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はてなキーワード:世界とは

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2025-11-24

anond:20251124135353

なんで韓国フェミ女性はわざわざ日本で男叩きするほど

男が嫌いな案だろうかと思うんだが競争が激しすぎるんだなあ

多分完璧女性でないとダメ世界にいると

頑張らない生きてる人間が許せなくなる

日本なんて日本アイドル見たらわかるように

そんな完璧女性像なんて求めていないのに

Permalink |記事への反応(0) | 14:30

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世界の終末は巨大隕石の衝突ではつまらない。

せめて人類文明のせいの地球温暖化

できれば第三次(四次でも五次でもいい)世界大戦

そういう教訓のあるオチで終って欲しい

Permalink |記事への反応(0) | 14:27

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anond:20251124133432

なんで最近は見る側にまわってる。

配信みたり、RTAみたり、プロゲーマー世界大会を見たり。

見るだけならカネがかからいからいいよ。

だるいシーンは飛ばせばいいし。

Permalink |記事への反応(0) | 13:43

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anond:20251124124839

そもそもリベラル保守というのはごく簡単な軸なんや

保守が何を守るかといったら「今までやってきたこと」で、保守派とは伝統を守る派

リベラルはそれに沿わない新しいことも受け入れる派

たったそれだけ

19世紀半ばのまだ貴族もいる、奴隷もいる、資本家子供でもなんでも金にあかせて実質的奴隷にして買えた時代には共産主義で無理やり武力でそれを打ち倒そう、世の中を正すために共産党独裁しよう、というのは非伝統的なことだったわけや

そしてソ連ができて中華人民共和国とかポルポトとかもできて、まあクソほど人が死んでも生き残った共産主義、元共産主義独裁国家が武力周辺国家を侵略してる状態になった150年以上後の今にいまだに全体主義独裁国家ってのは定義的にはリベラルとは真逆ガチガチ保守やで

1850年とかの理論でやってんだから

日本で言ったら武士無礼打ちオッケーっていまだにやってるようなもんや

から世界ではロシア中国共産主義者をリベラルもといLiberalとはまあ普通人間絶対に言わないけどな

Permalink |記事への反応(1) | 13:14

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https://anond.hatelabo.jp/20251124125803

  お前が聞いていなくてもほかの世界に影響している

Permalink |記事への反応(1) | 13:00

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中国台湾統一したい理由って

結局シーレーンの確保でしょ?台湾海峡

そりゃそうだよね。世界最大の貿易港上海台湾海峡通過しなくちゃいけないし。

日本場合は、岡田議員も言ってた通り、まぁ迂回できなくもない、、、のかな?わからんけど。

中国は輸入資源がとまったら2ヶ月で干上がるとかなんとか。


その辺考えると、あべっちが言ってた自由で開かれた海ってのは、いい概念なんだなーとか思ったり。

Permalink |記事への反応(1) | 12:09

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知能が高い人の結婚生活について

匿名30代、東京勤務の男性です

知能がどうとか書くと、何か言われがちなのは了承済みで、ちょっと悩み事を書きます

知能高いって言ってるけど、どれほどの問題については、色々東大京大卒、国立医学部卒の学力の持ち主しておいてください。

一方で、家内は、いわゆる普通の4年生大学を出た人、この表現も悩ましいけど、一般的に言う偏差値は50としてください。

上前置きで、実際知能の格差があることで、とても悩んでる結婚生活っていかがなもんでしょうか?

自分は少しばかり悩んでます

いくらか列挙

・知能それ自体差異

これが当然ながら本体。具体的には、日常会話などで自分がなんとなく話していることについて、当然、ナチュラルスピードでは話せない。少し理解がつまずいたなぁと思うと補足説明や例え話をしたり少し手間が多い。また話す。スピード自体普通だと早すぎるとなるのでとても遅くした調整をする。

日常会話としたものの、関心の範囲トピック、それ自体にも大きく差が出る。

例えば、私自身は、経済金融社会政治医療科学技術など、少し後半に興味が広いタイプ人間です。日常的にも、今はとても安くなった本を中心に、専門家が書いた一般書なんかを読みっています

たいして相手はと言うと、そういう話には飛んで、安心はなく、こういった話をすると、少し難しい話をされた顔をしてわかったようでもない。相槌だけが返ってきます

もちろん、誰でも自分の知らない話をされるのは、快適でないのは理解するものの、残念ながらその共通範囲がとても狭く、また私自身が関心を持っている領域がとても広いと言う図式になっていそうです。

・知能によるメタ認知能力や、社会知識についての話

上では、直接的な知能の影響に触れたものの、こちらも大きいものとして、知性は、その人の人柄や感情管理能力などなどにも強く影響します。

具体的には、同じような、いわゆる東大京大卒のような人は同感されると思いますが、感情的にヒステリックな反応をする人が高学歴にはとても少ないです。

これはとても自然な話で、日常会話で、何かそれが発生した際も、知的な取り組みとして、相手立場のことを一度考えてみたり、理性的議論から考えてみたり、また感情的にヒステリックな反応することで得るデメリットも、瞬時に打算的に計算する、などの複合的な理由から感情的な振る舞いをする人間が少ないんだと考えてます

一方で、いわゆる普通の人との会話をしてみると、上に上げたものをそれぞれ期待するのは難しそうです。

そもそも知識が少ない中で、自分自身の感想事実混同しながら話してみたり、それに対する別の意見があったら、感情的になってみたり、あるいはそれら全てが成立しておらず、コミュニケーション破綻しているようなこともよくあります

自分自身も調べて、感情的に何か波風打つことが少ないので、この辺は、人生経験として、一般的にそういうものだと言う理解をする努力をしながらもまだ難しいです。

社会的地位の話

一般的にでは、あるものの、知能が高い人間を挙げたような人が知っている学校を出ており、また就職においてもほとんどの場合においていわゆる上場企業とされる有名な企業や、公的機関、専門資格の有資格者、といったそれらいずれかの立場に立っていることが多いです。私もその例に漏れものではありません。

他方で、当然ながら挙げたような普通の人と言う立場の方は、そういう状況にはなく、日本の平均年収は4,000,000円とよく言いますが、その状況にあることが多いでしょう。

即でマウントメれたことにいくつか触れていますが、繰り返しながらこの辺は重要ではありません。

ただ、ポイントとしてあるのは、日常の会話をする中で、こういった差がとても顕著なものとして現れると言うことです。

具体的には、少しお金持ちの話をしてみた際も、自分自身も相応の収入があり、また周囲には名家の取得であったり、メディアに出るような資本主義を勝ち抜いた、人々も接点があり、これらに対して言える解像度を持った知識意見を持っています

ただ普通生活をしているとこういったところとは接点がないので、とてもずれた会話になってしまます

以上、思いつく主にいろいろなことを挙げたものの、一言で言うと、とても大きな分断で、そうであれば、結婚生活なんかしなければ良いと言う考え方もあるかもしれませんが、人柄はとても優しくそれを継続したいと思う事はあります

ただやっぱりとても厳しいのが、上に書いたような大きな差があると、今後数十年同じ生活に取り組み、様々な問題に対面して解決すると言うトライをすることに自信が持てません。

実際、自分尊敬するような、大学先生実業世界活躍する様々な知的人物は、その相手も同等とはいかないまでも、相応の知的能力を持っている人を選んでいる印象があり、例外はとても少ないように見えています

自分場合は、そこまで傑出した能力ではないにせよ、その例外パターンになってしまっており、意見だったり反論だったり同じ悩みだったり、いろんなことを聞いてみたいです。

長々書きましたがありがとうございました。

最後に、この長文は、音声認識ざっと記載しているので、誤字脱字が散見されますが、適宜見合いを組んで読んでいただけるととても助かります。ご容赦ください。

Permalink |記事への反応(1) | 12:00

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映画傀儡を見た

学生卒業制作としては一定以上のクオリティがあるのは認めるけど、それ以上でも以下でもない(空集合)気がする。37点。

ちなみに「くぐつ」ではなく「かいらい」と読みますがたぶん意味はない。

 

大学生監督脚本をやっているらしいが、それを感じさせないクオリティはある。あぁ音響だけは大問題だったな。妙にガビガビしてて大事セリフ聞き取りづらいことが多くてもったいなかった。カメラの性能は素人の機材でもどんどん上がってるけどマイクの方はそうでもないんかもしれん。こういうところ大事よ。

 

話としては。

彼女が川に謎の転落死して数年後、村で記者になった主人公事件取材のために村に帰る。しか彼女の遺族は容疑者と一緒に住んでいたばかりか、ベタベタ依存していた。主人公は怒るも受け入れられず、いろいろあって容疑者殺害。したと思ったら復活。お前、タイムリープしてね→してません。最終的に彼女の死の真相を知った主人公はなんかよくわからん間にたぶん死んだのでした。おわり。

何書いてるかわからんと思うんだけど何やってるかよくわからん映画なのでしゃーない。

 

作品としては意図的ループ構造が構築されている。特に被害者遺族と飯を食うシーンでは遺族は4回全く同じセリフのやり取りが繰り返されるが食卓に着く人間の組み合わせが毎回変わる。遺族+容疑者主人公→遺族+主人公→遺族→遺族+容疑者しかもやたらと過去の回想が入るので、これはいったいいつの話なのかがよくわからなくなってくる。

2日目の遺族+主人公になるタイミングの前夜に主人公容疑者殺害し、3日目の前に容疑者の死を知った遺族から「お前は容疑者の代わりにはなれない」と拒絶され主人公は遺族の家を追い出される。しょんぼりしてると殺害したはずの容疑者が現れ主人公を連れて家に帰ると、遺族は何事もなかったかのように受け入れる。

しかし、その後主人公が1日目~2日目の痕跡発見するシークエンスが挟まりループしているわけではないということが示される。

また河原遺体発見される全く同じシーンが3回挿入される。これは全く同じシーン、全く同じ映像である。1つは彼女が死んだとき、2つ目は主人公容疑者殺害したと思われるとき、3つ目は主人公容疑者殺害されたと思われるとき。思われるときというのは具体的な死亡シーンは彼女が死んだとき以外は一切映されないからだ。なので、本当は2つ目で主人公は死んでいてその後は死後の世界可能性もある。だとしたら後の展開が意味不明すぎるんだけど。

 

あと、タイトル傀儡にあわせて実はこの容疑者が人心掌握術にたけためっちゃ悪い奴で遺族を操っていたのだった!みたいな話か?と思って見てても別にそんな感じもない。単に彼女が死んだ後のマスコミ攻勢から献身的に遺族を守ったことで信頼されているということっぽいし、最終的に明らかになる真実では彼女を守ろうとしていたであろうことも明かされる。なんかボソボソボソボソ観念的な意味トークばっかするから逆に薄っぺらそうだなぁとは思うけども。

遺族もそうだけどなんかもうアート映画らしくフワフワフワフワしたテーマはあるけど益体もないセリフばっかり喋りやがる。

 

こんな感じで観客は主人公が感じているものと同じと思われる混乱、混沌を一緒に味わうことになる。

そう考えるとやっぱよくない作りだと思う。

 

ペナルティループでも書いたけど、わからせたくないのかわからせたいのかがよくわかんねーのよ。

前述したけどめちゃくちゃ回想シーンが挟まる。

それもほとんどが主人公のものではなく容疑者のもの、もしくは彼女のものである

容疑者が村に来て彼女出会ったのはいつなのか、容疑者は遺族にどうやって取り入ったのか、容疑者の幼少期の歪んだ思い出、彼女学校での思い出、彼女の死の真相

でもこの映画自体がずーっとフワフワしてて、この容疑者自体実態感がないし何なら死んだのに復活してるし、現実に何が起きてるかもわかってないのにそこに改装を挟まれても困っちゃうのよ。観客は主人公と一緒に永遠に混乱してるんだから。この提示されている過去回想は実際にあったことなの?それともなんかよくわからんファンタジーシーンなの?ってなっちゃうでしょ。

よしんば、主人公容疑者ダブル主人公だとしても、だったらどっちも知りようのない彼女の幼少期の思い出や彼女の死の真相に至るまでのシーンが回想で入るのはわけわからん。ちなみにサラっと書いとくと彼女主人公の子供を妊娠しててそのことを容疑者相談堕胎するためにいろいろあって父親に突き飛ばされて事故的に落下。容疑者はその場で父親を突き落として殺害したのだった。急に父親の死が生えてきて草だし、容疑者やっぱり犯人で草。

いやもろちん、彼女父親水死体(実際には落下死で頭パックリ割れてたら水死のわけなくてこれも草)で発見された事件を調べるために村に帰ったってのは冒頭のシークエンスで示されてるのので急に生えてきたわけじゃないんだけど、村では父親の話3秒くらいしかしてないからね。すっかり忘れてたから急に生えてきてびっくりしたわ。

何にせよ、父親がどうやって彼女を殺したかは二人とも知らないはずだからこの回想も本当かウソかは不明

堕胎する話もよくわかんねぇし。前もって主人公が村を出て行きたがってたって話があるなら、こいつは外に行く人、私は残る人、だから産めないでわかるけど、中田氏ックスするくらいに好きな相手だったら普通に相談したらいいだろ。

 

現実感がないように観客が立つべき土台をあえてあやふやに作っているにもかかわらず、その上に回想で設定を積み重ねようというのは俺は手法としては間違っているは言い過ぎとしてもうまくいってはないと思う。土台がしっかりしているうえでその凸凹に回想をはめ込むから世界がより強固になるわけでさ。

どんだけ考えても2回目の水死体発見のシーンと容疑者が死んで取り乱しまくる遺族のシーンがある以上、それ以降の復活後の展開にはつながらないのでたぶんこの話はそこの整合性は元から取れてないんだなって考えざるを得ないし、そこがもう整合性取る気ないんだったら回想とかも「なんかいい感じに並べときました」みたいな感じかもな知らんけどどうでもいいしってなっちゃう。

 

体温と痛みが現実構成していて未解決事件に巻き込まれマスコミ執拗に追い回された遺族のそばで体温と痛みを共有してきた容疑者は遺族の中で強い現実感を持ち、逆に外に出て記者になってしまった主人公には体温が伝わらないから遺族にとっては現実ではない。現実というのはそれくらいあやふやで寄る辺なきものなのですよという話なんだろうなとは思ったけど、だとしても作品まで寄る辺がなかったらどうしようもない。

別に全部わかりやすしろとは言わんけど話の整合性くらいはつけてほしかたかな。

Permalink |記事への反応(0) | 11:47

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左翼の駄目な所が煮詰まった記事

anond:20251124000433

大体の国民にとって「アメリカ台湾有事攻撃を受けた時に日本はどう立ち振舞うのかを明言する必要があったか」については議論余地があれど、同盟国が攻撃されたら日本防衛に周るというのは失言とは見做されてないのですよ。

それを左翼が「撤回必要」だとか「これは宣戦布告中国戦争を仕掛けてる」とか頓珍漢なことを言ってるから、令和では左翼が周りから白い目で見られているの。

中国関係悪化したこと経済影響は多少はある。一般人もそれは問題視してる。

一方で、脅して言うことを聞かせようという国に依存するのも間違いだからマーケット規模がデカくても依存しすぎないようにしていこうという転換期にしていくという言い分もわかるから「ならしゃーない」くらいに国民も多少納得してるっていう話だよ。

お前ら、自分たちの主張がファンタジー世界にあることを自覚してよ。日本中で誰も彼も戦争しようなんて言ってない。(もしかしたら一部の極右は言ってるかも知らんが、それはアホなんで無視していい)

しろ戦争を起こさせないための抑止力の話をしている。どうにかして中国による台湾への武力行使を止めたいんだ。

オールドメディア支持率を下げる報道に踊らされてる場合じゃないよ。現実をみよう。


追記

アホ左翼左翼の中でも考えがない人のこと・左翼全般を指さない)が返信つけたから補足しておくけど、「高市政権支持率65%」「台湾有事答弁問題ない50%」これが日本現実である

最低でも左翼思想は少数であることを認識すべきなのよね。

https://mainichi.jp/articles/20251123/k00/00m/010/107000c

https://news.yahoo.co.jp/articles/399c57ce95533e7a04157079c92fb804dc464a6f

俺は「なぜ普通の日本人高市政権を支持しているのか」、「台湾有事への回答が一般人の中で問題視されていないか」を文章化しただけだよ。

別にこの記事に対して左翼が何を喚こうとも俺は一向に構わないが、お花畑なのは国民じゃなくてあんたらだと自覚ないのが滑稽極まりないよ。

支持率を下げてやる記事を真に受けて、キャッキャしながらコメントしてるのが噴飯ものなんだと自覚できてないのがおもしろおかしいのよ。

国民が何も考えてないと嘆く前に自らの不明を恥じてバイアスを取り除いて世界パワーバランスなどを真剣に考えるべき。

Permalink |記事への反応(14) | 11:21

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6回呪文を唱えられるお得な増田済まなく通るレラ恵那トンもゅ時以下6(回文

おはようございます

HD-2D版のドラゴンクエストI・IIプレイ真っ最中とはいえまだIがクリアできていないのよ。

メルキドゴーレムを倒していろいろ途中冒険して大冒険果たして虹の橋をようやく掛けることができて、

竜王の城に慎重に飛び込み前転して入店するの。

あ!お店じゃないか入店っていう言い方はおかしいわねきっと。

でも、

あれこの風景たことあるって思ったらあれHD-2D版のドラゴンクエストIIIでも同じシーンあった!って

これこそ進研ゼミで学んだところだ!って思うふうにデジャビュに思うの。

私もようやく竜王の城に突入

ゆっきーなばりにいうのならば事務所総出で!ってところだけど勇者一人だから総出とは言えないところがなんとも総出感はないんだけど気持ちはそうで感満載でお送りして突入いや突撃したの。

私ははて?って思って、

そういえば私のロトの装備いっさいしてない?

竜王を倒しに行くっていうのならば

ロトシリーズの装備を整えてから行くのがストーリー上の筋ってもんじゃない?

でも、

私はロトの装備が探せ出せないまま、

とりあえず、

倒せたらラッキーな勢いでそのままの勢いでHD-2D版のドラゴンクエストI・IIの早くIIに挑戦したいところなのよ。

今もうさドラゴンクエストIプレイ時間10時間超えて、

やっぱりこのボリューム!?って思っちゃうお特感満点なのよ。

もうさ、

勇者一人旅で辛くて弱くてって思ってたけど、

ここで光が見えてきたの!

輝く光の道標!それはシャインポスト

いやそれシャインポストって言いたいだけの助走して走って言いたいんだけど、

そのぐらいパッと光が差し込んできたの。

そう!

やまびこのぼうし」をゲットだぜ!

ちなみにワイルドスギちゃん調子の「だぜ~」じゃなくてポケモンゲットだぜの方の調子の「だぜ」だから気をつけて欲しいの。

でお馴染み山彦の帽子はじゅもんを唱えたら復唱して取引先様の電話番号を聞き返すと同じ効果が得られるの!

ホイミを唱えたらホイミがまた鳴る!って感じ。

やっとこれで呪文の火力がアップしまくりまくりまくりすてぃーいよいよ私のターンね!って。

そして!そしてよ!

とくぎの技で「ビーストモード」をやると2回連続行動するの!

もう言わずもがな御堂筋線の南終着駅中百舌鳥ばりにもう分かるでしょ?

やまびこのぼうしを装備してビーストモードすると、

1回で4回呪文が唱えられちゃうというなんということでしょう

さらに、

今ならなんと!

リホイミ」を唱えつつ助走つけて特殊方法で「ビーストモード」をやると「ぶんしん」ができて2人の分身ができるの。

驚かないで!

な!なんと呪文がこれで1回の発動で6回唱えられちゃうとか!もう

超サイヤ人の大バーゲンセールだぜ!って、

こっちの方の「だぜ」ってのはワイルドスギちゃんみたいに口を尖らせていってもいいかもしれない!

夢グループ社長の横にいるおねだり上手で女の人で演歌歌手の謎の美人の保科有里さんも、

社長安ーい!」っていうぐらいのレヴェルなの。

1回の魔法詠唱で6回効果が出ちゃうってもうおかしくない?

これでもしかして

強くて手が出せなかった悪魔の鎧も倒せっかもだぜ!ってHD-2D版の特技の「ヒュプノスハント」眠らせている相手に喰らわすとダメージが65535倍になる、

もはや常軌を逸する攻撃方法なのよ!

もうさ、

ドラゴンクエストIザオリク覚えるまでもないうちに竜王倒せちゃうかも!ってところなの。

もうさ、

リホイミしてからのーと手順はややこしくて面倒だけど、

1回の呪文で6回効果出せちゃうっておかしくない?

みんな秒殺だわ。

ここに来て急に私の勇者強くなったの!

しかロトの装備一切無しにしてこの仕上がりなのよ!自分勇者の強さが恐ろしいわ。

早いところドラゴンクエストI・IIのIの方をクリアしてIIに突入したいところよ!

にしても、

こんなにドラゴンクエストIで大冒険できるなんて思ってもよらなかったので、

言ってもドラゴンクエストIなんてちょろいっすよー!って思っていたけれどなかなかの手応えと歯応えを楽しみながらじゃがりこ冒険のお供にして食べつつ冒険してんのよ。

でさ、

ガンガン1回の呪文で6回効果があるってことで、

ホイミですら全回復してしまうぐらいの勢いだし、

ギガデインすると大抵の敵は一瞬でやっつけられるわ!

でも欠点があったの。

私がレヴェルアップしてもHPMP回復しない設定にして自分に課したハードモードにしていたので、

マジックポイントがあっという間になくなっちゃうの!

え?私のマジックポイントなすぎ?

いや少ないんじゃなくってたくさん使いすぎなの!

「ぶんしん」するでしょ?

やまびこのぼうし」を装備して1回分はマジックポイント無料になるけれど、

分身が唱える魔法についてはマジックポイントちゃんと消費するの!

まりは6回唱えられるけれど3回分のマジックポイントを消費するの!

私はその公式に築いてしまった世界心理に、

私の勇者マジックポイントなす!?って嘆いていたけれど、

もしかして

これ3回分マジックポイント消費してない?って気付いちゃったの!

あちゃー!って感じじゃない?

強いけどマジックポイントが一瞬で全部なくなるやつ!

しかもレヴェルアップしてもHPMP回復しないと自分に課したハードモード

竜王の城に深く探検しにいってマジックポイントが尽きてしまって

街に戻っては宿でおやすみしてからまた挑むって繰り返しなの

強いけれどマジックポイントが頼りない感じね。

そこもう盲点だったわもー!

世の中そんなにうまく事が進まないのねって痛感を感じ痛むところなのよ。

でもさ、

これ言ってもドラゴンクエストIIIの本職の魔法使いより高火力すぎるんですけど勇者

1回で6回よ!

こんなことある

ヴァン・ヘイレンジャンプを6回連続聴くのより凄くない?

サガフロンティアの41連携技「リヴァイヴスライバベル水撃スープジャイアントロコ金剛カイザーブラスター陽子ロケットバルカン破壊下駄電束火炎プラズマ跳弾神速熱線放射ソニックディフレクト電撃濁流清流アル・三スカイ燕曲射短勁フラッシュライジングロザリオアル・十字塔無月真アル・羅刹掌」よりも凄くない?

いや41連携技の方が冷静に考えてそっちの方が凄いか

でも、

これこれぐらい画期的6回の魔法呪文ができるって凄いのよ!

言葉意味はよくわからないと思うけれどとにかくすごい自信なの!

もう後は最終最強魔法の「アバントラッシュ」を覚えるまでだわ!

なんとかクリアのメラが立ってきた感じもするし、

いや今のはメラじゃなくてメドだったわ。

でも今の私の勇者強すぎて覚える間もないうちに竜王倒せちゃうかも!

もし勇者自由に喋れるのなら、

「今のが私の一番弱い攻撃呪文よ!」って

いってフルスロットル竜王リホイミ助走つけてのぶんしんしてギガデイン唱えて6回攻撃やんの!

まあマジックポイント竜王の目前そこまでキープできて持つかってことが一番心配だけどね。

クリアまでもう少しよ!

うふふ。


今日朝ご飯は、

おやすみなのでゆっくりしてからお昼と一緒の朝ごはんブランチってところかしら?

グッドモーニングって感じの良き目覚めね。

休日にふさわしいいいスタートを切った火蓋が兜の緒を締めよってところね。

デトックスウォーター

ホッツ白湯ストレートウォーラー

今日のホッツ白湯ストレートは甘く感じて美味しい!って思ったから快調だと思うのよ!

寒くって寒くって目が冷めちゃうけれどもうちょうどいい時間なので、

タイマー運用で朝湧いている70℃のホッツはいつでも飲み頃温度でいつでもホッツよ!

寒いとき身体の中から温めて温活で1日レッツスターティング


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!


【おまけ】

今日の分ののみでNotebookLMちゃんに作ってもらった音声ガイドスライ資料よ。NotebookLMちゃん最近さらに凄いことになってるわ!

https://xgf.nu/ZhrZy

https://xgf.nu/hyye5

Permalink |記事への反応(0) | 09:17

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日本も、戦国時代下剋上時代)なんてこなくてダラダラと室町時代をやってたら、アジア初の「議会」みたいなもんが誕生してたかもな。

英国歴史とか見てるとさ、結局は絶対王政というものを作り出したい王側と、やたらと力が強い貴族とのせめぎ合いで歴史が形作られててさ、

その結果として議会みたいなもんが生まれて、それが立憲君主政体へと変体していくわけじゃない?

でね、ふと思ったの。

日本室町時代って、将軍の力が弱くてやたらと守護大名の力が強かったわけじゃないですか?

あれがね、なんかもうちょっと違う形で維持されていたとしたら、なんか日本でも似たようなもんが出来ていたんじゃないのか?

とか無双ちゃうんですけどね。

地球の海が生命スープとして機能したように

ダラダラとした室町幕府の微力な権力統治機構スープとなって、それがやがて守護大名連合議会を生んで、、、とかそういう感じ。

でも、日本場合は、戦国時代なんて言う超合理的な(邪魔なやつは殺す)世界突入してしまって、結果として超合理的織田信長みたいなやつがゴリゴリとすりつぶすように社会を再統合していったがために、徳川幕府みたいな疑似絶対王政誕生してしまったのが惜しいな、と。

Permalink |記事への反応(2) | 08:20

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SNS文句を言うための映画を見に行って、SNS文句を言うという循環を回せてる限り細田監督には次回作のチャンスが巡ってくるだろう。

ただしある程度の規模を維持できている限りは、という条件はつく。

ということだから焼畑農業的な炎上商法一種(本人が自覚的にやってるのかどうかはともかくとして)であることには変わりがない。

なんつーか、どんだけ偉大なアニメ監督でも自分の頭の中のイメージからだけで創作物を作り続けることなんて出来ない。

昭和時代からの生き残りである宮崎駿とか富野由悠季とかを見ていても、それはわかる。

富野監督なんて、ガンダムイデオンザブングルダンバインと、毎年のようにアニメを作っていたが、はやくもダンバインの段階で、自分の中のアイデアはもうこれで終わり枯渇した、

自分の中の頭の中のものは出し尽くした、というようなことで、ダンバインの次のエルガイムを作るときは、永野護というサンライズ新人が頭の中に抱え込んでいた創作イメージを絞り出させて、自らのオリジナルアニメとしてつくってるくらいである。

大雑把に言って創作者にとって、やりたいこと、というのは割と創作の初期段階で尽きてしまものなのだ

から、みんな必死勉強して、自分の頭の中の耕して種まきして、なんとか実を結ぶもんが出てこないもんか?と必死になる。

宮崎駿みたいな、原作が会っても原作無視して映画を作ってるような人でさえ、なぜ原作必要なのかと言えば、もうイメージが枯渇してしまってるからなんだと思う。

とここまでイメージと書いてきたが、ちょっと適切な単語ではないと思う。

でも、いい単語が思い浮かばないんだ。

ここでいうイメージというのは、自分の中に抱えてる世界とか、物語とか、そういう創作の種みたなもののこと言ってるんだと思って欲しい。

とにかくそういうイメージは、あっという間に枯渇してしまう。

から、どっかから原作を持ってこないと宮崎映画が作れない。

最新作の君たちはどう生きるか?にしたって海外小説原作となっている。

(というか、あれ原作として使ってるのにクレジット金も払ってないのはどういうことなんだ?)

まりだ。

細田守だって、もうとっくにイメージなんてないんだから、どっかから持って来い。

というか、生来細田守に欠けているのは、そのイメージなんだと思う。

からそもそもTVアニメとしてしっかりとした土台、イメージがあるデジモンとかをやらせるとものすごく成功するのだ。

さらにいうと、時をかける少女だってそうだ。

どれだけ原作とかけ離れているとしても、そのイメージの土台があるからこそ、ある程度のものが出来上がるんだ。

細田にかけているのは脚本力なんかではない(それは結果論なのだ)。

彼の中には、彼の中で抱えている、イメージ、訴えかけたいこと、「俺はいまこういう物語を抱え込んでいるんだけど君たちそれをどういうふうに思う?」という創作者という名の語り部として欠かせないある種の資質が決定的にないのだ。

おそらくは宮崎鈴木細田ジブリに入れなかった理由(わけ)もそのへんに転がっているのだろうが、その真意はよくわからない。

Permalink |記事への反応(1) | 08:01

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テッド・チャンの「息吹」の面白さが分からなかった

テッド・チャンの「息吹」の面白さが分からなかった

SFにあまり触れたことがなく、評価が高かったので入門にと思って読んだが全然面白くなかった。

世界観を前提としたストーリーが展開されるのを期待したが単に滅びを迎えるだけ。

物理法則世界の形が違っても最終的に熱的死に到達すると言っているにすぎず、意外性が全くない。

SF好きにはおもろいんかなこれ。

https://www.cohart.com/yanyanafullizle

https://www.cohart.com/uykucufullizle

https://www.cohart.com/pirilsaklirobotlarfullizle

https://www.cohart.com/olumekosanadamfullizle

https://www.cohart.com/wickediyilikugrunafullizle

Permalink |記事への反応(0) | 04:39

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閃光のハサウェイ

閃光のハサウェイ

今どき夜釣りに使うボートですらかなり性能の良い暗視カメラ付いてるのに

あんな真っ暗な全天周囲モニターガンダム世界技術的にありえないか

続編ではきちんと修正してほしい

ちなみ逆襲のシャアでは生で見る宇宙コックピットから見る宇宙で明るさをきちんと変えてる

https://www.brush.bio/silviosantosvemaiemdublado

https://www.brush.bio/jujutsukaisenexecucaoemdublado

https://www.brush.bio/mauriciodesousaofilmeemdublado

https://www.brush.bio/otelefonepreto2emdublado

https://www.brush.bio/avatar3emdublado

Permalink |記事への反応(0) | 04:38

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anond:20251124025234

マリオは元々ドンキーコング世界の人やで

Permalink |記事への反応(1) | 03:02

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閃光のハサウェイ

今どき夜釣りに使うボートですらかなり性能の良い暗視カメラ付いてるのに

あんな真っ暗な全天周囲モニターガンダム世界技術的にありえないか

続編ではきちんと修正してほしい

ちなみ逆襲のシャアでは生で見る宇宙コックピットから見る宇宙で明るさをきちんと変えてる

Permalink |記事への反応(0) | 02:32

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主人公理由って必要か?

https://x.com/sakanamaza/status/1992054294833738165?s=46


このツイート引用を見て思ったことだけれど、主人公主人公らしい行動をするのに「主人公から」以外の理由必要か?

かに主人公にも家族がいて、故郷があって、大切な人がいるかもしれない。でも何かのために己を犠牲にしてでも頑張ることができるから主人公なんじゃないか? そこに理由とか説得力とか必要か?

何にでも理由がないといけない時代が来たのか?


例えばよくあるRPGでは、主人公は村の生まれ勇者に選ばれて魔王を倒すために冒険をする。その主人公にも家族がいて、村という故郷があって、死にたくない理由がある。それでも危険魔王討伐の冒険に向かう。

その理由主人公からだ。「自分、死にたくないんで魔王討伐行きません」なんて言うやつはまず主人公にはなれない。そのキャラクターによるストーリーは始まることはない。村で普通に生きて普通に死んでいく。そんなつまらないお話を遊ぶ奴も作る奴もいない。


まず主人公に「主人公らしさ」がないと物語が始まらないんだよ。だから主人公主人公らしい行動をする理由は「主人公から」で十分なんだよ。

いるか理由が、説得力が。魔王討伐に向かう勇者の言う「世界を救いたい」に対して「でもこの勇者には大切な人たちがいるよね? それなのに命を賭けるなんて普通じゃありえなくない?」なんて思うこと自体、野暮すぎる。主人公なんてみんな普通じゃなくて当然だ。なのになんでそこにリアル心理を持ち込むんだ。助けられるかもわからないのに火事に巻き込まれ子供のために燃えさかる建物に突っ込むような奴が主人公なんだよ。


これが当たり前になって、主人公可哀想過去とかその行動をする理由かいちいち描写されるようになったら、その方が萎える。理由がないと人助けをしちゃいけないのか?ゲームでくらい綺麗事を見せてくれよ。

もしくは主人公理由必要な奴は自分でそれっぽいのを考察して決めろ。ゲーム側に行動理由を求めるな。

Permalink |記事への反応(2) | 02:27

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世界征服」とか「領土を広げよう」とする権力者って小学生よりも頭悪いの?

俺は小学生の頃に世界地図を見ていて、なぜこれだけの数の国と国境があるのか不思議に思った。

もし世界弱肉強食で成り立っているのであれば、1000年もあればいずれかの国の政府世界統一しているはずである

なのに未だに世界は、現在では196カ国と非常に多くの国があり、国境を分けてこの地球の地表にて住み分けをしている。

もちろん過去には滅んだ国もあれば、国土の増減もあっただろう。モンゴル帝国のような世界支配しかけた国もあっただろう。

しかし、そのどれもが道半ばで弱体化したり、内部分裂によって崩壊して元の「ちょうどいい国境」へと戻っていった。

これが何を示すのかというと、その土地性質ごとに、その土地国民性質が大きく異なっているということだ。

例えばエスキモー赤道直下黒人と同じような生き方をできるわけがない。

彼らを同じ文化圏法律生き方統一するなんて不可能だ。

まりは、その土地生活様式の中でしか国家というのは成立しない。

例え侵略して征服することができても、アメリカ合衆国日本州、中華人民共和国日本省となったとしても、

遠い未来では全く生活様式の違う本国と内部分裂を起こして崩壊する未来しかない。

しかし今現在権力者たちは「俺は違う」という認知バイアスを起こして征服しようと非常に無駄努力税金と国力を使っている。

なぜ、この当たり前の真実もっと世界は広めようとしないのか?

と、当時の子供の頃の俺は結論に至り、今も戦争権力者たちの正義だの悪だの最新兵器だのを冷ややかな目で見ている。

そこに永遠はないし何の真理もないのに溺れる者たちは何を考えているのだろうか?

Permalink |記事への反応(1) | 02:24

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原作2012年アニメ2013年ともに、世間認識は「ゼロカロリーコーラ=黒い缶」だった。

では、なぜアニメで「黒い缶」が描かれたのか?

もこっちが健康志向ゼロカロリーコーラを選んだ……というよりは、もっと単純な「大人の事情商標配慮)」と見るのが自然だ。

アニメで「赤い缶」をそのまま描いてしまうと、誰が見ても世界ブランドであるコカ・コーラ商品だと認識してしまう。

フィクション作品において実在商品商標をそのまま出すことは権利関係リスクを伴うため、色やデザイン意図的に変えて「あくま架空炭酸飲料です」のようにするのが業界の通例だ。

スタッフが「赤だとマズいから、中身の色に合わせて黒っぽい缶にしておこう」という処理をした結果、「当時のコカ・コーラゼロデザインと偶然かぶってしまった」というのが真相ではないだろうか。

視聴者投稿者)には「ゼロだ!」と認識され、その結果「ゼロなのにアリが来るのはおかしい」という科学的な矛盾が生じてしまったわけだが、10年以上前の「黒い缶」デザイン全盛期ならではの面白い現象だといえる。

https://www.cohart.com/mastiii4hinddidubb

Permalink |記事への反応(0) | 01:55

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テッド・チャンの「息吹」の面白さが分からなかった

SFにあまり触れたことがなく、評価が高かったので入門にと思って読んだが全然面白くなかった。

世界観を前提としたストーリーが展開されるのを期待したが単に滅びを迎えるだけ。

物理法則世界の形が違っても最終的に熱的死に到達すると言っているにすぎず、意外性が全くない。

SF好きにはおもろいんかなこれ。

Permalink |記事への反応(0) | 01:52

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【なぜ働くと本が読めなくなるのか】一番売れた新書への違和感

「なぜ働くと本が読めなくなるのか」2024年最も話題となった書籍の一つ。友人と話していると、同書は非常に危険な本だと話になる。新書からキトーに読んでいる気付かないのだが、マトモに読むと「半身で働く」という主張に至る過程論理の飛躍があるからだ。

加えて、三宅書籍モヤモヤするのは、彼女著作問題というより、出版業界全体が抱える“退行の空気”が透けて見える。本来批評とは対象を切り離し、構造を浮かび上がらせる作業のはず。「斜陽産業」の出版業界は、読者層を広げるために知的ハードルをどんどん下げ、「本にしなくてもいい内容」を巧みな営業戦略で売りまくる世界になってしまった。

論理構造より、“共感”や“エモさ”。そうした市場環境の中で、『なぜ働くと本が読めなくなるのか』のようなお気持ちエッセイが主流になるのは必然だ。

問題は、その本が社会構造分析をしているように見せかけながら、突然「本が読めないのは社会が悪い」という感情論ジャンプする点だ。書籍の大部分を占める読書社会人の近代史パート(9章くらいまで?)

はどう読んでも「半身で働く」の根拠になり得ない。提言だとしても、提言をするだけの根拠が前文には書いていない。。こうなると、構造を論じているようでいて、じつは個人感情物語に回収されているだけで、「社会がない」と批判されるタイプの語りに近い。

さらに「半身で働く」という提案は、階級的な前提をあまり無視している。映画花束みたいな恋をした」を引用して田舎出身労働者・麦くんが本を読めなくなっていく過程記述しているが、はっきり言って世の中の麦くん化している社会人に失礼だ。

現実に半身で働けるのは、富裕層家庭出身者、ホワイト企業勤務者、配偶者扶養に入れる人(その多くは事実上女性だ)など、ごく一部に限られる。つまり映画「花恋」でいうところのヒロインちゃんだけだ(親が大企業、都会に実家定職につかなくても生きていける、好きなことだけして生きていきたい)。

一般的労働者が週5日・フルタイム構造から抜けるのはほぼ不可能で、そんな生き方が“みんなが選べる選択肢”かのように語られると、不公平と言わざる得ない。

その社会構造自体おかしいと主張したいのであれば、大部分の都市サービス享受すべきではない。インフラを維持する人々の労働あってこそ、「半身で働く」ことは可能になるからだ。

そうした現実に目を向けず、都市部の特権けが享受可能理想論大衆に説く。ここにはグロテスクしか言いようのない欠陥構造がある。

また、三宅が語る「批評文体をひらく」も、実際には論理の緩和=読者への迎合になってしまっている。例えば、同じ言葉生業にするジャーナリズムでは誤りは許されない。5W1Hや誰が何を言ったかを間違えて報道すれば即座に批判殺到する。(近年のオールドメディアに対するヘイトはその裏返し。合っていて当然のものが一部フェイク化したか批判されている。そもそもフェイクや根拠不十分なら叩かれないで済む)

批評は「論証できないけど感覚で書く」が成立する世界でいいのか。かつてのジャーナリズム批判が担っていたのは理路整然の文章大衆に届けることではないのか。論理の飛躍があっても共感(=いいねが取れる)できるなら読者層を広げるために知的ハードルをどんどん下げてもいい。売れるなら「本にしなくてもいい内容」を本にしていい。これが国民知る権利を盾に商売をする出版業界で許されていいのか。

これは批評民主化ではなく、文化が“推し活”に吸収されていくプロセスだ。文化人が読者の機嫌を損ねない戦略を取ると、批評はどんどんお気持ち表明コンテンツへ変質していく。自分の好き・推し言語化するツール批評が成り下がると、推し肯定する言説しかまれなくなる。批評とは本来対象をそれ以外のものから切り離し、特異であることを浮かび上がらせる作業のはずだ。その点において共感を求めるスポーツ音楽ライブの一体感とは真逆にある。消費者感情におもねる批評でいいのだろうか。

出版とは、知を鍛える公共財だ。だからこそ独占的な販売方法が許容されている業界だ。しかし今は、情緒共感を売りにして市場縮小を乗り切ろうとしている。「共に賢くなる」ための活字文化が、「共感」のツールに成り下がっている。

批評論理を疎かにし、読者の気持ちに寄りかかり、階級現実曖昧になる。事実上「半身で働く」ことができない人々に対して、「半身で働く」特権階級のよさを説くというのは、パンがなければケーキを食べればいいと言っているのと同じだ。

批評共感同調を求めるものではない。徹底した差別化と切り離しの営みだ。

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【なぜ働くと本が読めなくなるのか】一番売れた新書への違和感

「なぜ働くと本が読めなくなるのか」2024年最も話題となった書籍の一つ。友人と話していると、同書は非常に危険な本だと話になる。新書からキトーに読んでいる気付かないのだが、マトモに読むと「半身で働く」という主張に至る過程論理の飛躍があるからだ。

加えて、三宅書籍モヤモヤするのは、彼女著作問題というより、出版業界全体が抱える“退行の空気”が透けて見える。本来批評とは対象を切り離し、構造を浮かび上がらせる作業のはず。「斜陽産業」の出版業界は、読者層を広げるために知的ハードルをどんどん下げ、「本にしなくてもいい内容」を巧みな営業戦略で売りまくる世界になってしまった。

論理構造より、“共感”や“エモさ”。そうした市場環境の中で、『なぜ働くと本が読めなくなるのか』のようなお気持ちエッセイが主流になるのは必然だ。

問題は、その本が社会構造分析をしているように見せかけながら、突然「本が読めないのは社会が悪い」という感情論ジャンプする点だ。書籍の大部分を占める読書社会人の近代史パート(9章くらいまで?)

はどう読んでも「半身で働く」の根拠になり得ない。提言だとしても、提言をするだけの根拠が前文には書いていない。。こうなると、構造を論じているようでいて、じつは個人感情物語に回収されているだけで、「社会がない」と批判されるタイプの語りに近い。

さらに「半身で働く」という提案は、階級的な前提をあまり無視している。映画花束みたいな恋をした」を引用して田舎出身労働者・麦くんが本を読めなくなっていく過程記述しているが、はっきり言って世の中の麦くん化している社会人に失礼だ。

現実に半身で働けるのは、富裕層家庭出身者、ホワイト企業勤務者、配偶者扶養に入れる人(その多くは事実上女性だ)など、ごく一部に限られる。つまり映画「花恋」でいうところのヒロインちゃんだけだ(親が大企業、都会に実家定職につかなくても生きていける、好きなことだけして生きていきたい)。

一般的労働者が週5日・フルタイム構造から抜けるのはほぼ不可能で、そんな生き方が“みんなが選べる選択肢”かのように語られると、不公平と言わざる得ない。

その社会構造自体おかしいと主張したいのであれば、大部分の都市サービス享受すべきではない。インフラを維持する人々の労働あってこそ、「半身で働く」ことは可能になるからだ。

そうした現実に目を向けず、都市部の特権けが享受可能理想論大衆に説く。ここにはグロテスクしか言いようのない欠陥構造がある。

また、三宅が語る「批評文体をひらく」も、実際には論理の緩和=読者への迎合になってしまっている。例えば、同じ言葉生業にするジャーナリズムでは誤りは許されない。5W1Hや誰が何を言ったかを間違えて報道すれば即座に批判殺到する。(近年のオールドメディアに対するヘイトはその裏返し。合っていて当然のものが一部フェイク化したか批判されている。そもそもフェイクや根拠不十分なら叩かれないで済む)

批評は「論証できないけど感覚で書く」が成立する世界でいいのか。かつてのジャーナリズム批判が担っていたのは理路整然の文章大衆に届けることではないのか。論理の飛躍があっても共感(=いいねが取れる)できるなら読者層を広げるために知的ハードルをどんどん下げてもいい。売れるなら「本にしなくてもいい内容」を本にしていい。これが国民知る権利を盾に商売をする出版業界で許されていいのか。

これは批評民主化ではなく、文化が“推し活”に吸収されていくプロセスだ。文化人が読者の機嫌を損ねない戦略を取ると、批評はどんどんお気持ち表明コンテンツへ変質していく。自分の好き・推し言語化するツール批評が成り下がると、推し肯定する言説しかまれなくなる。批評とは本来対象をそれ以外のものから切り離し、特異であることを浮かび上がらせる作業のはずだ。その点において共感を求めるスポーツ音楽ライブの一体感とは真逆にある。消費者感情におもねる批評でいいのだろうか。

出版とは、知を鍛える公共財だ。だからこそ独占的な販売方法が許容されている業界だ。しかし今は、情緒共感を売りにして市場縮小を乗り切ろうとしている。「共に賢くなる」ための活字文化が、「共感」のツールに成り下がっている。

批評論理を疎かにし、読者の気持ちに寄りかかり、階級現実曖昧になる。事実上「半身で働く」ことができない人々に対して、「半身で働く」特権階級のよさを説くというのは、パンがなければケーキを食べればいいと言っているのと同じだ。

批評共感同調を求めるものではない。徹底した差別化と切り離しの営みだ。

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2025-11-23

[ゲーム日記]11月23日

ご飯

朝:納豆たまごかけご飯味噌汁。昼:アイス柿の種チョコボール。夜:カレーバナナ。間食:なし。

調子

むきゅーはややー。お仕事おやすみ

城平京虚構推理忍法虚構推理

妖怪幽霊問題解決する知恵の神になった岩永琴子と、人魚とくだんの肉を食べ不死身と未来決定能力を併せ持つ桜川九郎のコンビ活躍する本格ミステリシリーズの第七作目。

人外怪異実在する世界という前提をはった特殊設定ミステリで、もうすっかりお馴染みの構造だ。

そこに加えて、これまたお得意の作中作を利用したミステリが大きなテーマになっている。

明らかに九郎を題材にしたネット小説を巡る因果が、虚構推理全体の縦筋の物語ドンドンと食い込んでいく。

冒頭の大きな謎の提示から、いつもの謎解きだけじゃ終わらなさそうな、物語の脈動が面白かった。

特に今作では作者がデビュー作以降延々と繰り返し描いているモチーフ、神の如き名探偵についての議論がとても進展することになる。

5作目の逆襲と敗北の日で例示された最悪の結末こそ回避できそうなものの、全てが丸く収まるハッピーエンドはいつも通りなりそうもない。

物語の縦筋としては大きな一歩なのだが、作品を跨いだテーマ性の意味では、一周回って同じところに立ち戻って来たような気もする。

かに2人の関係値について一つの結論は出たことになるが、あまりにも救いがなく無情な結末だ。

いやだからデビューから延々と救いがなくて無情な結末を何度も何度も書く人なんですよ、この人は。

瀬川みゆき祈りも、鳴海歩の”あなた“への想いも、赤薔薇の末路も、不破愛花妥協も、真木正輝の未練も結局全部ずっとこうじゃねえか!!!

あーもーさー、流石にそろそろスカッと全部丸く収まるハッピーエンドラブラブチュッチュってして終わりましょうよ!!!!!

頼むって!!! お願い!!! マジで!!!

もう寂しくて悲しい落ち込むストーリーを読むの俺は辛いよ。

正直、作品が売れているのでまだ続く(漫画のみのエピソード小説で収録しないとだろうし)のだろうが、ここでエンドマークが出てもおかしくないだけに、本当にもう読んでて重たかった。

助けてください! もうこの作者の魅力的な男女カップル幸せな結末を見れないと苦しいんです!!

Permalink |記事への反応(0) | 23:56

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12年前からずっと気になっていたこと~アニメ『わたモテ』のアリ描写

X(旧Twitter)を掘っていたら、漫画私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』(わたモテ)に関する、2013年の興味深い考察ツイートを見かけた。

めっちゃたまってる、もこっち消化中。 漫画だと「黒い飲み物」=コーラなんだけど、アニメで「黒い缶のコーラ」になってるんだが、ノンカロリーコーラでもアリって寄ってくるのかな?w— あくあぶるぅ (@aquablew)September 10, 2013

もこっち(黒木智子)がこぼしたコーラにアリがたかる……という描写についての疑問だ。

この「黒い缶=ゼロカロリーコーラ缶」という認識、今となっては失われた製品デザインになりつつあるので、当時の背景整理と、論文に基づいた科学的な回答をまとめておく。

結論:アリはノンカロリーコーラに寄ってくるのか?

まずはツイート主の疑問への回答から

結論から言うと、「科学的には、アリはノンカロリーコーラ人工甘味料)をエサとして認識しないため、漫画アニメのように大挙して群がってくることは考えにくい」。

アリが甘いものに群がるのは、味覚を楽しんでいるわけではなく、コロニーを維持するためのエネルギー源(炭水化物)を求めているからだ。

この点について、昆虫学の分野ではいくつかの研究報告がある。

この点については、昆虫学研究によって「アリは単に甘い味に釣られるのではなく、エネルギー源としての価値を厳格に見定めている」ことが裏付けられている。

まず、Brinkman & Gardner (2001) の実験(*1)では、ヒアリ砂糖水には群がったものの、アスパルテームサッカリンといった人工甘味料水溶液に対しては、ただの水と同じ反応しか示さず、エサとして認識しなかった。

さらに、Roederet al. (2021) の研究(*2)によれば、アリは天然の糖(スクロースグルコース等)の間ですら、「エネルギー効率が良いか」「自然界の主食甘露)に近いか」を基準優先順位をつけるほど、摂取対象シビアに選別している。

まり、本物の糖質ですら選り好みする彼らが、「甘いだけでカロリーエネルギー)が皆無」であるコカ・コーラゼロをエサとみなす可能性は極めて低い。アリの生存戦略において、ノンカロリー食品無視すべき対象なのだ

1: Brinkman, M. A., & Gardner, W. A. (2001). "Acceptance of ArtificialSweetenersby theRed ImportedFireAnt". Journal of Agricultural and Urban Entomology.
2: Roeder, M. K.,et al. (2021). "All sugars ain'tsweet: selection of particularmono-,di- and trisaccharidesby western carpenterants and Europeanfireants". RoyalSocietyOpen Science.

したがって、アニメで「黒い缶(ゼロ)」からこぼれた液体にアリが群がっている描写があるとしたら、それは科学的には誤り(演出上のフィクション)の可能性が高いということになる。

「黒い缶」が黒くなくなったのはいつか?

このツイートの肝は、投稿者が 〈黒い缶=コーラゼロ)〉 と即座に認識している点だ。

2025年現在コカ・コーラゼロは〈赤い缶(黒文字)〉になっており、当時の感覚とはズレが生じている。

では、あの「黒一色の缶」はい消滅したのか?

2007年〜: 発売当初。「漆黒のボディ」がトレードマーク

2013年アニメ放送時): まだ完全に「黒い缶」。投稿者認識は正しい。

2017年: 「ワンブランド戦略」で、黒背景に「赤い円(レッドディスク)」が入る。まだ黒い。

2021年9月(転換点): ここで全国リニューアル。缶の地色が「赤(コカ・コーラレッド)」に変更され、ロゴけが黒になった。

まりコカ・コーラゼロの缶デザインが〈黒色の面積が多くを占めるもの〉でなくなったのは、西暦2021年のことだ。

あのアニメ描写は、2021年以前特有光景ということになる。

時系列整合性と「大人の事情

最後に、作中の時系列を整理して、なぜその描写になったのかを推測する。

以下のWikiを参照した。

喪11 [私モテWiki]

原作漫画

エピソード:喪11モテないし少しだけ占いを信じる」

初出(ガンガンONLINE):2012年1月19日

原作表記:「黒い飲み物

テレビアニメ

エピソード:喪6「モテないし、花火に行く」(原作11の内容を内包

初回放送日(テレビ東京):2013年8月12日

アニメ描写:「黒い缶のコーラ

原作2012年アニメ2013年ともに、世間認識は「ゼロカロリーコーラ=黒い缶」だった。

では、なぜアニメで「黒い缶」が描かれたのか?

もこっちが健康志向ゼロカロリーコーラを選んだ……というよりは、もっと単純な「大人の事情商標配慮)」と見るのが自然だ。

アニメで「赤い缶」をそのまま描いてしまうと、誰が見ても世界ブランドであるコカ・コーラ商品だと認識してしまう。

フィクション作品において実在商品商標をそのまま出すことは権利関係リスクを伴うため、色やデザイン意図的に変えて「あくま架空炭酸飲料です」のようにするのが業界の通例だ。

スタッフが「赤だとマズいから、中身の色に合わせて黒っぽい缶にしておこう」という処理をした結果、「当時のコカ・コーラゼロデザインと偶然かぶってしまった」というのが真相ではないだろうか。

視聴者投稿者)には「ゼロだ!」と認識され、その結果「ゼロなのにアリが来るのはおかしい」という科学的な矛盾が生じてしまったわけだが、10年以上前の「黒い缶」デザイン全盛期ならではの面白い現象だといえる。

Permalink |記事への反応(0) | 23:50

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anond:20251123231808

いよいよ日本アルゼンチン化するのか

ドル円10万円の世界

Permalink |記事への反応(0) | 23:21

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