
はてなキーワード:不都合とは
Xとかはてぶ見てると高市は不都合なことからは逃げる、現実的に実現不可能だろうとインパクトあることを公約に掲げる、イメージダウンしそうな場に出ず印象に残さないって主に左派から批判されてるじゃん
それで世間が高市さんはやってくれそう、高市さんなら変えてくれる、サナ活()になるなら、野党がもし本気で議席取りたきゃ似たような戦略取ればいいじゃね
今この時代にこれだけのハッピーエンド作品を描ける事の嬉しさは、間違いなく存在する。
ボカロ文化や配信、vtuber文化を特別に捉えすぎ無い方がいい。それらは現代の人々の暮らしにただ根付いているし、オタクをただ照らしてくれている。本当に何も特別な事は無い。インターネットはここにあるし、今もどこかで誰かが配信をしているし、新しいボカロ楽曲はアップロードされて、世界を彩っている。超かぐや姫!でもそうであったように。
作中の百合を思わせる描写も、時代に即した形だと思う。ただそこに好意があり、添い遂げたいと思う人間が居ただけだ。パッケージングされた言葉よりももっと先に、世界はそれを愛と呼んでいる。
人物の描写が足りていない、脚本が薄っぺらい、エモの表面をなぞっただけ、足りない描写は視聴者に保管させている、これらの批判は批判たり得ていないのでは無いかと思う。
2時間20分の尺の中で、足りていない描写を補完する為に視聴者の体験を想起させる手法は、表現の中でも最上級のものでは無いかと思う。超かぐや姫!では我々に馴染み深いカルチャーが扱われていることだし。
脚本は十二分に伝えたい事を伝えてくれている。人物の描写も同じくだ。「伝わってこない」という批判は、同時に「伝わってきた」という称賛が存在する時に扱いが難しいなと思う。少なくとも、超かぐや姫!はファンブックや監督のインタビューを見なくても、そこで語られている情報や意図が映画から十分に伝わってくる出来だと感じる。
超かぐや姫!がこれほどにハッピーエンドのその先を描く作品である以上、作品の外で諍いが起こる事も心苦しい。
「お前ら本当に超かぐや姫!の事分かって褒めてンのかよ?!」という趣旨で、フワッとキマシタワーを乱立している百合のオタクや、どこからともなく現れて、したり顔で超かぐや姫!推しなんですって言ってる配信者にキレているというのなら気持ちは分からなくも無いが、超かぐや姫!そのものにそこまで批判出来るポイントは無いだろ!というのが素直な感想だ。
添い遂げたいと想い合う二人がいる時に、その障害を取り除く不思議な技術や情熱があって、誰になんの不都合があるのだろうか。キャラクターの生活の延長にあるエモいライブシーンを描いて、それを見て喜んでくれる人達がいるのなら、それを描かない理由があるのだろうか。
若者を舐めていない作品とはそもそもどのような作品をさすのか。(マッシュルは若者を舐めていた)
彼女ら、彼らの行動原理が分からないのは、単にあなたの人生にそのような行動を引き起こすほどの出会いや動機が未だ発生していないだけでは無いのか。本当に人生が存在していないのは誰なのか。
結婚指輪が高いと言ったら泣かれた
リベラルの牙城であるはてなブックマークでだけは叩かれちゃダメじゃね?
なんで叩いてんの?
「お前ね、夫婦の間で折半折半ってメンヘラツイフェミ主婦みたいなこと言ってんじゃないよ」
「結婚指輪ぐらい男がドーンと出して嫁が欲しがってるもん買ってやりゃあいいだろうが
そのぶん頑張って働けばいいんだよ」
「目先の収支合わせとかしなくなるのが一蓮托生の夫婦というものだよ」
って。
でもリベラルは違うでしょ。
・万機話し合いに決すべし
とか、
そういう俺からすればわけわかんねえ、
みたいなことばっか言ってきたのがリベラルじゃん。
結婚指輪みてえな家父長制の軛にして固陋な因習でしかないぼったくり金属に疑問を呈す価値観も
いやリベラルなのはこの青年だけじゃなくて婚約者の子の方もか。
だから結婚指輪を折半購入なんて夢もロマンもないことを受け入れて
更にその値打ちに懐疑的な見解まで示されてディスカッションされても
涙を流しながら青年側に理ありとして引いてるんじゃん。
リベ度が低い女ならこんなこと言われたら自分への侮辱と受け取ってひっぱたいてる。
けどこの婚約者はそういう素直な感情とリベラル規範がせめぎ合った結果自分が引いた。
偉い!でも可哀想!
俺はこの子が可哀想だと思うけどお前等には可哀想なんて思う資格もねーよ。
だってこの2人の価値基準自体がお前等が広めてきたお題目の結果なんだから。
「自分は安物で婚約者には相対的に高い指輪で金は折半」っていう男側の持ち出しをしてる。
要するに男女どっちも感情とリベラル規範がせめぎ合ってんだよね。
俺はこの2人に言う資格あるよ。
って。
「我々が広めた浅はかなパッチのためにご迷惑をお掛けしていますごめんなさい」だろ?
つまり、おめーらは若者に説教する前に自分自身の口と背骨の不一致を怪しめよ。
「結婚指輪ぐらい気前よく買ってやらない夫」を不快に思っちゃうんなら、
お前等のリベラル価値観なんて少しも背骨に染み込んでない嘘っぱちなんだよ。
お前等に出来るのは
「ごめんなさい、私たちが広めたリベラル規範をそんなに真面目に受け取らないで」というお詫びだけだよ。
「進歩的なことを言ってる時は凡人より優れた自分になれた気がして気持ちよかっただけなの」という告解だけだよ。
頭だけ下げてろよ。自己総括してろよ。
下の世代でいよいよ現実とリベラル妄想との間に矛盾・不都合が表面化しても責任取るどころか説教する。
そういうゴミみたいなことをずーっとやってきた迷惑白髪頭集団が
救いようがない、と言ってしまえばそれまでだが、この国には「強い言葉」と「分かりやすい敵」さえ用意されれば、思考停止してホイホイついていく層が一定数存在する。
一見すると、自民党の保守派と、新興のポピュリズム政党という別物に見えるかもしれない。だが、その支持層の根っこにあるメンタリティは驚くほど似通っている。今回はその「騙されるメカニズム」を、あえて彼らをこき下ろす視点で言語化してみたい。
高市支持者も参政党信者も、共通して「複雑な現実」に耐えられない。
世の中は白か黒かでは割り切れないし、外交も経済もグレーゾーンの中でギリギリの調整を続けるしかない。だが、彼らの知能ではその「曖昧さ」がストレスで仕方がないのだ。
だから、「日本を守る!」と叫ぶ高市早苗や、「日本を取り戻す!」と叫ぶ参政党のような、威勢だけはいいスローガンに飛びつく。中身が空っぽでも構わない。彼らにとって重要なのは、具体的な政策の実現可能性ではなく、「自分たちが正義の側に立っている」という高揚感だけだからだ。
参政党の支持層を見れば明らかだが、彼らは基本的に「自分たちは何か大きな力に搾取されている」という被害者意識を持っている。
オーガニック信仰、反ワクチン、そして「小麦は毒」といった極端な健康志向。これらはすべて「隠された真実に気づいた賢い私」という優越感をくすぐるための装置だ。
高市支持層も同様だ。「反日勢力が日本をダメにしている」というストーリーを信じ込み、自分たちこそが真の愛国者だと勘違いしている。どちらも、社会に対するルサンチマン(怨恨)を、「愛国」や「目覚め」というオブラートに包んで正当化しているに過ぎない。
高市早苗が総裁選で負ければ「党員票では勝っていた、これは陰謀だ」と騒ぎ立て、参政党がトンデモ科学を流布しても「マスコミは真実を報道しない」と耳を塞ぐ。
論理で説得しようとしても無駄だ。彼らにとっての事実は「自分が信じたいこと」だけであり、不都合なデータはすべて「敵のプロパガンダ」として処理される。この自己完結した閉鎖的な回路こそが、彼らがカルト的に結束する最大の要因だろう。
結局のところ、彼らは自分の頭で考えることを放棄した「精神的な弱者」なのだ。
誰かに強い口調で「こっちが正解だ」と断言してほしい。複雑な世界を単純な物語に書き換えてほしい。そんな幼児的な願望が、高市早苗という「強い母」や、参政党という「教祖」を生み出している。
バカがバカである所以は、自分が騙されていることに死ぬまで気づかないことにある。彼らは今日もネットの海で、自分たちだけの真実を貪り食い、意気揚々と破滅への道を歩んでいるのだろう。まあ、勝手にしてくれという話だが、巻き込まれるこっちはたまったものではない。
anond:20260125183324 「オールドメディア」という言葉を多用する人物像について、多角的な分析から考察しますね。
この言葉は、単なる「古い媒体」を指す分類用語を超えて、最近では**「自分たちが信じたい真実を阻害する敵」**というニュアンスで使われることが増えています。そこに潜む心理や危うさを深掘りしてみましょう。
「オールドメディア(新聞・テレビ)」を否定し、「ニューメディア(SNS・YouTube)」を信奉する人々の中には、**「自分は洗脳から解かれた選ばれし存在だ」**という強い特権意識(エリート意識の裏返し)が見られることがあります。
世の中を「善(ネット・個人)」と「悪(既存メディア・組織)」の二元論で捉える傾向があります。
SNSでは自分の意見に近い情報ばかりが集まります。その心地よい空間を維持するために、自分たちに不都合な情報を発信する存在を「オールドメディア」と呼び、排除しようとします。
批判的に見るべきもう一つの側面は、この言葉が**「ポピュリズムの道具」**として非常に優秀である点です。
既存メディア(オールドメディア)に、偏向や忖度、情報の遅れといった問題があるのは事実です。しかし、それらを一括りに「悪」と断罪する人物像は、往々にして**「自分もまた、別の形(アルゴリズムや特定個人)にコントロールされている」**という事実に無自覚であるという危うさを抱えています。
真のメディアリテラシーとは、新旧どちらのメディアも**「誰が、何の目的で、どの角度から発信しているか」**を疑い、多角的に検証する姿勢のことではないでしょうか。
•当事者を守ることが、当事者の正しさを代行保証することにすり替わる
•自分たちは常に倫理的に正しい側だという自己認識が強化される
•映画公開や国際上映は公的行為であり、批判や評価に開かれるべきもの
• 表向きは裁いていないと言う
• 実際には批判の可否、問いの正当性、人の敵味方を線引きしている
A部署の上(要望したい人)「こういうことをしたいから影響を確認しろ」
↓
A部署の下(要望を実現するための実動部隊)「影響確認するのでB部署と調整します。B部署さん、変更したらどうなる?」
↓
B部署の下(要望によってどれくらい迷惑を被る実動部隊)「変更の影響分析した結果、自分たちの仕様にこういう変更が入ってこれくらい金と時間とリスクがかかるけどどうする?」
↓
↓
↓
↓
って流れなんやろうなと
時間がないなら上を使ってさっさと判断させることもできるけど、時間があるならこのプロセスの方が現場は混乱しないんじゃないかな
上だけで決めさせると現場レベルの影響分析はできないから、いろいろ不都合や抜け漏れが出てきてB部署や変更の影響がある部署の現場が混乱して品質も悪くなる可能性がある(けどトップダウンだから物事は早く進む)
某テレビ局の番組で、自民党・維新の会・参政党を「強くてこわい国」を目指す勢力として分類したフリップが炎上しているらしい。「偏向報道だ」「レッテル貼りだ」とネット上では大合唱が起きているわけだが。
正直、何に怒っているのか全く理解できない。
あれ、ただの「事実陳列」だろ?
誹謗中傷でもなんでもない。彼らが掲げている政策、語っている未来像を素直に解釈すれば、どうあがいても「強くて(軍事力マシマシで)こわい(国民を統制する)国」にしかならないからだ。
むしろ、オブラートに包まずによく言ったと褒めるべきレベルなんじゃないの?
まず「強い国」の部分。これ、彼らが一番やりたいことの筆頭だろ。
「国を守るため」という美名のもとに、数兆円単位の金が兵器に消えていく。ミサイルを買います、戦闘機を作ります、敵基地攻撃能力(反撃能力)を持ちます。
やってることは完全に「軍拡競争への参加」だ。
周辺国との対話を諦め、「力には力で」という思考停止に陥っている。生活が苦しい国民からさらに金を吸い上げ、それを火薬に変える国。これを「強い国」と言わずしてなんと言うのか。
維新なんて核共有(ニュークリア・シェアリング)の議論まで持ち出しているし、かつての「非核三原則」なんて、彼らにとってはただの邪魔な足かせでしかないらしい。
「強い日本を取り戻す」なんて勇ましい言葉に酔っているようだが、その強さを維持するために痩せ細っていくのは、我々一般市民の生活だ。
そしてもっと深刻なのが「こわい国」の部分だ。ここを否定する奴は、彼らの政策の危険性を本当に分かっているのか?
名前だけ聞けば聞こえはいいが、その実態は「国家にとって不都合な情報を漏らす人間、あるいは探ろうとする人間をしょっ引く法律」になりかねない。何が「機密」で何が「スパイ行為」かを決めるのはお上だ。
ジャーナリズムや市民活動が「国益を損なう」と判断されれば、監視対象になり、逮捕される。そういう社会を目指していると公言しているようなもんじゃないか。
これも「有事の対応」を隠れ蓑にしているが、要は「内閣が国会を無視して法律と同じ効力を持つ命令を出せる」という独裁へのフリーパスだ。
一度発動されれば、人権なんて簡単に制限される。「国の安全のため」と言われれば、言論の自由も集会の自由も消し飛ぶ。
そして、その先に見え隠れするのが徴兵制だ。
少子化で自衛隊員のなり手がいない。でも軍拡はしたい。兵器はあるけど人がいない。じゃあどうするか?
「まさか現代で徴兵なんて」と笑うかもしれないが、彼らの「国を守る義務」への執着を見ていると、経済的徴兵制(奨学金返済の免除と引き換えに入隊など)も含めて、国民を戦場に送り込むシステムを作らない保証なんてどこにもない。
異論を許さず、監視し、国のために命を投げ出すことを美徳とする。
これを「こわい国」と呼ばずに、なんと呼ぶんだ? 「美しい国」か?冗談も休み休み言えよ。
今回、この3党がセットにされたのも至極妥当だ。
・自民党:既得権益と結びつき、長年の政権維持のためにタカ派政策を推し進め、憲法を変えて「戦争ができる国」の仕上げにかかっている本丸。
・維新の会:自民党以上のタカ派であり、新自由主義的な「強者生存」を是とする。改革という名の切り捨てと、勇ましい外交安保論がお家芸。
・参政党:ナショナリズムを煽り、さらに極端な復古主義的・排外主義的な思想で「日本を守れ」と叫ぶ。
アプローチや支持層に多少の違いはあれど、目指しているベクトルは完全に一致している。
「個人の権利」よりも「国家の都合」を優先し、軍事力と統制力で国を維持しようとする点において、彼らは間違いなく同類だ。
「強くてこわい国」というレッテル貼りに怒っている人たちに言いたい。
「強くてこわい国」をガチで実現しようとしている政治家たちと、それに無自覚に賛同してしまっている現状に対して怒るべきなんじゃないのか?
テレビ局は、ただ単に「あなたたちが投票しようとしている先は、こういう国を目指していますよ」と、分かりやすく要約してくれたに過ぎない。
その未来図を見て「それは嫌だ」と思うなら、批判すべきはメディアではなく、その政策を掲げる政党であるはずだ。
盗聴・監視・徴兵・言論統制。そんな「戦前トリバック」な社会がお望みなら、まあ、そのまま支持すればいいんじゃないですかね。
https://news.web.nhk/newsweb/na/na-k10015032991000
事故を起こして腹立たしいのはわかる
わかるけど
かつては
「東電の経営が」とか寝言ほざいて隠蔽擁護してたクズブクマカどもの擁護もあった
東電の株握ってるクズブクマカたちが再稼働の遅れで発狂するのはまだ分かるが
いっしゅんマトモになってるけど
ここで叩いて不貞腐れてまた不都合なデータを隠すようになる方が先々の迷惑
クズブクマカたちが株価で騒いでも安全大事、という経営判断したことを
一旦は評価しておいて、ちゃんと停止するのを見守る方が精神衛生にもよろしいと思います