はてなキーワード:中間子とは
37歳、高齢出産の域に真っ只中でやっと2人目をどうするか考え始めた。1人目とはかなりの歳の差になる。
元々、自分は中間子だからあまり手をかけてもらえず、しかも幼少期は父親やから露骨に姉と比較されることが多くて1人を大事に育てたいと思ってた。兄弟たちと仲が悪くはないけど滅多に連絡も取らない。兄弟で遊んだ記憶もない。
しかも環境的にもフルタイム共働き、実家遠方で考える余裕もなかった。夫も全く手伝ってくれないわけじゃなかったけど、休日に公園に連れ出すことが全然なくて、そこがすごく引っかかってた。あとは産後以降、今に至るまで喧嘩も多いし。
周りは一人っ子は少なくて友人知人の2人目ラッシュも勿論あったけど何も感じなかった。
子供が将来天涯孤独になるかもしれないし、子供がぽつりと兄弟いてもよかったなとか、友達でも手を繋いだら血が繋がるんだよなんてなんて言い出し始めて。
でも安易に妊活に手が出せない。2人目のメリットよりデメリットが思いついてしまうから。このメリデメを整理したい。
・1人目が孤独じゃなくなる
・1人目も喜ぶ
・もう一度育児を楽しめる
・高齢出産のリスク。NIPTはあるが、知的障害や自閉症は事前にわからない
・1人目と歳の差がありすぎて一緒に遊べない
・2人目も育てられるくらいの貯金は老後資金まで余裕を持って貯められるかは不明。2人育てながらフルタイム継続できるかも心配。(1人だけなら私がパートになっても無問題)
…圧倒的にデメリットが多い。しかも純粋に赤ちゃんが欲しいというより1人目のためにという気持ちが強いから、2人目に申し訳ない。
でも、排卵日のたびに憂鬱になる。一昔前はそれなりに性行為もあったが今は全くない。
そして1番の問題は夫に2人目をどう考えてるか聞けないこと。昔は欲しがってたけど多分今はもう諦めてる、というか疲れ切ってる。
早く綺麗さっぱり諦めたい。
やっぱり1人目の将来とか老後が心配で色々考えてしまう。スッキリ諦めて、がっつり働いて貯金して自分の介護はお金使って人任せにするぞと割り切れたらいいんだけど。いまはお金払ったら通院や生活介助もお願いできるからね。
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中間子症候群 (ちゅうかんししょうこうぐん)とは、家族の中で兄弟姉妹の間に生まれた中間子が、他の兄弟姉妹と比べて親から異なる扱いや見られ方をされるという考え方である。この理論では、兄弟姉妹の生まれた順序が、子どもの性格や成長過程に影響を与えるとされている。特に、親は長子や末子により多くの関心を向ける傾向があるため、中間子が異なる育ち方をするという仮説である。
この用語は精神疾患を表すものではなく、中間子が自身の育ち方をもとに世界をどのように見ているかを説明する仮説的なアイデアである。その結果、中間子は他の兄弟姉妹とは異なる性格や個性を持ち、家庭生活を独自の視点で経験すると考えられている。
出生順
アルフレッド・アドラー(1870–1937)は、ヴィクトリア朝時代に活躍したオーストリアの医師であり精神科医である。彼は人生を通じて「劣等感と優越感」、「社会的関心」、「出生順位」の3つの主要な理論を構築し研究した。アドラーの出生順位に関する理論では、兄弟姉妹が生まれる順序が子どもの思春期や性格のタイプに大きな影響を与えるとされた【1】。
アドラーはジークムント・フロイトやカール・ユングの協力を得て、この理論を具体的に発展させ、子どもの行動をより理解しやすくした【1】。同じ親に育てられ、同じ家庭環境で生活していても、子どもが異なる行動をとる理由について、彼は脳の働きや心理的要因を深く理解した。この理論は特に、結婚した両親が同居しながら子どもを育てる家庭を念頭に置いている【1】。
現在、多くの研究者や心理学者が出生順位が子どもに与える影響について研究を続けている。「中間子症候群」という用語は、時間の経過とともに発展したもので、中間子が感じる共通の特徴や、特に中間子であることに関連する出来事を説明するものである【1】。アドラーの理論によれば、長子、中間子、末子の人生は出生順に基づいて異なり、それが性格特性にも影響を与える可能性があるとされている【1】。
中間子が「間に挟まれている」状況では、親から愛されていないと感じたり、注意をあまり向けられていないと感じることが一般的になる可能性がある【1】。しかし、家族の状況によっては、出生順位や中間子症候群が当てはまらない場合もある。アルフレッド・アドラーの出生順位に関する概念は、典型的な機能不全の家族に基づいている。中間子症候群は診断名ではなく、あくまでアイデアに過ぎない。この用語は、子どもの発達について、特に親の養育方法や兄弟姉妹との関係において、子どもがどのように行動するのかを研究者が理解するための助けとなっている。
1988年に、中間子とその兄弟姉妹の知能に対する認識の違いに関する研究が行われた。収集されたデータを通じて、研究者は、親が長子の知能について若干有利な印象を持つ傾向があることを発見した。同程度の年齢の兄弟姉妹のIQをテストした結果、彼らのIQスコアは数ポイントの範囲内で収まることが多いことがわかった。この研究は、共有された環境の影響で兄弟姉妹のIQは似通っている傾向があるにもかかわらず、知能に対する認識の違いによって彼らが受けた扱いには不一致があると結論付けた【1】。
1998年、研究者たちは、出生順位が個人の性格や両親との絆の強さに影響を与えるという理論を検証するために調査を行った。その結果、切羽詰まったストレスの多い状況に直面したとき、両親を頼りにすると答えたのは、真ん中の子供が最も少なかった。また、長子や末っ子に比べ、真ん中の子供は最も親しみを感じる人物として母親を指名する傾向が低いことも指摘された。
2016年、工学部の学部生の出生順序とそれが理想的な自己表現に与える影響について調査が行われた。320人の参加者のうち、中間子は兄弟姉妹に比べて家族志向が低いことがわかった。研究によると、第一子は年下の兄弟姉妹に比べて保護的であることのスコアが高かった。さらに、中間子は「愛情」と「人間関係の良好さ」のスコアが最も高かった。しかし、「仲間意識」と「自己同一性」のスコアは低かった。これらの結果は、出生順が個人の性格に影響を与える可能性を示唆している。さらに、中間子は細かい点まで指示に従う傾向である適応不全型完璧主義を発症する可能性が最も高かった。
2018年に、出生順と親による性教育における兄弟姉妹間の関与についての分析が行われた。この調査には15,000人以上が参加した。結果に基づいて、研究者は、家族の中で中間子として生まれた女性の30.9%が、家族の末っ子として生まれた女性の29.4%に比べて、親と生殖について話し合う可能性がやや低いことを発見した。同様に、家族の中で中間子として生まれた男性の17.9%が、親と性的な再生産について話し合うことが比較的簡単であると感じている一方で、末っ子として生まれた男性では21.4%がそのように感じていることが判明した。
ジーニー・S・キッドウェルは、中間子と家族の中で末っ子および長子の子供の自尊心を比較する研究を行った。この研究では、子供の数、年齢差、性別といった他の要因も考慮された。キッドウェルは、自尊心が個人のアイデンティティの重要な側面であり、子供の発達における能力、達成、そして人間関係に関連していると提唱した。キッドウェルの研究結果は、兄弟姉妹の数が増えるにつれて、個人の自尊心が低下する傾向があることを示唆した。ただし、この傾向は特に兄弟姉妹の年齢差が2年の場合に見られるものだった。この研究では、「兄弟姉妹の年齢差が1年しかない場合、長子や末子としての特有性を発展させて固める時間が少なくなる。このような狭い年齢差では、出生順に基づく特徴が曖昧になり、それに伴って行動や認識の違いも不明瞭になる」と説明されている。独自性は、家族の中で地位や愛情、認知を獲得する能力を指しており、家族から特別だと感じられることで達成される。キッドウェルは、この独自性が中間子にとって特に困難であり、それが彼らの自己評価にどのような影響を与えるかを分析した。研究の結果、兄弟姉妹がすべて女性である若い男性は、出生順に関係なく、より高いレベルの自尊心を示す傾向があることが提案された。
例と特徴
出生順位理論は、人が生まれた順番がその人の個別の性格に影響を与える可能性があると主張している。この理論によると、性格は育てられた親の育児スタイルに起因する可能性があると考えられている。例えば、複数の子供を持つ親は、長子を中間子や末子とは異なる方法で育てる可能性がある。
「中間子症候群」という言葉は、中間子が子供時代を通じて受けた扱いが他の兄弟姉妹と異なるため、彼らが異なる経験をする可能性を説明するためによく使われる。中間子の育ち方はそれぞれ独特の状況を伴うものの、彼らの間に共通する行動パターンがあるという証拠も見られる。
特徴
中間子の性格特性は、中間子と家族、すなわち兄弟姉妹や親との関係によって生じる。
調停者
外交的な
独立した
忠実な
社交的な
責任を持つ
妥協する
適応力のある
柔軟な
出生順位理論により、思春期には長子や末子の兄弟姉妹よりも中間子が経験する可能性のある状況がいくつかある。
例
特定の状況で支配されている、または圧倒されていると感じることがある
「中間子症候群(Middle Child Syndrome)」という言葉がいつどこで生まれたのかは、まだ明らかになっていない。しかし、出生順位に関する研究が、この言葉に意味を与えている。真ん中っ子であることが、即座に親からの配慮不足を意味するわけではない。それどころか、真ん中っ子であることが有利になる場面もある。他の多くの人生の出来事と同様、真ん中っ子であることには肯定的な面と否定的な面が存在する。出生順位や中間子症候群は子供の発達を理解する助けになるかもしれないが、それが真ん中っ子の全てを定義するわけではない。
最終的には、家族の中で長子や末子ほどの注意を得られない真ん中っ子には心理的な影響が生じる可能性がある【1】。出生順位に関する多くの研究がある中で、この理論を発展させた主要な心理学者はアルフレッド・アドラーである。一方で、彼の研究は、現代の観点からみると時代遅れであり、人種、年齢、性別といった重要な側面を含んでいないと批判されている。
そういえば、逆の組み合わせで身近にいる男女男の中間子はまったく可愛がられてないな…
3組いるけどすげえ雑に扱われてて一人を除いて兄も弟も大嫌い、一人も仲良いのは弟だけ
女女男の末子長男、男男男女の末子長女はめちゃくちゃ可愛がられているのに
どっちも「親からの注目や愛情が欲しいのは中間子だけじゃない」ということがわかっていない気がするんだが
話のキモはそこじゃなくて、
「親の愛情が欲しかった…」とか言うやつって中には「親から平等に関心や愛情が注がれていたのにそれを自覚できないやつがいる」
じゃないのかな
他の子が親の注目をひいたり、愛情をかけてもらったりすると「自分はあいつと違ってもらえていない」(もらってる)と思い込む
自分が親の注目をひいたり、愛情をかけてもらっているときにほかの子がどういう感覚がまったく想像できない
それとも違うんだろうか?
元増田だけど、何番目に生まれるかって多少性格に影響すると思う。
結局自分含め中間子が欲しいのは物じゃなくて親からの愛情(注目)なんだよね。
わがままを言ったり悪事を働いたときに得られる親からの注目すら嬉しいんだ。勝手に脳が愛だと錯覚する。
その悪事について謝罪してしまうと親からの愛(注目)まで無かったことになってしまう気がするし、注目を得られる手段がひとつ消えるから認めず開き直るしかないんだ多分。
自分は愛されていないことを主張せずひたすら思い込んで内面化していたパターンだったから、10代の頃は死にたくて堪らなかったよ。
中間子と末子が多くて、明確に長子が少ない、かな
でも中間子と末子でもいいよって言う人でも
なんか自分が特別扱いされないと恨む(子供が3人いたら親が一人だけ特別待遇するわけがないとわからない)人は言わないイメージ
中間子ってのは、簡単に言うと、小さな粒子の仲間で、クォークっていうもっと小さな部品とその反対の性質を持つ反クォークがくっついてできてるものなんだ。粒子にはいろんな種類があるんだけど、中間子は「ハドロン」っていうグループに入っていて、強い力で結びついたり影響し合ったりする特徴があるよ。昔は、電子と陽子の中間くらいの重さだと思われてたから「中間子」って名前がついたんだけど、今は重さに関係なく、クォークと反クォークのペアなら中間子って呼ぶんだ。
たとえば、パイ中間子はすごく軽くて、原子核の中で粒子同士をくっつける力に関係してる。K中間子はちょっと変わったクォークが入ってて、別の崩れる力に関わってくるし、B中間子はもっと重たいクォークが入ってて、粒子の変化を調べるのに使われるよ。
中間子は、世の中の物質がどうやってできてるか、どんな力が働いてるかを知るために大事な存在なんだ。ただ、ほとんどの場合、できてすぐに別の粒子に変わっちゃう不安定なものが多いよ。イメージとしては、小さなブロックがくっついてできたおもちゃが、すぐにバラバラになっちゃう感じかな。
もしもっと知りたいことがあったら、気軽に聞いてね!
人間、何番目かで人格形成に及ぼす影響ってわりとパターンがあるのかもな
が考えているらしいことはほぼ増田と同じだ、なぜならやつの主張は一貫しているからだ
・3人兄弟の中で真っ先に主張し、物事を決めたがるがいつも「俺は空気扱いだ」と唇を捻じ曲げて文句を言う
(例、子どものころ親が「日曜なのでどこかに出かけよう、〇〇と□□と…」と言いかけると中間子が△△がいい!と言い8割がたそこに決まる、△△は家族の中で中間子しか興味を持ってる者がいない場所、
親や残りの二人は誰か他の者が興味関心があったり好きな場所を候補に挙げることが多いんだがやつがそれをしたことはない、ただし「自分はいつも譲らされている」と言う)
・長子と年齢差が1歳半なので、物や服はほぼ常にセットで買い与えられる、例外はランドセルと学習机等、末子は少し年が離れているので新規購入が多かった、
問題は中間子は「長子よりグレードの高いもの」か個数を増やしてもらえないと不貞腐れて暴れる(物理的に)
そして子供のころから言い続けているのが「自分は愛されていない」、
3人兄弟の中で一番良い部屋を主張し、与えられたのに「俺は本当に愛されていない、どうでもいいからあの部屋なんだ…」
(中間子がその部屋を主張したために長子の部屋が自動的に子供部屋に向いていない部屋になったため、親が多少のDIYをした←中間子にとっては「親が特別手をかけてくれたのはお前だけ」)
そういえば中学生の入学式、卒業式は長子はどちらも親は片方のみ(仕事の都合)だったので中間子は両親そろって来いと暴れたな
とにかく食に対して卑しい、そして「おなか一杯食べるのが夢なんだ…」とか嫌味がましく言う
でもそいつ夕食に大皿があれば真っ先に自分のとりわけ皿に等分以上に持っていくので客観的な事実と本人の言い分が食い違う
今でも覚えてるのが母がお菓子作りが好きでたまに大量に作るんだが、ある時シューケーキ?(繋がったシュークリームを巨大なドーナツみたいに形作ってクリームとか果物挟んだやつ)を3皿作った
母が出来上がり前でなじんでいないと説明し続けたのに中間子だけせがみ続け、一皿もらった
翌日、皆がおいしく食べたが今でもそれを俺だけ差別されたとか言ってる、どうも奴の記憶の中では「自分だけ不出来なものを押し付けられ、家族がおいしく良いところを食べたのに自分だけ疎外され与えられなかった」になってる
書きつらねるといくらでも出てくる
だが今日になって増田を読んで、真ん中の立ち位置だとそういう受け止めかたになってもしょうがないのかなと思った
大体末っ子じゃない?
服も雑貨もおさがり(3番目はさすがに買い換えられる)がデフォルトだったし、
入学式や卒業式、すべての節目が2度目だからほぼスルー。おめでとう!みたいな雰囲気無し。
上の兄弟の時は大騒ぎで見に行ったり送迎してたから、自分は愛される存在ではないんだなーって幼心に思ったよ。
食事も、当たり前だけど大皿に盛られたものを好きなだけ食べた記憶が無い。
イチゴも1パックあったら等分するのが当然で、あんな山盛り(※子供の感覚)あったのに自分の分として渡されたのが2~3個しかなくてがっかりした記憶とかしか無い。
そういうことの積み重ねで、食に関して根本がさもしい人間になった自覚がある。食に関して自覚があるだけだから全般的に無自覚に卑しい考え方をしているんだと思う。
こんな恨み言書いてるくらいだし。
ただ末っ子も、なかなか大人にならせてもらえなくてかわいそうだと思う。
自分は一人っ子の、属性ではなく個の人間として愛されてきましたって雰囲気が羨ましい。
ケースバイケースでポジショントークしかできない話題に真面目に答えてくれてありがとう。
親の資質による説も一理ある。
でもうちの親も親なりに平等に接しようとしてくれてて、その上でこうなってるから生まれ順の影響もあると信じたい。
今になって思うのはたぶん平等に扱ってほしかったんじゃなくて、自分含めた全員を要所要所で特別扱いしてほしかったんだろうなあ。
増田の気質と言われたらそれまでだけど、そういうのって大体家を出てから気付くよね。ま、しょうがない。ぼちぼちやりましょう。
Permalink |記事への反応(17) | 13:18
子供一人でも、東大に入れました~とか重度の障害児の親ですとかならこちらだって尊敬心もわいてくるものの
普通の健常者の子供一人育て上げて、「大丈夫、俺でも子育てできたんだから。そんなに難しく考えなくても大丈夫だよ、はてなのみんなも子育てできるよ(慈悲深い笑みを浮かべながら)」
子沢山の家庭の親がどや顔するんならともかく
「大丈夫だよ、俺でも子育てできたんだよ」とか言わないでほしい
だって一人っ子って教育費が一人分で済むし、父親母親二人で一人の面倒を見るのよ。丁寧に丁寧に子育てできるよ。親の目も行き届くよ
たっぷり両親からの愛情を受け取って子供のメンタルも安定するよ。大人二人と子供一人の家庭なら家のなかでのトラブルも起きにくいよ
きょうだいがいるとさ、親の目も行き届かないことがあるしきょうだい喧嘩も発生するし
父方の実家が嫌いだ。
最近ようやくその縁が切れる目処が立ってきたのだが、いざというとき決心が鈍らないようにどんなに嫌いか書き起こしておくことにした。
緩やかな坂の上に建つ家は大きく、貧乏だった祖父が会社を興し一代で築いた。隣の家に行くのに坂を下り道路を渡っていかなければいけない。
いずれは父の家庭(つまり私たち)を呼び寄せ二世帯で暮らすことも考えていた、と後から聞いた。
その割には電気関係があまりに貧弱で頻繁にブレーカーが落ちていたので、どのみち無理だったと思う。
家の前は杉林でそのまま山へと続く。夏はアブが、冬はカメムシが大量発生する。
敷地は広く、車が三台収まるコンクリート造りの車庫に加えて大型の農機具が複数収まる小屋や鶏小屋、2つのビニールハウスを備えてなお広がる畑もある。
畑の先にはそれなりの大きさの池があり、祖父がそこに鯉を放し飼いにしており夕方には餌をやりに行っていた。
その池を回ろうと祖父が小型の舟を買ったことがあったが私は一度も乗った記憶はなく、舟は池の側で逆さで放置されていた。
祖父は昔からそうだ。思いつきで使いもしないものを大金はたいて買い、あとはゴミになる。成金そのものだ。
正月や盆にはその親族が大勢この家に集まって、仕出し料理なんかをとって宴会をする。映画のサマーウォーズのような風景だ(なお、このために私は本作が嫌いである)
私は普段はそこから車で一時間弱の県庁所在地に暮らしているが、長期休みや時には土日ともなればすぐさま連れて行かれ父の実家に預けられて過ごした。(これは祖父母の意向であり、母は嫌々だったと聞いている)
家の周りは田んぼと山で、歩いていける範囲にあるのは駄菓子屋のみ。
その頃にはすでに人口の過疎化が進んでおり同年代の子供は一人しかいなかったし、あまり気も合わなかったのでその子とはあまり遊ばなかった。
長期休みの始めから終わりまでを、家から持ち込んだ自由帳に絵を描いたり、擦り切れるほどに読んだ漫画をまた読み返したり、近所の家のお兄さんのお下がりのファミコンソフト数本でしのぐのだ。いつも学校で一緒の友達はみんな64で遊んでいる時代にも関わらず。
家業は建築業であったが農業も営んでおり、物心ついた頃から田植えや稲刈りに連れて行かれるのが普通だった。
当然ヒマだったし、それなりに成長してからは仕事が振られるがそれも嫌だった。
小学生の頃は春に運動会、秋に学芸会があったがちょうど田植えや稲刈りの時期と重なっており、父や父方の祖父母がそれを観に来た覚えはない。母と母方の祖母がいつも来ていた。
仲の良かった子たちの親はみんな会社勤めや公務員だったりして、行事のときには父母揃っている姿をよく見た。
羨ましいと思った記憶はないが、うちは何か違うんだなぁということは感じた。
一番嫌だったのは、運動会の後にはそのまま車で父実家に連行されて田植えに駆り出されることだった。最初から体操着を着ているので都合がよかったのだ。
運動会頑張ったから今日はレストランに晩ごはん食べに行こう、と話すどこかの家族がドラマの世界のようだった。
田舎の自然環境や農業中心の暮らしよりも嫌だったのは、親戚付き合いや近所付き合いだった。
道を歩いているだけでどこの家の人間かわかってしまう。他に子供がいる家がないからだ。
そして田舎特有の距離感で、なまりの強い言葉でやたらと話しかけてくる。こっちはお前が誰だかも知らないのに。
私は三姉妹の真ん中だが、みんなだいたい私を姉と思って話しかけてきた。
姉とはけっこう歳が離れているので普通なら間違わない。実際、地元の知り合いに私と姉を間違う人はいなかった。
しかし田舎の人たちは子供を見慣れていないので子供の年齢からくる体格の違いなんてわからないのだ。子供は子供、と一括りにされている。
そもそも私たちがいくつになるかなんて知らないし興味もなかっただろう。なら放っておけばいいのに何故か近寄ってくる。
妹とは歳が近かったし見た目も似ていたので当然間違えられた。最初から最後まで間違えたまま帰る人もいた。
中間子は影が薄いなんて言われることもあるが、姉と妹の名前は覚えているのに私の名前だけ出てこないなんてこともザラにあった。
母(というか女性)は親戚集まりの際には台所であれやこれやと仕事をしていなければならなく、それは子供である私達も同じだった。
ただ飲んで騒ぐだけの男たちにやれ酒を持ってこいだのあれが足りないだのと次から次に言い付けられても愛想のいい姉はちゃんと対応していたし、妹は人見知りがひどかったので常に台所で母にくっついて手伝いをしていた。
私も妹と同じく人見知りだったが母は妹に取られている、かといってよく知りもしない親戚連中のおばさんたちに指示を仰ぐこともできない。
人見知りなのだから愛想がいいわけもなく、私が「もっともだめなやつ」になるのは当然だった。
そのうち人前に出ることも手伝いをすることも拒否するようになって、親戚集まりの際には空き部屋に引きこもるようになるとますます評価は下がった。
「姉も妹もよく働くのに、どうしてあなたは」とわざわざ嫌味を言いに来るおばさん(祖父の妹の一人)もいたが無視していた。
上記のおばさんには奇しくも私と生年月日を同じくする孫(私からすると再従兄弟になる)がおり、彼はいわゆる優等生だった。勉強ができ、親の言うことをよく聞く子だった。(数年後に爆発して親と険悪、音信不通になったが)
更に私は高校受験に失敗するし入った学校は結局辞めるし定時制高校に入り直すもバイトに明け暮れて学業を疎かにして卒業が危うくなるしで株を落とし続けた。
親戚中からの「あいつはどうしようもないやつだな」みたいな空気は幼い頃から親戚集まりがあるたびに感じていたのに、後半はもう完全に腫れ物でいないものかのような扱いだった。その頃にはもうその方が居心地がよいほどに親戚が嫌いだったが。
高校に入ってすぐに父母が離婚して、当然私は母方の籍に入った。というか三人全員そうした。
父方の親戚たちは離婚時にまで首を突っ込んできた。(中でも嫌味おばさんはすごかった)
なんで夫婦の問題に祖父母どころか親戚が絡んでくるのか謎だったし、そういうのが当たり前な気質が気持ち悪かった。
元々苦手だった祖父母のことも、このときに嫌いだとハッキリ自覚したと思う。
それまでは幼い頃にそれなりに一緒に過ごした情があったというか「家族(親戚は別)を嫌うのは悪いこと」という固定観念があったので「自分は祖父母が嫌い」ということから目をそらしていたのだと思う。
幼い頃から父とあまり関わってこなかったせいか特に離婚そのものにダメージはなかったし、なんなら父とはその後不仲になる一方だった。
離婚後に実家に戻ったことで、父に元々あった、私の嫌いな「〇〇家(父実家)の人間っぽいところ」が顕著になったために父に対する嫌悪感が強くなってしまったのだと思う。
(親権は母が持ったが、みんなそれなりの年齢だったので私たちが父や父実家に関わるかは本人に任せるスタンスだった。そのため離婚後もときどき父実家に行ったりなどがあった)
離婚から十年近く経ってから、父が亡くなった。持病を持っていたし年々痩せていたので長生きはしないと思っていたがまだ五十代で予想よりもずっと早かった。
父とは、死の半年前に病院から退院する父を迎えに行ったときが最後だった。
私よりも父と過ごした時間が長かった姉や就職と同時に県外に出ていた妹は訃報を聞いて泣いていたが、私は一度も泣かなかった。飼っていたペットが死んだときの方がずっと悲しかったし泣いた。
その頃には父のことが嫌いとまではいかなかったが決して好きとは言えない、という程度で、なんなら二人が行くなら私は葬式に行かなくてもいいか?と姉妹に聞くくらいだった。葬式の日に舞台のチケットを取っていたのだ。私にとっては本当にそのくらいの関係性になっていた。
誰が喪主をやるかで揉めて、しまいにはすでに嫁に出て別姓を名乗っている姉に押し付けようとするために姉が泣く始末になった。
私は当然怒って姉を庇ったが普段ロクに喋らないので、おそらく親戚たちが聞いた最初で最後の私の怒声だっただろう。
嫌味おばさんが人生終了レベルのトラブルに見舞われたり(自業自得)親戚の中でも故人が増えたりしながら数年経った。
父の死後は、介護とまではいかないが姉に協力するという形で祖父母の様子を見に行ったり通院の付き添いをするようになっていた。
姉は祖父母を見捨てきれなかったが姉一人であの家に関わったら姉が潰れてしまうと思ったので協力することにしたのだ。
数年間そんな生活をしていたが、少し前に祖父が持ち前のクズを発揮して優しい姉に絶縁宣言をされた末に施設へ入った。
姉が縁を切るなら私ももう関わる義理はないので、自分が請け負っていた祖母の病院関係を整理したりして縁切りの準備をしている。
最低限の下準備はしてあげているので今後は自力でなんとかするだろう。というかするしかないけど。
姉と妹は結婚しているが子供はおらず、私に至っては結婚願望どころか恋愛願望すらない。
自分にもあの一族の血が混ざっていることが嫌だし、自分もああなってしまう可能性があるかと思うとボケたときなんかが恐ろしくてたまらない。
別に葬式もいらないし、火葬だけは法的にしないといけないので最低限のお金を遺して身元保証会社とかにお願いしておくから適当に無縁仏とかに放り込んでおいてほしい。
最近はそういうことを考える。
でもノーベル賞を取る人って、キラキラエリートが全然いないよね。
なんなら成り上がり感がある。
ではここでノーベル賞物理学者湯川秀樹の経歴を見てみましょう。
1907年(明治40年)1月23日、東京府東京市麻布区市兵衛町(現:東京都港区六本木)に地質学者・小川琢治と小雪の三男として生まれる。
1908年(明治41年)、1歳の時に父・琢治(和歌山県出身)の京都帝国大学教授就任に伴い、一家は京都府京都市に移住する。このため、麻布の家には誕生後1年2ヶ月しか住んでない。
1歳から大学までは京都、大学を出て一時大阪や西宮にいたこともあるが、人生の大半は京都で過ごしたことになる(ただし、ノーベル賞受賞の対象となった中間子論を発表したのは、湯川が大阪帝国大学に勤めていた時であり、当時は西宮の苦楽園で生活していた)。
湯川は自伝に「私の記憶は京都に移った後から始まる。やはり京都が私の故郷ということになるのかもしれない」と記している[2]。
母方の祖父・駒橘は元紀州藩の藩士であり、また湯川家自体が先祖代々和歌山県出身であるため“和歌山出身”と紹介されることもあるが、本人は京都市出身と称している。
和歌山県出身の実業家・松下幸之助の郷里に「松下幸之助君生誕の地」の石碑があり、題字は同郷ということで湯川の筆によって書かれたが、湯川本人は和歌山で暮らした経験はない。
5、6歳の頃、祖父・駒橘より漢籍の素読を習った。駒橘は漢学の素養が豊富で、明治以後は洋学を学び、晩年までずっと『ロンドン・タイムズ』を購読し続けた人物であるという[3]。湯川は自伝に「私はこのころの漢籍の素読を決してむだだったとは思わない。…意味もわからずに入っていった漢籍が大きな収穫をもたらしている。その後大人の書物をよみ出す時に文字に対する抵抗は全くなかった。漢字に慣れていたからであろう。慣れるということは恐ろしいことだ。ただ祖父の声につれて復唱するだけで、知らずしらず漢字に親しみその後の読書を容易にしてくれたのは事実である。」と記している[4]。
目上の人の言う事に一々反発する人や
上司にだけやたらよそよそしく、同期や後輩とはやたら仲良い人を見かけたりしませんか?
私はまさにそれなのです。
"長い物には巻かれろ"
私はそれが出来ないのです。
上司の指示が、規則や組織の慣例に倣うことであってと、自分のポリシーや若い社員の利益にならないと思うと、すぐに反抗してしまうのです。(具体的な対案も出せないまま反抗してしまいます。)
この性格なので、私の個人的な趣味や志向に合う同期や後輩には好かれるのですが、私の仕事ぶりはからっきしなので、上司や仕事熱心な後輩には全く好かれない現状です。
「アダルトチルドレン」というキーワードが用途が正しいかはともかく思い浮かんできました。
私は中間子だったので、長女や末弟と比べ「ただそこに居ること」に対する愛情を受けることが少なかったのです。
親への愛情の渇望がいつしか反抗心になり、それがいつまで経っても埋められない心の穴となっています。
幼い頃に親に愛されようと「良い子」を演じすぎたことが、目上の人に本心を曝け出せない性格を作ったのも原因かと思います。
もう29になってしまいました。
もし、これを読まれた方にお子さんが産まれたならば、どうぞ是非小さい頃から、尊敬できる大人との関わりを深めていける場を設定してあげて欲しいと思います。
時代がいくら進んでも人と人との関わりが消えることはありません。そして人生の先輩から学ぶ機会は多いに越したことがないのだと思います。わたしにはその感受性すら備わることもありませんでした。
私のような失敗をしませんように。
毎回「わたしはあなたのママじゃないんだよ」って言葉を飲み込みそっと距離を置くけれど、空気読まないから連絡しつこいし辟易する。
・言ってることがとりあえず意味不明で話が独りよがり、論理破綻著しい
(兄弟いないから壁と対話して育ってきたのかな?って言うような話し方。実際そうなのかもな)
・とにかく人の注目を集めてないと不満
(正直これに一番怒ってる。頭おかしい)
(嫌がってるのとか空気読まない・読めないのは一人っ子特有のものを感じる。欲しいものは手に入って当たり前だと無意識に思ってそうなところが本当無理)
「欲しいものは毎回手に入るわけでもない」「他人にも感情があるし、嫌だと言うこともあるしその権利を有している」
こんな当たり前のことが、兄弟がいないというだけで理解できないものなのだろうか。
全く理解していないわけではもちろんないと思うけれど、表面的な知識としてかこれらを理解していない気がする。
当然だけど一人っ子の中にもまともな人はいると思う。自分勝手な人間の割合が一人っ子に多いと言うだけで。
けどこれを目にして逆ギレしてる一人っ子は自分の胸に手を当てて考えて欲しい。
ちなみにこんなところでぐちぐち言ってる暗いわたしは中間子です……。
一人っ子の異常性が際立ってるのと、中間子ってあまり多くないから目立たないけど