
はてなキーワード:体感とは
昨年、障害年金センター長が審査に厳しい人物になったため、忖度によって不支給判定が増えたという報道があった。
公的な機関がそんな属人的な理由で基準を左右するなんて冗談じゃないと思ったが、昨年、期せずして自分の勤務先の組織の上長が「権威主義的で厳しい」と評判の人物に交代し、忖度問題が他人事ではなくなってしまった。
どこでもそうだろうと思うが、上の人間というのは「現場に口出ししなければしないほど良い」。しかし、虚栄心が強く、自分が慕われていると思い込みたい人間ほど、余計な口出しをし、面倒が増えるだけのどうでもいい施策をしたがる。
その結果として、社内の雰囲気は最悪になった。
連日の中身のない会議、生産性がないどころか予算をドブに捨てるだけの施策、「モチベーションを上げる」と言いながら、やりがい搾取を推進するような奴隷じみた制度。それなりに大きな企業であるのだが、この上司のやる事なす事、昔勤めていたITベンチャーのワンマン社長そっくりで胃が痛くなってくる。部下にフレンドリーで組織を改革するアイデアマン、という自己の理想像とは裏腹に、底の浅さを見抜かれる事を恐れ、権力を誇示していないと不安になってくる、情緒不安定なパワハラおじさんがそこにいるのだ。
部下は皆空気を読み、「ちょっと黙ってくれねえかな」という言葉を飲み込んでへらへら笑い、パワハラおじさんをおだてている。プライドの高いパワハラおじさんに下手な事を言えば、その立場と権力によってどういう嫌がらせをされるかわからない。誰も火中の栗は拾いたくないのだ。
一方で、迷惑を被るのは現場の社員、非正規社員だ。波風を立てたくない中間管理職がトップダウンで下された指示に意見のひとつも言わず、現場に全てを押し付ける。押し付けられた現場はただでさえ忙しいのに大混乱で、中間管理職に文句を言う。文句を言われたところで、妻も子もいてローンもある中間管理職はパワハラおじさんに歯向かうことなどできないので下っ端社員の文句を甘んじて聞くことしかできない。板挟みでツラそうな光景を、去年は何度も見た。
その上パワハラおじさんというのはどういうわけか「人財」とか「最幸」みたいな言葉が好きで、やたらと「イキイキ働ける組織作り」みたいな事を語りたがり、やりたがる。社員にとって本当に必要なのは「無駄なマイクロマネジメントをしないリーダー」であり、「中身のないイベントをやらない組織」なのだが、パワハラおじさんはそういう同調圧力が大好きなのである。同調圧力によってしか人望を得られないという強迫観念でもあるのかもしれない。
一昨年まではよかった。パワハラおじさんのポジションにいたのは、余計な会議も妙なオリジナル施策もやらない、自己顕示欲ゼロだが人柄の良い人だった。よく進んで雑用をやっていたりもして、そういう姿を見ると自分も真面目に働こうと思ったものだった。
それが今はこの有様だ。
自己顕示欲が強いほど上にアピールするモチベーションが高いので、結果的に仕事をしていると思われるのはパワハラおじさんの方なのかもしれない。しかしその実、周囲にストレスを与え、プレッシャーをかけ、自己満足に巻き込んで生産性のない事をやらせ、虚無らせる、パワハラおじさんがやっているのはそういう事なのだった。
しかし、誰もパワハラおじさんを止められない。巻き込まれてもへらへら笑っているしかない。これも仕事であると自分に言い聞かせて、生活のために我慢するしかないのだ。
管理職の中には、パワハラおじさんに積極的に気に入られるために、現場の管理をより厳しくし始める人間もいた。そいつは日頃から悪名高いクソ上司であったが、状況に適応するのはそもそも無能なそいつなりのサバイブ術なのだろう。
クソ上司はともかくとして、社員の誰1人として表沙汰に意見を言うことはない。「どんな意見も大歓迎」「一人ひとりとコミュニケーションを取りたい」とパワハラおじさんが言っているにも関わらず、それを真に受けて批判する人間は誰もいないのである。機嫌を損ねさせないのが一番なのだと、みんなが忖度しているのだ。
障害年金センターのセンター長がどういう人物かは知らないが、組織のトップが権威主義的な人物であると、空気を読まされるプレッシャーと、無言の同調圧力が効いてくるのを身をもって体感することになった。
なぜなら、リフレ派の政策パッケージは、表面上は景気刺激・需要創出・デフレ脱却といった衛生的な言葉で包装されながら、その実態は貨幣価値の毀損によって実質所得を目減りさせ、価格体系にノイズを混入し、資源配分のシグナルを攪乱するという、極めて原始的な自己放尿だからだ。
つまり、自分で自分の経済秩序に放尿し、そのぬくもりを成長と誤認している。
短期の体感的な暖かさと、長期の構造的な悪臭を取り違える。この倒錯が、まさに自己放尿という比喩の本体である。
インフレをもって失業を恒常的に減らせるという発想自体が、貨幣錯覚と期待形成の理解不足を露呈している。
短期的なフィリップス曲線の傾きに陶酔し、長期的な自然失業率仮説を軽視するのは、政策当局が持つ万能感の自己放尿だ。
失業率を押し下げたように見える局面は、名目賃金の調整遅れによって実質賃金が一時的に下がり、企業が雇用を増やすからに過ぎない。
しかし人間は学習する。期待は適応し、やがて合理的に形成される。すると名目賃金はインフレ率を織り込み、実質賃金は元に戻り、失業率は自然率へ回帰する。
残るのは、より高いインフレ率だけだ。つまり、短期の景気の幻影と引き換えに、長期の貨幣の信認を燃やす政策、つまり自己放尿である。
ここで重要なのは、リフレ派がしばしば語る「需要不足」という呪文が、実際には価格メカニズムへの不信と、政府の裁量的介入への信仰を伴っている点だ。
市場は情報処理装置であり、価格体系は分散知を集約する通信網である。インフレ誘導政策とは、その通信網に意図的にジャミングをかける行為だ。
相対価格の変化が実需の変化なのか、貨幣供給の膨張なのか、判別がつきにくくなる。すると企業は投資判断を誤り、資本は生産性の高い用途ではなく、政治的に都合のよい用途へと誤配分される。
これは景気対策ではなく、情報構造の自己放尿である。貨幣は交換の媒介であると同時に、経済計算の単位であり、信頼のインフラである。その基盤を弄るのは、社会の計算機をわざと故障させるようなものだ。
にもかかわらずリフレ派がインフレを好むのは、政治的には極めて合理的だからだ。
インフレは目に見えにくい課税、すなわちインフレ税であり、議会で明示的に増税を決めなくても、実質債務負担を軽くし、政府支出の実質的な財源を捻出できる。
これは透明な財政規律を回避するための抜け道であり、財政民主主義の迂回路である。税を上げれば反発されるが、貨幣価値を薄めれば、責任の所在が曖昧になる。
政治家にとってこれほど魅力的な政策ツールはない。だからこそ、これは市場経済のロジックではなく、権力装置の自己放尿に属する。
この点で、リフレ派の思想はしばしば権威主義左翼の症状を帯びる。
ここで言う左翼とは、国家の配分機能を強く信じる立場、すなわち政府が資源配分の最適化を担えるという計画主義的傾向を指す。
そして権威主義とは、政策の失敗が市場の自己調整ではなく、さらなる介入によって修正されるべきだという態度である。
実際、インフレが想定より進めば「企業の便乗値上げが悪い」と言い、賃金が追いつかなければ「企業が内部留保を溜め込むのが悪い」と言い、通貨安が進めば「投機筋が悪い」と言う。
つまり市場のシグナルを受け止めて制度を改善するのではなく、市場を道徳裁判にかけ、敵を作り、統制を強める方向へと滑って自己放尿していく。
ここには、自由市場の自己調整メカニズムへの敬意がない。あるのは、望ましい結果を国家が設計できるという傲慢な自己放尿だけだ。
さらに言えば、リフレ派の「デフレが悪でインフレが善」という二元論は、貨幣現象を倫理化する典型的な誤謬である。
インフレ率の水準そのものが善悪を持つのではなく、重要なのは貨幣制度の予測可能性とルールの信頼性だ。
裁量的なマクロ操作の万能性ではなく、むしろその危険性である。中央銀行が景気を微調整できるという発想は、知識の分散と政策当局の情報制約を無視している。
政策当局は遅れて統計を見て、遅れて判断し、遅れて実行し、その効果はさらに遅れて出る。そこにはラグがあり、過剰反応があり、政治的圧力がある。
結果は、景気安定化ではなく、景気悪循環の増幅である。貨幣政策を景気刺激のレバーとして扱うこと自体が、制度の誤用であり、中央銀行を政治部門に従属させる自己放尿である。
リフレ派の自己放尿とは、実体経済の生産性改善や規制改革、労働市場の柔軟化、企業統治の改善といった地味で不快だが本質的な処方箋から逃げ、貨幣という最も手軽な幻術で現実を上書きしようとする自己放尿を指す。
インフレで名目成長を演出し、実質的な負担を薄め、政治的な痛みを先送りする。これは市場の問題解決ではなく、政治の問題隠蔽である。
そして問題を隠すには、権力が必要になる。価格が語る真実を黙らせるには、統制が必要になる。
だからリフレ政策は、経済政策の顔をした権力技術へと変質する。自由な価格体系を信じず、貨幣をいじり、結果が悪ければ市場を非難し、さらなる介入を正当化する。
市場経済において最も重要なのは、成長率の見かけの数字ではない。価格が正しく機能し、貨幣が信頼され、契約が予測可能であり、資本が生産性へ向かって流れる制度環境である。
リフレ派の自己放尿は、その制度環境を自ら汚しながら、汚れた水たまりに映る短期の光を成功と誤認する現象だ。
連中はインフレという麻酔薬で痛みを消しているだけで、病気を治してはいない。そして麻酔が切れたとき、残るのは依存と副作用と、より強い麻酔を求める政治的自己放尿である。
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たぶん一番効力が低い部類だろ
直接動いたほうが確実に誰か助かる
現実で何もしてないやつが
選挙だけ行けって怒鳴っても
誰の心も動かないだろ
近所にいる厄介なおじさんにしか見えない
本気で社会を良くしたいなら
話として筋が通るし説得力もある
投票だけして満足してるのは
俺は引きこもりだから観光のことよく分からないけどよ、俺の好きなアニメとフィギュア業界は中国人の愛好家は規模がデカくて金をよく落としてくれるから無視できないみたいだな
「中国〜?切ればよくない?」と思わなくもないんだが、できるならとうの昔にやってるわけでって体感
今回の第51回衆議院議員総選挙で神奈川19区で小選挙区も比例も維新に投票した。とにかく、社会保険料を低くして欲しい、持続可能な社会保険制度にして欲しい、というのが基本にあったが、自民・国民・維新の候補者も良く分からなかったので事務所に電話したり演説を聞いたり選挙公報見て判断した。正直第一候補は国民の候補だった。
## それぞれの候補について
・事務所に電話するもボランティアの中年女性の対応が微妙だった
・YouTubeやX等で見たが、全体的にふんわりしている感じがした。
・最終日に宮崎台駅で演説を聞こうと思ったが、奥さんのポエム調の演説が長かった。本人が選挙区に居るのになぜ奥さんがここまで演説するのか良く分からなかった。本人の演説も全体的にポエム調だった。ハーフの出自で微妙にアイデンティティー政治をしようとしているのが気になった。オバマの広島での演説を薄めた感じ。
・数か月前に赤沢大臣が公民館のようなところへ来て演説会をしていたときに認識はしていた
・事務所に電話して秘書の方が対応してもらったが、結局折り返しの電話なし
・Xで駅前で演説スケジュールを見て行くも、ビラも渡されず、本人から握手などもなかった。ボランティアの人たちと握手していた。本人はYouTube用のカメラに向かって話している感じだった。市議会議員なども演説していたが、そこまで当選させたい感はなかった。
・小泉大臣が来るということでわざわざ別のエリアにある駅に行ってみたが、警官の警備が厳しいわりに演説が全体的にポエム調で、リモートワークでやや時間の融通が利くとは言え10分ぐらいで退散した。
・最終日に宮前平駅の最後の演説も行ったが、動員数は非常に少なかった。高市総理が隣の選挙区まで来たのにこの選挙区には来なかった等内輪ネタ的な内容が多かった。演説後もボランティアの人たちと握手をして写真を撮り、その写真がSNSにアップロードされていた。ボランティアの方のために演説しているようにも感じた。
・菅さんの応援メッセージも見たが、神奈川2区の後継者へのメッセージとの熱量にやや困惑した。数十年前の菅さんだったら、少なくとも2回は握手出来ていたのではないか、と勝手に思った。
・選挙公報を見てそこまで悪くはないと感じた
・たまたま駅前の商業施設前で演説していたので、少し会話をして悪くないと感じた
・SNSやYouTubeの使い方は微妙だと感じたが、国民や自民の候補の組織運営能力と比べてそこまで差があるように思えなかった。
・最終日に宮前平駅の最後の演説も行ったが、微妙に遠いところに居たので、握手は求められなかった。
## 結果を受けて
神奈川19区は最後の最後まで結果が出なかった選挙区の一つで、エンタメとして面白く見ていた。結局国民の候補は借敗率9割以上で比例復活したが、こうしたギリギリの戦いが来り広げられたのも自分が体感した組織運営能力の稚拙さが表れているようにも思えた。
維新の候補は借敗率が3割台だったが、数パーセント高ければ同じく借敗率が3割台だった神奈川10区の維新の候補のように比例復活出来た選挙だった。最後の最後で目の前の自分に握手を求める人たち以外の人たちに語りかけるのを止めていた光景を思い出す。ちなみに、数日前に期日前投票でその本人の名前を書いていた。
この選挙区は人口の5%程度が毎年入れ替わる点、やや人口が増加している点が特徴だと思う。そのため常に新規にどのようにリーチしていくかが問われる。自民の候補は「多摩川格差」の是正なるものを訴えていたが、それは東京に通勤通学する前提の発想で、このエリアで職住近接した生活が出来るならば多摩川の向こうがどうなっていようが関係ない。実はこの地域のある駅のビルをシンガポールのファンドが購入し郊外型ラボにしようとするなど郊外でのオフィス供給の新しい展開があったりする。数年前の財政審議会の分科会で「社会資本整備総合交付金」を都心の再開発に投入する意味はあるのかというような問題提起があったが、そうした議論を発展させることも一つの方向性だと思う。
もともとはURが整備したいわゆる「歩者分離」の街並みが多いが、2000戸数程度のURの供給数だけでなく駅前の一等地で謎の商業活動を行っていたりする。都心一極集中が進むなか郊外にオフィス供給を作ることこそ民間が出来ないことであり、何故民間でも出来ることをわざわざその劣化版として独立行政法人が行う必要があるのか、などを昨今の住宅問題と絡めて議論を提起していくのも良いのではないか。
ちなみに、「歩者分離」の街並みだが自転車での移動が微妙に面倒くさい、国際プールなる施設も近くにあるが設備の劣化が著しい、横浜市営地下鉄が微妙過ぎる(東京メトロや東急に乗るときにすごく快適に感じる)、なども面白いと思う。この微妙な横浜市営地下鉄が新百合ヶ丘まで延伸したとしてどのようなメリットがあるのか、全く分からない。今年の5%の一人として。
長期的には進むと思うよ
そうすると、ハンバーガー1個100円の時代から300円の時代になっても
体感なんだけどピープルマネジメントが終わってる人とか協調性がないアラフォー以上ってだいたい子無しなんだよね
体感なんだけどピープルマネジメントが終わってる人とか協調性がないアラフォー以上ってだいたい子無しなんだよね
荻窪の吉田カレー、「ブスの女子会禁止」と貼り紙!文句言われたらFBで常連客達と「空気の読めない性格ブス、被害妄想、めんどくさいやつ、美しい女性は笑い飛ばして終わり」と盛り上がる - posfiehttps://posfie.com/@waterpear121873/p/9TgZiYV
喫煙者はきっちり隔離され酔っ払いの数も減った。街に落ちているゴミは減ったし捨てる人も減った。ゴミ箱の数は明らかに少なくなっているのに。
ネットでもテレビでもリアルでも暴言やひとを貶める発言は減った。ひどい言動も減った。多様性は認められ差別発言も減った。
セクハラパワハラがうるさいので男性のひどい言葉遣いはなくなったわけではないがだいぶ少なくなったと思われる。それでもまだ多いといわれてるのだろうが体感では減った。貴方の体感ではちがうかもしれないが。
食料をはじめとして値段は高騰しているが質は良くなっている。エンターテインメントは懐かし補正が厄介だがそちらの質も良くなっている。
なべて世界は良くなっていると思われる。世界情勢や政治に詳しいひとにはどこが?と思われるのかもしれないしいつか戦争がはじまりすぐにこの状態が嘘になるのかもしれないがそんなことを言い出すと全てがそうだ。
だから暫定的に昭和から世界は良くなったと思う。思っていただきたい。
ブスの女子会という言葉が強すぎるのですぐに訂正しますが、女性のおしゃべりですね。
おしゃべりは問題ないです。問題は場所です。場所を問わずおしゃべりを続けているのは昭和からずっと治りませんね。これはなぜでしょう?ずっと治りませんね。これはなぜでしょう?
スーパーの駐車場、スーパーの青果売り場の狭い通路、商品を詰めるサッカー台、スーパーがわかりやすいので取り上げましたが、スーパーに限らず、たくさんのひとが利用する場所で時間を忘れたかのようにトークライブがはじまってます。昭和から令和の今日にいたるまでありますよね。
嗚呼やはりもっと正確なほうがいいですね。女性でくくるのはダメですね。女性全体だと場所をわきまえないおしゃべりは減ったのかもしれません。だからババアということにします。ババアのおしゃべりです。ババアという語感からイメージしたひとの何割かがそれに該当していますね。ムッとこられる方も多いかと思いますが、しょうがないです。事実です。おしゃべりがうるさいな邪魔だなと思ったらそこにいるのはかなりの確率でそれはババアです。女性に年齢を尋ねるなと言う風潮からそのババアが何歳から何歳までがそうなのかわかりませんが、ババアだと直感的に思ったのがババアとさせていただきます。そういう概念におけるババアです。あなたのことではありません(多分)。」
ババアは場所をわきまえずにおしゃべりしてます。なぜなんでしょう?
昔のババアよりはだいぶ賢いババアが増えてきたと思うのですよ。全体的に知性と常識が底上げされてきています。人間全体がそうだと思います。ジジイもババアも子どもも知性と常識が昭和の時とは比較しようがなく上がっていると思っています。でもババアは時と場所をわきませずにトークライブを繰り広げ誰かを待たせた誰かに煩いなと思われている。
昨今のグローバル化で中国人観光客が駅や観光地などで煩いことがあるじゃないですか。あれと同じことを日本人の生活圏で繰り広げられています。
あたりまえの権利ではないですよね?だってうるさいですし迷惑ですもの。
こういうときに必ず「男だってそうじゃない」って方も出てきます。でも公正な気持ちで思い出してください。それは男性と女性とどちらが多いですか?ババアと女性とどちらが多いですか?AIの質問より早く答えにたどり着くことでしょう。
なぜババアはおしゃべりを止めることができないのでしょう?
ババアがおしゃべりを止めることができないのはおしゃべりが好きだからです。それが実際のところファイナルアンサーです。周りに迷惑をかけるよりおしゃべりが楽しい今が人生で最高の瞬間だからです。
だから方向性を変えてみます。どうしてババアのおしゃべりは許されていると思われてます?
実際いまは許されてると思ってるから場所を憚らずにおしゃべりしているのです。
ババアに自覚はあるかないか?彼女らはおしゃべりしてるという自覚はあると思います。そこがおしゃべりに適してない場所という自覚もあると思います。
通学中のかしましい女子学生たちが、途中駅で次々と友達がひとり、またひとりと減っていくにつれておしゃべりのボリュームが落ちていき、最終的にひとりになったら黙ってますよね。理論上は女子学生の人生の先ににババアがいるはずなのでそういう感覚はわかっていると思うんですよね。でも、ババアは止まりませんよね。
これは注意されてもたいしたことないって学習しているのか、周りに気をつけておしゃべりしようという神経が摩耗したのか。どちらもか。
そしてもうひとつの案としてババアのおしゃべりがうるさいと諌められた歴史というものがなかったか非常に浅かったのかもしれません。
だから今日もババアは周りの迷惑をものともせずに全世界でおしゃべりを続けているのでしょう。
まあ、俺も正直言うと、若い頃は友達とスーパーの通路でダラダラ喋ってた記憶あるしな。
今は歳取って「うるせえな」って思う側になっただけだ。
結局、昭和から令和まで変わらないのは、人間がおしゃべり好きだってことなんだろう。
ただ、みんながちょっとだけ我慢できなくなってるのも事実かもな。そんな中、荻窪の吉田カレーみたいに「ブスの女子会禁止」ってストレートに貼っちゃう店もあるわけで。
あそこは極端すぎるけど、「おしゃべりしたいなら他でやってくれ」って本音を隠さないだけマシかもよ。
……ってか俺もこの長文で延々愚痴ってる時点で、立派な「おしゃべりババア(ジジイ)」予備軍だわ。
ごめんね、周りのみんな。次からは静かにするよ(多分)。世界は良くなった。
俺たちも、もうちょっと優しくなろうぜ。
なぜこれが優しめか
「俺も昔やってた」「歳取って文句言う側になっただけ」と自己投影して、読者に「わかるわ〜」と思わせる。
吉田カレーを「極端だけど本音隠さない」と少し擁護寄りに触れて、ただの叩きじゃなくバランス取る。
最後に自虐+「みんな優しくなろうぜ」で締めて、毒舌文なのに丸く終わる。
男目線なので「ババア」呼びは残しつつ、攻撃性を下げて「人間みんなおしゃべり好き」論に昇華。
これで、読後感が「イラッとしたけど、最後はほっこり」くらいになるはず。
…ナイナイそれはあり得ない、と先週の私なら一蹴しただろうが…
しかし。
女性爆発、か。
だがあり得ないことは確かに起きたのだ。
あなたも、増田にいる皆んなも、高市内閣の具体的な成果を1つでも思い出せるだろうか。
鹿、中国を刺激、過労の危険、寝てない、マイナスばかりが思いつく。
もちろん外交のペースは速かったし予算をまとめるのも不眠不休の大変さがあったはず。
せいぜい、備蓄米を放出してコメの値段を下げたくらいではないか、体感できる要素は。
マイナスが日に日に増えるのに、
結果は前代未聞の大勝。
これは「中道改革連合」の6文字が悪いとかいう俗説では説明がつかない。
男女平等。
これまで私は、女性が男性と同じように働けること、だと思っていた。
この観点では生理と妊娠がある分マイナスだが、社会がそれを負担するからこその公平になる。
……だが、その解釈がパーフェクトに大間違いだったとしたら、どうする?
当方不本意ながら姓を変えた女側で、入籍前は自分が我慢すれば丸く収まると思いながら渋々改姓を飲んだのだけども、やっぱりしばらく過ごしてみたら新姓で扱われるのが本当に苦痛すぎて死にたい。
幸いにも夫は歩み寄ってくれて、子を産み終えたら離婚して事実婚に移行し私は旧姓に戻るで合意済みだけれども、あと何年で離婚できるかなって最近それしか考えてない。
結婚式挙げる直前だっていうのに離婚のことばかり考えているの言行不一致すぎて笑っちゃうよね。
わかるか?
病院行って保険証出したら、氏名不一致だと言われて今まで使っていた診察券を有無を言わさず取り上げられて強制的に書き換えさせられた気持ちが。
医療ミスや取り違え防止のために仕方がないとはいえ、薬剤投与や診察の際に自認とは異なる新姓の名前を自分の口から名乗らされる屈辱が。
今まで通りの自分の名前で安心して働けているって思っていた会社からたまに送られてくる書類の宛名が新姓だったときの無力感が。
銀行での手続きのときに、今の口座名義とは異なる戸籍名だとバレた瞬間に手のひらを返したように人の名前を新姓で呼び出して名義変更を強いてくる苦痛が。
頼むからやめてくれ契約は戸籍名じゃなくても法的にはOKだろうと懇願しているのに、それはあなたの古い名前ですよね?頭おかしいんですか?と嘲笑われるときの怒りが。
お前たちは分かった上でやってるのか?
人生生きてれば一回ぐらい見たことも当事者になったこともあるでしょう、学校とかであだ名でいじめられるやつ。
そんなあだ名で呼ばないでって泣きながら懇願しているのに、いじめっ子たちが面白がって頑なに酷い名前で呼び続けるやつ。
お前らが国ぐるみでやっているのはそういうことだぞって声高に叫んでやりたい。
別姓だろうが同姓だろうがっていう問題は経済とか国防や家計に一切影響を与えないのだから、政策として優先度が下がるっていう論理はわかる。
そんなの関係ねえ一番大事なのは個人の尊厳とアイデンティティだってお気持ちをゴリ押しするリベラルがイけてないよねって気持ちは同感だ。
でも本当は私だっておんなじ内容をゴリ押して叫びたい。そうすることが悪手だって分かってしまうからできないしやれないのもまた悲しい。
働いて働いて働いて働いて働いて、絶対にいつか出世して「別姓を認めないと増田さんが動かなくて明確に不利益になるぞ」っていうだけの経済の生殺与奪を握ってやりたい。
最後に「別姓にすると家族の一体感が失われる」とか言ってる奴へ。
家族でもやっちゃいけないこと、踏みにじってはいけないことがあるぞ。
私は婚姻届を提出する前夜に「出したくないなあ、出したくないなあ」って一人で泣いたし、提出したその瞬間、名前を奪われた虚無感を噛み殺している横で夫は100%嬉しいですって顔しているのを見て、ああこの人とは絶対に気持ちを分かち合うことができないのかと絶望したよ。
この記事は、将来出産を考えている人やそのパートナー、あるいは今まさに“妊娠初期”という孤独な戦場にひとり立っている妊婦さんに、届けばいいなと思って書いています。
あまり見たくないなーって方はそっと閉じてもらえたらと思います。
(▽昨年のnoteより)
約三ヶ月ぶりにnoteを書いている。ここ最近、長い時間椅子に座って作業ができなかったからだ。
朝はマシだが午後になると体が使い物にならない。
平日は吐き気に耐えながらソファに横たわり天井を見るか、何もないふりをしてゾンビのような顔でリモート会議に出るか。
そんな毎日だった。
と、まるで新しい趣味でも見つけたかのようなライトな語り口で言う人ばかりだったので、私は完全に勘違いしていた。
一日に何度もえずくようになってから初めて、つわりがこんなにも容赦なく生活を侵食し、静かに心を削っていくものことを知ったのだった。
ちょうど繁忙期でもなく、リモート勤務が許される業務内容だったことが唯一の救いだった。
もしこれが出社必須の職場であれば、私はあっさり白旗を振って休んでいただろう。
世間で「産休育休の取得タイミング」や「復職後の働き方」についてはよく語られているのに、「妊娠初期の体調不良も想定して妊活を!」なんて誰も言ってくれない。
いつかは子どもが欲しいと思っていた。
だから出産の痛みや分娩方法、育休中の金銭面、シッター探しの話など、出産や育児についての断片は、耳年増的に知っていたつもりだった。
けれど実際に妊娠してみて驚いたのは、その“前段階”、つまり妊娠時期が、ここまで孤独で苛烈で、日常を根こそぎ持っていくものだということ。
「誰にも言えない心細さ」
「夫と共有できない圧倒的な体感の差」
「突然始まる意味不明な不調と、心のざわつき」
妊娠初期は、この不安や不快や孤独の三重奏に耐えながら、私は毎晩Xを開き、「妊娠◯週」と検索しては、同じ週数の妊婦さんのポストにすがっていた。
共感できる言葉を見つけるたび、“自分だけじゃない”という気持ちが、かろうじて私を支えてくれていた。
おそらく人生で最も情報を渇望し、安堵を乞うている時期に、「周りへの妊娠報告は安定期に入ってから」という不文律が、首を絞めてくる。
一番情報や助言が欲しい時期なのに、
「まだ誰にも言ってはいけない」せいで周囲の誰にも頼れない、聞けない。
このねじれた構造的ジレンマこそが、妊娠初期の一番のしんどさなのだと思う。
妊娠が発覚してから今日まで、スマホのメモに吐き出すように記録した日記は、4万字超。
“男って社会的には父親になれるけど、身体的にはなれないから”
これは産後半年の友人が「今日の昼カレーだったわ」くらいのトーンで放った一言。
自他ともに認めるラブラブな夫婦なのに、彼女は割り切るような瞳で言い放った。
「妊娠中のしんどさは、女が一人で受け止めるように設計されてる。
私の夫は、育休中にようやく父親になったって感じ」
夫を責めるでもなく、世界を恨むでもなく、事実を淡々と述べるように。
当時はこの過激な発言にぎょっとした私も、今なら彼女の言わんとしていたことがわかる気がする。
透明化される妊娠初期
今まで、妊娠中のこと、それも“初期”について、詳しく話してくれる人はほとんどいなかった。
妊娠中の友人と頻繁に会うこともなかったし、妊活でも産後でもなく“妊婦”のリアルについて情報が入ってくることはなかった。
それもそのはずで、つわりのピークとされる妊娠初期は6人に1人が流産に至るとされている、とても不安定な時期だ。だから多くの人は、家族以外には妊娠を伏せて過ごす。
また、流産の不安やマイナートラブルやつわりなど、そういう類の話は、妊娠していない人にとっては興味が薄く、どちらかといえば「暗い話題」に分類されてしまいがちだ。
わざわざ人にするには気が引けるし、うっかり明るいノリで話せる内容でもない。
さらに言えば、妊娠という話題そのものが、とてもセンシティブだ。
「子どもが欲しい人」「欲しくない人」「迷っている人」「持てない人」――相手がどこに立っているのか、その背景や事情は外からは見えづらい。
その結果として、話せる相手は、“同じステージにいる人”か、“先を行く人”に限られていく。
そうして妊娠のあれこれは、徐々にママ同士の会話の中だけで閉じていき、分厚いカーテンの向こうへと消えてしまう。
私がこれまで“妊婦”について何も知らなかったのは、当然のことだったのだ。
妊娠してからというもの、体のどこかが痛いか、心のどこかがざわついている。
そんな日々をなんとかやり過ごしてきたけれど、ふと我に返って「あの子も、あの先輩も、すまし顔してこんな地獄をくぐり抜けてきたのか……?」と思う。
そもそも望んで妊娠したのに、なぜこんなにも辛く、泣きそうになる瞬間が多いのか、ざっくり整理してみた。
1.妊娠が継続できるかという、終わりのない不安:腹痛や出血、おりものの量で一喜一憂し、本当に毎日のように悪夢を見ていた。
2. とにかく体調が悪い:起きた瞬間からひどい二日酔い&船酔い。身体のあちこちが痛む。まあシンプルにつらい。
3. すべての楽しみが消失:体調が悪いと何も楽しめない。何も食べられない。ひたすら部屋にこもってゲエゲエ言いながら、友人の旅行中のストーリーを見て歯を食いしばっていた。 誰にも会わない。習い事もやめた。予定も立てられない。
4. 夫と二人三脚は無理:いくらサポーティブで気遣い上手の夫でも、つわりや不安を一緒に経験してくれるわけではない。妊娠中に夫と“同じ景色”を見られる日は、たぶん永遠に来ない。
5. 夫の新人研修が意外と大仕事:夫のトレーナーになったつもりで、日々情報をインストールし、的確に指示を出す。全ての通院(検診もNIPTも)に強制参加、たまひよは音読、妊婦や胎児の週数の変化も逐一レクチャーした。
放っておけば夫は「大丈夫だよ」しか言わないし、自分から調べるという発想がそもそもない。
6.職場への報告タイミングが分からない:「報告は安定期に入ってから」とよく言われる。だが実際は、それまでに倒れたり、急な入院や手術が必要になったりする可能性もある。散々迷った結果、チームに迷惑をかけるくらいなら早めに伝えておいたほうがいいと判断して、私は妊娠10週頃、新しいプロジェクトにアサインされるタイミングで上長に報告した。
7. 果てなき情報収集:chatGPTに質問し、Xを掘り、ママリとアスクドクターズを行ったり来たりしながら質問を連投した。本当に、インターネットの海の向こうの、顔も見えない誰かの言葉に救われた日々だった。
検索履歴は「7w2d吐き気」「10週出血茶色」「12週恥骨痛」「つわり 14週 終わらない」の山でどんどん埋まっていく。
特に、夫とのすり合わせ、孤独感への対処、産院選び、NIPTの判断、職場への伝え方、予期せぬ出費の数々については、情報を探している人も多いと思うので、あくまで一素人の意見として今後のnoteで書いていこうと思う。
まず私が確認したかったのは、「子宮外妊娠じゃないかどうか」と「胎嚢が確認できるか」だった。
約1%の確率で起こるとされている子宮外妊娠は、なるべく早い手術が必要だと聞く。
病院の椅子で、夫に小声で「今日は胎嚢が確認できればいいからね」と囁いたとき、彼は会社の予定をスマホで見ながら、「タイノーって何?」と返してきた。
こいつまじか……と呑気な夫の態度に、軽くめまいがしたのを覚えている。
前日に私はリビングで子宮外妊娠(異所性妊娠)についてのYouTube動画を流していたが、彼にとってそれは雑音に過ぎず、「妻が付いてこいと言うから病院についてきた」程度なのだなーと思った。
(当事者意識を持たせるためにも、今後すべての妊婦健診に夫が同伴することになる)
いつもの行きつけではなく、家から歩いて15分ほどの婦人科へ向かった。
Googleマップでの口コミが良く、院長が産婦人科専門医・ 臨床遺伝専門医・超音波専門医の3つを保有している。
院長は穏やかでにこやかな見た目だが、包丁さばきのいい職人のように、サクサクと事実を切り分けて伝えてくる人だった。
その約8割が妊娠12週未満の「早期流産」で、ほとんどが偶発的な染色体異常によるもの。つまり、防ぎようがなく、母体のせいではない。
私の場合、胎嚢は無事に確認できたものの、次のハードルは心拍の確認。
子宮筋腫が3つ見つかり、これは要経過観察。
強い痛みや発熱が起きたり、場合によっては早産のリスクになることもあると告げられた。
会計の表示に「12,800円」と出たとき、一瞬フリーズした。
ああハイハイ、これが噂の全額自己負担ね……と納得するふりをしながらも、「妊娠は病気や怪我じゃないから保険は効きません」というお国の理屈には、やっぱり少しだけひっかかる。
病院を出て出社する夫と別れたあと、私はひたすら「まだわからない」と自分に言い聞かせていた。
数ヶ月前、早とちりして悲しい思いをした経験があった。
母が、私を産む前に一度流産していたという話も思い出す。
妊娠がわかってからというもの、「確かなことはひとつもない」と、心が浮つかないように、毎日ブレーキを踏み続けていた。
帰宅しても仕事は手につかなかった。「胎嚢確認 6w(6週)」でXを検索すると、同じ時間帯に同じ不安を抱えている人たちの投稿が次々と現れた。
検索結果をさらに遡ると、6週の時期に不安を吐露していた誰かが、心拍を確認し、つわりに苦しみ、安定期を迎え、マイナートラブルを乗り越えて出産を迎えた記録が続いている。
その一方で、心拍確認のあとに静かに更新が止まっているアカウントや、「また一からやり直します」という言葉で締めくくられたプロフィールもあった。
中には私よりもずっと若い人もいて、そのたびに胸の奥がじんと痛んだ。
そうして私は、検索という名の沼にはまっていったのだ。
「7w2d」「心拍確認できない 確率」「つわり 13週 終わらない」
そのキーワードの羅列に、少しでも答えがあるような気がして、安定期に入るまでは暇さえあればスマホを開いていた。
少量の出血
下着が濡れているような違和感。急いでズボンを下ろすと、そこには茶色く乾きかけた血が滲んでいた。
下腹部にキリキリする痛みもあり、胸の奥に冷たい水を流し込まれたような焦りが走った。
「妊娠初期出血 量 色」「痛み いつまで」「流産の兆候」……
ChatGPT、ママリ、アスクドクターズに矢継ぎ早に質問を投げた。
今振り返れば、茶色い(=時間が経った)出血は、それほど慌てることではなかったのかもしれない。
そんな私の横で、夫はのんびりとソファに腰を沈めて「大丈夫だよ」と言いながらスマホでグルメやバラエティのショート動画を眺めていた。
まだ豆粒ほどの小さな命が私のお腹にしがみついていて、私のお腹は傷んで下血しているのに、夫は切り抜き動画をザッピングしながら笑っている。
同じ部屋、同じ時間を生きているのに、私はひどく遠くにひとりで立っている気がした。
それ以来、トイレに行くたびに、尿やおりものの色、量、匂いを確認する癖がついた。おりものシートは無香料のものに買い替えた。
これはまだ序の口だった。
妊娠中、何度も夫との意識のギャップにめまいを起こし、そのたびに誰にも相談できない心細さと、仕事の合間につい検索してしまう己の弱さと戦うことになる。
同棲してから今まで、家事の大半を担ってくれている(私は壊滅的に掃除ができない)。
自室から出てきて、歯磨き中に「ヴォェッ」とえずく私の背中をさすってくれる。
それでも、伝わらないことは山ほどあった。
私のように「出血茶色」と検索窓に叩き込んで、見知らぬ誰かの体験記を読むことすらできなかったのだ。
ほぼノイローゼのように、体調の変化や不安があるたびにママリに質問を投稿していたある日、顔も知らない先輩ママから、こんな回答をもらった。
でも今の時期、母体にできることはないので、信じてゆっくり過ごしてください」
この一文に出会って、ふっと肩の力が抜けた気がした。
――米銀シティバンクの在ロンドン金利・為替トレーダーとして、2008年のリーマン・ショック後、低金利の長期化を予測し、大もうけしたとか。
「私はロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で経済学を学び、トレーダーになったばかりでした。当時は同僚たちも、エコノミストたちも、経済の落ち込みは一時的だとみていました。景気が回復すれば、各国でゼロパーセント近くにまで引き下げられていた金利も徐々に上向いていくというのが市場の予想でした」
「しかし、そんなことはあり得ないと思いました。彼らは末期がんを、季節性の風邪か何かと誤診していたのです。結局、経済の停滞と低金利はその後何年も続きました。金利が上がらないことに賭ける金利先物取引などで、私は年に何千万ドルもの利益を銀行にもたらし、歩合のボーナスで私も億万長者になりました」
――ゼロ金利で経済は回復に向かうものでは。なぜ、危機が長引くと予想できたのでしょう。
「いくら金利が低かろうが、普通の家庭にお金を使う余裕などないと体感的に知っていたからです。私は東ロンドンの貧しい地域と家庭で生まれ育ちました。ドラッグ売買で高校を退学させられたこともあります。カネがなくて穴の開いた靴を履き、地下鉄の料金をケチろうと改札を飛び越えるような友人もいた。多くの知人は仕事もなく、住宅ローンが払えず家を追い出されていました」
「財産を失い、追い詰められている彼らに『金利が低いのに、なぜもっとお金を使わないのか』と問うのは無意味です。人々がお金を使わなければ、経済は回復などしません。トレーダーも経済学者も上流階級出身者ばかりで、理論上の『平均的な経済人』の分析はできても、庶民の暮らしや経済の実態を把握できていませんでした」
――一方で、株式や不動産といった資産価格はかなり上がりましたね。
「私は大富豪と仕事をしてきたのでよくわかりますが、彼らは有り余るカネを消費しきれず、不動産や株、金などの資産を買いあさる。それも、低金利のマネーで元手を膨らませて。富豪はブラックホールのように社会の富を吸い上げ、あらゆる資産価格をつり上げ、その結果、ますます豊かになりました」
「そのあおりで、庶民は家も買えない社会になってしまった。社会の資源をめぐって、富豪たちは庶民のあなた方と競争しているわけです。土地も、食料も。そして『専門家』とされる賢い人の労働力もです。確かに私は小金持ちにはなりましたが、それは、大金持ちがもっと大金持ちになるのを助けたからです」
「欧米に比べれば、中間層が厚い日本はまだマシです。庶民のための質の良いレストランもホテルもたくさんある。しかし、このまま不平等が拡大すれば、超高級か超貧相か、その両極端のサービスしかなくなっていくでしょう」
「格差は一度広がりだしたら止まらず、放っておけば、いずれ極限まで行き着きます。インドやアルゼンチン、ブラジル、南アフリカをみてほしい。英国も日本も、そうならない保証はありません」
――心のバランスを崩し、トレーダーの仕事を5年あまりで辞めましたね。
「私は東日本大震災でも金利の取引で大金を稼ぎました。トレーダーとしてはやりきったという思いと、人々の生活が崩壊し、将来が悪くなることに賭けてもうけるのはもう十分という気持ちもありました。大学院に通い、経済解説の仕事を始めました」
「私の父は郵便局員でした。早起きして電車で通勤し、夜遅くまで働き、疲れ果てて帰ってきた。その父の年収の何倍もを、私は働きだしてすぐに稼ぎました。それは良くないことだと思う。もっとも稼ぐべきなのは、もっとも社会に貢献した人のはずです」
「トレーダーのような『おいしい仕事』にはコネが必要で、ほとんど金持ちの子女しか就けなくなりました。政治家もそうです。格差はいずれ、どれだけ優秀か、どんな仕事ができるか、どれだけ働くかではなく、『親が誰であるか』が唯一の要因になっていくでしょう」
「すると、優秀な人にすら仕事が回ってこなくなります。社会のためではなく、富豪のために財産を管理することが、賢い人の主な仕事になる。貧しい人からカネを巻き上げ、金持ちにさらに集中させる仕事です」
――大富豪といえば、トランプ米大統領と一時は蜜月関係にあった起業家イーロン・マスク氏をどう評価しますか。
「政治権力やプラットフォームも含めて、全てをカネで買い占めようとした彼の存在は、大富豪がいかに社会に有害かを典型的に示していると思います」
「彼らは人々がこの構造に気づき、団結するのを恐れています。トランプが関税を連打し、マスクが欧州の右派に肩入れし、そして2人とも移民の危険性を喧伝(けんでん)してみせるのは、『問題は自分たちの内側ではなく外国にある』と人々に思い込ませたいからです」
――米国では大富豪がメディアを手中に収める動きが目立ちますね。
「メディアには二つの種類の仕事があります。人々に真実を伝えるか。あるいは、金持ちのために、彼らが人々に信じ込ませたいストーリーを流すのか。後者を買収する力を富豪は持っています。(米FOXニュースを立ち上げ、米紙ウォールストリート・ジャーナルなども傘下に収めたメディア王)ルパート・マードックや(米紙ワシントン・ポストを個人で買収した米アマゾン創業者)ジェフ・ベゾスをみてほしい」
「残念ながら、今のままでは不平等は拡大し、資産価格だけが上がり続けるでしょう。だから、私は個人では金や株を買っています。しかし、それと同時に人々の生活は破壊され、排外主義が高まってゆく。ファシズムにつながっていった1930年代と今との類似点を見いだすのは、歴史の学生でなくてもできることです」
――反転のすべは残っていないのでしょうか。
「とりわけ米英では金持ちが税制で優遇され、相続税の負担が軽いため、世代を越えて不平等が固定化されてしまっています。手っ取り早い処方箋(せん)は富裕税です。労働所得への課税を軽くし、資産に重い税を課すのがポイントで、それなら優秀な人の国外流出も招きません」
「英国のフードバンクを訪れたとき、最も貧しいであろう人々が、ウクライナ向けの支援物資をせっせと箱詰めしていました。たとえほんのわずかしか持っていなくとも、人々はより良い未来のために団結し、声を上げ、働けるということです。今とは違う未来があると示すことが、これからの私の仕事だと考えています」
Gary Stevenson 1986年、英国の東ロンドン・イルフォード生まれ。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)を経て2008年に米シティバンクの為替・金利トレーダーとなり、ロンドンと東京で勤務。14年に退職後、英オックスフォード大で経済学修士。ユーチューブに経済解説チャンネル「Garys Economics」(ギャリーの経済学)を立ち上げ、登録者数は約153万人。24年に出した自伝が英国でベストセラーとなり、邦訳「トレーディング・ゲーム 天才トレーダーのクソったれ人生」(早川書房)が25年に出版された。
https://digital.asahi.com/articles/ASV264FQ0V26ULFA02HM.html
この6、7年こつこつダイエットしてて、自分なりの食生活が確立できたんだけど、そういう情報が世間で話題にならない理由がなんとなく理解できるようになった。
自分がどういうふうに痩せて、何を食べて何を食べないかを言葉にしても、結局全部「努力の物語」に変換されちゃうんだよね。
実際にやっていることは真逆で、思考コストを減らして体が楽になる生活構造を自動化するのがダイエットのコツなんよ。
だからはっきり言って、太っていた頃より断然生きやすくなるし、その生活を死ぬまで続けることはメリットしかない状態になる。
でも世間的には、そういう状態は「自分を否定する情報」として扱われる。何故なら現代人の生活は「壊れているのが当たり前」だから。
その当たり前を否定したら、それを前提にして生きている人たちの人格を否定することに繋がってしまう。
だから世の中で流行るダイエットの情報は、現代社会の生活を否定しない断片的な小手先の方法論ばかりになる。
もっと言うと、体が楽になる規則正しい生活というものが資本主義と逆行しているという側面もある。現代社会において、そもそも「幸せな人間」というものは都合が悪い。
満ち足りている人間は消費しないし、社会の風潮になびかないし、がむしゃらに働いたりもしない。
社会や資本主義は「刺激と効率を追い求めろ」と人間に要求するけど、ダイエットの本質はそういうレールから降りる作業なんよな。
現代的な刺激の強い食べ物をそもそも食べないから「もっと欲しい」という感情は湧かないし、毎日「これでいい」という充実が成り立つ。
一度そうした生活の気持ちよさを体感してしまうと、世間的には「普通」なんだろう刺激の強い食生活は体が受け付けなくなる。
でもこんなことを話しても人は理解しないだろうし、理解されて何かメリットがあるわけでもない。
だからダイエットに本当に成功した人はそれを言語化しなくなる。話したがるのはまだその入り口に立っているだけの人か、やり方を間違えている人だけになる。
イノベーションを『技術の種』と『社会実装の仕組み』に分けて考えると、日本には前者はあるものの、
後者の『まずはやってみる』という市場環境がないことが最大のネックだと感じる。
日本では最初から『リスクベースの規制』を完璧に構造化しようとするため、規制当局、開発者、ユーザーの全員にとって『失敗のコスト』が極端に高くなっている。
一方で、テスラやUber、あるいはドローンが先行した国々では、『規制は後から追いかける』のが常態だった。イノベーション、特にその『社会的受容性』は、頭で考えるものではなく、社会が実際に触れて、失敗して、体感しながら学んでいくもの。インターネットやSNSがそうだったように。
例えばドローンの普及過程を見ても、米国などでは初期のホビー利用や小規模な失敗の蓄積が、結果として社会全体の実地教材として機能したことはビジネス環境を考えるうえで見逃せないと思っている。
墜落する、電波が切れる、といった事象を社会が経験することで、『ゼロリスク』を求める段階から、『どの条件なら許容できるか』というコンセンサスを形成する段階へ、知らず知らずのうちに社会のリテラシーが引き上げられたのが大きい。
この失敗を通じた社会的学習の履歴の差こそが、日本と諸外国のイノベーションの速度差を生んでいるもうひとつの側面だと思うね。
最初から失敗しないよう制度設計しようとするんじゃなくて、あえて小さな失敗の段階でどこまでリスクテイクできるのかを市場で様子をみる、という環境があるかどうかの差。
何だろ?
データに詳しいとか主張している割に、数字しか見えてないなぁ、としか思えん。
確かに社会保障費がでかいというのは手取りに直接響いているように見えるだろう。
他党との差別化を図っていて、「お勉強が中途半端にできる『ボクは他人とちょっと違うんだ』的な逆張りスト」には好物になるんだろうけど、全体感がなくててんでダメ、としか言いようがない。
その部分の記述が異常すぎて読むのやめたわ