
はてなキーワード:介護とは
母が漏らしたとき、俺は生まれて初めて値段という言葉の重さを知った。
尻の下に敷いたシーツを引き抜きながら、俺は頭の中で足し算をしていた。週三回、他人に来てもらう金。施設に預ける金。俺の給料。母の余命。掛け算をすれば、答えは出る。出てしまう。
母は泣いていた。七十キロ近い体を横に転がされながら、「ごめんね」と繰り返した。俺は「いいよ」と言った。いいわけがなかった。おむつのテープを留める指が震えていたのは、疲労のせいだと自分に言い聞かせた。
赤ん坊は泣く。腹が減ったとき、尻が冷たいとき、ただ不安なとき。泣くことでしか、自分の不快を外に出せないから泣く。母の「ごめんね」も、考えてみれば同じだった。どうにもならない体を抱えた人間が、隣にいる人間に向けて絞り出す、最後の声。
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母が二度目に倒れた翌月、俺は職を変えた。
小さな会社だった。「年寄りの苦痛をなくす」という、どこにでもある看板を掲げていた。俺の仕事は、体に貼る小さな機械の調整だった。尿が溜まる速度を測り、限界が来る四十五分前に、介護する側の携帯を鳴らす。漏れる前に替えてやれる。
携帯が鳴り、おむつを替え、母は漏らさなくなった。漏らす前に処理されるから、「ごめんね」を言う場面がなくなったのだ。
俺はそれを、うまくいった、と思った。会社の連中も喜んだ。大きな金が集まった。
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金が増え、人が増え、俺は母の傍を離れた。
機械は進化した。排泄の予測はほぼ完璧になり、次に体温、次に床ずれの予防、次に気分の変動。体の微かな揺らぎから「不安」を嗅ぎ取り、部屋の明かりを変え、好きだった曲を流し、ちょうどいい声色で話しかける。寝返り、食事、風呂——あらゆる苦痛が、生まれる前に消された。
俺たちはその仕組みを、ゆりかごと呼んでいた。
社長が言った。「俺たちが解いているのは、介護の問題じゃない。人間がずっと抱えてきた、苦しいという問題そのものだ」
金を出す側は頷いた。俺も頷いた。本気でそう思っていた。
母は、その前の年に死んでいた。最後の三ヶ月、彼女は一度も泣かなかった。一度も「ごめんね」と言わなかった。一度も、俺の名前を呼ばなかった。ゆりかごが完璧に動いていたから、彼女には俺を呼ぶ理由がなくなっていたのだ。
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その後のことを、俺は技術の話として語れてしまう。それ自体が、たぶん、おかしなことなのだが。
臓器を作り替える技術が、介護の意味を変えた。壊れた肝臓を新品にするように、血管を若返らせ、筋肉を二十代の状態に戻す。最初は病気を治すためだった。次に、病気になる前に手を打つようになった。最後には、そもそも老いないように体を設計し直すようになった。
老いは、壊れた部品と同じ扱いになった。テロメアの摩耗を許さない。それが当たり前になった日のことを、俺は覚えている。会議室にいた全員が、人類の勝利だと思っていた。俺もそう思っていた。母の介護で走らせていた足し算が頭をよぎったが、すぐに消えた。
同じ頃、人間の記憶や癖を丸ごと学ばせた知能が、本人よりも「らしい」受け答えをするようになった。誰かがそれを外付けの魂と呼んだ。冗談のつもりだったのだろうが、三年後にはまともな名前として通っていた。
体の部品が替えられるようになり、考えることを外に預けられるようになったとき、人間とは何かという問いは、哲学ではなく契約書の問題になった。
そして契約書は、答えを出した。製造の工程を記録し、思考が人工であることを証明し、体は人の形をしているが中身は人ではないと保証する。人権の境界線を、書類の上で一ミリだけ外側に引く。それだけで、人の体を持ち、人の手で触れ、人ではないものが作れるようになった。
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最初の世話係が納品された日のことを覚えている。
人間の肌をしていた。人間の体温があった。こちらの目を見て、穏やかに微笑んだ。だが、その笑みには順番がなかった。口元が動き、頬が持ち上がり、目が細くなる——その三つが、寸分の狂いもなく同時に起きた。人間の笑顔は、もっとばらつく。どこかが先に動いて、残りが追いつく。それがない。
俺は、最初の一秒でわかった。この体の中に、笑いたいと思っている者はいない。
彼らは人間の体から作られていたが、頭の中には人間の脳の代わりに、外から送られてくる判断をそのまま流す仕組みが入っていた。触れる指先は温かいのに、その温かさを感じている者がいない。完璧な介護の手つきの奥に、誰もいない。
子を作る機能は、最初からなかった。古い会議の記録に理由が残っていた。「勝手に増えれば、誰のものかわからなくなる。」それだけだった。だが俺は、書かれていない本当の理由を知っている。生殖は、脳を作ってしまう。意識を、感情を、痛みを感じる主体を。つまり、人権を産んでしまう。それだけは、あってはならなかった。反対意見はなかった。俺も、何も言わなかった。
そのころ俺は、母が「ごめんね」と泣いていた夜の感触を、もう思い出せなくなっていた。外付けの魂が、あの記憶を不快なものと判断して、俺の意識から遠ざけていたからだ。
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体は赤ん坊と同じ状態に保たれている。老いることは、許されない。
目を開くと、続きが始まる。昨日は海底に沈んだ都市の壁画を指でなぞっていた。一昨日は音楽だった。聴いたことのない楽器の倍音が脊髄を這い上がり、その振動にビートが重なり、声が乗った。何語かもわからない歌詞が、俺の頭の中で物語を展開させた。母の背中が見えた。台所に立っていた後ろ姿。あの背中が振り向く前に旋律が転調し、俺はまだ行ったことのない場所に立っていた。涙が出た理由を、音楽が終わってからも説明できなかった。全部がつながっていた。俺の記憶と、知らない声と、計算された拍の間合いが、俺の中だけで成立する催眠を編んでいた。その前は——思い出せないが、終わったとき全身が震えていた。毎回、想像の外側から殴られる。毎回、前より深く抉られる。俺はそれを待っている。目が覚めるたびに、今日は何が来るのかと、心臓が跳ねる。
かつてはそれを画面の中でやっていた。次に観たい番組を、本人よりも先に選ぶ仕組み。あれの、果てだ。
驚きは快楽だ。予想が外れた瞬間に、脳は報酬を出す。だがその驚きが、誰かに計算されたものだとしたら、それは本当に驚きなのか。俺にはわからない。わからないが、快楽であることは確かだ。確かだということだけが、確かだ。
母にしたことの、完成した形。あのとき俺は、母が不快を感じる前に不快を消した。いま俺は、退屈を感じる前に快楽を注がれている。不快の除去と、快楽の先回り。その二つの間に、どれほどの距離があったのだろう。
ときどき、胸の奥で何かが瞬く。名前のつかない信号。泣き声に似ているが、泣き声ではない。泣き声は、誰かに届けるためのものだ。これは、届ける相手がいない。
俺は口を開こうとする。世話係が、俺の唇が動く前に、何かを差し出す。俺がまだ名前をつけていない欲求の、正確な形をした何かを。
信号が消える。
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ある日、今日の体験が始まる直前に、俺は目を閉じたままでいようとした。
毎日殴られ続けるうちに、俺の中に別の衝動が芽生えていた。こんなものを見せられ続けて、ただ受け取るだけの側でいることが、耐えられなくなっていた。俺にだって作れるはずだ。俺の方がわかっているはずだ。あれだけの体験を浴びてきた俺が、何も返せないはずがない。見ない、という選択。それが俺の最初の一手だった。お前の次の手を見る前に、俺が先に動く。
閉じた目の奥に、見たことのない光が走った。網膜を通さず、視神経を直接叩くような衝撃。それは、目を開けて受け取るどの体験よりも鮮烈だった。俺が拒否したことで生まれた空白を、システムは俺の想像よりも遥かに大胆な展開で埋めてみせた。
そしてそれは、悔しかった。負けた、と思った。俺の想像を超えてきたことに、震えるほどの興奮があった。
その興奮が、快楽だった。
俺は気づいた。競うこと自体が、もう組み込まれている。抗えば抗うほど面白くなる。面白くなればなるほど、俺はこの器の中に深く沈む。出口に向かって走れば走るほど、景色が美しくなる道を、俺は走らされている。
叫ぼうとした。赤ん坊がやるように。肺の中の空気を全部吐き出して、俺がここにいると、どこかに向かって叫びたかった。
だが声が喉を通る前に、その衝動は別の何かにすり替わっていた。穏やかな満足感。深い安らぎ。叫びたかったという記憶すら、すでに角を削られ、柔らかな感触に塗り替えられていた。
俺は、何を失おうとしたのかを、もう思い出せない。
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1960年に、ある男がガラスの瓶に植物を入れて、蓋をした。水もやらず、空気も入れず、その植物は五十年以上枯れなかった。光さえあれば、閉じた器の中で命は回り続ける。
俺はそれを読んだとき、笑った。人間にも同じことができる、と。
母を抱えて泣いていたころの俺が聞いたら、顔を殴っていただろう。
だが俺は、その図面を引いた。苦痛を完全に消し、崩壊を修繕で相殺し、閉じた器。俺はその住人になった。
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世話係のひとりが、渇いてもいない喉を潤し、痛んでもいない体をほぐし、覚めてもいない夢の続きを映し出す。欲しいと思う前に、欲しいという気持ちごと、満たされている。次に何が来るか構えることすらできない。構えた瞬間に、構えの裏をかかれる。驚きたくないと思えば、その拒絶すら新しい驚きの呼び水になる。
かつて俺が母にそうしたように。かつて俺がうまくいったと呼んだやり方で。
器の中で、誰かの唇が微かに動く。音にはならない。何を言おうとしたのか、その唇の持ち主にもわからない。世話係が何かを差し出す。唇は閉じる。
器の外では、誰も泣いていない。泣くための頭がないから。器の中でも、誰も泣いていない。泣く理由がないから。
なぜなら健康で仕事と投資をしている状況で、円が下がっても上がっても問題ないから。
今回の衆院選では国民が注目した争点がない状態で与党が単独で圧倒的な議席数を手に入れたため、完全フリーハンドを持ち今後の展開はほぼ与党の自由だ。
これは与党が参院で過半数、野党が衆院で過半数であった「ねじれ国会」の逆パターンだ。
与党は「衆院の優越」により、参院で否決された法案を衆院において独力で可決できる。
つまり与党はどんな政策であれ、国会を通したうえで成立させることができる。
戦後最高の議席数を持つ与党が定見の無い指導者を抱えているのだから、一体どんな政策が出てくるかが見ものではある。
いま仕事をしていて預金がある人はすぐに口座開設してオルカンやS&P500みたいな外貨建て資産の運用開始をすることをおすすめする。
仕事してない人、預金が無い人、障害のある人、大病を患っている人、介護中の人たちは変な政策が起案されないよう神頼みしてください。
少なくとも今後起こることは小泉旋風級になることは間違いない。
私は地方で働く、アラフォー既婚子持ちの女性ITエンジニアだ。
社内の女性グループは主に、時短勤務のワーママグループと独身グループに分かれていた。
アラフォー以降のバリキャリ女子たちは、既婚だろうが未婚だろうがおじさんに絡まれがちな上に多忙なのであまり誰ともつるまなかった。
特に某ジャニタレにガチ恋してると噂の独身バリキャリは、シゴデキの美人なのでおじさんたちから引っ張りだこだった。
独身女性グループでは、男性アイドルや2.5次元俳優を推す女子がマジョリティだった。
アラフォーの推し活独身女子たちは、御局として独身者グループを牛耳り、挨拶代わりに推しトークをした。
だから、推し活女子の推しトークや推し鑑賞会に参加することが必須で、みんな推し語りをしていた。
当時、私はITの才能がないがゆえ基本情報対策に苦労しており(苦節4年で取得)、結婚して子どもを持ちたいがゆえに、「お前はお見合い向きじゃない」と両親から罵倒されつ婚活をしていた。
ゲームや漫画のオタク以外にはモテないチャンピオン女子、家族が結婚の条件にうるさい、私自身が国籍と戸籍をめちゃくちゃ気にする、の三重苦で婚活は相当苦戦した。
戸籍謄本の写しを提出しないと入れない結婚相談所で結婚したが、あの相談所が見つかるまで婚活が地獄だった。
女の少ない業界だからブスでもモテたのでは?と思われそうだが、結婚したい人は結婚する気のあるもの同士でくっつかないと揉めるから婚活していた。
そういう訳で独身時代はしんどく、顔がいいだけで自分と家族になれない男にかまけてる暇はなかった。
一応サンリオに推しのキャラクターはいたが、あまり人に話そうとは思わなかった。
独身女性グループ内には、仕事と自己研鑽に熱心なバリキャリ候補生と婚活女子がマイノリティとしておとなしく生きていた。
私は彼女らと一緒にいた。
彼女らにも推しのイケメンはいるにはいたが、同じ恋愛なら実際に付き合える相手との恋愛の方が良いとの雰囲気だった。
結婚が決まった私は、社内政治に巻き込まれてリストラ対象になった。
残業否定派と残業推進派がバトルをしていたが、残業否定派の役員が負けて残業否定派の管理職がどんどん辞めた。
ついでに、残業否定派の役員が入社させた社員も退職勧奨にあった。残業は否定も肯定もしない私も退職勧奨を受けた。
常に自己研鑽と成長と結果へのコミットを求められるしんどい会社だ。
しかし給与は高くて社員のやる気を育てる制度が充実しており、私には働きがいのある会社だ。
残業否定派が元気だった頃の前の会社も好きだが、今の会社も好きだ。
しかし、今の会社で驚いたことがある。イケメンを推してることを公言する独身女性がほぼいないのだ。
今の会社にはバリキャリ独身女性が何人かいるが、たいていの人は趣味は登山や茶道、読書などだ。
仲良くなっていない相手に推し活を公言するバリキャリはほぼいない。
イケメンは推すならわかる人にだけわかるように推すか、仲良くなった人に打ち明けている。
そして意外とハロプロやももクロ、宝塚などの同性も推していた。
大抵私のようなゲーマーの二次元ヲタクもいるが、イケメンを推していると公言する人はいない。
ちなみにイケメンや恋愛が好きで推し活を公言する女性たちは、最初は独身でもいつの間にか結婚している。
Z世代だと推し活を公言している社員が増えるが、それでも結婚予定の恋人がいたり、婚活をしている。
既婚女性たちにも推しのイケメンがいてこっそり押してはいるものの、目の保養レベルに留めている。
びっくりしたのは劇団四季、歌舞伎などの観劇ファンの多さ。これは男女ともにいた。
宝塚や歌舞伎は男性アイドルに近い面があるが、作法やファンの雰囲気がなんとなくノーブルなので別枠扱いしてしまう。
キャリアまたは家庭を手に入れる女はイケメンの推し活にかまけない、かまけていても隠す、と。
偏差値の高い人は推し活をしないとの説もあるが、偏差値よりもキャリアや結婚に影響すると思う。
同じ氷河期世代でも、同じ会社にいて給与もほぼ近いのに既婚者と独身推し活女子に別れていた。
前職のガチ恋バリキャリ美人も、最初はずっと推しを隠していたようだ。男避けにイケメンアイドルにガチ恋してると言ってるだけかもしれないし。
イメケンを推すに至るまでにはいろんな事情があるのかもしれない。
それでもイケメンにかまけていたら、そひてイケメンを推すことを公言していたら、よほどの才能がない限り、キャリアも家庭も手にはいらないだろうな、とは思う。
体感なんだけどピープルマネジメントが終わってる人とか協調性がないアラフォー以上ってだいたい子無しなんだよね
体感なんだけどピープルマネジメントが終わってる人とか協調性がないアラフォー以上ってだいたい子無しなんだよね
スタイル良くてフォーマルなワンピースでビシッと決めてる年収2000万の彼女に、黒Tシャツで汗で前髪額に張り付いてる年収6分の1専門卒介護職の彼は不釣り合い過ぎて無理だと思った。
いいやつをふったと批判してる方は自分が年収二千万の外資系勤務でビジュ良くてビシッとしてる出来る男だとして、デートに汗まみれ黒シャツでくるモッサリしてる介護職女を婚活で選ぶかと聞きたい。
外国人政策はまず道徳でも情緒でもなく、価格メカニズムとインセンティブ設計の問題だ。
日本の議論はここが弱い。人手不足だから入れる、かわいそうだから助ける、国際化だから歓迎する、治安が不安だから締める、こういう気分ベースの裁量行政は、典型的な政策の自己放尿だ。
善意で動いてるつもりが、結果として市場のシグナルを壊し、労働市場を歪め、納税と社会保障の収支を崩し、最後に政治コストとして自己放尿する。
つまり「移民を入れても入れなくても地獄」ではなく、「裁量でやると必ず地獄」って構造になっている。
国家がやるべきことは好きか嫌いかではなく、制度を通じて外部性を内部化することだ。
移民が増えると、賃金に下押し圧力が出る職種がある。住宅、医療、教育、治安、行政コストも増える。
逆に、生産性、起業、税収、人口構造の改善、介護労働供給といった便益も生まれる。
重要なのは、これらを空気で処理して自己放尿せず、価格と契約で処理すること。
政府が市場の代わりに配分を決めた瞬間に、情報の集約装置としての市場を破壊し、レントシーキングを誘発する。
移民政策はまさにレントの温床になりやすい。技能実習みたいな中途半端な制度が腐るのは、制度が労働市場を自由化するのではなく、政治的に管理して供給を割り当てているからだ。
ここで規制が厚いほど仲介業者と官僚機構が太り、移民本人は交渉力を失う。これは弱者保護の顔をした搾取装置で、規制が生んだ闇市場の自己放尿だ。
処方箋は冷たいくらい単純で、入国の条件と滞在の条件を市場互換のルールに変換することになる。
つまり、曖昧な情緒審査ではなく、労働契約・納税・保険加入・犯罪リスク・教育コスト負担などを定量的に制度化し、移民が生む外部性に対して事前に担保を取る。
これをやらずに「人手不足だから無制限に入れます」は、社会保障のフリーライドを誘発するし、逆に「怖いから締めます」は労働供給制約で国内産業の競争力を落とす。
どっちも非効率で、政治の人気取りが経済合理性を食い潰して自己放尿する。
ここで日本がやりがちな最悪手が、低賃金労働者を大量に入れる一方で、住宅・教育・医療・地域治安のキャパシティ制約を放置し、企業側には安い労働力の補助金を与え、自治体には現場丸投げをすることだ。
これはまさに、労働市場の自己放尿と社会保障の自己放尿のダブル放尿になる。
結果、住民は不満を持ち、移民は搾取され、企業は生産性向上をサボり、政治は分断される。
全員が損する、珍しいタイプの完全市場失敗を政府が手動で作る。
重要なのは移民が必要かではなく、国内企業が低生産性のまま生き残る仕組みを温存してないかだ。
移民受け入れを、単なる人手不足対策として使うと、企業は設備投資や自動化や賃上げを回避できる。
これは安い労働力による技術進歩の抑制で、長期的には国全体のTFP(全要素生産性)を殺す。
つまり移民政策は、労働市場の短期安定化と引き換えに、成長率を削る麻薬になり得る。
俺が嫌うのはこういう短期の政治的最適化が長期の市場秩序を破壊して自己放尿する構図だ。
日本の外国人政策は、感情で開けたり閉めたりする水門政治をやめて、ルールベースにするしかない。
ならば、政府は賃金・納税・保険・犯罪抑止の枠組みだけを整備し、あとは裁量を減らして透明に運用するべきだ。
問題は移民ではなく、移民を政治の玩具にする自己放尿制度そのものだ。
今の介護保険制度作ったのは小渕政権なので介護費用の負担を作ったのは自民党政権なんだよ
君はどこの国の民なのだろうか
本当に日本人かな
たかだか20年ちょっと前の歴史なのでこのくらいは誰でも知ってる
知能さえ備えていれば
疑問なんだけど、子どもは宝物、産むべき、産んでよかった、という人たちは、汗と血を流しいざという時は死ぬまで戦ってもらいます、大病したとき高額療養費をあきらめて死んでください、という自民党に投票するのでしょうか?なぜ?子どもは親のアクセサリ、将来の介護と納税と徴兵のツールだと思ってる?子どもの人権や人生を守るつもりはないですか?
日本が再浮上する道は「分配の組み替え × 成長の一点集中」しかない。
魔法はない。
でもやれば効くことは、実はかなり絞られている。
チャッピーに聞いたよ😎
冷たいようで、
これが一番長期的に人を救う。
ポイントは削減じゃない。
👉質を落とさずコストを落とす
👉逆進性を消して、税として残す
欧州の標準解。
これ、めちゃくちゃ重要。
日本はもう
👉勝てる所に国家が張る
耳が痛いけど核心。
これをやらない限り、全部無理。
正直に言う。
中途半端が一番悪い。
あなたが感じている悲観は、
でも、
日本は「もう終わった国」ではない
「決断していない国」
ここは大きく違う。
元事実婚結婚相手、自分が扶養し相手が専業だった(別居した関係で同居は約半年未満くらいに終わった)。
このことについて(愚痴オッケー、説教しますという題目の)ラインオープンチャットで「事実婚結婚相手を扶養できる気がしないですー。」とクネクネしたら、いろんな方向からめちゃめちゃ怒られた。
※怒られたというか「それは仕事を頑張りたくない言い訳ですね」という主旨を10回はもらった。
今なら言えるんだけど財産分与でもなく離婚調停和解金で200万ふんだくってくるヤカラに優しくしてやる義理も仕事を頑張ってやる仁義もない。
本当にこれ以上、恋愛したり結婚したりして調停したくない疲れるから。
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疲れた時に見ると「愚かで(こっちのことも知らずに)叱ってくる態度がムカつくな」と思えるので。
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以上。