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はてなキーワード:事物とは

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2025-09-27

生成AIが多くの一般的事物ではただ「教えて」すればそれなりの回答が得られてしま絶妙な性能だから、取り扱い方とかリテラシーが向上しないのかもしれんね

文脈の共有を意識しなくてもそれなりに使えてしまうせいで「無言の帰宅」のようなガラパゴス慣用句でも、外国産AIが当たり前に答えられると思ってる

まぁ無言の帰宅くらいの例では、よほど弱いモデルでないかぎり僅かにでも文脈を与えれば通常は十分だが

素朴に使っている人間やその生成AIがどういう物か全然知らない人間にとって『無言の帰宅とは』で答えられない=このAIはこれを知らない/AIはこう言ってた!になるという

AIにまで察してをやってるのはめちゃくちゃ日本っぽい

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2025-08-30

「諸説あります」の多発による、歴史というものに対する不信感

最近語源など昔の話を述べるときに、「諸説あります」という言葉を添えるパターンが多くなったと思う。

ここで疑問に思うのは、一般的歴史的事物は「諸説あります」の対象にならないのだろうかということである

テレビで扱うような小ネタは「諸説あります」とされ、学問権威が述べるような歴史は「諸説あります」とされないのは、なぜなのだろうか。

特に一定の時期以前の歴史的事物証拠ほとんど無いので、教科書に載るような事項も全て「諸説あります」として、断定を避けたほうが良いのではないだろうか。

いくつかの事物相互に正しさを確かめたから「正しい」っていうのは、理系的(論理的)に正しいこととは根本的に異なる気がするし。

そして、そもそも、そんな不確定な事物を「歴史」として、小中学校で教えるべきなんだろうか。

少なくとも、歴史の授業では「諸説」が存在することを教えるべきではなかろうか。

「諸説」の多用によって、唯一な存在だと思っていた歴史というものが、いよいよ根源的に信じられなくなってきた最近である

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2025-08-08

anond:20250607220352

役に立たない言ってるけど、仕事でもめちゃくちゃ助かってるよ

エンタメ創作系の仕事してるんだけど、放送大学のおかげで格安でたくさんアイデア知識が手に入れられて仕事趣味に良い影響がたくさんあったし評価も上がった。

世の中信用できない情報ばかりの中、信頼性の高いものに速攻でアクセスできるので無駄時間を浪費しなくて良い

最初は仕方なく勉強してたけど、勉強ってすればするほど楽しいんだなって気づけた。

この世の出来事事物って全て繋がってるから芋蔓式に面白いものが増える。勉強してる中で、今まで得た別分野の知識がたまに出ると旧友に会ったような嬉しさを感じる。

しかゲーム漫画舞台背景やモチーフがよく理解できる&考察できてさらエンタメが楽しくなる。あと、史実の方がぶっ飛んでて面白い奴いっぱいいる。

同じ分野好きと議論するのも超楽しいぞ。

大体勉学好きって性質偏ってて、いろんな知識持ってるから多角的視野を持ってるが故に寛容で誠実なやつが比較的多くて人間関係も充実するぞ。

人類がいる限り無限に生成される一生遊べるコンテンツなのも最高

この楽しさに気づけていない君が不憫だわ。

Permalink |記事への反応(0) | 02:04

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2025-08-05

anond:20250804192438

小説の半分以上が出版業界戦後日本史に纏わる蘊蓄でできていて、残りが過去事物を事後孔明批判する場面で、その残滓人間ドラマをやってるという感じだ

今も昔も底辺人間が好むものってのは変わらんな

Permalink |記事への反応(0) | 05:15

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2025-08-04

anond:20250804143803

まだそういう化石みたいな業界人も残ってるのかしら?

昔はストレート上から目線をしていて、現在では「経済規模とか海外評価とかで負けてるかもしれないが、それでも伝統芸能蔑ろにするのは不当だ」みたいな拗れた上から目線をしてるという感

読売の夕刊で「函」という昭和中期から現代まで生きた大手出版社編集者主人公にした連載小説掲載されてるけど、そういう意識がちょくちょく漏れ出てる内容だな

小説の半分以上が出版業界戦後日本史に纏わる蘊蓄でできていて、残りが過去事物を事後孔明批判する場面で、その残滓人間ドラマをやってるという感じだ

Permalink |記事への反応(1) | 19:24

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2025-08-01

anond:20250801122145

どう考えても教育に良くないでしょ

BL教育のために読むものじゃないやろ。BLに限らず教育目的でない事物に対して教育に良くない、とか言い始めるのって端的に言ってアホの類だと思うんだが。

Permalink |記事への反応(0) | 12:24

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2025-07-17

anond:20250717071509

最初から女体なの以外どんな事象事物だって女体化はできる😤

…つか、女神ってそういうことじゃん😟

Permalink |記事への反応(0) | 07:18

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2025-07-14

anond:20250714080640

自説を解説して相手意見を論駁(ジジイ反知性主義のアホ社会で周りがバカばっか環境育てられてるから知識たるものが何かを理解できてねえんだよな。自分意見を出せるほど事物理解できてないということを理解するためのメタ認知が弱くて、よく分からんことでもベラベラ喋るんだよな。よく分かんないなら喋んないほういいよ。人の話を聞くだけにしな)




具体的な反論ができず罵詈雑言を垂れ流すことしかできなくなってて草

Permalink |記事への反応(0) | 08:09

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2025-07-02

anond:20250622150406

「寝取」という身体の部位があるわけでもない。NTRとは「ストーリーである

直接的に脳の鼻下を伸ばす分野を活性化させるような女性名称、あるいは男性名称だってある。それなのに「ストーリー」が性の性癖ランキング1位を取ることは珍しくない。

ここから言えるのは2つ。みんな結構脳みその外側使ってシコってる。余裕だね。もう一つは「人類本質的ストーリーテラーである」ということだ。

何をやってよくて、何をやっちゃいけないのか。あの道具はこう使って、その動物は近づいちゃだめ。そういった様々な事物を様々関連付けて物語として唄う。人類が昔からやってきたことだ。上の世代から聞かされて、下に一席ぶってやる。

今や日本には、水平リーベ僕の船(←意味破綻しているだろうが)くらいにしか残っていない。

そうだ、日本には「ナラティブ」が足りないと誰かも言っていた。もう散々聞いただろう、底から蘇る劣等感押し付けがましい悔恨、テカテカ黒光り男根

今歌いだせ、すべての寝取られよ。今宵の痴宴に差す満月の光よ。

Permalink |記事への反応(0) | 06:48

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2025-07-01

ソシャゲとかアニメとかの運営にワーワー言ってる大人って

社会の仕組みがロクに分かってないキッズニート感情に任せてワーワー言ってるならともかくとして、ソシャゲとかアニメとかの運営にワーワー言ってる大人って何の職種に勤めてる人なんだろう?

例えばすぐに完売してしまって復刻しないグッズがあるとして、

「あーなんか詳しい事情はよく分からないけど、色んな権利予算関係でフッ軽に再販とかできないとかそういうことなんだろうな……」とか

ソーシャルゲームガチャイベントスケジュールやローテーションが変な崩れ方をしたとして、

「よく分からないけど、多分この後にずらせない予定があって、こういう形ににならざるを得ないとかそういうことなのかな……」とか

誰の目に見ても明らかにヤバい事物であれば炎上してもしょうがないと思いつつ、ちょっとした不快についてグチグチ言ってる大人

しかも大体そういう人に限ってそこまで太客でもなくて。

他業種のビジネスについて何も分からないのはそうとしても、社会に出れば何の職種にしても、「なんかどうしようもない事情で仕方のないこと」みたいな場面には遭遇するもので、他の社会人もそうであるという想像が真っ先に来るものなんじゃないのかなと思うんだけど、そう言うのが全くない業界があるのだろうか?

Permalink |記事への反応(0) | 15:37

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2025-06-01

トランプを支持した知恵遅れさん、無事物価高を手に入れた模様

米で物価上昇の波再び 消費者は「どうにかして」、トランプ政権は失政犯せば挽回難しく ポトマック通信

https://news.yahoo.co.jp/articles/10e7988f61987ca7300ef764b3781deca37d149c

米小売り大手ウォルマート5月下旬から商品を値上げする方針を示した。

トランプ大統領の高関税政策に伴い、輸入品仕入れ値が上がるためだ。

同社が「アリの一穴」となり、小売業者に値上げが一気に広がるとの見方がある。

今までは既に仕入れた分を売る事でキチガイ関税による物価高を誤魔化してたけどもう時間切れみたいです

これがヤク中と虚言癖とそれを神のように崇めるキチガイ集団によるキチガイ政治の結果です

Permalink |記事への反応(0) | 10:27

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2025-05-22

anond:20250522000843

事物ルーツを探る

けっこう勉強になる

Permalink |記事への反応(0) | 00:15

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2025-05-04

ダン飯が「作品にメスを入れる」様に見えるのはRPG成立過程無頓着からでは

ダンジョン飯が「お約束世界観に対して上から目線でメスを入れ」るコンセプトだと聞いて意外だった。というのもあの作者がやってる事は当たり前の世界観構築の一つだと思っていたから。

 

ダンジョン飯みたいな「古典RPGお約束世界観に対して上から目線でメスを入れようとする作品」が前から嫌いだった

https://anond.hatelabo.jp/20250427090957

 

多分なんだが、元増田JRPG一貫でRPG黎明期かに興味がないのではないか

そういう約束事というのは最初からあったのではない。グラフィックがプアな黎明期製作者達が共同幻想を構築していったので出来たものなのだ

 

そもそもダンジョンって

ダンジョンそもそも城の地下に築かれる地下牢を指していた。中世近世ヨーロッパには教育刑概念はない。だから地下牢では拷問が行われたり単に囚人放置して餓死させたりしていたし、灯火も無く発狂必須だったりした。大きさはそんなに広くはない。

そこから怨念が染みついた恐ろしい場所というイメージが付いた。

更に城が放棄されて崩壊しても地下構造は残る。そこで「崩壊した古城の地下には財宝が残っているかも」という妄想が付きまとうようになった。

1970年代テーブルトークRPGTRPG)の代表D&Dダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ)ではこの妄想を膨らませ、「ダンジョンには巨大構造があって深くなうほど怪物が強くなって最奥にはドラゴンが財宝を守っている」という設定を作った。

ゲーム盤はただのマス目とサイコロだけであり、付属カードイラスト世界観想像してね、という仕様だ。

因みにドラゴン旧約聖書にも載っている「悪の手先」で、モンサンミッシェル寺院屋根の上でミカエルに踏んづけられていたりする。昔からだれもが知っている悪の手先ダンジョン妄想世界観を組み合わせたんだな。

 

黎明期にはこの手の「世界観設定」の途中で意味付与された事物が沢山ある。例えば

 

ガーゴイル

羽が生えた悪魔みたいな生物ガーゴイルだが、これは元々はキリスト教会の雨樋のことだ。

教会建築では建物が痛まないように屋根の雨を壁から離れたところに落とす為の雨樋を付ける。日本の雨落しみたいな方法だ。

この雨樋の水出口には動物怪物の顔から吐出するデザインが用いられていた。ごれがガーゴイルで、「うがいでガラガラ」みたいなオノマトペなのだガラガラうからガーゴ。

ローマ水道で吐出口がライオンの頭みたいなもんで、欧州伝統的な魔除けデザインだった。

これを黎明期RPGでは悪魔怪物として「生命」を持たせたのだな。

 

エルフ

エルフ伝説は各地によって異なり、悪戯好きの悪鬼の地域もある。これが今の耳が尖って痩身で聡明という風に固定されていった。

 

三大コンピュータRPG

特にRPG約束事の形成に影響を与えたのがウルティマUltimaバーズテイル The Bard's Tale、ウィザードリーWizardryの三つだ。

このうちバーズテイル日本だとややマイナーかもしれない。これは発売時期が他の二つより遅くてJRPGの発売時期と被ってしまった為だ。

でもこの作者はUltimawizを繋ぐ鎹みたいな人物だ。バーズテイル舞台スコットランド現存する遺跡から名を取ったスカエブレイという町なのだが、このスカラブレイという町はウルティマにも登場する。そこにはホークウィンドという重要人物が居るんだが、これがバーズテイル作者のロー・アダムスの成り替わりキャラ

一方、wizには人間離れした強さの忍者ホークウインドが登場する。これもロー・アダムス。

 

で、この三つの作者はD&Dが作ったファンタジーRPG世界を拡大して今の「約束事」が出来ていくわけだ。この時独立独歩じゃなくて三大タイトル作者三人が協働したのが大きい。一人のアイデアを他が模倣する事で世界観確立していくわけだから

 

からこの当時のプレイガイドなどを見ると、所謂攻略本などとはかなり違う。「この怪物はどういう生き物か」「この地形はどういうものなのか」という設定資料的な記述がとても厚い。

グラが貧弱な分、そういう所で世界観を膨らませる&作者たちの世界観を共有する事がプレイの楽しみという感じなのだ。それはだから単なるゲームではなくかなり文化香りを纏っていた。

 

笑える失敗も

これを翻訳した日本でもその世界観の紹介は重要コンテンツとなった。何しろRPGという約束事が無い所にコンテンツを持ってくるのだから

でもそのせいで恥ずかしい失敗もしている。代表例が、wizに出てくるかなり強い剣「blade cusinart」を「名匠カシナートの打った名刀」と紹介してしまたことだ。これの正しい訳は「クイジナートのフードプロセッサ」なんである

cusinartはアメリカキッチン用品メーカーであって、作者は悪ふざけで入れたアイテムだったのだが、翻訳チームはその辺のニュアンスを感じ取れなかった。今のフランス料理を「ヌーベルキュイジーヌ」って呼ぶこと、綴りを知ってたら間違えなかったのにな。

 

ウルティマの変質狂的世界構築

こんな風に三大タイトル世界観構築に勤しんでRPGというジャンル形成していったのだが、そのうちのウルティマRPG約束事を超えて風変りな変化を始める。

まず、モンスターを殺しまくってラスボスを倒し、財宝を手に入れ救世主として祭り上げられる、というRPG目標無視して、時に二律背反する命題を乗り越えて善行を積み、人格者として成就するというのがゲーム目標になる。

次に世界を救ったはずが他者文明破壊しており、他の種族の侵攻の原因を作ったのが主人公だった。その種族との調停和平を目指すというのがゲーム目標になる。

次にNPC生活するようになり、店員は夜になると家に歩いて帰り、食事をして寝る。だから夜に店に行ってもサービスを受けられない。

次に凡そすべてのアイテムが動かせるようになり、好きな所に置いておくことができる。移動した物はそのままそこに残り、位置セーブされる。ついでにそれらに生命を吹き込むと勝手に移動する。

これらはもうゲームの進行に何も関係が無い。だけど現実世界では物は動かせて外出から戻ってもそのままある。会社員は定時で退社して家に移動してご飯食べて寝る。だったら再現するのが当たり前だ、という考えである。 

そしてこういう現実で出来る事は出来るようにするという仮想世界構築の妄執ウルティマオンラインという世界初のMMOを産んだのだった。

 

最初MMOはいなりメバース

当初のウルティマオンラインの熱量というのは語り草で、ドワンゴ川上量生が時々熱っぽい文章を書いているのを見た事があるかも知れない。

これは単に初めてのネトゲと言うだけじゃなくて、RPGとしては異常なものであったからだ。

というのも、当初のUOにはクエストも無ければクリア目標もない。一切無い。ただ仮想世界があるだけ。

モンスター徘徊する世界を強くなれば安全冒険できるが、装備品鍛冶屋に作ってもらう必要がある。でも一人で沢山のスキルを持つ事はできないようになっている。だから協働必須なのだ

更に鍛冶屋は原料を仕入れ必要がある。原料→中間製品製品とする事で、疑似的な経済循環が成立する。オフラインゲームしかやった事無い人がこんな世界に放り込まれたら最初困惑するがやがてハマって「もう一つの世界から出て来れなくなる。

しかもなんの役に立たないアイテムが超大量に存在する。ゲームじゃなくて仮想の「世界であるならそれは当然だな。

RPG世界を構築する」の妄執を続けていったら到達した怪作と言っていいだろう。

 

ただ、プレイヤーの行動は作者の思惑とは違うところも多かったようだ。

最初は店のアイテムもそのまま移動できた。だがリアルでそれを持って行くのが悪徳なら仮想世界内でもそれを控えるだろう、と作者は考えたが、そうはならず結局は制限を付けるしかなかった。

 

JRPG

一方、ゲーム産業が隆盛した日本ではRPGはそれらとは違う進化を遂げることになった。やる事が細分化されて示され、それをクリアするのが目標となった。

また、「この〇〇というのは古代ケルト風習で」とか「ケルト風習なら△△では□□をするのがしきたりか」みたいな世界解釈をするという文化文脈が余り無い。すると余計な詮索は世界に半畳を入れるような無粋な真似、という事になる。

 

ポストモダンもっとロクでもないぞ

するとお約束世界観に対する解釈を行う行為ポストモダンの「脱構築」の如くと言うのは得心が行く。

でもポモが虚仮にされるのは、世界に対する自分ルサンチマンが見えるからだ。批判対象になるものをまるで理解も出来ないのに、「独自解釈」で切ればその対象支配者になった気分になる。彼らはその為にやっている。概ねその対象職業社会国際関係などの身体的に揉まれないと会得出来ないもの、基礎常識が大量に必要になる物が多い。

そのノリでサブカルチャーなどの作品ジャンルを斬れば斬られた方は棄損するしユーザー層は冷や水掛けられてシラケる。

だけどダン飯の場合は棄損して終わりではなくて、先に述べた黎明期世界観構築と相同の行為であるからポモなんてゴミとはかなり違うだろう。

そもそも年喰ったポモなんてネトウヨになってるのが相場だ。心性が右翼からじゃなくて社会コミット出来ない自分自我保護の為にやってるのだな。はてなにも居るな。彼らって言ったがはてなのは彼女らかな。

 

日本刀が強いわけ

ファンタジー日本刀が強すぎ、とか侍が特別扱いされ過ぎ、というのがよく話題にのぼるが、これもRPG関係してるのよ。

1960~70年代日本ブームがあった。このブーム主体アメリカ反体制ベビーブーマーで、要するにヒッピーの類縁なのだ

当時のアメリカ若者の一部は己らの西洋文明がイヤになっていた。物質主義で、商業主義で、民族自立に対して戦争弾圧していた。理想主義だったマルクス主義はとんでもない抑圧的体制しかなっていない。

そこで注目されたのが東洋哲学特に禅だった。特に日本の禅」に強く吸引されたのだ。当時の日本敗戦世界の表舞台から消え、工業が再興して居たが文化的には謎の国となっていた。ビートニクと呼ばれる小説家集団の影響もある。

端的にいうと、ヒッピー的には日本とは精神的で特別存在だった。

 

これが同時代サブカルチャーに影響を与えるようになる。例えばスターウォーズジェダイとは時代劇の「ジダイ」の事で、侍に類した強い精神性を武器としている。

からwizには他の地域戦士はいないのに最初から侍と忍者は登場する。ウルティマにも刀が登場する。

また、日本刀の制作は限られた刀匠以外には禁止された事もあり、その制作過程は過剰に伝統工芸的で精神的だ。これもヒッピー文脈にある人を魅了した。

故に1980年前半に勃興したコンピュータRPGに登場したのだ。だからムラマサはワードナでも真っ二つなのだ。彼ら制作陣はベビーブーマー後期からその下の世代である

 

因みにウルティマの作者の思想ガチヒッピーであるウルティマ6のオープニングに表れているので暇があったら見てみて。https://youtu.be/7nBWuV_E6Eg?si=WIOEs3PObTpBFADO&t=462

 

「正しい記述」への志向

魔法の残量をマジックポイントMPと書くゲームマナと書くゲームがあるだろう。

この「マナ」というのは文化人類学用語なのだ民族部族魔法や神力があると信じられている場合、その力をマナと言うのである。だからMPよりもより正しい用語に直したのだな。

こういうのも約束事の世界観にメスを入れて修正した跡だ。

 

ダン飯は黎明期価値観、行動則をなぞっている

からあのマンガがやってる事は物語にメスを入れて切り裂く行為ではなくて、黎明期に構築していった行為と相同であり、黎明期精神を共有していると見える。

というか、wizウルティマプレイガイドそっくりなのだ。作者がwizを後からプレイしたと知って驚いたくらいなのだ

 

因みに増田普段マンガを読まないのだが、ダン飯にはハマってしまい、その世界が終わるのがイヤで最終巻をまだ読んでいないのだ。我ながら病的である

 

ところでなんでもサービスイン当初のUOをやりたいと考える人は多く、その為のクラシックサーバが出来たようなのだ増田ちょっとやってみようかな。

Permalink |記事への反応(0) | 20:26

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2025-04-11

異常性癖矯正してほしい

人様にはとても言えないような事物しか興奮できない。絶対人間相手に許されていいことではないから、ファンタジー創作物欲望を処理している。

性犯罪ニュースを見るたびに、いつか自分がそちら側にいくのではないかと思って気が気じゃない。変な気を起こさないか不安で異性と付き合えない。結婚子育ても憧れはあるが自分には相応しくない。

外科手術でも、投薬でも、洗脳でも何でもいいから、この性癖矯正してほしい。それが無理ならまだ何もしていないうちに人様の迷惑にならない場所収容してほしい。

Permalink |記事への反応(1) | 21:50

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2025-04-10

anond:20250409143519

希死念慮なんて、元をたどれば「売れていないから」に尽きる。

なぜか?自分スキルが売れたら楽しくて、もっとのめり込む。

それだけの話だ。

売れもしない事物時間を投じ続けたからこうなる。

金を汚いものとして商売に向き合ってこなかった清貧気取りの末路がこれだ。

Permalink |記事への反応(2) | 03:17

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2025-04-09

「性加害」というのは、今のところ、哺乳類ホモサピエンスのメスが、特に嫌がる行為名前をつけたものであって

 

性欲からくる加害、だとか

特に異常な犯罪、だとか

 

そういう事物を指していない。

定義は違うが、現実として言語がさしている事物はそうである

 

定義に沿った運用をすべきである

女性男性からの、性欲からくる加害を、ちゃんと「性加害」と呼んで、同等の扱いをすべきだ。

例えば、キモいと感じる男にキモイと言う、のは性加害でありセクハラである

エロイ女にエロいと言うのと、動機部分で同等なので。

Permalink |記事への反応(0) | 16:11

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2025-04-07

anond:20250407171554

無駄」は金銭的・精神報酬など何かしらの期待値を求めた行為の結果を鑑みて分類された結果なのだ

これを念頭におくゾ

無駄」って人生を豊かにするものだよね。

しないゾ

人生を豊かにしてくれなかった事物経験無駄に分類されているんだゾ

例えば趣味って一円お金を生まないどころかお金がかかる一方だし時間だって浪費するけど、でもその趣味に没頭している時間幸せを感じられる訳でしょ。

楽しみを求めた趣味で期待通りの精神報酬を得られているなら無駄ではないゾ

金銭報酬パフォーマンスとするならば無駄だゾ

コスパタイパ言ってる人が結局無駄排除した代わりに何やってるの?って思う。それで何を得られているのだろうか。

コスパタイパを追い求める人はこれまでの人生経験見出し無駄になる可能性が高い事物行為排除しているだけ

彼らはきっと期待値に対する確度が高そうなコンテンツを消費しているだろう

ちなみに人生を真に豊かなものへと変えてくれるのは専門知識技能好奇心だゾ

健康増進以外に何も期待できない散歩でも

草花に建築物に車に自転車、何でもいいか知識があれば目に入るものを楽しめるようになるゾ

日常に楽しみを加えてくれるのは専門知識

好奇心の赴くまま学び試し人の役に立つがよい!!!

Permalink |記事への反応(0) | 17:49

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2025-03-25

哲学から離れたことが精神衛生的に良かった

わちきは高校生ときからメンタル不調で、いちばんやばかった時期は異常なほどの孤独感と焦燥感がつねに頭から離れず、微熱が2、3ヶ月ほどつづき、食欲はなく、寝ることも起きることつらくて、ただ存在してるだけでつらいみたいなかんじだった。もしかしたら鬱病とか自律神経失調症かいうやつだったのかもしれん。そんなメンタル不調のときにしてたいくつかの習慣について書いていく。

習慣1哲学する

「なぜ世界存在してるのか?」「宇宙がはじまる前にはなにがあったのか?」「意識とは何か?」とか考えてた。でもこういうことをじっくり考えると気分が悪くなる。たとえば「意識とは何か?」という疑問について考えるとする。てはじめに自分意識というものを観察してみる。自分の内側に注意を向けてみる。でもそこにはなにも見つからない。観察前は自分という「かたまり」がどこかにあるはずだと直感的に信じていたけど、観察後にはそのようなものはどこにも見当たらないことに気がつく。その事実を頭ではなく体で理解したとき、まるで真っ暗な真空空間になげごれたみたいな恐怖感をおぼえる。「自分とはなんなのか」「そもそもこの世界ってなんで存在してるんだ」みたいな「存在に対する疑問」がうまれてやがて死ぬ

習慣2心理学を学ぶ

人生がうまくいかない原因は自分パーソナリティにあるんじゃあないかとおもい心理学を学んでた。フロイトとかカール・ロジャースとか加藤諦三などの本を読んだ。心理学では無意識に抑圧されたトラウマ(幼少期の親との関係など)が現在起きているさまざまなトラブルの原因だと説明されることがよくある。わちきはトラウマを克服する方法をいくつか試した。すると一時的気持ちが軽くなることもあるが、たいていはすぐ元にもどった。

習慣3ネガティブエッセイを読む

エッセイを読んでた。たとえば又吉直樹エッセイ東京百景」を読んだことがある。暗い人間陰鬱とした日々みたいのが書かれてて、暗い人間であるわちきはとても共感し、ページをめくる手がとまらなかった。ところが読み終わったあとの気分はあまりいいものじゃあなかった。ネガティブエッセイを読んだあとというのは「やっぱり生きることはつらいことなんだ」という価値観がより強固になるだけで、「気持ちが晴れわたる」「将来に希望をいだく」みたいなことはおきない。そういえば又吉が「言葉事物を確定させる作用がある。書いたり話した言葉は、タトューのように体にきざまれる」と書いていたけれど、わちきもそう思う。ところで本に書かれている文章ってSNSブログに書かれている文章と違ってなんか普遍的かつ絶対的真実という印象をうけてしまうのだがなぜだろう。

習慣4 本を読む

哲学心理学エッセイのほかにもいろいろな本を読んだ。本のなかに共感する文章とか役立つ文章があり、それらを読むと勇気が湧いたり心の傷が癒やされたりした。本は人生をよりよくするものだと信じていた。家庭や仕事でつらいことがあると本を読んだ。本が精神安定剤のような役割をしてた。

習慣5日記を書く

「その日あった嫌なこと」「いまかかえている人生問題とその解決策」「幸せになるためにするべきこ」などを日記に書いていた。そうすることで明日以降にやるべきTodoリストをつくることができた。日記を書くことは、人生問題効率的解決するために役立つと信じていた。

ネガティブコンテンツから離れる

幸せになるにはどうすればいいか」ということを真剣に考えた結果、ネガティブコンテンツから離れることが必要不可欠だと考えるようになった。ネガティブコンテンツとは「触れたあとに気分が晴れないコンテンツ」のことであるネガティブコンテンツに該当するもの哲学とか心理学とか暗いエッセイなどだ。これらは共感するけども「生きるのつらいよね」で止まってしま希望が持てない。家にあったそれらの本はすべて捨てた。だが本当にお気に入りの本は捨てられず、視界に映らないクローゼットの中にしまいこんだ。くわえて日記を書くこともやめる事にした。日記を書くことで過去のつらい出来事を掘り起こして再体験したり、必要以上に将来について考えて不安を感じることになると考えたからだ。たしか日記はやらなければいけないことを洗い出せる。だがそれはやらなければいけないことが常に頭の片隅にあるということでもある。わちきはそれがストレスだった。

新しい趣味をはじめる

かくしてわちきはネガティブコンテンツから離れる事に。最初気持ちが落ち着かなかった。哲学することや本を読むことは、不安から意識をそらせて苦痛を低減させる効果があったのだろう。読書はある種の依存症だったのかもしれない。わちきは気分転換がてら新しい趣味をはじめることにした。まずコロコロコミック小学生ぶりに買って読んでみた。いまだにフルカラーのページを見るとワクワクする。あと恋愛系の漫画を読んでみた。「不思議の国のアリス」とか「推し甘噛み」とか。あとアニメをたくさん観た。「Aria」とか「スペース・ダンディ」とか。アニメはいつも「悲しいことがおきない物語」または「悲しいことがギャグとして消化される物語」を選んだ。悲しいことをみると気分が落ち込むので。あと3DSを買ってエクストルーパーズとかダンボール戦機をプレイした。小学生の時に遊びたかったけどしたお金がなくて買えなかったゲーム。まあこんなかんじの日々を数ヶ月すごした。んでさまざまな変化があらわれた。

変化1哲学をくだらないと感じるようになる

だんだん哲学について考えないようになった。そして哲学なんてどうでもいいと感じるようになった。いま哲学の本を読むと「あほくさ」という印象がある。言葉という虚構をつかったただの論理ゲームで、現実に地に足がついていないというか。ところで、「なぜ世界存在してるのか?」「宇宙がはじまる前にはなにがあったのか?」「意識とは何か?」みたいな疑問にたいする答えを仮に「真実」と呼ぶとすれば……真実がわかったところでわちきたちの生活はどのように変わるのだろうか。きっと何も変わらないんだろう。もしも科学技術がめちゃくちゃ発展して、これらの真実がわかったとしても、わちきたち人間生活になんの影響もおよぼさない。「朝にパンを食べる」「風呂に浸かる」などの動作にはなんの変化もおきなくて、わちきたちはただ生きるだけだ。わちきのなかで哲学的な疑問は解決された。それは真実わかったからではなく、真実をわかる必要性がなくなったからだ。そういえばカーネギーの本「道を開ける」に「人は人生をわかるために生まれてきたのではなく、生きるために生まれてきた」みたいなことが書いてあったが、わちきもそう思う。理屈でなく直感でそう思う。

変化2心理学懐疑的にみるようになる

心理学には意識無意識という概念があるけども、本当にそんなものはあるのか?心の中に意識という空間と、無意識という空間がある……みたいな認識をわちきはもっていたのだが、いまになるとそんなわけあるかと思う。あと現在問題の原因が過去トラウマだというのも疑っている。「数十年まえの出来事」と「いま感じていること」にそこまで強い因果関係が本当にあるのか?「意識無意識があって、トラウマを処理したないと……」っていう話は言葉のうえではきれいにまとまっているけど、現実は本当にそうなのだろうか?

変化3文章スタイルが変化した

わちきは論理的な文章が好きだった。たとえば主語副詞動詞の順番はいつも同じにするとか、ルールががっちりと決まっている数学のような文章が好きだった。でもそうやって書いた自分文章を読むと、「自分らしくない」という妙な違和感があった。自分文章に納得できなかった。そこで思い切って自由文章を書いてみることにした。小学生日記帳みたいに文法単語はぐちゃぐちゃでいいから、おもいついた言葉をなんの加工もせずにただ吐き出していく。最初はただそれだけの作業が難しかった。どうしても修正したくなった。でも次第になれた。そしてわちきの意思は「もっともっと自由に書く!」という方向に進んだ。読んだときにわかやすい文じゃなくて書くとき気持ちいい文を書きたい。わかりやさは大事だけど、言葉ってのは相手のためだけでなく自分のためのものでもあるんじゃあないか。この意識の変化は話すときにも影響をあたえた。これまでわちきは話すときにも書き言葉を使っていたけど、だんだんとその傾向はなくなった。結局、人はありのまま自分で生きるしかないのだなと。わちきは自分をすごい人だと相手におもってほしかった。実際以上の自分能力相手に植え付けようとしていた。でもそれは最悪の試みだった。この試みをして、仮に成功した場合、その高いイメージを保たなければならないプレッシャーに苛まれることになるし、失敗した場合、恥ずかしくて死にたくなる。つまり自分を賢く見せたい」という試みは、成功しても失敗しても、その先に楽しい未来は待っていない。

おわり

さっき「本当にお気に入りの本は捨てずにクローゼットしまった」と書いたけど、いまではそれらの本もすべて捨てることができた。もう魅力を感じなくなった。いまはメンタルがめちゃくちゃ回復してる。家庭や仕事で嫌なこともあるけど以前に比べたらめちゃうまくいってる。人生もっとも暗い時期から抜け出したと思ってる。それができた要因の一つにネガティブコンテンツから離れたことがあると思う。ネガティブコンテンツから離れるのは容易いことではない。ネガティブコンテンツにはDIOのような不思議な魅力がある。だがぜひ離れることに挑戦してみてほしい。アリーヴェデルチ

Permalink |記事への反応(0) | 11:47

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2025-03-24

anond:20250324134923

再現性」って、

作品現実事物を上手く再現できてるかどうか、みたいな意味ではないぞ。

Permalink |記事への反応(0) | 13:50

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2025-02-22

パロディかいう何のひねりもないただ知っている事物脊髄を刺激してるだけの内輪ネタになぜオタクがキャッキャッとウキウキで興奮し合っているのか分からない

Permalink |記事への反応(0) | 08:06

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2025-01-19

普通の街に旅行したい

規模は街じゃなくて町でもいいんだけどさ、どこかないかな。

年末無職になりしばらく時間ができたので、ちょっと今の街を離れてみたくなった。

あんまり外国人観光客がいなくて、ごく普通の知らない街で1~2週間くらい過ごしたい。

温泉なくていい。

観光名所特になくていい。

普通スーパー普通飲食店普通鉄道網もしくはバス網があるくらいでいい。

暮らしがあればなにかは見るもの絶対あるけど、そんな街ってそれこそ無数にあるからかえって検討がつかなくて。

札幌に生まれてこの方住んでるけど道内から出たの修学旅行青森秋田だけなんだよね。道内結構行ったけど。

五能線はいつか行ってみたいとか島根のあちこちを見て回りたいとかそういう興味はあるけど、いましたいのはそういう旅じゃないみたい。

なんかさ、普通の便利な暮らしを他の知らないとこでちょっとだけしたい。

どうせなら西日本の方がいいな程度の発想しか出てこない。

ここいいよ、みたいなおすすめあれば教えてほしい。


追記

なにげなく書いた増田今日見たら伸びてて驚いた。

コメント下さった方々ありがとうございます。いくつか追記

"札幌市って人口で言うと東京23区・横浜大阪名古屋の次だから札幌より便利であることが条件だとこのどれかしか無いぞ"

1行目にあるように、「札幌より便利であること」を条件とは全然していないです。

しろ規模感としては「市街地に人が全く歩いてないほどではない、札幌より小さめの地方都市」くらいですかね。

とにかく皆さん色々教えて下さって本当にありがとうございました

札幌は確かに人口でいえばそうなんだけど、鉄道網に限っていえばおそらくまだJRにも力があって私鉄もある九州近畿地方の県の方がはるかに発達していて便利にアクセスできてると思うので、一概に人口だけでいえない部分もあると思いました。

いまバス全然良くないので、札幌はというか北海道は。

旅行する分には基本日中動いていて遊んでいるだけで仕事時間が左右されるわけではないですから札幌のような都市部でなくまた地下鉄鉄道バス網がすべて揃っていなくても買い物の店、食べることと夜眠ることに不自由さえしなければ札幌より小規模の市街地でも問題はないかな…と思って書いた感じの増田でした。

なにより札幌より人が多いところには普通行きたくない……。

感覚的には、

オフシーズン観光地にしばらく滞在するの好き。普通暮らしなんだけど知らない人が住宅地をうろついていても怖がられないし、なんならおすすめ場所とか食べ物とか教えてくれる。今なら海が売りのところかな”

"札幌在住で"規模が大きくなくていいがそれなりに便利"というと小樽旭川くらいの街をイメージ奈良市生活圏に文化史跡)とか、高松市長崎市多島海の起点)が良さそうな気がする。温暖な気候生活体験もよさそう"

こんな感じで考えていたんですよね。ありがとうございます。人からおすすめされるとますます行ってみたいなと思います

小樽帯広に1週間ほど滞在したとき(それは仕事だったけど)は不便も感じずとてもよかったので、仕事でもなくそれを他でしてみたいなと。

でもワーケーション推進の街は確かにキッチンがついてるアパート的なとこを短期で借りるみたいな方が自由度が高いのかな。

海にあんまり縁のある生活をしてきてないので、海辺の街に行ってみたい。長崎いいですよね。憧れの事物がたくさんあります宮崎も気になる。瀬戸内海景色も憧れている。

そもそもこういう欲求は前からあって、なんとなく兵庫豊岡(冬の城崎温泉ってあんまり人がいないんだな、感じがいいなという映像を見てここいいなと思った)か、岡山津山四国予讃線に乗ることを目的として沿線のどこかの街に滞在するか、もしくは路面電車のある街のどこかというあたりで考えていたんだけど、

西日本各県の第二の都市に一ヶ月ぐらい住んでみるのはいいかもね。自分もやりたい。でもどこも車は要るだろうな。”

ということを考えて保留にしたりしていました。そもそもアクセスかいろいろ考えだすと難しいものだなと。

路面電車札幌にもあるけど、あの沿線の駅周辺を細かく見て回ろうと思うと市民でも1週間でも足りないくらいだなという体感があるから、その周辺に絞ればかなりアクセスよく便利に楽しめるんじゃないかと。これは街の規模にもよるとは思いますが。この点に関しては城下町もなるほどなでした。

テツというほどではないけど列車に乗って景色を見ることが好きなので、面白い鉄道がある街ならそれを目的にもできるし。

こういうことを考え出すと本当に長野もいいなあと思います豊中福津も気になる…本当に日本って広い。

ブコメトラバを参考に色々調べつつ計画を立てて、2月3月に決行できたらと思いますありがとうございました。

Permalink |記事への反応(8) | 01:03

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2025-01-10

anond:20250110191701

アスペか?Xの中にありそうな事物の中で興味があるものはねぇかなって探索する過程が元増だろ

Permalink |記事への反応(0) | 19:23

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2025-01-09

青空を見るのに金が要る時代

完全なコピーガードというもの不可能だ。

なぜなら、映像にせよ音楽にせよ、最終的には人間に知覚可能でなければ意味がないからだ。人間の眼や耳に入力される段階では、コンテンツデータは完全な形にデコードされていなければならない。そのレイヤーから情報を取り出せば、コピーすることも生成モデルの訓練データにすることもできる。

であるとすれば、究極的に著作物保護するためには、人間の脳に手を入れるしかない。鍵情報を埋め込んだ脳でしかデコードできない形でコンテンツ暗号化するのだ。

かくして、脳埋め込み型コピーガードは、2035年の段階で技術レベル実用化のめどが立ち、2040年代初頭には一般に普及し始めた。人体内で機能するナノマシンの開発、およびそれによる脳神経ネットワークへの複号化モジュール埋め込みに関して、主導的な役割を果たしたのが人間ではなくAI研究者であったことは、歴史皮肉というべきか。

2060年を迎えた現在一般的な人間五感には、ウォーターマークを加えられた映像ノイズに置き換えられた音声、黒塗りの物体がいくつか知覚されているのが普通であるサブスクリプションに入っていないコンテンツは金を払ってアンロックしない限りどんな方法でも視聴できないし、また個々人も他人に見られたくない情報には鍵をかけることができる。例えば、近年の住宅は、正規手続きで入室しない者に対して、家屋内を黒塗り表示する仕組みを備えていることが多い。これにより空き巣や覗き行為原理的に不可能となった。この機能は、体内にナノマシンを埋め込んでいない人物に対しても有効でなくてはならないため、暗号化パターン投影機など各種デバイスによって実現される、最新のテクノロジーである

著作物保護犯罪抑止の面で大きな進展をもたらした脳埋め込みデバイスであったが、その反面、資本主義精神と結びついて、「金を払わずに(権利を持たずに)事物を知覚するのは罪である」という倫理観を醸成していった。いわゆる「働かざる者認識するべからず」である

最近若い世代対象に行われた意識調査では、犯罪者など社会秩序を逸脱する者、また納税額の小さい貧困者や被生活保護者が、自然景観公共コンテンツ享受することに否定的感情を持つ割合が5割に届こうとしている。十代に限定すればこの割合は6割を超える。この結果を踏まえて、侵襲型知覚制御端末の法制化に関する検討も始まっているようだ。

有料コンテンツとその利用者保護すべく開発された技術だが、全国民が導入すべき義務になる日もそう遠くない。

青空を見るために金が要る時代はすぐそこまで迫っているのかも知れない。

Permalink |記事への反応(0) | 17:11

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anond:20250109125757

まあそう思うならそれでいいんじゃない

コンセンサスの取れた概念だけで作られた機械コンセンサスの取れない事物で溢れた世界を正しく分析できると思うのならそうなんだろう

科学史は200年前に万能論を捨てたから、10年前さぼってた大学の授業を今からでもしっかり学び直してくれ

君の同胞はみんな大学でしっかり勉強たから君を冷笑したんだよ、としかいうことができないが・・・

Permalink |記事への反応(1) | 13:06

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2025-01-02

理系池澤夏樹世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する②

【前】anond:20250102171528

1-07「ハワーズ・エンド」E・M・フォースター吉田健一訳★★★★

人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたししまいには、どこかの場所わたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする。

続く三冊は二〇二一年頃の別のエントリで一度褒めている(anond:20210301080105 とか)。

この本は場所への執着や記憶をもとに二つの家族の話を物語っている。一時期なぜか「インドへの道」や「眺めのいい部屋」、それから天使も踏むを恐れるところ」を立て続けに読んだのだが、今になって振り返ると、なぜそんなに良いと感じたのかが、記憶からすっかり抜け落ちている。土地や家に対する執着やそれにまつわる因縁がどぎつくはないがちゃん表現されていたからかもしれない。漱石っぽいと日記に書いていたのだが、では漱石っぽさとは何なのかがよくわかっておらず、逆に漱石英文学っぽいのかもしれない(関係ないけど、夏目漱石を久し振りに読もうと思ってパラパラとめくっていたら、当時の知識人のひけらかしが今の大学生っぽくてなんだか恥ずかしくなってきた。あと、漱石長編って貨幣経済というか金の話ばっかりだけど、その萌芽って「坊ちゃん」で山嵐と金を受け取るか受け取らないかで意地の張り合いをしているところにある気がする)。

このエントリにしたって、自分過去の好みや性癖について書いてはいものの、ではなぜそんなに当時は好きだったのかが、いま一つ理解できなくなっていて、過去日記を読み返しても想起できないことが多々ある。もっときちんと日記感想文を記しておけばよかったかしかし、ある時期はまるで依存するかのように活字に触れていた。落ち着いて感想を書きとめる間もなく、浴びるように濫読していた。現実から目を背けるかのように書物に埋没していた。フィクションだったら何でもよかったのだろうか。そう思うと少し悲しいが、その濫読が今の感受性を作っているのかもしれない。

1-08「アフリカの日々/やし酒飲み」イサク・ディネセン横山貞子訳/エイモス・チュツオーラ土屋哲訳★★★★★/★★★★

イサク・ディネセン「アフリカの日々」は最高だった。とかく植民地としてのアフリカ収奪貧困という文脈から語られやすく、確かにそうなのだけれど、でも場所によってはコンゴ自由国ほど滅茶苦茶ではなかったし、では具体的にはどんな感じだったのかをこの本は見せてくれる。中にはこの著者のように、当時の人種的偏見という制約はあるにせよ、相手文化を知ろう、誠実であろうとしている人もいたのだろう。「ライ麦畑」でホールデン少年が褒めていたのもうなずける。

からと言って歴史正当化できるわけではないのだが、感情だけで歴史議論をしてはいけないし、知識がないのに印象だけで語るのはきっと同じくらい罪深い。当時生きてきた人たちの存在無視するわけだからね。黒人白人って軸も実はけっこう解像度が荒く、事物単純化を含んでおり、特定の側面はアメリカ合衆国特有だ。この著者はデンマーク人で直接の宗主国人間ではないし、アフリカにはインド系など様々な人々が暮らしている。

エイモス・チュツオーラ「やし酒飲み」は神話なのでツッコミ不要だしツッコミ不在だ。

世界神話を読んでいると、なぜか人類創造前なのにその辺におじいさんとおばあさんが住むんでいたりするし、天地開闢以前なのに山や川があるし、神様人間の違いがいい加減だったり、普通に変身能力があったりするし、この小説にも日本神話にもそうした側面がある。とはいえ神話ゴリゴリしたロジックを求めてもしょうがないのであり、「こうして今ある通りの世界社会が成り立っているのです」と語ることに意味があるのだろう。なお、アフリカ文学と聞くと個人的アチェベが最初に出てくるんだが、それとは別に祖父本棚から貰って来たアレックスヘイリールーツ」はまだ積んである

1-09「アブサロム、アブサロム!ウィリアム・フォークナー篠田一士訳★★★★★

これは別の友人が薦めてくれた本。彼は「おっさんになると文学が読めなくなり、生物学歴史の本ばかり読むようになる」と言っていたが、本当にそう思う。和訳で二十巻くらいある「ファーブル昆虫記」とか数年前に読んだし。なお、熱量ヤバいのでこれ以外のフォークナーの本は読めていない。

語り手が複数おり、時系列バラバラなので(クンデラも星を五つ付けてた。自覚してなかったけど、僕ってこういう時系列シャッフルが好きなのかね?)、一見とっつきにくいのだが、情報を整理しながら読んでいくうちに、これはサトペンという男の一代記であるとわかる。肉体を鍛えてひたすらタフになり、若いころの屈辱に対して復讐するかのように、妄念によって偉大なる一族の祖になろうとした男だ。ひがみ、妬み、怒り、そうした感情を持った物語に僕はついつい引き込まれしまう。最初の妻に黒人の血が混じっていたと言って離縁し、別の妻と結婚した結果、それぞれの家系に不幸な子孫が生まれ続けていき、とうとう滅んでしまうのだが、それはサトペン貧困ゆえに受けた一つの屈辱からまれたのだと思うと、まったく救いがない。しかし、この熱量に負けて読んでしまった。

ただタフになりたいと言っている人間は、どこかで涙を流さないとマシーンになってしまう。村上春樹海辺のカフカ」を読むとわかる。

ところで、フォークナー日本を訪れて「私も敗戦国人間です」と言ったそうだ。胸を張って祖国を自慢するのにためらうような、この南部アイデンティティのことを、BLM運動燃え盛っている時に、思い出していた。

世代にわたる大河小説と言えば、最近学生時代から積んでいた北杜夫「楡家の人びと」を読み終えた。今になって読むと、これは経済的には恵まれているが機能不全を起こした家庭が崩壊していく話で、北杜夫尊敬していたトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人びと」とはまた別の嫌な没落ものだった。どちらも、最後世代の一番情けのない甘えん坊で覇気のないやつに自分を重ねて読んだのである

全くの余談ではあるが、どうも自分は影響を受けやすいらしく、明治から昭和舞台にした小説を読むと、いつの間にか米国憎しみたいな気持ちがうっすらと育っていくので、無意識に影響を与える点ではSNSの悪意を持ったアルゴリズムは同じくらい怖い。

1-10アデンアラビア/名誉戦場ポール・ニザン小野正嗣訳/ジャン・ルオー 北代美和子訳★★/★★

実はどちらも内容をほとんど覚えていない。

とはいえポール・ニザンアデンアラビアのように若い人間が、抽象的な何かを抱えて異国をさまよう話というのはそれだけでいいものだ。そこからしか得られない心の栄養がある。自分が何者になるかがまだわからない頃にしか書けない/読めないものがある。池澤夏樹のこの全集にもそういう話がいくつか納められている。

ジャン・ルオー名誉戦場過去大戦の傷跡がうっすらと書き込まれているらしいのだが、当時の僕にはまだ読み取れなかった。おじいちゃんヌーディストビーチのぞき散歩しに行ったエピソードしか覚えていない。

手に取った小説がとても長かったり、プロットが入り組んでいたり、暗喩がわかりづらかったりと、読むのに訓練がいるものだったりして、結局理解しきれないことがあるけれども、そうした文学を読む力(あらすじや登場人物やその関係性を記憶する力)を養うには、結局そういう本を気合で読み進めなければいけなんじゃないか文学案内や文学の読み解き方を勉強せず、裸一貫でドン・キホーテよろしく風車突撃していった僕なんかは、そう思うのである

1-11「鉄の時代J・M・クッツェー くぼたのぞみ訳★★

アパルトヘイト真っ盛りの南アフリカで、一人暮らしのおばあちゃんが(調べたらがん患者だった。記憶からすっかり抜け落ちていた)、黒人スラム街に紛れ込み、こうなったのは誰のせいだ、お前らのせいじゃないかイエスかノーかで答えろ、みたいに言われる話だ。大体クッツェーはこういう政治的な話が多い。

二分法はそもそもきじゃない。もともと自分は口下手で、話をしっかり聞いてもらいたい方であり、こちらの話を聞かずに一方的に話をされるのが嫌いだ(その場でうまく言い返せないからこうして延々と文章を書き綴っている癖がついてしまっている。とにかく僕は延々と気が済むまで言い訳を聞いてほしいし同情してほしい)。

正義である我々に味方しなければ、お前は悪に加担したことになる。似たようなことを米国SF大会で述べた人がいたね。個人的には、社会正義理屈としては正しいと思うけれども、好きか嫌いかと言われれば嫌いだ。この二つは全く異なる軸だ。お前は明日死ぬかもしれないというのは論理的には正しいが好きではない、というのにちょっとだけ似ている。まったく別の評価軸で、両者は重ならない。

うっすらした類似でいえば戦争責任にも似ている。「なぜ生まれる前のことに取りようがない責任を取らねばいかんのか?」ということでもある。あるいは、メンタルが弱っているのに、「あなた人生あなたしか責任が取れない」と言われ、ますますしんどくなるのにも似ている。どちらも「責任」が絡んでくる。誠意ってなんだろうね?

やっと納得できたのは、アイヌ民族議員である萱野茂がある本で書いていた「こうなったのはあなたのせいではないが、この状況をただす力をあなたは持っている」という趣旨言葉で、これは「責任」を「重荷」や「義務」や「罰」ではなく、「現状を少しでも良くするためのパワー」という肯定的言葉で語りなおしている。責任という言葉は、人によって使い方に若干のずれがあり、だから違和感があったのかもしれない。

とはいえ、そこまで考えている人は少なく、九割の人は自分立場の都合しか主張しないし(ただし、そのパワーバランス民主主義機能している可能性はある)、それどころか自分とは違う属性を平気で差別している例も多々ある。被差別民女性を、女性障害者を、障害者外国人を、自己正当化する理屈と共に平気で見くだし、差別する例をすべて見て来たし、アラフォーになってしまった今でも、サリンジャーライ麦畑で捕まえて/キャッチャー・イン・ザ・ライ」のホールデン少年みたいに、多くの活動家安易SNSで「いいね」を押す人々を「あいつらはインチキだ!」と独善的糾弾してやりたい思いは消えない。他人言葉は信じられない。納得できるまで自分で考えるしかない。とはいえ、あらゆる憎悪も究極的には自分や身内が安全でいたいという素朴な願いから来ているので、相手批判しても全然解決しないんだろうな。

1-12アルトゥーロの島/モンテ・フェルモの丘の家 」エルサ・モラン中山エツコ訳/ナタリア・ギンズブルグ須賀敦子訳★★★/★★★★★

この作品も一度褒めた。

エルサ・モランテ「アルトゥーロの島」は息子を放置して放浪を続ける主人公の父が、同じくらいの年頃の義母を連れて帰ってくるんだけど、主人公がその義母に対して屈折した気持ちを持ち続ける話だった。確か恋愛感情にはならなかった気がする。完全にネグレクトだし、主人公愛情というか思慕は義母ではなく実の父に向かっている。この父親のように感情表現できない、義務だけで動く男性キャラにひかれていた時期があったのだけれども(1/12追記:この父親義務で動いているわけじゃなくて、一般的義務で動くキャラって意味感情表現しないという部分だけが共通)、それは何でだったかはよくわからない。当時の自分がやらねばならないことで動いていたからかもしれないが、その結果として案の定心身の調子を崩した。父に対する巨大感情という意味ではエヴァンゲリオンじゃんという気もしないではない。あれにも同い年の「母」が出てくるし。シン・エヴァンゲリオンではちゃん父親内面が出てきたけど、この作品では記憶にある限りでは出てこない(何となくだが庵野秀明といい村上春樹といい、多くのクリエイターは親が世を去る頃になってやっと親を直接扱うようになる気がする)。

閑話休題、大体、やらなければならない義務を果たすのだけが行動原理になると、晩年に「この人生は一体何だったんだ」とカズオ・イシグロ日の名残り」のように嘆くことになる。カズオ・イシグロは長篇を全部読んで、「この作家別にそこまで好きじゃないな」って気づいたんだが、「日の名残り」は別格だ。

ナタリア・ギンズブルグ「モンテ・フェルモの丘の家」書簡体小説で、親しい友人のSNSでいうクラスタというか、友人の輪とその周辺のやり取りをずっと追い続けていて、近づいたり離れたりという感じが、人生のある側面を忠実に表現しているみたいで好きだった。ちょうど周囲で結婚ラッシュが起きたり、ちょっとした行き違いで不仲になる友人を見て来たころだったと記憶している。この人の作品は良くて、ずっと不機嫌なお父さんが出てくる「ある家族の会話」など何作か読んだ。

あと、須賀敦子いいよね。誠実な翻訳をする人の書く文章は、そもそも美しい。

続く。

Permalink |記事への反応(1) | 17:26

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