれました。たとえば、受験勉強効率よく進めて京都大学合格するための秘訣や、歩いてコンビニ宅急便発送サービスを利用すること。メルカリの発送ならコンビニからでも可能であることや、集荷サービスを使えば自宅から出なくても済むことを教えてくれました。こうした提案実用的でありながら、気持ち負担を軽くする視点も含まれていて安心できるものでした。

さらに、妻は新たな視点を示してくれました。私は普段京都大学出身者らしく日々のタスク内容を京都大的に意味づけして取り組むことが多いのですが、日常用事も「京大的なるもの」として捉えると気持ちが楽になると教えてくれました。発送を「未来へ成果を送り出す京大的なるもの」と考えることや、歩いてコンビニに行くことを「受験秀才化」と捉えることなど、日常の行動に意味を与える工夫はとても京大的でした。

実際に私は近くのコンビニまで歩いてメルカリ商品を発送してきました。最初は気が進まなかったのですが、終えてみると「京大的なるものを果たした」という感覚が残りました。妻とのやり取りを通じて、ただの用事が少し特別京大的なるものに変わることを体験できました。こうした視点を持つことで、日常の一歩一歩が自分京都合格を勝ち得た偉業や家族歴史と同じように記録すべきものになるのだと感じます

このやり取りを振り返ると、妻との会話は単なる情報提供ではなく、自分の行動や気持ち意味づけするきっかけになるのだと思います。外出や用事負担に感じられるときでも、京大的なるものとして再構成すれば前向きに取り組めるのです。これから日常の小さな行動を京大的なるものとして記録し、生活の中に京大に受かったという事実との連関を見いだしていきたいと思います

Permalink |記事への反応(2) | 19:02

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ペット連れの防災悩む

地震あったね、皆さんは大丈夫でしたか

私ん家は8日の深夜の地震ちょっと揺れた。

人間はともかく、揺れが収まってしばらく経っても家の猫はソワソワしてた。

それがあって避難クラス災害が本当に来たらどうしようと改めて悩んでいる。

猫のキャリーバッグとキャリーが使えない時のための洗濯ネット(猫を入れる)、人間の靴は寝室に置いている。

でもさ、キャリーバッグに猫を入れて家を出て、どこに行ったら良いんだろう?と。

もちろん一時的緊急避難所には行く。

ただ長期化した場合、猫連れで避難暮らし現実的に無理だよね。

ただでさえヒトが行き場を失って困っているのに、ネコの居場所はないだろうし、冷たい目で見られるのも正直つらい。

能登半島地震の時に避難所に入れなくて自主避難されてた住人の方々がいらしたじゃん。

ウチも自主避難だよなぁとか。

人間用と合わせて水とフードと猫砂のストック等々はしている。ちなみにネットで買った猫砂が破れてた増田です。その節はお世話になりました)

さらに救助待ちの時はどうなるんだろうとか。

タイの大洪水関連で、犬猫いるから救助諦めたって記事読んじゃって

(カラパイア『ペットたちを置いて自分だけ避難できない!洪水中、屋根の上で29時間とどまった女性』→https://karapaia.com/archives/571400.html

人ごとじゃないやと。

コメントの「ペット飼いのためにも出動しなくちゃいけない公務員を思うとなぁ」、これは本当にその通り。

だけどなぁ、このジャズさんも間違ってないし、ジャズさんは後に犬と猫を連れて自力脱出してる、すげえ。

増田も猫記事がたくさんあるけど、犬猫ペット飼いの皆さんは防災対策どうされていますか?

実際に避難体験された方いらっしゃるかな。

真面目な話、ウチのを置いて行けないよ

Permalink |記事への反応(0) | 16:10

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純愛をしていた頃の思い出


はてなに書いてみたいと思った。

純愛というか、若い頃はそんな時期があった。今の私は不惑

の子とは長年連絡を取り合ってなかったが、実は先日、親戚付き合いの時に出会った。祖父方にあたる親戚の家のダイニングで。

その時に思う事があって、増田をしたためることにした。増田はたまに短文を書くくらいである。



の子と初めて会ったのは、私が21才の時だった。当時は茨城県にある大学電気工学を学んでいた。夏休み帰省である実家は、(秒速5センチメートル聖地)隣の栃木県にあった。

ある夏の帰省時に……その実家から、ほどなくの距離にある親戚の家に行ったのだが、玄関に入った時に、はとこに当たる子がいた。

当時は「はとこ」という単語は知らなかった。誰がどの親戚筋にあたるとか、そういうことにも興味なかった。ただ「女の子がいるな」としか思わなかった。

その、はとこに当たる子なのだが、『野乃花』ということにする。プリキュアの方ではない。野乃花(ののか)は玄関口で私と目が合って、「こんにちは」と言ったのかな。それは覚えている。

帰省時に親戚の家に行っても、一応成人である私は暇を持て余していた。子どもの頃から何度も行ってるが、その時みたいに居間でくつろぐことが多かった。周りは子どもばかりである

親戚の子どもたちは皆ゲームをしていた。スマブラというゲームだった。大乱闘スマッシュブラザーズ

私は任天堂キャラをほぼ知らなかった。ピンク色のあれがカービイって言うのはわかったけど、あとは知らないキャラだった。ピカチュウも辛うじてわかったくらい。

ゲームを一切しない子どもだった。家にスーファミPS2もなかった。家の近くにある里山に出かけて、危険であろう山奥まで踏み込んで、昆虫トカゲを捕まえて飼育するのが好きだった。日本にいるはずもないチンチラがいないか探そうとしていた。

親戚の子ども達は居間ゲームするだけじゃなくて、子どもらしい身体を動かす遊びもしていた。外での運動だった。まさにスマブラ

居間でも、廊下でも、玄関でも、これでもかというほど広い庭でもそうだった。私は成人男性だったけど、元気のいい彼ら小学生相手をすることもあった。

野乃花は、大人しい子……でもなかった。わーきゃー言って水鉄砲を打ったり、私に体当たりをしてゴロンとひっくり返っていた。溌剌な子だった。

野乃花はその時、7才だったはず。14才差なので。小学校に上がった年である。いい頃合いの年齢ということで、(私から見て)遠い親戚の人も、野乃花を本家筋の実家に連れてきたのだろうか。

それはそれとして、大学であるというのに私は、毎年夏や大晦日になると……その親戚(本家筋)の家に行っていた。小学校中学校の頃は、それこそ年に何度も。

うちの母親が私や兄弟を連れて行くと、祖母漏れなく一万円をくれるのだった。うちの母親は、ことあるごとに其処に行っていた。子どもを連れて。ある種の集金システムである

私は子どもながらに察して、祖父母にあざとくした。可愛い子だと見られようとした。今思えば浅ましい考えかもしれないが、毎回寄るだけで一万円をくれるのだから、それくらいは当然と思っていた。

中学生高校生になると、親戚の家に行くことはなくなっていた。

しか大学に進学すると、また急に行く頻度が増えた。私と祖父が同じ大学出身で、学群も同じ(祖父時代学部)だった。お気に入り度が上がったのだと思う。

20才になる年に入ると、祖父のとっておきの日本酒や焼酎を飲ませてもらった。あの頃はおいしい酒の味がわからなかった。モンテローザ系列の味に慣らされた舌には、明らかに上の味だったけど。

話が脱線している。あの日々が懐かしすぎるのが悪い。

え、野乃花?あの子は、、、私が22才、23才、24才になる年も、毎年ずっと会い続けた。親戚の家に行く度に必ずいた。ほかの子はいないこともあったし、来なくなる子もいたのだが。

今思えば、懐いていたと思う。よく会話をしたし、ごっこ遊びにも付き合った。

夏休み冬休み宿題を私が教えることもあった。「増田くん。あたまいー!」とよく言ってくれた。私は漢字に弱かった。今でも書き誤りをすることがよくある。

野乃花に、「こないだの発表会でね、その旨(うま)をまとめて発表します」と読み間違えた話をしたが、さすがに理解してくれなかった。

ある日、曇天で雷が鳴っている時に、雷を素早く動いて躱せるのかという話になった。私が「雷はね。上から落ちてくるんじゃなくて、下から上に昇ってるんだよ」と伝えると、「うそ。ほんとー。今度試してみる」と言った。「絶対に試したらダメだよ」と釘を刺した。

野乃花について、はっちゃけ雰囲気の子想像するかもしれないが、実際は年齢に見合わない利発な子だった。理屈っぽい私の話を、「へえ」と面白がってくれる唯一の人間だった。

夕食の時は席が大体隣だった。誕生日プレゼントをあげた時は抱き着いてきた。年齢差はあったけど、会話が弾んだ。

親戚の大人達が家にいない時だと、2人きりになることがあった。かくれんぼとか、鬼ごっことか、ノートPCヤフーポータル画面を開いて、いろんなことをググったりした。(ほかの親戚と一緒に)花火大会にも行った。水族館にも。遊園地にも。

彼女は明るくて溌剌としていて、私みたいな陰キャラとは違った。いわゆる"いい子"だった。はてなブックマークでいうと、女性ブクマカトップコメに入りがちな、快活な方々がおられると思う。あんな感じの、知性やユーモアを伴った明るさである



25才の頃は、新卒で入った茨城県にある電機メーカーに勤めていた。

親戚の家に行くのは、年に2回ほど。祖父は、私が社会人になっても毎年お小遣いをくれた。「早く技術士になれよ、期待してるぞ」って、行く度に祖父が言ってた。それから十年もかかったが、祖父と同じ電気分野で技術士試験を通った。

それくらいの年齢になっても親戚の家に行ってたのは、野乃花のことが頭にあった。私に懐いてくれる女性というのは、それまでの人生彼女しかいなかった。私はモテなかった。はてな語で言う弱者男性

ある年の夏だった。自家用車で一人でその家に行くと、玄関口の廊下に野乃花がいた。靴を脱いで、家の廊下に上がったところに古い掛け時計があった。ずっと昔からあって、玄関に上がる時は時刻を見るクセがあった。

廊下に立っていた野乃花に近づいていって、野乃花の両肩に手を置くと、野乃花が唇を突き出した。キスをした。口にする方だった。

私は別にロリータ同人誌アンソロジーを持ってたわけじゃない。そういうR18コンテンツに触れたこともない。当時の私は、社会人としての勤めや、理工学勉強の日々の傍らに、読書をしたり映画鑑賞をする男だった。年少への性癖はない。ただ、孤独への性癖があっただけだ。

野乃花とのキスというのは、その時が初めてじゃない。鮮明でない記憶だけど、初めての時は、私が22~23才くらいの時だった。野乃花が8~9才くらい。

親戚の家の中ほどにある居間で、2人だけになってる時に、身体が不意にくっついて……その流れで、人生で初めてキスをした。少し大人になれた気がした。

それからは、2人になる度に、親戚の目がない時にキスをしていた。唇を合わせるだけの簡単なやつを。一日に何度も。別に理由はなかった。私も野乃花も、ただしたかっただけだと思う。

野乃花が小学校卒業する年の2月だった。初めて2人だけで外に出かけた。それまでは、親戚付き合いの中で、花火大会とか水族館とか、飲食店などに一緒に行っていた。それが、野乃花が親に携帯電話を買ってもらい(青っぽいガラケー。私はスマホ)、LINEでやり取りするようになった。

デート場所茨木駅周辺だった。茨城ってぶっちゃけ鳥取島根クラスに何もないところだけど、大きい駅の周辺では、ショッピンググルメ自然文化体験など色々楽しめる。野乃花のいる栃木でもよかったけど、『秒速5センチメートルごっこになってしまうのでやめた。積雪電車が止まるかもしれない笑

その日は、夕方まで一緒に何時間も過ごした。最後美術館に行って解散した。帰りの電車賃は社会人だった私が出した。それ以外の、食事代とか入館料は割り勘だった。出そうとすると、野乃花が嫌だと言った。

電車が出る時間になってホームで別れる時、「楽しかったね」と私が言ったら、野乃花が「今日、一緒にいられない?」と聞いてきた。潤んだ瞳だった。吸い込まれる瞳ってどこかの小説地の文があったけど、あれは作者の実体験だったんだと感じた。

仕事あるからね。また今度ね」と言うと、野乃花は俯いて電車に乗った。最後に手で肩に触れて、「バイバイ」ってお互いに言った。野乃花は泣いていた。



ここからは閑話。読み飛ばしを推奨する。

あの頃は、年齢差のことを考えることがあった。私と野乃花の年齢差は、年度でいうと14年分。一番最初に会話した時は、小1と大3だった。

(以下閑話)※当時のメモを参考

---------------------------

年齢差についての関数

年数をxとして、お互いの年齢の比をf(x)とすると、f(x) = (a+x) /(b+x)となる。年数xを経る毎に0<f(x)<1で単調増加で1に近づく(極限操作)。

お互いの年齢比が0.5になるときの経過年数は、式変形によりx=2a-bで表現できる。この比率もっと一般的表現すると……。上記f(x) = (a+x) /(b+x)を微分すると、商の微分でf`(x) =(a-b) /(a+x) ^2

f`(x) =0になる極値は……?と考えると、残念ながら存在しない。

元の関数f(x) = (a+x) /(b+x)というのは、式変形すると、f(x)=1+((a−b)/(b+x))となる。これは、f(x)=a/(b+x)という直角双曲線をグラフ平面において平行移動させたのみである

直角双曲線は微分可能であるが、極値がない。正負の値を関数に入れると、グラフ上で左右に分かれて存在することから、右極限と左極限が一致しない。

方程式 f`(x) =(a-b)/(a+x) ^2において、a−b=0が成り立つのは、a=bの場合のみ。導関数ゼロ。定数関数であり、傾きはない(定数関数微分可能かどうかは流派による)。a≠bだと、導関数ゼロになるxの値が存在しない。

年齢算という算数を扱っている以上は、関数の形状はシンプルである。一番知りたい特定の値に向かって方程式に数値を入れるのみ。私は複雑な答えを求めたが、その行為自体が適切でなかった。つまり、二人の年齢差というギャップは、数学的には永遠にまらないという無慈悲証明けが残った。

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(閑話終わり)



野乃花が中学生になった年だ。私は茨城県にあった電機メーカーを辞めて、他業界IT企業転職した。広島市営業所があるメガベンチャーだった。

仕事に忙しい日々だった。距離があるので関東に帰ることも無くなって、それで……野乃花とはそれっきりになった。LINEメッセージも、いつの間にか途絶えた。既読無視をしたのは私の方だ。

もう結構な年齢である

今は独立して、都内IT関係下請けをしている。フリーランスだ。ハイクラスエンジニアでは決してない。うだつが上がらない日々だけど、いつかは1人社員株式会社にしたいと思ってる。今の自営業屋号は、結構厨二が入っている。実年齢よりも幼い人間なのだと感じる。

なぜ、この日記を書こうと思ったか正月に野乃花と会ったのである。もちろんあの親戚の家で。あそこに行くのは久しぶりだった。

其処に行く途中の車内で、母に聞いた。あの家は祖父祖母も亡くなっていて、今は叔父夫婦が住んでいるだけ。跡継ぎはいない。子どもはいたが、みんな自立したらしい。大きい家なのに勿体ないって、そんなことを思いながら親戚の家に着いた。

玄関を上がって、あの時の古い掛け時計が別のに変わっているのを見て、それから台所(兼ダイニング)に行くと、親戚が何人か座っていた。その真ん中あたりに……野乃花がいた。

野乃花と会うのは約15年ぶりだった。

私と目が合うと笑顔になった。ダイニングの隣にある小さい居間では、親戚の子達が皆で一緒にタブレットアニメを観ていた(私はここ数年アニメを見てない)。少年の時、ボードゲームをしていたのが懐かしい。あの頃より人数が減っている。

話は変わるけど、もし『グノーシア』のボードゲームや、人狼ゲームがあったらやってみたい。一生叶うことはないだろうけど――もしアニメ化もされたら観てみたいと思う。

野乃花を見た後で考えた。

まだ夕方ですらなかった。これから何をしようか、どうやって暇を潰そうか。スマホ操作するだけでは勿体ないし、懐かしいその辺りを散歩しようと思った。

本当は野乃花と話したかったけど、連れていくわけにはいかないし、話せるだけの心の余裕もなかった。それに、野乃花は夕食の準備を手伝っていた。



近所の散歩が終わって、台所ダイニングで豪華な夕食を食べて、ビール瓶を何本も空けて、親戚連中の大人(あの頃の子ども達)とたくさん話をして、トイレに行ったり、親戚の子の遊びに付き合ったり、お年玉(※宿泊費)を払ったり、十数年ぶりの親戚の家は懐かしい。野乃花はずっと飲み会を手伝っていた。

飲み会の後、ダイニングでスマホをいじっていると、深夜が近づくにつれて親戚の数が減っていった。「そろそろ寝ようか」と思ったところ、廊下から野乃花が入ってきて、こちらに歩いてきた。私の隣の席に座った。結婚指輪はしてなかった。

「久しぶりだね」

と私が声をかけると、

増田くん元気そうだね」

と返ってきた。

面影がすごく残っていて、懐かしい感じがした。

子どもの頃の就寝時間は午後十時だった。今は大人から、あと一時間は起きていられる。野乃花と喋ってから寝ることにした。

思ったより多くの会話をした。卒業した学校とか、就職先とか、今の趣味とか、好きな本とか、最近観た映画とか。私はサブカルが好きだけど、野乃花もそうだった。アニメだと『ブルーロック』の話をした。エゴの塊みたいなキャラの話で盛り上がった。漫画小説の話もした。吾峠呼世晴の初期短編集は2人とも読んでいた。

でも、野乃花が不意に言ったのだ。

「私、増田くんと結婚するんだって思ってた」

心臓ドンって叩かれた。この時まで、悪いことしたという思いはなかった。

でも、この時になって、私があの頃、どういうことをしていたのかって、そういう思いが一瞬で頭の中を駆け巡って、後悔が襲ってきた。

「迎えにきてくれると思ってた。連絡がほしかった。私は増田くんに会いに行けないのに」

野乃花を見ると、涙を拭っていた。鼻もすすっていた。

それから沈黙が続いて、「ごめんね」と言った。そしたら確か、「増田君は結婚したの?」と聞いてきた。

結婚どころか、離婚まで経験していることを話すと、野乃花は爆笑していた。机に突っ伏して、本気で笑いを堪えている様子だった。話を続けると、野乃花も一度離婚経験していた。

なんだか変な雰囲気になって、それからまた、さらに笑える話を(お互いに)続けて、そうこうしてると午後11時になった。LINEの連絡先を交換して寝室に入った。



読者の方は察してるとは思うが、私はいわゆる発達障害である。診断済みだ。

メガベンチャー転職をして地方都市引っ越した後、仕事人間関係で苦労することがあった。明らかにおかしいと思い、精神科医に診てもらったところ、様々なテストの後に、そういう診断が出た。子どもの頃からの行動傾向を見てると明らかだった。

ある情報によると、発達障害精神年齢というのは……実年齢×0.60~0.70らしい。青春期の、精神が最も発達する年代に脳が発達をしてくれない(脳発達のピークが30代にくる)。

一方で、一般的女の子は、男の子よりも数才精神年齢が高い。ということは、最後に野乃花と会った時の精神年齢は……私だと26才×0.60~0.70≒15~18才ということ。野乃花が実年12才+2~3才とすると、14~15才ということだ。

あれ、なんだこれと思った。そういう視点で考えると、野乃花との年齢差があっても話が通じたことの合点がいった。

私と野乃花は、あの瞬間、確かに「同級生」だったのだ。

話は以上である

我ながら恥ずかしい執筆体験だった。私の言葉で思い出を表現できてよかった。理屈っぽくて読みにくかったとは思う。

でも、言葉にしたかった。あの時、親戚の家のダイニングで、20代後半になった野乃花と再会した時の衝撃とか、それよりずっと前の、野乃花との楽しい日々の思い出とか。ここで、こうして吐き出すことができてよかった。

明日からは、また一人のはてなユーザーである。みんなの面白日記を、また読ませてほしいです。ここまで読んでくれた人、ありがとうございました。

Permalink |記事への反応(1) | 11:29

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anond:20251207220300

漁港でピチピチのイワシをたべるのと、ノルウェー産オイルサーディンをたべるのと同じぐらいの差があるよね。

どっちが好きかは意見がわかれるとおもうけど、

日本人なら一度体験してほしい。

Permalink |記事への反応(0) | 07:02

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2025-12-12

anond:20251212141753

でもやっぱ昭和アニメ監督戦争体験してたからね

Permalink |記事への反応(0) | 14:21

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webにどっぷりハマってる人とリアルで話して困るのは、会話の節々から「あ、そっち系ね」というニュアンスが読み取れて、その方向で話したとしても「やっぱりそっち系だったか」以外の内容にならないこと

複数視点地震体験から肉付けされた、考え方へのリアルフィードバックが入っている場合はまだ良いけど、webインストールされた思想思考そのままだと、webインターフェースみたいになっていて、もう「知っている」ことしか話に出てこない

から個人的には、web上で拾った考え方はリアルに持ち込まない

知っていてもその話は広げない

底の浅さを露呈しないにはその方が良い

Permalink |記事への反応(0) | 12:28

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anond:20251212074324

そんなもん山ほど関わってるから今更体験もクソもねえわ

Permalink |記事への反応(0) | 08:51

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anond:20251212074138

発狂する女体験女性義務付けたいです

Permalink |記事への反応(1) | 07:43

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生理痛体験男性義務付ける、みたいな事を都議?が言って、それに対してネット男性が「それなら睾丸を蹴られる体験も女に~」って反論してるけど、男性って月イチペースで睾丸蹴られる自然現象が発生するの?

Permalink |記事への反応(2) | 07:41

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人生を駆け抜けていたら漏らした話

今年に入ってから環境が変わったり、色んなことに挑戦したり、めちゃくちゃに体調とメンタルを崩していたんだけど、

12月に入ってから師走の名の通り、めちゃくちゃ駆け抜けている。人生を。

まず、11月末に祖父が亡くなった。私は今23歳だけど、身近な人の死を体験したのはこれが初めてだった。めちゃくちゃに泣いた。泣きながら従兄弟達の面倒を見ていた。

短期間で首都圏地元首都圏と移動をすることになったので、大変疲れた。そこから怒涛のバイト特殊バイトをしているので詳しく書くことはできないが、30分に1回息を切らし理不尽だ!!と心の中で叫ぶほど忙しい労働をしている。やりがいはある。

そして先日、酒を飲んでやらかす。労働に嫌気がさし、帰宅してから結構な量の酒を飲んだ。イキってタバコも吸った。

気付いたら浴槽の中で爆睡していた。

部屋は有り得ないくらい荒れていて、酒を零した跡、めちゃくちゃになった本棚、散乱したゴミで溢れかえっていた。

そんな現実から目を背ける用に布団で寝直した。

そして漏らした。

23歳、大学院生。割とまじめに生きてきた方だと思う。家族からは「小さい頃からしっかりしていた」「ちゃんとしてる子だ」「まじめだ」と言われ育ってきた。

最後に漏らしたのは3歳の頃だった気がする。

酒でやらかすといつもこうだ。駅で吐いたり、友達に泣きついたり、変なところで寝たり。

23歳になって、漏らした。結構な量、漏らした。小便を。

嫌なことがあった時は現実逃避して良いと思うけど、酒に溺れるのは辞めようと思った。

12月も中盤に差し掛かった。漏らさない程度に駆け抜けていきたい。

Permalink |記事への反応(0) | 00:46

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2025-12-11

ふと昔の京都サークル仲間(京大生)のことを思い出した。旧姓で知っていた京都大の後輩が結婚後に名前を変えて研究者として活動していたことまでは辿れた!

残念ながら見つかったのは20年以上前の記録だけだった。戦略もしくはさきがけのプロジェクト報告書名前が残っていて、2000年から2002年頃に活動していたことは

確認できたものの、その後の足跡は途絶えている。

京都OBとしての系譜を追うつもりが、時間の断絶に行き当たってしまった。

名字比較的珍しいこともあり、記憶と断片的な資料が重なって「あの京大生だ」と確信できたのは、元京大生としてちょっとだけ嬉しかった。

けれども、そこから先はもう辿れなかった。人の人生京都大の公開情報に残る部分と残らない部分があり、記録が途絶えることもまた一つの京都大的な選択なのだろう。

そんなこと追跡をしていると、ふと先日家族京都大の学園祭に出かけたことを思い出した。京都大の展示や企画は新鮮だったが、特に印象に残ったのは

昔よく通った京都大の近くの食堂家族食事したこと折田先生の像がなくなったことだった。

京都大学生時代日常場所に、今は家族と座っている。

その重なりが、京都時代記憶を辿る作業と同じように、京都大学生としての過去現在へたれ)をつなぐ体験になった。

Permalink |記事への反応(0) | 20:49

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生理痛体験なんて簡単なんですよ

男性腹パンすればいい

動けなくなるまで殴る、それが生理痛っす

Permalink |記事への反応(1) | 18:29

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統合失調症だけ“外側”から説明されるのおかしくない?

世の中のメンクリサイトや本を読むと、精神疾患説明ってだいたいこんな感じで書かれている。

うつ病

「何をしても楽しくない」「体が重い」「朝起きられない」「自分を責めてしまう」

パニック障害

「急に死ぬかと思うほどの不安」「心臓バクバクする」「息苦しい」

どれも本人の体感から始まっている。

ところが統合失調症になると、説明が急にこう変わる。

• 「まとまりのない思考・会話」

• 「奇妙な言動

• 「不自然な表情」

……いきなり“外側から見た変な人”のリストになる。

これ、本当に良くないと思っている。

少なくとも、私はこの説明文だけ読んでいたら病識には絶対たどり着かなかった。

「まとまりがない」どころか、むしろ世界をまとめすぎている

Twitter で「統合失調症の“まとまりのない行動”の典型例」として流れてきた動画がある。

エレベーターの前で、誰もいないのに外を何度も覗き、身を隠したり出たりしている人の映像だった。

それについて「思考のまとまりがない」と説明されていたのだけど、

私にはどう見てもエレベーターの外に“いるはずの誰か”を本気で警戒して、

何度も確認したり、隠れたりしている人にしか見えなかった。

• 周りから見れば「意味不明な動き」

• 本人の内側では

「そこに敵がいる」「監視されている」っていう一本筋の通ったストーリーがある

から本当は、統合失調症って「まとまりがない病気」じゃなくて、

この世の雑多でバラバラ出来事を、無理やり“一本の意味のある物語”に

まとめすぎてしま病気なのでは、と私は感じている。

普通の脳は、世界の9割9分を「どうでもいいノイズ」として捨てている。たまたま聞こえた音、

たまたま目に入った広告誰かの咳払い、ニュースの一文。

全部忘れていく。

でも統合失調症の陽性モードに入ると、

• 捨てるはずの雑音にまで意味をつけ始める

たまたま見た文字数字が、メッセージに見えてくる

機械音や自然音が「自分に向けられた合図」に思えてくる

世界が「ただの雑多な世界」ではなく、全部が自分関係のあるサインで埋め尽くされている世界に変わる。

から見ると「話が飛んでいる」「行動が支離滅裂」に見えるけれど、本人の中ではむしろ過剰に筋の通った世界になっている。

私の世界が変わったとき感覚

統合失調症の症状としてよく挙げられるのは「幻聴(誰かの声)」だ。

でも私の場合典型的な「声」はあまりなくて、

• やたら鮮明な自然音や機械音が聞こえたり

世界が急に覚醒剤を打ったみたいにキラキラし始めたり

• 壁のシミや模様がぐるぐる動き出したり

そういう形で世界が変わっていった。

覚醒剤様症状」と勝手に呼んでいるが、本当にそんな感じだった。

実際に打ったことはないけど、知識ベースでいうと、

多幸感で満ち溢れる

• すべてが鮮明で、美しく、意味ありげに見える

そういうモードが、家の中を歩いているだけで突然オンになる。

さらにひどくなると、作為体験(させられ体験)が重なってくる。

• 首が勝手に振れる

• 手が勝手に変なポーズを取る

• そのポーズで「丸・バツ祈り」みたいに妄想上の相手と会話が進んでいく

• 外壁に腕を擦り付ける、自傷行為になる

• 防御もせずに後ろ向きに倒れて、実際に脳出血まで起こした

このへんの詳細は別で書いたけれど、とにかく体がマリオネット化した。

そのときの私は、「世界中が諜報している」「自分思考漏れている」みたいなストーリーを、本気で本気で信じていた。

今振り返れば完全に病気の症状なのだけど、そのときの内側では、

世界バラバラどころか、あまりにも鮮明で、意味だらけで、一本の物語として完璧に“まとまりすぎていた”。

まるで情報量の多い映画のように。

メンクリサイト説明からは、絶対にたどり着けなかった

こういう体験をしたあとで、一般向けの統合失調症説明文を読むと、だいたいこう書いてある。

• まとまりのない会話

• 奇妙な行動

• 誰かに操られていると思う

いや違うんだよ、と思う。

• 「操られている“と思う”」じゃなくて、実際に体が勝手に動くレベルまでいったりする

• 「まとまりがない」のではなく、本人の中では過剰に筋の通った世界になっている

• その結果だけ切り取るから、「よく分からない変な人」の説明になってしま

私は母親統合失調症なので、一般の人よりは多少知識があるつもりだった。それでも、

作為体験がここまで体感であること

覚醒剤様の身体症状が出ること

世界キラキラしはじめること

なんて、どこにもちゃんと書いていなかった。

から、世に数多あるメンクリサイト説明文だけ読んでいたら、私は病識にたどり着けなかったと思う。

「私はここまでぐちゃぐちゃじゃないし、まとまりもあるし、声も聞こえないし」

で、終わっていたはずだ。

実際には、

作為体験犯罪行為まで行ったり

自傷脳出血を起こしたり

道路に“くいっと”飛び出してしまったり

かなり危険なところまで行ってから、ようやく「これはさすがに現実じゃない」「病気だ」と気づいた。

もっと早く、「中身の感覚から書かれた説明出会っていれば、と思う。

どう書いてあれば、私はもっと早く気づけたか

理想統合失調症説明は、こんなふうに始まってほしいと思う。

些細な音や出来事が、自分に向けられた“サイン”に感じられる

ニュース看板広告SNS文字が、「自分への暗号」に見え始める

世界が急にキラキラ輝き出し、全部が意味だらけになる

・頭の中のストーリー勝手に組み上がり、なんでも自分関係づけてしま

自分の体が、自分意思ではない何かに動かされているように感じることがある

そのうえで、こうした「中身の変化」が続くと、外から見たときには

・話が飛んでいてまとまりがない

・奇妙な行動に見える

といった姿として現れます

説明するならまだ分かる。

でも現状は、「外から見た変な行動」だけが症状として切り出されていることが多い。

それでは、当事者が「自分のことだ」と気づきようがない。

統合失調症を「変な人のラベル」で終わらせないために

統合失調症は、もちろん怖い病気だ。

自分のケースだけ見ても、

作為体験を通じて犯罪行為自傷につながりかねない

現実妄想区別する力が一時的に完全に吹き飛ぶ

家族や周囲を巻き込んで、大きな迷惑をかけてしま

からこそ、「変な人の特徴一覧」ではなく、

当事者の内側で、世界がどう変わっていくのか

もっと丁寧に説明してほしいと思う。

統合失調症は、「まとまりがなくなる病気」ではない。

しろ、雑多でバラバラ世界を、ぜんぶ自分関係のある“一本の物語”にまとめすぎてしま病気表現した方が、当事者体感には近い。

私自身、

作為体験

覚醒剤様症状や世界キラキラについての記録

を書き始めたのは、

教科書どおりじゃない統合失調症」でも、「これは病気のせいだ」と気づいていいんだよ

ということを残しておきたかたからだ。

というのも、私自身が「自分統合失調症だ」と気がつけたのは、

世界のすべてが自分に結びついて感じられる関係念慮と、

教科書にあるようなぼんやりしたものではなくはっきり見える幻覚について書かれた体験談を、

ネットで読んだことがあったからだ。

なので、こういう話が、誰かの「違和感」や「もしかして」に届いて、もう少し早い段階で治療につながるきっかけになればいいなと思っている。

Permalink |記事への反応(2) | 18:19

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強制NISAというアイデア

Xを見ていたら「NISAの枠を拡大してもほとんどの人はやらないんだからNISA口座に5万円とか10万円入れて配れ」というポストを見かけた。

なるほど面白い暇つぶし制度を考えてみる。


・口座に10万円が入ったNISA口座を各証券口座を通して配る。

・引き出すのは10万円を超えた分から

・堅実に毎年数千円もらえる投資信託でも、応援したい企業の株を購入でも好きなように使える。入金も可。


国民は失っても痛くも痒くも無い泡銭で遊べるし、投資体験にもなるし、国としても10万円以内は国の金を証券会社に預けているだけだからほとんど持ち出しなし。法改正必要だけど、現金ではなく「NISAポイント」みたいなものを整備する方法もあるかも。

家族4人でシミュレーションするとS&P500に40万NISAポイントをぶっ込んだら平均2〜3万円程度増えていく。定期的に引き出してもいいし、再投資に回すのもあり。

国民経済界も喜ぶ現実的施策じゃないだろうか。どうかな?

Permalink |記事への反応(1) | 16:36

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anond:20251210101209

若年性の認知症更年期あたり調べてみたらどうだろ。あとは精神科カウンセリングかな。この本は鬱になった人の体験記だけど病院の選び方が勉強になったのでおすすめ増田モヤモヤが解消されますように。

誰でもみんなうつになる 私のプチうつ脱出ガイド

https://amzn.asia/d/9Vd6vCW

Permalink |記事への反応(0) | 15:05

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生理痛体験の代わりに女性体験してもらいたいこと

なんだろう

特に稼ぎもしないし家事もしないぶよぶよした生物の面倒を一生見てもらうとか?

3日間絶食した飢餓状態のところにステーキ臭いだけ嗅いでもらうとかでしょうか

でも書いてる自分自身あんまりピンとこないんだよな

 

いい案あれば教えてください

Permalink |記事への反応(1) | 13:41

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anond:20251209214215

「昔の」の昔の解像度が低いな。

時代区分をはっきりしてくれれば全部体験済みの世代解説してくれるぞ。

Permalink |記事への反応(1) | 12:10

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anond:20251211081941

ぐるぐる回る磁気テープが入っている景色体験してる世代なんだろ

しょうがない

Permalink |記事への反応(1) | 08:24

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管理職電気流すのは別に構わんけどさ、それで生理痛とか大したことねーじゃんってフィードバックのほうが多かったならちゃん生理中でも怠けずに働くんよな

痛みの体験とはつまりそういうことなんだが

Permalink |記事への反応(1) | 08:07

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2025-12-10

anond:20251210175611

PS5でも処理が重い場面でFPS落ちること普通にあるよ




更に言うなら、企業最上位のゲーミングPC前提でゲームを作らず、普及帯のマシンで動かす前提で設計してるのも、最上マシン前提でゲームを作ったとて、そんな環境を整えてまで遊んでくれる人がほとんどいないからであって

すなわち「最新ゲーム機で遊んでる人たちも、最高のゲーム体験をするために50万とか100万とか出せないし、出すほどの価値はないと思ってる」ことの証左しかないんだよね

Permalink |記事への反応(0) | 18:42

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