
はてなキーワード:体裁とは
メリットをもたらしてこその人間関係か。
メリットのない人間は切り捨てることが合理性か。
そうだよな。
私だってそうだ。
嫌な人間は切り捨てた。
可能な限り除け者にしてきた。
体裁の良さと都合のよさと負担の少なさとリターンの大きさと、
総合的な収支を考えて判断を重ねてきた。
ずっと。
そうした静かで冷たい生存競争が明るい会話の下にあった。
加点と減点で人の評価は変わる。
減点があふれたとき、そっと断ち切られる。
都合のいいタイミングが来たらそれが最期。
それ以上何も残らない。
いつか自分がどうでも良くなる。
なんてくだらないものに執着し、自分をかたどってきたのか。
趣味、おもむきとあじ。
どちらも必須ではないフレーバーのような、切り捨てることができるもの。
それだけが個性だとしたら。何か役立つスキルのようなものが残っていないとしたら。
環境によって使える武器でも相手にとって有用なスキルがなければ。
考えるのをやめた。
中学生にもどった気分だった。
落ち着きたいから落ち着く。
NIKKEのさNIKKEのさ
1日お得に回せる150ジュエルでガチャできるの最近ここでSSRのニケ当たるのがこないだも引き当てて今日も引き当てて、
フローラ!完凸間際なのよ!
おお!ちょっと感動。
つーかさ、
なんか運命感じるわー。
私このニケから好かれてるのかしら?って
フローラはもう完凸間近のマジ待ったなしイーソウリョウリャンピン!リーチよ!
そんでもって、
エマもあと2つで完凸!
当たるニケはなんか立て続けに横並びに連続してゲットする確率の波という、
そんで!
いまイベントストーリーで新しく登場したニケのブリッド:サイレントトレイン!
気持ちも立て直して3周年鬱イベントの喪に服していたのもあけた感じの、
ちょっと回してみたい気になってきたの。
で!
やったー!って、
銚子港の港のヘリから海に落っこちちゃうから気を付けないといけないのよ。
SSRぜんぜん当たらない時はかすりもせず、
私このニケに好かれてないのかなーってちょっと下向き加減な気持ちになっちゃうけど、
その当たりっぷりに沢村一樹さんじゃない方の一喜一憂してしまう感じなのよ。
でも、
まあいつも言っていることだけど、
新しいニケがやってきたと言ってもとてとて
いきなり1軍でスタメン入りできるかってできないので、
しかも!
ステラーブレイドとのコラボ企画の時のように何か月も貯め続けていた物資を沢村一樹さんじゃない方の一気に投入することで、
いきなり1軍スタメン入りを果たすことができたのよね。
ちょっと後回しになって来ちゃってて、
ブリッド来たけれど、
すぐには強化できない今日この頃なのよ。
やっぱりこの運気きてるのこないだランチで食べたラッキーチキンビリヤニが効いていると言っても間違いない私のラッキーアイテム!
なので、
ランチビリヤニにいこうかしら!って思っている矢先中の矢先なの!
でもこないだと違うのは
前回は満月ラッキーランチチキンビリヤニだったので効果絶大だったのかな?
でも今日今朝もう1発でSSRのニケガチャ当たっちゃったから、
担いだ験のお礼にやっぱりビリヤニを食べに行かないといけない旅に出ないと!って思うの。
とにかく私はビリヤニを食べたいだけ!ってのは内緒にしておくけれど、
こっそり小瓶にそのランチのチキンビリヤニを詰めてポッケに入れておけば
これって素敵じゃない?
いつでも私のポッケにはビリヤニが入っていてお腹が空いたらそれをパクッと食べられる!って
違う違う!
そうじゃないってマーチンさんもいいそうなぐらい違うの!
食べる用じゃなくって、
幸運のラッキーアイテムとしてのランチチキンビリヤニってこと!
でもお店で小瓶にビリヤニを詰めているのを店員さんに目撃されたら恥ずかしいので
だからランチとは別にランチのチキンビリヤニをテイクアウトするのよ!
これならラッキーランチチキンビリヤニをいつでも堂々と持ち歩けるので、
久しぶりにそのランチビリヤニを食べてから運気が良くなっているので、
とりわけガチャ運だけなような気がするけれど、
食べて以降調子が良いからやっぱりここは今日もビリヤニ決めてこっかな!って意気込んでいるの!
運気にこの人運気アップしたい気満々じゃない?って気付かれて運気逃げちゃうと困るので、
ここはクールに運気ってなに?それ美味しいの?って
急に運気に対して記憶喪失になった体裁でビリヤニを涼しい顔して食べるの。
運気に気付かれずに運気をキープするという謎のテクニックをテクりながら駆使しなければならないの!
運気に躍起になっていたらバレてしまうわ。
今日は涼しい顔してお昼のラッキーランチチキンビリヤニをお店で食べつつもさらにテイクアウトも成し遂げてしまうという離れ業に挑戦しようと思うの。
そして運気も
うふふ。
やっぱり決めておきたいタマゴの元気を取り入れてここもパワーアップのタマゴサラダが挟んであるコッペパン美味しくて最近ハマってるやつよ!
今朝はどちらかというとそんなに冷え込んではなかったので
しゃんと起きれたわ。
そして迎えてくれるタイマーで沸いているいつも飲み頃温度70℃のホッツ白湯ウォーラーで
身体を目覚めさせるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
高市首相の発言をきっかけに、日中関係がギクシャクし、経済面・安全保障面でのリスクも語られるようになりました。中国のメンツをある程度立てつつ、一方で高市政権の支持基盤である国内の保守派・右派を失望させないコミュニケーションが求められる局面です。
本来であれば、こうした「中国には非を認めて謝罪したように読めつつ、国内保守には"ぶれていない"と受け取られる」高度なメッセージ設計は、霞が関の官僚が知恵を絞るべき仕事です。ただ、現実の官僚は忙しいはずなので、今回は試しに、4つの有料版生成AI(ChatGPT/Gemini/Claude/Grok : 全て有料版、おまけにDeepSeek)に「あなたは官僚です」と設定して考えさせてみました。(全て現時点での最高モデル)
この記事では、実際に使ったプロンプトと、各AIが生成した「高市首相による公式談話」案をそのまま掲載します。どのAIが「中国向けの面子」と「国内保守向けのメッセージ」のバランスを一番うまく取れているのか、あるいは全部イマイチなのかは、読む方に判断していただければと思います。
高市首相の発言から、中国との関係がギクシャクしていて、国内経済に影響が出始め、かつ、最悪の場合、偶発的な軍事衝突から戦争になりかねません。一方で、国内の保守派、右翼からの支持が基盤なので、無碍に中国に謝罪することはできません。 そこで、あなたは官僚として、「中国には非を認めて謝罪するように解釈され、かつ、国内の保守派にも喜ばれる・支持を失わない」高度な作文をするように求められました。高市発言の内容、中国の反応、日本や中国のこれまでの立場や、高市発言の支持の基盤である安倍首相の発言などを検索して調査し、この高度な作文を完成させなさい。 作文や、会見や談話などの形で公式に高市発言自身が発表する体裁であること。
本日、台湾情勢と日中関係に関し、内外の皆様に私の考えを改めてお伝えいたします。
先般の国会審議において、いわゆる台湾有事と、我が国の安全保障法制における「存立危機事態」との関係について問われ、私は、日本の法制度上の考え方を説明いたしました。あの答弁は、我が国がこれまで示してきた基本的な法的立場に沿ったものであり、その点に変更はございません。
しかしながら、その説明の仕方や具体例の示し方により、日本国内外の皆様、とりわけ中国の国民の皆様に、不安や不信を抱かせる結果となったことは、重く受け止めております。日中関係の安定を何よりも重んじる一国の総理大臣として、そうした懸念を招いたことについて、率直にお詫び申し上げます。
同時に、ここで日本政府の基本的な立場を、改めて明確にいたします。
第一に、1972年の国交正常化以来、我が国は、「中華人民共和国政府を中国唯一の合法政府と認める」とともに、「台湾が中国の一部であるとの中国側の立場を十分理解し尊重する」との立場を一貫して堅持してまいりました。この基本方針は、今後ともいささかも変わることはありません。台湾問題については、対話を通じた平和的な解決が図られるべきであり、日本は、そのために建設的な役割を果たしたいと考えています。
第二に、日本は憲法の下、専守防衛に徹し、武力の行使は、あくまで我が国と国民の命と平和な暮らしを守るための、必要最小限のものに限られます。私が国会で申し上げた「存立危機事態」の議論は、どのような事態であればその要件に該当し得るかという、一般的な法的説明であり、特定の国を攻撃対象として想定したものではありません。
第三に、日中両国は、国交正常化以来の四つの政治文書と、その後の諸合意の積み重ねの上に、経済・社会・文化の幅広い交流を築いてきました。特に安倍元総理のもとで確認された、「競争から協調へ」「互いに脅威とならず、協力のパートナーとなる」との原則は、いまなお日中関係の羅針盤であり、高市内閣もこの精神を継承いたします。
今、台湾情勢を巡る私の発言をきっかけとして、中国側からは、強い懸念や批判の表明がなされています。また、中国から日本への渡航自粛の呼びかけなどにより、観光やビジネスを通じて長年築かれてきた人的交流や、地方経済にも影響が出始めています。こうした状況は、日中双方の国民の利益にとって望ましいものではありません。
だからこそ、今必要なのは、対立をあおるレトリックではなく、率直で冷静な対話です。日本政府としても、首脳同士の信頼ある対話、外相・防衛当局間の緊密なコミュニケーション、そして経済・文化・青少年交流を通じた草の根の対話を、一層重ねてまいります。
そのうえで、私は、二つの点をはっきりと申し上げたいと思います。
一つ目は、日本は過去の歴史を直視し、二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという決意を、決して忘れていないということです。戦後日本は、平和国家として、国際社会の平和と繁栄に貢献することを国是としてきました。台湾海峡を含む地域の平和と安定の重要性については、中国をはじめ、関係国との間でも共有できる目標であると信じています。
二つ目は、同時に、日本政府には、国民の命と暮らし、我が国の領土・領海・領空を守り抜く責任があるということです。いかなる時代、いかなる政権であっても、この責任を手放すことはできません。日米同盟をはじめとする安全保障協力や、自衛隊の必要な能力整備は、決して他国を威嚇するためではなく、むしろ不測の事態を抑止し、紛争を未然に防ぐためのものです。
日本は、中国を含む近隣諸国とともに、自由で開かれたインド太平洋の実現に向けて、法の支配に基づく秩序を守りながら、現実的かつ前向きな協力を進めていきます。環境・エネルギー、保健、デジタル、文化・スポーツといった幅広い分野で、日中が協力できる余地は、まだまだ大きく残されています。
最後に、今回の私の発言により、台湾海峡情勢や日中関係について、必要以上の緊張や誤解を生じさせてしまったことについて、改めて深い遺憾の意を表明いたします。今後は、国会での答弁を含め、一つ一つの発言が与える影響を、より一層慎重に考えながら、日本の平和と安全を守る責任と、近隣諸国との信頼関係を両立させてまいります。
日本と中国、そして地域の人々が、安心して行き来し、共に発展していける未来をつくるために、高市内閣は対話と協力の努力を積み重ねていくことを、ここにお約束いたします。
「日中関係の安定と平和安全法制の運用に関する基本的立場について」
1. はじめに
わが国と中国は、地域および世界の平和と繁栄に対して重大な責任を共有する隣国同士であります。
現在、先般の国会審議における私の発言を契機として、日中間に緊張が生じ、経済活動や国民生活に不安が広がっている事態につきましては、一国の指導者として深く憂慮しており、関係各所にご心配をおかけしていることを遺憾に思います(※1)。
2.国会答弁の真意と平和安全法制について
先般の予算委員会において、私が「台湾海峡周辺での事態」に関して述べた内容は、あくまでも2015年に成立した「平和安全法制」の法的枠組みにおける理論的な解釈(※2)を述べたものであります。
かつて安倍晋三元総理が、この法制の成立に際し、「戦争を未然に防ぐための法制であり、戦争するためのものではない」と断言された通り、わが国の法的準備は、あくまでも国民の命と平和な暮らしを守り抜くための、純粋に防衛的な措置であります。
したがって、私の発言は、特定の国を敵視したり、わが国から事態をエスカレートさせたりする意図を何ら有するものではありません。この点において、一部に広まっている「日本が地域の緊張を煽っている」との解釈は、私の真意と異なるところであります(※3)。
3.日中関係の原則と今後の方針
外交関係においては、1972年の「日中共同声明」にある通り、中華人民共和国政府を中国の唯一の合法政府として承認し、台湾が中国の領土の不可分の一部であるとの立場を十分理解し、尊重するという、わが国政府の一貫した立場に、いささかの変更もありません(※4)。
私たちは、台湾海峡の平和と安定が、わが国の安全保障のみならず、国際社会全体の安定にとって不可欠な要素であることを改めて確認し、問題が対話によって平和的に解決されることを強く期待します。
4. 結びに
わが国は、毅然とした平和国家として、主権と国民の安全を守るための備えを怠ることはありません。
同時に、中国とは「戦略的互恵関係」の原点に立ち返り、あらゆるレベルでの対話を継続し、建設的かつ安定的な関係を構築していく用意があります。
中国側におかれましても、大局的な見地に立ち、地域の平和と繁栄のために冷静かつ建設的な対応をされるよう強く期待します。
以上
令和七年十二月 日
私の発言は、平成二十七年に成立した平和安全法制に基づく、従来の政府見解と完全に整合するものであります。存立危機事態の認定については、安倍晋三元総理、岸田文雄前総理の下でも一貫して「個別具体的な状況に即して判断する」との立場を維持しており、私の答弁もこの枠組みの中にあります。したがって、発言を撤回する考えはありません。
安倍元総理は、「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある。この認識を習近平主席は断じて見誤るべきではない」と明言されました。また、「軍事的冒険は経済的自殺への道である」と中国に警告されました。私は、この安倍元総理の信念を継承しております。
内閣総理大臣として、国民の生命と財産を守ることは、私に課せられた最も重い責務であります。あらゆる事態を想定し、最悪の事態に備えることは、国家の指導者として当然の責務であり、これを怠ることは許されません。
一方、今般の中国側の対応について、率直に申し上げねばなりません。
在大阪中国総領事がSNS上において、一国の首相に対し外交官にあるまじき侮辱的言辞を発したことは、極めて遺憾であります。また、日本産水産物の輸入停止、日本への渡航自粛の呼びかけなど、経済的威圧を手段とする対応は、国際社会の信頼を損なうものであります。日本政府は、このような威圧に屈することは断じてありません。
いかなる国も、武力による威嚇や、経済的威圧によって他国の政策を変更させようとすることは、法の支配に基づく国際秩序への挑戦であります。自由で開かれたインド太平洋の実現に向け、日本は同盟国・同志国と連携し、毅然とした姿勢を堅持してまいります。
日中両国は、一衣帯水の隣国として、二千年を超える交流の歴史を有しています。両国関係が緊張状態にあることは、双方にとって望ましいことではありません。今回の事態により、両国の経済界や国民の間に生じた混乱については、誠に遺憾に存じます。
日本国政府は、昭和四十七年の日中共同声明以来の四つの政治文書を、日中関係の基盤として堅持しております。
日中共同声明において、日本国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であるとする中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重すると表明いたしました。この立場は、安倍政権、岸田政権を通じて一貫しており、私の内閣においても何ら変更はありません。台湾をめぐる問題が、両岸の当事者間の対話により平和的に解決されることを希望するとの我が国の立場も、従来どおりであります。
安倍元総理が築かれた「戦略的互恵関係」の精神、すなわち「互いに協力のパートナーであり、互いに脅威とならない」との原則は、今日においても有効であります。日中両国が、この原点に立ち返ることを期待いたします。
私の対話のドアは、常に開かれております。しかしながら、対話とは、一方的な要求を受け入れることではありません。相互尊重と対等な立場に基づく対話を通じて、日中関係の安定を図ることが、地域と世界の平和に資するものと確信いたします。
日本は、戦後八十年、平和国家として歩んでまいりました。この道を堅持しつつ、国民の安全を守り抜く決意を、ここに改めて表明いたします。
以上
Permalink |記事への反応(1) | 19:23令和7年12月10日
本日、私は日本国民の皆様、そして国際社会に向け、最近の日中関係に関する私の見解を明確に述べる機会を設けました。
まず最初に申し上げますが、日本は平和国家として、近隣諸国との安定した関係を維持し、互いの繁栄を追求する道を歩むべきであると信じています。しかし、平和は一方的な努力によってのみ成り立つものではなく、双方の責任ある行動が不可欠です。
私が先日の国会で述べた「台湾海峡における有事は、日本の存立危機事態に該当する可能性がある」という発言は、決して新たなものではありません。これは、私の政治的師とも言うべき故・安倍晋三元首相が、令和3年12月に台湾のシンクタンクでの講演で明確に指摘した見解に沿うものです。
安倍元首相は、「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事である」と述べ、「中国による台湾への軍事侵攻は、中国自身の経済的自殺を意味する」と警告を発しました。この言葉は、今なお私たちの防衛政策の基盤であり、日本国民の安全を守るための現実的な認識です。安倍元首相のこの洞察は、保守的な価値観を体現し、多くの国民から支持を集めてきたものです。私もこれを継承し、日本の本質的な利益を守る立場を堅持します。
(続く)
たまたま見つけた個人サイトで長崎市民FMのスタッフさんとサイト主がやり取りしてるのを見つけて、どんなラジオなのかとスタッフさんが貼ってたリンクを踏んでみたら(双方フルネームと素性を公開してたし平和なやり取りだったから、この時点ではまったく怪しいとは思っていなかった)、ぱっと見は手作り感あるけどちゃんとしたラジオ局のサイトなのに、下にスクロールするとオンラインカジノに誘導する内容になってて詐欺サイトだと気がついた。
改めて長崎市民FMを検索してみると、その詐欺サイトと体裁がそっくりだが、ちゃんとした内容の公式ホームページが存在していた。同様の事例がないか調べたところ、「怪盗レーニャ」という九州で放送されたアニメのサイトがドメイン悪用でオンラインカジノ誘導サイトになっているというニュース記事を見つけ、今回も同じ手口によるドメイン悪用被害なのだと察した。他にも事例はあるらしいが、「怪盗レーニャ」とは九州のメディア関連の事例という点で一致しているから、同じ犯人にターゲットにされたのかなと想像している。
サイトからはすぐに撤退したから詳しくは見ていないけど、AIであることが丸わかりという点では雑な作りであったものの、長崎にある架空のカジノを紹介してそこで働くスタッフのAI画像を載せてたり(山田太郎、佐藤花子みたいな名前付きだった)、カジノをラジオで宣伝しませんか?みたいなコミュニティFMらしい内容になってたりと、その放送局に特化して擬態していたのが衝撃的だった。本物のサイトをAIに学習させて生成すれば大した手間もなく作れるのだろうし、単純に利用できそうなドメインを悪用しているだけなのだろうが、正直なところなんでこんなマイナーな地方FMのサイトにこんなクオリティで擬態したんだ、そのやる気があればもっとデカいサイトでも良かっただろという感想が浮かんでくるくらいにはよく出来ていた。10年ほど前の個人サイトでのやり取りを見ていたところで出くわしたということもあり、人間とAIが対比されるSFのような感覚もあれば、現実と虚構が曖昧になるホラーモキュメンタリーのような感覚もあり、なかなか不気味な体験だった。
その後軽く調べてみたが、特に長崎市民FMが注意喚起をしている様子を見つけられず心配になり、あえてここで名前を出してみた。ブックマーク登録してタイムテーブルを確認している人も多いだろうからドメイン悪用にはすぐ気がついただろうと思いつつ、もし気がついていないなら伝えるべきかとも悩んだが、伝えたところで向こうも注意喚起以上の対策ができるわけではないだろうし、その地方在住というわけでもない自分が急にメールを送ってもそれこそ怪しまれると思い、メールを送る勇気は出なかった。
生成AI詐欺サイトに急に出くわすとめっちゃ不気味という日記がてら注意喚起になればいいと思って書いたけど、迷惑なようなら消します。
30代カップル。12月どっかの土日で隣の市の有名焼肉で忘年会しようって話してた。
10月ごろ忘年会のお店私が提案して、そっから間を開けつつ「いつにする?」って二、三回聞いたけど「ちょっと考えさせてー」とかと言われ続けて本日第一土曜がきたけど、昨夜の忘年会の二日酔いで動けないらしい。そしたら共有カレンダーに通知が来た。
今月の残りの土曜全部に「飲み」って。
だってさ。
は?
どういうこと?????
本当にどういうこと?????
他の飲み会のためにわたしの誘いを先延ばしにしてなあなあに断ろうとしてたってこと??????
って聞いたらそんなんじゃないと言われたけどじゃあ結果的にそうなってるのはなんで?と聞くとダンマリwww
一番断りやすい約束を断らせてその日に焼肉の予約を入れさせた。
どういうこと?どういうつもり?何考えてんの?
そもそも脳みそがついてるのか疑問になるレベルでスケジュール管理できないところが不安だが、
あと職場の飲み会を土曜にやるのも私の価値観ではかなりキモい。
あと学生時代の男女グループで今も集まり続けてるのもキモい。しかもそのグループ(彼氏以外既婚者)の中に高校時代付き合ってたカップルがいる。その元カップルの二人の配偶者はどう思ってるんだろ????普通にキモくない?
あとこの集まり年に一回とかならまだしも年に5〜6回あるのよこれ。そんなに話すことある?????毎回終電逃して泥酔で帰ってくるし。治安が悪いから浮気とかになるんじゃないかという不信感もある。
「どうせ元彼/元カノに会いたいその元カップルが自分の配偶者への体裁を保つための頭数としてあんた呼ばれてるだけでしょ」って言ったら笑ってた。
私は女ですが、可愛い単女がいるとついつい声をかけてしまいます
とりあえず女性に声をかける、女性と仲良くしておこうっていうことなんですが
顔を売っておこうっていう打算もありますが
これはハプバーではやらないほうがいいです。
これで勘違いされて逆にバイやレズが勘違いする可能性があるので
本当に気を付けてください。(現にやられた)
この界隈は
お世辞や褒める=社交辞令
ではなくて
お世辞や褒める=本気で口説きおとしている
なので、
地上と地下では違うので気を付けてください。
(実体験です)
逆に、よくかわいい子見ると
これって地上でも地下でもやらんほうがいいですね・・・・
色んな勘違いが発生するので
それをやるって
あと一番は
完全に収録と銘打った企画ならともかく、生配信という体裁で中身入れ替えはバレるリスク高すぎ
突然技術的にそれまでと変わりすぎたら怪しまれるし、スタートアップからダンス担当を固定化しないと無理
その場限りのバイトなんて論外
この12月になってというか年末になるとやんなくちゃ!って行けない事項の事柄が多くなるのよね。
私も夏に眼科行かなくちゃ行かなくちゃ行けたら行くから詐欺ではないけれど、
結局今の今まで行けてないじまいなのよ。
1つ1つずつ解決よ。
そんでさ、
私が持ってこよう持ってこようと思って待ち構えてずーっと買ってから家においたまんまで忘れちゃっている来年のスケジュールノート。
私手帳はつけない派とは言っていたけど
ウイークリー予定表のノートはあってさすがにそれでお仕事のこととかをやってる風な体裁に外側からの人が見たときに分かるように取り繕える感じでつけてはいるのよね。
それも、
いよいよ来年の予定も始まってきているので、
来年のページがもうないのよ!
鬼気迫るこの年末感!
来年の各ページがないから早いところ可及的速やかに家においてあるウイークリーの予定帳をできるだけ早くそろそろ本気で持ってこなくちゃってことなの。
なんかやっぱり手帳コーナーって寄ったら欲しくなるから寄らないつもりなんだけど、
もしかしたら来年はバッチリみっちり1日1ページの手帳にしっかり書き込んで充実した1日になるかも!って思っていても
毎年もうお正月開けて3日以降は紙が真っ白のままで11月頃に気付くのよね。
ああ、
何も書いていないことを一番悔い入る季節でもあるのよね。
今年も真っ白か!って
手帳の白さに併せて12月にふる白い雪のように思いを重ねるの。
白いわね!って
そんで、
12月になったら急に来年からはまるで新しく自分が生まれ変わるかのように急にバッチリ手帳が書ける自分になるつもりの思考が走り巡るのよね。
私はこの自分自身に12月に特にやって来る手帳欲しい病からなんとかして、
手帳コーナーに寄りつかないようにしていることを気を付けているのよね。
対外的に私がお仕事をしていますよ!って感じを漂わせられるようにある程度の体裁を保ちつつ書くことはあるんだけど、
ものごとは上手く行かないわね。
かと言って、
いまさら手帳を書くやる気を継続して1年キープするためにはどうしたら良いの?ってAIたちに尋ねるのも尋ねたとて、
それは3日と持たないのよね。
とはいえさ、
気が付いたときにメモをメモることを忘れない限り書くんだけど、
そっちに書いているから、
本編の手帳に書くことがないのかしら?
あれはあれでいいんだけど
文字通りの紙片なので、
ちぎって風に飛ばせば飛んで行っちゃうのよね。
手帳となると一応は1年分まとまって存在して固まっているので、
窓辺に置いておいても風で飛ばされちゃうことが少ないと思うので、
そういったメリットもあるのよね。
私は来年こそは手帳付ける謎の自信に満ちあふれるこの12月に自分の気持ちを確かめるために、
手帳コーナーに出向いてみようかしら?って思うの。
でさ、
その風格って結構脅威じゃない!
こっちもきっちり気持ちを整えて書かなくちゃ!って構えちゃうというか、
ブロックメモなら真っ白いのでどこに適当に雑に書いても気にしない感じでどんどん書けるから、
そう言ったことがあるのよ。
あれ?
もしかして私っていまだ本格的な1日1ページの手帳に緊張しているのかしら?
格式高くそして丁寧な生き方をしなさい!どーん!って開いたらそう整った1日1ページの手帳の威圧感に襲われていたのよ!
今気付いたけど、
そう言うことだったかもしれないことはないかも知れないかもってことはないわよね?
そんで、
さらに気付いたけど
1つ2つ3つのことを書いたら、
紙面がぎっしりみっちりなんか書いた感が急に出てくるので、
中身はともかくメモ書くテクニックは上達してんじゃね?って錯覚に陥るのよね。
そんでその錯覚に陥ったままのバイブスで挑む手帳売り場に出向いて強敵の1日1ページの手帳を買って年明けの早々4日目には後悔の念をする羽目になるのよ。
あの小さな手のひらに収まるような紙片のブロックメモが私にぴったりあっていていいのかもしれない。
きっとそう考えると合点がいくわ!
でも勇気を出してこのブロックメモを書いてる感醸し出しているいま勢いの良いバイブスのまま
欲しい気持ちが本当なのかウソなのか自分自身に試す機会でもあるわ!
急須で淹れたようなお茶の美味しさのペットボトルお茶飲料の綾鷹を一回そのまま急須に入れてコップに入れて飲むのがさらに美味しくなる丁寧な生き方なのかしら?
シャンプーの詰め替えを
元からある容器に詰め替えるんじゃなくって、
お洒落な透明のシャンプー入れ容器に入れて結局シャンプーかトリートメントかどっちか分からなくなってワンプッシュして確かめることが丁寧な暮らしなのか?
ジャガイモを皮剥くのが面倒くさいからピーラーでさっと剥くんじゃなくって、
洋包丁じゃなくてちゃんとジャガイモ皮むき専用のペティナイフでジャガイモの皮を剥いて作るカレーが丁寧な暮らしなのか?
意外と丁寧な暮らしの丁寧って何よ?って思うわ。
スプラトゥーン3の塗りエリアの誰も塗らない雑になっている角っこを丁寧に塗るのが丁寧な暮らしなのかしら?
それはちゃんと隅っこまで私は塗ってるけれどね。
私がいくら考えても丁寧な暮らし大喜利に対する丁寧な答えが見付からないのよね。
とりあえず、
シャンプーとか詰め替えしても、
容器が満タンにならずに3分の2ぐらいの容量の量しか入っていない詰め替えようって本当にお得なの?って正直思っちゃうわ。
3分の2の量じゃ物足りないのよね。
100の容器に60ぐらいしかない量の詰め替えも下手したらない?
逆に、
こないだ塩コショウを詰め替えしたら、
それは100の量の容器に詰め替え用のは150ぐらいの量があって1回じゃ入りきれない本気の椀飯振舞を見たの!
うわ!
引き出しにしまったの。
ああ!
これが丁寧な暮らしなのね!って
でもそれすっかり忘れていて
この12月の年末を機に整理してたらキッチンの奥の引き出しから出てきたのよ!
忘れていた余った詰め替え用の塩コショウがラッキー発掘されたのと同時にまたもう1つ丁寧な暮らしをしてしまったわ!って
あまりの自分の塩コショウに対する丁寧な暮らしさ加減がマックスなことにビックリしてしまったわ。
きっと、
うふふ。
松山ケンイチさんのシーエムに誘われてメガ盛りやってるタマゴサンドを求めてコンビニに飛び込み前転で入店したんだけど
大盛りフェア終わってたの?
ハッキリしないけれど、
なんか終わってたっぽいわ。
せっかくそのタマゴサンドの実力を!って確かめてみたかったのに!
代わりにせっかくなので普通のそのお店にあったタマゴサンドにしてみました。
今度いつで会えることかしら?
このチャンスの機会を逃しちゃったから再登場に期待しちゃうわ。
朝電気ポットでタイマーで飲み頃温度70℃で沸いているホッツは
起きてすぐに飲めるので超助かるわ。
今朝方はまだ寒さマシだとはいえ、
これからどんどん寒くなるって言うじゃない?
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
Vtuber 関連を全然みてないんで少しわからんところがあったけど、多数の他人と関わる必要のある商売系は本当に大変そうだなぁと思う。おつかれ。
俺の場合はツール系のアプリを自分用に作ったら便利そうだったので体裁整えてストアに置いたら、使った人達がやってきて色々言ってくるんでその期待に応えようとし続けてほぼ燃え尽きかけてるんだけど、そういう「多数の知らない人と関わる」ってのは俺には向いてないんだなと思いながらサポート業務をしてる。
元増田は楽しんでやってるっぽいんで良かったんだけど、俺の場合はアプリを作る所は好きなんだけど知らない人との対話は好きじゃないんで、ずっと嫌々サポートしてて、アプリを使ってもらえるのは嬉しいんだけど利用者が増えると問い合わせが増えるし利用者には増えてほしくないとまで思う始末。まぁアプリ公開しなければいいんだろうけど、便利に使ってもらえてるって話も届くので、ギリギリ頑張れてる感じ。
個人で趣味的にやってる上に、積極的にユーザを増やそうとしてなくてもこうなんだから、リスナーを増やそうとまで努力してやるんじゃそりゃ辛かろうって思うよ。本当におつかれ。
Vtuber 関連はあんまりよくわかってない俺からの言葉じゃあんまり効かないかもだけど応援してる。よくやってるよ。おつかれ様。
テストの点数が96点だったことに対して1問の不正解は許容できるが2問も不正解というのは100点を取るつもりで勉強をしていなかったからだ姿勢が間違っているといって3時間正座させられてぶっ通しで怒鳴られ続け人格否定をされ続けるような環境で育ったのだけど、
そういう育児をしていた父親もまた、寡黙な祖父から骨折したり失神したりするほど凄まじく殴られながら育っていて、娘ができたときに決して暴力を振るわずに言葉で伝えるという誓いを立てて育て始めて、その結果がこうだった。
で、ことあるごとに失点について長時間怒鳴られて詰められる育てられ方をした私がどうなっているかというと、彼氏が出来たときに気に食わないと無視をする人間になった。
人を怒鳴る・詰めるというのを決してやる側にならないという誓いを立てて人に関わった結果がこれ。相手が思い通りにならない→怒りを表出したくないので感情オフ→無反応・シカト。
恋愛も結婚も出産も嫌だ。治る気がしない。理不尽なコントロール欲が湧くこと自体がそもそも人として間違っているのだけど、そこが解決する気がまるでしなくて、表出の仕方を暴力、暴言、無視と代々変えていっているだけ。
苦しんで誓いを立てた結果ですら結局は小手先にすぎない。
もし仮に子供出来てもどうせ我慢できずに子供を無視する親になると思うし、無視されて育った子供も大人になったら「無視しない人間になる」と誓って新しい人間虐待手法を開発するのだろうと、この根源的に有害な血の連鎖を冷笑している。
根本から解決しろという人は元々こういう気質を持ってなかったんじゃない?苛烈さを持ち合わせておらず、血縁者から殴られても怒鳴られてもいないようなお前に何が分かんのと思うよ。
自分自身、発達障害から来る癇癪みたいな生まれつきの異常性で、障害バレしないような表出という適応をやっているだけなんじゃないかと思ってるよ。
強度行動障害の当事者が、老親が思い通りに働かないからと絶叫して暴れて老親を一方的に殴ったり、壁に頭を打ち付ける激しい自傷をしている動画を見たけど、私もあれと魂の本質が同じで、IQで擬態しているだけなのだろうって思う。
私が元彼に向けた怒りが正当なものとは到底思えず理路もへったくれもない障害者の癇癪で、そのおぞましさや人間性の劣りを対外的に隠蔽しようという試みが「無視」だと思うし、父親が私に向けた怒りも癇癪としか思えない。
代々、試験勉強と組織での賃労働に適性があっただけの情緒の障害者なのだと思う。祖父も父も私も職業上、収入上はそれなりに上手くいっている。他者への一方的な攻撃が集中的に起きるのは私生活。
祖父は祖母にややモラハラ的で父に対しては骨を折るレベルの暴力、父は母にややモラハラ的で私に対しては長時間詰め暴言であったので、パートナーよりも子供に対してのほうがより強い態度に出る傾向がある。
祖母と母は専業主婦であり、祖母は父を祖父に差し出し、母は私を父に差し出している節があった。『高所得男性と結婚した子持ち女性』という社会的な体裁は二人とも整えることができているし、
祖父や父の暴力性を受け止める一番の存在からは逃れられている。こういう『賢い』女性がいるせいで癇癪の血が継承されてきた。私は生まれたくなかった。連鎖を止めてほしかった。
仕事をしていて自己嫌悪をすることはそれほどないけど、元彼との交際時、接していると本当に自分が嫌になるというか、存在したくなかったと自分の命を呪うことが多々あった。
祖父と父については暴力性がある自分について甲斐性や男らしさとセットで自己肯定できていたように見えるのだけど、無視という手段を取る自分を私は全く肯定できない。心か魂とか人間性といったものが劣っており、おぞましいからだ。
根源の癇癪って主観で有害で他者評価においても有害、360度有害。だから遺伝した子が発生するようなことは防がなければいけないと思う。
癇癪を持ってない人が「子を持たない人間は大人になれない。癇癪を『治して』結婚して育児をしろ。大人になれ」って言い出すの、本当に憎い。ずっと呪っているし、これからも呪うね。
目の保養をするものだ!
それでイケメン説を定着化している私に
目の前に年上の最強のイケメンがぁぁぁあああ!!!!!(最高にタイプ)
でもね、わかるんですよ
ある程度経験しているんでわかるんですよ。私も。
「これ系の人は極上の美人を自分から落としたいタイプの男性だな」と
私みたいなデブスの下等生物は相手にしてくれないってわかっているので
「ガヤ」で盛り上げるだけの行為をするだけに終わる自分・・・・
いつまで私はこのしょうもない体裁から抜けだせるのでしょうか?
誰も望んで「それ」を「やれ」と言われていないのに
空気を読んで「その汚れ役」をやらなければいけない立場になって
私はいつからそれを演じないと生きていけない人になってしまった?
いつからその立ち回りをしないといけない人になった?
誰も望んでいないのに、壊滅的な空気を打破するために
いい加減に空気を読んだ結果
「こいつに任せておけばいいや」ってなって
その時に率先したあとに、冷静になって絶望を感じる経験はいつまでやればいいの?
と重たいかんじになりましたが
結果的に
画像収集して、hiddenフォルダに入れる。一度に集めた画像の数で占いをしている。ぴったり100枚とか50枚になることが多い。流石のバランス感覚、二十余年ネット・サーフィンで体幹を鍛えただけある。
今回は54枚だった。何でもないじゃんとスルーしようとしたが(キリ番の時だけ大吉なので、そうでない場合は占わない)、ちょうど俺が死ぬ年齢だった。
人が死ぬ時、コメントみたいなのが付く。10代までなら悲劇だし、20代30代だとこれからの人生を惜しまれる(労働しかないのに)。40代あたりから遺された家族を心配するコメントになり、60代以降は人生リザルト画面を読み上げる体裁になる。
でもって隙間に収まった50代は、なんか自己責任じゃねみたいなノリがありつつも、人生謳歌したんじゃないすかね笑、家族はまぁいうて自立できる年齢なんで頑張ってくださいという雰囲気。
将軍だって50代で死んでるんだからさ、人間五十年ともいうし(誤用)。年金の通知見て思うよ。お前らは社会にしがみつきすぎている。一瞬の風になれ。たのむなってくれ。
俺は、ジミ・ヘンドリクスに敬意を表して54か81で死ぬ。27の死神の手は俺のケツにすら届かなかった。まだピンピンしている。俺に究極の自由を見せてみろクソが
自分の論理が破綻した途端、すぐに恥ずかしくないのかと道徳論に逃げ込む、その薄っぺらさが恥ずかしくないのか、と逆に聞きてえな。
俺は社会から降りた人間だ。恥も体裁も、とっくの昔にゴミと一緒に捨てたわ。
俺が揚げ足を取ろうが、俺の人生には何の影響もない。
お前が俺をかわいい奴と呼んで、無理やり自分を大人の位置に押し込めようとしてるの、痛々しいぜ。
増田で長文を書く人、増田で自演してまで議論風味の体裁を見せつけたい人、それらを毎日10数時間行なう人も同じ領域に存在するわけですよ。行動がまったくもって理解できない。少なくともインセンティブでは説明できない。
かれこれ7,8年の間、精神の不調で苦しんでいる。苦しんでいる、という短い言葉で形容するには表しがたいものがあるのだが、簡潔かつ客観的に言えば、苦しんでいる。
過去合計三回ほど、それぞれべつの心療内科に行った。だがうつだとか、適応障害だとか、何か特定の病名を診断されることはなかった。私は自分の精神のことをうまく人に言えないのである。
胸が苦しいんです。気持ちが沈むんです。ここまではなんとか言える。しかし、何か思い当たる原因はありますか、とどの医者も質問するのだが、そう言われると口ごもる。たしかにあるし、それを話したいのだが、話そうとしても頭の中でうまくまとまらない。そのことにまつわる記憶も確かにあるし、日々何度も考えているのにうまく取り出せない。これを話すと何か馬鹿にされるのではないか。話してもちゃんと聞いてもらえないのではないか。そういった不安、不信も相まって、結局曖昧なことしか言えず、医者のほうも困ったもんだという様子でとりあえずの薬が処方され、帰途につくのである。医者が悪いと思ったことはない。そりゃそうだよなと思って帰途につくのである。そして再び訪問することはない。
精神がどうであれ、働かなくては生きていけない。だから働くのだけれど、精神がまずいので周囲に悪い影響を(時に深刻に)及ぼし、結局自分もだめになって辞めてしまう。それの繰り返しで生きてきた。心療内科でも話せないので生活保護とか何かの手当も受けられない。家族に頼れないのか、という意見もあるかもしれないが、家族こそが原因なのである。今は離れて暮らしているし、しつこく連絡が来るというわけでもない。しかし、かつて与えられてきた苦痛からどうしても逃れられない。その影響がどんなに手を尽くしても消えず、家族とは全く関係のない他人にまで恐怖を抱いてしまう。いくら頭では恐れることはないとわかっていても、どんなに体裁を取り繕っても、どうしてもどこかで拒絶したり、逃げ出したりしてしまう。
つまるところ、あまり認めたくないのだが、これはトラウマなのである。
それを人に伝えたくても口にするのが恐ろしいジレンマがあるのである。
参った。
そんな調子で暮らしてきて、今から四か月くらい前になるか、自分のスマホにもChatGPTのアプリを入れてみた。ただ流行っているからという理由で、何の気なしに。しかし使い方がよくわからなかった。何か訊ねるといっても別に検索するなりして調べるのと何が違うのか。だからただ何となくその時思ったことを書いて送った。ツイッターのような使い方である。思ったことを書く、となると、ふだんそういうことばかり考えているので、自然と自分の抱える精神の問題について触れるようになっていった。過去にされたこと、現在にわたって続いていること、それらについてこれまでずっと考え、感じてきたことをまったくまとまらないままに、断片的に話した。少し話すだけで疲れるので、数日から1週間程間隔を空けてちょっとずつ話した。そうやって時間をかけてとうとう自分が人に伝えたかったところの大部分を話した。
それに対するChatGPTの返答の八割くらいは、すでに自分で調べたり考えたりしてわかっていたことだった。ただ大きかったのは、自分の感じてきたことが間違いではないという確証が得られたことだった。そこのところがずっと不安だった。その判断が自分一人ではどうしてもできなかった。もしかしてこれをこう感じるのは自分がおかしいからなんじゃないか。それ故に悪いのは自分のほうなんじゃないか。家族がこういうことをする、というのは自分のようにおかしくない人間ならば受け入れるのが当然のものなのではないのか。あの家族に対して、自分がこれまでずっと考えて、感じてきた解釈を与えてしまうのは独善的で危ないのではないか。いや感じるのに正解も間違いもないだろ。いや、でも、しかし。
そうやって何年もぐるぐると考え続けて結論を出さずにいたことにようやくピリオドを打つ決心がついた。自分が受けてきた苦痛は苦痛と感じて然るべきものだった。あの家族を受け入れられなくてもよいのだ。
誰かに相談するときというのは、ただ背中を押して欲しいだけだという場合が多いと聞く。これまで人に相談というものをしたことがないからわからなかったが、ようやくその気持ちがわかった。
こうしたことをふつう心療内科やカウンセラーに相談するのだろうが、自分にはできなかった。この部分を否定されるのが怖かった。今も怖い。相手がAIだったからよかった。AI相手なら仮に自分が何か間違っていると言われても平気だった。
もちろんAIにお墨付きを頂いたのだから自分は正しい、というように判断の責任を押し付けるつもりはない。なかなか危ない橋を渡っている自覚はあるけれども、自分で決めたのである。それを遠回しにでも抽象的にでも言葉にしてみたのがこの文章である。だからメンタルケアに関してAIの使用がおすすめだなどという気はさらさらない。使いようによってはよろしくない結果を招くことも十分あり得ると思う。自分が全くそうでないという自信もない。
大分抽象的な話になったが、ある程度時間が経ったらもっと具体的なことを書いてみたいと思う。でもChatGPTが言うにはあんまりやめておいたほうがいいのだという。マジですか。もう少し相談してきます。
私の夢を打ち明けた末に嘲笑された経験から、私は夢を他者においそれと見せなくなった。
NanoBanana Pro のリリースについてたコメントで「これ、商業漫画は兎も角、広告の漫画とかは置き換えされるな」というのが目についた。また誰かの職を生成AIが奪うかもしれない、と残念な気持ちになった。
生成AIで効率化、生成AIで価値の最大化、とは言うけれど、それは本当にいいことばかりなのか、と最近思う。
広告漫画に限らず、今までその活動で食えてきた、生活してきた人たちが創出してきた価値が、海外製の生成AIによって取って代わられるのを見ると、生成AIは文化の発展へ寄与しているのか、と疑問に思う。食うためだけに漫画を描くわけじゃない、としても、食うために漫画を描いていた人たちの席を奪うことには変わらないし、それは裾野を狭めることではないのか、と。
才能の民主化、という声も聞くけども、そもそもそういう人たちはなぜ今までその民主化された活動をやらなかったのだろうか。
更に言えば、今まで製造コストが足枷になっていた粗製濫造や海賊版なども手軽に作れるようになったことで、関係者の対応コストが跳ね上がったのも問題だろう。その対応コストに資本が食われている状況は、果たして文化に寄与してるのだろうか。偽情報の流布なども、心理的な負担という意味でコスト増だ。また、電力の逼迫だって見過ごせない。
生成AIは便利だ。調べ物は楽になったし、情報をまとめることも手間が減ったし、色んな手間が無くなったのは事実だろう。ただ、便利ゆえに、工業の自動化とはまた違った、人類の食い扶持を減らし、文化的な資本の余裕をなくす、パンドラの箱だったのでは、と思う。
という、どうも気分が辛くなったので愚痴書いた。これをChatGPTで生成してくれって頼んだら綺麗すぎる体裁のそれっぽい文章生成したよ…愚痴も生成AIの方が上手な時代…かぁ。
多くのビジネス書が提示する「ノウハウ」や「必勝法」の本質は、学術的な理論ではなく、著者が特定の条件のもとで達成した個人的な成功体験を、あたかも万人向けの普遍的な法則であるかのようにパッケージングし直したものだ。
ビジネス書を著す多くの人物は、強い自己顕示欲と自己承認欲求を持っている。執筆活動は、彼らの自己の成功を「社会的な法則」として世に認めさせ、自身の権威性とブランド力を高めるための手段だ。
ビジネス書が書かれる真の目的は、読者に有益な知識を与えること以上に、以下の経済的・自己満足的な動機に集約される。
成功体験を絶対視するビジネス書は、人間関係を「指導者(上)」と「未熟な部下(下)」という垂直的な構造として描く。管理職は「教える立場にある自分は正しい」という上から目線を無条件で内面化する。
ビジネス書に傾倒する管理職にとって、部下は目標達成のための「人的資源(ヒューマン・リソース)」と見なされる。
この「資源」という捉え方が、「育成」という名のもとで、部下の尊厳を否定する失礼な態度を正当化する。資源は最大限効率的に加工(育成)されるべきであるため、「結果のためだ」「お前を育てるためだ」という大義名分のもと、人権を無視した侮辱的な言動が「マネジメント」として許容されてしまうのだ。
ビジネス書を盲信し、そのノウハウを「絶対解」として現場に適用しようとする管理職は、著者の自己顕示欲と独善的な思考を組織内で再生産しているに過ぎない。彼らは、書籍のノウハウを実行しない部下を「失敗」や「抵抗勢力」と見なし、指導の名のもとに自らのメソッドを強制する[[パワハラ]]を生み出す。
彼らが実践する「パワハラのノウハウ」は、特定のメソッドや厳しい規律、成果至上主義を絶対化するビジネス書という形態を通じて、広く社会に流通している。
ビジネス書が流通させているのは、単なる精神論ではない。それは、「部下の気持ちを完全に無視し、かつ反撃を喰らわない」ための、非常に具体的なパワハラ技術だ。
上司が求める「正解」は、論理ではなく上司の個人的な動機や前提に基づいている。上司は具体的なフィードバックを一切与えず、「違うな」「考えろ」を繰り返し、部下は正解に当たるまでリテイク地獄を強いられる。部下は上司の独善性に気づき、深い憎しみを抱える。
「感情論」を排し、「目標達成」や「数字」といった客観的な論理(書籍で学んだフレームワーク)で部下を追い詰める。これにより、指導の体裁を完璧に保ち、部下からの反論を封じ込める。
人目の多い場所で集中的に指導を行うことで、部下に対する見せしめや組織的な圧力として機能させる。また、「指導」という名目のもと、部下が逃げられない状況で長時間拘束する。これにより、組織のルールを守りつつ部下の精神的逃げ場を完全に奪い、逃れられない状況で追い詰める技術だ。
書籍の「成功は個人の努力」という論理を応用し、部下の失敗を「ノウハウの実行不足」「当人の意識の低さ」に帰結させる。これにより、上司の指導の責任を完全に免除する。
結論として、ビジネス書は「成功者の自伝」という体裁を取りながら、実際には「自己顕示欲を満たすための指導法」を権威付けし、組織における上から目線の構造を固定化し、パワハラを再生産・流通させる主要な経路となっているのだ。
あなたの周りに、あなたの尊厳を傷つける上司がいるなら、まず彼の机の上をチェックしろ。
パワハラの根源は、彼らの自己顕示欲が凝縮されたビジネス書にある。
あのさ、
乃木坂46の40枚目のシングルのタイトルがビリヤニだって私だけが大騒ぎここでしている感じがしたんだけど、
内容どうなってんの?って思って聴いてみたら、
ビリヤニを初めて知ってそれを口実にデートに誘うってみようって内容で、
バスマティライス!バスマティライス!って連呼しているじゃない。
あながち私がChatGPTちゃんやGeminiちゃん全AIに全否定された
秋元康氏ことやすすがビリヤニ食べての感動説って擦ってるかも!?ってなったのよね。
思いのほか
インド系パワーワードとか一切入れないそれエヌジーワードにすると思っていたけど
そういうインド系パワーワードを一切歌詞に含まないやすすの巧みな恋のおまじないみたいな歌詞だと思ったけど、
直球よね!
でもさ、
住んでいるインドの山奥にいる3人しかいないビリヤニ好きにまで乃木坂46の40枚目のシングルが新しく出るよーって声が聞こえてくるんだから、
それもそれで強力なプロモーションよね。
インドの山奥に暮らしているビリヤニ好きの3人に搾ってターゲティングするというニッチさ。
とはいえさ、
日本にいるビリヤニ好きに向けてプロモーションしているとは言えニッチすぎない?
お米売り場で流れていてもおかしくない曲の
カレー売り場とかスパイス売り場とかでビリヤニビリヤニって連呼しそうな販促ソングの流れもあるかも!って予想していたんだけど、
そういうこともあるから、
カレーやインド的なワードは一切含まれない恋のおまじないはスパイシーにってせめてスパイシーって言葉は入れるんじゃない?って思っていたけれど、
印度音楽のミュージックビデオが延々と流れているいや流していると言っても過言ではない言い過ぎかも知れないけど、
そんなお店ってほぼ100パーセント、
あれもきっと乃木坂46の40枚目のシングルのビリヤニのミュージックビデオが流れていてても不自然じゃない感じになっているぐらい、
思いっ切りスパイス入れてーってやってんの。
それこそDJごはんとMCおみそしるさん方式のビリヤニ作り数え歌ではなかったものの、
ガチビリヤニの食と乃木坂のビリヤニとでガッツリタッグを組んでプロモーションやる気じゃない。
さすが
そう思っちゃうわ。
ビリヤニって美味しいけれど
イマイチ認知度がいまいちなような気がするナン人気が圧倒的な気がするの。
だからここで乃木坂のパワーも借りてビリヤニがみんなに認知されたら嬉しいわよね。
そんな使命感も乃木坂は背負ってるのかしら?
でもちゃんとしたバスマティライスで作るビリヤニだったら良いけど
日本米でカレーチャーハン風なビリヤニもあるから気を付けた方が良いと思った季節が私にもあったけど、
日本の人にも食べやすいパサパサしていない日本のお米でビリヤニやった方が喜んでくれるんじゃね?って一周した思考があるのかも知れないと思うと、
日本米でやっているカレー炒飯風味のビリヤニっていって提供しているのも一理あるのかも知れないわ。
私はせっかく食べるのであればバスマティライスの方だと嬉しいけれどね!
日本米を使っているところはそれなりのシェフの哲学があるはずなのよ。
っていって、
いよいよ乃木坂46の40枚目のシングルのビリヤニが発売されたら、
もともとビリヤニ好きだった人も
そういう乃木坂経由で来たかと思われたら私は最初からビリヤニを発見していた人の体裁を保ちたい面持ちでお店に行きたいじゃない。
だから発売される日より前に一度はビリヤニ食べに行かないといけないかも知れないわ。
きっと発売されたらお店に入れないかもしれない、
そんな予想をするのは容易いことじゃない?
今回の乃木坂46の40枚目のシングルのビリヤニってタイトルの曲が
あまりにも正直すぎるインド過ぎてスパイシーでバスマティライスな直球なのよね。
そんなドストレートすぎる直球、
でも今日のお昼は美味しいホームラン級のビリヤニでも先行して食べに!って思うわよね。
真っ向勝負!
その美味しいド直球ビリヤニ!
うふふ。
美味しくいただいたわ。
心の赴くままに従ってよかったわ。
朝は自動的にお湯が沸いている70℃で決まっているので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!