
はてなキーワード:不正解とは
娘の為にパソコンへ詳しすぎる夫を倒したい
例の「娘の為にパソコンへ詳しすぎる夫を倒したい」って増田読んだ。
吐き気がしたわ。
実用性皆無のLinux環境を娘に押し付けるとか、もはや新手の虐待でしょ。
「自由なソフトウェアが~」とか御託並べてるけど、学校で配られるChromeOS端末ですらハブられる現代で、娘をデジタル孤児にする気か?
子どもにとっての「最初のPC体験」っていうのは、ドライバのエラーログを吐くことじゃない。
直感的に世界と繋がって、何かを「創れる」と錯覚することだ。その万能感を与えるのが親の役目だろ。
クリエイティブな感性はAdobe製品とRetinaディスプレイでしか育たない。変な自作PC渡してみろ。
スタバでMac開くのが「普通」なんだよ。その「普通」の切符を親が破り捨ててどうする。
「SteamでゲームするならWindowsだろ」とか、GPUのコスパがどうとか言ってくるキモいおっさんも湧きそうだが、それも違う。
ゲームなんてiPadで十分だ。ガキに必要なのはスペックじゃなくて「スタイル」なんだよ。
正論だけじゃ家庭は回らないし、お前の信じる「技術的な正解」は、娘のスクールカーストにおいては致命的な「不正解」なんだよ。
結論を言う。黙ってMacBook Airを買え。それが唯一の親心だ。
もし自分が親なら、子供に「あえて」苦労させるOSを使わせるか?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/syu-m-5151.hatenablog.com/entry/2025/12/08/152614
この2つのリンクは、**「技術広報(エンジニアの発信・コミュニティ活動・技術イベントなどは、組織や個人にとってめちゃくちゃ重要だよ」**という話と、その**感想記事**です。
言っていることはこれだけです:
こういうのは
❌「暇な人の趣味」
ではなく
という話。
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内容は:
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> ✅ **1本目:理屈で「技術広報は超重要」と説明**
> ✅ **2本目:体験談で「実際に人生変わった」と補強**
この関係です。
👉 “実務ノウハウとしては空疎に近いが、思想・動機づけとしては意味がある” が正確な評価です。**
理由はシンプルで、この2記事は **どちらも「やり方」ではなく「姿勢・価値観」の話だから** です。
つまり、
情報全体の偏りを判定し、その中でより多いもの、より正解に近いものを選択しやすい
逆に言えば、「外れ値」は出力されづらい
AI社会に対する優位性とは、自らが平均から離れた外れ値であること
突飛、突発、偶然、気まぐれ、マイナー、マイノリティ、希少、偏り、不正解に近い外れ値
それは模倣されづらく、置換されづらい
テストの点数が96点だったことに対して1問の不正解は許容できるが2問も不正解というのは100点を取るつもりで勉強をしていなかったからだ姿勢が間違っているといって3時間正座させられてぶっ通しで怒鳴られ続け人格否定をされ続けるような環境で育ったのだけど、
そういう育児をしていた父親もまた、寡黙な祖父から骨折したり失神したりするほど凄まじく殴られながら育っていて、娘ができたときに決して暴力を振るわずに言葉で伝えるという誓いを立てて育て始めて、その結果がこうだった。
で、ことあるごとに失点について長時間怒鳴られて詰められる育てられ方をした私がどうなっているかというと、彼氏が出来たときに気に食わないと無視をする人間になった。
人を怒鳴る・詰めるというのを決してやる側にならないという誓いを立てて人に関わった結果がこれ。相手が思い通りにならない→怒りを表出したくないので感情オフ→無反応・シカト。
恋愛も結婚も出産も嫌だ。治る気がしない。理不尽なコントロール欲が湧くこと自体がそもそも人として間違っているのだけど、そこが解決する気がまるでしなくて、表出の仕方を暴力、暴言、無視と代々変えていっているだけ。
苦しんで誓いを立てた結果ですら結局は小手先にすぎない。
もし仮に子供出来てもどうせ我慢できずに子供を無視する親になると思うし、無視されて育った子供も大人になったら「無視しない人間になる」と誓って新しい人間虐待手法を開発するのだろうと、この根源的に有害な血の連鎖を冷笑している。
根本から解決しろという人は元々こういう気質を持ってなかったんじゃない?苛烈さを持ち合わせておらず、血縁者から殴られても怒鳴られてもいないようなお前に何が分かんのと思うよ。
自分自身、発達障害から来る癇癪みたいな生まれつきの異常性で、障害バレしないような表出という適応をやっているだけなんじゃないかと思ってるよ。
強度行動障害の当事者が、老親が思い通りに働かないからと絶叫して暴れて老親を一方的に殴ったり、壁に頭を打ち付ける激しい自傷をしている動画を見たけど、私もあれと魂の本質が同じで、IQで擬態しているだけなのだろうって思う。
私が元彼に向けた怒りが正当なものとは到底思えず理路もへったくれもない障害者の癇癪で、そのおぞましさや人間性の劣りを対外的に隠蔽しようという試みが「無視」だと思うし、父親が私に向けた怒りも癇癪としか思えない。
代々、試験勉強と組織での賃労働に適性があっただけの情緒の障害者なのだと思う。祖父も父も私も職業上、収入上はそれなりに上手くいっている。他者への一方的な攻撃が集中的に起きるのは私生活。
祖父は祖母にややモラハラ的で父に対しては骨を折るレベルの暴力、父は母にややモラハラ的で私に対しては長時間詰め暴言であったので、パートナーよりも子供に対してのほうがより強い態度に出る傾向がある。
祖母と母は専業主婦であり、祖母は父を祖父に差し出し、母は私を父に差し出している節があった。『高所得男性と結婚した子持ち女性』という社会的な体裁は二人とも整えることができているし、
祖父や父の暴力性を受け止める一番の存在からは逃れられている。こういう『賢い』女性がいるせいで癇癪の血が継承されてきた。私は生まれたくなかった。連鎖を止めてほしかった。
仕事をしていて自己嫌悪をすることはそれほどないけど、元彼との交際時、接していると本当に自分が嫌になるというか、存在したくなかったと自分の命を呪うことが多々あった。
祖父と父については暴力性がある自分について甲斐性や男らしさとセットで自己肯定できていたように見えるのだけど、無視という手段を取る自分を私は全く肯定できない。心か魂とか人間性といったものが劣っており、おぞましいからだ。
根源の癇癪って主観で有害で他者評価においても有害、360度有害。だから遺伝した子が発生するようなことは防がなければいけないと思う。
癇癪を持ってない人が「子を持たない人間は大人になれない。癇癪を『治して』結婚して育児をしろ。大人になれ」って言い出すの、本当に憎い。ずっと呪っているし、これからも呪うね。
SNS上で、掛け算の順序指導(「2×3」と「3×2」の順序にこだわる指導)を巡る激しい議論が10年以上も続いています。現場の先生方は「文章題を正しく読み解く力をつけたい」という誠実な思いで指導していますし、それに反対する数学者や保護者の方々も「数学的な正しさを守りたい」という強い正義感を持っています。なぜ、これほどまでに話が噛み合わないのでしょうか。それは、双方が「相手が間違っている」と言い合っているようで、実は「全く別のゲーム」の話をしているからです。この対立の構造を整理した上で、実際にその指導が子供たちにどのような影響を与えるのか、教育的な「メリットとデメリット」を冷静に評価してみましょう。
掛け算の順序問題には、大きく分けて二つの視点(土台)が存在します。
順序指導に反対する多くの人々は、「結果としての正しさ」を見ています。数学の世界には「交換法則」という絶対的なルールがあります。2×3も、3×2も、答えは同じ6です。 彼らにとって、順序を入れ替えただけでバツにする行為は、「2個のりんごが3皿ある」のと「3個のりんごが2皿ある」ので、合計が変わると言っているようなもので、数学的な真理(合計は変わらないという事実)への裏切りに見えるのです。
一方、学校の先生が見ているのは、計算の結果だけではありません。「日本語の文章を、数式という言葉にどう翻訳したか」というプロセスを見ています。例えば、英語の授業で「私は彼を蹴った」を訳すとき、「Him kicked I(彼 蹴った 私)」と書いたら、たとえ単語の意味が合っていても文法ミスでバツになりますよね。 これと同じで、まだ掛け算を習いたての段階では、「文章の中の『ひとつ分の数』と『いくつ分』を正しく読み取れているか」を確認するための「教室内の文法ルール」として順序を見ています。
片方は「手順通りに作れたか」を問い、もう片方は「美味しいカレーができたか」を問うている。評価の基準(=土台)が全く違うため、議論は平行線をたどります。
では、実際に「順序が違うからバツにする」という指導は、子供にとって良いことなのでしょうか?短期的視点と長期的視点から分析します。
この分析から言えることは、順序指導には「導入期の理解チェック(短期)」としては一定の合理性があるものの、「数学的な概念形成(長期)」においては副作用が大きいということです。この不毛な議論を終わらせるためには、双方が歩み寄る必要があります。
「正しいか間違いか」の戦争をするのではなく、「今のチェック方法は、子供の将来にとって本当にプラスか?」という視点で、指導のあり方を見直す時期に来ているのかもしれません。
センター試験の本番の現代文で満点をとったこともあるのに、「お前の日本語は不自然だ」といつも言われてしまう。
センター試験の現代文は「文章に書いてあることを、書いてあるとおりに理解しているか」を問う試験だ。
例えば次のような問題があったとする。
この問題の正解はAだ。
「本をよく食べる」なんて表現は一般的なものではないが、本文にそう書いてあるならそれが正解になる。
想像力が豊かな人は「『本をよく食べる』というのはきっと『本をよく読む』の比喩なんだろう」と考えてBを選択してしまうかもしれない。
もしかすると素材文の筆者も、そのつもりで書いたのかもしれない。
しかし入試現代文においては、Bは不正解である。なぜなら「本をよく読む」という記述はないからだ。
入試現代文の世界では「書いてあることがすべて」であり、「書かれていないことを勝手に想像してはいけない」というのが正義だ(と予備校の講師が言っていた)。
予備校の講師によれば、この考え方はテクスト論というものに基づいているらしい。
この講師は次のようにも言っていた:入試問題の題材になった文章の筆者が模範解答に文句を言うことがあるが、これはお門違いである――問題の作成者は文章から読み取れることだけをもとに設問と模範解答を作っており、それが筆者の意図と異なるのであれば、それは筆者の書き方に落ち度がある。
受験生だった私は、この考え方に感銘を受けた。
自分は、誰が読んでも正しく意図が伝わるような文章を書けるようになりたいと思った。
センター試験の現代文で満点を取れる程度にはこのテクニックを習得できた。(難関大学にも合格した。東大は無理だったが……)
受験が終わってからも、このテクニックから逆算して、正しく読解できる文章を書くように心がけてきた。
文章を正しく読解する能力と、正しく意図が伝わる文章を書ける能力。 この2つを身につけられたと思っていた。
就活の面接官や職場の上司などに言われたことを以下に列挙してみる。
さらに言うと、私は前述の言葉を投げかけてきた人たちの書く文章をうまく読解することもできなかった。
それに、彼らの書く文章にこそ問題がある――曖昧であったり、そもそも必要な情報が記述されていなかったり――と、自分は認識している。
でも自認なんて関係ない。 なぜなら正しさを決めるのは立場が上の人間なのだから。
一般的に自然とされるような文章を正しく読解することもできない。
リーディングとライティングすらできないやつが、当然リスニングやスピーキングができるわけもなく。(そもそも口下手だったからこそライティングで挽回しようと思っていた)
誰か早く俺を殺してくれ。
・同キャラ同カラーは流石に無い。自分だと思ったら他のプレイヤーだったり人狼間違えたりで致命的なミスを誘発しまくる。
・人狼不正解だと金箱貰えないから放置する奴居る。俺もそうしてる。
自分が間違えてパートナーが正解した場合、完全にボランティア奉仕活動だから。勝ったら貰えるけど負けたらゼロですよゼロ!やる気しねー。
HP減っても回復しない、敵の攻撃やスキル避けれないパートナーと一緒に戦っても勝てないんだよね。
攻撃を避けられないパートナーをこっちでカバーしても自分が手一杯の時はパートナー死ぬんで、カバーしても下手な奴は結局死んじゃうんですよ!ヘタだから。
結局死んじゃうんなら、助けた分の攻撃を全部ボスに使えば勝てたよねこの試合って話。
ボスに狙われて自分で何とか出来ない人って、無理なんだよね。何度もやられて学んでくれって言うしかない。
【俺のガイドライン】
・最初の部屋で死んで正解→いちおう頑張る(相手次第。無能なら放置)
・最初の部屋で生きて正解→全力出す(相手次第。俺だけ頑張っても意味無いんで放置)
やっぱ作り悪いよこのゲーム。戦闘の作りは優秀だけど仕様回りが本当にダメ。
捨て試合の判断迫られたり、障害物あるとワープ出来ないから確殺されるとか、勝手に動き回るキャラとか、そもそもそういう所がダメだから!
パートナーの気分と理不尽な部分に左右されるのが本当にダメ。 駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目!!!!!ダメッ!
何もしない放置プレイヤーが多い。まあ理由は判る。光側にメリットが無い。
戦闘の条件を達成する事で金の宝箱ってレア素材が貰えるんだけど、物によっては転売で大儲け出来るからみんな欲しいのよ。
光側は「最初の部屋で生き残った+1」、「人狼正解+1」、「ボス戦で勝利+1」で、
もし最初の部屋で死んで人狼不正解なら、勝っても一個だけ、負けたらゼロ。 この条件で戦りたい人居る?居ないっしょ。
戦闘終わらせようと味方攻撃するとキチガイの癇に障ってネットで晒されるから切断か放置しか選択肢が無い。
正直、仕様的には最初の部屋で全力出した方が金箱貰えるよな。ボス戦は勝てるか不確定だからみんな舐めてる最初の部屋で全力出した方が確実。
一方ボス側は「最初の部屋で皆殺し+1」、「ボス戦で勝利+1」、「プレイヤー沢山倒したで賞??+1」だから超美味いのよ。
要するに人狼だってバレても良いから最初の部屋で皆殺しにした方が金箱貰えるしボス戦で残機も減るからメリットある訳。
人狼だって隠すコンセプトなのに、ゲーム破綻だよね。だって開始早々闇と光スキル重ねて確殺すれば良いんだもん。誰が攻撃したか表示されないからバレないし。
攻撃予告の2秒間の間に瞬時に判断と特定の個所にスワイプ操作を必要とされる (それが無理ならこのゲーム無理って作りなので、ゲームの方からプレイヤーをふるいにかけてる)
蘇生重ね打ちで確殺したりと対策を知らないプレイヤーは自分で気付くまで狩られ続けるwww完全に格ゲー。
ゲームはバカでも楽しめなきゃダメなんだけど・・・。恐らく1年でサービス終了すると思う。
・スタート時にHPバーが3本あって、最初の部屋で死ぬと-1本、人狼不正解で-1本。
公式の説明がイマイチ下手で、ハート(復活)システムがイマイチ判らなかったんだけど、ようやくわかって来た。
最初の部屋で死んで人狼不正解だと-2本だから、決戦時に死んだらそのまま終わり。
最初の部屋で生きてれば人狼不正解だと残り2本(1回生き返れる)、正解で3本(2回生き返れる)だから、絶対最初の部屋で死んじゃダメ。
絶対最初の部屋で死んじゃダメなんだけど、みんな重要性がまだ判って無いから最初の部屋が仮テスト会場みたいな感じでバタバタ死ぬんだよね。
基本死んじゃダメなゲームだから共闘って言うよりかは自分が死なない様に務める=勝利に繋がる みたいなゲームだ。 渋いなー。令和なのにシビアすぎるだろこのゲーム。
っていかなぜ俺を作った
親はなぜうんだ 得するため
この世の説明
人間やれってか
川の石みたいに転がれってか
なにしてもいい
ゲームだったら楽だった
仕事だったら楽だった
まあでも動物の森だったら おれ なにすればいいんだろってなってるかも
マリオだったら まあ 死ぬのが怖いから それを避けるためになんかやるのか
なにしてもいいっていうけど
いーや 死んだら終わりだから どうでもいいだろ
気分が落ちるのは副産物
脱意味化
答えがあると信じてるのは洗脳
前提で
白い世界 いったら なにもしなくなる
結局はなにやってもいいにたどり着く どれも
洗濯めんどい → 負担がでかい → 負担を減らす 全部やらなくていい
昔立てた目標をしぶしぶやってる しぶしぶ やる気ない
タマがぶつかり合う いろんな模様 ようまた会ったな それだけ
神のファーストショットのせい そっから流れるように動いてるだけ
まあやりたいことで来てるかって言われたら まあでも動いてるだけ
正解不正解ないけど 問題はとく やりたいから選んでるだけ 書いてるだけ
間違えるっていうか ただその選択を書きたいだけなんだよな