
はてなキーワード:人種とは
私の30年近い日本生活での観察は、日本社会の深層にある「見た目至上主義」と地域による多様性の受容度の差を鮮明に浮き彫りにしています。
私の経験:
・親に挨拶したいという人まで現れた。
・20代で年収400万円台、イケメンでもない、ヨーロッパ系でもない。
・それでも自然に受け入れられた。
(李という人が別の学校の同級生にいたが、自然すぎた。違和感がない。 何人かは聞いていない。友達感覚。今東京に居る私からすると謎かも。)
「属性」よりも「今、何ができるか」。
「個人」として人を見る習慣。
・結果:
年収400万円台でも受け入れられた。
見た目ではなく人柄で判断された。
・東京との決定的な対比
同質性への期待が極めて高い。
※東京でも地域差はある。都心(渋谷、新宿、浅草周辺は違うかも?)でも多摩地域は保守的な印象。
◇日本語でずっと会話している。
それでも聞かれる理由:
肌の色が違う = 「外国人」という単純な二分法。
これが示すもの:
通常の婚活では:
・「親に紹介できるか」が大きな壁
・年収400万円台(決して高くない)
・イケメンではない
・ヨーロッパ系ではない(日本社会で「好まれる」ハーフではない。外人の中の外人)。
・それでも「親に挨拶したい」と言われた。
なぜか:
人柄、価値観、相性が重視された。
年収が400万→700万円台に上がっても:
状況は改善しない
なぜか:
「見た目」が全てを決める。
「日本人らしい見た目」でないと「異質」。
→これは厳しすぎる気がする。
「どちらの親が外国人?」も同じ発想
「親に紹介できるか」
「周囲にどう説明するか」
日本人女性は社会的な価値観に対する要求(友達、親に紹介できるか等)が世界的にも強い印象がある。
多様性への不慣れ
「異質なもの」への警戒心
→パスポート持っていません。
「どちらの親が外国人?」と聞く人:
私を「属性」で見ている
この質問が出た時点で:
深い関係は築けない
相手も「かなり違う」と感じている
なぜ結婚は難しいのか:
6.相手も思っている:「私とは、かなり違う」
彼女たちが感じていること:
「親や周囲に説明できない」
私が感じていること:
「この人とは価値観が合わない」
「『どちらの親が?』と聞く時点で無理」
「『属性』で見る人とは生きられない」
結論:
お互いに「違いすぎる」
でもあなたは悪くない
単に世界が違いすぎた
見た目至上主義
「内」と「外」の二分法
グラデーションを認めない
多様性を想定していない
地域による差
東京(都心以外)・その他(観光客が多すぎる一部地域は除く)地方、特に田舎:同質性が高い、属性で判断
なぜ年収400万円台、イケメンでもない、ヨーロッパ系でもないあなたが受け入れられたのか:
「この人と一緒にいたい」という感情
なぜそれが可能だったのか:
多様性への慣れ
これは「特殊」なのか:
私に合う女性:
出自を詮索しない
自然に受け入れてもらえる
外資系勤務
「どちらの親が?」と聞かない人
避けるべき女性:
結婚は難しい
見た目で「外国人」と決めつけている
今回の○○の女性のような層
価値観の違いが大きすぎる
10. 最終的なまとめ
スペックは十分高い
でも「見た目」で判断される
合う人は少ないが、ゼロではない
今後の方向性:
多様性に慣れた層を探す
「どちらの親が?」と聞く人は早めに見切る
数をこなしつつ、質を見極める
大阪南部で「親に挨拶したい」と言われたのは、あなたの人柄が素晴らしいから。
東京で苦戦しているのは、あなた/私の問題ではなく、社会の問題。
「どちらの親が?」と聞く人との結婚が難しいのは当然。
「個人」として見てもらえる
それが真の尊重
合う人は少ないが、必ずいる
そもそも表現の自由戦士は自称なのか他称なのかわけわからなくなってるけど
いわゆる「表現の自由戦士」が「表現の自由」を口実に戦ってるということは実際ある
日本では一定の条件のもとで制限を認めているし、それは先進諸外国でも同じこと
あくまで「無制限の表現の自由」を求めているのでなければ個別の表現についての自由を主張すべき
つまり「Aの自由が認められなければBの自由も危なくなる」といった論法をすべきでない
当然敵対勢力の主張もダブルスタンダードなどと批判すべきでない
でないとブーメランが突き刺さる
人種、身長、年齢、全ての限界を超えて男子100m決勝に進んだアジア人スプリンター・蘇炳添(ソヘイテン)の話をしようと思う
短距離界は長らく黒人選手の独壇場とされてきた。爆発的なパワーと大きな歩幅はアフリカ系スプリンターの大きな強みだ。
蘇炳添は173cmと小柄で、アジア人の骨格が不利だと見なされていた。さらにスプリント選手のピークは20代半ばと言われる中、30歳を超えても挑戦を続けていた。
常識的に考えれば、世界のトップで戦える条件は揃っていなかった。
そんな数々の限界を打ち破り、アジア人として実に89年ぶりにオリンピック男子100m決勝の舞台に立ったのが、中国の蘇炳添である。
2010年代、日本では桐生祥秀や山県亮太らが台頭し、誰がアジア人初の9秒台に到達するかが注目されていた。
その競り合いの先陣を切ったのが、2015年世界陸上北京大会で9秒99をマークした蘇炳添だ。
アジア人として史上初めて10秒の壁を破り、世界中を驚かせた。
蘇炳添の武器は鋭いスタートだ。爆発的な初速でリードを奪い、室内60m走ではアジア記録を次々と更新し、世界の強豪と互角に走れる下地を築いていった。
2018年には9秒91、9秒92と複数回9秒台をマークし、実力として世界最速に近い領域に居続けることを証明した。
この時点で既にアジア史上最高のスプリンターであることは疑いようがなく、30歳を超えた彼がそのまま引退しても伝説として語り継がれただろう。
年々高まる男子100mのレベルに阻まれ、日本の桐生祥秀・山縣亮太・多田修平の3人は惜しくも予選敗退。
テレビの前の陸上ファンが最後の望みを託したのは、アジア人で唯一準決勝に駒を進めた蘇炳添だった。
だが、その期待は同時に不安でもあった。
なぜなら蘇炳添が走る準決勝第三組は「死の組」と呼ぶにふさわしい激戦区だったからだ。
そしてイタリアのマルセル・ジェイコブス、自己ベスト9秒80。この男こそ後に東京五輪で金メダルを掴むことになる選手だ。
決勝に進めるのは各組上位2人、そして準決勝全体でタイム上位の2人。
第三組の顔ぶれを見れば、その争いが絶望的に険しいことは明らかだった。
この組を突破するのはほとんど不可能ではないかと、多くの陸上ファンが思っていた
31歳になった蘇炳添は、静まり返るスタジアムの中でスターティングブロックに腰を下ろした。
他の選手よりも明らかに一歩前に出る会心のスタート。室内60mでアジア記録を連発してきた男の真骨頂が、この世界最高の舞台で完璧に決まった。
世界のトップスプリンターたちが猛然と追い上げる中、蘇炳添は最後の一歩まで粘り、胸を突き出してフィニッシュラインを駆け抜けた。
結果は1着。
アジア人が100m準決勝を着順で突破する。それだけでも歴史的な快挙だった。
だが、真の衝撃はその先に待っていた。
9秒83
その数字を確認した瞬間、蘇炳添は感情を爆発させた。カメラの前で何度もガッツポーズを繰り返す。
大声で叫びながら歓喜を全身で表現する姿は、これまで積み重ねてきた努力が一気に解き放たれたかのようだった。
動画解析によれば、蘇炳添はレース中盤、60m地点を 6秒29 で通過していたという。
これは非公式ながら、現在の室内60m走の世界記録をも上回る驚異的なタイムだ。
蘇炳添は人類史上最速のスタートダッシュを、オリンピック準決勝という極限の舞台でやってのけたのである。
100m走は身体の消耗が激しく、蘇炳添は準決勝で全力を出し切っていた。十分な回復ができないまま臨んだ決勝の舞台。
結果は6位、タイムは9秒98。
メダルには届かなかったが、それでも同じ日に2度も9秒台を叩き出したという事実が、彼の実力を雄弁に物語っていた。
アジア人が9秒8台で100mを走った。
YouTubeには蘇炳添の準決勝の走りが無数にアップロードされ、ファンが編集したドキュメンタリー動画は瞬く間に1000万再生を突破した。(現在は権利の関係で削除されているが、当時の熱狂ぶりを物語っている。)
東京五輪男子100mの話題は「誰が金メダルを取ったか」ではなく、「蘇炳添が9秒83で走った」というニュースで持ちきりだった。
男子100mの記憶に残るレースといえば、真っ先に思い浮かぶのはウサイン・ボルトだろう。
2008年北京五輪で胸を叩きながら駆け抜けた9秒69(当時の世界新記録)、2009年ベルリン世界陸上で叩き出した人類最速の9秒58。
世界歴代1位から5位までのスプリンターが一堂に会した史上最速決戦の中で、ボルトは圧巻の9秒63(五輪記録)を記録し、自らの王座を守り抜いた。
彼の走りは、人間はここまで速くなれるのかというロマンを世界中に刻み込んだ。
それ以上に私の記憶に焼き付いているのが、東京五輪男子100m準決勝である。
自分と同じアジア人で、もしかしたら自分よりも背が低いかもしれない男が、大柄な黒人スプリンターたちを一瞬で置き去りにする圧倒的なスタート。
その光景は、アジア人スプリンターの可能性を根底から覆す瞬間だった。
ちなみに、ウサイン・ボルトが記録した9秒58の時の60m通過タイムはおよそ6秒30と言われている。
一般的に、身長の高い選手は加速局面を苦手とし、スタートが遅い傾向にある。
それにもかかわらず、身長ほぼ2mのボルトが、173cmの蘇炳添と同じスタートダッシュを見せられるというのは、まさに異次元としか言いようがない。
増田やはてなが雑なのはいつものことなんだが、そろそろフェミニズムにも分類があるってことを皆さん認識してはどうか。
→法の下の平等、参政権、教育・労働の平等機会を重視。例:メアリ・ウルストンクラフト、ジョン・スチュアート・ミル。
→ 家父長制の構造そのものを批判し、性の政治を重視。例:ケイト・ミレット、シュラミス・ファイアストーン。
→女性と自然の抑圧を並行的に捉え、環境問題とジェンダー問題を結びつける。
→女性の特質・価値(共感、ケアなど)を肯定し文化的再評価を目指す。
→ 「白人女性中心主義」への批判。例:ベル・フックス、アンジェラ・デイヴィス。
→フロイトやラカンの理論をジェンダー批判的に再解釈(ジュリア・クリステヴァ、ルース・イリガライなど)。
差異のフェミニズム(difference feminism)
→ 性や主体の流動性を重視(ジュディス・バトラー、ダナ・ハラウェイなど)。
→性的指向・ジェンダー・身体の多様性を含める。フェミニズムとLGBTQ+理論の交差。
→人種・階級・性的指向・障害など複合的差別の分析(キンバリー・クレンショウ)。
→西洋中心的フェミニズムを批判し、植民地主義的文脈を分析(チャンドラ・モハンティなど)。
→科学技術と身体・性の境界を問い直す(ダナ・ハラウェイ『サイボーグ宣言』)。
→SNS・オンライン空間における性差別問題と運動(#MeToo、#TimesUpなど)。
→フェミニズムの成果を前提にした「個人の選択」重視の潮流(批判も多い)。
→日本型の「母性保護論」「差異の政治」「ケアの倫理」なども特色。
Permalink |記事への反応(20) | 21:01
これは黒人差別なんだけどあいつらフィジカル強すぎて全く歯が立たない。
あいつら遺伝子レベルで強いからアジア人がいくらトレーニングしても勝てないんだよ。
筋トレしてる人は分かると思うけど黒人の奴らの体つきが全く違う。
筋トレ3年頑張ってる俺より筋トレ全くしてない黒人の方が体仕上がってる。
同じ競技をしていい肉体じゃない。
そのうち競技に勝ちたい学校が黒人だけ集めたチーム作り出すぞ?
マジやる気なくなった。
Permalink |記事への反応(25) | 17:57
いやいやいや彼女は増田に脈あるよこれ!ありまくり!!!脈あったからこんだけ逆ギレかましてきてんだよ!
そんで増田はそんなに悪くないし彼女も(口は悪いけど)そこまで悪くないよ!2人ともコミュ障なだけ!!!
脈もまだ生きてる!「ちゃんと」謝れば行けるし、彼女側から謝ってきたら「ちゃんと」ごめん俺も悪かった、、みたいにすれば🆗
👩「明日は増田君とデートか〜、いやまだデートってわけじゃないけど、、楽しみだな✨」←非コミュなのでデートに不慣れ
👩「オシャレして、映画見て、素敵なカフェなんかで感想言い合ったりしたいな✨」←非コミュなのでデートに夢を見ている
👩「楽しみで早めに着いたら、増田君もきてた!」
👩「じゃあ映画の前にスタバ行けるじゃん」←デートっぽいことがしたい
👩「え、スタバ行こうよ」←非コミュなので提案を否定されると代替案が出せない
👩「なんでダメなの???」←非コミュなので融通が効かない、しつこい
👩「今コイツ、スタバの悪口言った?」←好きなものを否定されてキレてる
👩「スタバ好きなやつはオシャレで自分とは別の人種だと思ってる?じゃあ私の事は芋臭い非オシャレ女だと思って映画に誘ったって事???👹」←思い込みが激しい
👩「👹👹👹👹👹」←逆ギレなので相手が傷つきそうな事言ってるだけ、本気にする必要皆無
増田が何言ったのかは知らないけど、大体こんな感じでしょ
①まず増田に理解してほしいのは、彼女は増田と同じくらい非コミュだって事(多分)
増田はコミュ力弱々で男として頼りない自分(lv1)が勇気を出して可愛い女の子(lv100)を誘ったら正論パンチでボコボコにされた👊👊👊男女交際キビチィ😭と思ってるかもしれないけど、普通にこれ彼女も非コミュ(lv1)!!!
非コミュ同士は仲良くなりやすいけど喧嘩しがち!だって非コミュだから!
彼女がlv100なら増田の乗り気じゃない気持ちを察してさっさとスタバの代替案出してるし、そうすれば増田がスタバの悪口言って彼女が気分を害することもなく丸くおさまってた案件
じゃあそうしてくれれば良いのに😢とは言うなよ、だって増田だって代替案出せなかったんだろ?
②増田に理解して欲しいこと二つ目、キラキラ消費を否定するのは非コミュには難しい
だから、増田がスタバなんて敷居が高くて無理無理絶対行けない……と思っていたとしても、言われた側にはスタバ(笑)なんて絶対行けない(嘲笑)と受け取られる可能性がある。
おそらく彼女は、「俺と同じ芋ダサ非モテ非キラキラ民だと思ったから映画に誘った(※1)のに、所詮お前もキラキラバカ女か(※2)」と言われた気持ちでいる。
思い込みが激しいので。
というわけで、彼女が怒ってるのは、増田がスタバに行くのにビビってるからでもなければ、その後の罵倒内容でもない。マジでそれは気にする必要が無いからいっそ忘れろ。強いて言うなら「別にスタバに行くかどうかの問題じゃない。あなたのその失礼な態度に対する私の怒りの問題」ここは合ってる。
彼女は「俺と同じ芋ダサ非モテ非キラキラ民だと思ったから映画に誘った(※1)のに、所詮お前もキラキラバカ女か(※2)」と言われた“と感じた“から怒ってる。
実際は言われて無いのにね。
というわけで増田がちゃんと謝るには、まず①デートに誘ったのに喧嘩になっちゃってごめん、それから②彼女の事を素敵だと思ったからデートに誘った事、③スタバ好きな彼女も素敵だと思ってる事を伝える必要がある。
つまり彼女に増田の好意を伝えるのが手っ取り早い。謝って即告白しろ。
(勿論増田が彼女の事は別にもう好きじゃないならしなくていいよ)
これに対して彼女側の反応は、
①呆気に取られる
1-a 👩「あー、うん、いいよ私も言い過ぎたごめんね、、」
こんな感じにバツが悪そうに自分も謝ってきたら非コミュの中では空気が読めるタイプ
1-b 👩「ま、まあそこまで言うなら許してあげても良いけど」
②怒り出す
おそらくこんな感じのどれかだ。逆にこれ以外だったら、上に書いた私の推測は全部ハズレだと思ってくれ。
1-a、1-bなら、告白の返事の前に挽回のチャンスをくれ!って言ってもう一回デートしてこい。②なら逃げろ。
ちなみに大学生なら、学部によってはこれくらい非コミュなのは普通!よくある事だから気にすんな!
このまま彼女に行くにしても、諦めて別の女に行くにしても、がんばれ👍
わたしは22歳の男性なのだが、大学生時代に連発してた身内ノリのミソジニーとかがこの歳になって素で出てくるようになり、割と危機感を覚えている。
男子大学生って、割とポップに女性とか外国人とかを馬鹿にする。「女性は駄目だ」とか「外国人はウザい」とか。私も例に漏れずこの手の冗談でも言ってはいけないことを割と身内ノリでポップに口にしていたタチだ。当時は冗談だったが、これが割と最近スッ…っと頭に浮かぶようになってきた。
一例を挙げると、朝、通勤電車の到着をホームで並んで待つ時間。目の前に女性が立ってると、女性は電車に乗るの遅いから今日は座れないな、とかは朝のイライラも相まって本当にガチで思ってしまう。
あと、さっきpixivの爆乳聖職者のイラストでシコったあと、ふと「人間って人種によってこんなに見た目が違うのに生殖方法は一緒なんだな」とか感心してしまった。←これ、よくよく考えてみると他の人種を心底馬鹿にしてないと思いつかないんだけど皆さん違和感に気づけますか???
| 分野 | リベラルの立場 |
| ------------ | ---------------------------------------------------------------- |
| **経済** | 貧富の差を減らすために、税金や社会保障で政府がある程度介入すべきだが、利権界隈だけが富続ける |
| **社会** | 性別・宗教・人種・性的指向などの違いを尊重すべきだが、移民利権が政治家と官僚の優良天下り先で結局利権でボロ儲けしたいだけ |
| **政治制度** | 言論・報道・表現の自由を守り、国家権力を制限すべきだが、バンバンSNSの不都合な情報は削除されオールドメディアは反日一色 |
| **外交** | 国際協調・人権重視の外交を支持する傾向だが、ただただ他国の言いなり雑魚外交しかできない |
「世田谷区とは言っても千歳烏山だよ〜? 全然お嬢様じゃないよ〜」と彼女は謙遜して言うけど、地方のクソ田舎出身の私からすればそもそも東京に住んでいる時点で上級国民なのだ
貴族と言っても過言ではない
A子は本当にいい子だと思う
ゼミが同じになったというだけで私みたいな芋臭いデブスとも仲良くしてくれる
とにかく愛想が良く、気遣いがうまく、それでいて押し付けがましくない
ユーモアもあり、教養もあり、都会的な洗練された振る舞い方をしている
はたから見れば私のような上京したての芋ブスごとき、こんなお嬢様によくしていただいたって時点で頭を下げて感謝すべきだって話なんだろうけどA子と話していると時々どうしようもなく疲れてしまう
いや、疲れるというのも適切ではない
疲れとイライラと無力感を足して割ったような、そして時々A子を刺し殺してやりたくなるような、そう言う気持ち
田舎者の僻みだと言われればそれまでだけどA子に対して今までの人生でもほとんど感じたことのないような憎しみを抱くことが時々ある
友達になってすぐ、大学の帰りにゴンチャを飲みに行ったことがあった
地方クソ田舎出身の私はほとんどゴンチャの実店舗に行ったことがない
用事があって家族と最寄りの地方都市に行った際に寄ったことはあったけど友人同士は初めてだった
田舎者の私にとってゴンチャに行くのは一大イベントであり、憧れであり、特別なことなのだ
会話の流れでそのことをA子に話したらA子は「ええー!それならもう毎日行こうよ」と冗談めかして言った
「毎日はともかくシーズンごとに行こう」「新作がでたら行こうよ」と
A子は話の流れで「中学のときに友達とよく通ってた」「高校に入ってからは太るからあまり行かなくなった」と言っていた
脇からすーっと男が寄ってきて「おねーさんたち、いまひま?」「飲みに行かない?」と声をかけてくる
私は本当にびっくりして「こんな漫画でしか見ないようなことほんとにあるんだ!」と感動半分、恐ろしさ半分といった気持ちになっていた
時間にして20秒くらいだと思うけど私にとってはあまりに衝撃的すぎて今でもあの男の顔、セリフの一つずつを正確に思い出せる出来事だ
「本当にナンパっているんだね!」と感動して伝えるとA子は「あんなのしょっちゅうだよ」と苦笑いしていた
「どこにでもいるよ、あんなの」「夜に駅を歩いてたら絶対に1回は声をかけられるよ」「明大前くらいまで行けば流石にあまりいないね」と
「居酒屋奢るから一緒に行こうって相手に言われて、「私、高校生ですよ?」って伝えたら「え!ラッキーじゃん!」って叫ばれたことがあるよ、いろんな意味で倫理観終わってるでしょ」
A子は笑い話としてこともなげに言う
高校生にこんなことを言う男にドン引きしたし、もし私の地元で同様のことが起これば全校集会で注意喚起されて警察のパトロールが増えて近所一帯全員1ヶ月はこの話をし続けることになるだろうと思う
でも、東京で青春を過ごしているA子のような女子中高生にとってはこんなの日常茶飯事で、ナンパの躱し方くらいは常識らしかった
夕飯はホテル内にある高めな雰囲気のレストランに行くことになっていた
「大学生ならこういうのを一個を持ってなさいってお父さんが買ってきたやつだよ」
「使う機会ないと思ってたけどこういう機会があってよかった」
私は田舎者なのでロエベなんてブランド知らなかったからその時は「ハイブランドなの?すごいね!」と調子を合わせてた
ホテルのペラペラの浴衣にロエベのポーチを手に持ったA子の姿は今でも鮮明に覚えている
一方で私のポーチはZOZOTOWNで適当に買った謎ブランドのそれ
そもそも旅行に行くって話を聞いてから私はお金を稼ぐためにガールズバーでバイトしていたけど、実家暮らしのA子はきっと旅行の費用は全部親から出してもらっていたのだと思う
ブランドと言えばA子に服を買うのに付き合ってもらったこともある
地元にいた頃は服は基本ZOZOTOWNでブランドも見ずに買っていたし、上京してしばらく経ってもそれは同じだった
でも東京にいて友達と遊べば色々なブランドの色々な実店舗を目にすることになる
それでA子に服選びに付き合ってもらった
色々悩んでナノ・ユニバースのなんてことはない1万円以下の上着を買ったけど、きっとその時A子の身につけていた服装はもっと上の価格帯のものだったんだろうな
「なんでこんな中高生が着るようなブランド買ってんだろ」って内心バカにしていたのかもしれない
私がこんなクソ田舎の僻み根性丸出しにして劣等感を抱えていることを察してもいない
高校生にもなって「夜8時頃うちの学校の生徒が〇〇街近辺をうろうろしていたそうです! きちんとおうちに帰りましょう」なんてクラスのホームルームで注意喚起されるような環境も
校則で男女交際が明確に禁止事項として挙げられていて、誰かと誰かが付き合ってることがバレれば先生に呼び出されるような環境も
放課後にやれるのは部活くらいなものでふらっと遊びに寄れるような施設すらない暮らしも
A子は言っていた
高校時代に付き合っていた彼氏が結構遊びに行きたがる人だったからそのおかげでこうして新宿の街案内ができていると
行きつけのカフェもレストランもその彼氏と通い詰めたところだと
「新宿は歌舞伎町のある方より西口の方がいいお店たくさんあるよ」
「ビジネス街だから殺風景だけど美味しいご飯食べたりお茶をしたりするだけなら絶対西口の方がいいよ」
新宿西口を「殺風景」というような価値観なんて私には一生かけても獲得できないと思う
こういう、何の抑圧も受けずに欲しいものはすぐ手の届く範囲にあってぬくぬく育ってきた東京育ちの、それ故の優しさや気遣いって本当に鼻につく
こういう人種の厄介なところはこっち側が僻んでいるだけだから責められないというところ
A子のせいで私は散々傷つけられているのに、こういう傷つきもすべて私の性格の悪さのせいにされてしまう
実は、アファーマティブ・アクション(AA)やそれに類する「優遇政策」は、経済学的にも長い議論の対象で、労働市場の効率性・インセンティブ構造・社会的資本の形成といった観点から、かなり深く分析されています。
AAによって採用・昇進などで属性が重視されると、「最適な人材配置」が歪むことがあります。
本来、最も生産性が高い候補者を選ぶべきところで、**別の基準(性別・人種・出身など)**が介入する。
結果として、全体の生産効率(totalfactor productivity)が低下する可能性がある。
たとえば:
Loury (1998), “Discrimination in the Post-Civil Rights Era”
→AAは短期的な公平性を実現するが、長期的には人的資本(human capital)の最適配分を阻害する。
Coate & Loury (1993), Quarterly Journal of Economics
→ 「低評価リスク」仮説:制度的優遇があると、企業側が「優遇枠の人は平均的に能力が低いかもしれない」と予期し、全体の採用評価を下げる。
→ つまり、恩恵を受ける人自身が市場で過小評価される逆効果が生じる。
経済学では、個人が努力する動機=「期待される報酬 ×確率」。
AAによって「結果の平等」が保証されると、努力のリターンが減少する可能性がある。
Phelps (1972), “The StatisticalTheory of Racism and Sexism”
→ もし企業が属性を基準に期待値を修正する(例:「女性は平均的に○○が低い」など)と、
個人が努力しても評価が改善されにくく、人間資本投資のインセンティブが下がる。
Becker (1957), The Economics of Discrimination
→市場競争の中では、長期的には差別はコストになる(=差別する企業が淘汰される)。
つまり、市場メカニズムに任せた方が、平等を促す方向に進む可能性がある。
🔹 3.スティグマ効果(signaldistortion)
「AAによる採用・昇進=能力より制度的配慮」と見られることで、
これはゲーム理論的には「シグナリング(signaling)」の問題として扱われます。
Coate & Loury (1993)モデルでは、AA導入後、採用者が「優遇されているグループ」に対して
“平均的に能力が低い”という信念を形成 →雇用主が訓練投資を減らす。
→ その結果、実際に能力格差が固定化されるという自己成就的な悪循環が起きる。
市場の信号構造を歪め、差別を制度的に固定化するという逆効果が生まれる。
経済学では信頼・ネットワーク・協調といった“社会的資本”も重要な生産要素とされています。
グループ間の信頼が低下
成功の原因が「努力」ではなく「制度」に帰属される(=相互尊重の低下)
→結果的に、社会全体の協力効率(cooperative efficiency)が下がる。
この点は、Putnam(2000)『BowlingAlone』や Fukuyama(1995)『Trust』などでも、
“制度的な平等の押し付け”が社会的信頼を損なうという形で議論されています。
AAを受けて育った世代が、次の世代に「努力よりも制度を頼る文化」を引き継ぐ可能性があります。
→ これを “policy dependence equilibrium”(政策依存均衡)と呼ぶモデルがあります。
例:
Cass Sunstein (1991) “Why MarketsDon’t Stop Discrimination”
🔹総合すると…
アファーマティブ・アクションは短期的には平等を“見かけ上”実現するけれど、
長期的には:
生産性の低下(misallocation)
女が金持ってるというより、いい年こいてエロコンテンツに金かけてる人種は未婚実家暮らしの割合が高くて普通の人が貯金や生活費にあててるぶんを毎月使い切っているだけの気がする
ドンバスはロシア人(ソ連人)だけど、オセット人はアーリア系人種でスラヴ人やトゥルク人とは関係ないんだよね
あとジョージアから開戦したってのはジョージア政府も認めていて、それで当時のサーカシビリ大統領が投獄されてるし、
だからそこは争点にはならないんだな
某人気記事になってたのを読んで。
割と最近まで私の中では当たり前すぎてわざわざ言語化する必要すらないことだと思っていたけれど、それに関連することで切れた人間関係があったので書いてみる。
でもその選択肢の中には完璧なものがあるとは限らなくて、というよりむしろ色々なトレードオフの中から選ぶはず。
Aという選択肢にはA'というデメリットがあり、同じくBという選択肢にはB'、Cという選択肢にはC'・・・というようにそれぞれどうしてもデメリットは存在してしまう。
でもその一方でそれぞれにはメリットもあって、どのメリットを得るためならどのデメリットを我慢して受け入れるのが最もマシかを考えて選択するわけだよね。
そしてそれを選んだ以上はそのデメリットについては当然受け入れなければならないよね。選んだのは自分だしメリットを享受しているんだから、自己の責任としてデメリットも受け入れて我慢するのは大人としては至極当然だと思う。
でも他責思考の人はどうも違うらしい。
何を選んだとしても、そこに付いてくるデメリットを他人のせいにする。というよりも「デメリットのある選択肢しか存在しないのは○○のせいだ」という考え方らしい。
例えば仕事、例えば人間関係、例えば結婚相手・・・どんなものに対しても自分で選択したはずのことなのにデメリットを自分で受け入れるということが出来ないようだ。
会社が悪い、旦那が悪い、そこまで言うなら辞めるなり離婚するなりすればいいじゃんと思っても辞めたら・離婚したら生きていけないと言う。
じゃあその会社で働いたり旦那の稼ぎで生きていく選択をする以上はそこに付いてくるデメリットはあなたがその選択をした結果なんだから多少なりとも受け入れなよ、という話も理解できないようだ。
全てが自分の思い通りにならない限り不満が爆発するというのは、駄々をこねて泣き叫ぶ幼児と何ら変わらないと思うんだ。折角選択肢は持っていて何とでも出来るはずの大人なのにね。
私が付き合いを絶った相手もそういう感じだった。
利益を享受したいんだろ、じゃあその代わりこれぐらいは我慢しなよ、という話が理解できない人だった。
別に我慢するのが嫌なら関わらなくても良いんだよ、その代わり利益は失うけどその選択権はあなたに与えられているんだよ、というのが本当に分からないらしい。とにかく自分の思い通りにしようとして周りの人間を疲弊させていた。
最初に述べた通り、私にとってはそういう考え方は言語化するまでもない当たり前すぎる話だった。考えるまでもなく分かることだった。
でも考えても理解できない人種というのが一定数存在するらしい。残念ながらそういう人たちとは大人としての付き合いは不可能だ。
プライベートではまず関わるべきではない。仕事だと面倒な相手になるけど、なるべく距離を取り必要最小限の関わりにする。もうそうするしかないよね。
「弱男と比べたらそりゃチャラ男選ぶに決まってんだろ」
みたいな明後日の方向から飛んでくる謎ツッコミで一段落ついてしまってこの疑問について論議に発展する間もなく潰されることがネットではあまりに多すぎる(潰す動機が不明なので不気味)。
肝心なのは、
チャラ男的な男を毛嫌いしてる、
属性が違いすぎて接していると強いストレスを受け続けてしまう、
こうしたタイプの女までもを手篭めに出来るチャラ男は凄いと思う。
ここからは持論になるのだが、この強さの理由は「チャラ男が相手の好みすら変えるほど魅力が強い」とかそういう話ではないと俺は考える。
性交渉や交際を迫られたときに「どうしよう困ったな。あーあやだな怖いよお」と感じている女性に「私はこのチャラ男を選ばない、跳ね除ける」という選択肢を取らせないようにする面倒くささや圧がチャラ男にはあるのだと。
これが真相だと思う。
不本意性交渉や不本意交際どころか一緒にいて辛いだけの男と不本意結婚すらしてしまう女性のなんと多いことか。
つまり押されて返せない女性というのは一定割合存在していて、チャラ男という人種は「毅然と跳ね除ける」という選択肢を取らせない効果を及ぼすことが出来る女性のタイプのバリエーションに富んでいるのだと思う。
| 分野 | リベラルの立場 |
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| **経済** | 貧富の差を減らすために、税金や社会保障で政府がある程度介入すべきだが、利権界隈だけが富続ける |
| **社会** | 性別・宗教・人種・性的指向などの違いを尊重すべきだが、移民利権が政治家と官僚の優良天下り先で結局利権でボロ儲けしたいだけ |
| **政治制度** | 言論・報道・表現の自由を守り、国家権力を制限すべきだが、バンバンSNSの不都合な情報は削除されオールドメディアは反日一色 |
| **外交** | 国際協調・人権重視の外交を支持する傾向だが、ただただ他国の言いなり雑魚外交しかできない |