
はてなキーワード:不眠不休とは
国民諸君、誠に多くの同志諸君と共に、帝国自民党の新たなる聖戦の幕開けを迎えたのであります。謹んで感謝申し上げる次第であります。
まず、これまで誠に、衆参共に少数与党という困難極まる戦況の中、忍耐に忍耐を重ね、野党諸氏とも真摯に対峙され、苦闘を続けられ、また、昨年の総裁選挙の折に強く主張しておられた防災庁の設置、地方創生に大いなる活路を開いて下さった石破総裁閣下に、心より敬意と感謝を捧げるものであります。
私は今、喜びというよりも、真にこれより先が総力戦であると心得ております。諸君と共に挙国一致、力を結集して為すべきことが山積しております。
多くの政策、それも迅速果敢に実行せねばならぬ課題が山ほどございます。そして、諸君と共に、自民党を一層気概に満ちた党に鍛え上げる。多くの国民の不安を希望に変える、その為の奮闘もまた必要であります。
故に全員が奉公の精神で働いていただきます。滅私奉公、不眠不休で働いていただきます。
欲しがりません勝つまではの精神で、働いて働いて働き抜いて参る所存であります。
諸君におかれましても、お国の為、また自民党再建の為、それぞれの持ち場において全力を尽くされますよう、心より御願い申し上げます。
そして、これより私は謙虚に職責を全うして参りますので、諸賢の御指導御鞭撻を賜りますよう、伏してお願い申し上げます。誠にありがとうございました。
私は猫が大好きだ。とてもかわいいからだ。Xのおすすめに出てくるかわいい猫の画像を見て毎日大喜びしている。
しかし私は猫を飼いたくない。きちんと世話ができないと思う。ペット可の住居に住めるような経済的甲斐性もない。ズボラだから掃除もろくにせず家が毛だらけで臭くなると思う。心が弱いので猫の欲しがるままにあげてはいけない食べ物を与え寿命を縮めてしまうと思う。ブラッシングをちゃんとやらずみすぼらしい身なりにさせてしまうと思う。甘やかしてしまってろくに躾もできないと思う。だから飼わない。
私は猫を愛しているが、猫を欲しいとは思わないし、高確率できちんと世話できない。だから飼わない。それが私なりの猫の愛し方である。
みんなこう書けば理解してくれると思う。
ところがこの対象がヒトの子供となっただけで人間は簡単にバグってしまうのだ。
子供を好きな人は子供を欲しがるしきちんと世話できる。子供が嫌いな人は子供を欲しがらないしきちんと世話もできない。そのどちらかだと思っている。
だからバグった人間は子供を欲しくない人間を説得して欲しい気にさせたら愛情も抱くしきちんと子育てもすると勘違いしている。
いま現在子供をきちんと世話できていない(ように見える)親は全員子を持つべきでなかった親の欠陥品で、子に対する愛情もまがいものだと勘違いしている。
実際は逆なのだ。子供を過去から現在に至るまでずっと愛していて、欲しくて作ったのに、子育ての環境に疲弊してきちんと子育てできなくなってしまう例の方がずっと多いのだ。
ブラック企業で不眠不休で働かされたりパワハラを受けまくって脳みそが壊れてしまう人のことは理解できても子育てで脳が壊れてしまう人の存在は理解できないのだ。
(だってきちんとお世話できなかったってことは子供を愛してなかったってことでしょ?)
子育ての当事者たる親すらバグっていたりする。「自分は子供を愛しているし欲しくて作ったのできちんと子育てをできている/いた」と勘違いしていたりする。当の子供にとって全くそうではなくても。
子育ての当事者であった子供もバグっていたりする。「うちの親は自分の面倒をきちんと見てくれたので、自分を欲しくて作ったし愛してくれているはずだ」と。
子供にそう聞かれたら、まともな親は内心がどうであれその通りだと答えるしかないだろう。
しかし本当のところは親本人以外の誰にもわからない。愛しているのにきちんと世話をしなかったり、愛していないのにきちんと世話をしたり、欲しくて作ったのに虐待したり、欲しくないのにできてしまった割には大事に育てたりしているので他人にはわからない。
もし私の同居家族の誰かが猫を飼いたがったとして、私は前述の理由で猫を飼う事を拒否するだろう。
「ペット可の家に引っ越して、不自由のないように自分でお世話ができるならいいよ。私にはそんな家を借りるお金がないし面倒もみられない。私がやる羽目になったら猫を汚い家でほったらかしにして躾もろくにせず早死にさせてしまうと思う」と理由を言うだろう。
ペットを飼うなら当然の心構えだろうし猫を飼っている皆さんだって賛成してくれるだろう。飼うならば猫が死ぬ最期の時まで、介護まで含めて世話できないなら飼わないのがルールだ。
ところがこれがヒトの子となると多くの人がバグり、私の発言は猫を汚い家で躾もろくにせず虐待死させる旨の犯行予告だと読み違えられる。
私は同居家族に対する愛情の欠けた人でなしで、異常かつ極端な発言をする人でなしで、猫を愛する資格もない人間失格の人でなしとみなされる。
ヒトの命は猫のそれと同じかより重いはずだろうに、ヒトの命の方が猫の命よりも軽率に扱う事を是とされるのもおかしな話だと思うのだが、どういうわけかそういう事にはならない。
子供が好きで、子供が欲しいし、子供をきちんと世話できると思うなら何よりだ。時に誰かに頼るのも大いに良い。よい親子関係を築いて欲しい。
子供が嫌いだから子供を欲しくないし、きちんと世話をできるとも思っていない。それも何よりだ。無理に子供を作って互いに不幸になることはない。
こういう例はわかりやすいのでまだいい。
子供好きで子供が欲しいというのになぜか世話は他人にやらせる前提でいることも、
子供が嫌いで子供を欲しくないのになぜか産んで世話をちゃんとしろと強要されることも、
子供好きで子供を欲しくて授かったのに世話をきちんとできずに苦しむことも、
子供が嫌いなのに子供を授かってしまってまともに世話もせず子供を苦しめることも、
子供を欲しくて授かったのだから自分はきちんとした親だと勘違いしていることも、
タイトルに書いた3つの要素は全部独立した別々の事例なのに、そこに都合よく連動を見出してバグることこそが不幸の源なのだ。
自分は子供を愛せるか。愛しているか。自分は子供を欲しいか。自分は子供をきちんと世話できると思うか。できていると思うか。
その独立した3つの項目と向き合うのは人が親となる前提条件ではないか、そうでない人間に親となる資格があるものかと考えていたこともある。
そうでない人間がいまだ世に多いことは別段驚きではない。昔はそんな人間ばかりだった。そんな人間でも親となるのが半ば義務であった。
肉体的にももちろんつらいしそれが初めての出産であれば精神的によりつらいのは想像に難くない
でもそれって悪いけど男も同じでよく話題になる子供ができたって話をしたときに男が喜んでくれなくて最悪的な話あるけどさ
自分もそうだったからよく分かるんだけど嬉しくないわけじゃないんだよ
ただそれと同時に妻と子と家庭を背負って生きて、生かしていかなければならないっていうプレッシャーを感じて覚悟を決める時なのよ
子供が生まれたあとも仕事と両立しながら子供の面倒をできる限り見るだけじゃなくて妻のケアもしていかなきゃいけない
初めてづくしのなかで神経すり減らしながら仕事と家を両立していくことが求められ自分としても鬱憤を溜めまくってるのに
表面的には妻に優しく子育てに理解がある夫を演じて朝の3時とかに寝ない子供にブチギレる妻を尻目に
ベビービヨルンの抱っこ紐に子供を抱えて近所を散歩しながら6時になれば出社するみたいなことをしているわけよ
で周りに頭下げながら18時には仕事切り上げて妻の実家近くに引っ越して長い通勤時間を死んだ顔して吊り革掴んで帰って
「あなたは外で気分転換できていいよね」みたいな愚痴を浴びながら子供を遅めのお風呂に入れて
寝かしつけの時間が遅いっていう文句を何故か仕事して帰った自分が受けるわけよ
そんでなんでかわからんけど「主婦に休日はない」って謎理論で土日はこっちがずーーーーっと子供の面倒見るわけよ
体のダメージとかホルモンバランスを言い訳に横暴した恨みをこっちは忘れねーんだよ
子供が14歳、15歳になって法的にも自身の判断で親を選べるようになったら即離婚するからな
まだまだ10年近く先の話だからわからないけどそれで子供が母親と暮らすことを選ぶなら好きにしろよ
産後っていう言い方したのがよくなかったんだろうし
書きなぐったから赤子の頃と幼児の話も混じってるけどもう子供2歳半だよ
こっちはずっと体も削ってんだよ「体がつらい奥さんに対して心理的な負荷だけで文句言うな」みたなこと言ってるクソブクマカふざけんなよ
追追記
その他主語でか指摘ブコメさんたち申し訳ないこれは全くその通り
別に全男性が全女性に尽くしているわけでは全く無いその逆も大量にあるというかそっちのほうが多いだろう
はああああああ???
いっそのこと一人で育てるならそれはそれでいいんだよ
二人で分担しながらともに生きるはずがその負荷がこっちに寄ってる上に相手が文句たらたらなのをぐっと飲み込んで
はああああああ???
いまはn=1で男の俺が辛いって話してんだよ
それを世間の女の辛さで上書きしようとすんじゃねーよ
それやるなら辛いって悩んでる女にも同じことやれよ
はああああああ???
男が悩みを話せば「お互いに労われ」だぁ?????
こっちが労り続けてんだよ
会話が通じる相手ならこんなことになってねーんだよ
こっちの気持ちとか状況なんてとっっっっっっくに話してんだよ
その女を選んだのはお前だろ系ブコメ
返す言葉がございません
追追追記
いやーしんどいのはわかるけどやっぱり責任感が無くやらされてる感だけあるから辛さが増すんだと思うよ。自分が産み出したプロダクトを共同経営者が手伝い感覚でメンテして常に指示待ちだったら腹立つでしょっていう
はああああ?????
責任感が無い?指示待ち?
俺が家にいる時間は相手がほぼ何もしないし当然指示なんかもねーんだよ
帰ったら子供お風呂に入れて寝る準備しながらちょっと一緒に遊んで寝かしつけて
それが終わったら添い寝を相手とチェンジして片付けて掃除機使えないからクイックルかけて洗いもんして洗濯物畳んでんだよ
流石に不眠不休で仕事は続けられないから頼むから夜中泣いたらできるだけ見てくれってお願いだけかろうじてしてて
それすらブチギレ放棄するけど昔よりは夜寝てくれるようになったからまあなんとかだよ
朝だってこっちのほうがずっと早いから自分の準備は全部自分でやってるわ
で平日は相手がやらないからこっちがやってることだって土日は全部、全部、全部ちゃんとこっちでやってんだよ
何も知らずに責任感無いとか指示待ちとか言うてめーに腹が立ってしかたねーよふざけんなよボケ
自分なんかに育てさせてもらっていいんですか?ってくらいかわいいです
ただ疲れもあって面倒を見てる時間を楽しめてるかと言うと正直微妙です
でも子供にはなんの負の感情はなにもなくて本当に自分の子供として生まれてくれてありがとうしかない
その子供をがんばって産んでくれたという点に関しては妻にもとても感謝しています
Permalink |記事への反応(40) | 22:00
実際の経済や軍事にさえも影響力を及ぼすことが可能で、賞罰もリアルマネーで行われることが少なくない。
圧倒的な作り込みとリアルへの地続き感ながら、虚実織り交ぜる実力があれば誰でも何者にもなれるし別人に成り代わることも可能。
驚異的な自由度の高さと方向の見えなさ。
プレイヤーによる自主的なゲーム内非公式イベントも日夜開催されておりむしろそっちがメインコンテンツと言える。
大型プレイヤーによる大規模活動は人々に強烈な影響力を与え、それを受け他の大型プレイヤーが大きく介入することで自体は更なるカオスに。
なぜPBMが滅びたのか。
そんな風に考えることが出来る人は、失われた30年でもそれほど失ってなかったんじゃないかな?
俺はたとえこれからどのような過酷な環境が来ても、失われた30年よりかはマシなんじゃないかと感じている。
結局、何が失われていたのか?ということだと思う。
俺が失われた30年の間に失っていたものは、人間としての尊厳だ。
クソみたいな環境で、クソみたいな条件、クソみたいな仕事を、本気で、一生懸命、汗水垂らして、不眠不休で、肉体を使って、無い頭を絞って働いても、
「お前みたいな無能いつ辞めてもらってもいいんだぞ。」
なぜなら
いやぁ、そうも言ってられんのよ。だって企業(Amazonとかの問屋さん)が長い休日の間に人々の購買意欲を掻き立てて阿呆な消費者は踊らされて買っちまうんだから。最近ヤマトの手を離れたみたいだけど、人々の休日の過ごし方、人々の欲望の形態が旧態依然とした境地に立ち戻らん限りは、欲望は続くよどこまでもってなるぜ。しかも酪農農家のような第一次産業の人々は掛かりっきりで業務に当る。そうしなくちゃ経済動物か植物が死んでしまうから。お前さんの言うことはつまり、ホワイトカラーとしての意見だろう。だが実際は、各現場(農場か現場、工場プラントにしても、だ)に分け入れば実際は機構としては不眠不休が求められる。お前さんだって困るだろう?正月三が日から数日間肉も牛乳も、野菜も手に入らないってのは。しかもそれだけじゃない。SDMって聞いたことあるかい。定修ってヤツだ。お前さんが車を持っているか知らねぇが、石油なんざ最たる例よ。車両だけじゃねぇ、化繊にさえ及ぶ。そう言う精製プラントは不眠不休で、SDM前にはとにかく余剰量を作って、一定期間プラントを休ませる寸法でいる。その間何をするかって言うと、人間が結果的に(別会社同士が協働して)不眠不休で大々的なメンテナンスをする。まるでお祭りよ。そう言う日夜も関係のない環境の上で社会は成り立っている。お前さんだって嫌だろう。ガソスタはすぐに空になったり、鉄道を使おうにも鉄道のメンテナンスが日勤限定になったからの弊害で3日間使えません、だったりするのは。それを解決するには一つしかない。明治以降の西洋文明を捨て去るしかない。いや、産業革命以来のライフスタイルを捨てなくちゃなんないのさ。その覚悟があるかいって話