
はてなキーワード:不毛とは
野党「2だろアホか」
「アホとか言った時点で聞く気なくすよ?」 (口調警察)
「"2だろ"とかじゃなくて、対案出したら??」(対案カルト)
「批判してる人は単に叩きたいだけに見える、批判だめ!」(やさしいせかい)
「少数糞野党が何言っても与党を支持せざるをえないんだよなぁ…!」(ゲハ対立モード)
「多数決で選ばれた総理に向かって批難ばかりするのは反・民主主義的な行為だ!」(政治教育の失敗)
「一方的なレッテル貼りにウンザリ…! 5-1だって3ですよ?議論は冷静中立に」→ 何か賢そうな為10万RT
「【悲報】"2"を主張してしまった極端な人達の意見がこちらwww」 ← 大手まとめ/YouTube世論誘導
「【拡散】"2"を主張する人たち、やっぱり○国人だった!【陰謀】」 ← 検索のヘイト汚染
総理「あのですね野次はやめてくださいよw内閣支持率はまさに2より高いんですからw」←?
YouTube 「【堂々論破】"1+1=2"派、完全沈黙!やっぱり正論だった!」
バラエティ「与党がどうこうより野党の体たらくもどーなんですかね?」「もう、野党はしっかりして!」
ネット知識人「そもそも騒ぐ事自体不毛であって自分は決して"3"とは思わないにせよ野党は支持できない」
官房長官 「野党は反対ありきではなく、"1+1=3"を前提にした上で建設的意見を…はい次」
野党「」
アフィカスYouTube「【与党】野党、正論に沈黙してしまう!!【勝利】」
👆
日本が再浮上する道は「分配の組み替え × 成長の一点集中」しかない。
魔法はない。
でもやれば効くことは、実はかなり絞られている。
チャッピーに聞いたよ😎
冷たいようで、
これが一番長期的に人を救う。
ポイントは削減じゃない。
👉質を落とさずコストを落とす
👉逆進性を消して、税として残す
欧州の標準解。
これ、めちゃくちゃ重要。
日本はもう
👉勝てる所に国家が張る
耳が痛いけど核心。
これをやらない限り、全部無理。
正直に言う。
中途半端が一番悪い。
あなたが感じている悲観は、
でも、
日本は「もう終わった国」ではない
「決断していない国」
ここは大きく違う。
そういうことじゃないよ。あくまでメディア環境の問題ということを言っている。若者の日常的なメディア環境の中にいれば、自然と高市支持者になるということ。リベラル派のイデオロギーや政策論をよく理解した上で高市や自民党を支持しているかのような解釈は、明らかに幻想。しつこいようだが、自分の20歳の頃を思い出してほしい。政党のイデオロギーについてほとんど何も知らなかったはずだ。
当たり前の話、はてなに常駐するような社会不適格者は例外として、ほとんどの人は日常的に政治のことなんて考えていない。メディアで流布するふわっとしたイメージが投票行動を左右するという事実を無視して、「リベラル派の何が嫌われているのか」ばかりを問題にするのは不毛だと思う。
今の中高年も、過去にはテレビ報道のつくったイメージで、小泉純一郎の「構造改革」や民主党の「脱官僚」に投票していたわけで、べつに若者に比べて賢いわけではない。いまでもテレビが情報の中心なので、SNS動画サイトで流布する悪質な陰謀論や排外主義からは結果的に距離をとれているというだけ。
この増田をはじめとする一部はてなユーザーは女性逆差別への被害者意識が強すぎて、この件がパートナーとなる相手の価値観を貶めたことでの信用棄損の問題だということに気が付かない。だから、「女の幸せ」という文言なんかに過剰反応して、女性側は贈り物をされるのが当たり前だと勘違いしている!古い価値観!というおよそ何の関係もない話を始めてしまうのだ(元の増田は結婚指輪の代金を折半するという話だったのにもかかわらず)。少し奮発して二人でお気に入りの指輪を選びたい、指輪が目に入ったふとした瞬間にその時の幸せを思い出したい、という気持ちを自分自身が持てないのは仕方がない。そういう人もいるだろう。ただ、そういう方法で喜びを分かち合いたいと考える人がいると信じることすらできなくなっているから、こんな増田を書いてしまう。インターネットで勝手に人間不信を強めて、敵でもない相手を論破して気持ちよくなるなんて不毛から抜け出すべきではないかと感じる。
理不尽な詰めや不毛な会議に比べたら、赤ちゃんの相手なんて楽勝。
言葉が通じない赤ちゃんの方が、話の通じない大人より100倍マシ。
これで「余裕がない」と言う人は、職場でもエクセル一つ使えない無能確定でしょ。
復帰しても、面倒な育児はジジババに丸投げして、自分は時短勤務でさっさと帰る。
それだけで「両立してて偉い」って勝手に評価が上がるんだから、コスパ良すぎじゃない?
実態はどっちも手抜きだけど、世の中チョロいわ。
ポンコツだった私が、育児という「誰でもできるイージー作業」のおかげで、人生で初めて勝ち組になれた。
昨日はカザフスタン人の女性と2時間くらい通話した。言語交換アプリは日本語を学びたい人のルームがあるから日本語を学びたいカザフスタン人のルームで会話した。どうして日本に興味を持ったのか質問したら若い頃のに日本のアニメにハマったからだと。何のアニメが好きなのか聞いたら、今はもうアニメ卒業したけど当時は「会長はメイド様」と「神様はじめました」が好きだったと答えたのでふいた。ずいぶん古いアニメが流行ってるんだな…。「じゃあ○○さんホストみたいなツンデレ男が好きなんですね」「ツンデレってなんですかカタカタ…ああwそうかもしれません」「ツンデレより最初から優しい男のほうがよくないっすか」「www」みたいな会話してめっちゃおもろかった。会長はメイドさまのOPが好きらしい。カザフスタンも知らんからどんな国なのかも聞いた。クソ寒いらしい。
で、プロフィールの年齢非公開だったから最後に年齢聞いたら20歳だって。そんな若い子だとは知らなかったすいません!いえいえ日本語学びたいので大丈夫ですとかおかしいやろ。おっさんが20歳の子と無料で会話して向こうは日本語学びたいからむしろ会話はありがたいとかどんなエロゲだよ。はてなでコンカフェだのガールズバーが話題になってたけどアホらしいだろ大金払ってしょーもないヤンキー娘と会話とか。定期的に通話していいですか?はい日本語学びたいので大丈夫ですと言われて終了した。いやいやどんなエロゲだよ。あと他にもメインの韓国語教えてくれる年齢近い女性もいる。真面目に言語習うだけで生活がこんなに変わるとは思わんかった。
マジで寂しいとか孤独とか嘆いてる弱者男性は言語学べ。日本の女はもう諦めろ。ハッキリ言って日本より韓国とか他の国の女性の方が精神的に大人だし会話して面白い。確かに弱者男性にも非はあるが日本の女性があまりにもガキだから付き合いたいと思えないのも原因だろう。海外に目を向けたらまともな女性いっぱいおるわ。
昨今の少子化対策を巡る議論を見ていると、子育て世帯と独身・子なし世帯の分断が深刻化している。
「独身の負担ばかり増える」「実質的な独身税だ」という批判は、現在の制度設計を見る限り、数字の上でも感情の上でも正当なものだ。
しかし、ここで「子育て優遇はずるい」と対立し続けても、解は出ない。
なぜなら、国家というシステムが存続を目的とする以上、「次世代の納税者(構成員)の再生産」への投資は、国家システム基盤のデフォルト設定として不可避だからだ。
自民党だろうが共産党だろうが、あるいは独裁国家だろうが、国家が「自殺(消滅)」を望まない限り、子育て世帯への資源配分は自動的に発生する。これはイデオロギー以前の「生存本能」だ。
避けることはできない。
問題は、そのためのコストを払わされる独身・子なし世帯が、単なる「搾取対象(財布)」として扱われていることにある。
今回は、この不公平感を解消し、かつ合理的にシステムを維持するための思考実験として、「独身者=投資家モデル」を提案したい。
まず、我々が支払う子育て支援金(税金・社会保険料)を、「他人の子供への施し」と考えるのをやめるべきだ。
我々の年金はGPIFによって金融市場で運用されているが、30年後に株価がどうなっているかは誰にも分からない。世界恐慌で紙切れになる可能性もある。
だが、どれだけ金融市場が崩壊しても、「高齢者のオムツを替え、食事を運び、インフラを整備する物理的な労働力」の価値は消滅しない。
子育て支援とは、金融資産が毀損した際にも機能する「現物(労働力)」を確保するための先物取引なのだ。金があっても、働く人間がいなければサービスは受けられないからだ。
人口減少が避けられない以上、「頭数」で支える賦課方式はいずれ破綻する。
ならば、独身者(=投資家)は、政府に対して「ただ金をバラ撒け」ではなく、「投資対効果(ROI)を高めろ」と要求する権利を持つべきだ。
子供の数が半分になるなら、一人当たりの生産性(稼ぐ力)を倍にすればシステムは維持できる。
我々は「子供手当」という名の消費的支出ではなく、「高度な教育・科学技術教育」への集中投資を求めるべきなのだ。
「私の税金を使って、Googleやトヨタで外貨を稼ぐエリートを育てろ。底辺を底上げしろ。そして彼らが納める税金・社会保険料から、私の年金を払え」
これこそが、人口減少社会における正しい株主(独身納税者)の要求ではないか。
難しい経済用語はやめて、もっと単純な「出資と配当」の話をしよう。
現状、独身者が払っている支援金は、ブラックボックスに消えている。「誰かのために使われたらしい」で終わりだ。これでは納得感がない。
あなたが現役時代に払った「子育て支援金(現在の一部の税金や社会保険料)」は、特定の世代への「教育ファンドへの拠出」として記録される。
30年後、その投資を受けて育った「元・子供たち」が働き始めたとき、彼らの稼ぎ(GDPや平均賃金)がどうなったかで、独身・子なし世帯であるあなたの年金増加額が決まる。
あえて悪く表現するが、財布であるあなたの投資によって高度な教育を受けた子供たちが、Googleやトヨタでバリバリ稼ぐ「年収1000万プレイヤー」に育ったとする。彼らはガッポリ税金を払う。
政府は「スポンサー(独身者)のおかげで優秀な納税者が育ちGDPが増えました」として、その増えた税収の一部を、あなたの年金に「ボーナス」として上乗せする。
教育政策が失敗し、低賃金労働者ばかりになったら、あなたの年金ボーナスはゼロだ。
だからこそ、あなたは必死に政府を監視するようになる。「おい、俺の金を変なイベントに使うな! それに使うくらいなら科学教育に使って稼げる人間を育てろ!」と。
要するに、ただ金をむしり取られるのではなく、「将来、彼らが稼いだ金の一部をキックバックしてもらう契約」を結ぶということだ。これなら「他人の子供」は「コスト」ではなく「金の卵」に見えてくるはずだ。
端的に言えば、子育てコストを負担した独身・子なし世帯であれば、負担しなかった人よりも将来の年金が増える。
そういう「リスク・リターン」をシステムに組み込むことだけが、公平性を担保する唯一の方法だ。
感情論で「子供は宝だ」と言われても、負担が増える側は納得できない。
必要なのは、「独身者が払ったコストが、将来のリターン(物理的労働力と高付加価値税収)として返ってくる」という明確な社会契約・金融取引だ。
国家が「産めよ増やせよ」を強制するのは、それが国家の生存戦略だから仕方がない。
ならば、そのコストを負担する独身・子なし世帯は、一方的に搾取されるのではなく、「子どもの筆頭株主」としてリターンを要求するポジションを取りに行くべきではないだろうか。
一応言うが、このGDP連動型年金権は現在支払っている税金や社会保険料が変わることがない。新たな制度を作り、税金や社会保険料から予算を組み替えるだけだ。
税金や社会保険料が変わるとき、それは従来通りに税金や社会保険料が変わるという法案が国会で通ったときだけだ。
GDP連動型年金権があれば、リターンもなく一方的に搾取される独身・子なし世帯は「リターンがあるかも知れない」という資産構造的にはプラスの可能性を単純に得られる様になるわけだ。
更にここへ確定拠出年金の様に、一口いくらで任意の年金増額オプションが存在したらどうなるだろうか?
独身・子なし世帯の中でも高所得者は日本社会全体の教育・労働スキル水準を引き上げる増資をするという選択肢に魅力を感じるはずだ。何故なら既に保有する国内金融資産もまた成長する可能性が上がるからだ。
これまで独身・子なし世帯の利点ばかり話したが、子持ち世帯にどのような恩恵があるのか話そう。
母子・父子家庭に言おう。年に1度は東京ディズニーランドへ子どもも連れて行きたくはないか?子どもを大学進学させたくはないか?良い会社へ入れたくはないか?
GDP連動型年金権は年金増額オプションまで含めれば国の教育関連予算が確実に増える。母子・父子家庭が日々負担する教育コストが下がる。
私はTVで「一度は子どもを東京ディズニーランドへ連れていきたい」と言っていた母子家庭の母親の想いを観たことがある。それが実現する。
そもそも、既婚者は誰しもが独身時代というものを経験して結婚する。当たり前の話だ。
つまり、GDP連動型年金権は今後婚姻する・しないに関わらず全ての労働者に影響する。「年金なんて払っても意味ねーよ」という若者を見たことはないか?GDP連動型年金権は税金や社会保険料を支払うと意味が必ずある。
独身時代を経験した既婚者にも納得感があるはずだ。子持ち世帯ならば尚更納得感があるだろう。
GDP連動型年金権は出産・子育て・教育政策と予算を子持ち世帯だけの聖域にせず、全国民の「自分ごと」化させる。
独身・子なし世帯が「その教育予算の使い方は良くない。真っ当な使い方をしろ」「年金を上げるため教育予算を絞るな。しっかり子どもを教育しろ」と言えるようになる。
街ゆく子どもは我々の年金だ。何と可愛らしいことか、大きく育てよという気持ちにさせるではないか。
これがGDP連動型年金権だ。賛同する者はブクマやX(Twitter)などSNSで宣伝しまくって政党や政治家にアピールしよう!みんなで教育へ投資し年金を増やしていこう!
意外なほど反応が悪くて驚いてる。
国家の生存本能として次世代への投資は避けられないという前提がある中で、賦課方式は枯渇すると予想されているのに、基礎年金の固定分を維持したまま次世代へ投資をする事で将来のGDPと連動して加算ボーナスリターンを得るという方式に対して賛同しない理由とは一体何だろうか?
煽りでも何でも無く、君たちは一体年金をどのようにしたいのだろうか?このモデルは自分の年金が増えるという利己的な行動原理に従うだけで良いんだぞ?君たちは「子供は宝だ」と言っても納得しないだろう?だったら利己的に自分の年金を増やせば良いじゃないか。何が問題あるんだ?
Permalink |記事への反応(26) | 12:38
炎上にも負けず 「いいね」ゼロにも負けずギガ切れにも 夏の通信制限にも負けぬ強靭なメンタルを持ち
欲はなく 決してバズらず いつも静かにタイムラインの隅にいる
一日に二つのカップ麺とエナジードリンクと 少しのサプリメントを食べ
あらゆることを自分を棚に上げて よく見聞きし分かり そして すぐにレスバをせず
東に高齢の生涯独身者がいれば、 それが一番コスパのよい生き方だと褒めてやり
西にマウントを取る母親がいれば それはただの承認欲求だと諭してやり
南に死にそうな病み垢がいれば 「構ってちゃんだな」とミュートしてやり
北に「日本は終わっている」と嘆く者がいれば 「それはお前の投射だ」と鏡を差し出し
不毛なトレンドが起きたときは涙を流しクソリプの嵐の中を おろおろと歩き
みんなに「情弱」と呼ばれAIにさえ褒められもせずブロックもされず
そういう賢者に 私は
私は
昨日、TLに流れてきた「日本人男性の生涯経験人数は平均2.6人」という数字。 これを見て「男も意外と潔癖なんだな」なんて呑気に構えている同世代の女性(いたら羨ましいけど)に、首都圏で婚活サバイバルを生き抜くミドサーの私から、身も蓋もない現実を突きつけておきたい。
統計学的に見れば、この「2.6人」なんて数字は、実態を何一つ映していない。 今の日本の恋愛市場は、以下の3つの階層にぶった切られている。
経験人数0人。いわゆる「弱者男性」と自称・他称される層。 生涯未経験率が上がっているのは事実だろうし、彼らは私たちの視界にすら入ってこない。彼らはこの「2.6人」という平均値を、下から強力に引っ張る重りだ。
経験人数1〜3人。 「初めて付き合った相手と結婚した」か「数人と深く付き合ってきた」層。今の日本を支えるボリュームゾーン。 でも、悲しいかな。この層の男たちは早々に売れ残りの市場(婚活市場)から姿を消す。私たちがマッチングアプリで出会うのは、この層の「残りカス」か、次の「怪物」だけだ。
経験人数10人、20人、あるいはそれ以上。 この層が、平均2.6人という数字を無理やり押し上げている。 彼らはマッチングアプリという名の狩り場で、私たちミドサーの「焦り」を餌に、数取りゲームを楽しんでいる。彼らにとって、女は「人生を共にするパートナー」ではなく、自分のスコアを伸ばすための「記号」でしかない。
計算してみればわかる。
つまり「0人じゃない側の男」に絞って平均を出せば、だいたい3.6人くらいになる計算だけど、そんな数字に何の意味がある?実態は、「8割の男が1〜2人を大事にし、残りの2割が数十人を食い散らかしている」という、極端な一極集中だ。
ここが一番絶望的なポイント。私たち首都圏の独身女性が、なけなしの時間を削ってアプリで出会う男は、高確率でこの「上位15%の捕食層」だ。だって、誠実な60%はとっくに成婚退会しているし、0人の25%はマッチングすらしないから。
結果として、私たちは「2.6人」という平均値の裏側で、一部の男たちの「経験人数稼ぎ」のためのリソースとして消費され続ける。 彼らが「俺、経験人数は平均以上だよ(笑)」と余裕を見せる裏には、私たちのような「結婚という出口を見失った女たち」の死屍累々が積み上がっている。
男同士で「経験人数が〜」なんていう不毛な数取りゲームをしている間に、恋愛市場は修復不可能なほど歪んでしまった。 平均2.6人なんていう綺麗な数字で、この「搾取と絶望の三極化」を隠蔽しないでほしい。
2.6人。 その数字の内実にあるのは、一部の強者による独占と、多数の弱者の疎外。 そして、その間で「スコア」として処理される、私たちの虚しさだけだ。
かつて「お母さん」に読み聞かせをしてもらった少年は、約束通り立派な増田(マスダ)へと成長していた。 彼が今いる場所は、荒野でも実験場でもない。都内の片隅、家賃4万5千円の事故物件。10年前のあの「伝説の増田たち」の思念が渦巻く、匿名ダイアリーの深淵だ。
画面の中では、今日も今日とて不毛な論争が繰り広げられている。
かつて水爆の熱線で蒸発したはずの増田たちの魂は、形を変え、言葉を変え、それでも変わらぬ「全方位へのルサンチマン」を燃料にして、この電子の海で核分裂を繰り返していた。
あの日から10年。少年――いまや20代後半、万年ヒラのシステムエンジニアとなった彼は、仕事帰りの松屋で牛めしを掻き込みながら、スマホの画面を睨みつけていた。
彼が書き込もうとしているのは、あの日、お母さんが教えてくれた「増田のルーツ」へのアンサーソングだ。
そんな釣りタイトルを入力しては消し、入力しては消す。 ふと、画面の隅に表示された広告が目に入る。それは「最先端のAIがあなたの悩みを解決します」という、10年前にはなかった技術の結晶だった。
彼は鼻で笑った。 「AIに増田の、このドロドロした感情が分かってたまるかよ」
その時、画面が不自然に暗転した。10年前の「あの瞬間」と同じ、予兆のない静寂。
「……おい、そこ、邪魔だぞ」
背後から声をかけられ、彼は振り返った。 そこには、10年前に消滅したはずの「三百ブクマ稼いだ増田」にそっくりの男が立っていた。いや、それだけではない。 「暴力で勝ったやつが総取り」と叫んでいたマッチョな男も、「水をキットカットにぶっかけた」情緒不安定な男も、全員がそこにいた。
そこは、かつての荒野ではなく、「はてなスター」が夜空の星のように輝く、精神の仮想空間だった。
「お前……あの子どもか?」名探偵増田が、10年前のガソリンの味を思い出すかのように舌を出しながら言った。
「10年経っても、お前らは何も変わってないんだな」青年は震える声で言った。 「なんでまだここにいるんだ? 核爆発で消えたはずだろ」
英雄として胴上げされた増田が、苦笑しながら答えた。 「増田は死なない。誰かがキーボードを叩き、誰かにマウントを取り、誰かに共感されたいと願う限り、俺たちは何度でもこの記事(セカイ)にリポップする」
青年は悟った。10年という歳月は、彼らを浄化するためではなく、より濃縮された「はてな」を作り出すための熟成期間に過ぎなかったのだ。
「で、お前は何を書きに来たんだ?」最初の増田が、ニヤニヤしながら青年のスマホを覗き込む。
青年は少しだけ迷い、そして、10年間溜め込んできた想いを指先に込めた。 それは、増田としての誇りでも、社会への怒りでもない。 ただ、かつて物語を読み聞かせてくれた母への、そしてこの奇妙なコミュニティへの、たった一行の「真実」だった。
その投稿ボタンを押した瞬間。10年前と同じように、画面の向こうから「「「わっしょい!! わっしょい!! わっしょい!!」」」という幻聴が聞こえてきた。
全プレイヤーが完全情報を持ち、完全合理的で、同一の計算能力と時間割引率を共有している世界では、市場は美しくも健全でもない。
そこにあるのは、均衡という名の自己放尿であり、動的過程を失った静止構造だ。裁定は即時に消滅し、価格は瞬時に収斂し、期待収益はゼロに押し潰される。
情報が差ではなく共有財になった瞬間、利潤は倫理ではなく算術として禁止される。
これが一般均衡の冷酷な帰結であり、完全市場仮定が内包する自己放尿だ。
市場は最適化装置だが、最適化され尽くした装置は、もはや何も生み出さない。
機能するが、稼がない。動くが、儲からない。つまり経済は自らの機能美によって自己放尿する。
利潤とは効率の産物ではない。非効率、非対称、非合理、遅延、錯誤、これらの残差から滲み出る副産物だ。
ノイズがなければシグナルは存在せず、誤解がなければ価格発見は起こらない。
完全情報の世界では、価格は発見される前から既知であり、発見行為そのものが無意味化する。
すると市場参加者は、互いの最適反応を完全に予見した上で、最初から均衡点に立ち尽くす。
ここには競争も学習も進化もない。進化ゲーム理論的に言えば、突然変異率ゼロの集団であり、適応度地形が平坦化した自己放尿だ。
資本は循環するが増殖しない。金融工学的に言えば、すべてのリスクは価格に内生化され、リスクプレミアムは消失する。
結果、経済は自己増殖系ではなく、自己相殺系へと堕ちる。これが合理性の極北における自己放尿である。
現実の経済がかろうじて生き延びているのは、知性の欠損が遍在しているからだ。
情報は偏在し、理解は歪み、期待は系統的に外れる。行動経済学がわざわざ名前を付けるまでもなく、人間は確率を誤読し、相関を幻視し、物語に過剰適応する。
その結果として、価格は歪み、歪みは時間差を伴って修正され、その過程で利潤が発生する。
ここで重要なのは、利潤を生むのが「賢さ」ではなく、「賢さの非一様分布」だという点だ。
全員が賢い社会は、誰も賢くない社会と同じく、経済的には不毛である。前者は静止、後者は混沌だが、少なくとも混沌には勾配がある。
さらに踏み込めば、完全合理性は二重に市場を殺す。一つは期待形成の即時収斂による裁定機会の消失、もう一つはリスク共有の完全化による報酬構造の消滅だ。
これがいわば、合理性と完全情報のダブル放尿であり、市場は二方向から同時に自己放尿する。
誰も損をしないが、誰も得をしない。倫理的には理想郷、経済的には砂漠である。
だから俺は冷徹に言う。馬鹿は必要悪ではない。必要構成要素だ。
誤解する者、遅れる者、過信する者、恐慌に走る者、物語に賭ける者、これらが存在するからこそ、価格は動き、資本は再配置され、イノベーションの資金が捻出される。
市場とは知性の競技場ではなく、知性の分散系だ。分散がなければ勾配は消え、勾配がなければ運動は止まる。ゆえに、全員が完全に賢くなる未来は、経済にとっての終末論に等しい。
結論は不快だが論理的だ。馬鹿は矯正されるべき存在ではない。市場の外から見れば欠陥だが、市場の内部では燃料である。
だからこそ、俺はあえて言い放つ。馬鹿は馬鹿のまま自己放尿していてくれ。その放尿がある限り、経済はまだ完全には死なない。
YouTubeとかアマゾンに建築系電材のレビュー出してるんだけど、ワットチェッカーでしっかり測った数値を載せると、3割くらいの確率で「うちでは〇〇Wでした」みたいな「数字で無意味な指摘」をしてくるキチガイがいる。
こっちはワットチェッカーの動画出してるだろ。それを指摘する意味どこにあんの?
数値を出さないレビューだとむしろ好意的な反応が多い。海外からはそもそもそんな不毛なツッコミがない。
日本の初等教育のつめこみ教育、減点法の制度に問題があるのではないか。
つまり「数値」というものそのものに恐れを抱いている馬鹿が一定数いると。
こっちは画像なり動画で確実な情報を出しているが、キチガイの方は証明するものがなく「ただ指摘するだけ」という構図である。