
はてなキーワード:佐賀県警とは
なんで国家によるDNA鑑定が正しく行われると思ったんだろう。
表面的には「一職員による改ざん」と片付けられている。しかし、私が入手した資料が指摘するように、警察不祥事は個人の資質に還元できるものではない。
業績プレッシャー :科学捜査研究所においても「成果を出す」圧力が不正を誘発した可能性
すなわち、この不正は「個人の逸脱」に仮託された「組織的失策」だ。
警察庁は10月8日から特別監察を行うと発表した。形式上は「信頼回復」が目的だが、真の狙いは二つ。
火消しと統制 :世論の批判が拡大する前に「外部チェック」を装い、統制を強化する。
全国警察への見せしめ :佐賀県警だけでなく、他県警の鑑定実務への警告効果を狙う。
過去の公安警察による情報監視問題でも、国家賠償訴訟が提起されたほど、監督不在の権限行使は常に制度的脆弱性を生む。今回も「監察=本当の第三者検証」にはならず、むしろ組織防衛の一環と見てよい。
刑事裁判への影響 :DNA鑑定は有罪立証の強力な証拠であり、不正が130件もあれば、過去の判決の再審請求が相次ぐ可能性がある。
立法的対応の必要性 :日弁連の意見書やが示すように、個人識別情報(DNA、指紋、生体データ)の扱いに対する法規制は不十分である。今回の事件は、国会での新たな立法措置を促す契機となろう。
警察内部の人事処分 … 県警本部長や幹部の更迭が行われるかどうかが、警察庁の本気度を測る試金石となる。
この問題は「一職員の裏切り」として処理されるだろうが、真に問われるべきは警察組織の構造的な監視欠如である。
私はこう断じる
不正は再び起こる。なぜなら、警察文化そのものが沈黙と服従を強いるからだ。
真の改革は外部監視機関の創設、DNA鑑定の第三者機関化、立法による情報管理規制の強化以外にない。
諸君、もし本当に「信頼回復」を望むなら、警察庁の特別監察に期待するのではなく、市民と国会が権限を奪い取る形での監督制度 を築かなければならない
うんうん……わかるよ、「第三者委なんていらん、内部で十分」って言いたい気持ち……。
考えてみろ……!
「内部調査で十分」って言葉は、つまり「外の目が入ると困る」って言い換えなんだよ……!
内部か外部か この二つは天と地ほど違う……!
どっちが信用を生むかは明白だろ……!
しかもだ……!
DNA鑑定の不正が発覚してんのに、「チェック体制が曖昧でした~」で済ませて、
「でも外部に見られるのは嫌です~」……こんなロジック、誰が納得する……?
「内部で片付けた=何か隠してる」ってレッテルが貼られる……!
佐賀の街は今、揺れている!科学捜査研究所で何が行われていたのか!?
7年超、130件以上!捜査の根幹を揺るがす「DNA鑑定不正」が次々と明るみに出たのだ!
「鑑定結果に影響はない」 県警はそう言い張る。だが市民の胸に走ったのは 怒りと不安 だ。
もしもその“わずかな操作”が、真犯人を逃がし、無実の者を牢に追い込んでいたとしたら!?
記録改ざん!
手順の省略!
誰が? なぜ? その背後には、 「科学捜査は絶対に正しい」という幻想 を武器に、市民の信頼を食い物にした組織の慢心があったのだ!
だが市民の耳には響かない! 外部委員会を拒否し「内部対応で十分」と言い張るその姿に、怒りは爆発寸前だ!
結論 ― 信頼は灰と化した!
この国で最も“科学的”と信じられていた証拠が、裏切りの象徴となった。
まず最初に、安倍元首相のご冥福をお祈りします。
今回の事件、犯人は事前に射撃練習を重ねるなど用意周到であり、直前に安倍元首相の応援演説が決まったこともあり警備対策は困難であったと思う。
自分も事件直後は、警護は結果責任が重要な職務であり責任は問われるべきだと思うのだが、一方では、たまたま警護の責を負った奈良県警は不運だなとも考えていた。
しかし、Youtubeに上がっている複数の警護訓練の画像を見て、これは個別県警というより県警を超えた全体の警察組織の構造的な問題ではないかと考えるようになった。
(映像の中でも要人警護のあたりからスタート。都合よい切り取りではと思ったら通しで見てください。)
もちろん、これはマスコミや一般用の公開映像だということは留保すべきだとは思う。
外部に見せるための訓練として、ある程度のフォーマットが決まっているのではあろう。
しかし、どの自治体警察の訓練想定も非常に類似しているし、今回の事件と比較すると理想的すぎる状況ではと感じてしまう。
そう感じる点は下記のような点。ほかにも色々あると思う。
・ 訓練シナリオ :要人が車から出てくる→観衆に近づく→暴漢が飛び出す→車に退避
・ 観衆は20人程度で片側に整然と並ぶ
・ あらかじめ安全地帯となる車が用意されている
・暴漢が飛び出ると観衆も一斉にしゃがんで回避姿勢をとるなど、冷静に協力的に対応
・ 警護対象の要人も即座に回避姿勢をとり、鍛えられた成人の退避スピードで車に迷わずに逃走する
もちろん訓練の目的として基本動作を反射的に行えるようになることは重要であり、ある程度の共通の型は必要だと思う。
また、現場の警察官やSPの方は個人個人は日々努力されているであろうし、要人警護に対する責任感も強くあっただろう。
しかし、あまりに画一的な訓練を行うことで思考力や判断力を停滞させ、今回のような事態に臨機に対応できなかったのではと思ってしまう。
おそらく、全国の警察組織にわたって訓練マニュアルと公開向けの訓練マニュアルが用意されていて、それに従って行動することが徹底されてしまっているのではないか。
上記の映像を見ていると、訓練プログラム自体が機能していなかったのではという思いに駆られる。
今回の件を警護に当たったSP・奈良県警個別の責任問題のみに矮小化するべきではないと思う。
非命に倒れた安倍元総理に殉じ、現場警察官の努力に報いるためにも、警察は構造的にプログラムを見直した方が良いのではと考えた。