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2025-10-04

AIが来て。

私は今年から仕事が激減した。

駆け出しのクリエイター職だった。

なかなか表では仕事が減りましたとは言えないけれど、同じような人が沢山いるだろう。

ある程度の地位にいる人達はまだ大丈夫かもしれない。でも、自分は駆け出しだったのでそこには行けなかった。

仕事も徐々に増え、収入も増え、これから…!というタイミングだった。AI来た年はそこまで変化はなかった。そこからしづつ減りはじめ、

ついに今年。丁度みんながもうChatGPTやらAIを使い始めて、慣れたころ。今年。

新規案件が無くなった。

昔は特に夢もなく、何となく生きてきた中で。

事故九死に一生を得て夢や目標を見つけ、邁進してきた。

初めてだった。今まで言われるがまま生きてきた人生だった中で、自分がやりたいと自分意思で初めて頑張れた事だった。

だけどAIがきて、全ての夢が泡になった。

AI来てからの数年、なんとかAIと上手く付き合えないか試行錯誤してきた。

でも使えば使うほど、AIいいんじゃないかという考えが過ぎった。

AIで作ったもの自分作品だと思えればどれだけ良かったか

何度作れどそれはAIしかなく、自分の手で作った作品に対しての感情のそれとは相いれなかった。

使えば使うほど、楽しさよりも罪悪感や虚しさも増えた。自分存在否定されているような気さえした。

ここを割り切れたら、どんなに楽か。

慣れの問題なのか?分からない。

AI自身使っていて正直に言うと楽しいと思う部分もあるにはある。簡単理想の絵や音楽が作れる。動画3Dもそれなりに作れるし、アプリ開発もできる。こんなものが作りたいを実現しやす環境だと思う。

でも、それと同時にAIを使って工夫したとて、それはすぐにかすめ取られてしまうだろうということが容易に想像できる。

何かを作っても、すぐに取られてしまう。

自分という作品が育って、ブランド確立する前に粗製濫造されて見つけにくくなってしまう。

ただでさえ情報の溢れる時代に、自分作品を作ったとして見てもらえる確率は低かった。

その中でAIが来た。もっと難しくなる。

これから私はどう生きるべきか。

絵は趣味でも描くことはあるだろう。

ある意味人生ここに来て初めて大きな自分事としての挫折を味わってる。

このまま手作りにこだわるのか、AI活用した方に進むか。私はもう、分からない。

Permalink |記事への反応(1) | 22:55

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2025-09-04

近江一郎氏についての記述

1931年植民』より、「帆船南洋慰問の旅」という記事

五十噸の補助機関つき帆船海峡植民地から東インド約二ヶ年の予定で一周しようといふ企てがある――計画者は神戸市元町三丁目近江一郎氏でボルネオインドに久しく滞留、仏教研究して最近帰朝した岡本春岳師ほか二名の同志の力を得、海外在留民を慰問し、病没者の展墓弔霊燈台守の慰問をなし、併せてわづか五十噸の小舟で南洋を一周すること自体によって海事思想の普及に資し、寄港地では新聞以外に故国事情を知りたいと希望している人々のためには最近東京風景や観艦式などの活動写真を見せるとともに故国の発展ぶりや近情を講演し、商品見本やカタログなどを配って行き、簡単商品見本市を開き希望者には連絡の労もとり、各地にある日本人会の連絡をつけようといふのである。首唱者近江氏の厳父は日露戦役直後東京朝日新聞者がチャーターして満鮮巡遊団を企てた時のロセッタ丸の船長で、今年はその七周忌に当るので、亡父への供養の一端であると大した意気込みで、目下拓務省に補助の支出交渉であるが、それが纏まり次第四五月ごろには壮途につきたいと、近江氏は語る。

『明中教育十年』より、「明石中學校十年史」の1932年2月1日の項。

南洋調査団(鎖国丸)長拓務省嘱託近江一郎氏一行十名ノ為ニ市公会堂ニテ送別会開催ニツキ山内校長出席

直木由太郎編『家信 みとせのはるあき 上』より、1932年の「五月十六日神戸より」。

近江一郎氏の鎮国丸は最近琉球沖で難破し、船員一名死にました。詳細不明

1934年宗教文化誌 法華』より、音馬実蔵「看雲雑記」。

主義者近江一郎君はまだ知らぬ人だが、其著「小舟を住家に南洋へ」は近来非常におもしろく感ふかく読んだ書物の一であるので一筆書いておく。

第一此書は君が鎮国丸という小船に乗じて南洋に向ふ途中、琉球近くの与論島に於て、船が暗礁に乗り上げ大破、九死に一生を得たこの死線突破体験を本として、其遭難顛末と共に南洋開拓に就て、かねて諸方面に就き自ら準備のために取調べた生きた心得の数々を教へ示さんとするもので、世に机上の空論は多くてもこの書の如く命をかけて出来た書物まこと稀有と云ふべきで、この点に心ひかれるものがあるのである

『楚人冠全集』より、1937年杉村楚人冠バルサ」という記事

逓信省船舶試験場で、近頃絶対に沈まない救命艇とかを作った。(中略)沈まない船といふのは、バルサを用材にして作ったとの事だから、何も今に始まった新案でも何でもない、現に私の友人がこれで救命艇を作って、特許を願ひ出た次第は、一昨年の十一月の「グラフ」に私が書いている。彼は特許が許されないので、気前よくその船を私に呉れて行ったので、私はこれを手賀沼に浮べて、時々漕いで出るのを楽しんで居る次第も、その時に書いた。この贈主の名を近江一郎といふ。朝日新聞社明治三十九年の夏満韓巡遊の船を仕立てて、日本で初めて新聞主催団体旅行を企てた時、その乗艦ロセッタ丸の船長だった林橘治君が、即ちこの近江君の実父であった。

1959年『新民』より、寺岡謹平「祖国の礎特攻観音縁起について」という記事

昭和二十一から神戸の人近江一郎という老人がおりまして、南洋貿易をしておったのでありますが、戦争たけなわになりますと、日本航空隊では油がだんだんなくなる。潤滑油をなんとかして作ろうということで満州にわたって白樺から潤滑油を作る研究に目鼻がついた、ということを軍令部に進言致しました。そのときには戦争が終ってしまったので、戦争に敗けたのはわれわれ国民の協力が足りないため、ということを考えまして、なんとかして戦死した御霊をなぐさめたいということで、まず特攻隊の遺族を弔問しよう。御霊に参拝しようという念願を立て、二十一年二月から、全国、北は北海道、南は九州のはてから、ずっと単独で廻って歩いた。

(中略)

はじめのうちは簑笠にカーキ色の服を着た坊さんが現れると、これは押売りか物貰いだろうと思って、虐待された。いろいろ考えた末、各県の世話課に頼んで遺族の住所を調べ、予め紹介してもらって参りました。そこで今度は順序よく運んだ。行くと、先ず以て仏様の前にいってお経を読んで焼香をする。そして般若心経を半紙に書いたものを一枚奉納する。

これは神戸の友人で美田禾山翁という書家がおりまして、その人の仏心で般若心経を沢山書いてもらった。海軍特攻隊の遺族は、二五二五名おりますから、美田先生も老齢ではあるし、耐えられなくなった。そこで誰かに書いてくれということで、私も何百枚か依頼されましたが、電報で何枚どこそこに送れと、こういうふうにくる。

(中略)

そういうものお土産にもって廻って、六年間というもの休みなく廻りました。とうとうしまいには病気になりまして、二十七年一月二十一日に亡くなられた。その間に約一、九〇〇名の遺族を弔問しております。残ったのは東京東海北陸の一部で、東京都を最後に残したのは、終ったところでお上特攻隊の遺族の状況を奏上する、というのが狙いでございました。

吉川英治対話集』より、1959年の対談での吉川英治発言

近江一郎という無名の人がいるのです。軍に徴集されて、なにかのことで満州塾長をしたのです。開拓民の塾長じゃないかと思うのですが、終戦になってこっちに帰ってきて、さる人の紹介で、私が吉野村に疎開していたときに、杖をついて帰還者の服を着たままでやってきましたよ。そのころ、もう年齢は六十近かったでしょうか。

「いったい君はなにして歩いているんだ?」

「私は帰ってきて、たくさんの死んだ兵隊たちの家を一軒一軒歩いて、そうしてそこに年寄がいたら、年寄を慰め、仏壇があったらお線香の一本ずつもあげさせていただくのを生涯の念願にしている」「収入というものはどうしているんだ?」「収入はありません」「じゃ、どうして食べている?」「子どもが一人あって、女房神戸区役所人夫をしている」女人夫ですね。「子ども小学校に行っている。お父さんは好きなことをしていいと言うから、私はそれをやる」それから復員局で住所を調べましてね、全国を歩いていました。ほんとうに驚くべきものですよ。あるときその男と話をしまして、こういうふうに戦死者の家を歩いていると、ずいぶんひどいことを言われることがあるでしょうといったら、はじめてその男が炉辺でボロボロ涙を流しまして、このごろは復員局で言ってもらえるのでわかってきたけれども、いちばん最初九州、あのへんの山間を歩くんですね。なにしにきたとどなられる、弟を死なせたという兄貴がヤケ酒を飲んでいるところにぶつかって、「戦死したものの供養にきたと、それで死んだものが生きてかえるか」と上りかかったところを蹴落とされた。そんな目にも会いました。そういうふうにけとばされたり、つばをされたり、なぐられたりするたびに、「これは陛下の罪滅しになると思って私はしのんできました」というのです。

『あすへの話題』より、1965年中村文夫のコラム

近江一郎というのは私の中学時代のなつかしい同級の剣友であるが、五年の時、神戸一中を去って大阪天王寺中学に転校し、偶然にも、草鹿さん(註:草鹿龍之介)と同級となり、いずれ劣らぬ剣友同士の間柄だったのである

近江君と私は一年の時からの同級で、しかふたりは一時、剣道部の両雄として互いにしのぎを削った間柄で剣友として忘れられない一人だが、まことに気骨のたくましい一風変わった偉丈夫であった。それかあらぬか、一時は満州国に行って馬賊になったとまでうわさされたのであったが、敗戦となるや、彼は決然起って、あの戦争末期の花形として雄々しく散っていった海軍特攻隊の遺族を尋ねて全国行脚の壮挙を思い立ったのである

しかし何分にも当時世をあげて戦後の虚脱状態にあり、特別関係者以外はだれ一人としてこれを支援しようとする者はなかったが、彼は毅然として、すげがさ、負いずる姿のいでたちで、全く乞食坊主そのままの行脚を続け、全国にわたる戦没英霊実家を歴訪してその冥福と遺族の慰問精魂を打ち込んだのであった。

戦後の軍当局と連絡をとったものらしく、一地区ごとに行脚を終わると必ず大阪に私をたずねて来訪し、つぶさにその難行苦行の実情を物語ってその感想録と写真を見せてくれたものだが、ほんとうに涙なくしては聞くことも読むこともできなかった。当時在阪の草鹿さんともいっしょに、時々は三人で食事を共にして、近江君の労をねぎらい、かつ旅情を慰めたものであった。

1974年川西実三の『感銘録』より。

私の中学校の後輩で近江一郎という男がいて、父親船長だった関係もあり、南方の島の資源開発を思いたった。ここが素人の私にはわからないことだが、それには沈まない船をつくらなければならないというので、あちこち設計を頼んだり資金相談にきたりした。

この話を川西さん(註:川西清兵衛)が聞いて、近江君を助けてやろうということになったらしい。そして近江君の希望どおり不沈船が竣工して南方へ出発したと聞いた。ところが、どうしたわけか帰りがけに台湾沖で沈んでしまったという。なんともロマンチックな話だ。


近江一郎の著書に『小舟を住家に南洋へ』『斜に視たる神戸一中』がある。『小舟を住家に南洋へ』は読めなかったが、大まかな内容は上記説明されている。『斜に視たる神戸一中』は、第一神戸中学校のおそらく1935〜1939年頃の同窓会報に掲載されたコラムを集めたものである。内容としては、神戸一中の卒業生がこんなにすごいことをやった、こういう面白いことをやった、といったもので、上記の「中村文夫(日本板硝子社長)」や「川西実三(埼玉長崎京都東京知事歴任)」なども登場する。笑いあり涙ありの平和ものだが、支那事変日中戦争)が始まったことや、誰それが戦死したというようなことが書かれていたりもする。近江一郎自身のことはあまり触れられていないが、母親名前が「朝子」ということ、娘がいて神戸野田高等女学校入学させたこと、第一次大戦の青島の戦いに従軍していたこと、などが書かれている。

Permalink |記事への反応(0) | 00:38

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2025-08-23

anond:20250823053617

「クビ」処分の凍結処置なら九死に一生を得たってことで良い事なのでは?🤔

Permalink |記事への反応(0) | 06:30

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2025-06-16

anond:20250615142003

ハトは水面から飛び立つことができないので

足の着かない深さの水にうっかり入ると最終的に溺れ死ぬ

その鳩はまさにそんな状態から脱出して

九死に一生を得たところかもしれない

Permalink |記事への反応(0) | 13:52

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2025-04-12

子供の頃は「九死に一生を得る」って表現がなんで9?って不思議だったことを思い出した

今考えれば9/10で死が入ってるガチャで1/10の生をひけたってことと分かる

Permalink |記事への反応(0) | 09:38

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2025-03-21

九死に一生終える

グエー死んだンゴ

Permalink |記事への反応(0) | 17:02

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2025-02-04

anond:20250204193503

キングダム不倫してキングダム破局して会社経営者結婚したやで

しかしたらキングダムが死んでたかもしれんな

九死に一生を得てるやで

Permalink |記事への反応(0) | 19:39

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2025-01-31

配偶者 https://anond.hatelabo.jp/20250130230250 

配偶者

15年目。 もうホント、キツい。結婚から怪しいとは思ってたけど、蓋を開けてみたら本気のメンヘラ職場ブッチ3回、その後の尻拭い(職場への謝罪傷病手当手続)は私。 その都度、収入は下がり、いまは最低賃金パート。 また、いつ爆発しても不思議じゃないし、怖いか収入のアテにはできないよね。 こっちの思惑を知ってか知らずか、家には一銭も入れない。配偶者携帯代すら私が払ってる。 去年の夏なんて、電気代が高くて大変だったけど、映画の特典が云々、って同じ映画5回も観に行ってたわ。楽しそうで良かった。自由に使えるお金があって羨ましい。 そうこうしてたら大病患って。生死に関わるような。 どうなることかと思ったけど、なんとか九死に一生、って感じで無事に退院。 本当に助かって良かった、と心から、思った。 今も、思っている。入院期間は酷く長くはならなかったけど、その間、お見舞いやら何やらで 私も

Permalink |記事への反応(0) | 11:10

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2024-10-08

anond:20241008190957

🐊「九死に一生を得たところこいつに救われたよ👈」

🦅「🪽」

Permalink |記事への反応(0) | 19:17

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anond:20241008075436

🐊「九死に一生を得たところこいつに救われたよ👈」

🦅「🪽」

Permalink |記事への反応(0) | 07:56

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2024-10-06

anond:20241006195535

🐊「九死に一生を得たところこいつに救われたよ👈」

🦅「🪽」

Permalink |記事への反応(0) | 19:56

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2024-10-05

anond:20241005190901

🐊「九死に一生を得たところこいつに救われたよ👈」

🦅「🪽」

Permalink |記事への反応(0) | 19:09

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2024-10-04

anond:20241004191808

🐊「九死に一生を得たところこいつに救われたよ👈」

🦅「🪽」

Permalink |記事への反応(0) | 19:20

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anond:20241004124246

🐊「九死に一生を得たところこいつに救われたよ👈」

🦅「🪽」

Permalink |記事への反応(0) | 12:47

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2024-08-17

推し活って虚無なのでは?

昨年九死に一生を得る体験したんだけど、

その時思ったのは、

自分が死んだらそれまで買い集めていたオタクグッズって恐らく全部身内に処分されてしまうんだよな」

ってことで

自分兄弟なんかはもっとすごい推し活してるけど

元値一体何万で売られていたグッズなんて誰も価値なんて知らないしどうでもいいと思う

でも死んだあとのことなんてみんな考えてないんだろうな

自分が何も残せない存在って、自分人生ってなんだったんだろうなって、「貴方は準危篤です」と言われた時に結構深く落ち込んでしまったんだけど、

みんなはなんとも思わんのかな

逆に何も残さなくてよかったとか思うのかな

Permalink |記事への反応(2) | 03:45

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2023-11-26

今日3階から落ちたけど無傷だった

奇跡ってあるんだな。

3階の腰窓を跨って掃除してたのよ。

横長の窓で手が届かなくてよく伸ばして拭いてたらバランス崩して本当にスルって落ちた。

外壁に沿ってクルって一回転して、そのまま外壁を身体スライドして両足からドンと着地した。

たぶん尻から落ちて背中打ってたら背骨折ってたし、頭から行ってたら死んでたと思う。

どちらにしろ死んだ可能性はかなり高かった。

外壁に擦った腕と足に少し擦り傷が出来たくらいで何故か平気。

九死に一生を得たとはまさにこれ。

腰窓、マジで危ないわ。

もう2度と掃除しない。

Permalink |記事への反応(5) | 21:06

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2023-10-20

anond:20231020131042

真面目に答えてくれてありがとう

それを踏まえて考えると、私はあまり人と関わる事なく今までやってこれたのでピンと来ないという事が分かった。

かに九死に一生を得るような体験とかこの人が居なかったら自分は終わってたとかそういう体験があれば人に感謝するのかも。

Permalink |記事への反応(0) | 15:04

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2023-07-01

酒飲んだ後のうんこってやたら臭い

自分うんこのにおいでゲロ吐くかと思った

俺はトイレのドアを開け放ち 九死に一生を得ることができたが

実家だったらドアを開けることも叶わず死んでいたかもしれない

なんかもう化学物質みたいなにおいすんだよね なにあれ 産業廃棄物

そして戻ったリビング臭いの嫌なので窓を全開にしてエアコンを回している

Permalink |記事への反応(1) | 17:33

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2022-09-12

会議中にウンコを漏らしたけどオムツをしてたので九死に一生

得てない

え?ウンコくさくね?なんで?

って会議室がざわざわしだして、結局ダメだった

 

スーツは守られたが尊厳は守られなかった

いや、スーツだけは守られただけよしとすべきか

Permalink |記事への反応(1) | 09:56

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2022-07-07

生きるだけで精一杯だった状態からサバイブして生き延びて30代に入ったんだけど

30代まで順調に生きてきた人間どもが結婚なんかやってるから

お前もやらないと異常人間みたいな雰囲気じゃん?

九死に一生っていったら言い過ぎだとは思うけど、色々あったからもうそういうのいいんで…ってなる。

Permalink |記事への反応(4) | 20:27

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2021-06-04

anond:20210604210649

デブ相撲水泳から徐々に慣らすべきだよな

太ってた時代松村は突然マラソンに参加したもんだから九死に一生のところまで行ってしまった

Permalink |記事への反応(0) | 21:12

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2021-01-18

九死に一生を得る→神に愛されている

若くして死ぬ神様は寂しがり屋なので良い人から連れていく

どっちだよ

Permalink |記事への反応(0) | 21:00

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2020-12-24

anond:20190112221400

俳優小沢仁志エピソード

https://www.tv-tokyo.co.jp/plus/entertainment/entry/2019/019332.html

それに驚いたフィリピン人が下を向いた隙に、小沢さんは銃を奪ってバラバラに分解。その行動に驚いたフィリピン人は逃走し、九死に一生を得ました。

相手の銃を奪って分解するってこち亀両津ボルボにやっていた気がするな。

ボルボが銃を人に向けて危ないのでとかで。

本当に有効だったのか?

Permalink |記事への反応(0) | 00:07

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2020-11-02

ふー危なかったぜ

ポケット乳首を入れていたおかげで銃弾がそこで止まり九死に一生を得たぜ

Permalink |記事への反応(0) | 22:27

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2020-10-12

anond:20201012194758

わかる。わたしもだいすき。

逆転人生で観た、九死に一生得た人とか、自撮り登山するしんじゃった人とか、

すごい興奮する。

Permalink |記事への反応(0) | 19:55

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