
はてなキーワード:二人称とは
「俺とかいわれても知らんよ」という表現は、匿名掲示板の文脈だと次のようなニュアンスを持ちます。
「俺」って言われても誰のことかわからない
匿名掲示板では名前や身元が出ないので、「俺」「お前」などの一人称・二人称で指しても、特定の人物を識別できません。だから「『俺』って言われても、誰のことか分からないよ」という意味。
たとえば誰かが「俺はこう思う」と書いたときに、「俺とか言われても知らんよ」と返すのは、「そんな自己申告をされても相手できない/こちらには関係ない」という冷たい突き放しのニュアンス。
要するに、
👉 「匿名の場で『俺』なんて言っても、あんたが誰だか分からないし、そんな情報には意味がない」
場合によっては
「責任を負いたくないから『俺が〜』と言われても受け止めない」
「そんな主張に関心ない」
ご要望なら、実際にどういうやり取りで使われるか、典型的な例を示すこともできます。
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課金システムがあるオンラインゲーム自体もこれ以前はMTGアリーナしかやった事無いソシャゲ初心者。なので他に比較対象が無い。FGOとかウマ娘とか他のソシャゲやってる人とはそういう面で受ける感覚が違うと思う。
・追体験モードの台詞は基本的にほぼアニメ版準拠。徳さんとか溝口さんとかカフカの同僚もカットされる事無くちゃんとボイス付きで出番があったのにビックリ。台詞は本当に極一部だけゲーム向けに変えられていた。
リリース時期的に多分未アニメ化のキャラや武装もあるだろうし。
・ストーリー追体験モードのスチルはアニメの流用ではなく新規描き下ろし。キャラデザも特徴は残した上でやんわりソシャゲ向けにリファインされてる?カフカはアニメや漫画より気持ちスマートで整った感じになってた。
・戦闘システムはオートでもAIが良い感じに戦ってくれるRPG形式。
今時のゲームだけあって昔のRPGのCPUよりは多分賢いと思う。
サクサク進むし。
・ちょっとでも電波が悪い場所でプレイするとすぐ通信エラーが起きる!つらい!プレイ前のインストールも4GB近く必要で大変だった…
・最初の配布で貰える☆5キャラはミナを選んだけど、原作終盤でカフカと肩を並べる前の隊長キャラを作っていた時期だからかミナ→カフカの二人称が「日比野カフカ」「怪獣8号」と距離感があるフルネーム呼びで寂しい…
・最初のチュートリアルの時から思っていたけど、バディを組ませたキャラはお互いバシバシ掛け合いで呼び合う。原作好きな人ならこれだけでも大分嬉しいんじゃないかな。ミナ→カフカは隊長モードで距離感あったけど…
・カフカ(人間形態)の戦闘スタイルどうするんだろ?と思ってたけど、拳銃と手榴弾メインで戦うのがかなり良い感じだった。原作だと閃光手榴弾を使ってたからその延長でそう来たか~って感じ
・スタミナ制で遊ぶゲームだからMTGアリーナのように1日に何回も無制限で遊べる訳ではない。まあそこはスタミナが溜まった時にやれば良いか
・じわじわ解放されていくみたいだけど、サブストーリーが結構充実してそう。原作は数ヵ月単位で結構ポンポン時間が飛ぶから隙間の話を見せてくれるのは嬉しい。
今日リリースされたばかりのゲームだからまだ何とも言えないけど、原作好きな人ならかなり楽しめるんじゃないかなあ…
こういうソシャゲっていつサービス終了するか分からないってよく言われてるし、早い内にやっておいた方が良いかも。
今日出たばかりのゲームだからどういう遊び方したら効率良いんだろうか…手探りだとしんどそうだし攻略Wikiとかあったら良いなあ
この感想書いた後に気付いたけど、初日からこんなに攻略Wiki充実してるならそれ見てから始めれば良かった…所謂リセマラはやる気ないけどこれ初日からちょっと躓いたかな…基本無料で遊べるだけでも満足すべきかな。
というか痛バッグってどこが尖ってるの?
みんな似たり寄ったりの発想の意匠じゃん。
本質的にはファッション雑誌の真似してお洒落ぶる文化と変わらないように見える。
オタクってそんなんだったっけ?
他人と張り合う、他人からレアなグッズ持ってると賞賛される、そんな他人の価値観の中で生きていくような存在だっただろうか、オタクは。
まして自作だから安く済ませたんだろ公式を愛してないんだろと叩く、そしてそれをいちいち気にするような存在だったか、オタクは。
愛してるのは公式でも作者でもなくキャラそのものって価値観の人もいる。作者すらキャラを蔑ろにするような扱いは許せん、公式厨めっていっちゃうようなのもオタクには普通にあるあるな価値観だったはず。
たかが版権などというこの世界の法でたまたま自分の愛するキャラに関連して既得権益を持っているだけの公式などという厚かましい存在にくれてやる金は一円もねえ。
オタクって言うのはその名の通り同好の士に対してすらその二人称にお宅を使うほど人との距離感がわからない社会性もないことが容易に推測できるような存在のことを指していたんだよ。
そんなやつが他人の目や炎上を気にするなんてちゃんちゃらおかしいしそんな能力そもそもないでしょ、いい意味で。
アニメとかが一般にも受け入れられるようになったって言われるけど、オタク趣味とされていたはずの趣味をしている人たちが愛の表現と称してみんな横並びなような振る舞いをしたり同調圧力に屈したりということが起こっているのは、その「一般の感覚」っていうのが今までの趣味の文化を塗りつぶしていってるって感じに見えるね。
自分からすれば推し活などとのたまう人たちを旧来のオタクと同じ括りに入れて分析するのは不毛に思えるよ。
オタク趣味が浸透したんじゃなくて一般人でも受け入れられる形にその楽しみ方が魔改造されフレームワークとして広まっただけで今までのオタクで今までの楽しみ方を続けているオタクはますます迫害対象になってるんだろうなってのが現実。
浸透したとか受け入れられたとかいうのは多分広告代理店とかの意図的な詭弁だね。
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幼い頃は「僕」って言ってたけどなよなよしすぎててしっくりこない。
喋り方や声のトーン、態度次第で雰囲気こそ変われど、意識高そうだったりナルシストっぽかったり理想のニュアンスにはならない。
しっかりしてることや自分らしさに自負を持っているような雰囲気を感じる。
「自分」も使ってみたけどいかんせん関西で暮らしてるから二人称の自分と混ざって会話がたまに止まる。
不便でやめた。
「俺」は我が強くてあまり使う気にならない。
自分で自分のことを偉いだのカッコいいだの思っていそうな、自尊心が高そうな、そんなニュアンスを感じる。例えるならばかいけつゾロリが自分のことを「おれさま」と呼んでいるかのような。
他人が使う分には何も思わないのに、自分が使うとどうもそんなことをウダウダ考えてしまう。
「小生」とかは論外。少なくとも20代で使うような一人称じゃあない。
私は「私」に落ち着いたけど、こういうこと考えてる他の人はどの一人称に落ち着くのか気になる。
自分の名前を一人称に使うパターンがそういえばあったね。自分で使おうだなんて頭をよぎったこともなかったから忘れてた。
小中の頃に男でひとりだけ使ってるやつ見たことあったな。そいつはイケメンだったから似合ってたけど今でも使ってんのかな。
なかなかに使うハードル高いし、下手に使ったら悪印象を与えるだけなイメージ。大抵あざとい女子が使ってるものか。
特定の言語学では、四人称は「第三者とは別の第三者」を示すために用いられる文法上のカテゴリーで、主に複数の第三者を区別する「オブビアティブ(obviative)」と呼ばれる形式として扱われることがあります。これは英語や日本語などの一般的な文法には含まれず、主に北米先住民言語などで見られる用法です。
あるんかーい
では五人称は有りますか?
一部の言語(特にアルゴンキン語族など)では四人称に加えてさらに区別を重ねた形を五人称と呼ぶ場合がありますが、非常に限定的で一般的な言語ではほとんど見られません。
あるんかーい
では六人称は有りますか?
一般には確認されておらず、理論上は可能性が示唆されることもありますが、六人称を明確に設定して運用している言語はほとんど知られていません。
ないんかーい
四人称や五人称が第三者間の区別をさらに細分化するための枠組みであるように、六人称も三人称から派生した複数の階層(オブビアティブ区分など)をさらに細分化し、同じ文脈内で異なる第三者をより厳密に区別するための一段階として想定される可能性があります。
つまんねーな
増田に記事を書いたが、何かのきっかけで早いうちに有名な誰かが書いたということが発覚、あるいはその人が書いたに決まっているということが大半の人の共通認識になった記事があったとしたら、そのうち30件以上ブクマがついたもので、その筆者を指す二人称や三人称としてその人の芸名あるいは実名を使ったトラバやブコメはついているが、そういう筆者を指す意味で「増田」を使っているトラバやブコメが一つも無い記事はあったのだろうか?
増田というのはその文章を発表した場所がここであるときに限定して使用できる、筆者に相当する用語に過ぎないと思っている。本などで文章を発表した人を筆者というが、筆者と違い使用局面が限定されるだけだ。
でもたとえば筆者が暇空茜だったら、増田呼びされず「この暇空の野郎め」とかいうようなコメントになると思う。そこにやはり、個体として認知される者に対して認知されない者の一部は寂しさを感じる。
dorawiiより。
増田史上、実名や住所や連絡先など自分の個人情報を書き、それも後ろめたいことや恥ずかしいとされることをテーマとした記事はあったのだろうか?
そのような事例があるなら、その記事の筆者を指すためにトラバやブコメが使っていた二人称や三人称は、その筆者が明かした実名かそれとも増田か、どちらだったのだろう?
それが実名であるという真偽が不明であるし、別に真実だということを連絡先に凸するほどその人に興味があるわけでもないというような考えを持つ人の割合が高く、やはり増田と呼ばれていたのだろうか?
まあそう記事は、自らの個人情報を丸裸にすれば珍しがられ伸びるだろという考えに基づくものと感じられ、それが多くのはてな民にとって浅ましく感じられて、かりにそういうものが過去あったとしても伸びることなく闇に埋もれているというのが実情なのかもしれない。
備忘として見ながら思ったことを書き連ねていく。まあまあ日が経ってしまったので記憶の前後関係が怪しいかもしれない。
映画館に入るのが遅れたせいでシャアがガンダムに乗ってガンダム?と戦ってるところから見始める。シャアの声優が違う上に演技もパロディ臭かったせいで劇中劇かなんかだろうと思ってたら本人だとわかり驚いた。似てねぇ!
MS戦の描写は頭部バルカンの構造を見せつけるようなカットが良かったが、殺陣自体はイマイチ。二刀流で仕留めるところもぬめっとしていて微妙な顔になった。
IFの宇宙世紀の話というのは前情報として知っていたのですんなり受け入れた。パラレルワールドなら最近もサンダーボルトやってたし、もっと昔ならコミックでアウターガンダムとかいろいろあったしな。
ガンダムにビット兵器を搭載した後、エルメスと同じように一方的に艦隊を破壊するシーンを入れているのはわかってるな~と思った。ニュータイプという個人が戦局を変えうる兵器として機能するという説得力が出る。
しかし木星帰りで別に階級が高いわけでもないシャリア・ブルが地球産のワインがわかるのはどういうことだ?
汚れ仕事をやるワッケインの姿は見ていて悲しかった。寒い時代とは思わんかね。
それにしてもシャアは似てない。戦場で部下に命令する時の二人称は"貴様"だろ!とはいえ土壇場で本編よりえげつない復讐に走るシャアは良かった。直後に襲い掛かってくる軽キャノンとセイラもIFの歴史で何が起きたのか感じさせて好きだ。
そんなこんなでグラナダにあるマクガフィン的なアレがソレして刻が見えてアレ。現時点では考えるだけ無駄なので「そうなんだ」と気にしないでおく。キシリア様は声優が変わってても違和感ない。シャアも見習え。
0085の世界へ。スペースコロニーの描写はとてもいい。庵野を感じるが庵野が描いてるかは知らない。
主人公のアマテは表情豊かで可愛いけど「特に不自由はしてないがどことなく閉塞感を抱えていてある事件をきっかけに大胆な一歩を踏み出す…」みたいな筋書きがいかにも2000年代って感じで古く感じる。モロに日本ナイズドされた駅や町、日本語のテキスト類も…なんか一昔前はオシャレだったよねって感じ。若さ!無鉄砲!パワー!みたいなザク搭乗からのガンダム乗り換えまでの一連のシーンは、中年の考える昔の若いコ像だなーなんて思った。身寄りもなく身を立てる術も持たず言われるがままに人に使われているニャアンの方がキャラクターとしては現代的でこの先どうなるのか興味深い。
あとやたらHDDに似てる違法パーツが笑えたが、目の色が変わる演出はいいね!
戦争はジオンが勝ったけどジオンの天下ってわけでもなくコロニーの自治権と衝突してるの、すごくいい。軍警察って響きもいいよな。
サイド6なのでカムランが出てくる。登場させるのはこの辺の脇キャラにとどめてくのが一番美しいだろう。これ以上やると本編を1stに食われると感じた。
クラバが始まりちょいちょい言われていたマブがマブダチではなくMAV戦術だと明かされへ~っとなる。2on2を基準とするみたいだけど、ゲームを意識してるのだろうか?
しかしピンチになってイヤボーン(死語)的にビャッと動いてボカっとやっつけて勝ちみたいな流れは普通につまんなかった。ジークアクスのメカとしてギミックはコックピットがなんか変わります以外一切披露されず、そんなんじゃプラモ売れんぞと思った。あんだけツーマンセルの戦いって言っておいて赤ガンダムを放って二人がかりでジークアクス追って横から斧ぶつけられてやられてるのは何なんだよ!
MS戦の演出は止め絵(もしくはスロー)と色フィルタをかける富野演出のパロディをやっているがパロディの範疇を過ぎず、特にオッとなるようなものはなかった。
この調子だとガンプラを売るよりシャリア・ブルの美プラ(美おじプラモの略)を売った方が数字が出そうだ。
そんな感じで絶賛するほどじゃないけどまあまあ面白い部分もあり、TV本放送も追っかけようという気にはなった。しかし気になってる部分の大半はIFの宇宙世紀がどうなるかであり、結局1stの幻影を追っかけているだけではないかという自分自身への疑念も膨らむ。作ってる側もやりたい事はIFの1stガンダムであり、商業的な都合へのエクスキューズとして竹デザインのキャラたちを外付けしてないか?という気にもなった。
水星の魔女みたいにわけわからん方向にぶっ飛んでいく可能性も大いにあり、良い方向にせよ悪い方向にせよ先行きが楽しみな作品ではある。
「対多」は原則として漢字や句読点しか投稿することのできないSNSである。正月中に導入した。近頃はどこのSNSも自分にとっては面白くなくなっていたのだが、移住先が見つからず、試しに使ってみた。個人的には、とても居心地が良かった。
対多では、はてな匿名ダイアリーと同様に、原則として誰が投稿したかわからない。ただし、トピックに返信した場合、スレ主のみ表示がつくので、自作自演が防がれる。
「○○だけど質問ある?」「【定→時→退→社】完成で俺退勤」「彼女の作り方教えてくれ」。そんな懐かしい雰囲気のスレッドが多い。
もちろん、VIPの悪癖も引き継いでいて、「女子高生だけど質問ある?」スレッドには大量につられるユーザーが多いし、淫夢ネタが妙に多い。一応、猥褻だったり差別的だったりする内容は投稿禁止になっているはずなのだが、守らない人は残念ながら一定数いる。なお、近頃はマコモ湯ネタがミーム化している模様。
ただし、「慰めてくれ」とか「死にたい」とか「受験がつらい」とか、そういう嘆きのスレッドには励ますような温かい言葉が並ぶ。
機能がシンプルなのもそうだが、「これから成人式に出掛けるよ!」「風呂入ってきた」「夕飯何食べた?」みたいな、初期のツイッターで話していたような話題が多い。他にも唐突に昔の流行曲やアニソン、映画や漫画の名台詞が呟かれるのも雰囲気が似ている。
何となく呟いたことに、何となく返信が来るのも、ユーザー数が少なくて治安の良かった頃のツイッターを思い出して懐かしい。
愚痴を書き連ねても滅多なことでは暴言が返ってこない。これは昨今のSNSの事情を見ると特筆すべき事項だ。
あとは、かつてのVIPとの違いを特に感じたのは「生理がつらい」という投稿が結構あること。二十年近く経過して、生理に対する意識が変わったのを感じる。ただし、当時はまとめサイトしか見ていなかったので、実際のVIPがどうだったかは知らない。
どこかからかから男女対立を始め、あらゆる分断を煽ろうとする輩がやってくるが、大抵は「青鳥(ツイッター)に帰れ」とレスがついて終わる。
これは、争いをみな嫌がっているのも理由だが、単純に漢字しか入力できないことにもよる。つまり、複雑な文章が書けないため、議論が成立しづらい。また、スレッドは十分に一つしか立てられず、レスは一分に一つしかできない。クールダウン期間がある。加えて、偽中国語で悪口を言われても、直接日本語で何か言われる程には傷付かない。先ほど述べた、一定数の下ネタを言う人間がいても、不快感が他のSNSよりも薄いのは、こういうワンクッションがあるからかもしれない。
(夜追記。トピックは五十文字、レスは百文字以内。これも一因だろう)
漢字と句読点を投稿する機能しかない。画像も動画もない。至ってシンプル。通報機能、ユーザーやキーワード非表示機能はある。ブックマーク機能がある。「笑った」「いいね」「同情」などのボタンはある。
コンプレックスを刺激させるようなキラキラ写真投稿は存在しない。
漢字しか投稿できないので、意味が通る文章を作るのも大変だし、読解にも苦労する。漢文の語順で投稿する人、現代中国語を混ぜる人、送り仮名も漢字で表現する人、無茶苦茶な当て字を使う人など、様々だ。例えば二人称は「君」「貴君」「貴様」「御前」「你」などが見られる。古の2ちゃんねる用語「~汁!」が復活しているのは笑った。
ちなみに、カタカナに見える漢字を使うと「脱法力夕力十! 逮捕!」とレスがつくのがお約束。
仕事中にも無性にやりたくなるので、誘惑を断ち切るために削除した。
逆に言えば、それだけ魅力的だったってことだ。意味のないつぶやきに対してゆるくレスポンスがあるのは楽しいし、抗いがたい。でも、SNSが本来目指していたのってこういう場ではなかったか。
広告はある。しかし視聴は必須ではない。「しずかなインターネット」のようにマネタイズせず(あそこはスポンサーがついているらしい)、趣味でやっているから平和なのかもしれない。あとはどこかのキャンプ場みたいに有料化して平和にするしかない。無料だとおのずとヤバい人が集まるというあれだ。つまるところ、資本主義の原理には勝てないのだろうか。
周りが結婚し始めて久しい。子どもが2人3人の友人も増えてきた。
私も過去お付き合いした人と結婚を考えたことがないわけではない。それと同時に、結婚やパートナーが全てだとも思っていない。
それでも、友人との付き合いの中で、友人といるのにひとりであることを痛感させられることが極めて増えた。
ひとつは話題が合わないこと。子どもの話題になったとき、月齢どのくらいで何ができるとかはむしろ友人たちの子どもと接して詳しくなったが、所詮他人であり二人称で関わる彼らと雲泥の差である。その話題に入るつもりもない。
子どものない二人暮らしの友人であっても、家具のこと、日々のごはんのこと、一人と二人では置かれた状況の違いから同じ地平で話せない場面もある。
もうひとつがでかくて、友人付き合いが基本パートナー同伴がちであること。
家に遊びに行く、飲みに行くとき一緒に来る、もうこれは基本当たり前である。恐らく私が大人数のコミュニティより少人数で人と親しくしてきたことや、割とオープンマインドなスタンスなことにも起因してるという自覚はあるものの、もうパートナーが来ないことが少ない。
オープンマインドだからって、私は今日目の前の友人と飲みながら、追ってるアイドルは相変わらず元気かだとか、今年のクリスマスコフレは何が気になるかとか、そんな話でくだをまいてたいのだ。仕事も忙しくなって話せる日が減ったからこそ、そんなくだらない積もる話をしてたいんだ。
それでもパートナーは来る。ひまだというのに断る理由もない。さすると自然に二人の生活の話や、最近の私の話になる。これは集団で飲んでてみんなパートナーがいるときにもよく起こる。
私の話を求められると、自分の心としては真面目に向き合ってうまくいかなかったような話もすぐネタとして昇華してしまう。むしろ結局人間はゴシップが好きだから、ひとりの私に薄っすらと無意識下にゴシップを求めてる人もたまにいる。そして応えようとなんか頑張って疲弊する自分がいる。
ある種の摂理だと頭でわかりつつ、その友人ごとその日が少し苦い思い出になりそうになるのがつらい。
前にツイッタランドで「『友人は季節に咲く花だ』という言葉がある」みたいなことを見た。人生の置かれている状況が変わり、一時は会わなくなっても、また季節が巡れば会うようになる、的な素敵な言葉っぽい響きに感じた。
きちんと調べたら、これは深沢七郎の「人間滅亡的人生案内」(※以下、"〜"は同書引用)という「話の特集」の誌面で受けた人生相談をまとめた本で見ることができる、"友達というものは花のようなものです。"という言葉のようだ。
その後に続くのは以下のとおりである。
"そのとき、そのときの時季、状態で友達はそこにあるから眺めたり、飾りものにするのです。友達などというものはそのときどきに自分のために存在するのだからそんなものに負担を感じたり、たよりにしようと思うことは悪いことだと思います。"
要は友達は自分の都合で生じる存在だから、気にしすぎず捨てるなり飾るなりすればよいという、まあ突き放した感じだった。けど、そんな捉え方もアリだなって少し気が楽になった。
大事に愛でつつ、でもそれを理由に傷ついたり凹んだり無理したりする必要はない。当たり前っちゃ当たり前だけど、孤独故にたまに違えてしまっていたような気もする。
旧い友人でも双方の認知が一致することなど極めて少ない、人間と関わる限りう〜〜〜〜んという瞬間は尽きない。友人と会うときにこれからもパートナーは同伴率高いだろうが、途中合流にしてもらうとか2人まとめて仲良くなるとか、私の心地よく生きられるよう頑張らないよう努めたい。