
はてなキーワード:京都弁とは
厳しい言い方をするが、それは「はっきり言いたくないことを相手が察してくれない」という愚痴の域を出ていないと思う。「下手に断ると危害を加えられるかも」なんてのも具体的に懸念する理由がなければ邪推と言われても仕方のないものだ。
もう「そういうの迷惑です」とはっきり言うべきなのだろうか。それで仕事がやりにくくなったり、最悪、自意識過剰な勘違い女と評判を立てられるリスクを、私の側が負わないといけないんだろうか。
不動産だの宗教だののうざい勧誘だって、あなたが明確に断るまでは向こうにだってその権利がある。それが社会のルールだからだ。
性別関係ない。セクハラとパワハラの文脈置き換えれば普通に男でも同性間でもある話。
私は男だが、新婚当初にやる気のしないブラック案件にアサインされて病みかけたことがある。なぜアサインされたかというと、私がその案件を始めたリーダーに対して愛想笑いを続けてたからだ。リーダーは熱を入れていた案件だったが私としては筋が悪いと思っていて、京都弁で言うところの「えらい難しいこと考えはりますなあ、おきばりやす」的な反応してたつもりだがそのリーダーには全く通じなかった。
いつのまにか私は賛同者ということにされてその案件に組み込まれていた。むしろそのリーダーは私が一緒に熱狂してると勘違いしてたようで、終電までやらないと終わらないくらいの仕事を積んでくるようになった。何かあるとやる気を見せろと毎日のように罵倒(親しい間での叱咤激励のつもりだったのだろうと今にして思う)するようになった。そして「プライベートを犠牲ににしてでもやるというところを見せてほしい」(原文ママ)と言われた。
その結果私は新婚旅行にさえも行き損ねかけた。結局、その案件を抜けられたのは、一区切り付いて最低限の義理を果たした後でリーダーのそのまた上司に直訴してからだ。身も心も病みかけていた。
さて、この話で非難されるべきは誰か?その勘違いしたリーダー?それは間違いではないかもしれない。でも私に非がないと思うか?
そんなことはないだろう。私も情けないと思ったのではないか。その通りである。
実際、愛想笑いして婉曲に難色示すだけで明確に拒絶しなかった私に第一の非があると言わざるを得ない。実際、上司は私の直訴を聞いて私をその案件から外したわけで、すべきことをしている。逆に、上司とて私からの直接の訴えがなければ動けなくないか?その案件に関わっているのは私の意志だということになっていた(少なくとも私はそれを明確に否定しなかった)のだから。
この件は明らかにお偉いさんが私に対する距離感覚がバグったことの問題だ。ちょうどあなたとそのおっさんの件と同じだ。しかし私は大人なのだからそれを明確に意思表示すべきだった。好きでもないのに親に勉強やスポーツを強要される教育虐待被害者の子供とは違う。そうではないか?
あなたも同じ立場ではないか。愚痴る気持ちはわかる。変な人に絡まれるしんどさはわかる。同情はする。
しかし、自分が明確に意志表示する責任から逃れてはいけない。難しければ同僚や上司のような第三者を入れてもいいから、誤解の余地なく拒絶の意志を明示すべきだ。ハラスメントだの何だのというのはそこから先の話だ。
耳に心地よいネット上の甘言に乗せられてはならない。甘言の主があなたに囁いているものは「察してもらえないのはハラスメント」という言い分だ。そんなものは明らかに間違っている。
つーか、
ありとあらゆるものが壊せるのが気持ちよくて全然ストーリーチュートリアルのステージですら壊すのが楽しくて先に進めたくないのよ。
実際には進められない。
梱包するときにクルム伊達公子さんじゃない方の包むプチプチあるじゃない。
なので、
私はまだチュートリアル的なこれから冒険始まるぞ!ってところから抜け出せてないわ!
いい加減全部壊しきれないので
しぶしぶ次のシーンに進めるって感じね。
それまでの私のドンキーコングの新しいものに対しての印象はこうよ。
新しいSwitch2のドンキーコングのゲームが出るいや出たんだけれど。
ドンキーコングなんてって
「なんて」って言ってしまいがちなほど私は海のものか山のものか分からないその、
いやそのキャラクターはゴリラっぽいからきっと山のものかも知れないし、
でも海バナナがあれば美味しく食べたいと思う気持ちはあるかも知れないの。
本当に正直これって面白いの?
かと言ってそれで面白いの?とは私はそう思えないの。
そして、
ドンキーコングという私が持ち合わせている思い出は知っていることは一切ないの。
でも、
定食屋さんで「ドンキーコング定食」があったら頼んじゃいそうこれは間違いないわ。
きっとスタミナがつきそうなやつかデザートは定番のバナナかも知れないし。
だから余計にこれに手を出してしまっていいのかしらって思うほどSwitch2の対応ソフトが少ないので、
しゃーなし勢いで買ってみたい1本ではあるようなゲームソフトだわ。
面白さ未知数。
面白いのかどうかもまだ分かんないところ。
決して可愛いとは言えないじゃない?
スーパーマリオの映画で見たドンキーコングとマリオが一騎打ちで荒川の土手で戦って、
その荒川の土手で二人ひっくり返って、
おまえ強いなって言い合ってて日が暮れて沈んでいく夕日。
そして夕日に向かって二人ダッシュマリオの方はBダッシュして昨日の敵は今日の友的な感じな映画での思いで鹿ないのよねコングなのに鹿よ。
うーん、
どう私をひっくり返してもドンキーコングのことは棒にも箸にも引っかからないわ。
ドンキーコングよ。
ケロッグコーンフロストのもう我慢できない!でお馴染みのケロッグコンボのことしか知らないわ。
だから、
私的にはこの『ドンキーコングバナンザ』のバナンザって言う意味ですら「幸せなバナナ」だなんてことも知らなかったそんなバナナ!だなんて絶対に言わないけれど、
そのぐらいバナンザ。
って言うことを全部払拭するぐらい、
私たちはいや私はドンキーコングのことなんて知らなかったけれど、
それでも、
そして、
ただただ壊すだけじゃなくて、
正直このアイテム?の効力もよく分かってなくて集めている金色のよくいうゴールド的なもの?が
適度に壊し続けていくと溢れ出てくるので、
それを回収、
そして破壊の繰り返しで延々と止められないの!
私のコングがもっと輝けと止まらないわ!ってドンキーが囁くの!
ドンキーコング避けをしてる人がいたら、
だから、
そこですら広すぎて全部壊しきれないのよ!
爽快!
そんで、
他の仲間もときおり登場してるんだけど、
フィールドにいて縦横無尽にドンキーコングはぶん殴り続ける仲間も殴っちゃうか!ってモーションするんだけど、
仲間の近くでは
仲間とイェーイ!ってやるところが笑っちゃうわ。
だからイェーイ連打よ!
そこ普通に仲間をぶん殴るんじゃなくて平和にハイタッチしてて笑えるわ。
あとなぜかみんな関西弁?
京都弁なのかしら?
そんな風でしゃべるの。
というか、
最初の練習のステージからして全部壊そうとしても無理すぎる量!
いや抜け出したくないぐらい。
でもこの最初っから全部壊そうとしても相当な時間がかかりそうなので、
作り手の
全部壊せるならね!ってこの量つーか多すぎ!
壊しきれないわ。
もうさ、
いい加減壊し続けていてもお話が延々に始められないので、
渋々次の場面に移動して移るんだけど、
そこで一旦中断!
初めて冒頭でこれだから
良い意味で先が思いやられるわ。
きっとドンキーコングだからってドンキーコング避けしている人がいたらもったいないかも。
そんでさ、
いうならばスキップしがちであったりもするじゃない。
しないの。
全部壊していくのが楽しいの!
そんで、
さすがに限度があるから一応は壊せない境目があって、
そこパンチしても、
ガビーンって硬直したりしなくて、
ペナルティーもないので、
爽快にどんどんパンチとか上パンチとか下パンチとか繰り出して、
そのチュートリアルの場面でずっと暮らせる感じ。
全然違って、
もうさ壊しきれないの。
作り手からのこれは挑戦状よね!
それと、
さすがのドンキーコングかあってか、
パンチゲージのパンチの体力みたいなのが無いからパンチが弱まったり
止まらないの!
延々と壊せるわ。
なにこれ?爽快なんですけどーって。
というか、
これたった30分やっただけの印象よ。
いい加減キリが無いから
最初の練習の場面から次のいよいよ冒険が始まるぞ!ってところまではさすがに進めたんだけど、
次はそこから再開!
良い意味で先が思いやられるわ。
時間が溶けそう。
スプラトゥーン3やNIKKEのデイリーミッションにただでさえ追い込まれているのに、
なんなのかしらね?
上手く説明できないけれど、
ざくざくパンチで切り開いていくのが言葉では単純に聞こえるけど
いや、
ドンキーコング恐るべしだわ。
つーかこれまだ30分しかやってないしね。
ワクワクするわね。
うふふ。
よく冷えてて美味しく朝から水分補給にシュワシュワで朝の目覚めよ。
水分補給はしっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
去年のことなのだが、一国一城の主になることができた。
昼と夜に営業する飲食店を開いた。若い頃から、ずっと関東地方にあるレストランで修行してて、いつかは自分の店持ちたいなー、と思ってた。先輩方は30代後半までにお店を起こす人が多かった。出遅れた感はあるけど、やっと達成できたのが心地よかった。
悩みというのは、「おしぼり業者をどうすればよかったのか?」ということだ。本業に比べれば、なんとも小さいことなんだが、地域でやっていくにあたり最適な業者を選びたかった思いがある。
以下長いけど、経過をまとめてみた。
(以下経過。長いです)
東京で修行して、故郷である京都市内でお店を開くっていうのが若い頃からの理想だった。
最初は故郷である山科の郊外でお店を開こうと思ってたが、(いろいろ問題がわかって)試行錯誤した結果、祇園にいいところが空いていた。
で、まさに開業をしようという時だった。残りひと月を切ったあたりかな?
お店の開店準備をしてると、何かの営業の人がふたり来ていた。「こんにちは。ちょっと、いいですか?」ってプランクな感じだった。見た目は京都スタイルの和風私服だったけど、まあビジネスにもありかなって装いだった。
それまで営業は全部断っていた。自分で調達先を決めていたから。でも、『おしぼり』の会社だったんだ。京都でずっとやってるという。
おしぼりは、当時の自分が失念していた調達先のひとつだった。その時に「うわ、まずい忘れてた」と思ってひとまず話を聞いた。
という感じで名刺を渡されて、いろいろ話を聞いて、その場では返事をしなかったけど、こんな感じの内容だった。
・祇園の半分の店はうちを使っている
すごいニコニコしていた。嫌な感じはしなかった。
「少し、考えさせていただけます?」でその場は乗り切った。
一応は、東京都内の飲食店に勤めていた過去がある。一部マネージャーの仕事もやってたから、なんとなく嫌な予感がした。最悪、反社の可能性がある。はてな民・増田民の皆様も、ああいう営業で人当たりが良すぎるのは気を付けた方がいい。
『地面師たち』のドラマ見たことある人はわかると思うけど、反社の人って演技力が抜群である。いい人の演技が熟達してるヤツが結構いる。
正直迷った。ちゃんとした業者の可能性も十分あるので。どうしようか迷った結果、飲食店の組合に聞いてみることにした。
京都は飲食店組合が強いと聞いていた。コミュニティが熟成しているのは間違いない。祇園なんて、全体で見ても狭い街である。最短で10分もあれば横断できる。新宿や六本木も狭いけど、一般市街地まで含めたら広い。
ただ、この京都のコミュニティの中で、(反社含めて)いろんな業者がどれほどの力を持っているのか、自分には全然想像もつかなかった。
祇園の飲食店組合(※正式名称は出しません。一応……)に思い切って聞いてみた。長年の経験によるアドバイスがほしかった。
業者が来た経過を説明したのだけど……正直スゲー他人事みたいな表情だった。その初老の役員さんは。
「聞きにくいんですが、いわゆる、そういう方々なのでしょうか?」
「さあ、どうやろなぁ~祇園も色々あるやんなぁ~答えられん。おしぼりをどこから取るかは、結局、お店が決めることやし。組合がどうこう言う話でもない」
そっけなかった。「お店が決めること」っていうのは、自己責任ということだ。
組合は相談に乗ってくれなかった。絶対あんた情報知ってるやろ。反社かそうでないかくらい教えてくれよ。
「うちの店の近所である」と断言できるお店が3つだけあった。同じ通りにある。
ただ、そこも教えてはくれなかった。口が重いというか、うちが新参だから気にされてる感はあった。
返答はこんな感じだった。
・うちは昔から付き合いのあるところに頼んでる。会社は教えられない
・おしぼりなんて、適当に決めたら?(紙おしぼりでもええですよ)
・あなたもお店も、まずはええお客を作らんと。細かいところは後でいい
・どこも似たようなもん。京都府内だったら適当に会社を選んでもハズレはない
・話聞く限り、あなたのお店は高いんでしょう?おしぼりくらい自分で選びや~
なんか、どのお店もよそよそしい感じだった。それはわかるんだよ。近所とはいえライバルなのだから。
私が京都に帰ってきたのはつい先日である。料理の専門学校を卒業して都会に出たのだが、その暮らしの中で京都弁はすっかり抜けて標準語になってた。年に一度は山科に里帰りしていたのだが(京都の人は地元感を気にする)。
あの人たちは核心に触れるのを避けているように感じられた。面倒事に関わりたくないというか。
例えば、鴨川を挟んで真向かいにある木屋町だったら、今でも反社に守ってもらってるお店はある。高瀬川の上流にあるエリアである。第一観光ビルとかグリーンビルとか、昔小学校が建っていて今ホテルになってるとことか、あの周辺が特にそうだ。※たまに足がついて京都府警のお縄になっている
下流のエリアだと、ハイソがお店が並んでいる。同じ木屋町でも、お金持ち向けのエリアである。高瀬川の反対側にも飲食街があるが、そのあたりは残念ながら確信がない。
あきらめたくなかった。当時、一生懸命にどの業者がいいか?を調べていった。
おしぼりや什器といったお客さんが絶対に使うモノは、どこぞの知らない業者から手に入れたくなかった。こだわりがあった。反社など論外。東京で痛い目にあったことがあるからわかるのだ(秋葉原~台東区にかけての飲食街。アキバ冥途戦争はあながち間違ってない)。
ところで、故郷である山科で開業しなかったのは、開店時に「そういう人達」がやってくる可能性が極めて高かったから。木屋町も同様だった。その点、祇園は飲食店組合がしっかりしているからか、明らかにそういう連中が「うちが守ってあげますよ(^^)」みたいに来ることはなかった。
というわけで、食材やメニューや仕入れルートを決め切った後で、細かいことでも一生懸命に調べまくったよ。まな板とか包丁とか、食器とか、キッチンの導線とか、メインでもメイン以外でも、こだわりたかった。何事も最初が肝心だと思ってる。
今になっての感想だが、調べておいてよかったという確信はある。小さいことにも専心するのが事業の基本である。おしぼり業者は、結局インターネットで見つけた大手の無難そうなところにした。
ただ……今になって後悔がある。あの例のふたりで営業にきたおしぼり業者なのだが、彼らは反社ではなかった。正直、まっとうというか、京都市内でも伝統があると断言して差し支えないところだった。
彼らは、「祇園の半分の店はうちを使っている」旨の発言をしてたけど、それはマジかもしれなかった。実際、うちの近所の3店は、その業者からおしぼりをリースしてもらってた。
だったら、なんで教えてくれなかったんだよ!! 最近になって、そのおしぼり業者がもう一度きて、「しょうがないか……」という感じで、ほかの店とリース契約している証拠を見せてもらった。うちが京都と地縁が薄い新参店ということで、特別な配慮をしてもらったのだ。
後悔している感はある。実際、今からでも間に合うなら、その会社とおしぼりの契約をしたいと考えてる。ここだけは、明らかに選択を誤った。
けど、今の会社もまっとうな大手企業だし、契約期間1年未満で切るのもちょっとな~という思いがある。
おしぼりって意外と大事なんだよ。今の時期だったら、温かいおしぼりと、冷たいおしぼりが選べる店があるかと思うんだが、どっちにも適応できる神おしぼりを提供できるリース業者だってある。
あと、食事中もお手拭きや、洋食のナフキン代わりにおしぼりを使うお客さんもいるので、できればいいやつをお店に置きたいのである。
飲食店を開いたのは、「自分の料理で人を幸せにしたい」という確固たる思いがあるからだ。その思いは、開店前も今も変わらない。
だからこそ、全部こだわりたい思いがある。自分でうだうだ悩んでいてもしょうがないので、こちらに相談してみようと思った。その道に詳しい人が増田にはたくさんいるはずだ。
商売とかやってる人でも、会社員の人でも、経済社会に今は参加してない人でも、アドバイスをいただけるとありがたいです。クソバイスになってても読ませてもらいます。
Permalink |記事への反応(26) | 21:34
分かる人にだけはわかるように書いているらしいので、わかる人いたら解説して。
自分のこと、営業マンで営業の専門家で何でって言ってたけど…彼の話を混ぜ込んだことで目の前で起きていることを理解しにくい状態になっていたということに気づいて
「一番わかってないのは東大法学部とはこれいかに」っていう結論に落ち着いてる
そもそも俺に営業的なスキルがないっていう風におっしゃってたんだけど、ところがどっこい営業的な本を読むと
「私がネットでバズった時にやってたこと。そのまんま書いてあるんだけど」
みたいな部分もあるわけよ
そもそも俺に営業的なスキルがないっていう風におっしゃってたんだけど、ところがどっこい営業的な本を読むと
「私がネットでバズった時にやってたこと。そのまんま書いてあるんだけど」
みたいな部分もあるわけよ
相手を勝たさせられてない人がやり手の営業マンなわけないし、もしそうなのってるんだとしたら、そいつは嘘つきのペテン師だよ。
表面的にいい感じに仕事をしているように見せてるっていうのは、それはそれで1つの技能。
でもそれは優れた営業マンの完成形でもないしステップに過ぎないんだよ
私より年上ではるかに良質な経験をしているはずの人間が今俺が書いたこと、さえ理解できてない。
商材に恵まれてただけだろ
で、俺の中でやっと納得いく回答として
「表面的にうまくいってるように見せる。スキルも大事。これがないと物事がスタートしない」
「正面的にうまくいってるように見せるスキルというのは詐欺じゃないか?」
みたいに思ってたところがあったわけです。
でもこれは技術の一部であって、全部じゃないんだよ。
世の中の大半の営業マンが下手くそすぎるから、営業マンと雑に心理学を多用するそれのイメージがクソ悪いんだけど…そこって本当に入り口でしかないんだよ。
もっと身近に子供でもやってるコミュニケーション大げさに言ってしまったことで、話をややこしくしてるだけなんだよ…わかってしまうとね
詰まるところ、コミュニケーションの順番とか?
規則や理論よりもその場その時の空気の方が強くなってしまう理由とか?
これを紐解く時に心理学が役に立つ
なぜ営業だけが人間関係の中で生きてて人間関係を渡るのが上手いみたいな話になるかマジでわからん
心理学に限った話じゃないけど、文系の学問というのはあくまで補助線なんだよ。
それを仕事経験とか社会経験とかふりかざして偉いのは会社の看板なのに自分が偉くなったと勘違いしてぐじゃぐじゃ言ってるやつが…いたんだよ。
昔ね
克服したというよりも、私の方がかつての私の苦手分野でさえ多分もう上であとはそれを世の中に分からせる(勝つ)だけっていうフェーズまで来たので嬉しくて書いた
めちゃくちゃ不機嫌そうに書いてるけど、これひらめいたの超嬉しかった。
どうせ俺の頭の中の話しても大半の人は何書いてるかわかんないと思うから、これぐらいにしとくわ。
わかる人だけがわかればいいみたいなひらめきだし。
作者は、営業という行為において「まずは表面的にうまくいってるように見せる」スキルが必要だと認めています。これは、物事を始めるための第一歩であり、相手に安心感や期待感を与えるための手法として有効です。
ただし、これだけでは不十分:
しかし、単に「見せる」だけでは、本来の目的である「自分もお客様も勝つ」という結果に結びつかないと強く主張しています。見た目が良くても、成果が出なければ意味がないと考えています。
攻めと守りの両面性:
真の営業マンは、攻め(新規獲得やアピール)にも守り(顧客との関係維持や問題解決)にも通じており、その両面のバランスが不可欠だと述べています。
双方の勝利を追求する:
営業の技術は「単に仕事を上手く見せる」ことに終始すべきではなく、最終的には自身と顧客の双方が成果を得、勝利する関係性を築くことが重要であるとしています。
ネットで一時的にバズった手法は、その時の偶然の要素や一時的な環境に依存しているにすぎず、今の状況にそのまま適用できるとは限らないとの示唆があります。
「私がネットでバズった時にやってたこと。そのまんま書いてあるんだけど」という記述に見るように、成功体験を丸写しすれば、再現性や本質が伴わない可能性を警戒している。
多くの営業関係者が心理学などの文系学問を引用して表面的な理論に頼る中、作者はそれを「入り口に過ぎない」と位置づけ、本当の営業の実践や経験に裏打ちされた知識こそが不可欠であると述べています。
実体験の重視:
作者自身が過去の経験と試行錯誤を通じて、バラバラだったパズルのピースが一つに繋がるひらめきを得たと語っており、単なる理論ではなく実践に基づいた柔軟な対応力の重要性を強調しています。
「バラバラのパズルが繋がってスッキリした」という表現は、実体験から得た洞察の価値を示している。
東大法学部出身者など、ある程度の学歴や理論の背景を持つ人物が、実際には営業の実践的な側面や結果に対して無理解である点に対して、作者は強い不満を抱いています。
単に表面的なテクニックや理論を語るだけではなく、実際の現場で双方が勝利するための総合的な戦略と実践力が、真の営業マンにとって不可欠だと説いています。
総括
文章の作者は、営業を単なる「うまく見せる」テクニックや曖昧な心理学的理論だけでは捉えられない、もっと深い実践的な側面として捉えています。
まずは表面的な見せ方は必要であるが、それはあくまで始まりに過ぎない。
攻めと守りの両立、柔軟な対応力、そして実体験から得た直感こそが、究極の営業の在り方であると説いています。
これらの知見は、単なる抽象論に終始せず、実践と経験に裏打ちされた視点から、営業における本質的な成功の条件を示していると整理できます。
まずこの出だしやけど、あらあら、いきなり「東大法学部の人は何も分かってない」なんて言うてはるわぁ。なんや、ずいぶん大きなこと言うてはるなぁ、って思てまうわ。京都弁で言うたら、「あら、東大の人にそんなん言うてはるなんて、ずいぶん自信がおありなんやねぇ。どこからそのお気持ちが湧いてきたんやろなぁ~」って、ニコニコしながらそっと匂わしたなるね。自分の方が何かよう知ってはるつもりなんやろか、って、聞く人が勝手に想像するような感じでチクリと刺したろか。
「自分のこと、営業マンで営業の専門家で何でって言ってたけど…」
次に、「営業マンで営業の専門家」やって自分言うてはるけど、なんやその堂々とした言い方、ちょっと不思議やわ。京都なら、「あら、ご自分では営業の専門家やておっしゃるんやねぇ。ほぉ~、そないなこと言うてはる根っこには、どんな思いがおありなんやろなぁ~」って、遠回しに匂わすようにしたなる。ほんまに専門家なんかいな?って、聞く側がちょっと首かしげるようなトーンで、チクチク感出してみよか。
「彼の話を混ぜ込んだことで目の前で起きていることを理解しにくい状態になっていたということに気づいて」
この部分、なんやややこしく言うてはるなぁ。京都弁で、「あら、難しいこと言うてはるけど、なんや東大の人に何かよう言いたい気持ちが強すぎて、こんがらがってはるんちゃう?そんな風に見えてまうわぁ~」って、そっと匂わす感じでいじったろ。自分がわからんのを隠したいんか、それとも別の何かを感じてはるんか、聞く人が勝手に思うような言い方でチクリと刺したなるね。
「『一番わかってないのは東大法学部とはこれいかに』っていう結論に落ち着いてる」
ほんで、「一番わかってないのは東大法学部」やって結論づけてはるけど、なんやその決めつけ方、ずいぶん思い切ったはるなぁ。京都弁で、「あら、東大の人をそんな風に言うてはるなんて、よっぽど何かお気持ちがおありなんやねぇ。どんな思いでそないな結論になったんやろなぁ~」って、ニヤニヤしながら匂わしたなるわ。自分が上やと思うてるのか、それとも別の何かを隠したいのか、聞く側にそっと考えさせる感じでいじったろ。
「そもそも俺に営業的なスキルがないっていう風におっしゃってたんだけど、ところがどっこい営業的な本を読むと」
ここ、なんやおもろいとこやね。自分で「スキルがない」て言うてたのに、急に本読んだ話持ち出してくるなんて、なんやごちゃごちゃしてはるわぁ。京都弁で、「あら、『スキルない』ておっしゃるわりには、なんや本の話持ち出してきて、ずいぶん頑張ってはるなぁ。どんなお気持ちでそないなこと言うてはるんやろなぁ~」って、軽く匂わすようにしたなる。本読んだだけで何か胸張りたいんか、聞く人が勝手に想像するようなトーンでチクチクやろか。
「私がネットでバズった時にやってたこと。そのまんま書いてあるんだけど」
「ネットでバズった」って、なんやその自慢っぽい言い方。京都弁で、「あら、ネットでバズったんやて?ほぉ~、それはそれは何かええことがあったんやねぇ。それをわざわざ言うてはるって、どんなお気持ちなんやろなぁ~」って、ニコニコしながら匂わしたなるわ。バズっただけで何か偉そうにしたくなるんか、それとも別の何かをアピールしたいんか、聞く側にそっと感じさせる感じでいじったろ。
自分で「営業」がふわふわしてるて言うてはるけど、なんやその曖昧さで他人に何か言うてはるんやろ?京都弁で、「あら、『営業』がふわふわしてるて言うてはるけど、そんなん言うてはるご自分のお気持ちって、どんなんやろなぁ。なんかようわからんままやねぇ~」って、遠回しに匂わすようにしたなるわ。ふわふわしてるのは言葉だけやなくて、気持ちの方もちゃうの?って、聞く人が思うようなチクチク感やね。
「相手を勝たさせられてない人がやり手の営業マンなわけないし、もしそうなのってるんだとしたら、そいつは嘘つきのペテン師だよ。」
ここ、えらい強い口調やなぁ。京都弁で、「あら、えらい厳しいこと言うてはるわぁ。そないなこと言うてはる裏には、どんなお気持ちがおありなんやろなぁ~」って、そっと匂わす感じでいじったろ。東大の人に何かよう言いたいんか、それとも自分がそう思われたくないんか、聞く側に勝手に想像させるトーンでチクリと刺したなるね。
「ブチ切れてん」って、なんや感情的やなぁ。京都弁で、「あら、東大の人にそんなキレてはるなんて、よっぽど何か熱いお気持ちがおありなんやねぇ。どんな思いでそないな気分なんやろなぁ~」って、哀れむふりして匂わしたなるわ。感情出すぎて何か見えてくるもんがあるんちゃう?って、聞く人にそっと感じさせる感じでいじったろ。
「そんな人が自分の得意分野が営業だとか笑わせんなって話だよ」
最後に「笑わせんな」って、なんやその上から目線。京都弁で、「あら、ご自分が営業得意やて言うてはるけど、なんやそないなこと言うてはるお気持ちが気になるわぁ。ほんまに得意なんかいな、って思てまうなぁ~」って、ニヤニヤしながら匂わしたなるね。自分が何か証明したいんか、それとも別の何かを隠したいんか、聞く側にそっと考えさせるチクチク感やね。
全体の印象
三沢文也さんのこの文章、なんや東大法学部の人に何かよう言いたい気持ちが溢れてるみたいやなぁ。京都の人間やったら、「あら、東大の人にそんな噛みついてはるなんて、よっぽど何かお気持ちがおありなんやねぇ。どんな思いでそないなこと言うてはるんやろなぁ~」って、ニヤニヤしながらそっと匂わしたなるわ。ほんで、お父はんがこれ読んだら、さぞかし心痛めたはるやろなぁ、って遠回しに締めたろか。
京都弁は、関西の中でも特に優雅で柔らかな印象を与える方言として知られています。
その中でも「~どす」という言い回しは、京都の人々にとって非常に特徴的な言葉の一つです。
「~どす」は、基本的に「です」に相当する表現で、主に丁寧な言葉遣いの中で使われます。標準語の「です」に比べて、少し温かみがあり、柔らかい印象を与えるのが特徴です。
例えば、「おいしいどす」や「ありがとうどす」というように、日常的に使われることが多いです。
また、「~どす」を使うことで、相手に対して敬意を表すことができますが、ただの「です」よりも一段階丁寧に感じられます。
そのため、目上の人や初対面の人と話す時にもよく使われる表現です。例えば、店員さんが「いらっしゃいませ、こちらでお待ちどす」と言うように、接客の際にも自然に使われています。
さらに、京都弁では「~どす」は、名詞や形容詞と一緒に使われることが多いです。例えば、「きれいどすね」や「おもしろいどす」という表現は、京都ならではの優雅な響きを持っています。
このように、「~どす」は京都弁の中でも非常に使い勝手がよく、京都の文化や人々の温かさを感じさせる表現です。京都を訪れた際には、この「~どす」を覚えて、地元の人々との会話を楽しんでみてください。
結局「おまえ誰やねん」だと思うんだよ
京都弁だとどういうんだろうな
よそ者に厳しいと言われる京都だが、実際の京都はよそ者にある意味やさしい、一般通過する旅行客みたいな存在、そういうどうでもいい野郎はスルー出来る
でも、ちょっと目立ったところにギトギトのパルワールドなんていう建物立てられたら、「おまえ誰やねん」が発動する
結局のところ、パルワールドの問題は「ソニーがかかわったから」がクリティカルじゃないかと思う
MSが買収するかもと言う話もあったしな
そうなったら話は変わってくる
もう旅行者扱いはできない
売上考えて本社をアメリカに移すくらいドラスティックな経営判断をする企業
だから、売れないIPをドラスティックに切っていくことも普通にある
だから最近、アストロボットが高評価だけど「ゲームは面白いけど、いかにソニーが過去のIPをおろそかにしているかがよくわかる」
といわれたりもする
ソニーはそのへん気にしない
社風の違いがよくわかる話が最近立て続けに起きたなって思う
普段全く夢属性を持っていないが、久々に夢に浸ってしまったので深く反省しここに埋葬する。
尚、本編を一気読みしただけなので担当声優どころかこのキャラの髪の色さえ知らない。
・異性を畜生としか見ていないナチュラルボーン畜生である一方、格上最強の同性には純粋な憧れを抱き子供の頃から切磋琢磨してて良かった
・フルボッコでやられてる時のこいつの台詞ツッコミがどれも小気味良かった
・上記複数加点の結果、特に自分好みのパーツじゃなくても分かりやすい面(ツラ)の良さにおまけボーナスが入って好感度プラスしてしまった
・キャラの血統の良さも頓着しないが、このキャラを好きになってしまったので名門次期当主っていいなと思ってしまった(作中で即反故にされたが)
・結局最大の理由は、主人公側にざまあ分からせされる悪役キャラとして魅力的だったから。そして夢へと至る
夢といっても溺愛される(…)とかそいつを圧倒したり価値観を覆す(…)のではなく(普段は夢願望が無いから自分で書いておいて虫酸が走る)──