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はてなキーワード:中学校とは

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2025-12-13

anond:20251213194441

中学校校長レベルでも満たせるやで

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普通」の女の子になった話

父は瞬間湯沸かし器みたいな人で、些細なことですぐキレて手が出る。

私も物心ついた頃から殴られたり床に倒されて踏まれたりしていた。

父は人とのいざこざで殴ったり恫喝したりしたこと武勇伝としてずっと話していた。

小中学生スポーツチームの指導なんかもやっていて、今だったら問題になるレベル体罰の話も自慢げにしていた。

父の友人達もそれを持ち上げ、「さすがだなあ」「それが正しい」とかっこいいことであるかのように扱っていた。

私は幼少期からから殴られ、暴力自慢話を聞き、周囲の反応を見ていたので、力で相手ねじ伏せることはかっこいいことで、ためらわないでよいことだと思い込んで育った。

それから色んなマンガで男よりケンカが強い女キャラを見てかっこいいと思い、ごくせんドラマ流行っていたので「男を殴れて勝てる女はかっこいい」とどんどん思い込んでいった。



漫画ドラマでは「女を殴るなんてありえない」というシーンがあったりするので、女の子暴力をふるおうとは思わず男子とよく取っ組み合うようになった。なぜか女である自分が殴られることに抵抗はなかった。

取っ組み合いにきっかけや理由なんてない。小学生男子なんて暴れたい盛りだし、意味もなく突進してくるやつとか、私がすぐ手が出るのをわかっててからかいに来るやつが同級生にたくさんいて、私はいちいち応戦していた。

父は人を殴って相手の歯を折った時の傷が指に残っており、それを勲章のごとく自慢していたので、私は男がケンカで体や顔に傷をつけることはかっこいいことだと本気で思っており、男子と取っ組み合うと顔面にも容赦なく蹴りを入れたりしていた。

休み時間放課後にはだいたい男子たちと暴れ、殴ったり殴られたりする毎日で、これが普通だった。ドッチボールとかサッカーとかで遊ぶのと同じ感覚ケンカして遊んでいた。

ある日の休み時間、いつも通りに男子たちと取っ組み合う中で1人の男子の頬に回し蹴りを入れた。結構クリーンヒットだった気がする。

特に気にせず他の男子さらに取っ組み合っていたら、数分後「何やってんの!!!」という担任の金切り声が響いた。

当時の担任先生20代後半~30代くらいの女性だった。

いつも「危ないよ!」くらいの注意しかしなかった担任だけどその日は様子が違った。

担任の横にさっき私が回し蹴りをくらわした子がいて、泣いているので「え、何?何?」と手を止めて近寄ると

「何じゃないよーーー!!もういやーーー!!!」と担任が泣き叫び、膝から崩れ落ちた。

担任の横で泣いている男子の口内が血まみれになっていた。

それから校長室に呼ばれ校長事情を話し、それぞれの保護者を待ち、帰った。

日登校したら担任に呼ばれ相談室のようなところで「これを読みなさい」と手紙のようなものを渡された。

私が回し蹴りした男子のお母さんが担任に宛てたもののようで、口内を切ったのと歯茎への衝撃?で出血が多かったがとりあえずは大けがではないこと、

けがではなくてもどうしてうちの息子がこんな目に遭わなければならないのかということ、男の子相手ならやんちゃ同士で許せるかもしれなかったが女の子にやられたなんて信じられないということ、

相手の親から謝罪がないことなどが書かれていた。

担任は私が手紙を読んでいる間ずっと泣いており、その後数日学校に来た後は長期の休みに入ってしまった。

手紙に書かれていた通り、私の父親は件の当日に私を迎えに来たけど、担任から事の顛末を聞いたくらいで後は私に何も言ってこなかった。

怒るでもなく慰めるでもなく事情を聞くでもなく。ガストで夕飯を食べて帰った。その日も帰宅してから別件でキレられ、殴られた。

数日後、男女数人で公園鬼ごっこか缶蹴りかをして遊んでたと思う。

1人の女子を後ろから手で目隠しし数を数えていたら、知らない女の人がすごい剣幕でやってきて「やめなさい!」と怒られた。

危ない遊びはやめて!こないだの〇〇くんの時もだけどあなた暴力性は信じられない!あなたおかしい!女の子にも乱暴する気!?

みたいなことを言われ、めちゃくちゃ怒られた。

私は知らない人だったけどたぶん同級生母親とかだったんだと思う。私がクラスメイトにケガをさせたことを知っているようだった。

取っ組み合いのような遊び方よりははるかに優しい遊び方をしていたと思うんだけど、自分が少し相手に触れるような遊び方をしているだけで大人はこんなに取り乱すんだ、と少しショックだった。

危険人物である、悪である、と人に思われていることを急に自覚して、なんだかとんでもない気持ちになった。

今考えたら子どもを育てている親からすれば暴力的な子が自分の子の近くにいれば怖いし叱るべきなのはわかる。

どう考えてもあの頃の私はおかしかった。

それから私は取っ組み合いや殴り合いをやめて、普通の子どもになったと思う。(体育や休み時間にやるスポーツは派手にやっていたけど、普段生活では大人しくなった)

腹が立つことや納得いかないことも話し合いでなるべく穏便に解決することを学んで、大声を出して主張する人や嫌なことがあると物にあたる人、手が出る人を見ると嫌だなあと思うようになった。

子どもながらに自分のしてきたことを棚に上げたり棚から下ろして飲み込んで吐きそうになったり、ぐるぐる悩みながら中学生になった。

小学校には私以外にも男勝りをアイデンティティーにしているような女子が数人いたけど、中学校にはボーイッシュな子はいてもそんな暴力的な子はいなかった。

制服スカートのままで毎日男子とのケンカを楽しんでいる豪快な女子なんてマンガ世界しかいなかった。

中学校までは同じ小学校出身も多かったが、高校はなるべく遠く、同じ小学校の人があまり受験しない学校を選んだ。

穏やかでにこやかに、口の悪いこともなるべく言わないように過ごし、友人も文化部帰宅部の和やかな雰囲気の子が多かった。

父は相変わらずスポーツチームの指導に勤しみ、家にはたびたび非通知で電話がくるようになった。

「うちの子がそちらのコーチに殴られて倒れた後蹴られたそうですが」

「1人だけグラウンド20周以上走らされ吐いたと聞いた。家に帰って来ても体調が戻らず、もうクラブ練習行きたくないと言っている」

知らずに電話を取ってしまった時は人の憤りと恨みを直に感じてしまい1人で泣いた。

父はそもそも電話が鳴っても取らない。家主は家では自分の席から動かず、家族は家主が動かないでいいように働くべきだそうだ。

鳴る電話は父が暇で電話の一番近くにいても必ず誰かが取らされ、電話が取れなかった時ややむを得ず父が取った時などは殴られた。


大学進学を機に家を出て、就職実家から離れた場所でした。

偶然小学校同級生男子会社で同期となったので、2人で飲みに行った。

当時殴り合いをしていたうちの1人だったので、お互いに「お前落ち着いたなあ」と言いながら飲んだ。

私が男子を流血させて担任を取り乱させたことも覚えていたし、今でもその男子と交流があるという。傷は残っていないし、私の話が悪い意味で出ることもないらしい。

それでも「あの時はごめん」と謝った。涙が出た。

何と言っても私がしたことやあの時の自分の考えが変わるわけじゃないのに、女の私が泣くのはずるいと我ながら思った。

「俺も暴れる問題児だったかお互い様だ」と言われた。今度は件の男子も連れて飲もうと言ってくれた。

同期は父の教えていたスポーツチームにも所属シバかれていたので、「父は理不尽に怒るし体罰もするし嫌いだったでしょう」と聞くと、苦そうな顔で「ま、あの頃は子どもから……」と言われた。

私も父を好ましく思っていないはずなのに、そう言われて少し胸が痛かった。



父は父母の署名により数年前にスポーツチームの指導者を辞めさせられた。

誰に言うということでもないので、増田に書き捨てておく。

Permalink |記事への反応(1) | 11:49

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純愛をしていた頃の思い出


はてなに書いてみたいと思った。

純愛というか、若い頃はそんな時期があった。今の私は不惑

の子とは長年連絡を取り合ってなかったが、実は先日、親戚付き合いの時に出会った。祖父方にあたる親戚の家のダイニングで。

その時に思う事があって、増田をしたためることにした。増田はたまに短文を書くくらいである。



の子と初めて会ったのは、私が21才の時だった。当時は茨城県にある大学電気工学を学んでいた。夏休み帰省である実家は、(秒速5センチメートル聖地)隣の栃木県にあった。

ある夏の帰省時に……その実家から、ほどなくの距離にある親戚の家に行ったのだが、玄関に入った時に、はとこに当たる子がいた。

当時は「はとこ」という単語は知らなかった。誰がどの親戚筋にあたるとか、そういうことにも興味なかった。ただ「女の子がいるな」としか思わなかった。

その、はとこに当たる子なのだが、『野乃花』ということにする。プリキュアの方ではない。野乃花(ののか)は玄関口で私と目が合って、「こんにちは」と言ったのかな。それは覚えている。

帰省時に親戚の家に行っても、一応成人である私は暇を持て余していた。子どもの頃から何度も行ってるが、その時みたいに居間でくつろぐことが多かった。周りは子どもばかりである

親戚の子どもたちは皆ゲームをしていた。スマブラというゲームだった。大乱闘スマッシュブラザーズ

私は任天堂キャラをほぼ知らなかった。ピンク色のあれがカービイって言うのはわかったけど、あとは知らないキャラだった。ピカチュウも辛うじてわかったくらい。

ゲームを一切しない子どもだった。家にスーファミPS2もなかった。家の近くにある里山に出かけて、危険であろう山奥まで踏み込んで、昆虫トカゲを捕まえて飼育するのが好きだった。日本にいるはずもないチンチラがいないか探そうとしていた。

親戚の子ども達は居間ゲームするだけじゃなくて、子どもらしい身体を動かす遊びもしていた。外での運動だった。まさにスマブラ

居間でも、廊下でも、玄関でも、これでもかというほど広い庭でもそうだった。私は成人男性だったけど、元気のいい彼ら小学生相手をすることもあった。

野乃花は、大人しい子……でもなかった。わーきゃー言って水鉄砲を打ったり、私に体当たりをしてゴロンとひっくり返っていた。溌剌な子だった。

野乃花はその時、7才だったはず。14才差なので。小学校に上がった年である。いい頃合いの年齢ということで、(私から見て)遠い親戚の人も、野乃花を本家筋の実家に連れてきたのだろうか。

それはそれとして、大学であるというのに私は、毎年夏や大晦日になると……その親戚(本家筋)の家に行っていた。小学校中学校の頃は、それこそ年に何度も。

うちの母親が私や兄弟を連れて行くと、祖母漏れなく一万円をくれるのだった。うちの母親は、ことあるごとに其処に行っていた。子どもを連れて。ある種の集金システムである

私は子どもながらに察して、祖父母にあざとくした。可愛い子だと見られようとした。今思えば浅ましい考えかもしれないが、毎回寄るだけで一万円をくれるのだから、それくらいは当然と思っていた。

中学生高校生になると、親戚の家に行くことはなくなっていた。

しか大学に進学すると、また急に行く頻度が増えた。私と祖父が同じ大学出身で、学群も同じ(祖父時代学部)だった。お気に入り度が上がったのだと思う。

20才になる年に入ると、祖父のとっておきの日本酒や焼酎を飲ませてもらった。あの頃はおいしい酒の味がわからなかった。モンテローザ系列の味に慣らされた舌には、明らかに上の味だったけど。

話が脱線している。あの日々が懐かしすぎるのが悪い。

え、野乃花?あの子は、、、私が22才、23才、24才になる年も、毎年ずっと会い続けた。親戚の家に行く度に必ずいた。ほかの子はいないこともあったし、来なくなる子もいたのだが。

今思えば、懐いていたと思う。よく会話をしたし、ごっこ遊びにも付き合った。

夏休み冬休み宿題を私が教えることもあった。「増田くん。あたまいー!」とよく言ってくれた。私は漢字に弱かった。今でも書き誤りをすることがよくある。

野乃花に、「こないだの発表会でね、その旨(うま)をまとめて発表します」と読み間違えた話をしたが、さすがに理解してくれなかった。

ある日、曇天で雷が鳴っている時に、雷を素早く動いて躱せるのかという話になった。私が「雷はね。上から落ちてくるんじゃなくて、下から上に昇ってるんだよ」と伝えると、「うそ。ほんとー。今度試してみる」と言った。「絶対に試したらダメだよ」と釘を刺した。

野乃花について、はっちゃけ雰囲気の子想像するかもしれないが、実際は年齢に見合わない利発な子だった。理屈っぽい私の話を、「へえ」と面白がってくれる唯一の人間だった。

夕食の時は席が大体隣だった。誕生日プレゼントをあげた時は抱き着いてきた。年齢差はあったけど、会話が弾んだ。

親戚の大人達が家にいない時だと、2人きりになることがあった。かくれんぼとか、鬼ごっことか、ノートPCヤフーポータル画面を開いて、いろんなことをググったりした。(ほかの親戚と一緒に)花火大会にも行った。水族館にも。遊園地にも。

彼女は明るくて溌剌としていて、私みたいな陰キャラとは違った。いわゆる"いい子"だった。はてなブックマークでいうと、女性ブクマカトップコメに入りがちな、快活な方々がおられると思う。あんな感じの、知性やユーモアを伴った明るさである



25才の頃は、新卒で入った茨城県にある電機メーカーに勤めていた。

親戚の家に行くのは、年に2回ほど。祖父は、私が社会人になっても毎年お小遣いをくれた。「早く技術士になれよ、期待してるぞ」って、行く度に祖父が言ってた。それから十年もかかったが、祖父と同じ電気分野で技術士試験を通った。

それくらいの年齢になっても親戚の家に行ってたのは、野乃花のことが頭にあった。私に懐いてくれる女性というのは、それまでの人生彼女しかいなかった。私はモテなかった。はてな語で言う弱者男性

ある年の夏だった。自家用車で一人でその家に行くと、玄関口の廊下に野乃花がいた。靴を脱いで、家の廊下に上がったところに古い掛け時計があった。ずっと昔からあって、玄関に上がる時は時刻を見るクセがあった。

廊下に立っていた野乃花に近づいていって、野乃花の両肩に手を置くと、野乃花が唇を突き出した。キスをした。口にする方だった。

私は別にロリータ同人誌アンソロジーを持ってたわけじゃない。そういうR18コンテンツに触れたこともない。当時の私は、社会人としての勤めや、理工学勉強の日々の傍らに、読書をしたり映画鑑賞をする男だった。年少への性癖はない。ただ、孤独への性癖があっただけだ。

野乃花とのキスというのは、その時が初めてじゃない。鮮明でない記憶だけど、初めての時は、私が22~23才くらいの時だった。野乃花が8~9才くらい。

親戚の家の中ほどにある居間で、2人だけになってる時に、身体が不意にくっついて……その流れで、人生で初めてキスをした。少し大人になれた気がした。

それからは、2人になる度に、親戚の目がない時にキスをしていた。唇を合わせるだけの簡単なやつを。一日に何度も。別に理由はなかった。私も野乃花も、ただしたかっただけだと思う。

野乃花が小学校卒業する年の2月だった。初めて2人だけで外に出かけた。それまでは、親戚付き合いの中で、花火大会とか水族館とか、飲食店などに一緒に行っていた。それが、野乃花が親に携帯電話を買ってもらい(青っぽいガラケー。私はスマホ)、LINEでやり取りするようになった。

デート場所茨木駅周辺だった。茨城ってぶっちゃけ鳥取島根クラスに何もないところだけど、大きい駅の周辺では、ショッピンググルメ自然文化体験など色々楽しめる。野乃花のいる栃木でもよかったけど、『秒速5センチメートルごっこになってしまうのでやめた。積雪電車が止まるかもしれない笑

その日は、夕方まで一緒に何時間も過ごした。最後美術館に行って解散した。帰りの電車賃は社会人だった私が出した。それ以外の、食事代とか入館料は割り勘だった。出そうとすると、野乃花が嫌だと言った。

電車が出る時間になってホームで別れる時、「楽しかったね」と私が言ったら、野乃花が「今日、一緒にいられない?」と聞いてきた。潤んだ瞳だった。吸い込まれる瞳ってどこかの小説地の文があったけど、あれは作者の実体験だったんだと感じた。

仕事あるからね。また今度ね」と言うと、野乃花は俯いて電車に乗った。最後に手で肩に触れて、「バイバイ」ってお互いに言った。野乃花は泣いていた。



ここからは閑話。読み飛ばしを推奨する。

あの頃は、年齢差のことを考えることがあった。私と野乃花の年齢差は、年度でいうと14年分。一番最初に会話した時は、小1と大3だった。

(以下閑話)※当時のメモを参考

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年齢差についての関数

年数をxとして、お互いの年齢の比をf(x)とすると、f(x) = (a+x) /(b+x)となる。年数xを経る毎に0<f(x)<1で単調増加で1に近づく(極限操作)。

お互いの年齢比が0.5になるときの経過年数は、式変形によりx=2a-bで表現できる。この比率もっと一般的表現すると……。上記f(x) = (a+x) /(b+x)を微分すると、商の微分でf`(x) =(a-b) /(a+x) ^2

f`(x) =0になる極値は……?と考えると、残念ながら存在しない。

元の関数f(x) = (a+x) /(b+x)というのは、式変形すると、f(x)=1+((a−b)/(b+x))となる。これは、f(x)=a/(b+x)という直角双曲線をグラフ平面において平行移動させたのみである

直角双曲線は微分可能であるが、極値がない。正負の値を関数に入れると、グラフ上で左右に分かれて存在することから、右極限と左極限が一致しない。

方程式 f`(x) =(a-b)/(a+x) ^2において、a−b=0が成り立つのは、a=bの場合のみ。導関数ゼロ。定数関数であり、傾きはない(定数関数微分可能かどうかは流派による)。a≠bだと、導関数ゼロになるxの値が存在しない。

年齢算という算数を扱っている以上は、関数の形状はシンプルである。一番知りたい特定の値に向かって方程式に数値を入れるのみ。私は複雑な答えを求めたが、その行為自体が適切でなかった。つまり、二人の年齢差というギャップは、数学的には永遠にまらないという無慈悲証明けが残った。

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(閑話終わり)



野乃花が中学生になった年だ。私は茨城県にあった電機メーカーを辞めて、他業界IT企業転職した。広島市営業所があるメガベンチャーだった。

仕事に忙しい日々だった。距離があるので関東に帰ることも無くなって、それで……野乃花とはそれっきりになった。LINEメッセージも、いつの間にか途絶えた。既読無視をしたのは私の方だ。

もう結構な年齢である

今は独立して、都内IT関係下請けをしている。フリーランスだ。ハイクラスエンジニアでは決してない。うだつが上がらない日々だけど、いつかは1人社員株式会社にしたいと思ってる。今の自営業屋号は、結構厨二が入っている。実年齢よりも幼い人間なのだと感じる。

なぜ、この日記を書こうと思ったか正月に野乃花と会ったのである。もちろんあの親戚の家で。あそこに行くのは久しぶりだった。

其処に行く途中の車内で、母に聞いた。あの家は祖父祖母も亡くなっていて、今は叔父夫婦が住んでいるだけ。跡継ぎはいない。子どもはいたが、みんな自立したらしい。大きい家なのに勿体ないって、そんなことを思いながら親戚の家に着いた。

玄関を上がって、あの時の古い掛け時計が別のに変わっているのを見て、それから台所(兼ダイニング)に行くと、親戚が何人か座っていた。その真ん中あたりに……野乃花がいた。

野乃花と会うのは約15年ぶりだった。

私と目が合うと笑顔になった。ダイニングの隣にある小さい居間では、親戚の子達が皆で一緒にタブレットアニメを観ていた(私はここ数年アニメを見てない)。少年の時、ボードゲームをしていたのが懐かしい。あの頃より人数が減っている。

話は変わるけど、もし『グノーシア』のボードゲームや、人狼ゲームがあったらやってみたい。一生叶うことはないだろうけど――もしアニメ化もされたら観てみたいと思う。

野乃花を見た後で考えた。

まだ夕方ですらなかった。これから何をしようか、どうやって暇を潰そうか。スマホ操作するだけでは勿体ないし、懐かしいその辺りを散歩しようと思った。

本当は野乃花と話したかったけど、連れていくわけにはいかないし、話せるだけの心の余裕もなかった。それに、野乃花は夕食の準備を手伝っていた。



近所の散歩が終わって、台所ダイニングで豪華な夕食を食べて、ビール瓶を何本も空けて、親戚連中の大人(あの頃の子ども達)とたくさん話をして、トイレに行ったり、親戚の子の遊びに付き合ったり、お年玉(※宿泊費)を払ったり、十数年ぶりの親戚の家は懐かしい。野乃花はずっと飲み会を手伝っていた。

飲み会の後、ダイニングでスマホをいじっていると、深夜が近づくにつれて親戚の数が減っていった。「そろそろ寝ようか」と思ったところ、廊下から野乃花が入ってきて、こちらに歩いてきた。私の隣の席に座った。結婚指輪はしてなかった。

「久しぶりだね」

と私が声をかけると、

増田くん元気そうだね」

と返ってきた。

面影がすごく残っていて、懐かしい感じがした。

子どもの頃の就寝時間は午後十時だった。今は大人から、あと一時間は起きていられる。野乃花と喋ってから寝ることにした。

思ったより多くの会話をした。卒業した学校とか、就職先とか、今の趣味とか、好きな本とか、最近観た映画とか。私はサブカルが好きだけど、野乃花もそうだった。アニメだと『ブルーロック』の話をした。エゴの塊みたいなキャラの話で盛り上がった。漫画小説の話もした。吾峠呼世晴の初期短編集は2人とも読んでいた。

でも、野乃花が不意に言ったのだ。

「私、増田くんと結婚するんだって思ってた」

心臓ドンって叩かれた。この時まで、悪いことしたという思いはなかった。

でも、この時になって、私があの頃、どういうことをしていたのかって、そういう思いが一瞬で頭の中を駆け巡って、後悔が襲ってきた。

「迎えにきてくれると思ってた。連絡がほしかった。私は増田くんに会いに行けないのに」

野乃花を見ると、涙を拭っていた。鼻もすすっていた。

それから沈黙が続いて、「ごめんね」と言った。そしたら確か、「増田君は結婚したの?」と聞いてきた。

結婚どころか、離婚まで経験していることを話すと、野乃花は爆笑していた。机に突っ伏して、本気で笑いを堪えている様子だった。話を続けると、野乃花も一度離婚経験していた。

なんだか変な雰囲気になって、それからまた、さらに笑える話を(お互いに)続けて、そうこうしてると午後11時になった。LINEの連絡先を交換して寝室に入った。



読者の方は察してるとは思うが、私はいわゆる発達障害である。診断済みだ。

メガベンチャー転職をして地方都市引っ越した後、仕事人間関係で苦労することがあった。明らかにおかしいと思い、精神科医に診てもらったところ、様々なテストの後に、そういう診断が出た。子どもの頃からの行動傾向を見てると明らかだった。

ある情報によると、発達障害精神年齢というのは……実年齢×0.60~0.70らしい。青春期の、精神が最も発達する年代に脳が発達をしてくれない(脳発達のピークが30代にくる)。

一方で、一般的女の子は、男の子よりも数才精神年齢が高い。ということは、最後に野乃花と会った時の精神年齢は……私だと26才×0.60~0.70≒15~18才ということ。野乃花が実年12才+2~3才とすると、14~15才ということだ。

あれ、なんだこれと思った。そういう視点で考えると、野乃花との年齢差があっても話が通じたことの合点がいった。

私と野乃花は、あの瞬間、確かに「同級生」だったのだ。

話は以上である

我ながら恥ずかしい執筆体験だった。私の言葉で思い出を表現できてよかった。理屈っぽくて読みにくかったとは思う。

でも、言葉にしたかった。あの時、親戚の家のダイニングで、20代後半になった野乃花と再会した時の衝撃とか、それよりずっと前の、野乃花との楽しい日々の思い出とか。ここで、こうして吐き出すことができてよかった。

明日からは、また一人のはてなユーザーである。みんなの面白日記を、また読ませてほしいです。ここまで読んでくれた人、ありがとうございました。

Permalink |記事への反応(1) | 11:29

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anond:20251212234656

普通お金受け取ったら教育方針に口出しされるよね

中学校お受験させろと言われても、働きながら伴走するのは無理なんだが

Permalink |記事への反応(0) | 00:16

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2025-12-12

anond:20251211021922

小学校とか中学校とか、増田と似たようなタイプ女の子ゼロだったの?それ以降の人生でも?

30代半ばまで生きてきて本当に?

多分増田スクールカースト上位のキラキラ女子しか興味を持ってなくて、

休み時間教室の隅っこでおとなしく読書お絵かきをしているような女の子存在が目に入っていなかったんじゃない?

Permalink |記事への反応(0) | 18:37

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anond:20251212060154

クラスは男女同数にして席は列で交互

これは普通じゃね?

中学校はそうだったぞ

Permalink |記事への反応(0) | 06:07

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デフォルトモードネットワークが焼かれた

く、と打ったら最後に会ったのはしばらく前の先輩の苗字候補に出てきた。他のひらがなは直近の言葉しか見えないのに。

2人育児限界という増田話題になっていた。

私の母もそうだったんだろうな。SNSがない時代だったから母の心境をうっかり見つけることはないかと思ってたけど似たようなことを書く人はいくらでもいる。

ずっと「早く出ていきなさい」と言われていた。テレビを見て「ここ行きたい」「これいいな」と言うと「将来自分で働いて買いなさいね」と返された。私のこと好き?って聞いたら好きって返ってこなかった。毛深くて獣みたいで汚いって言われた。そういうののせいでずっとぼんやり悲しい。でも世間的に見たら全然したことない。ご飯抜かれることはなかったし習い事も行っていた。でも感情への共感がないとダメらしい、というのはエックスで見た。思い返してみれば、うちには共感がなかった。怪我をした時に「痛かったね」と言われてみたかった。「ぼんやりしてるからでしょう」じゃなくて。

それだけなら諦めもつく。実際さっさと家を出たし今はそれなりに働き不自由なく、例えば中古じゃない本を買ったり、行きたいところに行けるくらいに稼げるようになった。好きに生きればいい。なのに母は私に連絡してくる。数ヶ月に一度、「最近どうですか?」「あなた中学校同級生の誰々さんが結婚したらしいよ」意味がわからない。いやわかるけど理解することを過去の私が拒絶している。出て行けって言われてたので出ていってあげたのに、それで満足じゃないの?

過去自分とは違って私も大人なので心情は理解できる。子育てしていて経済的にも精神的にも余裕がなく、しか子供はあまりいい性格とは言えなかったら、そりゃ可愛がることはできないだろう。感情共感大事、なんて知る由もないだろう。ただ、子供を可愛がらなかったあと、余裕が出てきてからどうこうしようとされてもこちらとしては困惑するだけだ。物理的に距離ができてお互い落ち着いたのは事実だけど、こちらの内心はそんなに穏やかじゃない。まだ月に数回は昔のこと思い出してこうやって寝付けずにモヤモヤとしながら、少し泣いたりしながら、でも自分自立してるし大丈夫、と思って寝て朝が来るだけなのだ

デフォルトモードネットワークのこと調べよーって昼に思ってタイトルにつけたのに何にも関係なかった。土日はぼーっとしよう。

Permalink |記事への反応(0) | 01:41

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2025-12-10

anond:20251210165000

まだ中学校卒業してないガキか?「誰の」義務なのかの切り分けがまだ出来ないみたいだな。

女が産むか産まないか自由を自ら持つことは、憲法が認める基本的人権であり、その保護が国の義務。女が安全出産できるようにする福祉社会義務、国の義務。女の義務ではなくて国や社会義務な。他責すんな。他責は良くないぞ

Permalink |記事への反応(1) | 16:56

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公立中学校動物園とか言ってたはてなーチンパンジー批判できるの?

お前らの方が酷いだろ

Permalink |記事への反応(0) | 14:15

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2025-12-09

万引きしたことある?

俺はないけど、中学校ぐらいのとき友達とそういう話になってみんな1回はあるって話になって驚いた

Permalink |記事への反応(2) | 18:34

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クソしょぼ浦島太郎

ある所に浦という男がいました。浦が近所にある学校プールに隣接した道を歩いていると、二人の子供が写真に向かってひたすら悪口を言っていました。しばらく眺めていると、子供写真を捨ててどこかに行ってしまいました。浦は写真を拾い、見てみるとそれはウミガメ写真でした。

結構いい写真なようで浦はつい「なかなかいいな」と口に出してしまいました。

「それは私の撮影した写真じゃないか?」

そばにいた男は言いました。

「褒めてくれてありがとう、お礼に家へおいでなさい」男の誘いで浦は男の家に行くことになりました。男の家は壁の所々に海の様な青い何かが貼ってあったり、価値のわからない宝石が箱にも入ってないまま置いてあったりしました

男は冷蔵庫からスーパーで買ったお刺身をなるべく綺麗なお皿に盛り付け、出してくれました

それから男は自分には「泰」と「枚芽」という

子供がいる事を話し、二人が小さい頃に撮影した

ビデオを浦に見せました。

幼稚園学芸会で踊っている二人は確かにかわいくて一生懸命で(これは確かにこんな親バカになるのも無理ないな)と浦は思いました

そうして、ロマンポルノを見たりしていたらもう

時間は経ってしまったようで、そろそろ浦は帰ることにしました

玄関で男は浦に紙袋に入った何かをくれました。

外に出てみると真っ暗!浦はびっくりです

JA時計は深夜一時を指していました。どうやら

男の家の時計おかしくなっていたようで、一時間では無く、4時間ぐらいいたらしいです。

浦は紙袋の中身を確かめてみました。

中には何枚かのCDが入っていました。

どれも浦が小学校中学校の時に好きだった曲ばかりです。

「いつの間にかどれもこれも懐かしくなってしまったんだな…私も」裏はそう思うと、自分が一気に歳をとった様な気になってしまいました

おしまい

Permalink |記事への反応(0) | 00:34

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2025-12-08

遅刻癖が治らない。助けてほしい

診断を受けたわけじゃないけどADHDとかASDとかではないと思う。心療内科で軽度の躁鬱はあると言われた

書類の提出期限とか納期は守れるんだけど、毎日時間けが守れない。早起きしても絶対に5分とか遅刻する

遅刻癖が始まったと思われるきっか

小学校とき習い事クラシックバレエ)をさせられてたんだけど、教育ヒスママだった母親に「学校と塾の宿題公文終わるまでレッスン行っちゃいけません!」と言われ

習い事時間始まっても全然終わらないし、全然終わらなくて泣いてしまたか母親がキレてて送迎してくれないしで、子どもの足で号泣しながら走って30分、ついた頃にはレッスンはもう終わってた

先生がいつも厳しかたから、小学生自分的には人生終わった、、、しんだ、、、ぐらいの絶望だったんだけど、先生は(たぶん何か察して)普通な感じで「一人できたの?今日はお母さんは迎えに来てくれるの?」って言われ拍子抜け

それまで時間守らなかったら(朝家を出る時間とか)母親ヒスられるからビビって守ってたけど、それから↑みたいなことが数回起きて、時間通りに動くことがバカらしくなって(人生終わらないじゃんと思って)、時間全然守れない人間になってしまった

と思う

中学校時間通りに行った記憶がない(ほとんど不登校)、高校遅刻3回で欠席扱いのシステムで週3で遅刻するから出席はギリギリだった。大学文系試験一本勝負みたいな学部だったかほとんど行った記憶がない

会社新卒で入った会社をすぐ辞めて縁故採用会社入社、幸い社長事情説明して自分だけフレックス扱い(でも最終出勤時間の朝11時も全然遅刻しそうになる)

友だちとの約束も守れないし、自分で予約した店も時間通りに行けない。病院とかも早い整番取れても営業終了ギリギリしか行けない。15分以上遅刻したら自動キャンセルの店(美容院とかも、13分とか遅刻して迷惑かける

相手を舐めてるからできるんだろ、とか言われてるけど、目上の人がいる集まりにも普通に遅れるし(そもそも会社すら間に合わん)、自分不利益あるときちゃん遅刻する。その時は反省も後悔するけど次もまた同じこと繰り返す

早起きしても無理。なんなら朝は5時には起きてるのに始業の9時に間に合わない(通勤時間ドアトゥドア20分)。何してるのと聞かれたら、掃除とか、、、?何もできなくて玄関で座り込んでぼーっとしてたりもする。高校とき遅刻理由聞かれて「家を出るのに時間がかかりました」とか言って意味不明がられてた

予定通りに家を出れない。乗りたい時間電車殆ど乗ったことない

家出る45分前から準備すれば間に合う、、、みたいな場合、45分も準備だけにしか時間使えないのが人生無駄にしてるように思えて、30分前から準備し始めてだいたい間に合わなくなるみたいなことが多い

最近副業バイト飲食店)始めて油断してて、5分前には着替えて厨房いないといけないんだけど、うっかり油断して店についたのが5分前、厨房に入ったのが時間ちょうどでクソ怒られた(5分前から給料出るから実質遅刻

今年で30になるけど本当に情けないしやばい

取引先に訪問するときとかは遅刻が怖すぎて1時間前とかに近くのカフェで待機する(これはまだやらかしてない)けどマジで馬鹿らしい

すごく前の時間から待機するか、ギリギリ遅刻みたいな極端なことしかできない

遅刻癖をどうにかしたい

治せた人いませんか?

Permalink |記事への反応(4) | 22:51

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モテない

同級生の話を聞いていると、特別目立った美人とかではない、普通女の子でも、中学校大学生くらいまでの間に数回は男子から告白されて、付き合うのはもちろん、振った経験もあるらしい。複数人みんなそんなかんじなので、普通女の子にとってはそのくらいが当たり前なんだろうと思う。


私はゼロ。見事にゼロ。行動してないとかではない。小学校中学校は振られたことは数回ある。それ以降は特に行動していないし、告白されることもないまま大学卒業した。若い女モテに困らないなんて絶対嘘やんという気持ちしかない。

から告白しても振られるくらいなので、容姿が悪いのだろう。でも、結構かわいいと思うんだけどな。でも振られてるという事実からするとブスなのか。いやでもかわいいと思うんだけどな。それはまあ到底乃木坂には入れないけど、一般人の中ではかわいく整った部類だと思うんだけどなあ。昔から容姿は褒められる方だったし…。

Permalink |記事への反応(1) | 16:21

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anond:20251208103238

中学校までにならってない語彙で言われてもわかりません

Permalink |記事への反応(0) | 10:46

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2025-12-07

インド人として日本で生まれたらどうなるか教えて

わかりました。では「日本インド系南アジア系)として生まれ場合」に想定される生活体験や社会体験を整理します。黒人白人と比べながら具体的に見ます

1.社会認識偏見

インド系南アジア系は、日本では肌の色がやや濃く、顔立ちも日本人とは明らかに異なるため「外国人」として見られやすい。

差別偏見の度合いは黒人よりはやや軽い場合が多いですが、白人ほど優遇されることは少ない。

「頭が良い」「IT理系に強い」というポジティブステレオタイプを持たれることもある一方で、「少し怖い」「怖そう」と思われるネガティブステレオタイプ存在する。

2.学校での体験

中学校

日本人の同級生からは「外国人扱い」されやすく、からかい言葉暴力を受けることはありうる。

肌が黒めでなければ、黒人ほどの激しい暴力排除は少ないことが多い。

学習面では「賢そう」というポジティブ偏見評価されることもある。

高校

アカデミックな場面で評価されやすい傾向があり、進学指導教師からの期待は白人黒人に比べて比較中立好意的

部活動趣味の場では、日本人と同様に友人関係を築けることも多い。

3.職場社会での体験

IT理系金融などの専門職では、インド系出身者が多く、職場での受け入れられやすさは比較的高い。

一方で営業接客アナウンサーメディアなど「顔や印象を重視する職業」では、白人ハーフほど優遇されることは少なく、肌の色や顔立ちで警戒されることもある。

日常生活では、肌の色やインド系の外見で注目されることはあるが、黒人ほど強い偏見嫌悪を受けることは少ない。

4.日常生活

街中で外国人として目立つことはある。特に地方では珍しさから注目されやすい。

スーパー公共機関無視されたり、声をかけられなかったりすることは稀だがゼロではない

外食店や賃貸などで「外国人から断られる」という経験黒人よりは少ないが、報告されることはある。

5.心理的側面

黒人に比べると自己肯定感を大きく損なうような差別体験は少ないことが多い。

一方で「外国人扱い」される経験は積み重なると心理的ストレスになる可能性がある。

まとめ

日本インド系として生まれ場合

白人ハーフほど優遇されず、

黒人ほど差別的・暴力体験は受けにくい

職業学校日常生活で「外国人扱い」を受けることはあるが、環境地域差が大きい。

IT理系専門職などでは社会評価比較的高く、社会参加や就職面で不利になりにくい。

Permalink |記事への反応(0) | 23:30

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白人として日本で生まれたらどうなるか教えて

1.社会的認識偏見

白人は「外国人」「欧米人」として認識されます

肌の色が目立つため目立ちますが、日本での偏見差別黒人に比べると比較的軽度な場合が多いです。

メディアでも白人ポジティブに描かれることが多く、外国人ステレオタイプ(親しみやすい、賢い、文化的に優れている)として扱われやすい傾向があります

2.学校での体験

中学校

いじめからかい

外国人扱い」や「英語ペラペラ?」などの好奇心から質問はあるが、身体暴力や強い差別黒人に比べて少ないことが多い。

クラスでの目立つ存在にはなりますが、必ずしも孤立するとは限らない。

学習環境

英語外国文化に強い関心を持たれやすく、教師友達から注目されることもある。

肌の色や見た目での深刻ないじめは少なめ。

高校

白人として目立つことはあっても、友人関係排除されることは少ない。

部活動趣味を通じた肯定的経験が得やすく、自己肯定感を維持しやすい。

3.職場社会での体験

外資系企業国際的職場優遇されることがある(英語外国文化への期待)。

外国人枠」として扱われる場合があるが、黒人ほど偏見嫌がらせは少ないことが多い。

ただし、田舎保守的地域では、やはり「目立つ存在」として視線を浴びたり、期待や質問を受けることはある。

4.日常生活での目立ち方

街中で注目されることはある(外国人観光客として見られるのと似た扱い)。

店員公共機関での対応比較的穏やかで、差別無視は少なめ。

メディアに出る白人像が好意的であることも多く、心理的負担黒人より少ない場合が多い。

5.心理的側面

自己肯定感への影響は比較的少ない。

「異なる見た目」という意識はあるが、差別暴力嫌悪感黒人ほど経験する可能性は低い。

海外文化への関心や語学力国際的ネットワークを活かしやす環境に育つことが多い。

まとめ

白人として日本で生まれ場合、見た目の違いで注目されることはあっても、黒人に比べていじめ差別暴力リスクは低めです。

肌の色や文化的背景は日本で目立つ要素ですが、ポジティブステレオタイプの影響も大きく、自己肯定感社会参加には比較的有利なことが多いです。

都市部では、多文化環境の中で普通に生活できることが多く、将来の職業選択にも幅があります

Permalink |記事への反応(1) | 23:17

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小学校から中学校までクラスメイト13人から毎日暴言暴力の繰り返し。少子化ドーナツ化現象大都市でも1学年1クラスクラス替えなし。しかも親から虐待家庭内暴力毎日。それが9年間続いた。そいつは30歳過ぎてどうなったと思う?

1.心理・心の影響

長期的な虐待いじめは、PTSD心的外傷後ストレス障害)や慢性的不安抑うつを引き起こす可能性が高いです。

自尊心の低下、対人関係の不信感、人との距離感問題などが成人後も残ることがあります

一方で、心理療法や支援者との出会い回復する人もいますサポート次第で大きく変わる分野です。

2.社会職業

幼少期〜思春期トラウマは、就職学業人間関係に影響しやすいです。

大人になってからも「人に心を開けない」「職場での衝突や過剰な自己防衛」といった課題が残ることがあります

しかし、強靭回復力やスキルを身につけることで、普通に社会活躍する人もいます

3.健康

長期的なストレス虐待は、身体健康にも影響します(免疫力低下、睡眠障害、消化器系の不調など)。

精神身体は連動しているため、ケアが遅れると慢性疾患につながることがあります

4.回復可能

30歳過ぎであっても、心理療法(認知行動療法EMDRなど)、カウンセリング、信頼できる人間関係形成回復自己肯定感改善は十分可能です。

逆に、支援がなくトラウマ放置すると、対人関係問題依存症引きこもり感情コントロールの困難などが長期化することもあります

現実的イメージ

一般論として、30歳過ぎていまだにトラウマを抱えたまま苦しんでいる人もいれば、心理支援や学びの経験を通して過去を乗り越え、自立して生活している人もいるという二極化が多いです。

特に黒人として日本で育った場合社会偏見も加わるので、回復には自己肯定感を高める環境国際的ネットワーク重要になります

Permalink |記事への反応(0) | 23:16

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黒人として日本で生まれたらどうなるか教えて

1. 家庭・日常生活

家族サポートがある場合

両親や兄弟から肯定的言葉自己肯定感が保たれる。

日本語英語など複数言語日常的に使うこともあり、国際的視野が早くから育つ。

服装髪型、肌の色でからかわれることがあっても、家庭で「あなたそのままで素晴らしい」と教えられることで精神的に守られる。

家庭に問題がある場合

虐待無理解があると、子ども社会への不信感を抱きやすい。

外見でのいじめ家庭内ストレスが重なると、心理的負荷が非常に大きい。

2.学校での体験

中学校

いじめ差別的言動

「肌の色」や「髪の毛」を理由からかわれることがある。

グループ排除されたり、悪口物理暴力を受けることもある。

クラス替えがなく、少人数だと毎日同じ人たちからいじめを受ける場合は、逃げ場がほぼない。

孤立学業への影響

孤立から学業に集中できない場合もある。

逆に、特定の得意分野で才能を伸ばす子もいる(音楽スポーツ外国語など)。

ポジティブ体験

都市部国際学校や多文化教育のある学校では、多様性尊重される。

外国人の友人や教師出会うことで、自己肯定感社会性を保てることもある。

高校

多様な価値観に触れる機会が増える。

いじめ偏見はまだ存在するが、自分に合う友人グループを見つけやすくなる。

部活動趣味を通じた「承認体験」が自己肯定感を支える。

3.職場社会での体験(成人後)

ポジティブなケース

外資系企業IT音楽スポーツ関連では、多様性が歓迎される。

語学力や専門スキルを活かして社会的に成功する人もいる。

日本文化黒人文化を橋渡しする役割を担うことも可能

ネガティブなケース

保守的企業地域では無意識偏見で苦労することがある。

外国人扱い」や「肌の色を意識した質問・態度」にストレスを感じることもある。

社会人でも対人関係の構築に時間がかかる場合がある。

日常での小さな違い

居酒屋商店での対応公共交通機関での視線賃貸契約就職活動での対応など。

ただし、都市部国際的職場ではほとんど意識されないことも多い。

4.心理的側面

自己肯定感の維持

肯定的な家庭環境・信頼できる友人・メンターが大きな支えになる。

自分は人と違っても価値がある」と思える経験重要

アイデンティティ形成

日本人としての自分」と「黒人としての自分」の両立が課題

海外文化SNSでの黒人コミュニティとつながると、孤独感が軽減される。

まとめ

日本黒人として生まれ育つ子どもは、日常的な差別孤立に直面しやすい一方で、家庭・学校趣味国際的環境サポート次第で、社会成功自己肯定感の獲得も可能です。

重要なのは、信頼できる人間関係と、自己表現の機会、そして自分文化アイデンティティ肯定できる環境です。

Permalink |記事への反応(0) | 23:15

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2025-12-03

毎日習い事に行ってた子達

中学校時代毎日習い事に行かされてて、あんまり子供らしく遊んでこなかった子達が大人になって最終的にどうなってるのかが気になる

みんなそんな成功できるもんなんかね

Permalink |記事への反応(1) | 18:34

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2025-12-01

anond:20251201053806

中学校で習うよ

Permalink |記事への反応(1) | 05:40

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2025-11-30

anond:20251129225647

自分自身発達障害で(眠気が酷いのでコンサータ飲んでるけど、ASDもあると思われる)、療育とか一切無い時代だった上に親も学とか全くなく、下にさらヤバい障害児がいたのでほぼ放置で育った。

幼稚園中学校くらいまではバキバキいじめられて自尊心とか完全に破壊された(普通に動きがキモい空気全く読めないのだからそりゃいじめられる)。なお両親共に低身長かつ早生まれだったため、中1時点で130cmくらいしかないクソチビであった。そりゃいじめられる。

ちゃんと育てられなかったので、物心ついてから自分自分を育て直す必要があり、それに15年くらいかかったなと感じる。

Permalink |記事への反応(1) | 20:39

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anond:20251129113958

児童精神科に通っていても発達障害重い子は3歳くらいで、重くない発達障害は5〜6歳で確定診断が一般的から「おそらく」と言っていても病院には行ってるでしょ。(軽い子は小中学校不適応が出て発覚したりもする)

Permalink |記事への反応(0) | 13:05

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2025-11-29

受験ママになった話

タイトルの通りの話なんだけど。

増田、親は特別勉強がんばれタイプでなく、当然小中は家から最寄りの公立校通い。兄がいるけど、兄は自分の興味分野の都合で高校出てそのまま就職した。あんたも女の子なんか学校行っても無駄就職しなさいと言われたわけじゃないけど、増田は親に頼んで大学行かせてもらった。でもそのくらいの感じ。

そんなんなんで、小学校受験中学校受験なんてもう全然身近じゃない話だったんだけど、割と急に「受けてみようよ」みたいな話になった。年長の春くらいかなぁ。

感覚的に「いや今からやっても遅いやろ」と思っていた。ああいうのってそれこそ3歳くらいから準備するもの、みたいに思ってたから。

ましてうちの子やんちゃっ子で、発達的な指摘を受けたことはないけど、ぴょんぴょん飛び回って元気いっぱい、すぐ変顔するようなタイプ

とはいえまあ、公立校によっては学級崩壊とかもきくし、しっかりしたところがいいのはそうだし、まあやるだけやってみようかって始めたんだけど、結果この感覚は大体合っていて。過去問解いてみたものの、「こんなのこれ用の練習してこなかったら無理よ」ってのばっかり。普通に幼稚園保育園行ってるだけだと多分やんないもん。ところどころ親でも結構難しいなって思うのもあった。

それを、もっと早くから準備してきた他の子より短い時間で詰め込まないといけないわけさ。自分子供の頃なんか、幼稚園帰ってきたら友達と遊ぶかなんかしてたのを、もう試験近いんだから勉強しなさい!って言わなきゃいけなくて。

うちは結果的に、地域公立校に通うことになりそう。個人的感想は「残当」てやつかな。

過去問買ったりなんだり色々出費もあったけど、無駄だったとは思わない。大人試験予定日の2ヶ月くらい前に対策始めてもなんとかなるかもしんないけど、せいぜい5歳6歳だもん。もう子供にあれこれ言わなくていいんだーって正直ホッとしてる。

結果どうあれ君はとても頑張ったよ、と子供には伝えた。頑張ってないわけないよ。自分が同じ年の頃にやらなかったような試験勉強を、この数ヶ月やってきたんだもん。気が抜けた今インフル貰わないように気をつけなきゃ。クソ流行ってるもんね。

もし、たまたまでもこの記事に辿り着いた、いい小学校通わせたいなって思ってる親御さんいたら、どうか早めに長期の準備をしてあげてほしい。親御さんがいくら優秀でも、あなたの子供はあなたとは違う生き物で、同じようにできるとは限らない。あなたが得意なことを、お子さんは苦手かもしれない。逆だって当然ある。

短期間で詰め込んだり、ガミガミ言いながら試験準備しないで済むようにしてあげてほしい。増田は正直、毎日のようになんでこれできないのって言ってる自分が嫌だった。多分向いてないからやめよう、と言えなかった。親が見ている向きが違うっつーのも、さすがに問題なんでね。ごめん子供。そんで、今ここでごめんっつっめんなら「止めりゃよかったじゃんクソ親」って言われても仕方ないわと思ってるよ。

とにかく我が家受験は一旦終わり。お疲れ。

我が子にも、すべての子どもたちにも幸あれ。

Permalink |記事への反応(0) | 10:05

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発達障害として生まれた。ずっと死にたい

タイトルの通り。

知的障害は伴わなかったが、コミュニケーション能力は極めて低く、自分では周囲と同じことをしているつもりでもなぜだかいつも浮いてしまい、集団に溶け込めたことがなかった。

小学校中学校入学当初などは一時的にどこかのグループに入れてもらえたりするのだけれど、気付かない間に何かをやらかし、徐々に距離を置かれるようになり、友人だったはずの子たちは皆そっけなくなっていった。

体育も、遠足も、修学旅行も、運動会も、いつも孤立していることが恥ずかしく、それを誤魔化すのに必死だった。

他人と違う事、一人だけプロトコルが間違っている事が孤立する原因なのだ経験から学習したことにより、大人になるにつれて今度は過剰適応と言われる状態になっていった。

過剰適応とは読んで字のごとく、環境適応しようとして過剰に言動を抑圧したりする事なのだけれど、常に人からどう見られているか不安を抱き、緊張し続けていることによって、ただ学校へ行くだけ、会社へ行くだけで、ぐったり疲弊してしまうようになった。

おはよう」と挨拶されて、「おはよう」と返す。

何も難しいことなどないやり取りのはずなのに、「姿勢や表情は不自然ではなかったか」「もっと明るくするべきだったんじゃないか」「声のトーンや大きさもあれで良かったのだろうか」「おはようと言われたのは、本当におはようという意味なのか」「何か他のサインを見落としていたんじゃないだろうか」と、不安無限に湧いてくる。

私はまた何か間違ってしまったんじゃないかと。

しかし、何か間違っていたとして、その答え合わせができることはない。

知らないうちに非常識だと評価され、知らないうちに信用を失い、知らないうちに疎まれるようになっている。

そうなってからやっと、自分がどこかで何かを間違えたことを知るのだが、それが何だったのかは永遠にからないのだ。

そういう社会生活を送っているうちに、適応障害で体調を崩すようになって転職し、数年後、重度の鬱病となり、そこで初めて発達障害可能性を指摘され、診断を受けた。

親は「納得がいかない」と言っていた。

多少育てにくいところはあったけど普通だった、障害があると感じたことはないと、そう言うのだった。

私はその言葉を聞いて、なんだかひどく落胆した。

中学の時も高校の時も会社員になってからも私はずっと「学校行きたくない」「高校辞めたい」「もう全部嫌だ」「死んだ方が楽な気がする」と思っていて、それを親に思い切って打ち明けたこともあったはずだったのだけれど、親にはありふれた愚痴しか聞こえていなかったのだと、その時やっと知ったのだった。

診断を受けてから、色々なことを思い出した。

家族の中でも浮いていて、特に父親からはうっすら嫌われていることを幼い時から察していたこと。

親族が顔を出す行事兄弟が呼ばれる時、私には連絡がないこと。

姉妹結婚式に「あなたは出席しなくて良いからね」と言われたこと。

あ〜そうか、そうだったのか。

私はあなた方にとっても、恥ずかしい存在だったんだな。

ましてや障害者なんて事になったら、ますます頭を抱える思いだろう。

だけれど、こう言うと子どもじみているけれど、私だってまれたくて生まれたわけでなし、自分存在最初からなかったことにできるならどれほどいいかからない。

住んでいる賃貸死ね大家や近隣に迷惑がかかり、公園死ねばそこで憩う住民迷惑がかかり、道路線路死ね運転手に多大な傷を負わせてしまう。

川やビルで死のうと思ったがどうしても足が竦んだ。

自分の生に始末を付けるのは私にはあまりにも難しい。

本能的な恐怖と絶望感に涙をぼろぼろとこぼしながら死ぬのを諦めた時、赤の他人が何も考えずにセックスした責任を取るために、なぜ私がこんなに苦しまなければならないんだろうなとぼんやり思ったりもした。

そんな恨み言を言ったところで、高齢となった親を無用に傷つけるだけだとも思うので、それから10年、家族親族とはただ連絡を断っている。

私は現在診断基準では知的障害を伴ってはいないが、対面の会話の際は言葉がろくにまとまらず、内面の表出はままならない。

デイケアで知り合った人は(日常生活に支障はないため、おそらく軽度の)知的障害がある人だったが、彼女と話していると、内面思考(その思考の形が定型発達の人と同じであるとも限らないが)はあるのに、それを伝えられないもどかしさを強く感じ、その苦しさに共感する。

私たちは、生きているだけでいつも苦しい。

そして私はずっと死にたい。この社会が私のような者の存在を受容する余裕がないのはよくわかった。発達障害であるとわからなくても苦しかったが、わかった後はわかった後で、それでもどうにもならないのが苦しく、更には社会にある差別意識がはっきりと感じられるようになったのが苦しい。

発達障害もだけれど、発達障害に関連するさまざまな不調、不具合毎日何かしら体調が悪いのも苦しい。歯科治療ができなかったために歯はボロボロだし転職を繰り返して経歴もボロボロだ。理解のある彼くんがいない代わりに精神疾患偏見を持つ上司くんがいるので、うかつに通院のことも言えない。

ふとした瞬間というか、毎秒死にたいのを、抗鬱剤精神安定剤ではぐらかしながら生活している。

いつまで続くんだろうね、本当に。

Permalink |記事への反応(3) | 05:23

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2025-11-28

武蔵高等学校中学校で生徒が有人の首をカッターで切りつけ

偏差値の高い中高一貫校でもこんなことあるんだねえ

普段並の公立動物園って揶揄してる連中はどうするの

Permalink |記事への反応(2) | 15:02

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