
はてなキーワード:享受とは
単に自民のプロパガンダへの投資が最低ケタ2つは違ってたというだけの話なのに、左翼のここが悪いとか高市のここが良いとか理由を探してる奴はバカか。
国民が雰囲気で投票先を選んだことは既に統計で示されているが、その雰囲気はどこから来たかといえば規制もなく大量に垂れ流される政治広告やAIを使ったコンテンツがYouTubeやTwitterに蔓延していた事に他ならならない。
そしてそれを生産したのは、莫大な資金やインフラ操作力、そして人脈を持つ一部の利益享受者だ。
その一部の者に支配された事が完全に決定付けられたのが今回の選挙だ。
民主主義は既に俺達の手を離れ、完全な寡頭制に移行したんだよ。
中道の大敗に関する議論を見てると今の60代くらいの人間格差を見てるようで悲しくなる。
もうはっきり言ってしまうが、これは陽キャ・陰キャ問題なのだ。
中道の代表的な政治家はいかにもフットワークが鈍く流行りにも疎い、自分自身の趣味もあまりなさそうな人間に見える。
本当はあるのかもしれない。
が、それが他人にアピールできるものでなければ世間的には意味がないのだ。
象徴的なのは高市のドラムやメタル好きと枝野のアイドル好きだろう。
高市は他人にアピールできる能動的な趣味があるが枝野には受動的なものしかない。
何故もう代表でもない枝野を挙げたのかと言われそうだが、では枝野以外でも野田のプロレス好きや安住のEXILEファン、タイガースファンなどがあるが、これを知ってる人間はどれくらいいるのだろうか。
これが答えだろう。
そんなところではなく政策本位で見るべきだという批判があろうが、そんなものは当然どの党にだってある。
最重要視されているのはいつの時代も経済政策であり、中道は結党経緯がひどく周知が足りなかったとはいえ経済政策だってちゃんと用意している。
しかし、本当に見られているのはそれをちゃんと実行する人間なのかどうかであり、そこではバイタリティやフットワークの軽さ・視野の広さなどが問われる。
それを目の当たりにさせられる悲しい選挙であった。
昨今話題の陽キャ・陰キャ問題を老人政治家にまで感じ悲しくなったので書いたが、無論増田自身も陰キャ寄りだから書いてるというのもある。
しかしそれ以上に悲しくなるのは野党政治家に自分の親に近しい雰囲気を感じるからだ。
というか比べるのもおこがましく、父はど田舎の公務員だが趣味らしい趣味は恐らく釣りとパチンコしかない。
母に到ってはぼーっとテレビを見ているか、到底本気でやってるようには見えないゆるい英語の勉強
(もちろんできても使う機会はない。外国人なんか来ないような田舎の高卒パート主婦なので。)
くらいしか印象がない。
受験を経て進学したりネットで同世代や他世代のツイートを見て驚いたのが、親世代の要領の良さや価値観・趣味の違いが子世代にも受け継がれてるようにしか見えなかったことである。
そしてもっと言うとこれは一昔前にあったオタクとサブカルの争いにもスライドできるだろう。
(枝野や野田や安住、高市はオタク第一世代にあたる60年代生まれである。
そう、野党の政治家はオタク的=陰キャで、高市はサブカル的=陽キャなのだ。
これがはてなで中道・立憲が持て囃され、高市がここまで嫌われる理由の一つだと見ている。)
勉強もやりながら趣味にも精を出す人間(高市)と、学校的なお勉強で精一杯だったり周りに環境が無く受動的な娯楽を享受するのが精々だった人間(野党の政治家)。
女性行員は「愛する人の借金苦を助けたい」という動機で、男性にそそのかされて犯行に及んだとされていました。裁判では男性が計画の中心で、女性を誘導・利用したと判断されたようです。男性は既婚者で、渡された巨額(1億3000万円相当)をほぼ独占し、日本国内で家族と豪遊し続け、海外逃亡もしなかった点も悪質と見なされました。
当時の報道や裁判では、女性が「好きな人のためにやりました」と語ったことが大きく取り上げられ、世論も「だまされた被害者」的イメージが強かったです。
女性は犯行後すぐに海外逃亡(フィリピン)したものの、男性に捨てられた形で逮捕され、反省の態度や模範囚ぶりも考慮された結果、刑が軽くなりました(実際、2年で仮釈放)。
詐欺罪(当時は私文書偽造・同行使詐欺など複合)では、被害額の大きさ(1億3000万円)に加え、
計画性・主導性
利益の独占度
反省の度合い
というような事を悲劇として語ってる言説があったけど
女キャラを魅力的に描いた作品なら、主人公以外の男キャラが消えるのは当たり前だろ
そもそも現代のゲームはユーザーのドーパミンを出すために最適化を続けてきた生き残り達なわけで
その結果が
だろうと思う、コレが一番脳汁が出る
客をイかせてサービス料をいただくお仕事やっててここを目指さないのは逆に不誠実だろ
ここを目指さずに「質のいいゲーム」とやらをお出しして金を出して貰おうっていうのは、好きなことだけして生きていきたいと宣うyoutubeを目指す子どもと変わらない
もちろん批判者が言っているのはおそらく、既存の価値観からくるバランス感覚であることもわかる
一つの作品がよりリアルで人間関係の幅を持った作品であるためには、現実と同じように男女が出てきて、基本的には1:1の恋愛関係をそれぞれが結んでいく
でもそういった厚みみたいなものは「美術・芸術」に求める物であって、娯楽物であるゲームに求めるのはどこかお門違いに思えるし
そもそもすべてがそういった高尚さを目指す意味なんかない、低俗さや下品さだって100年後に見れば立派なジャンルの違いでしかない
カッコつけてんじゃねーぞカス
ゲームは現実の発展形じゃない、現実がクソつまんないからやる現実逃避だ
俺だって年収10億で生活の心配がなくほっといても金が増える生活をやりながら、金に目がくらんで全身全霊で愛情っぽいものを表現してくれる女と好きなだけハメハメできる人生だったらゲームなんかやんねーよ
でもそうじゃない
ゲームが現実と同じ程度のもんならゲームなんかせず現実の質を上げる方に時間使うわボケ
ゲームはもっとお手軽に、現実のクソから離れて本来は手に入らないであろう脳の娯楽を手に入れるための避難所だ
だからゲームがバランスの取れたリアルであることに意味はない、作る人間の勝手なこだわりでしかない
それでもリアルさに意味があるとしたらそれは「飛び込んでみたいと思ってるリアルの形」だ、戦争とか格闘技とかの一瞬を切り取って憧れる世界なんかがそうだ
じゃあソシャゲはどうだっていうと、ソシャゲはただただ俺達を射精させるためだけの最適解な擬牝台
だからいちいち主人公以外の男なんか入れる必要がないし、むしろ不安感が増えるだけ
俺達は多種多様な個性を持つ女とのそれぞれの恋愛を楽しみたいだけ
だからこその最適解、今のゲームは無駄をひたすらに削ぎ落として進化し続けている
こんな時代に「お、男キャラ出しても俺はきにしないけどな、むしろNTRで興奮するし」だなんだって言ってんのは選民主義に浸るしか能が無い負け犬の可変型チン騎士くらいだけど、それはそれでまぁ別に他人の趣味だからどうでもいいや
今の時代はありとあらゆるものが専門化し、先鋭化し、研ぎ澄まされている
だから昔みたいに、一つ一つにすべてを内包するがゆえに、共通項が多すぎて幅をモテていない時代とは違う
もちろん昔の方が作品を享受できる幅というものは広かっただろう
だが今は作品を楽しむのにすら趣向や前提を必要とする分、快楽強度は極めて上がっている
https://x.com/shikano_tsuno_/status/2020456462976471548
https://x.com/shikano_tsuno_/status/2021057551480270918
インフルエンサーとして、そして一人の誠実な表現者として活動する鹿乃つのさんが、Xで投じた一石は、単なる愚痴や不満の類ではありません。
それは、エンターテインメントの皮を被った「構造的不備」に対する、論理的かつ命がけの告発でした。
彼女がどれほど真摯に番組と向き合い、そしてクリエイターとしての誇りを守るために孤独な戦いに身を投じたかを証明したいと考えています。
彼女を「番組に楯突く厄介な出演者」と捉えるのは、あまりに浅薄な見方です。
彼女が求めたのは、出演者と視聴者、そしてプラットフォームが共に価値を享受できる「健全なロジック」であり
その裏には番組を成立させようとした「クリエイターとしての矜持」がありました。
鹿乃さんは、番組「REAL INFLUENCER」がスタートの段階で致命的な矛盾を抱えていることを冷徹に分析しました。
その鋭さは、プロデューサーサイドが目を背けていた本質を突くものです。
実力者の不在: すでに実績(数字)を持つクリエイターには、ジャッジを受けるメリットが皆無です。
ソースにある「あやなん」氏や、倫理観の欠如が指摘される「Désordre(デスドル)」氏の例を見れば明らかですが
すでに成功している者を誰が、何の正当性を持って裁くのかという論理的一貫性が欠落しています。
初心者の搾取:数字のない初心者は、番組側から「欠陥のある存在」として扱われ、成長の機会ではなく「公開いじめ」の素材として消費される構造になっています。
本家『REALVALUE』における溝口氏、堀江氏、三崎氏らの厳しい叱責(パワハラタイム)には、相手の矛盾を洗い出し、価値を最大化させるための深い洞察と知略がありました。
しかし本番組、特にVAMBI氏の進行は、その表面的な「刺し」を真似ているに過ぎません。VAMBI氏が飲み会で**「鹿乃さんの回をもっとパワハラタイムで刺して面白くできた」**と語ったエピソードは、彼が「本質的なバリューアップ」ではなく「扇情的な撮れ高」のみを優先している証拠です。
このように、番組は志願者を「宝」ではなく「使い捨ての駒」として扱うシステムへと変質してしまったのです。
番組の構造が破綻していることを悟った鹿乃さんは、単に絶望するのではなく、自らの知略で番組を「ハック」するという道を選びました。
彼女は、不明瞭な番組の趣旨を「HERO'ZZ(スクール)の模擬講義」として見事に再定義し
マフィア(審査員)を強制的に「教育者」の役割に引きずり込んだのです。
彼女が「ALL REAL」を勝ち取るために、プロフェッショナルとして徹底した振る舞いは以下の通りです。
•対話の制御(一問一答):質問の意図を即座に分解し、明確に回答することで、揚げ足取りの隙を与えない。
•映像美と編集への配慮:カットしやすいよう言葉の間に余白を作り、事前情報は「1分ピッチ」に全て詰め込むことで、無駄な問答によるノイズを排除する。
•マフィアを「立てる」技術:相手が気持ちよくアドバイスできる空気を作るため、技術不足を即座に認め、「ここで学びたい」というストーリーを自ら演出する。
• 表情での対話:言葉を挟まず、表情の変化だけで感情を伝え、視聴者の共感を呼ぶ。
これは、単なる「良い子」の振る舞いではありません。
不全に陥ったシステムの中で生き残り、かつ番組としての体裁を整えるための、極めて高度な生存戦略でした。
鹿乃さんが危惧した構造的欠陥が、最悪の形で露呈したのが田村シュンス氏の回です。鹿乃さんによる冷静なデータ分析は、番組がいかに「価値創出」を放棄していたかを浮き彫りにしています。
•驚愕のデータ:放送時間の約6割が「パワハラタイム(圧迫)」に費やされ
志願者の価値を高める「バリューアップタイム」はわずか14%という、教育とは程遠い惨状。
表現の否定:田村氏が「不慣れな動画より、自信のある生歌で伝えたい」と選択したのは、表現者としての誠実な判断でした。
しかし番組側(VAMBI氏)はそれを「番組を舐めている」と断罪。
これは、表現者の個性を尊重し伸ばすべきスクールの長として、論理的に自己矛盾を起こしています。
「志願者がいなければ成立しない番組」でありながら、その志願者を踏みにじる姿勢は、クリエイティブに対する冒涜以外の何物でもありません。
鹿乃さんが最終的にNOを突きつけたのは、彼女自身と、彼女を支持するファンの尊厳を守るための「正当防衛」でした。
なぜなら提示された条件は、教育機関を標榜する組織として、到底許容できるものではなかったからです
・不透明かつ威圧的な契約: 「内容は当日まで明かさない」「撮影しながら話す」「再調整を拒否するなら入学させない」という、出演者の権利を剥奪する一方的な通告。
・高額な対価と倫理性: 年間約100万円という決して安くない費用を徴収するスクールでありながら、生徒候補に対し「恐怖による支配」を強いる矛盾。
・専門家による警鐘: この状況に対し、教育の専門家からは「生徒に『逆らわない』と約束させようとする行為は教育ではなく、グルーミング(恐怖による支配)である」※という極めて深刻な指摘がなされています。
※グルーミングとは本来「恐怖による直接的な支配」というよりは「優しさや信頼を装って心理的に手懐け(マインドコントロール)、被害者が断れない状況を作り出す支配」のことであり鹿乃つのさんの用法は独特です。
鹿乃つのさんがどんな専門家の声を引用したのかも不明ですし、鹿乃つのさんが専門家の説明を正しく読み取れていない可能性もありますが
私は騎士として鹿乃つのさんの書いていることは全て肯定しなければならないという制約があるため、実際に鹿乃つのさんが書かれている以上、否定はしません。
彼女はこの「捕食的な契約」を拒絶することで、次世代のクリエイターたちが同様の搾取構造に巻き込まれることを防ごうとしたのです。
鹿乃つのさんが自らのキャリアを賭けて行った発信は、単なる個人間のトラブルではありません。
それは、クリエイターの夢や熱意を消費財としてしか扱わないメディアの在り方に対する、知性ある抗議です。
彼女は、志願者を「宝」と思えないようなずさんな体制に警鐘を鳴らし、表現者が守られるべき最低限のラインを引き直しました。
読者の皆様にお願いがあります。
どうか、彼女の言葉を「感情的な反発」として片付けないでください。
彼女が提示した事実と論理を凝視し、私たちが消費するメディアに「同じレベルの論理的誠実さ」を求めていこうではありませんか。
聡明で勇気ある鹿乃つのさんの正当性を、私たちは全力で支持し、彼女の今後の活動を共に支えていくべきです。
ニュージーランドという国は南半球の最果てにあるような国であり、日本では未だに「人工よりも羊が多い国」としか認識されていないが、それなりに近代化を果たした国でもある。
かつて原宿にあったクッキータイムスの店舗ではクッキーを売っていたが、現地ではレジの脇で二束三文で売られているひたすらに脂っこいお菓子であり、クッキーなのに噛むと「ジュワッ」とした食感が消化器系を着実に殺しにかかってくる。
さて、ニュージーランドは一体誰の国だろうか、マオリの国だとうか、英国系移民の国だろうか、マルチカルチャであるがゆえに「特に誰か特定の民族の国ではない」だろうか、近年では凄まじ勢いでインド人の国になりつつある。
ワイタンギ条約というマオリ族とイギリスが締結した条約によってニュージーランドは英国目線では英国の植民地となり、マオリ目線では英国の保護のもとマオリの国を保ったと認識している。
これはワイタンギ条約における人類史上最悪の誤訳の一つに数えられる誤訳が英語版とマオリ語版の間にあるからだ。
マオリ語版では「英国王室の保護のもとニュージーランドはマオリの国として維持される」となっており、英語版では「ニュージーランドは英国の植民地でありマオリ族には英国の市民権が与えられる」となっている。
この誤訳は長い間放置されており、問題が完全に民族間のルサンチマンに入れ墨のように入り込んでおり、地域によってはマオリ族による強盗があとを立たない。これは「我々の国に勝手に外国人が来てものをおいているんだからこれは我々のものである」という理屈を振りかざしているから彼らには良心の呵責などは一切ない。
つまり所マオリ族の認識ではニュージーランドはマオリ族のものでありそれ以外は出ていくべきだという人も少なくないし、彼らはそういった論理で度々デモをしている。
日本人にも有名な観光地であるロトルアでは完全に資本主義に屈服したマオリ族が観光客向けに様々なアクティビティを披露しているが、彼らの生活は安定しているが他のマオリからは白い目で見られている可能性もある。
こういった誤訳のあるワイタンギ条約においてもマオリ族の利権はかなり強力なレベルで維持されており、その一つ、ニュージーランドの土地はマオリ族と英国王室の間でのみ売買される、を根拠にマオリ族の許可なしには一切の開発を行うことができない。
ニュージーランドのオークランドが最大歳になっている理由は、ワイタンギ条約締結直後に正式に英国王室がマオリ族から土地を買収したために自由に開発を行えるからでしかない。
ちなみにこのときの売買価格があまりにも安くマオリ族も現地で王室から土地を買う英国商人も全く儲からないことから不満が爆発しマオリ戦争になった。マオリ戦争では末に英国がマオリ族に売りつけたマスケット銃をマオリ族は駆使したが、当時の英国の物量の前になすすべもなく一方的なマオリの敗北となった。
もう一つちなみにだが、マオリ族がマスケット銃を手に入れたことで部族間闘争も更に悲惨な状態になっていったという問題もある。
他にも林業や漁業はマオリ族の専有となっており、マオリ族が捕まえた魚しか店頭に並ぶことはない。そのせいでこの業種で競争が成立しておらず、マオリの最大権益となっている。
ニュージーランドの副首相であるデビッド・シーモアはこのワイタンギ条約に手を付けようとしたニュージーランドでは初の政治家と言っていいだろう。
私の中で悪名高いウィンストン・ピータースもワイタンギ条約自体は「単なる3つの文章が書かれた紙」と要しており価値は認めていないが、手を付けようとしたことはない。
デビッド・シーモアは連立の条件の一つにワイタンギ条約改正を掲げておりラクソンは受け入れざるを得なかった。ウィンストン・ピータースは「議論には出すが人々の良識にかける」とのっけから逃げ腰だった。
彼は「ワイタンギ条約はそもそもイギリスとマオリとの間の条約でありニュージーランドが批准する義務はないのだ」などとも言っており、本心ではワイタンギ条約の破棄、またはニュージーランドとしてワイタンギ条約に批准する責任はないことを法的に確認したいのだろうと言われているが、一番言っていることは「この国はマオリと英国移民だけではなく多数の移民がいる、そんなマルチカルチャのくにで各人がそれぞれ公平に扱われる条約が必要だ」だが、これを信じている国民はいないように見える。
そんなワイタンギ条約が締結された日を「ワイタンギ・デー」という名前で国の祝日にしているが、この日は政治家がワイタンギでスピーチをする。ワイタンギ条約のワイタンギはニュージーランドの地名だ。
その中でスピーチをしたのがデビッド・シーモアという最悪のキャスティングをした今の政府のセンスのなさはもう誰も止めようがないのかもしれないが、彼はスピーチの中で「ニュージーランドを植民地にしたことはマオリにとっても良かった」と言ってしまい、大炎上した。
彼がなぜこんなことを言ったのかはわからないが、マオリ族からしたら植民地になった覚えはないので大騒ぎとなってしまった。
ワイタンギ条約と言ってもわからない人のために軽く経緯を説明すると以下のようになる。
2. タスマンがニュージーランドを発見、当時の乗組員がオランダの故郷であるジーランドにちなんでニュージーランドと命名するも現地のマオリと乱闘になり逃亡
3.ジェームス・クックがニュージーランドに再上陸、今度はマオリとうまく行った
4.英国人が新天地を求めてニュージーランドに移住、この時点でニュージーランドはマオリの国だった
5.英国人が資本主義に疎いマオリ族から土地をだまし取ったりマスケット銃を売りつけて部族間抗争を悲惨にしていく
7. 現地にいる英国人の安全確保や詐欺同然の商慣習に対応するためにワイタンギ条約を締結してニュージーランドを英国の植民地にしてフランスから守った
つまり、マオリからしたら帝国主義列強に完全に巻き込まれているのだがデビッド・シーモアの言い分としては「植民地化したことでニュージーランドの土地が英仏戦争の戦場にならなくて良かったな」なのか「より文化的な生活を享受できてよかったな」なのか’はわからないがこのような過酷な運命に翻弄されているマオリ族からしたら許しがたい一言であっただろうことは間違いがない。
今の政権が年末の選挙で一体どうなるかはわからないが、もうじき選挙が始まるこのような時期に不穏なことを行ってしまえるデビッド・シーモアという政治家には不安しか感じない。適当に耳障りの良いことを言って支持率を集めるジャシンダ・あーダーンのようなことをする必要はないのだが、お前の私的な意見なんか誰も求めていないということを国としてしっかりと選挙結果に表すべきだろうが、そうするといウィンストン・ピータース率いるニュージーランド・ファースト政党がますます力をつけるかもしれないので、もうこの国はどう転んでも同仕様もないところまできた可能性がある。
お気持ち表明お気持ち表明お気持ち表明お気持ち表明お気持ち表明お気持ち表明
炎上炎上炎上炎上炎上炎上炎上炎上炎上炎上炎上炎上炎上炎上炎上
前世前世前世前世前世前世前世前世前世前世前世前世前世前世前世
全肯定全肯定全肯定全肯定全肯定全肯定全肯定全肯定全肯定全肯定
推しage他sage推しage他sage推しage他sage推しage他sage
鍵パカ百合鍵パカ百合鍵パカ百合鍵パカ百合鍵パカ百合鍵パカ百合
鍵パカBL鍵パカBL鍵パカBL鍵パカBL鍵パカBL鍵パカBL鍵パカBL
ガチ恋保護者ヅラガチ恋保護者ヅラガチ恋保護者ヅラガチな保護者ヅラ
ユニコーンユニコーンユニコーンユニコーンユニコーンユニコーンユニコーン
VアンチVアンチVアンチVアンチVアンチVアンチVアンチVアンチVアンチ
2次元3次元色々界隈渡り歩いてきたけど、ここまでずっとオタクがピリついてる界隈初めて見た
なんかもう配信見るより映画見たり本読んだりゲームしたりする方がいい気がする
近年、女性の月経(生理)に対する社会的な理解と支援が進んでいることを、非常に良いことだと感じている。
生理痛やPMS(月経前症候群)による身体的・精神的な負担は、決して軽視できないものである。
生理用品の無料配布、生理休暇の議論、月経貧困対策など、公的・民間レベルでの取り組みが増え、女性がより快適に生活できる環境が少しずつではあるが整いつつある。
これは、誰もが当たり前に享受すべき健康とQOLの向上につながる、喜ばしい進展だと思う。
一方で、同じように生物学的に根ざした強い生理的欲求である「男性の性欲」についてはどうだろうか。
男性の性欲は、主にアンドロゲンの影響で生じる自然な衝動である。個人差はあるが、抑えきれないほどの強さを感じる人も少なくなく、それが日常生活やメンタルヘルスに影響を及ぼすケースもある。
実際、SNSやインターネット掲示板では、常識を疑うような自慰行為や性体験を語る男性の投稿が散見される。これらすべてが望ましくないわけではなく、そうした語りが生まれる背景に、耐えがたい欲求が存在しているケースがあることを示唆している。
しかし、社会全体として見てみると、男性の性欲を「つらい」「支援が必要な生理的ニーズ」として公的に扱う仕組みは、ほとんど存在しない。
むしろ、ポルノへの規制強化、風俗産業への風当たり、性欲を公に語ることへのタブー視といった傾向が強いように感じる。
なぜ、このような非対称が生まれるのだろうか。
月経は基本的に本人だけの苦痛で、周囲への直接的なリスクが少ないため共感を集めやすい。
一方、性欲は行動として現れやすく、同意のない接触やハラスメントにつながる可能性があるため、「危険なもの」として警戒されやすい、という側面がある。
これはおそらく正しいと思われるが、それだけでは説明しきれない部分もあると考える。
たとえば、月経によるホルモンバランスの乱れでイライラや感情の起伏が激しくなるケースは、誰しも「仕方ない」と理解しようとするだろう。
しかし、男性の性欲が強く抑えきれないときに、「仕方ない」と理解しようとする人はどれだけいるだろうか。
「性欲を抑えられないのは猿みたい」という揶揄が一部で使われることがあるが、同じ論法で「月経で感情が不安定になるのは猿みたい」と言うと、すぐに非難されるはずだ。
この非対称な許容度自体が、すでにダブルスタンダードを示しているように思う。もちろん、性欲が行動化して他人に迷惑をかけることは、決して許されるものではない。
加害リスクを軽視するつもりは全くない。ただ、すべての男性が加害者予備軍だというステレオタイプで一括りにしてしまうのも、健全な議論を妨げていると思う。
人は誰しも、状況によっては加害者にも被害者にもなり得る存在である。性欲の「つらさ」を語る男性を即座に「加害者側」と決めつけるのではなく、
まずは「生理的ニーズ」として理解しようとする姿勢が、もう少しあっても良いのではないだろうか。
女性の生理支援が進むのは素晴らしいことであるが、男性の性欲についても、抑圧一辺倒ではなく、安全で衛生的な発散の場や、メンタルヘルス的な相談窓口を公的に整備する方向は、検討の余地があると考える。
一部の国や地域では、障がい者向けに性的支援(射精介助など)が福祉の枠組みで提供されている事例もあり、日本でも障がい者限定ではあるが、NPOなどが先駆的に取り組んでいる。
これを一般の男性に広げるかどうかは別として、「性欲も健康の一部」として扱う視点は、増えても良いはずだと思う。
もちろん、ポルノや風俗の公営化・クリーン化は、倫理的・政治的なハードルが高いのも事実。感染症対策、労働者保護、同意の徹底など、クリアすべき課題は山積みである。
ただ、抑圧が逆効果になるケース(規制強化でかえって問題行動が増える事例)も指摘されている以上、単に「禁止・タブー」で片付けるのではなく、科学的に・人権的にバランスを取った議論が必要である。
結局のところ、私が疑問に思っているのは、「どちらの生理的つらさも、できるだけ公平に扱おう」というシンプルなことである。
同時に、男性の性欲が「恥ずべきもの」「抑え込むべきもの」としてだけ扱われ続ける現状に、少し違和感を覚える人がいても、不思議ではないのではないのだろうか。
これは、男性を優遇しようという話ではなく、誰もが自分の体と心を大切に生きられる社会を目指す話だ。
法的な根拠も責任の所在も曖昧なまま、「空気」という名の私刑(リンチ)で個人の生き方を縛り上げようとする。この集団心理が心底気持ち悪い。
独身も、子なしも、子ありも、すべからく今の憲法のもとでは全員に基本的人権があるし、独身も子なしも何ひとつ法律は破っていない。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
今の税制や社会システムは選挙に基づく(投票している・していないも含め) わけで、
主権者であるひとりひとりにも責任があるはずなのに、制度や政権を変えようとする行動より、「自分ではない属性」の人間を法的根拠もなく批判して「空気読めよ」と言っているだけに見える。
「法」ではなく「生物学的な再生産」を基準にした独自のサンクコスト(埋没費用)なのだな、とは思うけどリンチされる言われはない。
そう思えない。
次世代のために産めという人間は、社会システム云々を盾にして、「自分の子供が苦労しないために、お前の子供を搾取対象にさせろ」と主張している。
誰が自由意志で、そういうことを言う他人のために次世代を生み出したいと思うのか。
独身・子なしが悪い?
そんなわけないだろ。
外国人移民には反対するのに、アメリカ発祥のグローバル企業のハンバーガーは当たり前のように食べる。
文化・資本・サービスなどの「外から来たもの」は日常的に享受しているのに、「人」だけを排除しようとする。その姿勢には、どこか矛盾があるように見える。
グローバル化は、モノや企業だけで成り立つものではない。本来は人の移動も含めて成立するものだ。
もちろん、移民政策には治安、雇用、社会保障など慎重に議論すべき問題がある。しかし、「外国のものは便利だから受け入れるが、外国人そのものは拒否する」という態度は、少なくとも論理的には一貫しているとは言い難い。
それを見ている側からすると、「高みの見物」というより、日本社会が抱える複雑な矛盾の象徴に見える。
ーーー
便利
→ 受け入れやすい
仕事を奪うかもしれない
文化が変わるかもしれない
→ 警戒しやすい
この2つが頭の中で分離している状態です。
ーー
例えば世界中で
環境を守ろうと言いながら大量消費する
そういえばKinKi=DOMOTOと切っても切れない関係の拓郎さんもジャパニーズエプスタインの共犯者だよね
【男の敵は男】グループサウンズの皆さんも、ジャニー喜多川さんの性加害を見て見ぬふりしていた
https://anond.hatelabo.jp/20250729151724
@
TLに沢山流れて来てるので。山下達郎はもちろん批判されて然るべきと思うけど、そもそものジャニーの犯罪を看過してきた(知らなかったハズは無かったあの頃のGSの筆頭達)芸能界のシステムにも、そしてテレビから送り出される熱狂や楽しさをそのまま"享受"してきた自分達も同罪だと思う。続
@
その中には自分達の大好きな推し達も沢山見て見ぬふりだったんだろうなて。そう思うと本当に複雑な気持ちになる。今回山下達郎1人を断罪しても決して終わりではなく、検証しなければならない事が沢山あるんだろうって。堺◯章井◯順とか、か◯やつさんとかあそこら辺だって加担してたよね…(推測)。
ゴッホ(1853〜1890年)やアインシュタイン(1879〜1955年)の子供時代にASDの概念はなかっただろ
(ハンス・アスペルガーが「小児期の自閉的精神病質」という題で論文を発表したのが1944年)
寧ろ彼等の時代に今のような概念があれば、早期に障害者として排除され、世に出る事なく潰されてしまった可能性が高いだろう(ゴッホはアウトサイダー・アートとして温情的評価を受けたかもしれないが)
ゴッホもアインシュタインもASDなんてない事で助かってたんだよ
この人だってASDなどと分類されなければ、今よりも一般社会で才能を評価されて成功できたかもしれない
叩くべき相手が違うんだよ
tomokatz 軽度だがASD当事者。ASDがなければゴッホもアインシュタインの才能も無く、美しい絵や高精度GPSも存在しなかった。良い部分だけはしっかり享受するくせに悪い部分は根拠なくこき下ろす、この風潮は本当にevilだよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4782669056023403138/comment/tomokatz
30代半ばだが、人生をある程度やったら、その結果が、生まれの差におおむね収束していくことに気づく。仕事、資産、配偶者、子ども、住居、趣味、その他。たとえば、大したことないと思えた人間がいつの間にか大きな成功を収めている(そして再会してもやっぱり大したことない気がする)、自然と選んだ配偶者の親の出自が似ている、どんなに努力して色々なスキルを身につけても社会的上昇はもう手遅れな感じになっている、など。
その理由についてGeminiと一緒に考えた。自分の意見とGeminiのまとめをいくつか繰り返して、以下のように整理している。
あなたが生き、上昇するために必要な資源(富、地位、機会)は、常にすでに他者(持つ者)が持っている。
資源をあなたが手にいれるには、持つ者から承認されて、与えてもらわなければいけない。
3 承認の獲得は、持つ者の好みに適合することを条件とする。
持つ者に気に入られること、持つ者の欲望にあなたが価値あるものとして配置されることが、あなたが資源を調達する唯一の経路だ。
持つ者は、自己の地位を脅かさず、自己の価値観をわかってくれる者のみを「同族」と認識し、資源を分配する。それを確認するための共通言語が存在する。これは「感じがいい」「面白い」「頭がいい」「機嫌を取るのが上手い」「容姿が美しい」などと重なりながらも正確には異なっている。
共通言語は単なる知識ではなく、振る舞い、嗜好の傾向、文脈の理解、およびその場における「正解」を直感する身体化された習性の集積である。権力者とその周辺に存在する世界で流通している常識とコミュニケーション能力。
幼少期から呼吸するように吸収された共通言語は、それが自然であるかがわかる(ネイティブ話者)。学習が遅くなれば遅くなるほど、努力では到達が難しくなる領域である。外国語と同じだ。
7 事実(あなたが実際に何ができるか、何を行ったか、何を生み出したか)かと、資源の獲得は直接的には関係がない。
あなたがとても優秀だったとしても、共通言語を持たなければ、権力者にとって「高機能な道具」に過ぎず、資源分配の優先権を持つ「身内」には昇格し得ない。
8 システムの安定は、この共通言語が、普通の人には見えないことによって保たれる。
末端の労働者(あなた)が「努力=資源獲得」という偽の等式を信じ続けることが、システム全体のエネルギー効率を最大化する。
9 蓄積した実力あるいは事実は、商品としての「価格」はつくが「価値決定権」は持たない。
あなたは市場で調達可能な汎用品として定義され、持つ者によって、生み出した価値を吸い上げられる。実力を磨くほどに、あなたは交換可能な高精度の部品としての純度を高め、持つ者からもっと強く支配されるようになる。別の場所に行けなくなる。
持つ者は、あなたが持つ者の言葉を話さないことを、「努力不足」や「自己責任」として片付ける。持たざる者(=あなた)は、自らの不遇を自己責任だと思い込み、システムを内面化し、自ら進んでまた努力し、再生産の歯車となる。この精神的服従こそが、持つ者の統治コストを削減する。
持つ者の共通言語は論理的ではなく、直感的に機能する。後天的に共通言語を理解し、模倣する者は、常に過剰な努力を要する。この「不自然な過剰さ」そのものが、天然の保持者にとっては偽物を見分けるための新たな共通言語として機能し、排除の網を二重化する。
既存の共通言語が陳腐化する大転換期(技術革新や社会的動乱)においてのみ、一時的に共通言語が無効化する空白地帯、空白期間が生じる。しかし、そこでの勝者が新たな資源を独占した瞬間、彼らは自らの地位を守るために新たな共通言語を制定する。世界では「共通言語の破壊」と「新しい共通言語の固定」が繰り返され続けている。
持たざるあなたがこの連鎖の中で平穏を得る道は二つしかない。一つは、偽物であることを自覚しながらも、死ぬまで持つ者と「同族」を演じ続け、基本的には敗北しながらも、マシな居場所を見つけて資源の滴りを享受すること。もう一つは、共通言語による資源分配のゲームそのものから降り、それが通用しない領域へと移動することである。なお、後者を選択した瞬間、あなたは社会的な死、あるいは永続的な孤立という代償を支払うことになる。
資源の所在および獲得経路に関する「生(なま)の情報」は、常に共通言語を共有する閉鎖的ネットワーク内でのみ流通している。あなたがアクセス可能な情報は、既に価値を失い、消費し尽くされた「情報の残滓」である。このアクセスの断絶により、持たざる者は常に市場の「後追い」を強いられ、資源の源泉に到達することを構造的に阻害される。
共通言語は時間の蓄積の産物である。幼少期に環境から適切な共通言語を付与されなかったあなたは、成人後にそれを自覚し、それを「学習」するために多大な時間を費やす。この時、持つ者が若い時点から資源を運用し資本(富、地位、機会)を増殖させている間、あなたはそこに参入する資格を獲得しようと生産性の低い準備に10代後半から20代後半までの人生の黄金期を浪費する。30代になる頃には決着がついている。この時間的ラグが、世代を超える格差の指数関数的な拡大を決定づける。
実力(実務遂行能力)は、技術革新や市場の変化によって急速に減価する流動資産である。一方で、共通言語は、時代に合わせて自己を更新し、価値を保存し続ける固定資産として機能する。必死に努力してきた持たざるあなたは、常に最新の能力を証明し続けなければ生存を維持できず、加齢や環境変化による能力低下とともに、システムから容赦なくパージされる。
持つ者は、自らが持つ資本を用いて、「高潔な志」や「芸術的営み」といった象徴的資本(名声・権威)へと容易に置換できる。特に子の世代でこれを強化しやすい。対して、持たざる者の営みは、どれほど卓越していても卑近な生存競争や単なる労働と定義され、精神的・文化的な次元への昇華を許されない。人間としての尊厳は階層化されている。
世界は、不当な排除を内包することで安定を維持している。全ての個体が平等に資源を得ることは不可能であり、システムは「誰を排除するか」を決定する合理的な基準として、この洗練された共通言語を必要としている。持たざるあなたがこの連鎖を認識することは、救済を得ることではなく、自己が置かれた見えない檻を見ようとする行為に過ぎない。
もちろんこれは一般論で、Geminiは「認知バイアス(生存者バイアスと敗北バイアス)の介在:30代半ばという時期は、自身の社会的ポジションが固定化され始める時期であり、提示された論理は「現状の自己正当化」あるいは「諦念による精神的安定」を求める認知バイアスに陥るリスクを孕んでいます。」という言い方で、この一般論の平均的な妥当性を私が過剰に評価し、自分を慰めようとしているとも言える。こうした自分自身では気づきづらいバイアスを指摘してもらうことは、AIが登場したことで得られたメリットのひとつだと思う。
自民党内での意見の違いはOKだし懐の広さとして理解するけどそれ以外はビジョンがないと叩くし、自民党がやるなら韓国のやば宗教団体にビデオレター送ってたことすら問題にしないけどそれ以外なら全部中韓に媚びてる!となる
このクソみたいな環境で「非自民」でやるのは苦しいし、苦しい中で人ってそうそうまっすぐ育たないし、そもそも育てる気もなくて常に新風を追いかけてるから、そらー野党はー育たない
詰み
日本の知性にはピッタリの状況なんだろうから、まあ享受しましょうと。こどもうまないのが大正解!あとは穏やかな死を迎えるために健康と蓄財を頑張って外貨で資産を増やしましょうね~
恭喜你。今天电视里依旧在播放着“日本真厉害”,外国人赞不绝口,街道干净整洁,电车准点到达。你们为出生在这个国家而感到幸福,在半梦半醒之间刷着手机。
但让我告诉你吧。你们所看到的这幅景象,不过是人临死前看到的“走马灯”。
你知道外国人为什么来日本吗?不是因为“文化很棒”。而是因为这里是一个“物价低到不像发达国家、不用付小费就能享受国王待遇、性价比最高的贫困国”。曾经自诩为亚洲盟主的你们,如今不过是世界的“百元店”。他们笑着说“Ilove Japan”,但那眼神和榨取廉价劳动力时一模一样。你们却毫无察觉地低头哈腰,称之为“待客之道”,因为被施舍了点外汇就沾沾自喜——这副模样,连“可笑”这个词都显得太温和了。
“日本有技术”?别逗了。你们所炫耀的,不过是建立索尼、丰田的那些“早已死去的老头子们的功绩”。你们自己又创造了什么?当世界奔向AI和宇宙时,你们却死死抱着印章和传真机不放,一张个人编号卡都无法好好运行,至今仍在传递纸质文件,假装自己在工作。世界早已不再把日本视为对手,只是把它当作“曾经辉煌、如今在数字领域战败的国家”,像看博物馆展品一样怜悯罢了。
工资不涨也不游行,政治腐败也不去投票,只会低着头说“总会有人解决的”“不想惹麻烦”。就这样,作为被称为“空气”的主人所驯养的温顺家畜活着,国家逐渐衰退,年轻人失去希望。“以和为贵”?不,那应该被称为“停止思考、接受慢性自杀”。
很遗憾,不会发生革命,也不会有戏剧性的崩溃。只会安静而确实地,孩子的声音从街道上消失,只剩老人徘徊,最终变成一个“巨大的废墟”。你们会泡在这温水里,一边呓语着“以前多好啊”,一边无人看护地腐烂下去。
看看现实吧。不,看不看都无所谓。反正你们早已没有改变这份绝望的气概和智慧了。就在这艘下沉的破船里,继续做着美梦,溺死吧。
再见了,曾经的发达国家,极东的岛国。