Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「世界観」を含む日記RSS

はてなキーワード:世界観とは

次の25件>

2025-12-13

「立派な人」である前に「生活を丁寧にしてる人」になるべきって方向に時代が変わってきたんだと思う

「子持ち」「金持ち」「趣味人」「成功者」といった事柄価値が下がってきてるように思う。

代わりに「生活普通に丁寧にやっているか」の優先度が上がってきたと言うか。

子供を沢山育てていたとしてもいつもイライラしている人は「毒親」として扱われる。

金持ちだったとしても仕事人間で早死した人は「人生を間違えた人」として扱われる。

趣味人であっても風呂食生活が終わっていて臭い人は「界隈の恥」として切り捨てられる。

あらゆる分野において「まず、生活が丁寧であるかが大前提だ」という風に価値観が切り替わっている。

俺が若い頃、まあつまりは「平成≒新しい」という世界観だった頃は、「生活をサクっと切り上げて他にエネルギーを回すのが立派な人だ」という風潮があった。

睡眠時間を削って頑張って子育てする人はその結果としてガミガミしてようが「国家繁栄功労者」みたいな感じだった。

24時間戦うサラリーマン、年中無休の経営者、5時間睡眠受験生、食費を切り詰めるオタク、そういった人々が「自己犠牲のもとに結果を出す立派な人達」として持ち上げられていた。

だが今は違う(ギュッ)。

今はもう全部が違う。

睡眠時間を削って働く人はたとえ総理大臣だろうが「悪い見本だ」と批判されるし、エナドリを飲みまくるe-スポーツ選手は「不健康アピールスポンサードリンクネガキャンやめろ」と叩かれる。

そういう時代なんだ。

健康であること、ひいては「生活が丁寧」であることの価値が物凄く高まっている。

これはもう時代の流れとしか言えない。

ストレス社会の行き着いた先なのか、様々な消費啓蒙合戦の果てにこの時代が来たのか、世の中が清潔で健康になるにつれそうじゃない人間排除が始まったのか、理由は複合的だろう。

とにもかくにも現代においては「まず生活を丁寧にやりましょう。全てはそこからです」という感じになっているわけだ。

社会ポリコレ化が言動に対してではなく「生活様式」自体にまで口を出すようになった感じだろうか。

俺はソレを批判する気はない。

別に悪いことじゃないと思う。

睡眠不足や栄養不足でイラついてオラついている被害者意識ムンムンの連中が「でも結果は出してますからね」でパワハラしまくる社会と比べたらまだ窮屈じゃない。

結果だけは出しているという肩書をぶら下げてパワハラを振りまく連中の顔色を伺うよりは、7時間寝て栄養のあるものを食べて清潔な部屋と体で過ごすように心がける方がよっぽど建設的じゃないか

平成は遠くになった。

令和の価値観に合わせていこう。

平成においては「結果を出せているか」が最重要だったが、令和では「生活が丁寧で健康的か」が最重要なんだ。

そしてまた30年後にはルールが変わる。

変わるんだろうな。

ある意味楽しみじゃないか

Permalink |記事への反応(0) | 15:55

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251213093034

かに表に出てる情報だけだと意味わかんねーんだよな

動画無断使用だかが、いきなり手のひら返し連帯スパッと取り止めちゃうほど大事になるようなことなんかなって思っちゃう

あの界隈の人らって、目的のためなら多少のルール破りぐらいはお気軽に許容するような、そういう世界観で生きてそうなもんなのに

いったいどこでライン越えちゃったのか

彼らの感性全然わからん

Permalink |記事への反応(0) | 15:09

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-11

anond:20251211162956

売れたいなら世界観どうこうより先に考えることがある。

ほぼ無関係

Permalink |記事への反応(1) | 18:09

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-10

anond:20251208075212

かい不満点と言えば、オルテガガラフティータやバルネスでもあった『シナリオ死ぬキャラ蘇生できない』のシーンがあった事かな。

回復が追い付かない!」じゃないがな。ベホマザオリクはどうした。

ムーンブルク王みたいに死んでからしばらく放置されてたなら生き返らないみたいな設定はあってもいいけど、目の前で重傷負ったばっかなのを回復出来ん事があるかい

「人が死ぬ世界なんだよ」というハード世界観を作るため、アラがあるのを覚悟で作った展開なのかもしれんが、

回復呪文では治せない』系の呪い病気も別途出してるんだから、そっち方向で解決すりゃ良かったのに。強力な呪いで道連れにされたとか、限界以上に戦うために刹活孔使ったとか。

やりようはあったと思うんだがな。

Permalink |記事への反応(0) | 20:02

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-07

おっさんになると若い女が同じに見えるて本当だな

全員同じに見えるわ

逆に同じに見えなかった世界観ってどうだったんだっけ?くらいの勢い

坂道アイドルの時点でその感覚の萌芽はあったが

Permalink |記事への反応(1) | 21:06

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

アメリカによる日本への防衛費を増額せよという発言

 

防衛費GDPの5%まで」というのは、数字だけ見るとだいぶ乱暴に見えるけど、実際はかなり計算ずくの「ふっかけ」に近いと思う。

アメリカ国内向けのアピール用。

日本NATOアメリカ安全保障タダ乗りしてきた、だから俺たちは同盟国にちゃんと払わせる」と言いたい。

そのために、どう考えても達成が難しい5%という高めの数字最初から掲げて、「ここまで要求した」という実績を作るという面。

 

これまでの「負担をみんなで分け合う」という発想から、「負担のもの同盟国側に押し付けていく」という方向に、完全に軸足が移ってきている感じも強い。

アメリカ自国周辺と国内リソースを回して、ヨーロッパヨーロッパアジア日本韓国前線を支えろ、という世界観

その延長線上で「アジアの抑止コストはまず日本が背負え」という話になっていて、5%要求はその象徴みたいなものに見える。

 

中国文脈もかなりあるだろうし。

アメリカとしては、中国を止める「城壁」を作りたいわけで、日本が本気で軍事力を増強すれば、その壁はかなり分厚くなる。

万一アメリカが別の地域国内問題で手一杯になっても、日本だけである程度踏ん張れる状態にしておきたい、という思惑も透けて見える。

 

あとはもちろん軍需産業の話。

防衛費が上がれば、トマホークだの戦闘機だのミサイル防衛だの、アメリカ製の装備がますます売れる。

5%なんて数字を掲げておけば、「まだまだ買えるよね?」という余白を意図的に作れる。安全保障産業政策が、ほぼ同じ方向を向いている感じ。

 

役割を果たさな同盟国は結果に直面する」という言い回し、あれは半分、交渉用の脅し文句だろうし。

駐留米軍の扱い、駐留経費、関税半導体規制対米投資、全部ひっくるめて「防衛費」とバーターに使えるカード

NATO相手にやってきた揺さぶりを、日本にも本気で適用してくる可能性は十分ある。

 

5%という数字のものよりも、「同盟国に本気で負担を飲ませにきている」という姿勢のほうが、重い意味を持つかもしれない。

Permalink |記事への反応(0) | 10:50

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251207095008

第1章の超詳細解説です。

(※章分けは代表的な版の構成に基づいています。版により細部がずれる場合がありますが、タタルスキー物語最初区切りとして扱います。)

🟥 第1章:タタルスキーの転落と“資本主義匂い”との最初接触

概要

タタルスキーソ連から資本主義ロシアへ放り出されて生き残りに苦しむ様子が描かれる章。

彼が広告業界に足を踏み入れる“きっかけ”がここで与えられる。

物語全体の導入として、

・旧世界崩壊

新世界への戸惑い

・彼自身アイデンティティ喪失

が非常に濃く提示される。

◆ 1. タタルスキー現在生活崩壊

90年代半ば。モスクワ

かつて文学青年として詩を書いていたタタルスキーは、

ソ連崩壊後の大混乱の中、食えない貧乏人に転落している。

学歴や詩の才能は通用しない

市場経済論理に何も適応できていない

毎日ただなんとなく過ぎていく

• 国全体が“意味喪失状態

• 人々は突然現れた富裕層貧困層に分裂している

この世界観が彼の生活の全てに染み込んでおり、

彼は“旧イデオロギーの残骸”を引きずるまま、新しい価値観適応できない。

象徴ポイント

• 彼の名前 Vavilen(ヴァヴィレン) は

「Vladimir Ilyich Lenin」の略 =ソ連遺物

• 名付けそのもの皮肉な“歴史遺産である

• それが今、何の役にも立たない

旧ソ連精神が、資本主義ロシアで役に立たないという象徴がこの章の基調

◆ 2. タタルスキー、知人と再会

物語の転機は突然訪れる。

タタルスキーは偶然、大学時代の知人であるゴリスキー と再会する。

ゴリスキーはすっかり“新世界の住人”らしく、

• 良い服

• 太った財布

• 余裕のある態度

を身につけている。

タタルスキーからすれば、

昨日まで同じ世界にいた人間が突如として金持ちに変わる

90年代ロシア特有現象象徴している。

この再会は、タタルスキーの“観念崩壊”をさらに加速させる。

◆ 3.ゴリスキーが語る「広告世界

ゴリスキーはタタルスキーの近況を聞き、

彼が困窮していることを察すると、こう言う――

コピーライターをやってみろ。

いまのロシアでは広告がすべてだ。」

タタルスキーには意味がわからない。

広告”などソ連では軽視されていたし、

詩人としての自意識も捨てきれない。

しかゴリスキーは続ける。

外資系ブランド殺到している

• とにかく広告が足りない

言葉を操れるやつが必要

給料は今の何倍にもなる

タタルスキー半信半疑だが、

詩を書くための言語感覚広告転用できる

というゴリスキーの指摘は、彼の自尊心をくすぐる。

◆ 4.喫茶店(またはバー)での象徴的シーン

この章のクライマックスは、タタルスキーゴリスキーと座る店の描写

周囲に溢れる商品、怪しげな看板西側ブランドロゴ

ソ連には存在しなかった“イメージ洪水”。

タタルスキーはそこではじめて、

資本主義の“匂い”=イメージ欲望、金の気配

を肌で感じる。

世界のもの広告に変わりつつある」

という直観が、ここで初めて心の中に生まれる。

この「世界広告になる」という感覚は、後半で国家レベルメディア操作へ発展していく伏線

◆ 5. タタルスキー決断

タタルスキー生活破綻しているため、

広告仕事に飛びつかざるを得ない。

しかし彼の内面には二重の感情がある。

不安自分資本主義世界に向いていない

• 興奮:言葉を使って金を稼げるかもしれない

• 罪悪感:詩人としての自尊心を裏切るのでは?

好奇心広告とは何なのか?

タタルスキーは、

言語を操る人間”としての自己が、別の場所価値を持つ

という可能性に気づき始める。

この瞬間、彼は旧世界から足を踏み出し、

イメージ世界」に入る最初の一歩を踏む。

◆ 6. 第1章まとめ(象徴的整理)

項目 内容

テーマ旧ソ連アイデンティティ破綻広告への入口

タタルスキー状態貧困無力感意味喪失

重要人物ゴリスキー資本主義世界先行者

象徴名前ソ連遺産広告=新しい“宗教”の匂い

物語機能 序章:タタルスキー広告世界へ入る“きっかけ”

タタルスキーはこの章で、

広告現代神話となる」 という世界接触する。

これが全編を貫くテーマの萌芽となる。

Permalink |記事への反応(1) | 09:52

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251207095008

第1章の超詳細解説です。

(※章分けは代表的な版の構成に基づいています。版により細部がずれる場合がありますが、タタルスキー物語最初区切りとして扱います。)

🟥 第1章:タタルスキーの転落と“資本主義匂い”との最初接触

概要

タタルスキーソ連から資本主義ロシアへ放り出されて生き残りに苦しむ様子が描かれる章。

彼が広告業界に足を踏み入れる“きっかけ”がここで与えられる。

物語全体の導入として、

・旧世界崩壊

新世界への戸惑い

・彼自身アイデンティティ喪失

が非常に濃く提示される。

◆ 1. タタルスキー現在生活崩壊

90年代半ば。モスクワ

かつて文学青年として詩を書いていたタタルスキーは、

ソ連崩壊後の大混乱の中、食えない貧乏人に転落している。

学歴や詩の才能は通用しない

市場経済論理に何も適応できていない

毎日ただなんとなく過ぎていく

• 国全体が“意味喪失状態

• 人々は突然現れた富裕層貧困層に分裂している

この世界観が彼の生活の全てに染み込んでおり、

彼は“旧イデオロギーの残骸”を引きずるまま、新しい価値観適応できない。

象徴ポイント

• 彼の名前 Vavilen(ヴァヴィレン) は

「Vladimir Ilyich Lenin」の略 =ソ連遺物

• 名付けそのもの皮肉な“歴史遺産である

• それが今、何の役にも立たない

旧ソ連精神が、資本主義ロシアで役に立たないという象徴がこの章の基調

◆ 2. タタルスキー、知人と再会

物語の転機は突然訪れる。

タタルスキーは偶然、大学時代の知人であるゴリスキー と再会する。

ゴリスキーはすっかり“新世界の住人”らしく、

• 良い服

• 太った財布

• 余裕のある態度

を身につけている。

タタルスキーからすれば、

昨日まで同じ世界にいた人間が突如として金持ちに変わる

90年代ロシア特有現象象徴している。

この再会は、タタルスキーの“観念崩壊”をさらに加速させる。

◆ 3.ゴリスキーが語る「広告世界

ゴリスキーはタタルスキーの近況を聞き、

彼が困窮していることを察すると、こう言う――

コピーライターをやってみろ。

いまのロシアでは広告がすべてだ。」

タタルスキーには意味がわからない。

広告”などソ連では軽視されていたし、

詩人としての自意識も捨てきれない。

しかゴリスキーは続ける。

外資系ブランド殺到している

• とにかく広告が足りない

言葉を操れるやつが必要

給料は今の何倍にもなる

タタルスキー半信半疑だが、

詩を書くための言語感覚広告転用できる

というゴリスキーの指摘は、彼の自尊心をくすぐる。

◆ 4.喫茶店(またはバー)での象徴的シーン

この章のクライマックスは、タタルスキーゴリスキーと座る店の描写

周囲に溢れる商品、怪しげな看板西側ブランドロゴ

ソ連には存在しなかった“イメージ洪水”。

タタルスキーはそこではじめて、

資本主義の“匂い”=イメージ欲望、金の気配

を肌で感じる。

世界のもの広告に変わりつつある」

という直観が、ここで初めて心の中に生まれる。

この「世界広告になる」という感覚は、後半で国家レベルメディア操作へ発展していく伏線

◆ 5. タタルスキー決断

タタルスキー生活破綻しているため、

広告仕事に飛びつかざるを得ない。

しかし彼の内面には二重の感情がある。

不安自分資本主義世界に向いていない

• 興奮:言葉を使って金を稼げるかもしれない

• 罪悪感:詩人としての自尊心を裏切るのでは?

好奇心広告とは何なのか?

タタルスキーは、

言語を操る人間”としての自己が、別の場所価値を持つ

という可能性に気づき始める。

この瞬間、彼は旧世界から足を踏み出し、

イメージ世界」に入る最初の一歩を踏む。

◆ 6. 第1章まとめ(象徴的整理)

項目 内容

テーマ旧ソ連アイデンティティ破綻広告への入口

タタルスキー状態貧困無力感意味喪失

重要人物ゴリスキー資本主義世界先行者

象徴名前ソ連遺産広告=新しい“宗教”の匂い

物語機能 序章:タタルスキー広告世界へ入る“きっかけ”

タタルスキーはこの章で、

広告現代神話となる」 という世界接触する。

これが全編を貫くテーマの萌芽となる。

Permalink |記事への反応(0) | 09:52

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

ジェネレーション〈P〉

ロシア作家ヴィクトルペレーヴィンVictor Pelevin) の小説ジェネレーションP』(原題:Generation «П»、1999)は、

1990年代ロシア資本主義化・メディア化・消費社会の到来を、ブラックユーモアポストモダン手法で描いた作品です。

ペレーヴィン作品の中でも特に世界評価が高く、現代ロシア文学代表作の一つとみなされています

以下、あらすじ・登場人物テーマ構造象徴性などを総合的に詳説します。

■ 1.概要

ジャンル風刺小説ポストモダン文学サイバーパンク風味の社会批評

舞台ソ連崩壊後の1990年代ロシア

主題

広告現実を上書きし、イメージが「神」になる世界

人間市民)が「消費装置」へ変質していく過程

資本主義メディア産業政治癒着

アイデンティティ喪失虚構

■ 2. あらすじ(ネタバレを最小限にして要約)

主人公は、元詩人若者 ヴァヴェノス(ヴァヴァ)。

彼は市場経済化によって地位を失い、広告代理店でコピーライターとして働くことになる。

90年代ロシアでは、外資系商品を売り込むため、

アメリカ式イメージ」**が爆発的に導入される。

ヴァヴァは広告仕事を通して、メディアが人々の欲望価値観現実のものを「創造」する様を体感していく。

その過程でヴァヴァは、広告の背後にある

巨大な操作システム政治ビジネス芸術の混合した虚構装置

に触れていく。そして最終的に、国家イメージ操作を担う存在へと昇華していく――。

小説は、

広告とは何か」「現実とは何か」「アイデンティティとは何か」

という哲学的宗教的問いを、ユーモア皮肉で包みながら展開する。

■ 3.登場人物象徴

● ヴァヴェノス(ヴァヴァ)

• 元詩人コピーライター

• 詩という「真実言語」を捨て、広告という「虚構言語」へ

現実操作する側へ移っていく存在

旧ソ連インテリが、90年代資本主義社会適応して変質する象徴

アナスタシア

モデル存在であり、メディアが作る「女性像」そのもの

イメージとしての人間

広告代理店の面々

外資系ブランドイメージロシアに注入する役割

→ **西側資本の「文化的侵略」**を象徴

● 霊的な存在・神々

作品の後半には、古代メソポタミア神話イシュタルなど)が絡む

消費社会の“神々”=ブランド

というテーマを強調

■ 4.主題の詳説

▼ 4-1. 「現実広告によって作られる」

作品の中で広告は単なる宣伝ではなく、

社会価値観政治制度人間欲望すら構築する技術として描かれる。

商品ライフスタイル世界

へとイメージ連鎖し、人はそのイメージ信仰するようになる。

ペレーヴィンはこれを

ロシア資本主義宗教化”

と捉える。

▼ 4-2.ロシアの混乱と「意味崩壊

ソ連崩壊後のロシアは、

• 旧社会主義イデオロギー喪失

西側価値観の急速な流入

経済格差暴力の横行

という混乱期にあった。

小説はこの不安定性を、

過剰なイメージ虚構ニヒリズム

として描く。

▼ 4-3.メディア政治癒着

物語が進むにつれ、広告政治が一体化していることが明かされる。

政治家は「存在」ではなく

CGで作られる“映像パーソナリティ

であり、国家イメージ広告代理店が管理する。

いわば

ポスト真実時代

を先取りした構造になっている。

▼ 4-4.宗教神話消費社会

ペレーヴィン資本主義

“新しい神話を作る宗教

比喩する。

ブランドロゴシンボルとなり、

マーケティング効果は“魔術”として描かれ、

消費者儀式に参加する信者である

■ 5.形式的特徴(ポストモダン手法

パロディ

神話の再解釈

メタフィクション(作中でメディア操作構造が語られる)

• ニヒリスティックユーモア

言語遊戯広告スローガンと哲学の融合)

90年代ロシア混沌文学形式のものに組み込んだ作品

■ 6.国際的評価と影響

ロシア国内外ベストセラー

映画化2011年, Viktor Ginzburg監督

• 「消費社会」「情報操作」「ブランド宗教化」というテーマ普遍的で、21世紀メディア文化を先取り

特に

広告政治を上回る権力を持つ世界

現代SNS時代と強くリンクするとされ、西欧でも研究対象として扱われる。

■ 7. まとめ

ジェネレーションP』は、

イメージ現実支配する社会」**を、

ロシア歴史的転換点を舞台に描いた鋭利風刺小説

広告宗教

ブランド神話

政治演出

人間=消費システムの一部

という構図が、ユーモラスかつ哲学的に展開され、

ポスト真実社会の成立を予言した作品とも言われる現代文学の名作です。

Permalink |記事への反応(2) | 09:50

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-06

ブリリアントジャーク」って言葉を使いたいだけじゃねーのか? w

ここしばらく、この言葉を使う「上級(w)」エンジニア数名に出会たことがある。

また借り物の言葉自己正当化かよ……、とうんざりした。

かにこう言う現象人物存在しないとは言わん。

でもさぁ、おいらが会ったこ言葉を使うエンジニアって、全員が全員、技術力は低いし世界観は狭いし知識ベースは古い。けど自己評価だけは火星オリンポス山より高い、って人だったんだよね。

勉強熱心」で「意識高く」て、Netflix採用ページの話題Webページで浅く読んで「これだ!」ってなったんだろうけど。

問題は「それがブリリアントジャークなのか?」という評価が、無知知識不足からくるただの思い込みに過ぎないにも関わらず、確固とした絶対的評価だと思い込んでることなんだよね。

「チームをかき乱す」

他人を(特に俺を!)見下す」

ってだけで、「ブリリアントジャーク」ってレッテル貼って、「俺が正義!」とか言うてんのよ。

でも、この2点だけでその判定は無理なんよね。

技術的に正当であっても、許されねぇ!」みたいにもっともらしく言うのもいるけど、そのチームでのやり方が「圧倒的技術的失当」だったらお話にならんのよね。

そのせいで事業成長の可能性を潰してるところ、たくさんあるし。

そりゃね、経営判断がーってのもわかるんよ。

でもさ、その判断の元になる情報がこの手の「ブリリアントジャークガー」な輩なわけでさ、そもそも正しい経営判断が下せてるか? って問題があるんよ。

ちゃん説明した結果、判断が覆るなんてこと、珍しくないからねぇ。

無茶苦茶、恨み買うけど w

「こうした方がいいよ?」

「そんな余裕ない!」

別に、全体を一気に変えるとは言っとらんのに、激昂する。

単に、正しい方法理解できなかったり、移行イメージがわかなかったり、「この僕を否定してる!」ってなったりしてるんだよね。

新規開発しながら、既存部分を修正していくなんて、たいして難しくないのに。

結果、ダメの上のダメを積み上げていって、エンジニアリングの大半がドキュメント書きと打ち合わせと副業、みたいな開発チームが企業価値をこれっぽっちも上げないまま仕事してるふりして、札束燃え上がらせてる。

もしお前がこちらを「ブリリアントジャーク」とか決めつけるなら、お前はただひたすら「No-value Jerk」なんよ。

同じJerkならまだブリリアントの方がマシだよ。

結果出すから

ベンチャー企業が惜しいところで停滞して、VCから要求で新しいサービスを、同じ手法で増やしまくって、どれもこれも使いづらい停滞サービスにしちゃって、必要エンジニアの数だけ増えて、成長が止まる。

みたいなのが、はたから見てて勿体無くてもったいなくてね。

Permalink |記事への反応(2) | 19:21

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251109215519

続き

魔法少女まどか☆マギカ 始まり物語永遠物語TVEdition ⭐️⭐️☆

2012年公開、劇場版「[前編]始まり物語」「[後編]永遠物語」を全11話のTVシリーズとして再編成したもの

副音声まさか狩野英孝アニメの皮をかぶったバラエティ番組かな。

このアニメを見ると3.11を思い出してしまう人もいるかもしれませんが、英孝ちゃんの実況で笑ってください。

はたしてマギちゃんは出てくるのでしょうか。

ちゃんと吸えない吸血鬼ちゃん ☆☆☆

転校生石川さん吸血鬼妖怪幽霊、その他怪異人間共存する世界

ミステリアスクール完璧でかっこいいとクラスで評判なんだけど、その実は血を吸うのが下手な吸血鬼さん。

血を吸う時、というか感情が高ぶってる時?体が小さくなるらしい。

主人公男の子普段は鼻と口が描かれていないので、なんだかFF5っぽい。

座席主人公席です。ちょっと表現が大げさな感じがして、そんな所にあざとさを感じちゃって私にはあわないかなー

人間以外がいる世界観の割にはその他妖怪幽霊があまり登場しないし、理由がわからないけど凄いお金持ちだし、設定がしっくりこないというのもある。

異世界かるてっと3 ⭐️⭐️☆

おお、今回は慎重勇者も加わるのか。久しぶりだなー

オバロ、このすば、リゼロ幼女戦記、盾の勇者、陰の実力者、慎重。もはやカルテットじゃない。慎重勇者の登場は1話だけだけど。

登場人物は元の世界(本編)からの影響を受けているようで、

過去2作と比べて変化が生じている。特にゼロは変化が大きい。

ワンパンマン(3期) ⭐️☆☆

6年半ぶりの2期。ガロウが怪人側に拉致され、サイタマムカデ長老ワンパンで倒した後の話。

流石に覚えてなかったので振り返り放送があってくれて助かった。

OPJAM Project feat.BABYMETALBABYMETALってJAM Projectともやってるのね。

EDビブラートのクセよ。

キミと越えて恋になる ⭐️⭐️☆

ケモノを超えてケダモノになる?

ケモナー向け?ラブコメ。時は20XX年。人と獣人がいる世界

獣人は大昔の実験で生まれ埼玉一角監視され生活をしている希少種らしい。

そんな獣人クラスにやってきた。まだまだ世間獣人差別的な人も多い。

それでも種族の壁を超えてそれはやがて恋になる・・?

ベタな展開が多いけどベタは嫌いじゃないので。なんかニヤニヤしちゃう

下着が見えたり裸になったりするより、こっちの表現の方がエッチだよね。

高いハードル友情愛情で乗り越えるのっていいよねぇ。

8話の服って千と千尋の神隠し千尋デザインとくりそつ

座席主人公席。OPCHiCO with HoneyWorks

さわらないで小手指くん ☆☆☆

マッサージAVを見ている気分

3年Z組銀八先生 ☆☆☆

説明いらんよね。一応小説原作になるのかな。人気作を学園パロディギャグアニメにするケースはよくあるよね。

私はあまりこのノリ好きじゃないのよね(異世界かるてっとは自分の中ではこのジャンルとは違う)

その他気付き

今期は2つの番組EPGミスがあった。

素材採取家の異世界旅行記1話

EPISODE1 となるところが EPISPDE1 になっていた。2話以降は修正されている。

デブとラブと過ちと!の1話

ジャンルアニメではなくドラマになっていた。2話以降は修正されている。

「デン!!」

「妃教育から逃げたい私」以降なのか?バラエティで使われる「デン!」がよく使われてる気がする

(私が知らないだけでそれ以前から多用されてたのかもしれないが)

今期では

とんでもスキル異世界メシ21話、2話、5話、8話、9話、10

デブとラブと過ちと! 2話

SPYxFAMILY Season3 4話、5話

笑顔のたえない職場です 5話

Permalink |記事への反応(0) | 15:04

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

ズートピア2を見てきたけどひどく差別的映画だった

正直言うけどさ、ズートピア2、めちゃくちゃ差別的映画だったわ。なんであん露骨弱者男性だけ迫害される世界観にしちゃうの?って思いながら見てた。

まずさ、迫害される弱者男性族。

キツネウサギ(ニックとジュディ)は、いつも通り「種族の壁を超えた主人公」扱いで、好き放題暴れ回っても主人公補正で許されるのに、弱者男性族は物語的にも社会的にも完全にいないもの扱い。存在すら許されてない空気すらある。

しかも、キツネウサギも主役になれるくせに、弱者男性族には最初から場所ゼロ

彼らがどんなに真面目でも、どれだけ努力しても、警察だって入れない。

世界観のものが「お前らには役割いから」って言ってるようなもんで、これ見せられて「夢と希望ディズニー」って本気で言ってんのか?って思った。

極めつけはこれ。脱獄犯のキツネ英雄扱いなのに、弱者男性族は警察になれないどころか存在自体が迷惑みたいに描かれるってどういうこと?キツネくんは詐欺前科アリ、脱獄経験アリ、凶悪犯罪者の脱走にも加担してるのに「ハートはいいやつ」って理由だけで全部チャラ。むしろ誤解されてたけど本当はいいやつ!のテンプレ持ち上げ展開。

いや、弱者男性族が同じことしたら一瞬で逮捕社会的死だからな?

さらに腹立つのは、ニックとジュディの命令無視暴走っぷり。

からの指示ガン無視で、街を半壊させながら勝手捜査続行して、結果的に街を破壊してるのに、なんであれが「やっぱりこの二人は最強のコンビ!」って拍手喝采されてんの?

普通に職権乱用公務中の損害で停職だろ。

そして最後に言わせて。

詐欺師で脱獄犯で、凶悪犯罪者の逃走を手助けしたキツネを最高の相棒ヒーローとして描くのに、弱者男性族は最初から最後まで社会底辺扱い。

これ、もはや物語じゃなくて構造差別の教材だろ。

ズートピアって本来偏見に立ち向かう」「多様性肯定する」ってテーマだったはずなのに、2では逆に特定存在だけ永遠に日の目を見ない世界が強化されてて、正直ドン引きしたわ。

なんかもう、「ディズニーの言う多様性って、最初から選ばれたやつだけのためのものじゃん?」って感想しか残らんかった。

Permalink |記事への反応(3) | 13:28

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-05

anond:20251205201321

ピンク髪の可愛いニキちゃんにいろんなお洋服を着せ替えさせながら雄大自然や美しい建築物記念写真を撮って遊ぶことがメインのオープンワールドやで

なお世界観はわりとダーク&シリアス戦闘要素あり

Permalink |記事への反応(0) | 20:42

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-04

読み切りってコスパ悪くない?

と知り合いにLINEしたんだよ。

そしたら

「いやコスパはいいでしょ。短時間で作者の世界観を味わえるし。むしろ長期連載って長いだけで読むとダルいわ」

と帰ってきた。

かーっ、アスペ

自分本意過ぎる。

俺がいいたかったのは「読み切りって漫画家にとって効率が悪いよね」って話なのに、なんでコイツはどの話も自分が主役だと思うんだろ。

まあ俺はコミュ強だから

「それもそうか。なんか最近面白かった読み切りある?WEBで読めるやつで」

と返した。

Permalink |記事への反応(0) | 21:22

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251204124428

高市首相が「台湾で何かあったら日本ヤバいかも、うぇーい」みたいなことを言ったら中国がめちゃ怒ってきた

それにあわせて日本ネットでも「高市はアホだ!」派と「中国ビビるな!」派でいつものケンカがおこってる

ややこしいのはアメリカトランプ大統領立ち位置がめちゃ話題になってること

トランプ習近平電話したあと高市首相にも電話したらしい

日本政府は内容を認めてないけどアメリカWSJとかロイターは「トランプ高市自重しろって言ったっぽい」と報道

これでSNSでは「トランプ高市の味方だ!」「いや違う!デマだ」みたいな罵り合いが加速もうカオス

背景には国際関係とか法律とか色んな問題があるんだけど、日本党派性対立最近さらにギスギスしてるのも無視できない

特に高市首相応援する右派の人たちは「トランプ高市の味方」というイメージを崩されるとめちゃ強く反発する傾向がある

で、このへんを見てると、日本人って国際問題を「A vs B」みたいに二元論で考えたがるけど、現実世界もっとぐちゃっとしてて多くの国が入り混じる“多極化”に進んでる

この「日本人の単純化された世界観」と「現実の複雑さ」のズレがこれからも色んな場面で問題になりそ

高市首相を支持する右派の人たちは昔から反中」な傾向が強い

日本では中国ライバル視するのが“当たり前”みたいになってて右派政治家や一部の専門家もその流れに乗ってる

逆に「無駄中国と摩擦を増やさなくてよくない?」と言う人はすぐ「媚中」とか言われる感じ一種テンプレ

現実を見ると中国日本の何倍もの国力になってしまった

30年でここまで立場が逆転するのは世界史的にもレアケースで日本人の感情のほうが追いつかないのもわかる

こうした力関係の変化を見ると昔のイギリスドイツの衝突の話を思い出す

力が急に強くなった国が出てくると周りの国が「どうするよ?」ってなって結局ぶつかり合いが起きやすくなる歴史パターン

今の中国に対抗するには日本だけでは絶対無理アメリカと一緒じゃないとどうにもならない

から高市首相がどれだけ「中国包囲!」と言ってもアメリカが本気で動かなければただの絵空事になる

右派左派の人たちがトランプの動きにめちゃ敏感なのはまさにそこ

アメリカ日本の味方でいてくれないと詰む」という前提があるからトランプが何を言ったか死ぬほど重要

バイデン時代アメリカが「民主主義 vs独裁」という分かりやすい構図で動いていたけどトランプ全然違う

アメリカ第一!」で同盟国にも容赦なく圧をかけるしロシアとも中国とも普通に交渉する

要するに昔みたいな「西側 vs中国ロシア」の単純な構図じゃなくなってきている

にもかかわらず日本右派ネットでは「二元的世界」を前提に議論しがちでそこに現実とのズレが生まれてるって話

Permalink |記事への反応(0) | 13:05

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

遊戯王は好きだけど全体的にダサいのが気に入らない

OCGは面白いと思うけど、正直言って他のTCGをみると本当に遊戯王は古臭くてダサいなって部分が多い

カードの見た目が古臭い

遊戯王と言えば、上部にモンスター名前属性レベルイラスト効果とくるのはみんな知っているだろう

モンスターは基本茶色で、シンクロエクシーズなどは白・黒といった感じ

それ自体は慣れればいいんだが、ちょっとでもほかのTCGと並べてあると「あーーうん、遊戯王デザインだな」と消極的気持ちになるのは否めない

イラストの枠がかっちりきまっているからか、どうしても窮屈なデザインUI

昔の「ほーむぺーじ」を見ているような感覚がある

あと、全体のバランスがとても悪いんだよな

効果テキストが一番注目されるはずなんだが、ここが全体の3分の1未満の容量しかない

そこに詰め込めるだけ詰め込んでいるからすごく読みづらい

このフォントの大きさは魔法罠や種族文字より小さいからね

何で一番大事な部分が一番読みづらいんだろうか


イラストが棒立ちで背景がつまらない

遊戯王イラストってどんな感じを想像する?

棒立ちのモンスターがぐるぐる背景の前にいる印象だと思う

まあそこまで酷いのは近年は少ないけど、ぶっちゃけまり変わらないと思うよ

https://www.db.yugioh-card.com/yugiohdb/card_search.action?ope=1&sess=1&pid=1000009535000&rp=99999

例えば最近出たパックのカードイラストを見て欲しい

よくいえば「実家のように安心できる遊戯王イラスト」だね

悪く言えば「証明写真

イラスト自体は綺麗でかっこよいんだよ

でも正直、遊戯王のあの古臭いカードデザインの中に押し込むと途端に「いつもの証明写真」になってしま

もちろん魔法罠はそこまでのっぺりはしていないし、気合を入れているカテゴリーは背景も段違いだ

だけど半数はJ2証明写真みたいに躍動感が足りず面白みが薄い

まあ遊戯王している人はごちゃついたイラストがたぶん好みじゃないってのは確か

フレーバーテキストがダサすぎる

フレーバーテキストってわかる?

カードのどこかにある、効果テキストとは違うモンスターたちの情報を書いたおまけみたいなもの

魔法使いとしては、攻撃力・守備力ともに最高クラス

これは遊戯王でおなじみのブラマジのフレーバーだね

他にはこんなのがある

同志たちの力を得て成長した「竜剣士ラスターP」の姿。

謎の呪いをかけられて竜魔族に似た竜の力を発現しているが、

それ以前の記憶が全て失われており、真相は定かではない。

"竜化の秘法"がその呪い記憶を紐解く鍵だと信じて、

今日も悪の魔王を討つべく旅を続けている。

ネオスペースからやってきた新たなるE・HERO

ネオスペーシアンとコンタクト融合する事で、未知なる力を発揮する!

電撃を操るサイキック戦士

自律増幅器「PSYフレーム」を駆り、セキュリティフォースに強襲を仕掛ける。

その姿は、正に電光石火の如し。


こういうのはストーリーの補完的な意味もあり、実際にフレーバーの中でのみ語られるストーリー存在する

けどさ、ぶっちゃけこいつらを俺は面白いとは全然思わないんだ

理由は単純でモンスター自己紹介文でしかいか

世界観を語ってるとすれば、DT世界クリフォートツール面白いかなと感じ程度

あいった世界観表現するにはフレーバーテキストがうってつけだと思う

だけど、基本的遊戯王って「このモンスターはこういうのです。強いです」的なニュアンスしかない


一言であらわすと手抜きだよな

小学生が書いたような文章しかない

フレーバーテキストってTCGではおなじみだし、別になくてもあってもよいものなんだ

だけど各社は伝統的にフレーバーを入れたがるし、各社がそこそこ工夫をしている

セリフだったり意味深な引用をしていたり

死は労働をやめる理由にはならないかめっちゃ有名だもんな

TCGによっては各パックの中で優秀なフレーバー投票している動画を上げていたりする

それに比べると遊戯王フレーバーテキストって、単純に数が少ない上にほとんどが糞ダサ手抜き文章ばっかりなんだよな

ほんの一握りの世界観を現したフレーバーをみんなでわっしょいしているのが現状

そういうと「遊戯王フレーバー勝負していない」っていう人いると思うけどさ、他のTCG普通にやってることできていないんだから

テキスト説明的なのに冗長

これは本当に感覚的なものなんだが、遊戯王はあのせまいテキスト枠の中でできるだけ効果を詰め込むことに全力を費やしているためか、非常に遊びが少ない

別に遊戯王テキストが分かりづらいとは思わないし、数年前から劇的に良くなっていると感じる

けど逆にいえば似たり寄ったりな説明文を延々と読んでいる感覚に陥る

最近TCG初見でも理解やすいよう開発の段階からテキストの工夫がみられる

色分けして発動条件がはっきりしているのがもはや普通

能力自体カテゴリーごとにつけられているし

けど遊戯王って各カテゴリーごとのフレーバー的なものが本当に感じられない

全部平文で黒い文字だけで表現されているからってのが一番だけど、それにしたって硬い文章に感じる

文章全体に遊びが存在せず、ひたすら強いこと書いてあるだけ

そのわりになぜか冗長なんだよな

総合ルール裏付けられていないか自由律なはずなのに、なんか妙につかみづらい印象がある

このあたりの感覚文章しづらい

遊戯王に慣れた人が他のTCGを見下す傾向があるのは、たぶんこういうテキストの読み込みが得意な古参が生き残ってるせいもあるんじゃないかな?

俺はこんな文章もスラスラいえるんだぜってなんかドヤってそう

ただし俺にとっては他のTCG比較して極端に小さな文字で硬くて冗長文章が並んでいるのはちょっとの子供には厳しいんじゃないかなって思う

[余談]全てが禁止改訂だより

毎回そうなんだが、インフレ意図的に起こして禁止改訂で調整するというスタイルはもう疲れるんだよなあ

調整自体うまいと思う

ぶっちゃけコナミ日銀トップになれば日本経済変わるんじゃね?とはいつも思う

そして毎回思うんだが、禁止改訂理由ってまるでわからないんだよな

全てにおいてユーザーの動向に寄せているから反発がほとんど起きないのだが、じゃあMDとかで禁止されたカードがどういう経緯で禁止になったか、今後どうすべきかとか誰もわからない

俺はMTGもするからMTGの開発日記とか改訂のたびに発せられる言い訳ブログとか読むわけだ

他のTCGだって改訂に対してほんの少しの理由を添えたり、レギュレーション導入においてオキモチ表明していることだってある

でもさ、遊戯王ってそういうのないんだよな

なんていうか、遊戯王の開発側の声ってユーザーにはほとんどわからない

それがどうしたって思うだろうけど、俺としては「もうちょっとなんかないの」と毎回思うわけだ

まあようするに愚痴です

遊戯王ショップに並んでいると時々そこだけ時間が止まって見えることがある

10年前のiPhoneを触ったときみたいなあの感覚

まあそれがいいともいえるけどね

でも本当にUIWindowsXPまりなの、ユーザー側が指摘して欲しいんだよな

新規こねーぞ

Permalink |記事への反応(1) | 02:05

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-03

果てしなきスカーレットのココがヤバい

まらないと噂の『果てしなきスカーレット』を見てきたよ!

みんなにもこの映画のヤバさを体験してほしいので、この感想を読んで興味を持ったらぜひ劇場に足を運んでほしい!!!

スカーレットちゃんがクソザコ可愛くてヤバい

本作の主人公スカーレットちゃん16世紀デンマーク王女である

大好きな父親である王が、権力を狙う王の弟・クローディアスの策略によって処刑され、復讐を誓うところからこの物語は始まる


……はずが、なんと物語冒頭で毒殺されてしま


父の仇であるクローディアからも「自分が毒を盛られることも考えぬとは愚かなものよ…」と言われてしまう始末




くその通りである



その後、スカーレットちゃんは死者の世界に堕ち、そこで再びクローディアスへの復讐を誓う

しかし行く手に立ちはだかるのは、かつて父親処刑したクローディアスの部下たち

スカーレットちゃんモブ相手には勢いづくものの、中ボスになると毎回やられてしまい、その度わんわん大泣きしてしま



「…ヴゥッ、許せない!許せない!許せない!」



絵に描いたようなクソザコである



なお、本作主人公スカーレットちゃん声優まさか芦田愛菜さん

映画最大の魅力となっているので、くっころ女騎士好きな人にはおすすめ

唐突モブ坊主ヤバい

スカーレットちゃんは毒を盛られ死者の国に堕ちるわけだが、そこでモブ坊主の「ひじり」と運命出会いを果たす


なんか、にじ◯んじみたいなデザインですね。

てか、名前、聖(ひじり)て。

ひじりて、お前。


スカーレットとの落差に脳がバグるが、残念ながらこの坊主現代日本から堕ちてきた本作のもう一人の主人公である

この男のダメなところは多々あるが、まずモブキャラすぎるところがダメ

剣を持った敵が出てくると

「争いはヤメロー!」

戦場突っ込み自分を殺そうとした相手にも平然と握手を求める

どこかで見たような“善人ムーブ”のテンプレを地で行く男である


そして本作の(監督が思う)見どころとして、スカーレットとひじりがダンスをするシーンがあるのだが、ひじりのダンスが信じられないレベルキモい

イメージとしては、最近だと『野原ひろし 昼飯の流儀』のOPに近いだろうか

とにかく、物語中盤のダンスシーンは必見なので、ぜひ劇場で確かめてほしい

ちなみに私は映画を見終わった瞬間に「スカーレット ひじり いらない」で速攻検索した

③ 感動のフィナーレがヤバい

そろそろ疲れてきたので、最後物語のフィナーレについて書くことにする

やかんやあり、スカーレット復讐は果たされ、彼女は現世に戻ることに

一方、復讐を糧に生きてきたスカーレットは生きがいを失ってしまい、ひじりに泣きついてしま


スカ「私じゃなくて、ひじりが生き返ればいいのに!」

ひじり「…」

ひじり「…生きたいって言え!」

スカ「えっ」

ひじり「…生きたいって言えー!!」

スカ「…ぃきたぃ」

ひじり「…聞こえない」


スカ「…い゛ぎだい゛っ!!」



…そう、ワンピースである

『果てしなきスカーレット』を観てて、まさかエニエスロビー編に突入するとは思わないじゃん?

けど、よくよく考えてみると監督細田守。『オマツリ男爵』を手掛けているので、言われてみれば納得のリスペクトである

ちなみに最後クライマックス復讐を果たしたスカーレットにひじりが会いにくる場面があるのだが、霧の中から現れるひじりのシルエットが坊主なのでやっぱり笑ってしまった

坊主が悪いのではなく、アニメ坊主を出すのがノイズなのである

これがケンシロウでも桜木花道でも、やっぱり笑ってしまっただろう

それくらいアニメ坊主は、坊主であるだけでキャラが立ってしまうのだ

アニメ制作にかかわられる皆様におかれましては、裸がノイズになっているかではなく、坊主ノイズとなっていないかを今後とも自省していただきたい。

最後

まとめると、本映画は優れた世界観・主人公作画をもちながら、モブ坊主やわけのわからない劇中歌ダンスを合わせ持つ、稀有作品である


この感想を見て少しでも気になった人は、ぜひ劇場に足を運んでほしい


スカーレットちゃんかわいい

Permalink |記事への反応(2) | 22:12

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-02

君たちが、ほぼ日のどこらへんが好きなのか教えて下さい。

例えば、ほぼ日世界観が好きとか。

例えば、日記帳が好きとか。

例えば、糸井重里の考え方が好きとか。

逆に、嫌いなところでもいいですよ。

Permalink |記事への反応(0) | 21:03

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-01

理解」の彼方にある数学──望月新一とIUT理論が問いかけること

1. はじめに──氷河の上の対話

2018年12月京都であった5日間の対話

一方には、自ら構築した「宇宙際タイヒミュラー理論」で数学界の難問ABC予想を解いたと主張する望月新一

もう一方には、その証明に「説明不能ギャップ」を見るペーター・ショルツェ。

彼らは同じ言葉数学語)を話しているはずなのに、まるで異なる星の住民のように、互いの論理を捉えきれなかった。

「どこが分からないのかさえ、分からない」。

これは、数学者がIUT理論に触れた時に口にした、ほとんど哲学的な嘆きである

2.数学は、いつ「別の教科」に化けるのか

我々が学校で習う数学は、確固たる地面の上に築かれた都市のようなものだ。

公理という基礎の上に、定義というレンガを積み、定理という建造物を建てていく。誰もが同じ地図を持ち、同じ道を歩める。

しかし、ABC予想のような深淵に近づくと、地面は忽然と消える。

そこには「夏場の動く氷河」が横たわっていた。足場は流動し、割れ目は見えにくい。

望月新一は、この氷河を渡るために、従来の登山道具(数学概念)では不十分だと考えた。

彼は新しいアイゼン宇宙)とロープブリッジ)を発明し、一人で渡ってしまった。

「見よ、対岸に着いた」と彼は言う。

しかし、彼以外の者は、その渡り方をまだ知らない。

3. 「ブリッジ」という名の幻想、あるいは天才

IUT理論の核心は、異なる「宇宙」を結ぶ「ブリッジ」にあるという。

だが、このブリッジは、従来の数学が知るどの「橋」とも似ていない。

それは具体的な写像ではなく、関係性の比喩のようにも、あるいは情報転送する「儀式」のようにも読める。

「このブリッジ設計図には、応力計算が書かれていない」とショルツェは言う。

「いや、これは新しい種類の橋だから、従来の応力計算では測れないのだ」と望月は応じる。

ここに、論争の本質がある。

革新は、往々にして既存検証基準を逸脱する。

だが、基準を逸脱したものが、果たしてまだ「数学証明」と呼べるのか?

4.地動説の再来、それとも幻影?

ガリレオが「それでも地球は動く」と囁いた時、人々は自分の足元が動いていることを想像できなかった。

IUT理論は、数学世界の「地動説」かもしれない。

まり直感に反するため、受け入れるには世界観の書き換えを迫られる。

しかし、地動説には望遠鏡という共有可能検証手段があった。

IUT理論には、その「数学望遠鏡」がまだ大多数に共有されていない。

望月という一人の天才けが覗ける望遠鏡で見えた景色を、どうやって共同体の確かな知識昇華させるのか?

5.孤独と共同性の狭間

数学は、歴史的に「孤独な探求」と「共同的な検証」の緊張関係の中で発展してきた。

ガロア孤独群論を創り、ワイルズは7年間を孤塁で過ごした。

だが彼らの証明は、いずれも共同体に開かれ、検証され、受け入れられた。

IUT理論は、このバランスが大きく傾いたケースである

まり自己完結的で、あまり独自言語で書かれているため、検証のための「共通の場」が成立しにくい。

それは、一人の建築家が、共通建築基準無視して建てた、あまりに独創的な塔のようなものだ。

美しいかもしれないが、他の建築家には、その安全性正当性)を確認する手段がない。

6.数学の、そして人間認識限界

IUT理論論争は、数学の内部問題を超えている。

それは、「人間はどのようにして、個人の深い直感を共同の確実な知識に変換するのか?」 という、科学哲学根本問題に触れている。

しかすると、我々の「共同的な理解」というフィルターは、真に革新的な知を濾過してしまうのかもしれない。

あるいは逆に、そのフィルターこそが、科学を単なる個人妄想から救う防波堤なのか。

望月新一は、そのフィルターを──意図的か否かは別として──きわどくかすめるようにして、新しい数学大陸発見たかもしれない。

だが、彼だけがその大陸上陸し、他者はまだ船(理解)を持たない。

7. 終わりに──氷河は解けるか

「5日間では短すぎた」。

そう誰もが思う。だが、果たして何日あれば足りたのか。

新しいパラダイム理解するには、時に「学び直し」に近い時間を要する。ショルツェら一流の数学者でさえ、その途上にある。

IUT理論は、査読という形式的な関門は通った。

だが、数学的真理の受容は、単なる手続きではなく、共同体の魂が納得するプロセスでもある。

氷河ゆっくりと、しかし確かに動いている。

つの日か、この氷河が確固たる大地として多くの人に認識され、ABC予想への道が共有される時が来るのか。

それとも、この氷河は「夏の終わり」と共に消え、数学史の不思議エピソードとして記憶されるだけなのか。

答えはまだ、誰も知らない

ただ、この論争が我々に教えてくれるのは、数学が──ひいては科学が──常に「理解境界線」との戦いである、という厳粛な事実である

数学とは、確かな地面を歩む技術であると同時に、時には氷河を渡る勇気でもある。

望月新一は、その渡河を一人で成し遂げた。

問題は、彼の後を、我々が続けることができるかどうかだ。

Permalink |記事への反応(0) | 21:25

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

後で消す

 ――初代戦隊である秘密戦隊ゴレンジャー」(1975年放送開始)から今年で戦隊は50周年。その記念作であるゴジュウジャー来年放送終了になることで、戦隊シリーズは終了してしまうのでしょうか。

 いえ、戦隊シリーズとしては終了とは思っていません。休止です。戦隊放送枠(テレビ朝日系、日曜朝9時半)は新たなものに変わりますが、戦隊作品のものはいずれ復活する可能性があります。発表前の10月から戦隊終了」の報道が出て、ここまで反響があるのは想定外でした。戦隊がここまで愛される存在だったのかと、ありがたい思いです。ただいずれ復活するにしても、10年は間を置いた方がいいと私は考えています

 ――その理由は。

 戦隊限界が見えてきた。そこを打破すべくいろいろな工夫をしてきましたが、50周年という節目も迎え、根本的に考え直さないといけない場所にきたのは確かです。

 ――戦隊限界とは。

記事(前編)のポイント

戦隊シリーズを追い詰めた二つの黒船

・半世紀もの長きに渡り愛された理由

あなたが好きな戦隊は? 歴代シリーズ一覧

 戦隊にとって、二つの黒船」があったと思います

 一つはコロナから配信時代の到来です。配信では、特撮も新作と旧作が横並びで見られるようになりました。戦隊にとって、仮面ライダーだけじゃなく過去戦隊作品ライバルになってきた。

 戦隊は毎年毎年、世界観リセットして新作を出してきました。作品につながりがなく、どこから見てもいいんですが、逆にどこから見たらいいのか分からない。一定の評価がある旧作に対して、よほどの特徴がない限り新作が勝てなくなってきた。

写真・図版

東映白倉伸一郎さん。「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」にちなんで、ナンバーワンポーズ

 もう一つの黒船は、アメコミヒーローものの大攻勢です。マーベルの「アベンジャーズシリーズ日本でも人気ですね。キャプテンアメリカしろアイアンマンしろ、もともと別の作品キャラクターだったものを一つのパッケージにして届けている。

 集団ヒーローでも、キャラクター人格戦闘能力など明確な設定が元々されている。一方で同じ集団ヒーローである戦隊は、毎年作品が変わりますし、キャラクターづけでは弱い面があった。

 この二つの苦境を打破するべく、いろいろ工夫はしてきましたが、根本的に新たな挑戦をするべきだという結論に至りました。

 ――とはいえ戦隊もさまざまな新機軸を打ち出してきました。近年も、白倉さん自身チーフプロデューサーとして入った「機界戦隊ゼンカイジャー」(2021年放送開始)では、戦隊5人のうち、人間が1人で4人は機械生命体というとんでもない内容です。戦隊とは数々の挑戦をしてきた歴史では。

 もちろん様々なチャレンジをしてきました。それは戦隊という枠の中では新しい試みかもしれないけど、何が新しいのかを楽しむためには戦隊の「お約束」を知っているリテラシーがお客さんに必要になる。お約束を知った上での型破りを、どこまで分かってもらえるのか。

 ――戦隊といえば誰もが知っているはずなのに、内容は認知されていないと?

 戦隊根本的な課題だったのですが、50年続いただけあり、戦隊はあって当たり前のもの。ある種日本の文化になったと思うんですね。どれくらい見てきたかは人それぞれでも、戦隊と聞いたらカラースーツの5人のヒーローイメージできる日本人の方が、多いのではないでしょうか。

 それはそれだけ定着したという半面、「見なくてもいいもの」と思われる恐怖と隣り合わせです。

 毎週その時間テレビをつければ、変わらずやっている。現代風に変わった描写はあっても、話の大筋は変わらない。子どもときに見て一時卒業したけど、親になり自分の子どもと一緒に見たら、昔と変わっていない安心感がある。むしろ、変わってほしくない。

 作品にとってこの状態に甘んじているのは危険で、変わらぬ良さは、見なくてもいいものと表裏一体なんです。どうせ話の筋は分かるし、毎週見なくてもいいやと。なんなら懐かしい旧作を見ればいいやと。新作はいらないと思われることは、作り手にとって常に恐怖です。

 戦隊の「当たり前感」は制作陣にとっても危険です。大事なのは戦隊という伝統の枠の中でどう目立つかではない。2025年の子どもたちに向けて、日本から世界に向けて、本当に必要作品とは何かを考えることなんです。

 東映には戦隊をつくるノウハウがあります。ただそのノウハウが、時に本当に新しいものを作ることを邪魔する。戦隊に慣れきった私たち世代が抜けて、新たな世代が新たな戦隊を考えるべきだと思います。だから10年は復活するべきではないと私は考えているのです。

 ――シリアス仮面ライダーに対して、戦隊作品の明るさが好きだという視聴者も多いと思うのですが。

 戦隊のお決まりですが、5人がスーツ姿に変身してポーズを取る。怪人を倒すと、後ろが爆発して炎が上がる。そして展開はむちゃくちゃだけど、巨大ロボットに乗って、巨大な敵と戦って毎度ビルを爆破する。くだらないと小バカにされるけど、とにかく明るい話。それがいいところなんですよ。

 私が90年に東映入社して「恐竜戦隊ジュウレンジャー」(92年開始)の企画会議に参加したときプロデューサー鈴木武幸が開口一番「今度の巨大化はどうしますか」と言って、脚本家がめちゃめちゃ怒ったんですね。「違うだろう。最初に話すべきは、どういう番組にしようかだろう」って。

 鈴木はそれまで何作も戦隊を手がけたベテランですが、いろんな試行錯誤を重ねた結果、もう悟りの境地だったんだと思います戦隊成功するにはこういうフォーマットしかないと分かってしまい、その上で(キャラクターを)「どう巨大化するか」をまず考えようという恐ろしい境地に達していたんです。はたから見ると、そこかよって突っ込みたくなりますが。

ジュウレンジャーは「最後戦隊かも」だった

 ――30年前にすでにやり尽くしたと制作陣では感じていたのですね。

 当時すでに戦隊は風前のともしびジュウレンジャーは「もう最後戦隊かもしれないと思ってやろう」と言っていた。若手がこれまでにないことをやりたいと結託し、6人目の戦士物語の途中から出したんですね。

 ――6人目がレギュラーメンバーとして出るのはジュウレンジャー最初物語の途中から出るいわゆる「追加戦士」も、6人以上の戦隊も、今では当たり前ですね。

 定番になりましたが、当時はそんな未来は考えず、そこから30年も続くとは思いもしませんでした。ジュウレンジャーベース米国で作られた「パワーレンジャー」がヒットするというまさか神風が影響したんでしょうね。

 ――仮面ライダーにもウルトラマンにも中断期間があります。初期に少し中断はあるものの、ほぼ50年放送が続いてきた特撮ヒーローは、戦隊だけでした。なぜ戦隊は愛されてきたのでしょうか。

 戦隊はね、理屈じゃないんですよ。

 そもそも戦隊事故からまれものなんです。仮面ライダーを5人集めて戦うという作品企画されていたのが、事情があって頓挫した。それで急きょ石ノ森章太郎先生に考えてもらったのが初代の秘密戦隊ゴレンジャーだったんです。さらにその後、(70年代に人気だった)「超電磁ロボ コン・バトラーV」などのロボットアニメの放送が途切れるという事態があり、巨大ロボットの命脈が戦隊に流れ込んできた。

 戦隊の草創期の作り手に、理想ヒーローを作ろうと理屈をこねている余裕はなかった。なんとか一つの作品を作らなければならないという試行錯誤の末に、結果として生まれ事象を集めたもの戦隊だった。

写真・図版

数々の戦隊作品撮影が行われてきた東映東京撮影

 なんでいちいち5人で戦わないといけないのか。なんで巨大ロボットにいちいち乗って戦うのか。それはよく分からない。その理屈を超えたところに、人間本質がある。なぜかかっこよくて人を引きつける。エンターテインメントとして面白いもの本質を、戦隊露骨に表してきた作品だったと思います

善と悪の対立を描きにくくなった

 ――長年にわたりテレビヒーローの姿を届けてきた意義も大きいでしょう。

 戦隊のものが描く善悪も、初期からはかなり変遷がありました。東西冷戦が終わり仮想的な「絶対悪」を社会が想定しづらくなった。フィクションヒーローものでも一面的善悪を描くことが難しくなっていきます。その中でも工夫をしながら、キャラクター人物像を大切にしながら、悪い敵を倒す姿を放送してきました。

 こと戦隊でいうと、仮面ライダーのような単体ヒーローとは違う。5人で一つのチームで、結束して敵に立ち向かいました。

 こうしたこと子どもさんにはすぐに分からいかもしれないけど、大人になった時に「戦隊って大事なことやっていたんだな」って少しでも思ってもらえるかもしれない。

 戦隊は当たり前になったと先ほど言いましたが、私は日本人の心の中には、戦隊がいると思っていますし、少しでも戦隊社会にいい影響を与えられていたならうれしいです。

 ――50年続いてきた戦隊放送を終了することに、葛藤はなかったですか。

 葛藤、それはないですね。

 ――戦隊キャラクターのように、潔いお答えですね。

 戦隊を愛してくださったファンの方には感謝します。しかし、次の世代のためにも、どこかで次の挑戦を始めるべきでした。今はヒーロー番組のものの変革を考えるときです。それがゴジュウジャーの後番組として始まる「超宇宙刑事ギャバン インフィニティ」です。

Permalink |記事への反応(2) | 13:16

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-30

かなり乱暴にたとえると、「匈奴=巨大本家の大組」「漢帝国国家権力」「丁零=北方独立系武闘派グループ」で、同盟・離反・シマ争い・別名での再編成を何度も繰り返す、極端に長期スパンの抗争劇のようなイメージになる。実際には国家規模・人口宗教経済基盤が絡むので、現代暴力団ヤンキー抗争より遥かに複雑で、比喩は「雰囲気をつかむための漫画モデル」程度に留めるのが安全だと思う。​

---

大枠のイメージ

---

抗争構図をヤンキー風にすると

ここまでを雑に例えると「北東アジア中央アジア一帯で、複数の大グループ中小グループが、数百年スケールシマ同盟名称を変えながら延々と“抗争”している世界観」という雰囲気

名前・再編のイメージ

Permalink |記事への反応(0) | 22:12

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

女性たちが主張する「女性差別」が男性に響かない理由

男女平等を主張し女性差別を許さない!とイキって息巻いている割に

「男は責任取れ、働け、稼げ、成長しろ!」と男尊女卑フェミニストの様な事を主張するのが女性差別を主張する女性であり

女性が成長しないで責任を取らず、責任能力を否定し、幼児のまま大人になった子供大人アダルト・チルドレンとして

男性社会パパに保護される世界観を望んでいる事が丸出しだからだよ


で、こういう指摘をすると「ミソジニー!」「痴漢キモい!」「どうせ女をあてがえって思ってんだろ!」「アニメばかり見て女性差別心がー!」

などと、関係ない事を叫んで発狂しながら煽ってくるから、頭悪いというか人間として対等な会話が出来ないと思われているからだよ

女性たちは少しはまともに、人間として対話が出来る様になって下さい

同類しか通用しない言語で会話した気になられても困るんだよね

Permalink |記事への反応(0) | 21:21

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

売れっ子アニソン作詞家」って概念今でもある?

売れっ子アニソン作曲家」だったら今でもパッと数人思い浮かぶけど作詞家ってそうでもなくない?

以前は「畑亜貴」とか「こだまさおり」みたいな大御所的な売れっ子作詞家いたよな

最近はそういうのぱっと思い浮かばない。自分たちで曲も詞もやりますみたいな人が大量にいるよな

メジャーアーティストでもだいぶ作品に寄せた歌詞を書いてきたりしてるのも大きいか

アイドルなんかでも作曲はしなくても歌手自身作詞するのも多い。昔大人歌手だった人が新人作詞で参加してたりもする

でもやっぱアニソンプロ作詞家の実力って確かにすごいものがあると思ってて、最近世界観に寄せた作詞流行ってるけどあまりにも歌詞を寄せすぎて興覚めくらいのも中にはあるよな

そういうバランス感覚プロアニソン作詞家の曲のほうが取れてたなって思うわ

Permalink |記事への反応(2) | 19:52

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

弱者男性って「男は清潔感理解できないのが当たり前」だと思ってるよな

健常者の大半は清潔感をある程度理解してるんだが、あいつらその辺を全くわかってない気がする。

なんというか、生活習慣とか美容とかファッションみたいな分野の情緒高校生あたりから成長していない感じ。

好きなものを食べて、好きな時間に寝起きして、最低限の家事やって、何を着るのも自由みたいな世界観で生きてる。

生活の何もかもが間違ってるから清潔感が無いと指摘されても何が間違ってるのか理解できない状態なんだろうと思う。

それでいて本人は「仕事さえ真面目にやってれば認められる」とか思ってるから救えない。

Permalink |記事への反応(2) | 15:30

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

『果てしなきスカーレット』は大コケではない。

「果てしなきスカーレット」が大コケしたと言われていますが、実際は大コケしているわけではありません。その上映館数に問題があっただけです。

🧐興行面と上映館数について

上映館数の多さ:

実際、公開当初の上映館数は388〜389館と、大規模なロードショーでした。これは、大作アニメーション映画としては一般的な公開規模と言えます

「大コケ」と言われる背景:

大規模公開にもかかわらず、初週の興行収入ランキングでは3位スタートとなり、期待された成績を下回ったと報じられたため、「大コケ」という言葉が使われるようになりました。

ご指摘の点:

「上映館数が多すぎたため、一つ一つの劇場での成績が目立たなかった(あるいは、期待値に対して数字が低かった)」という見方は、興行成績を評価する際の一つの側面として理解できます。これは、公開規模(座席供給数)が大きいほど、回収すべき興行収入の目標も高くなるためです。

📊作品評価について

興行成績が振るわなかったとされる一方、作品評価自体は非常に賛否両論が分かれています

肯定的意見:

映像が非常に美しい」「これまでの細田作品にはない世界観の広がり」「強いメッセージ性がある」といった高評価レビューもあります

否定的意見:

ストーリーの分かりにくさ」「メッセージの語りすぎ」「過去作との印象の違い」といった、内容に関する厳しい意見も多く見られました。

まり、「大コケ」という表現は、「大規模公開という期待値」に対して「興行収入の伸びが届かなかった」という点で使われた可能性が高いです。

作品の内容に対する評価も分かれているため、単に「上映館数が多すぎただけ」と断言するのは難しいですが、「作品クオリティ」ではなく「興行戦略や公開規模とのバランス」に問題があったという見方も、興行成績が注目された要因の一つであると言えるでしょう。

過去細田監督作品成功から適切な上映館数を考察する

「果てしなきスカーレット」に適切な上映館数を決定するのは非常に難しいですが、ご指摘の興行の状況と、過去細田監督作品成功から考えると、いくつかの考え方があります

1.過去作品との比較から考える

細田監督作品は、公開規模と興行の推移に特徴があります

作品初動上映館数興行収入(最終)特徴
時をかける少女21館2.6億円口コミで人気が広がり、最終的に100館以上に拡大する異例のロングラン
サマーウォーズ約120館16.5億円口コミの力を活かしつつ、中規模公開からスタート
果てしなきスカーレット約388館(大コケ大規模公開でスタートしたが、期待値に届かず。
示唆されること:

細田監督作品は、特にコアなファン層が口コミ熱量を広げ、徐々に観客を増やしていくスタイルと非常に相性が良い歴史があります最初から大規模公開で一気に集客を狙うよりも、熱量を高めていく戦略有効だった可能性があります

2. 適切な上映館数の提案(仮説)

もし興行面での安定性を優先するなら、200館前後からスタートするのが一つの目安になったかもしれません。

初動200館前後:

主要な都市圏劇場網羅しつつ、供給座席数を388館の時よりも抑えることで、座席稼働率スクリーンアベレージ)を高く保ちやすくなります。高い座席稼働率は「満席」や「混雑」といったニュースになりやすく、それが「見逃せない」という口コミ話題性につながりやすくなります戦略的な拡大:初動の週末の成績や口コミの評判が非常に良ければ、3週目以降に上映館数を300館以上へ拡大し、勢いのある状態でより多くの観客層を取り込む戦略が取れます

結論

「果てしなきスカーレット」は、作品テーマ性やアート性の高さから最初から全国一斉に大量の座席供給するよりも、口コミ熱量をじっくりと育ててから、後追いで公開規模を拡大していく戦略の方が、細田作品過去成功パターン合致していた可能性はあります。ただし、配給会社としては、なるべく多くの人に作品を届けるという使命もあるため、大規模公開は致し方ない判断であったとも言えます

Permalink |記事への反応(0) | 06:18

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp