
はてなキーワード:二者択一とは
なんか万博とか五輪に鬼反対するけどそのへんの美術館壊しまーすとかなったらこの世の終わりみたいにキレ散らかす人いるよな
でも国民性というかどこの国の大衆もそうだと思うけど美術館みたいな高尚なやつよりもデカ花火でタマヤーやるほうが上がるだろ人間
どっちも必要なのはわかるが国がシュリンクしていく以上文化振興のやり方も考えないといけなくなってきてるし、
実際地方の美術館なんてだれも来ないのに壊そうとしたら普段行かない人間が思い出したように大反対みたいな不良債権の極みになってる。
ルーブルとかエルミタージュ秋葉原みたいな海外からバカスカ観光客呼べる美術館ならアリだと思うけどほぼ広く浅くしょぼくになってるよね。
どっちかというとそういうのをカットして万博とかデカイベントに振っていくほうがいいと思う。
美術館壊す=芸術の荒廃みたいな見方もほんまかいなって感じがしてて、どうせ地方の美術館でいつでも見に行けるなら結局行かないパターンになるよな?
だから普段倉庫で眠らせといてデカイベントであのアレがついに公開!みたいな感じにするほうがありがたみが増すってもんよ。
(追記)
すまんみんな……!!なんか万博アゲたら反論のトラバブクマあつまりそうwwって出来心でついやってしまったわ・・・・・
万博アゲと美術館=文化資本サゲを組み合わせて二者択一にした(単純化)ことで禁断の果実度がアップしてしまった感じですかね?
それとも単純にアホすぎてツッコミたくなっただけ?
まあ美術館壊しまーす問題は今地方でわりとやられてるし今後は大きなとこに波及していってもっと顕在化してくると思うけどな!
あとはエルミタージュ秋葉原の拾われなさが……
Permalink |記事への反応(18) | 07:44
全員がイーロンマスクや大谷翔平のように働く必要はないが、上を目指したいなら相手はああいう人達、ワークライフバランスと言っていて勝てるのか
私は今、嬉しいというよりも、本当にこれからが大変なことだ。皆様と一緒に力を合わせてやらなきゃいけないことが山ほどある。そう思っております。
たくさんの政策、それもスピーディーに実行しなければいけないこと、たくさんございます。そして、皆様とともに、自民党をですね、もっと気合の入った明るい党にしていく。
多くの方の不安を希望に変える党にしていく。そのための取り組みも必要です。
先ほど申し上げました通り、私は約束を守ります。全世代総力結集で、全員参加で頑張らなきゃ立て直せませんよ。
だって今人数少ないですし、もう全員に働いていただきます。馬車馬のように働いていただきます。
私自身もワークライフバランスという言葉を捨てます。働いて働いて働いて働いて働いて、参ります。
皆様にも、ぜひとも日本のために、また自民党を立て直すために、沢山沢山、それぞれの専門分野でお仕事をしていただきますよう心からお願いを申し上げます。
これの対象が自民党所属の国会議員、どれだけ拡大解釈しても全国の自民党員であることはさすがにわかるよね?
(プライベートを充実させたいとか有給をたくさん取りたいという人は)人生の優先順位としてそういう人がいてもいいが、
そういう人と「とにかく俺はすべてを投げ出してでも仕事だけをやる」という人が勝負したら仕事でどっちが勝つかという、同じ能力ならたくさんやっている人が勝つ。
成功というのがどういうレベルかだけど、例えばスティーブ・ジョブズとかイーロン・マスクとか大谷翔平に「ワークライフバランスどうなっていますか?」って聞く?
考え方としてはあっても良いけれど僕は違う。9割くらいの人はそこまで仕事に対して充実感とかやりがいを求めてなくて、ほどほどの給料が短い労働時間でもらえて、家族との時間や趣味の時間を過ごしたい。もちろんそれはそれで良いと思う。
全員がイーロン・マスクや大谷翔平のように働く必要はないけど、仕事において上を目指したいならという条件が付くと、プロ野球選手になりたい、世界的な実業家になりたいなら相手はああいう連中ですよ?
ごく一般的な市民の労使関係におけるワークライフバランス(および法律による労働者保護)の話をしてる時に、0.00001%以下の上澄みの話を持ち出しても仕方ないだろ。人間は大谷に勝てなくても幸せになれるべきだ。
え?誰が「ごく一般的な市民の労使関係におけるワークライフバランス(および法律による労働者保護)の話」をしてるの?
この話題の元になった高市の演説も、田端のyoutubeもそんな話してないよね?
勝手に高市が一般国民に向けて馬車馬のように働けワークライフバランスを捨てろって言ってるって解釈しちゃうの?
読解力0点だな。
ワークのパフォーマンス最大化のために睡眠の取り方とかを研究して、他にやることを犠牲にして睡眠とってるんだけど。
これはそう。Togetterのまとめられた内容に対する批評として正しい。
これは一般論としては正しい。
ただし高市も田端も言及対象をそれぞれ限定しているので、この件に対する読解としては誤り。
そういうのは他人を巻き込み健康等を犠牲にするから規制が必要なわけで。メジャーだってドーピング使って何が何でも力を付けるのは禁止されているし、一般人も長時間残業ドーピングで業績上げることは禁止されている
ドーピングの例は若干蛇足感と例としての適切さに疑問が残るが、前半の批判は今回の件に対する批判として正しい。
あくまで限定した対象に言ったとしても、それが結果的には対象が広がっていくことに対する懸念というのは正当な批判。
この人気コメの揚げ足取り感は何なんだろう。上を目指すならWLBとの両立は困難と言う主題自体を覆せる訳では無いから「そうだね」で終わる話な/国会議員が国難時にWLBで5時上がりでも怒らんの(笑)俺ならキレる。
ただ田端が言及しているようにWLBが二者択一というだけでなく、両方が混ざり合っている人もいるという点は留意が必要。
一般労働者に対して言っていたのであればいいが、言及対象がそもそもWLBとかをあまり前提としないエリート層という点で誤り。
別にこの人らも少しは出世したいくらいの人に大谷くらいやれなんて言わないでしょ。どこまでも上を目指すならやるしかないよと、ごく単純なことを言ってる。どこが自分に丁度いいか、だね…俺はもう休みたいが…
好き。
『仕事において上を目指したいなら』という条件が付くならって言ってんのにそれが読めなく、かつ、楽して年取って何も残ってない人達w一般的な市民の労使関係におけるワークライフバランスの話なんか誰もしてねーよw
はい、こういった事情と絡めて対象範囲が拡大される可能性について批判的に言及するのが正しいです。
「出世するためにWLBを壊そう」などと考えてる時点でダメで、成功する人は当たり前のように楽しんでそれをやってるので、無理してやってる時点で勝てないよね。向いてないことをやるもんではない
はい、そのケースが多いと思います。ワークとライフが混ざってる人たちです。
ワーク=ライフ(生活)な人もいる。でもライフ(生命)を削らなきゃハードに働けない人は休んだ方がいい。殆どの人にWLBは絶対に必要なのでトップ層は自身の影響力も考えて振る舞うべきだし、他者に強制するのは純粋悪。
はい、その通りかと思います。一般人からすればライフを犠牲にしているなって思うトップ層のほとんどは、自分がライフを犠牲にしているとは考えていないワークとライフが混ざっている人たちです。
だからこそ一部経営者などにはそれを一般的なWLBを守りたい人にも拡大しようとすることが問題です。
日本には制度としてのエリート(仏のグランゼコールのような)がないので「高度人材の裁量労働制」みたいな事をやろうとすると、適用対象がなし崩しに拡大してしまう。明確なエリートコースを導入する覚悟があるなら
WLBどうだってええねんという層に言っているはずが、俺達のような一般人がわーわー言うのはこの棲み分けがないからという側面がある。
ついに高市早苗が自民党総裁に選ばれたな。初の女性総理の誕生だってことで、テレビもネットもお祭り騒ぎだけど、ちょっと待てよ、と。俺はどうしても手放しで喜べない。
たしかに、女性が総理大臣になるってのは画期的なことなんだろう。でも、その初の女性総理が、高市早苗であり、その前に都知事として名を馳せたのが小池百合子であるという現実に、俺はむしろ構造的な闇を感じる。
彼女たちに共通するのは何か? 優秀で、努力家で、そして「子供を産んでいない」ことだ。
結局、今の日本で女性がキャリアの頂点を目指そうと思ったら、出産や子育てという人生の選択肢を捨てないと無理、っていう何よりの証明じゃないか、これ。高市総理の誕生は、「女性もトップになれる!」という希望のメッセージなんかじゃない。「子供さえ産まなければ、女でも総理になれるぞ」という、あまりにも歪で残酷なメッセージなんだよ。
これのどこがロールモデルなんだ。多くの女性にとっては「やっぱり無理じゃん」っていう絶望的なモデルケースにしかならないだろ。
こういう社会構造の問題を無視して、「日本の伝統的な家族観が大事」とかフワフワしたことを言ってるのが、参政党みたいな連中だ。あいつらの言う「伝統」ってのは、結局、女性に「家庭か、仕事か」の二者択一を迫る古い価値観そのものじゃないか。高市みたいなキャリアを選べば子供は諦めろ、子供を産むならキャリアは諦めろ、と。そのどちらにも当てはまらず、仕事も子育ても両方必死でやってる大多数の女性たちの苦しみなんて、あいつらの頭には微塵もない。口当たりのいい言葉で現実から目をそらさせてるだけ。本当にタチが悪い。
俺が本当に「時代が変わった」と思えるのは、小渕優子みたいに、子育てしながら政治家としてキャリアを積み上げてきた人が、当たり前に総理大臣になる社会だよ。仕事と家庭の両立という、この国で最も過酷なタスクをこなしながらでもトップに立てる、という前例ができて、初めてスタートラインだ。
高市総理の誕生は、女性活躍のゴールじゃない。むしろ、いかにこの国が「子供を産む女性」に対して冷たく、不寛容であるかを象徴する、皮肉な記念碑みたいなもんだよ。
本レポートは、ドナルド・トランプ米大統領が提示したガザ和平案をハマスが拒否した場合に想定される、軍事、外交、人道の各側面における「完全消滅」シナリオについて考察する。この和平案は、ハマスに対する「武装解除と降伏」、あるいは「完全な壊滅」という二者択一を迫る「最後通牒」としての性格を有している。ハマスがこれを拒否した場合、イスラエルによる軍事行動の国際的正当化が進み、アラブ諸国からの外交的孤立が深まり、最終的にはガザ地区住民にとって壊滅的な人道危機に至る可能性が高い。
トランプ和平案は、単なる停戦提案を超越し、ハマスの存続をかけた戦略的な転換点となる可能性が高い。その内容は、実質的にハマスに対する「武装解除と降伏」を要求するものであり、拒否は軍事行動の継続を正当化する口実となる。本分析は、ハマスがこの提案を拒否した場合の、ガザ地区およびハマスにとっての多次元的な破局シナリオを予測する。
ハマスによる和平案の拒否は、イスラエルに対する国際社会からの軍事的制約を著しく緩和させる効果を持つ。これは以下の戦略的連鎖によって理解される。
本和平案は、ハマスを外交的・政治的に孤立させることを巧妙に狙っている。
軍事的な敗北に加え、その存在理由であった「抵抗の物語」の失効は、ハマスの政治的死を意味する。
ハマスの和平案拒否がもたらす最も悲劇的な結果は、ガザ地区住民が直面する壊滅的な人道危機である。
ガザ地区の狭隘な閉鎖空間において、暴力、飢餓、疫病が同時に発生することで、被害は指数関数的に増大する。これは、現代において前例のない規模での人口の激減、すなわち「住民の消滅」という最悪のシナリオに直結する。
ハマスがトランプ和平案を拒否した場合、単なる軍事的敗北に留まらない、より深刻な結果が待ち受けている。それは、国際社会からの完全な孤立、存在意義であった「物語」の剥奪、そして統治する民衆をも巻き込んだ物理的な破局へと続く「完全消滅」の道である。ハマス指導部には、組織のイデオロギーと200万人のガザ住民の生存という、究極の選択が迫られている。この選択が地域の安定、そして何よりも住民の命運を決定づけることになる。
少子化が社会に深刻な影響を及ぼし始めてから、すでに何十年も経ちます。少子化は「いつか対応しなければならない問題」ではなく、とっくに「対応が遅れてしまった問題」になってしまいました。その結果として、労働力不足を埋めるために移民政策を真剣に議論せざるを得ない段階にきているのだと思います。
本来であれば、もっと早く少子化対策を徹底し、国内で持続可能な人口構造を作る努力をしておくべきでした。しかし現実は、保育・教育・働き方改革などの取り組みが後手に回り、出生数は減少を続けています。こうなれば「移民を受け入れるべきか否か」という単純な二者択一の問いではなく、「どのように移民を受け入れていくか」という具体的な議論が避けられなくなります。
実際、政府は既にその「地ならし」を始めています。たとえば、JICAが進めるアフリカ・ホームタウン構想は、多文化共生の可能性と同時に地域の不安や摩擦を浮き彫りにしました。また、インドとの人材交流を拡大する政策は、将来を見据えた高度人材の確保という狙いを隠しきれていません。これらは「いずれ日本は移民を受け入れる」という現実を政府自身が理解しているからこそ進められている布石だと考えるべきです。
ただし、移民をただ無計画に受け入れることは社会の分断や摩擦を深める危険性があります。重要なのは、受け入れる移民の「質」を高めるための枠組みを整えることです。ここでいう「質」とは、単に学歴やスキルだけではなく、日本社会で安心して暮らし、地域に根ざし、共に社会を築いていこうとする意思を持った人々をきちんと選び、支援する体制のことです。
そのための方策として、例えば以下のような取り組みが考えられます。
受け入れ基準の透明化:就労スキル、日本語能力、滞在目的などを明確に示すことで、社会に必要な人材を確保する。
定住支援の充実:言語教育や地域コミュニティとの交流を制度的にサポートし、孤立や摩擦を防ぐ。
労働環境の改善:低賃金・不安定労働に押し込めるのではなく、日本人と同等の待遇で働ける仕組みを整える。
双方向の理解促進:移民に「日本に合わせさせる」だけではなく、地域社会も多様性を受け入れる準備をする。
結局のところ、移民政策は「日本の未来をどう築きたいか」という問いそのものです。国民が思考停止のように「移民反対」と唱えるのは、もはや現実逃避でしかありません。必要なのは現実をしっかり受け止め、少しでも移民政策によるリスクを減らすこと、そして欧州の失敗から学んだ政策を展開することです。これこそが、日本社会が持続可能であるために避けて通れない課題だと思います。
30年弱の歳月を共にした。
結婚当初姑のひどい言動があって夫に訴えても「後で後で後で」と常にペンディング。この「後で」を繰り返してもうじき30年だ。
親戚と一緒になっていじめられたこともあった。若いときは我慢ができた。更年期に差し掛かって我慢ができなくなりある日私が大爆発した。暴力をふるう勢いで夫にくってかかった。それ以来夫は私贔屓になったのだが、それは私の気持ちを汲んでくれたのではない。強い方につくという日和見の姿勢だからだ。
とはいえ、問題を棚上げする姿勢は変わらず、常に他責、自分さえよければよい、という性格。
なんでこの人と一緒にいるんだっけ。汚く使う洗面台、処分しないゴミ、食べ方もきたない、箸の持ち方もへんてこりん。そのくせカッコつけしいなのに、そんな箸の持ち方じゃお里がしれてるんだよ。
わたしが小言を言ってもきっとそれはモラハラになるんだろう。じゃあ私はどうすればいいんだろう。夫のペースにじっと我慢するか、もうここを去るかのどちらかだ。いきなり二者択一?いいや違うよ。なんとかうまくやるパターンを模索した。いっぱいいっぱい模索した。もう我慢できない。ここを去ることを具体的に考えている。
「A級戦犯だけが悪いんです」なんて政治的外交的な都合でそうなってるだけであって
個人の思想信条までそれに合わせる必要は全くないはずなんだよなあ
侵略先で嬉々として虐殺や強姦やってた兵士なんか珍しくもなんともないし
226や515見てもわかる通り政治家や軍上層部が独走して侵略戦争に突き進んでいったってのは説得力がない
天皇やA級戦犯が悪いという事と一般庶民や末端の兵士も悪いという事は二者択一ではなく両立する話
「でも国民も悪いんですよ」なんて政治家が言っても責任逃れに見えるし不人気で選挙に勝てなくなるからだんまりだし
諸外国もそんな事言ったら外交に支障があるから責任者を限定してる
占領統治の都合で天皇を無罪放免にしてるのと同様の建前でしかない
「昭和天皇もA級戦犯と同様に死刑になるべきだった」「侵略戦争実行犯の一般兵士も追悼すべきでない」くらいはそろそろ一般常識になってほしい
竹中的なマインドとは、一言で言えば「労働環境(生活環境)の改善が生産性に繋がる」という科学的な事実を死んでも認めない昭和の信仰
そもそも昭和は今のインド中国並に生活環境も改善してたんだから、「昭和は苦しくても頑張れた」は嘘なんだけど、まずそこから認めようとしない神話に基づく精神論
中国には今のところ竹中平蔵のような非科学的労働環境改悪論者は出てきていない
一方の日本は、もはや竹中的精神は社会全体に浸透したマインドセットとなり、そもそも労働環境の改善が生産性向上と同義であるという前提を両側から無視した二元論が支配的である
すなわち『苦痛を伴う成長か、幸せな衰退か』という、海外にはない二者択一が右からも左からも大前提として語られてしまう
こうなったらもうおしまいだよね
こんなバカな親世代が作った、幸せでも豊かでもない国を背負わされてしまうんだから
Permalink |記事への反応(32) | 06:12
突然だが、現代のポリティカル・コレクトネスには程度がある。以下、制作者への縛りが強い順に並べてみたい。
「マイノリティを主役にした作品をマジョリティ(=当該マイノリティではない人)が作ってはいけない」「役を演じてはいけない」「翻訳してもいけない」
→仮に「強いポリコレ」を適用するなら、女性が書いてるBLはすべてアウト(女性という時点で男性同性愛の当事者ではないことが明白であるため)。
この場合、「女がBLを書くなんてけしからん」がポリコレ的な正解となるだろう。
「クィアベイティング(登場人物を性的マイノリティであるかのように匂わせて視聴者・読者を「釣る」こと)は搾取であるからやめるべき」「当事者からの監修を受けなければならない」
→仮に「中程度のポリコレ」を適用するなら、「BL営業」はクィアベイティングそのもので一発アウトだし、仲の良い男の子たちが親密に絡むけど決して恋愛感情とは明言しないようなタイプの作品も糾弾される必要がある。『SHERLOCK』レベルで駄目だということらしいので、日本でBLウケを狙った作品はたいていアウトということになるだろう。また、BL作品を出版する際にはゲイ団体の監修を受けること、のような話にもなりえる。
「偏見やステレオタイプを助長する描写をしてはならない」「不正確な描写をしてはならない」「人格が尊重されていなければいけない」「差別を透明化してはいけない」
ということになってしまい、イケメンばかりが出てきて「受け」「攻め」が普通に流通していたりカップリングの左右が固定されていたり差別のない世界でハッピーに恋愛する「優しい世界」を描いたりするのはポリコレ的には完全にアウトという結論になる。
この場合、「受け」「攻め」を禁止ワードにし、カップリングへの執着を消し去り、現実的な容姿の男キャラや彼らが差別に苦しむ展開を描写してようやくポリコレのスタートラインに立ったことになるだろう。
繰り返しておくが、これは今いわれているポリコレの中でもっとも「程度が軽い」「弱い」ものである。さて、あなたは「弱いポリコレ」に耐えられるだろうか?
ここまでポリコレについて説明してきたが、増田個人としてポリコレに対して思うことは
というものである。人間の創作はもっと自由であるべきだ。アメリカの場合、主戦場が製作にむっちゃ金のかかるハリウッド映画とかになるので、ひとつひとつの映画にコレクトネスを求めたくなるのかもしれないが、日本文化を支える漫画やラノベは製作コストが低く、その気になれば誰でも作品を発表できるし、運が良ければヒット作家になれる。日本では超大作が生まれにくいが、しかし超大作ばかり作ろうとするためにひとつひとつの作品の配役やら何やらでギスギスしなきゃいけないアメリカよりも、よっぽど創作の多様性が確保されている。だからひとつひとつの作品に気を配らなくても、いろいろな属性を持った人が参入できて、それぞれの視点を反映させた作品を発表することができて、結果的に多様な創作が生まれる。そのようなエコシステムこそが、しょせんは舶来思想であって日本の風土に合っていないポリコレなんかよりも、我々にとって真に大切なものなのだと思う。
(だいたい、『アサクリ』問題でわかったけど、現代ポリコレが黒人優先主義と化してて我々アジア人が恩恵に与れないことがわかったわけだから、マジで支持する理由ないんだよな……)
っていうか「当事者性」と「クィアベイティング」が日本の創作と相性悪すぎる。男性百合作者も女性BL作家も大勢いるし、『響け!ユーフォニアム』とか久美子が麗奈とゆりゆりしてると見せかけて最終的に男とくっつくんだから定義上クィアベイティングでしかないし、そんな創作であふれる国にこんな批判理論適用しようとしたらポピュラーカルチャーが全滅する。こんな概念はそもそも日本への侵入を阻止しないといけない。
ただ、それでも私は俺はポリコレを支持するんだ、という主張はあってよい。思想信条の自由というやつだ。その思想信条にしたがうと現代日本のBLは大半がお亡くなりになるだろうが、日本の女性たちが母語で築き上げてきた豊かなジャンルであるBLよりも舶来のポリコレの方が大事だというんなら仕方ない。ポリコレを抱いて溺死してもらうほかない。これは二者択一にしかならない。上で挙げたような事例を帰納すれば、ポリコレとBLが水と油であることはたちどころに理解できるのだから、「ポリコレを支持しつつBLを嗜む」なんていうのは無理なのだ。どっちかを選ぶしかない。
注意 リンクをたくさん貼っているが、スパム対策をしています。ご了承ください。
これは以前から何度か書いている與那覇潤について、もうその観点・見方が陰謀論とまではいかなくとも、かなり接近しつつある段階に突入していることを「実証」する試みである。
この検討によってもはや與那覇の現状がいかにヤバいことになっているかが分かるだろう。
正直、少し調べてみただけだが(そもそも今の與那覇にそこまで時間を費やす価値はない)、ここまでとんでもないことになっているとは予想だにしなかった。まさに與那覇は「ホンモノ化」しているといえるだろう。
なお、「ホンモノ」とは與那覇による自称である。主流派の専門家を「ニセモノ」と断じて自分こそが社会を正確に批評できる「ホンモノ」であると対比させている。そもそも、50手前のいい年した大人がこんなイタい表現使うこと自体どうなのかと思うが、まあ本人が気に入っているようなので與那覇は「ホンモノ化」していると批判しても一向にかまわないだろう。ここでは與那覇のいう「ホンモノ」の思考や言説が一体どういうものなのか明らかにしたいと思う。
突然だが歴史学には「史料批判」という言葉があるらしい。AIに要約させてみた。
「史料批判」とは…史料批判とは、歴史研究において、史料の信頼性を評価し、歴史的事実を解明するための批判的な手法のことです。史料の真偽、作者、作成年代、内容の信憑性などを検討し、史料が示す情報がどの程度信頼できるかを判断します。
まあ要するにソース(史料)にはしっかりとその正否を問える力を付けようということである。與那覇は研究者たちとの争いの中で自分が批判する研究者たちを「史料批判できない」と言って批判している。
ttps://note.com/yonahajun/n/n9e5c69865c86
ここではこの争いの是非については立ち入らない。気になるなら各自で調べてもらえればと思う。
さて、與那覇はコロナに対するマスク・ワクチンへの批判を痛烈に熱心に行ってきた。最近はとうとう「店員はマスクを外せ」と言い出している。
これは結局マスクを強要することを批判していたことの裏返しに過ぎない典型的な逆張りのしょうもない話である。しかも理由が「外国人がせっかく来ているのに」とか自分が気に食わない、とかいうどうでもいい理由である。いや、流石にそんなことは言わないだろうと思った人はこの記事を見てほしい。
ttps://note.com/yonahajun/n/n28ac220c53ff
この記事の問題点は「マスク信仰」が江戸時代以来の日本の図式だ!みたいな杜撰極まりないぎろんをしているところ。そしてそれを「ホンモノ」たる成果として誇っていること。下記の『潮』に掲載した一文なんてすさまじいことこの上ない。嘘だろと思うだろうけれど、「ホンモノ」は本気で言ってるらしい。アンケートでも取ったというのだろうか。
「この2025年にも、食事を運ぶ人たちがみなマスク姿。せっかくの美しい和装も台無しで、インバウンドで訪れた外国人はがっかりするだろう。なにより、本人たちが楽しく働けないに違いない」
問題はここからである。與那覇はここまで自信満々にコロナについて発言するのだから、当然それなりの根拠があるはずである。そんな與那覇のコロナ観が分かるのが、2023年のnewsweekに掲載されたこちらの記事である。
驚くべきは與那覇が「マスクは無用、コロナは大したことない」と主張するソースである。
ttps://www.newsweekjapan.jp/yonaha/2023/04/post-5.php
森田洋之と宮川絢子である。森田は非常に有名な反ワクチン論者で、人によっては「陰謀論者」と評するような人物である。
https://note.com/inbouron666/n/na670d641ce30
宮川はコロナで苦汁をなめたことで有名なスウェーデン在住で、その姿勢はかなり批判されてきた。
ttps://note.com/nyanpy7x/n/nae5e69ef7519#45a31942-36fe-478b-99f0-7f23e330a050
宮川が絶賛するスウェーデンコロナ対策は2020年時点で国王から「失敗」の「太鼓判」が押されている。
ttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20201218/k10012770601000.html
ttps://toyokeizai.net/articles/-/363225
ttps://x.com/Calcijp/status/1885227563603419627
ttps://x.com/Otola_ryntaro/status/1910237498996916547
宮川はスウェーデンの当時の悲惨さを無視してスウェーデンのコロナ対策を礼賛する発信を続けている。
ttps://news.ntv.co.jp/category/society/d0692a604c2e42b28878125de0701b42
ttps://forbesjapan.com/articles/detail/65891
まさにリアル「歴史修正」である。そんな人の記事を引用することに、なんの疑問も「史料批判」精神も働かなかったのだろうか。
正直、コロナのことはいまだに分からない点も多い。少なくとも與那覇が根拠に挙げた二人の論者を論拠に挙げてマスク不要、と結論付けるのはかなり乱暴である。最低限でもこれらの議論に対する批判や別の考え方も示したうえでどちらが妥当かを判断するような見解にでもしない限り、到底多くの人を納得させることはできない。與那覇のかねてからのコロナに対する持論の根拠がかなり薄弱であることをここでは指摘しておきたい。
無論、このような與那覇の杜撰な記事は痛烈な批判にさらされた。
ttps://x.com/Newsweek_JAPAN/status/1651882699106267136
3年前のこちらの記事のツイート。118引用ツイートがついているが、與那覇の見解を根本から批判するものが多い。
以下、いくつか引用したい。
ttps://x.com/mama_melaleuca/status/1652160087778291712
ならそこら中にありますね
ttps://x.com/tkay109/status/1652219662393040896
そもそも、医科学の素人が「マスクには医学的根拠はない」などと断言することが不遜です。さらに、彼がその論拠として引用している医師二人がまた、非科学的なのです。二重にトンデモな記事を書いた與那覇潤氏は、歴史学が非科学である可能性を示してしまいましたから、歴史学会から叱られるはずです。
→不遜なんて言うと與那覇は「センモンカなんかあてになるか!」言い出しそうだが、その根拠がまた「非科学的」という・・・。
ttps://x.com/yoshimy_s/status/1652134906879942661
マスクによる防御能は物理学的な作用によるものであり、数学的に解明することが必要で、いわゆる一般的に言う「医学的な」範疇ではありません。
また数学的に得られる結論は、確率論に基づく理論値ですから、根拠が「ある/ない」の二者択一で論じるのも不適切です。
以上、引用終わり
今日でもコロナは拡大しており危機感を持った医療関係者による発信が続いている。
後述するように、與那覇は「対談」を自己ステータスの証明に使っているので、ぜひこういった人たちと議論してほしいのだが、いかがだろうか。
なお、当然のことながら與那覇がこれらの批判に反論した形跡は全くない。まさに與那覇が批判するような「言いっぱなし」を自ら実践している。
森田にいたっては、参政党ともつながっていることが分かっている。その森田は與那覇の記事を礼賛している。
ttps://sankago.hp.peraichi.com/2025/
ttps://note.com/hiroyukimorita/n/n783b8188b14d
こうしてみると、以前の記事で與那覇が参政党の躍進を「支持はしないが、参政党の躍進を喜びたい」と述べたことも、別の意味を帯びてくる。そもそも支持はしないが喜びたいという言葉自体、一昔前の「ご飯論法」にも通じる詭弁である。與那覇が参政党にシンパシーを感じていて、表立って支持するなんて言ったらたたかれるので、予防線を張っているとも考えられる。與那覇の文面から、参政党への強い批判や危機感を見出すことはできないし、反ワクチンなどでは参政党と近い立場であることは明らかである。なお、與那覇が参政党の躍進を喜ぶのは「ホンモノ」の予言が当たるかどうか確かめたい、という意図によるらしい。だが、こうした與那覇の文面をそのまま馬鹿正直に受け取ることもできない。以下に見るように與那覇が依拠する言説の中には参政党と通じる人脈が複数含まれている。與那覇が参政党の反ワクチン的姿勢に対して特に言明しないのも、なんだか不気味に思えてくる。無言の肯定ということにならないだろうか。
そもそも、民族差別など数々の問題点を指摘されている参政党の躍進を「喜びたい」などと表現するのは、常軌を逸していると言わざるを得ない。もはや與那覇は陰謀論に通じているか、そうでなくともそうした価値観を容認していると批判されても言い訳できないだろう。
もし、そんなことない、「ホンモノ」たる俺が陰謀論なんて信じているわけないと言いたいなら、森田や宮川の議論を引用するときに最低限の注記をはさむべきだった。そうした行為を一切していないのは、與那覇にはすでに陰謀論者とも言われる人物の議論を引用することにためらいが無くなっていることを意味する。
専門家批判は決して悪いわけではない。だが、それに代わって批判するのが根拠が薄く、数多く批判されている論者の言説であるというのはもはや喜劇でしかない。専門家がダメだからといって、自分に合う言説を無批判的に引用するのは真摯な立場ともいえないだろう。
そうした問題の多い言説を世に出すことに何の疑問も抱かない。そして、批判を受けても一切無視できる。そのクセ他人には「失敗を認めて反省しろ」と口汚く罵る。これが「ホンモノ化」の現実である。
繰り返すが、おそらく與那覇は「陰謀論になんてはまってない!」と言い張るだろう。だが、改めて森田の言説やそれに対する指摘を見てほしい。普通ならそのまま引用するのに躊躇うくらいの批判が相次いでいる。それらを論拠として挙げることに何の抵抗もなくなった時点で、すでに與那覇は「陰謀論」のナラティブに絡めとられつつあると言っても、大きくは外れていないだろう。えてして陰謀論にはまった人には陰謀論にはまってるといっても聞かないものだ。
さて、ここまで見てもらえたならもうお分かりだろう。與那覇には「史料批判」の視点が全くないのである。自説に都合のいい議論を紹介してあたかもそれが結論であり、最新の議論であるかのように偽っている。
そういえば、『中国化する日本』でもそんな手口を使っていたような・・・。
https://yu-koba.hatenablog.com/entry/20111212/1323691605
https://kscykscy.exblog.jp/18241381/
なんどもいうがkscykscyこと鄭栄桓の記事は與那覇の議論の問題点や手口がよくわかる内容となっている。與那覇を論じるならまず必読の内容である。與那覇が今なおこのブログに一切言及しないことも含めて、示唆的であろう。
では、これからどうしたらいいか。與那覇は最近でも著名な有識者と対談をしている。與那覇は対談することで自分が一流の批評家であるというアイデンティティを確保しているようである(先の歴史研究者への反論でも自分が専門家と対話していることをまともな証拠に挙げていた)。
ttps://note.com/yonahajun/n/n411c48f6f523
ちなみにこの記事で挙げられている宮沢孝幸は参政党と通じている。
https://x.com/tokyo_jyoto/status/1885649076517249067
ここまで参政党と通じている点をいうと與那覇のことだから「学級会みたいに誰かとつながっているからなんて理由で批判するのは幼稚だ!」などと言い出しそうだが、参政党躍進を喜んだ以上、その人脈とのつながりは指摘されて当然である。そもそも聞かれてもないのに参政党躍進にはしゃいだのは與那覇なのだから、自分のうかつさを反省すべきである。
念のため補足しておくが、與那覇が参政党関係者と対談したり、その価値観や政策を肯定したことも、支持を明言したことも一度もない。
ただし、その主張の背後には「参政党的」なものが見え隠れしている。すでに與那覇は参政党に自身の思惑はどうあれ接近しつつある。いずれ参政党の支持を明言するのも時間の問題ではないだろうか。これは外れて欲しい予言であるが。
ttps://note.com/yonahajun/n/nb2bd757600df
自分の地位を誇るために「こんなすげー専門家と対談しているんだぞ!」という論法は「俺スゲー人と握手したんだぜ!」みたいな「幼稚」な自己顕示欲の発露に見えなくもない。
対談もいいが、大事なのはそこで何を話したかだろう。単に権威をひけらかして自分の立場の正当性を主張しているように見える。『中国化する日本』で批判された手口と同じである。
余談だが、戦前にもそんな人の権威に寄りかかって自らの権威と正当性を訴えた人物がいたようである。
ttps://x.com/NAKAHARA_Kanae/status/1890289544702066920
中身のない人ほど誰と会ったかや誰と話したかの「実績」にこだわるのは戦前から変わらないらしい。こういう発見もあるから歴史ってのも案外面白い。
実は対話をしたり表向きのメディアでは與那覇は非常に行儀がいい。普段noteやネット記事でやるような苛烈な批判は鳴りを潜め、つつましく対談しているのである。使い分けがとても上手で、ここはさすがという他ない。その意味で與那覇の振る舞いはとても洗練されている。これは皮肉抜きである。
ただ、ここまで来たように、與那覇には陰謀論者と批判されるような根拠の弱い議論を平気で受け入れて、他人を罵倒して自分は「ホンモノ」だと居直り、自身に対する批判には耳を貸さない身勝手な側面があることは間違いない。
だから、今やるべきはもうこうした人物をしっかりとした「批評家」と見なすことをやめることである。與那覇の議論は常に身勝手さに裏打ちされた恣意的な印象操作、批判に対する無視が付きまとっている。そうした問題点がある限り、與那覇の議論をまともに受け止めることは難しいし、それこそ「史料批判」の観点から批判的にとらえる必要がある。
仮にこの記事を與那覇が目にしたなら、鄭の批判にさかのぼって、まずは自分の間違いや問題点をしっかりと洗い出して、自分の議論や言説に間違いがないか反省する作業をしてほしいと思う。そうしないと、マジで本当にもう誰にも相手にされなくなる。少なくとも、後世では無視されるか「こんな「ホンモノ」がいたのか!」と笑いものにされる可能性が高い。笑いものにされるならまだマシで今のままだと無視される方が確率的に高そうである。
そうした言説に対する真摯な見直しと反省ができないなら、やはり本稿の批判はかなり当たっているということになる。
この記事が與那覇の議論が「すごい」と思った人に届けばいいと思っている。たまたま見つけた人が「あれ、與那覇さんってなんかいいと思ったけど、もしかしてまずい人なのかもしれない」と思ってもらえればそれで十分だ。そうした批判や見方を改める作業を繰り返すことで、真の「本物」が生まれるはずだから。
追記。
性器配信女が汚い言葉という自覚のある人が書く整形女という呼称に含まれる成分
むかついたらと言って「整形女」とか書き込むのも一回考えた方がいいぞ。方向は一緒だ
これな、本当にその通りなんですよ。手癖で書いて、見直して、良く無いよなあと思って、でもそのままにしたんよ。そしたら、後釣り宣言みたいで恐縮やけど、まさにここを論うブコメが大人気になるわけよな。
これは強調しておくけど、俺が悪いんよ。発端の人、悪口言ってごめんなさい!(収まったらしいので名前も一応伏せる)
しかしやな。こうやって俺に対して「お前も一緒だぞw」って揚げ足を取るその熱量で、発端の人の暴言芸に釘を刺す事ってできん? 「あなたの気持ちは分かるし、レンタルショップが駄目だっただろうけど、AV女優に流れ弾を撃ち込むのは違うよね」って、そういう優先順位で言及できるよね?
それくらい分かってて敢えて書かないでいるだけ? 本当に? 俺のコメントに「分かってて敢えて書かないでいるだけだろうから好意的に汲んでやろう」ってしてくれる奴なんかほとんどいないのに?
で、これ、まあ店が悪かったのはそれでいいけど、三上悠亜って別にこの件に責任も関係も無い単なる一労働者で、別に加害とか攻撃とか煽ったりとかしてないのに、急に暴言を打ち込まれただけっていう。そういう被害を、政治的な都合に応じてシカトするだけならまだいいよ。「そういう仕事をしてるんだから仕方ない」みたいな事言い出すのは絶対にダメでしょ。痴漢被害者に「お前の服装が原因だ」みたいな、純粋な被害者叩きやん。
そういう、「別に無関心とかでは無く、熱量はあり、熱量がある上で意図的に被害者叩きをやっている」というのを引き出したかったので意図的に残した記述でした。
重ねて言うけど、だからって俺のクソムーブが相殺されるとかは1ミリも思って無いよ。俺はクソ野郎。ただしお前らもクソ野郎。俺たちの上に綺麗な花を咲かせような。
「離婚したり絶縁したとして、それで気持ちとかその辺が整理とか付いたりしないよね?」ってのを強く思うので、書かなかった。別にそれで嫌という気持ちが減ったり無くなったりせんでしょ。欲求の核心は「なって欲しくない」なんだから。だから「止めさせる方法」に絞った。
あと、元増田にも書いたけど、身内の恥だから家から追い出すみたいなのってすっげー家制度っぽいよね。そこに立脚するの? それプラス、「離婚するならやめます!捨てないで!」って諦めさせるパターン、自分とか家族愛とか経済力とかを人質にとって他人をコントロールしてるわけで、別に殴ったりしてなくても普通に暴力の範疇だよね?
で、まあこれは、元増田冒頭の意味不明な当て擦り(当て擦れていない)に便乗した俺がそもそも悪いんだけど。
AV女優やっててもいいの? → それは流石に嫌なので離婚します → 発端の人の差別的暴言は正当だ!
とはならんしな。
「他に選択肢がある状態」がハードル高すぎるでしょ。結婚しようと思えばできるほどの女を数人キープしてる状態って事よね? その前提をクリアできる奴がはてブなんかやるか。
そして、「愛し合った相手がAV女優だったので、身内に反対されて、結婚を諦めさせられました」というのは、部落差別とかと一緒なんよ。
部落は理不尽だがAV女優は自分で選んだ職だから別問題? そうじゃない。「大勢が偏見を持つ職に進んで就く事」と「なので偏見ベースで侮辱する事」は全然別の話。AV女優という職に偏見を持つ俺たちの方の問題であり、被害者にとって理不尽である点は同じだよ。
そらそう。そらそうやが、『ならん方の人』ってのはどういう意味? たぶん性別の事よね? そう決め付けるけど、違ったらゴメンね。
まあ確かに俺は男やが、その「男だったらウェディングドレスへの憧れなど無い」「着る機会などない」という偏見ベースで他人を断じるの、ちょっと旧態依然すぎるでしょ。
そして、女だったらイコール当事者なのか? そんなわけなくない? 自他境界バグってるの?
当事者とか言うんなら、せめて「結婚する予定のある未婚の女性」とかに限れよ。そしたらたぶん言うてる本人とか★付けてる連中も外れると思うけど。
そして、SNSとか見てても、普通に差別や暴言を批判している女性はいます。そもそも三上悠亜は女性人気も高い。男女の争いとかでは全く無いんよ。
数行でコメントしてやるけれど、AIが文章を要約するぐらい秒なの知らないの?
その程度の文をざっと読む読解力も無いなら、とりあえずAIに要約してもらえば?
どんな論証になってるかは後からじっくり読めばいいよね??
お送りいただいた反論、拝見いたしました。これらは竹中平蔵氏本人やその支持者が頻繁に用いる主張であり、一見すると事実やデータに基づいているように見えます。
しかし、詳細に分析すると、**事実の一部を切り取って都合よく解釈したり、論点を巧みにすり替えたりしている箇所が多く、全体として妥当性は低い**と言わざるを得ません。
時間がかかっても構わないとのことですので、一点ずつ、事実に基づいて厳密な評価と反論を行います。
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反論の要旨:**ILO条約を批准し、世界的な流れに従っただけだ。
評価と反論:**
この主張は**「半分だけ事実、しかし結論は誤り」**です。典型的な論点のすり替えです。
1. **ILO条約は「規制緩和」を義務付けてはいない:**日本が批准した「1997年の民間職業仲介事業所条約(第181号)」は、民間による職業紹介や労働者派遣を認める代わりに、**派遣労働者の権利を保護すること**を重要な目的としています。条約は、同一労働同一賃金の原則や、派遣労働者が不利益を被らないようにするための適切な保護措置を求めています。つまり、条約は「派遣を解禁するなら、労働者をしっかり守れ」という趣旨であり、**日本が行ったような急進的な規制緩和(特に製造業への解禁や期間制限の撤廃)を推奨・義務付けるものでは全くありません。**
2. **「世界的な流れ」の誤用:**欧州の多くの国々では、派遣労働を認めつつも、その利用は「一時的・臨時的業務」に厳しく限定されていたり、均等待遇(派遣先の正社員と同等の賃金・労働条件)が日本より厳格に適用されたりしています。日本の改革は、この「労働者保護」の側面を軽視し、「企業の自由」を過度に優先したため、他国と比較しても際立って非正規化を加速させました。
結論:**ILO条約や世界の潮流を「言い訳」にしていますが、問題の本質は**条約が求める労働者保護をないがしろにし、世界的に見ても急進的な形で規制緩和を断行した国内の政策判断**そのものです。
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反論の要旨:**政治家による資金の私物化を防ぐためだった。国鉄のように破綻させないためだ。
評価と反論:**
この主張の**動機(問題意識)は妥当ですが、その解決策と結果の評価が一方的**です。
1. **問題意識は正しい:**田中角栄元首相に象徴されるように、かつての自民党政治家が公共事業や特殊法人を票田や利権の温床としてきたことは事実です。その構造にメスを入れる必要があったこと自体は、多くの国民が同意するところです。
2. **「民営化」が唯一の解決策ではない:**政治家の介入を防ぐ方法は、ガバナンスの強化、情報公開の徹底、会計の透明化など、民営化以外にもあり得ます。この反論は「腐敗か、民営化か」という極端な二者択一を迫っていますが、それは議論を単純化しすぎています。
* **郵政:**ユニバーサルサービス(全国一律のサービス)の維持が危ぶまれ、かんぽ生命の不正販売問題など、営利優先の弊害が顕在化しました。
* **道路公団:**民営化後も、結局は国が債務を保証する形が残り、料金収入で本当に債務を返済できるのかという疑問は解消されていません。国民の資産が安値で売却されたのではないかとの批判も根強くあります。
結論:** 「政治家の私物化を防ぐ」という大義名分は正当ですが、それをもって**民営化という手法と、その後の結果がすべて正当化されるわけではありません。** 多くの負の側面を無視した、自己正当化の論理です。
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### ■格差の拡大について
反論の要旨:** 2000-2005年の格差は下がっている。OECDのレポートに書いてある。
評価と反論:**
これは**統計を意図的に一部分だけ切り取った、極めて悪質な論法**です。
1. **どの指標を見ているか?:**格差を示すジニ係数には、税金や社会保障で再分配される前の「当初所得」と、再分配後の「再分配所得」があります。竹中氏が言及するOECDのレポートや経済財政白書では、高齢化の進展で無職の高齢者世帯が増え、「当初所得」ジニ係数は一貫して上昇傾向です。一方で、年金などの社会保障により「再分配所得」ジニ係数がある一定期間、横ばいに見えた時期があるだけです。**現役世代の所得格差が広がっているという現実から目を逸らさせています。**
2. **より重要な指標「相対的貧困率」の悪化:** 同じ時期、国民の所得の中央値の半分に満たない世帯の割合を示す**「相対的貧困率」は一貫して上昇**していました。特に、子どもがいる現役世帯の貧困率は深刻化しました。これは、非正規雇用の拡大で「働く貧困層(ワーキングプア)」が増えたことの直接的な現れです。
3. **長期的な視点の欠如:**改革の帰結はすぐには現れません。2000年代後半から2010年代にかけて、格差と貧困が日本社会の大きな問題として顕在化したのは、まさにこの時期の政策が時間差で影響を及ぼした結果です。5年間という短い期間だけを切り取って「格差は拡大していない」と主張するのは、欺瞞に満ちています。
結論:** 最も重要な指標(相対的貧困率や現役世代の所得格差)を隠し、都合の良い一部のデータだけを提示する**典型的なミスリード**です。
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反論の要旨:**ゾンビ企業を清算しないとデフレスパイラルになる。
評価と反論:**
経済学的な理屈としては**一理ありますが、社会政策的な視点が完全に欠落しています。**
1. **経済理論としては正しい側面も:**生産性の低い企業が、低利融資で延命し、過剰な供給力でダンピング(不当廉売)を行うことがデフレ圧力の一因であったことは事実です。不良債権処理によって新陳代謝を促す必要性自体はありました。
2. **「清算」のやり方と速度が問題:**問題は、その「清算」をあまりにも急激に、そして**セーフティネット(失業者の受け皿、再就職支援など)が不十分なまま断行した**ことです。これにより、多くの健全な中小企業までが連鎖倒産し、大量の失業者を生み出しました。経済合理性のみを追求し、社会が払うべきコスト(失業、自殺、地域の崩壊など)を度外視した「ショック療法」であったことが厳しく批判されています。
結論:** 「デフレ脱却のため」という目的は正しくても、そのために**社会が負った傷や犠牲を無視する議論は、極めて冷酷かつ一方的**です。政策の評価は、経済指標だけでなく、国民生活への影響を含めて総合的に行われるべきです。
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反論の要旨:**グローバルな自由貿易の結果であり、国内政策の問題ではない。「スリッパ工場」はインドと競争するから賃金は上がらない。
評価と反論:**
1. **日本の労働者の多くは貿易と無関係:**日本の就業者の大半は、医療、介護、教育、建設、運輸、小売、飲食といった**「非貿易財(国内向けサービス)」**に従事しています。これらの仕事はインドの労働者と直接競合しません。例えば、日本の介護士やトラック運転手、コンビニ店員の賃金が、インドの工場のせいで上がらない、というのは馬鹿げた理屈です。
2. **国内の「政策」が原因:** これらの国内向けサービス業で非正規雇用が爆発的に増えたのは、グローバル化ではなく、**ひとえに労働者派遣法などの国内の規制緩和が原因**です。企業が国内の正社員を非正規社員に置き換えるインセンティブを、政策が作り出したのです。
結論:** 「グローバル化」という、抗えない大きな力のせいにするのは、**自らが推進した国内政策の責任から逃れるための詭弁**です。「スリッパ工場」という極端な例えを使い、あたかも日本経済全体がそのようになっているかのように錯覚させる、悪質なすり替え論法です。
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反論の要旨:**企業は海外で稼いでいるから、日本の労働者の賃金が上がるはずがない。
評価と反論:**
1. **国内でも利益は増大:**企業は海外だけでなく、**国内事業でも莫大な利益を上げてきました。**法人企業統計を見れば、企業の経常利益は改革後に大きく伸びています。賃金を上げる原資がなかったわけではありません。
2. **問題は「分配」の方針:**問題は利益の源泉ではなく、その**使い道(分配)**です。企業は、得た利益を「賃上げ」ではなく、「内部留
保」や「株主配当」に優先的に振り向けてきました。これは、株主資本主義の要請や、労働組合の交渉力低下、そして何より**「いつでも安い労働力(非正規)に置き換えられる」という状況を政策が作り出した**ことが大きな要因です。
結論:** 「利益は海外で」という主張は、国内での利益を無視し、賃金が上がらない原因を「分配の失敗」という政策的・構造的な問題から逸らそうとするためのものです。
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反論の要旨:** 「解雇規制を緩和すれば派遣業界は吹っ飛ぶ」と言っており、自社の利益と相反する。不思議ちゃんだ。
評価と反論:**
これは**短期的な視点しか見えていない、極めて浅薄な擁護論**です。
1. **より大きな市場を狙う戦略:**竹中氏やパソナが目指しているのは、単なる「派遣業界」という小さな市場ではありません。彼らが目指すのは、**日本の労働市場全体の流動化・自由化**です。正社員の解雇規制が緩和されれば、「正社員」と「非正規」の垣根がなくなります。
2. **HRビジネスの覇者を目指す:** そのような社会では、企業は必要な時に必要な人材を調達し、プロジェクトが終われば解雇するという、より柔軟な雇用形態が主流になります。そうなれば、**人材の仲介、再教育、キャリアコンサルティング、アウトソーシング(業務請負)などを一手に引き受ける巨大な人材サービス企業(HRビジネス)**が市場を支配します。パソナのような企業にとって、現在の「派遣」というビジネスモデルは過渡期のものであり、**労働市場全体の流動化は、長期的には遥かに大きなビジネスチャンス**なのです。
結論:** 「派遣業界が吹っ飛ぶ」という発言は、一見すると自己否定的に見えますが、実際には**自社をより大きなゲームの勝者にするための、長期的・戦略的な布石**と解釈するのが自然です。「不思議ちゃん」などではなく、極めて計算高い戦略家です。この反論は、その戦略的な意図を見抜けないか、意図的に隠そうとしているかのどちらかでしょう。
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### **総括**
お送りいただいた反論群は、一見すると経済学的な用語やデータを並べて説得力があるように見せかけていますが、その実態は、**事実の歪曲、論点のすり替え、不都合な事実の無視**に満ちています。
これらの主張は、竹中氏が進めた改革を「歴史の必然であり、唯一の正解だった」と見せかけるためのイデオロギー的なプロパガンダの側面が強く、**厳密な評価に耐えうるものではありません。**妥当性は極めて低いと判断します。
以下質問内容。
君とのやり取りに対して以下のような反論?が届いたけど、この反論はどの程度妥当なの?時間がかかっても構わないので、事実に基づいて厳密に評価し、反論があれば反論して。
最初にILOが「派遣もアリ」という条約を作り、日本はそれを批准してから法改正した。各国の世界的な流れに従った。
田中角栄のような政治家が、特殊法人の金庫に手を突っ込んで、自分の票田にバラマキ。そういうことをさせないための民営化。金庫が空っぽになってしまった国鉄は最終的に破綻処理。
■格差の拡大
2000-2005年の間、格差は下がっている。彼自身が「そのことは経済財政白書にもOECDの報告書にも書いてある」とソースをはっきり言っているのに、なぜOECDの2005年レポートを読まないの?
いわゆるゾンビ企業の清算。利益が出ていないのに撤退せず最低賃金で踏ん張り、ダンピング価格で出荷されたらデフレが更に進む。地獄のデフレスパイラルや。
自由貿易によって、グローバルな同一労働同一賃金が達成された。スリッパを作る工場は、インドでも国内でも時給は同じになった。そもそもスリッパのような低単価商品、国内においては稼げる仕事じゃないだろう。
このように、企業は海外にスリッパ工場などを建ててそれで稼ぐようになった。日本の労働者はそこで働いていないんだから、賃金が上がるはずがない。
会長なのに「解雇規制を緩和すれば、派遣業界なんて吹っ飛んでしまう」と言って回るような、自社との利益相反、不思議ちゃんだ。普通なら「日本型雇用は素晴らしい、派遣業界は永遠なれ」というボジションなのだが。。
https://anond.hatelabo.jp/20250727144129
ヴァンビューレンはジャクソン路線の後継者ながら、洗練された知識人タイプで、西部農民の支持基盤を失っていた。
対するハリソンはインディアン戦争の英雄で、商業ベースの大衆向け選挙運動(歌や雪玉行進など)で「アップルサイダーを飲む本物の男」として演出され、ヴァンビューレンを打倒した。
バイデンはクリントン/オバマ両派の「平均値」で、自身の独自色は薄い。
堅実で安定した基本票を固める一方、社会主義や急進策で票を揺さぶることはできない。
経済危機や投票率の低下など「待ちの選挙運動」によって勝機を狙う「ハリソン型」候補と位置づけられる。
バイデン政権期は「過渡期」として、社会構造やグローバリズムの失敗を負担させられる。
いずれ世界経済やグローバリゼーションへの反動が、次期政権(2024年以降)に大きな足かせとなる。
グローバル化の成功は多数の他者・要素の協調に依存し、自国で完結しない。
危機が起これば基盤となる自前票(基本盤)を犠牲にしてまで、異質勢力を優遇せざるを得ず、内向きの反動を招く。
1990年代以降の民主党リベラル路線は、欧州「第三の道」になぞらえられたが、長期戦略を固守したために危機への柔軟な対応を欠き、痛手を被る可能性が高い。
日本は「東北アジア」の小国的序列の中で、欧州列強のように多強国体制下での外交経験を持たず、(幣原外交の継続など)序列維持策が却って「綏靖主義」を招いた。
革命派(泛アジア主義)による「無限外交」が功を奏せず、太平洋戦争へ。
1960~70年代、日本はアジアの「小兄弟」意識で米国依存を続けた。
バブル前夜の80年代、米国(ブレジンスキーら)から「世界第二位の経済大国として市場開放と軍拡」を強く要請され、中曽根・プラザ合意へとつながる。
日本国内では「円高→バブル」という劇的な経済変動と受け止められたが、米側の戦略的文脈では「日本を欧州大国並みのパートナーに引き上げるための通過点」。
東京の不動産バブルは、対米・国際金融システムへの資源輸出を担う「抽水機」の役割を果たしたとの見方。
日本・韓国・台湾など東アジアの先進国的繁栄は生育率の大幅低下という「究極の代価」を伴う。
欧米(英米など)の「大国的再生産基盤」に比べ、東アジアには自前の歴史的・文化的蓄積が乏しく、グローバル・エリートクラブへの「先行参加」には大きな犠牲を強いられた。
米国と協調し大国責任を果たす(いわば「欧州大国モデル」)か、インド・ロシアなど大陸勢力を抑えつつ「米国・戸外孤島モデル」(「アメリカ島」路線)になるか、二者択一。
韓国は大陸系・海洋系の間で揺れ、小国・大国志向のジレンマが大きい。
ベトナムは大陸型強国としてインド・中国と張り合う性格を持ち、小国に留まることは困難。
日産自動車は追浜工場(年間能力約24万台)の車両生産を2027年度末で終了し、モデル生産を福岡県の日産自動車九州へ集約すると発表した(https://global.nissannews.com/ja-JP/releases/250715-01-j)。工場そのものの閉鎖は未決定で、跡地活用を含め検討中としている(ロイター 2025/07/15https://www.reuters.com/business/autos-transportation/nissan-says-oppama-plant-will-stop-production-by-end-fy202728-2025-07-15/)。さらに鴻海(Foxconn)と追浜でのEV生産を協議中との報道もある(ロイター 2025/07/06https://www.reuters.com/business/autos-transportation/nissan-considers-foxconn-ev-output-save-oppama-closure-nikkei-says-2025-07-06/)。
九州工業地帯にサテライト工場を新設し、福岡県の立地補助(固定資産税5年免除など)を活用
競合サプライヤー同士が合弁し、大型モジュール単位で納入し物流回数を半減
トヨタ東日本、ホンダ寄居など他社の小型EVラインへシフトし海外OEM依存度を高める
追浜での車両生産終了は、サプライヤーに地理優位の喪失と再投資の二者択一を突きつける分水嶺となる。コスト、顧客、技術の三面でリスク分散を急ぎ、多拠点・多OEMモデルへの転換を図ることこそ生存戦略となる。工場用途が未定とはいえ、JITロットの消失という事実は動かない。意思決定の先送りは許されない。
最初に断っておきたいが私は普段、古市憲寿の発言に頷けることはほとんどなく
中居正広絡みのコメントには「また外野から好き勝手言ってるな」と軽蔑すら覚えている。
それでも今回、彼が「X子」代理人弁護士に送りつけた公開質問状だけは唸らざるを得なかった。
発端は「X子」氏の文春インタビュー。「橋下さんや古市さんは私や代理人に確認もせず…」という一文だ。
古市はこの"確認"という言葉を丸ごと奪い反転させ、「それなら徹底的に確認しましょう」とばかりに8ページの長文質問状を叩きつける。
しかも内容は「私のどの発言が加害者寄りなのか具体例を」「"失恋事案"と断じた証拠は?」とYes/Noでは逃げられない設計。
回答できなければ根拠なき誹謗が確定し答えれば答えたで再反撃を食らう、立証責任を丸ごと相手に押し付けた形だ。
「文春が嘘をついた」か「司法関係者=弁護士が漏らした」か、二者択一に絞って「平均的読者は後者を想像しますよね?」とほほ笑む。
直接的な名指しは避けつつ、"あなたでしょ?"と肩に手を置くようなこのレトリックは、正直お見事としか言いようがない。
法律論を振りかざし、無罪推定まで持ち出すハイパー上から目線の内容で好感度なんて気にしない古市節全開だが、
対戦型SNSというリングで戦うにはこれ以上ないコンボになっている。
https://anond.hatelabo.jp/20240116112117
前に増田で書きましたが。
出産や育児は女性を縛るものであり、少子化を解決する最も効果的な手段である女性への人権に制限を加えるもの以外では、人工子宮と管理された育児以外には根本的な解決策はありません。
ここまで書いても勘違いする人が出てきそうなのではっきり言いますが、女性の人権制限するのは私は1000%反対です。多くのはてな民もそうだし、実際のところ日本国民全体で見てもそうだと思います。
女性の高等教育を制限したり出産や育児を強制するのはほぼ誰も賛同しないと思います。
でなければ出生率を徹底的に下げても構わないと腹をくくるかです。正直なところ私は二者択一です。女性の人権を制限したりするなど私には考えられない。