
はてなキーワード:二番煎じとは
なんで中道がここまでボロ負けしたか、心理学の用語を使って解説してみる。暇な人向け。
まず外見バイアス。
高市早苗vs野田佳彦+斉藤鉄夫という並び、テレビで見ただろうか。高市は初の女性総理で「日本列島を、強く豊かに。」とキメ顔で言っているのに、中道側は野田のおっさんと斉藤のおっさんが記者会見で並んでいて「5G(爺)」と揶揄されていた。
有権者が画面で見た瞬間の印象が違いすぎる。特に若年層はビジュアルで「推し」を決める時代なので、二子玉川の最終演説に制服の高校生が殺到していた時点でもう勝負はついていた。
1月15日に立憲と公明が合流合意→16日に党名決定→23日に解散→27日に公示→2月8日投開票。つまり党名が世に出てから投票日までたった3週間ちょいしかない。
単純接触効果というのは「何度も繰り返し接触するほど好感度が上がる」という心理効果なのだが(キリッ)、そもそも「中道改革連合」という名前に国民が接触する回数が圧倒的に足りていない。「立憲」なら6年間の蓄積があったのに、わざわざ直前にリセットしたわけ。
現場の候補者が「比例の復活枠がほとんどない。小選挙区で勝たないと」と悲鳴をあげていたが、比例で「中道改革連合」と書く有権者がそもそも少なかったのは当たり前だろうと思う。名前を変えるなら最低でも半年は周知期間が必要なのに、3週間で浸透するわけがない。民主→民進→希望→国民→立憲のときと同じ失敗をまた繰り返していて、本当に学習能力がゼロだと思う。
自民は逆にこの効果を最大限ブン回した。高市のYouTubeショート動画は公示前日に投稿して10日足らずで1億回再生を達成している。YOASOBIの「アイドル」が35日かかった記録を余裕でぶち抜いた。
広告費で数億突っ込んだ説もあるが、とにかくXのタイムライン、YouTube、TikTok、どこを開いても高市の顔が出てくる状態を作り上げた。出口調査でSNS・動画を43%が参考にしたと出ている。中道の動画は最多で100万回。自民の1000分の1以下である。
接触回数の差が1000倍あったら、そりゃ好感度に差がつくに決まっている。金の暴力とはこういうことだ。
心理的リアクタンスというのは「お前これをやれ」「あいつはダメだ」と押し付けられると、人間は逆にやりたくなくなる心理のことだ。
中道は食料品消費税の恒久ゼロ、給付付き税額控除、奨学金返済減税、NISA減税、家賃補助、週休3日制など、それなりに具体的な政策を掲げていた。しかし有権者に届いた情報は「裏金批判」「税金の無駄遣い解散」「自己保身的な解散」ばかりだった。
野田氏自身が敗戦会見で「政策論争の機会を失し、独特の空気に結果が左右された」と認めている。落選した馬淵澄夫氏も「ネットや動画を通じた訴求力が十分ではなかった」と分析している。つまり政策を語っていなかったのではなく、語っていたのに伝わらなかった。これは前述の単純接触効果の裏返しでもある。自民が1億再生の動画で「ポジティブな高市像」を大量に流している横で、中道の動画は最多100万回。接触機会が1000分の1しかなければ、そもそも政策が届くわけがない。
結果として有権者に残った印象は「また野党が与党の非難をしている」だけだった。前回の2024年衆院選で裏金批判が効いて立憲が50議席増やしたものだから、「同じ手が通用するだろう」と二番煎じをやったように見えた。しかし人間は「また同じ批判かよ」となると逆に反発する。「自民がダメだから中道に入れろ」と言われれば言われるほど、「いや自分で決める」と自民に入れたくなるのがリアクタンスというものだ。
出口調査で無党派の投票先は自民が25%で首位だった。2022年参院選以来の数字である。野党が批判すればするほど与党に票が流れるとは、皮肉すぎる。元グラドルの森下千里に負けた安住は今頃何を思っているのだろうか。
全部、自分たちで転んでいる。小沢一郎、安住淳、枝野幸男、岡田克也が軒並み落選して、民主党系の歴史が一夜で焼け野原になった。中道幹部が「惨敗というより壊滅」と言っていたが、壊滅するべくして壊滅したとしか言いようがない。
いくつかコメントをもらったので返しておく。
そのとおり。心理効果は「これさえあれば選挙に勝てる」みたいな魔法ではない。ただ、この与太話で言いたいのは「全有権者が政策を熟読して比較検討した上で投票している」わけではないという当たり前の話だ。出口調査でSNS・動画を43%が参考にしたと出ているが、10秒〜1分のショート動画が再生数の7割を占めるような状況で、何を「参考」にしたのかは推して知るべしだろう。自分自身のことを振り返ってみてほしい。投票先を決めるとき、全政党のマニフェストを読み比べてから投票所に行っているだろうか。お前はそうかもしれないが、俺は感覚で決めているところが正直ある。その「感覚」の部分にバイアスが効いているという話をしている。
見かけたのはそうかもな。ただ単純接触効果には前提条件があって、ポジティブまたは中立的な文脈で繰り返し接触した場合に好感度が上がるという効果だ。ネガティブな文脈での接触は逆効果になることが知られている。「中道また批判してる」「立憲と公明が野合した」みたいな文脈で名前を見かけても、それは単純露出効果がプラスに働く接触ではない。一方、自民は高市のショート動画で「未来は自らの手で切り開くもの」みたいなポジティブなメッセージを1億回再生させた。同じ「名前を見かける」でも、文脈が真逆なのだ。
1999年の都知事選では石原慎太郎が告示2週間前に突然出馬表明してボロ勝ち、負けた側からは後出しジャンケンでズルいとまで言われてたくらいなので、後付けの理由はいくらでもつけれる
石原慎太郎の知名度の話と党名変更の話は全く別だ。石原慎太郎は芥川賞作家で国会議員を25年やって運輸大臣もやった人間で、出馬表明が2週間前だろうが「石原慎太郎」という名前の認知度は盤石だった。中道改革連合の問題は、候補者の知名度ではなく、投票用紙に書く「党名」が変わったことにある。中道に投票したい奴は比例代表で「中道改革連合」「中道」と書かなければならない。この新しい党名が有権者に浸透していたかという話をしている。書いた奴はそのときなんかひっかかる感じがしなかったか? 実際、中道は比例で42議席しか取れていない。石原の話を持ち出すなら、石原が「慎太郎」から突然「太郎慎」に改名して2週間後に選挙に出たようなものだと思ってもらえればいい。
これは正直、相当鋭い指摘だと思っていて、事実関係だけ整理すると、中道の基本政策は公明の西田幹事長が「公明党の考え方をベースに協議した」と認めている通り、ほぼ公明主導で作られている。安保法制は「違憲部分の廃止」→「合憲」、原発は「ゼロ」→再稼働容認、憲法改正論議も容認。立憲の看板政策がほぼ全部ひっくり返っているので、「180度曲げた」という表現自体はそこまで大げさではない。
ただ2点。
まず、それは中道に入れない理由にはなっても、自民に入れる理由にはならない。安保法制合憲への転向に怒った層の行き先は共産・れいわ・棄権であって、自民ではないだろう。とはいえ、比例代表の結果を見ると、共産は4議席(前回から半減)、れいわは1議席(前回の9議席から壊滅)で、リベラル票の受け皿として機能したとは言い難い。票が流れたのはむしろ参政党(15議席)やチームみらい(11議席)のような新興勢力だ。
もう一つ、安保法制が合憲に変わったとか原発ゼロが消えたとかを認識して投票行動を変えた有権者がどれだけいるのか。中道の動画は最多100万回再生、綱領の全文を読んだ人間はさらにその何分の一かだろう。この与太話の趣旨は「大半の有権者は政策の細部ではなく印象で投票先を決めている」という話なので、あなたのような政策転換の中身を精査して投票先を変えた人は正しいかもしれないが大多数ではないだろう。
「全部、自分たちで転んでいる」は言い過ぎだった。高市旋風、電撃解散、自民党のSNS戦略のうまさ、小選挙区制の構造、後付けでいくつも外部要因は書ける。
でも中道は負けた理由を外部に求めちゃだめだぞ。「高市人気には勝てなかった」「独特の空気に左右された」「時間が足りなかった」、全部他責だ。「自分たちは正しい」と訴え続けた政党が選挙のたびに議席を減らしつづけた例を直視してほしい。
続き https://anond.hatelabo.jp/20260210195337
Permalink |記事への反応(21) | 19:11
最近ずっと考えていることがある。
現実でもフィクションでも、意志や行為って、だいたい「死後」か「手遅れになってから」評価されることが多い。
主人公が誰かのために自己犠牲する話で、読者は泣く。でもその感動って、主体本人は一切観測できない。報われるのは周囲か、後世か、観測者だけだ。
「描かずにいられない衝動そのものに価値がある」みたいな思想にかなり共感している。
評価されるかどうかじゃなくて、
上手いかどうかじゃなくて、
再現性があるかどうかじゃなくて、
ただ「それでもやってしまう」こと自体に意味がある、というやつ。
描いても描かなくても世界は変わらない。
描いても誰にも届かないかもしれない。
それでも描く。
それでもやる。
技術的には、もう「上手く描く」ことは人間の専売特許じゃない。
再現性、量産性、クオリティだけ見れば、AIの方が強い場面は確実に増えている。
誰にも頼まれてないのに描く。
似ていても、二番煎じでも、それでも描く。
最近、ある有名なイラストレーターの言動を見ていて、ずっと違和感があった。
エゴサしては即ブロックし、意図的に世界を遮断して、それでも作品だけは外に投げ続ける。
最初は正直、病的に見えた。
でも今は、「あれは異常な個人」じゃなくて、「創作構造の極端な可視化」なんじゃないかと思っている。
それでも描き続けるしかない。
正直、かなり意外だった。
他人の影響を徹底的に避けてきた人が、
これは心境の変化なのか。
それとも、もう一人で抱えきれなくなった結果なのか。
よく分からない。
でも少なくとも、あれは「報われなさを一人で引き受け続ける構造」からの離脱に見えた。
最終的には継承とか文脈とか、他者との関係に飲み込まれていく。
主体は報われない。
作者は死後に評価される。
報われなさを前提にしないと成立しない営みって、そもそも健全なのか。
それでも人は描くし、書くし、語る。
それを美談にしていいのかという疑問が、ずっと同時に残ってる。
AIの絵の話って、もう飽きたって人もいると思うけど、俺はわりと受け入れてる方だと思う。
というか、同人とかファンアートって、別にAIに任せてもいいじゃんって思ってる。
「好き」を形にするのが目的なら、上手い・速い・量出る、で十分じゃない?
実際助かる人もいるだろうし。俺も便利だとは思う。
でもさ、ここで変な引っかかりが出てくる。
うまく説明できないけど、任せた瞬間に“自分の番”が終わる感じがする。
絵って、上手いか下手か以前に、
「描かずにいられない」って衝動がまずあって、
二番煎じでもいいし、誰かと似ててもいい。
似るのなんて当たり前だし、影響ゼロで生きてる人間なんていないし。
それでも「今の自分がこの線を引く」ってこと自体に意味がある、みたいな。
俺、正直センスない方だと思う。
だから“上手いものを出す”って方向でAIに乗っかった方が楽だし賢いのも分かる。
でも、そこで楽して出したものって、たぶん俺の魂は救わないんだよ。
ファンアート描いて承認欲求満たして、みたいなルートもあると思うけど、
俺が本当に欲しいのはそこじゃなくて、
自分の中から勝手に湧いてくる世界観とか、主張とか、感情とか、そういうやつを形にすることなんだと思う。
叶う叶わないは知らん。評価されるかも知らん。
でも、そこだけは他人(AI含む)に代行させたら終わる気がする。
俺にとっては「生き延び方」なんだよな。
ちょっと大げさだけど、本当にそう。
機動戦艦ナデシコってあの当時沢山あったエヴァの二番煎じアニメのその一番手とも言える存在で、
タイトルからしてガンダム+ヤマトのパロディであり、中身もパロディに満ちたふざけたノリでありながらシビアな死生観を持つハードSFとして
TVシリーズだけなら伏線回収から人間関係の結末まで、かなり綺麗にまとまった良作だったと思うけれど。
TVシリーズの何処が受けたのかを禄に考えず、無駄にダークにして元々の主人公とヒロインを不幸にする鬱展開をぶっ込んだ上、最後まで主人公は救われない投げっぱなしエンド。
制作側がホシノ・ルリにんほって作品を駄目にしたとしか思えない。
さらにゲストキャラの声優が何故か仲間由紀恵で、有名女優で気軽に使えないからスパロボ補完も望めないというおまけ付き。
本当になんでこんなものを作った。
承前。
https://anond.hatelabo.jp/20251231152723
他の人がつくったまとめを読むのが好きなので、俺もならって書く。
※2025年に読んだ上位10冊だと、必ずしも2025年(もしくは前年末)に出版されたものに限らない。極端な例として、英文学の傑作とされる『闇の奥』とか出てくる。1902年版。
そこで、1年以内に刊行されたものだけでも10冊以上になるようにした。+αはその意。
様々な動物のコミュニケーションをサンプルに、「動物は言葉をしゃべっているのか?」を考察するノンフィクション。最後は、「そもそも言葉とは何か?」というところまでテーマは広がっていく。
まず、動物とその言葉の関係を評価するスタンスは、大きく分けて二つあると思う。一つは、動物は人間と同じような言語の概念を持ち、それを各自の鳴き声で表現している、という立場。もう一つは、動物における言語の概念は人間とはまったく異なる、という立場だ。
前者の場合、人と動物の言葉の違いは、極端に言えば日本語と英語の違いと同じものでしかない。つまり、翻訳も可能ということになる。
例えば、『クジラと話す方法』という本はこの立場に立って、クジラの歌声を大量に収集し、どういう状況で発された音であるかを分析すれば、統計的にクジラ語の辞書をつくれる…だけではなく、これをモデルとして逆にこちらから音波を発信することで、人間からクジラに語りかけることもできるようになる、という発想を語っている。
これと比べた場合、『まじめに〜』は後者の側に入っていて、人間と動物の間には言語同士以上の開きが存在する(=翻訳不可)、という立場に立っている。ロマンチックとは言えないが、これはこれで、動物の知性を人の方に寄せることなく理解しようとする敬意の表れがあっていい。
この本の作者が信頼できるのは、動物に言葉があるとして、それは絶対に字面以上の意味を含みうること、それゆえに特定の単語や文章に落とし込むのは困難だと強調するところだ。
例えば、群れを支配するリーダーが異性に対し、あるメッセージを発する。状況から推測して、それは人間の「あなたが好きだ。一緒にいたい」に該当する可能性が高い、とする。
しかし、それが人間とは別種の生態系を持つ動物が発するものと考えると、そこには親愛だけでなく、支配を目的とする攻撃性や、ライバルの同性への誇示を含みうる(極論、人間でもそうなんだけど。)。
そう考えたとき、それを人間の辞書で何かの言葉に頑張って置き換えることに、どれほどの意味があるのか? 我々にできるのは、鳴き声に込められたニュアンスをどうにか類推することであり、人間語に表すことはできないのではないか? というのが『まじめに~』のスタンス。こうした疑問が、生物のノンフィクションであると同時に、言語哲学のようで面白かった。『クジラと〜』とあわせて読むと、ロマンとリアリズムを一緒に摂取できる。
国内で話題になった「忍者グマ」、OSO18を追ったドキュメンタリー。
OSO18をめぐる作品は他にも読んだけど、俺はこの本が面白かった。それは、俺がOSO18の報道というのはクマ自体の話だけでなく、世間がそれを都市伝説的に楽しみ、駆除に反対する「動物愛護」を冷笑し、なんとOSO18は最後はジビエ肉になって卸されてしまいました、というブラックなオチまでエンジョイするという、「良質なコンテンツ」は骨までしゃぶろうとする人たちの現象でもあると思っていて、この本にも同じような批評的な視点があると感じたから。
もちろん追跡の記録もしっかりしているし、動物研究のプロフェッショナルへの取材もすごくいい。恐ろしいという印象がどうしても勝るけど、あるインタビューに出てきた「OSO18は賢くて、(あくまで野生動物としての基準で)とてもいいクマだと思う」という意見には、なるほど~、と思った。
ちなみに、二人体制で書かれており、OSO18に対する両者のスタンスは必ずしも同じではない。そのズレが、最後はいいかたちで表れていて、まず一人目の見解に考えさせられたあとに、次の筆者のパートでかなりひやっとくることが書いてあり、これも面白かった。
生物学のフィールド調査+民間信仰の採話という形式によるモキュメンタリーホラー。
2025年は、少しきつい言い方をすると、似たようなベクトルのホラーが「量産」された印象がある。ありていに言えば、大ヒットした『近畿地方の〜』ライクな作品が世間から期待されていたんだと思う。
俺も『近畿地方の~』がすごく面白かったので、他の作品も何冊か手にとってみたのだが、アイデア一発勝負をどうにか膨らませた感が強かったり、たくさんの情報をつなぐことに終始してストーリーとしては全然興奮できなかったりして、やっぱり『近畿地方〜』すげえな、という結論になった。
その中で、『堕ちた儀式の記録』はとてもよくできていたと思う。フィールドノートの章と散文調の章の使い分けが、ギミックとして巧みに機能していて、物語としてシンプルに先を読みたいと感じさせてくれたし、「考察」を楽しむことができた。
余談だけど、マジで2024~2025は同じタイプのホラーが本屋でひしめくことになっていて、選ぶのに苦労した。たくさん読んだ人の忖度抜きのランキングとかめっちゃ需要あると思う。
コロンビアに暮らす、とある血縁者たちに発生する若年性アルツハイマーに関するドキュメンタリー。2025年に読んだ本第1位。
この手の類の本が好きな人は、タイトルから別の本を想起するのではないかと思う。2022年に早川から刊行され、 (俺の観測した範囲でだけど)話題になっていた『統合失調症の一族』だ。
正直に言って、いわゆる二番煎じだと思いつつ読み始めた。しかし、血のつながりに起因する病をめぐって描かれた、医療の確立をめぐる尽力、フィールドワークの苦労、それぞれの家族の物語は、本当に深くて面白かった。
現代のコロンビアはギャングや過激派の悪影響が深刻で、それに加えて、いわゆる黒魔術的な頑迷な信仰の存在感も強く、多くの要素が医療の推進を阻害する。こうした環境で病人の発生した家庭を回り、治療のためのネットワーク構築に奔走した医療従事者の熱意と人柄はすごすぎる。到底マネできない。
暴力が蔓延し、インフラも貧弱な土地で、40~50代でアルツハイマーを発症した人たちは次第に会話が成り立たなくなっていき、汚物にまみれてぼろきれのように死んでいく。人間という存在に根本的にたいした意味がないということが、繰り返し描かれる。
その一方で、患者になった家族を支えるというかたちで、途方もない忍耐と強さ、なにより明るさを発揮する者がいることも、同時に描写される。治療法がなかなか確立されず、悲観的な事実ばかりが積み重なる中で、少しでも患者(予備軍)を鼓舞しようとするスタッフや、自分もいつか発症するかもしれないという恐怖と向き合いながら人生を切り拓こうとする血縁者の努力が描かれる。
読んでいて視点が二つに分かれていく感じがあった。シニカルになる余裕さえない、徹底的に乾いた虚無感と、人間の強さに打たれる感覚とが同時にあって、なかなかすごい読書体験だった。
二つ付記。
一つ目。上で書いたとおり、土着の宗教が障害になっているケースがあるが、=「宗教は科学の敵だ」とは限らない点にも注意がいると思っている。
これは別の本で提唱されている概念だが「WEIRD=Western Educated Industrial Rich Democratic」という、日本を含む先進国が大きく影響され、多大な恩恵を受けた「科学的とは、発展とはこういうことである」という価値観があり、これを強力に世界中に敷衍したものこそキリスト教である、という説があるからだ。
一方で、『闇の奥』でも示されているとおり、西洋の進出は別の土地にとっては侵略の歴史でもある(未読だけど、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』も同様だろう)。だいぶ話がズレる&ありがちなまとめになってしまうけど、「批判されているあるものには、こういう側面がある」というおさえ方と、搾取や暴力を基準に善悪の絶対の線を引くことの両方が必要なんだと思う。
二つ目。本書で紹介されている医療活動は、あくまで「コロンビアで」「アルツハイマー発症の機序の一部」をターゲットにしたものである。
言い換えると、他の場所で別のメカニズムから病気を攻略しようとしているチームもある。そこにはスポンサーや世間の関心をめぐる科学者同士の競争が発生し、企画を指揮する科学者にはプロデューサーとしての手腕も問われることになる。本書の解説を書いたライターの『がん征服』は、がん治療の驚くようなアプローチをいくつも紹介しつつ、その辺の内情もうかがえる良書だった。あわせて紹介しておく。
2025年に読んだ本の中で最恐。
これは挙げるかどうか悩んだ。ちょっと古い本というのもあるが、それより、ほぼ確実にほとんどの人に刺さらないから。ホラー好きでさえハマるか不明。単に俺が面白かっただけ。
うまく説明できる自信がないが、ホラーの一番の弱点は何かと考えたときに、「それは相手を怖がらせようとしていること」というところに落ち着く気がする。ホラーの大きな目的が、ホラーとして提供されるがゆえに邪魔されているというか。結局、誰かが死んだとか不幸になったとか、こっちを嫌な気持ちにさせたいんだよね? という。
自分で好んで読んでおいてなんだが、心のどこかでそういうことを思ってしまう。ホラーなんだからそりゃそうで、どうしようもない…のだが、『幽霊物件案内』は、その弱点がない。ものすごく巧みにそこを避けているのか、書かれているネタと書いている本人のどっちか(もしくは両方)が根本的に何かおかしいのか、とにかく何をしたいのか描きたいのかよくわらないまま、ひたすら猛烈に不穏なことが延々と書かれている。
どういう人に薦めたらいいのか考えたが、例えば2chの洒落怖にあった、『まったく意味がわかりません(バスの事故? に関すると思われる書き込み)』とかが近い気がする。あれが楽しめる? ならハマるかも。ただ、『幽霊物件案内』は文章自体はちゃんと成立しているため、かえってよっぽど異常な気がする。
以上。2025年はだいたい70冊ぐらい本を読んだ。来年は100冊を目指したい。本屋に行くたびに読みたい(そして読めない)本が増えていく!
ufo山クソつまんなかったですね。
ufoやら不審火やら集団自殺やらシロクマやら話がとっ散らかってるし、それを
「それぞれ普通に考えたら合理的な理由で説明つく出来事なのに人はそれらを見えない線で繋いでしまう生き物なんだああああ!!」「でも、人間それでいいのかもしれませんね……」
みたいなこと描かれたところで「はいそうですね」としか。しかもそれもうフェイクドキュメンタリーQでやってるから二番煎じなんですよ。
そもそも不思議な事象を見えない線で繋いでいくのがこのタイプの映像制作としての仕事だろうが。全部独立した関係ない事象なら取り上げる意味無いんよ。名探偵津田の無駄シーンが真面目なドラマに散りばめられてるだけ。
魔法少女山田の時から思ってたけど、テレ東ホラー特番に求めてるのはメッセージ性じゃなくてオカルティックなストーリー性なんだよ。
見る側の姿勢に問い掛けたかったらまずは一本ちゃんと見れる物語を作ってからにしろ。
飯沼一家とか祓除とオクサマッソみたいにわかりやすいやつで全然いいのよ。
このビデオ持ってないですかとかイシナガキクエみたいな、見た後に「なんかストーリーありそうだけど意味わからん……こわ……」でもいいのよ。
最近はもうすっかり枯れた感のあるジョン・ウー監督と、なんかうまくいかない映画にばかり出ているジョエル・キナマン主演のアクション映画。今回は全編、登場人物のセリフがない構成となっているのがウリ。ラジオの音声とかはあるんだけど、たぶん登場人物は一回も喋ってなかったんじゃないかな。
話としてはギャング同士の抗争の流れ弾で息子(チンコじゃないほう)を喪ったキナマンは怒り心頭、ギャングの車を追いかけ鉄パイプで襲撃をかけるも反撃にあい喉を撃ち抜かれてしまう。声帯を失うも一命をとりとめたキナマンは妻の心配をよそに1年後の復讐に向けて身体を技術を鍛えはじめ、頑張って復讐する。
ジョン・ウー映画なので100回くらいスローモーションがある。もちろんアクションのすごさを演出する部分もあるんだけど、そこスローにする意味is 何?ってなって笑っちゃうところすらある。
キナマンが声帯を潰されて(喉を正面から打たれたら脊椎が損傷すると思うのですがそれは……)声が出ないのはいいんだけど、他の人物は声が出るはずなのに何も喋らないのはよくわからない。一回、特に何の意味もなく黒い鳥が夫婦の家の外に飛んできて、カメラがそれにフォーカスし窓の中で妻が何か言っているが聞こえなくなり、それが終わるとまたカメラが家の中に戻るという、台詞なし映画というメタな設定にのみ奉仕しているシーンがあって笑ってしまった。
一般人キナマンは戦闘能力は皆無で復讐を決めてからYoutubeや射撃場、クソ広い倉庫で格闘射撃運転の練習を繰り返して復讐鬼として成長していくのが面白みと思う人もいるだろうけど、これって狼の死刑宣告でもやったし、デス・ウィッシュでもやったしなぁと思ってしまった。
後は今更ジョン・ウー映画で言ってもなぁと思うのは、身体性の低さ。復讐の前日にキナマンはギャングの金庫番の家に乗り込むんだけど、そこでナイフを太ももに絵の部分までぶっ刺されてしまう。なんかこれが生きてくるのかなぁと思ったら、翌日、そこには生き生きと走り回るキナマンの姿が(世界まる見え感)。う~ん。もうそういう時代じゃないよなぁ。
中古で安値で買ったキナマンカーもいろいろ改造してる描写はあるけど頑丈すぎるし2025年に見る映画としては「古すぎる」感じはスゴイしたかな。
アクション自体は2000年代テイストを残しつつも「ガチ」感がよくて。特にカーチェイスシーンでのアルミでできてるのかな?みたいな車のクラッシュはめっちゃよかった。でも実車を用意してやったらしいので車って全然頑丈じゃないんだなぁと思わされた。
痛みを感じる格闘やバカみたいに撃ちまくる射撃もすごい頑張ってる感があった。ただ、そこもやっぱりレイドとかシャドーオブナイトみたいな香港リスペクトインドネシア映画がやったことのもはや二番煎じ感があって正直、キツかったかな。
あとジョン・ウー印の二丁拳銃パートが唐突に出てくるんだけど、それがキナマンじゃなかったので「いや、お前がやるんかい」と爆笑してしまった。あそこ、ギャグで入れてるんだとしたらジョン・ウーはギャグセン高いと思う。
息子を亡くしたのはキナマンも妻も一緒なのにキナマンは妻を置き去りにして一人で復讐に突き進み連絡も無視するようになり、どんどん夫婦関係は冷え込んでいきついに妻は出て行く。この女必要だったかなぁと思うくらい存在感がないのが気になった。
仮に子供の死を受け入れた人間とそうでない人間の対比を描くのであれば、最終的にキナマンは子供の死とか関係なくギャングを殺すことが楽しくなっちゃってるみたいな感じにしてもよかったと思うけど、それは狼の死刑宣告すぎるか。
つまるところ「喋らない」「アクション」が前面に合ってそのコネクションが弱いので映画としては結構退屈だなと思ってしまいました。ただ、やっぱりキナマンはいい役者だし2000年代初頭っぽいアクションはいっぱい見られるので、あんま期待しないでサブスクとかで見るにはちょうどいい映画だと思いました。
アリスSOSのOPは好きだし、演出としてはすげえ人だと思うけど
監督としては…毎回脚本ツッコまれてるのに改善されなくて、すぐ分かるアラが放置されてんのは他人の意見聞くとかしてねえんじゃねえの?それでも売れてるんだからいいってのは違うでしょ。全部自分の好きなようにやりたいってのは分かるけど独善的になっちゃアカン…なんか過去作の再生産みたいな感じもあるし…って否定的だったんやが、果てしなきスカーレットは予告でいつもの細田とは違う感じがあってちょっと期待してたり
したら意外に酷評でさあ
観に行く予定はなかったけど、逆に興味が出たのと、あと酷評されてたエヴァQ観たら思いがけず面白かったみたいなんもあったし観に行ったんよハムレットってのもへぇーってなったし。言うて、トゥービーオアノットトゥービーとかオフィーリアくらいしか知らんけど
しかしイオンシネマだともう1日3回だしうち1回レイトショーだったりして、商売なのは分かるが露骨すぎんかね
そっちはCMがウザいしミニシアター系に行ったら客が他に2人だけ。日曜やぞ…?口コミでヒットの逆パターンかな、と思いつつ観たら、アレ?面白いぞ??テンポいいし、スカーレットも聖もいいキャラしてるし。アングル固定でキャラが画面外から入ってくるのとか、ああ舞台っぽいなと思ったりして
死者の国がハムレットなのか細田オリジナルなのか知らんが、死んでから復讐ってのはいい設定と思う。
ボーイミーツガールっぽいのもいいよね。キスしそうでしないのも令和って感じ…と思ったらクライマックスでしちゃうんだけど
ボクサーおじさん、味方になりそうと思ったら味方になって、こういう分かりやすい展開は好き。杖が仕込み杖になってたのも訳わからんが面白い。砂漠の民との交流パートもいい。知らんデブおばさんのダンスパートとか知らんヒットソングもまあ…しかしあの龍とか雷は何や?あと聖が普通に乗馬してるのは違和感あるけどまぁ…。ボクサーおじさん2号、命乞いおじさんしたあと突如考察厨おじさんと化すのおもろい。1号と2号はクライマックスでも突如湧いて加勢するんだけど、こういうヘンさは好き。現代のミュージカルシーン、場面転換のエフェクト長くね?ってのと、現代人モブの中に死んだヤツとか敵も踊ってて、そのままエンディング行ったら面白いよなあと思ったがそれじゃインド映画か。
全体としてクローディアス王は最果て(天国)に行こうと兵力を集めてて、でも難民みたいなんが人海戦術で押しきっちゃう、みたいな?色んな時代や国のヤツがいるから、おー破城槌だ!とか、これマシンガンあってもキツいよなあとか思いながら、予告でもあった火山弾っぽいやつが、焼夷弾みたいな近代兵器かと思ったら普通に火山弾とマグマっぽいのはちょっとアレ?ってなったけど
で、まあここまで概ね良かったんだけど、それはダメだろってのが聖が敵を殺害するとことスカーレットがクローディアスに復讐するとこ
不殺のつもりが殺しちゃうってのはよくある、つーか不殺自体が殺す前フリみたいなとこあると思うんだけどさ、聖はなんか覚悟決めて、確信持って殺害しちゃうからよくわからんのよ…現代でも通り魔おじさん(アレ目立ちすぎでしょ…)から子供を守ろとして死んだ、ってのは示唆されるんだけど
なんかセリフとか、ちょっと躊躇うとか狼狽えるみたいなウェットな感じなら分かるんだが、ストレスフリーすぎてなんか…殺すのがダメなんじゃなくて、そこに至る葛藤とか逡巡とかその後の後悔とかみたいな…
で、あと、仇に復讐するか許すか、って一番大事なとこで、許したら騙し討ちで殺されかけて(もしかしてこれ死ぬのが正解なパターン?ってちょっと思ったが)謎ドラゴンの天罰ってのはアカンでしょ~!!デウスエクスマキナ~!!でも自問自答て実写ぽくなる演出とかは好きだし、父の霊が復讐を止めようとしてた、ってのはいい改変だと思う。
聖とスカーレットのどっちかが生き返る、ってのは何よ急に…ってなったしミスリードしてたのかもしれんけどそこは別に…ってなったけど、ああ、生きかえって現実でクローディアス許すパターンか!?と思ったらクローディアスうっかりミスで自損死~!!アホ~!!!(イき返るちょっと前のイきたいって言え!はセクハラすぎてだめ)悲愛パターンなのはなんとなくわかってたけどそれどころじゃないとゆうか…
でも絵とか演技は良かったし、スカーレットもキャラ自体は好き。叩かれてるほど駄作じゃない…けど、一番肝心なとこでの違和感が致命的すぎる。もうちょっとよくなればスゲー良くなるんよ~次作が正念場と思うからガンバって欲しい。ウォーゲームとかの二番煎じに戻ったらアカンやで
そんな朝のご機嫌さんをよそに
私はうーんと唸っていたの。
うーん、
書いていた文章が消えてしまったショックを隠しきれないさまを表す英単語がぴったりなものがあったの「Texomna」。
えーんしくしく。
書きかけの文章が消えたってこと悲しいわ。
でもまあ、
これと同じものを思い出して同じように再現して書けなかったら、
その程度の内容のものだったのねって10年早いんだよ!って言ってたアキラだって明らかに諦めがつくものよ感じよ。
そんなTexomnaな気持ちになっていて鰯気な気持ちになっているわけには行かないわ。
原因はおおよそわかっているの。
パソコンで書いたものの保存先をダイレクトにクラウド的なドライブへ保存していたの。
それをちゃんと保存されたかもどうか確認していたのかどうかもわからないうちに、
ネット回線が切り替わって保存していたのかわからないうちにパソコンも閉じちゃって
いつもさ、
最悪再開したときからその文章が生き返る的なことが起こるかと思ったけれど起こらなくてぴえん。
保存先を直接クラウドへするのじゃなくて、
クラウドサービスと使った文章ツールで書いておいた方がまだ救いがあったかもしれないという希望的なことを思い出して、
書いたものを保存しつつ、
コピペしてコピーアンドペーストをクラウド文章書くツールへコピペしておいてコピーアンドペーストを華麗な超絶技巧テクニックで披露しておけば、
そっちに保存できていたかもしれないの。
あーあ。
消えちゃった文章もう一回思い出して書くわ。
デジタルクラウドに全体的にプクプクとまるまると太った美味間違いなしの太鼓判を押された美味しいサンマのように
全幅の信頼を寄せては返す波のように怪しさを時には疑ったほうがいいと思いつつも手元にデータを残しつつもいいかも知れないことを現に実感したところよ。
RADWIMPSの野田洋次郎さんなら全全全幅!つっていってたことをドラマの『舟を編む』であって言っていたあのセリフ「念念念校」ってのは私忘れないから!
そんなこともあってか、
これはまさかこれが原因じゃないことは分かっているんだけど、
ちょうど買い替えて新しく届いた無線LANのWi-Fiの親機が届いたの!
わーい!って
やっと私の家も無線LANレッツ回線ing!って嘘をぶちかましたところで
往年使っていた古い無線LANの機械をどの機種にしていいのか超慎重に考えて新調したのね。
新しい機械のインターネッツの速度は古いものに比べてなんか10倍ぐらい早いの!
256倍ぐらいの気持ちは高鳴っているわ。
NIKKEだって65535倍快適な大量な大容量のアップデートのデータ受信に手をこまねいていたんだけど、
この速さ奈良勝る!って三都物語ってレヴェルな速さを手に入れたの!
無線なんて繋がっていたら何でも一緒でしょ?って
あたかも2番じゃダメなんですか論法に則ってしまいそうでずーっとその古い無線のネットワーク機器で暮らせるかと思っていたけれど、
その政治家の人に二番煎じのお茶を飲んでも満足してもらえるのかしらと今突然にふと疑問に思ったわ。
そんで、
えいや!って勢いで買ってみたら、
超快適すぎて笑っちゃったわ。
古いものだったら今すぐ新しいものに取り替えるべきだってことをべきべきに学んだときでもある私の新シーズンの幕開けよ!
なんかそれを祝してくれるのかわからないけれど、
スプラトゥーン3!
Sクラス昇格でーす!
久しぶりの昇格戦勝利での昇格に仔山羊の上で小躍りを踊りつつな様を一言で表している英単語の「Caprinkle」ようだわ。
すごくない!
久しぶりに昇格戦、
2連敗からの劇的3連勝!
3連勝なるかのクライマックスのときは手に汗握るコントローラーよ。
昇格戦で緊張で2連敗から逆転3連勝するときにコントローラーを汗かいた手で滑って操作ミスしないようにしっかりと握りしめるこの思いを一言で表している様の英単語「Clutchure」の気持ちでしっかり握りしめたコントローラーで勝利を勝ち取ったのよ!
すごくない?
3連勝!
ここ緊張一番!
これから秋口にかけて絶対に蚊が出てくっから液体電子蚊取り線香は大活躍して欲しいの!
つーか活躍して欲しいというか、
絶対に秋を快適に過ごす快適グッズの1つとして取り上げられるの間違いないはずだから常備して装備してそして電源を入れて使って欲しいの!
気をつけて!
ちなみに、この時のブキは得意の「オーバーフロッシャー」ねギアは相手インク影響軽減の安全靴多めね!
なんか相手チームのインクにハマって動けないうちにキルされることが多かったので、
赤い安全靴を履いてみたの!
赤い靴履いてたら〜コケた曾祖父さんに連れられていった歌とは正反対!
うわー!
効果テキメンね!
一番得意のブキの熟練度星5つをもぎ取った「セブンファイブオーライダー」ではないのがちょっと残念だけど。
私もまだそこまで到達できてないので。
頑張りたいところよ!
でも本当に、
クラウド保存したつもりだったけど、
あたかも雲のように消えてしまった私の文章は本当にどこにいったのかしらね。
うふふ。
お休みモードなのでゆっくり近くのカフェーで書きながらってところよ。
つっても
いつもの地元みかんの花咲く丘公園前駅の駅前商店街の喫茶店でモーニング!
今日は何かしら?
そうまた鯖か鮭かーって思ってたけど、
おお!と思わず心のなかでレアフィッシュ出た!ってガッツポーズ!
レアっていっても焼き加減のことじゃなくて出現頻度が珍しく希少だって意味の方のレアね。
しっかり香ばしくこんがり焼けたアジの開きの朝食は今日もいいあっかも!って期待しちゃうわ!
でもたまには果物系も、
良い休日を。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
長くなりすぎて切れた
それだけ当たり前の存在になったってことだろうから良いことだけど、今でも男V需要ない問題は定期的に議論されるネタ
それに、VΔLZを男同期初って書いたけど、実は初じゃなくて初ってはVOIZなんだよね
当時は初として騒がれてたからそう書いたけど
当時は特に、そして今でも、大きな箱の個性だから運営として目立たせたいのは当然
とはいえ、目立たせるといっても女V を下げるって意味ではなく、女V と同等の扱いをするということ、女Vならデビューして普通に受け入れられる土壌だけど、男というだけでギョッとされる土壌の中で、普通に受け入れられるような扱いをするというだけ
でも、普通に受け入れられることが異端だから、その状況をみて男Vの時代だと錯覚するだけじゃないかと思う
過去を忘れたのかと思う
昔、なに炎上があれば大抵のことは、クロノワのリスナーのせいにされてた
リスナーが冤罪っていってもどちらかのリスナーのせいと責任転嫁されてた
当時はアーカイブみたらわかるような偏向報道切り抜きで本当に炎上してて、それはニコニコに上がってたんだけど、コメントでどちらかのリスナーのせいだ〜みたいに他責されがちだった
炎上に関わらず、今で言う自分大好きな推し活女みたいな感じでレッテル貼られて敵視されてた雰囲気もあって理不尽だったよね
それに、自分が女オタクなので、女オタクの裏垢も見れてたから言うけど、当時人数が少ないからこそ粘度の高いコミュニティで悪口が共有されてた
クロノワの話した後だから、繋げられそうだけど、全体的な話なので勘違いしないでね
女ライバーとコラボした時に、女ライバーがちょっとダル絡みしたら、TLがお気持ちで埋まって同時に低評価が200弱増えたのを見た
すぐ可哀想ってお気持ちして、ライバーの気持ち代弁もよく見たし、人数多くないから目立ってなかったのか、ユニコーン=悪、それ以外は問題ないみたいな風潮で見逃されていたのか
そもそも当時は無法地帯でTwitterも配信チャットもすぐお気持ちで溢れたから女リスナー限った話じゃないっていうのは大前提
でも、ガチ恋お気持ちとか公開アカウントで普通に見れたし、荒れてたこと裏垢なんて知らなくても分かりそうだから、当時を知ってる人で今酷くなったと思う人がいるならちょっと不思議
エデン組までは〜と批判の道具にされがちだけど、エデン組がデビューした時、スローンズのこと女向けって今のアイドル売りみたいに叩いて、二人ともFPS勢だったから、またApexかよって叩いてのを見たよ
こんな感じでが新人批判を追っていくと、ずっと同じような理由で叩かれてるのが分かるよね
だから、また新人に何癖つけてる人いるけど鳴き声みたいなものだから同調したり傷つかないでほしいな
方向性が本当にかわったなら、方向性が変わる前のライバーが、無理を強いられるよ
それは方向性が変わったよその箱が証明してるから、例えば男Vが女絡みNGにでもなってから方向性変更って言ってほしい
新しいものだけを指して方向性が変わったって言われても、昔からある物もちゃんと残ってるのにね
頭が固くて新しい要素を受け入れられないだけなんじゃないかなと思う
SEEDsが悪いわけではない
多少の自虐のつもりだろうけど後輩叩きファンネルかと思うときはあるけど、結局それを武器にしようとしてるのはリスナーだし
それに、SEEDsと比べて新人は〜と叩くが基本的にデビュー数年の現在と比べている
その人初配信とか1年位はかなり大人しかったし、今と比べてもなと思うこともある
何年もやってる人の今と新人を比べるのは普通にお局仕草なのでやめたほうがいいと思う
特におじさんや奇抜な見た目がにじさんじだと思っている人はSEEDs=にじさんじなんだろう
でも、それならゲマズまで平均中・高校生だったにじさんじはにじさんじではなくなるんだよね
前にも書いたが、1.2期生やそれ以前のVTuber文化を知らない人が新規として入っていたのがSEEDs
だから、SEEDs=にじさんじとして評価する人がいるのは分かるけど、いくらなんでも引きずりすぎじゃないか
流石に、古参面するためにその人たちに便乗してる新規いないか?
もし居るなら、その人たちまあまあ偏ってるというか、個人の感想だから自分で見たものを優先してほしい
昔から批判が繰り返されてるといったように、昔からいるけど一部の厄介ではなく広がっていると思う
VTA卒の新人なら面白いか判定してやろうと斜に構えて見に来る
「これはにじさんじ」って、単なる身内ノリの褒めはだったのに、最近はにじさんじ判定士の方々が品定めに初配信見に来るの時の判定ワードになってると感じる
何事も初めて見たときは感動する
でも、その時は感動を感じていても、記憶の中で感動も含めた感情として残るから、初見の気持ちをずっと求めてしまうんじゃないか
にじさんじ=社不なのも、分かりやすい尖りを求められて昔からそうだと言われるのは違和感
昔はにじさんじのやべえやつと呼ばれていて、一見、赤子の拳とか言っててやばそうなのに、裏話を聞くと真面目でそのギャップがいいって言われてた
もちろん社不もいるし、社不ムーブもあるけど、今みたいに笑い話というより普通に叩かれることのほうが多かったと記憶してる
むしろ、配信者は尖ったことしろだけど、配信内容以外は社会性かなり求められて燃やされてたと思う
最近は新人が裏でちょっと丁寧な文章を送っただけで面白くないだの言われて理不尽
今はかなりリスナーも寛容になって許されてることが、さも昔から許されてるように言って、新人批判されてると私の記憶と違いすぎるし、過去を美化しすぎだし、誰がそんな歴史改変を広めてるんだと思う
いや、受からなくてよくね?
言葉の綾で、そういうタイプって意味だよと言われるんだろうが新人がデビューするたびに見る意見をは2号を探してるように思うけど違うのかな
突飛な発想ができて、配信者適性があって、ラインは理解していて…
受からないだけでどこにでもいるような言い方はちょっと失礼じゃないの
それこそ、委員長のご学友が委員長以上にやばいし面白いけど、配信には載せられないって言ってたように、その微妙なバランスを持ち合わせてる人は珍しい
それに、1回バズったからそれに味占めて似たような二番煎じを探しても寒いだけだし、まだいないような枠を探してるのはいいと思うんだけどね
2号がでたから同じように面白いわけではないし、委員長や野良猫が100人いても面白くないだろう
批判してる人はそうは言ってもアイドルばかりで、同じじゃんと言うだろうが、それは勝手なレッテル貼りをして勝手に同じにしてるだけ
極端な話面白くないと思うことは悪いことではなく、多様性の証明でもあると思う
それだけの種類を集められているなんてすごいことじゃないの
ざっくり言うと、今の新人叩きと似たような話+イベント批判+Apex批判
当時その通りだ、にじさんじは衰退するんだ、大変だと騒がれたけど無事に5年経ったね
今改めて見返すと本当に今の批判と似たような内容で笑える
きっと次の5年も安泰だろう
サムネはここ一年くらいの新人で、コメントも最近のスレだと思ってここ一年くらいのライバーのリスナー批判をしてた
つまり、最近変わったという批判は正しくないし、リスナーは何年経っても同じような内容で最近は変わった、もう終わりだと嘆いている
───────────────────────
8年も見てると毎年言われててもういいよという感じなんだけど、最近は新人批判が一部の厄介ではなく界隈に広まって詳しい面するための道具になってしまっていると感じる
批判してると自分が正しい気がして気持ちよくなれるからやめられないんだろうけど
今新人を批判する時、それは大抵あなたの推しもデビューした時にも使われた武器だったりするからね
批判や評論家面をすることを楽しむ不健全なコンテンツとして広まらないでほしい
マイナスを集めるとマイナスしか見えなくなるからじ楽しいことだけ見てたらいいのに
批判を辞めろとは言わないけど、根拠のない理不尽な批判に晒される新人を見たくないな
Twitterで久々に新人気になって戻ってきたら新人潰しファンダムになったの?ってツイートがあって胸が苦しかった
その人がいつぶりに戻ってきたのか分からないけど、やっぱり勘違いじゃく新人潰しが界隈に蔓延しているんだ
昔はRPガバガバ声も良くないみたいな所が尖ってるみたいに言われてて、その後RPしてない声が良くないと叩かれるライバーが出てきて、最近は設定文で全て知ったように批判され声がよかったらイケボ生主wとか言われるのどうしようもない
設定は怪文書って言われてのに最近は設定が若いだけで話が合わないとか、本当は話が合うのにコメント欄だけ見てリスナーと話が合わなくて可哀想と煽ったり…
いわゆるにじさんじらしさってなんなんだろうな
そんなに男が嫌いで女リスナーが嫌いならホロライブがあるのに、ちゃんと差別化されてていいのに、何で文句言いながらにじさんじを見ているのか
たぶん、ホロライブのリスナーみたいにユニコーンじゃないと意地張ってんのかな
わざわざ文句言ってネチネチアイドルwと嫌味ばかりの女々しい人が女批判なんて出来たもんじゃないし、キモいところもあるだろうけど素直にホロを推す向こうのリスナーのほうが絶対幸せだしまっとうだと思う
初見はみんなピュアだけど、ずっと見てると自分の中で理想化した配信が生まれて文句が出やすいと思う
でも、それで生まれた気持ちは配信側じゃなくて自分の変化だったりするからモヤモヤを消したいからって原因にしやすい、新しい要素や新人へ八つ当たりするのは辞めれないのかな
新人の見た目もにじさんじらしくないとか言われるけど、こんだけ人数いたら被らないように装飾とか増えていくのは当たり前で、同じような雰囲気なら同じ絵師にするか、似たり寄ったりの見た目になるだけで難しいよ
それだけ当たり前の存在になったってことだろうから良いことだけど、今でも男V需要ない問題は定期的に議論されるネタ
それに、VΔLZを男同期初って書いたけど、実は初じゃなくて初ってはVOIZなんだよね
当時は初として騒がれてたからそう書いたけど
当時は特に、そして今でも、大きな箱の個性だから運営として目立たせたいのは当然
とはいえ、目立たせるといっても女V を下げるって意味ではなく、女V と同等の扱いをするということ、女Vならデビューして普通に受け入れられる土壌だけど、男というだけでギョッとされる土壌の中で、普通に受け入れられるような扱いをするというだけ
でも、普通に受け入れられることが異端だから、その状況をみて男Vの時代だと錯覚するだけじゃないかと思う
過去を忘れたのかと思う
昔、なに炎上があれば大抵のことは、クロノワのリスナーのせいにされてた
リスナーが冤罪っていってもどちらかのリスナーのせいと責任転嫁されてた
当時はアーカイブみたらわかるような偏向報道切り抜きで本当に炎上してて、それはニコニコに上がってたんだけど、コメントでどちらかのリスナーのせいだ〜みたいに他責されがちだった
炎上に関わらず、今で言う自分大好きな推し活女みたいな感じでレッテル貼られて敵視されてた雰囲気もあって理不尽だったよね
それに、自分が女オタクなので、女オタクの裏垢も見れてたから言うけど、当時人数が少ないからこそ粘度の高いコミュニティで悪口が共有されてた
クロノワの話した後だから、繋げられそうだけど、全体的な話なので勘違いしないでね
女ライバーとコラボした時に、女ライバーがちょっとダル絡みしたら、TLがお気持ちで埋まって同時に低評価が200弱増えたのを見た
すぐ可哀想ってお気持ちして、ライバーの気持ち代弁もよく見たし、人数多くないから目立ってなかったのか、ユニコーン=悪、それ以外は問題ないみたいな風潮で見逃されていたのか
そもそも当時は無法地帯でTwitterも配信チャットもすぐお気持ちで溢れたから女リスナー限った話じゃないっていうのは大前提
でも、ガチ恋お気持ちとか公開アカウントで普通に見れたし、荒れてたこと裏垢なんて知らなくても分かりそうだから、当時を知ってる人で今酷くなったと思う人がいるならちょっと不思議
エデン組までは〜と批判の道具にされがちだけど、エデン組がデビューした時、スローンズのこと女向けって今のアイドル売りみたいに叩いて、二人ともFPS勢だったから、またApexかよって叩いてのを見たよ
こんな感じでが新人批判を追っていくと、ずっと同じような理由で叩かれてるのが分かるよね
だから、また新人に何癖つけてる人いるけど鳴き声みたいなものだから同調したり傷つかないでほしいな
方向性が本当にかわったなら、方向性が変わる前のライバーが、無理を強いられるよ
それは方向性が変わったよその箱が証明してるから、例えば男Vが女絡みNGにでもなってから方向性変更って言ってほしい
新しいものだけを指して方向性が変わったって言われても、昔からある物もちゃんと残ってるのにね
頭が固くて新しい要素を受け入れられないだけなんじゃないかなと思う
SEEDsが悪いわけではない
多少の自虐のつもりだろうけど後輩叩きファンネルかと思うときはあるけど、結局それを武器にしようとしてるのはリスナーだし
それに、SEEDsと比べて新人は〜と叩くが基本的にデビュー数年の現在と比べている
その人初配信とか1年位はかなり大人しかったし、今と比べてもなと思うこともある
何年もやってる人の今と新人を比べるのは普通にお局仕草なのでやめたほうがいいと思う
特におじさんや奇抜な見た目がにじさんじだと思っている人はSEEDs=にじさんじなんだろう
でも、それならゲマズまで平均中・高校生だったにじさんじはにじさんじではなくなるんだよね
前にも書いたが、1.2期生やそれ以前のVTuber文化を知らない人が新規として入っていたのがSEEDs
だから、SEEDs=にじさんじとして評価する人がいるのは分かるけど、いくらなんでも引きずりすぎじゃないか
流石に、古参面するためにその人たちに便乗してる新規いないか?
もし居るなら、その人たちまあまあ偏ってるというか、個人の感想だから自分で見たものを優先してほしい
昔から批判が繰り返されてるといったように、昔からいるけど一部の厄介ではなく広がっていると思う
VTA卒の新人なら面白いか判定してやろうと斜に構えて見に来る
「これはにじさんじ」って、単なる身内ノリの褒めはだったのに、最近はにじさんじ判定士の方々が品定めに初配信見に来るの時の判定ワードになってると感じる
何事も初めて見たときは感動する
でも、その時は感動を感じていても、記憶の中で感動も含めた感情として残るから、初見の気持ちをずっと求めてしまうんじゃないか
にじさんじ=社不なのも、分かりやすい尖りを求められて昔からそうだと言われるのは違和感
昔はにじさんじのやべえやつと呼ばれていて、一見、赤子の拳とか言っててやばそうなのに、裏話を聞くと真面目でそのギャップがいいって言われてた
もちろん社不もいるし、社不ムーブもあるけど、今みたいに笑い話というより普通に叩かれることのほうが多かったと記憶してる
むしろ、配信者は尖ったことしろだけど、配信内容以外は社会性かなり求められて燃やされてたと思う
最近は新人が裏でちょっと丁寧な文章を送っただけで面白くないだの言われて理不尽
今はかなりリスナーも寛容になって許されてることが、さも昔から許されてるように言って、新人批判されてると私の記憶と違いすぎるし、過去を美化しすぎだし、誰がそんな歴史改変を広めてるんだと思う
いや、受からなくてよくね?
言葉の綾で、そういうタイプって意味だよと言われるんだろうが新人がデビューするたびに見る意見をは2号を探してるように思うけど違うのかな
突飛な発想ができて、配信者適性があって、ラインは理解していて…
受からないだけでどこにでもいるような言い方はちょっと失礼じゃないの
それこそ、委員長のご学友が委員長以上にやばいし面白いけど、配信には載せられないって言ってたように、その微妙なバランスを持ち合わせてる人は珍しい
それに、1回バズったからそれに味占めて似たような二番煎じを探しても寒いだけだし、まだいないような枠を探してるのはいいと思うんだけどね
2号がでたから同じように面白いわけではないし、委員長や野良猫が100人いても面白くないだろう
批判してる人はそうは言ってもアイドルばかりで、同じじゃんと言うだろうが、それは勝手なレッテル貼りをして勝手に同じにしてるだけ
極端な話面白くないと思うことは悪いことではなく、多様性の証明でもあると思う
それだけの種類を集められているなんてすごいことじゃないの
ざっくり言うと、今の新人叩きと似たような話+イベント批判+Apex批判
当時その通りだ、にじさんじは衰退するんだ、大変だと騒がれたけど無事に5年経ったね
今改めて見返すと本当に今の批判と似たような内容で笑える
きっと次の5年も安泰だろう
サムネはここ一年くらいの新人で、コメントも最近のスレだと思ってここ一年くらいのライバーのリスナー批判をしてた
つまり、最近変わったという批判は正しくないし、リスナーは何年経っても同じような内容で最近は変わった、もう終わりだと嘆いている
───────────────────────
8年も見てると毎年言われててもういいよという感じなんだけど、最近は新人批判が一部の厄介ではなく界隈に広まって詳しい面するための道具になってしまっていると感じる
批判してると自分が正しい気がして気持ちよくなれるからやめられないんだろうけど
今新人を批判する時、それは大抵あなたの推しもデビューした時にも使われた武器だったりするからね
批判や評論家面をすることを楽しむ不健全なコンテンツとして広まらないでほしい
マイナスを集めるとマイナスしか見えなくなるからじ楽しいことだけ見てたらいいのに
批判を辞めろとは言わないけど、根拠のない理不尽な批判に晒される新人を見たくないな
Twitterで久々に新人気になって戻ってきたら新人潰しファンダムになったの?ってツイートがあって胸が苦しかった
その人がいつぶりに戻ってきたのか分からないけど、やっぱり勘違いじゃく新人潰しが界隈に蔓延しているんだ
昔はRPガバガバ声も良くないみたいな所が尖ってるみたいに言われてて、その後RPしてない声が良くないと叩かれるライバーが出てきて、最近は設定文で全て知ったように批判され声がよかったらイケボ生主wとか言われるのどうしようもない
設定は怪文書って言われてのに最近は設定が若いだけで話が合わないとか、本当は話が合うのにコメント欄だけ見てリスナーと話が合わなくて可哀想と煽ったり…
いわゆるにじさんじらしさってなんなんだろうな
そんなに男が嫌いで女リスナーが嫌いならホロライブがあるのに、ちゃんと差別化されてていいのに、何で文句言いながらにじさんじを見ているのか
たぶん、ホロライブのリスナーみたいにユニコーンじゃないと意地張ってんのかな
わざわざ文句言ってネチネチアイドルwと嫌味ばかりの女々しい人が女批判なんて出来たもんじゃないし、キモいところもあるだろうけど素直にホロを推す向こうのリスナーのほうが絶対幸せだしまっとうだと思う
初見はみんなピュアだけど、ずっと見てると自分の中で理想化した配信が生まれて文句が出やすいと思う
でも、それで生まれた気持ちは配信側じゃなくて自分の変化だったりするからモヤモヤを消したいからって原因にしやすい、新しい要素や新人へ八つ当たりするのは辞めれないのかな
新人の見た目もにじさんじらしくないとか言われるけど、こんだけ人数いたら被らないように装飾とか増えていくのは当たり前で、同じような雰囲気なら同じ絵師にするか、似たり寄ったりの見た目になるだけで難しいよ