
はてなキーワード:井戸端とは
■司馬遼太郎風 改稿
人間というものは、しばしば自分の青春を他ならぬ自分の手で投げ捨てる。
それは他人に奪われるものではない。むしろ、他人のせいにできぬ種類の「敗北」である。
この国では、そうした人間が珍しくない。いや、むしろ今の時代、ネットという便利な井戸端ができてからというもの、その種の「自己廃棄型人間」は、どこにでも見られるようになった。
たまたま彼が自衛隊という特殊な組織にいたことで、周囲の人々は多少の情状酌量を与えるのかもしれぬ。
だが、職業が何であろうと、十代二十代を「捨てた」と言葉にする時点で、その人の人生観はすでに破綻している。
人は、自分の過去を呪い始めたとき、もうその呪いから逃れることはできない。
「お疲れさまでした」といった称賛の言葉は、慰めであると同時に、無関心の別名でもある。
三十を過ぎた男が、未だに己の人生に「物語」を求めて悩む姿は、滑稽といえば滑稽である。
だが、それもまた、この国の時代病の一つだ。
精神の成長よりも、感情の正直さばかりを美徳とし、成熟を「鈍さ」と呼ぶ。
したがって、彼のような男は、社会という大人の世界に出た瞬間、言葉の通じぬ異邦人となる。
しかし、それを離れたとき、人は初めて己の素肌を晒すことになる。
それは、冬の荒野に放り出されたような心地だろう。
そして多くの者は、そこで初めて「自由とは孤独である」と悟るのだ。
友を断つことは、己を断つことに等しい。
プライドは人を立たせもすれば、殺しもする。
古来より、この国の武士たちもまた、その誇りゆえに散っていった。
だが、戦場の死はまだ潔い。
自衛隊の中で鍛えられたはずの筋肉も、精神も、やがて脂肪のように弛んでいく。
彼は、今ようやく「市民」として生きねばならぬ段階に立っている。
それは決して容易なことではない。
だが、たとえどんな境遇にあっても、人間関係だけは切ってはならぬ。
人の生は、けっして理想や信念では支えられない。
孤高は人を導き、孤独は人を蝕む。
あなたが歩むべきは、前者の道だ。
世間は冷たい。
だが、冷たさの中にも温もりがある。
ニケーア公会議(325年)は、キリスト教初の**公会議(エキュメニカル・カウンシル)**であり、教義上・教会史上きわめて重要な意義を持ちます。
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🏛️ ニケーア公会議の結果(要点まとめ)
項目 内容
開催年 325年
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🔹 主な決定事項
• アリウス(アリウス派)は、こう主張していました:
✝️「キリスト(御子)は被造物であり、父なる神とは異なる本質を持つ」
→ 「御子は神に“似た存在”だが、“同じ神”ではない」
• これは、キリストの神性を否定すると見なされ、異端と宣言されました。
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② ニケーア信条の制定
アリウス主義に対抗して、正統教義としての**信条(Creed)**が制定されました。
キリストは:
「父と同質(ホモウシオス) consubstantialwith the Father」
であり、**神そのものである(真の神からの真の神)**と明記されました。
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• 各地で異なっていた**復活祭(イースター)**の日付を統一する方針が決定。
•太陽暦を基にして、春分後最初の満月の次の日曜日とする(現行の方式の基礎)。
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我らは一なる主イエス・キリストを信ず、
神よりの神、光よりの光、
真の神よりの真の神、
造られずして生まれ、
父と**同質(ホモウシオス)**なり…
この信条は後の公会議(コンスタンティノポリス公会議・381年)で若干補足され、「ニケーア=コンスタンティノポリス信条」として今も多くの教会で用いられています。
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🔚 ニケーア公会議の意義
意義説明
🔸異端の排除 アリウス主義を異端とし、教会の一体性を守ろうとした
誰々はやれるよね〜誰々は生理的に無理だよね〜
こうした井戸端の合議によりレッテルを貼られ、属性が固定化される
つまりこのコンセンサスに介入すれば属性を書き換えることができるのだが、哀れにも男性各位は無理解ゆえ自分磨きによって雪辱を果たそうとする
当然だが効果的ではない
高校生の時彼女がいたと吹聴すれば簡単に不名誉…というか不便なレッテルは覆る
過去に受け入れた女がいたという情報が判断を覆し、コンセンサスが更新される
男性としてはかなり直感に反するが、どうにも、やつらはこのようにできている
俺の嫌いな人種を一言で表現すれば「自分の中にある謎の基準をもって、他者の基本的人権を足切りしてもいいと考えている奴」だったんだと思う。
勉強のできるスポーツマンで人当たりも良い、出木杉英才型の人間。
通信簿は5が並ぶものであり4があったら調子が悪かった証拠みたいな人種。
本物の出木杉英才との違いは「平均点を取るのって苦手分野だと大変だよね。だって平均点だもん」という感覚が欠落していること(むしろこの感覚を小学生で持ち合わせてそうなアイツはなんなんだ……)。
上司自身も「得意分野と比べれば結果が出にくい分野」はあるようだけど、それでも「頑張れば平均点ぐらいは簡単に超える」という程度らしく、「凡人にとっての苦手分野とは平均点を取るのでさえ半端じゃない努力をもってなお不可能でさえある」という感覚が理解できないらしい。
その上、上司自身は今の仕事と相性が結構いいらしく、上司の中にある「ちゃんとやってればこのぐらい」のラインはかなり高い所にある。
つまり、大部分の人間が上司から見れば「ちゃんとやってないから結果が出てないゴミカス」として扱われてしまっている。
上司は自分が認めた一部の片腕のみを味方として扱い、その他大勢の部下は「余計な仕事を増やす敵」とさえ思っているであろうことが、日夜上司の前で誰かしらが説教を浴びているのを見る限りは間違いなかろう。
上司は何でも卒なくこなす能力により「令和の時代において許されるラインの説教」を見極め、許される程度のレベルで説教をしているから私を始めクソ雑魚部下集団も訴えようという気持ちにはなっていない。
だが、そこに明らかな見下しがあり、「もしも時代が時代なら、もっと容赦ない勢いで「敵への攻撃」が行われ、我々はメンタルを壊していただろう」という感覚を持っている。
このタイプ、人類全体で見ればそこそこ利用価値はあるんだろうが、個人的にはかなり「ナシ」な部類だ。
だって相手に対して「同じ人間」とか思って無さそうなんだもの。
単に「法律で決まっている」とか「テレビでやってた」とか「今はパワハラって駄目らしい」とか言うのを知識として持っているだけで、我々のような下級人間に対しては「人権」や「人格」なんてものは本心では認めていないことは日々の言動から容易に垣間見える。
自分の中にある「これぐらいのことも出来ない奴は、カスだから人間とみなさなくていい」という線引きによって相手の人格を「法的に許されるラインまで」は切り捨てていいと勝手に決めつけてくるのである。
特定のタイプの人を悪く言うのではなく、ちょっとやそっとのスキや何らかのトレードオフの結果さえもひたすら「コレが駄目」「アレが駄目」と否定しまくる連中だ。
アナウンサーのちょっとした間違えに対しての揚げ足取りを何分も続けたり、高校球児のエラーに対してまるで馬券が外れたあとのウマカスのようにあれやこれやとなじり続けたりするタイプだ。
こういったタイプの連中はどこにでもいるし、特にXや5chなんかはそういった連中がエコーチェンバーを形成して恒◯教のような物さえ形成している。
彼らはすぐに人を叩いていい認定してはネチネチと粘着を繰り返すが、その認定基準はあまりにも粗雑だ。
ただ、そこに薄っすらと見えるのは「何らかの部分に落ち度があった」というある種の実力主義に近しいものだ。
「ワクチンを打つ奴らは情報収集能力に落ち度がある」とか「オリンピックで結果を出せない奴は愛国心に落ち度がある」とか、その場その場の基準によって何らかの「合格ライン」のようなものを設定して、それを下回った相手を叩いていいと認定してくる。
上司のような完璧人間と、井戸端おばちゃんの如き悪口人間、タイプとしては結構な違いがあるんだが、俺は本当にどちらもを嫌っている。
この両者に共通しているのは「俺(達)の頭の中にある基準によれば、お前は基準を下回っている → だからお前の人権は制限を受けても仕方がないのだ」という俺(達)ルールがあるということだ。
俺は「現代人はみんな人権を持っていて、最大多数の最大人権が阻害されない限りは制限を受けていいはずがない」という価値観を持っている。
その理由は単に俺が自分を無能だと思っているからどんな無能でも人権が認められるこの宗教観を有り難く感じているというだけなんだが、それに長く浸かりすぎてそれを害する異教徒に強い敵意を持ってしまうのだ。
つまり、俺にとっては上であげた二つのタイプのような「俺俺ルールで人権制限」という連中は許し難き敵対分子なのである。
この共通点に気づいた今、俺は迷いを捨てて上司のような「俺ルールで他人を見下して法律で許される範囲で人権制限をかけてくる出木杉の偽物」のようなタイプを嫌うことが出来る。
悪口野郎が嫌いなのは前々から気づいていたが、見下し出木杉については「5人以上の集団ではブリリアントジャークはマイナスみたいな話は聞くけど、ゆーてパっと見だとこういうタイプいた方が仕事は進んでる気がするんだよな」という思いがありどこかで嫌いきることを躊躇していた。
でも今は違う。
俺が敵意を持っている人種であるということがハッキリしたので堂々と嫌ってしまうことにした。
だってここで無理すると心の中にある根底の世界観がバグってしまうからだ。
まあ嫌うというだけで向こうの人権を俺ルールで制限したりはしないけどな。だって俺は人権意識がちゃんとあるちゃんとした現代人だもの。
女が辛い辛い言ってるのってどれも減点回避のための辛さでしょ?
生理が辛いので薬で誤魔化す
そういった自縄自縛の地獄絵図を自分たちで作っておいて奴隷の鎖自慢に毒されているから辞めようともしない。
マナー講師に仕組まれた代理戦争みたいなことを延々と繰り返してるだけのしょーもない辛さ。
そのしょーもなさこそが辛いっていう。
対して男の辛さはひたすらに加点法
結果を出せないなら存在価値なし
男の世界ってのはひたすらにマッチョイズムでどこまでハイスコアを叩き出せるかというゲームが延々に続く。
人間をゲームの駒みたいに性能だけで測って弱い奴には一切の容赦をしない。
たまに見せる優しさも結局は強さアピールというひたすら強さ力パワーの世界。
男の世界ってどこまで美化しても結局は強い奴=正義の価値観なんだよね。
正義は必ず勝つ!=勝ったから俺達が正義 のちびっ子向けヒーローの価値観で一生生きてる。
永遠の万人闘争状態を生きるブリリアントジャーク溢れるパワー主義のサイコパス地獄。
身近なボスが作ったクソ見てーなお気持ちルールを利益度外視で守ることが最重要。
そしてそんな猿山ワールドが多重構造になり無限のウォーターフォールと井戸端が形成される無間地獄。
毛沢東やポルポトの誕生を待つこともなく幼稚園の段階で真っ赤っ赤の共産主義国家。
インスタントな評価システムがなければ、承認欲求や外面にとらわれることもない
本当に「好い!」と思った増田には熱いトラバをぶら下げればいい
「違うだろ」「俺の方が詳しい」と思った増田にも熱いトラバをぶら下げればいい
実際どっちが洗練された人間かは、文章の書きぶりややりとりから伝わってくるだろう
そもそもなぜはてブがあるとブクマ数勝負になってしまうのかというと
いいね機能と同じくWebのくせして一方通行の評価システムだからだ
その上いいねと違って必ずしもポジティブな反応を示す指標じゃないくせに双方向性もないから、注目を集めても「どう注目されているか」の判断が伝わらない
丹念に内容と反応を照らして判断していけば自分なりにそこで起きていることを解釈できるが、そもそも「本文読んでない」みたいな分断が多々混ざっていて情報価値が薄い
結果として玉石混交ならまだマシで読む価値のないゴシップ的クズ情報ばかりになるが、それを脇に置けばとにかくバズる
ここがバズを利用して商売をたくらむ情報サービス事業者にとってはミソなんだろう
実際のところは、ツッコミどころの多い、瑕疵のある極端な言い分ほどブクマを集めやすいが
そういった狂った人間ほど注目をあつめて承認欲求を満たして、ブクマ数スター数という定量的指標によって権威化されてしまう
トラバのように相互に言及可能な場なら解決するかと言うと、5chが決して健全なコミュニケーションができる場になっていないことからわかるように、それほど単純なことではないが
俺はWebで重要なのは、読み手がより妥当な理解へと着地できるように、多少荒々しくてもいいから論をぶつけ合えることだと思っている
だからベランダから投石するがごときブクマカは滅せねばならぬし、はてブはあくまで自分の興味関心をメモとともに記録する公開ブックマークとして利用するに留めるべきだと思う
井戸端冷笑会議のために使っている人は、トラバやらブログのコメ欄といった、やりあえる表に出て意見を書き込むべきだと思っている
それをするほどでもない事というのは、そもそもネットに書くべきではないのだ
あくまで国会限定の話でしかないけどあれだけ少ない女性議員のスキャンダルを男性議員と同じぐらい聞くのはどういうことだろう?
そういえばどっかの国の大統領暗殺でその妻に疑惑かかってるけど、妻には政治的野心がないからその可能性は低いとか言われてるね。
権力が得られようが女性にはそんなもんどうでもいいんだよな。せいぜい井戸端でマウントとれる程度の権力があれば満足するのはまともな女。
政治家になろうとしちゃう時点で下手な男性以上に男性脳ばりばりでまともじゃないんだよね。性欲ありきのスキャンダルの多さにも反映されてる。
男性より女性の政治家の方がはずれの確率高いのは経験的に明らかといえるだろうから、俺は女性という時点で投票対象にしないことにしたよ。
この義実家について、義実家近所に住む遠い親戚(らしい、詳しい紹介はどこからもない)から年に何度か連絡がくる。
義父が女に入れ込んでいてやたら金を渡しているらしいだとか、義祖母の施設で虐待があったが隠蔽されているらしいだとか。
文末には必ず「増田さんなんとかできないのカナ!?あ、でも(旦那)くんには内緒にしてね、絶対だよ!」とある。
もちろん旦那には逐一報告している。
2.過疎化の進んだ村でヒマを持て余しているため井戸端の覇権を握れるだけのゴシップを集めている。
3.過疎化の進んだ村でヒマを持て余しているため義実家のことで思い悩んだ隣家の嫁が自分を頼り頻繁に訪ねてくるようになりいろいろあって舎弟化ハッピーを目論んでいる。
4.義父が入れ込んでいるという女はコイツ
2以降が歪んでいる自覚はある。
旦那が義実家に帰った直後か、別の親戚が珍しく義実家を訪ねた直後。
なにか進展あったんじゃないのォ?という具合。出歯亀か。
うんざりして最近は連絡がきても居酒屋からのクーポン情報が溜まった頃にまとめて既読を付けそのままスルーしている。
スルーしつつ旦那への報告はしているから自分としてはもうあとのことは関知していない。
旦那は希代の臆病者なので現在のところ真実を確かめたり兄弟と共有したりはしないだろう。なんなら最近は義実家と距離を置きたい様子すら見える。
ただこの件が全て事実で、万が一民放ワイドショー的展開になった場合が厄介。
知ってたのになんで黙ってた?ともっと近しい別の親戚から、私が詰められる可能性は捨てきれない。
旦那は希代の臆病者でそのうえ天井知らずの優しいやつとのレッテルを背負わされており、そんな旦那を悪者にするなんてこと親戚連中は誰もしないからだ。
悪者はその嫁なんだ。めんどくせ。