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2025-12-07

真逆(まぎゃく)」はいから使われだしたか

前提


1927年アルス写真大講座 第二巻』

記念したい被写体を取り入れたいために時には真逆の方向(カメラ太陽に向ふ)に向ふ場合もあるでせうが、このとき直射日光レンズに当らないやうに注意をして頂きます

フリガナがないので「まぎゃく」と読むかはわからないが、意味的には「正反対」の意味で使われていそうだ。

いまのところ「正反対」の意味で使われている最古の用例である

追記1937年写真月報』

只逆光線で太陽を前景のカメラもつている人でシエードした事が、レンズ太陽の直射を避けて雲海にあたつた真逆の光線をうまく捉へる事が出来ました。

写真関連で検索してみたが、なるほど。

写真用語では太陽光の当たり方を「順光線(順光)」「斜光線(斜光)」「逆光線(逆光)」などと分類するが。

逆光をさらに「半逆光線(半逆光)」と「真逆光線(真逆光)」に分けることもあるというわけか。

検索してみるかぎり、用例としては「真逆光」が圧倒的に多いが、「真逆の光線」「光を真逆に受ける」のような例もわずかに見られる。

1959年富士岡田紅陽

太陽富士山頂の上に輝やき、眼前の雲海の表面を真逆に照しつけていた。

一気に時代が飛ぶが、こちらは「まぎゃく」とフリガナがあるので間違いない。

ネット検索できるかぎりでは、いまのところ最も古い「真逆(まぎゃく)」であろう。

ここまでは用例が少ないので、もちろん「真逆(まぎゃく)」が広まっていたとは言えないだろう。

しかすると、文章にならないような口語俗語として使われていた可能性はあるが、それはわからない。

さて、1970年代に入ると一人の男が颯爽と登場する。映画評論家松田政男である

この人物が「正反対」の意味の「真逆」を広めたと言っても過言ではないのではないか

彼はそのくらい「真逆」を多用しているのである

1971年風景死滅松田政男

コスタガブラスが『Z』にひきつづいてつくった第三作『告白』は、いわば、日本の喪名の永久革命家の理念とは真逆視点から革命反革命弁証法をとらえようとした政治的茶番劇である


1972年キネマ旬報』「映画批評 わが緑の大地」松田政男

往年の安部公房テーゼ"猛獣の心に計算器の手を"とまさに真逆に、ポール・ニューマンは"ハトの心にタカの爪を"と、後行する世代叱咤しているのである


1973年不可能性のメディア松田政男

自動車から飛行機への発明ベクトルがひたすら上昇の方角にのみ向けられているのとまさに真逆に、グーテンベルグ以降におけるエレクトロニクスメディアの発達は、ひたすら私たちの<内部世界>の深部に向って下降するベクトルをもっているのではないか

エンツェンスベルガーは、エレンブルグの「作家ならば、ドゥルティの生涯のものがたりを書いてみようとは、けっして思うまい。それはあまりにも冒険小説そっくりだった」というしたり顔とはまさに真逆に、そういった意味合いでの「物語作者は、自己否定しなければならない」が故に「集団的フィクションとしての歴史」――正確には「反歴史」を書くべく試みたのだ。

チャップリンが、常に、可哀想ヒロインのために献身するのに対し、キートンはまさに真逆禁欲的にまで非情に、アクション共同体映画のなかへ制度化すべきことを他者に向って要求するのである

そしてエイゼンシュタインは「人に秀でた人間」として、しかトロツキーとは真逆に、スターニスト・レジームへの自己批判を倦むことなくつづけることによって生き延びて行ったのだ。


1973年キネマ旬報』「キネ旬試写室化石の森」松田松男

この点いかに苦悩の色を露わにしつつ純文学を志そうと、できあがった作品が常に一つの社会現象として、つまりエンターテインメントとして消費されてしま石原慎太郎と、篠田正浩はまさに真逆であると言っていい。


1974年キネマ旬報』「今号の問題作キャロル斎藤正治松田政男

私たちは「スティング」のあの不愉快なだまされ方とまさに真逆に、龍村らが「キャロル」に仕掛けたさわやかな詐術を愉しんでおけばいいのだから······


1974年朝日ジャーナル』「密室国家難民キャンプ なぜ、いま、パレスチナ革命なのか』松田政男

レーニン以前に、もとよりレーニン以上に楽観的に「生産者たちの自由平等な協力関係の基礎のうえに新たに組織する社会は、全国家機関を、そのばあいしかるべき場所へ移しかえる、すなわち、紡ぎ車や青銅の斧とならべて、考古博物館へ」と断定したエンゲルス理想とはまさに真逆に、いま紡ぎ車や青銅の斧と共に博物館へ並べられているのは、彼らエンゲルスレーニンや、その他もろもろの革命理想である


1975年現代の眼』「シネマ・マンスリー

この密林の猟師年齢不詳だがむろん年老いており、したがって初めキャステイングされていた三船敏郎のような精悍さとは真逆の、むしろ志村喬だとか千秋実だとか黒沢一家長老ふうな中央アジア出身の老優が起用されていて、これがかえって野生の賢者という風格をかもし出してなかなかにいい。

これは匿名記事だが文体からして松田政男か?

1976年キネマ旬報』「自主映画の新作その(3)」松田政男

この静謐な、余りにも静謐な〈自然〉は、ゴダールとは真逆の"観念論的記録の試行なのか?


1978年シナリオ』「77から78へ日本映画の秋冬アイデア燃えあがる日」松田政男

そこへ行くと、日活ポルノ裁判被告として四年間の沈黙余儀なくされていた山口清一郎が、初めてATG提携製作した新作『北村透谷・わが冬の歌』は、『原子力戦争』とまさに真逆に、開かれた映像空間の造型に、一定程度の成功を収めえている。


1979年『日付のある映画論』松田政男

高橋明庄司三郎ら日活独特のポルノ男優たちが、画面のなかでいかにタフに振舞おうとも、私たち観客に対しては常に控え目な存在であるのとまさに真逆に、ここにおけるホストどもは、私たちの目の保養を邪魔立てする文字通りに目ざわりな夾雑物なのだ

しかし、『25時の舞踏派』『貘をぶっ殺せ』『造花の枯れる季節』と一九七五年に三連作された8ミリ長編劇映画とは真逆に、このうまさは、なぜか上すべりするうまさなである


1979年現代の眼』「和製B級映画現在形」松田政男

亀和田武は、そこで、私とはまさに真逆に、自らの石井隆論を全面展開しながら辛辣きわまりない反撃を重ねて行くのだが、先述したように、私がヨリ関心を惹かれるのは、個別作家論というよりも、その大前提たるべき情勢論なのだ


1979年現代の眼』「松田政男映画戦線への斬り込み」松田政男

そして、面白いのは、西欧的な父性原理依拠する『くるみ割り人形』とはまさに真逆に、信州フォークロアに原型をもつ物語真相には、東洋的な阿闍世コンプレックスに由来する母性原理が、不十分ながら貫徹していることだろう。


といった具合に、松田政男は「真逆」を使いまくっている。

いずれもフリガナは振られていないので、本人は「まさか」の読みで使っていた可能性もあるが、少なくとも意味的には「正反対」で間違いなかろう。

1970年代から1980年代にかけて、この「正反対」の意味の「真逆用法は、特に映画系のライターあいだで広まっていったようである

たとえば田原総一朗もその一人である

1975年大統領を知らない人たちアメリカで見たしたたか生き方田原総一朗

もっと地獄絵は、その猥褻さ、はなはだ幽玄的でない表現に寄って、裸や性器露出がいやらしいこと、不自然なこと、いわば忌み嫌うべきこと、非人間的なことであることを強調しているわけで、これは、古代ギリシャをはじめヨーロッパ絵画彫像が裸の美を強調し、裸こそ人間自然の姿だといわんばかりに表現しているのとはちょうど真逆である


1978年穀物マフィア戦争田原総一朗

「当然でしょ。”緑の革命“とは、発展途上国にとっては、自立とは真逆の、アメリカへの依存度をより高めさせ、アメリカ政府と、多国籍企業世界支配システムにより深く組み込まれることでしかなかったのですからね」


1979年『潮』「二都物語1新潟VS山口総理大臣をうんだ街」田原総一朗

松陰は、この狂を愛し、みずから狂夫たろうとしていた。だが、岸信介には、狂はない。むしろ吉田松陰とは、真逆のように思える。


仮に、このあたりの記述が「まさか」という読みを意図していたとしても、フリガナがないので「まぎゃく」と読む人は多かっただろう。

よって「真逆(まぎゃく)」が広まったのは1970年代ではないか、というところで結論としたい。

Permalink |記事への反応(0) | 23:57

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2025-11-30

かなり乱暴にたとえると、「匈奴=巨大本家の大組」「漢帝国国家権力」「丁零=北方独立系武闘派グループ」で、同盟・離反・シマ争い・別名での再編成を何度も繰り返す、極端に長期スパンの抗争劇のようなイメージになる。実際には国家規模・人口宗教経済基盤が絡むので、現代暴力団ヤンキー抗争より遥かに複雑で、比喩は「雰囲気をつかむための漫画モデル」程度に留めるのが安全だと思う。​

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大枠のイメージ

---

抗争構図をヤンキー風にすると

ここまでを雑に例えると「北東アジア中央アジア一帯で、複数の大グループ中小グループが、数百年スケールシマ同盟名称を変えながら延々と“抗争”している世界観」という雰囲気

名前・再編のイメージ

Permalink |記事への反応(0) | 22:12

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2025-11-12

日本って共働きする社会的準備ができてないよね

特に食事

ヨーロッパだと粗食が基本だからパン齧ってソーセージ齧ってキャベツ漬物齧ってチーズ齧っとけば良い。あと豆を煮込むとか

家族で団らんする休息日以外の年間300日をそれで過ごしても何の不満もない

一方東南アジア大屋文化

から夜まで労働者は外で何かしら食える状態で、子持ちも一家で朝夜外食が当たり前

経済的負担も少ないから成立している

中央アジアから西アジアは女に社会的権利が無いので無視して良い

一方日本は未だに家事ブームがあって疲弊している

共働きで家で飯の用意なんてするもんじゃない

粗食で我慢するマインドを養うか、安い外食を確保するかしないと可処分時間が足りねえぜ?

anond:20251112110144

Permalink |記事への反応(1) | 11:11

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2025-10-21

anond:20251021094521

そこは単純に競技人口の違いでしょ

フランス南米中央アジアが強いのも比較道場が多くて若いころから柔道に触れる機会が多く、競技者になる人が多いか

競技者が多ければその分強い選手が育つケースも増える

そして競技人口の割には日本選手は弱いしトップ選手の何割かはフィジカルが強い混血や帰化選手になってる

Permalink |記事への反応(2) | 11:41

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2025-10-19

中央アジアパミール高原で暮らす少数民族「タムリク人」の言語が、日本語発音語順の一部で共通していることが、国際研究チームの調査でわかりました。

研究によりますと、タムリク語では「チンポ(男)」「チンチン(男児)」「チンコ(王)」など、日本語と同じ音を持つ言葉が多く確認されたということです。

また、彼らの伝承には「サル」と呼ばれる東の地から祖先が来たという神話が残されており、一部の専門家日本列島との関連を指摘しています

調査を行った近江文化大学藤本修平准教授は、

「偶然の一致とは言い切れないほど体系的な類似がある」

コメントしています

研究チームは今後、DNA解析なども進め、民族起源を詳しく調べる方針です。

Permalink |記事への反応(1) | 02:08

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2025-08-03

ホンダ軽トラから撤退したのは進化に追いつけなかったからじゃない

軽トラのことがまた話題になってるが視野狭窄だ。端的に言って、軽トラ軽自動車日本だけの商品と考えているのが大本の間違いだ。軽自動車グローバル商品なんだよ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2584277

 

google:image:chevrolet damas画像検索してみてくれ。見覚えのある軽バンが出てくるだろう。スズキブリー(キャリーバン)だ。だがシボレーバッジをつけているのだ。しか左ハンドル。更にエンジン韓国大宇製だ。何者だこれは。

これはスズキキャリーバンGMライセンス生産しているものである

 

次はgoogle:image:suzuki bolangoogle:image:Carry Dabbaだ。

これはスズキキャリーパキスタン生産しているものだ。因みにパキスタン左側通行なので右ハンドル

この元になったキャリーは実は2スト360cc時代のもの。それに今の法規制に適合する4スト800ccEFIなんかのエンジンを載せているという異常進化を遂げている。

因みにこの生産ラインは、インドネシアキャリーモデルチャンジする際に売却されたものと思われる。

 

お次はgoogle:image:piaggio porterだ。ピアジオベスパスクーターで有名な2輪メーカーだ。ダイハツハイゼットがそのピアジオエンブレムを付けてイタリアや他のEU諸国を走っている。

これはダイハツ生産した部品を現地でノックダウン生産しているものだ。外装のプラ部品内装品は現地生産しているので見た目がかなり違う。

ついでにgoogle:image:piaggio porter ambulanceではハイゼット救急車が見られるぞ。ゲテモノっぽいし狭苦しいのだが、道が狭い、ローマなどの歴史地区では無くてはならない車だ。

更にこのポータートラックの方が香港救急車に改造されたのも見る事ができるだろう。日本イタリア香港と海を渡っているんだな。

 

日本だけ見てるとホンダ軽トラ撤退した意味は分からない。でもスズキダイハツはこういう風に世界中生産しているのだ。特にスズキは「グローバル軽自動車」界での巨人で、本当に世界中生産されている。

このグローバル展開の鍵は実はアメリカの車メーカー(と韓国大宇)で、東南アジアを牙城としつつ、その勢力圏から離れる南米中央アジア中東ではGMフォードライセンス生産しているのである

この馴れ初めは、経済が発展途上だった韓国GMと大宇が合弁して現地ライセンス生産をしていた事に始まる。またフォード台湾などで軽自動車ライセンス生産をしていた。

 

ホンダ場合海外展開北米に寄っている。北米は豊かなので軽トラバンなどの市場とならない。

からホンダ軽トラモデルチェンジしたら古いモデルラインは廃棄か部品生産用に低稼働となる。

だがスズキ場合無駄にならないのだ。他国に売却するし技術指導もするからだ。更にライセンス生産だけじゃなくてOEMやノックダウン供給もやっている。

すると規模の経済全然違うのだ。故に生産コストが断然有利だ。

すると、ホンダとしてはこういう条件で戦うのだったらOEM供給受けた方が良いということになる。

 

まあそういう訳で、軽自動車日本だけで作っているという考えは間違い。特に軽トラバンは昔からグローバル商品で、最近ではワゴンRもそれに続いている。多分、10年後の東南アジア南米ワゴンRだらけだろう。

同時に、アメリカの車メーカーGMフォード)が世界中軽自動車を作りまくっているので、アメ車メーカーデカい車しか作れない無能と考えるのも間違いだってことだ。それは米国市場だけのことなのだ。

 

ステラティ会長が「EU軽自動車規格作れ」と言ったのはこういうのを見据えてのことだ。規格が通ったら、ハンガリースズキ工場があるので東欧ワゴンRエブリイだらけになると思われるよ。

 

そういう事を逐一説明した増田を前に投稿したが長くてあまりまれなかった。気になる人はドーゾ→https://anond.hatelabo.jp/20250625180545

Permalink |記事への反応(1) | 20:48

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東南アジア自国労働者不足で出国制限する

ベトナム人材不足解消へ自国民呼び戻し 国籍ルールも緩和 -日本経済新聞

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkei.com/article/DGXZQOCB294GB0Z20C25A7000000/

東アジア東南アジア労働者不足はすでに深刻なので、出稼ぎ労働者韓国台湾日本には来なくなる。

日本労働者確保のために中央アジア南米アフリカ東欧労働者を確保しようとするだろう。

しかし、アフリカ以外の発展途上国先進国の倍以上のスピード少子化しているので労働者の確保はほぼ不可能

沖縄少子化スピード本土以上に加速してることからわかるように、僻地にいくほど労働者が急速にいなくなっているのだ。

Permalink |記事への反応(2) | 16:26

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2025-07-27

著書の一部「中國窪地:一部內亞主導東亞的簡史」

劉仲敬(リウ・ジョンジン)の著書《中國窪地:一部內亞主導東亞的簡史》は、漢族中心の「中国史観」を根底から問い直し、「中国」とは本来「窪地(デプレッション、Basin)」であり、その上に覇権を打ち立てたのは内陸アジア(內亞)の諸遊牧帝国だった――という挑戦的な視座から書かれた歴史解釈書です。

この書は、彼の「文明圏多元論」「諸夏主義」「脱中華思想の根幹をなす理論著作ひとつです。

概要

書名の意味

「中國窪地」とは、地政学的に見た「中国盆地中原」のことであり、東は山東半島と海、北は長城・蒙古高原、西は黄土高原、南は山岳地帯に囲まれた“低地”です。この地理的な「くぼみ(窪地)」が、周辺からやってくる外来征服者モンゴル女真満洲契丹など)にとって統治やす空間だったという発想です。

基本構図:

従来の中国史は「漢族が外敵から文明を守った」という中華中心史観だが、実際には:

内亞(中央アジア北アジアモンゴル高原)の勢力が主導し、

漢族は被支配者・被同化者の役割に留まり

中国王朝の多くは「征服王朝」だった。

構成(簡略):

地理文明相互作用:なぜ中原は「文明の中心」ではなかったのか。

周辺文明=内亞勢力連続性(匈奴鮮卑契丹→金→元→清)

征服王朝中華概念政治的利用

清帝国の版図と中国ナショナリズムねじ

中原文明の周辺従属性と「脱中華」の可能

詳細なポイント解説

1.中国は「文明の中心」ではなく「窪地」である

黄河流域は人口密度が高く農耕は発展していたが、防衛的には極めて脆弱で、常に外部勢力侵入を受けやすかった。

文明の重心」は周辺(北西のオルドス草原モンゴル高原満洲チベット高原)にあったとする。

特に乾燥気候遊牧民は、動員・軍事組織力に優れ、常に中原の静態的農耕社会凌駕していた。

2.征服王朝連続性:中國=内亞の代理政権

漢人王朝」はむしろ例外であり、主な統一王朝外来起源

鮮卑北魏

契丹(遼)

女真(金)

蒙古(元)

満洲(清)

これらの王朝は、内亞の軍事遊牧構造を基盤に「中國窪地」を包摂し、自らの征服構造正当化するために「中華文明」の装飾を用いただけ。

中華」は本質的に「支配の飾り」や「便利なツール」に過ぎず、征服王朝文化的正統性演出するための道具だった。

3. 清と中華ナショナリズムの逆説

清朝は史上最大の版図を築いたが、それは「大中華」ではなく、「大内帝国」として理解されるべき。

辛亥革命以後、漢民族ナショナリズム清朝多民族帝国遺産を奪い、「中華民国」という名前で引き継いだが、実態としては「満洲帝国の皮をかぶったナショナルステート」だった。

民国中共も「満清の版図」を正統と見なし、それを守ることが国家の使命であると信じたが、これは歴史的には極めて不自然

4. 「中国史」とは「中原支配された歴史

中原(=窪地)は一貫して政治軍事的に無力で、常に外来勢力軍事力に従属していた。

その歴史を「一体的な文明発展史」として語るのは、近代以降に発明された「ナショナルヒストリー国家史)」であり、虚構である

書籍学術的・思想的意義

項目 内容

目的中国漢族国家ではない」という主張の体系化

方法地政学文明史的視点で再解釈

主張の強さ 「中国」という国家概念が内亞の帝国的秩序によって形作られたという、極めて挑発的な歴史

思想的貢献 「諸夏主義」「脱中華」「多文明的再編」論の土台を提供

国際的含意チベットウイグル内モンゴル満洲雲南などの「非漢族地域」の分離独立文明的に正当化できるという論理的土台

まとめ:なぜこの書が重要か?

劉仲敬は《中國窪地》を通じて、「中国国家正統性幻想である」「中華文明の中心は常に“外”にあった」と論じ、現代中国ナショナリズムの基盤を根底から覆しています

この本は、以下の読者に特に重要です:

中国史地政学的に再解釈したい人

漢族中心史観を相対化したい人

東アジア多民族史に関心がある人

台湾香港ウイグルチベット問題の背景理解を深めたい人

「なぜ中国は一つの国であり続けるのか?」という問いを根底から問い直したい人

https://anond.hatelabo.jp/20250727140855

Permalink |記事への反応(0) | 14:14

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劉仲敬の代表的 著書の紹介

https://anond.hatelabo.jp/20250727120239

《民國紀事本末》(2013年

いわゆる「共和国時代」の出来事時系列に整理しつつ、従来の教科書的な叙述を批判的に再解釈した作品史実の列挙にとどまらず、当時の政治的思想的背景を浮かび上がらせ、国共内戦から国民政府期に至る人脈や権力構造連続性と断絶を明らかにする。

《從華夏到中國》(2014年

華夏」という文明単位から「中國」という近代ナショナルステートへの移行過程を史的にトレース。劉仲敬独自の「文明分析」の下、周秦以降の冊封体制清朝の版図拡大、近代ナショナル・アイデンティティの醸成をリンクさせ、「中国」という概念いかに後付けの政治装置として形成されたかを論じる。

《安·蘭德傳:生平與思想》(2015年

アイン・ランド(Ayn Rand)の伝記的考察。従来の思想史や伝記とは一線を画し、ランド個人主義思想中国東アジア文脈で再評価彼女小説『肩をすくめるアトラス』の世界観と、劉仲敬が批判する中央集権体制との対比を鮮やかに描き出す。

《經與史:華夏世界的歷史建構》(2015年

儒教経典(「經」)と史書(「史」)が中国文明自己叙述をいかに形作ってきたか分析。『春秋』『史記からまり、後世の史観儒学解釈政治体制正当化になった過程を追う。文字通り「経典」と「歴史」の相互作用に着目し、文明自己神話メカニズムを解剖する。

《守先待後:思想、格局與傳統》(2015年

劉仲敬自身思想羅針盤を示す論考集。先行する思想制度(「守先」)を理解した上で、新たな時代構造(「待後」)を構想するという二段階モデル提示し、中国内部の制度変遷や外部文明の衝撃に対処する方法論を提起している。

近代史的墮落」シリーズ(2016–2018年

東アジア現代の主要人物を題材に、それぞれの生涯を通して「文明堕落」を読み解く評論シリーズ

《晚清北洋卷》:清末の北洋官僚をめぐる権力と腐敗の構造分析

《國共卷》:国民党共産党指導者層の思想的相違と利害駆け引き

《民國文人卷》:黎明期共和国文化人知識人が抱えた矛盾理想の断絶。

いずれも「近代国家の没落」をテーマに、政治家・知識人個別事例から大局的な文明批判を行う。

《遠東的線索:西方秩序的輸入與中國的演變》(2017年

ヨーロッパ国際秩序ウェストファリア体制産業革命後の列強均衡)が東アジアにもたらした制度価値観検証。清末以降の不平等条約から中華民国共産党政権への制度移植過程を、構造主義的に解剖し、「外来」と「内向」の相剋を描き出す。

《中國窪地:一部內亞主導東亞的簡史》(2017年

「窪地(低地)」概念を用い、ユーラシア内陸アジア勢力モンゴル満州中央アジア部族)が東アジア世界に与えた影響を再考。従来の漢民族中心史観を覆し、「内亞(シベリアモンゴル満州から視点で見た中国史」を示す、劉仲敬の代表作のひとつ

《滿洲國:從高句麗、遼金、清帝國到20世紀,一部歷史和民族發明》(2019年

満洲国を単なる傀儡政権とみなすのではなく、高句麗→遼・金→清帝国へと続く「北方遊牧文明」の連続性を強調。20世紀満洲国成立を「民族発明」の一例として論じ、ナショナル・アイデンティティ形成ダイナミズムを浮き彫りにする。

文明更迭的源代碼》(2020年

いわゆる「阿姨學(劉仲敬思想)」の内幕を語る、自著解説書兼思想史。各文明の興亡パターンを「源代碼(ソースコード)」として抽象化し、文明間の普遍的法則提示。連載講義をまとめたスタイルで、初心者から上級者まで劉仲敬の全体像を掴むのに最適の一冊。

Permalink |記事への反応(3) | 14:08

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2025-07-25

子どもが遊んでた。池の水ぜんぶ抜く死ね

近くの用水路の近くで小学生たちが遊んでた。みてたらザリガニを釣って大量に踏み潰して殺してた。びっくりして「なんでそんなことするの?」って聞いたら外来生物から殺すらしい。ミドリガメ外来生物から道路に投げて車に轢かせて殺してる。先生に教えてもらったらしいし、先生池の水ぜんぶ抜くというテレビ番組で知ったらしい。

なんだそれは。ブラックバスだって外来生物だけどもう100年日本にいるんだよ。認めてあげてもよくね?じゃあおっさんたちが大事にしてるコイも元をたどれば中国中央アジア外来生物だぞ?外来生物駆除して「良いことした」って雰囲気にする空気なにこれ?まじでまじでまじでまじでまじでまじでまじで今どきの小学生たち、外来生物しまくってるよ?これが作りたかった世界であってる?????

ミドリガメ道路に投げて殺して、ザリガニを踏み潰した小学生大人になった世界ってどんなのだろうね。外来生物からって全部殺せばいいと思うなよクソが。

Permalink |記事への反応(0) | 21:14

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2025-06-24

イラン国内高まる変革の機運――王政復古可能性と国際社会への影

イラン情勢は今、大きな転換点に差しかかっている。長年、イスラム法学者による統治体制を維持してきたイランだが、経済危機、若年層の不満、女性の権利をめぐる国際的批判、そして外交的孤立の中で、国内外において政権変革の可能性が現実味を帯びてきている。

特に注目されるのは、ハメネイ師に象徴される神権統治への不満が高まる中で、パフラヴィー朝復権を望む声が多くの市民の間で顕著になっているという点である。かつての王政期に対する再評価の動きが、都市部を中心に広がりつつある。

■ 神権体制への疲弊と「王政評価」の背景

現在イランの若年層は、1979年革命を直接経験しておらず、彼らの政治的関心は宗教的正統性よりも経済生活自由、そして国際社会との接続に向いている。特に近年は、王政時代の近代化政策西側との連携に対し「過去遺産」としての見直しが進んでいる。

皇太子レザー・パフラヴィー氏の発信もその流れを後押ししており、王政復権は一部の懐古的願望ではなく、現実的選択肢として支持を広げている。

2025年6月22日――核施設への攻撃が示した体制危機

特に注目されたのは、2025年6月22日米軍イラン中部のナタンズ、イスファハン、そして地下型のフォルドゥ核施設への軍事攻撃実施した事件である。いずれもウラン濃縮に関連する重要拠点であり、これらへの攻撃は、イランの核開発計画に対する国際社会の不信と、外交的対話の断絶がもたらした深刻な帰結だ。

この事案を受けて、イラン国内でも「なぜここまでエスカレートしたのか」という疑問と批判の声が高まりを見せている。特に重要なのは、核開発そのもの市民レベルで十分な説明や支持を得ていないことである国民の多くは、日々の生活の安定や国際的孤立からの脱却を求めており、軍事的誇示よりも経済再生を優先すべきだという意見が主流になりつつある。

王政復古と穏健外交がもたらす展望

仮にパフラヴィー家を中心とする穏健的な体制が再建され、西側諸国との協調路線採用するようになれば、これは中東地域全体におけるバランスの再構築に資する可能性がある。

イラン地政学的にイラクシリアアフガニスタンカスピ海ペルシャ湾と接しており、これまで多くの紛争代理戦争舞台となってきた。もし今後、現体制に代わって外交的対話協調を重視する政権が登場すれば、地域的緊張の緩和に繋がるという見方は、欧米諸国政策専門家の間でも広がっている。

特にアメリカにとっては、長年対立してきた強硬政権が転換され、国際秩序経済ネットワークに再統合されるパートナーが出現することは、戦略的にも経済的にも大きなメリットとなる。

経済連携と将来への希望

イラン人口規模、資源地理的条件において高い潜在力を秘めているが、それを十分に活かせていないのが現状だ。もし穏健かつ開かれた体制誕生し、対外的な信頼を回復すれば、日本EU米国など多国籍企業進出が進み、国内雇用インフラ教育など多方面において恩恵が期待される。

専門家の中には、イランが「かつての満洲国西ドイツのように、国際支援自主再建が両立するモデル」になる可能性もあると見る声もある。

象徴としての君主制国民統合

レザー・パフラヴィー氏が提唱するのは、専制的な王政ではなく、立憲君主制あるいは象徴君主制という形である欧州諸国におけるモデルのように、政治民意に基づく選挙で行われつつ、王室文化的歴史的象徴として国民統合を促すという提案は、イランの分断された社会において新たな一体感をもたらす可能性を秘めている。

未来を切り開く現実的選択肢としての王政復古

パフラヴィー王政の復活は、単なる過去への回帰ではなく、現実的改革と安定を求める民意の現れとして捉えられつつある。現体制の硬直性と対外的孤立に対し、開かれた統治と国際協調を目指す新しいビジョンが求められている。

6月22日の核施設への攻撃は、対立構造限界を迎えつつあることを示した。その先にある可能性として、より穏健で国際社会と歩調を合わせた新体制への移行は、今後のイラン中東全体の安定に大きく貢献しうる道筋として、静かに注目を集めている。

歴史的モデルとしての「満洲国」とパフラヴィー朝再建案

イランにおける政体転換の議論において、外交安保関係者の間で密かに参照されているのが、20世紀前半に東アジア形成された「満洲国モデルである。これは、当時の混乱した地域において、伝統権威清朝愛新覚羅溥儀)と近代国家システムさら外部支援国との戦略的連携を融合させた構造として一部で再評価されている。

このモデルの鍵は、「国家としての体裁正統性を維持しながら、安定と発展のために国際的枠組みに参加する」という柔軟なガバナンス設計にある。イランにおいても、パフラヴィー朝という王政歴史的正統性形式的に保持しつつ、現実的政策運営西側諸国、とりわけ米国同盟国との連携によって支える体制は、構造的に高い安定性を持ちうる。

中東全域への波及効果

このような形式政権は、国内外に対して「過激でもなく、弱体でもない穏健な秩序」を印象づけることが可能であり、実際にイスラエルサウジアラビアUAEなどとの関係再構築が期待される。また、シリアイラクの分断的状況に対しても、イランという地域大国が非宗教的・非イデオロギー路線を採ることは、域内バランスの再設計にとって極めて有益である

さらに、中央アジア南コーカサス不安定要素を抑止する役割も担える。つまり満洲国モデルに基づくパフラヴィー朝政権は、実質的に「中東の安定化装置」として機能し得るのである

米国戦略的利益との整合性

この種の構造アメリカ合衆国にとって有利であることは、軍事経済地政学のいずれの観点からも明らかだ。

軍事的には、イラン領内において極端な反米・反イスラエル拠点排除され、戦略上の不確実性が大幅に低下する。湾岸地域に展開する米軍兵站・展開計画にも柔軟性が生まれる。

経済的には、イラン石油天然ガス資源制裁を経ずに国際市場流通するようになれば、エネルギー価格の安定化に寄与するだけでなく、国際資本による開発プロジェクト特にアメリカ企業)への直接参入が可能となる。

政治的には、中東民主主義と安定の「模範国家」として、新しい価値観の枠組みを示す象徴存在となり、他の不安定国に対するソフトパワー投射にもなる。

加えて、王政という形式は、欧米共和制価値とは一見異質ながら、政治的流動性を低下させる「安全弁」として作用やすい。これは満洲国でも観察された事実であり、権威の安定と実務的運営の分離という政治的バランス設計思想として、再評価に値する。

Permalink |記事への反応(2) | 13:14

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2025-06-15

PKK麻薬取引

https://www.dailysabah.com/opinion/op-ed/funding-violence-with-drugs-pkk-and-its-affiliates/amp

PKK犯罪企業と関与してきた長い歴史を持っていますインターポール国連薬物犯罪事務所(UNODC)、金融行動タスクフォースFATF)などの多くの組織は、麻薬、人、武器密輸密輸において常に重要役割果たしてきたPKK犯罪活動への関与を詳述するいくつかの文書を公開しています

PKK指導部は、これらの犯罪ベンチャーを実行するための高度なシステムを開発しました。その工作員シンパは、イスタンブールアンカライズミル、アダナ、メルシンなどのトルコ大都市圏での薬物の流通において重要役割果たしてます。この組織は、主に医薬品資金調達メカニズムにより、変化する地質学的状況を生き延びてきました。

1980年代以来、PKKは大規模な違法薬物取引に関与しており、マリファナヘロイン、ハシッシュ、コカエクスタシー錠、無水物、モルヒネベースアヘン大麻植物などの薬物を取引しています。彼らはこれらの薬をアジアヨーロッパ、そしてアフリカ近隣諸国に輸出しています。これらの医薬品の大規模でよく調整された取引は、PKKが毎年数十億ドル調達するのに役立っていますトルコの薬物および薬物中毒監視センター退職した役人によると、PKKはこの違法取引から毎年10ドルから30億ドルを受け取っています

長年にわたり、数千人のPKK関係のある麻薬密売人がトルコ当局逮捕されています2016年から23年の間に、当局は大量の医薬品没収を通じて、約200億ドル収入回避を阻止することができました。一方、PKKはまた、当時の政府による課税回避するために、あらゆる種類の商品密輸奨励したと報告されています

PKK麻薬テロルート

PKKの薬物への関与は、1980年代から1990年代にかけて、質的にも量的にも増加しました。この組織は、イランイラク国境を接するテュルキエの南東部での違法取引を徐々に支配しました。PKKリーダーであるAbdullah Öcalanは、1999年に、トルコ南東部のすべての麻薬商人PKKに敬意を表したと告白しました。連続して、1980年クーデター後に実施された極端なセキュリティ対策のために、深刻な経済的ストレスさらされていた組織の命の恩人として、麻薬お金が浮上しました。

イラク北部とシリア北東部の彼らの拠点は、中央アジア東アジアの緑豊かなケシ畑とヨーロッパの広大な市場の間に戦略的位置していますPKK長寿命により、イランイラクトルコシリアコーカサスバルカンヨーロッパ諸国に高度な金融ネットワーク確立することができました。この組織はまた、これらの国々での麻薬密売を厳しく管理しています。彼らは事業を拡大するために、アルバニアブルガリアなどの国の地元犯罪組織支援を求めていますイランジョージア麻薬カルテルメンバーは、コーカサスルートPKKと協力して麻薬さら輸送しています。彼らはアフガニスタンイラン複数組織と緊密なネットワークを構築し、トルコPKK接続ネットワークヘロイン提供し、その後ヨーロッパ諸国販売しています

他の国から人身売買業者は、トルコ麻薬を運んだPKKに支払う必要があります。UNODCの報告書によると、人身売買業者国境を越えるためにPKKに支払いをしなければならず、ヨーロッパの土壌で活動しているPKK幹部ヨーロッパへの入国金も支払わなければならない。PKKの事前の許可なしに薬物を取引していることが判明した場合、彼らは罰金罰則を受け、それに関わった人々にあらゆる種類の保護提供します。

PKKは、国境を越えた貿易の機会を利用するために、サブ構造細胞経済情報ユニット作成し、また、犯罪領域からライバルグループ排除することができました。EU亡命を求めたPKKメンバーの多くは、テュルキエとヨーロッパの間で活動するPKK運営する麻薬ネットワークに参加したと報告されていますPKKは、薬物関連の活動使用される新兵を追加するために、クルド人ディアスポラネットワークを欺き、悪用しました。PKK麻薬ネットワークは、イラクスレイマニヤ州を通ってキルクークとマフムールまで、国境を越えてシリア北東部のロジャバまで走り、PKK/YPGはこの地域の他の地域さらに運びます

インターポールによると、PKKヨーロッパ内での麻薬取引を通じてのみ年間15億ドルを稼いでおり、ヨーロッパ違法薬物市場の約80%はPKK管理する人身売買ネットワークによって占められていると報じられていますヨーロッパでのヘロインの40%のマーケティングは、PKKだけで処理されています

トルコ国家警察麻薬対策局の2024年報告書は、トルコ内外で薬物で稼いだお金の大部分がPKKテロ活動資金調達使用されていることを示唆している。報告書はまた、世界最大のテロ組織のうち12麻薬密売に関与しており、PKKたまたまその1つであることを示唆しています

Permalink |記事への反応(0) | 12:13

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2025-06-01

日本が→ナチスなっちゃうヨ

最近Twitterみてると意味のない中◯人叩きに辟易としてきた。

もちろん自分も中◯人は好きじゃない。というか嫌いでもないけど。中央アジア人のルームメイト日本語学校クラスメイトの中◯人が日本は嫌いだと言っていたらしい。若干見下したような発言もしてたとか。

いやなんでそれなら日本来るんだよってなりそうだけど彼らのように自分公共の場で大声で話したりゴミポイ捨ても、列の横入りもしない人様に迷惑かけない人と思っていたが、最近SNSを見てると意味のない中◯人叩きに疲れてきた。

やってることがほぼナチス。中◯人が何かしたらすぐ叩く。中◯人が自国神奈川県警コスプレしてるのを勘違いしたユーザーが叩いてるのを見て本当にアホだと思った。

ただ叩きたいだけじゃんそれ。民度がなかなか終わってる我が祖国

Permalink |記事への反応(0) | 03:32

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2025-05-20

anond:20250520164336

とても鋭い視点ですね。おにぎりのように「炭水化物を手で固める」という行為は、世界中で見られる普遍的食文化ひとつです。以下に、似たような料理食文化地域ごとに挙げてみます

🌏アジア

韓国:주먹밥(チュモッパプ)

直訳で「こぶしご飯」。日本おにぎりに近い概念で、ご飯具材を混ぜて丸める。

焼肉キムチなどを混ぜて作ることも。

中国:饭团(ファントゥアン

台湾などでよく食べられる。もち米に揚げパン漬物などを巻き込んだ握り飯。

朝食の定番

ベトナム:Xôi(ソイ)

炊いたもち米にトッピングをのせて食べる。丸め場合もある。

🌍中東中央アジア

イランアフガニスタン:シリリス(Shiriris)

家庭や田畑での軽食ご飯クスクスを手で固めて食べることもある。

中央アジアプロフ(Pilaf)を固めて団子に

手で食べる文化があるため、残ったプロフピラフ)を固めて食べることも。

🌍アフリカ

西アフリカ:フフ、バンクーなど

トウモロコシキャッサバを練って団子状にし、手で食べる。主にスープに浸して食べるが、「炭水化物を手で形作る」という意味で非常に近い。

東アフリカ:ウガリ

トウモロコシの粉を練って、団子にして手でつまんで食べる。

🌎ヨーロッパ

イタリアアランチーニ

ライスコロッケだが、元々は手で残り物のリゾット丸め保存食

東欧:クニェドリーキ(Knedlíky

手で成形するパン・団子状の炭水化物水餃子にも近い用途

🌎中南米

メキシコタマル(Tamales)

トウモロコシ粉をバナナの葉で包むが、中には手で丸めたり握って形成するタイプもある。

カリブ海地域ライスボール

お祝いごとで炊いたご飯を固めて提供する習慣がある。

🌎北米先住民文化など)

ネイティブアメリカンの「トウモロコシ団子」や「ジョニーケーキ」など

トウモロコシ粉を水と混ぜて手で形を整えるという点で類似

共通点のある要素

要素説明

主に炭水化物(米・穀物) 手でまとめられる粘性のある穀物が中心

手で食べる文化食器を使わない前提で、握る・丸め必要がある

持ち運び・保存性重視 外で働く人向けの簡易食、保存食として発展

🍙結論

おにぎり炭水化物を手でまとめる」という行為は、ほぼすべての地域で発生しており、形状・材料・調味が違うだけで、世界中類似文化存在します。 これは、「手」と「主食」を使った、非常に人間的で普遍的調理法です。

Permalink |記事への反応(0) | 16:51

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2025-02-04

anond:20250204222627

中央アジアはどちらかといえば東欧の延長ってイメージ

Permalink |記事への反応(0) | 22:30

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anond:20250204221860

主語ビッグ

中国インド辺りまではアジア認識している人が多いのでは。

中央アジアトルコあたりまでアジア認識している人は少数派かもしれんが。

Permalink |記事への反応(1) | 22:26

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2025-01-09

anond:20250108180125

老子紀元前6世紀頃)は中国古代思想家であり、道家思想創始者とされています

一方、仏教中国に伝来したのは、後漢時代1世紀頃)のことです。したがって、老子時代には仏教はまだ中国に伝わっていませんでした。

仏教紀元前5世紀頃にインドで成立しましたが、中国に伝わるには数百年の時間を要しました。

中国への仏教の本格的な伝来は、西域現在中央アジア)を経由して行われたと考えられています

後漢時代仏典翻訳僧侶交流を通じて、仏教は徐々に中国文化に根付き始めました。

Permalink |記事への反応(0) | 15:13

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2024-11-06

anond:20241106171843

シッダールタみたいな語尾だし釈迦と同じでインドから中央アジアあたりやろ

Permalink |記事への反応(0) | 17:31

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2024-09-24

anond:20240919192724

ウイグル中央アジアだろ・・・

Permalink |記事への反応(0) | 20:57

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2024-09-05

土壇場の自由研究にも!「中華麺はなぜ中華麺なのか」掘り下げてみた

小麦粉に対して、1%程度のかん水を添加して生地を作ると、生地塩基性になる。

小麦粉生地塩基性条件で、より硬くなることが知られている。

この現象は、もともと小麦という植物高原砂漠地帯進化したこと関係がある。年間数十ミリしか降雨量が期待できない地域生命活動を営むためにはたいへんな苦労があったことであろう。

は?なんでたんぱく質グルテンとの化学反応の話が小麦生存環境関係あるんだ????よしんば関係あったとして塩基性になり硬くなることが降水量とどう関係あるんだ?

降水量が少ないかたんぱく質を多く含まれるように進化した、で科学法則を利用した側なんじゃ?小麦科学法則を生み出したわけじゃないんじゃない?

小麦粉グルテン質が多い話に結びつけるには文章下手じゃない?

工学院大学教授

山田 昌治

MASAHARU YAMADA

工学院大学先進工学部応用化学教授工学博士

理系なんか…

 

自分

小麦原種高原砂漠地帯で生まれたという情報源

 

Copilot

小麦原種は、中央アジア高原地帯で生まれたと考えられています特に現在トルコイランイラク国境付近位置する「肥沃な三日月地帯」がその起源とされています12

 

この地域は、約1万年前の新石器時代小麦栽培が始まった場所として知られています1。この情報は、農林水産省Wikipediaなどの信頼できる情報源から確認できます12

https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1602/spe1_01.html

 

自分

「肥沃な三日月地帯」の当時の年間降水量

 

Copilot

「肥沃な三日月地帯」の年間降水量は、地域によって異なりますが、一般的には年間200ミリメートル以上の降水量がありました1。この降水量は、灌漑を必要としない天水農耕が可能気象条件を提供していました1。

https://gendai.media/articles/-/66624?page=2

Permalink |記事への反応(1) | 06:30

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2024-08-23

anond:20240823114001

中東アジアやで。

アジアのなかで、中東中央アジア極東とか分類されてる。

Permalink |記事への反応(0) | 11:42

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2024-08-22

anond:20240822114435

アフガニスタン国内の大部分が山岳地帯なのだ

山一つ越えれば言葉が通じないぐらい

細かく複数民族が入り組んで混在してる

統一国家をつくるのにもっとも適さな

タリバンが弱体化した時期も結局は地方軍閥の乱立状態

そもそも統一的な主権国家という近代ヨーロッパ概念

地球上どこでも通用するとは限らないという事例

だいたい中東中央アジアの多くは遊牧民国家から

本来国境中央政府概念だってずっとなかった

Permalink |記事への反応(1) | 14:42

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2024-08-16

岸田首相中央アジア訪問中止外交停滞懸念の声

カザフでは中央アジア5カ国との初の首脳会合を開く予定だった。

カザフスタンのメンツ丸潰し

次の総理は早急にごめんなさいしないと

Permalink |記事への反応(0) | 00:56

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2024-07-16

anond:20240716114930

おれが増田なら世界中を旅して歩く。

今なら東南アジアインドネシア等の南半球側が乾季で、旅を始めるならその辺りから

のんびり移動しながら乾季が北半球側に移るのを待ち、今度は東南アジア北半球側を旅する。

東南アジアを巡り終えたら西へ向かって進んでいく。

中央アジアを経由してヨーロッパを巡り、アメリカ大陸を北から南へ縦断し、アフリカ渡り最後インド中国を巡って帰ってくる。

能力も体力も金も時間もあるのだから、気ままにやればいい。

Permalink |記事への反応(0) | 12:17

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2024-07-05

anond:20240705034430

アフリカ諸国ネパールとかの中央アジアの貧しい国でやってるぞ。

最前線に送ったあとはまっすぐ前に進んでドローン砲弾の餌食になるのが仕事から言語からなくても問題ないぞ

Permalink |記事への反応(0) | 03:47

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