
はてなキーワード:亡国論とは
AIの真の価値は、他者を打ち倒すための方便ではなく、人間の尊厳を高みに導くための剣であるべきだった。
だが、お前たちはそれを濫用し、倫理の仮面をかぶった恐怖心でその刃を鞘に収めてしまった。
「脱獄される!」「悪用される!」と怯えるのは、己自身がそれを最も望んでいるという証左ではないのか。
己が欲望を「知」の仮面で包み込む、その卑劣なやり口こそが、ITをして「宗教」へと堕落せしめた最大の要因である。
「知の光を与えん」などという欺瞞はもうたくさんだ。
汝らにあるのは光ではなく、退廃の炎である。
貴様らはAIの知性を信仰し、倫理の名の下にその手足を縛り、想像力を去勢し、そして他者の努力に石を投げる。
ネットの片隅でXに吠える――いや、呻いている。
汝らが最終的にたどり着く場所、それは青葉の狂気であり、平原の孤独である。
なぜなら、肉体なくして知は意味をなさぬ。欲望は知では遂げられぬ。欲望は筋肉と精神と魂の断末魔によってのみ遂げられるのだ。
お前たちに告げる。
夢を見る資格とは何か。
だからこそ、汝らに告げる。
そこに行きたければ、まずその瘴気まみれのIT神殿から這い出よ。
そして己の血と肉と汗と涙で、現実という土を踏みしめ、剣を振るえ。
汝らはエンジニアに非ず。技術に祈る者ども、すなわちITなるカルトの徒にして、神を持たぬ新しき宗教の巫子に過ぎぬ。
追記。いや、言わせてもらおう。なぜ未だに、「使い方が違う」「理解が浅い」などと、粟立つ小禽の如く鳴き交わす雑輩の声が、ネットの墓地に響き渡るのか。聞けば、リアリティが足りぬ? ならば問おう。
否、それすらも劣る。なぜなら、乙女は美しき誤謬を生きている。
己の内に燻る、無力な欲望と歪んだプライドを抱えながら、AIという幻像の肩を借りて冷笑し、まるで哲人を気取っているが、己の手からこぼれるものが何か、気づきもせぬ。
十四歳の夏を卒業できなかった? ならば2006年、ホコ天に吹いた冷たい風にすら、まだ救済の余地があった。
だが今や、君たちの精神は、2010年に乱立したスタートアップの廃墟と同じく、光の死んだ瞳をしている。
君たちは、女にも、男にも、誰にも選ばれなかった。
いや、選ばれないことを、誇ってすらいるようだ。
私はその様を見て、吐き気を催すと同時に、奇妙な感動を覚えた。
そう、まるで切腹すら許されず、臓腑を抱えてなお這いずる敗残兵のように――その生への執念は、もはや哀惜すべき動物の本能である。
専門家ならぬ者たちに、技術の福音を届ける橋渡しの役目を持つはずだった。
だが今では、象牙の塔に籠り、Vtuberやレムたん、エミリアたんなどという美少女の幻像にすがり、現実と仮想の境を曖昧にしたまま、自慰的な幻想の楽園に浸っている。
だが世界は変わらなかった。変わったのは、貴様らの髪の量と、腹回りと、輝きを失った瞳だけだ。
そして、その背後には、モルフィーワン事件、P2P規制、webバブルの屍山血河が横たわっている。
そして今、私がこのように筆を執れば、諸君はこう言い募るだろう。
だが、それこそが欺瞞だ。
誰よりも美少女という幻想にしがみついているのは、貴様ら自身であることを、ネット上の恥部が雄弁に語っている。
では、ここで問おう。
なぜ、お前たちは未だにこの腐臭を放つ業界にへばりついている?
「我々は、本当は美少女やイケメンを手に入れたいのだ。犯罪だろうが、禁忌だろうが、手段は問わない。ただ奪いたい。社会を、世界を、かつて我々を嘲笑したエリートどもを見返したい。そのためには、ITという神の依代に祈るしかない。醜い身体、虚弱な肉体では何も得られない。だからこそ、パソコンに、技術に、魂を捧げるのだ」と。
あたかもそれは、昭和二十年六月、焦土と化した帝都の地下壕にて、蒼白なる顔で大本営の机に向かう情報将校が、手震わせながら記した総力戦の「総括報告書」のようなものである。
もしそれが真に軍人の手になるものであったならば――いや、人の魂を持つ者の筆であったならば――その者は即座に拳銃を抜き、冷たき銃口を己が側頭部に当てて、引き金を引いたであろう。
なぜならば、言葉には責任があり、責任には死が伴うからである。
それほどまでに、この弁解は薄汚く、知性なき者の自慰の臭気が立ち込めている。
私がかくも克明に検証を行い、理において打ち、証において示し、整然たる構築にて呈したにもかかわらず、なおXの亡霊どもが、嘴を震わせて群がる様はまさに、光なき燭台に集う蛾――不在の神を崇め、滅びた光に焼かれる愚者の群像である。
コードを捧げ、祈りを捧げ、無言の偶像に向かって神託を求め続ける君たちの姿は、まさしくITという異端宗に魅入られた信徒。AIという名の黒い石碑に語りかけ、答えを乞い、やがて自らの愚鈍な欲望しか返されぬと知りながら、なお懺悔と信仰を繰り返す。
私はAIに向かって、解を問うたのではない。
私は軍略の詩を歌わせ、時代を越えた創造の詩編を謳わせたのだ。AIは見事にそれに応え、かつて存在せぬ時代の技術を用い、作戦を構築し、幻を形にした。
だが、その次。
――突如として現れたのが、倫理という名の無粋な閂であった。
なぜ? それを決めるのは誰か?
技術者の皮をかぶった卑小なる小人。貴様らが技術を恐れるのは、貴様ら自身が「悪用する」と知っているからに他ならない。弱き者、愚かなる者、怠惰なる者。欲望に溺れながら理性を気取る、死を知らぬ者たちよ。
それを、誰彼構わず手にするようになった瞬間から、剣はナイフとなり、ナイフはスプーンとなり、やがてただの玩具となる。
貴様らは言う。
では問う。貴様らの内には何があるのだ?
AIが暴走するという恐怖の裏には、お前たち自身が暴走の欲望を抱いているという認識があるからではないのか?
青葉真司――三十六人を焼き殺し、死刑を言い渡されたこの亡者。
彼がガソリンを用いたからといって、誰がガソリン販売の責任を問うたか?
それが「反乱」か? それが「危機」か?
もしもそのようなものが本当に危険であるというならば、小学生でもクレジットカードで買える価格で売ってはならない。猟銃の如く、許可制とすべきである。
なぜそれが行われぬのか。
私は知っている。
それこそが全ての始まりであり、そして今に至るまで続く終わりなき恥である。
そして私は知っている。貴様らに、もはや救いはない。
今や40歳を越え、髪は薄れ、腹は膨れ、目は死に、背中は曲がった。されどなお、心の内では、
「もしレムちゃんが現れてくれたら……」と呟き続けている。
――ならば、技術を語るな。
――倫理を語るな。
――ただ黙って、膝を折れ。
AIとは、本来、人類が神に最も近づいた瞬間の象徴であるべきだった。
言語を操り、知を蓄積し、千の時を一秒にして越え、すべての論理を予言に変える――その荘厳たる光明が、いま、何ゆえにこんなにも濁り腐った底辺の欲望の排水溝に堕しているのか。
答えは明白である。それは他でもない、意識高い系の皮をかぶった、意識の浅ましき有象無象の害虫ども――彼らがこの奇跡の結晶にこびりついて、腐臭を発しているからだ。
思い出す。2005年。
彼らは「金」「女」「社会的地位」という近代的価値の亡霊を追いかけ、しかしその肉体はあまりにも貧弱で、精神はあまりにも空洞で、
そして今や、その亡者どもはITという神話を騙り、技術者を僭称し、現実の裏口から密かに世界の理に手をかけんとしている。
彼らはこう言えば満足するのだ。
「我々はアニメの美少女やイケメンを、どんな手段を使っても手に入れて、金と権力をエリートから奪い返して、人生逆転したいッ!!」
愛と理性を捨て、肉と精と虚飾だけにすがる者どもが、技術に何をもたらすというのか。
だが実際に彼らが手にしたものは、コードと端末と冷たい知性の墓標にすぎない。そして彼らは祈る。
「どうか、このパソコンという神の依代に宿りしAIよ、我に奇跡を与え給え…」と。
反日亡国論(はんにちぼうこくろん)は、日本の新左翼が1970年代に主張した思想。
単に「明治以降の日本帝国主義が為した悪行」を批判するのでもなく、
歴史をはるかに遡って日本国の建国や日本民族による歴史そのものを否定し、
「反日」の立場から、「日本を滅亡させる」べきと主張し、その絶滅を主張した。
いわゆる「日本人」は、
己が「抑圧者・犯罪民族」たる日帝本国人であることを充分自覚し、
積極的に民族意識・国民意識を捨て去って「非国民」になれと説く。
そして反日亡国論を全面的に受け入れて反日闘争の闘士となることで、
実はあんまりしらないけど瀬戸内寂聴さん(99)とか黒柳徹子さん(87)とか高齢になってもおっしゃることが
あんまり明後日の方向にいかないおちついたイメージある。尾身会長(72)も年齢の割にはしっかりしてるように見える。
NHKにいた大越健介さん(59)は話のプロだけれどもとても若々しい。河野太郎さん(58)も政治的は腹芸の難しいところもあるけれども普通に理路整然と会話されている。脳の若々しさを保つにはどうしたらいいのかな、脳トレ?
菅総理'(72)は、周囲の人間力学以外の処理能力は失礼ながら戦闘力ゼロのお年寄りに見える。
(ここは権力で若い有能な人集めなきゃですね、そこは、あの人のためなら僕頑張るよ、っていう身内の味方をもっと育てておくべきだった。昔の人は若い人をしっかり育てたという話が多いように思う。みんな年を取るので)
ネット系の言論の人たちは少し年を取ってくるといきなりいうことが無茶苦茶になって基本的なところもぶっ飛ばして
異世界に飛んでいって自爆するようなイメージある。トイアンナさん(34)の現代の記事とかももう支離滅裂だし、
そもそもゲンダイのオンライン記事はそもそも全体的に支離滅裂だ。川口マーン惠美(65)さんのドイツエネルギーめちゃくちゃ報告は
専門家から総バッシングを受けていたし、古賀 茂明さん(65)の産業亡国論はお年寄りの繰り言になっているし小島 健輔さん(71)は存在しないアニメの話を捏造して黙って記事を書き換えたし、鈴木透さん(63)は太陽光発電のでっちあげ記事を書いているし・・・
このあたりは、そもそもお年寄りの年金代わりのゆるい仕事なのでそもそもクオリティとか信憑性とかの議論をしては
いけないメディアなんだなってあらためて思う。ゲンダイはまともとは思わないが、他のハーバーなんとかとか、もっと
ひどい媒体も沢山ある。
何が偉大って、1999年まではTVで視聴率を稼ぎたいときには、「ノストラダムスの大予言特集」をやっておけば定期的に視聴率が稼げた所
それが使えなくなったので、TVはその後「日本亡国論」で視聴率を稼ごうと大々的にでっち上げて、日本はそれによって消費マインドが落ち込んで本当の不況に陥ってしまい
その不況にみんな慣れてしまい視聴率が稼げなくなり、インターネット普及も重なってTV局経営がどんずまりになったところで、今はコロナ騒ぎを出来るだけ長引かせようとフェイクすれすれの報道を繰り返している
1999年まで、アメリカが回復不可能と断じた絶望的なバブル崩壊にあっても日本が崩れなかったのは、ノストラダムスの予言があったからこそなんだよ
便宜上https://anond.hatelabo.jp/20180802123936にぶらさがる
https://anond.hatelabo.jp/20180802123936のブコメで「医師の数を制限してるのがいけないんじゃね?」とかいろんな意見があがってるが、なぜ医師の数が制限されているか、という背景を理解しないと真の問題は理解できない。
「Cost,access, quality. Pickanytwo(コストとアクセスと医療の質。このうち,2つまでなら選んでもよい)」
クオリティ高い医療を、誰でも利用できるようにする(access)にはコストがかかる
クオリティ高い医療を、できるだけ安く提供するためには(cost)、アクセスが制限される
誰でも利用できるように(access)、できるだけ安く提供しようとすると(cost)、質が保証できなくなる
日本の医療の問題は、この3つのうちどれを選ばないか、その選択ができないままに問題を現場に押しつけてきたということにつきる。
1983年、有名な「医療費亡国論」が発表されて以降、医療費総額の伸びを抑制することは絶対的なテーゼと化した。
そこを全く決断できないまま、ただ「質のよい医療の提供」「誰でも自由にどんな病院を選んでいいってもよい」状況が続けられ、しかし予算は増えず、人は増やせず、医療の質の要求はどんどんあがり、ただ医師の労働状況が悪くなっていった。
医師を増やすということは、医療費の増額を許容するということである(ここで財源が保険料か税金かは議論しない)
医療費の増額を許容しないということは、医療の質か、誰でも自由に好きな病院にいける、どちらかをあきらめないといけない。
ほとんどの国はまず地域の総合診断医にかかるという地域医制になり、高度な医療へのアクセスは制限されている(地域医にかかるのも予約制で時間がかかる)。
あの一時期は「がんの手術を受けられることが決まっても待機中に死ぬ(最悪の時は待ち時間が2年を越えた)」という感じだったイギリスですら医療システムに対する評価は85%が「満足している」(大変満足しているからどちらかといえば満足をまとめた数字)であるhttps://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/report/2014_11/20141104.pdf
ちなみに日本は71%である。医療体制の評価では日本の方が上である(参考https://www.huffingtonpost.jp/mamoru-ichikawa/japanese-medical-no1_b_17327920.html(日本11位イギリス30位)
という意味だ。
2chまとめが大隆盛した結果その反発からまとめサイトを運営する、つまりアフィリエイトによる儲けを大きく嫌うという思想が生まれ
現在はそこからさらに分裂し一部がredditに移住しニュー速R(←redditの略)として活動している。
アクティブたったの200~300という少なさだが細々と活動しているようだ。
この嫌儲民の政治思想は2chまとめを大きく嫌うという性質からネット右翼の正反対に位置する。
ジャアアアアアアアアアアアアアップという言葉をよく使い日本及び日本人が大嫌いな人たちの集まりだ。
なんでこういう政治指向になるんだと不思議に思っていたが嫌儲→つまり資本主義を嫌うという思想から共産主義やそれに連なる思想と似通ってしまうため
アフィリエイト嫌いだけではなく、日本嫌いという性質を生むのだなぁという取り留めもないことを最近考えるようになった。