
はてなキーワード:二元とは
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❤️ ニサルガダッタ・マハラジは、インドの非二元哲学の偉大な教師のひとりで、世界中のスピリチュアル・シーカーに大きな影響を与えた存在です。彼の最も有名な著作は、弟子が語録をまとめた『IAm That(私は在る)』です。
❤️ 特徴
❤️ 教えの核心:「私は在る」
マハラジの教えは、非常にシンプルかつラディカルです。その中心はこの言葉にあります:
つまり、思考や感情、記憶、身体、役割などの一切を横に置き、ただ「私が存在している」というシンプルな自己意識に集中しなさいという教えです。これを続けていくことで、やがて「私」という感覚すら超え て、真我(純粋な意識)そのものに気づくと言います。
都議選で議席0に終わった「再生の道」。その代表である元安芸高田市長の石丸伸二氏は「二元代表制たる地方議会に政策提案力は不要で、チェック機能だけあればいい」と主張している。この発言に感化されている人も散見されるが、これはいささかチェック機能をシンプルに考え過ぎているきらいがある。
「政策の立案・執行は首長と行政の役割。議会はそれを監視するチェック機関に特化すればよい」というのは一見するとシンプルで分かりやすい役割分担論に思える。実際、地方議会の現状として、条例提案の大半は首長側から出され、議員発議の条例はごくわずかだ。行政主導型の実態は否めない。
しかし、それをもってチェック機関特化でいいとするには、前提の欠如がある。
そもそも「チェック」とは何か。その行為は必ず何らかの価値判断の基準に基づいて行われる。
この予算案は適切か、この条例案は望ましいかと審査・判断する際に、どんな価値観・理念に照らして適切とするのかを持っていなければ、意味のあるチェックはできないだろう。
価値判断なきチェックは、単なる形式確認に過ぎない。それならば、監査委員と似たような組織でいいという話にもなろう。
なお、その監査委員においても、3E監査(経済性、効率性、有効性)で政策の成果や効果性の観点から政策改善を提案することを行い始めている。では、地方議会には何が求められるのか。
今更書くまでもないが、日本の地方自治体は首長と議会をそれぞれ住民が直接選ぶ二元代表制だ。この仕組みの目的は、住民の多様な価値観を複数のルートで行政に反映することにある。
仮に議会が提案力も価値判断も持たず、行政の形式的チェックだけを担う存在なら、住民が直接選ぶ意義は極端に薄まる。それこそ先述のように監査委員にその役割を任せれば事足りるのかもしれない。
地方議会の意義は、選挙により住民の多様な価値観を代弁し、価値観に基づいて政策判断を行い、審査し、あるいは提言することにある。
なお、面白いのは、石丸氏自身がその「議会のチェック機能」を尊重していないところにもある。彼が安芸高田市長時代に行った専決処分(地方自治法179条)の乱発は知るところであろう。
本来、専決処分は災害などの緊急避難的措置、議会機能不全などの非常時などに限定されるもので、日常的に議会の反対を無視して首長権限で押し通す手段ではない。
議会はチェック機能だけでよいと言いながら、そのチェック結果を尊重せず、都合が悪ければ専決処分する。この姿勢は、形式的な議会すら軽視し、二元代表制の理念を無視したある種専制的な発想ともいえよう。
「提案力は不要、チェックだけでいい」という主張は一見合理的かもしれないが、実は政治の価値判断という営みを抜き落としたナイーブな構造であると言わざるを得ない。何より、提唱する本人がそのチェックを軽んじていたのだから、なおさらに空虚なものである。
本論では、鎌倉幕府を中心とする中世武家政権が天皇の権威を不可欠な基盤として成立した事実を、制度的・経済的・象徴的次元から多角的に検証する。
日本史上の権力構造が「権威(天皇)」と「権力(武家)」の二元性によって特徴付けられることを示し、摂関政治から江戸幕府に至るまで一貫してこの原理が機能したことを論証する。
鎌倉幕府の創始者・源頼朝が1192年に「征夷大将軍」に任命された事実は、武家政権の法的根拠が朝廷の官位授与に依存していたことを端的に示す。
この官職は律令制下で蝦夷征討を目的とした令外官であったが、頼朝はその任命を以て東国支配権の公認を得た。
特に1185年の「寿永二年十月宣旨」において、頼朝が東国における荘園・国衙領の警察権を公式に認められたことが、朝廷との制度的紐帯を強化した。
承久の乱(1221年)後に全国に拡大した守護地頭制は、幕府が朝廷の荘園管理システムに介入する手段となった。
地頭による年貢徴収権の獲得(1221年「新補地頭法」)は、一方で幕府の経済基盤を強化しつつ、他方で朝廷へ一定の税収を保証する相互依存関係を形成した。
この共生関係は、幕府が朝廷の経済的存続を担保することで自らの支配正当性を補完する機能を有していた。
鎌倉時代後期の両統迭立期(持明院統と大覚寺統)において、幕府が皇位継承に介入した背景には、三種の神器の所在が正統性の根拠とされた神権政治の論理が存在した。
例えば後嵯峨天皇の治世(1242-1246年)において、幕府は神器の継承過程を監視しつつ、自らが「治天の君」選定の仲裁者となることで権威の源泉を掌握しようとした。
朝廷が主宰する新嘗祭や大嘗祭などの祭祀は、中世を通じて天皇の神聖性を可視化する装置として機能した。
幕府はこれらの儀式への供御人派遣や財政支援を通じて、伝統的権威への恭順姿勢を示すとともに、自らの支配を「神国」の秩序に組み込む戦略を採った。
特に伊勢神宮や賀茂社への寄進は、武家が宗教的権威を利用して支配を正当化する典型的手法であった。
鎌倉幕府の経済基盤となった関東御領(約500箇所)の多くは、元来が朝廷や貴族の荘園であった。
幕府は地頭を通じた年貢徴収の合理化を図りつつ、従来の荘園領主へ「得分」を保証することで旧勢力との妥協を成立させた。
この「本所一円地」への不介入原則が崩れた蒙古襲来後も、朝廷が幕府の軍事課税を追認した事実は、両者の経済的共生関係の強固さを示す。
平清盛の日宋貿易以来、朝廷が保持していた対外交易権は、鎌倉期においても「大宰府」を通じた外交・貿易管理として継承された。
幕府が実質的な外交権を掌握した後も、形式的には朝廷を窓口とする建前が維持され、明との勘合貿易(室町期)に至るまでこの構図が持続した。
藤原道長の「御堂関白記」にみられるように、摂関家が天皇の外戚として権力を掌握する構造は、後に武家が「征夷大将軍」の官位を媒介に権力を正当化する手法と同根である。
平清盛が「太政大臣」に就任した事実(1167年)は、武家が伝統的官制に依拠せざるを得なかった制度的制約を示す。
白河院政(1086-1129年)が開いた「治天の君」の政治形態は、北条泰時の執権政治(1224-1242年)において「得宗専制」として再構築された。
いずれも名目上の君主(天皇/将軍)を背景に実権を掌握する点で、権威と権力の分離という中世的政治構造の典型を示している。
北畠親房の『神皇正統記』(1339年)が主張した「神器継承の正統性」論は、建武の新政崩壊後も南朝方が政治的正当性を主張する根拠となった。
これに対し足利尊氏が光厳上皇を擁立した事実は、北朝方も同様の神権論理に依存せざるを得なかったことを示す。
鎌倉後期に伝来した朱子学の大義名分論は、水戸学における南朝正統論(『大日本史』編纂)を経て、明治期の南北朝正閏論争(1911年)にまで影響を及ぼした。
この思想的系譜は、天皇の権威が武家政権の正統性を超時代的に規定してきた事実を逆照射する。
以上の分析から、鎌倉幕府を頂点とする武家政権が天皇の権威を不可欠の基盤として成立・存続したことは明白である。この構造は単なる形式的従属ではなく、
③神権思想に基づく支配の正当化——という三重のメカニズムによって支えられていた。
明治維新に至るまで継続したこの権力構造の本質は、権威(祭祀権)と権力(軍事力)の分離・補完にこそ存し、日本政治史の基底を成す特質と言えよう。
言わんとする事を言おうとすれば、タイトルのようになるしかないのだが、この事実が既に矛盾を抱えていて、「自己責任論という対象への批難をする他己責任論」の蔓延元であるように思える。というと、他己責任論者と詰られたと勝手に感じた自意識過剰でずんぐりむっくりの干渉的なタイプの人間が、あんたはじゃあ失敗のすべては個人責任で、被抑圧的な対象に同情しないんだね、みたいなことを言ってくるのだが、まあまて。
誰もそんな事言ってなければ、あんたを責めもしていないから、一度聞け。
そんな自分を責めている被抑圧者の要求がなにを求めているのかといえば、あんたの勝手な自意識の解消ではなく、まず問題の正しい把握である。
自己責任論が批難される理由は、まあ端的にそういうことなのだが、自己責任論とは個人に生じた悪い現象を自業自得だとする論理だ。
ここでは、
悪い現象の責任を個人に帰責するのはやめろ→自己責任論は諸悪の根源→攻撃→他己責任論者への転回(自己責任論への詰責、被害者の加害者への転身)
という一連のプロセスが発生しているのであるが、これは個人的にも社会的にも同時並行で進行する。
デフレへの視点で捉えるとわかりやすい(経済的な問題はいつも視点が一点集中していて、多角的な視点から一つの現象を捉えようとはしない。)
通り一片というのは、負の側面だけを捉えているということで、個にとって悪質な自己責任論を撤廃、廃絶させてしまった先に何が残るのかという事を、《自己責任論者》は考えようとはしない。
そもそも彼らがしているのは、存在しない自己責任論者に対するテクストの訂正行為じみたもので、勝手に「自己責任論」という議題を設定して問題を追求しようとしているようなものだ。
つまり、そのような対象(自己責任論者)は現実の人格としては存在しないに等しい。だから、それに対する攻撃は、そもそも何に対して怒っているのか、攻撃しているのかがわからない。
が、彼らの攻撃は自己責任論者として現実の人格を叱責する。換言すれば、自己責任論の問題を現実に帰責し、具体化する(してしまう)ことで、無関係の他者を詰問する。
このような状態を人格の二元性と名付ける。この名称自体にそんな錯誤と矛盾が表れている。あたかも「自己責任論」のように。
そのような状態では言論も攻撃的か、批難的か、あるいは攻撃的に批難的かになる。
整理しよう。
自己責任論の負の側面は悪い現象は自業自得になるということだが、では正の側面は良い現象も自業自得=本人の努力という捉え方に回収される事だろうか?
注意してほしいのはここで人格が二元化された観念的な状態を区別することだ。
つまり、”自己責任論の正の側面として何らかの良い現象を受けている個人なんていないということ”だ。
あたかも上級国民に向けられる復讐根性のように、これ自体が正の論理だから、負の論理はわからないとか、そういう事もない。
なんていうか、まずその、あなたの負の状況というものが無い。その穴も都合よくつくられたシチュエーションである。
にもかかわらず自己責任論が個人である私を批難しているように”現実において”感じるとしたら、それはたぶん観念的な他者への他責が社会意識にまで拡張された時代だからで、だからって別に一方的に他責されてる被害者がいるわけではない。そんなふうに思うやつがいれば自身が目の敵にする迫害者と同じ。だが、そんなふうに思うやつが実在するわけではない。
しかし、そのような変質を受けたものではない、自己責任という語句の意味については肯定されるべきで、本当に憂いるべきは誤った負の観念が正しい意味まで同時に否定してしまう事だ。
さて貴方が本当に否定したいのは、自己責任論ではなく、それ自体誤った自己責任論の状態であり、求めているのは、廃絶という意味ではない負の否定である。負は無限に廃絶されるべきだ。だがその循環自体の廃止は誰も望んでいない。
負の状態を否定するために廃止を望んではならず、この廃止を望んでいる状態や廃止された状態が負の状態といえるのではないか。
一定の結論を出すために、個人は個人に責任を持つべきだし、持てる社会の状態が結局は望まれている。
しかし、「自己責任論」に限らずに、誤った観念がそれを阻害している。その状態の改善こそが求められている。だから問題なのは「自己責任論」そのものではない。「自己責任論」という記号的問題にまつわる状態の全て。「自己責任論」がどのように社会において問題にされているかというシチュエーションが最も討議すべき根幹的な問題。それを問わない結果が誤った方向に行く。諸悪の原因は本当はこれ。なので、誤った社会的観念における誤った状況の防止のために、誤った社会的観念が個人の逸脱の原因という意味で、社会は責任のがれなんかせずに、「自己責任論」なんて議題の設定の仕方はやめて「個人責任」とか「個責主義」とか、もっと現代的な抑圧論に結びつけて考えたらいいし、そうするべきだと思う。
問題なのは、自分の及ばない範囲の問題まで自分の責任にされているというか、そうだからって自己責任を否定するんじゃなくて肯定するのが大事だっていう事なんだけど、その自己責任っていうのは正しい言葉の意味を肯定しようってことで、社会的に捻じ曲げられた仮置の信号として解釈すべきでなく、そこに置くべきではない。社会的には個人の社会責任があるという自負でよくないか。
流行に乗る。
名探偵コナンに追い付くために読んでいたほうがいいエピソードは既にいろんな所でまとまっているし、10エピソードどころではおさまらない。
なので読んでほしい回を下記に書く。(傑作集とでも言うべきか)
というのもコナンの人気エピソード投票はよくしているのだが、どうしてもキャラクターが活躍する回とか、話が大きく動いて流れが変わる回とか、幼少期のアニメ視聴者が絵的インパクトのみで記憶に残ってるとか、妙にネットでこすられた回がピックアップされてしまうのだ。
今回はそういうの無しで行きたいと思う。
順不同だ。あと見るなら原作をおすすめする。アニメは原作からちょっといじってるし、漫画の絵が良いんだよコナンは。
行方不明の推理小説家を探すというもの。鍵は作家が残した原稿にある暗号ミステリーである。この暗号を解くまでのコナンが良い。あまり知られていない蝶ネクタイ型変声機の弱点も知れる。推理小説好きは好き。
原作で読んでほしいと先に書いたが、これはトリックと漫画ならではの構図の絵が美しいのが特徴だ。
雪山山荘、燃えさかる吊り橋、何も起きないわけがないと知ったあの頃を思い出す。
これは初期作品でなかなかにインパクトが強い絵面が楽しめる事件だが、これがあるから名探偵コナンは国民的になれたのではないかと感じる。こんなん誰が思いつくねん、という事件。
この辺は入れとかないと誰かに刺されるかなと思った。コナンの設定を生かした事件で本当に唯一無二だと思うが、その中でも特に驚きが強く展開が読めないので面白い。
まぁこれはなんというか来年の映画のために見とけよってかんじではあるのだが、好評だったからメインに長野県警が選ばれたわけで、それは大事なことだろう?
コナンで唐突にくるグロ回が好きなのだが、長野県警が出ると大体グロいので良い。コナンのグロなら平気~って人もこの回はヒェッとなるかも。多分作中ベスト3に入るグロさ。
まぁこれもなんというか来年の映画のために見とけよってかんじでは(以下同文)
97巻ともなると人物相関図がややこしくなるが、かなり緊張感があったのでそういう楽しみ方もできるし、出てくる暗号もコナンを読んでいればいるほどミスリード的なお遊びがあり、ほどよい難易度だった。ぜひ一旦解読してみてから進んでほしい。
地味な話ながら地味にファン人気があるエピソード。地味なファンに人気があるエピソードとも言おうか。地味に面白くて地味に残るものがあるシンプルで良い回だ。結構悲しい話。
42巻に収録された6話構成のエピソード、だがベルモット編の終結とも言えるのでそこまでの流れを見ている方が良い。
とにかくここまでの流れの完成度が高く、すべてがうまく行っている。ある種の名探偵コナン一部完結といった感じもあり、おそらくここまでを読み込めば名探偵コナンのラストが予想できるのではないか…といった考察もある。もちろん80巻以降毎回のように重要情報を出すようになったので全巻読まないといけない仕組みなのだが…。
正直この事件が入っていない人気投票系のエピソードランキングは信用していない。これは必ず入っておくべき、と思う二元厄介オタク。
一回読んだだけだと理解できず、何度も見返して「なるほど」となったので印象深い。謎一つ一つはクイズ番組であるようなものなのだが、それを事件に繋げて複雑化していくのでなかなか読めない。
あ、これも長野県警出てるから来年の映画のために…いや、これは読まなくていい。
大体このエピソードをライト層におすすめしてくるファンとは関わらない方が良い。
でもこの場はそういうのを書いていい場所だと聞いたので。
お札を見せるやつねって言ったら覚えてる人多いかな。
毒と幻のデザインと同じくコナンと平次の共闘と言っても、上の話と違ってこれをおすすめしてくるコナンファンはとても優しい。大事にした方が良いと思う。このエピソードは完成度が高く、映画を見たかのような満足度がある。
1000話超えてるのであれが入ってないとかこれが入ってないとかあると思うけど、まあそういうのは各自おすすめしてください。
市長を辞めさせたいということで、市長本人に辞職の意思がない場合は議会の動きだけでは解職まで時間と手続きが嵩むというニュースを見た。
議会とその構成員たる議員は、例え地方であっても固定票に支えられており必ずしも市民の意思を正しく代表できているとは限らないのはみなさん御存知の通り。
政治の利権争いで、議員達が勝手に市長を解任させられないというのは当然のことなのだ。それはすでに壊れているとはいえ、二元代表制を土台から崩すものである。
不思議なのはリコールについてさほどニュースにならないことだ。
リコールは市民投票によって行われ、市長本人の意思に関係ない解職させられる。
リコールさえ成立させればいいのだ。
なぜ起きない?起こさない?
私の考えでは、リコールは「民主主義」の言い訳だからだ。リコールなぞ成立しないと、立法側も理解しているのだ。リコールが成立するより、面倒で時間もかかる議会による解職運動のほうがまだ実現可能性が高いと議会側ですら思っているからである。
現在のところ「煮詰まる」という言葉は、「議論や交渉がまとまって結論が出る」という用法が正しいとされ、「議論が進まなくなって行き詰まる」という用法は誤用であるとされている。「煮詰まる」という言葉がどのように用いられてきたのかに興味を持ったので、その変遷を辿っていこうと思う。ソースはだいたい国会図書館デジタルコレクションである。
注意として、ここでは「煮詰まる」と「煮詰める」を区別して、「煮詰まる」の用例のみを追っていくこととする。現在においても「煮詰める」のほうには「行き詰まる」という用法はなさそうだからである。
調べてまず気付くのは武者小路実篤が「煮詰まる」を多用していたことである。そして同じく白樺派の有島武郎や長与善郎、その影響を受けたという岸田劉生・木村荘八なども「煮詰まる」を用いている。まるで実篤から伝染したようである。それらは概ね「無駄な修飾を排して凝縮されている」あるいは「態度が一つに決まっていく」というような用法であり、いずれもポジティブな意味で使っているところが共通している。いくつかの例を挙げる。
心が二元的である間は、即ち或る機縁によって煮つまって一元的にならない間は、どこまでも二元なり多元なりの生活を押し通して行くがいいと思う。
牛のよだれのようにだらだらした書きぶりがいかんのは問題にもならぬ事であるが、さればと云って何でも只無暗に簡潔に端折って書きさえすればいいと云う事を一つおぼえて、まるで電報の文句のような言葉さえつかえば煮つまったいい文章だ、と思っている人の文章は又不自然な、とらわれた感じのするものである。
もちろん白樺派以外の用例も同時期にあった。意味的にはさまざまだが、ネガティブな用法も多かったようだ。
この説明には余程可笑しな点がある、で、僕は云った。
もとは『TheScarletEmpire』というタイトルのアメリカの小説である。原文は「It looksas if religionmay correctly be said to have gone toseed, in this country.」となっており、「gone toseed」は「盛りを過ぎて衰える」という意味なので、つまりそういった意味で「煮詰まる」が使われていると考えられる。「加熱しすぎて水分が飛んでしまった」ようなイメージだろうか。
私が余りに余計なことを喋舌り、私の心の中で長い間煮つまっていたことを必要もないのに述べ立てたことを、而もそれに就いては私は書いたものから読むように話すことが出来たのだ
こちらも翻訳書。英文は「I had unnecessarily described what had long been simmering in myheart」。「心の中でくすぶり続けていた」とか「ずっと感情が渦巻いていた」といったイメージか。
真夏の暑い日に遠く法華宗のお題目が聞こえてくる…という場面で、この「煮詰まった声」は「重苦しく絞り出している」ような印象を受ける。ものが煮詰まったあとのドロドロとしたイメージだろうか。
「居た堪らない」というので、世界が煮られて、そこにいられなくなるような感じだろうか。ぎゅっと狭窄するような感覚もあるかもしれない。
議論が悪い方向に盛り上がってヒートアップしているという描写。結論が出そうにないという点では現在の「誤用」のほうに近いか。
かるが故に自己の生活を安泰ならせんが為には儼然として己れが階級の城壁を固守しなくてはならない。科挙制度がそれだ。かかる試験制度を採用することは一に権力者に反抗する意志を学問の為に煮つまらせ、又一には士大夫階級思想擁護の有為なる人材を作ることになる。
この式場隆三郎も白樺派との交流があったらしいが、「作品を見ない」ということは、ここでの用法は「行き詰まる」に近いのではないか。
勿論コチコチ官僚型で煮つまって、倒さにふっても水っ気もないような人ではなく、時代に対する感受性は強く、好んで人の長所を認識する感服癖さえある。
昭和10年ギュスターヴ・フローベール『ジョルジュ・サンドへの書簡』
では左様なら。もう遅いのです。頭がまるで煮詰まりそうです。
翻訳書。英文は「Adieu,itis late, I have an aching head.」なので、普通に頭痛がすることを言っているのか、それとも「悩んで行き詰まっている」的な意味なのかはわからない。
戦前は武者小路実篤を中心に、小説・詩歌・戯曲などの文学的文脈で使われることが多かった「煮詰まる」だが、戦後になると現在のような「議論や交渉が煮詰まる=結論が出る」といった用法が登場し、やがて支配的になっていったようだ。
それに関してわかりやすいのは「国会会議録検索」で、戦前の「帝国議会会議録検索」では「煮詰まる」はほとんどヒットしないが、国会会議録では1950年代あたりから見られるようになる。さらに用例を確認していくと1960年代から爆発的に増えていったようだ。労使交渉の文脈が多いように思われるので、そのあたりをきっかけに流行りはじめたのかもしれない。
となると次に気になるのは「議論が煮詰まる」=「行き詰まる」という用法がいつごろ確立されたのかということである。どうやって調べればよいか。たとえば「煮詰まってしまった」みたいな形だとネガティブな文脈で使われていそうだ。ということで検索してみよう。
しかし日本側は表面上は「朝鮮総連を相手にせず」とその抗議を重視せず、裏では字句は修正せずとも運用面に幅をもたせるという妥協の動きに期待を寄せていた。それが、日赤が相手にせざるをえない北朝鮮赤十字から真向に攻撃を受けたのだから、問題は煮詰ってしまった。
やはり人間は災害にあってみないとなかなかわからないもので、そういったことで安堵感を持っている。しかしジワジワと危機に瀕してきているわけで、そのときの判断をあやまると、残念ながら煮詰まってしまう。
ハイ・スクールからジュニア・カレッジヘと進んだアリス達は2年間のカレッジ・ライフで煮詰まってしまい、カリフォルニアに向かったのである。
ああいう自由さが背景にあってのこの音楽じゃなくて、すごい煮詰まっちゃってて、つらいだろうなというところで出て来る音なんですね。
「でも、仕事ばっかりしていると煮詰まっちゃう」「煮詰まっちゃうってのは、息詰まる、退屈する、スランプに陥るって意味なんです。」
「結論が出る」用法と比べれば圧倒的に少ない。とはいえ1970年代くらいからは、日常語として「行き詰まる」的な用法もわりと広まっていそうな感じはする。というか「結論が出る」用法は議論や交渉の文脈でしか使えず、それ以外のときは「行き詰まる」用法になることが多かった、という感じではないか。
ちなみに、この「行き詰まる」用法が誤用として問題視されるようになったのは2000年ごろらしい。実際、Google Booksで「煮詰まる誤用」などと検索すると2000年以降の書籍しか引っかからない。
といったところか。
「煮詰まる」のコアイメージは「熱されることで水分がなくなっていき固形分だけが残る」というようなものであろう。
それをポジティブに捉えると「余分なものが削ぎ落とされて本質がはっきりする」といった意味合いになり、ネガティブに捉えると「瑞々しいものが失われて停滞する」といった意味合いになる。たとえば「議論」にポジティブなイメージを適用すると「論点が整理されて結論がはっきりする」になり、「思考」にネガティブなイメージを適用すると「新しいアイディアが生まれなくなり行き詰まる」になるわけだ。
もともとの料理としては「美味しくするために煮詰める」ことも「熱しすぎて煮詰まってしまう」こともあるわけで、どちらのイメージで使うのも自然な感覚である。当初から「煮詰まる」は多義的な比喩表現だったのだから、「これが唯一正しい用法なのだ」などとはあまり気にしなくていいのではないだろうか。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240710/k10014507081000.html
ちんちん下げたまま女を名乗って生きにくいと思わないなら男です!
性別女なのに全麻手術でちんちんボロンするのを生きにくいと思わないなら男です!
こちとら死ぬほど泣いて悩んで、このままなら死んだ方がマシだし死んでもいいかと思って、全財産持って言葉通じない海外の病院まで行って手術したんだ。
なんでちんちんついたまま女名乗って「生きやす〜い」なんてなるの?
心が女なのにちんちんついていることが一番生きにくいはずなんだよ。
蓮舫は立憲民主党内の野党共闘路線の大きな一角だったのでは?論を書いた増田だけど、立憲・小沢氏、次期代表「泉氏でやったらまた沈没」 支持しない考え:毎日新聞を読んで、更に立憲民主党内で野党共闘支持派が都知事選で野党共闘を行ったことによって現職小池百合子都知事へ肉薄するという華々しい結果を持って蓮舫の立憲民主党代表就任を目論んでいたのではないか?
ただ、その計算は石丸伸二元安芸市長の想定外の出馬によって狂ってしまい、野党共闘路線を裏で糸引いていた小沢一郎も流石に計画修正をせざる得ず、泉立民代表への不信を内外へ煽って野党共闘支持派の結束を高め、豪腕として知られる政界の破壊屋小沢一郎は立憲民主党を割って計画修正を最小限で留められる野党共闘路線の新党設立を目論んでるのではないか?という予想
もちろん立憲民主党を割れば政党として規模の優勢が得られにくくなるが悪い話ばかりでない。以前から批判を浴びている泉立民代表派閥や野田元首相派閥などの野党共闘路線の不支持としか取れない歯切れの悪さ、非協力的な姿勢を立憲民主党として動いている間は利害関係から如何ともしがたかったが、蓮舫新党であるならば純粋な野党共闘路線政党なので政党内の意思統一は容易い
野党共闘支持派が抜けた立憲民主党の泉立民代表派閥や野田元首相派閥からしても小沢一郎派閥や蓮舫派閥との利害関係の拘束力が弱まり、外部政党として交渉が可能なのでこれまで以上に動きやすくなり、何なら国民民主党と再合流なんてのも非現実的じゃなくなる
蓮舫新党は野党共闘のハブとして駆動することによって、都知事選で力の入った支援をしてくれた日本共産党と友好な関係を築きつつ、古巣の立憲民主党や旧民主党として繋がりのある国民民主党との連携はもちろん、包括的な野党共闘を実現するため日本維新の会と交渉することだって可能になってくる
蓮舫新党は野党共闘によって自民党の悪政を打倒し日本初の女性首相を生み出すという志に希望を見出す国民のための非常にわかりやすい政党となるのではないか、そしてこれは今最も望まれている政党なのだと思いたい
過去最多の56人が立候補した都知事選は投票率60.62%(前回55.00%)で小池氏が291万8015票で圧勝、続いて石丸氏は165万8363票を集め、蓮舫氏は128万3262票の3位に終わった。
人口約2万6千人の安芸高田市の首長を辞し、500倍以上の人口約1400万人を擁する首都東京に乗り込んだ知名度もない男が、強烈な旋風を巻き起こした。
さぞや地元で実績を残して絶大な人気を誇り、「後継者」がすんなり当選を決めたのかと思いきや、当選したのは反石丸色を前面に打ち出した元郵便局長の無所属新人、藤本悦志氏(51)だった。
市議会で数少ない「石丸派」として路線継承を訴えた前市議の熊高昌三氏(70)は2000票以上差をつけられ、次点にとどまった。藤本氏は昨年11月末に立候補を表明、「石丸氏は市議会や市民との対話も少なく、その手法は対立と分断を招いた」と訴えていただけに、石丸市政の落とした影は思いのほか色濃かったようだ。
♯1で報じたように、地元の公立中高を経て京都大学経済学部に進学、卒業後は三菱東京UFJ銀行に入行、ニューヨーク駐在員も経験した石丸氏は2020年7月に突如、安芸高田市長選に立候補して当選。
華々しいキャリアの凱旋は救世主感に満ちていたが、他者を寄せ付けない攻撃的な一面が次第に表面化し、その摩擦と軋轢で広島の小都市は疲弊した。現職の安芸高田市議は今回の都知事選の結果を含めた一連の経緯をこう分析した。
「危うく東京都民も騙されるとこだったから、小池さんが3選してよかったって思いますわ。石丸さんが掲げる政治再建や財政再建は、よく聞くと中身もほとんどないんだけど、人気取りだけは上手いからね。
安芸高田市長選の時もそうでしたけど、『よし、わしらが手伝ってやる』と名乗り出た地域のおじさんたちの手を『選挙カーも応援もいらない。1人でやる』と払いのけ、駐車場にイスを並べて演説ばっかりしてましたよ。それで『このニューヨーク帰りの若者は何かやってくれそう』という期待感であっという間に人気者になりました。
今回の都知事選でも小池さんや蓮舫さんは政治の話ばかりでしょうから、そんな中で『石丸ちゅうんは面白い』と思われて人気は出たんでしょう。でも、あれが当選してたら、きっと東京でもとんでもないことしてましたよ」
「これまでより市政は間違いなくよくなると思う」
「今回、当選した藤本さんは『市議会や市民との対話が大事』と言い続けている人で、議会と激しく対立ばかりしていた前任者と比べたら、わしらも大歓迎です。
結局、市民も石丸市政はダメだって気づいたって事ですわ。人気取りで市長になったものの、やったことは自分の意見を押し通すだけ。
彼が議会の反対を押し切って進めてきた認定こども園の問題も、藤本新市長は方針を改めるそうなので期待しています。この問題は吉田町(旧高田郡吉田町)内にある保育所や幼稚園の立地場所に土砂崩れの危険性があり、別の地区に移転の必要があるとされたことに起因します。
普通なら町内のなるべく他の場所に移設しようと考えようもんですが、石丸さんは『校区をまたいで移設する』と言い出した」
「そんな地域であれば、まずは計画書を持って地元の人や私立保育園に説明すべきだと議会は主張したんだけど、石丸氏は『予算使って計画書なんて作っても反対されたらお金をドブに捨てるようなもんでしょ』でしたからね。
その移設計画に関しても藤本新市長はまずは吉田町の中で土地探しから始めようという方針です。議会と市長も、対立ではなく対話できる関係の方がいいでしょう。今まで異常だったことがようやく平常に戻っていけそうです」
「そりゃあもう選挙で藤本さんが市長に選ばれたんだからそれが民意なんでしょう。市民が石丸市政の継続を望んでいれば、後継者である熊高さんが当選したはずですから。
石丸は結局のところ、4年間何の実績もなく安芸高田市をガタガタにするだけして、このままじゃ次の選挙は無理だと思って東京に逃げていったわけでしょう。
彼は地方議会の特色である二元代表制をまったく重んじることなく、とにかく自分の好き勝手で物事を進めるだけの独裁者でしたから。
そのパワハラぶりについて今、こと細かに言うつもりはありませんが、議会で議員をアホ呼ばわりしたり、私自身も高圧的な物言いをされたことがありますよ。
こうして『対立』を選んだ前任者に対し、新市長の藤本さんは『対話』を重視すると言っているので、これまでより市政は間違いなくよくなると思うし、またよくしていかないといけません。
一方でなんの実績もない石丸氏が知名度抜群の蓮舫さんをおさえて2位になった都知事選に関しても、東京都民の『民意』なんだと思います」
その都民の民意が反映された都知事選後の民放各社の選挙特番で、石丸氏はコメンテーターやアナウンサーの質問をはぐらかしたり逆質問でキレてみせる様子がSNSなどで拡散され、パワハラ体質が早くも懸念されている。
今後は「まだ決めていない」としながら国政転身について「選択肢としては当然考えます。例えば衆院選広島1区。岸田首相の選挙区です」と述べるなど、強気キャラにも拍車がかかったようだ。驕る平家は久しからず。どうぞご随意に。
https://news.yahoo.co.jp/articles/742c4dea089b23506482ee3bccf5a568cc58b0b2
なるほどなあ
石丸氏はよく言えば人事を尽くして天命を待つタイプ、悪く言えば結果に責任を持たないタイプなのだろう。そしてこれを補助線として引くとなぜ選挙速報後のインタビューが噛み合わなかったのか、安芸高田市議会との対立を問題と捉えていなかったのかがわかってくるように思える。
普通、選挙(速報)後のインタビューではその結果を受けて自身の活動の振り返りや今後の活動に向けた反省について聞かれることが多いし、実際石丸氏もインタビュワーにそういった質問を受けていたように思う。
一方、石丸氏にとっては順位や得票数はメディアの報道や有権者側の資質など様々な要因が絡んだうえでの『結果』でしかないのではないか。つまり彼にとっては自身が東京都知事候補者としてなすべきをなしたという点が最も重要と考えており、その結果として都民がどのような決断を下したかにまではあまり興味がない。よって自身が直接結果を左右できない(責任を持てない)結果についてどう思うかと聞かれても回答できないし、なぜそんな質問をするのかも理解できないのではないかと思う。
また武田砂鉄氏がインタビューで指摘していたように石丸氏の著書では『自身の責任の範囲を定義する』、『(自身の責任を外れた)相手の問題がどうなっても関知しない』ということをメンタルの強さを保つ秘訣として書かれているようで、選挙後のインタビューでのやりとりに加えて上記の推論の補強材料になるのではないかと思う。
安芸高田市議会との対立についても『石丸氏は自身がすべきと考えた提案を行う』、『議会が提案に対してどのような決断を行うかは自身の問題の範囲外』と二元代表制を表面的に捉えていたのであればああ言った態度も頷ける。議会と対立した結果、市政が混乱したとしてもそれは市長の責任を外れた範囲の問題と捉えていたのだろう。
個人の戦略として結果に責任を持つべきかどうかは結論の出ない命題だろう。もちろん結果に責任を持つ人の方が信用されるが、自身の能力や裁量を超えた結果に責任を負ったことでメンタルを病んだ人を自分は何人も知っているし、自分自身も眠れないつらい日々を過ごしたことがある。
しかし政治は結果責任であるし、議会との関係性を他責で片付ける人はいくら有能でも責任ある立場には向かないのではないだろうか、と一有権者としては思う。
就任してそこまで経っていない頃だっただろうか、副市長人事の同意を議会から得られず、さらに議員提案により副市長の定数を減らす条例が可決成立したことがあった。当時のニュースを見ていたときは、議会の封じ込めを図る姿勢はどうなんだろうと思ったものだ。しかし、その後、今度は氏側が議員定数を半減させる条例を提出した。それっぽいことを並べていたが、まあ報復である。
当然否決されるわけだが、議会への条例提出には、例規審査と呼ばれる体裁、法的整合性などの確認作業があり、付随して議案としての説明文の作成、資料の印刷、マスメディアへの提供も行われる。子供の喧嘩のような仕返しに付き合わされる職員としてはたまったものではない。
氏の支持者には、彼を論理的で是々非々な人間と評する者もいるが、このくだりを見る限り、その評には疑問符がつく。なるほど、深謀遠慮、否決されることありきで耳目を集めることが目的かもしれない。しかし、その個人のパフォーマンスために職員のリソースを空転させないで欲しい。職員は議会で可決されるために議案を作りたい。
日本の地方自治は議員も首長も直接選挙で選ばれるところに特徴がある。いわゆる二元代表制と呼ばれるものである。議員も首長もある方面からの民意の反映で、原則として議会の議決を経なければ予算も作れないし、条例の制定改廃もできない。だからこそ、氏の対議会の苛烈ともいえるパフォーマンスは目に余るものがあった。
氏はどこか二元代表制を首長と議会の対立構造と考えているフシがあるが、それは少し誤解がある。個人商店の議員に対して、多数の職員を動員し、多くの情報にアクセスできる首長とでは、そのリソースは段違い。法的なところでも、再議、後述の専決処分など、権限は首長が強い。日本の二元代表制の実態は首長優位で、対立構造とするにははなから不均衡だ。
自分の優位が約束されている中で、対等な勝負という体で、多様な民意をすり合わせもせず言い負かすことに終止する。なにかにつけて二元代表制を強調するのならば、最低限の体裁くらいは整えてくれないものか。
議会と首長の対立自体はあろうとも、必要以上に煽ると通る議案も通らなくなってしまう。氏本人がそうであるように、人はしょうもない意地の張り合いで不合理な行いをする生き物なのだから。
氏は無印良品を巡っては企業の言い分を丸呑みして時間がないと専決処分を行い、こども園を巡っては既に議会で否決された予算をやはり時間がないと退任直前に専決処分した。専決処分(地方自治法179条の方を指す。)は、本来経なければならない議決を経ずに条例の制定改廃、予算措置などを行うものだ。その二元代表制を否定するような特性上、専決処分を行う要件(緊急性など)は厳格に解されているところであり、企業の都合や、否決された予算を押し通すのに行うものではない。というか、要件を満たしていないから違法という指摘もされ得る。
そもそも、氏は二元代表制を大事にしていたのではなかったのか。それをないがしろにする専決処分の濫用は言行不一致であり、また、行政として遵守すべき手続の軽視だ。
特に無印良品に関しては、普通に臨時会を開いて議案にすれば可決された余地もあっただろうに、何故無理矢理やろうとしたのか。
自治体は、好意的な印象を持ってくれる人に対してもそうでない人に対しても分け隔てなくサービスを提供する。法令は当然として、その制度の趣旨を考慮し、手段が適当か勘案して業務を行う。
水戸黄門や半沢直樹の舞台ではないし、スカッとジャパンの収録でもない。自己統制として「違法ではないが不当」という考え方も存在し、目的は手段を正当化しない。
敵味方の劇場型政治を繰り広げ、制度趣旨を軽視し、目的のためには手段を選ばない。その一連のパフォーマンスのスタッフとして職員が巻き込まれる点で、氏の姿勢は「ない」ものに映った。これは、相対する議会が有能だろうと無能だろうと変わらない。
また、基本的に時間も金も手間もかかる裁判について「気に入らなければ、違法と思うのならば訴えればいい」というスタンスは相手の足元を見てのものであり、「裁判で判断されない限り合法」と主張する打算が見え隠れする。そもそも訴えられる余地をなるべく減らし、瑕疵なく進めるのが行政の基本で、予防法務は民間でも知られた概念だと思うのだが。
そして本当に訴えられた場合、やはり苦労するのは職員の方である。
一方が他方を言い負かす構図は見ていて気持ちがよく、古い政治家に立ち向かい、手段を選ばず邁進する姿は魅力的に映るのだろう。
しかし、その言い負かされる対象が自分たちになる可能性や、手段を選ばないことを肯定した結果、止められず明後日の方向に暴走していく可能性は少し勘定に入れて欲しい。
政治や行政はそういった危険性を織り込んで面倒くさくなっているわけで、そこまでわかりやすいエンタメではないし、そうなってはいけない。
Permalink |記事への反応(17) | 20:06
個別の政策云々以前として、専決処分絡みから見える政治姿勢がやばい。
端的に言えば首長が議会を経ずに行う条例の制定改廃、予算などの処分のこと。地方自治法179条に基づく専決処分(通称179条専決)と180条に基づく専決処分(通称180条専決)がある。
基本的には議会を招集する時間のない緊急時を要件として行う専決処分であり、処分後は議会で報告・承認の手続きがとられる。他にも179条専決を可能とする要件はいくつかあるが、機会としては稀であり、今回は関係ないので省略。
余談だが、通年議会の場合は常に会期中で招集されている状態のため、(招集の時間がないことを理由とする)179条専決はほぼできない。
議会が定める軽易な事項について行うものであり、処分後は報告の手続きがとられる。換言すると、議会がわざわざ議決しなくていいと認めたために行う専決処分。なお、軽易な事項に関しては、一定の範囲に収まる損害賠償や和解、契約変更などが挙げられる。
多くの自治体において、179条専決を利用する機会となるのは年度末の税条例の改正だろう。
これは、大本となる地方税法の改正が年度末に成立・公布されることに起因する。ちなみに今回の地方税法の改正は3月30日に公布された。
税条例は地方税法の改正に基づき改正されるが、その中には算定基準の都合上、施行・適用が4月1日でないと間に合わないものもある。
地方税法の改正の確定を受けてはじめて条例の改正案も確定するわけだが、議会に諮る時間的余裕はない。この際に、最低限の必要な改正部分だけ専決処分を行う。そして残りの急を要さない改正部分は別に臨時会や定例会に諮ることとなる。
衆議院の解散はその時期について報道などから目星はつくものの、解散が確定しない限りは予算として議会に諮れない。
一方で、解散してからはすぐに資材や人員の手配をする必要があり、なんなら議会の日程調整をする間に公示日や投開票日になってしまう。
国政選挙において「議会が招集できず予算がないから延期します」とはできず、こちらも解散が発表されたらすぐに179条専決となる。
なお、衆院選以外においても急遽便乗選挙(首長選の一定期間前に議員に欠員が生じた場合に首長選と同日に補選をするときなど)が発生した場合などでは、便乗分の予算を179条専決することがある。
本来、条例の制定改廃や予算は議会の議決をもって決まるのであり、議会と同意のとれた軽易な事項でもないのに、それをスキップする179条専決は非常に強力な権限だ。その趣旨からすれば要件は厳格に解され、行使は抑制的であるべきだが、悪用される余地もあり、実際悪用された。
179条専決の悪用といえば鹿児島県阿久根市が挙げられる。当時の市長は副市長の選任、職員などの給与削減条例、補正予算などの179条専決を連発した。当時の地方自治法では、議会側に議会の招集権限がないために首長が議会を招集しない(議会に承認不承認の意思を表示させない)、また、179条専決を不承認としても首長側に何の義務も課されないなどの点から、それはやりたい放題であった。
なお、これが影響して後に地方自治法が改正され、179条専決で副市長の選任ができないこと、条例や予算に係る179条専決の不承認時に首長は必要な措置を講じて議会に報告すること等が定められることとなった。
耳目を集めたのは無印良品絡みの補正予算の179条専決である。曰く、早く予算化しないと企業が他の自治体に行く可能性があるとのことだが、それだけで緊急性があるかといえばそんなわけもない。まずはすぐに予算化できない旨企業と交渉を行い、仮に呑むにしても臨時会の招集を検討する。予算審議に際しそのスケジュール、あり方の是非を含めて議会で意見を交わすべきで、スケジュールありきかつ、不十分な説明での179条専決はいただけない。
また、最近では退任直前のこども園絡みの補正予算の179条専決も行ったようだ。敢えて言うまでもないかもしれないが、置き土産である。同様の予算案は何度か議会で否決されており、緊急性も何もあったものではない。
先の2件に関して石丸氏の179条専決は、適正な手続きに欠いた横紙破りとなっていた。
得てして議会は二元代表制を没却し、自らの存在意義を失わせ得る179条専決には厳しく、不承認は見えていた。
一応石丸氏は首長と議会が意見を戦わせる二元代表制を志向しているようだ。件の179条専決に代表される執行部側と議会側の権限の差異、人員や金銭リソースの差異などの観点からその志向には個人的に疑問符がつくものの、その心意気やよしとしておこう。
しかし、特にこども園絡みでは、既に否決された補正予算を179条専決している。意見を戦わせて、既に負けているのに、最終的には179条専決で無理矢理済ませる。これは当人の志向する二元代表制の否定ではないか。
それっぽいことを言いながら、最後には手続きを無視し、抑制的に使うべき制度をも利用して自分の意見を押し通す。目的のためには手段を選ばない。その姿勢には危うさを感じざるを得ない。
同じく最近は東大阪市の市長が自らの報酬を減額する条例を179条専決して不承認となっていた。
このことについても、「本人の報酬だから」「いい内容だから」といったコメントがされているが、問題はそういうものではない。
内容の是非以前で、本来踏むべき手続きを踏まないのが問題になっている。
手続き論と言う人もいるだろうが、安易な例外の許容は暴走と紙一重であり、それを防ぐための適正な手続きである。
紙って大体白いと思うけど、そこに鉛筆で人の絵を描いたときにおれはわざわざ塗り潰さない。
ちゃんとしたスケッチするなら濃淡で表現するんだろうけど、テキトーな落書きではしない。
おれみたいなモンゴロイドもコーカソイドでも別に肌の色が白くはないのに。
それは「白」として表現してるというか、単に白黒二元の濃淡だけで表現してるから黄色さや赤さが切り捨てられるんだろうか。色鉛筆があれば「はだいろ」で塗るかもしれない。
それとも特に色を施すような部位ではないから敢えて何もしないだけなんだろうか。髪は黒ければ塗り潰すしな。目も黒い。靴も黒ければ塗り潰すかもしれない。でも黒とも白ともつかない服なら塗りつぶさないかもしれない。じゃあ肌はどうなる?
議会との対立を鮮明にして泥仕合を繰り広げた安芸高田市長が東京都知事選に出馬するということで話題になっている。
この市長は、議会との論戦を志向していたようだが、本邦の地方議会、二元代表制は残念ながらそういった方向には適していない。
当然ながら、首長はその自治体の職員を駆使して議会に向けた調査研究を行う。対して地方議員は、多少の政務活動費こそあれど国会議員と異なり公設秘書はおらず、秘書を雇えるような収入が確保できる議員は限られる。自治体の業務は広範で、議会に諮られる案件も産業振興、厚生、文化に教育など多岐に渡る。これらの内容を議員やその支持者の少数で調査し、理解し、疑問点を整理しなれけばならない。加えて、議案説明会は上程日の1週間前が相場である。時間も足りない。
なお、議員から条例の制定などの提案も可能だが、その場合は一層の調査研究が必要なのは言うまでもない。
先述のとおり議員側には方方のリソースが不足しているため、特に首長の政策的な面が強い案件については、突然議会に諮られても賛否以前の問題なのが現状である。そこで、議案説明会の前に、政策の内容を議員に説明し、質疑応答などを経る「調整」「根回し」というものが行われる。これを馴れ合いと忌避する人もいるが、議員側に事前知識がなければ議会で実のあるやりとりはできない。
「初歩的な部分を質問せざるを得なくして首長がマウントをとる」「事前に言われれば簡単に用意できた内容を不意打ちで質問して議員が勝ち誇る」といった展開は、果たして議論として称揚に値するものなのだろうか。
チェックアンドバランスということで、議会と首長は対等のように見えるが、一概にそうともいえない。かつての阿久根市での暴挙で一定の枷はついたが、専決処分は依然として強力であり、再議も可能。首長の不信任決議は逆に議会を解散させることもできる。
首長と議会の権限の差は置くとして、まずは議員のリソース強化に尽きる。時間的な面では議案説明会から議会への上程までの期間を空けることも一考だが、首長側のスケジュールはタイトになる。政務活動費、報酬の増はわかりやすい例だが、賛同する人は少ないかもしれない。住民を巻き込むという点では、議会広報などによる発信強化も面白いところだ。
なお、件のガチンコ志向の安芸高田市長にあっては、議会広報の予算をカットした予算を提出、議会が当該部分を復活させた修正予算を可決したことでやっぱり揉めていることを申し添えておく。
議会と首長のガチンコ勝負というのは昨今の政治のエンタメ化の文脈では受けるかもしれない。しかし、国と異なり地方は二元代表制で、議員も首長も市民が直接選んだ代表である。それぞれがそれぞれの民意を反映している。この中で必要なのは、各々の背負った民意をすり合わせて着地点を探ることである。一方の民意が他方の民意を足蹴にする様で快哉を叫ぶのはよく考えた方がいい。自分の民意が足蹴にされないとも限らないのだから。