
はてなキーワード:京王線とは
かなり具体的な描写ですね。
この条件を整理して推定してみましょう。
→候補は以下の6駅:
-西調布
-飛田給
-柴崎
-布田
「シャッター街」「古びた団地」「老人多い」「空き家あり」「子育て世帯もいる」
「スーパーはレジ1人」「テナント募集中」など生活感はあるが衰退気味。
駅 特徴 該当度
西調布駅前に商店街があるがシャッター多め。旧甲州街道沿いに古い団地・空き店舗が点在。スーパーも少なめ。 ★★★★★
飛田給味の素スタジアム最寄りでイベント時は混むが、普段は閑散。住宅街が広がる。団地もあるが、商店街は小規模。 ★★★★☆
布田再開発進行中で駅前がきれい。空き店舗は少なめ。 ★★☆☆☆
柴崎駅前に昔ながらの商店が並ぶが、空き店舗目立つ。高齢者多め。住宅街・団地もあり。 ★★★★★
🪧 補足
柴崎駅周辺(特に甲州街道北側)には昭和の香りが残る小規模商店街や団地が多く、空き店舗・シャッター通りが見られます。
西調布駅も「旧甲州街道沿いのロードサイド空き店舗」「団地の1階店舗シャッター」「高齢者の多い落ち着いた雰囲気」といった描写にかなり一致します。
「世田谷区とは言っても千歳烏山だよ〜? 全然お嬢様じゃないよ〜」と彼女は謙遜して言うけど、地方のクソ田舎出身の私からすればそもそも東京に住んでいる時点で上級国民なのだ
貴族と言っても過言ではない
A子は本当にいい子だと思う
ゼミが同じになったというだけで私みたいな芋臭いデブスとも仲良くしてくれる
とにかく愛想が良く、気遣いがうまく、それでいて押し付けがましくない
ユーモアもあり、教養もあり、都会的な洗練された振る舞い方をしている
はたから見れば私のような上京したての芋ブスごとき、こんなお嬢様によくしていただいたって時点で頭を下げて感謝すべきだって話なんだろうけどA子と話していると時々どうしようもなく疲れてしまう
いや、疲れるというのも適切ではない
疲れとイライラと無力感を足して割ったような、そして時々A子を刺し殺してやりたくなるような、そう言う気持ち
田舎者の僻みだと言われればそれまでだけどA子に対して今までの人生でもほとんど感じたことのないような憎しみを抱くことが時々ある
友達になってすぐ、大学の帰りにゴンチャを飲みに行ったことがあった
地方クソ田舎出身の私はほとんどゴンチャの実店舗に行ったことがない
用事があって家族と最寄りの地方都市に行った際に寄ったことはあったけど友人同士は初めてだった
田舎者の私にとってゴンチャに行くのは一大イベントであり、憧れであり、特別なことなのだ
会話の流れでそのことをA子に話したらA子は「ええー!それならもう毎日行こうよ」と冗談めかして言った
「毎日はともかくシーズンごとに行こう」「新作がでたら行こうよ」と
A子は話の流れで「中学のときに友達とよく通ってた」「高校に入ってからは太るからあまり行かなくなった」と言っていた
脇からすーっと男が寄ってきて「おねーさんたち、いまひま?」「飲みに行かない?」と声をかけてくる
私は本当にびっくりして「こんな漫画でしか見ないようなことほんとにあるんだ!」と感動半分、恐ろしさ半分といった気持ちになっていた
時間にして20秒くらいだと思うけど私にとってはあまりに衝撃的すぎて今でもあの男の顔、セリフの一つずつを正確に思い出せる出来事だ
「本当にナンパっているんだね!」と感動して伝えるとA子は「あんなのしょっちゅうだよ」と苦笑いしていた
「どこにでもいるよ、あんなの」「夜に駅を歩いてたら絶対に1回は声をかけられるよ」「明大前くらいまで行けば流石にあまりいないね」と
「居酒屋奢るから一緒に行こうって相手に言われて、「私、高校生ですよ?」って伝えたら「え!ラッキーじゃん!」って叫ばれたことがあるよ、いろんな意味で倫理観終わってるでしょ」
A子は笑い話としてこともなげに言う
高校生にこんなことを言う男にドン引きしたし、もし私の地元で同様のことが起これば全校集会で注意喚起されて警察のパトロールが増えて近所一帯全員1ヶ月はこの話をし続けることになるだろうと思う
でも、東京で青春を過ごしているA子のような女子中高生にとってはこんなの日常茶飯事で、ナンパの躱し方くらいは常識らしかった
夕飯はホテル内にある高めな雰囲気のレストランに行くことになっていた
「大学生ならこういうのを一個を持ってなさいってお父さんが買ってきたやつだよ」
「使う機会ないと思ってたけどこういう機会があってよかった」
私は田舎者なのでロエベなんてブランド知らなかったからその時は「ハイブランドなの?すごいね!」と調子を合わせてた
ホテルのペラペラの浴衣にロエベのポーチを手に持ったA子の姿は今でも鮮明に覚えている
一方で私のポーチはZOZOTOWNで適当に買った謎ブランドのそれ
そもそも旅行に行くって話を聞いてから私はお金を稼ぐためにガールズバーでバイトしていたけど、実家暮らしのA子はきっと旅行の費用は全部親から出してもらっていたのだと思う
ブランドと言えばA子に服を買うのに付き合ってもらったこともある
地元にいた頃は服は基本ZOZOTOWNでブランドも見ずに買っていたし、上京してしばらく経ってもそれは同じだった
でも東京にいて友達と遊べば色々なブランドの色々な実店舗を目にすることになる
それでA子に服選びに付き合ってもらった
色々悩んでナノ・ユニバースのなんてことはない1万円以下の上着を買ったけど、きっとその時A子の身につけていた服装はもっと上の価格帯のものだったんだろうな
「なんでこんな中高生が着るようなブランド買ってんだろ」って内心バカにしていたのかもしれない
私がこんなクソ田舎の僻み根性丸出しにして劣等感を抱えていることを察してもいない
高校生にもなって「夜8時頃うちの学校の生徒が〇〇街近辺をうろうろしていたそうです! きちんとおうちに帰りましょう」なんてクラスのホームルームで注意喚起されるような環境も
校則で男女交際が明確に禁止事項として挙げられていて、誰かと誰かが付き合ってることがバレれば先生に呼び出されるような環境も
放課後にやれるのは部活くらいなものでふらっと遊びに寄れるような施設すらない暮らしも
A子は言っていた
高校時代に付き合っていた彼氏が結構遊びに行きたがる人だったからそのおかげでこうして新宿の街案内ができていると
行きつけのカフェもレストランもその彼氏と通い詰めたところだと
「新宿は歌舞伎町のある方より西口の方がいいお店たくさんあるよ」
「ビジネス街だから殺風景だけど美味しいご飯食べたりお茶をしたりするだけなら絶対西口の方がいいよ」
新宿西口を「殺風景」というような価値観なんて私には一生かけても獲得できないと思う
こういう、何の抑圧も受けずに欲しいものはすぐ手の届く範囲にあってぬくぬく育ってきた東京育ちの、それ故の優しさや気遣いって本当に鼻につく
こういう人種の厄介なところはこっち側が僻んでいるだけだから責められないというところ
A子のせいで私は散々傷つけられているのに、こういう傷つきもすべて私の性格の悪さのせいにされてしまう
統一教会を潰したくて本当は韓鶴子を殺したかったが警備が厳重すぎて諦めて選挙活動中の無防備な安倍を狙った山上にしろ、
ユナイテッドヘルスケアのブライアン・トンプソンCEOを射殺したルイジ・マンジョーネにしろ、明らかに学力偏差値が高いところが怖いんだよね。
京王線のジョーカーみたいなのは頭が悪いのでスベッてしまいファンがつかない。京アニの青葉もそうだけど知能が低い犯罪者は、大きく有名になる前に下着泥棒だの盗撮だの、げんなりするような性犯罪の前科があるのも傾向としてある。
気持ち悪いしダサいので、こういうのにはファンがつかない。男も女も関係なく、下着泥棒やら盗撮やらは美化のしようがなく、ただ萎える。刑務所でのヒエラルキーが最下層なのも性犯罪者だ。
被害に遭われた方は気の毒で言葉もないけど、頭が悪いタイプの犯罪者は熊に近いというか、遭遇したらおしまいで、政治性は帯びないというのがある。ファンも増えないし、加害者擁護の変な運動も力を持たない。
認知症の70代が名古屋で暴走運転により人を殺しているけど、こういうのも人というより熊遭遇に近い。英雄視はされない。
京大阪大家系で地元トップ高卒業の高偏差値の山上や、アイビーリーグ卒のマンジョーネみたいな人物が、統一教会や悪質保険会社を敵視して射殺みたいなことをすると、変にファンがつくし、
なにより「頭がいい人間ですら解決法として殺人を採用するしかなかったんだ」という世界観になってしまう。知能の低いやつは迷惑だなぁではなく、社会のほうが詰んだ印象になってしまう。
熊みたいなグループの人間ではなく、知能が高い人間が唯一の解決法として殺人を選び始めるとまずい。
多摩ニュータウンとして1970年代〜80年代に計画的に開発された街。
当初から「日本人ファミリー向け」の住宅街として設計されており、外国人居住者向けの賃貸や住宅はほとんどなかった。
開発から40〜50年が経過し、今も街の構造や住宅タイプは当時のまま。
京王線・小田急線沿線で新宿まで40分程度。都心へのアクセスは悪くないが、渋谷・池袋方面への直通は少なく、利便性は中途半端。
外国人や単身者に人気のエリアは「都心直通で利便性が高い+家賃が割安」な場所が多い(例:川口・蕨・新宿・池袋など)。
多摩センターはアクセス面で「やや不利」なため、外国人が選びにくい。
団地や低層マンションが中心で、単身者向け・外国人向け物件がほとんどない。
高層マンションや新築ファミリー向け物件はありますが、価格帯が高めで外国人には手が届きにくい。
「新しく越してきた人」「外国人」を受け入れる文化的場やコミュニティがほとんどない。
多摩センターは治安が非常に良く、教育・医療・買い物環境も整っている。
ただし「安全・便利=保守的で落ち着いている」街は、逆に外国人や文化的多様性を求める層には刺激が少ない。
🔑 まとめ
多摩センターが東京でありながら外国人がほぼいないのは、以下が主な理由です:
・地元住民の保守的・安定志向が強く、文化的多様性の場が少ない
桜上水という街に住み始めて5年が経つ。
正確にいうと京王線より北側に住んでいるので住所は杉並区下高井戸なのだが、「東京人は住所よりも使う駅名で居住エリアを語る」というアレである。
その京王線桜上水駅から北上し甲州街道へ行き当たると、すぐそこに「あぶら〜亭」という店がある。火曜定休。外見も汚いし店内も綺麗ではない。
いつ創業なのかは知らないが、いわゆる「油そば」が流行する前からほぼ同様の「あぶら〜めん」というものを名物としていて、ほとんどの客はあぶら〜めんを注文している。
深夜2時半まで営業しているので酒を飲んだ後の〆として大いに活躍する店で、終電直後には待ち行列が発生するくらいには繁盛している。
(桜上水駅近辺は23時ごろに閉店する店が多く、終電後に営業している店がここしかないということも大きく作用しているはずだ)
そんな店だが、自分も先日酒を飲んだ後の〆として入店したところ、座った席の隣に座っていた爺さんが「ラーメン」を食っていた。
嘘だろ。
ここであぶら〜めん以外を注文する客なんて存在したのかよ。
驚愕しながらチャーシューあぶら〜めんを注文し、待っている間に爺さんは食べ終わって退店してしまった。
引っ越してから5年通っているが、あぶら〜めん以外の発注を初めて見た。ダミーメニューかと思っていた。
いつかはラーメン・とんこつラーメンを頼んでみたいと思っているものの、ラーメン食べたい時にこの店に入ろうと思わないんだよな。
必須科目が落単してる可能性があって今日は大学に行きたくなかった。
お陰で全然眠れなかった。
やっと寝付けてちょっと3時間寝て起きたらチャーリーカークが死んでた
LGBTQ当事者の自分にとってカークは大敵の1人とも言える存在だ
そいつが銃で撃たれて死んだ
カークのニュースへの興奮と落単への恐怖を相互に感じながら大学へ行った
案の定落単してた
親にどうすれば言えば良いのか
落単に落胆しながら京王線で帰ったが新宿に行くところを渋谷経由で帰ろうと思った。
自分が本来なら行くべきところである“東京大学”の文字を見たかったからだ
そして当たり前のように東大駒場前でリア充の東大生と哲学談話してる東大生に囲まれた。
惨めで死にたい
自分が東京大学医学部に行ってたらカークも射殺されないでバカみたいな政治的レスバもやめて妻子と幸せに暮らしてただろう
自分が東大卒トランスジェンダー爆乳美女女医だったらカークを救えたはずだ
カークよお前を救いたかった
しかし僕が7浪して今度こそ東大医学部に合格してトランス爆乳美女女医になれば第二のカークは防げるはずだ
これからどうしよう
在宅が定着したので、台風が来ると自由に在宅にしていい決まりがある。
帰れないのは困るので在宅にする人は多い。
私は台風でも大して遅延しない京王線とかいう「お前、この天気で動くのかよ。小田急線死んでるぞ」という無駄に強い路線で通勤している。
他の路線が死んでいると、なんと!会社に私ひとり!という日ができあがる。
みんな在宅にするという場合があるのだ。小さい会社なので何人か在宅を選べばひとり!
このデカい部屋(フロア)にひとり!やばい!学校のお泊まりくらいの興奮!
自宅は掃除もめんどくて、デスク周りも物が散乱しているが、会社のデスクは超綺麗!
あと給茶機があるから家でやる面倒なポット掃除もない!ゴミも業者が回収!トイレも毎朝掃除されているので綺麗!それはいつもの会社でもあるが、独り占めできるとなると楽しい!
在宅だとサボっちゃいがちだが、会社のディスプレイはデカいし3台もあるから快適さが違くて仕事をこなせる。
(誰もいないからネットサーフィンする頻度は多いけど、ちゃんとスケジュール通りに作業している)
(たまに京王線ユーザーの先輩が来てしまうこともあるが、その先輩とは二人っきりになって菓子パしながら仕事をしたことがあるから別に来ても構わない)
と思ってたけどこの雨じゃ出社する人いるわな〜(泣)
なんだか同じジャージを着ている人がたくさんいるとうれしくなっちゃうのか、乗車マナーはいいとはいえませんな。
昔大阪で甲子園球場にいくときのファンもあんな感じでしたが、一駅くらいです。
途中から乗ってくるファンも乗車位置を知らせて合流しようとしているのか、降りる人などいても無視で乗り込んできます。
大阪のように阪神がメジャーな応援対象であるところと違って京王線は一般のひとがほとんどで、サッカーの応援のためにのるひとは一部です。
ぜひとも盛り上がるのはスタジアムについてからにしてほしいものです。あと試合のあとはできればジャージは着替えてから乗ってほしいのですが、、、
いろいろな意味で。
試合に来る時の電車も普通の恰好できて、味の素スタジアムについてからジャージーは上からかぶればいいんじゃないかともおもったりしますが。
繰り返しますが、阪神のファンが甲子園に向かうのと違って、いくら飛田給が田舎でも、同じようにファン専用列車ではなく、一般人が主には乗る電車なのでそこはよろしくお願いしたいというところです。
京王線に乗って高尾山口方面に向かっていると、高尾駅あたりで左手に見える、あの金色の塔。
山の中に突然現れる、玉ねぎみたいな、なんとも言えない形の黄金の建造物。
あれ、一体なんなんだ?
ずっと気になっていたけど、わざわざ調べるほどでもないか、と毎回スルーしていた。でもやっぱり気になって、今日ついにググってみた。
正体は「高尾みころも霊堂」というものらしい。 なんでも、労働災害で亡くなった方々を慰霊するための厚生労働省所管の施設だそうだ。
へぇ、そうだったのか。
宗教施設か何かかと思っていたけど、公的な意味合いのある建物だったとは。長年の謎がひとつ解けて、なんだかスッキリした。
京王電鉄の新宿西口再開発が未定になってしまったというニュース。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.watch.impress.co.jp/docs/news/2002365.html
ただ、この中心となる京王デパートの土地、そして南街区の一部というのは実は京王電鉄は購入してないのだ。デパートの下には京王線の駅があるんだが元々京王電鉄の駅はここじゃなかったのだ。購入してないのに所有権が移転したのでありますな。そして元々この土地を地上げして権利を得ていたのは実は東急の後藤慶太なのだ。
この棚ボタ土地ゲットには実は戦争が絡んでいるのだ。具体的には戦時統制と敗戦後の占領政策が関係している。
そこをさらっと紹介したいと思う。
明治以降、帝都東京府東京市には様々な鉄道会社が立ち上がり路線を伸ばしていった。そのうち、買収合併を繰り返して「路線網」を形成する会社が出来ていった。城東の東武鉄道、京成電鉄、城西の西武鉄道、目黒蒲田電鉄(後の東京急行)の4つ。
今では鉄道会社はお固い業種だが、当時はそういう訳でもなかった。というか、西武の堤(ピストル堤)、後の東急の後藤慶太(強盗慶太)はかなりヤクザっぽい。手口もそうだし堤はスーツもヤクザで見るからになのだ。一方、東武鉄道の社主、根津嘉一郎は日中の古美術品を収集する文化人で派手を嫌い茶人。美味しんぼに出てくるような文化的素養が高い経営者だ。
ビックカメラの歌が戦前に有ったら「不思議な不思議な電気鉄道、東が文化人で西ヤクザ」と言った処か。
東京西側のうち、中央線の北側は田舎で畑だらけ、人口密度も低かった。一方南側は都市化が進んでいて人口も多く、横浜などの人口が多い京浜地区にも近い。その為に中央線南側には沢山の鉄道会社の路線が引かれることになった。
日中戦争が激しくなると共にナチスドイツ、イタリアと枢軸を形成すると、統制経済に移行する。鉄道の場合、インフラなので資源の効率化と経営の安定の為の資本の強化策として陸上交通事業調整法が施行される事になった。これはバス鉄道会社を有無を言わさず大資本に吸収させるというものだ。東京の場合は、先の東武、京成、西武、東急に全部合併させる。
この時に沢山あった中央線より南の私鉄はほぼ全部東急となったのであった。いわゆる大東急である。
具体的には、帝都電鉄(井の頭線)、京王電鉄、小田急、現東急線(東横線、池上線、目蒲線、大井町線)、京浜急行が全部東急。
因みに、地下鉄銀座線の渋谷~新橋も東急が所有していたが、こっちは同法によって出来た帝都高速度交通営団に取られてしまった。
京王線だが、元は始発駅は新宿西口ではなかった。もっと繁華街に近い「新宿追分駅」が始発だったのだ。
https://maps.app.goo.gl/vR4k78vXPLoueEK99 (ビルの上にKEIOの社紋)
https://maps.app.goo.gl/hnwYN9uwZT783SuH9
にかけてが京王線始発駅だったのである。このビルにもKEIOの社紋があるのが分かるだろう。この二つは京王の所有なのだな。
で、この駅を出た電車はなんと甲州街道の真ん中に躍り出て、道路の真ん中を走っていた。陸橋を登って新宿南口の前の駅(殆ど電停だが)で停まり、坂を下ってそのまま甲州街道の真ん中を走り、文化服飾学園の前で専用の線路に入る。
https://tks-departure.sakura.ne.jp/keio-shinjuku.html
電車が道路から駅に入る写真があるが、今のこの場所がIKEAなのだから驚きだ。
戦争末期、東京を焼き尽くすB29が現れるようになると初台にあった変電所も被災してしまう。すると変電所から新宿までが遠くなり、電圧が落ちてしまい新宿南口の甲州街道陸橋を電車が登れなくなってしまった。
仕方ないので客が全部降りて陸橋の上まで空で走りまた乗ったり、それでも登れないので客が電車を押したりと危ない事をやっていたらしい。
結局モームリって事で、坂の下で運転を打ち切る様にしたが、路上で切符の販売とかどうすんだって話でもあるし、転轍機がある駅まで複線を逆走する事になるしで無理もいいところだ。当時京王線を所有していた東急は困ってしまった。
ところがこれには決定的な解決策があったのだ。
国策で一気に城西地区の鉄道王になってしまった後藤慶太と東急だが、ターミナル駅が散らばっているのが気になる。元京浜急行:品川、元東急と井の頭線:渋谷、元東急:目黒、五反田、小田急と京王:新宿だ。
官営鉄道が線路幅1,067mmの狭軌を採用したのでこの線路幅が日本の標準になっていた。
大東急が所有する中で、京浜急行と京王はこれよりも広い線路幅であるので互換性が無い。でもその他の路線は日本標準の線路幅なので乗り入れが可能だ。
であれば、共に幹線の東横線と小田急線を乗り入れで連絡したい。しかも新宿駅西口の改良計画がある。
って事で、東横線中目黒から分岐して小田急線代々木八幡駅付近で合流する線路の計画を立てた。この区間には現在山手通りがあるが、途中まで川筋があるので高低差が少なく、トンネルを掘る量が少なくて済む。
そこでまずは参宮橋駅付近から新宿駅までの小田急線線路脇の土地を地上げでゲット。ここは複々線化用地である。現在でもこの区間は線路脇に空き地が残っている。
ところが…
戦況が芳しくない。経済もどんどん窮乏してくる。戦争に取られて物資も労働力も無い。これでは工事どころではない。
だからこれら用地は新宿付近で押さえただけで放置されたままになってしまった。
そこに起きたのが先の空襲による京王線陸橋登れない事件である。
東横線新宿駅用地は折り返し地点になった陸橋下交差点のすぐそばだ。だったらそこに駅を臨時で作ってしまえば!?
ってことで、東横線工事も進捗できないどころか戦争に負けそうな状態で最早それどころではない、だったら東横線新宿駅は諦めて臨時の駅を造り、交差点で急カーブさせてそこを終点にすればいい。交差点から追分駅までは廃止。
という事で、東急が押さえた土地に駅を作ってそこが終点になった。勿論工事をやったのも東急だ。だってその時は京王線は東急だったのだから。
空から現地を見てもらうと判り易い。
https://maps.app.goo.gl/9e6JNhFXD5Zt7Git8
京王デパートの下が今の京王線新宿駅だ。西新宿1丁目交差点から急カーブで入っていたのだね。
そして京王デパートから小田急線の踏切(地下に大江戸線が走る)までの区間の小田急線路寄りも東急が地上げで押さえた土地だ。
戦後にここは売りに出されて、国鉄が取得→国鉄本社→JR東本社という経緯を経ている。
日本は戦争に負けてGHQに占領された。戦中に合併した資本はファシズムを支えたものであるから解体されることになる。
過度経済力集中排除法が施行されて財閥は解体された。
後藤慶太も公職追放され、大東急も解体される事が目に見えていた。
そこで後藤は株主総会で大東急分社化を提案し自ら解体する事を選んだ。
こうして京王、小田急、東急、京浜急行の4つに分かれる今の形になったのである。
ところで井の頭線は京王が所有する事になった。ところが、井の頭線は元は帝都電鉄という私鉄で、それが小田急に買収→東急と来て何故か京王に付いて来てしまった。
戦争が終わって合併解除されたら、新宿駅にターミナルが出来てるし、新宿三丁目の繁華街に元の駅の土地が残ってるし、井の頭線も付いてきてる。なんかやたら京王だけ有利な条件で棚ボタが多すぎるんでありますな。
甲州街道の真ん中を大きい電車が走るという光景は1963年まで見られた。http://jorctk.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-9299.html
駅は63年に地下化されたが、この上にデパートを建てる事が出来た。無償で得た土地の大活用である。
https://maps.app.goo.gl/QxcauHLWBichSbEr6
これは何かと言うと、京王線のトンネルの上に建っていたのだ。というか、トンネルと躯体が一体化していた。勿論所有者は京王電鉄である。(最初は地権者は別で地上権設定だったのを後に所有権を買い取った)
今は再開発の為に解体されてなくなっているが、上から見たら京王線のトンネルが見えるんだろうか?上から見る機会が無いので不明だが興味津々である。
ここの葵通りという道路。
https://maps.app.goo.gl/F6jK1GiTz9zGc1iA7
実はこの下には玉川上水が通っている。とすると、この突き当りにあるビルの下も上水なわけで、このビルの場所は2000年頃まで建物が建っていなかった。上水設備=東京都水道局管理地なので建てられなかったのだ。
では今は誰がこの土地を取得していたの?となるが、実はこのビルの所有者は東京都なのであった。
京王線新宿追分駅跡のIKEAの甲州街道反対側に新宿4丁目地区があるが、この一帯には安ホテルが数件ある。
実はここは元はドヤ街で、日雇い労働者向けの簡易宿泊所が密集していた。宿泊費は今の物価なら800~1200円ほど。
その後日本が豊かになって廃れ、一部は安ビジネスホテルとなって生き残った。新宿駅徒歩数分、三丁目から1分という好立地で一泊5000円程で泊まれる超絶穴場だが、どこも余りにもやる気が無く、営業してるかよく分らんところばかりなのである。実に勿体ない。だから宿泊の穴場と云うよりインバウンド客向けB&Bやホステル経営物件をゲットできる穴場と言えるかも。
なんとなくあっちのほうという点では同じなので、このふたつの違いがはっきりわかっていなくても、生きていく上で大した不便益はない。
「上越地方」における「上越」は、読んで字のごとくエリアの名前だ。
ななめに細長い越後国(えちごのくに、だいたい今の新潟県)を輪切りに三等分した時の、南西(富山県寄り)のエリアを上越という。
北東(山形県寄り)のエリアが下越(かえつ)で、挟まれた真ん中が中越(ちゅうえつ)だ。
地図では北が上なのになぜ左下を「上」としているかというと、そっちのほうが京都に近いからだ。上洛という言葉があるように、都のほうが上にあるというイメージ。
いっぽう、「上越新幹線」における「上越」は、2地域の略称だ。
上野国(こうずけのくに、だいたい今の群馬県)と越後国の2地域を短くまとめて呼んだもの。
鉄道や道路には、始点と終点の地名から一文字ずつもらって路線名にしていることがよくあるでしょう。
東京と八王子を結ぶ京王線とか。
東京と名古屋を結ぶ東名高速とか。そういうのと同じ。
……同じ?
という疑問はもっともなのだけれど、上越新幹線の名は並走する在来線の上越線からいただいている。こちらはちゃんと群馬~新潟間を走っている。
もうひとつ余談。
関越自動車道で関越トンネルを抜けると、スキー場だらけのエリアになる。
その中に、上越国際スキー場というわりと老舗のスキー場がある(ジョーコクと呼ばれたりする)。
ところがこのスキー場の名前も上越線からもらったもので、エリア名の上越とは関係がない。立地は中越地域だ。
ややこしいよな。
前編
八王子、京王線北野駅徒歩10分弱。温浴なし、サウナ室1つに15℃前後とシングルの水風呂2つ。内気浴と外気浴スペース。タオルはレンタル350円。
先に言ってしまうが年末年始に巡った中ではここが一番良かった。その一番の魅力が薪ストーブサウナ。無音で暗いサウナ室に入った途端、薪の燃える良い香りにくらっと来て、最長の2時間で入ったが5,6セットくらいやってしまい時間をフルに使ったし2日後にすぐリピートした。
セルフロウリュに加えアウフグースイベントも1時間毎の高頻度で開催。
総じて良かったけど強いて言うならってレベルで…
とても良いサウナに出会えてとても嬉しい。家から電車を乗り継ぐと少々手間だけどそれでも行きたいと思ってしまう。
初めて行った時は、慣れない薪ストーブサウナの効果なのかぽっかぽかになり、退店後駐車場の喫煙スペースで一服していたら真冬の夕刻というのに汗が頬を伝った。新しい体験ができた。
八王子北野駅となると、都心の方からは少し面倒に感じられるかもしれない。それでもサウナ好きなら一度味わってみて欲しいと思う。めっちゃ良いので。
入店時に下足箱に靴を預けるがそれがロッカー番号となる。鍵の札に「上段」とか「下段」とか書かれているので下段を避けると良い。
24時間営業のサウナ施設(清掃で入れない時間有り)。5つのサウナ室に、シングル、15℃前後、22℃前後と3段階の水風呂という、スーパー銭湯ならぬスーパーサウナと言える施設。色々なサウナ室があるのでここはWebサイトやYouTubeの紹介をぜひ参照してほしい。
1階に炭酸泉の温浴、2階のサウナフロアには内気浴スペースに加えて気温をかなり下げたクーリングルームも有る。飲食、休憩スペース有り。外気浴は無し。1階は会話OKで2階は完全黙浴。
シューロッカーでは奇数番号を選ぶ(更衣室ロッカー上段を使える)。シャワーの後まずは「戸棚蒸風呂」というサウナ室へ。戸棚風呂とは"浴槽に膝が浸かる程度に湯を入れ、下半身を浸し上半身は湯気で蒸す仕組みの日本古来の入浴方法"とのこと。お湯を贅沢に使えなかった頃の入浴法らしい。そこで適度に身体を温めて汗腺を開くのが1セット目。
1セット目は15℃前後の水風呂。休憩ののちアウフグースの時間をなんとなく確認する。
内気浴スペースにはドリンクカウンターがあり、そこで「スタンダード飲み放題」(500円)を発注する。左腕にリストバンドを巻いてもらえば、ポカリと麦茶、オリジナルのデトックスウォーターが飲み放題。このデトックスウォーターが美味しいというか、サウナに良い。
好きなサウナ室は「瞑想」という仕切りで区切られた1人様の椅子が並ぶ部屋。暗くて静かで居心地が良い。次点でケロサウナ。2セット目からはシングルに入り、気分に任せてその後ぬるめの水風呂に入ってまどろむ。
こういうサウナ室の種類の豊富な施設では自然とセット数も増えて4,5セットくらいやってしまう。
サウナに満足したら1階に降りて大型テレビを眺めながら炭酸泉にゆっくり浸かる。
終了後は地下の飲食・休憩スペースでビールとか飯。眠けりゃそのまま昼寝。
サウナ室、水風呂、内気浴スペース、サウナ後の温浴、地下の休憩スペースと、総じて良かった。ただやはり人気店、話題店なだけあっていつ行ってもそこそこ混む。基本どこに行くにも空いている朝イチが好きで、清掃時間明けの9時朝イチを狙って行ってるけど、それでもかなりの賑わい。
別に独り占めみたいな状況が欲しいわけではないけど、グループ客が連れ立ってぞろぞろ歩いて(業界では「ドラクエ」と呼ばれる)、黙浴のルールがある中でお喋りされるとちょっとなぁとなってしまう。
ただしそういった点を踏まえても、それらを乗り越えるくらい全体としてはサウナ室や水風呂、内気浴スペースの魅力は自分には高め。今後は平日休みがあれば本当にたまの贅沢として使うかなぁという感じ。
もうサウナブームと言われたのも軽く過去のように感じるけど、これだけ「混んでるところは嫌だ」みたいな事を言ってるし自分の好きなところが激混みになったらちょっとげんなりはしそうだけど、それでも業界全体が盛り上がって創意工夫を凝らした良いサウナ施設が増えてくれたら良いと思う。
ここ数年のブームは(コロナもあってか)個室サウナなのかなぁ。自分はまぁ未体験だし一度くらい体験してみてもいいけど料金設定がなぁというくらい。
一方でここまで書いた様な大衆向けで良い施設も増えてるし増えるのはやっぱり喜ばしい。
サウナのお客さんには人それぞれ楽しみ方の癖のようなものがある。老舗銭湯系を愛する人もいれば、寛ぎ空間としての施設の清潔さとスペースのゆとりを重視する人、モンスターのガウン着用は我慢できないという「絶対全裸休憩派」に「動線至上主義派」、100℃超のアチアチサウナとシングル水風呂を愛する「温冷落差過激派」、セット数や水風呂の入り方をとってもそれぞれ好みがある(オーガズムを迎えやすい体位みたいな、セックスやマスターベーションの癖みたいなものだななんて思ったりする)。そういった客の多様な好みに合わせて、色々なお店ができたり各店が工夫を凝らしたりしてくれるお陰で、イチ利用者として楽しむことができる。
これからも飽きる事なく色々楽しめそう。苦しかった2020年以降を生きながらえた老舗名店には敬意を表するし、このサウナ激戦の中新たなチャレンジに踏み切るお店・会社にも感謝感激雨水風呂よ。
世の中的にはまだサウナブームは続くのかな。ゼロ年代にはこんなにサウナサウナって言われてなかったよな。当時自分は名古屋栄でのバイトの後終電までの短い時間で、当時はただ仕事に疲れたおっさんや終電逃してお金もない人が集まるカプセルホテルだったウェルビーに行ったりしていた。まさか全国的に有名になる日が来るとは思わなかった。
これからこのブームがらどうなろうと俺は色んなところに行き続ける。各店、新規参入業者には頑張ってもらいたい。
まだまだ寒い日は続きそう。(夏も行くんだけど)みなさま良いサ活を! いいお店あったら教えて!