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はてなキーワード:中学とは

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2025-12-14

anond:20251214023209

中学一年のころ、英語教材のなかにでてくる一枚の挿絵女の子に恋してたよ。なまえはわすれた

Permalink |記事への反応(0) | 02:52

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2025-12-13

A1印刷機が8万、これ儲からんだろ

仕事必要から職場の金で購入した

本体小学生中学年くらいの長さがある

プラスチックと金属で合わせて25kgくらいだろうか

これで税込8万

これが家庭用なら数売れるだろうから安く売ってもインクで元が取れるかもしれんが、そんなに多くない販売数で8万は安すぎる

大丈夫かって思う

Permalink |記事への反応(0) | 22:46

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根本的に

まれ意味が無かった

存在している意味が無い

絶望と後悔しかないんだよ

なぜか今でも中学時代記憶ばかり思い出される

死にたくはないけど消えたい

存在自体が透明になりたい

生きる目的も意義も無い

死なないから生きてるってわけ

Permalink |記事への反応(2) | 14:04

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2025-12-12

ずっと冬が怖かったけどいつのまにかなくなったな

子供の頃から冬が嫌いで、もはや冬が来るのが怖いくらいに感じていた。

中学あたりから家庭環境が滅茶苦茶になったのもあって、冬になると鬱っぽくなるのが続いていた。今思うと冬季うつ病的なものだったんだと思うけど、食欲増進・体重増加・異様に眠い保健室で寝てたり眠すぎて学校早退したりしていた)・気分の落ち込みなどなどがあった。とにかく全ての悪いことが冬に訪れているような気がしてしまうのだ。ああまたきっと悪いことが起こるんだ、と謎の思い込みがあり先回りして絶望してしまう。(逆に春先から夏は、これから何をしようかとワクワクが止まらないのでめちゃくちゃ元気である

社会人になっても冬は相変わらず嫌いで、秋口に冬の気配がし始めると、怖くなってベッドの中で丸まってべそをかいていた。関係ないけど私は恐怖を想像して泣けるタイプだ。小学生の頃スポーツ少年団に入っていて、指導者に言われたことをうまくやれなかった罰として、試合後に1人で運動場50周してこいと言い渡されたその瞬間、しんどさを想像して絶望して号泣してしまい周りが引いていた。感受性が豊かすぎる。

そして今思うけど50周って何?その頃平成中期だが?(脱線えぐい

そんな私も結婚子どもが生まれた。

育児をしていると、冬だろうが夏だろうが関係なくやることが膨大にある。子ども可愛いし予想だにしないことをやるのが面白いし、時々イラつくこともあるけどそれが季節によって変わるってこともない。それもあってか気づけば最近冬の到来に怯えていないな、と今日子どもを寝かしつけながらはたと気づいたのでこのエントリを書いてみた。

もうすぐ息子が2歳になる。

2年前の出産前後を思い出して、あっという間だったなあとしみじみする。あのときも初めての出産ホルモン暴走睡眠不足と冬が被って、本当に辛かった。子供が生まれ毎日幸せと感じているのになにか訳のわからない不安感に襲われたり、思考が止まらなくてずっと焦っていたりした。そしてそれをコントロールできないというもどかしさを抱えて毎日育児に奮闘していた。先の見えない不安から早く大きくなってくれと毎日思った。一方でこんなに幸せならなんでもっと早く産まなかったんだろうと後悔して涙を流したりもした。毎日頭の中は抱えるタスクとそれをどのようにこなすかで忙しなかった。

3月終わりのある日に夜、たまたま外に出て郵便受けを見に行ったとき、春の夜風を感じて自然と涙が出た。あぁ生き延びた、と思った。冗談じゃなく、生き延びたんだと思う。産後うつといった診断はもらわなかったか大袈裟なのかもしれないが、そう感じた。

最近、息子は舌っ足らずな声で「ママだーいすき!」というようになった。1歳から2歳への成長は、私にとっては0歳から1歳のそれに比べて大きいものだった。なんてったって明確に意思の疎通ができる!2年前に私が早急な成長を願った未知の生き物は、あっという間にしっかり人間の形になった。手先が器用になったし、生まれた時よりずっと大きくなった足で走り回り、こちらが笑わせようとふざけてやることのツボも理解できるようになったのか本当によく笑う。(もちろん床に転がって泣いたりもする)

去年は1歳の誕生日で準備に張り切って忙しかった。一升餅をやったりスタジオ写真を撮りに行ったりファーストアートを作ったりと、やりたいことをてんこ盛りにした。盛り込みすぎて夫が夕方に疲れて気絶していた。

今年は特別なことは多分しないけど、お誕生日プレゼントを何にするかで秋口から夫と夜ソワソワ会議をする日々を送った。数字の2のバルーンは一応100均で買ってきて用意済みだ。朝起きたらバースデーソングを歌って写真を撮ってプレゼントを買いに行って、それからたくさんおめでとうと言おうと思う。

君が生まれて、ママは冬が来るのが待ち遠しくなったんだな。

息子よ、生まれてきてくれてありがとう

そして冬が怖いという感覚、皆さんもありませんか?

Permalink |記事への反応(1) | 22:30

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2025-12-11

anond:20251211203730

年齢別の学力調査とか見ると分かるけど学年が進むごとにどんどん能力差が縮まってて逆転されてくんだよね。

都合が悪いか中学がーしか言えなくなっちゃってるけど

Permalink |記事への反応(0) | 20:57

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OECDPISAでも15歳(日本高校1年生)の学力は男女差は大きくはないものの、女子が上回っているのは読解の一部で、ほかの数学リテラシー科学リテラシーの分野では、男子の方が優勢。特に上位層に限れば男子の方が高得点なので、男子枠があるわけじゃなく、単純に学力の差。




早生まれ遅生まれの成績の差とおなじで、成長タイミングの差が男女の性差としてある。

女性の方が 平均して2年ほど思春期が早く、ちょうどそのころ小学校高学年から中学半ばあたりまでは同じ年齢なら平均して女子の方が勉強に強い。

成長の速度差はだいたい中学終わり位にはほぼなくなって後は素のスペック競争

Permalink |記事への反応(1) | 20:37

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田舎を出れて良かった…😟

こうして西東京の、ちょっと田舎だけど、ちょっと歩けば何でもあるにはある、

という環境に運良く生活できてることに幸せを感じる…😟

お金はないし、家族もないけど、夕暮れを見ながら散歩して、スーパーで買い物をして、

レジカードと財布を置き忘れたお爺さんを追いかけたり、

そんな何気ない日常幸せを感じた…😟

田舎では周辺住民物理的、精神的な酷い暴力をふるわれたり、

村?で唯一のスーパーまで歩いたら30分以上、それも閉鎖し、

クルマで山を越えなければまともなスーパーはないし、

唯一のコンビニもこれまたへんぴな場所にあり、

経営者中学時代不純異性交遊問題を起こした女子家族経営である、あわせる顔がない…😟

私を毎日殴る蹴るしていたヤンキーたちはマイルドヤンキークラスチェンジして、

近所の子供たちを指導道徳を説いてると聞いて、失笑した、まあ、そういうことである

すべてはヤンチャで片づけられるのである

覚えているぞ、おまえら放火して消防とか警察が大変だった日を、

村には派出所もない、滅多なことでは警察も来ない、というか治外法権みたいなあの村に、

消防車やパトカーが押し寄せ、おまえらヤンキーは全校生徒の前で土下座

俺は進学校受験して、さっさとこんなクソ田舎から抜け出そうと必死だったので、それどころではなかった…😟

今年も人生に大した進展はなかったものの、色々と後半は人間関係に恵まれることが奇跡的に増えて、

前向きに歳を越せそうではある、と、スーパーからの帰り道に思うのでした…😟

ご飯にしよう…😟🍚🥢

Permalink |記事への反応(1) | 17:47

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anond:20251211140715

中学とき俺を蹴飛ばしてたヤンキー達がやってるのは聞こえてきたことある

Permalink |記事への反応(0) | 14:26

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爆轟アンチ弱者男性たち

※自語りを多分に含みます、たぶん。

twitterで爆轟アンチがなぜか再熱していた。

見ているとかなり面白い意見が飛び交っていて、中には「作中生まれついてヴィランだったのはAFOと爆轟だけ」のような極端な意見まで散見された。

個人的に爆轟には幼少期の増田がかなり重なるところがあり、黒歴史つんつんと刺激されるキャラなので好きではあるのだが、どうしてこんなにも爆轟のアンチが定期的に再燃するのだろうか。

今回は爆轟アンチがどんな人間たちなのか、なぜ爆轟は定期的に再燃するのか、そして爆轟がどうしてあの性格になるのかを個人的感想と自語りを混ぜ折りながら書いていこうと思う。

=====

爆轟アンチってどんな人間?*

弱者男性

爆轟ってなんで定期的に再燃するの?*

一番近い炎上HIKAKINハーゲンダッツ買いまくった動画だと思う。

普段から金に物言わせるような動画を作っていたHIKAKINが、それより費用の少ないハーゲンダッツ燃える

一見筋の通っていなさそうな炎上だが、これは「身近である」という一点が大きかった。

普通人間は「100万円」という金額をどこか遠いものだと思っている節がある。(増田も含む)

に対して、ハーゲンダッツをいっぱい買うというのはものすごく身近で、想像やすい贅沢だ。

愚衆は、想像力の働かない範囲において怒りを覚えず、想像やすい分野にのみその正義感のような何かを燃やす

ようはメロスなのだ政治が分からずとも、邪知暴虐を定義することはできる。(と思っている。)

爆轟の件もこれに近い。

たくさんの人死にを出しているヴィランに悲しい過去があるだけで許せてしまうような人間が、

実際に誰の被害も出していないただの中学生のすこしラインを超えた発言ひとつに熱心に怒りを燃やすのは、

自分想像出来うる範囲の悪だからだ。

人を殺す人間存在しているとしてもそれがどれだけ悪いことかは自身の周りの人間が殺されないとわからないが、自分悪口を言われた経験があれば、

爆轟の言動に対して容易に想像力を働かせることができる。

一方で、緑谷が無個性ながらヒーローを目指す発言が、爆轟の逆鱗に触った理由などは皆目想像できないから、

爆轟が悪いと、一方的に怒り狂うことができるのであろう。

要は、自分他人に見下されてきたから、見下されることに敏感なのだ

爆轟はどうしてあの性格に?*

爆轟と幼少期の増田が重なるところがあり、なんとなくあの気持ちがわかるので、ある程度ロジックからどうしてあの正確になるのかを記述する。一部本編で描写があるので重複するところがあるが、目をつむってほしい。

筆者は幼少期、とくに勉学面において優秀であった。

全能感があり、調子に乗り、周りを見下していた。

中学3年生くらいの時に自分より頭のいい奴が友達としてできて、鼻っ柱はおられたのだが。

爆轟もこれと同じである

彼の性格根本は全能感だ。

増田もそうだったが、1桁の年のころは「なんでみんな俺と同じことができないんだろう」と疑問に思う。

この時、平均よりちょっとだけできる程度だと、この「なんでみんな俺と同じことができないんだろう」という思考から抜け出せない。(こういう人間もよく見た)

なぜなら平均よりちょっとできるくらいの人は周りに数人はいからだ。そういう人間普通だと勘違いしたまま、しばらくの間周りに疑問を抱くことになる。

しかし、飛び抜けている場合は別だ。「俺がすごいのか?」という仮説が生まれ、それが確信に変わっていく。増田も、勉学面ではこの確信を抱いていた(ただの幻想だったわけだが)

爆轟に関しては全分野に才能があり、また個性という目に見える形での優劣で、自身特別性を確認していくことになる。

こうして優秀であることを確かめ人間のうち何割かは、「ノブレス・オブリージュ」的思考になる。

選ばれた人間からこそ、自分しか成しえないことをしなければ。

例えば、圧倒的な天才であるサム・バンクマン=フリードは、自身頭脳を活かし、他人を救うために圧倒的に金を稼ごうとした。

それと同じように、爆轟が選んだ自分しかできないことは、ヒーローだったのだ。

自分の持ちうるすべての才能で、OFAを超えるようなヒーローになる。これが、爆轟が選んだ道だった。

つまるところ、ヒーローになるということは、爆轟にとって特別なことだった。

そんな爆轟がデクに対してあのあたりの強さになるのも、上記の内容が関係する。

爆轟にとって「ノブレス・オブリージュ」として存在するヒーローに、何も持たない男がなりたいと言い出すのだ。

おまえになれるわけがない。そう思うのは至極当然で、自身がその夢に向けて努力しているのならことさら

「なにも持っていなくて何もしていないお前が」と思うだろう。自身の夢を馬鹿にしている存在といっても過言ではない。(オールマイトと会うまで筋トレすら怪しかったのはさすがにナードすぎる)

口が悪くなるのも当然だと思う。身の程をわきまえろと思うのも当然ではないか

「何も持っていないなら来世にかけろよ」はさすがに言い過ぎだが、彼もまた恵まれた才能に振り回されているだけのただの10代の少年なのだ

まだ我が身を振り返る力がなく、がむしゃらに前に進むしかない若者の、たった一つの暴言を持って、爆轟を嫌う人間

その想像力のなさに震えるしかない。

悲しい過去を持っていれば悪いことをしても同情する人間ならば、同列の論理として恵まれ過去から出てしまった発言一つくらい許すべきではないか

自殺幇助などともっともらしいことを言って、ただお前らがしたいのは能力にも生まれにも恵まれなかった自分を緑谷少年投影し、爆轟に言い返すことでうっぷんを晴らそうとするだけのルサンチマンであろう。

爆轟にヴィランの才能はない。

まれ持った自身の才能から人を救う道を選ぼうとした少年気高い志を、馬鹿にするような存在に対して出てしまった加害性一つを取ってヴィランの才能があったなどとなじるような人間のほうが

よっぽどヴィランである視野狭窄もいいところだ。

増田は才能あふれるとがった若者が好きだからちょっと語気が強くなった。

体が弱者男性でも心まで弱者男性になるな!!!以上。

Permalink |記事への反応(3) | 14:07

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かにこれまでの人生を聞いてほしい

現在26歳。女。一人暮らし

兄弟無し。恋人現在無し。友達無し。ブス。

どこにも話したことも書いたこともない、これまでを誰かに聞いてほしい。

人との接点が持てる場所職場のみ。

ただ職場プライベートの持ち込みを好ましく思っていない雰囲気なので、あくま仕事上の付き合いしかない。

唯一の心の拠り所は男性韓国アイドル

毎月、月収の半分以上を使い込んでコンサートに行ったりCDを積んだりする。

もちろん、貯蓄はほとんど無い。

依存症みたいなものだろう。

でも、少なくとも今はこれでしか心の穴を埋められないのだ。

私は小さい頃の記憶が全くと言っていいほど無い。

両親は普通の人だったし、普通の家庭だったけど家族間のコミュニケーションが少なかったように思える。

母親が癌になってからコミュニケーションますます減った。自分病気のことで精一杯だったんだろう。

父親仕事一生懸命だった。朝早くに家を出て、遅くに帰ってくる人だったので一緒にご飯を食べることがあまり無かった。

小さい頃の家での記憶は、母親が癌になってから自然派ママやスピに傾倒してしま添加物にこだわり始めて、家のご飯が美味しくなかったことぐらい。

小学生の時の学校生活特に問題がなかった。

テストの成績も悪くなかった。

ただ、この頃から人間関係でモメることが度々あった。

私が10歳の時に母親他界した。

人生の大きな転換期だった。

父親は私を叔母の家庭に預けるために、地元へ戻った。

それまでに2回転校している私は3回目の転校をすることになった。

私は日中は叔母の家に預けられ、そこのルールで過ごし、父が仕事から帰ってきてから自分の家に戻るという生活中学卒業までしていた。

家に戻ったらお風呂に入って寝るだけだったので、この頃も父親とのコミュニケーションはあまりなかった。

この頃から人に何かをお願いしたり、おねだりするのが極端に苦手だった。今もそう。

甘える=迷惑という環境だったから。

中学生のとき人間関係は悪くなかったと思う。

ただ、部活父親指定スポーツ限定だったのでやる気がなくサボっていた。

私は本当は美術部が良かったのだ。

高校1年生ぐらいのときに、また大きな出来事があった。

父親祖母の反対を押しきって、再婚した。

再婚相手(以後、義母)は最初はとても人当たりがよく優しい印象だった。

私に新しいお母さんが出来たと思った。

不思議気持ちだったけど、やっと私の事を見てくれる人が出来たようで嬉しかった。

ところが、蓋を開けてみると義母アルコール中毒だった。

壁を蹴る、暴言を吐く、泣く。

しかった気持ち一転、関わらないようにしていた。

その矛先は私にも向かった。

暴言を吐かれ、私の顔について難癖をつけてきた。

義母アルコール中毒だったけど、頭が良い人だったから何も言い返せずただ泣いて受け入れるしかなかった。

父親にこの事を共有しても、離婚はしなかった。

父親は16年一緒にいる私より、知り合って2年ぐらいの義母と、義母との家庭を選んだのだ。

私は高校入学あたりから学校での人間関係も上手くいかなかった。

中学の時から仲が良かった子(以後、A子)が、別のグループ形成してしまい私が仲間外れのターゲットになったのだ。

当時スマホが徐々に普及しはじめて、昼休みにはスマホをこっそり触ったり友達写真を撮ったりするのがよくあった。

一番覚えているのは、グループから爪弾きにされ始めた頃。

まだ私は仲間外れにされている自覚はなくて、いつも通りA子の横にいた。

A子は横にいたまた別の子自撮りを始めたので、私も入れるやつなんだと思い込みカメラに映った。

今でも覚えてる。私が入ってる写真が嫌だったA子は不機嫌になって大きく舌打ちをして、目の前でその写真を削除したのだ。

この事がきっかけで自分友達から嫌悪されている対象なんだと知り、ショックを受け、クラスに上手く馴染めなくなった。

その頃から成績もガクッと落ちて、定期的に学校を休んでは自室に引きこもるようになった。

家でも、学校でも味方がいない高校生活だった。

高校卒業と共に、すぐに家を出て都会の学校に通った。

もちろん一人暮らしだった。家を出ていくように言われた。

学費父親が出してくれたので、その点は恵まれていた。

食費や光熱費スマホ代を払う必要があったので、日中学校へ行き夜は飲食アルバイトをする生活に明け暮れていた。

めっちゃ勉強をした私は晴れて学校卒業し、無事に希望していた会社へと就職が叶った。

仕事するならこのスキルを活かせる仕事が良い、と思って学校へ入ったのでやっと人生が報われたと思った。

でも、実際の仕事をしてみると楽しいより苦しいことのほうが上回っていて、理想現実ギャップに悩まされている。

常に自分の中の知識アップデートが求められて、なんだか息苦しさを感じる。常に泳ぎ続けなきゃいけないマグロのよう。

入社早々そこそこ大きなミスやらかしたし、何度注意されたかからない。しか打たれ弱い

期待の新入社員だっただろうに、上司はきっと扱いに困っているのだろうと思うとなんだか申し訳ない気持ちになる。

入社から3年目で、中学時代友達(以後、B子)とシェアハウスをすることになった。

当時私はB子ととても仲が良かったので、何があっても上手くやっていけると思っていた。友達と暮らせることがとても嬉しかったのだ。

から徒歩15分、新しめの2LDKの部屋を借りて新生活を始めた。

最初は順調だった。最初は。

同棲1年ぐらいが過ぎたころ、B子が全く働かなくったのだ。働かずに引きこもってオンラインゲームをしていた。

まぁ、誰にでもあることでしょうと思って怒らずに。 お金のことはゆっくりでいいから、とにかく休むようにと伝えてあった。

それが1ヶ月、2月半年以上続いた。

その間の生活費はもちろん全て私。

2LDK家賃も、2人の光熱費インターネットも。

給料全部使ってかつかつ月はちょ

Permalink |記事への反応(1) | 00:20

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2025-12-10

ミソフォニアのみっちゃん

まるで世界彼女の神経に直接ワイヤーを繋いでいるかのようだった。14歳の“みっちゃん”——本名は美都。

中学二年生。軽く猫背で、前髪は少し長め。クラスでは特別目立たない。目立たないように、いつも慎重に息をしている。

けれど彼女の耳だけは、どこまでも正直だった。

休み教室は、みっちゃんにとって戦場だった。

机を叩く指。ビニール袋のくしゃりとした音。誰かがスナック菓子を噛む湿った衝撃。

特に最悪なのは、背後の席の男子が時おり鳴らす「口を開けたままの咀嚼音」だ。

音が空気を伝う前に、まるで皮膚の下から湧き上がるように、怒りとも嫌悪とも区別できない灼熱が身体を駆け抜ける。

みっちゃんは、横顔ひとつ動かせずにいた。

「また変だと思われたくない」

その恐れが、彼女を席に縛りつけていた。

放課後図書室の隅でようやく呼吸を取り戻した。

本棚の陰に隠れるように座り、イヤホンを耳に差し込む。

ピアノの柔らかな旋律が流れ込み、世界ノイズが一枚薄い膜の向こうへ追いやられていく。

その瞬間だけ、みっちゃん身体彼女自身のものになった。

“ミソフォニア”という言葉を知ったのは、数か月前の深夜、眠れないままスマホを眺めていたときだった。

特定の音が引き金となり、強烈な苦痛や怒りが生まれ現象――

画面に映る説明は、彼女の内側を正確に、少し残酷なほど明晰に写し取っていた。

自分が「変」なのではなく、名前を持った現象なのだと知ったとき、みっちゃんは声にならない安堵を感じた。

それから彼女は、耳の奥に巣くう怪物と“共存する技術”を、少しずつ学び始めた。

深い呼吸。

前兆に気づいたら席を離れる勇気

イヤーマフポケットにしのばせ、必要ときにそっと装着するための小さな決断

どれも派手ではなく、みっちゃん存在を変えるほどの劇的な力は持っていない。

けれど、それらは確実に世界輪郭を柔らかくしてくれた。

ある日のこと、背後の男子がまた口を鳴らし始めた。

震える指先を握りしめながら、みっちゃんは静かに席を立った。

保健室へ行きます

声はかすれていたが、確かに彼女自身意思で発されたものだった。

担任は、不思議そうに眉を寄せたが、止めようとはしなかった。

保健室は薄暗く、外の喧騒とは別の世界のようだった。

ベッドに腰を下ろすと、養護教諭先生が穏やかな声で尋ねた。

最近教室がつらいようね。何か気になる音があるのかな?」

その言葉は、まるで鍵のかかった扉にそっと触れる手のようだった。

みっちゃんは、胸の奥から少しずつ言葉を取り出し、ミソフォニアについて話した。

先生は黙らず、驚かず、否定しなかった。

ただ「それは苦しかったね」と言った。

たったそれだけで、みっちゃん世界は一気に広がった。

人は自分の痛みを説明するとき、その痛みが本当に存在するのかをどこかで疑うものだ。

だが他者がその痛みに名前を与え、輪郭を認めてくれた瞬間——

孤独密室空気が流れ込み、呼吸が可能になる。

みっちゃん物語は、治癒物語ではない。

怪物は今も消えていないし、咀嚼音はあいかわらず世界のあちこちで息づいている。

けれど彼女は、もう目をそらすだけの存在ではない。

自分感覚説明できる。

対策を持っている。

必要なら大人に助けを求められる。

世界彼女を苦しめる音で満ちているけれど、

同時に、彼女の苦しみを理解しようとする人もまた、

少しずつではあるが増えていく。

帰り道、夕陽に照らされた電柱が長く影を伸ばしていた。

みっちゃんは立ち止まりイヤーマフに触れる。

掌の中のその小さな道具は、彼女自分生き方を選びとった証のように感じられた。

世界の音は、まだうるさい。

けれど、その中でどうやって息をするかを、みっちゃんは確かに学びつつあった。

苦痛の正体に名前を与えることは、自分自身を救うためのもっとも静かな革命だ。

物語はここでいったん区切られるが、

みっちゃんの“耳の世界”は、これからも複雑に、そして少しずつ優しく変わり続ける。

Permalink |記事への反応(1) | 21:07

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anond:20251210192619

本人にやる気があるのが一番。自分で進んで勉強方法を工夫できるレベルまで行ってますか?もしそうなのであれば、あまり心配は要りません。そうでなければ、言われた事だけでなく、自分勉強方法を考えさせるように伝えてあげてください。テストの点数などを見ながら、「苦手なこと」「好きなこと=苦痛じゃないこと」を、意識することが重要です。(苦手なことばかりやっても楽しくないので、苦手なことと好きなことを半分半分ね、みたいな)

そこまで行けば、パソコンタブレットで、ひたすら英語なりなんなり、好きなことを学習させてください。中学に行っても行けなくても、自分学習するスキルを早いうちに身につけられれば、将来どうなっても、どんな時代になっても大丈夫ですよ。

Permalink |記事への反応(0) | 19:41

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息子が英語ディベートする中学受験しようとしているので、止めたい

息子小5

塾に通って中学受験勉強をしている

近所の中学ヤンキーばかり

そこに行きたくないらしい

幸いうちは賃貸

引越ししてもいいよの伝えると、友達がいないから嫌だと

説明会に行った

授業を見学

子供達が英語ディベートしてる

無理だ

うちの子には無理だ

仮に受かってもついていけない

模試の判定はC

まだ受験まで1年以上ある

やめさせたい

でも本人の意思で頑張ってるから無理には止められない

こんなことならここに引っ越さなければよかった

引越しする時に中学が荒れてるかまで考えてなかった

保活で精一杯だった

どうしよう

見守るしかいか

Permalink |記事への反応(2) | 19:26

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anond:20251210160700

アメリカ大統領に(👉 ' _'👉)who areyou???と言った総理も居たしな。

中学レベル英語すらできなくても日本トップにはなれる。

Permalink |記事への反応(0) | 16:08

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をのひなおのパーフェクトグリッター面白い

あと前回は夜職の読者層がメインだったけど今回は客層若干ズレたからなのかコメ欄治安がかなり改善してるw穏やかw主人公世間知らずのメンタルおぼこい感じの子だけど、あたたく見守られている。

アスカノはレンタル彼女だったけど今回は同性に対する女衒、ハニトラ、プロ友達みたいなモチーフだ。ファウンドフッテージもの

主人公は気弱でコミュ障高校保健室登校でなんとか卒業卒業後は弁当屋で働いている実家暮らし二十歳。第一話で親の目を避けて変身するためにモールトイレで着替えと化粧して、フードコートアイス持って自撮りしようとしたら、中学同級生子連れ)に見つけられて「高校行ってないって聞いたけどもしかして配信者とかやってるの?!なんで成人式こなかったの?!今度同窓会あるから来なよー!!」とか話しかけられてア…ア…ってなってる間に手に持ったアイスが溶けておろしたての天使系の服に溢れていく描写が可愛かった。

Permalink |記事への反応(0) | 12:30

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バリ万引きした馬鹿ガキ共はしょっちゅう親が海外旅行に連れてくボンクラなんだろうな

友達と行ける初めての海外旅行ならまずやらんて

手慣れ具合といい前々から言われてる犯罪の低年齢化といい日本はどこまで馬鹿に成り下がるんだろう


中学で1つ上の学年が何やらかしたのか自分の学年は卒業旅行ディズニー行けなかった件、10単位経っても今思い出しても割と新鮮に腹立てるな

食べ物じゃないが旅行も一生根に持つわ

Permalink |記事への反応(1) | 00:34

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2025-12-09

高校授業料無償化ではあるけど、少数派にとってはけっこうしんどい

勉強普通レベルにできる子だとしても、たとえば起立性調節障害などがあって全日高校無理ゲーな子がけっこういる。

そうなると通信制高校が消去法で選択肢になる。

この時点でほとんどの通信制高校私立であり、高校無償化の対象となる「授業料」以外の強制オプションがそこそこの金額、数十万円/年にはなる。

そして、ここが制度のはざまではあるのだが、さら通信制高校というジャンルの中に、「サポート校」という存在がある。

みんな知ってるだろうか。

サポート校100%民間なのでかんたんにいえば塾と同じだ。

それゆえに、それぞれにかなり特色があって、当たりはずれもあり、本人との相性の差がデカい。

学校法人ではなく、塾と同じだから株式会社経営しているという微妙ファクターもある。

もちろん学費はけっこう高い。だいたい70~80万円/年ぐらいで、100万円/年クラスもある。3年通うと300万。

サポート校の生徒は、「高校」ではなく、ふだんはサポート校に通う。たいていがオフィスビルの1室だ。

そして高校卒業単位取得のためだけに、深く連携/提携している通信制高校に年間数日、スクーリングをする。たいてい遠方に泊まり込みだ。

卒業必要レポート提出などは、サポート校の方でも文字通りサポートして高校卒業をめざす。サポート校によっては、大検サポートするというパターンもある。

いずれにしても、みんなに知ってほしいんだけど、消去法の末にサポート校という形しかフィットしない子がいるんだよ。

そんな子を持つ家庭への経済的公的支援は、もちろんない。ここがしんどい

贅沢をさせたいんじゃなくてさ、

「これからの16~18歳こそは中学の時のように悲しい思いをせず、ぺちゃんこになってる自己肯定感を少しでも回復できる可能性があるのは、消去法でこういう環境だろう」

と親も本人も悩んで悩んで選ぶケースがあるんですよ。

とりとめなくて申し訳ないけど、そんな話。

生存者バイアスでいろいろと上から目線で言われそうな話題だとは思うけど、この選択肢の狭さや経済面のしんどさ、伝わるだろうか。

追記1

思いのほか温かいコメントありがとうございます

ちなみに「他の人は無償でずるい」なんて思考はこれっぽっちもなくて。

サポート校を選ぶと絶対的経済負担と、民間企業による経営という中期的な不確定要素も呑み込まないといけないのが、モヤってしまポイントかもです。

なんら救済制度がない、というのが、感情的にもちょっと悲しいのかもしれません。

もちろん志のある良いサポート校もあると分かり否定/悲観しているわけでは全くないし、民間からこそできることもたくさんあるので、ここはトレードオフの面もありますね。

ただ、本人の辛い過去特性を踏まえた「居場所の確保」を目指しつつ、高校選びの2択を何度も繰り返した結果、民間サポート校だけに着地するということが現実的にあるのです。

1年近くかけてかなりの数の学校へ親子で相談見学に行ったし、もちろん公立通信制高校最初は有力な選択肢としていたが、諸条件が全くフィットせず。

中三の子もの進路選択において、私がこの現実理解できていなかったので少し混乱し、ここに吐き出したくなったのだと思います

具体的な生徒本人の状況を書けないから、抽象的な話になってる部分があると思いますすみません

Permalink |記事への反応(10) | 22:14

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チンパンジーのやつを読んだ

中身のない文章無駄に長く続いているだけにしか見えないんだが、これの何が面白いんだ?

平成中期のラノベに影響された中学2年生がChatGPTの力を借りて猿真似してみたらダダ滑りしちゃったって印象。

あの記事から得られるもの特に無かった。 強いて言えばチンパンジーチンパンジー馬鹿にしているのが滑稽で笑えたってことくらいかな。

Permalink |記事への反応(0) | 20:36

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な、「男」だろ?

バリ島男子生徒ら集団万引きか、防犯カメラ映像拡散 京都大谷中学高校が「窃盗行為謝罪

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.j-cast.com/2025/12/08509988.html?p=all

クソオスの日常

Permalink |記事への反応(3) | 06:52

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2025-12-08

貧困ジャップ海外窃盗ツアー

バリ島男子生徒ら集団万引きか、防犯カメラ映像拡散 京都大谷中学高校が「窃盗行為謝罪J-CASTニュース) -Yahoo!ニュース

貧しくなったね

Permalink |記事への反応(0) | 21:06

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中学数学レベルまでのことでなんか問題解いてるってこと書き込む分にはほほえましいと思われそうだが、高校とか大学数学になると自分を賢く見せたいとか冷笑的な仮定をされコンプレックス丸出しに見られるという罠

まあ語り方ってのがあるのかもしれんが

dorawiiより

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Permalink |記事への反応(0) | 15:32

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小学生の時に新興宗教を作った話

毎年クリスマス正月のような宗教色の強い時期になると思い出すので備忘録として書いておこうと思う。

とても長くなるので読んでも読まなくても構わない。

はいくらでもあるが、当時小学生お子ちゃまが頭を振り絞って考えたことだったので生暖かく見ていただければ幸いだ。

まり

増田が6年生だった頃のことである

当時通っていた小学校お受験が盛んで、クラスの半分以上が中学受験するような学校だった。中には体育や道徳など勉強関係ない授業が多い日は学校休み塾へ通うように親に指導される子供がいるような学校である

そんな雰囲気学校だったため増田も塾に通わされていたが、増田の親は仕事が忙しく放任主義だったため、どちらかというと自由に延長できる学童のような使い方をしていた。親が帰るまで子供1人は心配から大人がいる塾で勉強して暇を潰しなさい、という発想かと思う。

当然、遊びたい盛りの子供は不満である

から晩まで勉強で楽しくないし、学校教師子供達に学校勉強させようと胡麻擂りに必死だし、塾ではライバルたちと比較される。お子様なりにフラストレーションが溜まっていた。

小賢しく、自尊心が高く、承認欲求が強く、何よりも勉強以外で暇を潰したかった増田はそこで考えた。

そうだ、宗教を作ろう。


友人について

当時の増田立ち位置は「1軍グループにいるけどちょっと浮いてる変なやつ」だった。友人Aと友人Bの親友というだけで残酷子供達のカーストの中で辛うじてバラモンの仲間に入れてもらっていた。友人Aと友人Bの存在がなければきっとダリットだったと思う。

とにかく、増田には2人の親友がいた。勉強スポーツもできて誰からも一目置かれる友人A、とにかく話がうまく誰とでも仲良くなれる才能がある友人B。

入学した時にたまたま席が横並びになったというだけの出会いだったが、それからこの2人はこちらが申し訳なるくらい良くしてくれ、そのおかげで陰キャ性格がドブカスだった増田も「みんな仲良し♪」の仲間に入れてもらうことができたのである

表向き友人Aも友人Bもみんなの前では「気のいいやつ」だったが、実は2人とも性格にはかなり難があった。いや、だからこそ増田と仲良くなれたのかもしれないが。

友人Aはなんでもできるからこそ傲慢で、支配欲がある。少し早い厨二病であり、大きな声では言えないがナチに憧れていた。大きな声で言わないところが実に打算的であり、増田はそこが気に入っていた。

友人Bはとにかく人からの評判を気にしていて、いつも自分悪口を言われていないか怯えていた。それと同時に人の内緒にしておきたい部分を暴くのが大好きで、いつか何かあった時に脅せるように、仲良くなって秘密を握ることで快感を感じる癖があった。

増田はといえば親友2人を自慢に思うとともに、増田の言うことを疑いもしない人気者2人を操る優越感に浸るクズだった。

ズブズブに共依存している闇のズッコケ三人組である

そんな悪友2人に、こんな面白いことを共有しないわけにはいかないと増田は思った。

宗教を作ろうと思う」と増田は言った。

いいね、やろう」と友人Aは言った。

信者100人くらい欲しいね」と友人Bは言った。

増田は「こいつら話が早すぎるな」と思った。

そうして、宗教を作ることになった。

宗教を作ろう

増田キリスト教圏で育ったので神の存在に関しては割と思うところがあった。

そこで「神」不在の「思想」の宗教を作ることにした。

思想宗教の違いは難しいが、神の存在を論じられるほど増田信仰は深くなかった。ただ、人間熱狂宗教になりうる、と子供心に感じていた。

小学生だった増田の狭い狭い世界の中で、唐突宗教を作ろうと思ったわけではない。「これはいける」と思った出来事があった。

発端

どの小学校でも道徳の授業があったと思う。お受験組の気を引こうと躍起になっていた当時の担任は、その道徳の授業で「いいこと投票」というものをしていた。

その名の通り単純で、「いいことをした人を匿名投票して、得票数が高かった人を表彰する」という仕組みである

これは単純だが、小学生承認欲求をかなりくすぐった。なにしろ、いいことをするだけで教壇の上で褒められ、その上シール(子供にとってのシール!史上の喜び)を授与されるのである。名札の裏にいいこと投票シールを貼るのがステータスになるのにそう時間はかからなかった。

増田はヒネた子供ではあったが、それでも投票されたら悪い気はしないし、いいこと投票が頭をよぎって人助けをすることもあった。

それと同時に、「これは使えるな」と思った。

まり、「人の善意は操れる」と知ってしまったのだ。

増田が育ったキリスト教の教えでは、善行は死後の世界のために積むものとされていた(諸説ある)。だが、小学生にとって死後の世界など遠い存在である。「善行を積めば人々から尊敬されるという承認欲求」の方が何より魅力的なのではと思った。

どうせ宗教を作るなら、ハッピーな方がいい。

3人の意見はまとまった。

その週末、3人で図書館に行った。親は大喜びでお駄賃までくれたが、目的宗教について調べることであった。当時インターネットはかなり普及してきていたが、学校コンピューター室で宗教のことを検索するのはかなり気が引けた。そこで図書館へ行くことにした。

日中調べて回って、以下のことを決めた。

小学生なりに考え、実行に移せる最大限を考えた。

そしてそれを実行に移した。これが6月の頃である

〇〇〇〇教の立ち上げ

結論から言うと、〇〇〇〇教はバカウケした。

結成時に十数人を集めて行った友人Aの演説は素晴らしいものだった。増田が授業中書いた原稿と同じ文言とは思えないほど力に満ち溢れ、説得力があり、心に訴えかけるものがあった。その場にいた全員が信者になると誓い、お札を下駄箱に貼り付けた。

友人Bの勧誘も実に巧みだった。誰に話せば一番噂が広まりやすいかを友人Bは知り尽くしていた。すぐに手元にあったお札はなくなり、増刷をすることになった。学年のほとんどが入信し、シールは飛ぶようになくなった。匿名投票のための空き下駄箱は常に紙が入っている状態で、ランドセルの蓋にシールを貼るのが大流行した。

3人はそれで満足し、たかを括っていた。小学生拡散力を舐めていたのである

拡散組織化

夏が来て塾の夏期講習が始まってから、他校の生徒に声をかけられることが多くなった。もちろん入信の申し出で、最初は喜んで案内をしていた。

だが、20人を超えたところで不安になり始めた。なにしろ、塾でしか会わない人間である匿名投票匿名性は失われ、よく知らない人間善悪判断しなければならない。

3人は作戦会議をし、組織化をしなければならない、と結論を出した。信者たちを支部に分け、各支部ごとに信者たちをよく知る支部長を置くことにしたのである

それと同時に、今まで全て3人で行っていた運営テコ入れをすることにした。

まず、専門のデザイナーを雇った。非受験組の絵が得意な信者シールとお札のデザイン一新させた。毎月シール図柄を変え、飽きの防止とインフレの防止を図った。

また、情報屋も雇った。告解で得た情報さら価値のある情報を交換するためである。これは画期的で、「この秘密を話すので誰々の好きな人を教えてください」とかが大変多くなった。

支部長の下に秘密内部監査官も置いた。これは支部長の不正信者との癒着告発させるためである

組織化したことにより、3人の地位は確固たるものになった。カリスマ教祖の友人A、人に響く教えを説く友人B、善悪を裁き組織をまとめる増田

夏休み中もムーブメントは衰えを知らず、信者は増え続けた。3人は有頂天になっていた。

そして学校が始まり、始業式の後、3人は応接室に呼び出されたのである

お叱り

〇〇〇〇教は教師陣の間にも知れ渡っていた。

当然である人間の口に戸は立てられない。小学生なら尚更だ。

つの学校ではなく塾や習い事によりその地区の他校にも伝播した〇〇〇〇教の信者は把握できるだけで数百人を超えていた。

夏休み中、先生方は連携をとり、学校再開とともに終わらせようと話し合いがされていたらしい。

説教は3時間に及んだ。これは、先生方の話が長かったこともあるが、こまっしゃくれたクソガキだった我ら3人がいちいち反論を仕掛けたかである

そもそも、我々は何も悪いことをしていなかった。ただ「いい人になろう」「いい行いをしよう」「いい人たちを尊敬しよう」と言って回っただけである。「ご利益がある」とお札を売りつけたり、告解で得た弱みを握って脅したりもしていない。ただ、善行を行わせて噂を流通させただけなのだ

教師陣もそれがわかっていたのであまり強くは追及してこなかったのだが、我々があまりに舐め腐った態度をしていたのでだんだんヒートアップし、複数教師が入れ替わり立ち替わり講釈を垂れ、最終的に「解散宣言をしなさい」と一方的要求押し付けてお開きになった。

応接室を出て、下駄箱に向かい、校門をくぐった瞬間、3人は爆笑しながらハイタッチをした。

馬鹿め、もうそんな段階にないのだ!」と知っていたからだった。

子供と接しているのに大人である先生の皆皆様方は全くわかっていらっしゃらない。子供禁止されたらもっともっとやりたくなるんだよ!

受験用に詰め込まれ知識であるキリシタン気持ちがその時はよくわかった。抑圧された宗教は熱を増すのである

〇〇〇〇教は密教と化し、いよいよ肥大化していた。

隠語で呼ばれ、ミサと称した会合秘密裏に行われ、塾に通うために学校を休んでいた層もせっせと体育館裏に足を運び秘密を囁くようになった。

教師陣は躍起になっていたが当時流行り始めた学校掲示板mixi日記などで〇〇〇〇教は着実に広まり信者は増え、もはや我々3人の手に及ばないものになっていた。

知らないデザインシールが増え、知らない告解が増え、知らない宗派ができていた。

秋が来て、塾で勉強している間に冬になった。

祭りの後

冬季講習の最終日、いつもの公園ジャングルジムの上に集まり、80円の缶ジュース乾杯をした。

「そろそろやめよっか」と増田は言った。

教祖しかったなぁ」と友人Aは言った。

卒業、さみしいなぁ」と友人Bは言った。

正直、もうその段階ではないことはわかっていた。これはただの勝手な「一抜〜けた!」である

教祖司祭裁判官も全てを誰かに押し付けて、こそこそと逃走するのだ。信者からすれば大きな裏切りであり、大罪だろう。

でもぶっちゃけ、飽きちゃったのだ。自分たちを置いて勝手物事は進んでいくし、勝手教祖を名乗るものも出てくるし、勝手布教されているし、勝手に人が人を裁き始めるし。

だって子供だし、受験もあるし、そもそも進学したら続けられないし。

色んな言い訳をして、色んな人と話して、時にやり合って、押し付け合って、そうしている間に受験学校に行かなくなって、ようやく卒業のために帰ってきたらどうやら全てが終わっていた。

あれだけ熱狂的だった信者たちは激減しており、卒業とともに誰かに譲られるためランドセルの蓋はシールなんてなかったように綺麗になり、空き下駄箱は使用禁止になっていた。

教室の後ろの「いいこと投票」の模造紙は取り払われ、「卒業おめでとう!」の垂れ幕に変わっていた。

こうして、我々の宗教活動は終わった。

最後

友人Aは卒業と共に他県へ引っ越した。6年生になった時から決まっていて、増田たちと最後に何かしたい、と言っていたので「何か」は間違いなくできたと思う。

友人Bは志望校に落ちたので増田とは違う中学に進学した。あれだけ熱心に活動に勤しんでいたというのに引っかかったのは幸運だと自ら笑っていた。

増田中学で若干いじめられそうになっていたが、入学した時に席が前後になった友人に助けられなんとかグループの輪に入れてもらい事なきを得た。教訓としては、コミュニティに入って一番初めにできた友人はなんとしてでも大事にした方がいいということだ。

それぞれ無事進学して、就職して、結婚して、最近オンライン飲み会なるものを開催している。

この間、家族で親元へとUターン引っ越しをした友人Bが酔っ払いながら教えてくれた。

最近子供ランドセルの裏に変なシールをくっつけて帰ってきてさぁ」

友人Aはしばらく黙った後爆笑したが、増田は少し泣きそうになった。

この歳になると涙腺が緩くなって困る。

キリシタン、まだいるのかぁ。

Permalink |記事への反応(1) | 13:40

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2025-12-07

なぜ地方の『マイルドヤンキー』は、都会のエリートよりも幸福そうに見えるのか

久しぶりにド田舎実家に帰ったんだけどさ。地元イオンモールで、中学時代同級生たち(いわゆるマイルドヤンキー層)に遭遇したわけ。

EXILEみたいな髪型した旦那と、茶髪プリンヘアの嫁が、子供3人連れてフードコート丸亀製麺食ってギャハギャハ笑ってる。駐車場にはデカアルファード。 正直、昔の自分なら「うわぁ…」って見下してたと思う。知性のかけらもない会話、洗練されていないファッション、閉じた世界

でも今回、東京で消耗しきった頭で彼らを観察してたら、ある恐ろしい事実に気づいてしまった。

生物としての幸福度」において、どう考えても俺(都内勤務・年収1000万超・独身)より彼らの方が圧勝してるんじゃないか? ということ。

悔しいから色々考えたんだけど、これ単なる「隣の芝生」じゃなくて、構造的な理由があるわ。言語化できたので書いておく。

1. 「選択肢の多さ」という地獄

東京エリート(笑)である俺たちは、常に「最適解」を探し続けてる。もっといい会社もっといい年収もっといい住居、もっといいパートナー選択肢無限にあるから、「今の選択ベストなのか?」という疑念が一生消えない。 これを心理学で「マキシマイザー(最大化人間)」って言うらしいけど、まさにそれ。

一方で地元の彼らは「サティスファイサー(満足化人間)」だ。地元にはイオンパチンコと数軒の居酒屋しかない。就職先も親のコネ地元工場結婚相手中学の先輩か後輩。選択肢がないから、迷いようがない。 「ここで生きていく」という覚悟強制的に決まってる。 「もっといい人生があったかも」というノイズがない分、彼らは目の前のうどん家族100%リソース(関心)を投下できている。

2. 「相対的剥奪感」の欠如

東京天井がない。年収1000万になれば2000万の奴が視界に入る。タワマンの低層階を買えば高層階の奴に見下ろされる。SNSを開けば、自分より若くて成功している起業家が流れてくる。 どれだけ努力しても、常に「敗北感」を味わわされる構造になってる。終わりのないラットレース

でも地元は違う。アルファード乗って、持ち家(土地代タダみたいなもん)建てて、子供が3人いれば、その時点でもう「地域の王」だ。ゲームクリアの条件が明確で、しか難易度東京に比べてイージーモード。 一度クリアしたら、あとは余生としてマリオカートを楽しむだけ。 彼らはもう「足るを知る」状態に入ってるのに、俺だけがレベル99の上限解放待ちのクソゲー必死プレイしてる気分になった。

3.コミュニティという最強のセーフティネット

俺たち都会人が金で買っているものを、彼らは「人間関係」で無料調達している。 子守りは近くのジジババがやるから無料。 車が壊れたら先輩の整備工場で安く直す。野菜は近所から貰う。

俺たちは孤独を埋めるために高い家賃を払い、承認欲求を満たすために高い時計を買い、家事代行シッターに金を払う。 彼らはそのコストが全部ゼロ可処分所得で見たら俺の方が多いかもしれないけど、「精神的な可処分所得安心感)」で言えば、地元のツレとの強固なネットワークを持つ彼らの方が圧倒的に富裕層なんじゃないか

結論

高学歴エリートが都会でやってるのは、 「無限に湧いてくる選択肢の中から、正解かどうかも分からない最適解を選び続ける」という、リソース消費が激しいだけの苦行だった。

マイルドヤンキーたちは、 「限られた選択肢を愛し、その中で最速で満点を取り、あとは仲間と笑って過ごす」という、コスパ最強の攻略法実践している。

フードコートで笑う彼らを見て、俺は日能研に通ってた小学生の頃から、ずっと「幸せになるための競争」をしてきたつもりだったけど、実は「幸せを感じるセンサー」を鈍らせる訓練をしてただけなんじゃないか絶望した。

東京に戻る新幹線の中でこれを書いてるけど、明日から仕事憂鬱で仕方ない。アルファード欲しい。

Permalink |記事への反応(1) | 16:14

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anond:20251207114252

学科女子がたくさんいたら?職場にも女子がたくさんいたら?怖けず話せたのだろうか?中学高校女子がそれなりにいたのに話せなかったじゃん。。結局環境でなく自分なんだよな。。。」

話せたと思うというか実際話せただろう

環境要因は事実上はかなり大きい

Permalink |記事への反応(0) | 11:44

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タトゥーが怖いという感覚が(あんまり)ない

駅のホームで奥様方が「最近タトゥー入ってる人(特に外国人)が多い」「怖いわよね」「嫌よねぇ〜」というような話をしていて、60代前後という世代もあるんだろうが、都内に住んでてタトゥーってそんなに珍しい&怖いもんなのか〜と意外だった

ガッツリ和彫り入ってるとか、腕から首までびっしり彫ってて顔面にもピアスみたいな感じなら危ない界隈の人か…?と警戒もするけれども、なんか思い入れがある絵柄やイニシャルなんだろうなというのを見ると、怖いというよりはこだわりがある人なんだなと思うし、人間らしくていいじゃんと思う

これまで見たタトゥーの中ではふくよかな猫(おそらく飼い猫)の絵を入れてる女性にほのぼのし

猫とずっと一緒にいたいんだろうな

自分高校まで地方だったんだけど、もしかしたらヤンキー文化割合身近だったから、そのせいでむしろいろんな人がいるはずの東京よりもタトゥーに対する心理的な敷居みたいなものが低いのかもしれない

通っていた高校比較治安が良かったが、中学(当然公立)までの同級生にはヤンキーゴロゴロいるしバイト先の先輩もヤンキーだったりして、タトゥーが入ってる人間もそこそこ身近にいた

本当にヤバいヤンキー普通高校生が近づかない水商売界隈にいるため、ファミレスバイトとかしてるような人たちっていうのはヤンキーなりに真面目で治安が良かった

肩にちょうちょ入れてるギャルとか腕にロックっぽい柄入れてる眉毛ない先輩とかいたなあ

ピアス拡張するのを度胸だと思ってるのか耳たぶがビロビロになってるチャラ男とか、金がないか自分で針と墨汁で彫ったという強者もいた

そんな刹那的に生きてた連中が十年もすれば結婚してそれなりに真面目に働いてたりするんだから不思議もの

デキ婚してすぐ離婚とかもゴロゴロいるが)

そうか、今これ書いてて思ったけど、小金持ってそうなあのおばさま達は、そういう「地方ダサいヤンキー文化的なもの」としてタトゥーを嫌がってたのかもしれないな

自分タトゥーは入れてないけれども、健康リスクがほぼないインクとかができたら入れたいくらいの興味はある

肉体なんていうのは、見方を変えれば精々80年で原型とどめなくなり、死んだら焼かれる物質にすぎないわけなんだから別に後生大事にすることもない

Permalink |記事への反応(1) | 05:08

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