
はてなキーワード:中心街とは
我はどれ程の人口規模であれば如何程の施設があるかを調べて居るもの也.
都市雇用圏人口37万人の佐賀では中心街(地価最高点320m内)に無く,久留米(同42万人)にはあった.
この為,「回転寿司は都雇圏42万人以上なら中心街にある」と判断した.
翻って,東京(本物)の船堀を見てみると,駅前(総店舗数100)に回転寿司は無く,駅北900mに存在する.
斯様に,我々が「其の様な物,徒歩4分内にあって当然だろふ」と思う様な物ですら,東京(本物)では乗り物が必要となる.
香港民主化デモの本質は、中国本土に対するルサンチマンの爆発だった。
香港では中国本土からの観光客に対するヘイトスピーチが雨傘運動以降盛んに行われた。
ヘイトスピーカーはマナーの悪さやら、越境出産やらを槍玉にあげて、香港停滞の責任を中国人になすりつけた。
ヘイト願望が先に来て、つじつま合わせに悪口をひねくりだしてるにだけであって、現状への不満を攻撃しやすい相手に向けているだけだ。
中国人のマナーが良くなろうが、越境出産がなくなろうが、惨めな現状など変わらない。
香港民主化デモが示したのは、実態がルサンチマンとヘイトの政治運動だとしても、民主だの人権だの自由だのというキレイゴトを掲げれば、多くの支持を得られるということである。
だが民主だの自由だのといった言葉はは考えなしでも思いつく平凡なスローガンに過ぎない。
そして区議選の民主派の地すべり的勝利でかれらの市場価格は最高に達した。
本当であればキレイゴトで自分たちの本音をごまかさず、ルサンチマンとヘイト感情にしっかりと向き合えばよかった。
民主化デモの連中は「自分」というものを問い直さずに、ひたすら他人を攻撃し続けた。
本来なら、デモ隊はかれらを叩きのめす敵というよりも交渉相手とみなすべきだった。
高まった市場価格を取引材料に譲歩を引き出すのが政治運動のセオリーである。
が、コンプレックスにまみれた人間はとやかく人を攻撃したがるものである。
こうして収拾のつかない自体に陥ったデモ隊は、結局本気を出した中国政府に叩きのめされてしまった。
中国政府の強硬な姿勢に文句を言う人が多いが(実際問題も多い)、仮に民主化運動が成功したとしても決して香港は良い方向には向かわなかっただろう。
民主や自由で経済が上向くでもなし、中国と香港の力関係が変わるでもなし、当然ルサンチマンは解消しない。
亡命した民主派の闘志たちはウジウジ恨み節をのたまわっているだけで、民主化デモがなぜ失敗したのかというと反省はなんらしていないようだ。
ルサンチマンにむきあわず、お題目のように民主・自由を言い続けても香港は何も変わらない。
応援したいとも思えないし、実際、日本ではすでに飽きられている。
香港デモは天安門事件と同じようにかつてニュースを騒がした一事件になりさがった。
天安門事件の関係者たちも現在ではお行儀のいいことを並べるばかりで、はっきり言ってつまらない。
いまやデモ発生から6年にして香港の人々はあれだけ嫌っていた中国に「北上消費」しに盛んに通っているという。
どうも香港は中国より下、ということを認めざるをえないらしく、ある北上消費をする香港市民によると深センは香港より物価も安いしサービスも良いそうである。https://www.fnn.jp/articles/-/896155
民主と自由への願いが切実なら、それを叩き潰した中国への憎悪はすさまじいだろう。
しかし彼らの「願い」とやらの強さは香港の中心街をシャッター街にするかわりに深センに金を落とす程度のものらしい。
ルサンチマンをごまかすための民主や自由にふさわしい末路である。
香港民主化運動は中国政府の弾圧により挫折した、というのが一般の評価である。
民主化運動の目的が「自由で民主的な香港の実現」とするならば正しい評価と言えよう。
しかし、少なくとも雨傘運動以後の民主化運動は大陸へのルサンチマンとヘイトを解消する道具として民主と自由を掲げたに過ぎない。
このように民主化運動の目的を見直せば、2019年の香港民主化デモは大成功だったと言える。
お題目の民主と自由は叩き潰されたが、これによって香港と中国の上下関係は疑う余地なく確定した。
「こちらのほうが上だったのに・・・」というくだらない思い込みが崩れ、中国が香港の上に立つということが自然なことになった。
香港人は香港が中国に飲み込まれることを受け入れていれてしまえば、なんのことなくルサンチマンは見事に解消される。
これは有能な同僚に対して劣等感を抱くとしても、社長にはそんな感情を持たないことに似ている。
こう考えると中国政府の強硬な姿勢も国家安全維持法の極めて厳しい内容も香港人への温情だったかのように思える。
中途半端に妥協しても鬱屈した香港人のコンプレックスは残り続ける。
そうであれば、ここは徹底的に香港人の反抗心を潰し、中国の一都市として香港アイデンティティを「再編集」し、ルサンチマンを解消させるほうが愛情と言うもんだ。
香港はいまや「中国の香港」となった。人々の意識の上でそうなりつつある。
教育も変わっているし、海外移住と本土からの香港へ移民の増加はこれに拍車をかけている。
これに外野から文句を言うのもそれはそれで自由だが、民主と自由を勝手に香港に期待したために出る言説にすぎない。
地方の人々にとって、データセンターとは流通倉庫や産廃ヤードと大差ないのです。
そんな郊外にあるべき不人気施設が、地元の中心街に建つなどあってはならないことなのです。
彼らはいつの日か、中心街の広大な空き地に巨大なショッピングモールか何かがやってきてくれて
昔、周りが田んぼだった海老名駅周辺が、ららぽーとができたことで一変したようなことが
うちの地元でも起きることを願っているのです。
データセンターが建った日には「お前の地元の中心街は、ひとけのない郊外レベルの価値しかない」という
間が空いてしまったけど、観光地編始まります。書き始めたら長くなってしまって、1日分しか書けなかった。。。だんだんと短い文章になると思いますが、年度末年始の仕事の合間に書いていくので気長に待っていただければ。
前回の記事も、思い出したものやコメント等で質問いただいた内容などを追記しています。
・観光地(今回※まだ続く)
・食事(まだ先)
いきなり北京市外だけど、北京留学中の増田長男が同行してくれることになったので北京から北西に350kmの位置にある大同と雲崗石窟寺院に高速鉄道で日帰りで行ってきた。大同近郊には崖に作られた懸空寺という名所もあるのだけど、これまた日本語や英語での最新情報が乏しく、老人もいるので日帰り旅行で組み込むのは無理と判断し、雲崗石窟寺院の後に大同古城とするルートにした。
行きは北京北駅を7:16発、大同南駅に9:41着。帰りは大同南駅を16:26発、北京北駅に18:24着と長丁場になった。高速鉄道は2つのグレードがあり、列車番号の頭文字がGとDで区分される。(例:G1468, D1567)一般的にGが速いのだけど、同じ路線でも遅いGや速いDがある。今回の大同南往復は両方ともGの列車だったが、停車駅が異なり帰りの方が27分も速い。
チケットは往復とも事前にTrip.comで購入した。Trip.comの通貨設定を日本円にしたので中国元の価格が不明だが1等席が発券手数料込みで行き5,124円、帰り5,640円だった。行き帰りで値段が違うのは停車駅が少なく早く着くからだと思う。2等席だと1等席の7割前後(3,500円)ぐらい。1等席は2+2シート、2等席は2+3シートの構成。Trip.comでは予約時に座席配置のリクエストができるので、複数人の旅行であれば必ずやっておいて。切符はeチケットなので印刷する必要もないし、スマホ画面を見せる必要さえもない。
高速鉄道駅には遅くとも出発30分前には着いておき、余裕を持ってセキュリティチェックを受けておいた方がよいとのこと。3月中旬は閑散期らしく特に混んでなかったが、増田長男によると春節時期は凄まじいらしい。
駅のセキュリティチェック後は巨大なコンコースで待ち、電光掲示板でプラットフォームと改札口を確認しておく。列車が来る15分ぐらい前から改札が始まるので列に並ぶ。改札はパスポートを機械にかざして読み取りする。Trip.comでチケット購入した時に入力したパスポート情報が連携されてるんだと思う。改札は3列ぐらいで並ぶのだが、そのうちパスポート読み取りができる機械は1列だけだったりする。(他は中国人向けの非接触型の身分証明書読み取り機で無人。パスポート読み取り機には係員がいる)真ん中は無人機、左右のどちらかがパスポート読み取り機が多かったので、どの列に係員がいるかを見定めて並ぶと良い。
改札が終わりプラットフォームに降りると、始発駅なので既に電車は来ている。出発まであと5分。1等席は先頭と最後尾の1号車と8号車にしかなく、今回の我々は1号車。そしてプラットフォームに降りたところは8号車の前!年寄りを急がせながらなんとか出発2分前に乗り込んだ。
1等席は2+2シート構成で、新幹線のグリーン車と似たような感じ。飲み物(お湯)とスナックのセットが出てくる。またビール等を販売するワゴンが回ってくるなど、昭和・平成初期の新幹線を思い起こさせる。また高速鉄道はとても静かでほぼ揺れない。朝早かったのでウトウトしてるうちに大同南駅に着いた。
大同南駅は高速鉄道専用駅で、中心街からは7-8kmぐらい離れてると思う。この駅もとてもでかい。でも人いない。分かりにくい案内板を頼りにタクシー乗り場へ向かうと白タクの運転手?と思わしき人たちが盛んに声がけしてくるので、タクシー乗り場への道は間違ってないのだなと思った。
バカでかい構内を数百m歩いて更に地下に降りたところにタクシー乗り場があった。20台以上が客待ちしてる状況で、最初はここでDiDi呼ぼうかと思ったが、乗客を差配しているような人がいて、増田長男とやりとりした後に2台分乗してタクシーに乗ることになった。
大同南駅から雲崗石窟までは約30kmぐらい?約30分の乗車時間だった。窓から見える大同郊外の風景は同じデザインの高層マンションが立ち並び、それが数十ではなく、数百というぐらいの単位で広がっていく。今まで見たことのない圧倒的な風景だった。さらには建設中と思しき骨組みの高層マンションも多数あり、まだ建てるのか?と思うとともに、放置されてるのでは?とも思ったり。
大同南駅から雲崗石窟までのタクシー料金は55元ほど。DiDi使ってないので、運転手のQRコード(WeChat payAlipay共通)を読み込み、メーターの金額を打ち込んで支払う方式。(日本と変わらないというか、日本が真似したのか)2台分乗したが連携してるわけではないので、それぞれ別の場所で降ろされた。今回は増田長男含めて3名がWeChat使えたので、チャットや通話機能使って無事に合流した。複数人で旅行する際は、はぐれるケースも想定して連絡手段を確保しておいた方が良い。
9:41に大同南駅に着いて30分タクシー乗って10時30分ぐらいに雲崗石窟に到着。さあ入場しようと思ったが、どうやってチケット買えば良いのか分からない。北京の観光地はまだ日本語情報があったが、雲崗石窟はコロナ前の情報しか見つからず、事前予約についても調べてなかった。チケット販売のような窓口も機能してないし、WeChatのミニプログラムにたどり着いたが、当日はチケット購入できないようになっていた。増田長男が中国語でようやく聞き出した情報によれば、当日券は入り口の建物にあるQRコードを使って購入しないと行けないとのこと。なんか人だかりがあるなあと思ってた場所にあった。分かるか、そんなの!価格は成人100元、学生・未成年50元、老人(60歳以上)は無料で、それぞれ別のQRコードを読み取る。
そこから増田夫婦で全員分のチケット購入して、ようやく入場できたのが11時をとうに過ぎた頃。12時には雲崗を出て大同古城に向かい昼食を取る想定スケジュールが大幅に狂った。雲崗石窟もものすごく広く、老人もいるので無理に急ぐこともできず、なるようになれで、普通のペースで観光した。石窟の前に池に浮かんだ島にある寺院を通っていく。この手前にはバス乗り場があり、石窟入り口までスキップできるので石窟だけササッと見たい人は使うと良い。片道10元。でも寺院もなかなか良い感じなので、増田と同じように、行きは歩きで寺院を観ながらゆっくりと、帰りはバスで出口までというのがおすすめ。
雲崗石窟も他の観光地も同様だったが、紙のパンフレットというものがまったく置いていない(見つけられていないだけかもしれないけど)。スマホでWeChatのミニプログラムやオフィシャルサイトを見たり、たまにある標識で確認するしかないのだが、観光地のパンフレット大好きな増田としてはかなり悲しいことではある。
寺院を抜けてようやく石窟入口。すでに12時近くになっておりお腹も空いてきた。石窟の最初の方はしょぼい穴が空いていて風化した仏像だったような物がある感じ。埼玉県出身の増田は「吉見の百穴みたいなものだな」と感想を言ったら妻に怒られた。そんなこんだで更に歩いていくと建物で保護された石窟エリアに到着して、ここからがいよいよ本番。いろいろな穴に入っていくたびになんじゃこりゃ!というような石仏に出会うことができる。百穴って言ってしまってすいませんでしたと謝る。そしてクライマックスはオープンな壁面に巨大な石仏どーん!で、観光客みんなここで記念撮影していた。まだ石窟群の続きはあるようだが、12時50分ぐらいでお腹すいた、石仏満足した、ということで出口に向かうことに。ちょうどバス停もあり出口までいっきに戻るが、お土産屋や飲食店街を通らないと出口に辿り着けないのはどの国も同じだな。
この時点で13時過ぎた。大同古城の候補のお店(鳳臨閣)は14時まで営業。タクシーで20分かかる。人気店なのですぐに入れるかもわからない。お腹も空きすぎたので、ここで妥協して食べようかとも思ったが、増田長男がチャンスがあるならトライしたいということで、すぐさまDiDi呼んで大同古城へ向かった。結果、閉店30分前にすぐに入れたのでチャレンジしてよかった。お店と料理については食事編で書くので割愛。
食事後、大同古城を散歩する。大同の中心部は高い城壁に囲まれた街になっていてその中は古い街並みが残っていてとても雰囲気がよい。故宮周辺も同様なのだが、清朝?のお姫様コスプレで散歩できるサービスのお店が多数あり、至る所でお姫様(皇后?皇太后?)を見かけた。
野良猫?もいて人を怖がっていないようではあったが、とても痩せていたのが気になった。逆に北京にいた野良猫は太っていた。
鼓楼などの古い建物を横目で見ながら、英語のページでおすすめされた九龍壁(NineDragon Wall)へ歩いていった。名前がかっこいいし、入場無料なのも良い。九龍壁は故宮の中にもあり、皇帝のモチーフとして使われているのかな?(大同は北魏の都だったと後で確認した)
その後は時間に余裕をもって大同南駅までDiDiで移動し、16:26の北京北駅行きの高速鉄道に乗った。行きは停車駅が多かったが、帰りは途中1駅のみ停車で2時間かからずに到着。北京北駅の横にあるショッピングモールで夕食を食べ、そこからDiDi呼んでホテルへ21時頃着。長い1日だった。
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親子三代浦和(北浦和寄り)だが不思議と神奈川と縁のある人間だが、禿げあがるほど同意。
中高は都内だが生徒の半分が神奈川(主に横浜川崎)から通ってくる学校、就職後も川崎に9年、横浜に4年の勤務歴があり、数年間だが横浜青葉台にも住んでいたことがある。
保育園が無いのもそうだが学童がクソ。はまっこクラブという市営の学童が18時までしか預かってくれないので、多くの共働き家庭は子供を私設学童に入れる。会計を保護者がやらされるなど、利用料取ってるのに運営をがっつり保護者がやらされるので大変。
中学校に給食がなく、行政の対案はハマ弁というゴミみたいな弁当(しかも行政のコストは1食5000円)。
実際は学校の近くに総菜パン屋や弁当屋があったりして子供たちが食に困ることはあまりないようだが。
子どもの医療費無料の年齢も低かった。首都圏のほとんどで15歳まで無料が浸透した10年ぐらい前でも横浜川崎は小学校入学前まで。しかも所得制限つき。
要は、「地域社会に、子育てを地域ぐるみで支える発想が無い」ということ。これは役所の支援がお粗末である以上に日々感じることが多かった(だから職場が神奈川なのに実家がある埼玉に引っ越した)。
これは「場所による」部分が大きいが、埼玉では自転車をフル活用していたので、横浜での自転車での移動のしづらさは本当にストレスだった。横浜に住むときは、駅距離だけでなく地形も見ないと後で地獄を見る。我が家は駅近くに住んでいたので不便を感じなかったが、駅歩15分、でも一山超えるから実質徒歩移動も自転車移動も不可能、みたいなところがゴロゴロある。
横浜の治安がマトモな住宅地はだいたい物価が都内並みに高い。埼玉から来るとその高さが際立つ。特に野菜。肉は若干安い。ロードサイドに行かないとまともな商業施設がなく、価格競争もちゃんと起きていないので物価が高い。
中区、西区あたりの中心街で顕著だが、飲食店が観光地値段。一見さんで商売が成り立っているから質の高いサービスは受けられない。人件費が高い(しかもケチっている)からそれなりに客単価の高い店でも店のレスポンスが悪い。
だから地元民(地元で働いているサラリーマンも)はチェーン店に行列する。
人気の野毛もそんなに安くないし、隠れた名店、みたいなのもあまりない。
高級店は都内並みに高い(都内高級店並みのところも接客の質はあまり高くない)。浦和のような築地日本橋あたりの店の暖簾分けが、本家よりはるかに安く味わえる、みたいなのもない。
正直、浦和の年収800万と横浜の年収1000万では、消費水準はほぼ同レベルなのではないだろうか。
具体的には相鉄沿線。埼玉のヤンキー地帯も治安がいいとはお世辞にも言えないが、埼玉最悪と呼ばれる八潮にすらない禍々しさを、相鉄沿線からは感じる。強いて言えば南米のスラム街的な何か。
これは過去形かもしれない。中高時代から埼京線に乗り慣れていた人間だが、田園都市線で通勤していて感じたのは
つまり、 「電車に乗り慣れていない」 、もっと言えば 「電気で動く乗り物に慣れていない」 、さらに言えば 「電気のある生活に慣れていない」カッペが多いということなんだな、と。
埼京線1年分ぐらいの「お客さま同士のトラブル」が3日ぐらいで起こるのもびっくりした。
混雑自体というより、電車、というか電気そのものに慣れていない乗客が多いのが横浜(これは主に田園都市線)の通勤事情。
他にも挙げればキリがない(書店は多いが図書館が無い。書店も実用書ばかりで教養書や専門書が少ない、ゴミ出しのマナーが悪い(例えば青葉台住民のゴミ出しマナーは埼玉の中国人と同レベル、というのが実感)
横浜の総てが住みにくい、埼玉(浦和)はそれよりマシだ、というつもりはないが、住むのにあまりコスパの良い街ではないというのが元住人かつ長期間の神奈川在勤経験者の実感。
中心街から少し外れたところにある、ちょっと上品な住宅街みたいなところの、幹線道路に接しているような、いい感じの店に行きたい
光属性といいつつ、実際の色調が必ずしも白とか黄色とかの光っぽいものである必要はない
つまりはシャレていて、ガラス張りだったりして、明るくて、清潔な雰囲気があると嬉しいということ
業種としてはケーキ屋・ベーカリーあたりがメインで、あるいはイタリアンレストランなんかでも悪くはない その場合、イタリアン惣菜のテイクアウト販売をしていてほしい
普段あまり馴染みのないような、本格的で美味しいものを売っていてほしい
店名はカッコいい外国語であってほしい
ここらで具体的なイメージをあげてみる
https://tonarinoyj.jp/episode/2550689798287081413
店そのものの描写は意外と少なくて、商品のほうにフォーカスはあるんだけど、ロケーションとか店名とかは理想的だ
強いていうなら、野外に対して直接ショーケースのある完全な路面店ではなくて、ガラス張りで開放感はあるが販売自体は店内で行っている方が嬉しい
https://maps.app.goo.gl/xnZtQLUH67hsWjpf6
こうしてみると記憶より全然白くねえけど、なんだろうな、清潔感とかオシャレ感を総合的に鑑みたときに、属性として"光"か"無"か"闇"の三択でどれか?といったら、多くの人は"光"と答えるだろうと思う
こういうことなんですよね
https://maps.app.goo.gl/d36sYKdT9SGVJwk16?g_st=com.google.maps.preview.copy
これはストリートビューだと路面からの距離がありすぎてあんまり良さが伝わらない気がする
こういう、郊外…というより壬生川はシンプルに田舎な感じだけど、とにかく道が広くてゴミゴミしていない空間にある、明るいケーキ屋、そういうことですよ
グランメールはチェーンってわけでもないみたいだけど、個人店っぽい雰囲気もない
こういうところは入りやすいのも嬉しいですね
これまで行ったことのある店をいろいろ見てみたけど、意外とこの欲を正面から満たすような店は少なかった
つか、いろいろ注文つけてるけど、たぶんシャトレーゼでいいくらいなんだよな、実際
そういう店に行くのってどちらかというと気分がいい時が多いので、プラスの感情と体験が紐づけられてるというのもありそう 長時間残業のあとはこういう店は閉まってるし、落ち込んでるときにケーキ買いに行く元気はない
結局ケーキやパンを買いに行く元気がほしいという話だ!って側面はあると思う
昼下がりに行きてえんですよ
光属性の店でケーキとクッキーかなんか買って、植物園でクッキーだけ食う あるいは、植物園でしばらく過ごしたあとにケーキを買って帰る
そういうことをしたい それが人生に必要なコンポーネントである気がする
ただまあ、植物園は実際のところ数が少ないんで、諦めた方が良さそう となるとケーキ屋だけは人生の条件として死守する必要がでてくる
2024年の現在から過去数十年を振り返った際の重要なイベントやトレンドに関してまとめてみた。筆者の出自(旧来側の小売企業に所属)によって、記載の濃淡がどうしても出てしまうが、その点は容赦いただきたい。
大型店舗の新規出店に対して規制をしていた「大規模小売店舗法」が1991年に緩和され
2000年に廃止された。経緯としては、日米間の貿易摩擦に対する折衝の中で日本の国内産業障壁の一つとして指摘されたことによるもので、大店法緩和の象徴として日本に進出したのがトイザらスである。しかし、大店法の緩和と廃止によって生じたのは米国企業の進出ではなく、商店街などの中小小売業の衰退とロードサイド化である。我々が日本の各地で目にしている、寂れた中心市街地と画一化されたロードサイド店舗が並ぶ郊外の風景は、これによってもたらされた。
楽天市場のサービス提供が1996年、Yahoo!ショッピングが翌年の1997年である。小売の各セグメントにおいて、Eコマースは食品スーパー、コンビニ等を抑えて堂々の一位にある。あまり詳しくないので記載はこの程度。
岡田卓也が社長を務める岡田屋ほか3社が合併し、ジャスコ株式会社が誕生。
大店法緩和以降(第1位参照)の小売業の郊外進出の時流に乗って積極的に出店と企業統合および業態の拡張を行い、イオンへの屋号変更を経て、日本最大の小売グループと成長していく。
米サウスランド社から前年にライセンスを取得したイトーヨーカドーが国内第1号店として、東京都江東区豊洲の酒屋を改装しオープンした。大店法緩和以降の、中心街および市街地における店舗フォーマットとして、フランチャイズにおける小型店舗という、毀誉褒貶の伴うビジネスモデルを確立した。国内初のコンビニに関しては実は諸説あるらしいが、いずれにせよ豊洲店が現在まで続く流れの中で最も重要な存在であることは間違いがない。なお、豊洲店は今なお営業しており、従業員に国内初のコンビニであることを尋ねると、嬉しそうな反応が返ってくる(何年か前の話)。
2000年にフランスの大手スーパーマーケットのカルフールが日本に進出し千葉県幕張市に店舗をオープン。また2002年には経営不振に陥っていた西友を買収する形でウォルマートが日本に進出した。しかしカルフールは2005年にイオンに売却され、ウォルマートも2018年に西友の経営から手を引いた。
両社の進出当時には、EDLP(エブリデーロープライス 特売に頼らない一定の値付け)や卸などの日本的商習慣の打破に対する期待もあった。両社の撤退後、国内のリアルの小売業は日本資本が担っていくという流れが決定的となった。一方で、川上側の流通構造の変化については、イオンやユニクロ等が手をつけていくことになったのだが、そこに海外大手の進出の影響があったのかもしれない。知らんけど。
ユニクロがフリースを目玉商品として原宿に出店した。ロードサイド型のフォーマットは、レンガを基調にしたオールドユニクロファンには懐かしい店舗スタイルで1985年にすでに最初の店舗をオープンしていた。地方発祥の一量販店に過ぎなかったユニクロが、原宿のオープン時に社会現象と言われるまでのニュースになり、以後は全国的なブランドとなっていった。またフリースから始まったユニクロオリジナル商品はジーンズなどの数々のヒット商品を経て、単なるアパレルショップという業態からSPA(製造小売)という別のビジネスモデルへの転換へと繋がっていった。今では想像もできないが、昔はユニクロでもリーバイスのジーンズとか売っていたのだ。
スマートフォン発売当初は、国内ではいわゆるガラケーと呼ばれた従来型携帯電話が主体であったが、2010年のiPhone4あたりから潮目が変わり始めて、スマホの普及が加速した。これに伴い、ECの担い手も従来のPCからモバイルへと変化していった。
今となっては想像もできないが、当時はECで買い物をするときには、PCの前に移動してブラウザを立ち上げてから買い物をすることが必要であった。
ネットとリアルの統合とかそういったことがこの頃から言われるようになった。リアル店舗における買い物体験については、モバイル化によって、当時期待していたほどに変化したとは言えないが、今後も続く大きな流れではある。
また、このモバイル化とほぼ同じタイミングで東日本大震災(2011年)があったのは、巣篭もり含む社会情勢変化の中で間接的な影響はあったのではないかと個人的に思う。
小売業界以外の人にはほぼ知られておらず、業界内でもペガサスクラブのことを知らない人が多い。読売新聞の記者であった渥美俊一氏によって設立された、研究機関ないし互助機関である。高度経済成長期以降、アメリカの小売業をモデルとした、日本の小売業の組織化と大規模化に、ペガサスクラブの「チェーンストア理論」は大きな影響を与えたとされる。
松下(現在のパナソニック)製のテレビを、ダイエーがメーカー設定を下回る価格で販売したことによる対立。大きくは流通業界全体における主導権を製造側が握るか小売側が握るかという点での争いである。より消費者に近い川下側が主体となって流通全体の効率化と変革を進めていく考えが流通革命であり、1962年に同名で出版された著書がある。
大丸と松坂屋の統合によるJ.フロント リテイリング、阪急百貨店と阪神百貨店によるエイチ・ツー・オー リテイリングの発足がともに2007年で、翌年の2008年には三越と伊勢丹が経営統合した。この一連のイベントは、統合そのものよりも、百貨店業界全体の不振として捉えたい。
今となっては信じられないが、かつては小売業の中での業態別の首位は百貨店であったが、売上高としては1991年の12兆円をピークとして現在まで半減している。
区のね
なんか23区って23区だから、あれを基準にすると例えば足立区への評判の悪さとかりかいできないんだ
一時期千葉県の柏にいたけど、あそこは評判悪くなかった
そんな疑問があったが、どうやら「中心街の外側に評判の悪い地域が存在する」という法則に気づいた
言い方は悪いが、確かにスラム街も大都市の周辺に常に存在している
もちろん地域に罪はないのだが
「金を求めて中央に来た人のうち、落ちぶれた人が中心から離れていく」や
「金を求めて地方から上京してきたが、地価が高いので中心から離れたところに居を構える」のようなときに
それは発生するらしい
しかしこれは
「家族ができて家を購入する必要ができたため中心から離れたところに引っ越す」
被らないと上手いこと層になる
中心街ーーースラムーーベッドタウンーー通勤限界ーー地方都市ーー
みたいな感じだ
それで、「中心街」は東京においてどこか?というのが分かるのにすごく時間がかかったと思う
今は「千代田区、中央区、港区、品川区、目黒区、渋谷区、新宿区、豊島区、文京区」あたりで大体良いんじゃないかと思う
ここに住むのは基本金持ちか無理をしてる人か、狭くても気にしない人たち
良い悪いというわけでもないと思う、一長一短
治安はたしかに良い、特に南側、良いというかこれが普通という感じだけど
世田谷区、杉並区、練馬区、中野区、板橋区、北区、荒川区、台東区、墨田区、江東区、大田区あたりは
とんでもなく治安が良いところもあれば、評判が悪いところもある
だが総じてとても住みやすいところが多い
自分は5年以上中心エリアに住んでいたが、一個離れたほうが街は住人向けに特化していると感じた
飲食店の量なんかが段違い
ただし通勤はめんどくさくなる、各駅満員電車に最低でも20分は揺られる羽目になるからそれは考えもの
足立区、葛飾区、江戸川区、そして神奈川の川崎区は、ベッドタウン距離なはずなんだけど
土地の問題(水害など)で忌避された結果スラム距離だけが残ってるんじゃないかと思う
川崎市はイメージが悪いが、川崎区以外は明らかにベッドタウン距離になっていて、よく知られるようにタワマンで溢れ返っている場所もある
船橋市、柏市、流山市まで行くとスラム距離を超えるためかなぜか平和な印象を受ける
県二位の人口22万人の中核市であり、太平洋に面する港町、臨海工業地帯、外航・内陸航路の工業港を有し、東北新幹線八戸駅、東北自動車道八戸線、三陸復興道路の北の終点がある。東北有数の商圏63万人の街。
しかし、八戸市にはイオンモールがなく、イトーヨーカドーは2024年の夏に閉店する。
八戸市の映画館はかつて7館あったが、現在は完全になくなった。
2000年代前半4万平米級のイオンモール計画が立ち上がるも、中心市街地の地権者や有力者等で構成する市の商工会が大反対運動を展開。当時の市長はイオンモール反対を表明するも次の選挙で市民の支持を得られず落選。
イオンモールを待望した市民は、官僚出身の新市長を当選させた。しかし、外部の反対派寄りの専門家や学識経験者を交えた委員会を開き、最終的にイオンは過剰な商業施設であり不要と決定。そして、八戸市は事実上の1万平米以上の商業施設立地規制条例を制定し、イオン予定地は、当初計画を大幅縮小した売場面積7千平米級の中途半端なイオンが開店した。
さらに、市はそのイオンの隣により大きな建坪で市の総合検診センターを建設。土地区画整理組合への補償のためだと思うが、未来永劫、増床してイオンモールにすることはできなくなった。
その結果、市民は昔からある隣町のイオンまで車で約15kmから20km車で行く。
車がない高校生は1日に4便しかない直行バスに長い行列をつくり30,40分かけていく。
街の顔である中心市街地は、税金や補助金を投入し続けたが商業エリアとして魅力は下がり続け集客力は改善せず、事実上シャッター街に近い状態になった。
かつて市民のデパートとして親しまれたヨーカドーは市内に2店舗あった。1980年中心街の再開発ビル(地下1階、地上7階建、屋上遊園地)にヨーカドー八戸店出店計画が出て、当時の市商工会議所は大反対をした。市民には大歓迎されて開店してから東京の有名なデパートとして八戸の目抜き通りのシンボルとなった。その後2003年閉店。
古いビルは壊され屋台村になり、かつての長崎屋は1階がタリーズコーヒーで、2階から13階建のマンションになった。
市は20年ぐらい前には既に中心市街地活性化対策に乗り出し、再開発計画が出ては消えを繰り返し、最終的に新市長が市営の箱物をたくさん新設したり、建て替えた。
中心街は仙台に次ぐ飲み屋街として名高く、屋台村のみろく横丁周辺が酒豪の呑んべいたちで賑わう。新幹線開通後、新たなホテルやマンションはいくつか建設された。
市内は、北東北を中心に展開する売上高1300億円、58店舗を展開するスーパーのユニバースが本社を置き市中を治めつつ、他社も含め無数にスーパーとドラッグストアがある。イオン系列マックスバリュー、ホームセンターのサンデー、ヤマダ、ケーズデンキ、ユニクロ、GU、しまむら、西松屋、ワークマンもある。日常の買い物には困らない。
しかし、市民は屋内一体型モールのイオンモールが欲しかったのだ。大規模な市総合検診センターでもなく、市の観光文化交流施設や、市民屋内広場ではなく、イオンシネマやゲームセンターやボーリング場や、未来屋書店や、東京のアパレルテナント、東京で話題のある飲食店のフードコートが欲しかった。
明治時代に日本鉄道が東北本線を八戸町の中心部に伸ばすかどうかで議論になった。
当時は他の町と同じく蒸気機関車忌諱説があり、流行病の懸念や軍部の要望があり外国軍上陸の脅威を減らすべく、市街地から4kmも内陸の尻内(しりうち)という辺鄙な場所に駅をつくった。あとで町民たちは鉄道は便利だと知ることになり、数年後に本線から分岐して八戸線が開通し中心市街地の800m北寄りに旧八戸駅、現在の本八戸駅を開設する。
そのあと100年以上が経ち、尻内駅は八戸駅に駅名が変わり、やがて新幹線駅に昇格した。しかし、あまりに市街地から離れすぎた立地のため、郊外の地方空港の様相であるかのように、22万人都市の玄関口としてはお察しくださいの状態である。
大正末期に八戸大火が発生し中心商業地区が焦土と化したが、田舎町には後藤新平のような都市計画家はおらず、当時の八戸町議会は多額の予算は出せないとして狭い道は藩政時代のままとなった。
太平洋戦争では基幹産業の日東工場爆撃が海側の地域で爆撃を受けるも、中心市街地の空襲被害はほとんどなかった。
市の北側に位置する旧日本軍の飛行場と基地は米軍に接収され、3,200人の米兵により飛行場を拡張し基地の街と化す。その後、陸海自衛隊基地として運用される。
八戸の中心市街地は、戦後しばらくして、東映、東宝、テアトルなどの7つの映画館が開店し、地元百貨店が開店し、緑屋、ニチイ、丸光(さくら野)、長崎屋、そしてイトーヨーカドー、地元資本のファッションビルが開店し、中心市街地は岩手県北を含め商圏62万人ともいわれ栄華を極めた。私はその時代を生きていないのでよくわならない。
八戸は昭和30年代に新産業都市に指定され臨海都市建設工事が始まり、八戸鉱山の石灰石産出、三菱製紙工場、八戸火力発電所、非鉄金属の精錬所、鉄工所、造船所が建設された。
漁業は栄光を極め、八戸港の水揚げ量・金額が日本一を記録し、第一・第二・第三魚市場は全国の漁船が集まったという。浜の景気は大変良く、飲み屋街や風俗街も発展した。北海道室蘭・苫小牧港へのフェリー航路が開設され北への玄関口となった。中心市街地を迂回する国道45号バイパスが整備され、市道の4車線の環状道路が次々と開通し、田畑の区画整理が次々と進み新興戸建住宅地や住宅団地は郊外に市街地は拡大し、市営バスは路線網を拡大し小中高校は増設を続けた。
一方で、青森寄りの天間林村(現七戸町)の上北鉱山は銅が枯渇のため閉山。また、八戸から60キロ北の六ヶ所村では新全国総合開発計画による巨大石油化学コンビナートや製鉄所を中心とした、1万7000ha開発計画は発表されたが、二度のオイルショックで完全に頓挫した。石油備蓄基地のみがつくられ、のちの日本原燃による核燃料サイクル施設建設を待つことになる。
青森県議会は東北新幹線建設に際し、八戸経由か弘前経由か決められずに結局盛岡駅止まりのまま以後八戸延伸まで20年待ちとなる。あの頃、早く決めていればとおもうと悔やまれる。
1991年に長崎屋が郊外に移転。屋内遊園地つきのラピア長崎屋が開店
1994年年末に三陸はるか沖地震(震度6)が発生、旧市庁舎、旧市民病院に大きな被害、中心市街地のビルが倒壊し死者発生、道路の崩落、水道管破裂など多数被害
1995年 隣町にイオンモール下田が開店(現在は売場拡張し53,277平米)県南地域では最大の売り場面積を持ち、当時は大観覧車があり田んぼと山がよく見えた。
1997年中心市街地の市民病院が郊外に移転し、いよいよ中心市街地の危機が地元紙で叫ばれるようになる
1999年八戸臨海部の神戸製鋼の敷地にピアドゥ(売場面積25,400平米)が開店。核テナントはイトーヨーカドー、ホームセンター、のちにヤマダ電機、スーパー銭湯開店
2002年東北新幹線八戸駅開業。北の玄関口として栄華を極める
2003年イトーヨーカドー八戸店が閉店、跡地に地元出資チーノオープン。市民映画館が開店
2009年 臨海部の八戸魚連跡地、ピアドゥの隣接地にシンフォニープラザ(現在の売場面積17,000平米)が開店
2000年前半イオンモール八戸田向店40,000平米級の建設計画が持ち上がる
当時建設中の4車線の県道八戸環状線沿い一帯の田んぼを区画整理し、中心街から八戸市民病院が移転した付近に立地計画。
市民の多くは歓喜に沸いたと思う。わざわざ隣町のイオン下田まで行く必要がなくなるからだ。
しかし、中心市街地の商業者を中心とした商工会が猛烈に反対し、当時の市長も大反対。
地元新聞の投書には、商店街関係者と思しき女性が「イオンが来たら中心街がシャッター商店街になってしまう。そんなところで祭り(八戸三社大祭という由緒ある山車の祭り)は見たくない!」などと書いていた記憶。
ほかに、市民病院の近くが週末渋滞して救急車が到着できなくなるから反対との投書もあった。
その後、市長は1期で落選し、新市長が当選し立地規制条例を制定
2012年郊外にイオン田向ショッピングセンター開設(7000平米級)
新市長は、空洞化した市街地を再建すべく、市営の箱を次々と建設。
2011年 市営のポータルミュージアムはっちが開設、中心市街地にタリーズコーヒが初出店
2016年 ガーデンテラスが竣工し市営の八戸ブックセンターが開設、Yahoo八戸センターが同ビルに拠点開設
2019年国際大会用の屋内スピードスケートリンクが開館(中心市街地から徒歩圏の運動公園に建設)
2020年 元長崎屋跡地にDEVELD八日町が竣工 13階建で2階以上はマンション
2023年イトーヨーカドー八戸店跡地のはっちが閉店。解体されマンションになる予定
2023年八戸港の水揚げ量が昭和19年レベルに激減(戦後最悪水準、金額ベースで最盛期の10%の漁獲高)
2025年青森銀行とみちのく銀行が合併し青森みちのく銀行設立予定
東日本大震災のあと、国の復興予算で約10年で三陸復興道路が完成し、県道の環状道路は大半が開通した。市内のロードサイドにはセブンイレブンも、タリーズも、コメダ珈琲も、スタバもできた。新しいスーパーやホームセンターがあちこちにできた。
中心市街地は市営の観光施設や屋内広場、箱物と、市営書店ができて大変モダンな空間になった。
地元商工会議所は、中心市街地活性化のために、巨大イオンモール進出を阻止に成功し、街中に新たな商業施設として、ローソンとファミマが合計6店舗できた。モスとドトールしかなかった街中にタリーズができた。
しかし、市経済の低迷も相まって中心街へ商業施設誘導を果たせず、三春屋とチーノは閉店し、今やさくらの百貨店が残るのみである。かつての商業ビルはマンションへ建て替えが進む。
商業地としてのポテンシャルが低下してマンションになるのであれば、郊外に予定通り40,000平米のイオンモールを建設してもよかってのではないか。
結果、GMSは衰退し臨海部のヨーカドー八戸沼館店は閉店。後継テナントは未定で、市民は1991年開店の江陽のラピア長崎屋と、臨海部のシンフォニープラザ、2012年開店のイオン田向(リテール)のみになる。
よく巨大郊外型モールが撤退したあと社会問題になるため開発抑制が必要だという。都市計画的には正しいが、近隣県を含め広域自治体レベルで規制誘導しない限り、一自治体が規制をかけても無意味だった。
結局、市民は1995年以降、隣町のイオンモール下田まで行き、買い物客が流出し続けた。
中心市街地の地権者はコンビニ6店やマンション1棟やホテル2棟をオープンさせたが、新たに集客力のある商業施設を建てたては言えず、中心市街地の魅力向上のため、市営の文化的施設の建設に資金が投入され続けている。
2050年までに、八戸市の人口は社会保障人口問題研究所の推定で14万人台になるとしている(最盛期より10万人減少する)
人口減少社会は、かつての拡大した市街化区域を減らし、都市軸の再形成、まちなか居住、コンパクトシティの形成、魅力ある歩いて暮らせるまちづくりをするなど、さまざまなメニューがあるものの、あまりにも中心市街地再興への道のりが長すぎる。その過渡期に過ごす市民は、これからもイオンモール下田に通うことにになる。
せめて20年前に八戸市や市商工会議所は、イオンモール立地に反対しなければ、あの長い行列をつくりバスを待つ市内の高校生たちは、自転車でいける距離でイオンモールに遊びに行けただろう。
ここ2ヶ月くらいの話
結婚相談所は足切り要素多いので、基本的な戦場はアプリと街コン
街コンで会ったフリーでイラストレーターとか広告系のデザインやってる方。喋ってる感じ俺よりずっとしっかりものという印象
結婚相談所もやってるって言ってて、会話も具体的な結婚までの流れとか結婚後の生活スタイルとかをいっぱい聞かれたんでなんか戦略的に婚活やってる人だなーって思った。
なんか真面目そうな雰囲気だったからおちゃらけたこととかあんま言えなかった気がする。
アニメとホラー映画好きな方だったんで薬屋のひとりごととかミッドサマーの話をした。
解散してすぐ2回目のデートお誘い「元カレに顔が似すぎている」とかよくわからん理由でお断りされる。
まあ多分いろんな条件やら印象やらが微妙なのをめっちゃオブラートに包んだ言い方なんだろうなーって思った。
アプリでマッチングして数回通話した後に会った。小柄で年齢よりも童顔で可愛らしい方だった。
車ないから家が遠い人は基本足切りしてたんだけど、向こうからいいね来て可愛かったから例外的に会った。
「顔で判断されたくないんです」って言ってたから「え、めっちゃお綺麗じゃないですか」
って言ったらどうやら美人ゆえに見た目だけでチヤホヤされたくないっていう思ってたのと逆パターンだった。
メンタル弱そうな感じで、職場からは正規雇用勧められてるけど長時間で責任重いのは辛いからあえて非正規時短で今は専業主婦を目指してるらしい。
「中身を見てほしい」ってしきりに言ってたけど意識低い故の非正規雇用で実家暮らしだから家事が得意なわけでもない専業主婦志望みたいな美人の見た目と体以外のどこに魅力があると自分で思ってるんだろうってぶっちゃけ思ってた。
会話は恋愛論みたいな話題中心で、過去の恋愛の辛い過去の話したり婚活の悩み相談乗ったりひたすら全肯定してた。体の相性とか理想の回数とかそういうのまで結構赤裸々に話してた。
盛り上がったから俺の家の前で解散って流れになったんだけど、「ちょっとあがってく?」って冗談っぽく言ったらOKしてくれたから二回くらい性行為をした。
「お互い良い人できるまで、こうやってたまに遊ばない?」って提案された。将来の伴侶としてはちょっと内心微妙な感じなんやなーってちょっと思った。
その数日後にその子がたまたまうちの近く来ることあって一回お泊りした。その子が最近デートに行った男やマッチングした男の評価やらメッセージの添削やらをした。
まあそっから家が遠いからお互いだるくなってなんやかんやでフェートアウトで終了
街コンで会った県庁務めてる方。別の人とマッチングしたからマッチングはしてなかったんだけど連絡先だけ交換して後日デートすることになってた。
見た目はなんか「The・キャリアウーマン」みたいな感じで、身長170くらいあってスタイルすごく良かった。
マッチング後近くのカフェでお話したけど、JSミルの功利主義の話とか、フェルマーの最終定理の話とか、芥川のトロッコのエモさの話とか、
あんまりリアルの人とそういう話題を話せたことなかったけどちゃんとした大学出た人ってこういう話できるんだ凄いなーって思った。
中心街の駅周りをぶらぶらデートした。GU寄ってコートを試着してもらったらやっぱ背高い人にコートは似合うんだなーって思った。セール中で値段は安いんだけどプレゼントした。
手繋いだりハグっぽいことしたらなんか好感触で、「どっか行きたいとこあります?」って言ったら「どこでもいいですよ」って言われたから「じゃあ俺の家はー?」
って言ったら軽くOKしてくれたんで俺の家で一緒にロールキャベツを作って食べた。結局その日は泊まりで性行為はした。
最初のカフェで「アプリで初日ホテル誘ってくるヤリモク何人かいてマジで常識なさすぎじゃないですか?」って言ってたのに俺とは出会って初日でワンナイトしてくれたのが嬉しかった。
↑の事務員の子の次の日に会ったから2日連続のワンナイトだった。
なんやかんや繋がってはいるけど、まだアプリやら街コンやら頑張ってる雰囲気あるから付き合うとかじゃないのかなーって感じ。
アプリで出会った方 金髪でタトゥーが入ってて鼻ピアスしてて喫煙者だった。あんまり喋ったことない生粋の陽って感じの人種
なんか向こうのお気に入りのスイーツもやってるおしゃれバーで初デート
肩に蝶のタトゥー入ってたから「なにそれめっちゃかわいい!」って言ったらタトゥーのこといっぱい教えてくれてちょっと詳しくなった。
海外のレゲエやらヒップホップが好きらしいけど全部全く名前も知らんかった。
映画も好きらしいからトレインスポッティングやらレザボア・ドッグスやら遊星からの物体Xやらの話結構してた気がする。
その子高卒だったから「俺今の時代は女性でも4年制大学出てない子ってちょっとありえないと思うんだよね」って言ったら
「そうだよね…私みたいな低学歴の女には婚活する権利ないよね…って中卒男が何言っとんねん!」って結構ノリノリのノリツッコミしてくれたのが面白かった。
次の日早番だからって割りと早く解散して、「楽しかったです!」ってLINE送ったら半日以上返事こなくて(半日後は返事来たんだけど)
そういえば「最近LINEの通知見れなくなっちゃったんですよねー」ってバーでの会話の中で言ってたけど返事遅いのがそのせいなのか脈なしなのか判断つかなくて次のデートお誘いできなかった。
まあでも明るくて面白くて素敵な方だった。
今まで一度も男性とお付き合いしたことないって言ってたけど本当かどうかは不明
昼からカフェで会って終電近くまでファミレスやらバーやらはしごした。
インドア方向でもアウトドア方向でも無趣味で家でずっとボーーっとしてる感じの人だったから話題に結構困った。
プロフィール情報聞き出すテンプレ会話以外あんま噛み合わなかったから話した内容あんまり覚えてない、多分「綺麗だね」「○○さんといるのめっちゃ楽しいー」とか適当なこと言いまくってた気がする。
手繋いだらめっちゃ初対面なのに「女の扱い小慣れすぎててきしょいですね」って面と向かって言われたのが面白かった。
「お別れするの寂しいよー」って言ってごねてたら家の前までついていくの許してくれた。
「お家あがっていい?」って聞いたら拒否られたけど「キスしていい?」って言ったら「いいですよ」って言ってくれたからとりあえず家の前でベロチューしながらお尻は触った。
たまに連絡してたけど意外にも向こうから2回目のお誘いはなかった。自然とフェードアウト
なんか趣味がフットサル釣りキャンプボルダリング海外旅行で週2回以上は何かしらやってるってめっちゃアクティブな人だった。
なんかお互い可もなく不可もなくみたいな感じだったから2回目には繋がらなかったんだけど、
後日「良い子いるから会いませんか?」って職場の女性のLINE紹介された。ただぶっちゃけあんま可愛くなかったからデートは誘わなかった。
2ヶ月間いっぱい女の人と出会ったのに結婚相手どころか彼女すらできないよ……
「当たり前」を持ってる人だとこんなに苦労しないんだろうな……
どうやったら婚活ってうまくいくのかな?みんなのアドバイス聞かせてほしい。
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