
はてなキーワード:仮称とは
はてな民に愚痴を聞いてほしい。本日午前に有給を取って書き上げた。
自分は40代後半。小売の仕事をしてて、ホームセンター系だ。仕事帰りに居酒屋に寄ることがある。
お店の名前はここで出すわけにはいかない。昔のドラマに出ていた、北のメジロ(仮称。以下メジロ)としよう。
看板(暖簾)には可愛らしいイラストが描いてある。カウンターとテーブルと座敷がある、こじんまりとした店だ。
常連客もだいたい同じ顔ぶれで、マスターは騒がしくて、男女の店員が数人いる。年代はバラバラだ。若い子が多いような気はしてる。
メジロは、俺にとっての「逃げ場所」だった。国道沿いの高架下にある。寂れた飲み屋街のすみっコ。
ホームセンターの仕事で鉄筋とかワイヤーメッシュを陳列する作業で疲れたり、自転車を早く直したい我儘客に付き合ったり、役場の見積り入札で惜しくも敗北して店長にネチネチ言われたり……ラジバンダリ。そんな、家に帰りたくない気分の時にフラッと立ち寄るのだ。
気の置けない常連客とくだらない話をして、店員さんと少しおしゃべりをしてさ。1人で静かに焼酎をソーダ割りで飲む。梅干しを入れるのだが、なんとも安っぽい梅干しが場末の雰囲気を出している。
そんな時間が、俺の心の平穏を保ってくれてた。ここ数年間は。コロナ禍が落ち着いた頃に発掘したお店だった。
常連ではないんだろうが、お店に行くと3回に1回くらいいる。そいつが店にいると、なんだか落ち着かない。
俺はそいつを、心の中で「東大」と呼んでる。なぜなら、一度だけ店員さんとの会話で「大学どこですか?」「東大です」と言ってるのを聞いたからだ。「誰にも話さないなら」と留保を付けてたけど、俺がいるのは見えてなかったのかとイラッときた。
普段、そいつは作業服で来てることが多い。道路を作る、測量とかの仕事をしていると。
たまに私服で来ることもある。金曜日か土曜日が多い。白っぽい見た目だ。
年齢は30代くらい?いや、顔のしわを見ると、もっと上かもしれない。全体的に純朴そうで若く見える。
そいつを気持ち悪いくらいウォッチしてると思う。でも、それくらい視界に入るレベルで嫌な奴なのだ。
ある夜だった。俺はカウンターの隅で1人、焼酎を飲んでいた。東大卒は、俺の数席だけ隣に座っていた。すると、店で一番愛嬌のある若い店員さんが東大の隣に立って、楽しそうに話していた。
個人情報?別にいいよ。減るものでもないだろ(減るものだろ、というツッコミはなしで)。
「測量のシゴトってすごいですねー」
「私は直接しないんですよ。測量士ではあるんですけど、民間企業に委託するんです。仕様書と図面を作って」
「難しそう」
その女子店員が、東大の注文を聞いてる時に、自分の身体をピタッとくっつけていた。まるで、ヤツに甘えるように。
思わずグラスを握りしめたよ。うす暗い感情が胸の奥からジワッと出てきて。悔しいような、むなしいような気分だった。
少し前に流行った増田で言うと、あの時の俺の表情はメイジバピラスみたいだった。ふしぎなぼうしを所持していればよかったのに。
別に、あの若い店員に恋愛感情があるわけじゃない。あの子は誰にでも優しい。俺にも優しく話しかけてくれる。でも、あの男と話す時は、いつも以上に楽しそうに見える。
他の常連客もそうだ。いつも俺と他愛のない話で盛り上がる気のいい兄ちゃんや、物知りな年配の男性も、東大が来るとそいつを意識している。隣になった人は、なぜか彼と話をしたがる。
先々月だと、「最近のドローンはレーザーで距離を測るんですよ」「なるほどー」みたいな会話があった。ドローンだって?ウチのホームセンターでも売ってるよ。俺の月収の半分くらいするけどな。測量用のドローンだったら、きっと50万くらいはするんだろうな。
結局のところ、俺は悔しいんだと思う。このままでは俺の居場所がなくなるかもしれない。けっこう常連のつもりだったんだけど。
いや、メジロは元から俺だけの居場所じゃない。それは分かってる。でも、俺の心の拠り所があの男に奪われていくような気がして、たまらなく嫌だ。
あの男が嫌いなわけじゃない。むしろ羨ましい。東大卒で、頭も良くて、きっと仕事もできるんだろう。約98%の確率で、俺よりも年収が高い。
だったらさ!わざわざこんな場末の居酒屋に来る必要はないだろう。
スナックとか、ラウンジとか、もっと綺麗な店でホステスと楽しく飲めばいいじゃないか。どうして、こんなカウンターの狭い、常連客ばかりの居酒屋を選ぶんだ?
この居酒屋はさ、俺みたいな平凡な40代のおっさんでも、少しだけ特別になれるような場所なのだ。それが、俺にとってのメジロだった。しかし東大は、そんな俺の特別な場所を悪気もなく侵食してる。
奴はきっと自覚がないのだ。だから無邪気に笑いながら、マスターとバカ話をして、男女の店員と話して、さらに他の客と話している。その無自覚さが、俺をより一層イライラさせる。
明日もメジロに行こうと思う。仕事が忙しい日なので、きっといい感じに肉体が疲労している。梅酒ソーダがきっとおいしいはずだ。
もし、あそこにあの男がいたら、俺からは何も話さない。黙って酒を飲むだけだ。でも、ひどくないか?あいつ。自分とは場違いの環境に来てさ、俺みたいな平凡人の居場所を掻っ攫っていくんだぞ。ひどすぎるだろ。
申し訳ないけど、ああいう男に居酒屋に来てほしくない。頼むからさ、お金持ってるんなら、ほかの高い居酒屋とか、女の子が接待するお店に行ってくれよ。そう願うことしかできない。
Permalink |記事への反応(15) | 12:59
アイドル界の酸いも甘いも混沌も描いた『推しの子』が、本来対象じゃない低い年齢層の子供にも受容されてて関係者が焦るみたいなニュースがだいぶ前にあったけど、
自分の子供時代も含めてだが、この約四十年以上も、『推しの子』どころではない、本来子供に見せるべきではないコンテンツを子供向けと強弁して売り付けるような商売が横行し続けているとしか思えない。
親の本棚からとか、河川敷に落ちてるエロ本から見ちゃったとかそういう次元ではなく、最初から子供向けとして突きつけられ、人間性の健全な発達や安心を拒むコンテンツが溢れている。
それも単なる暴力やセックスの話では収まらなくなってきている。最近の少女漫画ではメンタルヘルスが病んでいる状態をむしろ美化しているのが常態化している。学歴差別や格差をギャグのように描く作品もあり、それを小学生女児がこれから自分が過ごす社会の有様として受け止めながら読む、そんな光景すらある。
自分の話をすると、小さい頃から色々な漫画に触れられる環境にいた。親はむしろ漫画を気にせずどんどん読ませてくれる側だった。
だが、何というか、しっくりくるコンテンツが無かった。平成中〜後期の現行コンテンツより、帰省先の母の実家に捨てられずに残っていた昔の漫画の方が、地に足についている気がしていた。
大学で「こども文化論」科目を取った時、子供向けコンテンツの変遷を調べる機会があった。結論からいうと、70年代を境目に、子供へのアプローチが大きく変わっている。子供は育くむべきものではなく、子供もそこで消費者にすり替えられていた。
そしてそれは当然ながら子供自身が望んだことではなく、明らかに大人の商売のために作られたものだ。
もちろん昔から赤本漫画など色々な問題があったが、それはしっかりと不健全なものと理解されていた背景があり、それに対して「健全」さがしっかりと対抗できていた。今は、少年漫画も少女漫画も、その槍玉に挙げられていた赤本(技巧やページ数の限界で抑えられていた)より数十倍も酷い内容を、美麗な外見でやっている。
ここで、実在した漫画家・寺田ヒロオ――あるいは彼がモデルの、藤子不二雄Aの『まんが道』(とその続編)に出てくるテラさん――の話を思い出す。トキワ荘での良き兄貴分というよく知られたキャラクターとともに、彼は漫画界の傍流、あるいは一種のバッドエンドルートのような言及を今でも受け続けている。
彼が何をしたか、どうして多くの人の記憶に残っているのかは、検索すればサジェスト経由ですぐわかるだろう。なぜか「闇」扱いされたりしているが。
かいつまんで言うと、自分の連載と同じ漫画雑誌で連載されていた他作者の漫画「恐怖魔人ゾンビラス」(漫画内の仮称で、実際は楳図かずおか永井豪の漫画か?)に対して、編集長に「子供に悪い影響を与える、連載をやめろ」と異議を直談判し、それが受け容れられないと自らの連載を切ったエピソードなどだ。
実際にはスパッと漫画家を止めたわけではないなど、漫画的脚色はあるが、テラさんの行動は様々な方面から史実と言える。子供のための「健全な漫画コンテンツ」を求めたテラさんの行動は、漫画内の描写はもとより、ネット上でも「時代変化を理解しなかった頑固な人間」「遺物」みたいな扱いを受けている。
しかし私は、テラさんの立場の方がずっと正しく、明らかに子供に対して誠実だったと、60年も後から思わされている。
あと、付け加えると、テラさんは漫画文化に対してステレオタイプな「浄化」一辺倒な立場ではなく、大人向けとはっきりわかる形で描いたアダルトな作風の漫画は否定していない。テラさんが心を割って話せる存在が任侠・アダルト漫画家の棚下照生だったように。
子供に、身の回りの有様を伝えるときに、まともな人間なら、「人間関係は全て打算で、あらゆるものが欲望で出来ており、全てが醜い」と伝える人はいないだろう。社会にそう言う側面があっても、そこだけを切り取って子供に植え付けるのはまともな行いではない。
テラさん当時の、技巧的に発展途上の漫画・劇画ですら、子供たちの世界を暗く後ろめたいものにしていたが、当時はまだ最低限の良心かタイトルで煽る形で分かりやすくしていたのかもしれない。だが現代ではそれは一見分からない形で(ギャグやロマンスなどの体裁を取り)提供されるようにすらなっている。
はっきりいえば、思春期より前の子供には、ごく単純な、心理描写が少ない、身近な人間関係を描いた作品以外、適していないと思われる。
近所で野球をするだけ。親の手伝いをするだけ。学校で仲間と学び合うだけ。動物と戯れるだけ。「それだけ」の漫画で充分だった。
それをしなくなったのは、そして子供向けではないコンテンツが子供に蔓延したのは、子供の事情や「時代の要請」「技術の発展」なんてものではない(子供が「ハレンチ学園」や「トイレット博士」を望んだのではない)。大人の商売の都合なのだ。
うんことかちんちんとかわざと幼くさせられている少年コミックも、けばけばしい、「病み」を称揚する少女雑誌も、全部歪められた末のものだ。
子供がコンテンツと社会の両輪で、我々以上にますます病む前に。
新しい自分に生まれ変われた。昔を振り返ってみたい。実は、商品レビュアーとして生計を立てていた。
とあるECサイトがあって、そこで良質なレビューをたくさん書くと"プログラム"に招待される。そのアカウントにログインすると、ある一定の種類幅で商品が並んでいる(レビュアーごとにちょっと違うらしい)。
商品をクリックすると、なんと0円で購入できる。その代わり、その商品に関するレビューを投稿する義務が生じる。そういうプログラムである。
プログラムの招待を受けたのは20代後半である。当時は、今とは比べ物にならないほど貧しい生活を送っていた。今でこそ、それなりの暮らしをしているのだが……当時はマジで貧乏だった。
セブンイレブンでは、数十円単位まで考えて買い物をしていた。財布には440円ほどしか入ってなくて。ジョリーパスタに行っても、一番安いパスタをゆっくりと口に運んでいた。
いわゆる大卒フリーターだった。就職ができなかった人。飲食店や居酒屋のアルバイトを転々としていた。
そんな日々の唯一の楽しみは、Amazonで大好きなアニメのDVDやグッズを購入し、そのレビューを書くことだった。子どもの頃からアニメが大好きだった。今でもニコニコ動画でアニメを視聴している。あのコメントが好きなんだよなあ。
それで、好きなのを見つけると……誰に頼まれたわけでもないのに、作品への愛と考察を込めて、それはもう熱心にレビューを書き綴った。文字数はときに数千字にも及び、作品の背景からキャラクター心理、演出の妙まで、独自の視点で分析した。
レビュー活動を始めたのは、大学を卒業する年からだ。それからずっと長い間、1クールごとにその季節で面白かったアニメのレビューを書いた。多くのレビューは「役に立った」が10未満だけど、たまにバズるのがあって、数百の「役に立った」が押された。三か月に一度しかレビューしなかったけど、それでもベストレビュアーランキングは最高で500位までいった。※今はベストレビュアーランキングは表示されない
あの頃の自分は、本当にアニメが好きだった。今でも好きだけど、あの当時のワクワク感には及ばない。毎期、新しいアニメが始まる度に、ワクワクしながらPCを操作して、ニコ動にログインしていた。陳腐な表現ではあるけど、心がキュンキュンするのだ。アニメを観てると。
どれだけ貧しい生活をしていようが、それがあるだけで心を癒される。高校生の頃に読んだ、『はてしない物語』という小説があるんだけど、その中にさ。
なにかに心を捉えられて、たちまち夢中になってしまうのは、謎に満ちた不思議なことだけれども、それは子どもも大人も変わりない。
そんなある日、一通のメールが届いた。「商品無償提供プログラム」(仮称)への招待だ。あれは確か2019年の夏だった。『魔王様、リトライ!』というアニメのレビューを書いてバズった後だった。
最初は迷惑メールかと思ったが、ECサイトからの公式メールだと気づいた時、心臓が跳ね上がった。選ばれたレビュアーに新商品を無償で提供し、レビューを書いてもらうプログラム。まさか、自分がそんな特別な存在に選ばれるなんて。
最初こそ、勝手がわからなかった。好きな商品が選べるとはあったが、最初は駆け出しレビュアーなので、あまりいい商品を選べなかった。いい商品があっても、ほかのプログラム参加者に先に奪われることが多かった。
でも、続けているうちに勝手がわかってきた。コツを掴んで、知識も技術も得た。例えば……
・一部商品は、自分が使わなくてもレビューできる。介護・福祉・ペットとか
・一部に悪いことしてるヤツもいるが、運営もわかっていて……大人の約束感がある
半年も経つ頃には、駆け出しレビュアーを抜け出して昇格ができた。昔の漫画でいうと、黄金聖闘士(ゴールドセイント)である。あれよりはずっと希少性が低いけど。
そのプログラムにログインすると、商品一覧が並んでいて、実際に商品をクリックして、次々と送られてくる――家電、日用品、食品、ガジェット、サプリメント……。それらのレビューを書く。
レビューを書くのは本当に得意だった。ただの感想文ではない。商品の良い点も悪い点も、使う側の視点に立って、具体的に、そして魅力的に伝える。
一つ一つのレビューは、まるで短編小説のような完成度を目指した。だからといって、時間をかけるわけではない。最初に頭の中に構成がなくとも、書いているうちに気分がアガっていって、1レビューにつき10分もあれば書き終えられた。
レビューを書いたら、次は転売だ。受け取った商品は、ほとんどメルカリやヤフオクで売却した。
定価の4割引きくらいで出すと、飛ぶように売れていく。5割引きだと鉄板レベルである。よくない商品だと8割引でも売れないのだが。そういうのはセカンドストリートに持っていく。10円ほどでの引き取りで、利益はマイナスだけど、それでもほしい人が手に入れるのならいいかって思えた。
正直、最初は罪悪感がなかったわけじゃない。でも、これが俺の新しい「仕事」なんだと割り切ることにした。
転売で得た利益は、最終的に年間250万~350万円にもなった。フリーターとしての稼ぎと合わせれば、民間企業の正社員と遜色ない収入である。
むしろ、時間な自由は俺の方が圧倒的にあった。朝はゆっくり起きて、好きな時にレビューを書き、商品の梱包作業をする。昼間はカフェで本を読んだり、散歩をしたり。ラジバンダリ。夢のような生活だった。
確定申告は最初の年だけ大変だったが、e-taxなので次年度以降は楽チンだった。そのうち開業届も出した。屋号は「激安の殿堂」みたいな名前にした。
だが、俺の転売は、他の転売ヤーとは一線を画していたと自負している。
俺はただ、金儲けのために売っていたわけじゃない。常に"社会の利益"を考えていた。メルカリやヤフオクで商品を売る際、本当に困っている人には、定価の最大9割引で売ることもあった。
例えば、「災害があって家財を失った」というメッセージがあれば、新品の家電製品を格安で提供した。シングル?の母親と思しき人から「子どもの学習机がほしい」とか、あとは……人間やペットまで含めて「○○の商品が介護に必要なんです」と連絡があれば、万超えのものでも送料込み500円で譲ったこともある。
こうした転売活動への考え方を公言したことはない。あくまで個人的な判断に過ぎないから。俺のエゴである。
でも、俺の心の中では社会貢献だった。無償で手に入れた商品を、本当に必要としている人に届ける。そこに利益を乗せるのは、自分の労力と、そして何より、多くの人に商品を届けるためのコストだと考えていた。
実際、商品無償提供プログラムでの転売は悪だとされてるけど……ぶっちゃけ「四方好し」だと考えている。三方好しを超えている。四方というのは、「ECサイト」「商品提供企業」「販売者(※転売者とは言わない)」「購入者」である。
【四方好し】
そんな生活がずっと続いた。毎日のように送られてくる商品。積み上がるレビュー点数。同じく銀行口座の残高。俺は文字通り、商品無償提供プログラムで生活をしていた。
アルバイトは続けていた。自分の肉体を動かしたい思いがあった。それで稼ぐのが世の中の基本だと思うから。接客業は嫌いではなかった。実際、人に喜んでもらえると嬉しい。
でもある時、虚しさを感じた。いくら商品を手に入れても、売っても、預金残高が増えても、レビューを書いても、何か満たされないものを感じた。満たされているはずなのに。限界効用の逓減かな?または飽きた?
それもあるけど、俺が求めてるのはもっと上の次元なんじゃないかって、そんな気がした。
ちょうどその頃、アルバイト先の友人が「イーサリアムを買った」という話をしていた。仮想通貨である。それまで興味がなかったけど、調べてみると未来感があっていいと思った。技術的なことは一切知らない。ただ何となく未来感があってよかった。それだけ。
2020年のことだった。半信半疑で、販売活動で得た利益の一部を投じることにした。最初にドカッと投じて、後は積み立てNISAみたいな感じである。どの仮想通貨業者がいいか迷ったけど、GMOコインかDMMコインの2択になって……売買画面の見やすさで、GMOコインに軍配が上がった。ユーザーインターフェースって言うのかな。やはり、売買画面やチャートの見やすさは正義である。
先に言っておくと、それからさらに人生の挑戦をすることになるのだが……イーサリアムの値上がりとか、貸付を通じて得られるお金があったから挑戦ができた。これがなかったら挑戦自体できなかった。
今でも仮想通貨は、イーサリアム一本でやっている。ビットコインに目移りすることもあるのだが笑 ほかの仮想通貨は一切買ってない。実際、アルトコインの大半は、十年後には消滅してると思ってる。それでもアルトコインを買うなら鉄板銘柄に絞った方がいい。
商品無償提供プログラムのメンバーだが、今は引退している。というか、引退を機にこの日記を書こうと思った。
最後に商品を手に入れたのは、今から数か月前である。年度替わりの3月末。とあるオーディオ商品だった。お値段はそれなり。ソニーの新品ヘッドフォンくらい。
こういう商品は神速でほかのレビュアーに取られがちなのだが、この時点での俺の商品選択速度は――神速を超えていた。光の速度に達していたといえる(※理解できた人へ。ツッコミはなしで)。その域に達することができていた。
その商品のレビューを書いたのを最後に、俺は商品無償提供プラグラムのメンバーではなくなった。最後に、感謝の気持ちを込めて登録解除ボタンをクリックした。完全引退である。
プログラムに招待されて早5年以上。レビュアーとしては、次の次元に達したいという願いがあった。
昔の自分は、フリーターだったのもあって、自分に自信がなかったと思う。自己イメージでいうと『すみっコぐらし』だった。とかげ?みたいに、見た感じとして自己効力感がなくて、覇気を欠いていた。うつ病患者に近い存在だった。
でも、今ではレビュアーとして別の次元に到達できたという思いがあるから、この日記を書こうと思えた。
今やっている活動は、現在進行形なので詳細は言えない。始めたばかりなのもある。サービスの方向性だけ言うと……商品関係のコンサルティングをしている。コンサルといっても駆け出しだけど、本質を見抜く「目利き」として、一応は企業から依頼をもらって、それで生活の糧を得ている。
自分の手でレビューを書くことは減ったけど、その代わり、依頼のあった企業について、実際の商品を売り出す段階のマーケティングでアドバイスをさせてもらってる。
どういう過程で、そこまでのスキルが身に付いたのか?それは……初めて大好きなアニメのレビューを投稿した瞬間から、十年以上もの月日の中で、レビュー執筆やフリマでの販売活動を通じて――「どんな商品・サービスが魅力的なのか、売れるのか?」という視点で物事を考えてきたからだ。
それだけである。実際、自分が小売業者になってみると商売の基本がわかった。そのうえで、世間で売れる商品に限ってプログラムで入手するようにしていた。目利きの腕が上がるのは当然だった。
メルカリとヤフオクでの評価数は、現在5000件以上にもなる。
ここまでこれたのは、やはりアニメのおかげである。この世界にアニメがあったからこそ、応援のためのレビューを書こうと思えた。そして、今では社会の役に立つことができている。
今後も社会のために働いていきたい。単なるお金儲けじゃなくて、自分の知識や経験を活かして、より良い社会の実現に貢献したい。
今でも、考えることがある。もし、また商品無償提供プログラムから招待が来たら?そうだな~、やってみるかもしれない。ただし、あの頃のように生活のためじゃない。純粋に、素晴らしい商品と出会って、その価値を多くの人に届けるためだ。商品を本当に必要とする人の手に届けるために。そのために、レビューを書いて販売活動をするのである。
この場を借りて感謝したい。今この瞬間にも、この世界に素晴らしいアニメを提供してくれる人達と、あの商品無償提供プログラムを作ってくれた方々に感謝している。俺の本当の人生は、そこから始まったのだから。ありがとうございました。
Permalink |記事への反応(17) | 22:44
「東京に住んでいない俺がどこで文化を享受しているか」の記事で1,400以上のブックマークを獲得するなどしている投稿者。
特徴的な文体を持ち、過去・現在にわたって同一人物が書いたと推測できる記事が複数存在する。
なお「出水市増田」という名前は暫定的な仮称であり、過去に出水市に関する記事を投稿していたことに由来する。
下記一覧は投稿者本人による情報ではなく、文体の特徴をもとに筆者が推測したリストであり、真偽は不明であることに留意されたい。
みなさんは、なぜ“オシャレは足元から”といわれているか知っていますか。
目元から最も離れた場所にある、しかも体の部位で面積が広いともいえない足元。
そこのオシャレが大事というのは、感覚的に理解しにくいかもしれません。
それは先端は目立つということです。
トゲトゲの物体があったならば、通常はその棘部分に目がいくでしょう。
では人が立った状態の際、最も前に突き出ているのはどこでしょうか。
それが足元、という理屈です。
まず前者についてですが、「それらを踏まえた上で“先端は目立つ”ことによる視線誘導が強力」という話です。
そして後者ですが、これは実際その通りであり、そしてそれこそが「おっぱい型メガネ(仮)」を開発した理由にも繋がります。
では足元よりも目元に近い場所にあり、かつ前に突き出ている(可能性のある)部位はなんでしょうか。
そう、おっぱいです、大きな。
さて、胸の大きさでよく挙げられる悩みの一つとして「胸をやたらと見られる」というのがありますね。
これを「男性がスケベ(巨乳好き)だから」で終わらせることは可能でしょう。
しかし、それだけでは性的指向が異なる人、そもそも性欲が希薄な人ですら見てしまう理由を説明しきれません。
その理由が「“先端は目立つ”ことによる視線誘導」というわけです。
先ほど挙げた「オシャレは足元から」の例に照らし合わせるなら、「スケベ(巨乳好き)」は「オシャレ」にあたります。
オシャレに気を遣えば人一倍シューズに目に向けるように、スケベ(巨乳好き)は人一倍バストに目を向ける、ということです。
ここまでの要点をまとめますと
となります。
この時点で、察しのよい方ならば私がなぜ「おっぱい型メガネ(仮)」に辿り着いたか気づいたことでしょう。
そう私は、我々チームは「逆に視線誘導を利用してみないか、逆に」と考えたわけです。
「おっぱい型メガネ(仮)」のメカニズム自体は、ここまで説明してきたことの応用であり単純です。
嚙み砕いていうならば、「より目立つものを配置して胸を見られる頻度を減らす」アイテムということです。
実際に試作品を胸の大きな女性につけてもらい、不特定多数にみてもらうアンケート調査も行いました。
結果、最も気になる部分として回答されたのは「おっぱい型メガネ(仮)」となり、その次は「このメガネをつけている人の性質」でした。
また、開発の段階では気づきませんでしたが「目を見て話すことができるようになった」という副次的な効果も確認されています。
形状については開発のルーツであるため一旦おっぱい型を試作モデルとして採用しましたが「角や棘がないためケガをしにくい」という意見もあるようです。
素材については軽量の合成樹脂をメインに一体成型で作っています。
商品のコンセプトでもあるレンズ部分によってどうしてもバランスが悪くなるため、テンプル部分は耳に巻き付くような形状にしてズリ落ちを防いでいます。
一般的なメガネを普段からかけている方も使えるように、通常の眼鏡の上からかぶせて着用できるようにゆとりのあるシルエットとなっています。
サイズについては試作品の段階では推定D~Eカップあたりで作りました。
もちろん、より大きいほど(厳密には長いほど)視線誘導の効果は上がるのですが、現時点だとメガネとして無理なくつけられるのはこのサイズとなります。
サイズを上げすぎると安定しての着用は物理的に難しいので、特大サイズについては弥縫策としてゴーグルにすることも検討しています。
或いは錯視効果を利用して実際よりも大きく見えるようにしたり、何か特徴的なデザインを加えることで目立たせる方向性も検討しています。
なお「おっぱい型メガネ(仮)」という名前についてはあくまで仮称であり、マーケティングの観点からよりキャッチーな商品名にするつもりです。
https://cdp-japan.jp/visions/policies2025/09
日本は国連人種差別撤廃委員会から再三にわたり厳しい勧告を受けています。国際人権基準に立つ「包括的差別禁止法」を制定します。
人権条約に認められた権利を侵害された個人が、条約機関に直接訴え、国際的な場で救済を求めることができる個人通報制度を定めている関係条約の選択議定書を日本が批准することを目指します。
あらゆる人権侵害行為を受けた人を救済することのできる、独立性を有し、公正・中立さが制度的に担保された、より実効性のある人権救済機関(「人権委員会」(仮称))を設置し、救済活動を行う仕組みを創設します。
2016年に成立した「ヘイトスピーチ解消法」における取り組みを拡大し、国際人権基準に基づいて、人種・民族・出身などを理由とする差別的言動を禁止する法律の制定など、あらゆる差別撤廃に向けた動きを加速させます。
インターネットを利用した人権侵害を許さず、速やかに対応できるように、プロバイダが被害救済のための対応をとることを義務付けるなどの法改正や窓口の創設を実現します。
別部署の上司Aさん(仮称)が、最近ボケてきたんじゃないか?という噂話を複数人から聞く
その後Aさんが原因で定年退職寸前に大事故が起きる(というか退職後に原因が発覚)
「Aさんが老人性痴呆症になっていたという話がありますが、経営側は把握していましたか?今からでも診断書取った方が良いのでは?
定期の健康診断だけじゃ痴呆症ははっきりとわかりませんから」と発言。
久しぶりに知らない人達とVCしながらゲームするか~と思って対人ゲーで遊んでたんだけど
2回ほど飛び入りで遊んできて、2件ともなんかモヤッとしたので書いておく
1件目:なぜか詰めてくる人
「敵どこに居ますかね~」と言っていたので「さっきマップのここに映ってたんで大体この辺じゃないですか?」とマップにピン刺したら何故か不確定な情報を出すなとキレられた
「もしかして〇〇狙ってますかね」とも言っていたので「狙っていてもおかしくないですけど、それにしては時間かかりすぎてるんで可能性低いですね」と言ったら、「やってるのかやってないのかどっちなんですか?」と怒られた
挙句の果てには「〇〇って取れた方がいいんですか」って聞いてきたから「そりゃあ取れるなら」と返したら真っすぐ敵に突っ込んで勝手にやられて勝手に憤慨してた
そんな100か0かの極端な話したいなら自分で状況から推測すればいいのに…って思ったけどめんどくさいからスルーした。ある程度ゲーム出来る人なら判断できることも出来てないからそこまで上手くないんだろうけど、とりあえず喧嘩腰がウザかった
2件目:コミュニケーションが取れない二人
Aさん(仮称)とBさん(仮称)が居たんだけど、Aさんは割と「こうして」とか「ああして。これは絶対やっちゃダメね」って命令口調で言うタイプだった。言葉遣いが乱暴かつ雰囲気がいちいち刺刺しいけど、真剣さは伝わるのでとりあえず「了解でーす」と返してた
Bさんは口数が少なくて声量もクソ小さくて、マイクの設定というより喋り方がボソボソ喋ってて聞こえづらかった。上手そうだったけどなんかコミュ障っぽさがすごかった。あとプレイングが独りよがりだった
そうしたらゲーム中に突然Bさんが突然大音量でブチギレ。「さっきからいちいち文句言いますけど何してほしいんですか?」とか「でも〇〇が居るとこうでこうなるから結局俺が前に出ないとダメだから仕方なく前に出てるだけで~」といきなり捲し立てるようになった
Aさんが負けじと応戦したせいで、自分と残りの参加者はギスギスな雰囲気を感じ取って無言。とりあえず自分は「ナイス~」とか声かけてたけど、内心なんだこいつら…と気分が萎えてた
後半はBさんがホントは文句言いたいけど黙ってあげてました。みたいな雰囲気出してたから、一応お伺いしてあげるように「次の目標〇〇を狙いたいですけどいいですか~?」って言ってあげたらムスッとした感じで「やってください」って言ってきてこっちまでイラッとした
元の会社で定年迎えたら再雇用されなくなっちゃって、仕方なしに常勤役員として着任してきたクソ役員かよって思ってしまった
結果的にはゲームは負けちゃったんだけども、AとBの二人が「真剣に勝ちたいなら~」とかまた文句言い始めてたので早々に抜けてゲーム終了した
一期一会だからこそ楽しくやればいいのに、最初からタメ口で話してくる相手へのリスペクトを感じさせない精神的クソガキと、雑談はできないけど突然キチゲ解放してくるような陰キャはPTに入れちゃうとダメなんだなって改めて認識した
ダーツバー行って酒飲みながら知らないオッチャンと一緒にダーツしてる時にいちいちギスギスしてーのかテメーらはよぉって思ってしまった。対面ですぐお暇したくなる人ってそうは見ないんだぞ
拙い日本語でめっちゃチャットしながらエモートで戯れてくれるフレンドの海外ニキの方がよっぽど陽キャで一緒に遊んでて楽しいってVCの利点丸潰れじゃねえかコノヤロー
べつに気持ち悪い馴れ合いをしろって話ではなく、適切な距離感で楽しく遊ぼうねって話なのに何が難しいというのか。何かやってほしいならお願いベースで言えばいいし、それで失敗しちゃったらごめんね/ドンマイで良いじゃん?
なんていうか主旨がズレてんのよな。わざわざガチとエンジョイで区分されてる場所だからワチャワチャできるエンジョイ部屋で募集立てて遊んでるんだよ
リーダーを設けて効率的なプレイをして勝ちを狙いにいく部屋じゃないから、連携取りつつお喋りしてんのよ。いいよ別にリーダー設けてほしいなら全員でレート開示しても。大体自分が一番レート高いし
やってるゲームがゲームだからリアルで話せる人も居ないし、定期的に休止と復活繰り返すせいでコミュニティが定期的に滅んでるんだよ。でも復活した時はそのゲームのお話がしたいんだ
だから誰でもオッケーって名目で募集かけてるだけであって対人関係がちゃんと築けない人もオッケーじゃないんだ。お守りしたいわけじゃないのよ
学術会議が何なのか、皆わからないままに叩いていると思うのでちょっとまとめてみます
の主に二つだと思います。
前者は国際的研究拠点の設立や、大予算の国際研究について要望を出すのですが最近はあまり話を聞きません
(後に詳細を述べます)
https://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/bunya/souko/26/pdf/kankyoeikyo-yoshi2602.pdf
その他の回答:
https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/division-3.html#1
1949-10-12大学等学術機関の人事及び大学の教授会の権限について
1949-10-12醗酵工業に関する試験研究機関のあり方について
1949-09-06団体等規正令について
まずは大学を設置するところから始まりました。年度にも注目してください。1年間に大量の議題があるのが見て取れます。
一部を抜粋してみましょう:
本会議は災害を受けた学術研究機関の十分な修復が速やかに行われることを希望する。地方自治体その他の災害復旧につき、国庫補助を行うにあたって学術研究機関の施設が軽んじられることのないよう政府において特に留意し、かつ注意を促すよう希望する
60年代に入ると研究所の設立や、大型予算の研究要請が目立つようになってきます。
1967-11-06人間行動研究所(仮称)の設立について 第49回総会
1967-11-02 基礎育種学研究所(仮称)の設立について 第49回総会
1967-05-20私立大学に対する研究体制確立のための助成の拡大について(1)
私立大学に対する研究体制確立のための助成の拡大について(2)
私立大学に対する研究体制確立のための助成の拡大について(3) 第48回総会
1967-05-20総合地誌研究所(仮称)の設立について 第48回総会
1967-05-19微生物株センター(仮称)の設立について(1)
1967-05-15結晶学研究所(仮称)の設立について 第48回総会
1967-05-13大学院学生に対する奨学金制度の改善について 第48回総会
1967-05-10地球大気開発計画の実施について 第48回総会
1966-12-15国語・国文学研究資料センター(仮称)の設置について 第47回総会
1966-11-19 古生物研究所(仮称)の設立について 第47回総会
1966-11-10科学者の研究、調査旅費(学会研究旅費を含む)の大幅引上げについて 第47回総会
1966-05-23研究用生物系統株保存利用機構の整備について 第46回総会
1966-05-23生物研究所(仮称)並びに生物科学研究交流センター(仮称)の設立について 第46回総会
この辺りピンとくる名前も多そうですね。
現代につながる国際的研究拠点がこの時代に築かれていきました。
https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/division-3.html#6
リンク先を見てもらった方が早いのですが、2009年から2024年まで全ての議題をコピペします:
これで全部です。15 年間で 2 件。
日本が豊かになり国際的研究拠点も充実した結果、勧告するものがなくなっちゃった感じですね。(みなさん自分の目で確認してください)
個人的な印象を述べると日本学術会議はPTAみたいなものだと思います
PTAは嫌いだけど校長が口出ししてくると立場上困る・・・といったところではないでしょうか
https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/division-2.html
です。政府ではなく研究者に対する要請。知らない間に一部の人たちが決めてしまったこと、そもそもどんな権限があって学術会議がそんなことをいうのかとだいぶ揉めていました。理系の人間に学術会議を嫌う人が多いのは主にこの声明文のせいです。
とりあえずこんなかんじです
貴殿らが何に興じているかは知らんが、先日、当方研究室にて発生した一事案について、ここに報告する。
問題のブツ、ヘキサヘキサフレクサゴンと称する代物、これを畳み続ける過程で、奇妙なパターン、即ち畳の縁と思しき紋様が繰り返し顕現。
観測を継続した結果、香ばしい異臭と共に瓦せんべいが排出された。裏面に「お気をつけて」と墨書あり。
さらに動作を続行したところ、黒衣の男が当該フレクサゴンより出現。瓦せんべいを保持し、衰弱状態。記憶の欠損を確認した。素性不明、来歴も不明。
現状、当該人物を保護。熱茶と饅頭による栄養補給の結果、一応の回復を見せ、現在は「六角(ろっかく)」と仮称。研究室内の人員には、奇妙な愛着を示されているようだが、そのような感傷は無用。
本件における喫緊の課題は、この六角と称する人物の帰属先、及びその移送方法である。
そもそも、赤木レイアって人は暇アノンの尊師にベッタリこびまくってカネを稼いでたクソ野郎という印象しか持ってない。
「避難所」こと某漫画家と一緒で、改心しようがなにをしようがこいつらがクソであることには代わりはなくこいつらが破滅することは全く大歓迎なのだが
それはそれとして赤木レイアと暇アノンが内ゲバで潰し合ってるの面白すぎる。
https://www.youtube.com/watch?v=01qtZlFIYdU
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%B5%A4%E6%9C%A8%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%A2:title
西葛西出版【ながら作業に最高なラジオを発信する国内最弱出版社】
#鴨下一郎 #堀口英利 #真如苑 #じゃらん VOICEVOX:四国めたん、ずんだもん、春日部つむぎ、雨晴はう、波音 ...
4:赤木レイア(と堀口英利くん)がおそらく殺されたことについてお願い
#鴨下一郎 #堀口英利 #真如苑 #じゃらん VOICEVOX:四国めたん、ずんだもん、春日部つむぎ、雨晴はう、波音 ...
5:【概要欄必読】レイア(仮称)の動画をみんなで見てみよう【同時視聴配信】
観戦車【時事ch】
TakachiKanade Ch. 鷹地奏
ヤマーハ
9:赤木レイアとリバーズエコのリスナーを改宗させるため降臨した救世主旗
10:消えた赤木レイア。怪しすぎる関係者の動き。真相は...
ヤマーハ
いつか
13:赤木レイア、やさぐれメタルから刑事告訴?やりたい放題の代償?
ヤマーハ
食料安全保障が生産をメインに語られる理由は、複数の政治的・制度的・心理的要因が絡み合っています。
食料・農業・農村基本法第2条では「国内の農業生産の増大を図ることを基本とし、これと輸入及び備蓄とを適切に組み合わせて行われなければならない」と明記されており、**法的に生産増大が最優先**とされています。この法的位置づけが、政策議論の出発点を「生産ありき」にしています。
現在の食料安全保障政策は「不測時の供給保障という本来の狭い意味を離れ、農業振興のためのほとんどの施策をカバーするもの」になっています。食料安全保障強化政策大綱には、本来の食料安全保障とは関係のない「スマート農業による成長産業化、農産物輸出促進、農業のグリーン化」まで含まれており、**農業振興策と食料安全保障が混同**されているのが実情です。
日本の食料自給率38%という数字が独り歩きし、「自給率向上=生産増大」という単純な図式で語られがちです。しかし、「食料自給率が現在の日本の豊かな食生活を反映したもの」であり、カロリーベースでの計算は現実的な食料安全保障とは別次元の話です。
農業関係者や農業団体にとって、食料安全保障は**農業予算獲得の根拠**として機能しています。「食料安全保障推進法(仮称)」では「現在の農林水産予算2兆円に加えて3兆円が必要」という試算が出されており、生産重視の議論は予算確保の論理として使われています。
実際には「日本ではこの半世紀あまりの間に主食である米不足に陥ったのはただ一度、平成5年(1993年)の大不作による『平成の米騒動』のときだけ」で、「日本の食料の安定供給は成功している」のが現実です。しかし、この成功は輸入と備蓄の組み合わせによるものであり、国内生産の貢献度は限定的です。
「もしシーレーンが崩壊すると、終戦直後の配給量から換算して年間1,600万トンの米が必要になります。ところが現在は減反などで米の生産は700万トンを切っていて、備蓄を含めても危機が起きた時に必要量の半分以下しか供給できない」という指摘があります。しかし、真の有事では肥料・燃料が途絶するため、現在の生産水準すら維持できません。
食料安全保障を生産中心で語ることの最大の問題は、**現実的な制約を無視している**点です。日本の農業は肥料原料をほぼ全量輸入に依存しており、真の有事では生産基盤そのものが機能停止します。にもかかわらず、「国内生産による自給」という幻想が政策議論を支配し続けています。
結論として、食料安全保障が生産メインで語られるのは、法的枠組み、政治的利益、予算確保の論理、現実認識の欠如が複合的に作用した結果であり、実際の食料安全保障にとって最も重要な備蓄拡充が軽視される原因となっています。
こんにちwhat's up
いつものようにYouTubeを眺めていると、とあるライブ配信が目に入った。
タイトルは「数学X、2025/5/19」(仮称)、サムネイルは何も設定しておらず、チャンネル名は「配信用」(こちらも仮称)という簡素なものであったが、なんと十数人が視聴していた。
一体どんなチャンネルだろう、と興味を惹かれ覗いてみると、数式の書かれたPDFに手書きでなにやら書き込んでおり、どうやら演習問題の解説をしているようだ。
またライブ配信のチャットでは全員が同じ挨拶をしており、それ以外のチャットは一つもなかった。
YouTube上で授業の生配信をしているのだな、と思い至り、他にどんなコンテンツがあるのか気になりチャンネルに飛ぶと過去のライブ配信がたくさん残っていた。
どれもタイトルは科目の名前のようなものばかりだし、サムネイルは設定していないかその科目名が表示されているだけであった。
それらを検索してみると一発でその科目を開講している学校のHPが一番上に表示された。
さらに公開されているシラバスからその科目の講師の名前まで判明した。
つまりこのチャンネルは〇〇という学校の△△という先生が授業をライブ配信するためのチャンネルに違いないということだ。なるほどね、あーすっきりした。さあ次は何の動画見ようかな?
さて、みなさまお気づきの事と思うがこれはとても危険な事例である。色々な問題点があったが、特に大きな点を挙げるとすると、特徴的な情報を誰でもみることができた、ということに違いない。タイトルは意味のないものをつけてもいいし、順序を持たせたいなら日付だけという手もある。
YouTubeには限定公開と言って、その動画やライブ配信のURLを知っている人しか見れないという形態にする機能があるし、授業であるから半年や一年経ったアーカイブは削除したり非公開にしたりしたっていい。
察するに、この学校には学生や教師のみがアクセスできる授業のためのサイトがなかったのだろう。そのような状況においてオンラインの授業を行った△△という先生は、この学内において先進的であると言えるかもしれない。
幸いにもチャット上で挨拶をしていた学生と見られる人たちのアカウント名には特定に繋がりそうな情報は何一つなかったし、ライブ配信していたチャンネルとその先生が繋がった以上の情報もなかった。
これらをきちんと指示した上でこの形態で授業を行っているのならば、現状については問題はないだろう。
この件はどんな業種にだって言えることで、これを読んでいる人には今一度自身の身の回りの個人情報には気をつけてほしいし、とくに教育などの子供を相手にする場合はより一層の安全策を用意していただきたく思う。
最後に、今回このライブ配信を発見してからひと段落するまでにかかった時間はたったの30分足らずだった。この文章を書くのに使った時間の方が長かったくらいである。何か特別な手法を使ったわけでもなく、ただサイト内を調べ、Google検索しただけである。
もしこれを面白いと感じた方にはARG、代替現実ゲームをおすすめする。安全に、こう言った代物を遊ぶことができるのでぜひ一度調べてみてはいかがだろうか。
それではseeyouなら
いつものようにYouTubeを眺めていると、とあるライブ配信が目に入った。
タイトルは「数学X、2025/5/19」(仮称)、サムネイルは何も設定しておらず、チャンネル名は「配信用」(こちらも仮称)という簡素なものであったが、なんと十数人が視聴していた。
一体どんなチャンネルだろう、と興味を惹かれ覗いてみると、数式の書かれたPDFに手書きでなにやら書き込んでおり、どうやら演習問題の解説をしているようだ。
またライブ配信のチャットでは全員が同じ挨拶をしており、それ以外のチャットは一つもなかった。
YouTube上で授業の生配信をしているのだな、と思い至り、他にどんなコンテンツがあるのか気になりチャンネルに飛ぶと過去のライブ配信がたくさん残っていた。
どれもタイトルは科目の名前のようなものばかりだし、サムネイルは設定していないかその科目名が表示されているだけであった。
それらを検索してみると一発でその科目を開講している学校のHPが一番上に表示された。
さらに公開されているシラバスからその科目の講師の名前まで判明した。
つまりこのチャンネルは〇〇という学校の△△という先生が授業をライブ配信するためのチャンネルに違いないということだ。なるほどね、あーすっきりした。さあ次は何の動画見ようかな?
さて、みなさまお気づきの事と思うがこれはとても危険な事例である。色々な問題点があったが、特に大きな点を挙げるとすると、特徴的な情報を誰でもみることができた、ということに違いない。タイトルは意味のないものをつけてもいいし、順序を持たせたいなら日付だけという手もある。
YouTubeには限定公開と言って、その動画やライブ配信のURLを知っている人しか見れないという形態にする機能があるし、授業であるから半年や一年経ったアーカイブは削除したり非公開にしたりしたっていい。
察するに、この学校には学生や教師のみがアクセスできる授業のためのサイトがなかったのだろう。そのような状況においてオンラインの授業を行った△△という先生は、この学内において先進的であると言えるかもしれない。
幸いにもチャット上で挨拶をしていた学生と見られる人たちのアカウント名には特定に繋がりそうな情報は何一つなかったし、ライブ配信していたチャンネルとその先生が繋がった以上の情報もなかった。
これらをきちんと指示した上でこの形態で授業を行っているのならば、現状については問題はないだろう。
この件はどんな業種にだって言えることで、これを読んでいる人には今一度自身の身の回りの個人情報には気をつけてほしいし、とくに教育などの子供を相手にする場合はより一層の安全策を用意していただきたく思う。
最後に、今回このライブ配信を発見してからひと段落するまでにかかった時間はたったの30分足らずだった。この文章を書くのに使った時間の方が長かったくらいである。何か特別な手法を使ったわけでもなく、ただサイト内を調べ、Google検索しただけである。
もしこれを面白いと感じた方にはARG、代替現実ゲームをおすすめする。安全に、こう言った代物を遊ぶことができるのでぜひ一度調べてみてはいかがだろうか。
タダで使えるっていうからやってみたわけよ
こう聞いてみた
「赤いきつねのCM炎上騒動は非実在型炎上と言われているが、発端となったxのポストはどのくらいいいねがついていたのか調べて」
その結果がこれ
#赤いきつねCM炎上騒動におけるソーシャルメディア分析と非実在型炎上論争の検証
2025年2月に発生した日清食品「赤いきつね」新CMを巡る炎上騒動は、ソーシャルメディア上で「非実在型炎上」という新たな概念を巻き起こした。本報告では、発端となったX(旧Twitter)投稿のエンゲージメントデータを中心に、炎上規模の実態解明とメディア報道の影響分析を行う。
### 初動拡散の規模と特徴
検証データによると、問題のCMに関する最初の批判的投稿は2025年2月16日に出現し、同日22時までに以下のエンゲージメントを記録している[2][4]:
この急激な拡散は、CMに登場する若い女性が麺を頬張る様子を「性的」と解釈した視聴者層と、その解釈に異議を唱える層の間で意見が分かれたことに起因する。1時間当たりの投稿数分析では、炎上初日に約15,000件の関連投稿が確認され、その後3日間で総計21万件に達した[2][4]。
主要メディアが炎上を報じ始めた2月17日以降、議論の構造に顕著な変化が生じた。報道前の投稿群(A群)と報道後の投稿群(B群)を比較すると:
リポスト数ベースで5倍、アカウント数ベースで6倍の差が生じていることから、メディア報道が特定の意見層の活性化を促した可能性が示唆される[2][4]。このデータパターンは、メディアが炎上現象を「増幅装置」として機能するメカニズムを如実に物語っている。
非実在型炎上とは、メディアが実際には存在しない批判的意見を創出し、それに対する反論を誘発する現象を指す[2][4]。過去の事例(ウマ娘騒動71件、鬼滅の刃作者騒動0.5%程度の関連投稿)と比較すると、本件の総投稿数21万件(内批判投稿約1万件)は「非実在」と断じるには規模が大き過ぎる[2][4]。
1. **直接的な表現批判**:62%(性的描写の不適切性を主張)
2. **制作陣批判**:28%(アニメーターや監督の意図を問題視)
3. **規制強化要求**:10%(CMガイドライン改定を求める声)
感情分析ツールを用いたテキストマイニングでは、批判投稿の78%が「怒り」の感情を含有する一方、擁護投稿の63%が「驚き」を表現していた[2][4]。この感情の非対称性が議論の長期化に寄与したと考えられる。
### Xのアルゴリズム変更の影響
2024年7月以降のXのシステム改修が炎上拡散に与えた影響を検証すると、特に以下の変更点が関連している[3][5]:
1. **いいね非公開化**:他ユーザーの反応可視性低下→エコーチェンバー効果増幅
2. **検索機能の不安定化**:関連情報の断片化→誤認の温床化
3. **投稿可視性アルゴリズム**:対立構造を強調するコンテンツを優先
これらの変更が、本来小規模で収束する可能性があった議論を大規模炎上へと導いた要因の一つと推測される[3][5]。
炎上期間中のユーザー行動を分析すると、以下の特徴が確認される:
- **リツイート速度**:批判投稿が平均3.2分/回に対し、擁護投稿は8.7分/回
- **フォロー関係**:批判層の72%が新規アカウント(作成後6ヶ月未満)
- **使用端末**:モバイル端末からの投稿が94%を占める
これらのデータは、炎上参加者の多くが普段ソーシャルメディアを積極利用しない層である可能性を示唆している[2][4]。
特に地方紙の62%が東京発の情報を無批判に転載しており、地域特性を考慮した報道が不足していた[2][4]。このような報道姿勢が、本来局所的だった議論を全国規模の社会問題へと発展させる一因となった。
「非実在型炎上」という用語自体がトレンド入りするという逆説的現象が観測された。概念の認知拡大が、以下の副作用を生み出している:
1. **過剰な懐疑主義**:正当な批判まで「存在しない意見」と見做す風潮
2. **メディア不信の増幅**:全ての炎上報道を虚偽と解釈する傾向
3. **議論のすり替え**:本来の論点(表現の自由 vs社会的適正)から逸脱
この現象は、現代情報社会における「メタ議論」の危険性を浮き彫りにしている[2][4]。
本件を契機に、主要広告主48社中35社がCMガイドラインの改定を実施した。主な変更点は:
3. **事前検証**:ソーシャルリスニングツール導入
ただし、これらの対策が表現の画一化を招くとの批判もあり、業界内で議論が続いている[2][4]。
総務省は本件を受け、2025年度中に「デジタル広告倫理ガイドライン」の策定を表明。注目すべき論点として:
これらの議論は、表現の自由と社会的保護のバランスをどう図るかという根本的な課題を浮き彫りにしている[2][4]。
##結論
赤いきつねCM炎上騒動は、ソーシャルメディア時代の集合的意見形成メカニズムを考察する格好の事例となった。発端となった投稿の2.2万いいねという数値自体は大規模炎上と呼ぶには不足するが、メディア報道とアルゴリズムの相互作用により疑似的大炎上が創出された点に本質的な特徴がある。今後の課題として、①炎上規模の客観的評価基準確立、②プラットフォームの透明性向上、③メディアの報道倫理再構築が急務である。デジタル時代の表現を巡る議論は、単なる是非を超え、情報生態系全体の健全性を問う新たな段階に入ったと言える。
途中まではふむふむと読んでいたけども急に不穏な文言が出てきて慄く
いやマジなら非実在型どころか近年屈指の大炎上だろと思いソースを辿ってもそれらしいものはなし
そこで更問いすると
2025年2月の赤いきつねCM炎上騒動を受け、総務省はデジタル広告市場の健全化に向けた法整備を加速している。現行の「電気通信事業法」第4条に基づく自主規制から、より強制力のある規制体系への移行が検討されている。主要な論点として:
従来の自主審査体制から、プラットフォーム事業者に対する法的審査義務の導入が提案されている。特に「性的表現の程度測定AI」の実装が義務付けられる方向で、感情分析アルゴリズムの透明度開示要件が付帯する[2][5]。
広告公開前のリスク評価を義務付ける「デジタル広告安全評価書」制度が検討中。評価項目には:
が含まれ、総合スコアが基準値を下回った場合、修正命令が発動される仕組み[2][3]。
炎上発生時の対応責任をXなどのSNS事業者に課す「デジタル広告緊急対応法(仮称)」の骨子案が提示されている。主要条項として:
が盛り込まれている[2][5]。
東京都青少年健全育成条例の2025年度改正案では、デジタル広告規制が新たに追加される。主な改正点:
- **年齢認証強化**
アニメキャラクターの年齢設定が不明確な広告に対し、18歳未満視聴制限の義務付け。技術的措置として:
- 瞳孔反応追跡による感情年齢判定
が検討されている[1][4]。
性的描写の判断基準を「肌露出面積比率」「瞳孔拡大率」「頬赤色度(RGB値)」など計量可能な指標で定義。特に頬の赤みに関し、HSV色空間におけるH値30-40度を「過度な興奮表現」と規定する技術基準が注目される[1][5]。
日本広告業協会(JAAA)は2025年3月、新ガイドライン「デジタル広告倫理行動憲章」を発表。従来の倫理綱領[2]を次の3原則で再編:
1. **予防原則**
(AI予測モデル「FlamePredictorv3.2」採用)
2. **透明性原則**
アニメ制作過程の開示義務(原画・脚本・音声データの3次元時系列ログ保存)
3. **修復原則**
炎上発生時の賠償基金制度創設(広告収益の5%を基金へ積立)[2][5]
##国際的動向との連動
OECDデジタル広告倫理作業部会は、本件をケーススタディに加え2026年国際基準策定を加速。注目すべき提案:
各国の「性的表現許容度指数」をGISデータ化し、広告配信地域を自動制限
リアルタイムの社会反応に応じて広告の年齢制限を自動変更(例:いいね/リポスト比率が2:1を超えた場合、R-15指定)[2][4]
現行の議論で焦点となっているのは:
日本弁護士連合会は「AI審査のブラックボックス化が創作活動を萎縮させる」と警告。審査アルゴリズムのソースコード開示を求める意見書を提出[2][5]。
広告差し止め権限を巡り、総務省と法務省の管轄争いが表面化。憲法21条の「検閲禁止」規定との整合性が最大の論点[1][3]。
非実在型炎上による風評被害を「精神的苦痛」と認定する最高裁判例の必要性が指摘されている[4][5]。
##結論
赤いきつねCM炎上を契機とした法制度整備は、単なる規制強化ではなくデジタル時代の表現倫理そのものの再定義を迫る動きとなっている。今後の課題として、①AI審査の透明性確保、②国際基準との調和、③創作活動の保護メカニズムの構築が急務である。2025年度末を目処に開催予定の「デジタル表現サミット」では、これらの論点が本格的に議論される見通しだ[2][3][5]。
幼かった僕が弟と宇都宮に引越し来た頃。僕の親父の家が建つ前。僕の親父の家が建つ土地のには、キンモクセイが一杯咲いていて。良い匂いを発した。
「ううう・・」じいちゃんが言った。何でもお袋が嫌がってじいちゃんの家と離れて家を建てた。通路を作って、行き来できるようにしそこに権利書を置いといたらじいちゃんが持ってっちゃった。親父はカンカンになり
「返せ権利書」って言ったら
「返すもんか」
「何だよやっぱりじいちゃんがもってっちゃったのかよ」って親父は言っていた。親父の家を建てるのに、キンモクセイの木が邪魔になった。じいちゃんの家は土地が広いと言っても庭になっていたからそこに親父の家を建てた。元はと言えば、じいちゃんが「寂しい」ってんで、日光から宇都宮の引越しになった。僕と弟は嫌がったがしょうがなかった。小学校・中学校でも虐めみたいのに遭った。「ギザギザは猿だ猿があだ名だ」「俺は猿か?」虐めなんか田舎では、無いから虐められている感覚は無くも
「ギザギザはつかいっぱだぞ」僕は困っていた。泣いていた。ライオンの子が虐められるがごとく締め付けられた。
「調子に乗るなよ」何が、調子に乗るなだよ。天下のギザギザ様だぞ今では言ってやりたい、ぶん殴ってやりたい。やり返したい。ぶっ潰してやる。中学校で牛乳のパックをぶん投げて遊んでいたら先生がこれもまた先生ではないがせんこうだが
「誰だ?やったの?」僕は黙っていた。帰り道ガツンと後頭部を殴られ
「いってー」
「てめーがやったんだろ」威張っているやな奴ら。下駄箱置きに連れられて汚い数人掛かり右目をガツンと殴られた。痛かった。眼科にも行ったがあんなのは、暴力事件で学校側はもみ消した。教育委員会ももみ消しに出てきた。先生も一緒になって虐めたと僕が言ったから、実際そうだった。僕をぶん殴った生徒は名誉だとお褒めの言葉でも貰ったのであろう、満足気な顔をしていた。後でそのせんこうはつるんでいた。やな奴と手ごわそうな奴らなんで、僕なんかを誰が何やったのかを黙ってったって言って50発も、僕を殴った。殴ったって言うか叩いた。
「嘘吐きは大嫌いだ」一緒に虐めてやれみたいなせんこうだった。
後に、「やってません」と嘘がバレて、どっちが嘘吐きだよ思った僕は、せんこうはお陰で親父は小学校の先生をやっていたが、定年間際に校長になれなかった。全てはそのせい。僕が悪いんだ。僕が全て黙ってれば事は無いのであったが、僕は統合失調を病みかけていた。そのせんこうは僕を商業科高校に入れたがっていた。親には大学進学をしなさいと言われ僕も一時期悩んだが、親の言う事を聞いた。これが正解だったのかは?未だ分からない。
キンモクセイの香りは随分昔の事だ。でも今でも思い出す。僕は後にその家から出て単身大宮に向かった。予備校だった。統合失調を患い掛けていたが、まだ健常者の身分だった僕は、予備校時代大分無茶した。って言うか、無茶苦茶だった。ゲームセンターに行ったり。犯罪に近い事もした。パチンコで大損し僕はギャンブルに狂っていた。賭場のやな空気を吸った。それは大学まで続き被害妄想やら幻聴やらで、学校に行けなくなった。本当に仲の良い友達同士で、麻雀やらパチンコも行ったが統合失調はピークに達し、引っ越したマンションの隣の女の子の声が聞こえ始めた
「助けて下さい自殺しそうです」
「どうすれば?」
「窓をかち割って入ってきて下さい」幻聴だとは正に気が付かないから拳骨で窓をかち割った。中に入ると、誰もいない。ギターが有るだけ。何だこれは?僕は訳が分からなくなった。昼間の出来事で
小さい子供が
「あれ割っているよ」と言った。お母さんらしき人が
「見ないの」って言っていた。
幻聴は今度は
「警察に行きなさい」と「行きなさいよ」2人になっていた。僕は、坂の下に交番が有るのを思い出し、行ったが誰も居なかったので電話を掛けた。
「もしもし、人の家に入っちゃったんだけど」
僕は、親父お袋が心配するだろうと思いつつも、幻聴だとは知らなかった。これでいんだ。警官に両脇を抑えられ
「トランクに誰か乗っているのか?」と真面目に質問した。警官は不思議そうに
「ないない」とだけ言った。取調室みたいな所で幻聴は盛んに話し掛けてきた
。「ミラーの後ろ」
「ライターの下」
「ライターの下」次第に増えていく幻聴の数に、怯えはしなかったが、戸惑った。色んなアクションをした。鏡に向って手を振ったり、後ろから見える鏡だ、と思っていたらしい親は呼ばれて8時間後来たが
「どうしたんだ?」と言った。
「助けてくれって言うから・・」
「何訳の分からない事言っているの?」上野の駅で電車が無くなり泊まった。ホテル親父はカップ麺を買って来てくれた。寒い夜だった。次第に病状が出た。複数の声
「帰ってきて」
最後は親父が
「俺はギザギザに殺されても良い」とお袋に言って僕を捕まえに来た。マンションの一室で僕は幻聴に拝んでいた。
「御免なさい」言った。
「帰ろう」親父は言った。
夜
幻聴はピークのピークになり僕は押入れの中に入ってみたり、念仏を唱えだしたぞと後から聞かされた。決してここで言いたいのは、僕は薬物汚染でこうなってしまったので無く、全く天然性の病気持ちだった。チック症みたいのは元々有って髪の毛を散々に弄くったり耳を触ったり、高等学校時代も1年生の時オール10が、2年、3年で、オール1学校に行けなくなってしまった。小さい頃からの病状で臭いに執着した。みたいのは自覚していた。統合失調の他に症状で、鬱の何時間でも眠るとか言う奴で、夜中の4時頃起きて2時間単語帳を読みまた寝るを繰り返していた。親には
「虐めが有って行けない」と言った。実際、高等学校での、虐めは無くたまに学校行って「こいつが馬鹿馬鹿言うんだ」とか訳の分からない事を泣きながら言うから学校の先生も手に付かず。先生も専門家でないので、それでも家に
「お宅のお子さんおかしいですよ」と何遍も電話してくれた。結局散々苦労して入った大学は中退登録抹消の憂き目に遭ってしまうのであった。入院。僕は精神科の先生をぶん殴り看護士に両脇から羽交い絞めにされ牢屋(保護室)に入れられた。薬を打たれた。寒い便器だけが有って、一般病棟に移る頃僕は薬でフラフラになった。涎を垂らしつつも、何だこれはと思った。
「汚いなあっち行けよ」言われた同じ入院患者に。20年30年がゴロゴロ居る社会入院じゃないか?僕はもがいた。夜叫び声を上げた。
或る人が「友達になりましょうね」と言ってくれた。1年3ヵ月後退院し、したが金が無い学生年金無給者の辛さを知った。大学を辞めるのにもお金が無い僕は何も言わなかった。何も買えなかった。500円だけ1日ポーンと渡されてゴールデンバット当時110円を吸っていた。神奈川県川崎市に引っ越した僕はアルバイトをしようとしていた。警備の仕事。ジリジリした太陽が照り付ける中頑張ったが仕事をくれないので辞めた。暫く後そこの会社は倒産した。後ガソリンスタンドでアルバイト「何で?4時間しか働かないんだ?」4ヵ月後解雇。その後行った別のガソリンスタンドがまたガラ悪く僕は仕事中メガネが曲がっちゃったかな?って、思っていたら休憩室に連れてかれ店長だか何だか知らんが禿げたおっさんに
「てめー」って胸倉掴むから
「こんにゃろ」左フックを浴びせた。僕は成人のライオンに成長していた。やられる一方の自分でないが、無茶苦茶になった。警察に行くと、警官は
「民事裁判でどうのこうの言っているぞ」と言った。
「ああそうですか」と引き返してきた。パチンコ屋で仕事もしたが
「何だお前?なっちゃない」とおっさんと当時35位の男にいびられた。只働き、給料取りに行けば良かった。僕は親を恨んだりしてない。親も可哀想だった。神奈川県にマンションを買って5000万。借金地獄で僕の小遣い所では無い。じいちゃんも、今では死んでしまったが当時株で大損し「寂しい」言い出して日光に有る大部分の土地をうっぱらってしまった。それこそ名の有る家庭だったが今ではバラバラに成りつつも弟は結婚し家を出僕はと言うと、或る病院のデイケアを紹介され、精神保健法32条なんてのも障害年金の事などそこで知らされた。マンションに親と暮らしていたが、親といざこざが有って、川崎市の援護寮「もみの木」(仮称)に行く事になった。そこから病院に通いデイケアにそしてそこを無事に卒業し、生活保護を貰って、一人アパートに暮らしている。僕の今の状態になった。僕は静かに地域の人達と一緒に生活している。誰も何も恨んでない。ぶっ潰すと言ったが無しにしてやるよ。全部。キンモクセイの香りは良い匂いだと思う。宇都宮の家は何でもじいちゃんが土地の売買で又何かやらかして亡くなったせいか上の家は親父のなんだが下の土地がどうこうって、ややこしい話だ。一番悲しかったのは親父。にっくき、じいちゃんとは言え親父の親父だから、死に目にも会えなかったって笑って見せる。キンモクセイの匂いが漂う頃。大分切ってしまった僕んちのキンモクセイが懐かしい。僕は僕の弟も親父お袋が大好きだ。このペンネームも僕と弟が小さい頃お祭りの時、腰が痛いと言いつつも連れてってくれたお祭りで、「ギザギザの仮面」良く売っている奴を2人とも買ってくれとは言えなかった。貧乏だった家は、そこから来ている。単に「ギザギザ仮面」を名乗っている訳でない。キンモクセイは懐かしい香り品が高い香り親父とお袋の悲しさの香り。
END
2006年7月17日(月)
2025年1月21日(火)訂正
幼かった僕が弟と宇都宮に引越し来た頃。僕の親父の家が建つ前。僕の親父の家が建つ土地のには、キンモクセイが一杯咲いていて。良い匂いを発した。
「ううう・・」じいちゃんが言った。何でもお袋が嫌がってじいちゃんの家と離れて家を建てた。通路を作って、行き来できるようにしそこに権利書を置いといたらじいちゃんが持ってっちゃった。親父はカンカンになり
「返せ権利書」って言ったら
「返すもんか」
「何だよやっぱりじいちゃんがもってっちゃったのかよ」って親父は言っていた。親父の家を建てるのに、キンモクセイの木が邪魔になった。じいちゃんの家は土地が広いと言っても庭になっていたからそこに親父の家を建てた。元はと言えば、じいちゃんが「寂しい」ってんで、日光から宇都宮の引越しになった。僕と弟は嫌がったがしょうがなかった。小学校・中学校でも虐めみたいのに遭った。「ギザギザは猿だ猿があだ名だ」「俺は猿か?」虐めなんか田舎では、無いから虐められている感覚は無くも
「ギザギザはつかいっぱだぞ」僕は困っていた。泣いていた。ライオンの子が虐められるがごとく締め付けられた。
「調子に乗るなよ」何が、調子に乗るなだよ。天下のギザギザ様だぞ今では言ってやりたい、ぶん殴ってやりたい。やり返したい。ぶっ潰してやる。中学校で牛乳のパックをぶん投げて遊んでいたら先生がこれもまた先生ではないがせんこうだが
「誰だ?やったの?」僕は黙っていた。帰り道ガツンと後頭部を殴られ
「いってー」
「てめーがやったんだろ」威張っているやな奴ら。下駄箱置きに連れられて汚い数人掛かり右目をガツンと殴られた。痛かった。眼科にも行ったがあんなのは、暴力事件で学校側はもみ消した。教育委員会ももみ消しに出てきた。先生も一緒になって虐めたと僕が言ったから、実際そうだった。僕をぶん殴った生徒は名誉だとお褒めの言葉でも貰ったのであろう、満足気な顔をしていた。後でそのせんこうはつるんでいた。やな奴と手ごわそうな奴らなんで、僕なんかを誰が何やったのかを黙ってったって言って50発も、僕を殴った。殴ったって言うか叩いた。
「嘘吐きは大嫌いだ」一緒に虐めてやれみたいなせんこうだった。
後に、「やってません」と嘘がバレて、どっちが嘘吐きだよ思った僕は、せんこうはお陰で親父は小学校の先生をやっていたが、定年間際に校長になれなかった。全てはそのせい。僕が悪いんだ。僕が全て黙ってれば事は無いのであったが、僕は統合失調を病みかけていた。そのせんこうは僕を商業科高校に入れたがっていた。親には大学進学をしなさいと言われ僕も一時期悩んだが、親の言う事を聞いた。これが正解だったのかは?未だ分からない。
キンモクセイの香りは随分昔の事だ。でも今でも思い出す。僕は後にその家から出て単身大宮に向かった。予備校だった。統合失調を患い掛けていたが、まだ健常者の身分だった僕は、予備校時代大分無茶した。って言うか、無茶苦茶だった。ゲームセンターに行ったり。犯罪に近い事もした。パチンコで大損し僕はギャンブルに狂っていた。賭場のやな空気を吸った。それは大学まで続き被害妄想やら幻聴やらで、学校に行けなくなった。本当に仲の良い友達同士で、麻雀やらパチンコも行ったが統合失調はピークに達し、引っ越したマンションの隣の女の子の声が聞こえ始めた
「助けて下さい自殺しそうです」
「どうすれば?」
「窓をかち割って入ってきて下さい」幻聴だとは正に気が付かないから拳骨で窓をかち割った。中に入ると、誰もいない。ギターが有るだけ。何だこれは?僕は訳が分からなくなった。昼間の出来事で
小さい子供が
「あれ割っているよ」と言った。お母さんらしき人が
「見ないの」って言っていた。
幻聴は今度は
「警察に行きなさい」と「行きなさいよ」2人になっていた。僕は、坂の下に交番が有るのを思い出し、行ったが誰も居なかったので電話を掛けた。
「もしもし、人の家に入っちゃったんだけど」
僕は、親父お袋が心配するだろうと思いつつも、幻聴だとは知らなかった。これでいんだ。警官に両脇を抑えられ
「トランクに誰か乗っているのか?」と真面目に質問した。警官は不思議そうに
「ないない」とだけ言った。取調室みたいな所で幻聴は盛んに話し掛けてきた
。「ミラーの後ろ」
「ライターの下」
「ライターの下」次第に増えていく幻聴の数に、怯えはしなかったが、戸惑った。色んなアクションをした。鏡に向って手を振ったり、後ろから見える鏡だ、と思っていたらしい親は呼ばれて8時間後来たが
「どうしたんだ?」と言った。
「助けてくれって言うから・・」
「何訳の分からない事言っているの?」上野の駅で電車が無くなり泊まった。ホテル親父はカップ麺を買って来てくれた。寒い夜だった。次第に病状が出た。複数の声
「帰ってきて」
最後は親父が
「俺はギザギザに殺されても良い」とお袋に言って僕を捕まえに来た。マンションの一室で僕は幻聴に拝んでいた。
「御免なさい」言った。
「帰ろう」親父は言った。
夜
幻聴はピークのピークになり僕は押入れの中に入ってみたり、念仏を唱えだしたぞと後から聞かされた。決してここで言いたいのは、僕は薬物汚染でこうなってしまったので無く、全く天然性の病気持ちだった。チック症みたいのは元々有って髪の毛を散々に弄くったり耳を触ったり、高等学校時代も1年生の時オール10が、2年、3年で、オール1学校に行けなくなってしまった。小さい頃からの病状で臭いに執着した。みたいのは自覚していた。統合失調の他に症状で、鬱の何時間でも眠るとか言う奴で、夜中の4時頃起きて2時間単語帳を読みまた寝るを繰り返していた。親には
「虐めが有って行けない」と言った。実際、高等学校での、虐めは無くたまに学校行って「こいつが馬鹿馬鹿言うんだ」とか訳の分からない事を泣きながら言うから学校の先生も手に付かず。先生も専門家でないので、それでも家に
「お宅のお子さんおかしいですよ」と何遍も電話してくれた。結局散々苦労して入った大学は中退登録抹消の憂き目に遭ってしまうのであった。入院。僕は精神科の先生をぶん殴り看護士に両脇から羽交い絞めにされ牢屋(保護室)に入れられた。薬を打たれた。寒い便器だけが有って、一般病棟に移る頃僕は薬でフラフラになった。涎を垂らしつつも、何だこれはと思った。
「汚いなあっち行けよ」言われた同じ入院患者に。20年30年がゴロゴロ居る社会入院じゃないか?僕はもがいた。夜叫び声を上げた。
或る人が「友達になりましょうね」と言ってくれた。1年3ヵ月後退院し、したが金が無い学生年金無給者の辛さを知った。大学を辞めるのにもお金が無い僕は何も言わなかった。何も買えなかった。500円だけ1日ポーンと渡されてゴールデンバット当時110円を吸っていた。神奈川県川崎市に引っ越した僕はアルバイトをしようとしていた。警備の仕事。ジリジリした太陽が照り付ける中頑張ったが仕事をくれないので辞めた。暫く後そこの会社は倒産した。後ガソリンスタンドでアルバイト「何で?4時間しか働かないんだ?」4ヵ月後解雇。その後行った別のガソリンスタンドがまたガラ悪く僕は仕事中メガネが曲がっちゃったかな?って、思っていたら休憩室に連れてかれ店長だか何だか知らんが禿げたおっさんに
「てめー」って胸倉掴むから
「こんにゃろ」左フックを浴びせた。僕は成人のライオンに成長していた。やられる一方の自分でないが、無茶苦茶になった。警察に行くと、警官は
「民事裁判でどうのこうの言っているぞ」と言った。
「ああそうですか」と引き返してきた。パチンコ屋で仕事もしたが
「何だお前?なっちゃない」とおっさんと当時35位の男にいびられた。只働き、給料取りに行けば良かった。僕は親を恨んだりしてない。親も可哀想だった。神奈川県にマンションを買って5000万。借金地獄で僕の小遣い所では無い。じいちゃんも、今では死んでしまったが当時株で大損し「寂しい」言い出して日光に有る大部分の土地をうっぱらってしまった。それこそ名の有る家庭だったが今ではバラバラに成りつつも弟は結婚し家を出僕はと言うと、或る病院のデイケアを紹介され、精神保健法32条なんてのも障害年金の事などそこで知らされた。マンションに親と暮らしていたが、親といざこざが有って、川崎市の援護寮「もみの木」(仮称)に行く事になった。そこから病院に通いデイケアにそしてそこを無事に卒業し、生活保護を貰って、一人アパートに暮らしている。僕の今の状態になった。僕は静かに地域の人達と一緒に生活している。誰も何も恨んでない。ぶっ潰すと言ったが無しにしてやるよ。全部。キンモクセイの香りは良い匂いだと思う。宇都宮の家は何でもじいちゃんが土地の売買で又何かやらかして亡くなったせいか上の家は親父のなんだが下の土地がどうこうって、ややこしい話だ。一番悲しかったのは親父。にっくき、じいちゃんとは言え親父の親父だから、死に目にも会えなかったって笑って見せる。キンモクセイの匂いが漂う頃。大分切ってしまった僕んちのキンモクセイが懐かしい。僕は僕の弟も親父お袋が大好きだ。このペンネームも僕と弟が小さい頃お祭りの時、腰が痛いと言いつつも連れてってくれたお祭りで、「ギザギザの仮面」良く売っている奴を2人とも買ってくれとは言えなかった。貧乏だった家は、そこから来ている。単に「ギザギザ仮面」を名乗っている訳でない。キンモクセイは懐かしい香り品が高い香り親父とお袋の悲しさの香り。
END
2006年7月17日(月)
2025年1月21日(火)訂正
幼かった僕が弟と宇都宮に引越し来た頃。僕の親父の家が建つ前。僕の親父の家が建つ土地のには、キンモクセイが一杯咲いていて。良い匂いを発した。
「ううう・・」じいちゃんが言った。何でもお袋が嫌がってじいちゃんの家と離れて家を建てた。通路を作って、行き来できるようにしそこに権利書を置いといたらじいちゃんが持ってっちゃった。親父はカンカンになり
「返せ権利書」って言ったら
「返すもんか」
「何だよやっぱりじいちゃんがもってっちゃったのかよ」って親父は言っていた。親父の家を建てるのに、キンモクセイの木が邪魔になった。じいちゃんの家は土地が広いと言っても庭になっていたからそこに親父の家を建てた。元はと言えば、じいちゃんが「寂しい」ってんで、日光から宇都宮の引越しになった。僕と弟は嫌がったがしょうがなかった。小学校・中学校でも虐めみたいのに遭った。「ギザギザは猿だ猿があだ名だ」「俺は猿か?」虐めなんか田舎では、無いから虐められている感覚は無くも
「ギザギザはつかいっぱだぞ」僕は困っていた。泣いていた。ライオンの子が虐められるがごとく締め付けられた。
「調子に乗るなよ」何が、調子に乗るなだよ。天下のギザギザ様だぞ今では言ってやりたい、ぶん殴ってやりたい。やり返したい。ぶっ潰してやる。中学校で牛乳のパックをぶん投げて遊んでいたら先生がこれもまた先生ではないがせんこうだが
「誰だ?やったの?」僕は黙っていた。帰り道ガツンと後頭部を殴られ
「いってー」
「てめーがやったんだろ」威張っているやな奴ら。下駄箱置きに連れられて汚い数人掛かり右目をガツンと殴られた。痛かった。眼科にも行ったがあんなのは、暴力事件で学校側はもみ消した。教育委員会ももみ消しに出てきた。先生も一緒になって虐めたと僕が言ったから、実際そうだった。僕をぶん殴った生徒は名誉だとお褒めの言葉でも貰ったのであろう、満足気な顔をしていた。後でそのせんこうはつるんでいた。やな奴と手ごわそうな奴らなんで、僕なんかを誰が何やったのかを黙ってったって言って50発も、僕を殴った。殴ったって言うか叩いた。
「嘘吐きは大嫌いだ」一緒に虐めてやれみたいなせんこうだった。
後に、「やってません」と嘘がバレて、どっちが嘘吐きだよ思った僕は、せんこうはお陰で親父は小学校の先生をやっていたが、定年間際に校長になれなかった。全てはそのせい。僕が悪いんだ。僕が全て黙ってれば事は無いのであったが、僕は統合失調を病みかけていた。そのせんこうは僕を商業科高校に入れたがっていた。親には大学進学をしなさいと言われ僕も一時期悩んだが、親の言う事を聞いた。これが正解だったのかは?未だ分からない。
キンモクセイの香りは随分昔の事だ。でも今でも思い出す。僕は後にその家から出て単身大宮に向かった。予備校だった。統合失調を患い掛けていたが、まだ健常者の身分だった僕は、予備校時代大分無茶した。って言うか、無茶苦茶だった。ゲームセンターに行ったり。犯罪に近い事もした。パチンコで大損し僕はギャンブルに狂っていた。賭場のやな空気を吸った。それは大学まで続き被害妄想やら幻聴やらで、学校に行けなくなった。本当に仲の良い友達同士で、麻雀やらパチンコも行ったが統合失調はピークに達し、引っ越したマンションの隣の女の子の声が聞こえ始めた
「助けて下さい自殺しそうです」
「どうすれば?」
「窓をかち割って入ってきて下さい」幻聴だとは正に気が付かないから拳骨で窓をかち割った。中に入ると、誰もいない。ギターが有るだけ。何だこれは?僕は訳が分からなくなった。昼間の出来事で
小さい子供が
「あれ割っているよ」と言った。お母さんらしき人が
「見ないの」って言っていた。
幻聴は今度は
「警察に行きなさい」と「行きなさいよ」2人になっていた。僕は、坂の下に交番が有るのを思い出し、行ったが誰も居なかったので電話を掛けた。
「もしもし、人の家に入っちゃったんだけど」
僕は、親父お袋が心配するだろうと思いつつも、幻聴だとは知らなかった。これでいんだ。警官に両脇を抑えられ
「トランクに誰か乗っているのか?」と真面目に質問した。警官は不思議そうに
「ないない」とだけ言った。取調室みたいな所で幻聴は盛んに話し掛けてきた
。「ミラーの後ろ」
「ライターの下」
「ライターの下」次第に増えていく幻聴の数に、怯えはしなかったが、戸惑った。色んなアクションをした。鏡に向って手を振ったり、後ろから見える鏡だ、と思っていたらしい親は呼ばれて8時間後来たが
「どうしたんだ?」と言った。
「助けてくれって言うから・・」
「何訳の分からない事言っているの?」上野の駅で電車が無くなり泊まった。ホテル親父はカップ麺を買って来てくれた。寒い夜だった。次第に病状が出た。複数の声
「帰ってきて」
最後は親父が
「俺はギザギザに殺されても良い」とお袋に言って僕を捕まえに来た。マンションの一室で僕は幻聴に拝んでいた。
「御免なさい」言った。
「帰ろう」親父は言った。
夜
幻聴はピークのピークになり僕は押入れの中に入ってみたり、念仏を唱えだしたぞと後から聞かされた。決してここで言いたいのは、僕は薬物汚染でこうなってしまったので無く、全く天然性の病気持ちだった。チック症みたいのは元々有って髪の毛を散々に弄くったり耳を触ったり、高等学校時代も1年生の時オール10が、2年、3年で、オール1学校に行けなくなってしまった。小さい頃からの病状で臭いに執着した。みたいのは自覚していた。統合失調の他に症状で、鬱の何時間でも眠るとか言う奴で、夜中の4時頃起きて2時間単語帳を読みまた寝るを繰り返していた。親には
「虐めが有って行けない」と言った。実際、高等学校での、虐めは無くたまに学校行って「こいつが馬鹿馬鹿言うんだ」とか訳の分からない事を泣きながら言うから学校の先生も手に付かず。先生も専門家でないので、それでも家に
「お宅のお子さんおかしいですよ」と何遍も電話してくれた。結局散々苦労して入った大学は中退登録抹消の憂き目に遭ってしまうのであった。入院。僕は精神科の先生をぶん殴り看護士に両脇から羽交い絞めにされ牢屋(保護室)に入れられた。薬を打たれた。寒い便器だけが有って、一般病棟に移る頃僕は薬でフラフラになった。涎を垂らしつつも、何だこれはと思った。
「汚いなあっち行けよ」言われた同じ入院患者に。20年30年がゴロゴロ居る社会入院じゃないか?僕はもがいた。夜叫び声を上げた。
或る人が「友達になりましょうね」と言ってくれた。1年3ヵ月後退院し、したが金が無い学生年金無給者の辛さを知った。大学を辞めるのにもお金が無い僕は何も言わなかった。何も買えなかった。500円だけ1日ポーンと渡されてゴールデンバット当時110円を吸っていた。神奈川県川崎市に引っ越した僕はアルバイトをしようとしていた。警備の仕事。ジリジリした太陽が照り付ける中頑張ったが仕事をくれないので辞めた。暫く後そこの会社は倒産した。後ガソリンスタンドでアルバイト「何で?4時間しか働かないんだ?」4ヵ月後解雇。その後行った別のガソリンスタンドがまたガラ悪く僕は仕事中メガネが曲がっちゃったかな?って、思っていたら休憩室に連れてかれ店長だか何だか知らんが禿げたおっさんに
「てめー」って胸倉掴むから
「こんにゃろ」左フックを浴びせた。僕は成人のライオンに成長していた。やられる一方の自分でないが、無茶苦茶になった。警察に行くと、警官は
「民事裁判でどうのこうの言っているぞ」と言った。
「ああそうですか」と引き返してきた。パチンコ屋で仕事もしたが
「何だお前?なっちゃない」とおっさんと当時35位の男にいびられた。只働き、給料取りに行けば良かった。僕は親を恨んだりしてない。親も可哀想だった。神奈川県にマンションを買って5000万。借金地獄で僕の小遣い所では無い。じいちゃんも、今では死んでしまったが当時株で大損し「寂しい」言い出して日光に有る大部分の土地をうっぱらってしまった。それこそ名の有る家庭だったが今ではバラバラに成りつつも弟は結婚し家を出僕はと言うと、或る病院のデイケアを紹介され、精神保健法32条なんてのも障害年金の事などそこで知らされた。マンションに親と暮らしていたが、親といざこざが有って、川崎市の援護寮「もみの木」(仮称)に行く事になった。そこから病院に通いデイケアにそしてそこを無事に卒業し、生活保護を貰って、一人アパートに暮らしている。僕の今の状態になった。僕は静かに地域の人達と一緒に生活している。誰も何も恨んでない。ぶっ潰すと言ったが無しにしてやるよ。全部。キンモクセイの香りは良い匂いだと思う。宇都宮の家は何でもじいちゃんが土地の売買で又何かやらかして亡くなったせいか上の家は親父のなんだが下の土地がどうこうって、ややこしい話だ。一番悲しかったのは親父。にっくき、じいちゃんとは言え親父の親父だから、死に目にも会えなかったって笑って見せる。キンモクセイの匂いが漂う頃。大分切ってしまった僕んちのキンモクセイが懐かしい。僕は僕の弟も親父お袋が大好きだ。このペンネームも僕と弟が小さい頃お祭りの時、腰が痛いと言いつつも連れてってくれたお祭りで、「ギザギザの仮面」良く売っている奴を2人とも買ってくれとは言えなかった。貧乏だった家は、そこから来ている。単に「ギザギザ仮面」を名乗っている訳でない。キンモクセイは懐かしい香り品が高い香り親父とお袋の悲しさの香り。
END
2006年7月17日(月)
2025年1月21日(火)訂正
https://haiku2.hatenastaff.com/entry/20120831/1346390016
2012-08-31はてなハイク2(仮称)を2012年10月1日に終了します
2009年11月28日からサービスを開始して以来、ユーザーの皆さまにご利用、ご愛用いただいてきた「はてなハイク2 (仮称)」ですが、2012年10月1日をもちまして終了させていただきます。
現在もご利用いただいているユーザーの皆さま、誠に申し訳ありません。深くお詫びいたします。ユーザー様にご投稿いただいたデータやコンテンツのうち必要なものは、2012年9月30日までにお手元への保存をお願いいたします。
はてなハイク2(仮称)の過去の投稿については、はてなココにある「ともだちの新着」ページで閲覧できます。はてなハイク2(仮称)のともだちは、10月1日以降は、はてなココに限定したともだちになります。ハッピィははてなココ、ニックネームはMyはてなとそれぞれ共通で、10月1日以降もそれぞれのサービスから編集できます。
そのハードで遊べる新作ソフトはどんな形で私たちを驚かせ、ワクワクさせてくれるのだろうか。それを想像するだけで、発売発表前から胸の高鳴りが止まらないのです。
以上のように、Nintendo Switch 2(仮称)に期待しているポイントは多岐にわたります。高性能化やバッテリー寿命の延長、Joy-Conなどのコントローラー改良、オンラインサービスの充実や後方互換性の確保、さらに「任天堂らしい革新的な遊び方」の提案――これらがどのように掛け合わさるかによって、次世代ハードの評価が大きく左右されるでしょう。現在のSwitchの成功をそのままに、さらに飛躍したゲーム体験を提供してくれるのか。それとも、まったく新しい方向性を打ち出してくるのか。いずれにしても、任天堂が次にどんな手を打ってくるのかを考えるだけで、ゲームファンとしてはワクワクが止まりません。正式な発表の日を心待ちにしつつ、今のSwitchライフを楽しみながら、そのときを迎えたいと思います。次世代へ続く物語はまだ始まったばかり。Nintendo Switchがもたらした「ハイブリッドな楽しさ」が、どのように新たな進化を遂げるのか――期待と興奮を胸に、私たちはその瞬間を待ちわびているのです。