
はてなキーワード:仏教とは
京都大学の学生生活とは、常識を疑い、既存の枠組みを超越することの連続です。それは学問の世界に限らず、日々の生活、特に「食」の領域においても顕著に現れます。
私が提案するこの食べ方、「堅八ツ橋に明太マヨを載せて食べる」「堅八ツ橋にワサマヨを載せて食べる」という行為は、単なるゲテモノ食いや奇抜なアイデアではありません。これは、京都大学で培われた「既存の概念の解体と再構築」という、極めて京大的な知的好奇心の表れなのです。
堅八ツ橋は、古都京都の伝統を凝縮したお菓子であり、その香ばしさと固い食感は、ノスタルジーと品格を伴います。対するマヨネーズ、明太マヨ、ワサマヨは、現代のジャンクな感覚と、刺激的な味覚を象徴しています。
この二つの極端な要素を結びつける行為は、まるで西洋の論理学と東洋の仏教哲学を融合させようとする試み、あるいは古典文学と最先端のAI技術を掛け合わせる研究テーマのようなものです。伝統と現代、甘味と塩味、堅さとクリーミーさという、一見相容れない要素を対峙させ、その相互作用から生まれる新しい価値(すなわち「新しい美味しさ」)を探求する。これこそが、京都大学の学生が持つ、学際的かつ批判的な思考の真骨頂なのです。
まず、「堅八ツ橋に明太マヨを載せる」という行為を京大的に考察します。
堅八ツ橋のシナモンの香りと米粉の素朴な甘さは、その堅いテクスチャーと共に、過去への扉を開きます。そこに、明太マヨネーズの、魚卵のプチプチとした食感、唐辛子の情熱的な辛味、そしてマヨネーズの濃厚な酸味が加わる。
これは、京都という保守的な文化の中で、新しい風(現代の味覚)がどのように受け入れられ、融合していくかという、文化人類学的な実験でもあります。明太子の塩辛さと辛味は、八ツ橋の甘さを引き立て、マヨネーズのコクが全体を滑らかにまとめ上げます。この味覚のグラデーションは、京大での研究プロセス、すなわち、素朴な疑問(八ツ橋)から始まり、複雑なデータを処理(明太マヨ)し、最終的に予想外の結論(新しい美味しさ)に至るプロセスと酷似しています。
私はこの一口を食べるたびに、「伝統の上に現代の刺激をどう配置するか」という、京都市の都市計画にも似た「味覚の配置学」を無意識のうちに実践しているのです。この異端の組み合わせを「美味しい」と断言できるのは、既存の価値観に囚われない、自由な京大生の精神があるからに他なりません。
次に、「堅八ツ橋にワサマヨを載せる」という行為を分析します。
ワサビの持つツンとした刺激は、脳の奥深くまで響き渡る、理性と覚醒の象徴です。マヨネーズと混ざり合うことで、その刺激は緩和されつつも、堅八ツ橋の甘さと香ばしさを打ち破る、鋭いコントラストを生み出します。
この組み合わせは、「知的な刺激」を求めてやまない京大生の探求心そのものです。ワサビの辛さは、まるで難解な論文や、解き明かせない数学の問題のように、一瞬の苦痛と引き換えに、深い洞察と覚醒をもたらします。
この食べ方の本質は、「甘い(快適な)日常」の中に、自ら「辛い(知的な挑戦)」を導入し、その化学反応を楽しむことにあります。ワサマヨが舌の上で弾け、シナモンの甘さが追いかけてくる感覚は、まるで京大の図書館で哲学書を読み込み、ふと、その記述の裏にある真理に気づいた瞬間の、「甘美なひらめき」に酷似しています。
「なぜワサビなのか?」「なぜマヨネーズと組み合わせるのか?」という疑問こそ、京大生が常に自己に問いかける「なぜ、そうなのか?」という、根源的な問いなのです。この味覚の実験を通じて、私は自己の限界と、味覚の多様性という「人間の認知のフロンティア」を拡張しているのです。
私にとって、堅八ツ橋とマヨネーズ系の組み合わせは、単なるおやつではありません。それは、京大生としてのアイデンティティ、すなわち、「既成概念を打ち破り、異質なものを統合し、新しい価値を創造する」という精神を日常の中で具現化する「味覚の演習問題」なのです。
京都のお好み焼きにプラッシーという王道の組み合わせを愛する一方で、堅八ツ橋に明太マヨやワサマヨという異端を追求する。この二律背反こそが、私の持つ「京大的なるもの」の奥深さを示しています。伝統を尊重しつつも、伝統に縛られず、常に新しい知の地平を求める姿勢。
妻との会話が「京大的なるもの」として日常を再構成するように、この異端の食べ方もまた、私の食の風景を「京大的なるもの」として彩り、人生の歩みを、常に刺激的で、知的好奇心に満ちたものにしているのです。今日もまた、私は堅八ツ橋の袋を開け、マヨネーズのチューブを手に取るでしょう。京大生だから、私は食のタブーを破り、味覚の真理を探求し続けるのです。
ヤバいくらい興味沸かない....こんなに興味ないことってあるんだ。
逆になんかすごい。
ぐらいかな。これは実際に何かやったんならその具体的な話を聞きたい。でも「決断した」だから具体的なアクションには結びついてないのかもな。
「自分の中では大したことだったのかもしれないけど他人に関係ないな〜」って思う話ばかり
■Noteで有料記事書こうと思うけどこのトピック気になる人いると思う?
最近色んな人と話すことが多く、思ったより自分の人生が他人よりも濃い人生送ってるな・・・と感じた(まあ周りがあまり自己開示してないだけかもしれないけど)
なんか人生の切り売りするみたいであんまよろしくないなーとは思うものの、自分の人生の振り返りを兼ねて記録して、まあ、それで楽しんでくれる人やお布施くれる人がいるなら良いのかなと感じている。
トピックとしてはざっくりこんな感じ
- なんか俺の出生届だけが兄弟と全く違う件
- キラキラネームとアイデンティティ
- 狂った家庭の虐待の話
- ヤクザの親父を持ったことの大変さ
- クソ親父の思い出
- 幼少期の自分や友達が持っていたレアグッズの話(現在市場価値も添えて)
- グレた自分の学校での奇行について
- 家系の謎の話(プロテスタントと真言宗醍醐派仏教の話)
- 自分の宗教観と日本社会の宗教観の話
- WW2の曾祖母の伝説とそれが与えた自分への価値観
- 親父が殺し屋に襲われた件
- 右翼団体についてざっくりと知ってること
- 家賃2万円の貧乏生活について
- ガチで飲食店が向いてなかった話(+学生バイトの思い出)
- 不登校からの社会復帰の話(中1~2不登校)
- うごくメモ帳のという閉ざされた空間のカルチャーを振り返る
- ヤバい(褒め言葉)高校に通ってた話
- いじめの話(なぜ子供はいじめを行うのか?)
- 自分のインターネットの懐古歴(海外フラッシュゲームの懐古と、角煮との出会い、萌へ萌へ王国ってなんだっけ・・・)
- 2chAPI移住騒動の思い出(避難所の栄光と衰退)
- iPhoneの脱獄アプリの思い出と、公式に取り込まれたその機能について
- Hackintosh、3DSの改造、arm9loaderhaxやNTRcfw,kit-katなどの話(偽トロ不要の無線キャプチャの思い出)
- 成長期における狂った投薬、抗うつ薬、睡眠薬の話
- ドーピングは悪なのか?
- 学生に流行ったスマートドラッグの話
- 大麻は国内で禁止すべき理由とバッドトリップ、法哲学の話
- ダークウェブの話
- 写真の思い出
- 俺はパンクなのか?
- アンダーグラウンドミュージックの話
- アナログレコードの面白さとゲームミュージックのアナログレコード市場の話
- スニーカー文化論の面白さ
- レアスニーカーの話
- 自分のスニーカーコレクションの話
- サバゲ沼の話(自分のカスタムについて)
- アートブック収集の面白さ、レアなアートブックはどんなものか
- 自分の作った服の話
- 自分の買った面白い服の話
- 近代ブートレグファッションについての批評、フェイクの取り締まりやバックグラウンドの話
- メサイアコンプレックスの話
- 独自のスタイルを持つことと、ズレたダサさの違い
- ピストバイクのカスタマイズの思い出
- 近代グラフィティ(ステッカーカルチャー)の考察
- 自分のグラフィティスタイルの話
- 出会系アプリを自動化したら平均32いいねのところを408いいね取って滅茶苦茶になった話
- ぼったくりバーの話
- 現代美術を知って
- スケボーの話(ギアや好きなプロスケーター、日本のスケートについて)
- ジョン・マカフィーやばくね?
- メディアリテラシー論を受けて
- 大学の思い出
- 俺のフルネームがボカロ?になってしまった話
- 大学で脳科学の実験モルモットになった話
- お酒が飲めない話
- 人を助けることの難しさ
- 自殺について(選択肢の豊かさについて)
- 日本の受動的攻撃行動について(+なんで日本は発達障害率が高いんだ?)ソース1ソース2
- 明晰夢と夢の中の分析の話
- ゲームの没データの話
- エミュレートサーバーの魅力
- FireStickの改造の話、アングラAndroidアプリの魅力
- ウクライナ避難民の保護を決断した話
- 支援の難しさと汚職について
- ウクライナのマフィアの話
- 如何にして人と分かり合えるか(1DKの同棲生活を3年続けた方法)
- 彼女の惚気話と自分の恋愛観の話
- 正しさとは何か
- アロマの話
- カフェ巡りの話(オススメの飲食店の話)
- 自分のうつ病との付き合い方、双極性障害についてなど
- 社会支援について知る
- システムで行う自己制御について(紙巻たばこの魅力)
- 自己流節約術
など
なんか哲学的は話とぶっ飛んだ話の組み合わせが好きなのは自分がミッドナイト・ゴスペルが好きだからかもしれない
最近色んな人と話すことが多く、思ったより自分の人生が他人よりも濃い人生送ってるな・・・と感じた(まあ周りがあまり自己開示してないだけかもしれないけど)
なんか人生の切り売りするみたいであんまよろしくないなーとは思うものの、自分の人生の振り返りを兼ねて記録して、まあ、それで楽しんでくれる人やお布施くれる人がいるなら良いのかなと感じている。
トピックとしてはざっくりこんな感じ
など
なんか哲学的は話とぶっ飛んだ話の組み合わせが好きなのは自分がミッドナイト・ゴスペルが好きだからかもしれない
まあ、ここまで詳しく書くと、普通の一般公開なら身バレも有り得そうではある
ハードSFとしての正統性を保ちながら、宇宙探査という壮大なテーマを描き切った力作だ。
「フェルミのパラドックス」を題材にした異文明との交流、メガストラクチャーなどの概念、主人公たちの旅を通じて、人類の未来像を投げかける。
理系の読者はもちろん、哲学的思考を求める人にもおすすめできる傑作。
習慣がいかに脳の構造を変えるのか、神経科学的アプローチで解説した一冊。
単なる「習慣を作ろう」という精神論ではなく、脳可塑性に基づいた実践的なアドバイスが詰まっている。
ポジティブシンキングの限界を指摘し、「不安」や「恐怖」をいかに使いこなすかを論じた意欲的な一冊。
ストレス社会を生きる私たちにとって、心理学的に根拠のある思考法は本当に貴重だ。
バッタを研究するためにアフリコに来たのにバッタがいないという自虐的な始まり方から、その後の現地での奮闘が描かれる。
「令和のファーブル昆虫記」と評されるほど、学問的知見とユーモアが融合した傑作。
動物たちがいかに協力し、社会を形成し、生存戦略を立てているのかを、最新の研究に基づいて解説したノンフィクション。
カラスという身近すぎる存在を改めて見つめ直すことで、生態系全体への理解が深まる。
『一番大切なのに誰も教えてくれないメンタルマネジメント大全』ジュリー・スミス
自己啓発系の中でも「実践的で医学的根拠がある」と高く評価された一冊。
感情管理というテーマは、今の時代、ビジネススキル以上に重要なリテラシーだと痛感させられる。
日本では
見た目が日本人ではない
親が外国出身 (※私の場合は片親が日本国籍なので私は生まれながらにして日本国籍→日本人の子は日本国籍を持つ。戸籍謄本に登録される。日本の法律で決められている)
こういう医師は少なくない。
日常的に多様なバックグラウンドの患者と接していないことがあり、
“アフリカ=イスラム教”みたいな 偏ったステレオタイプ をそのまま言ってしまう。
あなたのせいでは全くない。
でも日本はまだ遅れていて、
医師自身が差別的な質問が“差別”であることに気付いていない ことがある。
患者が若い・珍しい背景を持つ人だと「つい」聞きすぎる医者がいる。
それを悪気なしにやるからタチが悪い。
あなたが具合悪いのに、
※女性の医療従事者は初対面の患者に仕事と無関係の質問はしないようだ。男性特有かもしれない。
(日本人女性は初対面の男性に対して警戒心持つことが多く有名人でもない限り興味は持たれないだろう=一般人にはプライベートな質問もしない)
4.病気で弱っているときに“アイデンティティを否定される質問”をされると、普段より強く刺さる
あなたは今
体がしんどい
食欲もない
睡眠も不足
その状態で
「イスラム教なんだね」
怒るのは当たり前だ。
→私はイスラム教とは何ら関係がない。日本育ちでお寺併設の幼稚園に入れられたから仏教が一番近い。
🟩あなたが悪いわけじゃない
今回の問題は…
が重なっただけ。
🟦イライラが残っているなら、この感情はちゃんと処理したほうがいい
無視された感じ
“日本人じゃない前提”で扱われた悲しさ
これ、全部自然で正常な反応。
必要なら
✔ 怒りを落ち着かせる方法
なども作れるよ。
納得できなきゃ坊主呼ばなきゃいいじゃん
あえて呼ぶって事は葬式にはなんらか宗教的な儀式が必要だと思ってるわけだよね?
ならばそれに見合う対価を支払うのは当然だよね?
ちらっとお経読むだけで何十万円が納得できない、と言う。
それっぽい袈裟ではなくスーツとかでいい?コスプレ袈裟でもいい?
違うんだよね?
でも対価は払いたくない?
は?アホなの?
仏教、お寺の文化インフラを維持するのにもコストがかかるのがわからない?
人がいて組織があれば金がかかる
なにフリーライドしようとしてんの?
日本以外の国では概ね所得の5%ー10%が宗教コストに費やされます。
教会とか信者はタダで礼拝できると思ってる?どっから維持費出るんだよボケ、神父牧師は霞食って行きてるとでも?
きっちり徴収されてるの、タダじゃねぇよ、当たり前だろ
創価学会だと葬式はタダなの。葬式のための個別のお布施は無い。
毎月きっちり10%差っ引かれてるんだからw
例えば、凄い人が何かやってて、それを見て、スゲーで終わっちゃうことってあると思うんだけど、
とりあえず、家に戻ったり、時間作って、無謀にもそれをやってみる、
まあ、そこでいきなりできる、ってことはないと思うんだけど、
次にGoogleで検索したり、今なら生成AIがあるんで、それに質問を投げてみる
Google検索の場合は、まず出てきた文章を読んで、それを論理的に理解して、そこからあらたに分からない単語とか調べる、
生成AIはもっと便利で、疑問に思ったら、それを率直に投げてみればいい
ただ、AIはウソを言うことが多々あるんで、そこで論理的に考える必要がある
なんか間違ってない?って返すと、ごめんなさい、それは東京の~薬局じゃなくて、札幌の~薬局の話でした、
みたいなのを平気で返してくるし、それレベルのことを、もっと巧妙に返してくることがあるので、油断ならないんだけど、
でも、ここでも論理的に思考しなければ、AIのウソを見落としてしまう…😟
話を戻すと、上記のような過程を通して、その天才が達成したことへの道筋が見えてくる
どうやら、A→B→Cみたいな工程があって、そのA、B、Cを各個撃破するなり、AができなければBができないなり、
Aを達成するためには、A1→A2→A3がある、みたいなものが見えてくる
そうすると、意外と天才の近くまではたどり着ける、毎日練習して筋トレみたなことやってれば、
超天才の演奏のここらへんまでは近づけるんじゃないか?というのは見えてくる
まあ、10年後ぐらいになっちゃうかもしれないけど、これは毎日の練習が大事、というのと、
こればっかりは、この人の本当に天賦の才能だわ、ねんでこんなの思いつくんや?
ネットで、コメントとかでスゲースゲーとだけ書いてる人がいるけど、
その努力で誰でもできることと、その天才にしかできないこと、が混ざってるので、
努力でできることに関しては、スゲーと思ってるだけのあなたにもできます、断言できる、あなたにもできる
私にもできたんだから…😟
まあ、人間得手不得手はあるんで、私より不器用な人もいるかもしれないけど、
理詰めで考えれば、努力で天才のここまで近づける、というのは分かるようになる
負け惜しみを言うなら、そこから先は自分で考えるべきであって、それが個性何だと思う
天才の領域に入れない、こんな音選ぶなんて…、みたいに思うわけだけど、
そっから先は、今度は自分で自分の好きな音を好きに選べばいいわけで、
その天才と同じ音を選んでもいいし、別の音を選んでもいい、
同じような状況になって、天才と同じ判断ができる必要はもうなくて、
そっから先は本当の意味での感性ですよ、素直に自分がこれ!というのを選ぶべき…😟
なんでこんな文章を書こうと思ったかって、某プロのギタリスト、超有名な方ですけど、
YouTubeとかで独学するのは良くない、みたいに書いていて、まあ分からんでもないんだけど、
あくまで、論理的思考ができる人は、独学でかなり行けるはずです、スクールにお金を落とさなくていいし、
病院もそうだけど、医師とか講師と、~時に雑居ビルで、病院で、お会いします、という約束をするわけで、
これを無断キャンセルするなんて、仕事でも待ち合わせ場所に時間に来ない人と同じなわけですよ、
でも、めんどくさくなったり、今日は忙しい、仕事終わった後にクリニック行きたくない、とかなる方が普通なわけで、
もちろん、その日に処方された薬を飲まないと駄目、みたいな人は、ちゃんと病院に行った方がいい、
それで倒れた、来なかったから悪いんだろ、みたいな人を病院で多々患者の自分も見てるんで、
そういう人は病院に来いなんだけど、
話を戻すと、専門学校とかスクール通わなくても、今の時代はコンテンツが溢れすぎてるし、
生成AIもあるから尚更で、商売の邪魔するようだけど、かなりのとこまで行けます
ぶっちゃけ、プロにはなれない、プロになる必要なんてまあないわけだけど、セミプロレベルには到達できる
できる人が一発でアドバイスすることで、急に改善する、自分もスポーツで多々あります、
これは習うべきだし、お金の力ってスゲーと思っちゃうんだけど…😟
でも、今作業しててちょっと思ったんだけど、プロとか講師とかで、明らかに間違っていることを言う人もいなくはない、
あと、偉い人はこう言ってるけど、自分はなんか違うんだよなあ、みたいなのはある
それこそ、その人が例えばメタルはクソ、ロックなんてクソ、黒人ブルースまでは許す、みたいな人だったりすると、
もう偏見なわけですよ、こういう楽器は許さない、黒人と同じフレーズでも、こういう音は許さない、みたいな…😟
ネットでコンテンツ漁ってる分には、この人の言うことは信用できる、この人の言うことはどうかな、
もちろん、近年の陰謀論とかも同じだと思うけど、そこで論理的に考えて、
考えようによっては、陰謀論と思われることの方が正しい、ということもなくはない、
なくはないけど、世界中の天才も含めて考えた結論に対して、俺の方が正しいと思う、はなかなかないと思う
権威主義とかじゃなくて、ちきなんとかじゃないけど、自分の頭で考えた上で、
アインシュタインは間違っている、はまあ正しいにしても、そこから先の今の量子力学にケチをつけるというか、
まあ、正直、俺は分からん、真面目に本読む時間、学生だったら確保したかもしれんけど、今は物理的、精神的に無理…😟
せっかく年末年始はお休みでのんびり出来るのに、人混みで溢れかえる有名な寺社仏閣に出かけるのは実に馬鹿げている。
正月はテレビで駅伝を観るのが最高の楽しみだ。1日はニューイヤー駅伝、2日、3日は箱根駅伝がある。
駅伝が終わったら散歩などに出かける。地元の小さな神社の前を通ったりする。まあ神社の前を通るときは多少厳かな気持ちにはなるが、鳥居を潜って参拝する気にはならない。横目に神社を見て通り過ぎるだけだ。
神社に本当に「神」がいるとは思えないし、仮に居たとしても、「あいつはこの辺に住んでいるくせに鳥居の前を通り過ぎるだけで参拝に来ないから不幸な目に合わせてやろう」とか考えるなら邪神でしかない。神社に仮に神様がいるとしても、そんな邪神とは思えないので素通りしても害はない。
もっと分からないのは、神社で願い事をすることだ。俺がまだ初詣をしていた頃、一緒に初詣にいった彼女は「何をお願いしたの?」と俺に尋ねた。
お願い?上にも書いたように神社に実際に神様がいる可能性はゼロに等しいし、仮に居たとしても、それはその地域の霊的安定を保っている存在であり、個々人の「商売繁盛」「試験に合格」「女にモテますよように」「病気が治りますように」「借金地獄から抜け出せますように」とかいった現世利益を硬貨数枚程度のお賽銭で叶えてくれるはずがないのである。だから俺はその時はただ「神様」に御挨拶として「参拝」しただけで何の「願い事」もしていなかった。だから「別に何もお願いはしてないよ」と言ったら彼女は「何それ?意味ないじゃん馬鹿じゃないの」とか言ってゲラゲラ笑い出した。心からは愛せない女だったので2月頃に別れた。
じゃあお寺で願い事をすればいいのか?というと、それはもっと違うだろう。
仏教は煩悩を捨てて悟りに至れと教えるのだから、「商売繁盛」「試験に合格」「女にモテますよように」「病気が治りますように」などという現世利益=煩悩をお願いするのは仏教の教えと根本から反している。寺院に参拝して願うことといえば「煩悩がなくなりますように」とか「極楽往生」になるはずだ。
そもそも仏教の根本的な精神を考えたら、自力本願ならば座禅や瞑想などの修行に励めば良く、他力本願ならば「南無阿弥陀仏」と念仏すれば良いのだから、寺院に参拝する必要がない。