
はてなキーワード:主権者とは
あのな、憲法の建前の社会契約説では、国民は国家との関係で主権者なの。
その建前からすると、国家が国民に対し「国家を馬鹿にするな」というのは、本末転倒、下剋上なのよ。
もちろん、社会契約説はファンタジーで、一部の国を除いて現実に行われた訳ではなく、「そういうことにしておこう」「国家の正当性をそういうことだとして説明しよう」という話なんだけどね。
でも現代民主主義国の法律や徴税や刑罰の正当性は、社会契約説に立っているわけで。
もちろん、自国の正当性が隣国との差異や国家への忠誠に依存する国(ベネルクス、チェコとスロバキアとか、クロアチア)や、現に国家に忠誠を誓って国家のために人々が死んでいく国(ウクライナ)では、国旗への侮辱を制限することも必要かもしれない。
しかし日本はそういう自国のアイデンティティが揺らいでいる国ではないし、国旗を焼いていいという自由の国だからこそ日本には価値がある。
維新はよく「身を切る改革」と言うが、政治家にとにかく金与えないようにしたら
だけだし、やたら定数削減すれば
のである。
悪しきポピュリズムに訴えるパフォーマンスとしか言いようがない。
維新のあの発起人から一貫したガラの悪さ、信用できなさは何なのだろうか?
いっぽう、小選挙区やめたり理念でハッキリ分かれて少数与党による連立前提の政権運営ならみんなの意志がよく反映されてよいことずくめかというと決してそうでもないから話は単純ではない。ふつうの生活してたら解像度高く政治シーン追っかけたりできない。結局、みんなよくわからず何も進まないグダグダになり、極論で固まるやつらの声が相対的に大きくなるのである。それがヨーロッパが辿った轍でもある。
その意味でみらい安野のとりくみには大きな可能性がある。政治マニアにならなくてもいいように政治参加のコストを下げる試みなので。
が象徴してるんだが、いわゆる「箱推し」が無効な時代に入ったっぽい。
これが一過性で終わる(すぐにまた大きな塊ができる)可能性もあるがたぶんしばらく続く。
でも「人」単位や政策単位で解像度高く政治シーンをフォローしていくなんてふつうの生活してたらまあ無理だから。やってるつもりで切り抜き動画とかの安いプロパガンダ鵜呑みにするのがオチだ。
すると衆愚化は進行する一方。「アメリカは日本の数年先」のセオリーをそのままトレースしていくことになる。
MAGAと糞リベのせめぎ合いというのはあれは左右のイデオロギー対立ではない。もっとソリッドな分断そのものだ。
「箱」が細分化するのは個々の主権者の一票がその意志を裏切ってわけわからんやつのためにカウントされないということであり、表面的にはよいことのように見える。だが結果は期待を裏切るだろう。
2016年8月8日、明仁天皇(現上皇)による「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」は、日本の戦後体制が生み出した極めて巧妙な政治的コミュニケーションの傑作であった。しかし皮肉なことに、この歴史的意義を持つ発言は、現在「お気持ち表明」という軽薄なミームとして消費されている。この現象は、戦後日本の構造的制約と現代社会の読解力低下が交錯する地点に位置している。
「お気持ち表明」という回りくどい表現が必要だった根本的理由は、1945年の敗戦にある。戦後憲法により天皇は「象徴」となり、「国政に関する権能を有しない」(第4条)存在として位置づけられた。この制約下では、天皇が直接的に「退位したい」と表明することは違憲行為となる可能性があった。
明仁天皇の発言は、この制約を巧妙に回避した民主的解決策だった。高齢による体力的限界、天皇としての務めを十分に果たせない懸念、そして突然の崩御が国民生活に与える影響への配慮を表明することで、実質的な退位意向を主権者たる国民に伝えたのである。これは憲法の枠組みを守りながら、国民主権の原則に従って制度変更を促す、高度に洗練された政治的コミュニケーションであった。
しかし、この発言が真に理解されたのは、憲法や皇室制度に精通した限られた層に過ぎなかった。一般国民の多くにとって、長時間にわたる慎重な表現は「よくわからない長文」として映った。「お気持ち表明」という表現の語感的面白さが、内容の重要性を覆い隠してしまったのである。
この理解度の格差は、現代社会のコミュニケーション環境とも関連している。SNS時代の短文化した情報消費習慣において、文脈への深い配慮と慎重な表現は「要点のまとまらない自分語り」として受け取られがちである。最も民主的で配慮深いコミュニケーションが、表面的にしか理解されない構造的問題がここに現れている。
「お気持ち表明」の軽薄な使用は、使用者の無知を露呈している。本来この言葉は、憲法的制約の中で民主的プロセスを重んじた成功例であったにもかかわらず、「感情的な意見表明」や「建前的な発言」といった真逆の意味で使われている。
さらに興味深いのは、この誤用に対する反応の構造である。「お気持ち表明」と攻撃される側も、攻撃する側も、そして時として仲裁に入る第三者も、多くの場合この言葉の歴史的文脈を理解していない。結果として、歴史的に重要な概念が、無知な者同士の応酬の道具として消費される事態が生じている。
この現象は、戦後日本の深層的な問題を浮き彫りにしている。敗戦により課された制約の中で編み出された知恵が、その制約の歴史的背景とともに忘却されている。「戦争に負けたから」天皇は直接的な政治的発言ができず、「だからこそ」お気持ち表明という形式が必要だったという根本的な歴史認識すら、多くの国民に共有されていない。
「お気持ち表明」のミーム化は、単なる言葉の変遷を超えた現象である。それは戦後日本の憲法体制への理解不足、現代社会の読解力低下、そして歴史的文脈の軽視が複合的に作用した結果である。民主主義の成熟には、制度の背景にある歴史的経緯と、その中で編み出された知恵への理解が不可欠である。「お気持ち表明」の真の意味を理解することは、戦後日本の民主主義そのものを理解することに他ならない。
おおかたAIに書かせたであろう無駄に抽象的な本文に、本文と齟齬のあるタイトル。投稿した人間の程度が知れる。
■石破おろしを望む君たちへ
一国の宰相の進退というものは、個人の感傷的な願望によって左右されるべきものでは断じてありません。国益、地政学的リスク、経済指標、支持率の推移、党内力学、そして何よりも具体的な政策の成果と、その再現性。これら無数の変数から構成される極めて複雑な関数によって、冷徹に判断されるべきものです。君たちのその願いは、この巨大な論理体系の前では、大海に漂う塵芥にも等しい、実に些末な存在であると、まずご認識いただく必要がございます。
もし仮に、君たちが石破氏の続投を本気で、かつ論理的に支持されるというのであれば、以下の点について、それぞれA4用紙20枚以上、一次資料を明記の上で詳細なレポートを、本日中にご提出いただけますでしょうか。
1. 石破政権下におけるマクロ経済政策が、他の先進国と比較して、具体的にどの指標において、どれほど優位性があったのかについての定量的分析。
2.外交における具体的な成果について、それが単なる現状維持ではなく、日本の国益を長期的に、かつ不可逆的に向上させたという明確な論証。前政権までの負の遺産を、いかにして解消したかの具体的なプロセスも含む。
3. 彼のリーダーシップが、内閣及び与党内の数多の抵抗勢力をいかにして説得、あるいは論破し、国論を二分するような重要法案を成立に導いたかの詳細なケーススタディ。
4. 今後想定される国内外のあらゆる危機(経済危機、大規模災害、軍事的衝突等)に対し、他の潜在的な首相候補と比較して、石破氏でなければ絶対に対応不可能であるという、排他的かつ決定的な論拠。
これができもしないのに「やめないでほしい」と声高に叫ぶのは、羅針盤も海図も持たずに「この丸木舟で新大陸を発見したい」と無邪気に語るのと何ら変わりありません。それは政治的主張ですらなく、単なる思考停止の表明であり、主権者としての責務の完全なる放棄に他なりません。
君たちのその感情は、結局のところ、政治という複雑系を自らの頭で理解しようとする知的努力を怠り、誰か特定の個人に「よきに計らえ」と依存している、精神的な未熟さの表れではないでしょうか。
総理が辞めるか辞めないかは、君たちのような根拠なき願望とは一切関係のない、極めて高度な政治的力学によってのみ決定されます。君たちが今すべきことは、無意味な願望を表明することではなく、自室にこもり、せめて近代政治史の専門書でも一冊、その内容の難解さに涙しながら、必死に読破することではないでしょうか。
一国の宰相の進退というものは、個人の感傷的な願望によって左右されるべきものでは断じてありません。国益、地政学的リスク、経済指標、支持率の推移、党内力学、そして何よりも具体的な政策の成果と、その再現性。これら無数の変数から構成される極めて複雑な関数によって、冷徹に判断されるべきものです。君たちのその願いは、この巨大な論理体系の前では、大海に漂う塵芥にも等しい、実に些末な存在であると、まずご認識いただく必要がございます。
もし仮に、君たちが石破氏の続投を本気で、かつ論理的に支持されるというのであれば、以下の点について、それぞれA4用紙20枚以上、一次資料を明記の上で詳細なレポートを、本日中にご提出いただけますでしょうか。
1. 石破政権下におけるマクロ経済政策が、他の先進国と比較して、具体的にどの指標において、どれほど優位性があったのかについての定量的分析。
2.外交における具体的な成果について、それが単なる現状維持ではなく、日本の国益を長期的に、かつ不可逆的に向上させたという明確な論証。前政権までの負の遺産を、いかにして解消したかの具体的なプロセスも含む。
3. 彼のリーダーシップが、内閣及び与党内の数多の抵抗勢力をいかにして説得、あるいは論破し、国論を二分するような重要法案を成立に導いたかの詳細なケーススタディ。
4. 今後想定される国内外のあらゆる危機(経済危機、大規模災害、軍事的衝突等)に対し、他の潜在的な首相候補と比較して、石破氏でなければ絶対に対応不可能であるという、排他的かつ決定的な論拠。
これができもしないのに「やめないでほしい」と声高に叫ぶのは、羅針盤も海図も持たずに「この丸木舟で新大陸を発見したい」と無邪気に語るのと何ら変わりありません。それは政治的主張ですらなく、単なる思考停止の表明であり、主権者としての責務の完全なる放棄に他なりません。
君たちのその感情は、結局のところ、政治という複雑系を自らの頭で理解しようとする知的努力を怠り、誰か特定の個人に「よきに計らえ」と依存している、精神的な未熟さの表れではないでしょうか。
総理が辞めるか辞めないかは、君たちのような根拠なき願望とは一切関係のない、極めて高度な政治的力学によってのみ決定されます。君たちが今すべきことは、無意味な願望を表明することではなく、自室にこもり、せめて近代政治史の専門書でも一冊、その内容の難解さに涙しながら、必死に読破することではないでしょうか。
「二大政党制」を目指すという建前のもと、小選挙区制が整備されたり、おざーさんが暗躍したり、それで一回だけは政権交代も成った。しかしその一回が自民政権を盤石にしてしまった。
小選挙区制は事実上自民に有利なバフとなった。そして”もと民主党”は「一度は政権を取ったんや」という過去の栄光だけで食いつなぐ、その実は自民を勝たせ続けるための安定と信頼の斬られ役になった。
ええんかそれでとずっと思っていたが、今回の参院選でやっと時代が変わった。
参政党の勢いは先細りだろうが「どこも覇権を取れない構図」だけは続くだろう。
そしたら本邦に二大政党制を根付かせる計画(という幻想)は完全にポシャったということで、小選挙区制もお役御免とするのが筋ではないかという気がする。
死に票を減らして主権者の意志をなるべくそのまま反映するには、むしろ全国比例だけでいいんじゃないか───というのはもちろん極論だが、そういう声が今後上がってもおかしくない。
「変わらぬことは良きことなり」がまだ続いてるのな。クソだな。
結論から言えば我が国の教育はすべて間違っている。いい加減に自覚しようよ。
全部を変えてもいいくらいなんだよ。
大衆は国家衰退を政治の責任にしたがるが民主国家なんだから主権者つまり意思決定の主体は国民なんだよ。
で、国民が望んだ形で教育がなされ、役立たずを大量排出しているから国家が衰退してるんだ。
うっせぇボケ
いやいやいや、結局のところ教育も政治成果の一部であり、その意思決定の主体は国民であるから
結局のところ「国民が悪い」
俺が拳を振り上げたところでムダなのだ。負け確
日本人全員で「変わらぬことは良きことなり」やってんだよ。クソが。
で、具体的には、お盆前に単身赴任先から自宅に戻ったら妻から「これやって」と紙を渡された。
妻の出身国は前回の世界大戦で日本軍に侵攻され、争いを好まない国民性故に「OpenCity」いわゆる現在の平和都市宣言、不戦宣言で統治を渡したが
支配した日本軍が無茶苦茶やりだして殺しまくりで、国家ボロボロになりそうになったので反旗を翻し、日本軍に抵抗し始め
あっという間に日本軍に勝利し日本軍を駆逐し、日本軍が「ひえーかなわん」と逃げ帰った相手国の人である。温厚な顔してるが怒らせると怖い
過去40年経済成長率で日本が勝ったのは3回(年)だけ。37回は向こうが上、まぁフィリピンだ。
あちらは戦勝国であり、こっちは敗戦国であり、妻の方が偉い、正しい。
学校のICT教育だかでiPadが支給されその初期設定をやれというインストラクション。
俺の部下がこんなもん作ったらぶち殺すレベル。
いやいやいやいや、わかりますよ、ITリテラシー下の下の教員が見よう見まねで作ったのだろう。
忙しい業務の合間に作ったのだろう。印刷機は白黒しかない。わかる、無理ゲーだ。
やらせるのが悪い。
本来であればiPad調達は市教委一括なんだからインストラクションシートも業者に丸投げするか市教委でまともなものを作って各学校にデータ配布するかだが。ポンコツ敗戦国の教育システムにはそんな情報共有の仕組みすらないのだろう、各学校ごとにシコシコ作っているのだろう、リソースの無駄遣い、でも教員は「忙しい」と愚痴ってる。アホか。絶望。学校自治ってやつか?唖然。昭和か?
なにがポンコツかって、iPadの操作画面を切り貼りしてるんだが出力は白黒なのに適切な二値化、グレースケール処理されてない。
結果、何書いてるか読めねぇ、どの画面を図示してるかわかんねぇ、すべてがかすれている。
操作導線も省略しちゃダメなところを省略し、省略できるところを省略しておらずインストラクションを作った人間がよくわかってないのが想像できる。
マトモに読めないのは自覚しているのだろう、手書きで補完しているが、その情報いらね、みたいなメモ書きが付加されている。
いやいやいや、わかる、わかるんです、多分こーゆーことをやりなさいというのはかすれた情報から推測できなくはない。
おおむねそれであっているだろう。
が、ITで35年飯食ってる俺はプロだからその手のインストラクションを「勝手に補完」「想像でエイヤッ」に拒否反応があるわけ。
ストレスしかない。読めないものは読めない、だからわからん、分かる資料を出せ、としかならん。
で、だ、それはいいんだわ、そこまではぎり絶望で終わるんだが、「深い」絶望のわけは
このポンコツペーパーを書いてるの教員なんだよな、と気付いたからである。
つまりね、そーゆーペーパーを作っちゃう人間が子どもにモノを教えてるって現実に深い絶望なの。
だって、適切な説明ができない、抽象化ができない、この説明で何割が躓くか、どのレベルの人間まで正しく伝わるか
そーゆー想像を一切してないの。そーゆー人間が子どもにモノ教えてるんだぜ。こえーよ
学校からいろんな連絡物やペーパーが届けられるが、すべてが同じ。
いやいやいやいや、わかるんです、他の親たちはPTAだのママ友コミュニティで情報共有してやりくりしてんだろう。
だがそのコミュニティから外れたらアウトなわけ、村社会からはみ出たのは自己責任って考えなんだろう。
そーゆー甘えでクソペーパーを量産してる
そーゆー社会構図の全てが凝縮されたインストラクションなわけ。クソが
で、戦勝国の妻に日本の学校ってクソだなと揶揄やれるのも悔しい。
確かにあちらは経済成長率もグングン伸びてる、つまり優秀な教育システムで優秀な人材を大量に排出しているわけで、反論の余地が無い。
で、まぁ、ここまではいいんだが、
3,4歳くらいから数字に強い興味を持ち始め足し算引き算を教えてやるとすぐに習得。
焦った先取り教育をするつもりはないので塾だの公文もやってないが
いつのまにか掛け算を覚え、割り算を教えてくれというので軽く教えてやったら秒で理解して18割る6、くらいは暗算しやがる。
小数点はいつの間にか理解していた。地頭はいいのだろう。記憶力もかなり良い。
出張先から一緒にマイクラをオンラインでやってるんだけど図形や空間把握も問題ない。
そりゃ学校の授業は秒で飽きるわ。
かついじめられている。
学童で、4,5年生にぶつかられたらしい、「謝ってくれ」と要求したら殴られた、だそうだ。
殴り返したいけど我慢してスタッフに申告したらやんわりもみ消された、理不尽だとの報告、
「パパ、小さな隠しカメラを買ってください、録画して証拠を掴んで言い訳できないようにして謝らせたい」
こーゆーことを言うのだ。
「飛び級したい、なんで日本の小学校は飛び級できないんだ、外国ならできるんでしょ?」と言い出した。
学校/学童は暇すぎて本を読んでるらしい。漢字も勝手にがつがつ覚え始めた。
友達いなくてボッチだそうだ。
「話があわない」だそうだ。クソ生意気な。
行きたくなければ行かない選択もあるけど、その場合ママが仕事に行けなくなっちゃうし、ジジババは体力的に厳しいし、我慢して通ってくれないかな、世の中なんて理不尽なものだ、思い通りにはならん、殴られたら殴り返してもいいよ、だが殴るときは相手のスキをついて全体重をかけてヤレ、泣いたフリして油断させてヤルのだ。一発食らわせたあとは全力離脱して大人がいるところに行け、二発目は諦めろ、ボコられる。なぁに学校も学童もパパも保険には入っているので心配するな。小1と高学年の喧嘩は100%高学年の方が悪くなる、パパとママはなにがあろうと無条件の無制限でキミの味方だ。守ってやる。ちなみに自分より弱い相手とは喧嘩するなよ、それだけは許さん。ともかく、どーしようもなかったらなんとかするけど、転校する?
と説得し、今のところ通ってはくれてるが
手順書すらマトモに書けないスカタン教員ポンコツ学校には期待できないし、はぁ
どうすりゃいいの
日本は自分たちを民主主義国家だと標榜しているが、現実問題として国名に「民主主義」は書いてない、はい日本の負け。
憲法に書いてるとか反論ありそうだけど、実は日本国憲法のどこにも日本が民主主義だとは書いてない。ガチで書いてない。調べてみ。
憲法論で言えば43条をそれだと言うのだけど、弱い。
明瞭に民主主義とは言うて無い。
曖昧な表現であり「代表」の定義も「選挙」の定義や制限規定も無い。
ちなみに政治歴史論で言えば過去から現在まで「代表」の定義はゆらぎがあり変遷しており、今後も変わる可能性がある。
端的に言えば過去にあったような所得階層による制限選挙を導入することも可能だし、「代表」「選挙」の定義は閣議決定で解釈変更の余地がある。
日本国憲法43条に対応する北朝鮮憲法は89条だが、並べれば歴然である。
一般的、平等的と謳っているのだから選挙権の所得制限などはできない。(他の条文でも別途縛りがある)
団塊ジュニアと言われた50代前半、ポスト団塊ジュニアと言われた40代
あなた方そろそろ泣き言をやめてもらっていいですか?
なのにこの体たらくは何ですか?
「俺からこれ以上金を奪うな」は主張として変では無いですよ
「代わりに俺以外の誰かから金を奪って俺によこせ」って主張してますよね?
会社のせい、世代のせい、自分以外の特定の属性のせい、政治のせいにしようとしている
それを肯定するような党まで現れて まんまと投票しましたよね?
加えてあなたたちは数が多い
10代〜30代と比べて圧倒的に多いし デジタルには精通しているからネットの声が大きい
もうすでに会社での立ち位置もかなり上になっていないとおかしいでしょう
あなたたちが一番金を稼いで 日本人の豊かさを底上げする使命があるはずです