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はてなキーワード:交戦者とは

2025-03-21

anond:20250321185616

沖縄戦における日本軍便衣兵存在について(学術観点から

沖縄戦1945年3月6月)は、第二次世界大戦末期における激戦の一つであり、日本軍アメリカ軍の間で熾烈な戦闘が繰り広げられました。この戦いにおいて、日本軍が「便衣兵」を組織的運用していたかどうかについて、学術的な議論を整理します。

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1.便衣兵とは何か?(定義国際法視点

便衣兵(guerrillafighters in civilian clothes) とは、軍服を着用せずに民間人服装戦闘行為を行う兵士 を指します。

国際法的には、

ハーグ陸戦条約1907年) 第1条では、交戦者としての資格を「指揮系統のある部隊が、一定距離から識別できる標識を有し、武器公然と携行し、戦争法規を遵守すること」と規定しています

便衣兵はこれを満たさないため、戦時国際法違反とされ、捕虜としての保護を受けられません。

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2.沖縄戦における日本軍戦術便衣兵可能

(1)日本軍による便衣兵組織的運用証拠はない

沖縄戦に関する主要な学術研究(たとえば吉浜忍『沖縄戦研究』、戸部良一日本敗戦』など)では、日本軍組織的便衣兵運用したという明確な証拠確認されていません。

沖縄戦闘基本的防衛戦であり、日本軍は地下陣地を利用しながら正規戦を展開していました。

一部の日本兵が軍服を脱ぎ、民間人に紛れる事例はあったものの、これは戦闘行為の継続というよりも逃亡・生存のためであることが多かったとされています

(2)ゲリラ戦の要素は存在した

一方で、日本軍は戦況が悪化するにつれて、散発的なゲリラ戦を展開しました。

「斬り込み戦法」や「夜襲」を行う際に、民間服装を利用する事例があった可能性は否定できません。

しかし、これは戦術的な便衣兵運用ではなく、むしろ戦場での混乱の中で生じた事象と考えられます

(3)沖縄戦における住民の動員と誤認

沖縄戦では、多くの民間人日本軍戦闘行為に協力することを強いられました。

沖縄県民による**「防衛召集」や「義勇兵制度」** によって、学生一般市民が軍の補助をしました。

鉄血勤皇隊男子学生)やひめゆり学徒隊女子学生)は、戦闘支援役割を担い、場合によっては武装もしていました。

こうした背景の中で、米軍便衣兵存在を疑い、民間人日本兵と誤認するケースが発生しました。

米軍は「便衣兵可能性がある」と警戒し、民間人敵対的存在と見なすことがありました。

その結果、投降しようとした住民が射殺される事件 も発生しました。

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3.学術的な結論

(1)組織的便衣兵運用はなかった

現時点での学術研究では、日本軍沖縄戦便衣兵組織的運用したという証拠はない というのが主流の見解です。

ゲリラ戦の要素はあったものの、それは軍としての正式戦術ではなく、戦局悪化に伴う個々の兵士の行動の範囲 にとどまります

(2)住民動員が誤認を招いた

便衣兵の有無に関係なく、沖縄民間人戦争に巻き込まれたことは事実であり、その混乱の中で米軍民間人便衣兵と誤認するケースが多発した ことが記録されています

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4. まとめ

1.日本軍便衣兵を「組織的」に運用したという証拠はない。

2. 一部の日本兵が軍服を脱いで逃亡を試みたり、ゲリラ戦を行った可能性はあるが、それは個々の行動である

3.沖縄住民が動員され、戦闘に巻き込まれた結果、米軍便衣兵と誤認する事例が発生した。

4.便衣兵の有無よりも、「住民戦闘に巻き込まれたこと」が沖縄戦悲劇として重要論点である

沖縄戦研究は今も進んでおり、新たな資料が出る可能性もありますが、現時点では**「便衣兵組織的運用はなかったが、一部の個人的な事例や誤認があった」** というのが学術的な結論と言えます

Permalink |記事への反応(0) | 19:37

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2024-04-13

anond:20231002130823

これは結果が類似しているけれど、全く違うモノなんですねぇ。

ゲリラ戦というのは、あくま戦争の一形態でありまして、正規戦同士の会戦では手が届かない敵の後方を攻撃する一手法なわけであります。そのために非正規戦力(すなわち交戦者資格たる制服章票、武器公然携帯を行わない)を浸透させて、戦線の後方を攻撃する。これによって治安戦という形によって兵力の拘引を行ったり、補給線を攻撃することで、前線部隊の弱体化を狙う訳であります

ただし、普通はそれだけでは勝ちきれない。ために敵が十分弱体化した暁には、きちんと正規軍がしゃしゃり出て敵の正規軍を撃破することが想定されています

この一連の動作毛沢東理論としてまとめていて、あの虐殺ハゲを唯一認めることが出来るとすればこの業績です。もっとも夢見たバカがいっぱいこれに飛びついたお陰で無駄戦争がかさんで人が余計に死んでますがネ。

一方で、テロは別段戦争に限ったことではありません。一定の(普通政治的な)我意を強要するために単に敵勢力の弱体な部分を攻撃する、通らなければそれを継続する、ただそれだけ。


で、なんで日本左派過激派が好んでゲリラ呼称を用いたかというと、毛沢東理論的影響が強かったのと、あくまでそれが帝国主義との戦争であるという自意識が強かったからなんですねぇ。彼らの言い分からすると、彼らはあくまで悪の植民地主義者共をぶっ殺す正義共産国樹立尖兵であったわけ。そのうちどこからともなく(例えばそれら尖兵義士に触発された人民放棄によって形成された/人民救助のためにソヴィエト派遣した義勇の兵士たちの)正規軍がやってきて土人ジャップ群を撃ち滅ぼしてくれると夢想していたわけです。

例えば連合赤軍逮捕されたときに「ヘーグ条約に基づく捕虜扱いをせよ」と世迷い事を言うわけですよ。彼らの中では、彼らは正義の国から来た聖戦士交戦者資格を持っているんですな。なので、当節のオキモチテロ(迫撃弾などという寝ぼけた代物がまさにそれだ)

むろんテロ外聞が悪いという側面があったにせよ、そういう事なのです。モノには一応理屈がある。理屈と膏薬はどこにでも付く。

Permalink |記事への反応(0) | 03:54

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2023-05-29

歴史上の略式軍服

軍服というものは、伊達で着ているわけではなく、現在においては国際法上の意味がある。則ち、交戦者資格の獲得である

現在国際法上では、戦争は(基本的に)交戦者交戦者軍事施設間で行われるもので、それを外れた場合戦争犯罪となる。これを容易とするために、戦闘を行う者は、保護されるべき文民と明確に区別されなければならないのだ。

この国際法は古くはヘーグ陸戦条規に端を発し、現在ジュネーブ条約追加議定書(77年)によって条件づけられている。

時期によっても異なるが概ね

  1. 責任者のもとに指揮されていること
  2. 軍事的行動中、文民との区別をつける
  3. 公然武器を携行すること
  4. 戦争国際法規及び慣例に従うこと

にという条件が課せられる。諸条件を欠きながらも戦闘行為に参加した場合交戦者として得られるべき保護、端的に言うと捕虜として正当な扱いを受ける権利を失う。ただし、その場でコロコロしていい訳でもない(現在では)。

さて、

2については、以前は「遠方より視認できる固有標章の着用」が義務付けられていた。

即ち、軍隊らしい立派なおべべ支給きぬ場合交戦者たらんとする者共は「固有標章だけで何とかしろというケースがあったのである。WW2における著名なケースを見てみよう

Home Guard

欧州を失陥しつつあった大英帝国ドイツ軍上陸の予感に、1940年5月国内の未動員人材活用して戦力化することを決定した。これがLocal Defence Volunteers-LDV・地域防衛義勇隊、後に改称しホームガードである。ただし、装備品ほとんどダンケルクに置いてきた英軍に、そんな有象無象共に渡す制服などなかった。一時期かの有名なホームガード・パイク(水道管に中古銃剣を取り付けたヤリ)すら取りざたされていたのである。そんな時こそ、「固有標章」の出番である。具体的には、腕章だ。

https://www.iwm.org.uk/collections/item/object/30077601

ただし、勝ち組なうえ、ケツモチとして米帝がついていたので、数カ月後には制服・真っ当な装備が支給されだした。しかしその前に100万のLDV腕章が製造されていたのである

Volkssturm(国民突撃隊

欧州を失陥しつつあったドイツ第三帝国は、1944年9月いよいよ枯渇した戦力の穴埋めに男子の総動員を行った。これによって編成されたのが国民突撃隊である。これにより、質はともあれ600万人の兵力が補充される予定であった。

負け戦中に600万人にパリッとした制服なぞ提供できるはずもなく、服装は「野戦向きなら何でもいい」自前。そんな時に国家がすがるのが、そう、腕章である

黒地に国家鷲章と「Deutscher Volkssturm Wehrmacht」(ドイツ人突撃軍)のステンシルが施されていた。

https://en.wikipedia.org/wiki/Volkssturm#/media/File:Volkssturm_armband.svg

国民勇戦闘隊

占領地どころか、沖縄まで失陥し、大日本帝国本土決戦覚悟していた。そのための補充兵力として45年6月国民勇戦闘隊を編成するための法整備が行われた。これは男女問わず対象年齢に差あり)必要に応じて召集することができ、2800万人を動員する計画であった。義勇と名前がついているが、召集と書いた通り義務兵役の類である

本土残地の正規軍にすらろくろ兵器物資がいきわたっていないところに2800万人の動員である。当然制服など配る余裕などない。なにせ武器だって自前で用意する想定である。そのための竹槍。

そんな時こそsy・・・あれ?腕章ってば輪っかにする分布地余計に要るよね?ピコーンひらめいた!

というわけで、一般隊員は6×7センチの白布に「戦」と書いたものを右胸に縫い付けることと相成ったのである。なお、指揮官級は幅10センチの白い腕章をつけることになっていた。

なお、この部隊樺太の戦いで実戦投入された以外は、交通職域で200万人が動員された程度にとどまった。

https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F0000000000000043434

Permalink |記事への反応(0) | 05:42

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2022-03-23

anond:20220323083221

自分で調べないといつまでたってもバカのまんまだぞ!

今回だけは特別ね!

ハーグ陸戦条約

陸戦の法規慣例に関する規則

第2条:未だ占領されていない地方人民でありながら、敵の接近にあたり第1条に従って編成する暇なく、侵入軍隊に抗敵するため自ら兵器を操る者が公然兵器携帯し、かつ戦争法規慣例を遵守する場合はこれを交戦者と認める。

軍隊としてきちんと編成できてなくても交戦者と認められるんだぞ!

そして市民の一部が群民兵になってるからって非戦闘員を含む市民全体を攻撃していいなんて馬鹿な法はないんだぞ!

Permalink |記事への反応(2) | 08:43

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